志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年06月

1泊2日で旅行します

「あずさ」号に乗って、信州へ1泊2日の旅に出ます。大学同窓生のグループ旅行です。お天気は冴えませんが、この季節では仕方がありません。高原の1泊で、少し考えてみたいことがあります。

横丁「ご隠居」の投票指南

(熊さん)どうも選挙がますますわからなくなりましたね。ご隠居までが「民主党はだめ」なんて言い出すから、みんな困ってますよ。
(ご隠居)あはは、ちと薬が効きすぎたか。比例区の定員削減は大事な問題だが、民主党が一気に突っ走れる状況ではなくなったようだな。まあ、いい傾向だ。民主党が大負けして、菅さんが責任とって辞任なんてことになっては、元も子もなくなるんだよ。安定政権を作るために政界再編だなんて大騒ぎになる。それを狙ってる連中もいるからな。
(熊)それはどんな連中なんですか。
(隠)参議院で与党の議員が足りない、それなら入党してあげましょう、連立しましょうって近づいてくる者がいたらどうする。ちょうどいい、どうぞって乗せられると、これが「なだれ込み・乗っ取り作戦」というやつだ。気がついたら民主党の中で保守系の議員が多数派になっていた、なんてことになると、社民系の議員は居心地が悪くなって、党を割って出て行くしかなくなる。するとどうだ、万年与党の巨大保守党と、万年野党の社会党・共産党が対立していた、いわゆる「55年体制」が、そっくりそのまま再現してしまうんだよ。
(熊)50年も続いて日本の政治をだめにしたって、あれですね。
(隠)だから、ここで民主党を分裂させるようなことをしてはまずい。いろいろ問題はあっても、あと3年は始めている改革を続けさせなくちゃ、せっかく政権交代した意味がなくなってしまうんだ。そう考えると、投票の方法も決まってくるな。
(熊)でも、何党の誰に投票しろ、なんて言っちゃまずいんでしょ。
(隠)そんなことはないぞ。選挙法で禁止しているのは、戸別訪問や街頭での連呼などだ。昼飯おごるから誰々に投票しろなんて利益誘導はだめだが、自分の意見を人に話すのに制限はない。投票の秘密とは、自分の投票を誰にも言えないってことじゃないんだよ。
(熊)そうですか。じゃあ、ご隠居はどうしますって聞いて、参考にするのはいいんですね。
(隠)あた公よ。昨日トラックバックをくれた人が、「期日前投票で、東京地方区は民主党の小川敏夫、比例区は社民党で保坂展人に入れた」と堂々とブログに書いていたが、わしの考えていたのとぴったり同じだったから、思わずにんまりしたわけさ。東京では蓮舫さんは人気があるだろうから、小川さんを推したいね。社民党の福島さんも大丈夫だろう。
(熊)なるほどね。向かいのおばちゃんにも、そう言っとこ。

増税は必要だが消費税ではない

 菅総理が「増税が経済を活性化することもある」と言ったのは正しい。余っているところから税を取って足りないところへ回せば、確実に経済は正常化するし、それが政府の役目というものだ。今の日本の財政大赤字は、税収を半減させる大減税から始まった。「新自由主義」と「働いた者が報われる」がスローガンだった。
 大減税が始まる前、所得税の最高税率は、実効で90%に近かった。それでも富豪たちが反乱を起こしたり、海外へ逃避することはなかった。法人税は一律42%と決まっていた。だからといって企業がバタバタ倒産していたわけではない。法人税とは、会社のあらゆる経費と各種の引当・積立金、役員報酬まで支払った後に残る利益にかかるものだからだ。
 基本的に税金は、利益や資産の「あるところ」からしか取れない。社会が安定しているおかげで利益や資産があるのだから、応分の負担で社会を維持するのは当然のことなのだ。ところが一つだけ「ないところ」からでも取れる税金があって「消費税」と呼ばれている。これは古来悪税の代表とされる「生きているだけで取られる人頭税」と酷似している。これは社会が平準化されて「福祉国家」の段階に入ったら有効な「互助会費」みたいな税制だが、日本はまだそこには達していない。
 日本の大減税は、アメリカ金融資本に乗せられた「グローバル基準」で始まり、「一段階上の新しい発展」を期待させられたのだが、結果は反対になった。一段階上に行ったのは金融資本関係者だけで、その他大勢は一段下に落とされた。「報われる働き」とは、金融を操作して不労所得を作り出すことだったのだ。
 法人税を下げないと競争力がなくなるというのも怪しい。見込みのある事業への投資先を探している資本は、むしろ余っている。私も自分の会社を経営していたから実感だが、法人税はむしろ高い方が、設備投資や社員の待遇向上など、堅実な経営に心がけるだろう。
 相続税も高い方がいい。減税ブームでほとんどゼロになってしまったが、活用されない資産を増やす結果になった。相続税は生きている間は関係ないから老人には痛手ではない。相続税は高いと宣伝されるだけでも、確実に生前贈与が増えるから資産は有効活用に向かうことになる。
 その他、為替取引、証券取引などのキャピタルゲインに対する課税の強化は、税収とともに投資の健全化という一石二鳥の効果をあげるのではなかろうか。
 なにも新しい大増税を提唱しているわけではない。行き過ぎた大減税を是正するだけでも、かなりの財源が生まれる筈なのに、なぜそれを先に検討しないのか。外国はどうでもいい。日本が先行して成功モデルを作ればいいではないか。

警報・衆院比例定数削減の民主党を支持できない

 民主党は、今回の選挙で国民の信任を得たと判断した場合は、秋の臨時国会に「衆議院比例区の議員定数を80名削減する」法案を提出する方針を固めたようだ。消費税論議とのからみで、国会も身を削る努力を示すべきだとの判断で成案を急ぐのだという。これは見逃すことができない。
 国会議員の数が多すぎると感じている国民感情が、一部にあるだろうことは否定しないが、小選挙区の300名に対して今でも180名しかない比例区の定員だけを、一挙に80名減らすというのは、乱暴で問題があり過ぎる。大政党、現状では民主党だけが有利になる党利党略と言われても仕方がない。
 そもそも細川内閣唯一の置き土産となった現行の選挙制度を導入するとき、小選挙区で極端に増幅される民意の偏向を是正し、国民の多様な意見が圧殺されない安全弁として、選挙区と同数の比例区定員(250対250)が構想されていた。それが「政権交代が起こりやすいように」との圧力で小選挙区優先とされ、細川首相を慨嘆させたと言われる。
 今でも衆議院選挙の比例区は、ブロック制のために大政党に有利になるよう設計されており、本来の中小政党救済の役割を充分には果たしていない。この上に定員を一挙に半減近く減らされたら、どういうことになるだろうか。円滑な政権交代どころか、一党支配の半永久政権ないしは談合政治による政権たらい回しが行われやすくなるのではないか。最近の民主党の、奇妙に「昔の自民党」を思い出させる変身も、その心配を増幅するのだ。
 議員の定数を減らすのがいいとしても、定員3〜5名の中選挙区制に戻すとか、小選挙区の区割りを直して比例区とのバランスをとり、比例は全国統一名簿にするとか、いろいろな方法が考えられる。それには慎重な議論と綿密な設計が必要な筈で、ばたばたと思いつきで比例区定員を減らせばいいという問題ではない。なにしろ民意を国会に反映させるという、議会制民主主義の根幹にかかわる問題なのだから。
 この「比例区定員のみ80名削減」を、民主党が本気でこの秋にも強行するつもりで、この夏の選挙に信任をかけるというのなら、他に惜しいと思うところはあるのだが、民主党を支持するわけには行かない。一党の目先の利益で選挙制度をゆがめては、将来に禍根を残すことになる。ここは緊急の対策として、比例区定数削減に確実に反対する政党を伸ばすことが必要になってきた。

菅さんどうした、大丈夫?

 とうとう選挙戦に突入しましたが、菅さん大丈夫ですか。沖縄での謝罪と感謝の言葉は、お座なりで真情が感じられませんでしたね。あの場で施政方針演説みたいなことを言ってもだめです。「『一度あった事は二度とない』に 変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう」と、自作の詩で訴えた高校生に、完全に負けていました。
 普天間だけでも命取りになりはしないかと心配してたのに、消費税10%、それも自民党案に言及して持ち出したのは何ですか。無駄をなくす改革の途上なのに、「4年間は凍結」と言った総選挙の公約もあるのに、しかも税にもいろいろあって、財務相として「所得税の所得再配分機能」について語ってもいたのに、いきなり消費税を最初に持ってきたのは、まるで順序が逆ではありませんか。
 案の定の不評で、せっかく上向いた支持率が急にまた落ちました。この選挙で民主党が連続して大勝すると良くないから、接戦になるように隙を作ったとでも考えないと説明がつきません。情報通の友人は、「その場に立つと官僚のブリーフィングに乗せられる。鳩山さんも同じだった。」と言うのですが、政治家の思考というのは、そんなに簡単に揺れてしまうものなのですか。「缶を開けたら空(から)缶だった」では、コントにもなりません。
 もっとも、消費税10%だけを見出しにするマスコミにも責任があります。よく記事を見て演説を聞くと、「『消費税がいい』なんて言ってない」というのは本当でした。このところ火消しにつとめる姿勢ですが、総理になった人の発言は、非常に影響が大きいということは、よく認識していないと危ないと思います。
 今回選挙の勝敗ラインは、改選数を下回らず、与党で過半数になればいい、ということですから、たぶんそれくらいならクリアできるでしょう。私としては社民党も与党でいて欲しかったのですが、普天間問題で決別になったのは残念でした。「日米合意を尊重する」のが先で、「県民・国民のご理解をいただく」のが後では、これも順番が逆ではありませんか。最後的には、どちらの側に立つつもりですか。
 短期政権ばかりが続いた後です。少なくとも3年間は我慢して責任を果たしてくれないと困ります。「最小不幸社会」は、決して間違っていません。ただ、それを実現するには、官僚、財界、そしてその背後にいるアメリカと対決しなければならない場面が出てきます。そのときに国民を説得し、味方につけて頑張れたら、歴史に残る名宰相にもなれるでしょう。
 こんなチャンスは、人生に一度しかありません。私は心から、あなたを羨ましいと思っています。

「銃・病原菌・鉄」を読む(4)

 著者が100年後にまたこのテーマで本を書くとしたら、タイトルを「銃・病原菌・鉄・そして資本」としなければならないでしょう。100年後の世界がどうなっているか、この本の研究を未来へ延長したら、私たちの日本はどうなっているでしょうか。これは、とても楽しい歴史パズルになります。
 21世紀の初頭において、世界を支配するものは「金融資本」になりました。それをバックアップしたものがアメリカの軍事力でしたから、「コーランか剣か」ならぬ「自由経済か戦争か」という無理強いの「布教」でした。ソ連は早々と負けを認めて生き残りを図ったのですが、ここで上手に立ち回ったのが中国でした。負けたふりの「改革開放」で戦争を回避しながら、集権的な政治体制の温存に成功したのです。ここで威力を発揮したのが中国の巨大人口と、円形にまとまっている国土でした。「伝統的に強かった中国文明」の復活です。
 その中国の「周辺」に位置して独自の文化を発展させてきた日本は、戦争に負けた義理で「アメリカの周辺」にさせられたまま、60年以上も自由を失ってきましたが、持ち前の勤勉さを発揮して、そこそこの経済力を育てることに成功しました。しかしここでの困った問題は、アメリカが中国の「負けたふり」を信用せず、仮想敵国としての軍備を解かないことです。
 しかし、日本にとっての中国は脅威ではありません。有史以来、中国が日本に侵攻してきたのは、モンゴル族に支配された「元寇」の一度だけです。中国にとっては、海の向こうの周辺国で、文化も言語も違う面倒な日本を、征服しなければならない動機はありません。日本を攻めなければならない事態が発生するとすれば、それはアメリカと同盟して中国の内政に干渉する作戦を発動する場合だけです。そのアメリカにしても、最大の貿易相手国である中国と戦争しても得られる利益はなく、「脅威論」は軍・産・政複合体の体制維持のために演出されている部分が大きいのです。
 中国は「国が管理する自由経済」という、独特の発展モデルを成功させつつあるように見えます。新自由主義を鵜呑みにした「アメリカ周辺国の日本」よりも賢いのかもしれません。そして、日本がこれから無理なく安住していられる立ち位置は、やはり「中国の周辺で、アジアの一員」であると思うのです。海の向こうの大国(アメリカ)との同盟は、不自然で長続きしないというのが、私の結論です。

「銃・病原菌・鉄」を読む(3)

 ある程度のまとまりを持った文明が、他の文明と出会うことで変化する現象を、「歴史の研究」のトインビーは「他文明の挑戦を受ける」という言い方で重視していましたが、こちらの著者もこれを文明の相互作用として重要な要素と考えています。ここでも東西に長いユーラシア大陸は恵まれていました。海、山脈、水系などで適当な大きさに区切られた文化圏が形成されて、それらが互に競い合いながら成長できたからです。
 一方アジアの中国は、やや特殊でした。それはヨーロッパと中国の地図を見比べるだけでも一目瞭然です。ヨーロッパの複雑さに比べて、中国はずっと単純な、まとまりの良い陸塊だったのです。ですから中国は、古代・中世から近代の直前まで、文明・技術の先進国であり続けました。火薬、紙、印刷術など、多くの技術が遠い陸路を通ってヨーロッパにまで伝えられました。海運でも、大航海時代の直前まで、中国が先行してインドまで行っていたのです。
 しかし、まとまり過ぎた中国の中央集権が、近代化を遅れさせました。競争者のいない絶対優位の文明は保守的に傾きます。そして「一人の権力者の愚かな決定が、文明を左右することもある」と著者は言うのです。このあたりの、歴史の必然と個人の役割との考察については、興味の尽きないところですが、この問題については、著者が「科学的な」結論を出しているようには見えません。
 南北アメリカ大陸、アフリカ、そしてオーストラリアについては、それぞれに先住民の文化があったのですが、いずれも孤立していてユーラシア大陸に及ぶほどの発達がなく、近代になって西欧諸国により各個撃破されてしまいました。しかしそれは先住民たちが人間の資質として劣っていたことを意味しません。近代的な教育を受けた子供たちが、一代で国際基準の知識を身につけることからも、人間として同じであることを示しています。
 近代においてヨーロッパ文明が優位に立ったのは、複数の国家の競争的な発展があったからでした。大航海を企画した冒険者たちは、自国の王に援助を断られても、隣国の王をスポンサーとすることができたのです。しかし中国では、そのような選択の自由がありませんでした。そして結果として、ヨーロッパ諸国および、後にはアメリカの主導で世界の「文明化」は進められ、現在見るような世界が出来上がったのです。
 「人間科学としての歴史研究は、何が未来を形作るかを教えてくれるだろう」と著者は述べていますが、それについての私の感想を、次に書いてみます。

ブログ連歌(131)

2599 親方衆 土俵を盆に 丁半を (うたのすけ)
2600  暴力団に これ見よがしに (ハムハム)
2601 仕分けして 一場所ぐらい 減らしたら (建世)
2602  他にスポーツ 巷は興奮 (うたのすけ)
2603 国技より 世界スポーツ 魅力あり (ハムハム)
2603B 清潔さ ゴルフに映る 心地よさ (みどり)
2604  遼君の笑顔 相撲界にも (建世)
2605 相撲界 賭博まみれで 先行きは (うたのすけ)
2606  公益法人 ドスコイドスコイ (建世)
2607 膿を出す たこの吸出し 今も売れ (うたのすけ) 
2608  出し切る瀬戸際 協会「残った」 (建世)
2609 物言いて 追放された 力士有り (ハムハム)
2610  名古屋の場所は しばし待たなむ (建世)
2611 次々と 名前あかされ お手上げに (うたのすけ)
2612  大きな体で 声は小さく (建世)
2613 世は末の 善人ばかり ちと怖い (玉宗)
2614  ああ言えばこう言う 選挙近くて (建世)
2615 「悪人」が 今こそ出番 政治にも (ハムハム)
2616  善人なおもて 往生をする (建世)
2617 この人ら 正真正銘 頼れるの (うたのすけ)
2618  本人本気 選挙期間は (建世)
2619 まやかしと 派手な見せかけ 見抜く知恵 (みどり)
2620  これが無ければ 「姥捨て山」へ (ハムハム)

「銃・病原菌・鉄」を読む(2)

 スペインの征服者たちとインカ帝国の間に隔絶した力の差が出来てしまったのは、なぜでしょうか。人類がアフリカから出発して南米アンデスまで辿り着く道のりは、地球上でもっとも遠いものです。中東を経てユーラシア大陸を東進し、極東から海面の低下で地続きとなっていたアラスカに渡り、北米大陸を南下して狭い地峡を通らなければなりません。だから定住するのが遅れて文明が充分に発達しなかったと、常識的には考えられそうですが、違うのです。
 南米に人類が到達したのは、紀元前1万年前ごろです。3000年の時間差は、決定的なハンディではありません。それよりも重要なのは環境であったと、著者は考えます。オセアニアに散らばる離島、群島、大型の島を綿密に調査した結果、人口規模による一つの目安があることを発見したのです。つまり「200人以下の孤立した人間集団は絶滅する。」「2000人規模なら、石器時代的な生活を維持できる。」「数万人規模なら、部族社会を構成する。」「10万人規模以上なら、首長国家が成立する。」ということです。
 人間が、どの程度まで大きな集団になれるかは、食料の調達能力によって決まります。食料には余剰があって、管理者や職人・宗教者など、直接には食料を生産しない人をも養えることが必要です。この観点から、周辺に利用できる植物、動物として、どんなものがあったかも、非常に重要です。ユーラシア大陸には、大麦、小麦、米など、有用な穀物があり、また、鶏、犬、豚、牛、馬など家畜化しやすい動物にも恵まれていました。家畜との接触が多いことは、家畜に由来する各種の伝染病に対する抵抗力を身につけることでもありました。これが後に「未開地域」の原住民に対する強力な武器となりました。
 ところで、人類はなぜ素朴な「顔見知り同士の互助的平等社会」から、複雑な統治機構を持つ国家へと集団を大きくするのでしょうか。それは「一定の人数を超えると、何らかの権威を作らない限り、もめごとを収拾することが出来なくなる」からです。そして人間は、孤立したら、たとえ家族・親族が団結したとしても、良い暮らしをすることは出来ないのです。
 この本を読んで私は「文明とは、人間の可能性の集大成である」ことを改めて認識しました。人間の集団が大きくなることで、いろいろなことを考える者が出てきます。文字の発明も偉大な事業でしたが、それは最初に思いついた人間の「便利な目印」に過ぎなかったに違いありません。それが複数の知恵を集めることにより、時空を超えた「人知の共有」となり、今に至っているのです。
 さて、こうして各地に自然発生的に生まれた文明は、空間的に孤立していない場合は、周辺の文明と接触しながら、さらに複雑な発展を遂げて行くことになります。


「銃・病原菌・鉄」を読む(1)

 ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄…1万3000年にわたる人類史の謎」(倉骨彰訳・草思社・上下巻)を読み終りました。大河小説を読んだような気分ですが、著者は生粋の科学者であり、学術論文を書くような手順で論考を進めています。トインビーの「歴史の研究」が、文系の文明論の集大成とすれば、これは科学で分析した文明論です。それだけに、信じるに価すると思われる説得力があります。
 私がこの本から引き出した「役に立つ知識」が何であったかというと、アメリカと中国に挟まれている日本の立場という、きわめて今日的な課題について、自信の持てる見通しが立てられたことでした。話が飛躍すると思われるでしょうが、順に説明して行きます。
 1万3000年前というと、「単一の種」として地球上に拡散した人類が、各地の定住先で「文明らしい暮らし」を始めたタイミングです。それが現在は、さまざまな国を作って文明の先進国になったり、あるいは未開のままの奥地で、石器時代とたいして変らない生活を続けたりもしています。このような大きな違いは、どうして生まれたのだろうかという疑問が、著者の出発点でした。
 人類の祖先が700万年前にアフリカで誕生したことは、今はでDNAの研究で明らかになっています。しかしアフリカは近代文明の中心にはなりませんでした。それは、人間の文明が、さまざまな条件の組み合わせによって発生するからです。中でも大きく影響するのは地理的な条件でした。
 たとえば、文明の伝播速度は、南北方向よりも東西方向の方がずっと早い、ということがあります。緯度が同じ地帯を行くのであれば、栽培植物は、たいした困難なしに移入することができます。人間の自然環境への対応も楽です。これがユーラシア大陸にとって有利な条件になりました。文明の発達には「人間の集積」が必要ですが、人の交通でも、南北よりは東西の方が有利だったのです。
 こうしてさまざまな段階にあった世界各地の文明は、近代になって相互に接触します。そのときに、どちらが優位に立って他方を圧倒したかを決めたものは、武力と、病気に対する抵抗力と、鉄の文化の有無でした。それがタイトルの「銃・病原菌・鉄」です。
 その典型例は、少数のスペイン人によるインカ帝国の征服に見られます。168人の部隊を指揮したピサロは、一兵も損することなく7000人のインカ人を殺し、4万の軍勢に守られていたインカ皇帝を捕虜にしたのでした。
(追記・人類の誕生と拡散についての年代を誤記していましたので訂正しました。)



琉球の国連加盟を総会で承認?

 本日、明大リバティーホールで開催されたシンポジウム「沖縄・日本・安保50年」に参加したところ、琉球の国連加盟を伝える「琉球タイムスの有料の号外」を入手した。記事によると、2006年に独立を宣言して国連への加盟を申請していた琉球臨時政府を、国連総会は圧倒的多数で可決承認したとのこと。反対票は、日本政府の1票のみであったと伝えている。この背景には、米中の関係正常化が大きく作用したと見られる。安全保障理事会において米中が賛成で一致し、ASEAN諸国からも推薦があって、加盟が実現したものである。
 琉球が独立したことにより、日米軍事同盟は崩壊した。琉球政府は、直ちに日本政府が所有する米軍基地を始めとして、すべての資産を接収した上で、アメリカ政府と広範な協議を開始する見込みである。アメリカ側は、中国を仮想敵国とする戦略の放棄により、ハワイ、マリアナ、グァムの線まで防衛線を後退させるため、沖縄の基地は必要としなくなるものと見られる。
 なお、奄美群島も沖縄とともに日本からの独立を果たした。各地からの喜びの声とともに「祝賀会には鹿児島県の薩摩隼人知事も招待したい」との声もある。各地の沖縄県人会館は、琉球政府領事館に格上げする準備を進めている。
 ローカルニュースには、小さいながら注目すべき記事もあった。中城湾のうるま港(旧ホワイトピーチ)には、中国海軍のフリゲート艦3隻が入港している。臨時政府海事局が入港を許可したもので、警備隊司令官は「世界各国の練習船を積極的に誘致し、米軍とも仲良く舷を並べてくれれば世界平和にも貢献する」と述べている。

(念のための追記・以上はすべてパロディーですが、沖縄の人たちの今の心情を表現しています。沖縄では「日米安保は必要」と考える人は7%に過ぎませんが、本土では今でも50%を超えているとのことです。しかし基地の負担を沖縄に押し付けておいての現状肯定であれば、沖縄が日本の一部分であるとの建前は崩壊します。私たちは沖縄を失いたくなかったら、沖縄との深い断層を、埋める努力をしなければなりません。)







中国労働者のストライキ

 最近のJILAF(国際労働財団)のメールマガジンに、中国における労働者のストライキについての記事がありましたので紹介します。

 広州ホンダのストライキ(メルマガ37号より)
 広州ホンダ自動車の広東省・仏山市にある変速機工場で、長年の過酷な労働環境(1日12時間、1週間6日の労働時間)に対し、5月21日、中国人労働者がストライキを行った。日本のメディアがこのホンダ変速機工場の閉鎖を報道した5月20〜21日、大きな注目はされなかったが、中国メディアやインターネットが中国国内で全面的に報道することが許された。中国当局がこのようなストライキ報道を許すのは、5月に深セン市で起きた台湾系企業での労働者自殺事件報道に続くもの。
 ……中国南東部の工場で働く労働者の賃金は、月300ドルほどであるが、これは凄まじい残業をした結果である。……公式の中国日報紙は5月28日、社説で「ホンダのストライキは政府の賃金政策の無策が労使の緊張を増した結果だ」と主張し、「賃金規制の修正を約束しながら経営者が反対しているという新聞報道で原案作りが遅れている」として人材社会保障省を非難している。
 中国は共産党に実権があり、政府管理下の労働組合となっている中華全国総工会(ACFTU)があるが、組合は主に労働者を監視する役目を負っており、賃上げや労働条件改善の交渉はしない。中国の法律では明確に「ストライキの禁止」となっていないが、ストライキ行為は許されてない。また、中国労使関係研究所の専門家は「ストライキは中国労使関係史上、意義のある進展でこのような大規模なストライキが組織されたことは中国の労働組合組織に変化をもたらし、市場経済に適応する力を生み出すことになる」とホンダのストライキを評価した。
 その後、ホンダが24%の賃上げを回答し、6月3日にストライキは解除されたが、中国日報は「賃金闘争には政府が介入しないという慣例ができた」と報じ、これまでにない事例となった。(引用終り)

 細かい事情はわかりませんが、どうも「労働運動の黎明期」にある国のように読めます。共産党が支配する中国では、労働者の権利は、どうなっているのでしょうか。日本の労働運動の指導者やオルガナイザーたちは、関係の深い隣国の労働事情について、何の論評もアクションもしなくていいのでしょうか。日本と中国の労働者の間に、国際連帯を築かなくていいのでしょうか。中国の労働者の地位向上は、公正な競争という意味で、日本の労働者の立場をも改善する筈です。
(追記・関連記事「中国における労働基本権の問題」も、ごらん下さい。)

君が代とスポーツのミスマッチ

 逝きし世の面影さんと「愚樵」さんのところで、君が代談義が盛り上がっています。日本のサッカーチームが、カメルーン戦の前に、スクラムを組んで歌ったのが印象的だったのでしょう。お二人とも「選手が愛国心に目覚めて本気で国歌を斉唱したから勝ったのだ」というほど純情ではないところが、面白いと思いました。
 本当に「君が代」は不思議な歌です。今までに何度も書きましたが、明治の初期に外国使節を迎える式典用に、「日本側の天皇を登場させる礼式歌」として作られました。ですから歌詞は伝統的な「天皇への寿ぎ歌」を踏襲しました。歌詞は「小さな石が成長して巨岩となり、苔が生えるほど長い」長寿を願っています。どんなものにも生命が宿ると考えた自然信仰を反映していますが、それにしても奇抜な発想で、その奇抜さゆえに珍重されたのでしょう。
 作曲者は、宮内省で雅楽の責任者であった林広守でした。西洋音楽の知識も取り入れて、洋楽器でも演奏できるよう折衷的な曲にしたと言われます。演奏を担当したのは海軍軍楽隊でした。
 これとは別に、文部省は近代国家にふさわしい「日本国歌」の制定を企画していました。音楽教育者などを動員して候補曲を募り、一部は学校で唱歌として歌わせてみたりもしました。しかし重大に事を構えすぎて結論が出せず、仕切り直しを繰り返していました。その間にも宮内省の「君が代」は、「日本礼式歌」として楽譜を諸外国に送るなどして、国歌らしく扱われる機会を増やして行きました。
 結局、宮内省との縄張り争いに負けた文部省は、渋々「民間が歌うことも許す」という立場で「君が代」を教科書に載せることとしました。しかしその時期は「紀元節の歌」などよりもずっと遅い明治後半になっています。そのままずっと「君が代」は「とりあえず国歌らしい扱い」で来て、平成11年の「国旗国歌法」の制定を迎えたのです。この際、音楽関係者などからの「根本的な再検討」の要望は封じられました。
 こんな歴史を持つ「君が代」が、スポーツ大会を盛り上げるわけがありません。国民的応援歌が欲しかったら、別に作るしかないでしょう。
 日本の複数の神社に、「さざれ石」と称する岩が祭られている例があります。たいてい巨巌で、苔が生えています。見た人の十人中八九が口にするジョークは、「ああ、これで日本もお終いだ。」

ブログ連歌(130)

2579 事務所費に 呆れ果てたる 領収書 (うたのすけ)
2580  政治家戦略 いろいろあって (建世)
2580B  それにつけても 馬鹿騒ぎして (うたのすけ)
2581 命懸け 納めた税も 浮かばれず (ハムハム)
2582  札にそれぞれ 署名をしたし (うたのすけ)
2582B  無理な埋め立て 河川汚濁す (みどり)
2583 基地づくり これぞ世紀の 無駄遣い (建世)
2584  事業仕分けで 無用の烙印 (うたのすけ)
2585 思いやる 金があったら 国内へ (建世)
2586  国家というも 愛の形で (玉宗)
2587 同胞と えにし強めて 我行かん (ハムハム)
2588  国家の大事 兵を戒む (建世)
2589 力士たち 魔の手にころころ 負けにけり (花てぼ)
2590  根絶できるか 賭けてみようか (建世)
2591 上客は 護るがヤクザの 筋なるに (うたのすけ)
2592  逆に脅され 泣くに泣けずに (うたのすけ)  
2593 守護神が 搾取者にもなる 軍事力 (建世)
2594  引かれるばかり 年金は痩せ (みどり) 
2595 民稼ぎ 国に巨大な 富を生む (ハムハム)
2596  貧困・自殺を 恥とせざるや (建世)
2597 最低の 暮らしに重き 消費税 (みどり)
2598  2倍増など 論外の沙汰 (建世)
2599 親方衆 土俵を盆に 丁半を (うたのすけ)
2600  暴力団に これ見よがしに (ハムハム)

政権選挙の2回戦が始まる

(熊さん)国会が終って、いよいよ選挙の日取りが決まりましたね。民主党はムードのいいうちにやっちまおうって、急いだんでしょ。谷垣さんは内閣不信任だって口惜しがってたけど。
(ご隠居)内閣が菅さんに変って一騒動あったから、予定の法案も、だいぶ積み残したようだな。でも、すぐ次の国会で仕上げるから大丈夫って論法だ。
(熊)去年は総選挙で盛り上がって、鳩山さんが歴史的な政権交代だって期待されたけど、9ヶ月しか持ちませんでしたね。それじゃ今度はどうすりゃいいんだ、また民主党でいいのかって、迷ってる人が多いみたいですよ。向かいのおばさんが、ご隠居はどうするのか聞いてきてくれって、頼まれたんですよ。
(隠)今度の選挙は参議院だから、選挙されるのは参議院議員の半分だけ。総選挙に比べたら4分の1ぐらいの人数だな。政治への影響力も、それくらいってことだ。衆議院の任期はあと3年あるから、解散がなければ民主党政権があと3年は続くことになる。民主党の政治がいいか悪いかは、それくらいやらせてみなくちゃ本当のことはわからんだろう。だから、とんでもない悪い政権だと思わない限りは、そこそこに支持してあげれば、続けてみなさいってことになる。参議院で与党がボロ負けして「ねじれ国会」になると、政治の能率がすごく悪くなるから、あまり好ましくないな。
(熊)でも民主党をまた勝たせたら、このままでOKってことになりませんか。民主党のやり方には、ご隠居だって言いたいことがあるんでしょ。
(隠)そりゃそうだ、国会議員の比例区の定数を減らすなんてのは、賛成できんな。それよりもっと大事なのは、アメリカべったりの政策を思い切って変える勇気があるかどうかだ。経済でも外交でも防衛でも、日本の良さは、アメリカの圧力から自由にならないと発揮できないんだよ。だから、選挙区ではあまり自由に選べなくても、比例区の投票では、政策本位で政党を選ぶって手があるな。
(熊)一人で2票をうまく使うってことですね。
(隠)そういうこと。この夏に選んだ議員は6年間は改選されないから、先を見て選らばなくちゃいけない。去年の総選挙で自公政権は倒したが、政権交代をどっちへ向けるか、方向を決めるのが今度の選挙だな。そして、おそらく3年後の衆参同時選挙が大事な分かれ道になる。その時へ向けて、下準備をしておくのが今度の選挙ってわけさ。

小西誠の「日米安保・再編と沖縄」を読む

 反戦自衛官として知られる著者の近作「日米安保・再編と沖縄」(社会批評社)を読みました。豊富な専門知識と資料に裏付けられた、この問題の集大成でありながら、日本の行くべき道を明示している力強さがあります。twitter 用語なら「激しく同意」できる本です。
 東西冷戦の終結で存在意義を失った日米安保は、仮想敵国をソ連から中国・北朝鮮に変更することで生き延び、さらに「テロとの戦い」の世界戦略に組み込まれて、日米の「同盟関係」ならぬ「指揮関係」で結ばれているというのが大筋です。この大筋を飲み込んでみると、いろいろな疑問が「当然の成り行き」として見えてきます。
 日本の自衛隊は、北海道の戦車、火砲を削減して、西南方面の「島嶼防衛」に移行しています。それは九州から台湾に至る沖縄列島が、中国海軍を封じ込める「第1防衛線」になるからです。その戦略から見ると、沖縄の基地は、あまりにも第一線であり過ぎます。ですから安全なグァムを根拠地とする再編を進めるわけですが、沖縄は前方展開の拠点ですから、手離したくはありません。が、アメリカから見ても沖縄は「捨て石」になる可能性があるということです。(かつて日本軍が沖縄を本土防衛の捨て石にしたのと同様に。)
 軍人は常に最悪の事態を想定して事前の準備をしようとしますから、巨大な無駄を作り出します。かつてソ連の原潜をオホーツク海に封じ込める目的で、日本はP3C哨戒機を100機も買わされましたが、そのときの理屈は「シーレーンの防衛」という虚構でした。今は、自衛隊は「島嶼奪回」の強襲上陸訓練までするようになりました。「世界のどこへ出しても役に立つ軍隊」になるためです。
 さて、ここまで深化している日米同盟から脱却するにはどうするか。小沢一郎氏は「国連中心主義」を梃子としてアメリカ離れを構想しましたが、アメリカは許す気はありません。オバマ大統領といえども、軍事と密着しているアメリカ金融資本の世界戦略を変えさせることはできないのです。
 ではどうするか。世界に「戦争によらない共存」があると信じるなら、アメリカと運命を共にしてはなりません。中国にもインドにも経済成長の可能性が残っている今のうちが、針路を変えるチャンスです。辺野古基地の拒否を突破口として、アメリカに沖縄と日本の基地もすべて「捨てて」貰って、改めて「日米友好条約」を結ぶ。これから3年かけて、日本はそのように進むべきなのです。

菅さん、どこまで本気なの?

 菅さんご苦労さま。総理になって忙しそうですね。あなたの政治的原点だった市川房枝さんの「婦選会館」とも親しくしていた私は、あなたがいつか総理になる日を待っていました。あなたが書いた「大臣」という本も、なかなか立派なものでした。だから信頼してますが、どうも大変な荷物を背負ってのスタートになりましたね。
 鳩山さんの後継だから仕方がないかもしれないけど、「辺野古移設の日米合意は堅持する、日米同盟は世界の共有財産」と丸呑みしちゃったのは、もうちょっと言いようがありませんでしたか。辺野古合意で行き詰った鳩山さんと同じことになりますよ。
 この23日の「沖縄市民平和の日」に、沖縄へ行かれるそうですが、現地で沖縄の人たちの声を、よく聞いてきてください。沖縄でどんな歴史があり、今も続いているかは、よくご存知でしょう。それを確かめて、心からの謝罪をしてください。
 普天間へ行ったら、周辺住民の負担を少しでも軽くするように、アメリカ側と交渉することを約束してください。学校の授業中に飛ぶヘリの数を減らせとか、離着陸を垂直にして住宅の上を飛ぶなとか、思いつく限りの要求をぶつけて、アメリカ側にも窮屈な思いを共有させましょう。
 辺野古沖の埋め立てはどうします。説得ができると思いますか。説得が不調でも、着工を強行することができますか。流血の惨事を乗り越えても基地は作らねばならないと本気で思いますか。まさかそれはないでしょう。現場で住民・支援者とのにらみ合いを繰り返すことになります。説得とにらみ合いと。何十回でも、何百回でも、誠意をもって繰り返してください。
 ご承知でしょうが、普天間・辺野古は海兵隊の問題です。アメリカにとっては、上位の日米同盟の枠組みの方が大切なのです。内閣の命運をかけて取り組めば、アメリカの譲歩を引き出せる可能性はあると、私は思います。
 その日米同盟ですが、菅さんの本音はどうですか。基礎となる日米安保は50年。永久不変の関係ということがありますか。間もなく経済でもアジアが世界の中心になりそうですが、どう対応しますか。そんなことまで考えなければならない時代にぶつかるとは、想定外だったでしょう。3年後の衆参同時選挙が日本の将来を決めることになりそうです。それまでにぜひ、信頼できる後継者を育ててください。

政治主導と内閣法制局

 今朝の朝日新聞特集「GLOBE 41号・内閣法制局」は読みごたえがあった。こういうものが読めると、新聞の購読は安易にやめられないと思ってしまう。
 内閣法制局は、長いこと「法令解釈の主役」だった。法令の解釈は、本来裁判所の仕事なのだが、法制局は行政の官僚として立法の整合性や政策の合法性を保障してきたのだ。だから行政に属する官僚でありながら、あたかも中立の裁判所のように法解釈を示してきた。しかし民主党政権は「政治主導」として、国会での官僚答弁を禁止した。この意味は大きい。法律をどう使うかの権限が、官僚から政治家に移るからだ。
 長く続いた保守政権の下で、官僚の中立的な法解釈とはどのようなものだったのか。警察予備隊が保安隊となり自衛隊となり、装備の拡充を進める過程でも、憲法に抵触しないとの「お墨つき」を与えてきたのは内閣法制局だった。もちろん最後的な法令の違憲審査権は最高裁判所にあるのだが、法制局が防波堤となって最高裁の負担を軽減してきたというのは実態に近いだろう。重大な案件で事後に違憲と判断されたら、社会が大混乱するという説にも一理はある。しかし法制局が「解釈改憲」の黒幕を務めたという印象は否めない。
 新首相の菅直人には、「国民の信託を受けた国会が国の最高機関である」との思想がある。立法、行政、司法の3権が「横並びに分立」するなどとは憲法のどこにも書かれていないのだ。まして内閣法制局が、行政府の中の裁判所のように政府の行動を制約する(あるいは誘導する)のは越権行為ではないか。そのような考え方があることを知ると、民主党の政策の中に、地味ではあるが国政の姿を正常化しようとする意欲が見えてくる。
 なにしろ50年以上も事実上の「保守党独裁」でやってきた日本の政治である。3権分立どころか、3権癒着の一体化で今に至っていることを認識しなければならない。ここから脱却する方法は、簡単に言えば「立法府は立法府らしく、行政府は行政府らしく、司法府は司法府らしく機能せよ」ということだ。
 この基本が守られていたら、明日から共産党と社民党が政権与党なっても、日本の政治は混乱などしない筈である。どんな政治を実行してほしいかは、国民が選択することだ。この国の「かたち」は、憲法の原理原則が守られている限り、ゆらぐことはない。
(追記・天木直人氏は、同じ現象に「憲法九条の危機」を見ておられるが、内閣法制局が「解釈改憲」の道具として使われたのは事実だと思う。行政からの司法の分離は、憲法の本来の姿を守ることにつながるのではないだろうか。)

漢字と日本語と外国人受け入れと

(熊さん)昨日は珍しくブログがお休みでしたね。その前の日に、えらく張り切ってたから、知恵熱でも出して寝込んだかと思いましたよ。
(ご隠居)この年で知恵熱はないだろう。土曜日ってのは、週のうちでいちばん忙しいんだよ。さぽうと21で、午前と午後と、在日外国人の高校生に日本語を教えてるんだ。日本語たって、大部分は漢字を覚えさせることだけどね。中学生ぐらいで親の都合で日本へ連れてこられて、日本の学校へ通うんだから、その苦労ったら、並たいていじゃないさ。
(熊)日本人の大人だって、漢字でけっこう苦労するもんね。
(隠)彼らの漢字の覚え方を見てると、面白いことに気がつくんだよ。わしらは漢字の変な訓読みが苦手で、よくテレビでクイズになったりしてるけど、彼らは漢字を訓つまり「その文字の意味」で覚えていることが多い。だから「暖冬」は「あたたかふゆ」と読みたがるんだ。これを「ダントウ」と読むのに苦労してる。もちろん音と訓の区別なんか意識してないが、素直に読んだら、むしろ「あたたかふゆ」の方が日本語としては正しい。直すのがもったいないと思ったりするわけさ。
(熊)たしかに「あたたかふゆ」なら、子供にだってわかりますね。
(隠)日本語は専門の高度な学問になるほど漢語が増えてくる。そのおかげで表現が短くなるなどのメリットはあるんだが、なにしろ明治時代からの伝統だから、古い漢籍の知識で作られたものも多いんだ。看護師の試験で話題になった「褥瘡」(じょくそう)は、「床ずれ」のことなんだが、どちらの字も常用漢字には入っていない。日本人の看護学生だって、説明されなきゃわからんだろう。わかりやすい日本語にした方が、長い目で見たら、日本人のためにもなるだろうね。
(熊)インドネシアから来た看護師さんが、知識も技術もあるのに、日本語の難しさが壁で、試験に合格できないそうですね。
(隠)だから可哀そうってことじゃなくて、外国人にそれだけ難しいってことは、日本の子供にも知らぬ間に重い負担をかけているってことだ。日本の文化としての日本語をどうして行くか。ワープロで変換できるから漢字を増やせばいいっていう簡単な話じゃないんだ。わしは最近、漢字が書けなくなっていて、毎回、教えるのに冷や冷やしてるんだよ。
(熊)ご隠居がそれじゃ、おいらが書けないのは当り前だね。


文明は挑戦する

 いまジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」(倉骨彰訳・草思社・上下巻)を、珍しく図書館から借りて読み始めています。地球上の各民族が、どのようにして異なる文明を築き今に至ったのかを、なるべく予断なしに客観的事実のみに基づいて解明しようとした文明論のようです。読みながら、これはアーノルド・トインビーの「歴史の研究」を補完する、もう一段深層からの研究と思われて、期待感を持っています。
 「歴史の研究」全12巻の大冊を通読したのは、30歳になる前後でしたから、もう50年近く前のことになります。もちろん細部は何も覚えていませんが、世界の主要な23の文明をとりあげて、さながら文明が一個の人格であるかのように、その誕生、成長、挑戦、衝突、衰退などを説明しているのが、歴史小説のようで面白かったのを覚えています。
 ここでお話するのは、これらの本についての解説ではありません。今朝起きるまでの間に、天啓のように私の頭に浮かんだ想念についてです。その前に、私の思考パターンの特徴について少し説明した方がいいかもしれません。私は大学で学んだ4年間に、使い終ったノートが1冊もありませんでした。本を読んでも人の話を聞いても、対象への親和力が強いように感じています。だから私が会話の中で最も頻繁に発する言葉が「なるほど」です。そして終った後には、得られた核心の記憶だけが残り、残余のことは消えているのです。
 図書館から借りた本の直前に読んだのは「分かち合いの経済学」でした。そこに書かれていた「奪い合う経済学」との対決は、これも一種の文明の衝突と見ることができます。そこへ愚樵さんからのコメントが入ってきました。それでまた日本人の特質と歴史いうことを考えました。昭和20年の敗戦は、日本の文明がアメリカ文明に組み敷かれて屈服するという形での「文明の衝突」でした。その屈服は、小泉構造改革にも普天間基地にも直結しています。
 個々に起こったように見えるさまざまな要因が、やがて結び合って一つの新しい流れを作って行く。トインビーはそのように文明の発達を見ていたと思います。文明に個性があるとすれば、それはまず構成員の個人の中に宿る筈です。そろそろ結論を書いておきます。私の頭に浮かんだことを文字にすると、こうなるのです。
 憲法九条を持つ日本の文明は、やがて世界を制覇する

(追記・愚樵さんと時々パリさんからもコメントをいただきました。私の返信コメントを再掲しておきます。)
家族から始まって世界に至るまで、人間の集団は時間経過とともに大きくなってきました。分かち合いの成り立つ集団は争いを非暴力的に解決します。世界から戦争がなくなるのは、じつに単純な歴史の必然です。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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