志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2007年07月

ある兵士の祈り

 ある兵士の祈り

    訳詞・志村建世
    原作者不詳・南北戦争で廃疾となった南軍兵士が残した言葉と伝えられる

神様お願い 力がほしい なんでもできる強い人に
けれども私は弱くされた 謙虚にしたがう人になれと

神様お願い 健康にして 大きな仕事ができるように
けれども私は病気にされた もっと良いことしなさいと

神様お願い お金がほしい 幸せになるそのために
けれども私は貧しくされた もっと賢くなるために

神様お願い 才能がほしい 世間のみんなが褒めるような
けれども私は無能にされた 神の助けを待つように

神様お願い すべてがほしい 毎日楽しく暮らすために
そうして私は与えてもらった すべてを受け止め生きることを

欲しかったものはすべて消えたが 私の望みは満たされた
気がつかなかった本当の願いは 神の心で かなえられた
この世の誰にも まさる幸せ 祝福された私がいます

I asked God for strength, that I might achieve.
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do great things.
I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy.
I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men.
I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life.
I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am, among men, most richly blessed!

   --- Attributed to an unknown Confederate soldier             

 この歌詞に、曲がつかないでしょうか。理想的には、日本語でも英語でも歌える曲だといいのですが。こんにゃく座の萩京子さんに作曲していただいて、オペラコンサートのどこかで使っていただけないかと、ふと考えました。

マスコミは選挙の予想をするな

公職選挙法の第138条の3に「(当選者を)予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない。」と規定されているのをご存知ですか。それにしては、最近の選挙では、精密な事前の当落予想が当然のようにマスコミで取り上げられています。この問題は過去には話題になったことがあると思いますが、最近は議論もされなくなりました。調査方法の進歩とともに、予測の精度は、ますます高くなっているようです。予測を発表する側の言い訳としては、世論調査は人気投票ではない、それに情勢を客観的に報道しているだけだというのでしょうが、それで済む問題でしょうか。
 人気投票を禁じた趣旨は、事前に誰が人気を集めているかがわかってしまったら、有権者の投票に影響するからいけない、ということであるのは明らかです。誰でも自分の投票が死票になるのは好みません。その人を当選させたいから投票するので、見込みがないと思えば、次善の人に変えてみようとか、あるいは選挙そのものに興味をなくして棄権してしまうでしょう。これは対象が個人でなくて、政党や政党に準じる団体であっても同じことです。こうして有利なものはますます有利に、そして新規参入のハードルは、ますます高くなります。
 「しかしまだ4割の人は態度を決めていないので、情勢が大きく変る可能性がある」などと、免罪符のように最後につけ加えるのが流行っていますが、結果的には、残った4割の無党派を、棄権させるのに役立っているだけでしょう。こんな報道には弊害しかありません。
 選挙についてマスコミがすべき仕事は、誰が、どの党が、どんな主張をしていて、その主張にどれほどの信頼性があるのかを、くわしく公平に有権者に知らせることです。その使命を、マスコミは今回の参院選で、忠実に果たしたと言えるでしょうか。派手な話題になる政治ショーの部分に集中しすぎて、もっと多様な問題があり、もっと多様な主張の候補者がいることを、発掘してでも伝えようとするような使命感は、忘れられたのではなかったでしょうか。
 マスコミは本来の仕事に立ち返って、人気投票であろうとなかろうと、それに類する報道からは手を引くべきです。有権者の投票行動の分析は、開票後に、じっくりやればいいではありませんか。

クレド(ある兵士の祈り)

昨日予告した、宮崎カリタス修道女会の古木涼子シスターの「クレド(弱い者の信仰宣言)」をご紹介します。

作詞・作曲 古木涼子 
 原作者不詳・南北戦争で廃疾となった南軍兵士が残した言葉と伝えられる

1)成功を収めるために 神に力を願ったのに
  弱くなってしまった 謙遜を学ぶように
  偉大なことをするために 神に健康を願ったのに
  病気になってしまった 神の心に適うように
    私の願いは何一つ叶えられなかったけど
    希望した全てのことを 私は受けた

2)幸せになるために 神に富を願ったのに
  貧しくなってしまった 生きる厳しさ知るように
  弱い人を助けるために 神に権威を願ったのに
  無力になってしまった 神に頼ることを学ぶように
    神は私に必要なこと何もかも知っておられる
    希望した全てのことを 私は受けた

3)人に尊敬されるために 神に手柄を願ったのに
  ただ失敗に終わった 思い上がらないように
  聖なる人になるために 神に徳を願ったのに
  罪の醜さに泣いた 神の愛の深さ悟るように
    私の姿は変わらない 弱く何も出来ないけれど
    喜びに満ちあふれて 私は歌う


歌詞が自然に流れて、合唱であっても言葉の聞き取りやすい歌になっています。私はこれが収録されているCD「わたしをお使いください」を、宮崎カリタス修道女会の問合せ受付電話経由で、事情をお話して分けていただきました。会の活動のための資料ですから定価はありません。会への寄付として一口1000円ということでしたので、私は2000円を添付の振替用紙で寄付させていただきました。
 次回には、この曲を知らずに私が作った、直訳に近い「歌うための訳詞」をご紹介します。

↓「クレド(ある兵士の祈り)」は(1コーラスのみ)ここでお聞きください。


手放しでは喜べない

今回の参議院議員選挙の結果について、私の感想です。まず、58.64%という低い投票率に失望しました。それでも近年の中ではよい方だというのですから、下げ止まって、せめて70%程度が常識になるくらいまで回復してくれることを期待するしかありません。
 テレビの報道姿勢も問題で、出口調査をふりかざして先走り、投票率はどうだったのか、比例代表の諸団体の得票はどうかなどは、全く無視されつづけていました。エネルギー無駄使いの典型ではないかと思いました。
 開票結果で、よかったと思うことは2つです。まず、選挙による政権交代が不可能ではないことを実感させてくれました。次に、集票マシンとしての公明党の統制力に、限界が見えはじめたことです。しかし棄権した4割が参加していたら、もっと多様な選択があったろうにと、それが残念です。これでは「強制された2大政党制」の印象が拭えません。まして参議院には、党派に拘束されない良識ある人たちの場が欲しかったと思います。
 これからの政治はどうなるでしょうか。おそらく具体的には、あまり変らないでしょう。衆議院の3分の2を占める与党の優位は変りません。民主党は、魅力ある政策を参議院先議で提案することにより、次の総選挙での政権交代に期待をかけることになるでしょう。
 手放しでは喜べないが、現状を変える可能性は出てきた。しかし「2大政党の交代」が本当に機能するためには、もっと多くの人が政治を「自分のこと」と感じて参加しないといけないというのが、力不足の悔恨を込めた私の感想です。

グリフィンの祈り・その後

先日このブログで紹介し、皆様の情報もいただいた「ある兵士の祈り」について、詳細がわかってきましたのでご報告します。宮崎カリタス修道女会の古木涼子シスターから電話でお話を聞くことができて、大半の疑問が解消しました。
 まず、タイトルの「グリフィンの祈り」は、日本国内だけで一時的に用いられたもので、原詩に題名はなく、「(アメリカ南北戦争時の)南軍無名兵士の作と伝えられる」という但し書きがついているだけだったようです。これを日本語に翻訳した人が、G・グリフィン神父でした。内容は私が最初に紹介したのと同じ名訳ですこれはカトリックの内部資料としてのみ発表されたようです。この日本語詩は、渡辺和子氏の「愛をこめて生きる」(PHP文庫)にも無題で紹介されていますが、そこには「ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が詩を残している。」とコメントされています。アメリカ国内でも一部に伝承され、また、渡辺氏はそのグリフィン訳を知っておられたことになります。
 この本の存在を私は古木シスターから教えていただいたのですが、それとは別な資料で、古木シスターはこの詩を読み、その末尾にG・グリフィンと署名があったので、それを作者の名と思い、「グリフィンの祈り」として紹介した時期が、一時的にあったということです。これが日本版「グリフィンの祈り」の発祥でしょう。この詩に強く惹かれた古木シスターは、やがてこの詩を、活動の中で歌えるように作曲しました。その際に、字脚をそろえて改作詞し、1番から3番までの歌としました。この曲は、内容にふさわしい感動的な賛美歌となっています。次回にその歌詞と、録音の一部をご紹介しましょう。
 この曲は2002年に修道女会から発行されたCDに収録されました。その際に古木シスターはグリフィン神父を探し当てて、電話で直接に会話ができたそうです。そこでグリフィン神父の意向として、「自分は翻訳者であって作者ではないから「グリフィンの祈り」のタイトルは、ふさわしくない」ということになり、CDには「クレド(弱い者の信仰宣言)」と表示されています。クレドは「信仰告白」のラテン語だそうです。以上の経過から、私は今後この詩を「ある兵士の祈り」と呼びたいと思います。
(追記・グリフィン神父の訳詞以前、1980年代に、古木シスターはこの詩の別な日本語訳を、神学校の会報で読んだそうです。そのタイトルは「ある兵士の祈り」だったということです。)

投票に行こう

参議院選挙が終盤になりました。それぞれの候補者は、この暑い一日を、声をからして街から街へと行脚するのでしょう。さまざまの思いを込めた選挙戦も、あとしばらくで終りです。

 たまさかに出会う初日の選挙カー 手を振る君は町に分け入る

夢中で駆け回った候補者も、それを支えて働いた運動員も、はるかに意中の人を応援した支持者も、今夜の8時には「一つの終り」を実感することになります。
 その後は、有権者が投票をする番です。投票率は、どうなるのでしょうか。数日前の新聞によると、投票用紙は、有権者全員の分は用意されないのが慣例なのだそうです。使われない用紙は廃棄するしかありませんから、もちろん無駄になります。その無駄を少しでも省くために、9割程度の用意で済ませる選挙管理委員会が多いのだそうです。それでも投票率が90パーセントを超えることは、経験上考えられないので、不安を感じたことはない、しかし、100パーセント用意する原則を守っている自治体も少しはある、ということでした。
 今の日本では、国民の投票する権利は、その程度に見られているわけですが、これでいいのでしょうか。今日の新聞に、公明党幹部の発言として、「投票率が60パーセントを超えたら苦しい」「投票日は、外に出られないほど暑くなってくれたらいい」とありました。特定の人たちには、投票に行かない人が多いほど都合がいいのです。それは今までの政治が、一部の人たちにとって都合のいいように動かされてきたことと、表裏一体をなしています。
 私は、この選挙でも投票率が66パーセント、つまり3分の2を超えないようだったら、日本の政治に未来はないと思っています。投票率は、9割を超えたら異常なのではなくて、それが正常です。みんな、投票に行きましょう。

人間の記録の書き方

新しい連載が8日つづいて、最初の難関と思った1週間を突破しました。じつは始める前に、2回分の原稿は用意してありました。その1回目は予定通りに使ったのですが、当初の2回目の原稿は、たぶん明日掲載します。つまり1回と2回の間に、7回の予定外の原稿を書くことになりました。その書き方は、本当に毎日が締切日でした。そこで面白い経験をしました。ブログに掲載してしまうと、その部分は読者の立場で、客観的に読めるようなのです。そうすると、続きはどうなるのだという、読者のような興味が浮かんできて、次はこういうことを書くべきだという、テーマが浮かんできました。掲載済み分についてのコメントのやりとりも、もちろん大きく影響しました。
 前日の分を読み直しているうちに、次の話を思いつくというのは、たぶん「語り部」に近い感覚なのだろうと思います。そして自伝的な記録の書き方としては、どうも最適の方法のようです。ブログというツールを使い、「読者参加型」で書き進めるという方法は、うまく行くのではないかという予感があったのですが、それは当っていたと思います。ここまで来て、私は非常に楽になりました。
 私も旅行をするかもしれないし、いろいろなことに出会うでしょう。これから先は、自由にやらせていただきたいと思います。必要以上に自分を縛る「やせがまん」はやめて、自分を解放してみます。それでもなお私が1日1話を几帳面につづけるとしたら、それは好きでやっているのだと思ってください。お名前のわかる方も、わからない方も、読者との心のやりとりを力として、3部作の人間の記録を、最後まで書き上げてみます。最後まで、どうぞよろしくお願いいたします。

選挙報道の不公平

今回の参議院選挙について、9条ネットなどの政治団体の動きが気になっていました。しかし選挙が近づいても、テレビにも新聞にも、7政党以外の政治団体についての解説は、全く登場しませんでした。逆に、国民新党と新党日本の代表が、他の政党と同格の扱いで度々テレビに出てくるようになって、非常に優遇されている印象を受けました。議席の有無で格差が生じるのは止むをえないとしても、政党以外の政治団体は、これから政党になるかもしれない候補者たちです。言わば政界への新規参入をめざしているわけで、それらの団体がどんな主張をして何をしようとしているのか、全く報道しないのはマスコミとしての職務怠慢ではないかと思いました。
 ようやく配布された選挙公報には、さすがに公正な扱いで掲載されていたので、少しは安心しました。しかし一般の人たちは、ふだん接している新聞やテレビを通して、選挙についてのイメージを持つことが多いでしょう。泡沫候補をいちいち取り上げたらキリがないと言い訳するにしては、該当する団体の数は、女性党、9条ネット、維新政党新風、共生新党の4つだけです。しかも女性党は、前回の選挙で、あと少しで1名の当選を出すところまで迫っていました。泡沫であるかのように無視して新規参入の障壁を高くするのは、既得権者に加担する不公平な扱いと言うほかはありません。
 私の意見としては、旧全国区を、政党本位の比例代表制にしてしまったことに、そもそもの問題があります。政党に属さなくても、高い見識を持つ人はいる筈で、参議院は、そのような人たちも審議に参加する「良識の府」としての働きを期待されていた筈なのです。少なくとも、1人でも1党の扱いを受けられる個人立候補の道を残しておくべきだったと、私は今でも思っています。
 幸いにして、今はネットを通してさまざまな情報に接することができます。私も3年前だったら、マスコミの報道以外は知らずに過ごしたでしょう。おかしいと思うことは、どこからでも発言できるようにもなりました。これらを善用して、賢い判断を下しましょう。

安全と軍備の3公理

以下は村野瀬玲奈の秘書課広報室に度々登場している、安全と軍備についての3公理です。すでにご存知の方もおられるでしょうが、全面的に賛同する趣旨で、引用させていただきます。

どんなに軍備をふやしてもリスクをゼロにすることはできない。しかし、双方の軍備が多いときよりも、双方の軍備が少ないときのほうがはるかに安全である。

軍備を増やすことで安全を確保しようと主張する人は、どこまで軍備を増やしたら安心できるのか、誰一人として具体的な話をしてくれない。したがって、軍備をどんなに増やしても誰も決して安心できないままだし、安全も確保されない。

軍備を増やして安心できないなら、双方軍備を減らす努力をすることによってしか、軍事的リスクは減らすことができない。

私も去る6月17日に「元祖・非武装平和論」で、ほぼ同じ趣旨を書きましたが、後半に原民喜の詩を引用したので、やや情緒的に流れたかもしれません。しかし「決して戦争を止めようとしない人類への絶望」は、「戦争をやめる人類への希望」と、全く同じものです。そして「銃犯罪を銃で防げるか」も「原爆の投下は必要だったか」も、同じ文脈の上の問題であることに気づきます。
 さらに最近、「競争的に教育された子供たちは、非競争的に教育された場合よりも、失敗した場合に受けるダメージが大きく、立ち直る努力を放棄する傾向がある」という研究も読みました。「競争」と「協調」と、人間の持つ2つの大きな性質のうちで、どちらを重んじた方が人類の将来にとって好ましいのか、地球規模での結論は、すでに出ているのではないでしょうか。

東方学院を聴講して

昨夜は、エムズの片割れさんに教えていただいた東方学院の講義を、1時間だけですが聴講してきました。学院長でもある前田専学博士の「仏教入門」で、テキストは、故・中村元(はじめ)先生のラジオ講座をまとめた「ブッダの生涯」でした。本は事前に買って通読したのですが、ふつうなら一読して終りになるところを、久しぶりの学生気分で、講義として聞いてみたかったのです。
 本はブッダの生涯を、なるべく原史料に近いと思われる文献を辿ってまとめたもので、後に物語性や宗教性を加えられる以前の、人間らしさを残したブッダの実像を描いたものです。昨夜の講義は、ブッダが悟りを開いた後、自ら布教者となる決心をするに至った事情を説明する部分でした。
 この世のすべては空(くう)と悟ったブッダにとって、その悟りを他人にわかるように説明することは、自分が苦労を重ねた後であるだけに、不可能と思えるほど難しいと感じられたに違いありません。サンユッタ・ニカーヤという原始仏典によると、梵天(=ブラフマン=ヒンズー教による世界創造神)が、そのときブッダの前に姿を現して、「山の頂に立つ人が四方の人々を見下ろすように、憂いを超えた世尊よ、法を説きたまえ。真理を悟る者もいるでしょう。」と懇請したというのです。そこでブッダは、悟った者の目で世の中の生きとし生けるものを観察された。そして「耳ある者どもに門は開かれた。(古い)信仰を捨てよ。」とブッダは応じて、梵天は姿を消したと語られています。
 これは古い権威が敗北を認めて、ブッダに道を譲ったことを示しています。ブッダの教えは、ここから宗教としての市民権を認められたとも言えます。仏教は、天地創造の絶対者を認めません。すべては「縁起」によって「空」から生じるので、「空」こそがすべてなのです。しかしこの真理は、誰もが簡単に信じられるものではありません。でも「わかる者には、わかる」と、ブッダはそのときに、ひらめいたのではないでしょうか。伝えることの難しい真理でも、人を見て法を説けば、わからせる方法がある筈だ。そう信じられたのでブッダは教祖になった。私はそのように思いました。
 前田先生が、こんな話し方をされたわけではありません。ただ、本を読むだけで終っていたら、私はこんなことまで考えることはなかったでしょう。

あこがれの海外旅行

私は旅行が好きで、車でも列車でも船でも飛行機でも、乗り物もすべて大好きです。ですからテレビで旅番組などを見ると、無性にそこへ行ってみたくなったりします。時間と金の心配をしないで、海外へもゆっくり旅してみたいというのは、昔からの大事な夢の一つでした。しかしそれが、今は微妙に変ってきているのを感じています。
 最近も、友人から久しぶりの絵はがきが来て、意外な国を旅していることを知らされました。うらやましいと思うとともに、「お前、何しに行っとるんや」と問いかけをしたくなりました。その場所へ行かなければわからない、数々の新しい経験をしているだろうとは思うのですが、「それで、どうするんや」と、その次を聞きたい気分があったのです。
 私が初めてカナダ、アメリカへ行き、ニューヨークの町を歩いたのは、50歳のころだったと思います。団体旅行の中ながら、自由時間にはつとめて単独行動をして、地下鉄に乗ったり、ハーレムの中も地元の人間のような顔をして歩いてみたりしました。会話の聞き取りはだめでしたが、書いてあることがわかるので、思ったよりもずっと自由に歩けました。そのときに痛切に感じたのが「あと20年早く来てみたかった」ということでした。この町に溶け込んで何かをすることが、20年前ならできたかもしれない。しかし今では自分の仕事、自分の人生が、あまりにも出来上がり過ぎていると思ったのです。もちろん、経験として役に立ったし、いい思い出にもなりました。また、世界のどこへ行っても、あまり困らないだろうという自信もつきました。それでもその後、「見るべきほどのことは見つ」というような、一種の諦観が残りました。 
 老人になってからの海外旅行には、どんな意味があるのでしょうか。私は旅好きだった母を、一度でもハワイぐらいまでは連れて行きたかったのですが、それができずに終ったことを後悔しています。でも、老人本人にとっての海外旅行は、気晴らしでしょうか、「冥土のみやげ」の話題づくりでしょうか。いずれにしても、人生に役立つ積極的な意味は、乏しいような気がするのです。老人の幸せのためだったら、年に一度の海外旅行よりも、毎週行ける気持のいい公園があったり、子供たちと交流できる施設があったりする方がいいのではないか、地球の裏側まで、ジェット機の排気ガスを振りまきに行くこともあるまい、などと考えてしまいます。私が今のうちにやっておきたいことの第一順位は、海外旅行ではなくなったようです。

一応確からしい判断基準

消えた年金の救済方法として、第三者機関による審査が始まったようです。その判断の基準が「申し出が社会通念に照らして不合理でなく、一応確からしい」というのを聞いて、なんとなくユーモラスな印象を受けました。どうしてそう感じたのかを考えたところ、本来は法律や規則で明確に決まっているべきことが、いかにも人間臭い判断に任されているからでした。
 当然のことながら、保険料を納めたか納めなかったかは、議論する必要のない客観的な事実であった筈です。それが、制度の不安定と担当官庁の管理のいいかげんさによって、わけのわからない疑惑の藪に包まれてしまいました。問題はずっと前から現場担当者には気づかれていたにもかかわらず、「給付の開始までに調べ直せばいい」との先送り精神で、ここまで流れ着いた結果の現状です。まさに衆知を集めて愚行を犯す「日本的無責任体制」の模範解答と言うべきでしょう。
 この現状を救うには、記録が信用できなくなった以上は、超記録、超証拠、超法規的に人間的な判断で決着をつけるしかありません。そこで登場したのが第三者委員会で、ここに裁判所のような機能を与えたわけです。裁判なら「裁判官の自由な心証」によって、決定ができるからです。事例を積み重ねることで判断の基準を明確にして行くという考え方も、判例の積み重ねを尊重する裁判所の行き方と酷似しています。
 今回はたぶん、こういう方法でしか国民を納得させられないでしょうが、本来は必要のない簡単な事実の確定のために、国全体で無駄な騒ぎをしたという事実は、記憶しなければなりません。
 いま本当に必要なのは、国の年金制度はどうあるべきかという前向きの議論です。制度をつぎはぎした「とりあえず主義」が混乱の根本原因になったのは明らかです。最低保障の国民年金に一本化して、富裕層の年金は民間と自助努力に任せるのが、好ましい未来像だと私は思っています。既得権者への給付は、払い込み済み保険料の損はさせない程度に減額して行けば、所得の再配分にも役立つでしょう。国が関与する年金制度は、全国民をカバーする単純な一種類でいいと、私は思います。
(おことわり・連載物の掲載時刻が日記の後になる場合がありますが、ブログの画面上は日記の下に連載が出るように掲載します。) 

みんな死ぬんだから……

これは昨日も紹介した、長谷場氏の豪快な語録の一つです。私は新人職員の研修会のときに聞きました。青少年福祉の仕事をずっと続けて来られた支えは何でしたか、という趣旨の質問に対する答の中だったと思います。「医者も偉いかしれないけど、何やったってみんな死ぬんだから、俺はやっぱり子供を育てる方が面白いね。ちょっとでも、次はいい世の中になるようにしたいじゃないか。」というのでした。
 まことに勝手な理屈で、これではすべての医療行為は、死ぬとわかっている人に対する延命工作に過ぎないということになります。この意見に与すると、私も医者から見放されそうなので、それは困るのですが、でも考えてみれば、これはまぎれもない本当のことです。医療には人の苦痛を取り除いてくれるという、生活の質を良好に保つ大切な役割もあります。どうせ死ぬんだから価値が低いなどと言う気持は、さらさらありません。それでも「みんな死ぬんだから……」は、印象に残る言葉でした。
 複数のブログで見たのですが、最近に放送された「余命1ヶ月の花嫁」のテレビドキュメンタリーが感動的だったようです。残された1ヶ月を有意義にするために、周囲の人たちは、あらゆる努力を集中して彼女の幸せを築き上げました。その過程を通して、関係したすべての人たちが、いのちの尊さを深く心に刻んだことでしょう。余命1ヶ月だからそれができた。でも、余命50年だったら、どうなるのでしょうか。
 余命1ヶ月なら、金儲けも、人との競争も、意味を失うでしょう。人の幸せのために、何がいちばん大切かを、真剣に考えることになります。しかし1ヶ月ならそれができて、50年ならできないのは、なぜなのでしょうか。おそらく金持ちになって消費する楽しみ、勝ち残って人の上に立つ楽しみを味わう時間的な余裕があると思うからでしょう。つまり快楽への欲望が「人間として、いちばん大切なもの」を覆い隠しているのかもしれません。「必ず死ぬもの」との自覚は、人間を誠実にしてくれる筈です。先日のグリフィンの祈りも、それを知った者の言葉だったのではないでしょうか。

福祉対策の公共事業を

青少年福祉センターの長谷場夏雄氏の「語録」収録の4回目が、昨日ありました。この人の実践を踏まえた言葉には、いつ聞いても、人の心を揺さぶる迫力かあります。しかも悲壮感ではなく、明るく前向きに、豪快な笑いを交えて語るところが魅力です。しかし語られる内容は、現代日本社会の病理を、鋭く突いています。
 センターの青少年自立支援事業では、崩壊家庭による遺棄、非行などの理由で施設に保護されていた子供たちの、義務教育終了後、つまり16歳から18歳の高校生に当る人たちの世話をしています。この3年間で、円滑な人間関係を築き、社会常識を身につけ、働いた収入で生活する金銭管理までを身につけなければなりません。中でもいま難しいのは、続けられる仕事を見つけてやることだと言います。かつては大工でも食堂の調理でも自動車修理でも、「手に職をつけ」させてやれば成功する場合が多かった、しかしそういう仕事が減って、教えながら育ててくれるような職場がなくなってきた、というのです。
 それに関連して、私は最近に聞いた、生活保護を受けていた人が働くことを勧められて辞退届けを出したものの、そのまま窮死したというニュースを思い出しました。今の厳しい雇用環境の中で、生活弱者が競争に打ち勝って就職することの困難さは目に見えています。弱者を市場の競争にさらす前の「やさしい働きの場」を、公的に用意する必要があるのではないかと思いました。かつては「失業対策事業」があって、戦後混乱期や石炭斜陽化などの失業者を救済してきましたが、平成7年に廃止されました。これを福祉対策の公共事業として、復活できないでしょうか。
 長谷場氏が日ごろ力説していることですが、一人の少年が自立し損なえば、警察、裁判所、刑務所と、莫大な社会的費用を発生させます。弱者を一人前の社会人として自立させることは、充分に採算のとれる事業になる筈です。なおかつ、現代の社会には「採算はとれないが必要な仕事」が、あちこちに放置されているように感じます。駅の自動出札口の前で困惑している老人を助ける人、夜の町や道を見守る人などは、必要がないのでしょうか。人間の働き方には、市場原理に任せたのでは埋められない部分があると思います。そういった広い意味での「公務」と、福祉対策の雇用とが、連結できないでしょうか。

旧著の連載を終って

この1月から続けてきた「続きを読む」を使っての、私の旧作の連載が終りました。詩集「愛それによって」は1月1日から3月23日まで、「おじいちゃんの書き置き」は3月24日から7月18日までの連載でした。長期にわたってお読みくださった方々に御礼申し上げます。今にして思えば、毎日別エントリーを立てて掲載すれば済んだことなので、その方が後からの検索も楽だったろうと思います。ひまを見て、過去にさかのぼって直してみます。
 「おじいちゃんの書き置き」は、出版の碧天舎が倒産したため、新刊本としては絶版の状態です。中古本として多少は流通しているのと、公共図書館に収蔵されていることがある、という程度です。私としても愛着があって、いつか復刻するか、文庫本にでもしてみたいのですが、ここ当分は、ブログで立ち読みしていただくしかありません。「愛それによって」は、古い自費出版の小冊子です。
 次の書き下ろしを、明日から始めることになりますが、まだ自信を持てずにいます。ひまな時間はあったのに、書き溜めることができませんでした。「毎日が締切日」の緊張感が、自分を支えてくれることを願っています。

「雨ニモアテズ」に育てるな

「マイアミの青い空」さんからの引用です。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のパロディーですが、賢治のふるさと岩手県盛岡市の小児科医、三浦さんという方が学会で発表したものだそうで、作者はどこかの校長先生らしいが作者不詳ということです。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ
 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ
 意欲モナク 体力モナク
 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ
 朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ
 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ
 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ
 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ
 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ
 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ
 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ
 日照リノトキハ 冷房ヲツケ
 ミンナニ 勉強勉強トイワレ
 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ
 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ

解説のいらない明確なメッセージですが、このような子育ては、多かれ少なかれ現代の家庭では、どこでも行われているのではないでしょうか。時代がそうだからと、言い訳して済む話ではありません。自分でものを考えられる親だったら、せめてわが子だけはマトモに育てようと、踏み止まれる部分がある筈です。典型的にダメな現代っ子に育ててしまったら、社会の迷惑になるばかりでなく、親が老年になったときに、きっと、つらい目に会わされるでしょう。
 このパロディーを読んで愉快に笑い飛ばせる人がいたら、私はむしろ心配です。人の生命力はどこから生まれるのかという、生きることの本質を突いているからです。生命力を弱める現代病に気づくことなしに、私たちの明るい未来を構想することは不可能です。

おじいちゃんの書き置き・117

 あとがき

この本は 孫のために書きはじめた
おじいちゃんはこんな人だったということを
成人してから思い出して貰いたいと思った
それはその通りなのだが 書いているうちに
自分には言いたいことが
まだまだ たくさんあることに気がついた

いろいろなことをやってきた
いろいろな本をたくさん読んだ
それらのすべてが
いま自分の中で一つのものにまとまりつつある
これは最後の一冊のつもりだったが そうではなかった
複雑に分解して行くように見える現代の世の中で
人間の「知の統合」をめざす最初の一冊になる

2005年7月20日         (完)



グリフィンの祈り原詩

昨日の「グリフィンの祈り」について、一夜のうちに座位」さんが行き届いた情報を寄せてくださいました。ネット社会の、最も良質な部分の連携の見事さに、ただ驚いています。このようにして私たちの未来には、希望がつながって行くのかもしれません。
 教えていただいた情報による原文は以下の通りで、南北戦争で重い障害の廃兵となった南軍兵士のものとされています。ベトナム帰還兵は、それをどこかで読んだのでしょうか。中学の英語教材にもなりそうな平易な13行で、日本文学なら、かな文字だけで綴られた古典といった感じです。

I asked God for strength, that I might achieve.
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do great things.
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy.
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men.
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life.
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am, among men, most richly blessed!
--- Attributed to an unknown Confederate soldier  

訳詩としては、昨日紹介したものは、よく出来ていると思います。意味を汲み取って補強しながら、説得力ある日本語詩にしてあります。訳詩者の名はまだわかりませんが、敬意をもって尊重したいと思います。私が作詞するとすれば、曲をつけて歌うことを意識するのと、2行ずつ5連となっている最後「すべてを求めた」の定形を、どう生かすか、ということになるでしょう。ぜひ試みたいとは思いますが、今日のうちにというのは、さすがに無理です。それにしても、余計なものを取り去るということは、言葉の上でも、これほどまでに簡素になるものでしょうか。幼児の言葉、白痴の言葉こそが真実を語ると、ブライス師が教えてくれたことを思い出します。


おじいちゃんの書き置き・116

(書き残したこと)

 育てること

人を育てるとは
自分の分身をつくることだと思った
いとしさ やすらぎ 希望 未来
それらのすべてを わが子の中に見た

しかし 成長させる 個性を伸ばすとは
自分とは違う人間をつくることだった
そのことに気がついたのは
何十年もたってからだった

自由を束縛しないことと
安心を分かち合うことと
両立させるには 人間の知恵が要る
地上の楽園は 数日の小春日和のように訪れる



グリフィンの祈り

「グリフィンの祈り」と題した、不思議な詩を読みました。私は「読谷の風」さんのブログで見たのですが、ネットで調べたら、1年以上前から知られていて、小林正観という人の「究極の損得勘定Part2」(宝来社)の中で引用されているようです。原作者は不明で、ベトナム帰還兵が病院の壁に書きつけたものだとされています。ただし原文は、いまのところわかりません。ともかく、綴られた言葉は、以下の通りです。

 大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに 
 謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった

 偉大なことができるように健康を求めたのに
 より良きことをするようにと 病気をたまわった

 幸せになろうと富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった

 求めたものは1つとして与えられなかったが 
 願いはすべて聞き届けられた

 神の意にそわぬものであるにもかかわらず 
 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた
 私は最も豊かに祝福されたのだ

私が一読して感じたのは、「千の風に乗って」にも似た、究極の救いに至る発想の転換です。しかし、あくまでも絶対者の前に身を投げ出す、キリスト一神教の枠内にあるように感じました。けれどもよく考えてみると、仏教の悟りも、やはり「身のほどを知る」ところから始まります。絶望の淵に落とされたときも、自分の存在が本来無一物であったことに気づけば、救いは近くにあるでしょう。悩み多き帰還兵の魂が辿りついた、至福の境地だったのかもしれません。
 この原詩(たぶん英語)をご存知の方がおられましたら、ぜひお教えください。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
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