志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年03月

「ノモンハン戦争」を読む(2)

 日露戦争の後、ロシアでは共産革命が成功してソ連が誕生していました。モンゴルはソ連からの強い圧力のもとに「強いられた革命」で人民共和国となり、民衆が信仰していた仏教も弾圧されました。形は独立国でも国際的な認知は得られず、実質はソ連に支配される傀儡国家だったのです。そのモンゴルの指導者から見れば、満州国が中国から分離されて在住のモンゴル族に一定の自治が認められたことは、民族の独立回復の希望でもありました。
 一方、ソ連から見れば、モンゴル族が国境を超えて一つになろうとするパン・モンゴリズム(汎蒙古主義)は、辺境の治安を乱す許しがたい反乱でした。信望の厚いモンゴルの指導者たちが、次々に反革命の罪で処刑されたり、モスクワに招かれたまま消されたりする事例が続いていました。
 さらにノモンハン戦争の重要な伏線として、「田中上奏文(または田中メモ)」の存在があります。これは昭和初期に首相の田中義一が昭和天皇に提出したとされる文書で、大陸への大規模な進出で日本の勢力圏を拡大すべきことを進言しています。ただし日本語の原文が存在せず、日本では捏造とされているのですが、アメリカ経由で中国にもソ連にも流出し、日本に対する警戒心を高めていました。そして日本の現実の政策は、その通りに進行していたのでした。
 こういう状況で発生したのがノモンハンでの国境紛争です。当初は満州国軍が「自分たちに任せてほしい」と強く進言していたにもかかわらず、関東軍の参謀だった辻政信らは日本軍の威力を示すチャンスととらえて、本格的な介入に乗り出しました。現地部隊に大幅な裁量が認められていたのは、陸上の国境線というものに対する日本軍の認識の甘さがありました。客観的な資料や慣行を重視せず、独自の判断で行動することを認めていたのです。
 戦闘の初期に、日本軍はハルハ川に橋を架け、自覚的にモンゴル領内へ進攻しました。ソ連軍がこれを本格的な日本軍の戦闘開始と理解したのは当然です。最新装備の精鋭部隊を送って対抗しました。これに対して日本軍も戦力の「逐次投入」を行って苦戦を続けたというのが、この戦争の全体像です。満州国軍もモンゴル軍も、たちまち主役ではなくなって後方の支援程度の役回りになりました。この戦争で戦死したモンゴル兵の数は、わずか237名だったと記録されています。

ジェームズ・ブラッドリー氏の講演を聞く

 「硫黄島の星条旗」の原著者、ブラッドリー氏の講演を、国際文化会館で聞きました。ブラッドリー氏は、有名な「海兵隊員が山頂に星条旗を立てている写真」の中央にいる兵士の子息です。国際文化会館は、1952年にロックフェラー財団を始めとする諸団体により設立された財団で、私はネットで知って初めて参加してみました。
 昨夜の講演会はアメリカ大使館と共催ということで、聴衆の4分の1ぐらいは在日の諸外国の人々でした。テーマは近著 The Imperial Cruise に描かれているアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の世界戦略で、彼は日本が朝鮮を植民地化することを歓迎していたというのです。当時は、植民地を持つ強国になるか、植民地にされる国になるかの、二者択一の時代でした。しかしブラッドリー氏は、もちろんそれを批判的に語っています。
 むしろ講演よりも面白かったのは、最近の日米関係などが話題になった自由討論の時間でした。ブラッドリー氏は「自分は外交官でも政治家でもない」と何度も断りながらも、ユニークな平和論を展開してくれました。アメリカの大学で学生に「イラクかアフガニスタンに行ったことがあるか、知人がいるか」と聞いたところ、手をあげる者が一人もいなかった、だから戦争ができたというのです。世界から戦争をなくすには、世界中に知人を持つのがいい。自分がアメリカの帝王だったら、子供たちの半分以上は強制的に世界各国に留学させる。そうすれば本格的な戦争はできなくなって、すべての紛争は「内戦」になると話していました。
 さらに日米関係については、「日本に4万人ものアメリカ軍が、いまだに駐留しているのは理解できない。アメリカ本土に戻るのが当然」という意見でした。これに対して「日本の安全保障と核の傘はどうなるのですか」と質問したのは、会場の日本人でした。ブラッドリー氏は「日本はこれまでにも、さまざまな危機を乗り越えてきたではないか。昔はトヨタもパナソニックもないのに切り抜けてきた。今はこれだけの力があって、困ることはない筈だ。」と答えて討論を終りました。
 当日の会場を支配していたのは、マスコミで聞かされている日米関係とは全く違う雰囲気でした。世界の平和のために協力できる共通の基盤となる「人間性」についての理解がありました。
 日本からアメリカへの奨学生は、最近は応募者が減っているとのことで、ブラッドリー氏も残念がっていました。よく知らずに決め付けたイメージを他国に対して持つのは可能性を狭くする、アメリカにもいろいろな人がいる、懐の深い国だと思いました。

「ノモンハン戦争」を読む(1)

 「ノモンハン戦争・モンゴルと満州国」(田中克彦・岩波新書)を読みました。
 一般には「ノモンハン事件」と呼ばれており、日本軍が大陸で起こした地域紛争の一つという印象でしょうが、これが第二次世界大戦の全体像とも結びつく重要な戦争であったことを認識しました。さらにモンゴルの人たちにとっての日本・満州はどう見えていたのか、中国との関係はどうだったのかを知ることにより、モンゴルが親しい民族に思えてきました。朝青龍の、機嫌のよいときの笑顔さえも、懐かしく思い出された次第です。個人的な記憶としては、この事件は私の学齢前のことなのですが、「燃ゆる大空」の歌など、日本空軍の活躍に胸躍らせたことを思い出します。
 田中克彦氏は、モンゴルの原典を読み解く語学力を生かして、客観的な立場でこの戦争を深層から解明しています。従来の日本の「ノモンハンもの」の著作が、おもに「戦闘詳報」的に書かれているのとは、根本的に違っていました。モンゴルという国および、かつて成吉思汗のもとに大帝国「元」を築いた偉大なモンゴル族の今を考えさせてくれました。私たちがこれから大陸の民とつきあって行く上でも、有益な示唆を与えてくれます。
 著者がこれを「戦争」と呼ぶ理由は、日本・ソ連両軍にそれぞれ2万名の戦死者を出すほどの本格的な戦闘が行われたこと、日本の航空部隊はソ連領内に130キロも入った基地までも攻撃していることなどによっています。日本よりもむしろソ連にとって、この戦争は絶対に負けられない深刻なものでした。
 話を紛争の最初に戻すと、モンゴル(蒙古)と満州との国境には、どちらに属するか、あいまいな部分がありました。伝統的に遊牧民のモンゴル族が住んでいたからです。問題のノモンハンでは、日本側が認識していたハルハ川の線に対して、モンゴル側では川よりも満州側の幅20キロ、長さ70キロほどの地域がモンゴル領と考えていました。こうした状態は当時は珍しいことではなく、国境警備のモンゴル軍と満州国軍との間では、各所で小競り合いが何度か繰り返されていました。しかし相互のコミュニケーションは比較的良好に保たれていたいたため、紛争の処理が深刻な対立に発展することはなかったのです。


山茶花クラブ賞受賞の弁

 R.H.ブライス先生ゆかりの「山茶花クラブ賞を、第3回「日英朗読リサイタル」を兼ねた昨日の会合で受賞してきました。
 今回の受賞者は、黒川欣映氏(英米演劇の研究と上演活動を30年以上継続)。佐々井啓氏(ワイルド劇の衣装を服装学から研究した学際研究)。水上紅氏(個人詩誌「私のすばる」を111号まで継続発行など創作活動)。聖徳大学体育研究室十五世紀イタリア舞踊翻訳チーム(翻訳を通してイタリア古舞踊を再現)。二ノ宮浩子氏(やまとランカ財団理事としてのボランティア活動など)。そして私の5名1団体でした。
 私の受賞理由は、学習院大学英文学会の創設とNHKディレクターとしての仕事および執筆活動ということでした。しかし最初の会報づくりに参加したのは事実ですが、本人としてはそのような自覚はなく、要するに他のメンバーは残っていないので、初期の先輩の代表として入れておこうという、内輪の判断であろうと察しています。賞の趣旨が「まだ賞をとったことのない人を発掘する」と説明されて、「それなら確かに何も貰ったことはないよ」と返事しました。
 受賞スピーチでも話したのですが、「自分は何をしてきた人間であるか」は、まだ結論が出ていないのです。世間が「何かをした人」として記憶するのは、往々にして本人の実際の人間像とは一致しません。たとえば歌手が記憶されるのはヒットした初期の1曲だけであって、その後に長い活動があっても、「○○を歌った人」と生涯言われつづけるようなものです。
 そのような誰でも知っている歌が私にも一つあるとすれば、それは「線路は続くよどこまでも」でしょう。あれは昭和37年に「みんなのうた」のチーム作業で出来た歌でした。しかし作詞の権利は後に先輩ディレクターによって登録され、私の名は入っていません。当時は、職務上の仕事に個人の権利が発生することは意識しませんでした。
 50年近くも前の仕事でしか記憶されないというのも妙な話ですが、70代になってからのブログとのつきあいは、新しい要素となりました。もしかしたら、今までになかった文化・文明の変化に、滑り込みで参加できたのかもしれません。だとすると、私が何をした人間であるかは、まだ決められないのです。目標定まらずで、その日暮らしのきらいはありますが、とにかく理屈ぬきに「いろいろあって、面白かった。長生きはするものだ。」がスピーチの結びでした。 

重慶爆撃・「無差別都市爆撃」の事始め

 昨夜の「老人党護憲+」の例会のテーマは、三角忠氏による「重慶爆撃」でした。日中戦争において日本軍は、国民政府が臨時首都とした重慶に対して、陸海軍の航空隊による爆撃を行いました。これが5年半に218回も繰り返された計画的な都市爆撃であったことは、意外なほど知られていません。老人党の中でさえ、初めて知ったという人が少なくありませんでした。
 資料の地図を見て私も改めて実感したのですが、重慶は海岸から1500キロもある奥地です。首都をここに移した国民政府の戦略は、国土のすべてを戦場として徹底的に抗戦することでした。さすがの日本軍も地上戦で重慶を落とすことは不可能で、そこで登場したのが空爆により敵の政治機関を撃滅し「継戦意志ヲ挫折セシムル」ための「政戦略的航空戦」の採用でした。
 それまでの航空戦は地上や海上における戦闘の一部分で、攻撃目標は敵の軍隊、要塞、あるいは艦船であったものが、ここで初めて「戦略的な都市爆撃」の思想が生まれたのです。それ以前にはドイツ空軍によるゲルニカ空襲の例がありますが、これは1日だけの攻撃であり、ビカソの絵で有名にはなりましたが、日本軍の重慶爆撃は、最初の本格的戦略爆撃になりました。
 都市そのものを爆撃の標的とすれば、必然的に一般市民を殺傷することになり、それはハーグ条約で禁止されているところです。しかし宣戦布告もせず「支那事変」と称していた日本軍には、国際条約を尊重する気持はありませんでした。当時の日本国民も、日本軍航空隊のすばらしさを聞かされて頼もしく思っていたことを、私もかすかに記憶しています。
 結果として、重慶および周辺都市で10万人の市民が死傷し、罹災者は100万人に及んだと言われます。延べ8400機の爆撃機が出動し、1週間に及んで6時間おきに継続する「疲労爆撃」まで行われたとのことです。この戦略爆撃思想が、やがてドイツ空軍によるロンドン爆撃、連合国軍によるドイツへの絨毯爆撃、そしてアメリカ軍による日本の都市への焼夷弾攻撃、さらには原爆の投下にまでつながって行ったのです。
 中国の爆撃被害者とその遺族は、日本政府に対して民事裁判を起こしており、日本の「東京空襲訴訟原告団」とも交流しています。「重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京」では、この4月12日の公判に合わせて、東京地裁前で宣伝活動およびデモ行進、報告集会(日比谷公園)を行います。

スウェーデンの2010賃上げ交渉

 JILAF・国際労働財団から配信されるメールマガジンによると、EU諸国でも賃上げ交渉が始まっている。状況は日本と似ているが、スウェーデンでは、経営側が示唆する賃上げゼロに対して、3%の賃上げを要求しているとのこと。欧州労連(ETUC)が上部組織となって、傘下各国労組の政策方針を決めているところに特徴があるようだ。
(以下引用)
ETUCは2010年の賃上げ交渉で「賃上げか雇用かを迫る経営側に対しては、国を越えた密接な情報交換と連携を図り、交渉力を強化しよう」と呼び掛けている。ETUC本部は直接的に労使交渉を行わず、各国の労使交渉の経過を見守り調整することで全組合をまとめるとしている。
 ETUCの有力な加盟組織であるスウェーデン労働総同盟(LO)は、2010年労使交渉に対する基本方針を2009年12月に決定した。現在、スウェーデンの団体交渉はほとんどが3年毎に行われ、前回の交渉は2007年であった。そのため、2010年には全労働者の90%が適用される500〜600の労働協約の改定交渉が行われる。
 また、LOが基本方針に併せ、次の声明を発表し、「2010年の交渉では、今まで以上に労働組合の連帯強化が求められており、傘下の産別間の連帯の中で、労使交渉を強力に進めることを宣言している。この背景には経営側が金融危機に乗じて労働者の諸権利を弱体化し、“スウェーデンモデル”とも言われる中央労使協定の重要性を軽減しようとする動きがある。経営側が示唆している賃上げゼロは、この経済危機の影響を労働者に押し付けようとするものである」と述べ、約3%の賃上げを要求している。また、「もし団体交渉が経営側の思惑どおりとなった場合は、スウェーデンの経済と競争力に深刻な結果をもたらすことになるだろう」と警告している。
 経済分析をしている政府機関・国立経済研究所(KI)は「デフレと高い人件費の均衡を図るためには1.0〜2.5%の賃上げになるだろう」と予測している。(引用終り)

 成熟した労使関係の中で、日本よりも迫力のある労使交渉が行われているように感じられる。ETUCによる国際連帯があり、支持政党が長く政権についているなどの歴史経過もあるだろうが、日本の労働組合は、未だに「企業内」の物分りのよさを脱し切れていないのではないだろうか。
(追記・JILAF/国際労働財団は、連合が母体となって設立されたNGO・NPOで、海外の労組リーダーの招聘、人材育成、現地支援などを行っています。)

無事であるということ

 市堀玉宗さんのブログに「無事」についての考察がありました。ちょうど3年前の能登半島地震で全壊した興禅寺という寺の住職さんです。寺の再建活動を通して、ボランティアとの連携や、寺と地域の人々との関係を一から立て直し、そのことを通じて現代に生きる仏教者としての意識を高めて来られたようです。その一方で、開け広げの人間臭さも見せてくれる、親しめるお坊さんです。少し引用させていただくと……

日常が「無事」であることの難しさ。日常を「無事」に過ごすことは、私のいのちの花を咲かせることと同じ、前向きで向日的な働きかけである。

「無事」とは何もないことではない。何もしないことではない。ありのままの世界の様子であり、ありのままで生きる私の覚悟でなければならない。(引用終り)

 人間の暮らしが久しく「無事」であり続けることは不可能です。自然の災害は、これを避けることができません。人間にできることは、せいぜい被害を軽くするように努力すること、それにも限界があります。
 無事の反対は「有事」でしょう。人為的な有事は、自然災害よりも頻繁にかつ大規模に起こります。かつての戦争による空襲がそうでした。焼かれて死んだ人が多数出ましたが、生き残った人が、焼け跡に立って「本当は何もなかった」ことを知り、一種の「悟り」を得たことも事実です。「こりゃ丸焼けだよ」という、底抜けに明るい声を覚えています。
 玉宗さんの言葉で私がいちばん気に入ったのは、「前向きで向日的な働きかけ」という部分でした。焼け跡がその後どうなったかは、誰でも知っています。人間はそのような存在なのですから。破壊した回数よりも、一回だけ多く建設したのです。
 私が「いのち」の不滅を信じるのは、何億年も生きてきたという事実そのものによってです。戦争に近づこうとする力と、遠ざけようとする力と、どちらが強いかは明らかだと思っています。その信じるところによって暮らすのが、私にとっての「無事」なのです。

ブログ連歌(120)

2379 護憲こそ みずほの国の 平和なれ (建世)
2380  またも出ました 平和ですねえー (うたのすけ)
2381 泥船に 争う人の おろかしさ (建世)
2382  事の良し悪し 分からぬ不思議 (うたのすけ)
2383 龍馬なら とっくに政治 捨てている (玉宗)
2384  そう簡単に 俺の名出すな (うたのすけ)
2385 土佐の海 荒波あれど 越ゆる意志 (みどり)
2386  桂浜辺に 憂国の像 (建世)
2387 話題には さすが兄弟 こと欠かず (うたのすけ)
2388  音羽御殿に 射すや朝日は (ハムハム)
2389 春過ぎて 夏に来るらし 正念場 (建世)
2390  とどのつまりは 沖縄泣かす (うたのすけ)
2391 ジュゴン住み 珊瑚息づく 沖縄よ (ハムハム)
2391B エネルギ− 使い果たすや エコポ申請 (花てぼ)
2392  手間に呆れて 迷わず放棄 (建世)
2393 国の税 命保護には 手抜きなく (みどり)
2394  富める者から 貧しき者へ (建世)
2395 四面楚歌 耳をふさいで とぼける気 (うたのすけ)
2396  春の氷雨は 肌刺す寒さ (建世)
2397 マニフェスト 徐々に次第に 先細り (うたのすけ)
2397B あるなしで 心騒ぐな たかが金 (玉宗)
2398  草の根燃えて 緑も萌える (ハムハム)
2399 凍雨降る 一日を静かに 過ごしたり (公彦)
2400  嘆く桜花の 薄紅にじむ (みどり)


民主党・覆水は盆に返るか

 覆水盆に返らずとは、誤った行動は、やり直せないことの例えだが、民主党の今回のドタバタ劇は、この言い伝えを思い出させる。生方副幹事長がマスコミに執行部批判をしたとかで、一度は解任とされたものの、「民主党には党内民主主義はないのか」との不評を受けたため、小沢幹事長が直々に方針撤回を申し出たということだ。
 解任は、小沢幹事長の意向というよりも、取り巻き幹部が小沢氏に気を使う先回りで手配した面があったようだが、撤回したから、なかったと同じ、とは言えまい。一度沈んだ太陽でも呼び戻すことができると嘯いた平の清盛でもあるまいし、器からこぼした水は、元にもどらないのが常識というものだろう。
 もちろん「過ちては改むるに憚ることなかれ」とか「君子の過つや、日月の食のごとし」といった言葉もあって、失敗のリカバリーで「雨降って地固まる」こともある。民主党を応援する立場としては、そう期待したいところだが、雲行きはよろしくない。
 新聞の世論調査によると、昨夏の総選挙で民主党に投票した人の3分の1が、次の選挙では投票先を変えると答えているとのことだ。覆水までは行っていないが、3分の1の水がすでにこぼれていることになる。こぼれてしまった理由の3大要素は、「政治と金」「対米従属の不変」「期待したほどでない新政策」だろうと私は思っている。いずれも時間のかかる政策であることは理解できるのだが、言葉だけでも、明確な方針を聞きたいのだ。
 鳩山内閣の支持率が30%近くに落ちたというのにも驚いた。まさかオバマ大統領の支持率を下回るとは思わなかった。マスコミの誘導とか保守の策動とか言ってみても始まらない。ここまで来たら、やはり「民主党の禁句」を口にせざるをえなくなる。
 今回の騒動で、副幹事長が1名余剰になったと聞いている。その中の信頼できる一人を幹事長に立てて、小沢氏は表舞台から下がってみたらどうだろうか。それでも覆水は盆に返らないかもしれないが、このままで水が戻ってくることはない。まだ3分の2は残っていると考えたら、夏の選挙は充分に戦えるだろう。残っている水をこれ以上減らしたら、政権交代が無駄になる。決断できる人は、小沢氏本人の他はない。

「一冊でつかめる!中国近現代史」を読む(4)

 文化大革命は、結局、江青ら「四人組」の策動による悪行とされて処断されました。しかし毛沢東本人が正面から批判されることはありませんでした。毛沢東は中国を人民の統一国家として創成した国父であり、その権威は長期間の個人崇拝によって神格に近いまでに高められていたからです。戦前・戦中の日本なら、天皇の絶対性にも近いものでしょう。
 これは政敵を最後の一人まで滅ぼして独裁者となったスターリンの軌跡と酷似しています。建国以来の同志で、最後まで名誉と天寿を全うできたのは、温和な人柄で常に控え目に行動していた周恩来ただ一人でした。そして事態を収拾した小平さえも、毛沢東を批判の対象とすることは避けて国の再建を進めました。ソ連が崩壊した後も中国の共産党政権が生き残れたのは、大国としての中国の象徴である毛沢東を温存した「中国の知恵」があったからだと私は思います。
 その後の中国の発展は、これまた壮大な歴史の実験と言うほかはありません。共産党による一党独裁を維持したままで、資本主義経済の果実を手に入れようとしています。個人独裁への反省から「集団指導体制」に気を使っているようですが、現行の政治体制を危うくするような自由化の動きに対しては、早目の規制をかけることを忘れません。強大な政府に管理された資本主義は、今のところ好ましい効果をあげているようです。
 たとえば株式市場を開放しながらも、株取引には印紙税をかけて、投資の過熱を防止しながら国の財源を増やしています。人民元の為替レートは国の管理下に置き、投機の対象とすることを許しません。その一方でアメリカ国債を大量に保有して、外交交渉の有力なカードとしています。アメリカ経済の中国への依存度が高まれば、アメリカの軍事力が中国に向けて行使される可能性は低くなります。
 長い中国の歴史は、強大な帝国による統一と、群雄割拠の時代との繰り返しでした。これからしばらくは、共産的資本主義国家として発展しそうな勢いです。しかしその中でも、個人崇拝からの脱皮と、市民的自由、思想の自由は進んでほしいものです。著者の荘魯迅氏もエピローグの中で、天安門広場から毛沢東の肖像が消える日を夢見ていました。

「一冊でつかめる!中国近現代史」を読む(3)

 国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東は、いずれもすぐれた指導者でしたが、独裁者的な個性の持ち主という共通点があったようです。当初は圧倒的な軍事力を擁していた蒋介石でしたが、毛沢東は農民に土地を与える革命思想によって人心をつかみ、遊撃戦を展開して国民党軍を損耗させました。内戦に敗れた蒋介石は、4年後の1949年秋に台湾に逃れ、毛沢東は中華人民共和国の成立を宣言して政府主席に就任しました。
 その直後、1950年から始まった朝鮮戦争により、中国にはソ連の影響力が強まって、朝鮮へ「志願軍」を送るなど戦争の当事者となり、アメリカ軍に守られる台湾との対立は決定的になりました。国際的緊張の中で毛沢東は「マルクス・レーニン主義」の徹底を急ぎ、独裁権を強めて行きます。その後の中国は、先輩のソ連以上に厳格な階級独裁の共産主義国家をめざすのですが、農業国であった中国に工業労働者階級は存在せず、つまりは思想解釈と行政の権限を一身に集めた毛沢東の独裁国家として歩むほかはないのでした。
 極左独裁の強行は、地主や富裕階級の撲滅では100万人規模の処刑、性急な農村の「人民公社」化の失敗では2000万人の餓死者を出したと記述されているのですが、2000万人の死者を出すとは、日中戦争を含むどんな戦争での被害をも上回っています。国が大きいとは言え、あまりの規模の大きさに、茫然とする思いがあります。
 しかしどんな誤りも独裁者の責任とされることはなく、政策を実施した下部責任者の背任や思想の弱さに帰せられるのでした。やがてソ連ではスターリンの独裁が批判され、共産主義体制の動揺が始まります。中国とソ連との関係も領土問題などで急速に冷え込み、毛沢東はソ連との対決を予想してアメリカや日本との接触をはかるのですが、この本ではそうした国際関係の事情についての説明はありません。ただ、毛沢東の周辺で開放・改革への動きが絶えずあったことと、毛沢東の反撃により、建国以来の同志が次々に「毛沢東思想」に反する異分子として粛清されて行った経過が説明されています。その最後で最大の事件が「文化大革命」でした。
 これはすでに政治の実務からは遠ざかった筈の毛沢東が、ソ連・スターリンのような権威失墜を恐れて行政の中枢に攻撃を加えた最後の賭けでした。文化の名を冠したものの、このクーデターによる混乱で「不自然死」させられた人の数は、2000万人にのぼると書かれています。

雇用の安定と企業の利益

 今朝のNHK「日曜討論」の主役は、厚生労働大臣の長妻昭だった。その他のゲストはワタミ会長の渡邉美樹氏、連合副事務局長、早大大学院教授の3名のみで、少人数のため落ち着いた討論を聞くことができた。テーマは「雇用、年金、子ども手当」だが、冒頭に出てきた雇用についての討論に興味があった。
 製造業への派遣を原則禁止することなどを盛り込んだ労働者派遣法の改正案が閣議決定されたタイミングなのだが、これに対する渡邉氏の意見は、意外なほど強硬な経営者目線の「規制強化すれば企業は逃げ出す」論だった。派遣労働者が使いにくくなれば雇用の絶対数が減る、企業は海外へ逃避するというのだ。防戦する長妻氏は、日本の労働規制緩和は、諸外国と比較しても行き過ぎた面があるから是正する。労災・雇用保険など弱者救済制度の不備を補い、労働者を実際に使用している企業の責任を明確にするなどの政策を説明していた。しかし企業逃げ出し論への正面からの回答はなかった。
 ワタミは外食チェーンと介護を主な事業として展開している企業グループだから、日本人を相手にしないで海外へ本気で逃げ出すつもりがあるのかどうか、ちょっと不思議に思ってネットで調べたら、台湾にも中国にも、すでに外食事業を進出させているのだった。そんな実績もあるからグローバル企業としての発想もできるのだろう。しかし要介護の老人が多いのは日本だから、施設は日本に置いて、安い労働力を海外から入れることになるのだろうか。
 雇用を安定させることは、全体として労働コストを高めるから企業の利益にならない。短期的にはそうかもしれないが、雇用の安定は、まともに働いてまともに暮らし、応分の納税もできる国民の数を増やすことになる。労働力コスト論の最大の欠陥は、労働者は消費者でも納税者でもあって、国の経済を回転させる主役だということを忘れているところだと私は思っている。ワタミの社長も、企業の利益さえあれば、日本人は使わなくていいと思っているわけではあるまい。 
 後段の子ども手当と保育所の待機児童解消との優先順位論でも出ていたが、政策の実行には、すべて金がかかる。そしてその財源論が最後の決め手になってくる。税制を論じるのは今の長妻氏の権限ではないが、この人には、国政の全体について意見を言える立場に、早くなってほしいと思った。

「一冊でつかめる!中国近現代史」を読む(2)

 清国に勝った日本は、10年後には中国の東北部でロシアと直接に衝突することになり、イギリスの応援を得て日露戦争に突入します。辛勝ながらロシアを撃退することに成功し、朝鮮と中国東北部(満州)への支配力を強めました。
 その間にも清国の没落は進み、西太后は義和団の排外運動に乗じて諸外国に無謀な戦いを挑み、断末魔を迎えます。孫文は民族、民権、民生の「三民主義」を掲げて、1912年に南京で「中華民国」の成立を宣言しました。北方では第一次世界大戦に便乗して進出した日本に対する反感が高まり、激動の中で1920年に「中国共産党」が結成されました。ここから国民党と共産党との長い抗争が始まります。中心人物は、孫文の後を継いだ国民党の蒋介石と、共産党の毛沢東でした。
 従来の中国の歴史ならば、両党のどちらが早く人心をつかんで国を統一するか、という流れになった筈です。しかし中国には絶えず強い外圧が加わっていました。それは日本の大陸進出です。このため国民党軍は「北伐」で共産党軍と戦う一方で、日本軍にも対抗しなければならず、かつ地方軍閥の台頭にも備えるという、複雑で困難な戦いを強いられたのでした。
 中国東北部に手を延ばして「満州国」を創設し、これを事実上の植民地にした後も、日本の進出は止まりませんでした。日本の国是が「八紘一宇」であり、要するに世界制覇をするまで要求に限度がないのを知った蒋介石は、中国の国土空間のすべてを戦力とする、つまり内陸を戦場とする徹底抗戦を覚悟します。そしてようやく「国・共合作」が成立しました。言わば宇宙人の襲来によって世界が戦争を中止したようなものです。
 日本が100万の軍隊を送っても、中国の全土を占領することは不可能でした。国力の限度を超えて拡大した日本の戦線は、連合国の戦力の前に破綻しました。終戦時に中国にいた民間人100万人を加えた200万人の日本人が、戦後速やかに国民党軍の支配地域から帰国できたのは驚くべきことです。日本軍は国民党軍に降伏して武器を引き渡すよう命令され、共産党軍には降伏せず、戦闘を継続することが条件でした。対日戦の終結は、直ちに国・共の戦闘再開を意味していたのです。
 終戦直後の状況では、国民党軍は圧倒的に優勢でした。日本軍の残存武器に加えてアメリカの援助もありました。一方共産党軍には、満州に進出したソ連軍の後ろ盾がありました。しかし主役はあくまでも中国人でした。外国のための代理戦争にならなかったのは、中国の人口の多さと国土の広さが、外からの操作を不可能にするほど巨大だからでしょう。

「一冊でつかめる!中国近現代史」を読む(1)

 新宿「一人でもデモ」先輩の村雲司さんからお借りした「一冊でつかめる!中国近現代史」(講談社+α新書)を読みました。在日20年になる中国人の荘魯迅氏が日本語で書き下ろしたものです。違和感もなく非常に読みやすく、中国の近代以降、波乱万丈の歴史が生き生きと描写されていて、「三国志」の現代版を読むようでした。
 副題は「人民と権力と腐敗の170年・激動の記録」となっています。自身も「文化大革命」の被害者であり、中国の内側にいた人から見た中国史ですから、私たちには貴重な文献と言えるでしょう。中国の歴史と今と未来について、私も多くの知識と示唆を得ました。
 近代になって欧米先進国からの接触を受けるまで、中国は一貫して「世界の中心」でした。中国にとっての「外国」とは、いずれも周辺の未開国であったのです。ですから自分たちよりも文明が進んで軍事力も強い「対等以上の外国」との交渉などは、全く未経験の分野でした。中国の権力者にとっては、伝統的に国内の権力保持こそが第一義であって、外国と覇権を争うのは二の次だったのです。中国には外敵に備えて一致団結するような習慣がなかった。これが近代の中国の、意外なほどの脆さの深層でした。
 清朝の末期、イギリスを始めとする諸外国の侵略にさらされた中国の歴史は、痛ましい悲劇の連続です。渋々譲歩しては、あまりの不平等に耐えかねて少しばかりの反撃をすると、数倍する侵略を受けて屈服し、多大の賠償金と権益を奪われるということの繰り返しでした。数次にわたる「阿片戦争」は、その典型です。その中で多くの忠臣や先覚者が戦死し、あるいは自国政府によって処刑されました。ただ一つの不幸中の幸いは、多くの国が中国に群がって利益を漁ったため、欧米諸国の間で利益調整の必要が生じ、単独の国による全面的な植民地化が結果として防がれたことです。
 そうした状態の中国に対して日本はどうしたかというと、隣国の悲惨を反面教師として国の統一を急ぎ、富国強兵にすべての力を結集しました。やがて朝鮮半島を勢力下に置きたい願望から清国と対立する立場になり、日清戦争を仕掛けます。ここから日本は欧米諸国と同様に、中国から権益をむしり取る側に回ることを鮮明にしました。しかもそれをアジアを救う盟主になるとの名目で行ったのです。その偽善と覇権主義には、身の縮む思いがします。
 日清戦争中に、日本軍が旅順で一般市民に対する無差別な虐殺を行い、その真相究明を伊藤博文が封印したという事件の存在を、私はこの本で初めて知りました。

寄ってたかって勉強嫌いに

 今朝の新聞投書欄で、塾教師が「勉強が好きでない生徒が多い」ことを嘆いていた。本来、人間にとって学習は快楽であり、勉強好きになるのが自然なのだが、どこかで阻害されている。「おそらく学校、塾、親、社会が寄ってたかって子どもたちを勉強嫌いにしているのであろう。」と書いていた。本当にその通りだと思う。
 私の今の会社の初期に「一年生の漢字」というビデオを作ったことがある。一年生が習う80字の漢字を、20分ほどのビデオ3巻に分けて、楽しめるアニメ絵本のように作ってみた。たとえばガリバーが手足を大きく開いて立っている姿が、音楽につれて「大」の字になるとともに「大きい、だい」という言葉が入る。くり返し見ても邪魔にならないように、説明は極度に簡潔にした。幼稚園児のいる家庭に売れるのではないかと思った。
 ちょうどそのとき、わが家の最初の孫が2歳になるところだった。居間のビデオで製品チェックを兼ねて見ていたところ、誰よりも熱心に見ていたのが、その孫だった。ビデオが終ってしまうと、悲しそうな顔で「もっかぃ」と言う。まだ言葉も満足に言えない年だった。それからは、漢字のビデオが彼の最大のお気に入りになった。おばあちゃん、つまり私の妻は、何度もせがまれるので、ついに2歳の子に巻き戻しと再生ボタンの押し方を教えてしまった。それでテープの1本目は壊したが、メカに強い彼の特性は、今につながっているように思う。
 結果として、2本目も3本目も、待ちかねたように彼の大好物になった。間もなく周囲の大人がその効果に驚いた。町へ出ると看板を見つけては知っている字を読んで大人に教えるのだ。まわりが驚いて褒めるから、本人はますます気をよくして新しい字にも興味を示す。2歳になったとき、一年生の漢字80字についての知識は、完全に彼のものになっていた。
 幼児が漢字をよく覚えることは、他の実験でも知られている。漢字以外の知識でも、似たようなことはあるだろう。しかしそれを課業にしてテストしたら、子どもの知識欲は伸びるだろうか、止まるだろうか。楽しい遊びでも、それを強制されたら苦業に変るに違いない。
 私のその孫は、その後とくに勉強好きにもならなかったが、大学への受験勉強には関心を示すことなく、19歳にして自分の好きな映像・音声の道で、たくましく歩き始めている。

2大政党への道程

 昨日の記事に「晴れのち曇り、時々パリさんからいただいたトラックバックは、フランスの例を引いて政権交代のシステムを論じている。その中にあった2大政党の対立軸の整理が明快なので、まず引用させていただく。

企業、資本、国家主義。
対するは。
人間、福祉、市民主義。
 この対立軸が存在しなければ、<2大政党>による政権交代能力は、備わらないのでは無いでしょうか?(引用終り)

 ヨーロッパの先進国は、いずれもこの対立軸による政権交代を繰り返して今に至っている。上段の「企業・資本・国家主義」は「保守主義」、下段の「人間・福祉・市民主義」は「社民主義」と呼ばれることが多い。もちろん極右や極左の小政党もあるが、国民は大筋でこの2つの政策のどちらかを選択することで、国政の方向づけをしてきたと言える。だから一方に行き過ぎたと思えば、反対側に投票するバランス感覚が働くのだ。
 日本の政治が自民党の長期一党支配で腐敗したのは、この対立軸が明瞭でなく「何でもありの政権与党」であり続けたからだった。一方で社民主義は小さく固まって「批判するだけの万年野党」を演じていた。この構図がようやく崩れたのが昨年夏の総選挙だった。
 ところが政権についた民主党には、自民党に似た「何でもあり」の性格が残っている。社民主義も内包はしているのだが主流ではない。その党が大きな勢力で政権与党になったので、新しい心配が出てきた。つまり下手をすると「右から左までさまざまな政策を取り揃えた、権力の維持だけで結びついた巨大与党」になる可能性があるのだ。これは自民党の再来になる。そういう党なら、元自民党の議員でも、先を争って参加しようとするだろう。
 そこで不気味なのが民主党がマニフェストに掲げた「衆議院比例区定数の削減」である。この選挙制度で中小政党が抑圧されたら、社民主義が2大政党の一方に育つ可能性が、現状では摘み取られてしまう恐れが大きい。巨大化して分裂・再編された保守の2大政党の間で、政権がキャッチボールされる可能性もあるのだ。
 「民主」でも「社民」「進歩」「改革」でも、名前はどうでもいいのだが、保守でない政権担当可能な政党をどうしたら育てることができるか、この夏の選挙のテーマが見えてきた。民主党の中にもいろいろな議員がいる。着地点を見定めての投票を心がけよう。

白い鳩と黒い鳩

 兄弟にもいろいろあって、互によく似ている場合もあるし、そうでない場合もある。政界の鳩山兄弟は、顔つきも違うが行動パターンも、ずいぶん違うようだ。民主党への支持率が下がって「支持政党なし」が50%を超えたそうだが、これをチャンスと見たのだろう。鳩山邦夫氏が新党含みで自民党に離党届を出した。車線変更すれば先へ出られると、気持が急いたのに違いない。
 その離党の弁なのだが、今の政権は社会主義的で国を危うくするから倒さねばならない。平成の坂本竜馬になって(薩長連合のように)新勢力を糾合するというのだから驚いた。マニフェストの実行に行き悩んで、ようやく子供手当だけでも成立させようという、この程度の政策でも「社会主義的」だから倒すというのだ。鳩山邦夫氏の頭の中は、新自由主義でも物足りない超・新自由主義者なのだろうか。
 おそらくそうではないだろう。かつて民主党に参加したときは、兄弟力を合わせて政治改革に取り組んでくれるだろうと期待したものだ。その後東京都知事選挙に出馬したあたりから言動がおかしくなって、間もなく自民党に出戻りしてしまった。結局は、絶えず周囲を見回しながら自分の居場所を決める人のように見える。だから他人の力を借りながら自分の思いをとげる「接着剤」の役割に発想が傾くのだろう。
 だが、この状況での「黒鳩」に、積極的な役割を果たせる力があるとは思えない。弟だからというわけではないが、「白鳩」を倒すなどは高望みの野望だろう。せいぜい自民党の壊滅を促進するのが唯一の功績になるのではなかろうか。
 自民党は、次の政権交代の受け皿にはならないだろう。自民党壊滅のあとに、初めて「政策集団としての保守政党」の再編が始まる。民主党がその再編に加わるのは、それよりも後のことになる。つまりこの夏の参議院選挙後には、しばらく民主党独裁政権が続くということだ。
 ここでの懸念は、民主党が選挙制度を小選挙区本位に変えて、政権交代を不可能にしてしまうことだ。だから次の選挙で民主党を一人勝ちさせると、日本の政治を窒息させる恐れがある。幸いにして参議院は衆議院よりも多党化しやすい選挙制度になっているから、「支持政党なし」の票が生きてくる。棄権しないで、民主党を独善に陥らせない方向に導いてほしい。

程よい納税という感覚

 年に一度の確定申告を、先ほど済ませてきました。連休後の最終日なので、前年以上の混雑を予想していたのですが、中野税務署の行列はずっと短く、しかも「控えに受付印の必要でない方は、箱に入れるだけです」との案内があり、妻と娘の分も含めて、それぞれ所定のクリアファイルに入れて投函してきました。考えてみれば、郵送でもいいわけですから、書類の受け付けだけで行列させる必要はないわけです。
 納税の振込みは、混雑する税務署を避けて信用金庫の窓口を利用しました。源泉徴収と相殺して5万円足らずの納付でした。何となく「程よい納税」という感覚があります。年によると10万円以上の納付済みの税額が、全部戻ってきたことがありました。アパートの修繕経費がかさんだ年でしたが、正規の手続きにもかかわらず、あまり気分のいいものではありませんでした。勝手にやっているアパート経営の赤字で、給与の源泉税が戻ってくることに対し、後ろめたい抵抗感があったのです。
 サラリーマン生活をやめて自営業者になり、確定申告をするようになってから、私にとって税金は「可視化」されたのだと思います。役所の論理に従って複雑な計算式をたどり、最後に残った課税所得から税額を算出するのですが、その税額から株の配当のときに払った源泉税が引かれることに最初は驚きました。税金の二重取りを救う趣旨なのですが、親から貰った株に配当があったという理由で税金が安くなることに違和感があったのです。
 つまり確定申告をすれば、個人は国と対等の立場でルールに従った納税をするという感覚になります。そして納税のルールは、決して苛酷ではなく、むしろマイルドだと私は感じています。利益のないところには、決して税金はかかりません。
 現代の貧困問題は、こうした納税システムとは異なる次元で起きているのではないでしょうか。収入の絶対額が少ない家庭にとっては、所得の控除などは何の意味もありません。これまでに何度も書きましたが、利益の中から払う税金は怖くないのです。税金を払ったために倒産したという企業も、ほとんど存在しないでしょう。国の財政が危機的であるのなら、奇策を弄するよりも前に、まず真っ当な税金の税率を、必要なだけ引き上げるべきではありませんか。

ブログ連歌(119)

2359 わがことは 耳新しく なりにけり  (玉宗)
2360  確定申告 寺社の場合は (建世)
2361 摩訶不思議 何処も彼処も 欲深き (みどり)
2361B 政治家の 資質の一つは 鉄皮面 (うたのすけ)
2362  母の資産の ありがたきかな (建世)
2363 おいどんは 美田残さず 子らのため (ハムハム)
2364  誠の博愛 広き世界へ (みどり)
2364B  残したくなし 国の借金も (公彦)
2364C  美田無き身の 気楽三昧 (うたのすけ)
2365 一身に 三世を生き まだ先が (建世)
2366  仏作って 魂わすれ (うたのすけ)
2367 魂に なっても不滅 面倒な (建世)
2368  参院戦に 担ぎ出したら (うたのすけ)
2369 世も末の 金が欲しさに 寺を焼き (玉宗)
2370  強欲果て無し 世界を覆う (建世)
2371 うなります あたし信じて 見せ場です (うたのすけ)
2372  大一番で コケねばよいが (建世)
2373 大向こう うならす見栄に 鳩山や (うたのすけ)
2374  いのちをかけよ 役者冥利に (建世)
2375 本質は 『ゆらぎ』なるぞと 首相言う (ハムハム)
2376  質量不滅で  所在を問わず (建世)
2377 政治では ブレは駄目ぞと 目が光る (ハムハム)
2378  国の未来に 従属やめよ (みどり)
2379 護憲こそ みずほの国の 平和なれ (建世)
2380  またも出ました 平和ですねえー (うたのすけ)

天木直人氏に見る護憲政党の模範解答

 一昨日の参議院予算委員会で、社民党党首の福島みずほ氏は、元自衛官の佐藤正久議員の質問に答えて「自衛隊は憲法に違反しない」と述べたとのことです。閣僚の一員としてという条件付きではあっても、護憲を掲げる党の責任者としては、つらいものがあったでしょう。これについて、天木直人氏は「情けないぞ社民党」と嘆きながらも、言ってほしかった模範解答を寄せています。その内容があまりにもすばらしいので、まずはそのまま引用させていただきます。
(以下引用)
「そんなおろかな質問をするものではない。あなたは日本の戦後史を知らないのか。憲法9条が出来た時は自衛隊など想定されていなかった。もちろんその時は違憲だ。なにしろ吉田茂総理さえも、憲法9条は自衛のための戦争まで禁ずると答弁したくらいだ。しかし朝鮮動乱が起きて米国が自衛隊を作らせた。冷戦が本格化して米国が自衛隊を強化しろと命じた。
 そんな自衛隊であったが、その後半世紀をへて、災害救助などで活躍する自衛隊を国民は受け入れた。日本を守ってくれる自衛隊であると信じて自衛隊を尊敬している。そのような自衛隊の存在を私は否定しない。
 しかし、今の自衛隊は違憲状態にある。一昨年4月の名古屋高裁の判決でも、バクダッド空輸は明白な違憲だと断じた。それよりも何よりも、今の自衛隊は米国の戦争に加担させられ、その手駒として使われている。情けないとは思わないのか。日本を守るはずの専守防衛の自衛隊が、米国のために命がけで戦地に赴く。あなたはそんな事でいいと本気で思っているのか。国民を裏切っていると思わないのか。
 ところで、あなたは、サマワに派遣された時に「駆けつけ警護」をするつもりだったとかつてテレビで発言した。あえて巻き込まれなければ正当防衛にならないからそうするのだと話した。その思いは今も変わらないのか。この国会の場で国民に向かってもう一度答えるがいい。
 憲法99条に基づく国会議員の憲法遵守義務を知らないような者に、合憲かどうかの質問を私にする資格はない。いや、あなたは国会議員を続ける資格はない」
(引用終り)
 まことに胸のすくような弁論で、公党の党首は、こうあって欲しいと思います。思い出せば、かつて社会党の村山富一首相も、自民党の画策で総理に祭り上げられたばかりに「自衛隊は合憲」と認めざるをえない立場に追い込まれたのでした。それに比べると、福島氏は閣僚としての参加ですから、党首としての立場を守ることができる筈です。「もちろん社民党党首としては、自衛隊が違憲状態にあると認識しています」と、答弁の最後に念を押しておくべきでした。
 近づく参議院選挙に向けて、「間違いなく憲法の理念を守ってくれる政党」を、国民は必要としているのです。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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