志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2009年12月

鳩山「無重力政権」の彼方に

 今日の朝日新聞の政治マンガに、「鳩山・宇宙人的勝利と無重力政権…」というのがあった。それに宇宙人的資産と贈与と言い訳もついているのだが、「無重力政権」という言葉が、かなりよく現状を言い当てていると思った。
 歴史的勝利を基盤にして、目のさめるような自由闊達の政治を始めてくれるだろうと期待したのだが、どうも地に足がついている実感がない。言葉は美しいのだが、言葉だけが空中に浮遊しているようなところもある。年末になって予算案が固まったし、経済成長の見通しも発表されたから、新年を迎える門松は立ったというところだろうか。
 国債依存の予算など問題は多いが、赤字の原因を作ったのは自公政権なのだから、野党が攻撃材料にするのは筋違いだろう。20年の失政の回復には、任期一杯の4年間を使っても足りないかもしれない。従来予算の無駄の洗い出しから手をつけたばかりのところだ。欲を言えば新しい増収の策を聞きたいところなのだが、あるブログを見たら「鳩山政権がやりそうもないこと」の一覧表に「所得税最高税率の引き上げ」や「法人税の引き上げ」「証券投資減税の廃止」が並んでいた。これではやはり民主党は保守政党の一翼だったのかと思ってしまう。
 普天間基地問題では「私が決めます」の思わせぶりのあとに「抑止力としての海兵隊の必要性」が飛び出したりしている。地方選挙の結果待ちもあるだろうが、このあたりが「無重力」ぶりを発揮している。よく言えば柔道の「自然体」だろうか。何にでも対応できそうだが、自分から仕掛ける姿勢ではない。その姿勢は、母親からの献金問題にも共通している。調査の結果を待ち、「実体は贈与のようだったから、贈与税を支払いました」で終る。金持ちはケンカしないのだ。
 政権誕生から100日が過ぎて、私たちにも鳩山政治のキャラクターが見えてきた。気の早い人は「お坊ちゃんだから、文句を言われると、いやになって辞任する」と言うのだが、それほど弱い人ではあるまい。無重力だからこそ、国民の声の方向に動く可能性が大きいと私は思っている。政権交代が実現したことの意味は、今も変ってはいない。今こそ私たちは「こんな国に住みたい」ということを声を大にして伝えて、政権にたくましい重力を与える必要があるのだと思う。

雇用者としての国家

 民主党政権が、どのような国政の基本方針を持っているのか、まだよくわからない。おそらく世論の動向も見ながら、流動的に進んで行くのだろう。だから期待したいことがある。
 今の日本で一番みんなが求めているものは、よい雇用だと思う。今は不景気だから雇用が少ないと思われているが、従来の意味での「よい仕事」の総量が減ってきているのだ。民間だけに任せておいては、産業の近代化に対応する良質の雇用は維持できないのではあるまいか。これは公営の「失業対策事業」を増やせというような、後ろ向きの対策ではない。現代の産業社会に適合する新しい雇用モデルを、国が雇用者となって開発するという提案になる。
 国家とは、国民に対する最大の雇用者でもある。日本の公務員の人口比率は、意外に思われるかもしれないが、先進国の中では最も低く抑えられている。その代わりに手厚い身分保障があるから、特権階級のように思われて評判が良くない。この雇用モデルを根本的に改めて、みんなの役に立つ仕事をする人を、みんなで金を出し合って雇うという、本来の役割にしたらどうだろう。
 たとえばスウェーデンでは保育所が公営で、職員は公務員になっている。しかし実際は地域の顔見知りの母親で、自分の子供も職場で育てていたりする。言わば地域の母親同士の育て合いの感覚に近いということだ。こういう公務員なら、いくら増えても抵抗は感じないだろう。
 こういう改革を進めるには、公務員制度を根本から変えなければならない。まず、採用と解雇を民間と同じルールにして、雇用保険にも加入させる。安定した収入がある代わりに、ボーナスはないし退職金もない。しかし生涯の最低生活を保障する年金と医療・介護保険がある。こういう雇用モデルを作ったら、公務員になろうとする人は激減するだろうか。そんなことはあるまい。社会を支える中堅の労働者が確保されるのではないだろうか。
 この公務員制度は、就職弱者の受け皿にもなる。能力に応じて働く場を作れば、弱者も社会から排除されなくなり、給付するだけの生活支援より、経済効率も高まる筈である。人手を省く産業開発ではなく、多くの安定雇用を生み出すような産業モデルの開発は、民間よりも国の仕事だろう。こういう雇用政策を進めるためにも、国民と政治との関係は、もっと親密になる必要があると思う。

2009年末ブログ望年会

 歳末のお忙しい中、皆さまようこそブログ望年会へおいで下さいました。今年は政権交代もありましたし、何かと話題の多い年でした。皆さまもそれぞれの立場で、日々の暮らしに思いを込めて過ごされたことと存じます。そこで今日は、一年の思い出を語り合い、また新しい年への期待を込めまして、交歓のひとときを過ごしていただきたいと存じます。
 このブログ望年会は3年目になりますが、初めての方も、どうぞご自由にご参加ください。コメント欄への投稿が参加になります。300字以内程度の「1分間スピーチ」をお寄せください。順次、オモテ記事に掲載いたします。本日24時までは、コメント受付はフリーに設定してございます。また、歌、朗読、絵画、写真などの余興も歓迎ですから、コメントへのリンク貼付でお持ち込みください。
ゲスト同士での、ご懇談もどうぞ。
 それでは「長屋のブログ友」の長老、「うたのすけ」様より、開会のお言葉と、乾杯のご発声をお願いしたいと存じます。
(うたのすけ様)
皆さん、今日は。光のブログ友望年会も今回で三回目と相成りました。石の上にも三年と申しますから、志村さんを中心としましたこの集まりは、まさに磐石の基礎が確立したと申しましても過言ではありません。後はただただ発展するのみであります。さて、世間は今不景気風、インフル風邪が蔓延真っ盛りであります。そうした負の世界から、見事脱却して五七五・七七の世界に遊ぶ私たちの行くところ障害物は見当たりません。どうかこの勢いを持ちまして来年もつつがなき一年であることを祈念して、限りある時間ではありますが本日ここに、一同に会しまして親睦の輪を広げようではありませんか。不肖うたのすけ、今回もご指名により発会の音頭をとらせていただきます。どうか皆様、お手元のグラスにお好みのお飲み物をお注ぎください。よろしいでしょうか、では乾杯と参ります。カンパーイ……。さっどうぞ、お気軽にお立ち寄り下さい。そして語って歌って、笑って怒って恨み節。どうぞ気侭にお過ごし下さい。
(志村)
うたのすけ様、ありがとうございました。うたのすけ様は、たしか今は喜寿でいらっしゃいます。今年は私もその年になります。ますますお元気で、世の行く末を見てまいりましょう。
(ナツ様)
志村さん宅での望年会も三年目を迎えました。今年もこうして出席でき嬉しく思います。
世の中は昨年に引き続き不況が続いています。倒産・リストラ・職探し・凶悪事件などの言葉が飛び交っています。
しかし国民の強い期待で政権交代が叶いましたが最近の鳩山さんをはじめ民主党の皆さんのお顔が疲れ気味に見えます。あまりにも国民の期待が強すぎて焦り気味ではないでしょうか。
まだ3ヶ月しか経っていません。長い歴史をそうは簡単にチェンジすることができるはずがありません。国民も焦らず長い目で応援をしたいものです。
私的には今年の一番の出来事は、12月10日母が95歳で大往生しました。安らかに子供、孫、ひ孫に見守られ人生を終えました。人間の一生なんて短いものです。その短い間には山あり谷ありで頑張り次の世代と交代していくのです。
次の世代に生きやすい世の中を残すことが今生きている者の勤めだと思います。
では皆さんお元気で良い年をお迎えくださいませ。
(志村)
じつは、ナツ様は今日はお出かけとかで、このコメントは事前にお預かりしておりました。メールには、おいしそうな山梨ワインが添えてあります。会場への差し入れ、ありがたく頂戴いたしました。
(花てぼ様)
なんだか寂しいようですが、志村様のお宅提供とうたのすけさまの高らかなファンファ−レに感謝してまずはカンパ−イ!です。
去年うたのすけさんに「すっぴんでは嫌だ」と言われまして今年はとびきりに、と思っていましたがなかなか化粧がうまく走りません。その間を利用しまして、一言、「すみません、たいこもちしやすい時間にもう一度出直します。」
志村様、私のお歳暮は、私の方で用意するのでしょうか?(リンクを張るとか)
(志村)
いただいたお歳暮は、一週間前から貼っておいたのですが、改めて皆さまにご紹介します。武者小路実篤の文を、この望年会にふさわしい、すばらしい書にしてくださいました。
http://pub.ne.jp/Shography/?daily_id=20091221
花てぼさん、待ってまーす。年末は、あまり格好つけなくていいんですよ。
(子どもちゃんの友・様)
ごめんください。
始めて参加致します。
昨年このブログ忘年会を覗かせていただきました。
ブログ訪問暦も一年を超えました。
志村様のご意見開示に対して、皆様の更なるご意見に触れる事が私の楽しみとなっております。
皆様に感謝申し上げます。
志村様の新宿での一人デモ、私の選挙区でずっと応援しております長妻昭氏へのご支援メッセージ(私も氏の御案内で国会見学ツアー体験をしました)などからも私はお力を頂いております。
「暮らしは極めて政治的である」を信条にしている助産師でございます。
簡単ではありますが、日ごろのお礼と御挨拶をさせていただきました。

では皆様、御一緒に私の持参致しました白のスパークリングワイン(辛口)、和風カルパッチョ、秋田の「いぶりがっこ」を召し上がって下さいませ。
いぶりがっこ・・堅すぎましたでしょうか。

ちょうど良いお時間になりました。
二度目三度目の乾杯をどうぞ。
今夜の座が盛り上がります様に!
小掃除と年賀状印刷を行いつつ、叉座に戻って参ります。
どうぞ宜しくお願い致します。
     子どもちゃんの友・ねんねこりん
(志村)
釘村千夜子様、ご参加ありがとうございます。そちらの「ねんねこりん」は、母と子をつなぐ、すてきなアイディアですね。母親に抱かれている安心感が、よくわかります。できることなら、今でもこれで母親に抱かれてみたいです。
(うたのすけ様)
花てぼさんへ。
そんな事言いましたかね。数時間前のことさえ失念する今日この頃のうたのすけです。
「記憶にございません」と、とりあえず逃げを打っておきます。(笑)
(志村)
濃いも薄いも人それぞれ、言うも言わぬも記憶の彼方。花てぼさん、早く戻ってらっしゃい。
(古木涼子様)
今年はどうやら望年会に間に合いました。志村様とお仲間の皆様に、ローマよりごあいさつ申し上げます。と申しましても、ローマには数週間前に半年ぶりに戻ってきました。日本も、九州を中心に出没しておりましたが、どなたか私を見かけた方はいらっしゃいませんか?長い間ご無沙汰してしまいました。申し訳ありません。それでは、ここで一曲。一曲は長いですので、一部にします。といっても、知っている歌は限られていますのでお許しください。今、クリスマスシーズンを過ごしている教会で歌われている曲です。♪やみに住む民は光を見た〜♪ 光は闇が深いほど輝きます。来る年も、希望が輝く年でありますように、お祈りいたします。
(志村)
お久しぶりです。お忙しいようですね。
闇が深いほど光は輝きますか。そうですね、混沌の中でこそ希望が必要なのですね。
(相々健々様)
こんばんは、望年会には初めての参加になります。
先日はお疲れさまでした。
元々人間は自分の見たいものだけを見る傾向がありますが、「情報過多」によりその傾向はいっそう強くなりつつあるようです。
歴史の人物を現代アニメヒーロー風にキャラクター化する程度なら微笑ましいものですが、「日本相手に企まれている民族浄化の陰謀」とかはそうはいきません。
「常に最悪を考えるのが軍事での当然の思考」
「一方的に殺されるのは“絶対に”イヤ」
が混じりあって「基地は必要だ」となるだけに、基地に反対する側にとってはどのような言葉を持つかが大切と思うのです。
「それがどうした」「駄目なものはダメ」という、攻撃的な言葉でなく、説得は当然できないにしても、揺るがない、誇りある言葉を持ちたいものですね。
堅くなりました…それでは〜
(志村)
よくいらっしゃいました。西口でも、ご苦労さまです。
非戦の最大の理由は、「戦争をしなければ紛争が解決できない時代ではなくなっている」からだと私は思います。「抑止力」がなくなると、日本はどの国からどのように侵略されるのか、ウヨクでも、具体的に説明できる人は、ほとんどいません。
(遊工房様)
フ~フ〜  セカセカ
皆様こんばんわ
よろしくおねがいいたします
オット!私はアルコールが駄目ですのね
カフェオレで かんぱーい!

演し物に「名人記」をと思って練習していて
遅刻です でも これは
22分もかかるし
マイクの調子は悪いし
や〜めた!

今年は、清瀬市に住む私の友人が
清瀬の戦争の記録をビデオにして残そうと奮闘していました
写真でカバーできないところを
絵に描いて
と言う依頼があり
そのやり取りをブログ載せていたところ
ビデオは完成し
平和祈念フェスタで上映されたのです
その会に志村さんは参加してくださって
件の私の友人とお会いくださって
ビデオ改訂版の制作の助言 お助けをくださるという
ありがたいつながりが出来たりしました

ブログのお友達の輪は
意外な方向にも発展うれしい限りです
花てぼさんが書いてくださったように
兄弟姉妹のない私にはうれしい愛しい兄弟姉妹のように思えます
今宵
お兄様のところに集まれて
本当にうれしいです
どうぞこれからもよろしくおねがいいたします

さて上の清瀬の空襲の記録を絵巻にしたものが
http://yuukoubosss.fiw-web.net/gallery/emaki/emakiindex.html
です 見に来てください

また、近頃私のブログのアクセス数がとても多いのですが
殆どの方が
折り紙の虎を折りたくておいでになってるようなのです
なかなか楽しいようですよ
これはブログ友のおしばなさんに見せていただいたものですが
どうぞ皆さんもお楽しみください
http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/12/post_0ba6-1.html
お分かりになりにくいところがあったらどうぞ
ご質問をお寄せください
(志村)
清瀬の定さんは、このお正月にも中野に見えるかもしれません。パソコンでのビデオ編集の件で、孫に聞きたいことがあるそうです。
今年の主役、虎の折り紙は楽しそうですね。わが社の初期に、折り紙のビデオを作ったことがあります。
(油布様)
はじめまして、望年会というものには初めての参加になります。
ネット上では、いちエンジニア、一新太助、ボージェス等でうろうろしているリベラル中道左派です。
本名ではあっという間に特定されてしまいますもんで(^^)、色々使い分けてましたが、ネット上で真面目に意見表明するのならそうもいかないかな、と思いはじめてる所です。
海外のブログでは本名出すケースが多いですし、日本もインターネット黎明期は皆本名でやってたんですけどね、、、。
それから、ここにはローマ在住の方もいらっしゃるようで、、、、古代ローマ愛好家(笑)としては羨ましい限りです。
(油布様)
志村さんへ。
うちの自宅は、プロバイダー:Nifty なのですが、ここへ投稿できないようです。
Forbidden
You don't have permission to access /shimura/ on this server.

Additionally, a 404 Not Found error was encountered while trying to use an ErrorDocument to handle the request.

Apache/2.0.52 (Red Hat) Server at pub.ne.jp Port 80

↑のようなメッセージでエラーになります。
この投稿は、会社のサーバー(プロキシ)経由で行っているのでOKのようです。
もしかして他にも書こうとして書けない方もいらっしゃるかも。
(みどり様)
皆様おはようございます。
芸能人ではありませんが、踊り仲間は、昼でも夜でも此のご挨拶から始めます。
遅くなりましても、こう御挨拶致しますと格好がつくのです。
志村様、何かとお心遣い頂きありがとうございました。
うたのすけ様、程良くお酒がまわりましたでしょうか。
ナツ様、お母上様のこと伺いました。
未だ一月も経たない中、こうして私達の為に美味しいワインをお届け下さいましたこと、有り難く心に浸みます。甲州ワインは外国でも人気が高まっているそうですね。不躾ながら早速に頂きます。
初めてお越し下さった「子どもちゃんの友様」みどりと申します。
此れを折りに、来年もどうぞよろしくお願い致します。
人見知りが強く自分の囲いから出ることの少ない私ですが、此方へは何時も安心して伺っております。
類は類を呼ぶ等と申しては失礼なのですが、本日の開会の音頭を取って下さった「うたのすけ様」をはじめ、皆様ほんとうに心温かい人達ばかりです。
私が申すまでもなく、それぞれに違う地域に暮らし、各人の個性も違いますが、ひとつだけ大きく共通することがあります。
其れは何よりも此の日本と世界に平和が続いて欲しい、二度と戦争を起こしてはならないという気持ち
なのではないかと私には思えるのです。
又、一方では300万にも及ぶ働ける人達に仕事がないという現実、厳寒の最中に寝る家もない人達がいます。
其処に光を!其処に愛の手を!
このような気持ちに結ばれた私達ではないかと考えますと、此のささやかな集いが有り難く嬉しくなります。
 来年も様々な困難が待ちかまえている気が致しますが、信ずるに値する場もあるということを多くの方々にアピールしたいと思います。
ちょっと酔いましたかしらね?
このような固いこと話すつもりはなかったのですが、新しい方をお見かけして興奮してしまいました。
どうも大変失礼致しました。
固いばかりのみどりではないことも少しご披露致します。
 大望いだく故に別れたお方、其の恋しい方の姿を胸に秘めながらも(後を追うまい)と健気に生きる女心を託した「信濃川」を踊りますので、ご笑覧下さい。(みどりのブログに写真があります
(志村)
油布さん、いらっしゃいませ。
コメントが書き込めない問題、油布さんに設定を見ていただけると、わかると思います。お手数でも、私のメールへご連絡いただけますか。ログインの方法などお伝えします。
みどりさん、おはようございます。踊りはもちろん、俳句も短歌も詩も小説も、表現力の豊かさに、いつも驚いています。先日は自治会・老人会へのご紹介など、ありがとうございました。
油布さんへ追伸です。コメントの設定が「HTMLの使用を許可しない」を「許可する」に直しました。これで先ほどの問題が解決するでしょうか。
(花てぼ様)
すっかり出遅れてしまいました。いえ、一度は顔を出しましたが。こんどは少し見られるでしょうか。ああ、うたのすけさんはもうお休みになったかもしれませんね。
今回初めてお目にかかる方へ、花てぼと申します。ふつつか者の最たる者でございますが皆様の愛情に支えられて仲間に入れていただいています。

古木様、お久しぶりでした。九州でお見かけしました。声もおかけしないで失礼いたしました。

あら-、みどりさんも遊工房さんも、もうお始めになっていました。
私もいつもながらのばかばかしいものを。すみませんがこちらへご足労願います。
http://pub.ne.jp/Shography/
(まい様)
やっと今年の仕事を終え、その足で参りました。志村さん、みなさん、いつもありがとうございます。遊工房さんの虎につなげて・・・になるのでしょうか、実は私はネコ好きでずっと8匹のネコたちと同居しています。そろそろみんな中年から高齢期に差しかかります。トラ年の来年もこれまで通り全員元気でやんちゃをしてほしいものです。
今年のわが家の最大の出来事はやはり子どもの「きのくに子どもの村小学校」入学です。予想をさらに超える伸びやかな学び、細やかなスタッフの心配り、快いアバウトさ?(臨機応変さ)に毎週感動しています。子どもも「寮大好き!」というくらいに慣れました。
ただし、親としての修行はまだまだ続いています。自分で気になることはたくさんあるのですが、一番は心身の疲れがたまるとつい怒りっぽくなることです。この癖は来年も少しずつ直していきたいです。

さて、来年は今年に続いて水泳を頑張ってみたいです。今年後半は週2回のスクール出席を目指してやってみました。クロールが苦手で50メートルでヘロヘロだったのが、調子が良ければオープンターンで250メートル泳げるようになりました(泳げる人からみればまだまだ?ですが)。呼吸器が弱いので、大きな夢に向けての体作りのために始めたのですが、どうも習慣になってしまったようです。ブログ更新ができなかったのは水泳が第一の原因かもしれません。
仕事、水泳、子どもとの時間、夢に向けての勉強・・・。そうしたなかでも教育問題を始め、世の中に対する関心と問題意識は持ち続けたいものです。

ちょっと自己紹介のつもりが長くなってしまいました。志村さんの一人でもデモ、その他の活動にはいつも感動しています。これからの季節、お身体ご自愛ください。
(志村)
花てぼさん、私も昔、寿限無の名を必死になって覚えたことがありました。聞いていると、かなり思い出せます。たしか広辞苑にも出ていました。
 まいさん、水泳スクールが習慣になったら、すばらしいことです。子供さんの教育でも、納得できる、よい選択をされました。親子とも将来が楽しみですね。
(子どもちゃんの友・様)
みどり様 皆様
昨年のこの望年会では御着物姿もお見かけしました、みどり様、お懐かしゅう御座います(酔いが回ったような言い回しになりました。笑。)お元気の御様子何よりと感じ入っております。油布様・・なんとも味(匂い)の有るハンドルネームですね。職人気質の私には好ましいネームでございます。
志村様、私の抱っこおび「ねんねこりん」への感想をいただき、ありがとうございます。大人の友人達も同じく「これで抱っこされたかった」と申します。お気持ち良く解ります。実は以前から検討した、別用途の「ねんねこりんオットナー」があります。いつかご紹介できればと思います。
では宴もたけなわになりかけて、私は年賀状作りへ戻ります。皆様杯を重ねてくださいませ。気持ちをローマにも走らせながら・・。
ほろ良い気分の・子どもちゃんの友でした。
(遊工房様)
また来ちゃいました
やっぱり 朗読をやりたい
今年中島敦も生誕100年ということを
みどりさんに教わったのがきっかけで
改めて 中島敦に魅入られているのです
「名人伝」
聞いて分かるように読む難しさと格闘中です
だいたい 読み間違えたり つっかえたり
聞くに堪えないかもしれない
いいや
皆さんもそろそろよいが回ってるかもしれないし
ドサクサ紛れに読んじゃお
http://yuukoubosss.fiw-web.net/roudoku/yuukoubo/meijinnki.html
(大木晴子様)
人が楽しく繋がることが素敵だと感じる望年会に初めてお邪魔します。
まいさんのところは、8匹の猫ちゃんですか。
我が家は一匹の黒猫ろくにてんてこまいなのにすごいなぁ?。
昨日から膀胱炎や尿道結石で動物病院通いで望年会を忘れるところでした。
間に合って良かった。
新宿の反戦意思表示で志村さんと出会い毎日ブログを通して学ばさせていただいています。
そして、皆さんの詠まれる連歌からもです。
感謝して新しい年もよろしくお願いいたします
(志村)
遊工房さん、「名人伝」を全部聞いてしまいました。わかっちゃいるけど、面白かった。朗読を想定していない漢語が多いのは、仕方がありませんね。しかも、漢文の素養をもつ人は少なくなっています。原文の魅力を伝えるには、原本を見ながら聞いて貰うべきかもしれません。
 大木晴子さん、西口忘年会に行ったおかげで、多摩の第九が聞けました。得ることの多い西口スタンディングでした。1月2日は「新井薬師と『たきび』の家めぐり」を予定していますが、西口へも行くつもりです。
(油布様)
猫好きの方、多いんですね。
私も自分のMIXIの画像はうちのラム(雌:8歳)です。
でもってこれは単なる自慢ですが、うちのラムは坂東寛司さんという写真家の方の猫猫カレンダーに掲載されたことがあります。
まあモデル募集に応募して撮りに来てもらっただけなのですが(汗)
しょーもない話ですいません。
もうそろそろ望年会もお開きの時刻でしょうか。
(みどり様)
デモの流れ解散のような物足りなさを感じ、再び舞い戻って参りました。
どうやら私、昔かたぎな人間なんです。
ご亭主の志村様に御礼も述べずご挨拶も致しませんで退出致しましたので、なにか気持ちがスッキリしませんでした。
(古いなあ〜我れながら・・・)
 目下「関東一本〆」という古い歌でお稽古しています。
「お手を拝借、お手を拝借」と両の手を差しだし、会場の皆様のお手もお借りして一本〆るお祝儀舞いなのです。
一人よがりはお許し下さい。
ひとこと本日の御礼を申し上げたかったのです。
これで、私なりのケジメが付きました。
 皆々様、本日は本当にありがとうございました。
あとは皆様でお楽しみ頂けたら幸いです。
(志村)
油布さんの「政策投票サイト」は、改良して本格的にスタートさせる計画と聞いています。政治参加の新しい形として期待しています。
 みどりさん、関東一本〆を、ありがとうございました。これで最後が締まりました。
 さて、そろそろ予定の時間が過ぎて参りました。今年も多くの方々にご参加いただき、ありがとうございました。皆さまの新しい年に、新しい多くの良いことがありますように祈念して、中締めのご挨拶とさせていただきます。
 なお、1月2日は、午後1時半に中野駅北口前の歩道(バス停手前の、やや広いところ)においで頂けましたら、「新井薬師の初参りと『たきび』の歌のふるさとめぐり」のコースをご案内いたします。午後3時までには西武線「新井薬師駅」に着くと思います。そこからバスで中野駅にもどることもできます。天気予報では寒くなりそうですから、暖かい服でおいでください。
 それでは皆さま、よいお年を。本日は、まことにありがとうございました。

(市堀玉宗様)
ふらりと立ち寄りましたブログの一期一会のご縁に感謝申し上げます。私のような世捨て人には皆様のご活躍と御志に息を飲むばかりでございます。
せめては皆様の更なる飛躍と幸い、ご清寧を御祈り申し上げます。佳いお年をお迎えくださいませ。合掌
「てのひらに山河あり雪降り頻る 玉宗」
(志村)
来ていただけそうな気がしておりました。ありがとうございます。
てのひらに世界を包み、平和にしてあげられたらと思います。釈迦になればそれが出来て、誰にでも成仏はできる。それが禅だと英語で教えてくれた、R.H.ブライスというイギリス人の恩師がいました。
(花てぼ様)
昨夜は楽しい望年会をありがとうございました。
市堀玉宗様は、今朝お見えだったのでしょうか。昨夜お出でにならないかなと心待ちにしていました。ときどき俳句を拝見させていただいています。




「第九」をナマで聴く

 新宿西口デモ仲間のKさんから思いがけなくチケットをいただいて、昨日は「多摩市民『第九』演奏会」を聴いてきました。多摩センター駅の正面にある「パルテノン多摩」が会場で、この中に入ったのも初めてでした。年末の第九と言えば、よく知っているような気がしていましたが、考えてみたら、これをナマで聴いたことは今までなかったのでした。
 会場は立ち見も出るほどの盛況でした。驚いたのは、舞台の上にテンコ盛りになっている人数の多さでした。オーケストラが90人、合唱団が150人です。指揮者はどこを通って指揮台まで歩いて行くのか心配になるくらいの混みようでした。
 合唱団の中には、杖をついて入場してくる老人もいます。楽団も周辺地域のアマチュアで構成されており、30年以上の実績を積んできているとのことです。演奏の質については、私はマニアではありませんから精密な批評はできませんが、音楽を扱う仕事はしてきましたから、サマになっていて「使える」音かどうかはわかります。その意味でなら、充分以上にサマになって迫力ある演奏でした。とくに150人の口がいっせいに開いて声を張り上げるとき、正面で聴く迫力は圧倒的でした。
 聴きながら、ベートーベンの構成力の見事さということを考えていました。何重にも段階を踏んで、最後の「歓喜の合唱」へと導いて行きます。これを、聴力を失った晩年のベートーベンが作ったという事実に、感嘆するほかはありません。
 オーケストラ演奏は、絶対王朝時代の、文化面での一つの到達点でした。近代化された各種の楽器が揃い、それを一人の指揮者のもとに統一して、人智を尽くした音楽の総合芸術を作り上げました。そこでは、すべての人の能力が全体のために発揮されます。どんな一人も、自分の居場所を持っているのです。だから参加した人たちは、自分の力が役立っていることを実感できます。まさにそこは理想郷なのです。
 長期にわたる練習もあったでしょうが、本番の舞台では、指揮者さえも全体の中で操られる一人なのかもしれません。かくて名曲の演奏は、名作の演劇と同じように、「わかっちゃいるけど泣かされてしまう」感動を呼ぶのです。
 演奏が終ったとき、私は座席から立ち上がって拍手を送りました。ただし新宿西口とは違って、スタンディングに続いてくれる人がいなかったのは、少し残念でしたが。

さぽうと21と異文化パワー

 昨日は在日外国人などの支援に当っている「さぽうと21」の「支援生とのつどい」がありました。「難民を助ける会」を母体として、在日外国人子女の教育を支援しています。「支援生」とは、支援を受けている学生・生徒の意味です。この日は支援生と支援側との交流会で、支援生の代表による研究発表も行われました。いずれも驚くほどレベルの高い頼もしいものでした。
 在日して10年前後で自由に日本語を操り、難関と呼ばれている大学で一流の研究をしています。その目的意識の高さは、平均的日本人学生を上回ると思えました。いろいろなケースがあるのですが、大阪の歯学部を間もなく卒業する医師の卵は、大阪弁に悩んだ経験を「友達の言葉がわからんので辞書を引いても出ておらんのです」と語って爆笑を誘っていました。
 自分はどこの国の人間なのか、アイデンティティーを求めて悩んだという、印象的な話もありました。日本で育ち教育を受けたのに、日本人とは見て貰えません。いつか「私は○○人です」と自信をもって言えるようになりたいと思っていた。しかし、自分の祖国だと思っていた国への留学が実現したときに、「ここは私の国ではない」と感じたそうです。この人は、そのときに悟りました。自分を理解してくれる人たちが周囲にいて、その人たちのために自分が役に立つことをできるのであれば、国籍はどうでもいいのではないか。そう思ったら、とても自由になれたというのです。
 同じ文脈で、自分の居場所に悩んだ末に、ジェンダーの問題を研究テーマに選んだという人もいました。自分の問題を含めて、ジェンダーが解明できれば人間はもっと自由になって伸び伸びと生きられる筈です。そこは「マイノリティーのいない社会」になるというのです。
 この人たちの話を聞き、その後の雑談にも参加しているうちに、このような若者たちを支援することは、日本の未来のために、必ずや生きた投資として恩恵をもたらすだろうと思いました。いま私も参加している支援生に日本語を教える仕事は、そのための入り口に当るわけです。
 しかしながら、私は「外国語としての日本語を教える」ことに、かなり深刻な疑問を感じ始めています。並々ならぬ努力で日本語をマスターした人たちの苦労がわかるだけに、「必要以上に複雑で学びにくい言語」になってしまっている現代日本語を、自信をもって推奨はできないのです。この問題はまた改めて書くことにしましょう。

「蛍の光」と「さよなら今は」

 今日の朝日新聞土曜版「be」の「うたの旅人」は、スコットランド民謡の「蛍の光」でした。日本では学校唱歌で卒業式の歌ですが、原曲はスコットランドの愛国詩人ロバート・バーンズが伝承歌を基に作ったもので、旧知の人との友情を歌っています。しかし今は世界中に普及して、船が出港するときの定番の別れの歌になっています。韓国ではこのメロディーが愛国歌として歌われたことがあったそうで、それは私は今まで全く知りませんでした。
 今日の朝日の記事には原詩も掲載されていますが、その4行目に脱落がありました。
  Should auld acqaintance be forgot,
  And never brought to mind?
  Should auld acqaintance be forgot,
  And (days of) auld lang syne?
原詩はドイツ語の影響を残す中世英語に近い形で、auld lang syne は old long since (times)です。元々の文意は「故旧忘れ得べき=古くからの知己は忘れ難い」の情を、ひたすらに歌っています。
 私はこの歌を「新訳・世界の名曲」のCDの中で、一般的な別れの歌になるように「さよなら今は」の歌詞で録音しました。その歌詞の1番は次の通りです。
  
  さよなら今は別れの時 大事な思い出いつまでも
  楽しく過ごしたよき日のため 今こそ歌おう別れの歌
 
 この歌を、私は思いがけなく、この12月8日に久喜市の葬祭会館で聞くことになりました。実家の野ばら社で、40年間も楽譜浄書の職人兼編集者として働いた椎葉京一さんが、84歳で急逝されたのでした。定年後の時間も経過していたので、職業人としての椎葉さんを知っている人は、私だけでした。そして会場には、私のCDの歌声が流れていました。遺品の中から見つけて、娘さんが会場に依頼してかけてくれたのでした。私ははからずも、友人代表としての弔辞を述べることになりました。大学では美学を学び、バンドでバイオリンを弾いていた人でした。地味なサラリーマン生活を全うした中にも、豊かな芸術家のセンスを備えた人だったのです。
 会場から霊柩車が出発するとき、ちょうど太田まりさんの歌声が流れてきました。「さよなら今は別れのとき……」

ブログ連歌(110)

2179 晴れの席に 出ることもなく 年の暮れ (建世)
2180  風邪を引かずに 年を越したし (うたのすけ)
2181 着脹れて 詮なきことを 面白く (玉宗)
2182  寒中托鉢 釈迦は知らずや (建世)
2183 罪と罰 信仰なくも 人は生き (みどり)
2184  聖夜を祝い 除夜の鐘つく (建世)
2185 年とれば 子供にかえると 手をば出し (うたのすけ)
2186  社会参加も 屁っぴり腰で (建世)
2187 やっとこさ 陽の目見たのは 子供だけ (うたのすけ)
2188  順番待ちの 行列寒い (建世)
2189 福引きの 特賞うれし 湯の宿へ (みどり)
2189B 僥倖の 行列を見る 炬燵かな (玉宗)
2190  天運は知らず 我ひとり此処 (建世)
2191 夢見ての 余韻楽しむ 聖夜かな (おおつる)
2191B 変え得ざる 我が生担え 今日も行きなむ (ハムハム)
2192  ローソクの灯は 瞬時ゆらめく (建世)
2192B  余りの落差に 希望はしぼむ (うたのすけ)
2193 嘆いても 笑ってもくる どんづまり (建世)
2194  餅つく庭に 風花の舞い (みどり)
2195 息してる 今日も生きてる 儲けもの (建世)
2196  主人なるぞと 説きし我が友 (ハムハム)
2197 お父さん 子供手当てで 形無しに (うたのすけ)
2198  失業手当てを 受けぬ幸せ (建世)
2199 父さんを 大黒柱に する政治 (うたのすけ)
2200  母さんしっかり 豊かな金庫 (建世)

「子どもの世話にならずに死ぬ方法」を読む(3)

 俵萌子さんの母親は、最後には結核性の脊椎カリエスを発症し、結核専門の隔離病棟で亡くなりました。こういう病気にかかると他の選択肢はなくなる、やっぱり死に方は選べないのだと俵さんは書いています。享年92歳、2002年のことでした。年齢に不足はなくても、悔いは残りました。家族の中の女性、この場合は長男の嫁が介護の責任者になるという旧来の枠組みを、結局は破ることができませんでした。
 納得できる老人ホームを探すのも、必要になってからでは間に合いませんでした。本人がしっかりしている間に、世話になる自分をイメージして、家族を犠牲にしない介護の受け方を設計しておくべきでした。それは、遺産の分け方を考えて遺言を残すよりも、ずっと大事なことだったのです。むしろ自分の財産は使い切っても、自分の生涯の最後までの安全保障をすべきではないのか。これが母親を見送ったあとの俵萌子さんの結論でした。
 その後の俵さんは「子どもの世話にならずに死ぬ方法」という、書名と同じタイトルの講座で人気を集めます。その活動の中で、100個所もの老人ホームを実地に訪ね、体験入所なども試みたとのことです。この部分は具体的で、賢いホーム選びに役立つでしょう。そこでの要点は、一口に老人ホームと言っても内容は千差万別で、現場へ行ってよく説明を聞いて確かめなければ、名前だけでは何もわからないということでした。
 俵さんが何よりも気をつけたのは、入居者が生き生きしているかどうかです。それと、経営者の考え方が信用できるかどうか。そして、一度は入居したが途中でやめた人の話が聞けると参考になります。入居は生活のすべてを頼ることですから、肌合いが合うかどうか、できれば一年間ぐらいは試用期間がほしいところですが、入居金の返還条項など、良心的な施設は、まだ少ないようです。
 今の日本には、曲りなりにも公的な介護保険制度があります。これに上乗せして自己の安心を確立することは、子孫に美田を残すよりも大切なことでしょう。子供世代の人生を介護疲れで押しつぶすようなことがあっては元も子もありません。樋口恵子さんは、次の言葉で解説を結んでいます。「全編を通して伝わってくる俵萌子さんのメッセージ、それは子や他人に頼るばかりで自立の志のないところには決して『青い鳥』はいない、ということです。」

「子どもの世話にならずに死ぬ方法」を読む(2)

 この本の前半は、俵萌子さんと母親との最後の10年間の記録です。20歳違いの母親が80歳を超えたあたりから、「大老」と「中老」との老々介護が始まるのです。父親は10年ほど前に、すでに肺炎で急死していました。母親は大阪で、俵さんの弟一家と暮らしていました。母親の介護の正面に当ったのは、弟の嫁です。つまりその嫁からは俵萌子さんは「小姑」に当ります。そして母親は、パニックになると電話で東京の俵さんに助けを求めるのです。
 当時、俵さんは乳癌を発症して手術を受けていました。しかしそれを母親に告げられる雰囲気ではありません。自身の病気と仕事とたたかいながら、大阪の母親を何とかしたい気持は大きな葛藤になります。ついには弟の嫁の前に手をついて、「母にやさしくしてやってください。お願い、お願い……」と泣きじゃくるしかなくなるのでした。
 一方、老人になると人はどうなるのか、その経過を俵萌子さんはジャーナリストの目で正確に見届けようとします。足腰が弱ってきても、入院した母親は頑強に抵抗して、病院としては迷惑な手のかかる患者になります。自分の意思に反して病院の管理体制にしたがう気はないのです。もともと「養老院」に行くのはいやだと言っていた人でした。全身で反抗する母親の姿を、俵さんは「ある意味であっぱれだと思う」と記述しています。人には生きてきた分だけの尊厳がある。無条件に命令に従う人だけを受け入れる施設であっていいのだろうかと、疑問を感じるのです。
 誰よりも自身の衰えを実感している母親の口癖は「早く死にたい」になります。包丁で腹を刺そうとした「ためらい傷」も発見されます。本人は死にたがっている、周囲は持て余している。それでも絶対に死なせてはいけないのか。俵萌子さんは真剣にオランダの安楽死制度の文献も読んでみました。しかし日本にはまだ安楽死を受け入れる動きはありません。
 老衰しておとなしくなり、世話になるだけの老人よりも、意識がしっかりして自我の強く残っている老人ほど、周囲とのトラブルを起こすでしょう。そうしたとき、肉親だけで無理に支えようとすれば親子殺人などの悲劇にもなりかねません。やはり、老人の心理のわかる専門家チームによるケアが必要なのです。他人の世話になっても、運が悪ければ悲劇は起こるかもしれませんが、それでも実の子供に殺されるよりはよいと、俵さんは書いています。こうした経験が「よい老人ホーム探し」の後半につながって行きます。

冬至の日差し

 昨日は冬至、隣のマンションが完成してから最初の冬です。この日の太陽がどこまで登ってくれるかが、大きな関心事でした。自宅ビル2階の角部屋にある食堂は、久しく日当りと眺望抜群の部屋でした。
 一昨年まで最高裁判所の官舎だった隣地が競争入札に出され、落札されて7階建てのマンションになりました。今は「政策研究大学院大学国際交流会館」という表札がついていて、諸外国からの政府系研修生の宿舎になっています。
 建築の際には、なるべく日影の影響を少なくするよう強く申し入れたのですが、規制のゆるい地区なので限界がありました。こちらの2階に冬の日差しがどの程度当るのか、微妙なところでした。ですから秋分以降、太陽の高度が日一日と低くなるのを、注意深く観察していました。毎日目に見えて低下してきた太陽の動きは、12月に入ると、ようやくゆるやかになってきました。
 そして冬至の日、食堂の窓の上部には、わずかながら太陽の光の帯が残りました。物差しを当てると、ちょうど10センチです。それでも、直射の太陽光が部屋に入るのと入らないのとでは、大違いです。冬至でこれですから、あとは文字通りの光の春に向かって、太陽が回復してくるのを楽しみながら待つことになります。
 家人が自慢のベランダの物干し場は、11月から2月までの4ヶ月間は使えないことがわかりました。干し物は居間のエアコンの前に吊るすか、大きなものは屋上へ運ぶなどしてしのいでいます。屋上へ出ると、自分のビルが北側の家々にどのように影を落としているかが、よく見えます。建築のとき、北隣のご主人の強い申し入れでビル全体を80センチ南へ移動することになり、そのために植樹のスペースが非常に狭くなって残念だったのですが、今になると影になる人の気持がよくわかります。そのご主人とも、親しく話せる仲になりました。
 季節はこれから厳寒なのに、太陽の回復は今日から始まっています。だんだん強くなる太陽を支えにして冬に耐えるというのは、私の好きな心的状況なのです。



2009年末ブログ望年会のお知らせ

 一昨年、昨年と開催してきました「光のブログ友望年会」を、今年も企画してみましたのでご案内いたします。インターネットの闇サイトを圧倒する「光のサイト」でありたいとの願いが最初の発想でした。以下の要領で行いますので、ふるってご参加くださいますようにお願いいたします。とくに、これまで「読んではいたがコメントを入れたことはない」方々も、この機会にお気軽においで下さるようお待ちします。

 日時は、29日(火)13時から24時まで、参加費は無料です。
 参加の際は、300字以内程度の「1分間スピーチ」をご用意ください。
 参加は、コメント欄への投稿により行います。開会中のコメントの受付はフリーに設定しておきます。管理人が順次オモテの記事に掲載いたします。スピーチ後は、出席者同士の「懇談」も、ご自由に行ってください。新しいブログ友に出会う場としても、役立てていただけましたら幸いです。
 ご発言に添えて、絵画、写真、歌、朗読など、余興の持ち込みも自由です。コメントにリンクを貼って投稿ください。
 この望年会の趣旨にぴったりのお歳暮として、早々と「花てぼ」さんから書を頂戴していますので掲げておきます。「我等は楽しき哉 よき兄弟姉妹あり 互に愛しあうなり」という、武者小路実篤の文です。

 次に別件ですが、新年1月2日に「リアル友・新井薬師と『たきび』の歌ふるさと巡り」は、いかがでしょうか。午後1時半に中野駅北口前歩道に集まり、新井薬師に参詣してから、「たきび」の歌が作詞されたという竹垣の旧家を見て、西武線新井薬師駅までの散歩コースをご案内します。所要時間は1時間半以内と思います。この件の参考資料としては、以下の「みどり」さんの記事と私のブログ記事およびコメント欄をごらん下さい。
 以上、年末年始の思いつきですが、よろしくお願いいたします。
(追記・昨年と一昨年のブログ望年会は、こんな具合でした。↓)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/2008-12-29.html
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/2007-12-28.html

鳩山内閣の支持率低下と民主党の進路

 このところ鳩山内閣の支持率が低下しているようだ。まだ50%前後は保っているものの、急落に近い傾向らしい。期待が大きかっただけに、なかなか明確な進路が示されないことへの不満が高まっているのだろう。
 前にも書いたが、政治の転換は巨大な船を操るのに似ている。惰力が大きいから、舵を切っても新しい進路が定まるまでには時間がかかるのだ。そこは我慢しなければならないのだが、新しい船長の方針がはっきり見えていないと、落ち着いて待っていられなくなる。その意味では鳩山総理の「友愛精神」は抽象的であり過ぎた。
 かといって以前の自公政権の方がよかったと思う人は、これまた非常に少ない。自民党の支持率は、民主党の半分以下に落ちたままなのだ。それではどうなって欲しいかというと、民主党はしっかりしろというところへ話はもどる。その「しっかりしろ」の内容がどちらに向いて、党内からその要望を受け止める力が出てくるかどうかが、この政権の前途を決めるのだろうと思う。
 私が思うに、国民が民主党に期待したのは、内政では「格差の拡大を是正して、困窮者の少ない社会にする」こと、外交では「アメリカ追随を是正して、自主外交のできる国になる」ことではなかったろうか。その期待は今も変っていないのに、政府が自信満々の新方針を打ち出してくれないから、欲求不満になっているのではないか。
 ここで大事なのは、国民がブレないことだと私は思う。期待外れだったと、せっかちに内閣不信に走った場合、下手をすると民主党の内部で混乱が始まる。万一にも政界再編に動き出す野心家たちが実権を握ったら、今の勢力図では簡単に巨大な保守新党が出現してしまうのだ。だから、民主党を分裂させてはならない。そうではなくて、民主党を叱咤激励して、本当に国民のために働く革新の党に変えて行くことこそが、有権者の仕事なのだと思う。
 民主党が信頼に足りる革新の党になれるかどうかは未知数だと私も思っている。しかし政権交代が実現したことの意味の大きさを考えてほしい。革新と呼べる政治への第一歩は踏み出されたのだ。ここで後ろ向きに歩き始めたら、前途はまた闇に閉ざされる。

「子どもの世話にならずに死ぬ方法」を読む(1)

 俵萌子さんの「子どもの世話にならずに死ぬ方法」(中公文庫)を読みました。2005年に同社から出た単行本の文庫版です。俵萌子さんの最後の著書になったようです。
 あえて著者をさん付けにするのは、私にとって、それだけ親しく感じられる人だったからです。私はこの11月9日のブログで「俵萌子の教育委員会日記を読む」を書きましたが、その時点で俵さんがすでに2008年11月に亡くなっていたことを知りませんでした。その後にネット上の追悼記事でこの本の存在を知ったのです。
 巻末の樋口恵子さんの解説によると、俵萌子さんは昭和5年生れで、その1年下が吉武輝子さん、そのまた1年下が樋口恵子さんで、フェミニズム運動3姉妹の長女だったと回想しています。私が民社党洋上大学の講師で俵さんと乗り合わせたのが昭和49年(1974年)2月、オイルショックの直後でした。評論家、俵孝太郎氏と離婚して話題になり、共働きの子育て奮闘記「ママ、日曜でありがとう」がベストセラーになっていました。シケで大揺れの船内でも平然として女性の自立を説いていた気丈さが、とても魅力的でした。私が「主婦になってみた男の二週間」を書いたのも、この出会いがあってのことです。
 その俵萌子さんが最後に取り組んだのが、老いと看取りの問題でした。シングルマザーとして1男1女を育て上げた後に、母親の老衰に直面します。その経験をこの本でもストレートに記述しています。この人の書き方の基本は、常に自分を丸ごとで読者の前にさらしてしまう方式です。ですから家族にとっては、時として有難くない場合もあることでしょう。しかし、物書きは自分を偽っては他人を動かすものを示すことはできないのです。
 本の内容紹介は次回以降としますが、非常に強烈な印象を残すフレーズがありました。それは「親が子を守るのは本能だが、子が親を守るのは本能ではない」ということです。俵さんは7年間の苦悩の中でその事実を自ら実感したのでしょう。しかしそれは親子の情が薄いからではなく、むしろ情が深いからこその自覚だったのです。そして最後に、人が幸せに生涯を終る条件としての「自立の志」に至るのです。

子供手当ての手当て

 民主党のマニフェスト実行が、このところ怪しくなってきた。目玉公約の一つだった子供手当ても、高所得者にまで一律に支給ではなく、所得制限を設けるべきとする意見が出てきている。その裏には厳しい財源不足の現実がある。さらに小沢幹事長を中心とする党側からの圧力もあるようだが、その問題には、ここでは触れない。
 担当大臣である長妻昭氏は、子供は社会の責任で育てるという思想の問題だから、予算の都合で削るべきでないとする主張を曲げていない。私も大筋ではそれが正しいと思うのだが、「お金が足りないのにどうしてお金持ちにまで子供手当てなの」と言っている家人の感覚にも道理はある。社会保障の理念を貫徹するにしては、日本の税制は金持ち優遇に傾いたままになり過ぎているのだ。
 社会保障を充実するには財源が必要で、それには所得税などによる所得再配分と、広く薄い国民負担との2本柱がある。ところが保守政権はその末期に減税を連発して、消費税以外の税収を半減させてしまった。このことについては私のブログで何度も書いているが、税制調査会はいまだに適正な増税策に手をつけていない。最近では住宅建設を促進するためとして、生前贈与にかかる贈与税の軽減を提案している。親の財産で子供の家を建てさせようという算段だ。
 しかしこれも話が逆なのだ。富裕な老人世代の資産を前倒しで市場に出させたかったら、相続税の税率を、話題になるほどの規模で引き上げた方が効果がある。死ぬまで財産を抱えていたら高い税金に持って行かれるとわかったら、生きているうちに生きた金の使い方をしようと真剣に考える筈である。子供のために家を建ててやるでも、安心な介護付きホームを自分のために用意するでも、死蔵されていた財産が自分と家族のために役立つように使われることになる。ひいてはそれが世のため人のためにもなるということだ。
 不景気だから増税の話は一切ご法度という固定観念に縛られることはない。増税策を用意した上での景気対策こそが、財政の再建を成功させるという原則もあるのだ。もしも民主党が、金持ち優遇で不労所得を奨励する今の税制をこのままでいいと思っているとしたら、この政権交代で日本には頑強な二つ目の保守政党が登場したことになる。まさかそんなことはないと思うのだが。

ブログ連歌(109)

2159 それぞれに 思いを込めて 年越しを
2160  三たび祝わん 望年の会(建世)
2161 妻の名を 今年の一字と 言ってみた(うたのすけ)
2162  緑なす国 孫に残さむ(建世)
2162B  緑の一字と 照れも見せずに(うたのすけ)
2163 うるわしき 萌ゆる緑を 我が名に欲しき(みどり)
2164  生きる浄土に 花爛漫と(ハムハム)
2165 みどりなす 春の野を待ち 冬に入る(建世)
2166  せめて歳末 四海静かに(うたのすけ)
2167 普天間も 辺野古も撤去 すっきりと(建世)
2168  基地なき日本 半世紀待ち(みどり)
2169 大見得を 切って声あり 音羽やと(うたのすけ)
2170  纏持ちたる 羽子板も良き(みどり)
2171 路地裏の 羽根つきの音 懐かしく(うたのすけ)
2172  このごろ聞かず 恋しかりけり(建世)
2173 正月や 赤いぽっくり お振袖(花てぼ)
2174  頬を真っ赤に 男子(こ)らは凧揚げ(うたのすけ)
2175 空き地なく ビル林立す 都市の空(みどり)
2176  子供の手には ゲームとケータイ(建世)
2177 元日や 新しきシャツに 袖通し(うたのすけ)
2178  晴れも褻(け)もない ご時世なれど(こばサン)
2179 晴れの席に 出ることもなく 年の暮れ(建世)
2180  風邪を引かずに 年を越したし(うたのすけ)

パソコンの難しさ

 一昨日のことだが、パソコンのツールバーが突然消えてしまった。私が使っているのはウィンドウズのXPだが、いつも画面の下にあるツールバーが見えない。そのことに気づいたのは、最小化して保存しておいたつもりの画面が呼び出せなくなって、何度も開き直さなければならなくなったからだった。設定がどこかで変になったと思い、シャットダウンと立ち上げを繰り返しても直らない。電源をすべて抜いても同じだった。
 それでも当面の仕事はしたいので続けていると、パソコンの反応がだんだん遅くなってきた。ついにはすべての操作に全く反応しなくなり、強制終了さえも受け付けなくなった。経年劣化でパソコンの機能がダウンしたかと思われた。
 孫の帰りを待って見てもらうと、直すのに10秒もかからなかった。ツールバーは画面左端に縦型になって移動していたのだった。変なものが出ているのに気づいてはいたが、小さな記号が並んでいるだけだから、それがツールバーとは思えなかったのだ。わかってみれば、ドラッグすればツールバーは上下左右に簡単に移動するのだった。無意識の移動を防ぐには「ツールバーを固定する」にチェックを入れておけばいいのだが、それが外れていたのだろう。
 「君はどうしてこれを知っているのか」と孫に問うたところ、「いろいろやってたら気がついた」としか言わない。私もパソコンの入門書を何冊かは読んだが、そんなことは書いてなかったと思う。「ヘルプ」を見ても、こういう問題は決して解決せず、かえってわからなくなることは、経験上よく知っている。
 パソコンは無数の人たちが知恵を働かせ改良を加えた結果として今の姿になっているのだと思う。だから一人の個人が設計した完成物というよりも、自然物の小宇宙に近いのではなかろうか。そうでなければ、下段に固定しておけば何の問題もないツールバーを、移動可能にしようなどと発想する筈がない。だからパソコンに上達する早道は、熟練の先達の近くにいて実地に見習うのが最善なのだ。孤立した独学では、決して高みに達することはできない。
 私の知人で、何十年もパソコンを使って仕事をしているにもかかわらず、コピー&ペーストの方法を知らずにいた御仁がいたので驚いたことがある。たまたま訪問して仕事ぶりを見たからわかったのだが、蛸壺に入っていては時代に遅れる。パソコンは今や「世間」そのものになりつつあるようだ。

無人機攻撃への憎悪

 「マスコミに載らない海外記事」さんからのトラックバックなどで以前から気になっていたのだが、アメリカ軍がバキスタンやアフガニスタンで行っている無人機によるピンポイントの攻撃が、遠く離れているアメリカ本土で操作されているというのは本当のようだ。
 無人機というと多くの人は模型飛行機のようなものを想像するかもしれないが、有名なプレデター偵察機は、セスナほどの大きさでミサイルも搭載できる。これがタリバンなどテロリストの監視と殺害に使われるのだが、現地の飛行場から離陸すると、あとの操縦は、ラスベガスに近い空軍基地に置かれているトレーラーの中の操縦士によって行われているというのだ。
 基地には現地からのあらゆる情報が集められていて、監視すべき家や車、人などが選別されている。偵察機は低速飛行しながらそれらをカメラで追跡して、好機があればミサイル攻撃するのだ。モニター画面を見ながらコントローラーを操作する操縦士の仕事は、限りなくゲームに近いものになる。勤務を終えた兵士は、定時に帰宅して、一休みしてから子供の宿題を見てやることもできるのだ。これは攻撃する側にとっては、理想的な兵器だろう。
 一方これを攻撃される側から見たらどうか。私はB29の空襲を受けたときの、人々の怒りを覚えている。隣家のおばさんは「物干し竿で叩き落としてやりたい」と言ったし、私にも石を投げつけたいぐらいの敵意はあった。体当りする日本の戦闘機には切ない声援を送ったものだ。しかし相手が無人機だったら、差し違えても敵兵を殺すことができない。誤爆されても、犯人が地球の裏側にいるのでは、捕らえて裁判にかけることは絶望的に不可能だ。 
 遠隔地からの攻撃という意味では長距離ミサイルと同等かもしれないが、ピンポイントの狙撃であるだけに、かえって彼我の力の差の残酷さが強調されるように思われる。アメリカ本土の兵士にとってはゲーム同然の軽さで、狙われる方は生命を失うのだ。ゲームという英語には「楽しみとしての狩猟による獲物」の意味もある。まさに人間がゲームの獲物になる。
 これは悪質な非人道的兵器ではないのか。放置すれば無人戦車、無人潜水艦と、止めどなく拡散するだろう。パキスタンを訪れたクリントン国務長官は「無人機攻撃はテロではないのか」と詰問されたそうだが、非人道は非人道をエスカレートさせる。反撃できない屈辱は「アメリカ人を殺す機会さえあれば誰でも構わぬ」といった、底なしの憎悪を煽ることにならないだろうか。

「がん・生と死の謎に挑む」を見る

 13日(日曜日)に再放送された立花隆のNHK思索ドキュメントを見た。立花氏は2年前にぼうこう癌の手術を受けたとのことで、自身の体験を素材としてガン治療の最前線を取材してきた。その結果として得られたのは、人が生きることとガンとの、密接な関係だった。
 現代日本人の半分はガンを経験する。そして3分の1はガンで死ぬ。最大の医療課題であるガンを制圧するために世界中で研究が進められ、ガンの解明に功績をあげてノーベル賞を受けた研究者の数だけでも30人を超えている。しかしまだ決定的なガンの治療法も薬も開発されてはいない。それはなぜだろうか。
 ガンは体内の細胞が異常な増殖をすることで始まる。だから早いうちに発見して患部を切り取ってしまえばいいので、それが今も対策の本命になっている。しかし血流に乗ってガン細胞の転移が進むと、抗がん剤でも進行を止めるのは難しくなる。抗がん剤は通常の細胞も痛めるから副作用も大きい。ガンと正常組織とがあまりにも似ていて、ガン組織だけを攻撃することが非常に難しいからだ。
 研究の最前線を訪ねた立花氏は、ガンは人間にとって必要不可欠な、再生や治癒の能力と同じものであることを知らされる。切り傷が自然にふさがったり、ばい菌が入っても無意識のうちに排除されるのは、この能力のおかげなのだ。ガンが不都合だからとその能力を殺せば、人間そのものが直ちに生きていられなくなる。
 この事実を知って、立花氏の意識には変化が起きる。ガンは最初から人が生きることの中に分かちがたく組み込まれていたのではないか。それが平均50歳以上も生きるようになった「想定外」の事態の中で、表面化しているだけのことではないだろうか。人智を尽くしてガンと戦うのはいいが、人は必ず死ぬ。そこから立花氏は「人には死ぬ力がある」という言葉を引き出し、少し考えてから「人には死ぬまで生きている力がある」と言いなおした。
 話は飛躍するが、坂本竜馬は徳川幕府にとってはガン細胞だった。私は以前から「ガンも身のうち」だろうと思っていたのだが、この番組を見て少し安心した。人が永久に死ねなくなったら、それこそが恐怖だろう。少し前に鼻メガネ先生は、「ガンで死ねない」患者さんのことを書いていた。ナツさんの母上のような老衰死こそ、われわれ老人の希望の星である。

普天間問題・鳩山首相の決断

 普天間基地の問題について、鳩山首相は「年内には決めないことを決断」した。勇気ある決断だったと思う。しかも来年5月までという半年に近い先の期日にまで言及している。これを優柔不断ということは、もうできない。アメリカとの友好・協力関係はさらに発展させたいと思っているが、日本には日本の事情もあるので、「すべて言いなり」にはならない、という明確なメッセージになる。どんなに鈍感なアメリカの外交官でも、このメッセージを読み取れない者はいないだろう。
 賢いと思うのは、同時に辺野古への移転も否定してはいないことだ。これで諸般の事情を勘案するための延期ということで整合性がとれる。しかしこれで辺野古の新基地建設は、ほぼ100%なくなったと私は思っている。私はなぜかガンジーの無抵抗不服従運動を思い出す。私もたとえば行きたくない会合への出席を求められたときなどに、無関係の理由をつけて丁重に辞退することがある。契約が万能だと思っている西欧世界の人たちは、東洋には肌合いの違う「君子の交わり」があることを知らねばならない。
 ただしこれから、さまざまな不満や不信の反応が起こるだろう。アメリカからの報復を心配する人もいるかもしれない。しかし今アメリカが日本への懲罰的な行動に出たら、基地反対から反安保、さらには全面的な反米感情へと火をつけることになる。安保条約50周年の節目の年に、それはアメリカが最も避けたい事態に違いないのだ。
 だから間違っても、普天間問題を内閣不信の倒閣運動に利用してはいけない。辺野古の新基地阻止は、日本がアメリカへの従属から抜け出すための、歴史的な第一歩になるのだから。それだけでも政権交代の意味はあったと言うべきだろう。
 もっとも、宇宙人は融通無碍だから「みなさんが辺野古でいいのなら、それも結構ですよ」と言いかねない。だから私たちは、「辺野古は絶対ダメ、普天間は負担軽減から撤去へ」と言いつづけて、鳩山さんを助けてあげなければならないのだ。国民が政治に参加するとは、そういうことだ。19日土曜日午後6時から7時、新宿西口地下広場の北側、交番近くの柱でのスタンディングに参加してほしい。

労働組合組織率の反転は本物か

 労働組合の組織率が34年ぶりに反転し、0.4ポイント上昇して18.5%になったと先日発表された。パートなど非正規労働者の組織化が進んだなど、労働者の「組合離れ」に歯止めがかかったように見える。厳しい雇用情勢の中で「団結して権利を守る」という意識が高まった結果とも言えるだろう。しかし中身をよく見ると簡単ではない。
 まず、雇用労働者の総数は減っている。分母が小さくなったから率が上昇した、つまり労働組合のない職場で解雇された者が多く出たので、組合員の率が高くなったという要素もあるのだ。UIゼンセン同盟など非正規雇用の多い職場で、パート社員の組織化に力を入れて成果をあげているのは事実だが、賃金の格差があるので、人数が増えるほどには組合費の収入は増えないという話も聞いている。これを転機として労働組合運動がまた隆盛に向かうとは、ちょっと考えにくいのだ。
 日本でも1949年(昭和24)には労働組合組織率は55.8%に達していた。この時代だったら労働組合は労働条件の向上について大きな発言力を持っていた。時には「労働組合の職場支配」が問題にされるほどだった。そこに革命思想もからんでいたから、労働運動はしばしば政治的に利用されて、国民から反発を受けることもあった。
 そこから労働組合を近代的な労使関係の中に位置づけるという流れが始まって今に至るのだが、労組組織率は、ほぼ一貫して低下の一途をたどった。日本の労働組合は、ほとんど企業単位に作られる「うちの会社の組合」だったから、個々の企業内の労使関係に左右される。経営側の力が強くなるとともに労働組合の交渉力は低下した。また産業別や地域別の組織としての活動は相対的に弱かったから、社会的に安定した地位を占めることが難しかったような気がする。しかし労働条件の「相場づくり」において重要な役割を果たしてきたことは間違いがない。
 企業に対する個々の被雇用者の権利を守るために、何らかの組織か機関は必要だと思う。だから「労働組合は任意団体であっては不充分」とする意見もあるが、私もそれに近い。自由に結成される労働組合は理想ではあるが、全体の5分の1にも達しない勢力では限界がある。すべての企業の被雇用者の実態と意見を定期的に把握して経営に反映させるような、公的な「見回り」の制度が必要ではないだろうか。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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