荒唐無稽と言われるのを承知の上で、問題提起をしてみます。今日の新聞によると、公務員の年金制度を民間勤労者の制度と統合すると、退職金を含めた生涯受取額が240万円ほど不足するので、税金からの補填が必要になるとのことです。さらに公務員には守秘義務や兼業禁止などの制約が多いので、民間よりも優遇されるべきだという意見もあるのだそうです。公務員に同情して、優遇してあげたいと思う人は、どれくらい、いるものでしょうか。
 こうした待遇の問題に限らず、「公」と「私」との間には、さまざまな対立が起こりがちです。「私」は、面倒でいやな仕事は「公」に押し付けて、サービスを要求する側に立とうとし、「公」は「私」に対してルールを押し付け、はみ出し者を、なるべく作るまいとします。こうした公と私の対立を、両者を一体化することで解消するのが、今日の提案です。
 「公」を維持するのは国民みんなの義務。よって全国民は、生涯のうちの3年から5年間を、公務員として働く義務を負うこととします。これで公務員として必要な労働力は確保できます。原則として、学齢の直後に公務員になるのですが、社会経験を積んでから公務についてもよいこととします。どんな公務につくかは、本人の希望と適性にもよりますが、原則として人事機関の指示に従うことになります。言ってみれば昔の兵役の義務に近いものが、すべての公務に広がって、公務が、大多数の人にとっては、生涯の職業ではなくなるわけです。ただし一部の幹部職員は必要でしょうから、これは専門職の公務員になるので、昔の職業軍人に近い立場かもしれません。とにかくすべての国民が、一度は公務員として働いた経験を持つのですから、「公」と「私」との間には、今よりもずっと風通しのよい関係ができることでしょう。政府や行政機関を、「あちら側」のものとして見るのではなく、「自分たちのもの」とする感覚も育つに違いありません。経済システムとしては、公務員の採用・待遇を通じて、雇用の安定や賃金水準の適正化をはかることも容易になります。そして公務員給与の総額は、今よりも安くて済みます。
 簡単に書きましたが、これは「国民」と「国家」との関係を、原点から考えてみるための問題提起です。自分の国は「誰かが作る」ものでも「誰かがやってくれる」ものでもないのですから。