志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2008年09月

ニュース編集の公正とは

NHKニュースの「総裁選挙をめぐる自民党偏重」の問題は、視聴者コールセンターの暴言事件を糸口として、NHK本体に迫ろうとしているようです。大津留公彦さんのブログによると、コールセンターの内部から情報提供があったということで、NHKの下請け事業体の内情が、よくわかります。内部告発は、貴重な導火線になるかもしれません。
 これと別に、昨日の村野瀬玲奈さんのブログでは、「NHKの情報操作」のタイトルで、麻生総理と社民党・辻元清美議員とのやりとりが、夜のニュースと翌朝のニュースとの間で改変されていた例が紹介されていました。そこで、ニュースは編集で化けるということを書いてみます。
 話は古いのですが、安保闘争で全学連と機動隊が国会前で派手に衝突を繰り返していた当時、NHKの世論調査所が面白い実験をしたのを、内部の資料で読みました。ニュースフィルムを、機動隊に同情的な立場と、全学連に同情的な立場と、2種類の違った編集をして試写したところ、見た人たちの感想は、「全学連は暴力的だ」「機動隊はやりすぎだ」と、意図した通りに分かれたというのでした。
 街頭を実写した映像でも、編集によってどのようにも意味づけられることは、本質的には劇映画と同じことです。ですからNHKニュースは「両者五分五分にしろ」というのが大原則です。しかし編集マンもディレクターも人間ですから、当時の現場の雰囲気は、6対4ぐらいで政府批判に傾いていたような気がします。ですから岸首相は不満で、「テレビカメラを持ってこい、私が直接国民に話す」と要求した武勇伝を残しました。
 私が先日のNHKニュースを見て感じた違和感は、「いくら何でもこれは行き過ぎだ」ということでした。その後に少しは改善したように感じますが、今も総体として、7対3ぐらいで政府寄りに傾いているように思います。ということは、今はニュースの現場と中間管理職が、この程度を「公正」とする感覚でいるということです。それはまた、私の立場が、今の日本でどこにあるのか、という問題でもあるのです。
 報道機関は、政府の広報よりも、社会を正す批判精神を忘れないことの方が、期待されている役割は大きいのです。NHKの報道姿勢は、もっと多くの批判にさらされる必要があると、私は思います。

人類百世紀の概観(通算89)

一つになった世界の言語

 エスペラントは当初から世界の共通補助言語として開発されました。世界の言語に取って代わることを意図せず、共通の補助語に徹するところにエスペラントの真価があったのでした。ですから世界連邦がエスペラントを公用語の一つとして公認してからも、エスペラントを母語として使う人々が現れることを想定していませんでした。ユネスコの委員会がエスペラントにかなり大胆な改良を加え、単語の数を大幅に減らしたのも、人造語であるからこそ理想的な改造ができたのでした。
 ところがエスペラントが実際に導入されてみると、その合理性と便利さが人々を魅了して、予想よりも早く世界連邦唯一の公用語の地位を獲得することになりました。一切の翻訳と通訳が不要となって、世界連邦の事務能率が格段に向上したことは言うまでもありません。ところが二十二世紀になると、エスペラントがあまりにも便利であるために、エスペラントを母語にしてしまう例がアフリカから報告されるようになりました。生まれたときからエスペラントしか知らない人たちが出現したのです。
 こうなると実際に母語としてエスペラントを話す人たちの言葉をどう扱うかが問題になってきます。人造語であれば公式の辞書と文法書に従わせればよいだけの話ですが、実際に通用する表現を「方言」として認めるかどうか、認めればエスペラントの長所である合理性を損なうことになりかねません。逆に方言を禁止すれば、実際に使われている言語に介入することになります。難しい論争になりましたが、若干の許容範囲を委員会が決定する枠内で認めるという、苦渋の結論になりました。
 それにしても、エスペラントの採用は世界の文化交流の促進に絶大な威力を発揮しました。とくにコンピューターにエスペラントの情報を蓄積することにより、それをベースとして各国語へ翻訳する、あるいはその逆方向に翻訳する技術の確立は、言語の違いをほとんど意識させないほどの正確さとスピードを可能にしました。
 今では世界を舞台に活躍する人たちは、エスペラントで読み書きする時間が生活の九割以上を占めるようになったと言われます。また、国際結婚で家庭内の言葉をエスペラントにすることは、当初はけいべつ軽蔑される行為だったのですが、今では抵抗を感じないと言う人たちの方が多数を占めるようになりました。
 時代のすうせい趨勢としてエスペラントが大多数の人の日常に使う言語になったのであれば、今後は自然言語と同様に、方言や俗語の存在も認めざるをえないだろうと、私も思います。伝統的自然言語のいくつかは死語になって行くでしょうが、すべての文化のすべての文献は、エスペラントとしてデータ・ベース化が完了しています。


踏み違え事故をなくしたい

昨夜のテレビによると、福岡で74歳男性の踏み違え事故で乗用車がホームセンタ店内にー突っ込み、1人死亡、9人が重軽傷を負ったということです。右足でペダルを踏むという同じ動作で、あるときは加速し、あるときは停止するというオートマッチク車の構造的な欠陥は、いまだに改まりません。このことを私は以前から指摘して、一度は日刊自動車新聞が記事にしてくれたのですが、メーカーもJAFの安全部も、「国際基準は変えられない」の一点ばりでした。
 構造的な対策は簡単です。ペダルの配置を、アクセルを中央寄りに変えればいいのです。戦前のダットサンはこの配置で、私の最初の車もそうでした。これなら右足だけで運転したい人も、べつに困りません。AT車だけを運転する、今では大多数になっている人たちは、左足でアクセルを踏む習慣にして、右足はブレーキ専用にすればよいのです。
 私は一昨日の土曜日に、久しぶりに箱根まで車で行ってきましたが、右足だけが疲れて、腰にまで影響が残っています。途中で何度も左足を伸ばしてアクセルを踏みたくなりましたが、今の配置では無理でした。安全対策としては、右足首を右へ回す動作と、下へ踏み込む動作を使い分ける「ナルセペダル」が開発されていますが、右足だけに負担がかかるのは変りません。
 ところが今日インターネットで、左足でブレーキを踏む練習方法があるのを知りました。急に左足でブレーキを踏もうとしても、これは無理なことです。アクセルよりも正確な動作が必要ですから、怖くてやっていられないのです。しかし、これなら出来そうだと思いました。要は「慣れるまでは右足を補助にして、両足でブレーキペダルを踏むようにする」というものです。これならば左足を訓練しながら、やがては左右の足の完全な使い分けに移行することができるでしょう。
 私は今日から練習を始めて、経過をまたご報告します。ペダルの配置変えが望ましいとは思うのですが、固定観念を変えるのには時間がかかります。年寄りは運転するなと言われても、車がなければ生活できない環境に置かれている人も多いことでしょう。悲惨な事故から少しでも遠ざかって暮らすために、現状では、すぐに実行できる有効な安全策だと思います。
(追記)
 ホームセンターまでの買い物に、早速実行してみました。雨の中という悪条件でしたが、駐車場へのバック入れや、中野駅北口の、信号のない横断歩道での歩行者との細かい駆け引きも、無事にできました。両足でブレーキを踏むというのは、あまり実用的でなくて、かえって混乱するように思いました。むしろ左右の足をそれぞれのペダル前に固定して、進めは右、止まれは左と割り切るのがよさそうです。私の場合、左足はクラッチを断定的に強く踏む癖がついているので、少しずつ踏んで行くのに気を使いました。しかし歩行者に接近しても、常時両方の足がペダルにかかっていて、どちらでもすぐに踏める安心感は、今までに経験したことのないものでした。すぐに慣れて実用化できそうです。これは、おすすめです。
(追記その2)
 練習の最初は、まず両足を位置につけ、ブレーキ(左)を踏んでサイドブレーキを外します。ブレーキをゆるめると車は少し前進を始めますから、そこで「左足で速度を制御する」感覚をつかんでください。

人類百世紀の概観(通算88)

人口安定までの十世紀

 首都が広島に移ってから、世界連邦はようやく名実ともに連邦国家の役割を果たせるようになりました。独立機関の性格を残していたユネスコ、ILO、IMFなどの各種機関も、首相が統率する内閣の機関として、担当閣僚の指揮下に入りました。
 加盟各国の国内法を世界連邦憲法に合致させることも厳格に守られるようになり、世界連邦裁判所の命令によって、不合理な法律は世界各地で次々に無効を宣告されました。イスラム圏における宗教と教育の分離もしだいに進み、イスラム教内部からの改革も手伝って、イスラム教徒も他宗教の人たちと違和感なく共同生活を送れるようになりました。一日に五回のメッカに向けての礼拝も、二十五世紀頃までには聖職者だけの勤めになったようです。イスラエルでもユダヤ教徒とイスラム教徒の歴史的な和解が成り、エルサレムの共同管理が確認されました。ヨルダン川西岸地区については、パレスチナに返還することを基本に、ユダヤ人の居住も排除しないことで決着しました。
 二十一世紀に百億人を突破した世界の人口は、ほぼ静止した状態で百年近く継続し、二十二世紀の中頃からようやくゆるやかな減少に向かいました。この百億人時代が、地球環境にとって重荷であったことは明らかです。エネルギーの供給は常にひっぱく逼迫した状態で、当時の技術で採掘可能だった石油は、二十二世紀初頭には完全な枯渇状態となりました。森林の回復も計画通りには進まず、二十一世紀中は伐採面積の方が上回る状態で、二十二世紀になって現状維持が可能になり、本格的な森林の再生は、結局二十三世紀に先送りされました。このため海水面の上昇は一メートルを超え、多くの地域で海岸線は後退を余儀なくされました。東南アジアだけで二億人が移住を強いられたと言われます。
 世界の人種の混合は、移住の自由が大幅に認められてからも、予想されたほどには進みませんでした。とくにヨーロッパでは民族意識が強く残り、八千年後の今日までその痕跡を残しているのは驚くべきことです。結果として、かつて世界の文化をリードしたドイツもフランスも、今では独特の言語と文化を伝承する少数民族となっています。
 二十三世紀以降は、人口の減少は順調に進みました。ここから三十世紀に至る長い人口減少時代は、人類史の中でも特異な位置を占めています。この期間は社会が縮小再生産を繰り返す時代でした。人口の減少が社会の荒廃を招かず、逆に社会の豊かさをもたらすような大規模なスクラップ・アンド・ビルドの技法は、この時代の産物です。リサイクルが徹底して、地下資源の採掘量が劇的に減少したのもこの時代の特徴です。
 こうして世界の総人口は、三十世紀までに現在と同じ二十億人の水準となり、以降、数億人の範囲で変動はあるものの、同水準を維持しながら現在に至っているのです。


中山大臣の失言と本音

就任5日にして失言の連発で辞任することになった中山成彬国土交通大臣は、在任の最短記録かと思ったら、上には上がいるもので、竹下内閣の長谷川法務大臣が在任4日でリクルート事件がらみで辞任した例があり、これが現在までの最短記録だそうです。罷免でなくて辞職だと、退職金が出るのかと心配でしたが、在任半年以下では「自己都合」でも退職金はないそうで、少しほっとしました。
 今回の3連発のうち、アイヌ民族を無視して「日本は単一民族」と発言した件は、うっかりした失言だった可能性もあります。しかし、あと二つの「成田はゴネ得」と日教組関連のものは、ふだんの考えが口をついて出た放言と言うべきでしょう。国民全体への奉仕者と位置づけられている国家公務員にあるまじき発言であることは明らかです。
 当初は大臣の職にあるものとして軽率だったと詫びる姿勢でしたが、地元の集会ではナマの本音が出たようです。新聞の報道によると、日教組は「ぶっ壊さなければならない」ガンのような組織団体であり、自治労に支援される小沢民主党も、解体しなければならないという意見だそうです。これは要するに、自分の意に沿わないものの存在は認めないという、独裁者を指向する態度です。言論の府である議会に送るには、もっとも不適当な人物と言うほかはありません。
 断定的な物言いをする政治家は、時として人間味が感じられて頼もしく見えることがあります。中山氏は地元では、そこが魅力でもあったのでしょう。しかし行政府の一角に責任ある地位を占めてからも持論を振り回しているようでは、国民のための公正な行政は不可能です。大臣にしてはならない人でした。この大臣を任命した麻生首相の責任も、もちろん問われます。
 さらに、議会に独善的で軽率な独裁者を送り込むのは、大変に危険なことです。国会議員としても、もっとも好ましくない人物を当選させてしまったことを、宮崎県民は肝に銘じていただきたいと思います。


人類百世紀の概観(通算87)

二十一世紀のドラマ

 二十一世紀は後に「ドラマチックな」という形容詞をつけて呼ばれるようになりました。アメリカは一変して世界連邦建設の強力な推進者となりました。破綻国家とまで呼ばれて誇りと自信を失いかけていたアメリカ国民は、世界連邦建設に新しい夢を見たのです。動き出してからの世界連邦構想は、中小諸国の圧倒的な支持のもとにアメリカを国連総会における多数派の盟主にしました。頑強に慎重論を唱えたのは、むしろEU加盟の諸国でした。世界連邦におけるEUの地位が不透明だったからです。
 世界連邦は結局、国連と大差のない、非常にゆるやかな連合組織として結成されることになりました。施設も国連のものをそのまま使い、加盟国は独立国とほとんど変らない大幅な自治権を認められることになりました。国連総会は世界連邦議会と呼ばれ、事務総長は首相と呼ばれ、名誉職の世界大統領も置かれましたが、要するに「看板をかけ替えただけの安上がりな世界連邦」との陰口は、甘んじて受けなければなりませんでした。
 しかし、世界連邦議会が立法機能を持ったことは、徐々に世界連邦を力強い組織に変えて行くことを可能にしました。結成から五年でエスペラントを世界連邦の公用語に追加することが認められました。導入されてからはその便利さが実証されて、三年もたたないうちに世界連邦の内部ではエスペラントだけですべての用が足りるようになりました。通貨の共通化と、世界の軍隊を世界連邦軍総司令官の指揮下に置くことは、世界連邦の結成から十年後に実現しました。
 年表の上では順調に発展したように見える世界連邦ですが、二十一世紀後半に最初で最大の危機を迎えることになりました。原因は世界人口の増加と、地域によるその極端な偏在でした。世界連邦議会では人口比例の議員数の増加で中国とインドが大国となり、議決権を制限しようとするアメリカとの間で対立が日常化してきました。人口が減少する旧先進国地域への移民流入の圧力は非常に大きなものになり、社会の不安定化を恐れる受け入れ制限は、絶え間のない紛争の種になりました。
 こうした不安の頂点で、ついにクーデターが決行されました。世界連邦に不満を持ち、再び自由な自治を要求する白人グループが決起したのです。彼らは核爆弾を世界連邦ビルに装着し、大統領以下の多数を人質として立てこもりました。しかし、拘束を免れていたアメリカ出身の副大統領は、一カ月に及ぶ交渉の末に、実力による鎮圧を決断しました。結果は悲劇的でした。世界連邦ビルは大半の職員とともに消え失せ、マンハツタン島は壊滅して、十万あまりの人命が失われました。
 それから二年後、新しい世界連邦ビルは、日本の広島に再建されたのです。


アメリカの経済危機に思う

アメリカの名だたる大手金融会社が、相次いで経営危機に陥って破綻し、買収されたり政府資金の注入を受けたりしています。アメリカの株価下落は、すぐに日本の株価に連動するし、アメリカの金融不安が世界の不安材料であることは、言うまでもありません。まして日本の友好国であるアメリカのことですから、同情的な心配をするのが順当だとは思うのですが、どうもそのような気分にならないのは、なぜでしょうか。
 アメリカの国際収支が大幅な赤字をつづけていることは、以前から周知の事実でした。それでも世界中から投資資金を呼び込むことで、世界経済のリーダーでありつづけるという、マジック的な発展をつづけていました。それが経済グローバル化ということかと、納得させられるようでいても、何かおかしい、うさん臭さは拭いきることはできませんでした。いつか矛盾を暴露してバブル崩壊のような現象を引き起こしそうな予感は、あったのです。
 今回の危機の引き金になったサブプライムローンの焦げ付きは、アメリカ発グローバル経済の不健全さを象徴するような現象でした。富裕層、中堅層に融資して持ち家の建築を促すことで好景気を招いた後、その景気を持続するために貧困層をターゲットとして過剰な建築資金を貸し込み、その無理が限界に来て破産家庭を増やした結果、住宅価格を崩落させたという、まことに身勝手でお粗末な金儲け資本主義の罪と罰でした。さらに、証券化という手法で「汚い投資」を薄めたことで、関係する投資家を広く巻き込むことになりました。利益追求を徹底したつもりで招いた損失は自業自得ですが、その金融戦略で生活を破壊された多くの貧困層の救済は、誰が責任をとるのでしょうか。
 現代の世界経済の全体像は、私の理解力の及ぶところではありませんが、アメリカの不健全な経済が破綻することに対しては、正直に言って「それ見たことか」と痛快に感じる感覚があることを否定できません。企業の救済に必要とされる資金量は、日本とは桁が違う巨額になりそうで、さすがにアメリカだと感心してしまいます。しかし、いくらアメリカでも財源に限りはあるでしょうから、このショックが、気違いじみた軍備拡張を少しでも抑制して、アメリカの対外戦略を「正気に返す」機会になってくれないものかと思います。

人類百世紀の概観(通算86)

転換点となった紀元二千年

 紀元二千年は、人類の発展期から安定期への、重要な転換点と位置づけることができます。まず、この頃を境として人類は大規模な戦争をしなくなりました。核兵器も、第二次世界大戦末期の日本に対する二発と、二十一世紀末の偶発的な一発の他は、使用されずに解体されました。しかし二十一世紀中には戦争の危機は何度もあり、大規模戦争に突入しないで済んだのは、幸運と言うほかはありません。
 改めて二十一世紀初頭の世界を振り返ってみると、経済活動がグローバル化して各国政府の制御能力が低下しているにもかかわらず、世界政府の統治能力がまだ確立していないという、非常に不安定な状態にあったと言うことができます。また軍事面から見ると、超大国アメリカの軍事力が突出していて、その意味では安定的なのですが、それは「アメリカによるアメリカのための安定」だった点に、最大の危険をはらんでいました。
 人口問題、環境問題については、先進諸国の人口は静止の状態を超えてすでに減少の方向に転じており、社会の活力の低下が不安材料になっていました。その一方で環境問題に対する取り組みは遅々として進まず、温暖化ガス規制についての国際協定さえ、アメリカの脱退で実行は絶望的な状況に追い込まれていました。そんな中で二〇〇五年秋にはアメリカ南部が相次ぐ大型ハリケーンに襲われて大きな被害を出すなど、地球環境の不気味な変化を予感させるような出来事もありました。
 しかしながら経済界は依然として成長を指向する体質を改めることなく、中国・アジアやインドを若い市場・工場として育成することに熱心で、世界の自動車生産台数は年ごとに記録を更新しつづけていました。当然の結果として石油に対する需要は高まる一方となり、価格が史上最高値となってなお増産を求めるような状況でした。
 こうした状況を総合的に判断すれば、人類が国家単位の統治の下にあっては根本的な問題を解決できなくなっていることが明らかでした。また国連も、イラクへの派兵問題でアメリカの独走により権威を失い、意思決定の方法を抜本的に改めなければならないことが明らかになってきました。国連改革の問題意識は、こうして世界連邦待望論へと発展して行ったのです。そのきっかけが、しばしば国連と対立してきたアメリカの誤算から生まれたことは歴史の皮肉と言うほかはありません。
 二十一世紀前半に「テロ支援国家」に対する制圧戦略に失敗したアメリカは、長年放置してきた赤字財政の矛盾が一気に噴出して、軍事的にも経済的にも、建国以来最大の破綻に直面しました。このときアメリカ国民は、世界と協調し、アメリカを世界の超大国ではなく、「世界各国の善良なパートナー」に変えようと唱えた大統領を選んだのです。


原子力空母は誰のために

麻生内閣が成立した同じ日に、アメリカの原子力空母が横須賀に入ってきました。長さ333メートルの巨体に70機の戦闘爆撃機を搭載し、5800人の兵員を乗せています。原子力発電所なみの強力な原子炉を動力源として、25年間も燃料の補給なしに航海が可能ということです。1隻で1個師団を上回る戦力が、自由に海上を動き回るわけです。
 この入港に、神奈川県知事は「日本の安全保障のために必要と考える」とコメントしていました。現在の日本政府も、もちろん同じ見解でしょう。その安全とは、誰を何から守るための安全なのでしょうか。
 アメリカの世界戦略からすれば、日本はアメリカ軍の前進基地の一つであるに過ぎません。あり余る軍事力を世界中に展開して、地球上のどこでも絶対優位の軍事バランスにしておかないと安心できないのです。その警戒心の対象は、国際テロであり、それを支援する「ならずもの国家」です。日本の近くにも北朝鮮という実例がありますから、アメリカの空母がいてくれれば安心だと思う人もいるかもしれません。日本はアメリカの庇護がなければ平和でいられないと思う人たちは、長く続いた自民党政治の支持層と重なります。
 しかし、アメリカ軍が撤退したら、北朝鮮は日本にミサイルを撃ち込み、侵略軍を上陸させてくるのでしょうか。北朝鮮は領土の拡大を要求しているわけではありません。そのような想像は非現実的だと私は思います。むしろ、世界を悪と善との単純な2分法で引き裂き、武力で悪を根絶させるというシナリオを描いたアメリカの世界戦略こそが、現在の世界に混乱を招いているのではないでしょうか。世界の平和と安定のために、武力が万能ではないという事実は、アメリカ自身が学ばなければならないことです。
 日本はこのままアメリカとの同盟を強化して、運命を共にして行くのか。アメリカがもしも本当の危機に見舞われたとき、アメリカ軍は本国の防衛よりも日本の防衛のために戦ってくれると本気で信じているのか。それよりもアジアで自主独立の平和外交を展開して国の安全をはかる方法はないのか。そのためにアメリカからの自由を獲得する方向へ政治を変えるか。次の選挙では、その選択もかかっていると思います。

人類百世紀の概観(通算85)

国家全盛の二十世紀

 人類史上もっとも興味をそそる時代は二十世紀と言われますが、その特徴を一言で言えば、国家の全盛期だったと位置づけてよいと思います。
 生産力に裏付けられて国力を増した先進諸国は、十九世紀から二十世紀の初めにかけて世界分割の大競争を展開しました。競争の草刈場になったのは、おもにアジアとアフリカでした。この時期の先進国は、移民国家のアメリカを除いては、すべて民族国家でした。国家と国家の競争は、民族と民族の競争でもあったのです。この文脈の中で第一次世界大戦が戦われました。産業革命以後の戦争は、軍備ばかりでなく、後方の生産力や国民の戦意をも動員する総力戦になりました。さらに、科学技術を集中した兵器の開発競争が戦争の規模をますます大きくして行きました。
 こうした中では人間共通の価値観は埋没せざるをえません。社会思想として最大の政治的影響力を持った社会主義も、戦争の防止に対しては無力でした。国際的な階級の連帯よりも、各自が所属する国家の存亡の方が急務だったのです。しかしこうした中でも、国際赤十字などの人道的な活動は維持されましたし、戦後には非人道的な兵器の使用禁止なども協定されました。さらに戦争防止の期待をこめて国際連盟も結成されました。不徹底に終ったとは言え、これが世界連邦への最初の試みでした。
 第二次世界大戦も、基本的には先進諸国間の権力闘争でした。ただし日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側には、出遅れた世界分割を再編するために軍事力の行使も止むをえないという意識があったのに対して、連合国側には、既得権の確保とともに、民主主義を守るという大義名分がありました。緒戦では枢軸国側の先制攻撃が効果をあげましたが、アメリカを中心とする連合国側の圧倒的な生産力の優位は、数年のうちに枢軸国側の軍事力を壊滅させました。戦後処理は、第一次大戦後の失敗を教訓として、敗戦国を民主主義国家として再建することを主眼とした、寛大なものになりました。
 第二次世界大戦後には、ソ連の共産主義体制とアメリカ・ヨーロッパの民主主義体制が対立する構図が続きましたが、それもやがてソ連の崩壊により終了しました。ソ連の政治体制は、社会主義の実現というよりも、前近代絶対主義に近いものだったのです。
 大規模な戦争は二十世紀の前半で終り、後半は空前の民生向上の期間となりました。アメリカを中心とする資本主義経済は急速に世界に浸透し、自動車の普及を一つの指標として各国国民の生活を大きく変えて行きました。医療の普及で世界の人口は爆発的に増加し始めましたが、食糧の生産もそれに応じて増加しました。その一方で国家の役割は相対的に小さなものになり、EU統合などの動きも出てきました。


ガンで見つめるいのち

いつも貴重な音の資料などを提供してくださる「エムズの片割れ」さんのブログで、NHK教育テレビ「こころの時代〜ガンで見つめるいのち〜ホスピス医・細井順」が紹介されていました。おかげで私も再放送を録画して見ることができました。臨床医として多くの人を見送り、自身もガンを発症した経験を持つ人の話には、深い洞察と説得力がありました。
 まず話の最初に語られた「人は病気だから死ぬのではない、人間だから死ぬのだ」という考え方は、非常に印象的でした。生命体には必ず終りがある、すべての人は限られた余命の中で生きているので、ガンはたまたま経過が予想しやすい病気だから、余命が限られているように見えるだけだというのです。そのガンの経過さえも、決して誰もが一様ではないのです。
 細井医師がかかわった患者についての、感動的な事例の紹介もありました。老人もいれば高校生の少年もいます。卒業式に出席したいという夢をかなえて、卒業証書を手に全校生徒から拍手を送られた幸せな人生もありました。医者は病気を見るのではない、患者の心を見るものだと悟ったそうです。
 私には、後半で語られた「いのち」への認識が、もっとも価値あるもののように思えました。細井医師はキリスト教徒ということですが、その深さは宗教の別を超えていると思いました。いのちには、漢字で「生命」と書く個別のいのちの他に、ひらがなで「いのち」と書く、もっと大きなものがあるような気がするというのです。「生命」には個々に始まりと終りがあるけれども、「いのち」はすべての生命を共通に覆っている。つまり全体が平衡流動の現象です。そのなかで「死」があるから「生」がある。死ぬ者がいるから生まれる者がある。死ぬということは、生まれる者に席を与えることではないか、というのです。
 こう考えると、子供を生むことのない男でも、結婚しなかった男女でも、生きて死ぬことが無意味ではなくなります。すべての人のすべての「死」に、生まれる者に席を与えるという、積極的な意味が与えられるのです。自分が死ぬということ、そのものに価値があるとわかったら、誰でも安心して死ねるではないかと、また一つ学んだと思いました。

人類百世紀の概観(通算84)

産業革命が人間を変えた

 十五世紀に入ると、印刷術や航海用羅針盤がヨーロッパで発明され、沈滞していた中世の文明社会に新しい刺激を与えました。宗教改革は印刷術の普及によって、大航海時代は羅針盤の開発によって、それぞれ可能になったのでした。宗教改革は古い権威を打破することにより、新しい科学技術の受け入れを容易にしました。十六世紀から十九世紀にかけて、ヨーロッパ諸国はアメリカ、アジア、そしてアフリカへと進出して行きました。ヨーロッパ人にとっては、それは「未開の地」の開発でしたが、人類は一万年も前から全世界に分布していたのですから、未開の地などがある筈がありません。多くの場合、ヨーロッパ人の進出は、先住民の滅亡や奴隷化、そして国土の植民地化を意味しました。
 十六世紀以降、ヨーロッパの科学技術は中国・アジアのそれを大きくりょうが凌駕するようになりました。科学技術の優位は、そのまま軍事力の優位となって世界を圧倒しました。これ以後、ヨーロッパ・キリスト教的な価値観が、すべての面で世界標準として通用するようになって行ったのです。
 ヨーロッパの世界制覇を、さらに確定的にしたのが十八世紀から始まった産業革命でした。生産力の飛躍的な向上は、農業時代とは比較にならない国力の格差を、国家間に作り出しました。いわゆる先進国の出現です。先進国の内部では、国民の生活にも大きな変化が起こりました。工場で働く多数の労働者が登場し、働く対価として得られる賃金で生活するようになったのです。こうして史上初めて君主と農民との間に、商工業従事者という大人数の中間層が出現しました。いわゆる市民の登場です。これと平行して、政治思想では民主主義が力を得るようになりました。
 産業革命以後、ヨーロッパの先進国では次々に王制が廃止されて行きました。革命によらず平和的に権力の委譲ができた国では、形式的に王制が残される例はありましたが、実質は市民が主役の政治体制が確立して行ったのです。国民は絶対権力を持つ指導者に支配されるのではなく、自分たちの意思で自分たちの未来を選べるようになりました。中でも新大陸に成立したアメリカは、古い歴史に縛られることもなく、新しい時代の産業国家の典型として発展することに成功しました。
 産業革命から二十世紀に入るまで、地球にはまだ無限の広がりがあるように思われていました。大陸の奥地や極地方への探検は、人類の領域を広げる夢の実現として賞賛されました。科学技術の発展も資本の蓄積も、大きければ大きいほどよいと考えられた幸せな時代でした。新しい発明品が次々に登場して人々の生活を変え、新しい生活様式がまた新しい需要を生み出して、生産の拡大を促して行きました。


天皇の玉音放送(6)

私は今までに一度だけ、「終戦のときに天皇制を廃止しておくべきではなかったか」と思ったことがあります。安保闘争の嵐の中で行われた総選挙の最中に、立会い演説中の社会党・浅沼委員長が、壇上で右翼の少年に刺殺されたときです。日本の国内に、救いようのない過去の亡霊が残っていることを直感したのでした。
 それともう一つ、私は少年期から、「自分が天皇だったら」と空想することがよくありました。その感覚で考えると、明治憲法よりも早く「軍人勅諭」で陸海軍を統率する大元帥となった天皇には、内閣を超えて軍を動かす統帥権があったのです。軍が統帥権を盾にとって文民統制を拒否するようになったとき、天皇にだけは軍を抑える大権がありました。少なくとも支那事変以降の戦線拡大を抑制していたら、大日本帝国は第二次世界大戦に参戦することなく、戦後のアメリカとソ連に拮抗する第三勢力の中心になれる可能性があったと思うのです。
 昭和天皇の晩年の心の中には、さまざまな悔恨があったに違いないと私は想像します。A級戦犯合祀後の靖国神社への参拝中止は、その表れの一つだと思います。さらにもう一つ、天皇が残した負の遺産は、ナショナリズムと親米との奇妙な癒着でした。その歪みは、天皇がアメリカの庇護に頼ったところから始まったのです。
 しかし、とにもかくにも、私たちの前にあるのは今の日本です。天皇の私物つまり「権威に服して統治される」という観念を完全に払拭した、「人間愛に結ばれた私たちの国」でありたいものです。その条件が満たされるのであれば、古代伝説の時代につながる系譜を持つ皇室の存在は、国の看板として大切に保存する価値があるでしょう。
 最後に「君が代」という歌についてです。私の妻は最近「君が代の曲は好き」と言っていました。歌としての君が代の問題点は、曲の音数と歌詞が合っていない(作詞で言う「字足」が揃っていない)ことです。私は次のように歌いたいと思います。

日の本の国 ときわに栄えよ
さざれ石の 巌(いわお)となりて
山に 聳(そび)ゆるまでも

「君が代」ならぬ「日の本の国」を歌ってくださる合唱団はありませんか。ピアノ奏者と指揮者がいると好都合です。先に発表した「わが国は」と合わせて、CDを作りたいと思っています。

人類百世紀の概観(通算83)

人類百世紀の終りに当って

 この章は九九九九年、百世紀が終る前年に身を置いて書くことにします。来年は百世紀最後の年、そして再来年は百一世紀に入るというので、いろいろ記念の行事が予定されているようです。私も百世紀までの歴史を概観して、私の考え方を具体的な形として理解していただくための資料にしたいと思います。
 地球の誕生は四十六億年前、そして生命の発生は四十億年前という説がありますから、意外に早い時期の誕生です。ただし酸素発生型光合成をする生物の出現は、ずっと後の二十七億年前になります。そして多細胞生物が現れるのは十億年前ですから、今の感覚で生物らしいものは、このあたりから進化を始めたと考えてもいいでしょう。
 五・五億年前には大気中の酸素が急増して、硬骨格生物が出現しました。四・五億年前になるとオゾン層が形成され、生物は上陸を開始しました。その後、生物の進化は加速度的に早くなります。恐竜が絶滅して哺乳類が台頭したのは六千五百万年前、そして人類が類人猿から分岐したのが四百万年前、現人類の直接の先祖の出現は、わずか二十万年前です。その人類が全世界に分布したのが二万二千年前で、この頃に最後の氷河期が終って気候が温暖になり、農耕が始まりました。そして一万五千年ほど前、メソポタミア、エジプト、中国、インドの四カ所で、ほぼ同時に文明が開花しました。
 現在も使われている西暦は、メソポタミアから始まったキリスト教を起源としていますが、大まかに言って、各文明が分立していた時代から、相互の交流で世界史が成立するようになった時代の始まりを、元年にしていると考えてもいいでしょう。とはいうものの、エジプト王朝は紀元前二千年より前に全盛期を迎え、紀元前に滅亡していますし、古代ギリシャ・ローマ文明も、中国の古典時代も、インドの仏教王国も、すべて紀元前の出来事です。ですから、人類の文明史の時間尺度としては、西暦紀元前二千年あたりを元年とする暦法がふさわしいのかもしれません。しかし今さらそんなことを言い出しては混乱が起こりますから、私も西暦に従うことにします。
 紀元後になっても、十四世紀頃までは、各地域の文明は基本的に相互に独立していました。十三世紀のモンゴル帝国による西方進出などの例はあり、また、遠い外国の存在は互いに知られていて、交易や技術の伝達なども行われていたのですが、それらが歴史の本流になることはありませんでした。どの歴史教科書を見ても、近代以前の世界史が、ヨーロッパ、アジアなど、各地域ごとに記述されているのはそのためです。
 全世界の人口はほぼ五億人で増減せず、科学技術の進歩は非常にゆっくりしたものでした。繰り返される戦争に使われる武器も、刀と槍と弓矢のままでした。


巾着田の曼珠沙華

下駄を突っかけて野方の駅まで自転車で、その先は西武電車で西へ、高麗の巾着田へ行ってきました。
 


曼珠沙華とは、なんと烈しい花か。一途に真っ赤に燃えるのは、歌の言葉の通りです。



コスモスの向うに日和田山。



彼岸花(曼珠沙華)の似合う風景。



以前から気になっていた高麗駅近くの廃墟。文字をよく読んだら、製材所の跡でした。


天皇の玉音放送(5)

日米の共同作業によって、戦争について天皇は「道義的責任は感じるが、法的には無罪」とするシナリオが確定し、東京裁判はそのシナリオに沿って進められました。天皇の証言があれば罪を減じられたかもしれない「戦争犯罪人」たちも、不服は述べませんでした。この点が、ドイツを裁くニュルンベルク裁判とは、大きく違っていました。天皇を免責することで、天皇のために働いたすべての人の責任も問われないことになりました。「あのときは仕方なかった、悪いのは一部の軍人だけだった」という、今に至る歴史認識の出発点です。
 さらに昭和25年から始まった朝鮮戦争が、その後の日本を決定づけました。共産国に呼応する国内の革命運動は、国体護持にとって現実の脅威でした。新憲法によって国政に関与しなくなった筈の天皇は、マッカーサーとの会談を重ね、軍備を持たない日本の安全保障のために、アメリカ軍の保護を求めたのです。沖縄をアメリカの半永久的な基地とすることを提案した「沖縄メモ」の存在を、私はこの本ではじめて知りました。
 ソ連を除外して講和条約を結び、同時に日米安保条約を結んだのも、この流れでした。アメリカ軍の日本駐留は、アメリカの世界戦略のためという以上に、アメリカが日本に与える恩恵として位置付けられたのです。この性格づけは今に至るまで、アメリカへの「思いやり予算」などの形で引き継がれています。
 あれだけの戦争を引き起こした最高責任者の地位にありながら、罪に問われることを免れ、戦後も国の象徴としての地位を保障された天皇の生涯は、世界にもまれな数奇に満ちたものでした。天皇は新憲法の施行後も、慣例によって歴代首相の「内奏」を受けていて、それは社会党の村山首相のときにも行われたということです。一般のイメージとは違って、非常に政治的に行動しつづけたのが昭和天皇の実像だったのかもしれません。
 その意味では、歴史に残る英明な天皇であったと評価することも可能かもしれません。しかし、300万の国民と2000万のアジアの人々を犠牲にした責任を、自身に引き受けることなく天寿を全うしました。国としてのモラルを高め、世界に誇れる国民であるために、私たちは今後どのように天皇制とつきあっていくべきか、それを次回で考えてみたいと思います。

人間の幸せに奉仕する科学技術(通算82)

再び問う、人間の幸せとは

 人間の幸せに奉仕する科学技術を考える最後に、人間の幸せとは何かを、再度確かめておく必要がありそうです。私の定義によれば、人間とは「かなり高度な知能を持ち、自分の領域を広げることを喜びとし、仲間といっしょにいることを好む大型哺乳類動物」ということになります。自分の領域を広げようとするのも、仲間といっしょにいようとするのも、知能を持った動物としての、生存のための本能であろうと思います。
 ここから人間は文明への旅に出ました。私が学生時代に見た外国のマンガに、知恵のリンゴを食べたアダムとイブが楽園から追放される場面がありました。そこでアダムがイブを慰めて言うセリフが、「仕方がないよ、僕たちは過渡期にいるんだ」でした。人類は始まって以来、過渡期の連続でやってきた、今でもそうだというわけです。ニンジンを前にぶら下げられた馬のように、もうちょっと先にいいことがあるとだま騙されながら、歩きつづけて五千年、一休みできる安定期は来るのでしょうか。
 安定期と言えば、日本の江戸時代は三百年の太平の世と言われます。この江戸時代に、「しんき新奇はっと法度」という世界にも珍しい法令が幕府から出されています。新しい工夫をした道具類を作ることを、公式に禁止していたのです。外国との貿易停止やぜいたく禁止令と同じ発想の政策でしょうが、国内の安定のためには「新しいものは良いもの」ではなくて、その反対だったのです。
 現代に「新奇法度」は非現実的でしょうが、人間の「領域を広げたい」本能は、経済活動では国際巨大資本を、科学技術では強力な原水爆を作り出しました。それらはすでに人間の喜びの段階を通り越して、恐怖と嫌悪の対象にさえなりつつあります。本能のままの領域拡大は、地球そのものの大きさによって限界に達したのではないでしょうか。人間が
地球を飛び出して宇宙空間にまで拡大を続けるほど偉大な存在であるとは、私は信じません。ならば地球の上で幸せであり続けることを考えるべきです。
 仲間といっしょにいたい願いは、事故と戦争さえなければ、ほぼ満たされる世の中にすることができました。戦争の原動力となった「限りなく拡大したい欲望」の方を、戦争も地球の破壊もせずにどのように満たして行くかが、これからの科学技術の課題です。幸いにして人間は、理性と知性と人間愛を高めることに人生の喜びを感じられるようにもなりました。一部で心配されているように、コンピューターが人間の理性と知性と人間愛を弱めるような方向に利用されてはなりません。そうではなくて、人間についての好ましい情報をコンピューターに蓄積しながら、その助けを借りながら、人間の幸せを限りなく追求して行く旅路こそ、人類百世紀の歴史になって行くのです。


ブログ連歌(42)

819 船頭の 多くて日本 どこへやら(建世)
820  新しき世を 選挙に託す(みどり)
821 早く来い 日本の青空 投票日(建世)
822  真実見抜き 騙されまいぞ(みどり)
823 それぞれに おいしい話 並べてる(うたのすけ)
824  秋の風吹く あだ花の上(建世)
825 曼珠沙華 赤々咲ける 野の小径(みどり)
826  恋する女 百恵の絶唱(建世)
826B 農薬カビと 米に罪はなし(うたのすけ)
827 孫が世話 鉢植え稲の 穂も実る(建世)
828  瑞穂の国は 夢のかなたに(うたのすけ)
829 魚沼に たわわに実る 稲穂見た(koba3)
830  減反こばみ 農政糺す (みどり)
831 NO政の 果てに事故米 かけめぐる(建世)
831B 新米を 送って貰える 幸せ(うたのすけ)
832  素性正しく 安心一番(建世)
833 遺伝子の 操作そこ此処 怪しけり(みどり)
834  わが遺伝子は 組み換え無用(建世)
835 大好きな あんぱん買うも 控へをり(花てぼ)
836  学校給食 うろたえ騒ぐ(みどり)
837 化けの皮 剥げば顔出す 金亡者(建世)
838  餃子騒ぎを 笑えぬ日本(うたのすけ)
839 総裁が 決まった軍配 返ります(うたのすけ)
840  東は太郎で 西は一郎(建世)


天皇の玉音放送(4)

昭和21年の年頭に発表された天皇の「人間宣言」と、間もなく始まった天皇の「地方巡幸」について、その助言者として学習院の英語教師であり、私の恩師でもあったR.H.ブライス師の名が挙げられている部分については、非常に懐かしく思いました。ブライス師は、日本人以上に日本人の心を理解している人でした。
 この「年頭の詔書」の冒頭には、天皇自身の発意によって、明治天皇の五箇条のご誓文が掲げられました。そこから説きおこして、天皇が常に国民とともにあったことを強調してから、天皇と国民との関係は「天皇ヲモッテ現御神(あきつみかみ)トシ、カツ日本国民ヲモッテ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ヒイテハ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基ヅクモノニモ非ズ」と述べています。たしかに天皇が神であることは否定しました。
 しかしここでもまた、天皇が陸海軍を統率する大元帥であった事実、その武力を背景として対外膨張の政策をとりつづけたことに対する言及は何もありません。あたかも天皇は当初から国民を第一に考える民主主義者であったかのようです。そして言外に、対外戦争を仕掛けたのは、軍事を任せていた軍部の独走だったと、責任を転嫁する伏線を張っているのです。
 この年の前半には、メーデーなどの大衆行動が盛り上がり、国体護持の観点からは、共産主義の台頭が脅威と感じられるようになりました。同時に東京裁判に向けての準備が始まりました。アメリカとソ連との対立はすでに先鋭化の段階に入り、反共の立場からも、日本政府とGHQは、天皇の地位保全つまり国体の護持で、協力関係を強めることになりました。
 日本の新しい憲法に戦争放棄の条項を入れることは、東京裁判の主催者である極東委員会に天皇の免責を認めさせるための交換条件となりました。ソ連中国をはじめ、日本の軍国主義復活を恐れる諸国を説得するための、これが切り札だったのです。マッカーサーは「回想録」の中で、戦争の放棄は幣原首相の提案だったとしていますが、これは天皇の「すべての責任は自分にある」発言とともに、今となっては事実を確認する方法はありません。ただ確実なのは、マッカーサーにとって、それは絶対に必要なシナリオだったということです。

人間の幸せに奉仕する科学技術(通算81)

人間とコンピューターの共存

 コンピューターは人類の発明品としては新参者です。しかし、これほど人類の未来に大きな影響を与えそうなものはありません。人類は五千年もかけて営々と文明を築いてきましたが、そのすべての集積を呑み込む存在としてコンピューターは人間社会の一等席を占めてしまいました。それは最初は単なる電気による計算機でした。しかし、人間が考えることのすべてが計算に還元できること、それは人間の脳細胞がコンピューターと酷似した機能を持っているからであることが証明されるにつれて、コンピューターは人間の頭脳のもっとも信頼できる分身になったのでした。
 人間の頭脳が子供の誕生ごとにリセットされてゼロから始まるのに対して、コンピューターは容量さえあれば、人間が考えた最善の成果を、何世代分でも蓄積することができます。そこだけを見れば、人間の脳はコンピューターに劣るのではないかとさえ思います。しかしそれは、一人の人間の知識量を、図書館に詰め込まれている全知識量と比べようとするような、無意味なことなのかもしれません。
 コンピューターの特徴は、その価値のすべてが、抱えている情報であって、実体ではないということです。たとえば私が家を建てたいと思い、望んでいる大きさ、間取り、予算などをコンピューターに入力して、出された答えにまた細かい条件を加えたりして設計図を作ったとしても、実際の工事をするのは人間であり、工事中にも気に入らないところがあれば私は設計をその場で変更するでしょう。コンピューターは与えられた条件の中では最善の判断を出せるとしても、人間の感覚と決断には介入できないのです。
 人間がコンピューターを賢く使いこなして行く上で何よりも大切なのは、コンピューターに任せてよいことと、コンピューターに任せてはいけないこととの分別を、しっかりとつけることです。人間は人間の限界を知り、コンピューターの優れた計算能力と、愚直な正確さを大いに活用すべきです。それは人間の不確実性を、かなりの程度まで救ってくれる筈です。それと同時に、絶対にしてはならないのは、コンピューターを最終責任者にしてしまうことです。コンピューターは自分の中にある情報からしか判断ができません。しかし人間の脳細胞は、ふだんは使わない古い部分が突然活性化するような、予測できない部分をも持っています。これはコンピューターにはまね真似ができません。そして人間は自分が下した判断について責任をとることができますが、コンピューターは人間に対して責任をとることができないのです。人間がコンピューターの助けを借りなければ文明を維持できない、つまりコンピューターがあるからこそ人間になれる時代はもう始まっているような気がしますが、それでも人間はコンピューターの主人なのです。


記事検索
プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ