志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2008年04月

平成徳政令のすすめ

4月も末日になりましたが、エイプリルフールのような、それでいて真面目な話をします。
 私は徳川幕府第○○代の将軍です。昨今の「働いても生活できない人々」の実態を見聞きして、心を痛めています。幕府の財政は火の車と聞かされていますが、大老をはじめ幕臣の中には、出入り業者と結託して私腹を肥やしている者がいるとのうわさが絶えません。城中の生活も、倹約を唱えているわりには、昔と変らぬしきたりを守っています。そこで蛮勇をふるって、将軍の直轄で緊急の「平成徳政令」を発することとしました。
 まず、貧困層を救済するために1兆円を用意して、生活援助金として無条件で支給します。1人当り10万円なら1千万人を、20万円なら500万人をこれで救うことができます。支給された援助金は、間違いなく直ちに生活資源の購入に消費されるでしょう。経済効果は抜群で、景気を回復させる力になる筈です。高級官僚の天下り退職金に1千万円を上乗せしてやっても、不動産か証券か、蓄財に回るだけでしょうが、同じ金額を千人の貧困者に1万円ずつ配ったら、生きた金として使われる、これは当然のことです。貧困層を救うための予算というのは、意外に「安上り」なのです。これは世界的に、途上国の援助についても言えることです。
 ワーキングプアを救済するために、たとえば最低賃金を時給1000円として、支払い能力との差額を国が補助するとしても、国としての採算はとれるかもしれません。消費が拡大し、雇用が安定して、納税できる人の数が増えるからです。所得を底上げして、健全に生活して納税できる国民を増やすことが「徳政」の王道でなければなりません。青少年福祉で自立を助ければ、非行に走って警察、裁判所、刑務所へ行くといった莫大な社会的費用を節減できるというのも、同じ理屈です。
 社会政策に財源が必要なのは当然ですが、公共事業だけでも膨大な構造的浪費を内蔵していることは明らかです。各種の金持ち優遇税制もあるし、相続税、資産税にも見直す余地があります。株や為替の投機に暗躍する余剰資本に、課税する方法はないものでしょうか。それでもどうしても財源がなかったら、思い切って裏付けのない紙幣を大量に増刷して大盤振舞いし、インフレを導入する方法もあります。貯蓄のない庶民はインフレになっても失うものはありません。インフレは高率の財産税と同じ効果を発揮することになります。ついでに国の借金も大きく減らせます。あとの始末は、優秀な役人が「よきに計ら」ってくれるでしょう。

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む

「若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来」(城繁幸・光文社新書)を読みました。日本の社会が依然として40歳から上の価値観で動いており、それが30代以下を犠牲にすることで成り立っている現状を、鋭く指摘しています。現代日本の閉塞状況を、かなり正確に把握していると思いました。
 著者の見るところでは、現代日本を支配しているのは「昭和の価値観=年功序列」であって、実力主義、機会の自由化などは、一部はつまみ食いしたものの、所詮は表面の飾りに過ぎないということになります。典型的な大手企業を例にすれば、かつては給与が最高額になるのは50代であり、退職金も年金も生涯の生活を十分に保障するものでした。ところが国際競争の激化で人件費抑制の圧力がかかりました。対策は新人の採用を減らし、実力主義の名目で賃金の最高額を40歳に引き下げることでした。採用を減らした穴埋めに使われたのが、パートや派遣の「非正規労働者」であったことは周知の通りです。その一方で、50代から上に対しては、早期退職の募集などはあったものの、既得権に対する切込みは不十分なままで終りました。
 残された結果は、30代以下の若者の総体としての所得の低下です。非正規で働いている者はもちろん、運よく正社員に採用された若者も、上を見ればすぐに給与が頭打ちになるのが見えています。さらに会社の実権は依然として50代以上が握っている現状を見れば、自分もがんばって出世しようという意欲は湧く筈がありません。会社への期待を失い、3年でやめて行くことになるのです。しかしフリーターや起業で成功するのは少数の例外にすぎません。
 統計資料によっても、所得の減少が30代以下の若い世代で激しいことは事実です。ここで世代としてのサボタージュが起こります。結婚、育児という「世代再生産」の放棄です。少子化問題を、世代間の不公平な処遇という視点から見ると、問題のさらなる深刻さが見えてきます。
 社会保障制度も、若者に味方はしません。福祉財源の大半は老人福祉に向けられていて、育児や教育に投じられる公的支援は、先進国中で最低のレベルです。政治もまた50代以上の価値観でしか動いていないと著者は言います。つじつま合わせの無理を若い世代に押し付けたままで、「日本の未来」は、ありえるでしょうか。政治的発言力の弱い世代の代弁者として、著者は訴えているようです。

公明党早逃げのすすめ

福田政権になって最初の衆議院議員選挙、山口補選の結果は、自公が協力したにもかかわらず敗北に終りました。次の総選挙で同じパターンで戦っても、勝てない可能性が一段と高まったようです。公明党は最後まで自民党に義理を立てて、自民とともに下野するつもりなのでしょうか。自民党に協力して日本社会の格差を拡大し、自ら唱える「民衆福祉の拡大」を裏切った公明党に対する有権者の目は、支持母体の中からでさえ、厳しいものになるのではありませんか。
 ここで公明党には、人気を回復する秘策があります。衆議院での3分の2による再議決に対して徹底的に注文をつけ、自民党を揺さぶって、政界再編の主役になるのです。再議決の手法まで封じられたら、自民党の政権維持は不可能になって解散総選挙するしかなくなります。その選挙での公明党の立場は、じり貧で選挙に追い込まれた場合と比べたら、天と地ほどに違う筈です。
 公明党が初期に驚異的な躍進をつづけていた時代に、早くも「これは日本の政治の癌になる」と警告した人がいました。名も忘れた文芸春秋の記事でしたが、「強固な集票力を持つ宗教団体が議席を持ったら、必ず政治をゆがめる結果になる。速やかに解党して政策の近い民社党に合流すべし」という趣旨でした。その後の公明党はその集票力を武器として政界に一定の地位を占めたのですが、各政治勢力の間に立ってキャスティング・ボートを握ることを習性としてきました。ある意味で日本の政治の改革を、数十年の単位で遅らせた主役ではないかと私は思っています。
 考えてみてください。公明党が議席を伸ばして、単独で政権を担う可能性が、少しでもあるでしょうか。政党を名乗るからには政権構想を持つべきですが、日本を宗教国家に変えるビジョンがあるのでしょうか。おそらく信教の自由は保障すると言うでしょうが、それならなおさら、宗教は政治とは活動の土俵が違うのです。人間の心の救済と、人間福祉の実践活動こそ宗教団体の使命です。政治への関与は、有権者としての間接的な影響力の行使にとどめるべきだと私は思います。
 公明党が国民福祉のために努力した政党であったことは否定しません。今の各種の法律の中に、公明党の政策が生きているというのも本当でしょう。しかし、もう対症療法的でない、根本からの改革が日本の政治には必要なのです。その転換期に当って「最後の恩返し」をしてみたらどうでしょうか。公明党・創価学会が、何となく不気味な人たちの集団というイメージから解放され、一般から抵抗なく受け入れられる宗教団体になるための、大きなチャンスかもしれませんよ。

日暮里・舎人ライナーに乗る

この3月30日に営業を始めた日暮里・舎人(とねり)ライナーに乗ってみました。日暮里駅と足立区北部を結ぶ、東京都営の新交通システムです。この建設工事で、うたのすけさんの故郷の日暮里の町は、異国の町のような変貌をとげてしまいました。東京で最後と思われた昔風の駄菓子屋街が撤去された、その真上が出発駅になりました。跨座式のモノレールではなく、タイヤで専用軌道を走る方式で、「ゆりかもめ」に似ていますが、スピードはずっと早くて、羽田行きのモノレール並です。それで無人運転ですから、技術的には進歩しているのでしょう。
 軌道が見上げるように高いのは、建設中から印象的でしたが、全線にわたってほぼビルの5階の高さを走ります。自動車との立体交差のためだけなら、3階ぐらいの高さでよさそうなものですが、どうしてあの高さになったのか、理由はわかりません。ただし、車窓からの見晴らしはよく、町を見下ろしながら走ります。
 私が草加に住んでいたころの印象では、舎人といえば農村のイメージでしたが、20分で走る終点の見沼代親水公園駅まで、ほとんど町つづきになっていたのには驚きました。親水公園とはどんなものなのか行ってみましたが、農業用水路を改造して水生植物を置き、両岸に並木と緑道を配したもので、遅咲きの八重桜も咲いていました。一通りの景色にはなっていたのですが、単独で行楽の目的地にするには、ちょっと物足りない規模のように思いました。それよりも、2駅手前の舎人公園の方がずっと規模が大きく、広々とした草原と樹木と池があって、大勢の家族連れが自由に散策している様子が、車窓から見えました。ただし、人工的な遊具などは、ほとんどありません。子供がいたら、ボールと紙飛行機でも持って行くといいでしょう。
 考えてみれば足立区は東京23区の中なのですから、市街地化しているのは当然のことです。それを何となく郊外田園地帯のように思っていたのは、やはり不便なところというイメージがあったからでしょう。舎人という地名も、古めかしく由緒ありげです。宮中に宿泊していて、天皇の外出の際には供をする役目だったそうですから、そういう人の出身地だったのかもしれません。ただし足立区舎人の地名の由来については、ネットで調べた範囲では、諸説あって定かでないということです。

山茶花クラブの日英朗読リサイタル

学習院大学英文科卒業生・関係者を中心に結成された山茶花クラブの朗読会に行ってきました。会の名称は、R.H.ブライス先生の辞世の句、「山茶花に心残して旅立ちぬ」に由来しています。今年はブライス師の生誕110年に当るそうです。ちなみに、私の「ブログ内検索」で「ブライス」と入力すると、20件の関連記事が出てきます。
 朗読会の伝統は、後に学習院と駒澤大学で教授となる荒井良雄氏が、研究室の助手時代に始めたもので、すでに50年以上の歴史があります。私はこの活動に参加したことはないのですが、特別会員ということで招かれました。久しぶりに最近の目白キャンパスの様子を見ることもできました。
 リサイタルは、会員有志による日本語と英語による名詩、俳句、文学作品などの朗読で、歌やスピーチをも含みます。いずれも「言葉は声に出して話すことで伝わる」というコンセプトが貫かれています。学生時代を思い出す、楽しいひとときでした。
 さらにユニークなのは「山茶花クラブ賞」の伝達でした。R.H.ブライス、野町二、稲村松雄の3先生の業績を引き継ぐ文化的活動に、激励の表彰を行うというものです。
 吉村侑久代さん・「R.H.ブライスの生涯」の著作および英語俳句の創作とその国際化について。村松俊子さん・シェイクスピア「ソネット集」の全訳、およびその研究書の出版について。矢作三蔵さん・「アメリカ・ルネッサンスのペシミズム」および「美の芸術家ホーソーン」の研究成果について。栗田芳弘さん・能楽堂シェイクスピアの連続上演と、昨年の「座禅ハムレット」の独創的な構成・演出について。曲田光雄さん・横須賀地区での「こども英語教育」と、「かながわ小・中学生英語スピーチコンテスト」開催の功績について。岩尾いくよさん・松戸市で「世界のことば……朗読と交流」の会を創設し、世界10カ国以上の言葉による朗読と歌と民族音楽の発表会を7年にわたって開催。今年も7月6日に松戸市民劇場で公演を予定しています。
 私は大学を卒業するとき、卒論を英文学会の会報に掲載する推薦を受けたのに、原稿の提出をせず、文学部に背を向けて去りました。私にも、あったかもしれない「もう一つの別な人生」を、垣間見た半日でした。

公務員制度改革への試論

親が子供に就かせたい職業の第一が、今は「公務員」になっていると新聞に出ていました。生涯失業の心配がない、並の能力さえあれば、そこそこの出世はできるだろう、福利厚生も心配なさそうだ、といったところが魅力なのでしょう。やがて公務員試験に合格するための「受験塾」が大繁盛になりそうな気がします。憲法では国民のための奉仕者であるべきなのですが、今では国民から奉仕を集める特権階級になったかのようです。
 私は以前に、「国民すべて公務員になったら」という記事を書いたことがあります。一定期間の公務員勤務を全国民に義務づけたら、国民国家としての一体感をもった国の運営ができるだろうと思ったのです。それは一つの理想論であったとしても、公務員がもっと「ふつうの職業」であるべきだと感じている人は多いことでしょう。特権化した身分は、どのように監査のシステムを作っても、傾向として腐敗と怠惰の温床にならざるをえないからです。
 今、日本の公務員は雇用保険に加入していません。公務員は失業しないからですが、これは考えると奇妙なことです。役所であっても、不用な部門が閉鎖されたり、人員が過剰になったりするのは、自然なことです。そんなときは再就職のあっせんは受けるとしても、条件が合わなければ解雇されるのは、むしろ当然ではないでしょうか。現状では公務員は退職金が失業手当と一体になっているそうですが、これは民間と同じ雇用保険に加入した方が、よほどすっきりするでしょう。公務員が加入すれば、雇用保険制度も、ずっと安定する筈です。永久就職の固定化をゆるめる代わりに、公務員も雇用保険で生活を安定させればいいのです。
 その一方で、ILOから度々指摘されている、公務員の労働基本権の回復は、考慮されるべきでしょう。労働条件で自主的に管理者側と交渉する権利は、もっと認められるべきです。
 カナダでは、多くの移民が公務員に採用されているという話を、つい先日聞きました。公務員を特別な身分にせず、もっと流動的な職業に変えて行くのが、公務員制度改革の方向であるべきだと思います。

高齢者保険証が来た

一昨日、話題の「後期高齢者医療被保険者証」が郵送されてきて、いよいよ「ひとごと」ではない自分のことになりました。その前には会社の方へ、健康保険からの脱退手続きの書類が送られてきて、現在の保険証は添付して返納するように、との知らせが来ていました。それにはその後の手続きがどうなるのか、新しい保険証はどのように交付されるのか、といった情報は何も書かれていませんでした。会社の代表として自分で手続きに行って聞いてみようと思っているうちに、次の制度の保険証が届いたので、その点では疑問はなくなりました。
 届いた書類・資料のどこを見ても「長寿医療」の文字はなく、「後期高齢者」で統一されていました。福田首相が「名前が悪いから『長寿医療』に変えよう」と言ったとかの話は、全くその場かぎりの思いつきだったことがわかりました。名前はともかく、新しい保険証では「一部負担金の割合」が3割になっていました。今までは政府管掌の健康保険証に「高齢受給者証」を添付して1割の負担でしたから、今後は窓口負担が3倍に増加するようです。資料をよく読むと、自己負担割合は一般は1割、現役並み所得者は3割となっています。私は会社からも給与を受けていますが、高額ではありません。資料をさらによく読むと、市町村の窓口へ申請することによって1割負担になるゾーンであるらしいことがわかりました。これまでの健康保険では自動的に1割適用であったものが、今回は本人の「申請主義」になっているようなのです。
 制度としては改悪ではないが、気がつかなかったり、あきらめのよい人は負担増になるというのは、公正でないやり方だという気がします。しかし私は今、ちょっと考え込んでいます。われながら浪費的でない暮らしをしている私は、いまだかつて医療費を負担だと感じたことはありません。病気らしい病気も、盲腸炎を除いては、ほとんどしたことがありません。わさわざ役所の窓口へ出向いて、自分の窓口負担率を下げてくれと言うのは、気が進まないのです。家人には叱られそうですが、公的制度で助けられる立場よりも、なるべく長く公的制度を支える側にいたいのです。一人の行動では何ほどの影響もないでしょうが、これは私の一種の美意識かもしれません。
(追記・実際は「申請主義」ではなく、役所が把握すれば修正する原則でした。ただし疑問があれば問い合わせてほしいということです。私の場合は、コメント欄で報告します。)


尊厳死は生き方の問題

昨日の「延命は誰のために」の記事に、鼻メガネさんからコメントで、よいヒントをいただきました。医師の仕事は死に方の演出ではなくて、いかに生きるかを考えるきっかけと時間を提供することだという言葉が、重く響きました。本当にそうだと思ったら、尊厳死ということが、新しい別な角度から見えてきました。
 延命治療お断りというのは、余計なことをしないでくれという拒否の意志表明だと思っていたのですが、ちょっと違っていたかもしれません。医師の仕事は、人の生命を救うことが第一であって、苦痛を取り除くことがその次です。順は逆ではありません。苦痛を逃れるのが第一だったら、すべての人は生きていない方がいいのです。人を生かすのが医療の本質であることを、少し軽く見ていた可能性があります。パイプを何本もつないでの延命措置を、人間に対する異星人の侵略のような、過剰に拒否的なイメージでとらえていたようだと思い直したのです。
 かつては絶望的だった病状からでも、現代の医療は多くの人の生命を救ってくれるようになりました。そういう経験をした人には、集中治療室の風景は、神の奇跡が行われる場所のようにも見えることでしょう。その医療の力が、老人の延命にも役立つのは当然のことです。感謝する理由はあっても、忌避する理由はありません。ただ、問題はその先です。
 意識は混濁し、家族との意志疎通も不可能となり、自力で食物を味わうこともできず、呼吸さえも機械に頼るようになって、回復の見込みがなくなったとき、それでも「生かされている」状態をつづけることは、私には納得できないのです。そのような延命を、自分の意志と無関係に他から押し付けられることは、何としても断りたいのです。それは早く死にたいのではなくて、自分で納得できるように生きたいからです。その私の基準は、少なくとも周囲の人とコミュニケーションがとれて、自力で摂食と呼吸ができる状態であることです。
 そのような意思を生前にはっきりと医師と家族に伝えて、最大限の協力をしていただければ私は満足です。最後の瞬間まで納得して生きていられたら、すべての人に心から感謝できるでしょう。

延命は誰のために

春野ことりさんのブログ「天国へのビザ」に、この4月16日から19日まで3回にわたって出ていた「延命ーーそれぞれの事情」は、高齢者および高齢者のいる家庭の、必読のテキストではないかと思いました。ことりさんは現役の勤務医として、多くの患者の闘病と死別と、そして患者をめぐる家族の心理と行動を見ている人です。ご本人が医師としての使命感を深く自覚し、人が生きて死ぬということについて誠実に考えていることは、著書の小説「天国へのビザ」からも読み取れます。今回のレポートは、その実録版とも言うべきものだと思いました。
 患者が死期に近づいたら、いのちの問題は哲学でも抽象論でもなくて、当面即決を要する選択の問題になります。それを、ふだんはそんな問題を深く考えたこともない「ふつうの人たち」がしなければならなくなるのです。そのときに医師は、いくつかの選択肢を示すことはできますが、独断で決定することができません。家族から事後に訴えられる危険が残るからです。
 昔はそんな悩みはありませんでした。多くの老人は自宅で死を迎え、医師は脈が止まったことを確認して頭を下げ、家族から感謝されるのでした。今は脈が止まっても、集中治療室に運んで蘇生術を施し、人工呼吸器をつけ、経管栄養を補給すれば、ある程度の延命は可能になりました。医療の進歩が生と死の境界線をあいまいにしたのです。昔なら助からない病人も助けられるようになった、それは福音です。しかし老人と家族にとっては、どうでしょうか。
 老人の医療も、今は病院に頼ることが多くなりました。死の現場が家庭から遠ざかることで、人々が近親者の死に方について真剣に考えなくなったというのは、ある程度当っているように思います。どのように死にたいか、どのように死なせたいか、それに伴う医療資源と社会的費用は誰が負担するのかを含めて、私たちは考えておくべきだと思います。
 「できるだけのことをして下さい」という、責任を病院に丸投げする「無難なつもり」の依頼が、医師と病院をどれほど悩ますかということも、知っておくべきだと思いました。ことりさんの記事本体ばかりでなく、そこに寄せられた多数のコメントも、医師たちの切実な問題意識を伝えています。どうぞ合わせてお読みください。

ブログ連歌(30)

579 先に行け 幾山河に 登りしか(やまちゃん)
580  われも行くなり 先人のあと(建世)
581 前のめり 転ばぬ先の 杖持って(ひさ江)
582  ふと立ち止まる 来し方を見て(建世)
583 ひたすらに 戦争反対 語り行く(みどり)
584  頭が下がる 信念まげず(やまちゃん)
585 そのかみの 軍国少年 なればこそ(建世)
586  神風願う 心根憐れ(うたのすけ)
587 神風は 吹かず焼け野の 青い空(建世)
588  ただ嬉しかった 空襲止んで(ひさ江)
588B  家は焼けたが 父さん帰る(ひさ江)
589 疎開地に 迎えし父の 影薄き(みどり)
590  あなた誰かと 見上げる幼子(koba3)
591 英霊に ならずに済んだ 時の運(建世)
592   その父親も 天寿を終えて(ひさ江)
593 新聞の 記事に心拍 早や打ちに(うたのすけ)
594  折しも届く 高齢保険証(建世)
595 ひどすぎる 行方不明が 四人とは(うたのすけ)
596  漁船の親子 捜索虚しく(みどり) 
597 陸もそう 行方不明の 無残さよ(うたのすけ)
598  現代の闇 虚栄のかげに(建世)
599 五十年 花も似合いの 夫婦かな(建世)
600  年甲斐もなく 花束震え(うたのすけ)


「昭和天皇」を読む

原武史・岩波新書の「昭和天皇」を読みました。わが国始まって以来の大変動の時代に天皇の位にあり、天寿を全うした人の記録です。一般に知られることの少ない宮中祭祀についての記述が詳しく、皇居の内側における天皇の役割というものを理解させてくれます。宮中祭祀が古代の様式を色濃く伝えていて、かなりの荒行であるということは、高校時代に歴史の増井経夫先生から聞いたことがあり、興味はもっていました。
 言うまでもなく宮中は国家神道の中枢でした。そして新憲法により国政と宗教とは厳密に分離されたにもかかわらず、宮中祭祀は皇室の「私的行事」として、少しも変ることなく維持されたのでした。ただし皇居は伝統的に京都が本来の地であって、宮中祭祀も江戸時代にはかなり簡略化されていたものが、明治維新とともに国家神道に格上げされ、多分に「作られた伝統」になったという面もあるということです。
 興味を引くのは、戦時中の昭和天皇が、「神ながらの道」の伝承者として、真剣に戦勝を神に祈っていたという事実です。戦争には終始反対の平和主義者であったというイメージとは、違っていました。さらに生物学者としての研究も、神を敬うことと一体化していたというのは、新しい知見でした。昭和天皇は、あらゆる意味で「皇祖皇宗」に忠実であろうとしたのです。ですから連合国に対する降伏の決意も、皇統を守ることが第一であって、国民を惨禍から救うことが第一ではありませんでした。マッカーサーに対する「自分はどうなってもよいから」の発言は、自分の地位にはこだわらないとの表明であって、天皇制の廃止にも応じるという意味ではなかったのです。
 天皇の神格を否定した「人間宣言」を発しても、新憲法を施行しても、天皇と国民との一体感は変りませんでした。外国人の記者たちは、地方巡幸で国民の歓迎を受ける天皇の姿を見て、「まるで戦勝を祝っているようだ」と驚きの記事を書いています。天皇の無事は、国を安定させるとともに、戦争の責任をあいまいにもしたのです。
 「国民に詫びたい」という昭和天皇の意志は、ついに表現されることなく終りました。わずかにA級戦犯合祀後の靖国神社への不参拝だけは守られました。新憲法下の天皇家は、この先どのように伝統を受け継ぐのでしょうか。この本を、ぜひ現天皇に読んでいただきたいと思いました。

福祉元年の同窓会

青少年福祉センターのビデオ取材のまとめとして、初期の頃を知っている人たちに集まっていただいて、インタビュー録画をしてきました。長谷場さんご夫婦にも来ていただいて、初期センターの同窓会のようになりました。
 昭和33年の発足以来、東京都の補助金が出るようになるまで16年、国の補助事業として認められるまでなら23年間、公費の援助を受けることなく身寄りのない子供たちを「食べさせて、寝かせて、自立できるよう手に職をつけさせて」きた奇跡のような事業の内側を、改めて知ることができました。
 長谷場さんを含めてみんなが、引き揚げや戦災や原爆などで人生を翻弄された欠損家庭の子供たちでした。生きるために知恵と体力をしぼって何でもやって資金を稼いだ草創期の仕事は、しかし世間の同情に甘えることのない、誇り高いものだったことがわかりました。その姿勢が周囲を感動させたからこそ、節目ごとに善意の救世主が現れるという「奇跡」を呼び込んだのだと思いました。
 今日はじめて聞いた話に、こんな例がありました。事業が活発だという情報により、税務署が調査に来たことがあったそうです。税務署員は働く子供たちの現場の姿を見て、事業の実態を把握した結果、「わかりました、がんばってください」と、課税はせずに署員のカンパ金を集めてセンターに寄付してくれたそうです。その後しばらくの間、新宿税務署はセンターを寄付金で支える「後援者名簿」に名を連ねていたということです。
 こういう「伝説」を生んできた福祉センターの歩みは、長谷場さんという人物のキャラクターを抜きにしては考えられません。そしてご当人は、後期高齢者となった現在、国民年金の受給資格さえ持たない無年金者だというのですから驚きました。センターには職員のための社会保険料を払う余裕がなかったから、初期の同志たちを含めて、国民年金にさえ入っていなかったというのです。だから、いざという時は「堂々と生活保護を申請するんですね。」という話になりました。逆に9年半暮らしたカナダの政府からは、わずかながら年金の支給があるとのことで、日本との国是の違いを感じました。
 そのほか、19歳年下の奥様との秘話も聞くことができました。センターの世話になっていた10代の少女が、運命的な縁に結ばれて長谷場さんの一番弟子になり、みんなから「ママ」と慕われる人になったのでした。感動することの多い今日の取材でした。

現代人の早口

朝のテレビを見ながら、女子アナの声が早口で甲高く、聞いていて疲れると妻が言いました。番組は、みのもんたの「朝ズバ」でした。現代人の話し言葉が、全体に早口になりつつあることは、私も感じていました。私がNHKにいた当時は、アナウンス原稿は1分間300字が基準と言われていましたが、現在は350字ぐらいだという話も聞きました。しかし実際に調べてみたことがなかったので、この機会に確かめてみました。
 結論は、NHKテレビの定時ニュースで、336字という結果が出ました。300字を基準にすると、12%のスピードアップということになります。ただし原稿の300字というのは、漢字が多くなれば音数は増えるし、カナ言葉が多ければ逆になります。個人の書き方のくせもあるし、だいたいの基準を示すに過ぎません。それでも、40年前に比べて1割以上早くなっているというのは、本当のようです。
 この4月から、新聞の活字は大きくなって読みやすくなりました。視力が弱くなってくる年配者には福音ですし、新聞社も読者に高齢者が多くなっていることに配慮したのでしょう。そうすると放送の分野でも、ゆったりしたアナウンスは、年配者には聞きやすくて好評を受けるかもしれません。現在でもラジオ深夜便などでは、老人を意識した、ゆっくりめの優しいアナウンスをしているようです。しかし定時ニュースをゆっくりにしたら、まだるっこしくてイライラするという声が、老人の間からも出てきそうな気もします。どちらが喜ばれるか、ミニ番組を作ってテストしてみたら面白いのではないかと思いました。
 一般的に人をやさしく落ち着かせたいときの会話は、ゆっくりしたほうがいいし、明るくはげましたいときは、ひとりでに早口になるものです。そして声の高さも、速度に比例して高くなります。現代は早口の高音になる傾向にある、ということは言えそうです。自分のテンポはどうなのか、気になる方は試してみてください。以下の文章154字を、今のNHKの男子アナは28秒で読みました。
 「全国の市区町村に公立の小中学校の図書購入費として、昨年度国が配布した予算およそ200億円のうち、実際に購入費に当てられたのは156億円と、全体の78%にとどまったことがわかりました。文部科学省は市区町村別の図書購入費のデータを近くホームページで公開するとともに、自治体に対して、図書整備の充実を求めることにしています。」

名古屋高裁違憲判断の意味

日本には憲法第9条があるのに、どうして自衛隊を保持して海外にまで派遣できるのか、不思議に思っている人は、今でも少なくないでしょう。「解釈改憲」で無理に無理を重ねて現状を維持していることは、常識で考えれば、誰にも容易にわかることです。今回のイラクへの自衛隊派遣をめぐる名古屋高裁の判断は、素朴な疑問への一つの答を出してくれました。
 昭和48年には「長沼ナイキ訴訟」で「自衛隊の存在は憲法に違反している。よって基地の建設は公益には当らない。」との明快な判決が札幌地裁で出ました。私はこのとき、長い梅雨空の後で久しぶりに青空を仰いだような、爽快な気分を味わったものです。ただしその後の経過は忘れていました。今回調べてみたら、高裁の判決では「訴えの利益がない」として逆転して原告敗訴となり、自衛隊の存在については「高度の統治行為」として、憲法判断を避けてしまいました。そして憲法の番人である筈の最高裁判所も、この高裁判決を踏襲して確定させてしまったのです。地裁の判決を出した福島重雄裁判長は、最後は家庭裁判所の一判事に降格されて退官したということです。
 この先例を踏まえて今回の判決を見ると、裁判官の真意が透けて見えてきます。昨夜のうちに、私はトラックバックいただいた杉浦ひとみさんのブログを読むことができました。原告の損害請求権は認めないのですから、原告は敗訴です。しかし「本論」ではない「傍論」で裁判所の意見を述べているので、この部分は判例にはならないけれども記録として残ります。そして勝訴した国側は、控訴することができません。傍論ではあっても、裁判所の意見は確定するのです。
 福田首相は「判決は国が勝った。(違憲判断は)判決そのものには直接関係ない(朝日新聞)」と述べたそうです。裁判所の判断など気にしない、政治はやりたいようにやる、というのでしょうか。国の最高法規である憲法を軽んじることを、一国の首相が公言しているのと同じことではないでしょうか。裁判官は、おそらく勇気をふるって、しかも最も賢明な方法で、司法=法の番人としての意見を述べたのです。政治を担当する者は、虚心にその警告を聞くべきではないのですか。
 法が尊重され、常識が通用する国になってほしいと、私は心から念願しています。残念ながら、今はそうでない人たちが政権についているようです。理念も理想もなく、ただ現状追認と自己保存だけを考えているかのようです。しかし雨雲の上には青空があるということも、この判決は思い出させてくれました。

学力は学ぶ力

公立中学に民間から登用された校長が、塾の講師に依頼する有料の補講を導入して、賛否両論の議論になったとか、東京都が格差是正政策の一つとして、塾に通う費用に無利子融資を行うとか、塾の存在を前提にした動きがあるようです。今の子供たちは、それほどまでにして教えてやらないと必要な学力が身につかないというのは、本当だろうかというのが私の素朴な疑問です。
 空襲に明け暮れていた国民学校の高学年で、私たちの年代は、ろくな勉強もせずに防空壕掘りや畠作りの勤労奉仕をしていました。6年生の最後に貰った通信簿には、一度もやらなかった科目にまで適当な評点がついていました。厳しく採点したら、全員が落第したに違いありません。大きく欠落していた筈の私たちの学力は、その後どうなったのでしょうか。おそらく中学の先生たちには迷惑をかけたのでしょうが、少しも困ったという記憶がないのは、なぜでしょう。
 国語の読み書きが出来て、加減乗除の計算ができれば、勉強するのに何も困ることはなかったというのが実感です。同期生のその後の進路を見ても、社会人としての活躍は、前後の年代と比べて少しも見劣りしないものだと思います。たしかに歴史の年代を覚えたり、植物の葉っぱの形を覚えたりはしませんでしたが、それらは必要なときに年表や図鑑を見ればわかることです。そうした暗記勉強をさせられなかったことは、私たちには好運だったように思うのです。学ぶ力、興味をもって調べる力を「学力」と呼ぶとすれば、私たちの学力は損なわれませんでした。
 現代の教育への疑問を感じたのは、孫の中学受験の勉強を手伝ったときです。国語や数学にも素直でない問題が多くて抵抗を感じたのですが、理科や社会に至っては、膨大な知識を詰め込んでおかなければ答えられないような問題が、中学の入試には出されるのでした。問題をある程度難しくしておかないと、差がつかないから選別ができないという理屈があるのだそうですが、小学5、6年生の頭脳を酷使するすることで、学力がつくとでも思っているのでしょうか。 
 学歴社会ではなくなった、出身校で人生が決まってしまう時代ではないと言われます。学校での成績が、社会に出たら万能でないことぐらい、大人は誰でも知っています。それでもなお自分の子供だけは「将来楽をさせる」ために、今の貴重な伸び盛りの頭脳を受験競争に駆り立てるというのは、本人のために本当によいことでしょうか。今の塾へ通っても「学力」は身につかないだろうと、私は疑いの目で見ています。

声に出そう

今朝の家の中での何気ない会話です。「孫が急に大きくなってしまって、さびしくなったわね。」「そうだね」と私は応じました。気持はよくわかっています。でも声に出すことで、自分だけではなかったという、一つの共感が生まれました。黙って一人で考えているよりも、声に出してくれて、よかったと思いました。
 心細い毎日を送っている老人は少なくないでしょう。老人の健康保険はどうなるのか、年金は先細るばかりでないのか、心配の種ばかりです。今は老人だけではありますまい。話し相手もなく、未来に希望も持てずに家にこもっている人は、どれほどいるのでしょうか。引きこもる家さえない人もいることでしょう。そういう人たちの声は、どこからも聞こえません。マスコミも取り上げることはありません。聞こえない声は、ないのと同じです。
 どこかの本で「悲しいときは『悲しい』と、苦しい時は『苦しい』と、声に出して言ってごらんなさい。それだけでも少しは楽になる。」と読んだような気がします。なぜ悲しいのかを、紙に書いてみることで救われた人もいます。書くことで、悲しみとの向き合い方を悟ったからです。自分の声に自分で気づくだけでも、これだけの効果があるのです。まして、誰かほかの人の耳に届いて、共感の言葉が聞けたら、立ち直る勇気を得られるのではありませんか。
 庶民は弱いものです。自分の思いを伝える手段を持っていません。ただ一つの強みは、数が多いということだけです。1万人がいれば、1万人が息をしていて、1万人の情念があります。それが1万人のつぶやきになれば、心ある人の耳には聞こえるかもしれません。それが声として口から出たらどうなるでしょうか。ここでアナウンス効果ということが起こります。同じことを考えていた人が、ほかの人もそうだったと知って、一回り大きな声で話すようになるのです。こうなったら、もう誰にも止めることはできません。これが世論というものです。
 世論はどこかで勝手に起こるものだと思っていたら、声の大きい者の天下がつづくだけです。世論は自分で作るものです。自分の思いを声に出すことから、それは始まります。黙っていたら、みんな納得、不満はないと思われてしまいます。思っていることを、声に出しましょう。

後期高齢者医療制度の怪

悪評高い後期高齢者医療保険の保険料天引きが始まるようです。私は来年からですが、うたのすけさんのところへは「後期高齢者医療保険料仮徴収額決定通知書兼特別徴収開始通知書」というのが送られて来たそうです。漢字が29文字連続していて、これで「通知」をしたことになるという、役所仕事の典型のような知らせ方だと思いました。
 それよりも何よりも、私にはこの「後期高齢者医療保険を分離する」という発想が、社会保険制度の根本思想と矛盾しているような気がしてなりません。保険の原点は「相互の助け合いで危険を分散させる」ということです。ですから加入者が多いほど制度は安定するわけで、それを延長すれば、国ぐるみの社会保障制度に行き着きます。その一方で、特殊な財産や事業の安全のための保険もあります。それは一種の賭けのようなもので、資本力のある者が、掛け金を取って万一の場合の補償を引き受けます。これはおもに商業保険の分野です。
 日本の医療保険は、社会保障の一環として普及してきたものです。「国民皆保険」がスローガンであったことからも、そのことは明らかです。当初は公務員、大企業など、組織しやすい部分から始まったとしても、いずれは全国民をカバーする単一の制度になるのが理想です。その流れの中で、一定の年齢層だけを分離するのは、逆行に他なりません。
 私がNHKに在職したとき、職域の健保組合でしたから、保養所は使えるし、1割負担した医療費も組合から還付されて事実上無料になるしで、優遇されていました。健康な人間だけを採用して健康保険組合を作れば、そのような不公平が生じるのは当然なのです。もっと早くに制度を一元化して、安定した制度を築いておくべきでした。
 医者にかかることの多い老人だけを集めて別な保険制度にするというのは、特権的な制度を温存することの裏返しです。既得権に切り込むことを後回しにして、年金支給という「取りやすい財源」に目をつけたような今回の制度は、日本の医療保険制度そのものの根幹を崩してしまう危険をはらんでいます。老人医療、終末医療に費やされる社会的費用をスリム化するというのは、医学・倫理・哲学上の別な次元の問題です。今回の「後期高齢者医療保険制度」は、政権交代によって、一日も早く廃止しなければなりません。

ブログ連歌(29)

559 靖国は 静まりてこそ 安泰に(建世)
560  死者の御霊(みたま)は ふるさとの墓(ひさ江)
561 さくら散り 春は流転の うつくしさ(建世)
562  ただただ願う 平穏の日々(うたのすけ)
563 花嵐 荒れ狂いても いつか止む(koba3)
564  止んだそのあと 掃除誰する(えいこう)
565 すまし顔 何処吹風さ 投げ出して(やまちゃん)
566  宙に浮いたは 置き去りのまま(建世)
567 銀河系 渦巻く星の 見えざりし(みどり)
568  われは星屑 されど生き居り(建世)
569 これからだ パワー全開 惜しみなく(やまちゃん)
570  後に続くぞ 杖をついても(うたのすけ)
571 知恵袋 先に歩くが 賢者道(やまちゃん)
572  中途半端が うろついており(花てぼ)
573 満月も いつしか欠ける 世も常に(みどり)
574  満ち欠けしてぞ 人生きるなり(建世)
574B  満ち欠け問わぬ 欠けたまま悲し(うたのすけ)
575 片破れの めおと湯飲みに すみれ挿す(みどり)
576  三色スミレ どの色お好き(やまちゃん)
577 色とりどり 人それぞれに 美しき(建世)
578  手を取り合いて 山河越ゆる(みどり)
579 先に行け 幾山河に 登りしか(やまちゃん)
580 われも行くなり 先人のあと(建世)

「あの戦争は何だったのか」を読み直す

書店の店頭で「あの戦争は何だったのか」(保阪正康・新潮新書)を手にとって立ち読みし、「大人のための歴史教科書」という副題通りに、なかなかいい本だと思って、レジへ向かって歩きはじめたところで、ある予感がして立ち止まりました。家に帰って書棚を見たら、果たして同じ本がありました。3年前に初版が出て間もなくの時期に買って、一度は読んでいたのでした。私にとっては、さほど珍しいことでもありません。同じ本をまた買ってしまったのは、少なくとも3回以上の経験があると思います。最近は新刊のような帯紙をつけて出ている場合があるので、気をつけないといけません。
 改めて読み直して、なぜ記憶に強く残っていなかったのかを考えました。書いてあることが一々もっともで、今の私が考えていることと非常に近いからだと気がつきました。すでに私の骨肉と化していると言ってもいいのかもしれません。あの戦争は、一つの「時の勢い」で始まってしまった。明治以来の国民皆兵、武力信仰が行き着いた終末点だった。陸軍、海軍という官僚機構が肥大化した果ての姿でもあった。そして、一度始まってしまうと、つじつま合わせの目先の対策に全精力が注がれてしまって、そもそも何のための戦争なのかを大局的に判断する力は、どこから出てこなかった。そこでは天皇さえも、信念を貫くことができなかった……。
 あの戦争の全体像をつかむためには、絶好の教科書と言えるでしょう。そこから読み取るべき教訓は、一度号令がかかってしまうと、素直に極限まで突っ走ってしまう日本人の国民性です。その号令そのものが、日本的無責任体制で決められた方針によって発せられたのですから、国民は救われません。その体質が、敗戦によってさえ変ったようには見えないところに、著者も、そして私も、最大の危惧を感じるのです。
 問題点は二つです。第一は、目的もあいまいな戦争を、なぜ3年8ヶ月も続けたのかの説明責任が、未だに果たされていないこと。第二は、戦争指導者たちの権力は、この国の歴史上正統な権限によるものではなかった、ということです。ここから導かれる未来への課題は何でしょうか。
 現実を冷静に見ることもせず、ムードに乗せられて目先の戦術や対応策に没頭してしまうようでは、また同じ過ちを繰り返すでしょう。思想や理念や歴史観という土台をなおざりにせず、主権者たる自覚を持つ国民が、この国の未来を作るのです。

非戦災者税

先ごろブログに連載していた「人間たちの記録」を本にするために、原稿の整理を始めていて、その読み直しを妻に手伝ってもらっています。そこで出てきた会話が、「空襲で焼けた家と、焼けなかった家とでは、大変な違いだよね。」ということでした。東京の私の家は焼けずに残り、静岡の妻の実家は、戦災で全焼したのです。ですから妻は、幼児・少女期の思い出につながるような写真などの資料を、ほとんど持っていません。就学前からの写真や日記帳が揃っている私とは、大違いです。
 「だけど、戦後には『非戦災者税』というのもあったんだよ」と言うと、「日本の政府も、案外ちゃんとしてたのね」という言葉が返ってきました。妻の感じていた不公平感が、それで少しは癒されたような口調でした。言いにくくて、早口言葉の材料にもなった「非戦災者税」とはどんなものだったのか、ネットでわかる範囲で調べてみました。昭和22年に一度だけ特例として課税されたもので、戦災で家が焼けなかった人から家賃の半年分に相当する税金をとって、住宅の復興資金に当てるというものだったようです。
 財源が枯渇していた戦後の混乱期ですから、この頃には財産税も高率で、余裕のあるところから有無を言わせず税を取る、戦時中の債権(国の借金)は帳消しにするという、なりふり構わぬ財政再建の荒療治が行われていた時代です。今なら個人の財産権侵害だと猛烈な反発が起こるでしょうが、当時は共産主義や社会主義にも人気があったし、みんな苦しいのは同じだという感覚があったから、このような政策も実行できたのでしょう。
 ひるがえって今の日本で非戦災者税を復活するとしたら、さしずめ「非・非正規雇用者税」ということになるでしょうか。資本グローバル化戦争の被害者を救済するために、正規雇用に就き、社会保険にも加入している人たちから「非・非正規雇用者税」を集めて基金を作る、これはむしろ、労働組合の仕事かもしれませんが、こんなことを言うと、「もっと、取るべきところから税を取れ」と叱られそうです。
 そうなのです。今の日本は、取るべきところから税を取っていません。「資本の自由な活動を妨げない」のが錦の御旗です。しかし、そうして優遇された結果として生まれた余剰資本は、何をしているのですか。石油が枯渇すれば石油へ、食料が不足すれば食料へ、価格を吊り上げる投機で利益の拡大を狙うばかりです。いま必要なのは「非生産目的投機税」ではありませんか。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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