志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2007年11月

青少年福祉センターの50年(1)

ブログでこういうことをしていいのかどうか、わかりませんが、次に書く台本を、ブログの連載にしたら書きやすいような気がしてきました。この団体の存在と、その中心人物の紹介をするビデオですから、ブログに掲載しても、あながち的外れではないかもしれません。もちろん私の責任での第1稿としてです。ほぼ半年先の完成までには、何度も改定の筆が入る筈です。

(タイトル・はじめに愛があった……青少年福祉センターの50年)
(西武線下落合駅付近を流れる妙正寺川の水面にタイトルWる、パンアップして新宿寮の建物、手前の橋に長谷場夏雄氏が立ち止まる。寮を見上げる顔アップ。)
(録音)僕はね、金があったからこの仕事したんじゃないの。今夜寝るとこがない、お腹すかしてる。そういう子がいたら、まず食べさせて、寝かしてやんなくちゃいけないでしょ。だから必死になって働きましたよ。金になることなら、みんなで知恵出して何でもやった……。
(写真・昭和35年(1960)頃のセンター、オート3輪で廃品回収、など)
(ナレーション・女声)長谷場夏雄さんは中学生のとき、孤児として旧・満州から引き揚げてきました。そして小さい弟を施設に預けたのが縁になって、カトリックの施設で働きながら学ぶことになり、教育者への道を進んでいました。しかし東京の戦後風景の中で、養護施設を出た子供たちが、自立できる力もなく結局は社会の底辺に落とされる現実を見て、「この子たちの家を作ろう」と決意します。そして出来たのが4畳半一間の「憩いの家」。長谷場さんが29歳になった昭和33年、1958年8月15日のことでした。
 昭和33年と言えば、敗戦から13年もたっています。テレビ放送が始まり、建設中の東京タワーが空に向かって伸びて行った時代。戦災で家庭を失った子供たちも、この頃ようやく成人に近づいて、一人前の社会人になる時を迎えていました。しかし家庭生活を知らず、家族も保証人もいない孤児たちにとって、「普通の就職」をするのがどれほど難しかったことか。しかも、就職の失敗は直ちに「宿無しで無収入」になることを意味していたのです。
 社会を支える人になるべき青少年が、その入口で転落して「社会のお荷物」になってしまう悲劇を何とかして救いたい。その思いこそ長谷場さんの原点であり、そしてまた、この運動の今日的な意味でもあるのです。

高木(岩成)ゆう子のこと

花てぼさんのブログに登場した「蜘蛛の糸」の朗読を聞いた夜に、夭折した一人の声優のことを思い出しました。ネットで検索したら、テレビアニメ「若草物語」四姉妹の「めぐ」役と、同じ役で歌っているレコードなどが出ていました。


 旧姓を岩成という彼女は、日大芸術学部の演劇科に学びながら東京アナウンスアカデミーに通い、俳協(俳優生活協同組合)養成科の第3期生にもなりました。養成科の時代からアルバイトとして私の会社の仕事をするようになり、その後もナレーションの仕事を数多く担当してもらいました。大事にされていた一人娘で、お嬢さんぽい甘さを残している人でもありました。大学で同年だった男性と結婚したときは、私たち夫婦で仲人を務めさせてもらい、ゲストには選挙の街宣で親しくなった木島則夫氏が祝辞を述べに来てくれました。


 昭和50年代の終りごろは、視聴覚教材の主流はスライドでした。静止画像を見せながら音声で解説を加えるのは、映像と音声がちょうど対等にバランスして、非常に効果的でした。スライド教材が完成期にあった時代だと思います。その時期に作ったのが「働くこと生きること・働く女性への問題提起」でした。5人の女性の働く現場を訪ね、実情と本音とをカメラとマイクで取材して、オムニバス形式にまとめたものです。


 当時は女性にとっての働くことが、一時の腰掛けではなく、一生の問題になってくる時期でした。健気に働く女性たちは、公的にも私的にも、さまざまな壁とたたかっていました。婚約者から「結婚したければ仕事をやめろ」と強要された人もいました。そうした中で、どうしたら若い女性たちに自覚と希望を持たせることができるかがテーマでした。うわぺだけ同情して済まされる問題ではありません。台本を書く私にとっても、それを読むナレーターにとっても、自分自身の問題になりました。録音のとき、読む前に長い時間をかけて話し合い、私の言いたいことが、彼女の声になりました。いつの間にか彼女の声は最も低い声域に落ち着いて、私は残りの原稿が1枚ずつ減るたびに、終ってしまうのが惜しくてなりませんでした。


 このスライドは完成後の評判もよかったのですが、ゆう子が持病の発作で急死した葬儀のとき、私はこのナレーションの最後の部分を会葬者に聞いてもらいました。私が死ぬとき、墓の中まで持って行きたい作品です。


音声はこちらへ



「人口学への招待」を読む

「人口学への招待」(河野稠果・中公新書)を読みました。タイトルの通り、学問として人口問題を考えるための入門書です。世間一般になんとなく信じられている人口についての常識が、学問としては不正確であることがわかります。とはいっても、学問が正しくわかれば、人口問題が解決するということではありません。ただ、これからどうなるかを予測することと、どうすれば好ましい未来を導くことができるかについては、頼りになる指針が得られると思いました。
 人口が決まる3要素は、出生、死亡、そして移動です。日本の場合、移動は少数ですから、あまり考えなくてもいいでしょう。日本の人口は減少の時代に入りましたが、人口の置き換えが可能な出生率(合計特殊出生率という言葉がよく使われますが、年齢別を合計したというだけのことで、さほど深い意味はありません。一人の女性が生涯に何人の子供を生むかを平均したものです。)2.05を割り込んだのは、もう30年以上も前のことです。それでも人口が増えつづけたのは、プラス方向へのモメント(惰力)が働いていたからです。周知のように現在の出生率は1.29にまで低下していますから、すでにマイナス方向へのモメントが蓄積されています。ですから人口減を止める方法はありません。これは地球の温暖化が、今すぐに温暖化ガス排出をゼロにしても、止められないのと似ています。
 もしも日本の出生率が2025年に2.05まで回復して、以後それが維持されるとすると、総人口は8000万人程度で安定します。2050年からだとすると、6000万人弱で安定します。出生率が回復しなければ、当然ながら日本人は消滅に向かいます。いずれにしても近い将来に、毎年100万人の人口が減る高死亡率時代が来ることは避けられません。人口推計は、天気予報よりもはるかに的中率が高いことが知られています。今の子供が大人になるときに、必ずそうなっているということです。
 人口がどんどん減っていく社会とは、どのようなものでしょうか。ヨーロッパでは14世紀にペストで人口が大幅に減ったことがありました。それが旧来の社会システムをリフレッシュして、ルネサンスから産業革命に至る文明の発展を用意したという見方があるそうです。私の孫の世代の女性たちは、新しい文明のために出生率を回復してくれるでしょうか。それとも今の政治の延長の中で、子供を生むことをあきらめつづけるでしょうか。百歳まで生きて見届けたいものです。

ブログ連歌(8)

129 遠くなり 孫と遊びし 楽しい時間(ひさ江)
130  子は親となり 子は親となる(建世)
131 子育ての おさらいをした 孫育て
132  それも終れば 人生の冬(建世)
133 いや待てよ 父に倣えば ひ孫まで(koba3)
134  曾孫玄孫と 望みは高く(うたのすけ)
135 子や孫に 言い継ぐほどの ものありや
136  遺書めいて書く ブログの一節(建世)
137 戦争を 次の世代に 語り継ぐ
138  その志 頭が下がり(優しい光)
139 戦争を 見ていただけの 思い出に
140  今は重なる そのことの意味(建世)
141 湯豆腐の 湯気に包まれ いい夫婦(花てぼ)
142  その50年 戦友に似て(建世)
143 お下がりの 花もうれしい いい夫婦(建世)
144  花瓶に活けて 羊羹つまむ(うたのすけ)
145 成り行きで 何とか持って五十年
146  ただひたすらに 裏表なく
147 構えずに 背伸びもせずに 五十年
148  お互い見栄が 危険信号
149 五十年 正直言って よく持った
150  危なげな淵 バランスとって(うたのすけ)
151 平行棒 鞍馬吊輪に 跳箱に(花てぼ)
152  おまけにパン食い 二人三脚
153 障害の レースに似たり 夫婦(めおと)道(うたのすけ) 
154  よくも駆けたり 若さのゆえか(建世)
155 夫婦歴 五十年まで あと十年(花てぼ)
156  妻は聞いても 人ごとのよう(建世)
157 幾山川 金婚式は 今ここに(やまちゃん)
158  旅行せずとも よしと妻言う(建世)
159 銀婚を 忘れ責められ はや15年(koba3)
160  一世代超え 北へ南へ(建世)

朗読劇「ぽっぽや(鉄道員)」を聞く

ひまわり船橋福祉会の「ボランティアの集い」で上演された松戸市民劇団の、うたのすけさん作の朗読劇「ぽっぽや」(浅田次郎原作)を聞いてきました。それに先立つ松戸市民劇団理事長・石上瑠美子さんの講演「語って元気!笑って元気!」は、ミニ講談つきの話芸の集大成とも言うべきもので、60分近くを短く感じさせる立派なものでした。幼児からの夢を実現した舞台人生と、一人っ子を亡くした悲しみを乗り越えた経験談は、一つの人生講話としても、人の心を打つものがありました。
 朗読劇は総勢7名が出演する、思ったよりも大仕掛けの、洗練された構成・演出になっていました。台本を読んだときに感じた通り、ナレーションと、それぞれの配役のセリフとのバランスが絶妙で、映画やテレビとは違ったイメージの広がりが得られます。これはまさにラジオ放送劇の世界で、私は自分がテレビの仕事をしていたときも、本当にいい文学作品は、すぐれたラジオ放送劇で聞いた方が感銘が深いと思ったものでした。
 この作品を映画で見たとき、雪女伝説をこれほどまでに美しい現代劇にしたものは見た事がない、と感嘆したものでした。鉄道好きの私としては、最後のキハの走りも満足できるものでした。しかし今日はそれを朗読劇として聞きながら、この作品の本当のメッセージは、人の人生を丸ごとで考えさせるところにあると思いました。それを感じ取るためには、役者による「人間の声」と、それを聞き取るための「時間の絶対量」が必要なのです。そうでなければ、脚本を読んだだけで、誰でも同じ感動を得られる筈です。小説を読むにしても同じことです。私はブログの上でうたのすけさんの脚本を読んだとき、それほどは感動しませんでした。
 劇として演じたときに本当の値打ちがわかるのが脚本というものでしょう。朗読劇「ぽっぽや」は、映画でもない小説でもない世界を、たしかに伝えてくれました。気持ちよく泣かせてもらいながら、私はこの劇が「人の一生の総決算として訪れる『救い』」のことを語っているのに気がつきました。
 帰り道は、初めて北総線に乗ってみました。「矢切」の駅が地下だったのはびっくりでしたが、江戸川を渡る鉄橋から、夕景の柴又に近い河川敷と堤防が見えていました。

米軍再編特措法の罪

政治的な話題ばかりを続けるのは本意ではないのですが、現状では止むをえません。
 この5月、参議院選挙で負ける前の安倍内閣が、問答無用で次々に法律を作っていた時期に成立した法律の一つが「在日米軍再編促進特別措置法」でした。アメリカの世界戦略に、日本の自衛隊はもちろん日本の国土自体が組み込まれることを促進する法律でした。当時も一通りの議論はあったと思うのですが、私を含めて、深刻な問題意識も大きな反対運動もなしに通過してしまいました。その法律が、ようやく狙いとした効果をあげ始めようとしています。
 この法律は一口で言えば、基地再編に協力する自治体は財政的に優遇する、協力しなければ援助しないというものです。協力の度合いには4段階の基準を設けて、協力が順調に進めば進むほど優遇は進む、停滞すれば援助も止まると、意図を明瞭にしています。国をあげて国策に協力せよ、自治体が国策に反する態度を示すのは許さない、という姿勢です。
 基地を抱える地方自治体の中には、これまで住民の意思で基地に協力しない首長を選んで抵抗する場合が少なくありませんでした。この法律は、そのような首長と、そのような住民を国の補助金の力で締め上げようとするものです。
 国策を地方に浸透させる努力は、中央政府にとって必要なものでしょう。しかしこの場合は、国策の方向が国家百年の計にとって疑問が多いと私は思います。日本がアメリカの世界戦略への従属を深めれば深めるほど、自主外交も、アジア近隣諸国との友好も、平和国家としての世界に対する発言も、ますます困難になるでしょう。長い目で見たわが国の国益にとって、百害あって一利もないと私は思います。
 天木直人氏は、この法律は即刻廃止せよと主張しています。防衛省疑惑が話題になっていますが、もっと本質的に大事なのは、このような天下の悪法の執行を、世論と野党の力で一日も早く阻止することではないでしょうか。
(追記・ヤメ蚊さんのブログに、岩国市市庁舎建設を支援する勝手連の案内が出ています。)

「沖縄戦の真実と歪曲」を読む

沖縄史料編集所主任専門員だった大城将保氏の「沖縄戦の真実と歪曲」(高文研)を読みました。史料の専門員であるだけに、記述は正確で説得力がありました。教えられたことは多々ありますが、沖縄県の特殊事情もその一つです。沖縄は当時の日本で、郷土で編成された連隊を持たない唯一の県でした。後進県であり、本土から進駐した日本軍にとっては「外地」に近い感覚があり、「同胞を守る」という認識は当初から低く、むしろ警戒心が強かったということです。一方で教育や行政を通して「皇民化」が徹底された結果、若い世代を中心に本土以上に国粋主義に染まった人たちもいて、住民の間にも断層がありました。
 教科書問題で注目された元隊長の訴訟問題についても、丁寧に解説されていました。大江健三郎氏は「沖縄ノート」の中で個人名をあげておらず、元隊長はいかなる罪にも問われることなく、軍人恩給も減額されていないにもかかわらず、「隊長は一人しかいないから特定される」として1500万円の損害賠償請求を大江氏と岩波書店に対して提起しました。さらにそれを「集団自決冤罪訴訟を支援する会」が応援しています。「冤罪」とは、皇軍の無謬と国民の玉砕精神を復権させよということでしょうか。
 さらにもう一つ記憶に残ったのは「陸軍防衛召集規則」による動員の無責任さです。絶対命令として住民を徴用しながら、軍人としての階位もなしに酷使して戦闘任務にもつかせ、形勢が不利になれば「任務を解い」て洞窟から追い出しました。それでいて「読谷の風」の高江洲氏によれば、防衛隊員は「軍人手帳」を持たされています。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」の戦陣訓をはじめとする忠誠心だけは、軍人なみに強要されたのでした。さらに学徒隊、郷土防衛隊に至っては、自主的に志願した建前ですから軍には何の責任もありません。
 沖縄県民は、本土や台湾に疎開した人たちを除いた現に住んでいた人の比率としては、3分の1近くが犠牲になりました。軍が関与した「玉砕精神」に基づく作戦の結果でなければ、ありえないことです。ある意味で屠殺よりも残酷な「集団殺し合いの強制」を、「崇高な民族の美談」に仕立て上げたいのは、どういう人たちでしょうか。

ブログ連歌(7)

109 つい昔 無からの門出 数多く(うたのすけ)
110  想い想われ はや四十年(koba3)
111 美しい 誠の愛を 育みて(優しい光)
112  優しい光 あたたかく射す(建世)
113 悲しみに うちひしがれず 空みれば(えいこう)
114  久遠の果てに いのちは存す(建世)
115 年を経て 虚偽と眞が 底光り(うたのすけ)
116  粋な人生 人もうらやむ(えいこう)
117 人の輪を 酒がつないで 芝居旅(建世)
118  酒が切れれば 命も枯れる(うたのすけ)
119 酒飲むも 飲めぬも人は さまざまに(建世)
120  持ちつ持たれつ うつせみは旅(やまちゃん)
121 旅行けば 狭山茶香る 合唱祭(花てぼ)
122  文化の秋に 歌声高し(建世)
123 学芸会 ビデオに探す 孫の顔(建世・ひさ江)
124  見つけし姿 わが子とダブル(優しい光)
125 孫三人 頭の中は 押しくらまんじゅう(ひさ江)
126  あの子にこの子 親までまじり(建世)
127 ありがとう 孫がいるのは あなたのおかげ(ひさ江)
128  何があろうと 娘は娘(建世)
129 遠くなり 孫と遊びし 楽しい時間(ひさ江)
130  子は親となり 子は親となる(建世)

「いのちの初夜」を読む

昨夜、北條民雄の「いのちの初夜」を読みました。本を買いもせず図書館へも行かず、パソコン画面で一つの作品を読んだのは、初めての経験でした。ハンセン病資料館へ行ったとき、みどりさんから教えられて、他の方のコメントも見ているうちに、検索したら簡単に出てきたので、そのまま読み始めて小一時間もかかったでしょうか、ほとんど時間を忘れました。
 体験者でなければ書けない、生々しい癩患者の病室風景でした。ハンセン病が不治の病で、人体を破壊し尽くす恐怖の対象であった時代の典型を記録したものと言えます。ですから扱いを誤れば、この病気への偏見を助長する恐れもなしとしません。しかしこの作品が描いているのは、難病を通して得られた「いのち」というものへの観念の変化です。手足も目も、人間らしいものを次から次へとすべて失って、肉の塊のようになっても、なお生きているものは何か。それは「いのち」という本質そのものではないのか。「人間のいのち」であろうとなかろうと、「いのち」がそこにある。究極の悲惨の底に生まれた不思議な明るさを、作者は艶めかしい「初夜」と名づけたのでした。
 これを読んだら、「尊厳死」などという甘っちょろい考えは、ドヤしつけられそうな気がしてきました。いのちは誰のものでもなく、ただ「そこにある」ものなのでしょうか。
 私が考えたことは、ここまででまだ半分です。「いのちそのもの」を見たのと、同じような経験をしたのを思い出しました。失恋したとき、その人の声も笑顔も、再び会える希望も失いました。貰った手紙さえ、悲しみの種でした。すべてを失ったと思ったときに、一瞬「恋そのものの残像」が見えたような気がしたのです。そのとき恩師から教えられた「恋人は有限、恋は永遠」ということの意味がわかりました。その後に妻と結婚し、その初夜が明ける朝に、かつての恋人の艶めかしい夢を見ました。それが最後で、それっきり幻影は消えました。
 50年続いた夫婦は、恋人同士ではありえません。しかしまぎれもなく、かつて恋人だったのと同じ人です。恋人らしいすべてを失ったあとも、なお夫婦でいられるのはなぜか。恋人は立ち去っても、恋そのものは消えない。もしかしたら、「恋そのもの」と「いのちそのもの」は、同じことなのかもしれません。

日本の戦車はどこで戦うの?

防衛庁がらみの議論を聞いているうちに、ふと考えたことがあります。日本の自衛隊の戦車は、いつ、どこで役に立つのだろうかと。私も昔は軍国少年でしたから、戦車が好きでした。大陸の野山を駆けめぐって、日本のために活躍してくれるのだと思っていました。
 今の自衛隊の主力戦車の90式というのは、世界の水準と比べても引けをとらない優秀な性能を備えているそうです。数の上では旧式の74式の方がまだ多いようですが、順次90式に切り替わりつつある途上で、そろそろ次世代の戦車の開発にも手をつける時期が近いそうです。90式の調達の費用は1台10億円足らずで、大量生産できない事情を考えれば、決して高価ではないと説明されていました。戦闘機などと比べると、桁違いに安いとも言えそうです。第3次防衛計画によると、戦車の保有数は900両程度が目途のようです。
 ところで、自衛隊の戦車は、海外へ出て戦うことは想定していないのではないでしょうか。だとすると、活躍の舞台は日本の国内しかありません。北海道の原野で、あるいは東京の市街地で、戦車隊の活躍のおかげで日本の国民が助かるという状況は、ありえるのでしょうか。そのときの敵軍は、どこの国から来るのでしょうか。どうも納得のいくイメージが描けないのです。
 軍備は戦争を防ぐためにあるというのが公式の説明でしょう。戦車だけを槍玉にあげても意味がないのはわかっています。わかってはいますが、要するに私は、なぜ国は必ず軍備を持たなければならないのかが、わからないのです。
 このところ沖縄の戦争記録を読んでいる影響かもしれません。日本軍の関与が少なかった地域では、ハワイへ出稼ぎした経験のある長老が住民を率いてアメリカ軍と交渉し、全員を安全に避難させた例があったそうです。

ブログ連歌(6)

89 難しや 粋と罪との 綱わたり(建世)
90  石橋叩き 渡り行かしめ(花てぼ)
91 老い枯れの 身にあまりある もの思い
92  人に幸をと 願いしものを(建世)
93 己より 弱きもの撲つ 非情さよ(うたのすけ)
94  強者弱者は 日々入れ替わる(建世)
95 入れ替わる されど我が身は 落ちこぼれ(koba3)
96  こぼるドングリ 大木となる(花てぼ)
97 大木の 陰に咲く花 凛として
98  ときに恥じらい われを誘う(いざなう) (うたのすけ)
99 古い木と 書いて若木の 涼子さん(建世)
100  ぼろ木と呼ばれ 口とがらせた(涼子)
101 行き過ぎて なぜか気になる 日かげ花(建世)
102  行きつ戻りつ 男がひとり(うたのすけ)
103 野菊みて パット輝く 街かどで(やまちゃん)
104  ショ−ウィンド−は 華やぎめきて(花てぼ)
105 電飾に 背を向けて行く 繁華街(建世)
106  新妻の待つ アパートの灯り(えいこう)
107 懐かしや 相愛の日の 四畳半
108  何もなくても すべてがあった(建世)
109 つい昔 無からの門出 数多く(うたのすけ)
110  想い想われ はや四十年(koba3)

(99と100番は、11月11日のコメント欄から流用しました)


淵の森とハンセン病資料館

東村山市の「トトロの森」で知られる淵の森の「公有地化実現祝賀会」に行ってきました。花てぼさんとみどりさんも来て下さって、現場でお会いできました。今回公有地化が決まったのは、既存の淵の森の、柳瀬川をはさむ対岸の自然林です。ここに道路を通しマンション開発をするという計画を、宮崎駿監督が会長を務める「淵の森保全連絡協議会」の呼びかけで市民の寄付を集め、市が買い取ることで公有地化が決定したのです。宮崎会長から謝辞があり、新しい対岸区域には「八郎山」という呼び名がつけられました。
 森と川べりを散策して食事した後、みどりさんと踊りのお仲間と私の3人で、近くにある多磨全生園と、その一角にある国立ハンセン病資料館を見学しました。多磨全生園も今回の募金に協力しており、全生園の将来を「人権の森」として保全する構想の対策委員会が発足しているのです。
 ハンセン病は古くは「癩病」と呼ばれ、不治の病と恐れられて、患者は社会から差別されてきました。その差別は近代の衛生思想とともに、患者を徹底的に社会から隔離する方針となり、国の施策による患者の収容と管理が徹底されました。そこに無数の人権侵害が発生したことは言うまでもありません。しかし実はセンセン病は遺伝ではない慢性の感染症であり、その治療法も、特効薬の開発により確立したのです。国も誤りを認めて1996年に「らい予防法」を廃止しました。しかし社会一般の、この病気に対する偏見は、まだ一掃されたとは言えません。
 多磨全生園には、今も330名あまりの入所者が残っています。長年にわたって社会から隔離されていた人たちには、行き場がないのです。構内には、かつて生活のすべてが閉鎖された所内で営まれていた名残りが見られます。悲惨な歴史を直視して、患者の社会復帰を助け、偏見を社会からなくして行くための「国立ハンセン病資料館」でした。西武池袋線「秋津」駅、武蔵野線「新秋津」駅から徒歩約20分の位置にあり、清瀬、久米川、所沢駅からバスもあります。
 秋晴れに恵まれるというわけには行きませんでしたが、意義深い一日でした。
(追記・東村山市議、薄井氏のブログに、関連記事と写真、及びこれまでの経過のまとめが出ています。)

悪質トラックバックにご注意

私の好きな有名女優の「お宝映像」のトラックバックに、危うく引っかかりそうになりました。動画の入口に、暗い画面に薄い字で細かい注意書きがあり、よくみると「有料9000円」の字が入っていました。うっかりクリックを狙っています。私のブログに入るトラックバックはすべて「毒見済み」で安全ですが、他所から入るこの種のトラックバックにご注意ください。

救急救命センター体験記

今日は毎年の恒例となっている、大学のクラス会でした。新宿のホテルを会場にして、懐かしい顔ぶれが集まっての会合だったのですが、なごやかに会が終っての帰り道に、思いがけない経験をすることになりました。
 帰り道の方向が近い友人が少し飲みすぎたようで、足のふらつきがあるので、念のため付き添って地下鉄に乗りました。乗り換え駅に降りるあたりから気分が悪い様子になり、介添えしてホームの椅子に座らせるとき、ポリ袋とティシュを差し出してくれたのは、子連れの母親でした。次に通りかかった女子高生は、ミネラル水のペットボトルを取り出して「お水があるといいかもしれません」と置いて行きました。感謝して一口飲ませ、少し休めば回復するかと思ったのですが、激しい冷や汗を出して額も手も冷たくなってきます。意識が怪しくなって、いびきをかき始めました。そこへ「看護師です」という女性が声をかけてくれて、ネクタイを緩め、脈を見てくれました。本人の首が後ろへ反るのを、初老の男性が後ろに回って支えてくれました。さらに通りかかった別の中年の看護師さんが、「頭を絶対に揺すったりしないように」と厳しく指示して、駅員に連絡に行ってくれました。
 救急隊の活動はみごとでした。その場で酸素マスクを装着し、ストレッチャーに乗せて地下ホームから地上へ、そして日大板橋病院の救急救命センターへ搬送しました。その途中でも刻々と血圧、脈拍、症状などを救命センターへ報告していました。彼は一人住まいで近親者がいないので、私も必要があれば親族の代行をしようと覚悟しました。病院でしばらく待ってから医師から聞かされた説明では、意識も回復して、当面の危険はないと思う。しかし肺炎の疑いと、脳内の出血、心臓の状態も調べるので、数日の入院が必要ということでした。最後に本人と面会しましたが、酸素マスクごしながら、「大丈夫、ありがとう」程度の会話はできました。国民健保もあるそうだし、あとは本人が対応できそうだという結論になって、私は帰宅しました。
 短い時間の中で、多くの人たちの善意に支えられました。危険はいつ、どこに潜んでいるかわかりません。困っている人を助けるのは、声をかけ、手をさしのべる最初の一人になるのが、おそらく勇気が要るのでしょう。善意の人は、決して少なくないことを実感しました。そのことを信じて、これから、いつでも、声をかける最初の一人になることを誓いながら、これを書いています。

「日本語の源流を求めて」を読む

「日本語の源流を求めて」(大野晋・岩波新書)を読みました。大野先生の授業は大学時代に受けたことがあり、吉川幸次郎先生とともに、聴講した国文科の方に、むしろ記憶に残る先生が多かったような気がします。大正8年生まれ、88歳になられる先生の、生涯をかけた研究の総まとめです。先生は少年のころから「日本とは何か」を問い続けていたといいます。そして国語学者になり、日本の古典の解読に多くの功績を残すとともに、日本語はどこから来たかを尋ね続けました。そして辿りついたのが、「南インドのタミル人の言葉が、水田、鉄器、機織りの技術とともに海路で北九州に到達した」という結論です。
 それを論証する資料の分析は詳細を極めていて、やまとことば文学の基調になる57577のリズム感までが、タミル語に由来すると説明されています。縄文人が使っていた、もう消えてしまった古代日本語は、優勢な文化とともに到来したタミル語と出会うことによって、表現力豊かな「やまとことば」に変身したのでした。この本を読んだ上は、私は先生の結論を疑うことはできません。文明の祖であるインドから、インド・ヨーロッパ語族にも属さない独特の言語が海を渡ってきて、世界にも類のない日本語を作り上げたという、壮大なロマンの完結です。
 一人の学者が一生をかけると、これくらいの仕事ができるという、一つの見本を示して貰ったような気がしました。内容に興味がありましたら、本を読んでいただくのが一番です。私はそれよりも大野先生について、いかにもその人らしい小さな新聞記事を思い出します。天城山心中で有名になった愛新覚羅慧生は、国文科で大野先生の教え子でした。昭和32年の事件から10年ほどもたった命日に近い12月だったでしょうか、追悼の随想のようなものが朝日新聞に出ていました。そこには「彼女の愁いを含んだような、最後の眸が忘れられない」といった、およそ大学教授とは思えないような、感傷的な言葉ばかりが綴られていました。

ブログ連歌(5)

69 明日の為 繋いでおこう こころ糸(やまちゃん)
70  ほころび縫うも 継ぎ当てもよし(花てぼ)
71 継ぎ当てた 母の心の なつかしく(建世)
72  故郷(ふるさと)後に 今も漂う(koba3)
73 子を想う 母そのものが ふるさとだ(涼子)
74  遠くへ行くも こころ添いませ(建世)
75 子が巣立つ 母になりみて 母を想う(ひとみ)
76  針持つ母の 夢を今だに(うたのすけ)
77 叶うなら 母に見せたい このブログ(建世)
78  冥土の旅の 徒然にして(koba3)
79 検察が 元と前とを 繋げそう(うたのすけ)
80  利権の亡霊 青天に恥じよ(建世)
81 ゴルフとは 紳士がすると おしえられ(えいこう)
82  球(弾)打(撃)つ道の 信義誤る(建世)
83 自衛隊 海外派兵 すぎたれば(えいこう)
84  新法頼れず 引くに引かれず(建世)
85 この際に 派兵給油を ご破算に(うたのすけ)
86  腹をくくって 平和の立国(建世)
87 痛ましや 女性殺される 今日もまた(うたのすけ)
88  粋な男の いないこの世は(えいこう)
89 難しや 粋と罪との 綱わたり(建世)
90  石橋叩き 渡り行かしめ(花てぼ)


小沢一郎辞任劇場(2)

民主党の小沢辞任劇は現在進行中ですが、知り合いブログを一巡して記憶に残った「深読み」が、「土佐高知の雑記帳」さんと、「読谷の風」高江洲瑩さんのところにありました。高江洲さんは、「こうした問題は1年後あたりに振り返ってみたいものだ」そうですが、私はあえて混沌のリアルタイムのうちに書いておく方が、スリルがあって、面白そうだと思ってしまいます。
 土佐高知さんの見解の中にあったのは、小沢氏は自民党が本当に壊れてしまうのを恐れたのではないか、という仮説です。このままでは保守政治の体制が根本から崩壊して回復不能になるかもしれない。保守政治家である小沢氏は、本能的にその危機を回避した、ということになります。いずれにしても土佐高知さんはそこに小沢氏の限界を見て、本当の革命はこれからだと論じています。
 高江洲さんのブログは、教育者らしい発想で新鮮でした。老教師と生徒たちに例えています。「君たちには政権なんか取れっこない、俺の言うことが聞けないんなら、俺はもうやめた」と放り出しました。高校生以上のレベルなら、生徒たちは考えるでしょう。教師の教えてきたことが間違っていなければ、よし、やってやろうという反発が生徒の中から出てきます。やがて仲間の中から新しいリーダーを選んで団結し、目標に向かって歩き始めるでしょう。学園もののドラマなら、こうして難問は解決し、生徒たちのたくましい成長が始まります。老教師は、目立たぬところからそれを見守っているというハッピーエンドです。
 秋の夜長に楽しい夢を見させてくれた小沢辞任劇場でした。悪乗りはこれくらいにして、また、まじめに本を読んで過ごすことにしましょう。

小沢一郎辞任劇場

小沢氏は福田首相の話をよく聞いた上で、その場で断ることはせずに党に持ち帰り、「党の総意でお断りします」と返事した。さすがに老練な政治家らしく、党内から異論が出ないように固めたのは見事であった。さてこれから政権奪取へ出陣だ、と思っていた矢先の辞任劇でした。その理由が「本気で大連立の政策協議を提案したのに、誰も賛成しなかった」からだと聞いて、唖然とした人は多かったことでしょう。私もその一人です。
 政権交代可能な2大政党を作りたいというのは、細川内閣以来、小沢氏の悲願でした。それがようやく手の届くところまで来て、参議院の多数党となり、参院先議で次々と法案を出せるようになりました。衆議院で否決されても、政策の違いは国民の前に非常に見えやすくなった筈です。この状態を半年ほど続けておいて来年4月あたりに総選挙に持ち込めば、勝算は十分にありました。なぜその半年が待てなかったのでしょうか。
 思うに小沢氏はもともと保守党の人でした。福田首相との間に、かなり強い信頼関係を築けたのでしょう。それは民主党内におけるよりも、ずっと「血の濃い」交流だったに違いありません。しかし今回の小沢氏は大局を誤りました。民主党の党首として、してはならないことでした。だから辞任するしかない、本人の気持はそうでしょう。しかし話は終りません。
 1995年の参議院選挙で、小沢氏が中心となって結成した「新進党」は躍進し、比例区での得票も自民党を上回りました。その勢いで政権を取れる政党になるかと思われましたが、わずか2年後に解党してしまいました。なぜでしょうか。小沢氏が社会党を取り込むことができなかったからです。やはり小沢氏は「有能な職人的保守党政治家」でした。今回の辞任劇も、その延長線上にあると思えば理解できるのです。ただ希望は、前回とは違う大きな置き土産が残っていることです。
 いま民主党は、災いを福としなければなりません。交代可能な野党として、「国民福祉を第一とする社民的大衆政党」の立場を鮮明にすべきです。現政権と同質の第2保守党では、交代の意味がありません。「変りばえのする政党」だと国民に信じて貰えれば、次の総選挙で政権が取れます。新しい民主党の党首として、私は菅直人を推薦します。かつて厚生大臣のとき、「大臣は誰がやっても同じではない」ことを実感させてくれました。市川房枝の草の根選挙を政治の原点とする市民の視点と常識があり、一度は首相にしてみたい人です。

よく見れば 小沢のつけた 道がある
 菅よ拾って 政権を取れ
(ブログ連歌・番外にしようと思ったら、ちょうどぴたりと入ってしまいました)

ブログ連歌(4)

49 大連立 キツネとタヌキが いい勝負(建世)
50  狐狸は同穴 泣き見るは民(ひとみ)
51 大資本 パート泣かすな 民肥やせ(建世)
52  肥え樽かつぎ 路地裏歩け(うたのすけ)
53 気がつけば 党首ひとりで またコケた
54  政権交代 急がば回れ(建世)
55 罷めりゃいい てなもんじゃない 次々と(うたのすけ)
56  下手な芝居は 木戸銭返せ(えいこう)
57 夢芝居 釣瓶落しのように幕(花てぼ)
58  観客は待つ 次の主役を(建世)
59 政治家は こんなものよと 切れました(うたのすけ)
60  自棄酒飲むと 日記に書いた(花てぼ)
61 ちょっと待て 誰が拾うの この国を(建世)
62  生きて行くには よく見極めて(やまちゃん)
63 よく見れば 小沢のつけた 道がある
64  菅よ拾って 政権を取れ(建世)
65 ゴミ拾い 人のゆく道 清くあれ(えいこう)
66  チリも積もれば 政権見える(やまちゃん)
67 ごみちりは 透明袋に 入れましょう(花てぼ)
68  堪忍袋も いつかは切れる(うたのすけ)
69 明日の為 繋いでおこう こころ糸(やまちゃん)
70  ほころび縫うも 継ぎ当てもよし(花てぼ)


天長節と明治節と文化の日

11月3日は晴れの特異日だそうですが、今日もまずまずの晴天で一日が暮れました。ところで今日は「文化の日」でしたが、同じ日が明治45年までは「天長節」であり、その後の昭和20年までは「明治節」として祝われていたことは、ご存知でしょうか。
 11月3日が祝日になったのは、明治6年(1873)に太陽暦を採用したことにより、この日が明治天皇の誕生日になったからです。以後、天皇の誕生日は「天長節」として祝われることになりました。明治26年には天長節の歌が作られて、学校の式典で歌うように指導されました。この歌は昭和20年まで使われましたから、今でも70代以上の人は覚えている人が多いでしょう。
 
 天長節(黒川真頼作詞・奥好義作曲)
きょうのよき日はおおきみの 生まれたまいしよき日なり
きょうのよき日は御光(みひかり)の さし出たまいしよき日なり
光あまねき君が代を 祝えもろびともろともに
恵みあまねき君が代を 祝えもろびともろともに

天長節は、大正年間には10月31日(大正天皇の実際の誕生日は8月31日だったが、夏休みを避けて変更)になり、昭和になってからは4月29日でした。その後に「天皇誕生日」に呼び名が変ったことは周知の通りです。一方、11月3日は昭和2年から明治天皇の遺徳を讃える「明治節」となり、翌年には歌も作られました。

 明治節(堀沢周安作詞・杉江秀作曲)
アジアの東 日いずるところ ひじりの君の あらわれまして
古きあめつち閉ざせる霧を 大御光(おおみひかり)に隈なく払い
教えあまねく 道あきらけく 治めたまえる 御代(みよ)尊(とうと)

私たちの学校では敗戦後の昭和20年11月3日に、最後の明治節の式典を行いましたが、校長は「今日は天長節で……」と言い間違えました。明治生まれの人にとっては、この日は長らく「天長節」だったのです。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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