志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2006年07月

「人体 失敗の進化史」と女性の生理

「人体 失敗の進化史」(遠藤秀紀・光文社新書)という、とびきり面白い本を読みました。筆者は遺体解剖を天職とする獣医学者ですが、人間とはどのような生物であるのかを、進化の歴史を踏まえて、じつに興味深く説明してくれています。ユーモアを漂わせる語り口の底には、学者としての良心と信念が息づいていて、基礎研究を軽視する現代の風潮に警鐘を鳴らす、啓蒙の書でもあります。
 一度では書ききれないと思いますが、とりあえず印象の強かった例を一つ、代表として取り上げてみましょう。それは女性の生理についての考察です。初潮を迎えてから閉経まで、女性は生涯の大きな部分にわたって、ほぼ28日ごとに月経を経験します。1回ごとに少なからぬ血液を妊娠の準備に使い、受胎しなければ経血として排出するということを繰り返しています。「動物学者にとって、月経はあまりにも奇妙な現象だ。なぜならば、月経そのものが、女性にとって何ら生存に有利には働かないと確信できるからだ。」と著者は書いています。女性の身体に無意味なデメリットを与える現象は、自然に淘汰されると考える方が妥当だというのです。では、本来のヒトの設計図としてはどうだったのか、と著者は読者とともに考えます。
 妊娠中はもちろん、子供を出産した後も、授乳している間は子供が2〜3歳になるまで月経は起こりません。現代の母親の出産後に月経の復活が早いのは、早めに授乳つまり乳の分泌をやめてしまうからです。それは生理への信号としては、子供が死んでしまったから次の妊娠を早めようということになり、月経が復活するのです。ですから本来は、成人した女性が3〜4年おき程度に妊娠して子供を生み、それを5回ほどくりかえして人生を終ると考えれば、すべて説明がつきます。この場合、月経は、少ない数の子供を確実に胎内で育てるための、手厚い投資であったのです。
 こう考えると、ヒトという生物としては、私たちがいかに「想定外」の暮らし方をしているかが、はっきりしてきます。女性は5人の子供を生み、そのうち2人が育てばよい。そして平均30歳台で生涯を終るのが設計図でした。そう思えば私がいま73歳で生きているなどは、とんでもない「想定外」のことであったのです。


カテゴリー分類と「私の意見」

お気づきと思いますが、2日ほどかけて過去ログを10のカテゴリーに分類しました。本来はこのブログの全体が私の日記兼制作ノートなので、ありのままに拾い読みしていただければいいと思っていました。しかし7ヶ月を経過し、記事数も200以上になってみると、途中から見に来てくきださった方には、テーマ別の分類があった方が過去ログを見やすいだろうと気がつきました。そこで分類してみたのですが、当然ながら、どこへ入れるか迷う場合が少なくありませんでした。そうした中でも比較的に分類しやすいものから順に行き先を決めて行って、あとに残ったのが「私の意見」になりました。ですからこれは「その他なんでも」と同じことです。
 考えてみると、ブログの全体が最初から私の意見です。そして最後的に「私の意見」に分類されたものを見ると、私が勝手に考えたこと、言わば個性的な作文が多く残りました。ですから私としては、思い入れの深いものが多くあります。中でも個人的な体験を思い出しての記事は「私の思い出」とでもして、別な項目を立てた方がいいかもしれません。とにかくそんなものも入っていますので、ごらんになっての印象をコメントでもしていただけると幸いです。
 人前で話をするときもそうですが、聞いている人の中に一人でも好意的に頷いてくれる人を発見すると、とても話しやすくなります。そして、その一人の人に話しかけるつもりで話すと、自分の言いたいことが、うまく話せる場合が多いものです。もの書きも同じで、私の前著を「私の宝物」と言ってくださった方がいて、その一言が私が2冊目を書き通すときの大きな力になりました。テレビ番組を作っていたときも、時たま寄せられる視聴者の声は、送り手にとっての宝物でした。(NHKの全国放送でも、担当者に直接届く視聴者の声は、意外なほど少ないのです。)双方向時代の申し子のようなブログの上で、送り手と受け手は、もっと協力ができるのではないかと思います。コメントをお待ちしています。
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「ネット新時代」の論点

昨7月28日付朝日新聞に「ネット新時代」と題した対論が掲載されていました。論者の一方は梅田望夫氏で、その主張は著書の「ウェブ進化論」により、よく知られています。私もこのブログで4月10日と11日に記事にしました。もう一方は西垣通氏で、「IT革命」(岩波新書)などの著書があります。西垣氏の意見で重要だと思ったのは、次のような部分でした。「民主主義の本質は、多数決による自動決定ではない。少数意見も含め、討論の中から合意点を探っていくプロセスだ。情報を組み合わせ、深い知を探ることなく、ひたすら自動化を進めれば、その先にあるのは衆愚でしかない。」「……多様な意見を組み合わせ、建設的な集合知を育てていくための方法はまだ未開拓だ。」(「まだ未開拓」は重ね語になりますが、責任は聞き手役の服部桂という記者にあります。)
 ウェブが1.0から2.0になっても、それが人間の道具であるという本質は変りません。しかしコストの低下と無名の多数の参加により、今までにない情報の共有と意思決定が始まるというのが梅田氏の予言でした。それに対して西垣氏は機械的な多数の集計だけでは建設的な集合知にはならないというのです。この論争の、どちらかを正しいと判定することはできません。ウェブ2.0は、これまで発言の機会を得られなかった多くのすぐれた意見をネット上に登場させました。それと同時に、もっと多数の愚言、偏見、煽動をもネットの表面に浮かび上がらせたのは事実です。ウィキペディアのように、良識ある掃除人が必要になるのはそのためです。そして、その掃除人の良識は、誰が保障するのでしょうか。
 私も半年以上ブログをつづけてきて、いろいろ勉強ができました。実感としていま言えるのは、自分の流儀を通そうとすれば、かなりよく通すことができたということです。読みに来てくださる方の数も、確実に増えてきました。一年にもならないのに大きなことは言えないのですが、私にとっては、世の中とかかわる便利で楽しい、新しい道具になりました。その恩恵を受けながら、私の本来の目的である「人間の知の統合」をめざして、さらに表現の力を磨いて行きたいと思っています。

子育て介護制度が必要になる

女性が生まれたわが子を愛し、献身的に努力して育てるのは本能であると、長い間信じられてきました。しかし生理学・心理学や社会学の発展により、本能と思われていた現象の多くが、後天的な学習や社会習慣によるものだということが明らかにされてきました。今では赤ん坊が母親の乳を吸うことさえ、本能は口をすぼめて吸う現象までで、乳を飲んで栄養を得ることは学習だと考えられているということです。それでもまだ、母親が子供を愛し育てるのは本能だから、それができない女は人間として失格だという考え方が、社会全般には根づよく残っています。その枠をはめられることで、どれほど多くの女性が苦しんでいるかわかりません。
 頼りになる父親がいて、母親は安心して子育てに生きがいを見出す、そのような家庭はあっていいし、誰よりも本人たちが幸せでしょう。しかし、さまざまな事情で子育てに専念できない女性が増えていることは事実ですし、もともと子育てに不向きな女性がいても少しも不思議ではありません。そのような女性たちの子供は、社会的なサポートで育てる必要があります。母子手帳の機能を拡充して、子供が10歳程度になるまでは公的にチェックし、必要ならば巡回指導、デイサービス、保護入所などの制度を整備すべきです。
 今の社会福祉は、老人に偏りすぎています。子育て支援の予算は、老人福祉に比べたら微々たるものにすぎません。今は老人の数が多いのだから仕方ない面はあるのですが、老人の団塊が死んで人口バランスを回復するまで待っていては、子育てのタイミングを失います。老人福祉を、既得権の一律給付から、必要な人を助ける重点給付へと、抜本的に改める必要があるでしょう。既得権への切り込みは、政権交代なくしては不可能です。社会のありようは、結局は政治の問題に帰結するのです。

母親に突き落とされる心の闇

畠山鈴香容疑者が、彩香ちゃんを橋から突き落とした状況が、ようやく明らかになってきたようです。母親が本気で自分を突き落とすと知ったときの、少女の心はどうだったのでしょうか。8メートルの高さから落ちる時間は、1秒には足りませんが、何も考えるひまがないほど短くはありません。恐怖の中で「お母さん、やめて」とか「ごめんなさい」とか叫ばなかったでしょうか。上体を押されて落ちれば頭が下になります。水底の石で頭を強打して意識を失ったのか、それにしては死体検案で水死と判定されたのですから、肺に水が入るまで水中でもがいた間は苦しかったでしょう。落ち方によっては水がクッションになり、意識を失くさないまま足で川の中に立てた可能性もありました。そのとき母親は川原まで降りて行って娘を殺したでしょうか。それとも間違って落ちたと言いつくろったでしょうか。
 この親子が破局までの間、いつもとげとげしい敵対の関係にあった筈はありません。着飾った写真を撮ったときは、親は可愛い娘だと思い、そういうときの母親を娘は好きで、幸せを感じたことでしょう。何かの事情で娘が邪魔になり、目の前から消したいと思った。これも特別に異常な心理ではありません。子供はいつでも天使ではいません。親の時間と手間と体力を奪う悪魔にもなります。顔をしかめ、子供をうとましく思う瞬間を、一度も経験しなかった親がいるでしょうか。愛と憎は、意外なほど近くにあるものです。読者の共感は得られないでしょうが、私にはこの事件の母親が、人の世の悪心をわが身に引き受けた仏身のようにも思えてくるのです。
 容疑者からこの供述を引き出した刑事の努力も尊敬に値します。嘘で固めた容疑者の心を、時間をかけて解きほぐし、自分が実際にしたことと向き合わせるに至りました。人の心の闇について、この担当刑事は私たちよりもずっと多くのことを知っているに違いありません。この事件は私たちに家族のありよう、社会のありようについて多くのことを考えさせました。もし死刑場へと見送るとしても、仏身となったこの母親の胸には、しっかりと娘が抱かれている筈です。生身の人生をやり直すことはできませんが、輪廻の真理は尽きることがありません。まさに合掌して「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」です。
(追記)歎異抄のこの言葉については、このブログ6月26日の項をごらんください。

ミネラル・ウオーター税論争に思う

1週間ほど前にテレビで取り上げられていた話題ですが、山梨県が「名水」販売業者から「ミネラル・ウオーター税」を徴収する条例を制定しようとしたところ、業者の反対に会い、問題は先送りになったということです。汲み上げる水そのものを県の財産として管理し、その使用に課税するという画期的な発想だったのですが、準備不足と時期尚早でもあったようです。
 私はこの話から、世界連邦運動の中で発表された「世界連邦憲法草案」を思い出しました。そこには「人間の生存に必要欠くべからざる4大要素、土地、水、空気、エネルギーは、人類の共同の財産である。」と規定されています。山梨県に「名水」の工場が多いのは、清潔で味のよい地下水が豊富だからです。その水は、山地に降った雨水が、豊かな森林によって浄化され、地下に浸透して生まれたものです。その森林が木材価格の下落によって荒廃してきているので、山梨県は新税を設けて森林保全の財源にしようとしたのでした。税額は1リットル当り0.5円。2リットル入りのペットボトル1本につき1円でした。ミネラル・ウオーターは水そのものが商品なのだから、それくらいの負担は求めてもよいと判断したのでしょう。
 ところがミネラル・ウオーター業者としては、製造原価とは汲み上げる労力と衛生管理の経費のことであって、水そのものに価値があるとは想定していません。それならば地下水を洗浄に使っている精密工業はどうなのだ、市民の水道はどうなのだ。ミネラル・ウオーターだけに課税するのは不公平ではないかという議論になってきました。その結果が条例制定の先送りになったわけです。
 この議論は、これからの社会のありように、根本的な問題を投げかけます。私は、方向は明瞭であると思います。もっとも価値があるのは、水そのものです。その商業的な利用に対しては、公的な課税をして公的な財源、理想的には世界連邦の運営資金とすべきです。人が働いて得る所得に課税することをやめて、土地、水、空気、エネルギーの使用に対して課税する。このシフトを行うことで、人類は環境を保全する効果的な支配力を獲得できるでしょう。山梨県は、その歴史的な第一歩の名誉を、逃したのかもしれません。

靖国神社、念のために

靖国神社についての昭和天皇の発言メモが公表されたことにより、公式参拝への賛成率・反対率が大きく変ったと新聞に報道されていました。メモ1枚で「世論」が変ってしまうことに、かえって頼りなさを感じます。そこで続編を書くことにしました。戦前の小学校高学年生を読者に想定しています。
 「日本の国は、昔は神の国で、天皇陛下は神様だと思われていました。天皇陛下のおっしゃることは絶対で、お言葉に従っていれば日本の国は世界で一番よい国になれると、みんなが思っていました。そこで天皇陛下が世界を治めるようになれば世界の人たちは平和で幸せになると考える人たちが出てきて、戦争を始めてしまいました。しかしそれは無理なことでしたから、日本は戦争に負けて、連合国に降伏しました。戦後の裁判で、戦争を始める指導をした人たちは、罰を受けました。天皇陛下は『私は神様ではありません。昔から国民といっしょにいた、国民みんなの代表です。これからは世界の人たちと仲よくして、平和で立派な国をつくりましょう。』というお言葉を発表しました。
 日本には靖国神社があって、天皇陛下のために戦って死んだ人たちをお祭りしていました。神様である天皇陛下を守って死んだ人たちですから、その人たちも神様としてお祭りしたのです。この靖国神社には、戦後の裁判で戦争の責任者として罰を受けた人たちもお祭りされました。神社としては、お国のために死んだ人たちだというので、分けへだてしたくなかったのでしょう。しかし天皇陛下は、ご自分の気持に逆らって戦争を始めた責任者が、戦争の犠牲になった人たちといっしょに神様として祭られるのは、よくないと思われました。そこで靖国神社へのお参りは、しないことにお決めになりました。
 戦争責任者もいっしょに祭られたことで、神様である天皇陛下の国を守った人たちを神様として祭るという、靖国神社の目的が、かえってはっきりしました。昔のままの神様が祭られている靖国神社にお参りしたのでは、『私は神様ではありません』と宣言したお言葉が無駄になってしまいます。天皇陛下は、そのことにもお気づきになったのでしょう。でも、それは天皇陛下が戦死した人たちを大切に思わないということではありません。平和を願い、戦死者を大切に思うお心は、今の天皇陛下にも、しっかりと受け継がれているのです。」

「生きるとは何か」島崎敏樹著

「生きるとは何か」は文豪、島崎藤村のいとこ(従弟)で精神病理学者だった島崎敏樹氏の名著で、1974年初版、岩波新書(青版)の881番です。現在品切れで、再版予定なしになっているのは残念なことです。岩波書店へのリクエストが多く出て、復刊されるといいと思っています。私はこの本によって、人間とはどのような存在であるかの全体像を掴むことができました。またテレビ番組の取材で、この本を書く前の先生から、直接にお話を聞く機会にも恵まれました。書かれたものそのままの、穏やかで誠実なお人柄でした。 
 肝心の本の内容は、まず人間は白紙の状態で生まれると説きます。赤ん坊は母親をはじめとする他の人間との交流を通して人間になります。ここで狼に育てられれば狼になるわけで、有名な「狼少女」の話も引用されます。こうして人間の仲間となって「人とともにある状態」が「居がい」です。それが確立してはじめて動き出す、つまり「行きがい=生きがい」を求めることが可能になります。生きがいは前方への広がりを求めて限りはありません。その中でいつか生き物としての限界がきて死を迎えます。非常に簡単ですが、これが人が生きるということのすべてです。私が感動したのは「別れ」と題した最終章でした。人生を終るとき、その人にかかわったすべての親しい人や、悔恨や夢や理想までもが、前方やや上方に現れる。そこへ向かって踏み出すことで人の命は終るというのです。最後の1行は「生涯の最後に臨んでも、私たちは『連れ』とともに『光』をめざす存在のように見える。」とありました。私はこれを読んでから、死ぬことが怖くなくなりました。
 唐突かもしれませんが、私は地球環境の維持を考える中で、この本のことを思い出したのです。「行きがい=生きがい」は、人間の限りない欲望とも深く結びついています。しかしながらその根元は「居がい」つまり人との連帯に支えられています。限りない欲望を、人間存在の原点である「人との連帯」と調和させることが、人としての生き方の、あるべき姿ではないのか。久しぶりに読み返しながら、そんなことを考えました。

環境維持は必ずできる

昨夜のBSジャパンの特集「養老孟司が秘境で解明、人間の脳に潜む?地球環境破壊のメカニズム」を、気がつくのが遅れて最後の方だけ見ることができました。しかし全体のコンセプトはつかめたような気がします。終り近くの女子アナとの対談で、印象的な場面がありました。環境の維持について女子アナが「でも、本当にできるでしょうか。」と言ったときの養老氏の答えです。私の想像で補って養老氏の言葉として再構成してみるると、こういうことになります。
 「できるでしょうか、じゃないんです。あなたがどう思うかです。石油はなくなる、環境はこうなる、それがわかったら考えることがあるでしょう。今の生活を、誰かに命令されてしているわけじゃないでしょう。これではまずいと思ったら、生活を少し変えてみる、いっぺんじゃなくても、ボチボチやればいいんです。人間の脳が環境を壊したんだから、人間の脳で、また直してやればいいんですよ。」それに私の言葉を続けてみます。「旅行のとき、安ければいいじゃなくて、飛行機と鉄道と比べて大差なかったら、鉄道を使えばいいじゃないですか。電車で行けるところに自動車で行くことはないでしょう。冷房の温度は、流れる汗を止める程度の高めにしてごらんなさい、その方が体にもいいんですよ。」
 養老氏の「バカの壁」など最近のベストセラーは、私はあまり高く評価したくないのですが、講演やテレビでの発言などは独特の魅力があります。難しいことでも「本当は簡単なことなんです」と解き明かしてみせる明快さが心地よく、その根底には究極の楽観主義と実地優先のバイタリティーが感じられます。関東人でありながら、なんとんなく関西人のような印象があるのは、そのためでしょう。現代に必要とされる、すぐれたリーダーの一人だと思います。
 人間は賢い生きものです。自分が生きられないような環境を、自分でつくりだす筈がありません。仲間の数が増えすぎたと思えば子供の数を減らします。少子化は、みごとな適応だと思えば、そのようにも見えます。百年後であろうと一万年後であろうと、人間が住めないような星に地球がなっているとは、私は信じません。

手で触ることの大切さ

方波見(かたばみ)康雄著「生老病死を支える」(岩波新書)を読んでいたら、生活回診という言葉が出てきました。父親の代から地域密着の医療に徹してきた著者が実行していることで、往診であっても院内であっても、生活者としての患者に人間として向き合い、ユーモアを交えながら会話を重ねるというものです。必要がなければ血圧も測らず、場所も相手のいる所で話し込み、もっぱら対話とくつろぎに心がけるのですが、必ず患者の体に手で触るようにしているということでした。触診の大切さは医療の伝統の中で認識されていますが、「手は第二の脳」と言われるほど大脳皮質の働きと密着しているとのことで、それが精神・神経をはじめ内分泌系や免疫系にまで影響すると書かれていました。
 手で触ることが、人間の精神に大きな影響を与えることは、昔から経験的によく知られています。子供を叱るときは、強く抱きしめるか、手を強く握るかしながら叱りなさいとは、よく聞かされました。人間の気持とは本当に情ないほど体のありように支配されるものです。たとえば鏡の前で笑顔をつくりながら暗いことを考えようとしても、できるものではありません。顔を上げ、両手を上に伸ばしても、同じことになります。誰かと握手したら、少なくともその動作をしている間は、相手に憎悪を感じることは不可能です。亡くなった私の母方の叔父は、名医として地元で慕われた開業医でしたが、私が父と気まずくなっていたとき、父を自宅で健康診断した後に軽い注射をして、そのあとの腕の揉みほぐしを私に命じてさせました。今にして叔父の善意がよくわかります。叔父はそれが私と父との和解につながることを願ってくれたのでした。
 この本でもうひとつ印象に残ったのは、「人生は死ぬまでは完成しない」という言葉でした。老いをきわめて完熟した生を終るとしても、人間は生きている間は未完成だというのです。そう思ったら、たしかに人生の楽しみが増えるような気がしました。著者は私よりさらに7歳年上の80歳で、みずから詩人の心を持ち、美しい文章を書く人です。このような名医が家庭医として近くにいてくれたら、病と戦うにも、あきらめて死ぬにも、安心していられるだろうと思いました。

靖国神社、陛下へのお願い

昭和天皇が、崩御の前年に、靖国神社への参拝をしなくなった理由を語られた際のメモが確認されたと、朝日新聞の20日夕刊に大きく出ていました。刑死したA級戦犯のみならず、軍人でもなく死刑にもならなかった日独伊3国同盟の責任者までが合祀されたことへの不快感を述べ、「だから私はあれ以来参拝していない」との意志を明示しています。天皇の意思に反して戦争につながる世界戦略を進めた者たちへの怒りと、それを止められなかった自らの無力への悔恨が感じられます。改めて、昭和天皇は偉大なる常識人であられたとの思いを深くします。
 私のお願いは、現天皇に、ぜひ父陛下の意志を引き継いでいただきたいということです。靖国神社は明治から昭和にかけての日本の国粋主義の時代に役割を果たした特殊な神社でした。それは「すべては天皇のために」という統合の象徴であるとともに、「世界に君臨する天皇」という独善的な世界観にも利用されました。平和な立憲君主国である現在の日本にふさわしくないことは、言うまでもありません。私は陛下が「殿下」と呼ばれる学生だったとき、大学の休み時間に卓球をしていて、そらした球を拾っていただいたことがあります。そのとき、さっと球を投げ返されたスマートさを、今も覚えています。空襲と疎開を体験した世代として、父陛下の平和への思いを継承してくださっていることに共感し感動しております。
 靖国神社については、多くの遺族の方々が、国のために戦って死んだことの意義を認めてくれる場として、心のよりどころとしていることは充分に理解できます。私も死者への尊敬と哀悼を込めて、行けば素直に頭を下げます。そこに慰めを感じる人たちがいるかぎり、靖国神社はそのまま静かに存在しつづけることでしょう。しかし靖国は神社であって、墓ではありません。天皇のために戦って死んだ人を神格化して祭った神社です。戦死した人たちの霊は、ふるさとの墓地に、そしてどこよりも思い出す人たちの心の中にいるのではないでしょうか。靖国神社に代わる追悼施設を作るという意見にも、私は賛成できません。ことさらに「国のために死んだ人」を顕彰する国にはならない方が、国民は幸せだろうと思うからです。
(追記)顕彰ではなくて追悼の心は忘れるべきではありません。終戦記念・平和式典への陛下の出席は続けていただきたいし、千鳥ケ渕の無名戦没者墓苑も大切にしてほしいと思います。
(追記2)A級戦犯を分祀して天皇参拝の復活をという主張を新聞で見ました。しかしそれは、戦前・戦中の国家神道の信者以外には、無縁の話です。

金持ち優遇と金持ち流出

今の日本は金持ち優遇の政策を実行している、それはまぎれもない事実です。1987年(昭和62)まで、高額所得者にかかる税金の最高率は、所得税と住民税を合わせて78%でした。王や長島、金田などが活躍していた頃、スター選手たちの高い年俸は今と同じように話題になっていましたが、その8割は税金に取られて社会に還元されると思うと、何となく許せるような気がしたものでした。それが順次引き下げられて、今では50%になっています。親の遺産にかかる相続税の最高も75%で、2回相続したらゼロになると言われていたものが、これも50%に引き下げられました。さらに利益をあげた企業が納める法人税も、長らく42%だったものが不況対策で30%に引き下げられ、そのまま据え置かれて今に至っています。国の財政赤字が大きくなったのは、金持ち優遇の減税だけが原因ではありませんが、全体として所得再配分・平等化の機能が弱められたことは事実です。
 金持ち優遇税制は、社会の活力を回復するという「構造改革」の柱の一つでした。たしかに北欧の国々などでは、高福祉高負担の政策を嫌って金持ちが国外へ逃げ出すという現象も見られていました。それに対して「がんばった人が報われる」というスローガンは、景気回復の起爆剤になると期待されたのでしょう。しかし少数の勝ち組が消費を牽引することはなく、圧倒的多数の負け組みの困窮が消費を落ち込ませ、長期不況を招いたことは周知の通りです。むしろ逆に、所得の平均化をはかった方が景気は早く回復し、社会の安定化にも役立ったのではないかという批判には、充分な説得力があります。これから財政再建を進める過程で、自民党政府はいつまで金持ち優遇策を続けるつもりなのでしょうか。
 今は優遇されているように見える日本の金持ちですが、それでも税負担を嫌って海外へ生活の拠点を移す人たちが増えてきたと、最近の新聞で報じられています。物価の高い日本の金を海外へ持って行くと使いでがあるのは事実で、国際的な所得の平均化という点からも意味のあることかもしれません。しかし納税の義務は、なるべく上手に逃れればいいという考え方には、私は抵抗を感じます。税金を納めることは、誰かを助けることである筈です。税金を食いつぶす政府の腐敗は厳しく正さなければなりませんが、適正な納税をすることは、成功した人間の名誉ある義務と考えるべきです。

中東の戦乱と宗教対立

イスラエルがまた南(ガザ地区)と北(レバノン)で戦闘を開始しました。理由は南で1人、北で2人のイスラエル兵がアラブ過激派組織に拉致されたのを奪還するためということですが、どこにいるかわからない捕虜の救出は、力づくでやろうとしたら、ひどく能率の悪いものにならざるをえません。南でも北でも、町を破壊し市民の犠牲を増やしています。死者の数を単純に比較すると、イスラエル側1人の死者は、アラブ側10人以上の死者で償う構図になっているようです。この比率は、従来からの自爆テロと報復攻撃による双方の死者の比率と、変っていないように見えます。かつてナチス・ドイツが、ドイツ兵1人が殺されるたびに、報復として占領地の市民10人を殺したのを思い出してしまいます。
 イスラエルは日本の四国ほどの面積に約700万人が暮らす国で、決して大国ではありません。当初はユダヤ人とパレスチナ人が共存することを想定して建国されました。しかし反発する周辺アラブ諸国の敵意に囲まれ、相次ぐ戦争で存亡の危機をくりかえしながら、針ねずみのような軍事国家になって行きました。その過程で周辺国で迫害されたユダヤ人がイスラエルに集まり、イスラエルにいたパレスチナ人は難民となって流出するという「民族浄化」が進行しました。それでもイスラエル国民の4分の1は、今でもパレスチナ人なのです。
 ユダヤ人とパレスチナ人を分けているのは、人種としての民族以上に、それぞれが信じている宗教です。ユダヤ教とイスラム教は、元をただせば同じ神(エホバの神とアラーの神は同一)を信じる一神教で兄弟の関係なのですが、今さらそれを嘆いても始まりません。同じイスラム教の中のシーア派とスンニ派でさえ、不信の連鎖に陥れば血を血で洗う殺し合いを始めるのですから、信念の違いを言いたてたらきりがないのです。
 宗教国家を作ろうとしたら、異教の国との戦争は避けられません。キリスト教は宗教改革を経て、近代的民主主義との調和に成功しました。まだ宗教改革を経験していないユダヤ教とイスラム教が、政治と宗教との分離に成功するまでは、「危険な国家」は存在しつづけるでしょう。宗教が変るのには時間がかかります。危険な国家に戦争をさせないためには、国家の上に立つ権威、つまり国連の役割を強化するしかないのです。

イラク派遣、終りよければすべてよいか

イラクに派遣された自衛隊の撤退が順調に進んで、まもなく無事に終了しそうです。一発の弾も撃たず、誰も殺さず、殺されもせずに帰ってこられるのは、まことに幸運で喜ばしいことです。小泉首相は、本当に最後まで運のいい人でした。イラク政府への治安権限の委譲ができたので任務完了の形が作れたのですが、これが長期内乱の中の、つかの間の平安だったということにならない保障はありません。感謝されながら帰ることができるとは、有り難いことです。 自衛隊が行った浄水作業や学校、道路の修理、医療の指導などは、どの程度の事業規模だったのか、それが現地の人たちの暮らしにどの程度役に立ったのか、くわしいレポートが欲しいところです。そしてまた、同じ事業が民間ベースで行われた場合と、自衛隊の派遣にかかった総経費との比較も公表して貰いたいものです。それはおそらく、想像を絶するほどの倍数になる筈です。現代の軍隊は、直接の目的である戦闘に使われる経費は10分の1程度で、大半の経費は移動・輸送や隊員の生活維持などの後方支援のために使われると、ベトナム戦争の当時から言われていました。「自分の体を動かすだけで大半のエネルギーを消費する巨大恐竜」にたとえられたものです。軍事組織は、経済効率とは無縁の論理で出来上がっているからです。それでも政府は自衛隊を出すことにこだわりました。憲法の制約もすり抜けて、アメリカとの同盟を目に見える形にすることを優先しました。この路線は、ポスト小泉の首相の下でも推進されるのでしょうか。イラク派遣自衛隊についての最大の問題点は、ここにあります。 日本の国際貢献において、自衛隊の派遣を「得意技」にする必要はないと、私は思います。規律正しく公正に行動できる軍隊を持つ国は、他にも数多くあるでしょう。国際紛争を解決する手段として武力を使わないという先進的な憲法を持つ国として、武力に頼らない平和貢献を、日本の得意技にしてほしいと思います。その文脈での自衛隊の再編成はあっていいし、将来、国連が強化されて国際警察組織が立ち上がるときは、日本も堂々と参加すべきだと、私は考えています。

親になる資格とスパルタ教育

親として子供をちゃんと育てるというのは、かなり難しい仕事です。育てられ方で、どんな大人になるかも決まってくるので、将来のために大切な仕事でもあります。この難しくて大事な仕事を任せられるのに、親になるための資格試験はありません。女性が妊娠し出産すると、ひとりでに親になってしまいます。必ず父親が傍にいるという保障もありません。
 古代ギリシャのスパルタでは、子供は国家の財産であるという思想で、公的に育てられました。生まれてすぐに育てるに値する子供かどうかが選別され、親は成長期の一時的な預け先と位置づけられました。公的な教育は7歳から始まり、親の介入は許されませんでした。12歳以降は完全な集団生活に組み込まれて、国家のために有用な市民となるよう教育されたと言われます。これが有名なスパルタ教育ですが、もちろん全体主義国家の特異な例であるに過ぎません。個人の自由と民主主義が力を得るとともに、子供を育てることは個人の権利となり、親権が確立しました。
 しかし、すべての親が教育者として適任であるわけはありません。私は父親と対立した少年期に、「どれほど多くの子供たちの可能性が、資格なき親たちによって閉ざされたことだろう。それよりも国家の名において育児の施設を作った方が、子供たちはずっと幸せになれるのだ。」と日記に書いたことがあります。その後自分が親になってからは、私は父親を反面教師として、娘たちの可能性を摘まないことを第一に考えるようになりました。そこで臆病になり、言うべきことも言わなかったことを、今では失敗だったと思っています。
 親権が絶対では、資格のない親による被害を防げません。かといって全体主義の集団教育では未来がありません。常識的ですが、正解はその中間にあるでしょう。子育ての力の弱い親たちをサポートする社会システムの充実が必要です。子供が自分の判断で入ることのできるグループホームがあってもいいし、全寮制の小・中学校や、宿泊もできる学童・幼稚園児の保育が役立つかもしれません。要は、複数の子供と複数の大人による安定的な人間関係を結べる場所を増やすことです。それは女性の自立や男女平等の推進にもつながるでしょう。

火遊び少年「北朝鮮」の続報

地球ではない星からの続報です。物騒な火遊びをして周辺の大人たちを困らせた少年をどうするかで、日本は警察沙汰にして少年院へ送った方がいいのではないかと提案しました。アメリカのおじさんも賛成してくれて、一時は両親のロシア、中国以外はみんな賛成してくれそうだったのですが、はやりここは両親の顔も立てた方がよいという意見も出てきました。中国はとにかく北朝鮮を説得してみると出かけたのですが、もう親の言うことを聞く年齢ではありません。ほとんど効果はなかったようです。それでも警察に引き渡すのは絶対反対と母親が言い張るので、日本は困ってしまいました。それなら親の責任でちゃんと監督しろと言いたいところですが、それを言いすぎると大人同士の本気のけんかになってしまいます。町内の人たちも、ここはとりあえず穏便に済ませようという雰囲気になってきました。
 そこで北朝鮮を懲罰するというのは棚上げにして、「危ないことをしてはいけません、町内のみんなも北朝鮮に火遊びの材料を与えないようにしましょう。」という穏やかなお叱りを、町会全員の名前で出すことになりました。強い効果はなくても、とにかく町会のみんなが火遊びはよくないと思っていることは伝えられたわけです。ところが当の北朝鮮は、このお説教さえ気にいらないと怒鳴り声をあげる始末です。これでは反省を求めた町会の善意も全く意味がありませんでした。
 非行少年を更生させるには、力で押さえ込むのには限界があると言われます。本人が心からよい社会人になろうとして生まれ変わるつもりにならないと、長続きする更生にはなりません。そのために必要なのは、やはり教育の力です。非行少年は基本的に教育を受けるのが大きらいで、自分は一番偉いという顔をしたがります。しかしそれは誰からも相手にされない淋しさと弱さのの反映で、心の奥底では、みんなから認められる一人前の人に、早くなりたいと思っているのかもしれません。だからといって現状で甘い顔を見せれば、図にのって非行をエスカレートするだけでしょう。本当に手のかかることで、近隣の迷惑は察するに余りあります。じっくり話を聞いてあげるから、一度地球へ連れてきてごらんと伝言しておいたのですが、どうなりますか。その星の知人の話では、少年は態度が大きいわりには体力が弱いので、地球まで連れてくるのは難しいかもしれないということでした。

匝瑳市と八日市場

表題の「匝瑳市」を、すぐ読めた人が何人いるでしょうか。ウィキペディアでも、おそらく全国一の難読市名であろうと書いています。今年1月に、千葉県の八日市場市と野栄町が合併して誕生しました。匝瑳は「そうさ」と読むのです。千葉県の人なら昔から匝瑳郡がありましたから類推できるでしょうが、どちらも当用漢字ではなく、一般的にはすぐに読めと言われても無理でしょう。子供に名前をつけるときは当用漢字と名付け用漢字の範囲内に限るよう厳しく制限しているのに、市町村名は全く制限がなくていいものでしょうか。おそらく住民の常識で決めるだろうから、それほど極端な例は出ないだろうというので制限をしていないのでしょう。
 市の公式ホームページによると、匝瑳は平安時代以前にまでさかのぼる歴史の古い地名だということです。和名としては「さふさ」(美しい麻)から出て、匝(めぐらす)瑳(白く美しい)の漢字を当てたもので、市民へのアンケートでも支持されたので、議会で決定したと説明されています。やや疑問の残る決定ですが、決めてしまった以上は、「読めますかこの市名、そうさ匝瑳市」とでも言って、日本一難しい地名を逆手にとったらいいかもしれません。市町村合併で歴史ある古い地名が消えてしまったことへの反省から、古い地名を復活する動きもあるようです。それはそれとして意味のあることですが、匝瑳市の場合は、市民が知らない人に電話で自分の住所を教えるときに、どういう言い方をするのだろうと、ちょっと心配になります。
 今日は、母方の従兄が亡くなったので、その葬儀で八日市場へ行ってきました。母の実家で、旧匝瑳郡平和村の篤農家だった家の当主でした。戦後の食糧難の時代には、母に連れられて何度も訪ね、貴重な米を分けて貰ってどれほど助けられたかわかりません。その家も、今では3人の子供たちがそれぞれに独立しており、大きな家に母親がひとり残る状況になりました。都会と違って親族・近隣の人間関係はずっと濃密ですが、時代の波は確実に農村の姿を変えつつあります。親族が集まり話し合う機会も、誰かが亡くなった葬儀の場ということが多くなりました。農村をふるさとだと思う人が減って行く中で、どうしたら田園は人間に必要な空間として再生するのでしょうか。墓地の周りには、あざやかな緑の美田が、昔と変らずに見渡すかぎり広がっていました。

本当の幽霊を見てしまったら

小松左京の「果しなき流れの果に」を読み直していたら、怪異現象に遭遇したときに常に起こる3つの解釈可能性という話が出てきました。第1は文学的合理主義とでもいうべきもので、その現象を一つの隠喩(直接表現によらない比喩)として心理的または象徴的に解釈するものです。第2はその怪異が現実にあったものに基づき、それが脚色変形されたと考えるもので、たとえば山岳民族が鬼だと思われるような場合です。そして第3は、その怪異が本物であった場合です。これは、たいていは信用されません。しかし、もし本当に幽霊を見てしまったら、どうしたらいいのでしょう。現代でも、死者と交信したとか、宇宙人と遭遇したなどの経験があると、本気で信じている人たちが少なからずいることは事実です。そういう人たちは政治の世界でも科学の世界でも、尊敬される仲間として受け入れられることはありません。しかし人間の歴史では、最初は変わり者として軽蔑されていた人が、じつは偉大な先覚者であったという例は、決して珍しくないのです。 私はどうかというと、幽霊の存在は信じないし、たぶん唯一絶対神の存在も信じていません。現代日本における標準的な常識人だろうと思っています。しかしながら、もし本当に幽霊を見てしまったらどうなるか、これまで突き詰めて考えたことがありませんでした。「そんなものはいないのだから見る筈がない」で済ましてきたのです。ですから、もし本当に幽霊に遭遇したら、盲点を突かれることになるかもしれません。今さらどうしてそんな心配をするのかというと、じつは自分が幽霊になるかもしれないと思ったら、ぞっとしたのです。その可能性はあることに気がつきました。 私は本を書き、今もこうしてブログを書いています。本に印刷された活字も、コンピューターに蓄積される情報も、私の思想や情念そのものではありません。それらを伝えるための道具に過ぎません。私は自分の思想や情念が、他の人の心に小さな波紋としてでも伝わってほしいと思っています。それは、できれば時間も空間も、かぎりなく超えて行ってほしいのです。その意味でなら、私は死にたくない、無にかえりたくない、いつまでも生きていたいのです。その執念が、幽霊になることはないのでしょうか。私が死んだあとに、私が書いたものが誰かの心を動かしたら、そこには私がいるかもしれません。それが幽霊と呼ばれるのなら、どうぞその幽霊を愛してやってください。

夏の元気術・正しい汗のかき方

夏の初め、汗のかき方を忘れていた体が、順調に汗のかき方を思い出すと体が楽になってくるのは、毎年経験することです。上手な汗のかき方は、夏の暮らしに欠かせません。
 アジア連帯委員会(CSA)によるラオスへの学校建設支援事業の取材でラオスへ行ったとき、完成した校舎の引渡し式の会場は、40度近いと思われる猛烈な暑さの中でした。本当は何度だったのか、誰に聞いてもわかりません。温度計など、どこにもないのですから。かんかん照りの校庭で、日本側のスタッフは流れるように汗をかいていました。ところが交歓会になって踊りの輪ができるころ、私は現地の人たちが少しも汗を流していないのに気がつきました。ことに女性たちの肌がしっとり潤っている感じで、にこやかな笑顔とともに、とても魅力的でした。気候に順応した体になっていたからでしょうが、その姿を、その後日本の夏に何度も思い出しました。
 暑いとき汗をかくのは、体を冷やすためです。それは水分が蒸発するとき、1cc(ミリリットル)当り580カロリーの気化熱を奪って皮膚を冷やすからです。ですから水滴のままの汗をハンカチで拭きとってしまったら、1ccにつき580カロリーの冷房能力を無駄に捨てたことになります。ラオスの人たちは、体の水分を1滴も無駄にすることなく、もっとも効率よく冷房に使っていたのです。汗は流すほど出したら無駄になる、肌がしっとり潤えばいいというのが、私がそこから学んだ教訓でした。もしも100ccの汗をダラダラと流したら、体重70キロの人の体温を1度下げるだけの水分を無駄に捨ててしまう計算になります。それだけではありません、塩分その他の有用な成分も体から失われます。まさに「流れる汗はもったいない」のです。
 これがわかってから、私は夏に歩くとき無理をしなくなりました。流れるほどの汗が出そうだと思ったら、歩き方をゆるめるか、小休止します。肌がしっとりする「ほどよい汗」を心がけることで、夏の過ごし方が楽になったように感じています。そして室内の冷房も「肌がしっとり」の高めの温度を心がけるようになりました。滝のように流れる汗と、鳥肌が立つような冷房を往来していたら、体にいいわけがありません。

「日本沈没」と「果しなき流れの果に」

小松左京の「日本沈没」の新しい映画化が話題になり、「日本沈没」の第2部も発行されました。小松左京の代表作として、一段と評価が高まることでしょう。私も1973年の初版発行のときにすぐに買って、大阪へ往復する新幹線の中で夢中で読んだことを思い出します。その後、小松左京の作品は、折にふれて読むようになりました。それまでSF小説に分類されるものは、ほとんど読まなかったのですが、小松左京のものは無条件に面白く、SFであることを意識しなくなりました。 今でも強烈な印象が残っているのが「果しなき流れの果に」という長編です。これは1965年に書かれた小松左京の初期の作品で、純文学ではなしえないことを表現しようとしたと評された非常に意欲的な作品です。「果しなき流れの果」という題名からして矛盾をはらんでいるように、時空を超えた宇宙の全体像を描こうとしたと言えるものです。その象徴として、この作品には「クロニアム」という砂時計が登場します。一見ふつうの砂時計ですが、いつまでも落ちつづけて止まることがなく、上下の砂は人間の感覚を超えたところでつながっているのです。作品の舞台は恐竜の時代から25世紀までの間を自在に往来し、登場人物もまた時空を超えて翻弄されます。小松左京自身にとってもこれは途方もない大仕事で、執筆中に自分が喚起したイメージに自分が参ってしまう自家中毒の状態になり、連載を放棄しようとさえ思ったということです。 筋書きだけ書けばたしかに奔放なSFですが、読んでいる間中、私には一貫して確かな現実感がありました。宇宙は何のためにあるのか、人間にできることは何なのか、人間の意志は肉体を離れても存在できるのか、そんなことを、しきりに考えさせられました。そして恋人だった二人が、記憶をなくした老人同士として寄り添うラストシーンに感動しました。順序としては、これだけボルテージの高い作品に挑戦したからこそ、小松左京は「日本沈没」以下につづく名作を書くことができたのだろうと思います。しかし、私にとっては「果しなき流れの果に」が、小松左京の最高傑作です。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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