志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2009年02月

老人党リアルグループ「護憲+」で聞いた話

 先ごろブログでコメントの往来をしたのが縁になって、昨夜は老人党リアルグループ「護憲+の話し合いに参加しました。私は以前に、なだいなだ氏主催のバーチャル政党「老人党」に入党手続きをした記憶があるのですが、その後何もしない幽霊党員になっていました。リアルグループ護憲+は、老人党の中の有志で作った支部のようなものだということでした。家庭的な雰囲気で、講師の話を聞き、あとは持ち寄った食材で食事しながらフリートークの楽しい会でした。
 今回の話題は「政局」で、現役ジャーナリストの話も聞くことができました。その場の話題を総合して、今後の政局について、おぼろげながら浮かんできた見通しを報告してみます。
 まず、麻生内閣で解散・選挙があるとすれば、予算成立後の4月か5月になる。それがなければ任期満了に近くなり、「誰でもいいから麻生以外」の内閣で選挙だろうということでした。いずれにしても、ほぼ確実に民主党主導の政権ができるでしょう。問題は、そこからです。
 ソマリアには、おそらく海賊対策の護衛艦がすでに出ているでしょう。武器使用を合法化する関連法も成立しているかもしれません。政権交代の直後から、防衛・護憲問題が、にわかに政治論争の表面に出てくる可能性が大きいのです。そこで、出ている護衛艦を引き揚げさせることができるか、給油もやめられるか、政権党としての民主党は、その難しい選択に耐えられるだろうか、ということです。
 野党となった自民党は、失地回復の切り札として「改憲・日米同盟」の保守本流に結集することになります。民主党の内部に不協和音が大きくなれば、党が割れて同調する勢力が出てくる可能性は皆無ではありません。そちらが多数を占める見通しが立てば、来年の夏に衆参同時選挙に打って出て、一挙に政権を奪還する戦略まで可能になります。
 あまり考えたくないシナリオですが、この中に一つだけいいことがあって、この過程を踏むことで、日本の政治は初めて「護憲・平和外交」対「改憲・日米同盟」という2つの大きな流れに整理されるのです。国民は、どちらを選ぶべきでしょうか。
 こういう政局話は、戦国物語みたいに面白いのです。しかしここには、内政の改革と国民生活という、政治の大事な部分が欠落しています。アメリカの顔色がらみの「政局」を超えて、何よりも必要な国民のための政治改革が進むように、私たちは冷静な判断をしなければならないと思いました。


小沢発言を評価しよう

 民主党の小沢党首が、地方遊説中に記者団に対して「在日米軍は、第7艦隊があればいいのではないか」と発言したというので波紋を広げている。自民党は「非現実的で無責任だ」といった論調で、民主党への不信感を国民に植えつける材料にしたいようだ。
 日本に駐留するアメリカの陸軍、海軍、空軍、海兵隊の4軍のうち、3つはなくてもいいというのだから、たしかに大幅な削減になる。果たしてこれで日本の安全は守れるかという話になるのだが、本当のところはどうなのだろうか。
 日米安保条約で日本はアメリカと軍事同盟を結び、アメリカは日本の防衛に責任を持つことになった。しかし日本は憲法9条があるので、アメリカを守る義務を負わないという「片務同盟」となり、その代わりに基地を提供し財政負担もすることになっている。ところが在日米軍は、日本を守るためというよりも、アメリカの世界戦略の一部分として配置される性格が濃くなってきたのが最近の状況なのだ。つまりアメリカは世界の警察官で、日本は極東の警察署ということになってしまった。アメリカを絶対的に信頼するなら、それでいいのかもしれないが。
 アメリカの大統領はアメリカの国民が選ぶ。今はオバマだが、次が誰かはわからない。世界の安全にとって誰が敵であるかの判断を、アメリカの大統領一人に任せていいのかというのが、問題の本質なのだ。かねて国連中心主義を唱えている小沢党首にとっては、思いつきの失言などではなくて、目指すべき「日本のあるべき姿」であるに違いない。
 日本の安全のために、恒久的なアメリカ軍基地がこれほど多く必要なのかという疑問は、至極まっ当なものである。ましてアメリカ軍は、必要な地域に急速に展開する機動力を自慢にしているではないか。国民に重い負担をかけてまでアメリカ軍を日本国内に養っている必要があるだろうか。
 この問題は、日本の自前の防衛力増強や核武装論にまで発展する可能性があるから、民主党の内部でも議論は割れるだろう。だから民主党のマニフェストには書かれないかもしれない。しかし「次の総理」に近い立場にいる人の発言である。私はこれを民主党の政権公約ととらえて、次の選挙で政権をとったらぜひ実行して貰いたいと思う。小沢氏は老練な政治家と聞いている。ぶれることなく日本の自主独立路線を貫いてくれることを期待しよう。

「子どもの貧困」を読んで(2)

 貧困の定義で国際的によく用いられるのは、その国の所得水準の中位の半分以下の所得しかない場合であるという。年収400万円が中位とすれば、200万円以下ということになる。この水準になると、いわゆる「世間並み」の生活が難しくなる。子供の場合は、義務教育が無料であっても、給食費、修学旅行費、クラブ活動費、塾、稽古ごとなどの費用が負担できなくなる。現在は一人前の社会人になるための最低資格とされる高校への進学も難しくなる。そうした不利な条件、たとえば中卒や高校中退で育った子供たちが、成人してから得られる所得が低いものになるのは、統計的にも明らかだ。
 つまり子供の貧困は、教育環境の劣化によって次の世代に引き継がれることになる。著者が貧困の問題の中でも、特に子供の問題をとりあげようと決意したのは、そこでは「自己責任論」による反撃や言いわけが通用しないからだと述べているが、本当にその通りだと思う。
 ところで読者は、所得が中位の半分以下しかない貧困が生じるのは、統計的に当然の「仕方のない」ことだと思ってはいないだろうか。国民の所得水準の分布グラフは、たとえば身長や体重など自然条件の分布とは意味が違うのだ。現代人の生活では、所得はきわめて社会的に得られる。そして政府には所得再配分の機能がある。現に日本の「総中流」時代には、貧困率はずっと低かったのだ。さらに貧困の中でも生命の維持さえ脅かされる極貧などは、まともな国家なら「あってはならない」ものだ。私たちは幸せな高度成長期の暮らしの中で、「他人の貧困」に対してひどく鈍感になっていたのではなかろうか。
 著者は最終章で「子どもの幸福を政策課題に」すべきことを説いて「子どもの貧困ゼロ社会への11のステップ」を提言している。そこには「給付つき税額控除」という、諸外国で採用されているというすぐれた税制がある。全国民の「納めるべき税金」に対して、税額のない低所得者には差額を現金で給付するというもので、ピンポイントで貧困者を救済することができ、制度も簡明である。これからの政治課題にしてほしいと思った。
 貧困の解消というと、弱者にばかり目を向ける後ろ向きの政策と思ったら、それは違う。健全な消費者になる中間層を増やすことは、景気を回復させ国力を向上させる。中でも子供たちを健全に育てることは、国の未来を左右するだろう。緊急医療のトリアージ(優先順位)からすれば、これこそ最優先の課題になる。

ブログ連歌(71)

1399 負担金 ヒラリーとかわす 術もなく(建世)
1400  女の笑みに 古来策あり(うたのすけ)
1401 とりどりの 役者世界を 駆けめぐる(建世)
1402  花道ころび 名誉汚せり(みどり) 
1403 うらやむは 「大統領!」の 大向こう(建世)
1404  打たれ強さで こちらはギネス(うたのすけ)
1405 来る人と 去る人が会う 日米の(建世) 
1406  何がなんでも 這いつくばっても(うたのすけ)
1407 考古学 弥生のひつぎ 掘り起こし(みどり)
1408  稲作人の 心豊けき(花てぼ)
1409 うつくしき 瑞穂の国に 生まれけり(建世)
1410  美田守って 子らに託さん(ハムハム)
1411 耕作を やめれば補助の 不思議さよ(建世)
1412  未だにそんな すべてが末期(うたのすけ)
1413 今どきの 白い鯛焼き 米粉かな?(ひさ江)
1414  国産米で 自給向上(建世)
1415 地価下落 それより物価の 安定よ(うたのすけ)
1416  デフレ不況へ 一進一退(建世)
1417 貧しさの 加速度つよまる 入学期(みどり)
1418  それにつけても 待ち遠しきは(うたのすけ)
1419 臣民を 心(しん)から想う 新政権(こばサン)
1420  建世帝の 治世なるらん(建世)


「子どもの貧困」を読んで(1)

 またまた大変な本を読んでしまった。「子どもの貧困−−日本の不公平を考える」(阿部彩・岩波新書)である。日本が子どもたちや母親に対して冷たい国だとは感じていたが、これほどとは思わなかった。少子化対策に担当大臣を置けばいいといったレベルの話ではない。著者はアメリカで学んで学位を取り、人口問題などを研究してきた人だから、説くところは統計資料に基礎を置いて、決して感情的ではない。しかし報告されている内容は衝撃的だ。
 この本の前半には、日本の貧困子育て家庭は、世界の先進国の中で唯一、政府によって保護されるのではなくて収奪されているという、驚くべき報告が出てくる。政府の大事な任務の一つは所得の再配分だが、政府の介入による調整の前と後を比較すると、日本の子供の貧困率は上昇してしまうのだ。これにはいろいろな理由がある。
 まず、子供を育てているいる親は現役世代だから、基本的に納税者と位置づけられている。だから母子家庭で生活に困窮しても生活保護を受けるのが難しい。自立支援ということで就労をすすめられる。日本の母子家庭の母親の就労率は高いのだが、そこには児童扶養手当では生活できないという現実がある。しかし多くの場合は低賃金の仕事しかないので貧困からの脱出は難しい。問題は母子家庭だけではなく、子供を育てている生活弱者への支援が薄いので、子供の貧困率、つまり貧困家庭で育つ子供の数を増やしてしまうのだ。
 家庭の貧困が、そこで育つ子供にとって不利な条件になることは誰でも想像できるだろうが、では、どの程度までなら「仕方がない」と思えるのだろうか。その前に、そもそも貧困とは何であるかについて、私たちの認識が非常に甘いことが、各種の調査からわかる。たとえば国際統計では、日本の子供の15%が「貧困」と定義されるのだが、私たちの実感と一致するだろうか。「子供のために絶対に必要と思うもの」をきいた調査を国際比較してみると、日本では絶対必要と思われる項目が非常に少ないという結果が出ている。私たちは、あまりにも無欲で我慢強い、統治者から見れば御しやすい従順な国民なのだ。
 家族で助け合い、地域で助け合う暮らしを長く続けてきた私たちには、自分たちで作った政府に必要なサービスを要求するという習慣がなかった。子供の貧困の問題もまた、私たちの、政治に対する鈍感さから来ていると思わざるをえない。

医者か相続人か

 「われわれは医者になるべきだろうか、それとも相続人になるべきだろうか」というのは、昭和30年代に聞いた、資本主義に対する社会主義者の態度についての論争です。つまり、行き詰まる資本主義の矛盾を少しでも和らげるように、積極的に提案して国民の信頼を集めるようにすべきだというのが「医者」の立場です。それに対して、手を汚さずに資本主義の崩壊を待ち、権力が移行してから社会主義を建設するというのが「相続人」の立場です。後者の場合は、矛盾が深まって民衆の不満が高まるほど革命の機運が熟するから、それまでは政権に協力すべきではないということになります。
 大ざっぱに言うと、前者の考え方が民主社会主義であり、後に民社党に結集する流れになります。労働運動では「同盟」の路線です。後者の考え方は、共産党、社会党に近く、労働運動では「総評」の路線でした。生産性向上運動に抵抗する「減産闘争」などは、この思想から導かれたものです。極端に言うと、資本主義体制下での勤勉は悪であるということになってしまいます。
 最近の民主党の国会弁論などを聞いていて、この古いテーマを思い出しました。民主党が、自公政権に対する相続人の立場に、もっとも近い位置にいることは確かだと思います。その相続人の立場を明確にするためには、現政権にどこまで協力すべきかということです。古典的に行動するなら、突き放して崩壊を待てばいいのでしょうが、いま国民が期待しているのは、むしろ医者の立場でしょう。現代の政治では、医者と相続人は対立の関係ではないのです。
 現政権の人事ゴシップを攻撃の材料にするよりも、医者として、どこをどう直せば日本は立ち直れるのかを、力強く提案してほしいものです。国会は権力闘争の舞台ですから、独特の駆け引きが必要な場面もあるでしょうが、国民が欲しいのは「後を見てくれる医者がいる」という安心感に違いありません。
 先日来、私が民主党・長妻昭氏のテレビ出演の度に送っているメッセージは、「自民党の人事ゴシップに巻き込まれないように」ということです。そこに添えた「マグマかるた」の番外編は

ま マスマコミは使え、使われるな

解散・選挙を要求する権利

 昨今の政治情勢について、一日も早く解散・総選挙を行えとの声は、やや古風に言えば、まさに「朝野に満ちている」状況になった。新聞の投書欄でも、野党が連合して解散要求のデモを組織せよといった意見が見られるようになったし、テレビ番組に出演した自民党の議員の中にさえ、「私は早期に解散・選挙をすべきだと思う」と発言する者が出てくるようになった。しかし話は結局、「解散のボタンは総理が握っている」ということで終ってしまう。
 国民は国の主権者の筈だが、憲法上は、国会の解散権は第7条「天皇の国事行為」の規定により内閣の代表権者たる首相にあるとする解釈が定着してしまった。昭和30年代までは、首相の自由裁量ではないという学説もあったのだが、今はもう聞かれず「7条論者」の勝利に終った。じつは憲法には、内閣不信任が決議された場合(69条)以外には、衆議院解散のルールを正面から決めた規定がないのだ。しかし今それを論じても急場には間に合わないだろう。
 国民が国会の解散を要求した例として思い出すのは、昭和35年の「安保闘争」である。このときは学生、労働者、市民団体のデモ隊が、文字通りに国会を包囲して「岸内閣打倒」を叫んだ。連日連夜の議事堂前での攻防は激しいもので、当時NHKに在職していた私は、昼は単身で様子を見に行き、夜は組合員としてジグザク・デモに参加したものだった。報道の連中が照明のフライヤーを焚くので炎と煙が交錯し、現場は戦場のような雰囲気だった。このデモではついに東大の女子学生、樺美智子の圧死という犠牲が出て、アメリカ大統領の訪日は中止となり、面目を失った岸内閣は退陣に追い込まれたのだった。
 しかし国会は解散されなかった。岸内閣の後を継いだのは池田内閣である。池田首相は「国民所得倍増計画」を掲げて、国民の関心を政治から経済へと誘導した。それを見きわめた上での総選挙は、自民党の勝利に終った。社会党の浅沼委員長は右翼の少年に刺殺され、中道をかかげて立党したばかりの民社党は、壊滅的な打撃を受けた。
 保守政治家の頭の中には、このような擬似政権交代と選挙のやり方が、記憶として残っているに違いない。だから有利なときを見はからって使う解散権は手放せないのだ。だが、今度は違う。何よりも9月で任期満了という期限がある。長くてもあと半年だ。その間に国民の間に「心変り」が起こる可能性は、非常に少ないだろう。むしろ先へ行けば行くほど政権党に不利になると思った方がいい。野たれ死により少しはマシな選挙をしたかったら早いほどいいし、それが国民のためにもなる。解散権を総理の私物と思ったら心得違いだ。

長妻昭の「マグマかるた」(2)

先ずは、長妻氏本人の後半部分です。
な 「なぜ」と自分を突き詰める
ま 迷ったら進む、その失敗が糧になる
み 未来は予想するものでなく創り出すもの
も 問題が無い時、問題は進行する
や 約束を交わして自分を追いつめる
ゆ 勇気ある一言、世の中を変える
ら ライバル無くして向上無し
ら 楽観は心にしまう
わ 悪口は劣等感の裏返し
わ 「わかりません」と言う勇気

以下は私、志村が欠番を埋めてみました。
に 似ている親子の正義感
(注・長妻昭氏の父上は警察官です) 
ぬ ぬえのような政界怪物を退治する
ね 寝ている間にアイディアが浮かぶ
の 飲むはほどほど身を慎んで
は はっきり物言い、しっかり実行
ひ 人の失敗よく見て学べ
ふ 二つとない、かけがえのない命
へ 変だと思ったら納得するまで
ほ 褒め言葉は甘味料
む 無理を通さず出直してみる
め 面と向かって語るが一番
よ よくやった、たまには自分を褒めてみる
り 理屈を通して情で説得
る 留守電話にも人がらが出る
れ 連絡不備は、いのち取りにも
ろ 論じて退かず、切っても捨てず
ん 運も味方に総理をめざせ

長妻昭の「マグマかるた」(1)

今朝のTBS系、みのもんたの「サタデー朝ズバッ!」に出演していた民主党・長妻昭氏の発言を聞いて、感想文をFAXで事務所へ送り、夜は毎月定例の「支援する会」へ行ってみました。新記録と思われる百名以上の盛会で、チラシ折りの作業場が足りないほどでした。資料で配られた機関紙の号外には、長妻氏自作のカルタが載っていて、作成途中の処世訓「マグマかるた」だということでした。
あ 安易な妥協は決裂への道
お 思い立ったら一気に仕上げる
お 驕りは転落への道
き きつい指南が真の友
こ 困難な仕事は第一優先
し 死ぬ瞬間「悔い無し」と言えるか
そ 即答は間違いのもと
た 大事な決断は三晩寝かせ
て 徹底的に考えろ 必ず道は開ける
 以上は、長妻氏本人の作です。「皆様の案もお寄せください」とのことなので、欠番を埋めてみました。
い いい気になると足元をすくわれる
う 嘘を見抜くは知識の力
え 縁の下で汗をかけ
か 官僚も人間 生きがいが欲しい
く 苦しいときは一人で悩むな
け 喧嘩するなら勝つまでねばれ 
さ さわらぬ神を作らぬ覚悟
す 進んで矢面に立て
せ 「先生」と呼ばれるな呼ばせるな
ち 小さいことでも弱みを作るな
つ つらいときには遠くを見よう
と 遠い未来まで今がつながる

郵政選挙を忘れるな

 小泉元首相が「オレが作った3分の2議決権を、気安く使うな」的な発言をしたということで、忘れかけていた苦い記憶がよみがえった。思えばあの選挙が、日本を今の姿にした元凶だった。政権与党が絶対多数を手に入れた時期が、アメリカの金融工学に踊らされた時期と重なってしまったのだから、最悪のタイミングだった。いったいあのとき、何が起こっていたのだろう。
 私はよく覚えているのだが、2005年春の生活闘争(いわゆる春闘)の集会で、当時の連合会長、笹森清は、初めて「小泉内閣打倒」を掲げて「こんな政府はいらない」と叫んだ。理由として述べたのは、好景気だと言うかげで、労働分配率は下がっている、勤労者の貧困が始まっている、貯蓄ゼロ家庭が増えている、ホームレスが増えている。今の政府は根本的に間違っている、というのだった。
 今にして思えば、先見的な警告だった。しかし笹森の演説が大きく一般に報道されることはなかった。そして政局は郵政民営化の一色に染め上げられていた。その郵政民営化が、本当に国民のために必要な改革だと心から信じられた人は、どれくらいいたのだろうか。ただ、小泉ライオンは吼えていた。その力強さは絵になった。そして法案は参議院で否決され、それでも押し通すための衆議院解散、総選挙という、劇的な展開が続いた。
 この選挙も、当初は与党の苦戦が予想され、ことに郵政民営化反対議員の選挙区に「刺客」を送る公認作戦は、共倒れ必至と思われた。投票日が9月11日であったことから、「自爆選挙」とまで呼ばれていたことを、覚えている読者はどれくらいおられるだろうか。選挙民が冷静であったなら、この選挙で政権交代も夢ではなかったのだ。だが、違う風が吹いた。
 連合の笹森清にも、民主党にも、それから先は悪夢だった。この選挙で自公政権党に投票した人たちに問いたい。あなた方は何に期待して投票したのかと。その期待は満たされたのかと。そして次にも同じことをするつものなのかと。私が言いたいことは、それに尽きる。

振り込め詐欺で考えたこと

昨晩の「ためしてガッテン」で、振り込んでしまう心理を説明していました。型通りに行動する「経験則」と、危機回避の「断定行動」が結びつくと、理性的な判断が働かなくなるメカニズムが、かなりよく解明されていました。これに乗せられると、実験とわかっている若い人でも引っかかるのですから、絶対安全という人はいないのでしょう。
 この現象は、私が経験した「アクセルペダルの踏み違え」と同じことだと思いました。不意の危険を避けるために右足を強く踏む行動の前には、踏んでいるペダルが何であるかの判断は、後回しになってしまうのです。振り込め詐欺もペダルの踏み違えも、根絶は不可能ということです。
 少し前には、振り込め詐欺を職業のようにしている若者たちの実態を伝える番組もあったそうで、私は見られなかったのですが、ありそうなことだと思いました。誤解をされると困るのですが、振り込め詐欺にだまされるのは、ある意味で幸せな人たちです。近親者の災難を救うために、誰にも相談せずに百万円単位の金を動かすことができるのですから。そして、いざというときには人を助けることのできる、善意の人であることも確かです。
 それだけに、だまされたと知ったときの落胆と怒りと自己嫌悪も、はげしいものがあることでしょう。詐欺に使われた口座を凍結して、被害者に返金する制度があるにもかかわらず、申し出ない金額が4割もあるというのは、二度と思い出したくない気持が働いている面も、あるのではないでしょうか。
 一般的に、高齢者のすべてが年金だけを頼りに生活していて、貯蓄ゼロということはないでしょう。信頼できる調査資料は少ないようですが、長い人生で老後の備えを考えなかった筈はありません。しかも、戦乱を経験し、勤勉に働くことを当然としてきた世代です。老後でも余裕のある人たちがいることは当然で、それは国の力の一部でもあります。ところが、最近は財産の相続も高齢化して、たとえば90代で亡くなった人の遺産を60代の子が相続するというように、「老老相続」となり、若い世代に回らない現象もあるということです。
 老後の安心と国民所得の再配分とを、うまく組み合わせる方法が考えられないでしょうか。ここにも大きな政治課題があるように思います。そのためにも、信頼できる政権を早く作りたいものです。

政権返し(微笑がえし)

春一番が 帰ったばかりの日本の空に
怒りの渦を 踊らせてました
釈明 会見 診断書まで出したあとは
シラケの気分が ますます深いわ

今度こそはの 建て直し策も
立たないうちに またですね

罠にはまった アナグマみたい
だめだわあなた スキだらけ
腹も立つけど 笑っちゃいそう

ワンツースリー 次の選挙で
ワンツースリー 軽く手をあげ
あなたたち お別れなんですよ

(追記・キャンディーズの元歌が Youtube で聞けます。左からミキ、ラン、スーちゃんの順に並んでいます。)
http://www.youtube.com/watch?v=wommkJBaMfU

ブログ連歌(70)

1379 草原を 去るライオン なぜ吼える(うたのすけ)
1380  老兵消えず 二世も気がかり(建世)
1381 千仞の 谷に落とすも 親の愛(うたのすけ)
1382  麻生自民も 落としてみるか(建世)
1383 官僚に ショック療法 これ如何に(ハムハム)
1384  忘れた仕事 思い出すかも(建世)
1385 暮らしたい 官僚官僚で 半年を(うたのすけ)
1386  あとの半年 公務共済(建世)
1386B  あとはチョイナと 渡りで暮らす(うたのすけ)
1387 ぬるま湯に ふやけ閣僚 恥さらし(建世)
1388  恥もストレス 風邪薬に酔い(夕螺)
1389 失言で クビなら首相も いなくなる(建世)
1390  そして日本は よくなりましたとさ(うたのすけ)
1391 春は来る 政治不在も 知らぬげに(建世)
1392  耳目塞いで 忍で待つ秋(うたのすけ)
1393 春一番 二番三番 相次いで(建世) 
1394  ローマの風が 天下分けるか(うたのすけ) 
1395 アン王女 優雅に羽目を 外しけり(花てぼ)
1396  人気は執事 テレビにアニメ(みどり)
1397 酔夢果て 麻生の休日 如何ならん(建世)
1398  グアムの基地に 血税取られ(ハムハム)
1399 負担金 ヒラリーとかわす 術もなく(建世)
1400  女の笑みに 古来策あり(うたのすけ)

たまには楽に考えよう

どこのブログで見たか忘れたのですが、給付金は素直に貰っておこう、というのがありました。集めた税金を一律に返してくれるのだから、使い道がはっきりしている、変な使い方をされるよりはいいというのです。そうかと思ったら、急に気が楽になりました。
 給付金をやめたところで、その金を政府が有効に使ってくれる保証はありません。補正予算には、道路、空港、港湾の整備費用なども相変らずふんだんに入っているようですから、これまでの政策の踏襲の要素が強いのでしょう。2兆円が国民の財布に入れば、政府が勝手に使える金は、それだけ減ることになります。無駄遣いを少しは減らせると思えばいいのです。
 税金は国民から一律に取っているわけではありませんから、一律に給付すれば、たしかに所得の再配分になります。麻生内閣の「善政」として、歴史に残る大事業なのかもしれません。
 今の日本で最良の景気対策は、痛みのシワ寄せを受けている生活弱者への保護を厚くして、国民を安心させることだと思います。生活弱者に与えられる扶助は、確実に消費に回って健全な消費人口を増やすことになるでしょう。低所得で敬遠されている福祉・介護職などの報酬を引き上げれば、雇用対策としても有効に働きます。農林業などについても同様でしょう。要するに企業と金融に集中し過ぎた資本を、生活者である国民の側に回すということです。
 しかし、こうした大胆な政策転換は、今の政治体制では不可能です。だから今の政権には、あまり働いてもらわない方がいいのです。せいぜい応急処置の対症療法ができればいいとしましょう。日本列島は、もうすぐ春です。路上の寒さも、少しずつやわらいでくるでしょう。

BIGFACE 公演と、こんにゃく座「ネズミの涙」

政治をテーマに一週間連続して書いている間に、たまたま二つの演劇を見ることができました。一つは BIGFACEの「笑う女。笑われる男」シリーズ第9作「おたまじゃくしに魅せられて…」で、合唱好きの下町の人々が、音楽を通して一つの目標を達成するまでの現代劇です。作・演出と主演を兼ねる伊沢弘氏の小学生時代の原体験が下敷きにあるとのことで、根底にあるのは「人と人の心をつなぐ仕事をしたい」という情熱です。
 テンポのいい展開と、軽妙で笑いを絶やさない会話の連続は、このシリーズの持ち味ですが、今回は、町の旧住民と高層マンションの新住民との対立や、小学校の統廃合といった現代的な課題も持ち込まれていました。それらの問題が、新しい学校の校歌を作るという共通の目標によって前向きのエネルギーに変り、最後の大合唱へと向うのです。見ごたえのある、いい作品でした。この舞台を、満席で連続9回も打てる実力は敬服に価します。
 こんにゃく座の「ネズミの涙」は、作・演出の鄭義信と作曲・萩京子のコンビによる新作オペラで、この正月以来、綿密な稽古が続けられていたということです。ぼろバス1台で、出し物は「西遊記」一つしかない野ネズミの劇団が、ドブネズミ軍団などに翻弄されながら、戦乱の荒野で放浪の旅をつづける物語です。劇団の息子は兵隊にスカウトされ、逆に兵士の一人は娘に惚れて劇団に参加し、結婚します。しかし、戦乱はいつまでも止みません。
 見ているうちに、迫害から逃げ回る劇団と、争いを続ける多民族の姿は、現代の世界情勢とぴったり重なってきます。それでも劇団の娘は、大好きな夕焼け空を眺めながら、手を広げれば私は世界を抱きしめる、私の手の中の世界は、やさしくて温かいと歌うのです。しかしその娘も、人々に危険を知らせる太鼓を打ち鳴らして、敗残のドブネズミに射殺されてしまいます。
 けれども娘の歌声は劇団の中に残り、また新しい旅が始まります。このオペラのチラシには「ネズミの涙は米粒より小さい。けれど、地球より重い」とありました。こんにゃく座も、かつて1台のバスの公演から始まったそうです。ここにも原点のエネルギーが生きていました。
 ガザで死んだ子供たちの涙に、世界はネズミの涙ほどの関心も払ったでしょうか。支援物資の多くは、まだ検問を通過できずにいるそうです。世界の貧困も、世界の不正義とそれに起因する紛争も、人間がその気になれば解消できるところまで来ているのに、世界は「ネズミの涙」を永遠のテーマにしておくつもりなのでしょうか。

利権亡国からの脱却(7)

 これからの国会議員には、高い立法の能力が求められる。もともと国会は立法府だから当然なのだが、議員は自分で法律の条文が書けるぐらいの勉強をしていなくてはいけない。そして法律の適否は、国会の審議を通して、国民の前に明らかにする必要がある。そしてこれからの法律は、定期的な政権交代に備えて、反対党や官僚が運用しても悪用できないように、精密に作っておかなければならない。
 第1期の政権交代で政・官の癒着が崩せたら、官・業の癒着の解消はずっと楽にできるだろう。法に従って犯罪行為を厳正に摘発するだけでいいのだから。こうして長く日本を支配してきた道路特定財源を頂点とする「利権共和国」が崩壊したら、この国に初めて政治らしい政治が登場する。「グロテスクな聖域」だった公共事業費に回っていた巨額の予算が正常に使えるようになるだけでも、政権は自由な選択肢と確実な実行力を手に入れることになるだろう。
 だが、そこへ行くまでに、国民の責任は大きいのだ。一人ひとりの投票行動が事の成否を決めることになる。秋までに必ず行われる総選挙では、間違いなく自民党と公明党を政権から遠ざけなければならないのだ。あるいは総選挙の前に、権力闘争で政党の再編成が計られるかもしれないが、目先のスローガンに騙されてはならない。党の名称がどのように変ろうとも、現在自民党と公明党に所属している議員の当選を阻止するように投票しなければならない。そして少なくとも今後5年間は、彼らを政権に関与させるべきではないと私は思っている。
 私たちの国土と資源と人間生活とを、今のようになるまで意のままに支配してきた罪は、決して軽いものではない。それがすべて悪意と私欲から出たとは思わないが、既得権にあぐらをかき、過信のエリート意識におぼれ、当面の無事に安んじる怠惰に過ごし、自己を律することの少なかった「利権共和国」の人々は、速やかに歴史の舞台から去ってもらいたいものである。彼らは法で処罰されることはない。自分たちで作った法律に従って行動したのだから。
 これからは私たちが選ぶ議員に、国民のための法律を作らせよう。その前に、私たちには心づよい根拠法がある。明治憲法よりもすでに長い間施行されている日本国憲法である。60年の保守支配でずたずたにされた憲法を読み直せば、あるべき国の形は見えてくる。そこには主権は国民にあると、はっきり書いてあるではないか。

ブログ連歌(69)

1359 春立って 明日待たるる 日本晴れ(建世)
1360  九月まで待つか ホトトギスの鳴く(うたのすけ)
1361 鳴かざれば 鳴かせてみせよ 民主党(こばサン)
1362  短気は損気 焦っては負け(うたのすけ)
1363 平和には 遠く及ばぬ 衆愚制(恩義)
1364  愚は大賢に似て 歴史を創る(建世)
1365 天皇制 無用の長物 なによりも(恩義)
1365B 衆参の 人みな愚なれば 悲劇なり(うたのすけ)
1366  ねじれの元は ねじれ内閣(建世)
1367 焼け石に 水は紙幣の 流動か(恩義)
1368  政府の奇策 円天まがい(建世)
1369 時代詠む サラリーマン 川柳(うたのすけ)
1370  寸言刺して 世直し一気(建世)
1371 日の過ぎる こんなに遅い 年はなし(うたのすけ)
1372  梅のつぼみの ふくらみを待つ(建世)
1373 日向避け 日陰の梅で 世に衒う(うたのすけ)
1374  陽光満つれば 春へだてなし(建世)
1375 田神母を 敬う未来に 恐怖する(恩義)
1375B すぐそこに 来ている摂理 逃すまじ(建世)
1376A  武士の情けで 有終の美を(うたのすけ)
1376B  油断召さるな 窮鼠猫を噛む(うたのすけ)
1377 憂国も 忘れてのたり 芝居見る(建世)
1377B 息ぬきも 在りてこそ生む 人の垣(みどり)
1378  力合わせの 心も通う(建世)
1379 草原を 去るライオン なぜ吼える(うたのすけ)
1380  老兵消えず 二世も気がかり(建世) 
 

利権亡国からの脱却(6)

 政権と官僚とが癒着するとは、どういうことか。本来は、政権は官僚に対する使用者である。政権が立てた政策を実現するために、官僚を働かせる立場にある。その政権を支える与党が国会で成立させた法律が、政策の実行つまり行政のルールになる。政策の実行に忠実でない官僚は、地位を失ったり評価が下がったりするであろうから、政権と官僚の間には、常に緊張感が存在する筈である。それがノーマルな姿なのだ。
 だが、同じ政権が何十年もつづいて、政策がいつも同じだったらどうなるだろう。法律の規定は形骸化して、官僚の手順の方が大事になってくる。ついには法律を作るのも官僚に任せた方が能率がよくて、政権は「要望」を出す程度でよかろうということになる。かくして官僚は、運動競技にたとえれば、自分で決めたルールに従って、常にホームグラウンドでプレイすることになる。負けたら退場して2回戦に進めないなどと心配する必要はない。ずべて消化試合なのだから。
 官僚に真剣な仕事をさせるためには、政治家が主導権を取り返す必要がある。民主党の長妻昭氏から構想を聞いたことがあるが、諸官庁の局長以上のポストを、すべて政治任用制にするというのも効果的だろう。官僚は局長にしないということではないが、局長以上には必ず政策に協力する人物を配置するように、政権が任免権を持つということだ。これだけでも役所の雰囲気は変る。
 天下りも即刻禁止にしたいところだが、職業選択の自由が壁になるだろう。それよりも大事なのは、天下り先をなくすことである。隠れ蓑の特殊法人はすべて原則廃止にして、どうしても必要な仕事なら官が責任を持てばよい。見かけ上の公務員の数が増えても、無駄な組織を減らすことが大事なのだ。幹部公務員も定年まで働いて、その後も働きたければハローワークに行けばいいだけの話である。公務員も不要な部署が廃止されたら、配置転換か希望退職かを選択すればよい。雇用保険にも加入した方がいいだろう。公務員を特殊な「身分」にしておくことはない。国は単に「最大の雇用者」であればいいのだ。
 この辺になると、公務員の労働基本権、平たく言えばスト権の問題も出てくるし、人事院の役割や採用の問題、省庁間の人事移動の自由化、中途採用の拡大など、気の遠くなるような複雑な問題が次々に出てくる。しかし、なるべく早く手をつけなければならない。
 こうした夢のような改革を始めるためには、絶対に必要な条件が一つだけある。それは政権が交代することである。政・官の癒着の引き剥がしは、同じ顔ぶれでは不可能である。指導権限を持つ政治家が変ってこそ、政策に協力しない官僚を排除することてができるのだ。

利権亡国からの脱却(5)

 グロテスクな利権共和国の全体像が見えてきたとき、あまりのその暗さに、私は人間の原罪というようなことを考えざるをえなかった。人間とは、所詮は置かれた状況に適応しないと生きて行けないのではないか。そして、与えられた条件の中で自分の生き方を守るだけで精一杯になる、その程度の動物なのではないだろうか。自分の環境が、いかに特殊なものであろうとも。
 親から貰った遺産があれば、それを生かして人生を設計しようと思う。急に他人から「なかったことにしろ」と言われても無理である。親から受け継いだ選挙の地盤があって、後援会の長老から政治家の役割はこれこれだと教えられていれば、それを無視していいとは思わないだろう。いい大学をめざして長い間勉強をつづけて、難関の上級国家公務員試験に合格したら、それにふさわしい待遇を受けても不思議とは思わないだろう。幹部官僚の仕事はこういうものだと教えられて、自分の職場の存在意義がわかったら、その枠内で少しでもいい仕事をしようと思うのは自然なことだ。国土交通省道路局の官僚であっても、日本の国をよくしたいと真剣に考えた人間が一人もいなかった筈はない。道路建設の会社に就職した者にとって、会社の発展に努力するのは当然中の当然だ。
 誰も悪人がいなくても、組織は悪い作用をすることがある。悪い組織は有能なほど害が大きい。ナチスの親衛隊がそうだった。組織には本来、悪も善もない。何の目的のために働くかで価値が決まる。絶対的権力は絶対的に腐敗すると言うが、それは指導者が本来の目的を見失って、組織全体を貫く目的意識を共有できなくなるからだ。日本の官庁の場合、建前上の指導者は担当の大臣である。しか周知のように、それは任命される前日まで自分の任務を知らずにいた素人に過ぎない場合が多い。任命された後も、閣議で決めた方針を政務次官に伝えるだけである。それでは日本の官僚の本当の指導者は誰なのかというと、それは各局長だという説がある。
 これでどうして日本の国は国家の体裁を維持できたのだろうか。それは政権が交代しないことを前提にした政・官の癒着が、60年にわたってしっかりと出来ていたからだ。大臣が誰になろうと、官僚には、やるべき仕事がわかっていた。国を支えてきたのは、有能な官僚だったのである。しかし考えればすぐにわかるが、この体制は時代の変化に対応できない。とくに政策の変更には決定的な障害になる。その弱点が露呈して、必要な政策と実施される政策とが決定的に乖離してしまったのが今の日本なのだ。その頂点に道路特定財源の問題がある。
 事態は絶望的のように見えるが、所詮は人間が作り上げた組織である。人間の力で変えられないわけがない。マスターキーを回してやれば、組織は逆方向へも動き出す。転換点は「政権と官僚の癒着を断ち切って政権の指導力が回復するとき」である。

利権亡国からの脱却(4)

 どうひいき目に見ても、少なくともバブル崩壊以後の日本の公共事業は常軌を逸していた。誰でもうんざりするような実例を思い浮かべられるだろうが、モデル的に地方の小さな町を考えてみよう。古い町並みの横に、新しい国道だか県道だかの立派なバイパスができる。町民は最初は便利になると喜ぶのだが、間もなくバイパス沿いに大手チェーンのスーパーストアが進出してきて、中心街から人影が消えてしまう。商店街が壊滅して町の過疎化が進み、やがてスーパーも赤字になって撤退してしまう。町には道路の地元負担分の借金が残って財政を圧迫するというシナリオである。その町の実情と無関係に地図の上で計画した道路だけを作れば、道路は経済の弱い方から強い方へ、人と物を吸い寄せる「ストロー効果」を発揮するだけに終るのだ。
 「道路をどうするか」のプロローグには赤字道路の代表として東京湾アクアラインが登場するのだが、私はこの正月の休みに3000円払って「海ほたる」まで行ってみた。ここの交通量は、計画の6分の1しかなかったそうで、その通りの閑散ぶりだった。景色は良かったのだが、要するに作りたいから作ったとしか思えなかった。
 詐欺的な計算をしてでも道路を作りたいのには理由がある。道路建設は、土建業ばかりでなく、セメント、鉄鋼、石油化学、自動車など、日本経済の根幹をなす産業と結びついている。景気浮揚や地方振興という大義名分もある。作り続ける体制が存続している限りは、自発的に止める理由はないのだ。国土交通省の関係する特殊法人の配置も官僚の天下り体制も、諸官庁の中で飛びぬけて強固にできている。厚生労働省や農林水産省のように、国民生活に近いところにないから目立たないだけのことである。
 こうして誰も「止まれ」の号令をかけないままに、日本はグロテスクな公共事業大国になってしまった。欧米諸国と比較して、GDPに占める公共事業費の率は3倍以上に達している。日本の25倍の広さがあるアメリカと同額の公共事業費を、可住面積の狭い日本列島に注いでいると聞いたら、誰でも異常だと思うだろう。そのあおりで絞られているのが、医療、福祉、教育など、国民の生活を直接に支える分野の予算なのだ。
 まさに巨悪と呼びたくなる構造なのだが、不思議なことに責任者を特定することができない。強いて言えば、選挙で票の欲しい政治家と、道路財源で地方と事業者を支配する官僚と、事業を受注する業界とが癒着した利権構造の全体ということになる。常識で考えれば、赤字が確実な第二東名や第二名神を始めとして、工事中の高速道路はすべて凍結すべきだ。これまでの投資が無駄になるなどと言っている場合ではない。進めば赤字をさらに大きくするだけなのだから。しかし、実際に止めるのは容易なことではない。構造の根幹を変える大仕事になるからだ。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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