志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2008年07月

人間はどんな国を作ってきたか(通算29)

どんな国が「よい国」なのか

 ちょっと見回しただけでも、世界にはさまざまな国があります。人口の大きさだけ比べても、十億人を超える大国もあれば、総人口一万人にも満たない小国も国連に加盟しています。どんな国でも表決権は同じ一票という国連総会の原則は、たぶん大きな虚構の上に成り立っているのでしょう。国連に縛られたくないアメリカの気持がよくわかります。
 ところで、どんな国が「よい国」なのでしょうか。それには国民にとってよい国という条件をつけましょう。統治者にとってよい国は、気ままな独裁が許される国かもしれないからです。今ではそんな国は少数派でしょうが。
 中国の伝統的な政治思想に、理想の善政は国民に政府の存在を意識させないというのがあります。伝説上の聖人であるぎょう尭帝の時代に、食足りた老人が「太平の世に皇帝など要らない」と歌ったと、「十八史略」が記述しています。苛酷な徴税や徴兵が民を苦しめることは猛虎の恐ろしさ以上であると、孔子も説いています。民は自らの働きで幸せな暮らしを築こうとするもので、それを守るのが政治だという思想がそこにはあります。
 しかし自然災害に対しては治山や治水の工事が必要ですし、盗賊の害には治安を守ってくれる武力も必要になります。隣人同士のもめごとには、公正な裁きをしてくれる第三者がいないと困ります。そんなこんなで人間の幸せは、自治であろうと他からの強制であろうと、何らかの政治システムによらなければ保障されないのです。
 マルクス主義では、革命が完成した後は国家が消滅することになっていますが、それは大衆の上に立つ権力装置が不要になるということで、労働者階級による理想の自治が行われることを想定しています。そのような自治は、やはり国家と呼ぶべきでしょう。
 いずれにしても、最大多数の最大幸福を保障してくれるのがよい国家だということには異論がないでしょう。すると、人間にとって何が幸福なのかということが次の問題になります。これも異論のなさそうなことから列挙すると、不本意に殺されない、自由を奪われない、衣食住に困らない、教育を受けられるといった人間として必要な最低限の条件を満たすこと、つまり国民を不幸にしないことが、よい国の第一の条件です。そしてこの条件は、ある程度は世界共通の基準を作れそうです。
 この基準を満たした上で、努力したら報われる、正直者が損をしない、個性的な能力の発揮が評価される、将来に希望が持てるといった前向きの条件を、より多く満たすのが、よい国と呼べるのでしょう。この前向きの部分では、何を幸せと思うかという価値判断は、個人により違ってきます。つまり底辺の支えは広く強固で、能力に応じて伸びる可能性に対しては、なるべく制約の少ないのが「よい国」の条件なのです。


たったひとりの反乱

今日の表題は、今夜10時からNHK総合で放送される実録ドラマのタイトルです。緊急のお知らせですから、今日の記事は、これだけにしておきます。
 扱われているのは、6年前の狂牛病騒ぎのときに、牛肉の買取処分制度を悪用して安い輸入牛を国産と偽装し、国の補償金を詐取した雪印食品を、冷凍倉庫会社の社長が告発した事件です。私は、ほんの数日前にこの事件の記録「正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い」(ロシナンテ社編著・アットワークス発行)をネット注文で取り寄せて読んだばかりです。書評として紹介しようと思っていたのですが、今朝のテレビの予告を見て、偶然の一致に驚きました。
 事の次第は、告発の功労者であるべき小企業が、業界と官庁の集中攻撃にさらされて営業停止処分を受け、廃業に追い込まれようとした、ということです。「ヤバイことになる」と親会社に何度も忠告しても無視され、止むなく警察に通報した冷凍倉庫の社長は、不正な伝票を作成したという形式的な法令違反を問われて処分されました。「雪印の社員に囲まれて、指示通りに書かされた」という弁明も、「伝票を書く前に知らせるべきだった」として受け入れられなかったそうです。
 それとともに、取引先は次々に契約を打ち切って、西宮冷蔵を苦境に陥れました。告発するような危険な業者は排除したいという業界団体の圧力と、そこに天下りを送り込んでいる官庁の意向が反映している疑いを、濃厚に感じさせる成り行きです。結果として会社は電気代を払えなくなって営業を停止し、全社員を解雇せざるをえなくなりました。
 ここから水谷社長の「たったひとりの闘い」が始まります。街頭にのぼり旗を立てて座り込み、「まけへんで!」と訴えつづけました。ついに「西宮冷蔵を再建する会」が結成されて応援カンパが始まり、会社は2004年から営業を再開したということです。昨年には「ハダカの城」という映画も制作されて、上映活動が行われています。
 くわしい内容は、私も今夜のテレビに期待しているところですが、現代日本を象徴するような「巨悪」に対しても、戦って勝てる場合があること。そのためには「勇気をもって立ち上がる最初の一人」と、そこにつながる人々の輪が必要であることを教えてくれるようです。

「戦争絶滅へ、人間復活へ」を読む

むのたけじの新刊「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書)を読みました。93歳になる生涯現役ジャーナリストの、むのたけじ(武野武治)が、「そのうち岩波新書を1冊書く」という約束を、黒岩比佐子の聞き書きで果たしたものです。新聞記者として戦前から活躍し、戦時中は従軍もした経験があり、終戦とともに責任を感じて朝日新聞を退社。その後は郷里の秋田県横手市に住んで週刊新聞「たいまつ」を独力で発行しました。一貫して権威に頼らず、世を正すことを新聞記者の本分とした人です。
 戦前から戦後そして現代にいたる日本の現代史のすべてを見てきた視点には、独特の鋭さがあります。たとえば憲法9条について、「あれは軍国主義の日本に対する死刑判決だった。その一方で、世界人類の理想でもあった。」という2面性が本質だというのです。その本質を論じないで、戦争責任についても「天皇の命令だから仕方なかった」で誰も責任を感じなかった。そのいいかげんさが今も尾を引いて、危ない状況を作り出している、ということです。
 また、今のマスコミの状況については、上っ面だけを追いかけてもニュースにもならない。だからどうなのかを伝えなければ報道ではない、と辛辣です。さらに現在の世界について、資本主義だけになってしまっていいのか、という深刻な疑問を投げかけています。私は、この部分にいちばん興味がありました。ご本人が書いた「結び書き」の中には、「レーニンと毛沢東への判決」という、痛快な一文があります。
 「……振リ回シタ旗ニハ社会主義ト書イタガ、マッカナニセモノダッタ。現実ニハ富国強兵ノ国家主義、ソノ典型ダッタ。ニセ社会主義ガ本物ノ資本主義ニ負ケルノハ当然ダ。」と論断して、永眠を命じています。私もこれには同感です。
 共産主義・社会主義の典型例は、まだ地球上に存在していません。多くの失敗例があるだけです。しかし無視できない部分的な成功例があることも事実です。人間同士の助け合いと非暴力を実現しているという意味でなら、北欧の福祉国家やカナダなどは、社会主義の理想を、かなりの程度まで実現しているように見えます。根っからの社会主義者を自任するむのたけじに、意見を聞いてみたいものです。

人間はどんな国を作ってきたか(通算28)

アラブとアフリカの国々

 私たち日本人にとって、アラブもアフリカも何となく遠くに感じられる国々です。アラブ諸国といえば、イスラム教を信じアラビア語を話す人たちのいる国というイメージですが、イスラム教もアラビア語も私たちにとってはなじみの薄いものです。
 イスラム教の起源はユダヤ教、キリスト教と共通です。旧約聖書に登場する創造主がこの世のすべてを支配するという一神教を基礎として、もっとも原型に近い信仰を維持しているのがユダヤ教であり、ユダヤ教の改革者として出現した預言者キリストが広めた信仰がキリスト教になり、さらに最後に遣わされた預言者ムハンマド(マホメット)による信仰がイスラム教になったものです。ですからイスラム教の中にはユダヤ教とキリスト教を保護すべしとする思想はあっても、異教として攻撃する姿勢は、本来ありません。しかし現代では、キリスト教とイスラム教の間には大きな違いが出来てしまいました。
 キリスト教国は宗教改革を経て、科学技術の発展や民主主義による政治と宗教の分離に成功したのに対して、イスラム教国は砂漠の国の厳しい自然環境に由来する特異な信仰の形態を、ほとんど原型通りに残したままで近代を迎えたのです。イスラム教国で、信仰が人々の思考や行動を規制している影響力の強さは、おそらくキリスト教の比ではないでしょう。こういう国に民主主義を根付かせるには宗教者の意識改革が不可欠で、そのためには数世代もの時間がかかることを認識すべきだと思います。
 アラブ世界の南方につながるアフリカ諸国は、現代世界の悩みを集中的に抱え込んでいる国々です。五大陸の中で最多の五十四カ国を数えながら、その多くは経済的自立さえも危うい状態です。ヨーロッパ諸国の植民地として、十九世紀末から八十年にわたり分割統治された歴史の刻印は、公用語の一覧表を見ただけでもわかります。現地語の影は薄く、フランス語、英語、ポルトガル語、アラビア語、スペイン語と並んでいて、まるで語学学校の科目表のようです。こうした国々が自国の文化を育て、近隣諸国と良好な協力関係を築いて行くことがどれほど難しいか、想像に余ることです。
 さらに一部の資源国を除いては投資先としても市場としても魅力に乏しいため、先進国の関心が低く、援助が行き届きません。そして多くの国が部族の対立に根ざす内戦を収拾できず、また、エイズの蔓延に苦しんでいます。
 アフリカ諸国の困難な現状について、身勝手な植民地支配を続けたヨーロッパ諸国が重い責任を負っていることは明らかです。しかし出来てしまった現実に対しては、全世界が協力して、アフリカの内部から生まれたアフリカ連合(AU)による再生計画などを支援しながら、改善の道を模索して行くしかありません。


著作などの紹介と販売

著作等の直接販売が可能なように、口座を開設しました。メールでご注文を受け、現品先送り方式とします。代金は同封する用紙により郵便振替で払い込んでいただくか、ゆうちょ銀行口座へ直接振込みでお願いします。送料実費と郵便振替料金は、ご負担ください。(消費税は加算しません。)
 ご注文の際に、ご注文の品名、数量および、お名前、ご住所、電話番号をお知らせください。(ご注文のために寄せられた個人情報は、法令を順守して厳重に保護いたします。)現在扱えるものは、以下の通りです。
(メールのアドレスはプロフィールの下にありますが、スバム対策のため、@マークをカタカナ表示にしてあります。@マークに直して手動で入力してください。)
詩集「愛 それによって」(復刻確定版)
おじいちゃんの書き置き・21世紀を生きる君たちへ
あなたの孫が幸せであるために・百年後の世界を考えよう >
少国民たちの戦争〜日記でたどる戦中・戦後
昭和からの遺言〜次の世に伝えたいもう一つの世界
CD「新訳・世界の名曲」
CD「ある兵士の祈り」
CD「新国歌・わが国は」

CD「よみがえる歌」「唱歌・童謡編」と「式典歌・軍歌編」
CD「日本のうた(1)明治・大正編」全曲録音集(266曲・10枚組)
増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」
民主平和」と「三原則」の小旗

オペラ「鹿踊りのはじまり」を見る

昨晩は、こんにゃく座の若手同期生「小倉八人逸衆」のスペシャルコンサートを見てきました。グループ名は「小倉百人一首」のモジリですが、メンバーは入座4年目の、浦上かづこ、太田まり、影浦英枝、島田大翼、中島正貴、西田玲子、萩千尋、宮瀬晃の8名です。いずれもすでに第一線で活躍中の、伸び盛りの歌役者たちです。
 第1部は合唱・重唱のコンサートで、第2部が宮沢賢治の民話を林光がオペラ化した「鹿踊りのはじまり」でした。稽古場を会場にした無料のコンサートというので気楽に出かけたのですが、これが、なかなかの作品でした。今日になってから調べたのですが、2002年に作られた話題作で、当初は「合唱劇」となっています。しかし昨晩のものは、舞踏劇の色合いも濃い、まさにこんにゃく座らしい躍動感ある舞台になっていました。
 民話としては、農民の男が山中に置き忘れた団子と手拭いを、鹿たちが取り囲んでさまざまに議論する、その会話が、男の耳には人間の言葉として聞こえてくるというものです。鹿の仕草を見ているうちに、男は人間と動物との違いを忘れてしまいます。そして鹿の輪の中に入ろうとするのですが、鹿たちは驚いて逃げてしまいます。しかし残された風景は、人間にとっても鹿にもとっても、全く同じなのでした。
 歌役者たちは全編を通して素足のままで、鹿に変身したときの野性的な魅力は、まぶしいほどでした。メンバーの中の5名は女性で、いずれも20代の娘盛り、女盛りでしょう。場所が稽古場で狭く、学芸会的な親しさもあったのでしょうが、本当に「若いってすばらしい」ということを実感しました。
 これで無料では申し訳ないと思っていたら、アンコールの間に「打上げ飲み会の資金カンパ」が回ってきました。予想以上のカンパ金が集まったようで、観客も歌役者たちも満足の終演となりました。
(舞台の情景は、トラックバックの記事「公演終了」で見られます)

人間はどんな国を作ってきたか(通算27)

人造国家イスラエル

 イスラエルは大国ではありませんが、世界の将来を考えるときに気になる国です。ユダヤ人のための国家として国連の承認のもとに一九四八年に建国を宣言したのですが、その国民はユダヤ教を信じることだけを共有していて、人種的にユダヤ人という民族が存在するわけではありません。ユダヤの国家は紀元前に滅び、以後二千年にわたってユダヤ人は世界に散って放浪しました。イスラエル建国の根拠は、旧約聖書にあるユダヤの民が故郷のパレスチナに帰るという予言と、それを信じる人たちがいるという事実だけです。
 パレスチナは第一次世界大戦当時からイギリスの支配下にあり、二度にわたる世界大戦にアメリカ在住をはじめとする全世界のユダヤ人の協力を得たかったイギリスは、この地に将来はユダヤ人国家の建設を許すと約束したのでした。第二次世界大戦後にこの約束が実現したのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悲劇への同情と、強固な信念を二千年も持ちつづけ、各界にすぐれた人材を輩出するユダヤ人への尊敬ないし畏怖の心情が、国際世論の中にあったからだと思います。
 イスラエルに与えられた土地にはパレスチナ人が住んでいたので、多くの難民が流出しましたが、そのまま残った人はイスラエルの国民になりました。今でもイスラエル人のうち二割以上がパレスチナ人です。公用語には旧約聖書が書かれた時代のヘブライ語を復活して採用しましたが、これはアラビア語に近いセム語の仲間です。アラビア語もヘブライ語と並んでイスラエルの公用語であり、イスラム教も公認されています。つまりイスラエルはユダヤ人とパレスチナ人の複合国家として建国されたのです。
 しかし周囲のアラブ諸国は当初からイスラエルを承認せず、武力による紛争を繰り返しました。イスラエルは海外在住のユダヤ人の援助も受けながら、数次にわたる戦争を勝ち抜き、占領地を拡大して今に至っています。長年にわたる紛争の継続で、イスラエルに対するパレスチナ難民および周辺イスラム教徒の不信感は抜き難いものになりました。国連の決議を無視して占領地の返還に応じないイスラエルに対するパレスチナ難民の抵抗は、テロ攻撃と弾圧という終りのない憎悪の連鎖に発展してしまいました。それが温床となって国際テロ組織の活動を招き、全世界を不安に陥れているのです。
 現在、世界のユダヤ人口は、アメリカ在住者を含めても一千万人程度で、決して大勢力ではありません。念願の祖国再建を許されたイスラエルは、パレスチナ人との共存という建国の原点に立ち返る以外に、安定的に国家を維持する道はありません。パレスチナ人との歴史的和解を成立させるには、少なくとも国連が承認した国境線を尊重することが、話し合いの入口になるでしょう。

「さらば財務省」を読む

「さらば財務省」(高橋洋一・講談社)を読みました。「官僚すべてを敵にした男の告白」とサブタイトルがついています。かつて天木直人氏は「さらば外務省」を書いて小泉政権との絶縁を宣言したのですが、政権との距離のとり方は違っていました。小泉・竹中「構造改革」の実務者として働き、志半ばにして省内に居場所を失った元官僚が、日本の政・官の現状を、広く国民に知らせようとして書いたレポートです。
 官僚の組織も発想も、国益ならぬ「省益」を至上の価値として出来上がっている現状は、これを読むとよくわかります。その意味では、内部告発の資料でもあります。たとえば学識経験者を集めて設置される各種の審議会が、事務局を握る官庁の意のままに運営されて、あらかじめ決められた政策を具体化するための手続きにすぎなくなっていることが、なまなましく語られています。委員の人選から始まって、審議の日程、時間の配分まで操作して、反対意見を封じるのです。
 しかし小泉・竹中改革は、官僚組織との戦いでもありました。政策は政治家が決めて、官僚は示された政策を実現するために働くという、当り前の原則が通るようにするための改革でもあったというのです。そのハイライトは郵政の民営化でした。郵政選挙という奇策まで用いて意志を通した小泉首相は、とにもかくにも官僚組織に一つの風穴をあけたのでした。改革路線は現在の福田内閣にも継承されて、国家公務員制度改革基本法の成立を見ました。しかし昨年の参議院選挙以来、政治情勢は激変しています。もはや今の政権に改革の成果を期待するムードは全くなくなって、すべては次の総選挙後をにらんでいます。
 この本のおかげで、小泉・竹中路線の「改革の志」が少しわかりました。しかし大きな疑問は、保守政権党の力で、本当の改革は可能なのかということです。ただし収穫は、日本の行政を官僚支配から政治主導に正常化すべきだという共通の認識です。
 法律というものは、運用の仕方で効果が変るものです。それは憲法9条を見てもよくわかります。政権が交代して、公務員制度改革基本法を民主党が運用したらどうなるか、その成果を早く見てみたいものです。

人間はどんな国を作ってきたか(通算26)

中国はどんな国か

 十三億もの人口を抱え、目覚ましい経済発展を続けている中国は、これからの世界で重要な地位を占めることは間違いありません。中国大陸には古代から現代まで、多くの王朝が栄え、支配民族も何度か入れ替りました。現在の中華人民共和国は一九四九年に、蒋介石の国民党軍を破った中国共産党によって樹立されました。当初はソ連の指導で社会主義化を進め、地主など旧勢力を一掃する土地改革や産業国有化を断行しました。朝鮮戦争では北朝鮮やソ連に協力して、アメリカ軍主体の国連軍と戦っています。
 しかし中国はやがてソ連の衛星国となる道を拒否して、ソ連の援助停止という大きな犠牲を払いながらも自主自立の路線を選択しました。米ソ対立の国際情勢をも巧みに利用しながら、アメリカや日本、西欧諸国にも接近して、経済交流も徐々に拡大してきました。このためソ連が崩壊したときにも中国共産党は権威を保つことができたのです。
 中国はその後近代化政策を大胆に取り入れて、外国資本の受け入れも進めていますが、政治体制は依然として共産党の一党独裁を続けています。政治的民主化を求める大衆運動も何度かありましたが、党内の改革に向けた論議は許されても、根本的な政治の自由化要求は、その都度鎮圧されているようです。絶対的権力は絶対的に腐敗すると言われますが、官僚主義的計画経済で行き詰まったソ連共産党の失敗例を、中国共産党はよく知っている筈です。組織内の自浄努力を続けることで「指導され管理された経済自由化」を、これから先も長く継続することができるのでしょうか。
 中国の国土には昔から広大な地域に多くの民族が住んでいます。強力な中央政府がなくなれば四分五裂の状態になることは、中国の歴史を見ても、崩壊後の旧ソ連を見ても、容易に想像できるところです。国の統一を守りながら近代化を完成するには、まだ当分は強い指導力が必要と考えているのでしょう。その国家体制が「共産主義」と呼ぶのにふさわしいかどうかは、ほとんど議論もされていないようです。
 二〇〇六年に採択された新五カ年計画でも、年率七・五%の高い経済成長を見込んでいます。農村との格差や公害問題などの難問はあるにしても、日本を上回る経済大国になるのは時間の問題でしょう。自動車の増産にも熱心で、なにしろ人口が桁違いに多いのですから、世界一の自動車大国になっても何の不思議もありません。また、軍備の拡張にも力を入れていますから、いずれは経済力に見合う軍事大国になるでしょう。だからといって隣国の日本が過敏な警戒心を抱くのは、両国の未来のためになりません。歴史的にも、蒙古族に支配された「元」の時代を除いて、中国が日本の本土を侵略したことはないのです。
国家体制の未来は、中国人の三千年の智恵が決めることになるでしょう。

インチキ先生の夏季教室

「ヤメ蚊」さんのブログに面白いマンガが出ていたのでご紹介します。教員採用汚職がここまで構造的になっていたのは、ちょうどいい夏休みの研究課題でした。どういう先生が来てくれるといいか、子供たちは話し合って、考えたことをまとめました。やはり「公正」な試験でいい成績をとった「正直」な先生がいい、ということになりました。そこで先生たちを集めて発表しました。
 生徒になった先生たちは、何を考えるでしょうか。教職につきたいと思った原点を思い出さないでしょうか。教育という「聖域」が尊重されるのをいいことに、それを身内の特権に変えてしまった過ちを、反省するのではないでしょうか。
 ここまで来たら、今は笑うしかありません。一度気持よく笑い飛ばしてみたら、いい考えが浮かぶかもしれません。特権は腐敗します。中央の下請けでは生きた教育はできません。飾り物の教育委員は役に立ちません。教育は、行政の大事な一部分です。地域住民の声と目が行き届くような、風通しのいい組織で運営しないとだめです。
 教育委員会の制度は、もう死んでいます。どうしたらいいか、この夏休みの課題です。
 マンガは7月26日の2番目の記事になっています

人間はどんな国を作ってきたか(通算25)

超大国アメリカへの道

 アメリカの歴史で特徴的なことの一つに、領土の拡張をしないということがあります。海に囲まれた豊かな国で、領土拡張も植民地も必要なかったと言えばそれまてですが、一八五〇年にメキシコとの国境を確定した以後は、若干の諸島以外には、目立った拡張をしていません。たとえばスペインを駆逐して手に入れたフィリピンを、アメリカは植民地として搾取することもなく独立させる方針をとり、日本軍の占領で一時は混乱したものの、
公正に実現させました。このときフィリピン人の間から、アメリカの一州に加わりたいという意見さえ出たということです。
 太平洋戦争で占領した沖縄や小笠原諸島を日本に返還したことも、私たちの記憶に新しいところです。戦後のどさくさに乗じて日本固有の領土だった北方の択捉、国後、色丹、歯舞の諸島を不法に占領したまま、いまだに返そうとしない当時のソ連、およびこの問題をそのまま引き継いでいるロシアとは、あざやかな対照を示しています。
 第一次世界大戦後のアメリカは、工業生産力と経済力でヨーロッパ諸国を抜く大国になりました。やがてヨーロッパではナチス・ドイツ、アジアでは日本の進出によって国際紛争が多発するようになると、アメリカは平和秩序を維持するために、その経済力を行使するようになりました。ヨーロッパでドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まりましたが、アメリカは直ちには参戦せず、イギリス、フランスへの軍事援助を強化することで連合国側の勝利を目ざしました。アメリカは結局は日本を経済的に追いつめることで真珠湾への攻撃を招き、大戦に参加することになるのですが、自ら野心をもって戦争を起こしたのではなく、世界の自由と民主主義を守るために止むを得ず戦ったという説明は、大筋で承認できるものです。この「正義の戦い」という自信は、今もアメリカ国民の戦争に対する認識の基本になっています。
 第二次世界大戦で自国を戦場にしなかった唯一の大国アメリカは、圧倒的な経済力と軍事力で戦後世界の復興をリードしました。そこへソ連による共産主義の拡大という新しい問題が起きてきました。共産主義を自由と民主主義に対する脅威ととらえたアメリカは、自由世界の守護神の立場を引き受けることになり、ヨーロッパにもアジアにも自国の軍事拠点を配置する結果となりました。それはアメリカが期せずして世界国家に変身したことを意味します。現代の世界国家は国境線を変更することなく、経済力と軍事力で世界に影響力を及ぼすことができるのです。高い理想をもって設立された国連も、アメリカにとっては世界戦略を実現するための道具の一つに過ぎません。ソ連が崩壊しても負担は軽減されず、唯一の超大国として責任が重くなったとアメリカは感じているでしょう。

父親を刺した少女は

無差別殺人の連鎖が止まりません。「誰でもいいから殺したかった」で、殺されたくない大事な人が殺されてしまいます。
 「殺したい」気持は、わからぬでもありません。私も人を殺したいと思ったことはありますから。たとえば無差別殺人の現場にいたら、犯人を殺してやりたいと思う人は、少なくないのではありませんか。捕まったあとも、早く死刑になればいいと思わないでしょうか。殺人の横行は、人の命を軽くします。自殺の増加とも、どこかでつながっているように思います。死にたい人がいるのだから、殺したい人とうまくマッチングすれば、どちらにも好都合なのにと、妙なことも考えました。
 そんな中で、中学3年の少女が父親を刺殺したという事件が、とても気になります。思春期の少女は、あらゆることを考えるでしょう。追試験の一つに欠席したのも、本人には人生に絶望する大事件だったのかもしれません。親子の感情については、他からうかがい知ることなど、できるものではありません。いずれにしても、刃物を握って人を刺すというのは、人生をかけた決断に促された行動です。予想しなかった親の衝撃は大きいでしょう。「心が張り裂ける」という母親の言葉は、父親も同じだったに違いありません。
 家族というのは、互いに警戒心が少ないので、殺しやすい相手です。この場合、無差別殺人が、たまたま身近な父親に向ったと見ることもできます。父親の立場だったら、娘の殺人が他人ではなくて自分に向けられたことを、せめてものやさしさと受け止めることも可能かもしれません。しかし、すべてはまだ闇の中です。
 この少女が成人してから、今回の事件のことを、じっくりと聞いてみたいと思います。本人にもうまく説明できないかもしれませんが、現代の子供たちのつらさの一端が聞けそうな気がします。何の脈絡もないのですが、戦後の一時期、少女の自殺が続いたことがありました。そのとき少女小説の第一人者だった吉屋信子さんは、こんな弁明をしていました。「文学好きで感傷的な女の子は、自殺なんかしません。机の前でおとなしくしているものです」と。
 父親を刺した少女は、文学の世界に浸ったことは、なかったのでしょうか。

人間はどんな国を作ってきたか(通算24)

アメリカという国

 ここで今の世界で重要な国家の例として、アメリカについて考えてみたいと思います。アメリカ合衆国はイギリスから新大陸へ渡った移民が中核となって、独立戦争を経て建設した国です。自由と民主主義は建国のその時点からアメリカの理念でした。「人民の、人民による、人民のための政府」というリンカーンの有名な演説は南北戦争のときのものですが、民主主義の基本を教えるものとして広く知られています。
 当然ながらアメリカには古代王朝も中世封建制も存在しません。自由を求めて新天地へ移住した人たちは、何ものにも制約されない理想の国をつくろうとする情熱に燃えていた筈です。英語を公用語にしたものの、出身国はイギリスだけでなくスコットランド、アイルランド、ドイツ、オランダなど多彩でしたから、民族は違っても同胞だとする大らかさも身につけました。そして国土を西へ向かって広げるフロンティアの時代は、独立から百年あまり後の十九世紀末まで長くつづいたため、未知の世界に挑戦する開拓者精神と、自分の身は自分で守る自己責任、そして地方自治の気風が育ちました。
 そのかげで、当初は百五十万人はいたと推定される現地のアメリカ・インディアンは絶滅に瀕するほど減り、わずかな居留地で保護されるだけになりました。その点では現住民が渡来人と混血しながら今も多数を占めている中南米とは状況が違っています。その代わりにアメリカには植民地時代から多数の黒人奴隷がアフリカから輸入され、後の世代に大きな問題を残しました。自由平等をとなえる国が、独立後も南部諸州で長期にわたって奴隷制を公認したことは歴史の汚点と言うほかはなく、自由平等を完全に黒人にも及ぼすことは、今にいたるまでアメリカ国民の重い責務となっています。
 国内の開発に忙しかったアメリカは、海外からの移民の受け入れは継続したものの、第一次世界大戦までは基本的に内向きの国でした。軍備も大規模な連邦軍は常備せず、必要なときに徴兵して増強するという考え方で、イギリスを助けるために第一次世界大戦に参戦したときも、この方式でヨーツパロに軍隊を送ったのでした。
 大戦に勝利して終戦のベルサイユ条約を結ぶとき、和平に尽力したアメリカのウィルソン大統領は、世界平和のための国際機関の必要性を強く主張して、国際連盟を創設する中心的な役割を果たしました。自由平等を世界にまで広げようとする取り組みは、アメリカにふさわしい理想主義的な意欲の現れでしたが、当のアメリカ議会は連盟への加盟を承認しませんでした。国家の上に立つ国際機関は、アメリカの自由を束縛するという懸念の方が勝ったのでした。アメリカの未加盟により十分な力を発揮できなかった国際連盟でしたが、その精神は第二次世界大戦後に成立した国連に引き継がれました。

ブログ連歌(37)

719 地曳網 老若つどう 浜の朝(みどり)
720  砂踏む素足 力を込めて(建世)
721 山の子の 貸切バスで 海水浴(花てぼ)
722  浜で日焼けた 夏の思い出(建世)
723 思い出の 海を奪いし 米原潜(みどり)
724  歌にもならぬ 横須賀ストーリー(建世)
725 嗅ぎまわるな バスジャックの児を いつまでも(うたのすけ)
726  あれも人の子 見守れわが子(建世)
727 子を思う 親の気持ちは みな同じ(うたのすけ)
728  良かれと叱る 厳しさも愛(みどり)
729 教員の 採用試験に 笑顔あり(うたのすけ)
730  道理が通れば 無理は引っ込む(建世)
731 県議らの ウラの稼業が 明るみに(うたのすけ)
732  嫌疑深まり 猛暑はつづく(建世)
733 道徳と 言いつつ金で 汚れ果て(みどり)
734  道徳教育 まず教委から(建世)
735 若き娘の 命またもや 凶刃に(うたのすけ)
736  哀悼の灯を 捧げ祈らん(みどり)
737 無差別に かけがえのない 命消え(建世)
738  手も足も出せぬ 親の無念さ(うたのすけ)
739 人の子の 心の闇は 底知れず(建世)
740  次の伝播を 止める術なく(うたのすけ)

「かけがえのないあなたへ」再び

昨晩は、長谷場夏雄語録とDVDの制作に取り組んだチームの打ち上げ会でした。リーダーの大嶋恭二教授と書籍編集の大屋菁示さんと私と、センターの職員7名の顔ぶれでした。
 まずは期限内、予算内で無事に刊行できたことを祝いながら、今後の売り方なども話し合いました。先日のバザーでの販売も順調で、後援者や職員への配布も合わせて250部ほどは消化したそうですが、あと750部を、書店販売に頼らず自力で売るというのは、簡単なことではありません。これから福祉関係、教育関係、宗教関係などのルートを辿って紹介販売を進めることになります。ISBNコードを取得してアマゾンに販売委託する方法も浮上しました。それにしても、この本の存在が一般に知られないことには、注文に結びつくものではありません。
 この書籍とDVDは、青少年福祉センターという一つの企業体と、その中心人物であった長谷場夏雄さんという人物の記録です。その意味では「自分史」的な身内の資料ですが、そこには子供を育てるという普遍的な行為についての、数々の実践例が息づいています。その普遍性が大切だと思うからこそ、関係した全員が、少しでも良いものにしようと努力したのでした。そして私も、その中の一人でした。
 ここに出てくるのは、子育ての社会化ということです。戦後の混乱期に、家族を失った戦災孤児が大勢生まれたのが発端でした。そこだけを見れば、戦争という特殊な状況の犠牲者です。しかし世の中が戦争から遠くなっても、助けを必要とする子供たちの数は減りませんでした。そこに現代の「家庭の劣化」があると、長谷場さんは言います。期せずしてセンターは、家庭の劣化からどのようにして子供たちを守るかという、きわめて現代的な仕事を引き受けることになったのでした。ですからここで語られる子供たちと職員との関係は、現代の家庭内での親と子の関係と、かぎりなく近いものになってくるのです。
 子供の反抗や非行に直面する職員の悩みは、わが子の心をはかりかねる親の悩みと同じです。しかし職員は子育てのプロですから、子供を抱えて共倒れすることはありません。子育てについての大人の役割ということを、この本は教えてくれる筈です。現代の悩める親たちに、考えるヒントを提供して励ましてくれるというのが、この本のもう一つの効能ではないかと思います。
 
 長谷場夏雄著「かけがえのないあなたへ」DVDつき1800円(税込)
 ご注文・お問合せ先 社会福祉法人・青少年福祉センター

人間はどんな国を作ってきたか(通算23)

民主主義は最高で最善か

 国の作り方つまり人間支配の方法として、民主主義は本当に最高で最善のものでしょうか。民主主義に対してよく持ち出される批判は、それは「衆愚政治」であるというものです。往々にして大衆の判断よりも、たった一人の哲人の方が正しい判断をする場合があります。だから知識レベルの高くない大衆に判断させずに、英知にすぐれた指導者に任せた方が効果的な政治運営ができるというのです。短期的にはそうかもしれません。しかし選ばれた指導者が過ちをおかさない保証はどこにあるのでしょうか。
 歴史には国を繁栄させた多くの名君が登場します。すぐれた君主は国民を率いて世界史的な大事業を達成することさえあります。だから歴史小説はロマンに満ちて面白いのです。しかし、名君は暴君の裏返しです。名君を生む時代背景は、より高い確率で暗君や暴君を生み出さずにはいません。それは一人が大きな権力を握る時代だからです。歴史小説に魅力を感じる人も、もし実際にその時代に生まれていたら、君主になれる可能性は限りなくゼロに近くて、君主の一言で殺されてしまう側になることでしょう。
 とはいうものの、絶対君主の時代に大衆が無価値だったわけではありません。どんな独裁者の政治も、当時の大衆が受け入れたからこそ成り立っていたので、側近の全員までが言うことを聞かなくなったら、独裁者でも何もできません。その意味では広義の民主主義は人類最初の国家から連続しているとも言えるのです。しかし個々の人間の権利は、明らかに平等ではありませんでした。
 人間の平等を前提とした民主主義の価値の第一は、ものごとを決めるときに人を殺さないことです。「頭を叩き割るかわりに頭数を数えろ」というのは民主主義の基本を教える名言です。そしてさらに民主主義の長所は、間違った判断をしたらやり直す修正の手段を内蔵している点にあります。それは少数意見の尊重ということと密接に関連しています。今は少数の人の意見でも、明日は多数の意見に変るかもしれません。討論の自由が保障されていれば、そういうことも可能です。このようにして衆知を集めて下される判断は、一人の哲人の意見も取り入れて、一人の哲人の判断力をも超えることができるのです。そして大衆の合意によって下された判断は、何よりも大切な、大衆を従わせる正当性を持つことができます。
 すべての人間がさまざまな可能性をもって生まれ、その可能性において基本的に平等だとする人間観に立つかぎり、民主主義は人間の知恵が生み出した最善の政治システムであると私は思います。それは「人間とは、自分のすることを自分で決めることのできる生きものである」という、人間そのものに対する信頼に基づいているのです。

人間はどんな国を作ってきたか(通算22)

国家とは何だろう

 今、地球の上で生きている人間は、みんなどこかの国の国民です。まれには無国籍者と呼ばれる人もいるようですが、それは何かの事情で生まれてしまった例外です。熱帯雨林などに残っている未開の少数民族も、本人たちは意識していないでしょうが、法的には、その地域を領有している国の国民です。私たちは生まれるときに親を選ばないように、国を選ばないままに生まれて、たいていはそのまま国民として生きて行きます。
 国家が成立するための三要素は、領土と国民と主権です。前近代までの国家は、強い権力者が国民を支配することで成り立つのが基本でしたが、近代民主主義の発展とともに、国民の生命財産を守るために国民の自治により運営されるとする、国民主権の考え方が主流になってきました。その底にあるのは、人間は生まれながらにして平等であり、個人の尊厳と自由は最大限に尊重されるべきだという人間観です。人間の幸せのためには、人生における選択の幅はなるべく広い方がよいというのも、ここから出てきます。私が第一章で紹介した「半径五キロの生活圏の中で一生を終ってしまうラオスの少女」の話を思い出してください。現代日本の私たちは、この近代民主主義に基づく人間観、国家観を、基本的に好ましいものと思っています。
 しかし私たちが今や常識だと思っているこの人間観、国家観が、そのまま今の世界に通用するかというと、必ずしもそうは言えません。たとえばイスラム教国家の多くは、今もイスラム法を基本に置いて国政を行っています。これらの国ではイスラム教徒のための法が国の法律になっていて、政治と宗教の分離ができていません。また、国民の信教の自由も想定されていないのです。だからといって近代民主主義をこれらの国に、グローバル・スタンダードとして押し付けてもうまく行かないことは、イラクやアフガニスタンにおけるアメリカの苦労を見ても、よくわかります。イスラム教と民主主義が無理なく共存するようになるには、まだ長い時間が必要でしょう。
 この日本の国も、私の小学校六年までは近代民主主義と対立する思想と政治形態を持つ国でした。天皇陛下の権威が絶対で、日本の国の威光を全世界に広めるのが国民の義務であり、そのために身命を捧げるのが名誉なことだと教えられました。敗戦でアメリカ軍に占領され、中学以降は民主主義教育を受けましたが、そんなに簡単に国家観が変るものではありません。当時の民主主義教育から、私は何一つ学びませんでした。
 私が民主主義を本気で学んだのは、人間としての自分の自立を真剣に考えるようになってからでした。そのときに私は、民主主義の真価を知るとともに、それに反する政策に走った戦前の日本国家の、罪の深さを知ったのです。

彩風・星空のコンサート

昨日の夕方、中野ZOROホールのプラネタリウムで行われた彩風(Ayakajiの「島歌ライブ」を聞きに行きました。プラネタリウムで星空を見ながら沖縄の唄を聞くという企画です。東京にいながら南の島に遊ぶ気分になれるかと、チケットを買っておいたのですが、期待した通りの異空間に誘われたような1時間半でした。チケットは完売、想定外のアンコールまで飛び出す盛り上がりでした。
 ボーカルは仲田かおりさん、デビュー後も石垣島に住みつづけて、島の感覚を忘れないようにしているとのこと。作詞・作曲もする島尻哲明さんも石垣島出身で、Begin の島袋優さんと同級生だそうです。私は沖縄の唄に詳しいということはありませんが、独特の哀調を帯びたメロディーと歌声は、昔の映画「ひめゆりの塔」を見て以来、心に残るものがあります。
 ブラネタリウム独特の、大きく後ろへ傾く椅子に身をあずけると、目の前は星空のドームで一杯になります。そこへ波音の効果が入ってライブの唄が始まるのですから、舞台効果としては満点です。星空は波照間島で見えるのと同じということで、南十字星も南の空に低く、ライブ舞台の上に出ていました。音響はドームに反響するので、語りの言葉が少し聞き取りにくいなどの問題はありますが、唄の迫力は充分に感じられました。
 唄の間には、プラネタリウムとしての解説の時間もあります。天の川と牽牛、彦星の話、さそり座の説明などがありました。満天の星空は、箱根の山の上、洋上研修船のフィリピン沖、北海道の根室海岸などで見た漆黒の夜空を思い出させます。星はいつも出ているのに、余計な明りがあるから見えないだけというのは、プラネタリウムでも同じことでした。
 長時間の椅子席での同じ姿勢で、妻の背骨の痛みが心配でしたが、案外楽に過ごせたようでした。東京の空では、今は北極星を確かめることさえできません。せめてもの星空への短い旅でした。
 わが家の孫たちの誰も、おそらく深夜の山道で、星座を見て方角を知った経験がないでしょう。ちょっと気の毒に思いました。

戦後日本の軌跡から学ぶこと(通算21)

人間はどうなるのか

 私がこの本で考えたいのは、経済と人間との関係です。経済活動が人間生活を豊かにすることは疑いありません。戦後の復興期から高度成長期まで、日本人の生活は目ざましく向上してきました。かつては雲の上のようだったアメリカ人の生活さえも、手の届くところまで来たように思われました。海外への観光旅行やショッピングも、ありふれたことになりました。その経済的な余力は今も残っていて、バブル崩壊後のデフレ不況にも、日本社会の崩壊を防ぐ支えになりました。
 しかし今、日本の社会で進行しているのは国民の間の格差拡大です。企業の幹部として残ることのできた社員には従来通りか、それ以上の報酬が与えられる一方で、査定の低かった社員や、パート、派遣社員になった多くの人たちには、不安定で低い待遇しか与えられません。空前の利益をあげるまでに回復した好調企業がある一方で、中小企業や個人経営の事業者は生き残れずに消えて行く一方です。
 敗者となった人たちは競争の気力をなくして、社会の底辺に沈殿するしかありません。二〇〇〇年前後から大都市の公園などにホームレスと呼ばれる人たちの姿が増えてきました。同時に自殺者の数があらゆる年齢層で大幅に増加してほぼ一・五倍になり、交通事故死の三倍強に当る年間三万五千人の水準に高止まりしてしまいました。生活保護を受ける世帯の数は過去最多の八百七十万に達し、毎年記録を更新しています。苦しいのは敗者だけではありません。正社員として残った人たちには、毎日の厳しい競争が連続します。過労死が問題になるほどの仕事を負わされる人がいる一方で、まともな仕事につくことのできない失業者や半失業者があふれている姿は、やはり異常です。
 グローバル・スタンダードで資本の力をさらに強くして行けば、やがて経済活性化の恩恵が国民すべてに行き渡るのでしょうか。経済がグローバル化している現在、日本だけがかつてのような高度成長を再現するのは無理でしょう。それでは発展途上国を含めて、世界中がグローバル・スタンダードで今のアメリカのような開発された国になるまで待てばよいのでしょうか。それまでに、いったい何年待てばいいのか、それまでの資源・エネルギーの消費や環境破壊を心配しなくていいのか、疑問は尽きません。
 前に紹介した「人間の豊かさ指数」で、日本の後に第一位を占めるようになった国はカナダで、その後はノルウェーが常連になっています。どちらの国も、経済大国でも軍事大国でもありません。経済成長は、人間の生活を豊かにするために必要なものではあるけれども、それ自体が目的ではない筈です。経済成長のために人間の幸せを犠牲にするのは本末転倒ではないか、経済学者でない私にも、それくらいのことは言えます。

毎日書道展とガラスの城

昨日は、花てぼさんの書が出ている第60回毎日書道展を見に行ってきました。会場は六本木の国立新美術館なので、美術館の建物と、付近の防衛庁跡地にできた東京ミッドタウンも見てみたいと思いました。折りよく会場で花てぼさんにお会いして、解説していただきながら場内を見ることができました。花てぼさんの展示作品は、遊工房さんのブログに写真が出ています。ちなみに「読めない」のクイズの正解は「劇」です。「私が見ても読めない字はあります」ということですから、遊工房さんも安心してください。
 毎日書道会は書道界の一大勢力のようで、1階から3階までの展示室を埋め尽くしている盛況に驚きました。展示作品数は2万点を上回るとのことです。部門も漢字、かな、篆刻、大字、前衛まで9部門もあって、前衛には「可読性を超えた非文字性の作品」と注釈があるのですから、文字は昔は絵であった、ということまで思い出してしまいます。日常に使う文字の書き方が芸術となり、文字の意味内容とともに独特の訴求力を持つというのは、漢字・かな文化圏ならではの産物でしょう。世界的に興味を持たれて盛んになっているというのも、理由のあることと思いました。
 その伝統ある書道展の会場が、ガラスの城郭のような国立新美術館なのですから、奇妙といえば奇妙な対照です。近代絵画の展示が似合いそうな場所ですが、そこで書道展というのも、一つの現代的な風景なのかもしれません。
 帰りがけに散歩してみた東京ミッドタウンは、国立新美術館とは対照的に縦長の建築群でしたが、ガラスを壁面に多用しているところは共通していました。これで直下型の大地震にでも襲われたらどうなるのか、ガラス片の雨が降り注いだりしないように対策は考えているのでしょうが、安心して住める町という印象ではありませんでした。それでも夏休みに入った家族連れや若いカップルなどが明るい表情で歩いています。
 地下道に入ると、天井がガラス張りで、その上を水が薄く流れています。さわやかな夏の風景ですが、地下から見上げるビルは水にゆらめき、少しゆがんで見えました。50年後にも、この風景は明るく美しいと思われているでしょうか。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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