志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2006年12月

1枚を2年に使う年賀状

1枚のはがきに「昨年中はいろいろお世話になりました」「本年もどうぞよろしく」と、2年分のあいさつを書くのが年賀状です。その年賀状も書き終って年末になりました。昨年の今ごろを思い出してみると、ブログのおかげで、ずいぶん楽しい1年間になりました。本を1冊出したことよりも、ブログにこれだけ多くの読者が来てくださったことの方が、大きかったような気がします。500部を売るのに苦労するのと、質は違うにしても累計6万5千のアクセスがあったのとでは、規模が違うと思わざるをえません。このような時代に出会って、不慣れながらもネット時代の一端に参加できたことは幸運でした。
 ブログを通して、いろいろな人との出会いもありました。その多くは本名も知らないままの、限定されたおつきあいに終始するのですが、同意してくれる人に勇気づけられたり、違ったものの見方に刺激を受けたりする機会も、多々ありました。中にはリアルなおつきあいとして、今後に続きそうな人も出てきました。ネットでなければ出会う機会はなかったであろう人たちと接触ができたということが、ブログの最大の恩恵だったと思います。その一方で、ネット社会の暗黒面が話題にされることがありますが、私の場合は、迷惑なトラックバックに見舞われる程度のことで済んでいます。自分のスタンスがしっかりしていれば、理不尽な攻撃を受けるようなことを、過剰に心配する必要はないように思っているのですが、私は単に、これまで運がよかっただけなのでしょうか。ともあれ、私は基本的にネットの現状を信頼しています。ネットは現代の巨大な道具であって、人間文化の一部分となった、そして人間の文化を信頼するゆえに、私はネットも信頼していいと思うのです。
 来年から、私は前著の「おじいちゃんの書き置き」を、このブログに連載で公開すると予告しましたが、ちょっと変更をさせていただきます。私の最初の出版物である「詩集」の方を、先に紹介させていただきたいと思います。市販品ではないので、放置すれば消滅の運命ですから、ネット上のどこかに保存しておきたいのです。自分でも忘れている古いものですから、見直して整理しておきたい意味もあります。
 こんなわけで、来年もどうぞよろしくお願いいたします。皆さまにも、新しい良い年が来ますように。
 ありがとうございました。

ちょっとそこまで

12月27日の「あいさつの力」で、コミュニケーションについての説明が不十分なまま終ってしまいました。私の「実用的コミュニケーション学」は、教職課程で受けた、もう名前も忘れてしまった先生の講義と、教育・宣伝活動の実務を教えるコミュニケーション講座を担当していた時期に、講師仲間や外部講師から仕入れた各種の知識から成っています。
 あいさつは「質問と答え」ではないとは、こういうことです。会社の昼休み、外から帰ってきた人が、ビルから出て行く同僚と、入口ですれ違いました。「どこ行くの」「ちょっとそこまで」と、にこやかに言葉を交わしました。これはいったい何か、というところからコミュニケーション学が始まります。(学者とは気楽な商売ですが。)どこへ行くのかの問いに対して、「ちょっとそこまで」は、ほとんど答えになっていません。もちろん本人には外出の目的がある筈ですが、それを正直に答える必要があるとは思っていないのです。また、「どこ行くの」と聞いた側も、どこへ何をしに行くのか、そんなことには最初から関心はないのです。だから互いに満足して、にこやかにすれ違うことができました。では、この会話は何を目的にしていたのでしょうか。それは同じ職場の仲間であることの、親しさの確認であったのです。ですからこれは、「いい天気だね」「元気そうだね」「こんにちは」といった言葉と置き換えても同じ、あいさつの一種と考えるべきなのです。だから言葉にはほとんど意味はなかった、しかし仲間である以上は、無言ですれ違うことはできなかったのです。
 家族の間で、しばしばあいさつの習慣が崩れるのは、着替え、食事、新聞など、具体的な生活上の行動とそれに関連する会話が先行するので、わざわざあいさつを交わすことが、かえって他人行儀に感じられるからです。しかしそれは、家族としての一体感が基本的に成立していることを前提にしています。ですから家族の間にトラブルがあって、一体感が損なわれている場合にこそ、あいさつが必要であり、その力で一体感の回復が得られることもあるのです。その意味で、定型化したあいさつを励行している家族の方が、安全装置を常備していると言えるでしょう。
 もう一つは叱り方と感情の問題です。子供を叱るとき、これは叱るべきであると理屈で考えて叱ったときは、失敗する場合が多い。本当に腹が立って、本気で叱らないと子供には伝わらないと、これはベテラン教師の体験談でした。人を叱るとは、全人格をかけた重い仕事なのです。

泣く子を黙らせた話

日が暮れて寒くなった夕方に、プリンターのインクを買いに中野ブロードウエイまで行ってきました。その近くのバス停前の歩道を通るとき、よく思い出す情景があります。2年近く前のことになるでしょうか、そこで一組の親子に出会ったのでした。
 自転車で通りかかった私は、自転車にまたがっている母親と、そのそばで大声で泣き叫んでいる3歳くらいの男の子を見ました。とくに珍しいとも思わず、そのまま通り過ぎて小さな買い物をしてきたのですが、帰り道でも、やはり同じように泣いているのを見て、ちょっと気になり、少し離れた所に自転車を止めました。子供は手足をばたつかせながら、何事かを全身で訴えています。その激しさは、通りかかる人の多くが、一瞬振り返って見るほどでした。異様だったのは、母親の姿です。全くの無表情のまま、無言で見下ろしているだけなのです。それは絶対に妥協しないという固い決意を表わしているようでした。インテリの母親に時に見られる、突き放し育児のつもりだなと思い当りました。さてどうするか。私も教職課程で一通りは児童心理学を学んだ人間です。放っておけないと思いました。
 まっすぐ子供の近くへ歩み寄り、すぐそばにしゃがみ込みました。「ボクどうしたの、どうして泣いちゃったの」と話しかけると、子供は意外な人物の出現に気をとられて、少し泣き声が小さくなりました。「おじちゃんにお話できるかな」と、時間をかけながら近づいて、おでこをくっつけてやると、泣きじゃくりながら「ボク困ってるの」と少しずつ話してくれました。ママが何かを買ってくれなかったというのです。「それはね、ママにも何かわけがあったのかもしれないよ。きょうはお金がないとか、もっといいものがあるとか。ママとよくお話したら、この次には買ってくれるかもしれない。お話してごらん」と言うころには、子供はこっくり頷くようになっていました。「じゃあ今日はどうする? 一度おうちへ帰るかい?」と聞くと、子供は「うん」と両手を私の方へ伸ばしてきました。そのまま抱き上げて、自転車の前席に乗せました。それまでの間、私は一度も母親の方へは顔を向けませんでした。母親はやはり固い表情でしたが、私に抗議する様子はありませんでした。「バイバイ」と互いに小さく手を振って別れるとき、母親も軽く会釈して行ってくれました。
 その後、この親子には会っていません。人覚えの悪い私ですから、会っても気がつかないのかもしれません。ただ、その場所を通ると、今でも懐かしく思い出します。

著書紹介サイト開設のお知らせ

クリエイターズワールドという名で、私の著書を紹介するサイトが開設になりました。とりあえず6ヶ月間の、出版社からの提供です。サイト名は本のタイトルと同じ「あなたの孫が幸せであるために」です。立ち上がったばかりで、内容もまだあまり充実していませんが、一通りのことはわかるようになっていますので、どうぞごらんください。
 新しいサイトもブログ形式になっているので、当初は私のブログの本体をそちらに移すことも考えたのですが、来年もこのぷらら・ブローチを私のブログの本拠として継続することとします。
 新しいサイトの方では、著書の内容を積極的に紹介して行こうと思います。この種の本が書店の店頭で読者に出会うというのは、現在の書籍流通のシステムでは、奇跡のような幸運でもなければ起こらないことです。むしろ私はブログの方に、読者との接点を感じるようになってきました。短期間に全文を公開したのでは著作権の問題になるでしょうが、一部をネット上に出すことで、それ自体にも意味があるし、なお全文を読みたいという需要も、ある程度は期待できるかもしれません。出版社がどのような将来像を描いているかはわかりませんが、私はそのようにこのサイトを使ってみようと思います。
 同時に私は、来年からぷらら・ブローチを使って、もう一冊の「おじいちゃんの書き置き」も連載形式で公開しようと思っています。毎回の記事の後の「追加記事」の機能を使って、「続きを読む」で引き出せるようにすることが、たぶんできると思います。幸いにして私の2冊の本は、いずれも一つの話が見開き2ページにおさまる1200字に統一してありますから、連載形式で一話ずつ掲載するのに向いていると思うのです。そしてまた、「おじいちゃんの書き置き」は、出版社の倒産により、再版が期待できなくなっている本です。著者である私の意志で公開するのであれば、著作権の問題には触れないでしょう。ただし、私には著作権がありますから、転載や長文の引用については、通常の著作権法が適用になります。
 私は一年に一冊は本を出すのを目標にしていましたが、3冊目は新しい出し方があるかもしれません。いずれにしても、よろしくお願いいたします。

あいさつの力

私の年末は、なかなか治らないカゼの咳に悩まされている間に、激しい咳の衝撃で持病の腰痛が悪化するという、最悪に近い身体的コンディションになってしまいました。その中でも、先日の土曜日には「野方土曜スクール」という、地域のイベントの撮影取材に行ってきました。旧知の区会議員さんとのつながりで、かねてから約束していたボランティアとしての仕事です。土曜スクールは、地域の複数の小学校の子どもたちが集まり、町会の大人のサークルなどの指導で、歌う、絵を描く、ものを作る、料理をするなどの活動を通して交流するものです。今回は、クリスマスのケーキつくりと、地元の老人ホームを訪問して、お母さんコーラスといっしよに合唱するのがテーマでした。
 イベントそのものはすばらしい成功だったし、私も体は少しつらかったけれど、気持ちよく仕事ができました。そして夜になってから、自分の気持が不思議なほど明るくなっているのに気がつきました。考えてみると、私はその日は一日中「あいさつのできる」世界にいたのでした。「お世話になります」「よろしくお願いします」「ご苦労さまです」「ありがとうございます」といった言葉が、ふんだんに身の回りにあふれていたのでした。そうした温和な人間関係の中にいたから気分がよかったということは、最近の自分は、決まりきった人間関係の中で、やや硬直した状態になっていたのではないかと気がつきました。
 親しい家族の間では、互いに気づかいをしません。互いに遠慮しなくていいからこそ家族ではあるのですが、それは相手への無関心、不干渉、そして共感の喪失にもなりえます。複合家族では、孫の年齢が上がって、かわいい一方ではなくなり、上下2層の親子関係の複雑さが現れるとともに、過剰な干渉と過剰な反発という、やっかいな問題も出てきます。それを避けるための過剰な不干渉は、不自然な無関心という、精神的ロスの大きい荷物にもなります。親しい筈の家族の中でさえ、つくづく人間関係とは、難しいものだと思います。
 コミュニケーション学の講演というのを聞いたことがありますが、あいさつは「質問と答え」でも「会話」でもなくて、「感情を共有する確認」なのだそうです。家族の中にも、あいさつは必要です。こだわりを捨て、無条件にあいさつを復活させることを、自分から率先してやってみよう。ボランティアの一日が、意外な反省の機会になりました。

真実は平易な言葉で語られる

学生時代に教えられた古い詩の中に、こんな一節がありました。
The firmest faith is in ths fewest words. (最も固い誓いは、最も少ない言葉で語られる)
百万言を費やす雄弁よりも、ただ一語の答えに心を打たれるというのは、私たちの経験の中にも、よくあることです。言葉を、人の情念を伝える道具と考えるとき、道具ばかりをあまりに大きく飾ってしまうと、運ぶ筈だった中身がかえって伝わらなくなるという逆説が生まれます。文学史の上でもこのことはよく知られていて、中世のサロン文化の中で技巧に走り過ぎていた文芸は、ロマン派の台頭によって近代文学の活力を取り戻したのでした。イギリスの代表的なロマン派の詩人だったワーズワースは、その詩論の中で「田夫野人の言葉を用いて詩を作るべきである」と説いています。
 中国文学の吉川幸次郎先生からは、名作と呼ばれる漢詩の多くが、非常に平明な文字で綴られていることを教えられました。白楽天が自作の詩をまず妻に読み聞かせて、よくわかると言われるまで作り直したという話は有名ですが、千六百年も昔の人である陶淵明の名作に使われている文字が、ほとんどすべて現代日本の教育漢字(小学校で教える約1千字)に入っていると指摘されて、驚いたことがあります。
 私も母を亡くした喪失感の中で、似た経験をしたことがあります。およそ現実感のなかった葬式が、あわただしく終ってしまった後で、自分なりに母の死を位置づけなければなりませんでした。一連の出来事を言葉に綴った最後には、むき出しの事実だけが残ったのでした。

母死す 昭和四十八年六月二十四日
母死す 午前三時五十五分
母は死んだ

この詩は、後に友人から、「私が母を亡くしたとき、本当にあの詩の通りになりました」と言われました。
 人間は、理屈だけでは動きません。何か行動を起こすのは、情動の部分に影響を受けたときです。言葉を積み重ねた議論に説得されたときも、自分の心の中に残るのは、文字にすれば10字にもならない結論の部分だけです。大衆を動かすのにスローガンが用いられて、その危険性はまた別な問題ですが、「これが問題です、よく考えましょう」的なニュース解説では、人が動かないことは事実です。
 真実は言葉少なく語られる。真実は言葉を超えることもある。真実を伝える他によい方法があれば、言葉はいらない。恋をしたことのある人は、知っている筈です。言葉とは、所詮は道具に過ぎないのです。

「微妙語」から「共通語」へ

一昨日のブログで「心」「気持」「思い」の三つの言葉の比較をしてみましたが、常識的に考えて、この三つはよく似た言葉です。さらに漢語を加えれば、「精神」「心理」「所感」「思惟」「所信」など、似た言葉はさらに増えてきて、収拾がつかなくなりそうです。このように一つの事象に対して、異常に言葉の数の多いのが現代日本語の特徴です。英語の第一人称「I(アイ)」に対して「わたし・わたくし・おれ・ぼく・我輩・拙者・それがし・小生・余・朕」など、いくらでも出てくるのは、笑い話になるくらいです。和語と漢語と二系統がある上に、敬語など人間関係による使い分けが加わるので複雑になるのです。これは、どこの言語でもそうかというと、決してそんなことはないのです。
 最初の例にもどれば、人間には肉体に対する精神があるので、それを言い表わす言葉は絶対に必要です。さらにその精神が動くことを表わす言葉(動詞)も必要になります。そして同じ精神作用でも、本能に根ざす深いものから、ちょっとした軽い動きまで、さまざまな段階がありますから、それらを区別したい場合も出てくるでしょう。そのときに、別な言葉を新しく作るか、既存の言葉に修飾を加えて表現するかという、選択の余地が生まれます。日本語は、必要に応じてどんどん新語を増やして行く傾向が強かったのだろうと思います。その反対に、中心(コア)になる言葉を確立させて、修飾語で表現を豊かにして行ったのは、他からの影響が少なく、純粋に発達した言語の場合に多かったのかもしれません。そして、外国語として学んでわかりやすいのは、もちろん体系的に発達した言語の方です。
 ここで強調しておきたいのは、言葉の数が多いのは、表現の正確さを保証するものではなくて、むしろその逆だということです。言葉を正確に定義するものは辞書ですが、辞書の記述の大半は、難しい言葉を、複数のやさしい言葉に置き換えることで成り立っています。一語で複雑な内容をもつ言葉は、よく知っている人には便利ですが、一般的には不正確に使われる恐れも大きいのです。
 人間の使う言葉は、合理的に構成すれば、3000語程度で充分であろうと言われます。その単語体系と明瞭な発音と簡易な文法を組み合わせれば、理想的な人造言語ができます。エスペラントは、そうした世界共通語をめざす試みの一つです。私たちは母語である日本語から別れるのは非常に難しいでしょうが、世界との会話には、すぐれた共通語を使いたいものだと、私は思っています。

組織率の低下と労働組合の役割

雇用労働者のうち、労働組合に入っている人の割合を示す「推定組織率」が、最新の調査で18.2%となり、31年連続で過去最低を更新したということです。連合をはじめとする労働団体は「反転攻勢」を唱えて組織率の回復をはかるとしていましたが、時代の流れは変らないようです。
 正社員の絶対数が減っている以上、大手企業の労働組合員が減少するのは当然で、これからはパートや派遣労働者の組織化が課題になるということは、かなり前から論じられていました。組合も力を入れるようになり、パートの組合員は前年よりも3割増加して、はじめて50万人を超えました。しかしパートとしての組織率は4.3%にとどまり、労働組合全体の中でも、ようやく5.2%になったに過ぎません。しかもパートの組合員が増えているのは大企業の職場で、正社員の組合が会社に対する影響力を維持するために、パートの組合員化を会社に認めさせている場合が多いのです。つまり、労働組合の組織力が残っているのは、従来と同じ大企業が中心になっていて、新しい形態の雇用分野への発展は、まだ本格的には始まっていないのです。
 この状況を見ると、労働組合の活動によって労使が対等に交渉するという原則は、日本ではもう虚構になっていると思わざるをえません。個々の企業内での交渉もそうですが、労働組合が政党を通して政治的に要求を通すことも難しくなってきました。かつては総評が社会党を、同盟が民社党を支持して政界に一定の影響力を持っていたのですが、今では野党の民主党も、労働組合の支援を受けるに当って、それがイメージの低下につながらないよう気を使っているありさまです。労働組合の活動が、広く国民すべての生活向上に役立つという認識は、社会の常識ではなくなっているのです。
 労働者の権利、それも保護を必要とするような厳しい条件で働いている人たちの権利を、労働組合の力だけで守ることは不可能になりました。権利の擁護は公的機関の公的な仕事であるべきです。労働基準監督署の機能を強化して定期的な職場調査を行うこと、利用しやすい相談窓口を開いておくことなどが必要になってきます。

「心」と「気持」と「思い」

表題の三つの言葉、ほぼ同じような意味で使えます。たとえば「心をこめた贈り物」「気持の伝わる握手」「思いをこめた手紙」などは、相互に言葉を入れ替えても、大差ない意味で使えそうです。でも、三種類の言葉があるのだから、全く同じではないだろう。では、どこが違うのかと考えてみました。
 辞書によれば、「心」の語源は生きものの内臓から始まり、注意が集中する「凝る」を経て精神の意味になり、「からだ」と対比する「こころ」になった、とあります。成り立ちは英語の heart に近いようです。それに対して「気持」の方が新しい言葉のようで、漢字の「気」の概念を輸入した後に、その「気」のありようを「きもち」と言うようになったようです。「思い」は「思う」の名詞形ですから、三者の中では語源のいちばん古い言葉です。語幹は「重い」と共通とする説が有力ですが、「面(おも)」つまり人の表情から来ているとも言われます。心に重く、表情にも表れるものが「思い」であると考えると、何となく納得できる気がします。
 そうしてみると、人の深層にある心臓に近いものが「心」で、周囲との接触で「気」を感じて生まれるものが「気持」で、人が特に心をとめて深めるものが「思い」であるという、一応の定義をすることができそうです。やや、こじつけの観がなくもありませんが、今まで自分で意識していなかっただけに、この使い分けは新鮮かもしれません。「心の底から叫ぶ」「気持のままに振舞う」「思いのたけを述べる」と並べてみると、精神が体内から発して、周囲と交わり、天空を指して上って行くまでの有り様が、一つの連続したイメージとして浮かんできます。
 じつは私は12月21日の「ゆきさんのブログ」にあった「心と気持ちがつながった」を、読み解くことができませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/silkylife22/d/20061221
つながったことが大事なのなら、心と気持との違いを説明する必要があると感じたのです。しかしゆきさんは、最初からこの二つの言葉を区別する感覚を身につけていたのでした。その感覚の当否はここでの問題ではありません。青春時代をアメリカで過ごしたゆきさんの中に、私がすり減らしてしまった日本語の言語感覚が、生き残っていたのかもしれないのです。ふとしたことから、ふだん使っている言葉の奥をさぐってみたくなった、私の「言葉の世界」への、一つの小さな探検でした。

金は必要だが全部ではない

昨日の記事について、koba3 さんからコメントをいただきました。ご本人の了解を得て引用してみます。「……少子化対策には仕事をしたい女性の、子育て支援も必要です。内輪の話になりますが、娘が、婿さんの転勤に伴って、職と保育園を失って上京してきました、第2子の出産も一緒に。保育園は、待機です。保育園が決まらなければ、職は探せません。職がなければ、保育所の優先順位は後になります。第3子は、とても無理とあきらめています。この矛盾を、政府も自治体も、考えているとは思えません。」
 保育園と職探しの矛盾は、今までにも聞いたことがあります。あちらが先だと「たらい回し」されるのは役所の窓口と同じことで、要するに個々の部署の理屈で基準を立てているのです。私も社員の育児休業の手続きでは、何度も無駄な往来をさせられました。産前産後休暇の届けと出産一時金の請求までは、前例も一度あったので対応できたのですが、ここまでは社会保険事務所の扱いで、育児休業は雇用保険つまりハローワークの管轄になるのでした。別系統の書類をそろえて持って行きましたが、「出産の事実の証明」というところで引っかかりました。産後休暇につながる育児休業だから、医師の印がある証明書または母子手帳で出産日を確認する必要があるというのです。出産を確認したから出産一時金が出て、産後休暇があったんだろうという素人の理屈は、通用しませんでした。窓口が一本化されていたら、ありえないような煩雑さでした。制度の末端にいる利用者ばかりでなく、中間の事務手続きが義務となっている中小企業の経営者も、負担は軽くないのです。
 だいたい、利用者が制度の末端にいるという感覚が、おかしいのかもしれません。支援を必要とする女性が中心にいて、どうやって周囲から助けるか、というのが本来の姿であるべきでしょう。出産は医療に近いから健康保険、育児休業は休業だから雇用保険という、財源の違いはわかりますが、それは役所の理屈です。官庁の機構が簡単には崩せないとしても、一人の女性の出産と育児休業とを、連続してフォローする程度の情報のやりとりができないのでは、欠陥と言うほかはありません。
 予算を増やせば保育所が増えて、待機児童は解消するでしょう。それが第一に必要なことですが、血の通った役に立つ制度は、現場に合わせて行政が変らなければ、実現しないと思います。

少子化政策の見直しを

今朝の新聞によると、日本の最新の将来推計人口は、一段とまた減少の速度を早めていて、総人口が1億人を下回るのは、前回の推計よりも5年早い2046年となるようです。そこだけを見ると、日本の人口はそれくらいは減ってもいいだろう、むしろ7〜8千万人ぐらいの方が、余裕をもって住める国になっていいのではないか、とも思うのですが、問題はその人口の中身です。推計によると2055年の日本の人口は9千万人弱ですが、その中で65歳以上の高齢者は40%を超え、15歳以下の若年層は8%程度に過ぎません。ということは、この人口構造は、更なる急激な人口減少を内蔵しているのです。
 常識で考えればわかりますが、家族でも国家でも、親の数と子の数が同じでなければ、同じ人口を保つことはできません。今のような出生率では、人口の減少はその後も加速度的に進んで、7千万はおろか5千万人を割っても止まらないことになります。たとえば7千万人で安定させるのが好ましいとしたら、今すぐにでも手を打たなければ間に合わないところまで来ているのです。
 出生率の低下には、いろいろな原因が挙げられています。女性の高学歴化、男女ともの晩婚化、教育負担の増加、社会の多様化による結婚志向の低下など、社会文化史的な原因も言われています。しかし、もっとわかりやすい具体的な原因があることも明らかです。つまり「結婚したくでもできない」「子供を生みたくてもできない」人たちの大量発生です。それは日本経済をグローバル化に適合させるために、意図的に作り出された「安い労働力」の側に組み込まれた人たちです。この政策が必然だったのなら、それは強力な「少子化政策」の実行であったことを、認めなければなりません。
 日本社会の将来像を、無理の少ないものにしたかったら、そろそろ少子化政策を緩和する対策も考えたらどうでしょうか。具体的には、「女・こども」を大事にする政策に、少しだけ予算を振り向ければよいのです。経験した女性はみんな知っていますが、妊娠・出産・子育てで本当に大変な期間は、人生の中で、それほど長い間ではありません。女性が妊娠したら、身分を問わず一律に「出産して子供が学校へ通うようになるまで、国が責任をもって必要最低限の生活を保障する」制度があればいいのです。この制度があれば、若いカップルは子供を持つことで、少なくとも数年間は生活の基盤を手に入れることができ、社会の格差是正にも役立つことはもちろんです。

教育基本法と進化論

「改正」教育基本法は、防衛庁を省に昇格させる法律などとともに国会を通過し、間もなく公布、施行されます。これで本当に教育がよくなるのか、憲法との整合性はどうなのか、その前に、法案審議の段階での公聴会(タウン・ミーティング)が、やらせ質問などで汚染されていた責任はどうするのかといった議論は、すべて「後の祭」となりました。「たたかいは、これからだ」的な議論はブログの上でも見られますが、法律が出来てしまった事実は変りません。古くは安保闘争でも、三井三池闘争でも、デモ隊が国会を取り巻き、あるいは労働組合のピケが炭鉱を閉鎖しても、日米安保条約は締結されて、石炭産業の合理化は進行したのでした。
 国会で多数を占めている政党は、その政策を法律という形で世に出し、世の中を変えて行くことができます。その流れに対して違う立場をとり、反対を表明する人たちは、広く世間に訴えることで、次の選挙に勝ち、流れを変えることに希望をつなぎます。それが民主主義のルールですが、日本ではこの「選手交替」が何十年も起こりません。将来もずっとだめなのだろうかと憂鬱を感じていたとき、16日夜のETV特集を見ました。長靴を履いた菅原文太が「人と鯨のたどった道」を訪ねた番組です。
 日本の鯨文化とくに沿岸捕鯨の歴史が面白かったのですが、番組の中に「人体 失敗の進化史」の著者、遠藤秀紀氏との対談がありました。菅原文太が「こういう古いよいものがあった時代に、戻ることはできないんでしょうか」と言うのに対して、遠藤氏は「一度進んだ進化が、もとへ戻ることは、絶対にないんです。しかし、昔にあったよい性質を、新しいものとして獲得することはあります」と答えました。このとき私の中で、この遠藤氏の言葉と、出来てしまった教育基本法とが結びつきました。もとの教育基本法の中で、本当に守るべきものは何だったのか、それがわかっていたら、この次の改定に盛り込むことができる筈です。そのような「古くてよいものの守り方」も可能ではないかと考えたのです。そう思ったら、少し気分が明るくなりました。そして自分で教育基本法の中身を、しっかり読み直してみようと思いました。

泥沼への同じ道

私は中東問題の専門家ではありません。アラブの国へもイスラエルへも、行ったことはありません。しかし現代の一通りは常識のある人間として、関連する本を読み、ニュースを見聞きしながら、これはおかしいと思うことはあります。この15日の朝日新聞夕刊に、パレスチナ自治政府のハニヤ首相が、イスラム諸国で集めた資金を持ってガザへ戻ろうとしたところ、検問所で阻止されたという記事が出ていました。今年3月に発足したハマス内閣が主導するパレスチナ自治政府は、欧米やイスラエルの経済制裁により、極端な資金不足に陥っていると報道されており、私も6月17日に記事にしました。その窮状を救う緊急対策として首相自らが工面した現金の持ち帰りを、イスラエルが命令を出して阻止したというのです。理由は資金がテロに流れるというのですが、イスラエルは自治政府とテロを同一視しているのです。
 穏健派と呼ばれるファタハのアッバス議長は、イスラエルとの共存を前提とした内閣の改造または選挙のやり直しを模索していますが、議会で多数を占めているハマスは、なかなか妥協に応じません。今回の事件が口火となって、バレスチナの内部が内戦のような混乱に陥る危険性も指摘されています。
 今さらイスラエルの存在を認めないと言っても無理な主張だということは、おそらくパレスチナ人の多くも知っているでしょう。問題は、それを外から強制しても根づかないということです。ハマスが本当にテロと無縁の組織になるのは、支持者たちが「イスラエルの存在も認めてやって、生活が成り立つようにしよう。もうテロはやめてくれ」と言いだす時です。そのためには時間が必要です。それも、曲がりなりにも生活が成り立って、遠くにではあっても前途に希望があると思える時間です。日々に生活が破壊され、家族が殺されて行く中では、少しでも救いの手をさしのべてくれて、復讐の代行までしてくれるハマスが人気を集めるのは、当然のことでしょう。
 自治政府に圧力をかけて、イスラエルとの共存路線を無理強いしてみても、民衆が政府を信用しなくなって反政府勢力に走ったら何にもなりません。人道支援や自立を助けるような経済支援を注ぎながら、民衆の意識が変るのを根気よく待つ方が、遠回りのようでも確実な道のように思えます。イラクでもアフガニスタンでも、問題の根本は似ているような気がするのですが。 

裁判員制度よりも先に

一般の国民が裁判に参加する裁判員制度が導入されるとかで、さまざまな問題点が議論されています。もともと裁判は専門の知識と権限を持つ裁判官の仕事であって、だからこそその公正を国民が信頼し、法秩序が保たれるのです。そして裁判官は法律に従いながら「自由な心証」によって判断を下すことを期待され、高度な独立性を保障されています。ですから本来なら素人が口を出す余地はない筈なのですが、その独立性のゆえに独善に陥って、国民の感覚とかけ離れる恐れがあるとも言えます。そこで裁判に庶民の参加を求めようというのが、裁判員制度です。
 ところが素人が突然に指名されて裁判に参加するというのは気が重いことで、進んで参加するという人は、非常に少ないようです。私にも、この制度が今の日本の緊急課題であるとは、とても思えません。それよりも、参加したいのは国会での審議です。裁判員制度よりも先に「国政審議員制度」を作ったらどうでしょうか。その趣旨を、法務省の裁判員制度の広報文書を使って、文言を少しだけ入れ替えて書いてみましょう。
「国政審議員制度は、国民から無作為に選ばれた審議員が、重大な事案の国会審議で、議員といっしょに審議するという制度です。国政審議員制度の導入により、国民の感覚が政治の内容に反映されることになり、国民の政治への参加が大きく進むことになります。」
 この制度が実施されると、有権者名簿から無作為に指名された審議員が、一定の期間、国会議員と同じ資格で国政を調べ、政府や官庁に質問し、現地での調査も行います。もちろん必要な協力をする秘書も国費でつきます。その上で国会の審議に参加して、賛否の投票をすることになります。その人数をプロの国会議員と同数にすれば、これは代議制民主主義と直接民主主義とを1対1の割合で折衷した政治体制を採用したのと同じことになります。今の国会議員がそんなものに賛成する筈がない、荒唐無稽だと言われるかもしれませんが、固定化し沈滞した政治風土に風穴をあける発想の手がかりとして、あえて提案します。要は代議員制度をバイパスする直接民主主義の部分的な導入ができないか、ということです。たとえば有権者の1万分の1を抽出した「ミニ国民投票」のような制度でもいいのです。 

たばこ産業の世界戦略

あまり目立たないニュースでしたが、JT(日本たばこ産業)がイギリスのたばこ大手ギャラハーを買収することで合意したと、15日の夕刊に出ていました。総額で2兆2千億に達する見込みで、日本企業による外国企業の買収としては、過去最大の規模になるとのことです。目的は国内市場の減少を見越して海外に進出する世界戦略だという解説ですが、今後の需要増加が予想される東ヨーロッパとロシアに強い関心を示しているというのに、ちょっと引っかかるものを感じました。
 たばこは人間にとって百害あって一利もないという事実は、医学的に結論の出た問題だと思っていたのですが、JTのホームページでは、依然として「嗜好品」としてのみの位置づけです。「たばこ産業の健全な発展」という言葉も堂々と使われていて、厚生労働省の「健康日本21」の中間報告で喫煙率減少の数値目標を掲げていることに対しても、反対を表明しています。
 JTは1985年に旧専売公社の業務を引き継いで発足しました。官営から民営への移行という点では、国鉄が分割されてJRになったのに似ていますが、JRは東日本、東海、西日本の3社がすでに完全民営化されているのに対して、JTは今も政府が株式の半分以上を所有する特殊会社です。民営化したのは合理的な経営をするためだから、思い切った世界戦略に打って出るというのかもしれませんが、巨額の資本を投じてまで、たばこ産業の延命をはかり、先進国では衛生思想が高まって売れなくなったから、後進地域へ売り込もうという思想には、非常に違和感を覚えます。この件について、たいした議論も起こらず、JTからの説明もないのは残念です。大株主である政府には、何の意見もないのでしょうか。
 たばこが、人間の文化の一部として長い歴史を持っていることは認めますが、肺癌を始めとする健康被害を引き起こすことが明らかになった以上、産業としては撤退に向うのが健康な感覚というものでしょう。JTに「たばこが消えた後」の戦略があるのなら、ぜひ聞きたいと思います。
 一方で、いま喫煙の習慣を持っている人が、非常に肩身の狭い思いをしているのは、気の毒に思います。禁煙のできずにいる人たちを、一種の病人または障害者と考えて、長距離の飛行機でトイレ1個分ぐらいの喫煙スペースを設けてあげる程度のことは、してもいいのではないでしょうか。それと平行して、一定年齢以下では、麻薬なみの厳しい禁制をかけるべきだと思います。禁止年齢を毎年上げて行けば、その下の年代からは中毒者をなくすことができるでしょう。 

俳句と和歌と都々逸と

先日、やまちゃんのブログを見て、今年の漢字が「命」に決まったと知りました。印刷屋さんだけに、情報が早いと思いました。そのコメントに、即興で次の一句を添えました。

「命」あって いのちを思う 年の暮れ

自分もここまで生きのびたかという思いと、そういえば「命」にかかわる問題も多くて、自分もいろいろに考えたという回想、こうしてまた一年が過ぎて行く自分の命の行く末など、さまざまな感慨を17文字に押し込めてみました。これが自信作ということではないのですが、ふと、同じことを別の形で表現したらどうなるか、試してみたくなりました。俳句は字数が少ないので、とにかく無駄を省いて、言葉の外で連想する意味がつながるのを狙うのですが、和歌は少し説明を加えながら、言葉のリズムで一つの流れを作り出すことができます。

選ばれた 一字は「命」 この年に 早すぎた死と 遅すぎる死と

こうすると、今年を象徴する字として「命」が選ばれたことを説明できて、その内容として、いじめ問題や不慮の事故、犯罪などで幼い命が奪われた痛ましさを、思い出して貰うことができます。そして最後が作者の感慨となり、もう充分に生きたではないかという思いとともに、老人の先行きが負担増、給付減などで厳しくなって行く現代への批判を込めています。
 次にもう一つの都々逸ですが、これは江戸時代から始まった俗謡で、日常の言葉で男女の情愛や風流などを歌います。形式は七・七・七・五ですが、川柳に似て、物事をちょっと斜めに見るようなところもあります。

いのちいのちと みんなが騒ぐ あんまり言われちゃ 生きづらい

これは子供の立場からの感想で、ちょっと皮肉を込めています。いじめ自殺の防止で通達が出されたりすると、学校ではにわかに校長先生がやさしくなって、全校生徒に「いのちの大切さ」のお話をしたり、家でも親が同じ話をしたりします。明るく元気でいた子供たちは、「なんのこっちゃ」と当惑することもあったかもしれません。あんまり気づかいされても、かえって困るんだよな、という心です。最後にやまちゃんへ、エールの折り込み句を一つ。 
 
らまいか ちの印刷 ちゃんとやる

「働かない時間」を大切に

「労働ダンピング」で出てきた問題が、まだ終りません。著者はこの中で、「どこまで働けるか」ではなくて「働かない時間をどれだけ確保できるか」を大事にしようと提唱しています。ちょっと盲点を突かれたようで、印象に残りました。
 現在の標準になっている8時間労働制は、「1日のうちの8時間は仕事に、8時間は睡眠に、そして8時間は自分に」というスローガンのもとに、労働者の要求として登場しました。しかし社会が簡単にそれを受け入れたわけではありません。ヨーロッパでもアメリカでも、労働者が徒党を組んで会社に要求を出す行為は、一種の反乱と見なされていました。中でも有名なのが1886年にアメリカのシカゴで発生した空前の大争議です。このとき34万人の労働者が、8時間労働制などを要求して、5月1日からストライキに突入しました。街頭にピケを張る労働者と警官隊との対立は、数日のうちに大規模な騒乱事件へと発展し、ついに軍隊が出動して発砲する事態となりました。倒れた労働者の血は街路を染め、その色が「赤旗」の起源になったと言われます。この事件の関係者は起訴されて、うち4名の指導者が絞首台で処刑されました。当時の国際社会主義組織、社会主義インターナショナル(第1次)は、これに抗議して毎年5月1日を「世界の労働者団結の日」と定めました。それが今に伝わるメーデーです。
 その後労働運動は、革命を目ざす共産主義と、議会を通しての改革を目ざす社会民主主義との2つの流れになるのですが、イギリスの社会党を始めとしてヨーロッパでは社会主義が議会で一定の力を持つようになり、労働者の要求が合法的に政策に生かされるようになって行くのです。ですから8時間労働制も、自然に発生したのではなくて、繰り返し要求を続けて獲得したものなのです。
 労働史の解説のようになりましたが、中野氏の提言は、自分のための時間を大切に守ろう、というものです。それは家族として、社会人として活動できる時間です。そう考えれば、たしかに自分の時間が1日に最低でも4時間はとれなければ、人間として健全な発展を望めなくなる、という論旨の説得力がわかります。そこから自ずと、残業は4時間が限度という基準が導かれます。そして最後に大切なのは、その労働時間の中で生活が維持できるのでなければ、公正な労働ではないということです。最後に私の試算を一つ。夫婦合わせて月間250時間をパートで働いて、それで年収300万円になるためには、時給は1000円でなければなりません。今の東京都の法定最低賃金は、時給719円です。

社会保障も融解する

昨日の「労働ダンピング」について、書ききれない重要な問題が残りました。それは雇用が融解することによって、社会の底辺の「底が抜ける」、つまり社会の存立そのものが危うくなるという事実です。自由化の名のもとに労働についての規制を次々にゆるめてきた究極の姿は、個人契約による労働の提供です。これは形の上では会社と個人が自由意志に基づいて契約することになっていますが、派遣労働の変種として、あるいは日本語の読めない外国人に適用されるとなると、道義というよりも詐欺に近い問題になります。個人契約なら、会社は労働の結果だけを買うのであって、労働提供者の生活にも健康にも通勤費用にも、もちろん社会保険にも、全く配慮する必要がなくなります。これは産業革命の初期に行われていた、むき出しの労働搾取への先祖返りと言うほかはありません。こんな極端な事例も、実際に出はじめているのです。
 そこまで極端にならない段階でも、雇用の融解は、さまざまな問題を引き起こしています。職場での労働災害が、被害者が派遣労働者であると、派遣先企業の圧力で「労災隠し」され、労災保険の適用が受けられないなどです。健康保険でも雇用保険でも、派遣や下請けで働く人たちの契約関係は複雑になり、しかも日本の社会保険制度は企業の届け出を前提にしていますから、生活が不安定で蓄えもない人ほど、いざというときの社会保障から遠ざけられるという矛盾を生じてしまいます。非正規の労働で所得が低い上に、社会保障からも遠い人たちが「よき社会人」てありつづけるのは、容易なことではありません。ちょっと失敗したら、その下は貧困と暴力の闇です。
 年収が200万円以下だと結婚をあきらめる、300万円以下だと子供を持つことをあきらめると言われます。出生率の低下は、現代日本の社会構造の欠陥が原因になっていることを認識すべきでしょう。子供が生まれないだけではありません。かつての標準モデルだった正規労働者がこのまま減少をつづければ、納税者や社会保険料の納付者の絶対数が、どんどん減って行きます。雇用が融解すれば、社会保障もまた融解するのです。
 私は終身雇用の正社員制度の復活を主張しているのではありません。雇用は流動してもいい、むしろ固定しない方がいいのです。流動しても生活できる収入が得られ、勤め先に左右されない社会保障があれば、それが一番いいのです。公正な労働の基準は、自由契約で成り立つものではありません。人間の知恵を集めて設定し、それを企業に守らせることで成り立つのです。これは政治の問題です。

「労働ダンピング」を読む

 「労働ダンピング」(中野麻美・岩波新書)を読みました。もっと早くに読むべき本でしたが、集会で著者本人の話を聞いたこともあり、何となくわかっているような気がして、遅くなりました。規制緩和の名のもとに進行している雇用ルールの破壊について、弁護士の立場でかかわる数多くの事例を通して、労働が商品としてダンピングされている現状を告発しています。
 現状の報告の部分は、すでに何年も前から問題にされていて、言い古されたことですが、まだ現状がよくわかっていない方は、本書で認識を改めてください。労働者の基本的人権を保障することが、繁栄する市民社会の基礎であった筈なのに、その根底が市場原理の導入によって「融解」を始めているのです。
 労働をコストとして徹底させるなら、安いほどいいのは当然で、競争入札で「値段と品質」を競わせればいいのです。成果主義を徹底させて正社員の一部に労働時間の規制をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入しようというのも、その流れです。雇用の融解は、正社員がパートや下請けに置き換えられることだけでは、終らないのです。この問題は「人は何のために働くか」という、本質の議論にまで戻さなければ、解決の方向は見えてきません。
 世界から貧困と暴力を追放するために必要なのは、すべての人が持っている「仕事をする能力」を活かすことである、というのは経済学の上からも常識です。そこから「公正な労働」という視点が生まれます。それは人が、ー分にふさわしい役割を果たして公正に報われ、∪験茲箏鮃、人格が尊重され、人間同士のつながりがあって、と展へのチャレンジができる、ということです。そのような人間生活を可能にすることこそが政治・経済の目的だと気がつけば、進むべき方向は見えてきます。
 これはただの理想論ではありません。主婦のパート労働の賃金の底上げは、家計の余裕となり、夫である正社員の働き過ぎへの圧力を減らすでしょう。運輸業界での公正労働は、悲惨な事故を減らすとともに、事故処理に費やされるさまざまな社会的費用を低減させるでしょう。 著者は最後に、いくつかの「公的契約」の事例をあげて、希望を託しています。地方自治体が工事や業務委託の発注をする際に、金額だけで競わせるのではなく、公正な労働基準や環境基準を満たしていることも点数化して、業者の選定をするというものです。まともに生活できる賃金を受け取る人が多ければ、地域の消費経済は活性化し、税収は上がります。一つの地域で可能なことは、国のレベルでも可能な筈です。

平和しか知らない人たちへ

12月8日の前後には、太平洋戦争が始まった日のことを書こうと思っていましたが、いつの間にか日が過ぎてしまいました。1941年、昭和16年に私は小学2年生でした。その日は朝から臨時ニュースがあって、家中が異様な興奮状態になっていたことは覚えています。しかし、まだ子供だった私に時局への認識があった筈もなく、ちょっとしたお祭に近い感じだったように思います。
 うたのすけさんのブログでは、このところ連続して貴重な体験談を発表していますが、そこでも、開戦よりも終戦の方が、ずっと印象が強かったと述べています。終戦の間際には、日本国民の全員が、毎日のように生命の危険にさらされていたのですから、その戦争が終ったというのは、信じられないような突然の解放であったのです。思えば私たちの世代は、15年戦争と呼ばれる戦争の連続の中で成長していたのでした。「戦争だから」というのは、すべてのことを決める絶対の条件でした。それがどんなに異常な状態であったのかは、今にして思うことです。当時は戦争をしているのが日常であり常識でした。
 うたのすけさんのブログを読むと、必ず私も関連する多くのことを思い出します。互いに記憶の引き出しを見せ合うことで、さらに記憶が鮮明によみがえるようです。それを覚えているうちに、何かの形で残しておきたいと、本気で思い始めたところです。昭和の10年代、20年代に私たちが経験したのは、日本人が二度と経験しないような(二度も三度も経験するようでは大変ですが)生活の激変でした。それは戦争に関連することだけではありません。近代から現代へと移行する、庶民生活の大変動期とも重なっています。水洗便所を使い、家で風呂に入り、子供が勉強部屋を持つなどは、ありえない夢の彼方のことでした。それを今さら知って何になるかというと、大いに意味があると思うのです。
 うたのすけさんのブログへのコメントでも書きましたが、あの戦火の下での、肉親の切ない親近感は何だったのでしょう。互いに生きて再会した喜びを、平和しか知らない人たちへ、どうしたら伝えることができるでしょうか。それは理屈でも解説でもない、人間としての皮膚感覚です。大きな災厄だった戦争が、一つだけ私たちに良いものを残したとしたら、それは人間と人間とを結ぶ、原初の「きづな」を確かめさせてくれたことです。「人間とは何か」は、私の次に書く本のテーマでした。それは昭和10年代20年代の皮膚感覚を掘り起こすことと、どうやら結びつきそうなのです。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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