志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年01月

「ウェブ時代をゆく」を読む

 梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)を読みました。この人の前著「ウェブ進化論」を読んだのは、2006年4月、私がブログを書き始めて間もない頃でした。ネット時代の到来により、人間の歴史そのものが大きく影響を受けるほどの大変化が始まろうとしている、そのことの全体像ががわかって、かつ自分がブログによってその一部に参加しつつあることに、深い因縁を感じたことを、ありありと覚えています。
 今回の本には「いかに働き、いかに学ぶか」と副題がついているように、ウェブ時代を前提にして、その中での生き方を指南するという性格があります。前著で新しい時代が来ていることを知らせた上で、次にその新時代における処世訓を述べるというのに近いでしょう。
 序章は「混沌として面白い時代」です。ここでは「オープンソース」の威力に関連して、「人はなぜ働くのか」という根源的な問いかけに至ります。オープンソースに注ぎ込まれる膨大な知恵と努力は、すべて無償で公開されます。そこは強制された労働とは無縁の世界で、「人はそもそも働くことが好きなのだ」という性善説でもとらない限り、説明ができません。自由に発想して縛られずに行動することを好む人には、至福の時代が来ているとも言えるでしょう。
 その一方で、著者は従来型の価値観で構成される世界の存在を否定しません。ウェブ時代は、言わば地上を少し離れた空間に「もう一つの地球」を作り出すのです。オープンソースで偉大な成果をあげたとしても、人は従来の地球と折り合わなければ「飯のタネ」にすることができません。しかしそれはグーグルの例のように、巨大な富を生み出すチャンスでもあるのです。
 この本の後半では、リアル社会とネット社会、つまり二つの地球の間を自由に往来できることを「飯のタネ」にする方法が、おもに若い世代のために語られます。そこで成功するための資質が「努力すること自体が楽しくてやめられない」性格だと言われると、少し抵抗を感じる人もいるでしょう。私としても、ふつうの能力でふつうに働く人のためにも、ネット時代がよいものであってくれることを願わずにはいられません。
 かえりみて、自分の今日このごろがどうであるのかを考えました。私のウェブ時代は、まだ飯のタネにはなっていませんが、暮らしのタネには充分なっていると思います。半分は「ウェブ時代をゆく」人たちの仲間に入れたのかもしれません。

辺野古新基地を許さない全国集会

 日比谷の野外音楽堂で開催された「チェンジ日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会」に行ってきました。この会場は連合の集会などで何度も取材に行った経験がありますが、これほどの満員状態を見たのは初めてでした。
 この会場の椅子席定員は2700名。そこへ通路から後方の立見席を加えて、場内の移動が自由にならないほどの人がつめかけました。ことに参加人数の予測できない市民団体席の混雑がひどかったようです。定刻前から来ても座れなかったということで、近年の労働組合の集会では考えられないことです。主催者発表で6千人ということでした。
 名護市長選挙の結果を受け、壇上には沖縄からの市民代表100人も並んでいました。来賓の福島みずほ党首は、「社民党は普天間基地の県内移設を認めない」と挨拶しました。主催者、現地代表などの報告やアピールも、いずれも熱のこもったものでした。







市民団体の隊列が日比谷公園から出発。



辺野古から帰ってきた大木晴子さん。ブルーのリボンは選挙戦のシンボルだったそうです。



デモ行進は数寄屋橋交差点を通過して、東京駅八重洲口前へ。



この夜の新宿西口で。大木晴子さんが70年安保の西口フォークゲリラのマドンナだったとき、この地下広場は7000人の群衆で埋め尽くされたそうです。この日、西口は、いつも以上の活気に満ちていました。



働かざるもの食うべからず

 「働かざるもの食うべからず」とは有名な言葉だが、最近どうも妙な使い方をされているような気がする。「自己責任」を強調する文脈で理解している人が多いようなのだが、日本の近代史の中で考えるなら、ほぼ正反対の意味で使い始められた言葉なのだ。
 これは共産主義者が資本家を攻撃するときの決まり文句の一つだった。自らは額に汗する労働もせず、美食と談笑をしながら労働者を搾取する契約書にサインする悪徳資本家というイメージである。戦後の労働運動が高まった時期にも、間違いなくこの文脈で使われていた。労働歌に出てくる「全一日の休業は 社会の虚偽を撃つものぞ」といった歌詞にも、その雰囲気は表現されている。
 そもそもこの言葉は新約聖書のパウロの言葉で、それをレーニンが引用したことから社会主義者が使い始めたようだ。だから「働かない者が貧乏なのは自分の責任だから、助けてやる必要はない」という思想とは無縁のものである。レーニンは資本家階級を絶滅させて、国民すべてが勤労大衆となる社会を理想としたのに違いない。
 ところで、働かない者に食わせないと、直ちに人類は絶滅する。子供が育たないからだ。パウロだって、他人の働きに寄生する搾取や怠惰を戒めたのに違いない。先ごろの愚樵さんのブログでも「赤ん坊はもちろん、病人や老人を養うのも『投資』のうち」という説を読んだ記憶がある。たしかに赤ん坊のミルクもおしめも、病人や老人の医療も介護も、果ては葬式でも、みんな社会を回して行く役に立っている。まして失業者が社会に不用の存在として切り捨てられたら、そんな国が成り立つ筈がない。
 最近ではベーシックインカムの話し合いの中で「働かざるもの養うべし」という言葉を聞いた。そこで小飼弾さんの「働かざるもの、飢えるべからず−−ベーシックインカムと社会相続で作り出す『痛くない社会』」という本が出ていたのを思い出し、さっき買ってきた。その第1章の最初に「人間は、何も作っていない」と書いてあるのが気に入った。人間がやっていることは、自然を収奪して加工するだけだ。何かを作り出したつもりでいるのは思い上がりだろう。土地の所有権などは、とんでもない心得違いと知るべきだ。
 まだ整理もなにも出来ていないが、面白いことが始まる。資本主義と社会主義の大相撲を見ていたら、力士ごと土俵が消えてしまったようなものだ。

納税者番号より国民登録番号へ

 政府の税制調査会は、社会保障給付と納税とを一元管理する納税者番号制の導入に向けて、本格的に検討を始めると伝えられている。公正な課税と漏れのない社会保障のためには、これから必要不可欠な制度になるだろう。大事な第一歩だから、国民の好意的な理解を得られるように、ネーミングも大切なのではないだろうか。
 「納税者番号」というと、国にがっちり把握されて、有無を言わせず税金を取られるというマイナスのイメージが先に立つ。べつに脱税の自由が欲しいわけではないが、財布の中身を常に監視されているような感じは、決して愉快ではない。
 かといって社会保障番号では、現在の基礎年金番号と重複するようで無駄な気がする。だからこれは新しい「国民登録番号」と呼んだらどうだろうか。そして日本の国民として生まれたら、その瞬間から、生涯変らない国民の基本的権利の根拠としての個別番号が与えられることとする。折もよく子供手当の給付も始まるから、最初のメリットが手当金の受給になる。こういう基本的な位置づけができれば、国に管理される不安感よりも、国に守られる安心感の方が勝つのではないだろうか。
 国民のすべてが個別の番号により公的に情報管理されることの効果は、はかり知れないほど大きい。資産移動の追跡が容易になるから、不正な所得隠しや脱税が難しくなって、公正な税制が実現することになる。それにより不利益を受ける者よりも、利益を享受する者の方が圧倒的に多いだろうことは言うまでもない。
 将来を考えれば、国民登録にDNA鑑定が加わったら、究極の身分証明システムも構築できる。犯罪捜査に威力を発揮することは容易に想像できるが、ここでも少数の不利益者と多数の利益者が出るだろう。どこまで進めるべきかは将来の課題だが、基本的に私は「集合知」は信頼できるものだと考えている。信頼できないものなら、とっくに人類は滅びていると思うからだ。
 国民登録は、国の中だけでは終らない。やがては世界規模での住民登録が具体的な問題になってくるだろう。地球に生まれた人間は、一人ひとりが固有の番号を持ち、人として尊重される。世界を横断するベーシックインカムが実施され、貧困に苦しむ者がいなくなる。日本の国民登録番号制度は、そこへ向かう最初のステップになる。

戀人に逢ったなどといふ

 東京都美術館で開かれていた「東京書道会展」に、花てぼ(太田雪影)さんが山頭火の句を4尺×8尺の大作で出品していました。「落ち葉を踏んで来て 戀人に逢ったなどといふ」の句を、まことにそれらしい筆使いで表現しています。
 書道展に案内していただいたのは、これで2回目ですが、現代の書道は、その自由な表現法によって、だんだん絵画に近づいているように感じました。絵画が風景や人・物など形あるものを素材とするのに対して、書道は文字の表す意味を素材とすると考えると、造形という点では共通の作業になります。手法としては、書道は原則として紙と筆と墨を使うのが違っているというところでしょうか。
 前回の展示会では、英文の書というものも初めて見ました。文字自体に意味のある漢字や、そこから派生した仮名文字だから書道が発達したので、中国と日本だけのものと思っていたのですが、英文も意味のある単語を連ねたものと考えると、書き方による表現がありえるということを知ったのは、ちょっとした「目からうろこ」でした。そう言えば、英文でも恋文などの感情を込めた手紙は手書きにするものだと聞いたことがあります。
 ところでこの山頭火の句は何を言おうとしているのか、書の前で、花てぼさん、みどりさん、OSAKUMIさんと話題になりました。山道を歩いてきた男が「俺いま恋人に会ってきたぞ」と自慢している場面ではないかということでした。そこまではおそらく妥当な解釈でしょう。では、その男とは友人のようですが、見方によっては山頭火本人でも不可能ではありません。ここから先は私の想像です。
 「逢ったなどといふ」ですから、生身の恋人に会ったわけではありますまい。身を包むような紅葉の中を歩いてきた心の高まりが言わせた「出まかせ」の言葉でしょう。私は山形の山寺と作並温泉の紅葉の中を歩いたときのことを思い出すのです。一年の仕事を終えた木の葉たちの美しい「死に装束」が紅葉なのでした。その落ち葉たちを足の下に踏んで人は歩きます。その感慨は花盛りの春とは違ったものです。
 山頭火に恋人がいたかどうかは知りませんが、人間なら恋心は知っていたでしょう。逢ったなどと言ってみたかった山頭火を、書いてみたかった花てぼさんは、何を思って書いたのでしょうか。しかもこんなにデカ文字で。

ブログ連歌(115)

2279 温暖化 やはりそうかと 大寒日 (建世)
2280  春を先どり ひなげしの花 (みどり)
2281 国会は 攻守を代えて 政治と金 (うたのすけ)
2282  ひねもすのたり 言葉の行き来 (建世)
2283 ぼんぼんを 悪ガキ共が 苛めてる (うたのすけ)
2284  悪ガキ諭す 民も諭せり (公彦)
2285 「知りません」 含羞あるは 生徒のみ (みどり)
2286  君子は知るを 知ると為すなり (建世)
2287 気が滅入る 他にやること あるだろに (うたのすけ)
2288  本当のこと 知れぬばかりに (建世)
2289 検察の 身にも罪ある 人なれば (みどり) 
2289B 夢に生れ 夢に生きては 夢に死す (玉宗)
2290  大河のごとく 歴史は流れ (建世)
2291 同じこと 問うて答えて 実りなし (うたのすけ)
2292  儀式のごとく 耐えて春待つ (建世)
2293 さよならと 言えば去れない 寒の路  (久美)
2294  ひとり急げば 紅梅に会う (建世)
2295 花一輪 会えるこの世に 我生まれ (ハムハム)
2296  しばし佇む 黄昏の空 (みどり)
2297 冬晴れの 平野の果てに 夕日落つ (建世)
2298  辺野古の夕陽 永遠に変らず (うたのすけ)
2299 何故にまた 小さき命 親が断つ (うたのすけ)
2300  文明の世に 人心枯れて (建世)

名護市長選挙の結果で思うこと

 沖縄・名護市の市長選挙では、辺野古の基地に反対する稲嶺氏が勝利した。しかし僅差の勝利であり、もともと辺野古は広い名護市の東端に位置する小さな岬に過ぎない。それでも辺野古に普天間の代替基地を認めるかどうかは、日本全国の関心を集める大きな問題になった。
 この選挙結果で、辺野古に普天間の代替基地を作る案は、また一段と実現が難しくなった。それでも鳩山首相をはじめとする政府関係者のコメントは、いまいちはっきりしない。「5月には結論を出す」と言うばかりである。もっとも、外交のからむ問題を地方選挙の結果だけで決められるわけもないので、それしか言いようがないのだろう。
 なぜ5月に日限を決めたのかも、よくわからないのだが、ことはアメリカ軍との交渉ごとだから「5月には日本側の案を決めてアメリカ側と交渉を始める」ということなのだろう。要するに、あらゆる可能性を考えることにして時間を稼ぐようにも見える。アメリカとの交渉が始まれば、また最初から一つずつ候補案の検討を始めるのかもしれない。その間はずっと普天間の基地は残ることになる。しかし普天間が居心地のよい基地でないことは、アメリカ側が誰よりもよく知っているだろう。ああだこうだ言っている間にも、アメリカ軍のストレスは溜まるに違いない。
 米軍海兵隊は侵攻軍だから、日本を守るために駐留しているわけではない。日本の予算をサービスしてまで長居していただく理由はないのだ。前にも書いたが、地の利、時の利は我にあるのだから、普天間の居心地がさらに悪くなれば、海兵隊はアメリカの都合で出て行かざるをえなくなる。それには移転計画を急がないで、普天間の迷惑防止への要求を強めて行くのがいい。
 私も時々は宇宙人になることがあるが、鳩山首相の考えていることは、正直に言ってよくわからない。宇宙人は個性が強いから、相互の通信能力は決して高くないのだ。私が首相と入れ替わったら、「海兵隊の基地なんか、どこに行こうがたいした問題じゃない。それよりも、核兵器の廃絶を早く進めよう。」とオバマに通信を送って煙に巻く。
 大木晴子さんが辺野古から帰ってきたら、岬の上にUFOがホバリングしていなかったかどうか、聞いてみよう。

田中角栄は有罪だったか

 表題の質問に自信をもって答えられる人は、読者の中に何人いるでしょうか。私も答えられない中の一人でした。試しに妻に聞いたところ「有罪だから刑務所に入ったんでしょ」でした。元首相が拘置所に入れられたことは、誰でもよく知っているのです。つまり「悪いことをしたから捕まったんじゃないの?」が記憶に残り、そしてそれがすべてなのです。
 私も知らないので調べてみました。その気になれば方法は簡単で、ウィキペディアで充分です。ロッキード社の飛行機を全日空に買わせたという「ロッキード事件」で贈収賄に問われ、元首相が逮捕されたのは、「田中金脈」が明るみに出て辞職した2年後の1976年(昭和51)7月のことでした。この時点から「田中容疑者」として拘置所に入れられたわけです。しかし翌8月には保釈されています。そしてその後は、選挙のたびに立候補してトップ当選(当時は中選挙区)を果たしています。
 ところで肝心の裁判では、6年後の1983年10月に東京地裁で「懲役4年(実刑)、追徴金5億円」の判決が出て、即日控訴しました。控訴審は1985年から始まったのですが、その以前に田中氏は脳梗塞で倒れ、言語障害を残していて、裁判に出席することはありませんでした。第二審の東京高等裁判所は、1987年7月に控訴棄却の判決を出しています。弁護側は即日上告の手続きをとりました。
 その後1990年に田中氏は立候補をやめて政界を引退し、1993年12月に死去しました。享年75歳、この年には非自民の細川連立内閣が成立していました。ロッキード事件の控訴審は、被疑者の死亡により、公訴棄却となりました。起訴から17年目のことでした。
 田中角栄氏が有罪か無罪かは、確定することなく終りました。ですから田中氏は犯罪者として刑務所に服役したことは一日もなかったのです。ただ死後に確定した関連裁判の結果により、元首相も有罪と見なされたであろうと推定できるだけです。
 これが裁判の経過なのですが、どんな感想を持たれるでしょうか。最初の「逮捕・起訴」の衝撃が大きくて、あとの裁判の経過は、かすんでしまうのではないでしょうか。ここに「逮捕・起訴してしまえば政治的には終り」という危険があるのです。制度上は「第1回表の攻撃」に過ぎなくても、です。
 アメリカには、起訴しないことを条件にして証言を引き出す「司法取引」の制度があるそうです。こうした政治がらみの複雑な事件の真相を明らかにするためには、参考になる方法ではないでしょうか。

検察対政治家の正しい関係とは

 小沢幹事長の事情聴取後の会見について、いろいろな感想が述べられています。発言者の立場によって、ほぼ正反対の意見も出てきていますが、私の印象に残った違和感は、小沢氏の言葉づかいでした。どういうことかというと「……と説明を申し上げました。」という言い方です。奉行所で役人に問われているのでもあるまいし、検察の担当官は職分として質問をしているのであって、身分の差があるとしたら、むしろ政権党の幹事長は検察官の上司に近い立場です。「……の質問があったので、……のように答えました。」という水平の感覚であるべきだと思いました。
 今回、一つの極端な例としては「逝きし世の面影」さんブログの次の部分に、私は大笑いしてしまいました。「民主さんちの引っ越した家に居ついている番犬は愛想が悪すぎるようです。旧の飼い主に忠誠を尽くそうとして新しい飼い主に噛み付いているのですから可哀想だが保健所送りしか方法が無いでしょう。」(引用終り)ちなみに、この記事のタイトルは「何れ血を見るまで終わりそうに無い」でした。
 私は血を見るのは好きではないので、次のような「チャーチルと警官」の話の方が好きです。古いリーダーズダイジェストあたりの記事の記憶かと思うのですが、チャーチル首相の車が交通違反で警官に咎められたときのことです。運転手が「首相が乗っておられます。」と言うと、警官は少しも動ぜず、「チャーチル首相が法律に違反する筈がない。思うにそれは偽者であろう。」と言いながら、所定の手続きを進めたとのことです。そして、チャーチルは「あの警官を褒めてやれ」と言ったという後日談がついていました。
 交通違反と政治資金の問題とでは、似ているとも言えるでしょうし、似ていないとも言えるでしょうし、ここでもまた立場の違いで判断が変ります。ただ私に言えることは、国の政治の根本を論議することと、政治家個人の法律違反の有無を論じることとは、同じ次元にはないということです。その意味では、今の国会の主要な任務が何であるかは明らかです。
 法律を守ることにあまり熱心でなさそうな政治家が嫌われるのは、むしろ健康なことです。しかるべく評価されて政界から去っていただくのがよいのです。しかしそれを決めるのは、あくまでも有権者の仕事です。検察とマスコミは、その判断のための正しい情報を出すだけでいいのです。

ベーシックインカムのすすめ

 昨夜の「老人党護憲+」の例会のテーマはベーシックインカムで、この問題を研究している北村るみ子さんを中心に話し合いました。ベーシックインカムとは、最低生活に必要な費用は、無条件に国民全員に支給することを基本とする政策論で、略称でBIと表記されることもあります。
 冒頭で荒唐無稽な暴論と感じる人がいましたら、少し頭を冷やして考えてください。今や先進国では基本的に餓死する人はいません。餓死させていいと思う人もいません。つまり結果的に最低生活は守られている状態です。ならば、最低生活の保障を前提とした政策を立てても、何の不都合もないのです。これは社会主義でもありません。経済関係は資本主義のままなのです。
 さて、具体的な計算から始めます。国民全員に、月額で大人は8万円、子供は4万円のベーシックインカム(BI)を支給することとします。これで生活保護程度の暮らしは保障されます。もちろんどんな金持ちにも区別なく支給します。その代わりに、すべての個人所得の半分は税として納めることとします。(現代日本の場合で計算すると45%でいいそうですが、話を簡単にします。)
 さて、これが実施されると、どんなことが起こるでしょうか。まず、生活保護制度は廃止されて、誰も「審査されて助けていただく」ような引け目を感じなくてよくなり、行政の手間もなくなります。BIがあるのですから働かなくても生きては行けますが、働く能力のある人だったら、少しでも働いて暮らしをよくしたいと思うでしょう。所得の半分は自分のものになるのですから、働くほど得になるに決まっています。すると、今では生産性が低くて誰も手を出さないような仕事でも、仕事として成り立つことになります。山村の仕事やボランティアに近いような仕事も活性化するでしょう。
 よい給料を貰っている正社員などは、所得の半分が税では不満だと思うかもしれませんが、だからといって、やりがいのある仕事をやめはしないでしょう。働くほど所得が増えることに変りはないし、失業や転職があっても安心で、いやな仕事を無理に続けなくてもよくなります。
 この制度の最大のメリットは、課税も給付も、行政事務が非常に簡単になることです。労災・医療保険以外の社会保障制度の膨大な事務が、ほとんど不要になるからです。そして不安の少ない安定した社会が実現するでしょう。これは国際的な提言運動でもあります。ドイツフィルム制作(字幕つき)の解説映画もあります私は以前から興味があり、かなり正解に近い未来への処方箋だと思っています。

検察の職権乱用を止める力

1.私は今、梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」を読んでいます。
2.動画サイトやツイッターなどが、一般に普及してきました。
3.新しいメディアに関心を持つ人が、私の身近にいてくれます。
その結果として、昨日は「Infoseek 内憂外患」の「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」を見ることができました。この18日に実施され中継された「神保町フォーラム」主催のシンポジウムを録画版にしたものです。
 出演者は
魚住昭 大谷昭宏(ジャーナリスト) 岡田基志(弁護士) 郷原信郎(弁護士) 木村三浩(一水会代表) 佐藤優 鈴木宗男(新党大地代表) 田原総一朗 平野貞夫 前田裕司(弁護士) 宮崎学 青木理(ジャーナリスト・司会)の面々です。
 ノーカットの録画は6部に分けて合計3時間10分あります。これを連続して視聴するのは、決して楽なことではありません。しかしそれだけの価値はあると思いました。「ウェブ時代をゆく」の言葉を借りれば、「パブリックでオープンでフリー」な空間に「もうひとつの地球」が立ち現れるのを実感するためには、ある程度の時間が必要なのです。
 その「もうひとつの地球」の風景は、私たちがこれまで見慣れていたものとは、ずいぶん違っています。日ごろのテレビや新聞では報じられることのない世界だからです。しかし新しい地球を知ってからだと、今の地球のことがよくわかってきます。本当は言葉だけでは無理なのですが、少しだけ説明しましょう。
 警察、検察、裁判所を連ねる「法務官僚」の世界には「族議員」がいません。長年の政・官の癒着も、法務の分野には深く浸透しませんでした。法務の独立は保たれたのですが、それは独善の危険と紙一重を意味します。それだけに公正な自浄意識が求められるのですが、所詮は人間の集団です。長期間放置すれば恣意的な捜査や冤罪を作り出す構造に至るのは避けられません。その弊害が目に余るようになったのが現在の姿です。
 これまでに得たすべての知識を総合して、私は今このように考えます。今の検察の、行政・立法府への干渉は行き過ぎています。これに対抗する力は、憲法に求めるしかありません。第50条は、こういう時のために設けられているのです。私の結論は、以下の通りです。
 衆議院は、超党派の議決をもって、石川知裕議員の身柄解放を求めるべきである。

安保50年・なぜ検証しないのか

 政治資金の問題で国中がかかり切りになっている状態でも、国内外の問題は待ってくれない。あれほど大騒ぎしたインド洋の給油打ち切りも、ろくに話題にさえならなかった。「テロとの戦いの生命線」などと宣伝していたのは、いったい何だったのだろう。
 日米安保50年の節目の年だというのだが、出てくるニュースは判で押したように「日米同盟の深化で合意した」ばかりである。鳩山マニフェストにあった「対等な日米関係」は、どこへ行ったのだろう。「同盟の深化」は「同盟の強化」ではないから見直しを含むと言葉遊びをしているのだろうか。どんな言葉で相手に伝えているのだろう。
 日米安保が対等な日米関係でないことは誰でも知っている。非武装の日本をアメリカ軍が守る約束だった。それから50年たって、日本は世界でも5指に入る軍事力を備えたというのに、なぜ根本からの見直しも検証もしないで済ますことができるのか、理解できない。
 よく日本人は平和ボケと言われるが、アメリカ軍の駐留があまりにも長く続いて日常の風景になったために、国防を自分の問題として考える習慣をなくしてしまったのかもしれない。それは旧来の国際関係なら欠陥になるのだろうが、現代の世界では貴重な「平和国家としての信用」になっている。
 今の国際情勢の中で、臨戦態勢の強力なアメリカ軍基地を日本国内に提供し続けなければならない理由は何なのか、それこそを検証して国民に納得できる説明をする必要があるのではないだろうか。
 幸いにして島国の日本には、海という有利な防壁がある。海を渡って侵攻してくる敵に備える防備は厚くすることを要しない。日本には最適で国民負担の少ない防衛の形がある筈である。
 そこで気になるのが自衛隊とアメリカ軍との癒着である。最新鋭の武器の運用については、日常的にアメリカ軍の指導を受けていて、アメリカからの情報を遮断されたら自衛隊は動けないというのは本当だろうか。もしそうなら、それは独立国の防衛力と呼ぶことはできない。そういう状態が「日米同盟」なら、深化させる前に検証する必要がある。日米の対等を掲げて政権についた鳩山政権には、そうした問題を国民の前に明らかにする義務があると思う。

ブログ連歌(114)

2259 肩越しに どんどの火の粉 奪ひ合ひ (玉宗)
2260  祭りの熱気 子らはかがやく (建世)
2261 小沢さん マスク取っても 同じこと (うたのすけ)
2262  新型国会 横目に選挙 (建世)
2263 政治家が 不動産やを 兼ねるとは (うたのすけ)
2264  鳩山母さん いなかったので (建世)
2265 便利なる 金より怖い もののなし (玉宗)
2266  そは如何にして 生まれしものや (みどり)
2266B  好機到来 手ぐすね引いて (うたのすけ)
2267 よき主人 得てこそ金も 生きるなり (建世)
2267B 政権は 金に纏はる どんづまり (玉宗)
2268  金権さらば 鳩よまた飛べ (建世)
2269 一郎と 心中するほど 義理ありや (建世)
2270  時には勇気を 拍手喝采 (うたのすけ)
2271 参院戦 勝ちたかったら 身も捨てよ (建世)
2272  馬しょくを切って 浮ぶ瀬を得よ (うたのすけ)
2273 乗りにくい 馬に大将 ぐらついて (建世)
2274  腹で反芻 そして言葉に (うたのすけ)
2275 荒海の 民主CM 思い出す (建世)
2276  民へ貢献 初心忘るな (みどり)
2276B  何が何だか さっぱり分からぬ (うたのすけ)
2277 ああしんど わてほんまに よういわんわ (花てぼ)
2278  ごちゃごちゃ言わんと 仕事しなはれ (建世)
2279 温暖化 やはりそうかと 大寒日 (建世)
2280  春を先どり ひなげしの花 (みどり)

検察の公正・うたのすけさんへご返事

 このところ政治のことばかり熱をあげて書いていたら、うたのすけさんから「ブログ連歌」に「何が何だか さっぱり分からぬ」という投句をいただきました。横丁の隠居としては、隣町の長老にご返事しなければなりませぬ。あの温顔が頷いてくださるといいのですが。
 地検特捜部の捜査は、政治資金報告書の不実記載という微罪から出発しましたが、今は企業から政治家個人へのヤミ献金の摘発へと狙いが絞られているようです。小沢氏側は防備に自信があるようですが、立件されたとしても、裁判で結論が出るのは数年先のことになるでしょう。問題は、今のタイミングでこのように持ち出すことが、そのまま強力な倒閣運動になることです。そこに左右からの関心が集まるのです。
 企業の政治献金が政治をゆがめる弊害は目に余るものがあります。そこで政治家個人に対するものは禁止にしたのですが、多くの抜け穴が残りました。そのルールを作ったのは自公政権です。経営者団体や企業から献金と要請を受けて、政権党が労働者保護規制を緩和したのなどは、庶民の感覚としてはワイロに当りますが、咎めはありません。その他にも広いグレーゾーンがありますから、5年前までさかのぼって全部の政治家の政治資金報告書を厳密に調べたら、おそらく自民党の政治家の中から何倍もの容疑者が摘発されるでしょう。
 だから小沢さんだけ取り上げるのは不公平だと言ってしまうと、それでお終いですが、続きがありますので聞いてください。金がなければ政治はできない、うまく金脈を作るのが政治家の才能というのは、過去にはあったかもしれませんが、これからの政治には好ましくないと私は思います。今回の政権交代にどれほどの金が投じられたかは知りませんが、少なくともすべてが金の力でこうなったのでないことは確かだと思います。小沢さんの剛腕はご苦労さまでしたが、このあたりで金脈との縁は切った方がいいのではないでしょうか。
 その決意表明の一つとして、役職から退き、検察との対応に全力を注がれたらいかがですか。ここまで検察への批判が高まっての上なら、「身を捨てて政権を守った」として、小沢さんを惜しむ同情が集まるのではないでしょうか。その後のことは明るく考えましょう。鳩山さんの母上の資金が尽きるまでには、「良い政治をするのに金は要らない」とするフレッシュな政治家と賢い有権者が、この国の政治を担うようになることでしょう。

地検特捜部というところ

 政治家が犯罪を犯すと、特捜部が動き出して捜査や逮捕などをすることが多い。当り前のことだと思っていたが、この機会に調べてみた。なぜかというと、新聞などを読むと、東京地検特捜部という役所には、とても口の軽い人たちが多いことがわかったからだ。
 逮捕されて取り調べられている被疑者でも、あるいは参考人として任意に事情聴取に応じている人でも、どんなことを話しているのか、どんな心理状態なのかまで、細かく新聞に報じられる。それらの記事をよく読むと、必ず「……と話していることがわかった」と、伝聞の形で書いてある。テレビなら「関係者への取材によると……」となることが多い。要するに直接に聞いたことではないし、公式の記者会見で発表されたことでもないのだ。これがいわゆる「当局による恣意的な情報のリーク」である。
 ふつうは犯罪の摘発は警察の仕事であり、被疑者はまず警察署内で取調べを受ける。被疑者の人権もあるし、取調べの内容は安易に外部に漏れたりしない。容疑が固まった時点で検察官に引き渡されることになり、これが「送検」である。ところが特捜部はこの手続きを跳躍してしまうのだ。
 地方検察庁は裁判所では地裁・家裁に対応する3審制の第1審に相当するが、東京と大阪と名古屋にだけ例外的に特別捜査部が置かれている。中でも東京地検特捜部は、政治家の犯罪や大規模脱税・経済犯罪など、警察の手に余るような大きな犯罪を扱うので「日本最強の捜査機関」と呼ばれてきた。国民も正義を貫いてくれる最後のとりでとして信頼してきた雰囲気がある。私も今回の小沢金脈問題が起こって初めて調べてみる気になった。
 犯罪捜査のシステムとしては、地検特捜部がやっていることは、最初の着手に過ぎないのだ。どれほどの罪に相当するかを確定するまでには、3段階の裁判を経なければならない。しかも被疑者には「裁判の確定までは無罪と推定される」基本的人権がある。それでも特捜部に逮捕されたという事実は、マスコミを上手に操れば、それだけで回復不能のイメージ失墜を政治家に与えることができる。そのような権力の行使が公正であることは、どうして担保されるのか。
 結論を言えば、人間のやることに絶対はないと思う。「検察は公正」という神話を作ってはならない。まして地検特捜部は3段階の最下位の機関なのだ。
(追記・この問題の決定版的な論説として、江川紹子氏の「東京地検特捜部の判断は常に正しい、のか」がお薦めです。)

ムーア監督の「キャピタリズム」を見る

 マイケル・ムーア監督の話題作「キャピタリズム」を見てきました。期待以上の見ごたえがありました。この監督の作品は、泥臭いほど強烈なメッセージ性を押し出す一方で、現代一流の映像処理や洗練された音楽・歌の使い方などで、緻密な映画作品に仕上げています。やはり類のない才能を発揮している映画監督だと思いました。
 断罪されているのは資本主義そのものです。資本主義は、アメリカ建国の民主主義とも、キリスト教の価値観とも、全く相容れないものだというのが結論です。映画の最後に高らかに歌われるのは「インターナショナル」の全歌詞です。もしこの映画が、治安維持法の施行されていた昭和20年までの日本で作られたら、間違いなく監督は特高警察に逮捕されて獄死するでしょう。こういう映画が堂々と作られている事実は、やはりアメリカの強さの一部分だと思わざるをえません。
 この映画を見た収穫の一つは、アメリカでも富裕所得への最高税率が90%だった時代があったのを知ったことでした。それが新自由主義で資本の成長を至上価値としたところからすべてが狂ってきた。マネーはマネーを吸い寄せてふくらむ一方で、「ふつうに働いてふつうに暮らせる」社会を破壊してしまった。資本のメカニズムは最貧層まで利用し尽くすことで破綻したが、結局は税金で救われた。そして貧困だけが残っている。この映画を見ると、各種の民間保険や住宅ローンを含むすべての金融商品が、庶民の首を絞めるものであることを知らされます。
 映画はオバマ大統領の「チェンジ」に一筋の希望を見出し、破産した自宅や職場を占拠して銀行と戦う人々を描いています。そして「ぼくだけではできない」と観客に決起を呼びかけて終ります。しかしオバマ登場から1年を経過した今、現実のムーア監督は落胆と苦悩の中にいるとのことです。アメリカの2大政党制の中で、第3の政党が結成されて伸びる可能性は、限りなく小さいでしょう。
 私がこの映画を見た感想は、日本は資本主義「先進国」であるアメリカの後を、決して追ってはならないということです。アメリカが本場の資本主義は、資本の支配で人が働かされるシステムでした。資本というマネーの固まりは、注意深く制御しながら使うときに人の役に立つものです。それさえできれば、その制度が、どんな名で呼ばれようといいのです。

政権と検察が全面対決

(熊さん)ご隠居、どうもえらいことになりましたね。鳩山政権は検察と全面対決だって新聞に出てますよ。
(ご隠居)わしも驚いたよ。鳩山さんも思い切った発言をしたものだ。小沢さんを信じて突っ走るってんだから、並みの覚悟じゃないな。党大会という内輪の場所だから雰囲気が盛り上がるにしても、こんな場面は今までに見たこともないな。
(熊)鳩山さんは総理大臣だから、江戸時代なら将軍様ですよね。岡っ引きが側近の老中にいちゃもんつけたのはけしからん、てことですかね。
(隠)江戸時代なら恐れ多くてこんなことにはならんだろうが、今は3権分立だから、司法の第一線の検察は、政府から直接に支配されてはいないんだよ。「悪いことは悪い」で、相手が誰であろうと、ちゃんと仕事はしますと言いたいんじゃろ。それも間違っちゃいない。しかし、ことは簡単ではないようだ。マスコミには乗らない情報も、いろいろ出てきている。
(熊)へえ、どんなことがあるんです?
(隠)これは官僚組織が検察をトップに立てて、国民が選んだ政権を倒しにかかった全面戦争だという見方がある。その考え方で見ると、東京地検は戦前の日本で2・26事件を起こした青年将校と似た位置づけになる。「憂国の志」から決起して政治家を暗殺し、軍国主義への道を開いた事件だったんだ。民主党が進めようとする官僚組織の改革に抵抗する危機感という文脈で見ると、よく説明できる部分もあるんだ。だがもちろん時代が違うし、違法な活動でもないから、そのまま全部を認めるわけには行かない。
(熊)去年の「小沢おろし」のときは民主党は野党だったから、今と似てはいても、そこは違いますね。
(隠)そうだ、今の民主党には政権党の力があるし、それだけ重い責任もある。何より大事な国民生活の安定に活躍して貰わないと困るときなんだ。そのときにふりかかった難儀をどう切り抜けるか、ここは目が離せないことになったな。鳩山さんの決断が「吉」と出るか「凶」と出るか。 
(熊)ご隠居の昨日の台本の筋書きは変りますかね。
(隠)大筋ではわしの考えは変らんが、決着をつけるのは、国民みんなの意見だな。

(追記・3権分立の説明が誤っていました。検察は裁判所ではないので、司法ではなくて行政の一部です。制度上は指揮権は内閣にあります。それだけに異常な事態です。)

元秘書逮捕・あまりにも劇的な

 東京地検特捜部は、小沢事務所の秘書だった石川議員らの逮捕に踏み切った。土曜日朝刊のトップ記事になる絶妙のタイミングで、有能な演出家が差配しているかのような鮮やかさである。つくづく政治とはドラマチックなものだと思ってしまう。これで現民主党政権と全面的に対決するリアクションの構図が鮮明になってきた。民意を振りかざして居直る剛腕・小沢に対する、正義の味方を標榜する検察の意地と言い換えてもいい。
 全体の構図が、昨年春の「小沢おろし」と、あまりにもよく似ている。考えてみれば、あれ以来同じ劇が未完のままで続いていたのだった。小沢代表を辞任に追い込んで鳩山代表を登場させた第1幕は、結果として民主党の完勝に終った。金脈政治からの決別を期待した有権者の支持を集めることができたからだった。しかし小沢氏は自分の手法のすべてが国民から許され支持されたと自信を持ち過ぎたのかもしれない。まさか5年前の土地購入が致命傷になり得るとまでは思わなかったのではないか。今の新聞を見たら、大半の国民は今の事件だと思い込んでいることだろう。
 台本作家としては、ここからの第2幕を構想しなければならない。小沢氏がいくら有能でも、醸成された世論を敵に回しては勝ち目がない。ここは「民主党を磐石にするために」と、表舞台から退場して見せる選択肢があるのではなかろうか。ここまでは昨春と全く同じだが、その先は少し違う。幹事長という要職の後任が難しいのだ。菅直人か長妻昭がもう一人いるといいのだが、それぞれ本業で手一杯だろう。誰が適任かは見当がつかないのだが、とにかく金脈政治からの決別を感じさせる人であればいい。
 本当の問題はその次なのだ。多少なりとも起こるであろう民主党への失望が、どちらへ向くかということである。自民党への回帰に向かって欲しくないことはもちろんだが、役員の交代だけですべての不満が吸収できるとも思えない。金権の臭いを払拭する政治改革を、雑音に負けずにどしどし進めてもらうことは当然としても、民主党内および連立与党内から、清新な政策グループが立ち上がって欲しいのだ。
 そのグループのキーワードは「企業・団体からの政治献金は完全禁止」になる。これを来たる参議院選挙の第一の公約に掲げてほしい。政党としては、身軽な社民党の方が早く徹底できるかもしれない。幸いにして参議院選挙では2大政党以外の政党にもチャンスが大きいから、これは平和・護憲勢力を伸ばす原動力になる。劇に対するには、別な新しい劇があるのだ。

日航株が紙くずになる日

 日本航空の経営破たんが決定的となって、株価が6円7円というレベルになり、それでも活発に取引されるという珍現象が起きている。ネット証券の気配チャートを見たら、売りにも買いにも予約が並んでいて、買値1円のところには膨大な買い注文が殺到していた。1円なら1万株でも1万円だから、万一にも株主への補償が行われれば、大儲けできると期待しているのだろう。まじめに株を持っていた人には、何ともやりきれない状況になった。最高値は366円していた株である。
 日航の株券の額面は50円だった。古い会社にはこの50円株が多い。このほかに500円、50000円の額面があって、私が昭和50年(1975)に会社を作ったときは、5万円の株券を60枚印刷して知人・友人にも買ってもらい、300万円の資本金を用意した。専門の印刷所に依頼した立派な株券だったが、偽金作りをしているような妙な気分だった。数年後に1割の配当ができるようになり、株主総会が支援株主の懇親会になるという理想像を描いたのだが、間もなくそれでは自由な経営ができないと悟り、無配が続いたこともあって、結局はすべて額面で買い戻した。
 私が目指したようなものが株式会社の本来の姿だと思うのだが、その後株は会社の経営に対する権利の一単位と考えられるようになり、額面は意味を失って、2001年からは無額面が原則になった。そして旧来の株は、50円株なら1000株、500円株なら100株単位に、つまり5万円を一単位として取引されるようになり今に至っている。さらに昨年2009年の1月からは、紙に印刷した株券が廃止されて、すべて電子化された。株の「情報化」が完了して、すでに株券は存在しないのだ。
 現在の一般の人たちの株取引を見ていると、有望な企業に投資して経営参加するといった意識は非常に少ないようだ。大半が「安いときに買って高いときに売れば儲かる」だけの商品取引、つまりマネーゲームになっている。同じ会社の株を持ち続けても、値動きを見た売り買いで利ザヤを稼ぐ人もいる。それでも平均して銀行の利子よりはいいし、頭の体操にもなるから面白いというところだろう。たまたま安心だと思って買った日航株がババになっても、あまり文句は言えないかもしれない。
 ところで問題の日航株だが、債務超過の会社を管財人が整理するのだから、資産価値はマイナスになる。ただし株主は出資以上の責任を追及されることはなく、ペナルティーも課せられないから、それでよしとしなければならないだろう。

強制捜査で小沢おろし第2幕

 東京地検が小沢金脈問題で強制捜査に乗り出し、大きなニュースになった。国会開会の直前というタイミングだから、政治への影響は大きいだろう。昨年から始まったこの問題は「国策捜査」とも呼ばれたが、政権交代しても幕引きにはならなかった。小沢氏が事情聴取に応じないので止むをえないという、小沢対検察の意地の突っ張り合いのように見える。検察としたら与党の幹事長でも遠慮せず公平にやっていると言いたいかもしれない。
 争点は政治資金報告書への虚偽記載が始まりだった。相手がゼネコンだから、公共工事の受注をめぐる贈収賄を連想する人が多いだろうが、小沢氏の立場から見て、5年前の献金をそこまで発展させるのは無理のように思われる。それでも政治家とゼネコンとの癒着が好ましくないことは言うまでもない。小沢氏は古い体質を残している政治家の一人だった。
 だから政治資金の透明化を求めるのは良いことなのだが、道路で速度違反を摘発するように「狙い撃ち」も可能になる。その文脈で見ると、民主党内閣に打撃を与えたい動機を持つ勢力は少なくないだろう。それに国際情勢の輪をかければ、それこそ暴露小説の舞台になるから私は関知しない。しかし結果として起こるであろう政治の流れを考えると、かなり不気味な感想を持たざるをえなくなる。
 今度の国会では民主党による新しい「治世」の方向を定めなければならないのだが、普天間日米問題に加えて小沢金脈というセンセーショナルな争点が生まれてしまった。マスコミがこれから大量に流すのが「説明責任」「政治不信」といった言葉になるのは容易に想像できる。政治の入口が争点になって、政治の中身に関心を向ける人が少なくなったら、得をするのは誰だろうか。その中で小沢氏は夏の参議院選挙対策にかかりきることになる。
 ここで有権者がすべきことは、政治の中身がどう変って「コンクリートから人へ」が実現するのかを、冷静に見きわめることだと思う。官僚や閣僚が妥協して改革を怠らないように監視し、激励と批判を続けなければならない。それができなければ、政権交代の果実を何者かに横取りされることになる。
 それにしても、この種の問題を「これで最後」にするために、企業・団体からの政治献金の全面禁止を急ぐべきではないだろうか。これが実現したら、自民党政権の復活は、ほぼ完全に不可能になるだろう。
(追記・当ブログでは「小沢おろし」について別に4件の記事を書いています。右下の「このブログ内の検索」で「小沢おろし」と入力してください。)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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