志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2008年12月

反貧困の大晦日

反貧困ネットワークが立ち上げた「年越し派遣村」へ行ってきました。当初は複数会場の予定でしたが、東京地区では1ヶ所に集約されて、厚生労働省に近い日比谷公園の会場へ行きました。野外音楽堂前の道路に、相談と宿泊のためのテント村が設けられていました。
 マスコミの取材も多い中で、スタッフはNPOも労働団体も渾然一体となり、所属を示す旗や腕章も、ほとんど見かけませんでした。当日受付のボランティアにも、人の列が出来ていました。私は結局は、少額のカンパと記帳をしただけに終ったのですが、話題の場所だけに、人手が足りない状態というよりも、善意で集まった人たちが仕事を探しながら見守っているように見えました。
 人混みの中で、元大手組合の委員長だったOBと出会い、「こうなるのがわかっていたのに、なぜゼネストをしてでも労働規制の崩壊を防げなかったのだろう」などと立ち話しました。組合が政治ストを打てるような時代ではなくなっていました。仕方がなかったとは言え、無念の情が残ります。かつての労働組合であれば、不況時の人員整理でも、組合員を守るさまざまな方法があったのです。
 道端では、テレビ取材を受けている相談者の姿がありました。その声は今夜のニュースで流れるのでしょう。今日の日比谷公園は、穏やかな晴天に恵まれていました。そこは文字通りに「日の当る場所」でした。問題は、相談にも来られなかった多くの人たちの存在です。非正規をも包む新しい防貧網の構築は、もはや存在自体が「公害」と化した麻生内閣のもとで、まだ緒についてさえいないのです。







宿泊テントの裏に積まれた寝具類



今夜のスケジュール



公園の水場で野菜を洗うボランティアの炊事班

ガザ空爆の深層・イスラエル問題は世界の刺

年末のニュースの中に半ば埋没しながらも、ガザ地区に対するイスラエルの武力行使が伝えられています。暫定の停戦合意が破棄されて、最初に手製のロケット弾を撃ち込んだのはハマスの側のようですが、1人のイスラエル人が殺されたのに対して、イスラエルの空爆による死者は300人に達したと伝えられています。地上軍の侵攻による、全面的な再占領も視野に入っているようです。
 ガザ地区はパレスチナの飛び地ですが、ここではイスラエル軍の撤退後の選挙で、ハマスが住民の支持を得ました。ハマスはイスラエル国家の存在そのものを承認していません。イスラエルとの抗争は、原理的に不可避なのです。
 イスラエルは第二次世界大戦後に、国連によって作られた国です。ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人に安住の地を与えるためでした。その際、混住していたパレスチナ人は意見を聞かれることもなく、多くが移住を余儀なくされました。ここがすべての問題の出発点です。
 アラブの敵意に囲まれたイスラエルは、アメリカの支援のもとに高度な軍事国家となり、数次の中東戦争にことごとく勝利して領土を拡張しました。今もヨルダン河西岸地区に多くの入植地を作り、堅固な分離壁でパレスチナ人の往来を拒んでいます。ハマスに現状を認識する妥協を求めるとしても、イスラエルが少なくとも国連が決めた国境線を尊重する態度を示さないことには、話し合いは進まないでしょう。それが常識というものです。
 イスラエルは、本来はユダヤ教徒とパレスチナ・イスラム教徒との、多民族・多宗教国家として建国されました。そしてこの地には、異教徒が平和的に共存していた長い歴史もあります。それがイスラエルという人造国家の誕生により、ユダヤ教徒の結束が強調されて、民族・宗教間の対立が顕在化してしまったのです。世界の中の少数派として長く迫害されてきたユダヤ教徒は、パレスチナでは多数派となって、土着のパレスチナ人を抑圧するという構図を作り上げてしまいました。
 これを解きほぐすには、やはり原点に返るしかありません。イスラエル国家があってもパレスチナ人は幸福に暮らすことができるという安心感を、事実によって納得させるしかないのです。国際社会には、そのようにイスラエルを導く義務があります。関係者に無断で新国家を建設するという裁きをした以上は、そのことによって不利益を受けた人たちへの補償にも責任を持たなければなりません。
 現代の世界を覆うテロの不安は、すべてイスラエル問題を震源地としています。そしてこの問題の解決に、利害関係の深いアメリカは調停者としての資格を欠いています。本当は日本こそが適任の調停者になれるのですが。

2008年末ブログ望年会

皆様、歳末のお忙しい中を、よくおいでくださいました。政治も世相も混乱をきわめた年末になりましたが、こうしてお顔合わせができますだけでも、幸せなことでございます。お時間にもなりましたので、昨年から恒例となりました「ブログ光の友・望年会」を、これより始めさせていただきます。では最初に、ブログ友の長老格でいらっしゃる、うたのすけ様から、開会のごあいさつと、続きまして乾杯のご発声をお願いしたいと存じます。
(うたのすけ様)
皆様、今日は。
今回で二回目となります「光のブログ友」の望年会、管理者志村氏のご指名により、不肖うたのすけ、まことに僭越ながら開会の音頭を取らせて頂くことに相成りました。
さて、みなさまの交流の場であります「ブログ連歌」も1000句をゆうに越えまして、現在その盛名日ごと勢いを増し、ブログ界にその存在感を揺るぎなきものにしつつあります。「ブログ連歌」を紐解く人々から、熱き共感を頂きまして絶対的な人気を博しております。まことに喜ばしきことであります。
ではこの隆盛を末長く維持していきますことを祈念いたしまして、望年会開催の乾杯と参ります。そうでした、その前に、この集まりのお世話頂いております志村氏に、皆様になりかわり改めて御礼を申し上げます。
ではそれぞれにお好みの飲み物をグラスに。
往く年来る年をセットで、永久に日本が、そして世界が平和であることを願い、同時に皆様の健康であられることを祈念いたしまして、発会の乾杯と参ります。カンパーイ!
(志村)
うたのすけ様、ありがとうございました。
 うたのすけ様は、私からは1年の先輩でいらっしゃって、1年に1度だけ、5月18日に同い年になるという、因縁浅からぬ関係でございます。今年は満77歳の喜寿を迎えられることになりますが、このところ山頭火日記の読み解きを進められていて、私も山頭火とともに旅をするような心地がいたします。まことにその人らしい、書き手と読み手とが一体となったような、人生の達人の言葉で綴られてりおります。私は今までよく知らなかった山頭火を、この連載で身近に感じられるようになりました。
 ちょっと斜めに構えて、世の喧騒から距離を置く姿勢が、今の時代には必要なのかもしれません。うたのすけ様のご研究に感謝と敬意を表しつつ、皆様にもおすすめする次第です。これからもお元気で健筆をふるって下さいますようお願いいたします。ありがとうございました。
(やまちゃん様)
は〜い 乾杯〜パチパチ
やまちゃんです。 いつもどうもの やまちゃんです。望年会ですから 気取ってみようかな〜と思うのですが 無理だな〜でいつもの通りです。
今年は元日から 筑波山に登りましたが これが妙にハマってしまい 大晦日 元日と登る予定です。中高年の集まりの中に 若い学生さんとの語らいなど 自然の中では 自然と会話も弾み 殺伐とした今を忘れる瞬間です。 下れば現実が待ってますが・・
ブログ連歌などで 色々な人との出会いもあり 楽しい一時です。 この場を借りて皆様に改めて感謝です。またこのような催しを主催して下さる 志村様にも お礼申しあげます。 
では 皆様 良いお年を お迎えください。
来年も宜しく お願い申し上げます。(^−^)
(志村)
地の利もあるでしょうが、よく山に登ったり、自然の中を歩いたりしておいでですね。健康一番で、地域にも溶け込んでいらっしゃる明るいお人がらがわかります。ありがとうございました。
(ナツ様)
昨年の望年会には、ドン尻で参加させていだきました。今年は飲み物がなくならないうちにと早めに、掃除の合間をぬって伺いました。
今年はなんと世の中が暗い年の瀬でしょう。ハローワークには就職を求める人がたくさん詰めかけているそうです。テレビでもラジオでも夢も希望も持てないような暗いニュースばかりです。
せめてこの望年会ではどなたか明るい話題(余興)が飛び出してくるのではないかと期待しております。
こうして温かい家の中で一年を振り返られることに感謝しております。我が家も今年は入院・手術と二人が交互に病院に世話になりましたが、その後の経過もよく、元気で年を越せそうです。
そして10月に私は古希を迎えました。70歳代突入と相成りました。どんな70代になるのでしょう…楽しみです。来年もまたこちらで皆さんと望年会でお会いできることも目標の一つです。
来年もよろしくお願い致します。
(志村)
ダイビングに挑戦したり、ハワイに遠征したりと、エネルギッシュな行動力には驚かされました。病院やお医者さんとのおつきあいも、親御さんの介護も、しっかり見据えておられる様子は、年の功でしょうか。70代の仲間入りをされたのは、私たちには心強いことです。
(遊工房様)
こんにちは、遊工房と申します。
絵を描いたり物を作ったりするのが好きな
65歳、北関東に住む女性です。
本日はお招きに預かり一品持って
ん?
色々持って

飲めないので、コーヒー持参で
参上しました
出し物も、お耳汚しではございますが
やらせてください
わたくし、東京生まれの東京育ちですが
聞いてみますと茨城イントネーションがはいってます
もっと上手になって
来年は
茨城弁で出来たらな

http://yuukoubosss.fiw-web.net/roudoku/roudoku.html
(志村)
遊工房さんの、ビックリハウス的なブログとホームページの多彩さと、更新の早さ、分量の多さは、まさに超人的と言うほかはありません。どんな人かと思っていたら、先日写真が見られました。よい意味での「オバサン・パワー」の権化のようですね。プロの技術の裏づけをお持ちだから、鬼に金棒です。
(いかりや爆様)「望年会」、そろそろ宴たけなわの頃かと思い、覗いてみましたまだ序の口のようですね。
 はじめまして、新参者です。
 11月2日「神州の泉」ブログのトラックバックに志村さんの「田母神論文の深層」をみて、はじめて当ブログを知りました。本日の「望年会」気軽に参加OKとのことで、かけつけました。
 当方、今の政治・経済に異議あり 腹立ちの華 咲くや爺です。通称「いかりや爆(73歳)」と申します、よろしく。
 忘(望)年会の余興に相応しい?話題提供、下記用意致しました。
 酔っ払って頂ければ幸甚です。但し、悪酔いする恐れあり・・・酔むも酔まないも勝手でがんす。
「中谷巌氏のずるい偽装反省」
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/1095.html
「誰がために金は成るのか?・・・・」
http://satehate.exblog.jp/8963723/
「金融危機は悪魔集団の壮大なる事業計画・・・・」
http://satehate.exblog.jp/9850364/
(志村)ご参加ありがとうございました。徳政令も世界規模になってきました。政・財癒着のアメリカ資本は、破綻さえも金儲けの機会に利用しようとするのでしょうか。日本は賢く立ち回れるか。厳しく監視する必要がありますね。
(花てぼ様)
あまり遅くなってはと、先ずは乾杯のみに駆けつけました。こちらお茶漬けで乾杯!また後ほど参上させていただきます。
(志村)はいはい、お待ちしています。急ぎすぎて転ばないようにね。
(かわぐち えいこう様)
今晩は。北海道で12月から漁師見習いやってる「かわぐちえいこう」です。うたのすけさんの乾杯を聞きたかったのですが、実は今日の望年会の話を組合長に話したら、それじゃ特別ウニでも持って行けといわれたので、早朝沖に出てウニを採取して、殻からはずして持って来ました。そんなわけで乾杯に間に合いませんでした。酒の好きな方は生うにで一杯やってください。酒の飲めない方は、うに丼にして楽しんでいただければと思います。今日は踊りの名手もいらっしゃるようなので、舞いも期待していますよ。今夜は東京に泊まりますので、2次会3次会まではOKです。翌朝は、靖国神社に参拝し、戦争のない平和な世界を祈願してから、帰るつもりです。ウニは日本酒に限ります。まずはいただきます。とりあえず景気づけに1曲歌います。皆さん手拍子をお願いします。踊り子さんもお願いしまーす。♪ヤーレンソーランソーラン・・・ハイハイ♪景気どうなるカモメに問えばー♪お浜(オバマ)元気で♪世界は大漁♪ヤサエエエンヤーサーノーどっこいしょ♪・・・お粗末でした!皆さんのご健康を祝し、
乾杯です!
(志村)本場もののソーラン節が聞けました。漁師修業で潮風の染みた声のようですね。そのお歳で海に出て漁を習うという、挑戦の姿勢に脱帽です。歳末の東京の街を、よく見て行ってください。野宿者のために焚き火をしてあげたくなります。
(村野瀬玲奈様)村野瀬玲奈と申します。今回初めてです。あまり飲めませんので、お茶をいただきます。「世界愛人主義同盟」というサイバー政治団体(笑)で2年前から秘書として働いています。
え?駆けつけ三杯の代わりに余興を三回?では下手ですが歌います。
まずフランス国歌。あ、唱和も起立も強制しません。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-778.html
次にカナダの歌手が歌うベルギーの曲「泣く友を見る」。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-913.html
最後に、連帯のためにフランスのホームレス支援運動のキャンペーンソング。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-509.html
え?アンコールですか?では「団結した人民は負けない」というチリの歌です。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-866.html
ありがとうございました。皆様のご健康とご活躍を祈って乾杯!
(志村)
以前に「村野瀬玲奈さん秘書役にして 世界旅行をしてみたい」という狂歌を作ったら、長屋の女性から「奥様からお仕置きですよ」と叱られました。それほど亭主モテもせず、ですが。
(みどり様)
うたのすけ様
 ご挨拶と乾杯の合図ありがとうございます。
志村様、会場の提供をはじめと致しまして、様々なご配慮を頂き改めて厚く御礼申し上げます。
初めてお出での方々、みどりと申します。
どうぞよろしくお願い致します。
 喜ばしいことは色々ありますが、此方へ伺わせて頂くようになり、道が通じた方が幾人かおります。皆様の多才さに驚きながらも、沢山の生きる刺激を頂きました。
年月もさることながら、私が再度社会と向きあって行く気持ちに立ち戻れましたのは、
志村様を先頭にした、此方のブログ友達だった気も致します。
お会いする折りもなく過ぎてはおりますが、皆様一様に前向きに暮らしていらっしゃいます。
 私も前途は未知数ですが、引き続く人生と想定いたしまして、来年も引き続き詩や短歌を創作して行きたいと思っています。
 少し席を外しますが、遊工房様の朗読など愉しませて頂き、花てぼ様などが駆けつける夜分にもう一度もどります。
どうぞ皆様、楽しくご歓談お続け下さい。
お酒も飲み物も美味しいピザもあるようです
(志村)
詩と歌と俳句と、それぞれの形を使い分けながらも、真剣に人生を見つめる眼差しが通底しているのを感じます。もしかして舞踊も同じなのかもしれませんね。「昇り竜」の舞台が目に残っています。
(うたのすけ様)
いやー、今日は慌てました。望年会開催の時刻を一時半とすっかり勘違い。カレンダーに書き入れておいたのに、すでに来年のに替わっています。
録画しておいた「椿三十郎」を見ながら、はてなと遅まきながら気付いて確認。既に30分経過してます。
そんなわけでお膳立てして頂いた志村さんに申しわけなしと、冷や汗三昧でした。
皆様スイマセンでした。
先ずは宴席の様子を見ながらお詫びの一席であります。
(志村)
そうでしたか。でもご愛嬌の範囲です。みなさんにもかえって好都合の時間帯だったようでした。落ち着いた進行で、言わなければ誰も気がつかなかったでしょう。ブログならではの強みですね。山頭火の偽作を一つ。
 一時半が一時か それで人が死ぬか
(花てぼ様)
うたのすけさん、先ずは開会宣言を高らかにしていただきありがとうございました。「長屋の花見」じゃなく「望年会」ですから、どんなチョンボでもみな温かく見守ってくれていますよ。
志村様、お招きをありがとうございます。
皆さまには平素のご交誼を厚く御礼申し上げます。おかげ様で、皆様の高尚なるご投稿にふつつかものの私もあたふたしながらも何とか付いていこうと頑張った甲斐あり、少し利口になったような気がいたします。(そう見えませんですって?)
来年はもう少し利口になれれば幸いです。こんな花てぼですが、今後ともよろしくお願い致します。
 年末から、「貧の意地」の録音を投稿しましたところ、かわいがってくださりありがとうございました。ただいま最終回まで入れてまいりましたので、お聞き下さり酒の肴にでもなればありがたく存じます。こちらでございます。
http://pub.ne.jp/Shography/
尚、遊工房様、村野瀬玲奈様の拝聴にまたまいります。村野瀬様の歌は見つけることができません。どのように聞くのでしょうか。
(みどり様)
此れから家人の夕食です。
「昇り竜」決め手の赤い獅子頭に見立てた扇、上から掬い下げ、ぐっと構える最後の写真を撮って頂けなかったので、掲載を迷いましたが、恥のかき捨て!観て頂くことに致しました。
 志村様のブログ案内もさせて頂きました。
ことわりもなく済みません。
明日の午前中には消去致します。今夜ご覧頂ければ幸いです。
http://pub.ne.jp/20071203MOTOTO/?daily_id=20081229
またまた、後に伺わせて頂きます
(遊工房様)
村野瀬様に教えていただいた歌
私のお友達にもお聞かせしたく
持ち帰って
披露させていただきました
ありがとうございます
ちょっと
花てぼさんと
みどりさんのところへ
行ってまいります
(村野瀬玲奈様)
花てぼさん、私の歌を聞いていただけますか。笑
さきほど書いた四つのリンクの中に私が歌った歌のリンクがあるので、それをクリックしていただければいいのですが、リンクだけ改めて書き出しますね。
「ラ・マルセイエーズ」レゲエ版
http://www.dailymotion.com/video/x3nzfr_serge-gainsbourg-aux-armes-et-ceate_music
(何度も言いますが、起立は強制ではありませんし、都教委がするような教員への処分もありません。笑)
「ラ・マルセイエーズ」スウェーデンのコーラス隊
http://www.dailymotion.com/video/x114wg_marseillaise-a-capella_sport
「泣く友を見る」
http://fr.youtube.com/watch?v=Qle--l2YEwk
フランスのキャンペーンソング、チリの歌:私の記事の中の画面中央の三角の開始ボタンをクリックしてください。わからなければまたお尋ねください。
(村野瀬玲奈様)
私は若輩者なので、志村様やうたのすけ様ほど風流ではなくて申しわけありませんが(笑)、ブログ連歌はなかなか粋だなと思って見ております。
そうそう、フランスでは「俳句」がhaikuとフランス語化されていまして、ごく短い詩をそう呼んでいます。物事をリズムにのせて短く表現する術がフランス人をひきつけるようです。そういう日本の「粋」を外国に広めたらよろしいと思うのですが、日本の政治は野暮ばかりなので、世界に麻生失言など広まってほしくないですね。笑
かじかんだ 手に手をとって ゆく二人
(志村)
早速ですが、この句は、連歌の方へ頂戴します。うたのすけさんは、若いときに肺を病んで、生死の境を見つめた経験をお持ちなのです。
(うたのすけ様)
証文の出し遅れではありますが、わが家というより己の今年の十大ならぬ、ささやかなニュースをと考えてみました。それが恥ずかしながら大したことないのです。結局は毎年変わり映えのない、それが幸せと言われればそれに違いはないのですが、そんな人生を送っているわけであります。
まあそんな一年から敢えてニュースを上げればあたし共夫婦、金婚式を迎えたという一点であります。
そしてそれに付け加えることが二つほどあります。一つは東京タワーが完成してから50周年。もう一つはカップヌードルがお目見えして今年で50年ということです。
まあそんなわけですがあたしは東京に生まれ育って、東京タワーに登ったことがないのです。カップヌードルを食したこともありません。
金婚式・東京タワー・カップヌードルの三題噺のお粗末でした。
(志村)
そうでした。私のところも金婚でした。それも復活祭の当日で、古木シスターに教会で祝っていただいたのでした。この11月に古木さんは日本に見えましたが、今はまたカトリックの本場のローマです。
 うたのすけさん、東京タワーはともかく、カップヌードルにノータッチとは、相当なツワモノですね。
(ろるる様)
こんばんは。
あまり勝手がわからないのですが、ひょっとしてチャット形式でしょうか?
若輩者(自称)ですが、たまにお邪魔させていただき、ものすごく勉強になり、本当にありがとうございました。
皆様もよいお年をお迎えください、突然失礼いたしました。
(志村)
よくおいで下さいました。コメント欄への投稿を、管理人が司会しながら記事に並べて行く方式です。お客様同士の交流もどうぞ。
(まい様)
若輩者で無粋ですが、ロック好きを自認していますので、好きな歌を紹介します。村野瀬さんのようにスマートにはいきませんが歌詞に惚れているものを選んでみました。ビートルズからストロベリー・フィールズ・フォーエバー
http://www.dailymotion.com/relevance/search/strawberry%2Bfields/video/xp16p_the-beatles-strawberry-fields-forev_music
ビートルズはどれも好きなのですが、この曲は斬新さと聴きやすさバランスが取れていると思います。奥田民生さんのイージューライダー
http://jp.youtube.com/watch?v=NVl3lHSa_hM
私はライダーではありませんが(笑)こういう力の抜けた感じには憧れます。トライセラトップスというバンドから2020
http://jp.youtube.com/watch?v=YmCaNaK9saE
このバンドも好きな曲が多すぎるのですが、恋人からこんなふうに言ってもらえたら天国ですー♪みなさん、寒くなりますがご自愛を。そして来年もご活躍ください。
(志村)
まいさんがロック好きとは、今まで知りませんでした。まじめ一方のようなイメージだったのが、何となくほっとします。今年はお子さんとともに新しい出発ですね。お忙しいでしょうが、時々はブログも書いてください。
(深山あかね様)
志村様のお世話での忘年会、初めて参加させていただきたいと思いつつ、2歳の孫を預かってしまうことになり、孫をつれての参加にしようかと思いましたが、やっと寝てくれました。寝てしまうと寝顔がかわいくてなかなか離れられなくて、遅ればせながらやっと参加させていただきました。深山あかねと申します。粗忽者の私ですがどうぞよろしくお願いします。さっそくみどり様の晴れ姿を見せていただき座に華を感じているところです。わたくし、お酒はめっぽう強いのですが、お酒とジュースがあるとジついュースに手が行ってしまい、いつもお酒を飲むのを忘れて帰ってしまいます。今日もまずはジュースなど頂きながら皆様の威勢のいいお話など聞かせていただきマース。
(志村)
いらっしゃいませ。2歳のお孫さんですか。ご苦労さまですが、うらやましくもあります。最後の孫が中学受験を始めると、わが家の「地上の楽園」も、そろそろ終りです。あとはお年玉をあげるだけ。
(花てぼ様)
村野瀬さん、きれいなお声で素敵でした。これでいいのですよね。ああ、難しかったあ、です。
「団結した人民は負けない」は、メロディを覚えてしまいました。
ララ・ファビアンは昔のBB. に似ていませんか?違ったかな。
お陰で村野瀬さんの活動を少しだけ垣間見ました。
 遊工房さん、落語うまかったわよ。障子の絵がまたいいです。御座敷で太鼓持さんがやる芸の時の襖みたいね。
 みどりさんの晴れ姿も拝見してきました。
志村さん、今年は一段と、芸達者な方がお集まりで盛会ですね。あっちの舞台、こっちの視聴覚室、フランスにまで飛んできたり大忙しです。
(nmenom様)
時々拝見させていただいているumenomという新参者です。沖縄で高校の教員をしております。年末、不景気な話、世の中のおかしな動き、そういったものも気になる昨今ですが、世の中を明るくより良いものにしていこうとする志村様のブログの書込に自分も頑張らなければならないなぁと思わされます。来年が皆様にとって、そして世界にとって良い年でありますように祈りながら今年を振り返って一人酒を飲んでいます。
(志村)
おいでいただけて、嬉しいです。現役の高校の先生、しかも沖縄におられるブログ友は貴重です。ご意見やレポートなど、今後もお寄せください。
(村野瀬玲奈様)
花てぼさん、ララ・ファビアンが昔のブリジット・バルドーですか?それは考えませんでした。というか、ブリジット・バルドーの昔のことはあまり知らないのですよ。(^^;でも、いい歌でしょ。
 志村さん、まじめ一方ではいけませんか?(笑)私もまじめですよ。(爆)でも、皆さんが楽しく飲んでいるのを見て、お茶だけの私も酔ってきたような気がするので、ちょっと羽目をはずしてこんな歌も歌ってしまおう。笑
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-951.html
(ナツ様)
今年の望年会は華やかににぎわっていますね。
花てぼさん、遊さんの朗読も聞かせていただきました。
またみどりさんの素敵な舞姿も拝見できました。掛け声をかけたくなりました。舞姿を見て昔6歳ごろ疎開先のお祭りで“勘太郎月夜唄”を踊ったことを思い出しました。ロックまで聴くことができました。
楽しい望年会を有難うございました。
(村野瀬玲奈様)
遊工房さん、気に入っていただけたようでよかったです。
遊工房さんのホームページも拝見しましたが、うわ、紹介されてますね。(^^;
拝見しているうちに、ボードレールの「旅へのいざない」について書かれているのを発見。お好きですか。私も好きです。フランス語で書かれているものが好きなんです。愛国心(笑)です。デュパルクの曲でクラシック調に歌ってみたりして。(^^;
http://fr.youtube.com/watch?v=ZWOEiUnDeaY
(志村)
夜もだいぶ更けてまいりました。楽しみは尽きませんが、あと2日だけになった今年に、まだやり残したことがあるような気もいたします。このあたりで一応の中締めといたしまして、明日に備えたいと存じます。皆様のおかげで、昨年にも増して多彩な望年会となりました。心から御礼申し上げます。新しい年が少しでも明るいものになりますよう、これからも心を通わせてまいりましょう。
 なお、会場はこのままにしておきますので、有志の方々はどうぞご遠慮なくご歓談をお続けください。本日は本当にありがとうございました。
(追記・中締め後にいただいたコメントもアップしておきます)
(花てぼ様)
志村さん長居してしまいました。こういうのは九州で「いもがら」といいます。里芋の茎を干したもので、ズイキといっていますね。これを煮たものを噛むと、いつまでも口の中に残るからです。もう一つには、昔は、ダシなどいいものを使わなかったので、あまりおいしいものとはされず、あまり手をつけないから、最後まで皿に残っているという意味だったでしょうか。
来年もよろしくお願いいたします。
村野瀬玲奈さん、お名前を ム・ラ・セレ−ナさんかと間違えてしまいました。失礼しました。
ナツさん、いつからかお訪ねしようと思いながらご無沙汰していました。よいお年をお迎えください。
今日、お知り合いになれたかたとも親しく交わらせていただきました。ありがとうございました。
(みどり様)  
寄り道が長すぎましたか?
辛うじてセーフです。
花てぼ様とワインを頂きたくなり戻りました。
盛会で私まで嬉しくなりました。
たぶん、うたのすけ様はご帰宅ですね。
最後の〆はご亭主の志村様からのご挨拶が頂けるのでしょうか、とにかく本日間に合いよかったです。
私もなんとか踊り終えましたので、明日は張り切って最後の買い出しに行く予定です。
 本日、まだ聴かせて頂いていない音楽も残っておりますが、明日の愉しみにさせて下さい。
そうそう、かわぐち えいこう様
ご挨拶遅くなりましたが朝捕りの美味しいウニを御馳走様でした。来年はご無事で漁師見習いを終え本格的漁師としてご活躍下さい。
 志村様、本日はとても楽しい半日を過ごさせて頂きました。
心より御礼申し上げ、此れにて失礼致します。
(多分、明日も連歌へも伺います)
(JIRO様)
今年、志村さんのブログを知れて良かったです。
来年も元気に更新がんばって下さい!
(志村)
おかげさまで盛会になりました。お帰りの足は大丈夫ですか。終電を逃した方は、「志村タクシー」をお呼びください。
(うたのすけ様)
お早うございます。
昨夜は9時に就寝。
只今じっくりと宴席の間をさまよっております。去年以上の盛会で感激も一入であります。歌あり踊りあり、そして朗読ありの賑わい、来年はきっといい年になります。ちと請合いかねますが…。
(志村)
お疲れさまでした。おかげで無事に開催できました。本当に有難うございました。


投稿文芸誌「流星群」

戦記書画」の著者である増田博一さんから、「流星群」の最新号が送られてきました。これは「現代文芸社」の投稿文芸誌で、同人の原稿を集めて年に2回発行しているとのことで、今回で10年、20号に達しています。増田博一さんも寄稿しており、表紙デザインも同氏の作です。内容は、小説、随想、詩、論文、評論と多彩で、それぞれの著者の思いが伝わってきます。
 私とは直接の関係はないのですが、編集後記によると、35年前に芥川賞候補作家だった田端信氏が、意欲あるすべての人に作品活動の場を作る目的で「現代文芸研究所」を立ち上げ、その同人誌を引き継いだもので、田端氏の没後に、弟子の大沢久美子さんが全国公募の投稿誌として再出発させたとのことです。
 投稿規定によると、作品内容は自由(ただし画像・写真は除く)で掲載量は400字詰め50枚まで、掲載料金は1頁(42字×18行=756字)当り1500円ということです。一応の選考基準はあるようですが、事実上の自費出版雑誌と考えてよさそうです。単著の自費出版では数十万円の費用がかかりますが、20頁程度の小品なら、3万円で発表できることになります。雑誌の単価は750円で、ISBNコードがついていますから、国会図書館に納本される筈です。個人名の著書ではなく、また、一般の書店に並ぶ雑誌ではありませんが、同人の間で必ず読まれる機会が生まれます。
 自分の書いたものを本にしたい場合、大半の目的は友人・知人の間に配って終ります。自費出版系の出版社から、高額の費用を負担して出してみても、簡単に書店で売れるものでないことは周知の事実です。一冊分のまとめたものを出す前に、まず書いたものを活字にして人に読んで貰いたいと考えている人には、利用しやすい出版の形態かもしれません。
 その他、ここでは一般の自費出版物の制作も行っているようです。派手な宣伝はせずに、手堅い仕事をしているという印象を受けました。ホームページは以下のアドレスです。
http://www7.ocn.ne.jp/~genbun/




落語「トヨタの赤字」

(熊さん)ご隠居、大変なことになりましたぜ。あのトヨタが赤字に転落だって。ついさっきまで世界一の自動車会社になったって、てえしたもんだと思ってたら、あっさり倒産たぁどういうことなんですかね。これじゃあ失業者もたくさん出るわけだ。
(ご隠居)お前の話は、すぐにそう大げさになるからいけない。倒産じゃあるまい。赤字の決算が一回出たってだけの話じゃないか。そうやってすぐに騒ぐやつがいるから、世の中余計に暗くなるんだ。お前は数字も見ちゃいないんだろう。2兆円を超えるような大儲けを何年もつづけて調子よかったのが、世界の不況で今年は赤字になったってだけの話じゃないか。それも、でっかく儲けていたときの10分の1にもならん金額の損が出ただけのことだ。
(熊)なあんだ、そうですかい。これまで儲けた貯金が何十兆円も積んであるんじゃ、ちっとの赤字でオタオタすることぁないんですね。
(隠)みんな貯金してあるってことでもないがな。株主への配当に回したり、新しい工場を作るのに使ったりもしたろうさ。だがな、黒字が出るってことは、いろんな控除だとか積立金とか、社員や役員の給料・ボーナスとか、必要なものは全部払った上に利益があったっていうことだ。わしは若い頃に会社を経営したことがあるが、30年もやっていた中で、黒字が出せた年は、自慢じゃないが片手で数えられる回数しかなかった。50年以上も黒字決算を続けたなんざぁ、うらやましい限りだな。
(熊)そんなら、バタバタと派遣切りを急いで、働いてた人を寒空に放り出すなんてことを、しなけりゃいいじゃないですか。社員と仕事を分け合って、この際みんなで楽に働くことにすりゃあいいのに。
(隠)そこだな。派遣切りで節約できる金は、会社に積んである金の1%にもならないと言う人もいるくらいだ。トヨタというのは、明治時代に豊田佐吉が国産の織機を発明したところから始まった会社だが、経世済民、世の中を良くして民を救うということを事業の旗印にして発展してきた筈なんじゃ。それが強気の経営が当って傲慢になって、創業以来の手堅さを忘れかけていたんじゃないかとわしは思う。
 世界と競争して勝つのも大事だが、当の日本で、昨日までトヨタの車を作るのにまじめに働いていた人たちを、大勢泣かせるようじゃあ、日本の大企業として恥ずかしいと思うなぁ。人の働かせ方でも、手本になるような会社でいて貰いたいもんだ。
(熊)なるほどね。ご隠居はいいことを言うんだが、こちらは長屋で貧乏の手本ですね。
(隠)こら、余計なこと言うな。

派遣切りは国策の犠牲者

年内最後の金曜日です。NPO法人「もやい」も、年内の事務は最終日ということで、私はサポーターとしての登録だけを済ませてきました。スタッフは、各地で行われる野宿者の越年・越冬対策に参加するようです。
 派遣切りはなぜ起こったのか。労働者派遣法の制定は、1985年のことでした。当初は、常雇いになじまない13の特殊な業種にだけ適用される法律でした。それが労働自由化の名のもとに次第に拡大されて、経営側にとっては、労働コスト削減のために最適の雇用形態であることがわかってきました。折しも経済グローバル化に対応する国際競争力の強化が叫ばれ、政府も経済界の要望に応じて規制緩和へと舵を切りました。2004年には製造業にも労働者派遣が解禁されて、ここに事実上の完全自由化が実現したのです。
 これ以来、製造ラインにおける労働者のコストは、「人件費」ではなくて、「操業経費」でしかなくなりました。必要最小限の労働力が、必要な時間だけラインについていればいい。つまり「労働力のジャスト・イン・システム」が完成したのです。派遣労働の単価は市場の競争原理で決まり、社会保険料の会社側負担はゼロという恩典までついていたのです。企業の国際競争力は、このようにして強められました。それが政府の「国策」でしたから。
 言わば国をあげてグローバル経済戦争に参戦した。その最前線に配置したのが派遣労働者だったのです。最前線はよく戦いました。日本を代表するような大企業は、おかげで世界に伍して最長と言われるほどの好景気を続けることができました。しかし兵站が弱いのが日本軍の伝統的な弱点でした。攻めている間はよくても、守勢に回ったところで破綻しました。防具も食糧もなしで戦線に取り残され孤立したら、兵士は生きて還れません。
 安定雇用を前提として作られていた日本の社会保険は、派遣労働者を守るためには役に立たないことが暴露されました。以前から警告されていたにもかかわらず、政府は先延ばしを繰り返して対策を怠ってきました。これほど早く、これほど深刻な不況が来るとは想定外だった。それはそうでしょう。しかし、これは「格差は止むをえない」で済まされる問題ではありません。国民の生存権の侵害です。
 この年末年始に、多くのボランティアが寒中の路上で野宿者に寄り添います。本来は政府が率先してやるべき仕事です。派遣の尖兵が命を落としたら、小泉純一郎氏は、国策に殉じた英霊を靖国神社に合祀して、ぜひとも参拝してください。「痛みに耐えてよくがんばった、感動した」の言葉を添えて。

徳富蘇峰と戦争責任

昨夜のTBS系特番「あの戦争は何だったのか」では、言論人の徳富蘇峰が重要な役回りで登場していました。時代背景を蘇峰と取材記者とに語らせながら戦争への道程を描き出すという、今までにない深みのある、すぐれた演出だと思いました。
 徳富蘇峰は、私の父が新聞記者として活躍していた国民新聞の社主であり、父の生涯の師匠でしたから、私にも縁の深い人です。熱海市伊豆山にあった「晩晴草堂」は、ドラマに出ていた通りの雰囲気で、戦後に中学生だった私は、父に連れられて何度も訪問したものです。戦後の蘇峰は、文化勲章も返納して、第一線から退いた温和な生活を送っていました。
 しかし昭和10年代に、蘇峰は国粋膨張主義の代表的指導者でした。欧米諸国の東亜侵略を糾弾し、日本にはアジア解放の使命があると説きつづけていました。神国日本の国民が結束すれば、いかなる物質文明にも打ち勝つことができるという、精神論者でもありました。
 父が経営した野ばら社から、日米開戦の前後に「国土防衛の戦い」という著書が出ていたと思うのですが、今回ネットで検索してもわかりませんでした。B6判100頁足らずの冊子で、富士山と桜の図柄の表紙でした。月刊「学友第一線」の増刊号だったかもしれません。お心当りのある方は、お知らせください。
 徳富蘇峰の戦後は、公職追放はされましたが、戦犯としての指名は免れました。言論で戦争を煽ったことは事実であっても、具体的に何をしたという実績がなかったからでしょう。しかし蘇峰の言論は、当時の軍人や政治家たちに、バイブルのような大きな影響を与えていた筈です。近代戦で物量が足りなくても、最後は人間として精神力の勝負になる。座して屈辱を受けるよりも、断じて行えば道は開けるといった潔さは、追いつめられた状況では魅力的だったでしょう。
 問題は、政治の無謀は国を滅ぼすという、最も大切な合理的な判断が失われたことです。剣より強いペンは、ここでは剣を誤った道へと導きました。言論人の罪は深いのです。徳富蘇峰は、自らの責任を、どこまで自覚していたのでしょうか。
 私が初めて父とともに蘇峰の書斎に通されたとき、そこにいたのは白髪で目を細めた温和な老人でした。「いい息子さんだ」の次に出たのは、「もう、兵隊に取られないからいいねえ」という言葉でした。別れぎわには、書を一枚貰いました。その文字は「日々是好日」でした。この書は、たぶん表装しなかったと思います。実家に置いてきたので、今は持っていません。

ブログ連歌(62)

1219 クリスマス 解雇当日 如何にビラまく(みどり)
1220  越せぬ年の瀬 哀史はまたも(建世)
1221 マッチ売り 少女の夢を 現実に(ハムハム)
1222  天に救いを 地には平和を(建世)
1223 生きるため 仕事と宿を そは道理(みどり)
1224  先見えぬまま 冬至過ぎをり(夕螺) 
1225 光射す これより昼の 長ければ(花てぼ)
1226  寒い中にも 明るい光(やまちゃん)
1227 カレンダーに PM一時と 赤ペンで(うたのすけ)
1228  光の友は 来る年望む(建世)
1229 年越しに せめて上げたき 餅と米(みどり)
1230  今また欲しや 日暮らし食堂(建世)
1231 怪奇なり 世界のトヨタが 悲鳴あげ(うたのすけ)
1232  経世済民 創業の心(建世)
1233 不安増す 先が見えない 家業なり(やまちゃん)
1234  寒空に守る 街の一灯(建世)
1235 百年に すべて一度と 逃げ打つな(うたのすけ)
1236  淀んだ政治は 60年一日(建世)
1237 新年は 日の出のごとく 迎えるぞ(ハムハム)
1238  早く来い来い 新生日本(建世)
1239 如何にあれ 子は夢いだき 春を待つ(みどり)
1240  生きる力ぞ 明日こそなれば(やまちゃん)
1240B  何を託そう 爺の初夢(うたのすけ)

天皇陛下も後期高齢者になられましたね

昨日は、お誕生日おめでとうございました。体調もよくなられたとか、お元気なお声も聞くことができました。これで陛下も満75歳の後期高齢者になられたわけですが、陛下は「国民」ではないので、法制度ではどのようになるのでしょうか。ともかく、同じ昭和8年生まれとして、感慨の深いものがあります。
 思えば戦争末期には集団疎開を経験され、戦後日本の大変革の中で、父陛下の激動の日々を身近に見ておられたのだと思います。民主国家となった日本の皇室のありようについて、さまざまな教育も受けられたことでしょう。そうした中で、大学生としての伸び伸びとしたご日常の一端を、時々は拝見しておりました。
 中学生時代には、「自分が皇太子であることをどう思うか」というバイニング女史の質問に、「皇太子以外の者になったことがないから、わからない」と答えられたとか。その率直さを好ましく思いました。皇太子、そして天皇の公務とはどのようなものか、私にはわかりようもありませんが、国の象徴としての一挙手一投足が、決して軽いものでないことは想像できます。
 ふつうならば実務は若い世代に任せて、悠々とお暮らしになれるお歳ですが、皇統の将来のことなど、お心を悩ますことも少なくないとお聞きしました。なぜ皇室にとっては、ふつうの家族のような親しい話し合いで将来を決めることが難しいのでしょうか。皇室典範に定めた皇室会議は、あまりにも国家機関の色彩が強い構成になっています。天皇家のことは、天皇家で決められるように改革して欲しいとはお思いになりませんか。天皇家は、国を象徴する家族であって欲しいと私は思うのです。
 次の天皇は誰が適任か、本人の意思はどうか、天皇の実務は、いつから若い世代が分担すべきか、あるいは定年・上皇制は考えられないかなどを、天皇を議長とする皇族の話し合いで決められるようにしたらどうでしょうか。その方が、がんじがらめに法定するよりも、ずっと人間的だと思うのですが。
 そのためには、もちろん皇室典範を改定しなければならず、それは国会で議決を要する問題になります。しかし、当事者である天皇ご自身の発議であれば、誰が異議を唱えるでしょうか。皇統の将来が安泰であるために、決してご遠慮なさることはないと思います。

湯浅誠の「反貧困」を読む(2)

この本で知った印象的な事実は、生活の破綻は自助努力の不足からではなく、自助努力の過剰から起こる場合が多いということでした。教育の格差などでもともと弱い立場の人が安定収入を失った場合、視野が狭いためにすべてが自分の責任だと思いこみ、自分の正当な権利や利用できる制度などに目が向かず、どうにもならなくなるまで我慢してしまうというのです。
 本人の立場に寄り添うことのできる助言者や相談窓口が手近にあればいいのですが、こういう人たちの身辺では、雇用の自由化で「貧困ビジネス」が発達しています。サラ金がその一つですが、誘惑に負けない堅実な人にとっては、寮つきの派遣会社が大事な受け皿になります。良心的なところもあるでしょうが、派遣会社は登録者の寮費や食費、そして仕事の割り振りを自由に決めることができます。つまり会社は、登録者の収入と支出とを、意のままに操作することが可能になるのです。会社が利益を最大化しようとすれば、登録者は「生きぬように、死なぬように」と言われた昔のタコ部屋に入れられたのと同じ状態になり、抜け出すことができなくなる仕組みです。
 湯浅誠氏は出演したテレビ番組で、生活保護を受けていた人が不利な就職を拒否できた例をあげて「ノーと言えることが大切」と述べていましたが、ノーと言えない切羽つまった人には、極貧の連続がわかっていても選択の自由がありません。少しでも生活を向上させたい選択の自由までも、「自助努力の足りない贅沢」として切り捨てることができるでしょうか。
 湯浅氏の考える重要な概念に「溜め」ということがあります。具体的には貯金でもいいのですが、技能・知識や人脈・情報をも含めた「最低の生活が守れる余力」の総称です。この「溜め」の少ない人は、すぐに破綻する弱者です。ですから弱者を立ち直らせるには、何らかの形で「溜め」を補う必要があるのです。「溜め」があって初めて、人は自分の意思で自分の行動を決めることができます。そこから先に始まるのが本当の「自助努力」なのです。逆境から立ち直って自信を回復した人が、どれほどすばらしい能力を発揮するかは、私たちはみんな知っています。
 「溜め」のない人は弱い。「溜め」のない国家は弱い。日本は「溜め」の少ない国ではありませんでした。雇用の自由化拡大を急ぎすぎて、防貧網の張り直しを怠っていたために、経済の縮小で国民の一部分にだけ貧困を押し付けるという罪を犯してしまいました。緊急に変更すべき政策の方向は明らかです。不況対策の財政出動は、貧困ラインの底上げと防貧網の再構築に使うべきです。公正な労働に従事する人口が増えれば、日本の国力は必ず回復します。

湯浅誠の「反貧困」を読む(1)

湯浅誠の「反貧困」(岩波新書)を読みました。もっと早くに読むべき本でした。この4月に出ていたのに、なぜか見落としていました。天木直人氏が湯浅誠に政治改革の期待を寄せ、この本に感動したと書いているのを見て、ちょうど入荷したばかりの重版を買ってきました。
 著者はホームレス支援の活動から出発しただけあって、その見識はすべて実践活動を通して確認した事実に基づいており、提言は本質を突いた明快さに貫かれています。私は少年期に読んだ吉川英治の「三国志」で、劉備玄徳が諸葛孔明から「天下三分の計」を教えられた場面を思い出しました。目の前の世の中のことが、掌に乗せたように、隅から隅まで読み解けたような気持を味わったのです。
 貧困とは何か。自助努力の不足だろうか。私は1900年代の終りごろから増えはじめた公園のホームレスのブルーテントを見ながら、豊かな日本でなぜこんな人たちがいるのかと、疑問を感じていました。しかし行政の不行き届きだろうと思うばかりで、不愉快な光景が早く目の前から消えてくれることだけを望んでいました。思えば罪深いことでした。
 路上生活がどれほどつらいか、経験したみたらわかると著者は言います。それはまさに「人間として、あってはならない」状態です。それでもホームレスにならざるをえないのは、避けることのできない理由があったからです。
 現代の日本で暮らす市民には、およそ4段階のセーフティーネット(防貧網)があります。第1は雇用による保障。第2は雇用の不連続を補う社会保障。第3は市民としての生活保障。第4は個人としての家族などによる保障です。モデル的に考えれば、失業しても失業手当で当面は生活できて次の仕事を探せる。それでもだめなら生活保護に頼ることもできる、ということです。
 しかしながら、非正規雇用の場合は、第1の雇用自体が不安定な上に、雇用・労災・健保・年金といった各種の社会保険からなる第2の防貧網からも遠ざけられています。そして第3の防貧網である生活保護では「労働可能な状態」と判定されるし、本人にも「自助努力」の縛りがあって受けたくない気持があります。さらに生活苦の連続は家庭を崩壊に導くことが多く、孤立して第4の防貧網も失いがちです。
 こうして脱落が連続すると、著者の言う「自分自身からの脱落」が起こります。自分自身の否定は、社会全体への否定感情と表裏一体です。犯罪者になって刑務所で「生存の継続」を得るのが第5のセーフティーネットになります。それがいやなら自殺という方法もあります。落ちたら途中で止まれずに、どん底まで行ってしまう「すべり台社会」に、日本はなってしまったというのです。

2008年末ブログ望年会のお知らせ

2008年も、いよいよ押し詰まって参りました。例年にも増して心安からぬ年末ですが、地上に何があろうと、暦は間もなく新年となります。そこで昨年に引き続きまして、ブログ友が相集い、この一年を振り返りつつ交歓する「ブログ望年会」を、下記の要領で開催したいと存じます。

12月29日(月)13時から 当ブログ上において
会費は無料 
参加には300字以内程度の「1分間スピーチ」をご持参ください
参加はコメント欄への投稿により行い、出席順にブログに掲載いたします
映像や音声へのリンクつきでも結構です
スピーチが一巡後した後は、コメント欄での自由なご歓談となります
終了時刻は定めませんので、深夜、翌朝でもご参加いただけます

昨年ご参加の皆様はもちろん、初めての方も、これを機会にどうぞご参加ください。肩肘張らず、ふだん着のままのおいでをお待ちしております。
(追記・ご参考までに、昨年の望年会は、こちらです。)

70代からの情報革命(10)

 マイペースで書き続けていた私のブログにも、数ヶ月たつとぽつりぽつりとコメントが入り始めた。記事に特別な興味をもってくれた有難い読者の意見なのだが、私は依然として返信を書いていない。感想文なのだから、読んでみて反応を確かめればそれで終り、と思っていたらしい。これは後に自分がよそへコメントを入れるようになってからわかったのだが、とんでもない思い違いだった。自分の意見が相手にどう受け取られたかは、とても気になるものだ。コメントにどう答えるかを知ることで、相手のことがよくわかるし、そこからさらに交流が展開するきっかけにもなるので、それこそがブログの面白さなのだった。「以前にコメントを入れたけど、返事がないので止めました」と、はっきり教えてくれた人がいて、私もようやく気がついた。要するに手紙をもらったのと同じことなのだ。
 実質的にコメント欄を使って情報交換ができたのは、2006年春になって出版の碧天舎が倒産したときだったと思う。私が「おじいちゃんの書き置き」の再版が出せなくなったことを書いたら、同じ立場の人からコメントがあった。その発信元を見に行って、先方がどんなものを書いているのかを読み、それについての感想もまじえながら、しばらく交流が続いた。このあたりから、よそのブログを見に行ってそこへコメントを残すことで、自分のブログへのアクセスを増やすという「営業活動」の呼吸がわかってきた。
 トラックバックも最初は何のことか知らなかったのだが、どこかのブログで「昨夜はトラックバックで『営業活動』をした」などと書いてあるのを見て、そんなものかと思った。初めてブログの本を書店で買ってきて、トラックバックの方法を覚えた。説明によると「私もこのテーマでこんなことを書いています」と知らせるもので、なるべくコメント欄への挨拶と併用するのが好ましいということだった。また、受けた側は「トラックバックありがとうございました」と返礼のコメントを送る習慣もあったようだ。これは今から2年前の本なのだが、今のトラックバックは商用の広告などに汚染される場合も多くなった。迷惑メールと同じような現象は、インターネットの世界では避けられないのだろうか。
 しかしブログ同士の交流は、なんといってもコメントが中心になる。もらったコメントが縁になって相手のブログを見に行き、そこへコメントを残すようになると、両者の関係は対等になる。それが継続的になると「ブログ友」と呼べるような感覚が生まれるのだ。けれどもブログ歴の浅い私には、まだそこまでの認識はなかった。とにかく言いたいことが毎日書ければいい。付随するつきあいは、人並みに出来てさえいればいいと思っていた。

貧困のない世界を創る(2)

ムハマド・ユヌスが携帯電話事業の次に手がけたのは、子どもたちの栄養改善に役立つ食品事業でした。発育不良で障害を起こすような子どもを作らないためには、コカ・コーラよりも安くて、栄養価の高い食品が必要であることは明らかでした。この事業で、ムハマド・ユヌスは、フランスに本社を置く食品世界企業のダノン・グループと提携しました。
 事業の進め方は、利益をあげるための事業と全く同じです。徹底した市場調査で需要を探り、住民が負担できるであろう価格を設定し、その価格で提供できる食品(この場合はヨーグルト)の品質や、現地で好まれる味付けを決めて行くのです。無駄なく働く有能な現地スタッフが必要であることも、他の事業と全く同じです。原料の牛乳を近隣の農家から集めること、小規模の工場を分散させるなどで、冷蔵や輸送のコストを省くことが可能になります。その地域に最適の事業形態を構築することで、事業の成功と地域の生活向上を同時に実現するのです。
 事業の成果をはかる指標は、地域の子どもたちの死亡率低下と体位の向上、就学率の向上などです。事業の目的が、利益の最大化ではなくて、地域社会の生活向上だったからです。近代経営の最先端のノウハウは、社会的な目的のためにも有効でした。参加したスタッフの達成感も大きなものになりました。次の目標は、地域医療の分野だということです。
 特筆すべきは、こうした事業に公的な補助金が使われていないことです。それでも資金は集まりました。出資者が提供した資金は、事業が軌道に乗った時点で償還されますが、配当はつきません。余剰な資金はすべて事業の発展のために使われる約束です。しかし出資者は慈善の寄付とは違って、回収した資金を何度でも新しい事業に出資することができます。出資者の満足も大きいのです。ムハマド・ユヌスは、こうしたファンドが、安定した投資として株式市場に上場されることまで予想しています。
 このマジック的な変換は、すべて事業の目的を「利益の最大化」から「社会の最善化」に変えるところから始まりました。ムハマド・ユヌスの何よりの強みは、その思想が事業の発展によって実証されていることです。「貧困というものは貧しい人々によって創られたものではありません。だから私は貧困なき世界を創造することは可能だと信じています。」と語っています。
 ひるがえって、今の日本で、この思想をどのように役立てることができるでしょうか。おそらく誰もが実証してみたくなるでしょう。ムハマド・ユヌスは、27ドルの出資から始めたそうです。 

ブログ連歌(61)

1199 月曜日 「水戸黄門」を 二回見る(うたのすけ)
1200  土下座させたい 悪代官を(建世)
1201 頭良し 開き直りも 今世代(やまちゃん)
1202  知恵者気取りで 愚行の数々(建世)
1203 分かちあう 物より心 そこが鍵(image)
1204  建前本音 鍵は難し(やまちゃん)
1205 政界で お色直しが ささやかれ(うたのすけ)
1206  ハレの高座の 羽織引かれる(こばサン)
1207 模擬寄席や 新年会の 出し物に(花てぼ)
1208  囃しに乗って 引きぎわ粋に(うたのすけ)
1209 「おあとが」と 先に叫ぶや 楽屋裏(夕螺)
1209B 歌舞伎座の 粋も無粋も ビルの中(みどり)
1210  その日待たるる 新晴れ舞台(建世)
1211 ブログにて あの華やかさ 懐かしむ(やまちゃん)
1212  役者が不足 議事堂歌舞伎(うたのすけ)
1213 年の瀬の 舞台暗転 息を呑む(建世)
1214  参院難産 衆院流産(えいこう)
1214B  拍手が沸くか 怒号を呼ぶか(うたのすけ)
1215 この舞台 見ずばなるまい 有権者(やまちゃん)
1216  冬至も近し 春を見据えて(夕螺)
1217 とりあえず 目出度しと書く 年賀状(建世)
1218  正月号の 市報吹き込む(花てぼ)
1219 クリスマス 解雇当日 如何にビラまく(みどり)
1220  越せぬ年の瀬 哀史はまたも(建世)




社会の最善化を目的とした資本主義へ

昨夜読み終わったムハマド・ユヌスの「貧困のない世界を創る」について紹介文の1回目を書いた最後に、天啓のように「社会の最善化を目的とした資本主義」というキーワードが浮かんできました。著書の副題は「ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義」であり、それは「利益の最大化を目的とした資本主義」に対置された「貧困を解消し、すべての人に本来の人間性を回復させる資本主義」なのですが、それを短くまとめたキーワードが、著書の中には出ていなかったのです。
 ムハマド・ユヌスの大きな特徴は、資本主義を敵視せず、そのダイナミズムをそのまま発揮させて貧困を解消しようとしていることです。そのためには、目的を「利益の最大化」から「多数の人間の幸福」へと、少し移動させるだけでいいのです。そんなことは絵空事だと思う人は、人間とは本来、自己の利益追求だけで満足できるものではなく、他者との好ましい交流で幸せを感じる存在だということを忘れているのです。ムハマド・ユヌスは、世界の巨大企業の幹部たちが、嬉々としてグラミンの貧困解消プロジェクトに参加してきた姿を見て、そのことを確信したのです。
 「貧困が存在しているのは、私たちが人間の能力を過小評価した枠組みを築き上げたからなのだ……現在の経済システムは世界の半分を無視している」とムハマド・ユヌスは言います。世界全体の幸福を増加させることを目的とすれば、資本主義は人間性を回復し、その下で働いている人たちも救われます。今までは、利益の最大化を貫徹して資本を育てれば、結果として世界の貧困も救われるという、無駄の多い回り道でした。新しい資本主義は、そこにバイパスを作るものです。100車線の広大な道路でも、すべての車が先を争って走れば衝突や渋滞は避けられません。そこに信号を灯し、緊急車の優先路を作ればいいのです。
 ムハマド・ユヌスの思想には、現代の先行きに閉塞感を感じている経営者や投資家たちをも引きつける魅力があります。「どこへ行きたいかがわかれば、道はできる」と彼は言います。その新しい資本主義に、私は「社会の最善化を目的とした資本主義」と命名しました。私の知るかぎり、これは日本における「言い出しっぺ」になると思います。
 そんな資本主義はありえないと思う人は、ノーベル、ロックフェラー、カーネギーなどが、「資本家」たちの名前であったことを思い出してください。

貧困のない世界を創る(1)

タイトルは、ムハマド・ユヌスの著書(早川書房)で、副題は「ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義」、著者はバングラディシュで貧困層のためのグラミン銀行を創立して以来、貧困を解消するソーシャル・ビジネスで大きな成果をあげつつある実践家です。一人のノーベル平和賞受賞者という以上に、その説くところは自らの経験と思想に裏付けられ、世界の将来を見通した確信に満ちています。小飼弾氏は「世紀のトテツモナイ本だ」とブログで激賞していました。
 資本主義はこれまで世界の半分の人しか相手にしてこなかったと、著者は言います。最貧国の農村地帯の女性たちは、銀行取引とは縁のない人たちでした。わずかな収穫は安く買い叩かれ、生活に困れば地元の有力者から法外な高利で金を借りるしかありませんでした。そこへ著者は無担保の低利少額貸付け「マイクロ・クレジット」を提供したのです。誰もが反対し、失敗を予想したクレジットの返済率は100%に近く、地域の経済は活性化して、生活水準の向上が始まりました。
 成功した裏には、地域の人たちの暮らしに密着しながら発案した、いくつかの仕掛けがありました。まず、クレジットの対象を女性にしたこと、そして5人の連帯責任を組ませたことで、資金は確実に家族のために使われ、かつ近隣の協力関係が生まれました。資金の使い道は、借りる人の自由な創意工夫に任せるのが最善であることが、すぐにわかってきました。誰でもチャンスさえあれば、自分にとって最善の道を選ぶことはできるのです。農産物や手芸品を有利な条件で売る経済活動は、署名に自分の名前さえ書ければ、字が読めなくても可能だったのです。
 この「村の銀行」を意味するグラミン銀行の成功の上に、携帯電話事業が加わってきました。これも「電気もない村に携帯電話が売れるわけがない」という一般の予想をくつがえして、地域経済の発展に画期的な効果をもたらしました。電気も加入電話もない地域だったからこそ、情報の格差がなくなったことで、住民は強くなれたのです。この事情については「グラミンフォンという奇跡」という本が出ていて、私のブログでも紹介したことがあります。
 ここで強調されていたのは、与えるだけの援助ではなくて、自立を助ける動機付けと手がかりこそが根本的に貧困を解消するという思想でした。そして著者はこの事業を通して、利益の最大化を目的としてきた資本主義とは違う、社会の最善化を目的とした資本主義があり得るという、広大な地平を望見するに至ったのです。

会社が社員を減らすということ

私はこれまでに2つの会社を作り、その1つは今も存続しています。私は経営者としては、決して有能ではありませんでした。順調な発展からは程遠い35年間でした。その間に私の会社を勤め先として働いてくれた人たちは、アルバイトを含めれば延べ20人ほどになるでしょう。その中には、いろいろな事情で自発的に退職した人も、こちらの判断で辞めてもらった人もいます。しかし、会社の経営難を理由として、資質に何の問題もない人に退職をお願いしたのは、これまでに2名だけだったと思っています。
 映像制作というのは、付加価値の高い仕事ですから、仕事さえあれば給与コストは切り詰める必要はないのです。ですから仕事上つきあいのある民間大手産業の平均給与を目途として、基準賃金を決めました。社員の退職後を考えて、公的扶助のある退職金共済にも最高額で加入して、積み立てを続けてきました。しかし、受注に陰りが出てきて、それは労働組合運動の地盤沈下とも連動して、回復不能の状況となりました。
 もちろん決算は赤字続きで、株式会社でも同族会社ですから配当収入はゼロです。役員の給与はローンを払える最低限度まで下げても足りず、退職金の積み立てを解約して給与に当てるという、非常の手段もとりました。それでも数年のうちに退職金も出せない行き詰まり状態に陥る見通しになり、ついに社歴の短い女性社員2名に、退職をお願いする決断をしました。内1名は、新卒で入社試験を経て採用した人だけに、重い責任を感じました。今から7年前のことです。その後2人とも結婚して、無事に子供を育てているので、私は救われた思いがしています。
 企業というのは、そこで働く人の人生を左右します。設備投資と違って、相手は人間なのです。かつて人員整理は、赤字・無配の連続、役員報酬カットなど、他のあらゆる経営努力の果てにのみ許される行為でした。企業の国際競争力維持とかで、ある程度の労働力の伸縮性(フレキシビリティ)が不可欠になったとしても、働く人間の生活権を無視してよいわけがありません。法制の不備が改善されるまでの間だけでも、企業は雇用の維持に努める義務があります。少なくとも、株主への配当や、役員の給与よりは優先させるべきです。
 最後に私の経験からの要望ですが、社会保険事務を企業に押し付けるのは止めてください。社会保障の財源は、給与の額に連動して累進する、全産業一律の「雇用税」として徴収すべきだと思います。

小学三年生で経験した静岡空襲

(志村ひさ江・記)
 昭和二十年八月十五日、終戦の日。その日の正午、疎開先の祖父の生家、梅ケ島村花崎の家の縁側に村中の人が集まって一台のラジオを囲み、玉音放送を聞きました。三年生になったばかり、九歳の私には内容はよくわからなかったけれど、天皇陛下という人の声がかすかに聞こえて戦争が終わり、もう空襲がなくなるらしいということはわかりました。そして静岡が空襲されるたびに誰もいない納戸に入って、ふとんに顔を埋めて手を合わせ「神様どうぞ静岡にいるお母さんをお守り下さい」と泣きながらお祈りすることもないんだなと、とてもうれしかったことを覚えています。                 
 父が出征中でいない中の静岡空襲で、すべて焼きつくされ、山の家に来てから二ケ月あまり過ぎていました。祖父母、五年生の兄、私、学齢前の弟二人の六人で疎開していました。母は二歳の末の弟を連れて市内で焼け残った母の姉のところに身を寄せていました。
 私の家は神明町、市内北寄りの、安倍川、浅間山に近い方です。
 昭和二十年六月十九日夜、急に空襲警報になって私たち子供は家の裏に作られた防空壕に入っていました。いっしよに逃げる約束をしていた祖母がみつからないので、祖父と母はあちこち探しまわっていました。でも防空壕のふたをそっと上げると、まわりはすでにまっ暗、空にはB29、神明神社の森はパチパチと音をたてて、まるで花火のように燃えていました。                                 
 いよいよ避難した時は、近所の家の人はだれもいなくて、私たちが最後でした。祖父と兄、私、弟二人と末の弟をおんぶした母と逃げました。乳母車に火の粉をさけるためのふとんを積んで、祖父が押し、熱くなっている道路を人なみをよけながら、火の粉をよけながら井の宮の通りを、山の方へ急ぎました。広い河原へ逃げるように前から決めていたのに、すでに大きな火の手、祖父がこれはだめだと言って、そのまままっすぐ浅間山のふもとの方へ向かいました。                             
 途中、靴がみつからなくて大人の白タビをはいた弟の足に火がついたのを、母がもみ消したり、山に近づいたところでは、近所の床屋さんの双子のお姉さんが直撃弾を受けて横腹をえぐられ、小さな声で「お水をちょうだい、お水をちょうだい」とつぶやきながら、草の上にねかされていました。
 山に掘られたほら穴で夜を明かし、朝になって兄が家を見に行き、家もなんにもないよと、畑にあった黒こげのじゃがいもと、飼っていたにわとりの卵の、やはり黒こげになったものを手に戻ってきました。どちらもとてもおいしかった。そしてその夜は、大勢の人たちと若松町の知り合いの材木工場にむしろを敷いて寝かせてもらいました。夜空には星がいっぱい、きれいだなあと思いました。                    
 次の朝、名古屋から疎開で私の家に来ていたおばさんに会い、祖母もいっしょに逃げていたので大丈夫とわかりました。次の日、梅ケ島から親類のおじさん二人が自転車で私たちを迎えに来てくれました。四十キロの上りの道を、私と弟は二人の自転車に乗せてもらい、兄はあとから走ってついてきました。足に黄色いヨードチンキをぬりながら、これをぬるとスーッとして足が軽くなるよと言いながら…。運動会でも足が早かったけど、お兄さんはえらいなあと思いました。                         
 夜中になって知り合いの家に着きました。その家で土間のいろりを囲んで、おいしい炊き込みごはんをごちそうになって、今度はおんぶされて山道を登り始めたところまでは覚えていました。目がさめると、そこはもう時代劇の世界。いろりばたのおばさんの髪型といい、着物姿といい、ほの暗い電気のともる部屋の様子にもびっくりしました。    
 その日から小学三年生の私の生活は一変。母はいないし何とか少しはお手伝いをしなければと、ごはんのあと茶わんを流しで洗っていると、茶わんを洗っちゃだめ、と言われました。教えられたのは、朝と昼はお茶ですすいで一人ずつのおぜんに伏せて棚におく、晩ごはんのあとだけ、流しでかめからひしゃくですくった水で洗うというのです。静岡では水道の水でカチャカチャと洗うのを手伝っていた私には、びっくりでした。お水が大事なんて知らなかったのです。        
 山でたいへんだったのは通学。行きは下りでスイスイ、でも帰りはたっぷり一時間の山登り、毎日が遠足です。平らな道しか知らない私は、何日かすると朝、からだ中が痛くてどうしても起き上がれません。縁側の方から友達の声がする。家の人が何度もなんども起こしてくれるのに、休んでしまう日もありました。
 それと、困ったのは雨の日のヒル(蛭)。まったく知らない虫でした。わらぞうりのしっぽにはね上げられて、かかとの上あたりに吸いついて痛いし、かゆいのに私の指ではなかなかとれません。靴がないので、はきものはみんな自分でつくるわらぞうりです。また、マムシを見つけた男の子たちが、傘の先でつきさして木の枝に吊し、クスリになるからと学校の帰りにぶらさげて帰るのです。私はすっかり爬虫類が嫌いになってしまいました。  
 でも、村の人も村の子供も、みんなとてもやさしかった。学校への行き帰りも、男の子が先頭になり、四年生と五年生の女の子が後になって、兄と私を中にして歩いてくれました。学校では国語の時間になると、私の静岡ことばが面白いといって、級長さんはいつも私に教科書を読ませるのでした。休み時間には、校庭で鬼ごっこや縄とびに「入れて」と言っても通じない。「かてて」と言うと教えられたけれど、なかなか言えないので困りました。(「かてて加えて」のかててが語源のようです。他にも、この村にはかなり古い言葉づかいが残っていたように思います。)                     
 その後、召集を受けて出征していた父は、乗るべき船がなく、豊橋の連隊で足止めされていたということで、軍務が終わると、わりと早く帰ってきてくれたのは幸いでした。 
 後に自分が子供を育てるようになってから、五年生を頭に小さな子供たち五人を守りながら、火の粉の中を逃げまどった母は、どんなに恐かったことかと改めて思ったものでした。いつの世も戦争などない方が良いに決まっています。でもあの状態の日本が、民主主義の国であり巨大な文明国であるアメリカという国に敗れ、戦争が終わったことは、その後の日本にとって、また私たちにとって幸せなことだったように思います。


ブログ連歌(60)

1179 肥沃なる 畑田をまもり 抵抗す(みどり)
1180  愛国の情 いずれか深き(建世)
1181 崩れゆく 日本の情を 守りたい(優しい光)
1182  政治屋なんぞ 当てにはせぬぞ(こばサン)
1183 守りたい 見えるものより 見えないものを(image)
1184  水と空気と 平和と安全(建世)
1185 首都を飛ぶ 米軍機ふえ 事故懸念(みどり)
1186  空を覆った B29に似る(うたのすけ)
1187 だるま座の 5・29横浜 大空襲(花てぼ)
1188  火を避けし父 先ずは一服(うたのすけ)
1189 避難して 焼け残る他家 ごろ寝かな(夕螺)
1190  悲惨の町にも 運と不運と(建世)
1191 裏長屋 戦火の炎 迫り来て(やまちゃん)
1192  なにはともあれ 姉はアルバム(うたのすけ) 
1193 逃げ遅れ 熱き道路を 家族らと(ひさ江)
1194  弟ふたり 妻は9歳(建世)
1195 足袋につく 火の粉もみ消し 裏山へ(ひさ江)
1196  恵みの雨か それはガソリン(建世)
1197 横たわり 「お水ちょうだい」 声かすか(ひさ江)
1198  直撃受けた 床屋の姉さん(建世)
1199 月曜日 「水戸黄門」を 二回見る(うたのすけ)
1200  土下座させたい 悪代官を(建世)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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