志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2007年05月

年金記録復活その後

この5月26日に「年金記録復活体験記」を書きましたが、その後わかったことを補足します。私の疑問は、もし自分で(1994年頃に)社会保険事務所へ調べに行かなかったら、過去の2つの厚生年金記録は、統合されないまま放置されたのだろうかということでした。これについては、新聞の解説記事によると、1997年1月に10ケタの「基礎年金番号」を導入したとき、社保庁が自主的に統合していたことがわかりました。ですから私の場合も、それで救済された可能性があります。ただし、そのときは「氏名、生年月日、性別、住所が一致する複数の記録は統合」したそうですから、住所は移動しているので、機械的な事務処理では、見逃されたのではないかという不安は拭えません。
 問題は、私のように問題意識を持って調べに行かなかった人はどうなったかということです。社保庁は1997年から「他に記録を持っている人はお知らせください」と呼びかけたというのですが、そんな呼びかけがあったかどうか、私には記憶がありません。しかも私は社員の社会保険関係の事務を、一貫して全部自分で担当していたのですから、他の人よりは、そういう文書には敏感だった筈です。それでも記憶にないのは、知らせがあったにしても、基礎年金番号の通知に付随する簡単な注意書き程度だったのではないでしょうか。役所の論理では、呼びかけはした、あとは返答のあった人の記録だけ調べればいい、ということになったのでしょう。
 宙に浮いた年金記録が5千万件というのは衝撃的な数字でした。しかし受給年齢前に死んだ人もいるでしょうし、全国民の半数の記録が怪しいと騒ぎ立てるのは、短絡的だろうと思います。それにしても、少し前には保険会社の保険金不払い問題が起こって、生命保険に対する信頼が大きくゆらぎました。国の主導で、保険料を強制的に徴収している公的年金の事務管理が、正確で公平でなければならないのは当り前です。その当り前が守られなかった責任が、政権の側にあることも明らかです。
 年金問題が、にわかに参議院選挙を前にした政治上の争点になってしまいました。5年間の時効を、とりあえず撤廃する法案をどうするかなど、戦術上の上手、下手に目を奪われそうですが、「金持ちクラブ」から出発した日本の公的年金制度を、格差の時代から国民を守る皆保険制度に変えて行く、大きな流れを見失わないようにしたいものです。

おじいちゃんの書き置き・69

(第7章 社会思想と労働組合)

それは世直しの願いから始まった

 劣悪な条件で働かされた労働者は、時として不満を爆発させ、集団で仕事を拒否したり、経営者に労働条件の改善を要求することもあった。こうした動きは労働者の反乱と受け取られ、反社会的な危険な行動として、どこの国でも当初は厳しい取り締まりの対象とされた。その一方で、労働者を人間的に扱い、よい待遇とよい環境で働かせた方が生産性が上がり、経営も発展すると考える開明的な経営者も現れた。しかし恩恵的に与えられる労働条件の向上には、一定の限界も避けられなかった。
 労働組合の源流は、工業化以前からあった熟練職人の組合から始まったと言われる。これが工業化によって飛躍的に人数が増え、共通の利益を守るために団結して行動するようになった。これを脅威に感じてイギリスでは、一七九九年に「団結禁止法」が制定されている。労働者は警察や軍隊の弾圧を受けながらも、ストライキを繰り返してこの法律の撤廃を求めつづけた。やがて、人道主義や民主主義の発展とともに、労働者も人間として尊重されるべきだという考え方が広まってきた。そして労働者が団結して経営者と交渉することは、権利として公認されるようになったのである。
 団結権を手に入れた労働組合は、政治に対するさまざまな要求を実現するために、政界へも進出するようになった。イギリスは産業革命の先進国だったから、この動きはイギリスから始まった。産業の先進国は、議会制民主主義の先進国にもなったのである。こうして労働者は民主的な手続きによって地位の向上をはかることができるとする、民主的労働運動の流れができた。イギリス労働党の歴史は十九世紀に始まっている。
 一方、大量の労働者の出現が社会をどう変えて行くかを、歴史的な認識の中で考えた人たちもいた。ドイツのマルクスとエンゲルスは、人類の歴史を生産手段の変化という側面からとらえて、労働者こそが社会の主人公になるべきとする「共産党宣言」を一八四八年に発表した。その思想の骨子は「財産の私有をやめて生産手段とともにすべてを共有化すれば、もっとも合理的な生産と配分が可能になる。搾取も対立もない平和な社会が実現して、そこではすべての人が能力に応じて働き、その成果をすべての人が必要に応じて受け取ることができる。」という一種のユートピア論だった。しかしそれを必ず実現する歴史の必然として論証したところに最大の特徴があった。
 議会制民主主義も共産党宣言も、めざすところは「最大多数の最大幸福」である。機械工業と技術の発展は、人間社会のありさまを目に見える形で変えつつあった。それは未来への希望であるとともに、都市の貧困層など、従来の世界が知らなかった新しい悲惨をもつくり出していた。世直しの思想はその中から生まれたのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


自殺という責任の取り方

松岡利勝・農林水産大臣の自殺が、大きなニュースになりました。ふだん「自殺」という言葉がきらいな私ですが、ここは一般に従って「自殺」の用語を使うことにします。「還元ナントカ水」で有名になり、何を言われようが押し通す図太い人のようなイメージでしたが、意外な結果になりました。墓参りを済ませて6通の遺書まで残したのですから、よくよく考えた末の自殺であったことは間違いありません。さらに後を追うように、談合が問題になった緑資源機構の山崎進一・元理事も飛び降り自殺しました。参考人として地検の事情聴取を受けている最中でした。
 この人たちは、なぜ死を選んだのでしょうか。松岡大臣の遺書は「世間を騒がせ関係者に多大な迷惑をかけ」たので「一身をもってお詫びに代える」として、最後は「安倍総理、日本国万歳」で結んでいます。自分の非を認め、死をもって責任を取る、古武士の切腹のような覚悟を読み取ることもできる文面です。では、生命をもって購おうとした、その「大義」の内容は何だったのでしょうか。逆に、生き残って疑惑の解明に加担することは、どのような理由で「大義」に反すると思ったのでしょうか。自分が責められるのが辛いだけではない、明瞭な目的意識なしには、冷静に自殺を選択することはなかったろうと思うのです。
 察するに、事務所の経費問題も、天下り官僚を軸とする談合体質も、長年にわたって政治を自らに都合のよいように構築してきた保守政治の本質から出てきたことです。その政治を動かす責任者として働いてきた立場としては、自分がやってきたことを悪いことだったと思うわけがありません。自分たちこそ今の日本の繁栄を支えてきたという自負もあったでしょう。その裏側に蓄積した政官財癒着の負の側面は、正した方がよいが、やむをえない副作用程度に見えたのかもしれません。
 しかし、身を捨ててまで守ろうとした今の政治体制は、それほどに大層なものだったのでしょうか。むしろ、長年の腐敗を清算して、国民合意の政治を再建することこそが真の「大義」だったのではありませんか。松岡大臣には、恥を天下にさらしても、政治の腐敗を正す捨石になってほしかったと思います。葬儀に当っての、松岡夫人のあいさつは「武士の妻」らしい立派なものでした。本当に守るべきものは何であったのか、私たちに深く考えさせてくれたという一点で、松岡大臣の死は無駄ではありませんでした。これをもって、私からの弔辞とさせていただきます。
(追記・文意を明瞭にするため、30日夜に一部を修文しました。)

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おじいちゃんの書き置き・68

(第7章 社会思想と労働組合)

働くことと生きること

 人間にとって働くということは、一人前に生きるということと、ほとんど同じ意味をもっている。働く場所が工場であろうと事務所であろうと農漁村であろうと、あるいは家庭の中であろうと、人間は働くことで生活を成り立たせている。この事情は人類の歴史が始まったときから変ってはいない。働かなくてもよいのは、一人前になる前の子供と、働けなくなった老人、そして病人など特に働けない事情がある人だけである。まれには能力があっても働く意志をもたない人もいるようだが、その人は誰かの働きに便乗しているわけで、要するに働く人がいなければ人間の世界は成り立たない。
 ところで働くといっても、子供の世話をするとか家族の食事を用意する、衣服を清潔に整えるといった、いわゆる生活維持の仕事もあるし、外へ出て農業や狩猟をする、さまざまな物を作ったり加工するなどの、いわゆる生産活動もある。さらに政治や教育、芸術などの知的活動もある。その上最近では、資本を投機的に運用する利益で生活する人たちまで現れた。パソコンを操って資本を働かせるわけだが、これも人間の労働に入れていいのかどうか、私としては抵抗を感じる。投資の利益が資本の成長に伴う金利や配当の範囲におさまっているのなら、知的労働の一種と認められないこともない。しかし特定の物資や通貨の価値を意図的に上下させ、多くの他人に損失を負わせることで利益をあげる投機になると、「人間に有用な価値を生み出す」という労働の本来の目的に反している。特に国際的な投機資本の横行に対しては、国際協調による規制が必要だと思う。
 話が少しわきみち脇道に入り込んだが、とにかく人間の社会が複雑になるにつれて、人間の働き方も複雑になってきた。その複雑さが、誰の目にもはっきり見えてきたのが、十八世紀の終り頃から始まった産業革命だった。工場で働く大勢の労働者が出現したときから、働く人たちの立場というものが、特に強く意識されるようになったのである。資金を集めて工場を建て、それを運営する経営者と、その工場に雇われて働く労働者とでは、立場が正反対に違うことになった。早い話が労働者を安い賃金で長い時間働かせれば働かせるほど、経営者の利益は大きくなる。経営者と労働者との関係は、基本的に利害が対立する要素をはらんでいたのだ。そして個人としての労働者と経営者の力関係では、経営者の方が圧倒的に強いことが明らかだった。
 事実、ヨーロッパの初期の産業化時代には、想像を絶するような長時間労働や低賃金、そして劣悪な労働環境が横行したと記録されている。産業革命は全体としては社会の生産力を高め、庶民の生活環境もめざましく向上させることになるのだが、その一面で労働の非人間化をもたらし、労働者を生産の道具におとし貶めたのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


牝馬優勝と男女平等

日本ダービーで牝馬が優勝したのが話題になりました。64年ぶりということですから、大半の人には史上初めてと同じことでしょう。競馬のことは全くわからない私ですが、ダービーに牝馬の参加が自由に認められていてよかったと思いました。今回の関連記事で、牝馬だけが参加する「オークス」というレースもあるのがわかりましたが、牡馬限定のレースはないようです。
 馬の世界での牡と牝の体力差はどうなのかと思っていたら、3歳馬は人間で言えば高校生ぐらい、牡と牝の体力差が開いてくる頃だという解説がありました。母性機能が充実すると、走る力は多少犠牲にならざるをえないようです。しかし平均的にはそうであっても、個々の馬の能力差は、性差よりもずっと大きいわけで、だから多くの牝の競走馬も走っているのでしょう。これは人間の男女の体力差と、全く同じことです。
 馬術では、参加資格に男女の区別がなく、オリンピックの中で数少ない、男女が平等に参加できる種目だと聞いたことがあります。馬を操る技術を競うのだから、体力差は問題にならないということなのでしょう。ダービーの牝馬参加とともに、馬の世界では男女差別が少ないような印象を受けるのですが、本当のところはどうなのでしょうか。
 人間の運動競技でも、女子だけに限定する種目の意味はわかりますが、一般的な種目は、もっと女子の参加を自由化したらいいのではないかと思いました。市民マラソンなどでは実行されているようですが、男女の区別なく走ってみた方が、「人間の能力差は、性差よりも個人差の方がずっと大きくて、大事だ」ということを、男女ともに実感できるような気がします。
 ただし、格闘技になると、話がややこしくなるかもしれません。ボクシングぐらいはいいとしても、柔道やレスリングで「寝技」が出たりすると、男女混合ではどうもまずい……ということになりそうです。これは冗談として、頭で戦う将棋に「女流」の段位があるのは、私が以前から不思議に思っていることの一つです。頭の使い方が、やはり違うのでしょうか。男と女、どこまで同じで、どこから先が違うのか。いくら語っても語り尽くせない物語です。

おじいちゃんの書き置き・67

(第7章 社会思想と労働組合)

われら未来を語るもの

 それは私がまだ学生だったときの夏休みだった。箱根にあった父の山小屋に滞在していた私は、夜の風に乗って湖畔から運ばれてくるキャンプ場の歌声を聞いていた。キャンプしていたのは若い社会人のグループらしく、聞こえてくるのは労働歌が多かった。昭和三十年頃のことだから、労働運動は最盛期を迎えている時代だった。当時の私は家の仕事の手伝いで歌集の編集もしていたから、聞こえてくる歌の歌詞は全部よく知っていた。しかし、自分で声を出して歌ったことは一度もなかった。私は経営者の息子で資本家の家族だから、追われる立場にいるような気がしていた。少し感傷的になった私は、その夜の日記に「自分も未来を語るものの一員でありたかった」と書いた。「われら未来を語るもの、世界を一つにつなぐもの」というのは、メーデーなどでよく歌われた「世界をつなげ花の輪に」の歌のリフレーン部分の歌詞だったのである。
 日本の戦後史を語る上で、労働運動はかなり大きな要素を占めている。それは戦時中の弾圧から解放された民主主義の代表選手だった。戦後すぐの混乱期には、共産党に指導されて反政府のゼネスト(官公と民間の労働組合が合同して行う全国一斉ストライキ)を計画し、占領軍の司令官マッカーサーの命令で中止させられたこともあった。昭和二十七年に日本が独立を回復してからも、労働組合は共産党や社会党の支持母体であり、反米闘争や反核平和運動などを通して、日本に社会主義政権を樹立することをめざしていた。もちろん賃上げなどの経済闘争でも、要求をかかげては赤旗を林立させ、満足できなければストライキというのが、労働組合についての当時の一般的なイメージだった。私も同様で、何となく敬遠しておきたいような存在に過ぎなかった。
 その労働組合と、私は十五年ほど後に、思いがけなくも浅からぬかかわりを持つことにになった。父親と衝突して失業状態だった私は、貯金をはたいて小さな合唱歌集を作ったものの、販路がつかめずに困っていた。ちょうどそこへ、サンプルの歌集を偶然に入手した労働組合の教宣担当者(教宣は教育宣伝の略で組合用語)から電話がかかってきた。組合員に歌を教える教材を作りたいのだが協力してくれないかというのである。その労働組合は全繊同盟といって、繊維関係の労働組合が集合した産業別労働組合だった。この一本の電話の縁で、その後三十年以上にわたる私と労働組合とのおつきあいが始まった。
 教材づくりは、歌唱指導のテープから始まって、スライド教材、映画、ビデオと拡大して今に至っている。予算と組織があっての仕事は私にとって有り難かった。またそれ以上に、労働組合の立場からものを見たり考えたりする機会を得たことが、私にとって貴重な勉強になった。この章は、その集大成である。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

日本が勝っていたら

うたのすけさんのブログを見たら、「あの戦争で日本が勝っていたら」を考えてみたくなりました。物議をかもしそうですが、私なりに想像してみます。
 まず全面勝利、たとえばアメリカ全土の占領などは不可能なので、「勝っていた」よりも、上手な外交で「負けなかった」方が可能性がありました。ドイツと同盟せずに戦力を温存し、中国大陸から一時撤兵すれば、アメリカと戦わずに済んだでしょう。その状態で第2次世界大戦が終了すれば、日本は米ソに次ぐ第3勢力の筆頭国になった筈です。戦後の復興需要で経済的にも存在感を大きくしたでしょう。もちろん朝鮮、台湾、南洋、千島、樺太の南半分を領有し、満州国を保護国としたままです。地図の上では現在よりも5割ほど大きな国だったわけですが、そこに住む日本の国民には、どんな生活が訪れたでしょうか。
 軍国主義は健在ですから、軍備は拡張に次ぐ拡張です。兵役の義務は強化され、男子の全員は平時でも5年程度の軍務につくことになったでしょう。台湾や朝鮮にも、内地と同じ徴兵制が施行されたに違いなく、それへの反発を抑えるために、治安対策は「皇民化教育」とともに強化されたでしょう。内地でも国粋主義の教育が徹底されて、天皇を戴く「神の国の民」として世界を指導するのが日本人の使命だと強調され、それと違う考え方は危険思想として厳しい取り締まりを受けて、従わなければ処罰されたでしょう。
 私はこのテーマを06年4月2日から「大日本帝国の生存」の題で8回にわたって書きましたから、それを参照していただけると有難いのですが、要するに世界への覇権と引き換えに、絶え間なく緊張を強いられる軍事国家になった可能性が高いと思います。そしてアメリカおよびソ連と対立する中で、日本の国粋主義が、アメリカの「自由・民主主義」やソ連の「社会主義」と競合して勝てる可能性は、アジアにおいてさえ、非常に小さかったように思います。
 さらに、原子力やコンピューターの開発競争の時代になったときに、旧日本型の硬直した官僚組織が、うまく対応できたかどうかも大いに疑問です。国際性のない価値観に固まり、武力だけは強くても諸外国から信頼されず、膨大な兵力を海外に出して「生命線」の維持に固執する一方で、国民生活は意外に貧しいままという、あまり明るくない想像図になるのですが、どうでしょうか。

おじいちゃんの書き置き・66

(第6章 宗教とは何か)

人は何によって生きるか

 人はパンのみにて生きるのではない、神の言葉により生きるのである、という言葉が聖書の中にあったと思うが、人はなぜ宗教を求めるのだろうか。
 食物をと摂っていれば生命の維持はできるし、本を読めば知識を増やすこともできる。家族や仲間がいれば淋しくないし、助け合うこともできる。それでもなお精神のよりどころがないと安心して生きている実感を持てないのはなぜなのだろう。
 一生を通しての長い時間だけでなく、ほんの短い時間の中でも同じ現象は起こる。何もする必要のない自由な時間を、私たちはあまり好まない。たとえば理由を知らされずにただ待たされている時間などは苦痛でさえある。それよりも何か目標をもっている時間、たとえばあこが憧れていた目的地へ向かう旅の途中などは、忙しく苦労があっても充実している。要するに人間は、過去と未来を結ぶ線の上に、今の自分が正しく乗っていると思えないと幸せになれないのだ。人生行路の長い旅の中でも自分の位置づけを安定させておきたい、そのために宗教が必要になるのではなかろうか。
 信じる宗教があり神があれば、自分がどこへ向かっているのかを、いつも確かめることができる。正しい道に従っていると思えれば安心だし、道から外れかかっていると思えば反省し努力する動機になる。宗教はまさに人生のらしんばん羅針盤の役目を果たしてくれるのだ。さらに世界の多くの人たちは、生まれ育った家庭の中で、いずれかの宗教を身につけて成人する。特段の不都合がなければ、身についている宗教を信じて人生を送るのは自然なことである。宗教に従順な人たちの目から見れば、無神論者というのは、たしかに不気味な、信用のできない人たちのように見えることだろう。
 私の少年期、青年期の精神的不安定も、自分の家庭にしっかりした宗教があったら、かなり軽減されたのではないかと思う。しかし今、私は七十年の人生をかけて身につけてきた、生きていく上での自分の信念を、ひそかに誇りとしている。私はどの宗教の信者にもならなかったが、ひといちばい人一倍宗教に関心を持ち、そこから多くの貴重なしさ示唆を得たと思っている。その意味でなら、私は決して無神論者ではない。
 既成の宗教によらなくても、強い信念を持って生涯を貫く人は少なくない。かつてはマルクス・レーニン主義を、近くは博愛的人道主義を、あるいは地球の未来を見通す自然との調和を、人生の信条として守りつづけた人、これからも守りつづける人たちがいる。この人たちは一人ひとりが教祖のような強さを持っている。こうした強い信念と宗教との間に、本質的な違いがあるとは私は思わない。
 四大宗教の信者であろうとなかろうと、人間はそれぞれに価値基準と目標をもって前へ進む。動物として健康に生きているだけでは人間は幸せになれない。人間とは、それほどまでに、ぜいたくな生きものなのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


「親米と反米」を読む

吉見俊哉の「親米と反米」(副題・戦後日本の政治的無意識・岩波新書)を読みました。戦前・戦中を含む長い日米関係の歴史を踏まえて、私たちの無意識にも浸透している「内なるアメリカ」に改めて気づかせてくれる本でした。象徴として精密に検証されているのが、戦後日本でもっとも有名になった、マッカーサーと天皇が並んで撮影された、天皇が総司令官を最初に訪問したときの記念写真です。この写真で略軍装のマッカーサーは両手を腰に当てて、足も少し開いているのに対して、昭和天皇は正装して直立不動の姿勢です。日本の主権者が交代したことを国民に知らせた衝撃的な写真だったのですが、著者はこれを「日米の抱擁」の予告でもあったという視点で紹介しています。
 周知のようにマッカーサーは日本を民主化し、二度と戦争をしない国にする憲法を発想するとともに、天皇を頂点とする日本の統治機構は温存しようとしました。それがアメリカの国益であったからです。アメリカと敵対さえしなければ、日本は信頼できる有力な国であり続けて欲しかった。そこから旧来の日本との「抱擁」が始まるのです。東西冷戦の構造も、追い風になりました。この文脈で考えると、日本における反米勢力、ひいては「革新政党」が、ついに多数派になれずに終った事情が、よくわかる気がします。
 戦後の日本で、アメリカの影響力は圧倒的でした。それは軍事ばかりでなく、音楽、映画、ファッション、ライフスタイルに至るまで、人間生活のすべてを覆っていました。その中で「反米」を貫くのは、明治維新と文明開化を押し戻すのと同じ位に難しいことだったのです。そこではナショナリズムでさえ、反米と直結することは不可能でした。わずかに反権力的になったのは、土地を奪われた農民たちの「基地反対・反米闘争」などに限定される結果になりました。
 その中でも、安保反対闘争からベトナム反戦運動にかけては、反米闘争は一定の高まりを見せ、そこにはインターナショナリズムへの萌芽があったと解説されています。その後の日本は保守体制への回帰を強めて今に至っているのですが、現在のアメリカを私たちが批判するとき、それは私たち自身への批判を含まなければ説得力を持たないでしょう。「内なるアメリカ」を超えた「人類」の視点からアメリカを批判し、アメリカを変えることが、私たちの使命ではないかと思いました。

おじいちゃんの書き置き・65

(第6章 宗教とは何か)

世界宗教の共通点

 世界にはさまざまな宗教があるが、千年以上も存続して、国境を超えて普及した世界宗教には、いくつかの共通点があるように思われる。
 第一は、人間を超えた絶対者を認めている。キリスト教とイスラム教が、万物の創造者である唯一絶対の神を信仰の中心に置いていることは明らかである。仏教では「空」の思想ということになるが、人間のはかなさ、小ささからの脱却の先にある悟りの境地を示している。儒教では「天」だが、これまた動かしがたい運命として、人間の上にある。いずれにしても、人間の限界を知ることが宗教の第一歩である。
 第二は、絶対者の基準による善と悪とを区別する。キリスト教とイスラム教では、神の意志に沿うことが善であり、神の意志にそむ背くことが悪である。神の意志は、人を愛し助けること、誠実であること、勤勉であることなどである。仏教では殺生をしない、権勢におごらない、蓄財に心を奪われず喜捨するなどが大切な徳目になる。儒教は日々に学び修養を積み、仁愛の心を育てることを生きる目標とする。
 第三は、善を広め悪と戦うことを求める。人間は心弱く、種々の誘惑に負けやすい存在であるから、不断に反省して正しい道に立ちかえるように努めなければならない。この点ではすべての宗教が同じ趣旨のことを教えている。ただしイスラム教はやや戦闘的で、神をおか冒すものに対する聖戦への参加を求めている。しかし神を守るという防御的な戦いであることに注意する必要がある。これはまた、イスラム教が砂漠地帯という厳しい自然環境の地域で成立したこと、及びムハンマドが戦いの勝利者だったことと関係があろう。
 第四は、教団を維持するための若干の規則(かいりつ戒律)がある。専任の宗教者(出家者)に対するものは別として、もっとも戒律の少ないのは儒教であろう。仏教も、日本では在家信者の戒律は、ほとんど無いに等しい。キリスト教には日曜礼拝などがあるようである。もっとも厳しい戒律をいまも守っているのはイスラム教である。毎日五回の礼拝、断食月(日の出から日没までの間は飲食しない)の戒律、豚肉を食べないなどは、発祥の地から遠く離れたインドネシアのムスリムも忠実に守っている。
 このように考えてくると、世界宗教には多くの共通点があって、互いに相容れない要素は意外なほど少ないように思われる。世界の平和を話し合うための「世界宗教者会議」が開催されたのも、世界の宗教が平和的に共存できることを十分に示している。さらにふそん不遜な発想だが、世界の宗教から良質な部分をちゅうしゅつ抽出した「グローバル宗教」を組み立てることも、理屈の上では不可能ではないかもしれない。だがそれは誰が教祖となって、どのように世界に布教することになるのだろうか。世界の宗教には、それぞれに二千年の歴史がある。互いに尊重され、協力できることは協力しながら平和共存の道を進むことが、人類にとって、もっとも幸せな未来だろう。
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年金記録復活体験記

社会保険庁が管轄する年金記録の信頼性が、改めて大きな問題になっていますが、自分の場合も「知らずにいれば消された」かもしれない記録があったことを思い出しました。私の職歴はかなり複雑で、覚えているだけで7回は転職していますから、社会保険も複雑です。昭和33年に家を出て最初に就職したのが小さな業界紙でしたが、そこで健康保険・厚生年金の被保険者になりました。しかしその後にアルバイトと失業の期間があり、NHKに就職したときは、履歴書で最初の職歴は隠していました。
 NHKから家業に戻ったときは社会保険は継続しましたが、2回目の家出と失業・アルバイトで、しばらくは無保険状態が続くことになりました。しかし子供たちを育てる時期でもあり、健康保険がないのは不安なので、区役所に届け出て、国民健保と国民年金に加入しました。このとき、期間は忘れましたが、過去にさかのぼった保険料を納めた記憶があります。自営の仕事を立ち上げて、何とか本業としてやれる目途がつき、株式会社を設立してからも、しばらくは国民年金のままでした。当時は従業員5名以下は、厚生年金に加入する義務はなかったのです。しかし社員の安心感を考えて、1991年から健康保険・厚生年金に加入しました。それ以後は安定して今に至っています。
 その状態で私の年金支給開始の満60歳が近づいてきました。このとき保険に明るい知人がいて、自分の年金がどうなっているか、社会保険事務所で確かめることを強くすすめられました。行ってみて、自分の厚生年金はNHKから始まっている筈だと申告すると、どうも違うのです。その場で検索して、記録を発見して貰いました。さらに、その前の業界紙のことを思い出して話すと、それも発見されました。企業名と就職年月と姓名で発見されるので、さすがにたいしたものだと、その時は思いました。結果として、私の被保険者番号は、見ている前で2回変更になりました。
 今にして思うと、あの時に調べなければ、私の古い記録も「宙に浮いた」ままだったのかもしれません。不完全な事務処理をしておいて、本人の申告がなければ訂正もしないという仕事ぶりのいいかげんさに、今回の報道で改めて驚いています。

おじいちゃんの書き置き・64

(第6章 宗教とは何か)

ムハンマドとイスラム教

 イスラム教の創始者となったムハンマド(マホメット)は六世紀にアラビア半島西岸のメッカで生まれた。当時はユダヤ教やキリスト教の源流である一神教はすでに知られていたが、アラビアはまだどちらの勢力圏にも入っていなかった。ムハンマドの前半生は、やや裕福な一介の市民だったが、四十歳のときに山中で神の啓示を受け、自分が預言者であることを知らされた。預言者とは、唯一絶対の神が教えを伝えるために、人間の世につか遣わす使徒のことである。その絶対神は、アラビアではアラーと呼ばれたが、じつはユダヤ教のヤハウェと同一の神であった。だからムハンマドを預言者として伝えられたイスラム教は、イエスを預言者として伝えられたキリスト教と兄弟の関係にある。ただしコーランはムハンマドを二十五人いた預言者の最後で最重要の使徒と位置づけている。
 ムハンマドに伝えられた教えの骨子は、この世のすべては神の創造物であること、神に対する感謝を忘れないこと、人間同士助け合いきしゃ喜捨すること、そして神に従わなければ終末が近く、ムハンマドはそれを警告するために遣わされた、というものだった。啓示に従ってムハンマドは伝道を始めたが、地元のメッカでは、なかなか受け入れられなかった。北方の町メディナに移ってから、ようやく教団としての活動を始めることができた。
 ムハンマドはここで、政治的にも軍事的にも成功をおさめた。やがてメッカを征服してカーバ神殿の偶像を破壊し、そこをムスリム(イスラム教の帰依者)の聖地とすることができた。ムハンマドの名声は一気に高まり、アラビア半島の各部族は、先を争ってイスラム教を受け入れ、喜捨をさし出した。四大宗教の創始者の中で、ムハンマドはただ一人、成功した初代指導者として生涯を終ったのである。
 ムハンマドの後継者はカリフと呼ばれ、七世紀には、東は中央アジアから西は北アフリカとイベリア半島に至る広大な地域に勢力を広げた。ムハンマドの教えは聖典のコーランにまとめられて、今もイスラム法の根拠となっている。ムスリムにはぎょう行として、神の名をたた称えること、一日に五回の礼拝をすること、断食月の戒律を守ること、喜捨をし、聖戦に参加すること、一生に一度、メッカに巡礼することが求められる。
 現代のイスラム教は、世界的潮流となっている自由と民主主義、政治と宗教の分離、男女平等の基本的人権思想などとの調和に苦悩しているように見える。しかし、すべての創造者である神を認めることでは、キリスト教と同根である。「テロに対する十字軍」を呼びかけるときの神と、「神は偉大なり」を叫んで自爆するテロリストの神が、同じ神であるのは人類最大の不幸と言うしかない。もし神がもう一度、現代の人類に預言者を遣わすとしたら、どんな教えを伝えてくれるのだろうか。
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空腹を知らない子供たち

うたのすけさんのブログの5月22日に、集団疎開中の学童が、深夜にリヤカーでヤミ米を運ぶ話が出ていました。疎開先の旅館の主人が、子供たちの空腹を少しでも満たそうと、農家に頼んで米を融通して貰い、それを運んだ子供たちの嬉しかった思い出が綴られていました。深夜の行動の緊張感、そして思いがけずにご馳走になった、あんころもちの味。信じられないような嬉しさが、私には痛いようにわかります。
 生存の基本となる食欲を、私たちは毎日、いやというほど感じながら育ちました。その感覚は一生消えません。台所の片づけで、今でも私は、こびりついた飯つぶを口に運んでから、しゃもじを洗います。飯つぶのまま捨てることはできません。缶詰を1個あければ、それだけでご馳走という感覚は、今も残っています。食べ物に好き嫌いは一切なく、自分のために盛られたものは残しません。
 数日前に、今の子供たちの体位のことが新聞に出ていました。肥満児が増えつづける一方で、やせ過ぎの子供たちも増えているそうです。結果として健康児の比率が下がっているということでした。やせ過ぎは食糧不足ではなく、好き嫌いと食欲不振の結果でしょう。だからいま「食育」が大切なのだそうです。そこで思ったのは、今の子供たちには空腹の経験が少ないのではないかということです。空腹の前に食べ物を与えられれば、食べることは「権利」ではなくて「義務」になってしまいます。受け身の「義務」になったら、健康な食欲は育たないでしょう。空腹になる前に先回りして与える食物が、子供の食欲の発達を妨げる場合があるのではないでしょうか。
 以前に聞いた話ですが、動物園で猛獣を飼育するとき、週に1日は餌を与えないそうです。空腹を経験させないと、食欲を失って早死にするということでした。人間も相当な猛獣ですから、食物の大切さを話して聞かせるだけでは効果は限定的でしょう。実際に空腹を経験させ、食べ物の本当のおいしさ、有難さを経験させることは、必要なのではないでしょうか。それはたぶん、幼児期においてでしょう。私は娘たちを育てる過程でそれを提案したのですが、妻の全面的な同意は得られませんでした。そして今、食べ物に好き嫌いのある家族が出現しつつあることを憂えています。
 この話、「与えられた自由と民主主義」が、なかなか日本に根づかないことと、どこか似ているような気がします。

おじいちゃんの書き置き・63

(第6章 宗教とは何か)
 
キリスト教の発展と世界

 キリスト教はその成立の事情からしても、ローマ帝国にとっては危険な思想であったから、初期の三百年にわたってくりかえし弾圧を受けた。しかし使徒たちの熱心な伝道と大衆の根強い支持によって、しだいに領内における共通宗教になって行った。そして四世紀以後は、ローマ帝国によって公認され、やがて政治と宗教を一体化した布教活動が進められるまでになった。ローマ帝国が東西に分裂すると、キリスト教も東方ではギリシャ正教につながる流れになり、西方はローマ・カトリックとなった。
 西ローマ帝国は五世紀に滅びたが、ローマ教皇はその後も高い権威を持ちつづけた。むしろ国王が国の盛衰とともに流転するのに対して、教皇は政治的にも文化的にも指導的な役割を果たすことが多かった。キリスト教が政治体制に組み込まれて発展したことは、布教や文化、芸術の上では大いに有利だったが、一面で必然的に権力構造を発達させ、人間の自由な発想や活動を抑圧する組織となったことは、止むをえないことだった。ことにキリスト教が一神教であったことから、異教徒や組織内の異端者とされたものに対して加えたさまざまな圧迫は、無視することはできない。
 十一世紀の十字軍によるエルサレムへの侵攻は失敗に終ったが、中世から近世初期にわたって猛威をふるった魔女裁判の記録などを読むと、当時の宗教裁判所は、思いつく限りの悪の元締めではないかと思うほどの嫌悪感を拭うことができない。地動説を撤回させられたガリレオの話は有名だが、無数の改革者や科学者が異端として葬り去られた。
 腐敗した教会に対する批判は、十六世紀の宗教改革を経てプロテスタント教会の成立となった。教皇の権威を否定し、聖書に基づく信仰を中心として教会を再構築しようとする運動だった。プロテスタントとの競合によってカトリツク教会の改革も進み、折からの大航海時代に乗って、全世界へ伝道師を派遣する活力を取り戻した。
 その後のキリスト教は、カトリックとプロテスタントが競い合いながら世界に伸びて行った。科学技術の先進国がいずれもキリスト教国であったことも幸いした。イギリスからの移住者が建設した新大陸のアメリカも、活発なキリスト教者の国になった。現代の世界は、キリスト教の価値観で動いているとさえ言うことができる。
 現代のキリスト教は、科学技術や近代的政治体制とも共存できる柔軟性を身につけながら、いまなお西欧先進国国民の精神的支柱である。国境を超える医療や教育の分野におけるNGОのボランティア活動なども、キリスト教に負うところが多い。人間への愛が異教徒にも及び、唯一絶対の神への信仰が、異なる宗教や無宗教への寛容を妨げないならば、キリスト教はこれからも有力な世界宗教であり続けるだろう。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

私の「新・資本論」(8)

資本の過剰な流動が実体経済に悪影響を及ぼすことは懸念されていて、さまざまな対策も考えられています。為替取引については「トービン税」の提案もありますし、株式投資でも、1年未満の短期の株式保有の場合には売却時に公的な課税をするなどの対策が考えられるでしょう。また杉浦ひとみさんのブログによると、イギリスの中堅信用金庫が、クラスター爆弾製造など非倫理的な行動をする企業には融資しない方針を公表したところ、顧客の支持を集めたという事例があるそうです。そのような努力に希望は感じますが、大勢として資本の論理が「行くところまで行き着い」たらどうなるか、シミュレーションしてみましょう。
 たとえば鉄鋼という一つの産業で世界制覇を成し遂げた資本グループが誕生したとします。その資本は鉄鋼だけに満足せず、次々に他の産業の買収に取りかかるでしょう。自由競争を徹底させれば、最終的には、世界のすべての産業を支配する、たった一つの資本グループが誕生することになります。それはまさに、経済的に世界に君臨する「世界帝国」の誕生です。今の国連の影の薄さを考え合わせると、国連が発展して世界連邦になるよりも、資本の力で世界国家が形成される方が、よほど可能性が高いように思われます。
 さて、そのような世界国家が完成したとき、資本はどうなるのでしょうか。そして意思決定は、権力構造は、どうなるのでしょうか。資本は買収する対象がなくなって行き場を失います。意思決定は個人の独裁ということはありますまい。ここまで成長する過程でも、株主の意向が資本を動かしてきた筈です。そして今は世界の国民が株主になりました。新しい投資先は、世界の国民の福祉の向上に使う以外に、使い道がなくなるのではありませんか。まるで喜劇のエンディングのように、「資本は人類の共同財産である」という理想が実現してしまいます。
 まことに楽天的な未来像ですが、この世界国家には激しい競争はありません。地球の資源を最も効果的に、無駄なく利用する方法を、落ち着いて研究することが可能になります。自由競争の終点は競争の終焉であった。資本主義の終着点と、社会主義の理想とは、終点まで来てみたら同じ場所であったという、おめでたいお話で、ここは終ることにしましょう。

おじいちゃんの書き置き・62

(第6章 宗教とは何か)

イエスとキリスト教

キリスト教はイエス・キリストを開祖とする宗教である、というと、少し違うのだ。旧約聖書に描かれる世界は、紀元前千年以上にもさかのぼる。それはユダヤ(イスラエル)の民が抱いた、この世のすべてはヤハウェ(エホバ)の神がつく創り給うたという、一神教に由来する。そのそうぞうしゅ創造主は、人間のために理想的な世界をつく創って与えたのだが、智恵を持つという原罪を犯した(アダムとイブが禁じられたりんご林檎を食べた)人間は、さまざまなあく悪ぎょう行によって神を裏切り続けた。しかし愛情深い神は人間を滅ぼし尽くすことなく、自らの姿を写した伝達者(預言者)を人間世界につか遣わすことを約束した。これだけの前史があって生まれたのがイエス・キリストだったのである。
 この前史からも明らかなように、キリスト教の特徴は、この世のすべてを創造し支配する絶対者の存在を認めることである。だからイエスも自分を「神の使徒」と自覚していた。ただしイエスは、神の存在を、人間に具体的に知らしめるために、ただ一回だけつか遣わされた特別な使徒なのであった。イエスが自分の使命を知り自覚的に行動したのは、三十歳頃からの三年間に過ぎなかったと言われる。その間にイエスは神の教えを語り、数々の奇跡を起こし、神の教えを広く伝える使徒たちを選んだ。
 イエスの語る言葉は新鮮であり、その行動は確信に満ちていたから、それに触れた人々は心からその指導に従った。イエスは形式化していたユダヤ教の神殿礼拝などよりも、神の教えに直接に耳を傾けることを説いたのである。しかしその急進性は、伝統的なユダヤ教聖職者にとっても脅威と感じられた。イエスが本当に神の約束した使徒であるのかどうかも、イエスを信じるか信じないかの問題なのだった。イエスが生まれ活動したパレスチナの地は、当時はローマ帝国の支配下にあった。イエスは反乱を企てたという罪名を着せられて、ローマの官憲に引き渡され、処刑の十字架にかけられた。
 埋葬されたイエスは三日後に復活し、四十日間地上にとどまって、弟子たちと最後の言葉を交わした後に昇天したと言われる。この最後の奇跡が弟子たちを勇気づけ、伝道の使命を自覚させた。弟子たちはペトロを中心にでしだん弟子団を結成して、イエスこそが真の救い主メシア・キリストであったことを確認した。こうして最初のキリスト教会が誕生した。イエスとその弟子たちの言行をまとめたものが、新約聖書である。
 ユダヤ教は今もイスラエルの民の宗教として存続している。キリスト教はユダヤ教の神を引き継ぎながらも、ユダヤ教の改革のみにはとどまらなかった。神の愛がこの世のすべてを創り、人間は罪多いものではあるが、神の教えに従うならば神の愛によって救われると説くキリスト教は、世界宗教として歩みはじめたのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

替え歌名人の近作

先日話題になった、浅草・三社祭で、御輿に飛び乗るのを禁止したが、やはり掟破りが現れたというニュースを、いくたまきさんが替え歌にしていました。元歌は、さいとう大三作詞の「てんとう虫のサンバ」です。これが「伝統無視の三社」になっていました。

あんなに禁止と言ったのに (あなたと私が夢の国)
盛り上がるのか超軽く   (森の小さな教会で)
結局神輿に乗りました   (結婚式をあげました)
乗ってるあなたは無視だから(照れてるあなたに虫たちが)
クライマックスはやし立て (くちづけせよとはやしたて)
ずーっとあなたは乗りました(そっとあなたはくれました)
裸や白の衣装を着けた   (赤青黄色の衣装をつけた)
伝統無視がしゃしゃり出て (てんとう虫がしゃしゃり出て)
三社に合わせて踊ってる  (サンバに合わせて踊り出す)
相次ぐ負担は止めたいの  (愛する二人に鳥たちも)
来年からはダメかもと   (赤いリボンの花束と)
宮のクレーム付きました  (愛のくちづけくれました)

原詩と並べてみると、替え歌の巧みさが、いっそうよくわかります。こういう替え歌を、鋭い社会批評も含めて、次から次へと発表し続けているバイタリティーと才能は、並のものではないと思っています。ただしご本人は歌うのは苦手だそうで、「シンガー募集」のコメントを出していました。これまでの作品は1年ごとに自家製の歌集にまとめられていますから、すでに膨大な数になっているでしょう。ホームページの隅に並べてあるだけでは、もったいない気がします。 
 正式に使うとなると著作権の処理が必要な場合も出てきますが、まずは街頭のライブかラジオ番組か、とにかく「歌」として定期的に流す場ができないものかと思います。
(追記)お神輿に人が乗ることについて、神主さんの親切な解説が出ています。

おじいちゃんの書き置き・61

(第6章 宗教とは何か)

孔子と儒教

 儒教を宗教の一つに数えるのは、異論のある人もいるかもしれない。宗教の定義を超越的絶対者に対するきえ帰依と考えると、孔子の教えはあまりに人間臭くて宗教的なすうこう崇高さに欠ける面はある。しかし「天」という大きなものに沿って人間の踏むべき道をきわめようとし、開祖を中心に教団を結成して修養を積むことに努めた点は、まさに宗教である。事実、漢をはじめ歴代の中国の王朝は儒教を国教として扱い、その地位は清朝の末まで続いた。儒教は長く政治システムに利用されたために、革命以後は封建的思想として排撃されることになったが、その影響は中国、朝鮮半島、そして日本にいまも色濃く残っている。
 孔子は天の啓示を受けてある日突然に教祖になったのではなかった。よく学び、よく思い、自分を高めることで周囲の人間を導き、まずは自分の家を整え、やがて自分の住む国を整え、ついには天下に正しい政治を行き渡らせことを理想とした。自分を高めることから出発して周囲を高めて行くというのが、孔子の特徴的な考え方である。だから「天」の思想も、思索を重ねた末にたどりついた終着点だったのである。
 孔子の思想の出発点にあるのは「じん仁」である。それは人を愛することであると、孔子自らが「論語」の中で述べている。そこには人間の善意に対する、ゆるぎない信頼がある。その「仁」を実践することが儒教における道徳の基本になっているのである。その仁に基づき知性をもって行動できる人が「くんし君子」となる。論語の中には君子であることの条件がさまざまに説明されているが、論語は体系的に編集されていないので、全編にちりばめられている例話の中から拾い出さなければならない。「君子はこみち徑を行かず(大道を行く)」「君子はひょうへん豹変す(過ちは直ちになおす)」「人知らずしていきどお慍らず、また君子ならざるや(他人に知られなくても恨まない)」などは私の好きな言葉である。
 君子は自らを高めることに努めるとともに、周囲にじん仁とく徳を広げて行くのが使命である。しかし力に頼ってそれをするのではない。世が乱れれば隠れて身を守り、いんとく陰徳を積みながら機会を待つしなやかさも求められる。それが戦乱の世に生きた孔子の智恵でもあった。しかしながら、理想はあくまでも天下に仁徳の政治を普及することだった。
 政治は秩序であるから「礼」を重んじる。それは定型化された儀式を重んじることだけではない。時と場合に応じてもっとも適切で美しい行動ができること、現代の言葉で言えばよいバランス感覚を身につけることを含んでいる。
 人を愛することを基本に、高い知性をもって自らを正し、仁徳を周囲に及ぼし、天下の平安を実現することこそ君子の進むべき道である。孔子の教えによれば、正しい政治こそが最高にして最大の愛情の表現なのだ。そこに孔子の思想の現代的な意味がある。
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私の「新・資本論」(7)

最近の新聞の解説に、目立たない記事でしたが「ファンド資本主義」という言葉がありました。現代の経済の状況を象徴しているようで、印象に残りました。その少し前には「敵対的買収を阻止せよ」という題名のテレビ番組で、新日鉄の社長が国際巨大資本による買収に備えて、奔走する姿が特集されていました。そして昨年に、世界第1位の鉄鋼メーカーであるミッタルが、第2位のアルセロールを買収して、世界戦略を進めている現状がレポートされていました。その中心人物であるインド人のミッタル氏が、自分では一つも鉄鋼の会社を作ったことがなく、買収を重ねて世界一の鉄鋼王になったというのですから驚きました。
 ここから読み取れるのは、鉄鋼のような基幹産業であっても、技術力、販売力といった実体経済よりも、資本の流動の方が支配力が強くなっているという事実です。資本主義の恩恵を受けて成長してきた近代産業ですが、いまや産業のための資本ではなくて、資本のための産業へと、力関係が逆転しつつあるように見えます。資本優位の発想によれば、支配力が強いほど利益は確実になりますから、目標は世界市場の独占になるのは必然でしょう。一国の中では独占禁止法があって自由競争を保障してきましたが、世界規模では独占を抑止するメカニズムは存在するのでしょうか。専門家のご教示をお願いしたいところです。
 ところで現代の資本の支配者は誰なのでしょうか。巨大な資本家という「個人の悪玉」で現状を説明するのは無理のような気がします。投機に集まるヘッジファンドの中身には、利殖を目的として寄せられた、無数の零細な個人投資家の資金も入っている筈です。会社の買収劇で株価が乱高下するとき、値上がりした株を売って利益を手にしようとする個人株主たちは、自分の行動が会社の運命を左右することについては、あまり深く考えないのではないでしょうか。だいたい、株を買うことの意味が、「有望な会社に資本を提供して、その利益を配当として受け取る」という本来の目的から、大きく外れているのが現状でしょう。すべては、常に利殖を図ることを本分とする「資本の論理」から出てくる現象と考えるべきです。問題は、それがグローバル化した世界と人間を、どこへ連れて行くのか、ということです。

おじいちゃんの書き置き・60

(第6章 宗教とは何か)

現代人と仏教

 日本に渡来した仏教は、当時の先進国である中国の文化の重要な部分として受け入れられた。時の権力者の保護を受けながら、壮大な建築や仏像もつくられた。経典は最先端の思想を学ぶ学術書でもあった。ところが当時の仏教がそのまま日本仏教の本流にはならなかった。大和時代の仏教建築を代表する興福寺、薬師寺、そして当初の法隆寺も、みなほっそうしゅう法相宗の寺である。今の日本人で、法相宗の信者という人は少ないのではないか。
 日本で大衆に受け入れられた仏教は、すべて死後の成仏を説き、死者を弔うことをおもな任務としている。そこから「葬式仏教」という、あまり名誉でない言葉も生まれた。しかし仏教が葬式という社会に必要な機能を果たしてきたことは重要である。仏教の概説書を読んでいて「僧侶にとって、葬式はほとんど唯一の正業であった」という記述にぶつかったことがあるが、だからこそ仏教が存続できたことも事実だろう。
 現代の日本人の多くは、葬式を中心とする「ぶつじ仏事」以外では寺とかかわりをもたない。しかし釈迦が望んだことは悟りによって人をよりよく生かすことだった筈である。せめて葬式のときの読経を、耳から聞いて内容のわかる現代日本語にして貰いたいと私は思う。さらに私たちはいま、釈迦の時代にはなかった多くのことを知っている。素粒子の理論を知ったことは一つのプラスの面だが、人の世の無常や人間の愚かさというマイナスの面でも、繰り返された世界大戦、核兵器の恐怖、人間を爆弾と化する憎悪の深さまで、人間の悩みの深さは釈迦の時代を超えているのではあるまいか。私がひたすらに思うのは、釈迦が今のこの世のありさまを見たら、何を語ってくれるだろうかということである。
 おそらく釈迦は少しも驚かずに、現代の世界の現象について,そのすべてを即座に理解することだろう。そして救いを求める者たちに、釈迦が生きた時代と同じように、おだやかな言葉で語り始めるに違いない。その内容は……。究極の真理である「空」を悟った釈迦に、違う答えがある筈がないのだ。
 知をきわめた者は物欲の奴隷となることはない。どんな形の権力にも頼ることがない。あらゆる種類の差別から自由である。そして宇宙と溶け合った安らぎの中にいる。なぜなら、この世のすべてが「空」であることを知っているからだ。そしてこれこそが、創始以来不変の、仏教の本質なのである。仏教は歴史的にも、他の宗教を非難攻撃したことがない。仏教の基盤が、すべての人間に共通の、宇宙の真理に置かれているからである。
 釈迦の悟りが、いま私たちに呼びかけているもの、それは物欲からの脱却、全人類に及ぶ人間愛、そして自然との調和である。
 死に臨んで釈迦は弟子たちに言った。「時は過ぎ行く、怠らず勤めよ。」
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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