この5月26日に「年金記録復活体験記」を書きましたが、その後わかったことを補足します。私の疑問は、もし自分で(1994年頃に)社会保険事務所へ調べに行かなかったら、過去の2つの厚生年金記録は、統合されないまま放置されたのだろうかということでした。これについては、新聞の解説記事によると、1997年1月に10ケタの「基礎年金番号」を導入したとき、社保庁が自主的に統合していたことがわかりました。ですから私の場合も、それで救済された可能性があります。ただし、そのときは「氏名、生年月日、性別、住所が一致する複数の記録は統合」したそうですから、住所は移動しているので、機械的な事務処理では、見逃されたのではないかという不安は拭えません。
問題は、私のように問題意識を持って調べに行かなかった人はどうなったかということです。社保庁は1997年から「他に記録を持っている人はお知らせください」と呼びかけたというのですが、そんな呼びかけがあったかどうか、私には記憶がありません。しかも私は社員の社会保険関係の事務を、一貫して全部自分で担当していたのですから、他の人よりは、そういう文書には敏感だった筈です。それでも記憶にないのは、知らせがあったにしても、基礎年金番号の通知に付随する簡単な注意書き程度だったのではないでしょうか。役所の論理では、呼びかけはした、あとは返答のあった人の記録だけ調べればいい、ということになったのでしょう。
宙に浮いた年金記録が5千万件というのは衝撃的な数字でした。しかし受給年齢前に死んだ人もいるでしょうし、全国民の半数の記録が怪しいと騒ぎ立てるのは、短絡的だろうと思います。それにしても、少し前には保険会社の保険金不払い問題が起こって、生命保険に対する信頼が大きくゆらぎました。国の主導で、保険料を強制的に徴収している公的年金の事務管理が、正確で公平でなければならないのは当り前です。その当り前が守られなかった責任が、政権の側にあることも明らかです。
年金問題が、にわかに参議院選挙を前にした政治上の争点になってしまいました。5年間の時効を、とりあえず撤廃する法案をどうするかなど、戦術上の上手、下手に目を奪われそうですが、「金持ちクラブ」から出発した日本の公的年金制度を、格差の時代から国民を守る皆保険制度に変えて行く、大きな流れを見失わないようにしたいものです。
問題は、私のように問題意識を持って調べに行かなかった人はどうなったかということです。社保庁は1997年から「他に記録を持っている人はお知らせください」と呼びかけたというのですが、そんな呼びかけがあったかどうか、私には記憶がありません。しかも私は社員の社会保険関係の事務を、一貫して全部自分で担当していたのですから、他の人よりは、そういう文書には敏感だった筈です。それでも記憶にないのは、知らせがあったにしても、基礎年金番号の通知に付随する簡単な注意書き程度だったのではないでしょうか。役所の論理では、呼びかけはした、あとは返答のあった人の記録だけ調べればいい、ということになったのでしょう。
宙に浮いた年金記録が5千万件というのは衝撃的な数字でした。しかし受給年齢前に死んだ人もいるでしょうし、全国民の半数の記録が怪しいと騒ぎ立てるのは、短絡的だろうと思います。それにしても、少し前には保険会社の保険金不払い問題が起こって、生命保険に対する信頼が大きくゆらぎました。国の主導で、保険料を強制的に徴収している公的年金の事務管理が、正確で公平でなければならないのは当り前です。その当り前が守られなかった責任が、政権の側にあることも明らかです。
年金問題が、にわかに参議院選挙を前にした政治上の争点になってしまいました。5年間の時効を、とりあえず撤廃する法案をどうするかなど、戦術上の上手、下手に目を奪われそうですが、「金持ちクラブ」から出発した日本の公的年金制度を、格差の時代から国民を守る皆保険制度に変えて行く、大きな流れを見失わないようにしたいものです。