志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2008年05月

飛翔の自由と孤独

鹿児島からの帰りに見た風景は、座席が翼の真上になったので、空中をすべっている感じになりました。翼の先は柔らかく上方に曲がって、はばたいています。鳥も飛ばぬ1万3千メートルの成層圏を、自由に飛んでいるかのようですが、人も荷物も載せた重い機体が、もちろん空中に浮かんでいられるわけがありません。大量のジェット燃料を消費する推力に支えられて、危ういバランスの上に高度を維持しているのです。
 空中は人間の住処(すみか)ではありません。にもかわらず、この心地よさは何でしょうか。私は飛行機で飛んでいるのが大好きです。小型飛行機の操縦免許を、本気で取りたいと思ったほどです。
 このぜいたくな浮遊が、長時間は許されないのを知っています。でも子供のときに、何度も夢に見たのです。高い所に立つと、不思議に飛べそうな気がするのです。そして実際に手を広げて足を蹴ると、グライダーのように飛んで行けるのでした。
 私はどこへ行きたかったのでしょうか。地に足をつけなくても、生きて行けると思いたかったのでしょうか。目が覚めてから、妙にさびしかったのを覚えています。 
 やがて、やさしい口調の機内アナウンスが流れます。飛行機は私を、よく知っている人たちの所へと運びます。



天と地の間に

明日から鹿児島方面へ、大学同期の人たちと小さな旅をします。やりかけの仕事も離れて、何も考えずに行きます。行ってきても、多分また同じようなことを続けるでしょうが、ブログはちょっとお休みにします。
 きょうは、もったいないような晴天でした。明日からの天気は、わかりません、天にお任せです。でも層雲の上には青空があるでしょう。天と地の間を浮遊するのは、久しぶりで楽しみです。

「金融権力」を読む

「金融権力」(本山美彦・岩波新書)を読み終りました。経済学の素養のない私としては、上すべりのところがあるかもしれませんが、著者の指し示している方向性は、つかめたような気がします。かつて有名になったホリエモンこと堀江貴文社長の「金儲けは悪いことですか」のせりふに対して、「悪いことです」と断言しているのが痛快です。また、先物取引市場が、物の安定供給という本来の目的を離れて金儲けの手段と化した結果、「先物市場が存在しなかったら、今のような原油や食糧の価格高騰は、ありえなかったろう」と論断しています。
 アメリカ発の「グローバル・スタンダード」が、財・政癒着の「ワシントン・コンセンサス」から出ていることは前の「国際連帯税と社会起業」で書きましたが、この路線をいくら徹底しても、世界の貧困は解消せず、格差が激しくなる一方であることが見えてきました。現代の「資本が生産を搾取する」構図は、マルクスが解明した「資本家が労働者を搾取する」構図と、驚くほど似ているのです。マルクスはそこから革命を予言したのですが、資本そのものを商品とした投機の破綻が、今回のサブ・プライムローン問題であったと考えると、資本による搾取もまた、自己矛盾に陥ったと見ることができます。資本家が労働者を死滅させては存在できないように、資本もまた生産を死滅させては存在することができないのです。
 それでは金融を、生産のための資金を円滑に供給するためという本来の役割にもどすには、どうすべきでしょうか。資本を商品とする投機取引を規制することはもちろん必要ですが、著者はイスラムの経済感覚にも注意を払い、かなり大きな期待を寄せています。またグラミン銀行など、地域通貨に近い反グローバリズムの金融を高く評価しています。また企業経営については、従業員が株主となって主導権を確保する企業防衛を推奨しています。そして株式の取引については、「株とは本来、企業の経営に参加して、企業の成長によって利益の配分を受けるものであった」という原点に立ち返るべきことを説いています。
 中国には「株取引印紙税」というものがあるそうですが、日本でも、堅実な株式投資には大きな妨げにならず、投機的な短期の株取引を抑制するような、公的な「株式取引高税」の導入が必要だという思いを、改めて深くしました。これは先の「為替取引税」と並ぶ、資本の移動に対する世界的な課税強化の一環でなければなりません。

ふくろうの会を聞く

昨日の土曜日、花てぼさんが参加している朗読グループ「ふくろうの会」の「第6回おくにことばで語る民話」を聞きに、入間市の「文化創造アトリエ・アミーゴ」へ行ってきました。会場は、元繊維工業試験場だったものを改装したとのことで、木質で音の響きのよい、正16角形の非常にユニークなスタジオでした。そこへ80名ほどが満席で入る盛況でした。
 主な演目は、福岡、石川、群馬、秋田といった、それぞれの方言による民話です。聞いているうちに、全国から人が集まる首都圏の住宅地域だからこそ、こういう企画が成り立つのだと気がつきました。その真骨頂が発揮されたのが、東北弁、関西弁、中国弁、九州弁の4人で演じた「桃太郎」でした。私は花てぼさんの、熊本弁と共通語の対比を駆使した「バイリンガル・おてもやん」を思い出したのですが、ひところタレントの「たもり」がやっていた「4ヶ国語マージャン」にも似た、痛快な面白さがありました。
 そのほか、ピアノの伴奏で会場といっしょに歌う「歌の時間」まであって、会場を飽きさせません。会の始まりは、地元のFM局「チャッピー」に民話の語りを提供する数名のグループだったそうですが、それを会員20名ほどの継続的な文化活動に育ててきた努力は、尊敬に価します。会の名称の「ふくろう」は、誰かが呟いたのを、「不苦労」だからそれがいいというので決まったのだそうです。苦にしないで楽しみながらやってきたからこその盛会でしょう。
 最後に全員参加の群読があって、私の「うたはどこで生まれた」を読んでいただきました。もともと合唱曲になるように書いたものなので、朗読したらどうなるのかと思っていましたが、ソロを立てたりグループわけで読んだり、変化をつけながら上手にまとめていただきました。
 妻に頼まれて録音はしたのですが、最後部の椅子で旧式のカセット・テレコを回しただけなので、残念ながらブログでご紹介できる音にはなりませんでした。会としての録音もしていないとのことです。朗読は一期一会、耳に残った声がすべててす。私としても、貴重な経験をした日でした。

政治の説明責任

昨日の記事についてhanameganeさんからいただいたコメントで、政治の説明責任ということを考えました。医療でのIC(インフォームド・コンセント)が不十分だと、医師は訴えられて裁判で有罪とされることがあります。政治の説明責任不履行を、厳しく問責する方法はないものだろうかという趣旨でした。
 昨日の裁判員制度もそうですが、話題の「後期高齢者医療制度」をめぐる混乱などは、政府の説明責任放棄の典型のような事例です。これで困窮した人たちが提訴したら、政府は敗訴するのではないでしょうか。少なくとも庶民感覚の「裁判員制度」なら、間違いなく、そうなるでしょう。
 ところが現実には、政府の失政は処罰されることがありません。それに似た機能があるとしたら、次の選挙で支持を失って政権から遠ざけられる可能性がある、ということだけです。これがまた、これまでの日本では、ほとんど有効に機能しませんでした。政権党は解散権を握っており、自らに有利と思うタイミングでなければ総選挙を実施しないからです。現在の野党がいくらがんばっても、確実に解散・総選挙に持ち込める決め手を欠いてるのは、そのためです。
 そこで国民が総選挙を請求する方法はないものかと考えてみました。地方自治法では、首長も議会も、住民の3分の1以上が署名して請求すれば、住民投票が行われて、その過半数で解任することが可能です。人口40万人以上の場合は、超えた部分は6分の1の署名で足ります。いわゆるリコール制度ですが、これを国会に対して応用できないでしょうか。
 具体的には、「国会の解散を求める国民投票」の制度です。全国規模ですから、請求の署名は、全有権者の6分の1、あるいは、1割程度でも充分でしょう。その請求が成立したら、国民投票にかけ、過半数だったら、国民が国会を解散して総選挙を行うのです。そのような「国民投票法」ならば、政治を国民に近づける大きな力になるでしょう。そういう法案を通す国会にするためには、やはり次の総選挙を待たなければならないのですが、一つの新しい目標になりそうな気がします。

裁判員制度がわからない

裁判員制度が実際に始まるのが1年後になったというので、解説記事などが、あちこちに出ていました。その大半は、自分が当ったらどうなるか、どんな場合なら断ることができるのかといった、対症療法的なものが多かったように思います。しかし、これほど大騒ぎして進めている新制度のおかげで、国民にとっては、どんな良いことがあるのかが、私にはまだわかっていません。話題になった最初から、制度の必要性についての納得できる説明を、聞いた覚えがないのです。
 最高裁判所の名で出ている公式らしいサイトの説明によると、「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」と書いてあります。他人ごとのような、主語のはっきりしない文章なのも気になりますが、本当にこれで裁判が身近になったり、信頼が向上したりするものでしょうか。少数の参加した人には、たしかに裁判は身近になるでしょうが、経験したことを、やたらに人にしゃべるのは制限されるようです。その他一般の国民にとっては、どうなのでしょうか。
 ふつうの市民の常識を裁判に反映させるというのなら、刑事事件よりも、民事の相続争いや離婚訴訟の方が効果がありそうに思うのですが、今回の制度の中心は、死刑や無期懲役なども論じられる凶悪犯罪の審理になるのだそうです。そういう裁判への不信感が、これまでの日本では大きかったのでしょうか。また、不信感が大きかったとしても、その不信感は素人が裁判に参加すれば解消される性質のものでしょうか。むしろ法律が現実の社会と合わないといった問題は、裁判所の外で論じた方がいいのではないでしょうか。
 要するに私には、これほどまでに巻き込まれる国民に迷惑をかけ、裁判所の方にも半端でない負担も金もかかるらしい制度を実行しても、それに見合う具体的な利益が何であるのかが、少しもわからないのです。
 この制度に反対している人たちのサイトを見ると、形ばかりの「公聴会」や、やらせ質問で問題になった「タウン・ミーティング」と同類の、「国民の同意を得たという『お墨つき』制度」の一種としています。死刑制度温存のためというような下心まであるとしたら、協力させられる市民には迷惑な話です。本当に来年から実行しなければならないほどの制度なのでしょうか。もしも凍結したら、一番困るのは、誰なのでしょうか。

国際連帯税と社会起業

いま「金融権力」という本(本山美彦・岩波新書)を読み始めているところです。アメリカのグローバリズムは、「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる政・産複合体によって方向づけられていること、その中枢にある政治と産業資本との癒着は、日本の天下りなど足元にも及ばないほど深いものであることが解き明かされていました。財界の大物が堂々と行政の幹部に就任するのですから、たしかに国政と資本の論理は一体化する道理です。目からうろこでした。
 サブプライムローン問題も、何となくわかったような解説だけを聞いてきましたが、資本の成長だけが目的化した弊害が表面化したという本質が納得できました。全体を読み終ってからまた紹介しますが、資本主義が一種の袋小路に入り込みつつあるのは事実だと思います。
 たまたま一昨日の「クローズアップ現代」だったでしょうか、テレビで「国際連帯税」という言葉を初めて聞きました。為替取引に対して0.05%の国際連帯税を課税して、太陽光発電など温暖化防止対策の財源にするという趣旨でした。古くから提案されている「トービン税」に似ていますが、税率は5倍です。ネットで検索すると、日本でも「国際連帯税を推進する議員連盟」が、すでに超党派で発足しているのがわかりました。フランスでは、すでに航空券への課税という形で部分的に実行されているそうです。
 為替取引での2000分の1の税率は、通常の貿易にとっては大きな障害にならないでしょうが、投機目的で短期に繰り返される取引に対しては、抑制の効果を発揮するでしょう。一石二鳥の妙案と言えます。今年のサミットで、ぜひ日本が主導して世界に提案し、実現してほしいものです。
 それと、今朝の朝日新聞では、アフリカにおける「社会起業」の成功事例が紹介されていました。先日紹介した「グラミンフォンという奇跡」もそうですが、ただ与えるだけでない、貧困からの脱出を助ける起業活動が盛んになれば、資本主義は、かなりの罪滅ぼしができる筈です。産業活動が円滑に進むのを助けるのが「金融」の本来の役割であったという、原点に返っての反省が出始めているように見えます。うまく行くと、私たちは、資本主義の好ましい変身を見られるのかもしれません。

晴れて退院

カラリと晴れた気持のいい日でした。退院の予定とは聞いていても、具体的なスケジュールなどは知らずにいました。10時前に本人から電話があり、朝のうちに抜糸が済んで、なるべく早く、11時までには部屋を明けて退院しなければならないとのことで、ややあわてました。娘たちは2人とも外出中で、とりあえず概算の現金を持って行ってみました。昨日の締め切り間際に、自分で思いついて入退院デスクに立ち寄り、概算を聞いておいたのは正解でした。
 部屋へ行ってみると、妻は衣類を手提げ袋に詰め込むなど、かなり支度を進めていました。「大丈夫か、痛くないのか」と聞くと、「痛いけど、しょうがないわよ」と、がまんの表情です。なんと次に入室する人が待っているという話でした。10日も在室したので、荷物は意外に増えています。両手でも持ち切れないので、1階のデスクに頼んで、先に一往復しました。妻が書いたお礼のメモ1枚を残して、あわただしく病室とお別れです。寝間着とスリッパで、すり足の妻を連れて歩き出しました。
 ロビーの椅子に妻を座らせておいて会計を済ませ、そのまま家に帰って車を出し、乗せて帰ってきました。診察券の受け渡し、腕に巻いた認識票の取り外しなど、担当者が多すぎて、全体の進行を見てくれる人が決まらない印象は、最後まで少しありました。
 家に帰りついて、娘や孫たちが次々に現れたときの第一声は、「あっ、もう帰ったの」「うん、追い出されちゃった」でした。夕方になってから見せてもらった手術跡は、10針の堂々たるものでした。当分痛みは続くでしょうが、病院からの注意事項らしいものは何もなく、「傷跡は心配ありません、6月3日に外来で来てください」だけだったということです。
 思いっきりよく晴れた日の、なんとなく豪快な退院になったのは、警察病院だからでしょうか。

生い立ちの記録

ここで言う「生い立ちの記録」は、一般名詞ではなくて、昭和6年に野ばら社から発行された、子供の誕生から小学校卒業までを記録するための、特殊日記帳の商品名です。私の父は、自分にとって必要だと思うものを、世の中にとっても必要だと思い込んで商品化してしまう性癖を持っていました。当時の会社の住所が「東京府北豊島郡滝野川町西ヶ原68番地」であるのが、時代を感じさせます。もちろん現在の東京都北区西ヶ原と同じ住所です。
 この「生立の記録」を使って、明治27年生まれの私の母は、私の誕生を記録してくれていました。今年の誕生日に、「志村さんが生まれた時間は、いつでしょう」というメールを下さった方がいて、私は、母が書いてくれた記録を読み直す気になりました。以下はその本文です。

5月18日早朝の澄んだ空気が、1枚2枚、雨戸をひらいた室内に気もちよくながれ込む。皆のねむりをさまさぬやう静かに、なにかと用意をして、それから皆をおこした。いそいで朝食をすまして、自分で渡辺産婆さんへ電話した。
 幸ひいつものやうに楽々と生まれた(8時39分)。『おちんちんをもってきましたよ』と渡辺さんがおっしゃるのをきいた。瞬間の苦痛からホッとして、男の子といふ心づよさとともに、玲子が男に生まれかはったのだ……といふやうな憶ひが新しく、逝った子どもの上にはしる。
 『時季も、時間もいいし、お産もいつもながら、おかるいし、お幸せな……』と渡辺さんがおっしゃっておいでだった。 ママ記

このとき母は満39歳、当時の数え年なら40歳になっていた筈です。7回目の出産ということで余裕があったのでしょうが、当日の朝に自分で雨戸を開け、自分で電話をかけたことまでは記憶していませんでした。気丈な母親と、子供の成長を記録することに意義を感じていた父親がいたことを、この記録帳は証言しています。どんなに問題のある親だったにせよ、そのときの純情を疑うことはできません。
 かつて志村文蔵、ミ子(みね・旧姓は林)という夫婦がおりました。それが私の父親と母親です。
(追記・私の誕生が昭和8年・1933年で、この時点では滝野川は東京市内になっていました。)





意外に早い退院予定

病院の妻のその後ですが、ガスに続いて18日に便通があったと喜んでいたら、明後日の21日が退院の予定日と告げられて、本人はもちろん家族もびっくりしました。食べられるようになったから点滴はいらない。傷の跡を見るだけだから、毎日やることはないと言われれば、たしかにその通りですが、早くても2週間はかかると予想していたので、拍子ぬけのような結末になりました。
 最近の病院は、入院を短くして早く通常の生活にもどす傾向だとは聞いていましたが、5年前の私の盲腸炎のときと比べても、時代の違いを感じます。もっとも、9日間絶食していたにもかかわらず、患者は痩せもせず、気力、体力も、さほど衰えませんでした。体重は2キロ減ったそうですが、必要な栄養素の大半は、点滴で補給されていたのでしょう。手術傷の回復にかかる時間は、昔と変らないだろうとは思うのですが、この方でも新しい技術が使われているのかもしれません。何はともあれ、確かな治療をしていただいた病院には、感謝あるのみです。
 最初の入院から通算しても、ちょうど2週間での退院になります。傷はまだ痛い痛いと訴えているので、自宅での生活もあまり楽ではないでしょうが、とにかく、いるべき人が家の中にいるというのは、良いことです。
 今回の、発病から退院の見通しが立つまでを考えると、ほぼ教科書通りのような経過を辿ったような気がします。医療についてのすべてが、順調に機能してくれました。しかしこれは、現代の日本では、好運と呼ぶべきなのかもしれません。好運ではない、さまざまな問題があることを、ブログを通してだけでも、私はこの2年半で学んできました。「自分の場合はよかった」だけでは終らせずに、医療の問題への関心を持ちつづけたいと思います。ブログ友の医師がいると思うだけでも、私は精神的に、ずいぶん余裕が持てました。
 お見舞いの心をお寄せくださったすべての方々に、深くお礼申し上げます。

後期高齢者医療制度の長所

本日でめでたく75歳になり、後期高齢者の仲間入りをしました。また、1年のうちでたった1日、うたのすけさんと同い年になる日です。自分が所属するようになったから、でもありませんが、話題の「後期高齢者医療制度」にも、ちょっとは良いところもあるのです。あまり悪者扱いされて可哀そうという気が、しないでもありません。
 この制度は、75歳の年齢で国民を輪切りにして、一つの制度として面倒を見ようというものです。なぜそれが可能かというと、公務員も会社員も自営業者も、75歳になれば大半は仕事をやめているので、働き方による保険の差が、ほとんどなくなるからです。また、ほぼ全員が年金の給付を受ける立場になっていますから、保険料を集めるのは給付から天引きという方法が使えます。管理する側からすれば、まことに好都合なわけで、いかにも頭のよい役人が考えそうなことです。
 ここで見逃せないのは、公務員共済、大企業の保険組合、政府管掌健保、国民健康保険といった、身分の違いによる格差が解消して、一種の平等が実現していることです。これをよい方に解釈すれば、社会保障の一元化が、部分的に可能になったということです。ただし、今の制度は公的医療費の抑制を何よりの目的にしているので、高齢者の医療水準が下がるか、高齢者の負担が増加するか、いずれにせよ先行きが暗いのが問題なのです。
 年齢で輪切りにして一元化するのなら、全国民を平等に扱う方向へ、これから年齢区分を広げればいいのです。複雑になってしまった公的保険制度を一度解体して、全国民が加入する新しい健康保険制度に一本化したら、管理事務は簡単になり、保険料の徴収は、所得に応じて納める税金に非常に近いものになるでしょう。すべて税金で賄うことにしてもいいのです。
 それともう一つ、同じく不評で腰砕けになりそうな「終末医療支援」は、非常に重要な問題を含んでいます。いたずらに苦痛を長引かせ、患者も家族も国家財政も苦しめるような終末医療を、どうしたら少なくすることができるか。「早く死ねということか」というような感情論ではない、真面目な議論が今こそ必要です。この問題に関心のある方は、春野ことりさんの「天国へのビザを見に行ってください。

沼津会のこと

先週の土曜日に、滝野川国民学校の「沼津会」へ行ってきました。昭和19年の7月から20年の5月まで、1年近く生活を共にした集団疎開児童の同窓会です。昭和19年の時点での4年生と5年生約60名が参加しました。空襲はまだ始まっていませんでしたが、先行的なモデル校の性格があったようです。この疎開学園については、昭和60年に「静浦疎開学園ものがたり」という、すぐれた記録文集が発行されています。編集のキーマンは、当時4年生で、後にミステリー作家となった内田康夫氏でした。
 この集団疎開へ私は5年生として参加したのですが、わずか1ヶ月で東京の自宅へ引き取られました。体中に吹き出物が多発したのが直接の原因で、母親が学校の了解のもとに迎えに来たのですが、私は何も知らされずに、突然の帰京になりました。口には出さないものの、自分から言い出して集団疎開に参加したことを後悔していましたから、敵前逃亡のような、後ろめたい気持が残りました。宿舎になっていた獅子浜の本能寺の山門を出るとき、「いいな、いいな」とうらやむ友人たちの目が、突き刺さるような感じであったことを覚えています。
 ですから文集が編集されるときに呼びかけられても、私は原稿の募集に応じませんでした。私にとっては、疎開学園は、先生というものに対する信頼感を喪失した記憶でもありました。親代わりというよりも、管理し支配する人たちであることを強烈に知らされたのでした。何といっても大きかったのは、出発のときに親たちが持たせてくれた菓子など当時の貴重品を、到着したとたんに「食べられるものは全部出しなさい」と没収されたことでした。先生にしてみれば集団生活の平等を考えたのでしょうが、食い物の恨みは絶大でした。それに加えて、没収したものを先生たちが夜に食べているという噂が広がって、それを便所の壁に書く者が現れたりしました。
 しかし「疎開学園ものがたり」は、「つらかったけれど懐かしい」記憶に満たされています。私が経験したのは、初期の一時的な混乱という面もあったのでしょう。なにしろ先生にも生徒にも親たちにも、誰にも初めての、知らない経験だったのですから。あれから50年以上が経過しても、沼津会の仲間たちは、今も独特の親しさに結ばれているのでした。
 私は名誉会員みたいなもので出席率は悪いのですが、今年はささやかなおみやげとして、疎開しなかった空襲下の学校がどうだったかを、「人間たちの記録」から抜粋して持って行ってみました。出席者は、内田康夫氏を含めて18名でした。

ガスが出た話

ガスが出たといっても、産業に役立つようなガス田を発見した話ではありません。入院中の妻が、こんな作文をしていました。

「待望のガス」志村ひさ江
 腹部手術のあとは、皆さんガス(オナラ)の出を心配されます。2日目から会う人ごとに聞かれました。ことに私のは傷が大きいので心配をかけたようです。寝てばかりいないでトイレに行ったり、部屋を歩いたり、寝返りを打つように、などなど……。仕方がないので私は「寝る子は育つのよ」とか、「今はガスが高いから貯めておかなくちゃ」とか、苦しい言い逃れをしていました。
 手術から3日と半日。16日金曜日の早朝6時、それらしきものあり、5分おきに3回。6時30分には、はっきりと確認できました。果報は寝て待てでした。早速看護師さんに伝えて、まずは第一関門通過。メデタシ、メデタシ。
 それからは癒着の防止で入れられていたパイプも、排尿管も外されて、車イスを使って階下のレントゲン室まで運ばれる大旅行でした。その次は自力でのトイレへの歩行が待っています。(ただしこれは、手術前から脊椎の損傷があるので、まだ無理)
 それにしても、3月の開院前の「地元内覧会」の日に見に来て、家族で誰が最初にお世話になるのだろうと思っていたら、それが当の自分だったとは。こんなに急に突発的に大病に見舞われるとは、われながらびっくりです。……仕事も子育ても孫育ても、十分やってきたのだから、私の用事はもうなくていいということかしらと納得したのですが……。復活祭の金婚式で最後を飾れたのも悪くないかと……。とにかく悪いことが起らないようにとだけ……

「あとはどうなるの」と聞いたら、「わかんなくなっちゃったから、適当にまとめといて」ということでした。病人には逆らえないので、今日はここまでです。夕方の回診で、「明日から食事を出します。おまじり程度の粥ですが、全部食べなくてもいいから、少しずつ」と言われたそうです。私の長谷場夏雄一代記ビデオの仮編集が出来たので、枕もとのテレビで見て貰おうかと思ったのですが、それも明日のお楽しみということにしました。彼女の反応で、およその出来栄えがわかるのです。

「右翼と左翼はどうちがう?」を読む

雨宮処凛の「右翼と左翼はどうちがう?」(河出書房新社)を読みました。「14歳の世渡り術」シリーズの中ですから、中学3年生に、大人の社会のことを教えてあげる趣旨で書かれています。しかし、とても面白く読めました。著者はかつて右翼団体に入って活動していた時期があり、その一方で左翼の人たちとの交流も多く、今は両方を経験した立場で書けるということです。
 右翼と左翼は、正反対の立場で対立している関係かというと、決してそんなことはない、と著者は言います。共通点はいっぱいある、むしろ今の世の中をなんとかしたいと考える上では、憂国の同志なのかもしれません。少なくとも、何も考えず、何もしないでいる人たちよりも、ずっと真剣に未来を考えていることは事実です。「へんなことをする人たち」と切り捨てて、自分には関係ないと思っていたら、もったいないかもしれないのです。
 何不自由ないと思っていた現代の中学生から見ると、今の世の中が、管理され閉鎖された非常に息苦しいものになっていることは、これを読んで少しわかりました。そこから逃れるために、信じられるものを見つけたいという気持は常にある。そんなとき、左翼の進歩的と言われる人たちの集まりへ行ってみたら、話されていることが、まるっきり理解できなかったということです。その点では右翼はわかりやすかった、「お前らが生きづらいのは、アメリカと、そして戦後日本のモノとカネだけの価値観しかないことが悪いからだ!」というのに同感して、著者はその団体に入りました。
 右翼にもいろいろあって、ヤクザに近いのもあるが、これは真面目に勉強する右翼だったそうです。一度立場が決まってしまえば、自信をもって世界と向き合えるのでした。しかしやがて、世の中がそれほど単純ではなく、右翼の理屈では解決しそうもない問題もいろいろあることに著者は気づきます。そして自由な立場に立って、貧困(プレカリアート)の問題に取り組むようになりました。
 この本の大半は、著者の遍歴をそのままに綴った右翼思想と左翼思想、そしてそれぞれの思想が実際に行ってきたことの解説です。非常にわかりやすく、要点を押さえた読み物になっています。さらに右翼と左翼の実例として、3名ずつの人物も紹介しています。そこから浮かんでくるのは、右と左の2分法では、決して分類できない「ものの考え方の多様性」ということです。しかし、底にある共通点は一つ、「世の中を何とかしたい」ということです。
 中学生に限らず、大人、とくに私のような老人の男に、おすすめの本だと思いました。

ブログ連歌(32)

619 聖火道 ヒトラ−戦時に 利用せり(花てぼ)
620  早く帰れよ 平和の原点に(建世)
621 連休や 日本列島 平和ボケ(花てぼ)
622  5月3日の 主役は9条(建世)
623 憲法を 護ると言うと 白眼視(ひとみ)
624  手にあるものの 真価を知らず(建世)
625 輝ける 憲法守る 人の波(みどり)
626  続くみどりが 国土を守る(koba3)
627 逞しき 子等に新緑 降り注ぐ(花てぼ)
628  ついでに老いも 若さ頂き(うたのすけ)
629 筑波山 連歌ゆかりの 坂こゆる(みどり)
630  女体男体 筑波は鑑(うたのすけ)
631 高齢期 元気な女体 多くして(建世)
632  心うらはら 悩みは尽きず(みどり)
633 男体は 軟体と化し ほとけ顔(建世)
634  その分女体の 艶めかしさよ(うたのすけ)
635 人の世に 男女の別の 不思議さよ(建世)
636  その不思議さよ 味わい深し(うたのすけ)
637 新茶摘む 八十八夜の まろき味(みどり)
638  父の故郷(さと)なる 山もみどりか(建世)
639 緑恋し 我がふる里は 街の中(koba3)
640  遊びし川は 暗渠の中に(うたのすけ)
640B  路地に遊んで 紙芝居待つ(建世)



麻酔科医の仕事

妻が受けた昨日の手術で、麻酔科医に対する認識を改めました。正直なところ、主治医から手術方法についての説明を受けた後で「次は麻酔の説明です」と言われたときは、何か余計な時間をとられるような気がしていました。しかし全身麻酔とともに「硬膜外麻酔」を併用する場合もあること、それは脊髄を包む硬膜と、靭帯との間に針を刺して薬を入れる一種の局所麻酔で、痛みを取る効果が大きいこと、そして麻酔に伴う合併症や危険性についても説明されるうちに、これもまた医療の大事な部分だということは、おぼろげながら理解できました。それでも、最近は医療事故が問題にされる場合が多いので、念押しのための説明だろうという以上には思っていませんでした。
 ところが今朝の朝日新聞に、「麻酔科医の不足深刻」という記事が大きく出ていました。高度な手術の件数が増加しているのに対して、麻酔科医の絶対数が足りなくなっているというのです。麻酔科医は患者の痛みを取るだけでなく、呼吸、血圧、心拍など患者の全身管理を担っているのでした。手術を支える裏方というよりも、手術の進行の全体に対する管理責任者のような仕事をする人だったのです。
 考えてみれば、患者が痛みに反応して筋肉を緊張させたのでは手術は成り立ちません。かといって患者を「永眠」させたのでは一巻の終りです。ほどよく神経を眠らせておいて、手術が終ったら30分ぐらいで目覚めさせるというのは、驚くべき高度な技術と言うべきでしょう。また、その過程で、予期せぬさまざまな危険が発生するのも、十分にありえることです。
 かつては麻酔と言えば、手術に付随する片手間の処置のようなイメージがありました。事実、外科医が自分で行う場合が多かったということです。しかし現代の高度な手術に、麻酔科医が不可欠なことは、よくわかります。また、終末医療、緩和ケアなどにも麻酔科医の技術は不可欠です。外科の執刀医のような派手さはないかもしれませんが、現代医療の花形として、多くの人たちの進路に選ばれるといいと思いました。比較的に女性が多いということですが、体力より頭脳で勝負できる分野ではないでしょうか。
 今回の入院で、医療現場に多くの電子機器が入っていることを実感しました。医療電子技術の専門職が必要になることは、ないのでしょうか。また、停電への対策は、どうなのでしょうか。

妻の入院と手術

連休明けの7日夜から、妻の腹具合が悪くなりました。昼食の揚げ物の後で、孫につき合ってアイスを食べたのが悪かったのだろうなどと言っている間に、嘔吐が始まりました。翌日になっても収まる様子がないので、かかつりけの外科・胃腸科病院を受診したところ、腸が膨張していることがわかり、腸閉塞の疑いでそのまま入院となりました。飲食禁止で点滴の生活となり、鼻から胃にパイプを入れて内容物を吸引しましたが、あまり効果がありません。2日目から腸まで管を入れて、吸引しながら様子を見ることになりました。
 疑われたのは、50年も前の新婚時代に受けた盲腸の手術跡の癒着でした。しかしCTでも部位が特定できないとのことで、週末を過ごして今朝となりました。そこで盲腸下の癒着の疑いが濃厚となり、院長の判断で東京警察病院へ転院して緊急手術を受けることとなりました。東京警察病院は、私の家から歩いて5分もかからない至近距離にあり、飯田橋から移転して、この4月1日から開業したばかりです。早くも地域の拠点病院としての役割を果たしてくれました。
 救急車で搬送していただき、主治医から所見と手術の方針について、次いで麻酔科医から麻酔の方法と危険性についての詳細な説明がありました。手術には承諾書が必要なことは以前から知っていましたが、緊急手術でも詳細な事前説明を省略できないのは、時代の傾向なのでしょう。患者の家族も、説明をよく聞いて危険性を知っておくことは、責任を分担することなのだと思いました。
 2時間半ほどかかった手術の結果は、成功でした。切除された腸管は30センチほどで、思ったより太く、どす黒く変色していました。癒着の穴に入り込んだ、絞扼性のイレウス(腸閉塞)だったということです。腫瘍性ではなかったと聞いて安心しました。それからまた小1時間ほど過ぎて、麻酔からさめた妻と再会するとき、横のスタッフスペースにいた手術チームが、一仕事済ませた明るい表情でいたのを見て、妻の生還を確信することができました。
 家族待合室で、私は今日の半日、ひたすら本を読んで過ごしました。手術室に入る妻を見送ったとき、傍らの主治医が、私に向けて一礼して下さったのが心に残っていました。それは「お引き受けしました」の決意表明のように見えました。
 私の盲腸炎のときと同様に、今回の妻の入院も、よい思い出だけが残るものになりそうだと予感しています。ただし、当初の入院も、今日の転院も、基準ベッドが満床ということで、いずれも差額つきの部屋になりました。医療費の公的負担削減政策の、一つの反作用のような気がします。

「グラミンフォンという奇跡」を読む

世界の貧困を救うかもしれない「グラミンフォンという奇跡」(ニコラスPサリバン著・東方、渡部訳・英治出版)を読みました。以前に一部を紹介した「貧困の終焉は、途上国への有効な援助は自力で立ち上がる力を与えることだとしていましたが、これはその具体的なツールを発見した物語のように読めます。
 グラミンフォンは、2006年にノーベル平和賞を受けたバングラディシュのグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌスと提携して行われた携帯電話事業です。ノルウェーの国立電話会社と、日本の丸紅も協力しています。電話どころか電気も通じていない地域に携帯電話を普及することにより、貧困地帯が活性化されつつあるという報告です。貧困層の人たちが携帯電話を欲しがるわけがないという常識は、見事に反転しました。グラミン銀行のマイクロクレジットが、女性を窓口として経済のネットワークを広げたように、村のテレフォン・レディーたちが情報の窓口になり、収入をあげつつ地域の活性化をリードする役割を果たしたのでした。電気が通じていなくても、大勢が通話料金を払って携帯電話を使うことができれば、農産物の適正価格を知ることができるし、売り手と買い手の直接取引きも可能になります。携帯電話は、経済格差を一挙に飛び越える平等な武器になるのでした。
 この本でも、与えるだけの援助がいかに役に立たないかが述べられています。電力、道路などのインフラの整備はもちろん必要ですが、主役は地元の経済活動です。トータルで貧困を解消する経済活動を、著者は「包括的資本主義」と呼んでいます。「貧困の終焉」とも共通する、楽観的資本主義の未来像と言えるでしょう。貧困の解消は、投資として「引き合う」というのです。
 話がうますぎるようにも思うのですが、飽和している市場で携帯電話のシェア争いをするよりも、バングラディシュやアフリカといった未開の地に携帯電話を普及した方が、同じ投資額で絶大な効果をあげるだろうことは容易に想像できます。その携帯電話をインターネットにつなげば、世界の情報格差は一挙に解消するでしょう。世界の貧困層が「援助されるだけの人たち」から「健全な消費者」に変貌したら、その経済的効果は、はかり知れません。
 資本主義にもいろいろな側面があって、一筋縄では行かないのです。搾取と戦争の資本主義が世界を壊してしまう前に、貧困を解消する資本主義の活躍を見たいものです。

憲法音頭を踊ろう

先日の新聞記事で、昭和22年に作られた「憲法音頭」を発掘して踊っている人たちがいることを知り、長野県の「憲法九条を守る中野市民の会」に申し込んで資料を送っていただきました。踊り方の解説書、カセットテープに踊りのビデオテープまでついた懇切丁寧なものでした。さらにビデオには、1993年に放送されたと思われる『「憲法音頭」を探せ』というテレビ番組も収録されています。
 この憲法音頭は、当時の「憲法普及会」が制作したもので、GHQが後押しをしていたということです。サトウハチロー作詞、中山晋平作曲という、当時の最高のスタッフを起用し、全国的に普及をはかったというのですが、当時中学2年生だった私の記憶には残っていません。一時的には行われたものの、所詮は官製の運動ということで、一般には定着しなかったのではないでしょうか。当時の私がこの踊りを見たとしても、文部省著作の「民主主義」の教科書と同様に、抵抗を感じて無視したかもしれません。「お上」の言うことが、あまり信用できない時代で、インフレの真っ最中でもありました。
 しかし今、歌詞を読み直してみると
  平和日本の 花の笠……広い自由の 晴れた空……光かがやく 新日本……
  誰に遠慮が いるものか ソレ チョンホイナ ハ チョンホイナ
といった調子で、底抜けの明るさに満ちています。メロディーも振り付けも、一流の立派なものです。この夏の盆踊りに、おすすめの曲だと思いました。先日の九条の会のピースウォークでも、踊りながらパレードに参加したグループがあったということです。
 制定の経過は「上からの普及」だったかもしれません。しかし今、私たちが心から喜んで踊りに参加すれば、憲法音頭は本当に私たちのものになります。それは私たちにとっての憲法本体そのものと、同じことなのではないでしょうか。この夏に、みんなで憲法音頭を踊るというのは、どうでしょう。踊る会場があったら、お知らせください。私も行って参加します。
 憲法音頭の資料が欲しい方は、下記へご連絡くださいということで、ご了解を得ました。資料のコピー実費と送料で1290円(+郵便振替料金)です。
〒383-0015 長野県中野市吉田1154-11 馬島直樹
電話・FAX 0269-26-3927
(憲法九条を守る中野市民の会・事務局)
(追記・「踊りおどろか「憲法音頭」 その消えた謎の戦後」(和田登・著)という本が「本の泉社」から出ていて、CD付となっています。税込み1785円)



九条世界会議の盛会を喜ぶ

この4日から5日にかけて幕張メッセで開催された九条世界会議が、たいへんな盛会であったことが、大津留公彦さんのブログなどで詳細に報告されています。一般のニュースでは、それほど大きくは取り上げられていませんでしたが、会場に入れなかった人が2000人から3000人に達したということです。チケットを持っているのに入場できない人もいたが、「運動に寄付する」と、払い戻しを辞退した人たちが多かったというのも感動的です。
 昨年から憲法改定への動きが具体化してきて、日本の憲法9条を守りたい人にとっては、今年は強い危機感があったのではないでしょうか。それが一般にも影響して、今までよりも多くの人たちが日本の平和と憲法の問題を、改めて考えるようになった、ということが言えそうな気がします。その結果として、平和のためには軍隊があった方がいいのか、軍隊はない方がいいのかという、人類共通の大命題を考えざるをえなくなりました。折しも世界のニュースでは、イラクでもアフガニスタンでも、軍事力では平和な国づくりは出来そうもないことが伝えられてきます。軍事専門家でもない、ふつうの人たちの感覚として、日本の憲法9条は、安易に変えない方がいいという判断が育ってくるのは、十分にありえることです。
 最近の朝日新聞の世論調査でも、憲法9条の改定に反対の意見は、自民党支持者の中でさえ過半数を占めていました。平和憲法への回帰は、一過性の反発というだけでは説明できない規模になっているようです。幕張メッセの九条世界会議へは、予想以上に多くの海外からの参加者があったそうです。「世界は9条を選び始めた」というメッセージにも、単なるスローガン以上の迫力が感じられます。私も、世界に合わせて9条を変えるよりも、9条を「日本発の世界標準」にしたいと思う一人です。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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