志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2007年01月

語り尽くせぬ物語

うたのすけさんのブログで、延べ71回にわたって掲載された昔のお話です」のシリーズが、去る29日で一応の締めくくりになりました。戦前、戦中、戦後の激変の時代を、食堂を経営する下町の大家族の一員として育った記憶をたどりながら、みごとによみがえらせた力作でした。庶民生活の変化を記した記録としても貴重ですが、大家族と食堂を舞台とする、さまざまな人間像が活写されていて、それ自体が立派な文学そのものです。私も読んでいるうちに、さまざまな記憶を自分の中によみがえらせることができました。
 一つのまとまった物語を語り終えたとき、ほっと一息つくとともに、何かの流れが止まったような、妙なエネルギーの渋滞も感じる、うたのすけさんの今の心境を、私はそのように忖度しています。頭の中の記憶を言葉としてつむぎ出し、文字として画面に並べて行く、それは、やりがいのある仕事です。でも、思い出せたことは、頭の中にある記憶の一部分に過ぎません。自分にとって大事なことだから覚えていて、文章にすることができた、それはいいのです。しかし思い出せなかった大事な記憶もあったかもしれません。今ならすぐ手の届くところにあっても、いま書かなかったことは、未来永久に失われるでしょう。そういう不安もあると思います。
 人間の脳細胞に収容できる記憶の総容量は、どれくらいのものなのでしょうか。私たちがふだん使っている分量に比べたら、無限大と言えるほど大きいものだと聞いたことがあります。多くの天才や努力家の仕事を見るだけでも、人間の可能性の大きさはわかります。私たちは能力に応じて、頭の中の情報を、他人にわかる形で出力することができるだけです。記憶の容量に比べたら、表現の方法は限定されています。その意味で、あらゆる物語は、語り尽くすことができないのです。
 コンピューターが進化したら、人間の思想や記憶を、言葉や文字を介在させずに、直接に記録することが可能になるでしょうか。もし可能になったら、それはどのようにして解読されるのでしょうか。もしも解読を必要とせず、そのまま他人の脳に送り込まれるようになったら、それはマインド・コントロールの恐怖と同じことになってしまいます。うたのすけさんの記憶はうたのすけさんの中にある、私の記憶は私の中にある、それらは肉体とともに滅ぶ、それでいいのです。そして語られた物語だけが残ります。

愛それによって・31

ルーシー詩篇(訳詩)
  ウイリアム・ワーズワース原作

(ルーシー詩篇)その一

世にもふしぎな胸騒ぎを
私は経験したことがある
恋をしたことのある人のために
私はそれを語ってあげよう

私の愛する人が 来る日も来る日も
咲きたてのバラのように美しく見えた頃
ある晩私は夕月の下を
彼女の家へと急いでいた

広い野原を行く間中
私は月を見つめていた
足を早めて私の馬は
通いなれた道を進んだ

やっと果樹園の下まで来て
丘を登りにかかったとき
沈みかけた月はルーシーの屋根に
ずんずん ずんずん近づいて行った

若者だけに許される甘い夢が
私をやさしく浸していた
その間にも私の眼は
沈んで行く月に釘付けになっていた

馬は足並み正しくひづめを運び
止まろうとする気配もなかった
そのとき突然 屋根のかげに
輝く月は落ちて消えた

「どうしようルーシーが死んだら」
私は心に叫んだ
何という気まぐれな思いが
恋の喜びを横切ることだろう

人体の耐用年数

眼科の白内障手術(一昨年秋の右目につづいて、今回は左目)の予定が近づいたので、内科の健康診断書が必要になり、かかりつけの内科へ行ってきました。中野ブロードウエイ4階の「お医者さんコーナー」で、初代の井上清医師が亡くなった後を、ご子息の井上淳医師が、病院勤務の合間を縫って引き継いでいます。結果は、やや貧血気味で低血圧、腎臓の機能も芳しくないが、まあ大丈夫だろうということでした。
 そのときの雑談ですが、人体を構成する各パーツは、どうも「メーカー保証期間」としては、50年ぐらいではないかというのが、私の実感です。目も歯も各内臓も、50歳あたりまでは、何の不安もなく使っていました。「そろそろお年ですから」と言われてショックを受けたのは、眼鏡の度数が合わなくなって作り替えたときが最初でした。40代になって間もなくだったと思います。それ以来、総合的な体力の低下は、やむをえないと思えるようになりました。
 人体が、自動車のような工業製品だったとしたら、メーカーは50年あたりを目途として設計し、それに見合う品質で製造したのではないでしょうか。「買い替え最適年齢」があるとしたら、それは50歳程度で、つまり50年ごとに新車に乗り換えていれば、ほとんどトラブルに会わず、維持費もかけないで済みそうな気がするのです。DNAが生命の主人で、人体がその乗り物だとすると、50年ごとに子孫を残して生まれ替わるのが合理的なわけで、医学が発達する前の平和な時代の平均寿命が50歳程度だったのも、納得できます。
 ところがこれを認めると、こういうことを考える私の脳を含めて、私の全体が「乗り物」になってしまって、私は私の主人公ではなくなってしまいます。「それを認めちゃ、おしまいよ」です。医師は「人体の細胞は、どんどん新しく替わっているんですよ」と言ってくれましたが、新品同様にパーツを再生してはくれません。老化と不具合は避けられないのです。しかし脳細胞に記憶する知識量は増えつづけて、手入れがよければ老化も遅いようです。DNAの方は子供と孫に任せるとして、私は一代かぎりの体を大切にするしかありません。「これからもよろしく」「お大事に」と、あいさつして帰ってきました。

愛それによって・30

もっとこっちへいらっしゃい

もっとこっちへいらっしゃい
ここからもう一度手をつないで
遠い道を歩いて行きましょう

ぼくがちょっと立ち止まって
よそ見をしていた間に
ぼくとあなたは三歩離れていたのです

三歩の距離は遠くはない
一歩近づけば今すぐにでも
また手をつないで行けるでしょう

しかし遠くに離れた人たちも
一度は三歩の距離にいて
そこから離れて行ったのです

もっとこっちへいらっしゃい
ここからもう一度手をつないで
遠い道を歩いて行きましょう

     (昭和38年6月30日)

老後の夫は重荷か

朝刊の囲み記事に、高齢者3100人を調査した愛媛県の医師のレポートが出ていました。衝撃的なのは、配偶者の有無による死亡リスクの変化が、男と女では正反対に違うという調査結果です。74〜84歳の女性は、夫がいると死亡リスクが2倍に増加する、逆に男性は、妻がいると死亡リスクが半分以下に減るというのです。つまり、妻は夫がいない方が長生きできる、夫は妻がいなくなると早く死んでしまうということになります。何となく実感としてわかるだけに、はっきり数字で示されてみると、うーんと唸ってしまう感じです。
 ここから読み取れるのは、この世代では妻がもっぱら主役になって夫の生活・健康のケアをしている姿です。また老年世代では、夫が年上の年齢差が、若い世代よりも大きいということも関係していそうです。ですから世話役を失うと、夫の生活・健康の状態が悪くなることは予想できます。しかし夫がいなくなって妻が一人になると、死亡リスクが半分になるというのは、どうでしょうか。夫の存在とは、妻にとって、それほど重い、いのちを削るような負担なのでしょうか。私ももうすぐ74歳になるのですから、無関心でいるわけには行きません。
 理想を言えば、夫婦が揃っているからこそ、お互いに長生きできるようでありたいものです。妻に負担をかけ、死亡リスクまで負わせていると言われては、「オレは荷物なのか、粗大ゴミか」と、ひねくれてみたくもなります。妻への最良のプレゼントが夫の早死にでは、身も蓋もありません。互いに自立もできて、相手に負担をかけず、相手の生活を守ってあげる力があれば、こういう現象も改善できる筈だと思います。生活習慣で負担をかけていないかどうか、見直すことにしましょう。
 この記事にも、一つだけいいことがありました。それは、自分の死後にも、妻には豊かで自由な老後がありそうだということです。

愛それによって・29

どうしてこっちを向かないの

どうしてこっちを向かないの
ぼくはここでさっきから
あなたの方ばかり見ているのに

どうしてこっちへ歩いてこないの
ぼくはあなたが一緒に来るかと思って
ここでずっと待っていたのに

どうしてそんなに少しだけ持っていくの
ぼくはあなたに上げようと思って
こんなにたくさん用意しておいたのに

どうしてこっちを向かないの
ぼくはここでさっきから
あなたの方ばかり見ているのに

      (昭和38年6月28日)

宇宙空間平和条約を

中国がミサイルによる人工衛星の破壊実験に成功したというニュースがありました。中国は平和目的と説明しているようですが、アメリカは早速、強い警戒感を示しています。軍拡競争が、人工衛星の攻防戦にまで発展するようでは、人類の未来はますます暗くなります。軍人の論理で宇宙空間までが支配されるようなことは、何としても防がなければなりません。
 人工衛星が軍事目的に使われていることは、今でも公然の事実です。各種の観測衛星や無線中継衛星を、軍事用と民需用に完全に区別することも、おそらく不可能でしょう。地上に秘密はなくなったと言われるほどの情報公開は、むしろ世界の平和維持に役立っている面が大きいと思います。その中で特定の人工衛星をミサイルで狙って破壊することは、その気になれば、ロケット打上げの実績のある国にとっては、それほど難しい技術ではないでしょう。しかしそれを実際に始めたら、攻撃と防御の際限のない競争に陥ることは目に見えています。
 人工衛星を地上から攻撃すること、人工衛星から人工衛星を攻撃すること、人工衛星から地上を攻撃することを、理由のいかんを問わず禁止する宇宙空間平和条約を、早期に結んでおく必要があるのではないでしょうか。実効性はあるか、検証の方法はあるかなど、慎重論は出るでしょうが、人類の姿勢を示しておく意味はあります。そして日本はその最初の提案国になってほしいと思います。
 日本は核兵器を持つ技術力も、長距離ミサイルを開発する技術力も持っているけれども、核ミサイルを持つことからは、もっとも遠いところにいる国だと信じています。世界の平和をリードする国として、こういう場面で積極的に活動すべきではないでしょうか。

愛それによって・28

鏡の中に

鏡の中にあなたが写る
うれしい時にはうれしい顔が
悲しい時には悲しい顔が
だからあなたはあなたです

もしもある日
鏡があなたでない顔を写しはじめたら
あなたでないものがあなたになり
本当のあなたが見えなくなってしまうでしょう
それは鏡に魔法がかかったから

魔法の鏡は魔女のもの
美しい人は
魔法の鏡に用はない
美しい人は
そのままの自分が鏡に写るとき
いちばん幸福に思うでしょう

「鏡は女のたましい」と
昔の人は言いました

      (昭和38年4月)

果てしなき有限

いくたまきさんの「海で暮らす気持ち」を読んで、コメントのやりとりなどをしているうちに、また人間の本質というようなことを、いろいろ考えてしまいました。きっかけは「海の果ての物語」というセクションで、海の生き物たちが、海はどこまで海なのだろうと考えるのです。私たちは水の外にいますから、水の外へ出られない魚たちよりも偉いような気がしているのですが、じつは空気の中でしか生きられません。してみると金魚鉢の中にいる魚と、立場に大差はないのです。ところが人間は宇宙空間へ望遠鏡を打ち上げるような手間のかかることをしてまで、宇宙の果てを確かめないではいられません。身は空気のある狭い地上に置きながら、宇宙の果てを考えることができるのです。
 ところが本当は、考えることができるような気がするだけで、宇宙の果ては、確かめようがありません。素粒子が隙間なく密集してしまったブラック・ホールは、未来永久にそのままなのかどうか、現在の現象をうまく説明できるビッグ・バンはいいとしても、それ以前の宇宙はどうだったのか、そこには時間がなかったなどと言われても、納得できるものではありません。要するに人間の時間の中では、確かめる方法がないのです。
 有限の肉体しか持っていないのに、永遠の時間とか無限の広がりとかを、考えることだけはできる。人間のすべての不幸(幸せと言い換えても、ほとんど同じ意味になります)は、ここから始まっているのではないでしょうか。深遠な哲学の問題なのではありません。目の前の、よく知っている人を愛することの中でさえ、有限と無限は絶えず交錯します。一人の人間を理解し尽くすことの難しさは、自分自身を含めて、宇宙の全体を理解し尽くすことの難しさと、同じなのではありませんか。万物は不可解とする懐疑主義に陥りたくはないのですが、精神の自由さは、肉体の不自由さとは比べようもないほど大きいのです。
 これを考え始めると、きりがありません。疲れます。ただし人間は必ず死ぬことができる。それが有限である人間の救いです。やるだけやってから、死ねばいいのです。このように軽薄な結論を出して安心しようとするのが、私の悪いくせです。わかっていても、また、やってしまいました。

愛それによって・27

若い日だから

若い日だから泣いてもいい
悲しみの一日が終ったあとに
涙に洗われた一粒の真珠を
残すことができるものなら

若い日だから笑ってもいい
楽しかった笑い声が消えたあとに
人の心につながる一すじの糸を
思い出すことができるものなら

      (昭和38年4月)

昔の冬は寒かった

寒中の筈なのに、今年も暖冬のようで、雪も氷も、霜さえも、まだ見ていません。自分の子供のころの冬は、もっとずっと厳しいものでした。家は都内滝野川(現在は北区)の高台にあり、木造平屋の6畳間が子供4人の寝室でした。もちろん昼はふとんを押入れに上げて居間になる部屋です。南側には障子をおいて3尺幅の縁側があり、ガラス戸と雨戸がついていました。冬でも朝のかなり早くに、父か母が雨戸を勢いよく開けます。雨戸を開けなければ部屋は明るくならないのです。とたんに冷たい空気が廊下の方から流れてきて、首筋が寒くなります。縮こまっていたいところですが、母の掛け声が催促します。「起きろよ起きろよみな起きろ……」と、軍隊の起床ラッパの調子をまねて、子供たちを起こすのでした。
 ふとんたたみと掃除とは子供たちの分担ですから、起きるのは一斉で、よほどの病気でもなければ寝床に残っていることは許されません。寒さに震えながら着替えを始めます。父は朝の空気を部屋に入れ替える主義でしたから、部屋の温度は、たぶん零度近くだったろうと思います。水まきの好きだった父の打ち水が、庭先で氷っているのをよく見ました。ガラス戸と障子だけで、暖房のない部屋の温度は、戸外とそれほど変らなかった筈です。
 当時の暖房の主力は火鉢でした。台所のコンロから火種をもらって火を起こすのですが、温かくなるまでには時間がかかります。しばらくの間は、陶製の火鉢の縁も、うっかり触れないほど冷たいのでした。それに、火鉢はもともと部屋全体を温めるほどの火力はありません。「手あぶり」の程度のものなのです。頼りになる温かさといえば、結局は自分の体温です。冬の着衣は、今とは比較にならないほどの厚着だったと思います。厚着をしても顔と手足は出ていますから、手と耳のしもやけは、春になるまでは治らないのがふつうでした。
 通学路の家々の前に並んでいる防火用水には、部厚い氷が張っていました。いざというとき困るからと、毎朝氷を割るのも子供たちの仕事でした。東京でも、冬の間は氷の張る寒さが当り前だったように思います。それでもなぜか私の家には炬燵(こたつ)がありませんでした。部屋を暖める暖房をするようになったのは、戦後になってガスが自由に使えるようになってからのことです。

愛それによって・26

ある朝に

ある朝に あなたは目覚め
いつもと違っている自分の心に
気づくかもしれません

その朝に
見なれた筈のすべてのものが
ひとつひとつ目新しく
輝くように見えるでしょう

その日あなたは
自分でもびっくりするような元気な声で
遠くにいる人に呼びかけたり
思いもかけぬ大胆な言葉で
自分の心を表わしたりできるでしょう

そしてその夜
はじめてあなたは
恋をしている自分に気づくでしょう

          (昭和38年4月18日)
(5年の空白をおいて、一人称でない詩作
をする環境に恵まれるようになりました)

テロはイデオロギーではない

アメリカのブッシュ大統領の「施政方針演説」に当る一般教書演説の内容が報道されていました。異論の多かったイラクへの米軍増派や兵員増強計画を含む政策に、理解と支持を求める内容ですが、先の選挙で負けていることもあり、あまり盛り上がらなかったようです。しかしブッシュ氏は既定の方針を押し通す、強気の姿勢を変えていません。その中でも、非常に気になる部分が、演説の中にありました。「アフガニスタン・中東地域における挑戦は、この時代の決定的なイデオロギーの争い」であるとして、大上段にテロとの戦いの意義づけをしているところです。
 これは「テロによる世界秩序の破壊」というイデオロギーがあって、アメリカは「自由と民主主義」のイデオロギーを守るために戦うという、同時多発テロ直後の雰囲気を、そのまま引き継いだものです。しかし、本当にそうだったのでしょうか。ブッシュ政権は公約通りに、アフガニスタンではテロの実行組織とされたアルカイダの根拠地を壊滅させ、テロ支援国と見なしたイラクの「大量破壊兵器」を根絶させました。(もともと存在しなかったのに。)テロ防止のためなら、これで充分な筈でしたが、これらの国にアメリカは「自由と民主主義」というイデオロギーを根づかせようとしたので、事態は複雑になりました。テロの防止をイデオロギーの問題にしてしまったからです。
 もともとテロはイデオロギーで始まったのではありません。イスラエルがパレスチナ人を抑圧している不正義に対して、国際社会が公正な対応をしないために、有効な抗議の方法がなくなった一部の過激派がテロに走った、という面が大きいのです。これを純粋にテロ行為として糾弾していれば、イスラム社会からも孤立させることができた筈です。しかしブッシュ流の「テロとの戦い宣言」は、テロを容認するイデオロギーとの戦いという色彩に染められて、戦う相手を不必要に肥大させてしまいました。「自由と民主主義」の十字軍として攻め込んだ結果、「イスラムを守る聖戦」を引き起こしてしまったのです。この混乱を収拾するには、テロとの戦いを、イデオロギーから引き離さなければなりません。中東の政治情勢は、この理屈ですぐに解決するほど簡単ではないでしょうが、ブッシュ演説は、依然として基本の方向を誤っているように見えます。

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愛それによって・25

(題名をつけられなかった詩)

秋の夜に 雨が降る
雨の降る日の 「私の家」を
私は知っている

庭の砂利が濡れて
人が歩くとサクサクと音がする
ガラス越しに見る藤棚から
ポタポタと滴りが落ちる

時たま電話が鳴ると
年老いた母が受話器をとって
意外に若い声で受け答えする

子供が一人もいなくなった家の中で
「お父さん」「お母さん」と呼び合う
二人の親が住んでいる

       (昭和33年10月28日)

「『お墓』の誕生」を読む

「『お墓』の誕生・死者祭祀の民俗誌」(岩田重則・岩波新書)を読みました。思ったよりも学術的専門書に近い内容でしたが、日本の墓の歴史と現状と将来像について、かなりまとまった知識を得ることができました。「お墓」と、わざわざカギ括弧をつけているのは、石塔の下にカロウト(骨壷を入れる石室)を備えた現行の形式の墓が、いつから一般化したかを、おもな研究の対象としているからです。結論から言えば、それは江戸後期以後の近・現代の産物であり、現在も変化は進行中であるということです。
 墓といえば私たちは故人の名を刻んだ石柱を思い浮かべて、墓参りといえばその石柱の前で手を合わせることです。そこに故人が埋葬されているように思っていますが、じつは違うのです。土葬が多かった近代前期までは、死者を埋めた場所と記念の石碑を建てる場所は別でした。埋めた柔らかい土の上に石の柱を建てることは、物理的にも、できなかったのです。埋葬の場には木の札を立てる程度にしておいて、石柱は死者の地位に応じて、あとから別な場所に建てる方が、むしろ一般的だったのです。これを民俗学では「両墓制」と呼んでいます。
 仏教が普及して葬式が仏教式に統一されてからも、死者を埋葬するまでは村人の仕事で、墓石の前で読経などの仏事を行うのが僧侶の仕事でした。拝跪の対象は、あくまでも「石の墓」であったのです。火葬が行われるようになっても、遺骨の埋葬は、基本的に土葬と同様でした。石柱は古くは個人別であったものが、江戸後期から「先祖代々墓」が登場して、家族全員のものとなりました。そして明治以降、火葬が公共の仕事となり、遺灰を壷に入れて墓石の下のカロウトに納める現代の「お墓」が多くなってくるのです。ここで墓石と遺灰の場所が、一致したことになります。しかし、これは埋葬ではありません。遠縁の人の葬式を下町で見たことがありますが、寺の墓地にある先祖代々墓のカロウトが一杯になると、古い骨壷から順に外へ出して、散骨するということでした。
 こうしてみると、日本の墓は、死んだ人のものというよりも、生き残った人のための記念碑の性格が強いように思います。遺骨も残らなかった戦死者の墓が、どこでも個人名で立派に建てられているのも象徴的です。さらに墓作りが商業化して、輸入石材で大量生産されている現代の事情があります。私はやはり、自分の墓は、遺灰が土に帰る場所であってほしいと思っています。

愛それによって・24

カルピス

カルピスの ネオンが見える
アパートの窓に 首を並べて
タロウとハナコは じっとしていた
二人の最初の 一日は暮れた

次の日の夜 ハナコは泣いた
父さんの怒った顔や 母さんの
さびしい顔を つい思い出して
タロウはハナコの 背中を撫でた

タロウが仕事を 見つけた日は
夜がふけるまで 二人は話した
「カルピスの ネオンが消えたよ」
「あしたから 七時に起きるのね」

都会のすみにも 夕空があった
お膳を並べて ラジオをつけた
「カルピスの ネオンがついたわ」 
タロウの帰りを ハナコは待った

夜中の街を 行くサイレンを
眠りの中で 二人は聞いた
ハナコはタロウに 身をすり寄せて
タロウはハナコの 肩を抱いた

ハナコは一日 よそへ出かけた
夜風はつめたく 星は光った
「カルピスの ネオンが消えたよ」
タロウは一人で ふとんを敷いた

次の日の晩 ハナコは帰った
二人は並んで 窓から眺めた
「カルピスが まだついているよ」
「きれいねえ 久しぶりだわ」

雨の降る夜も 窓は開いた
線路が濡れて ネオンも濡れた
「遠い所へ いつか行こうね」
タロウはハナコに キッスした

      (昭和33年5月5日)

金利あれこれ

いつもは妻に一切を任せてある私の銀行の総合預金通帳を、金利の低い定期預金を解約したとかで、久しぶりに覗いて見る機会がありました。超低金利時代の定期預金の金利の記録を見て、改めて、あまりの低さに笑ってしまいました。6ヶ月定期で0.02%なのです。1万分の2ですから、100万円を預けて半年で100円、まさに万分の1の利息であったわけです。
 私が自分で資金操りをしていた時代は、定期預金の金利は6%と決まっていて、それは何十年も続いていました。借金をするときは、裏定期を積まされるなどの操作があって、実質12%が相場でした。借りた金額の1%が毎月の金利になると考えれば、ほぼ間違いありませんでした。そうやって借金と格闘しながら、人生の大半を過ごしたような気がします。そしてようやく借金よりも預金の方が多いかと思えるようになったら、預金の利子は、問題にならないほど低くなったままです。改善されたとは言っても、0コンマいくつの話ですから、利子で増えるという感覚からは遠いものです。
 実質ゼロ金利は、言わずと知れたバブル崩壊後の企業とくに銀行を救済するためでした。銀行には金利ゼロ以上に、公的資金の注入まで行われました。その効果があって、日本の経済は不況から脱出したということになっています。そして史上最高の利益をあげる会社が出はじめる状況になっても、経済界は依然として金利上げに反対、法人税は更なる引き下げ要求で、政府はその代弁をしているようです。銀行も、預金金利を上げて利益を預金者に還元するつもりは、なさそうです。
 それにつけても目立つのが消費者金融の金利の高さです。最高20%にしてグレーゾーンをなくす方向は出されたものの、現在も29.2%までの限度いっぱいの中で、多くの利益をあげています。利用者の多くが、貯蓄の余裕を持たない経済的弱者であることを思うと、この商売の繁盛している社会が、健全であるとは考えられません。先ごろの「クレ・サラ金利引下げ運動」で学んだことですが、本来の利息制限は、一般の金利が5〜6%だった時代に、それよりも10%程度高い15〜20%に設定され、金利の上下によって制限も変動したということです。現在のゼロに近い基準金利なら、15%でも、まだ高過ぎることになります。私はカード・ローンの類は一切使ったことがありませんが、便利だからと安易に手を出す人は、もっと慎重になってほしいものです。

愛それによって・23

人工衛星

星の降る秋の夜空を
横切って進む一個の物体
昨日まで存在しなかったものが
今は そこに ある

地上を去る九百キロの彼方に
望遠鏡の筒先が追い
無線局のアンテナが捕らえる
その空間に かつてなかった天体

六等星の光度を示しながら
規則正しく発する金属の言葉に
世界の半分は驚喜し
世界の半分は恐怖する

しかし やがて
縦横に走る軌跡の網目は
九十五分の周期に一本を加えつつ
宇宙の無限を支配する秩序に従って
密にさらに密に 一つの地球を包む

(ソ連による世界最初の人工衛星打上げ
成功を聞いて 昭和32年10月5日)

民主党に期待すること

新聞の「CM天気図」に、天野祐吉氏が民主党のテレビCMを取り上げていました。荒れる海の中の帆船で、船長の小沢代表を、菅、鳩山の両氏が支えているドラマ仕立てのCMです。これがあまり評判がよくないようで、民主党大会で批判が出たという話が、これまた新聞の記事になっていました。天野氏は「ああいう学芸会風の芝居仕立てが大衆受けをするんじゃないかという、その考え方が受けないのだ」と評していますが、たしかに核心にふれる政治的なメッセージは感じられません。知恵をしぼったつもりで、安くない費用をかけただろうに、もったいないことです。
 いま民主党に期待したいのは、政治の現状に対する対立軸の提示です。このままでは未来がよくなる期待がもてない、どうしたら安心できるのかの処方箋がほしいのです。グローバリズムに追随し、不況からの脱出を経済成長に求めた小泉・自民党の政策が浸透した結果が格差の拡大でした。ここで政権が交代したら、内政重視、格差緩和に向けて、政策の転換ができるかもしれません。よくも悪くも2大政党時代になっているのですから、民主党にそれを期待するしかないのです。かつて菅氏が厚生大臣だったとき、「大臣は、誰がやっても同じではない」ことを実感させてくれました。「大臣」という岩波新書の著書にも説得力がありました。今の民主党は、本当にやる気がないのでしょうか。
 国連の「人間の豊かさ指数」というものがありますが、1990年と1991年には、日本が世界のトップを占めていました。これが2005年には第11位に落ちています。この指数は、国民の長寿・健康、教育・知識、経済力・生活などを総合したもので、「人間開発指数」とも言います。日本の後でこの指数の上位を占めるようになったのは、ノルウェー、カナダ、オーストラリアなどで、いずれも経済大国ではありません。政策で国民を幸せにすることは、可能なのです。
 私が民主党のCMの企画、制作を任されたらどうするか、考えてみました。面白い芝居にしようとは思いません。面白番組は、いくらでも流れています。まじめな話は誰も聞く筈がないと思ったら、国民に対して失礼でしょう。私なら総経費10万円もかけないで、こんな15秒CMを作ります。突然、テレビが故障したかと思うような無音と単色の画面になってから、ぽつりと文字が出て言葉が続きます。「人間の豊かさ指数をご存知ですか。日本は1990年代には世界第一位でした。民主党が政権を取ったら、3年以内に、また日本を人間の豊かさ世界一にします。」

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愛それによって・22

接吻

二人とも それまでは
愛するということを
文字だけで知っていた
本当はそれは言葉ではなくて
行動なのだということも
知識としてだけ知っていた

その知識が試されることになった晩
私の目の前には
眠れる森の美女ではなくて
よく知っている一つの顔があった
愛するとはこうすることなのだと
知っていた通りを私たちは実行した

心配したようなことは起こらなかった
驚きさえも ほとんどなかった
広がって行く満足感だけが残った
長い間欲しかったものが
やっと自分のものになった
そしてそれは想像通りのものだった

「あなたの体は丸っこくて柔らかいんだね」
「そうよ 女ですもの」
その言葉に深い安らぎの調子があった
急に思いついて私は言った
「そう 今のあなたが本当に女らしいんだ
特権も屈従もない自然のままなんだ」

        (昭和32年9月17日)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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