志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年10月

「こころの回廊」を読む

 「こころの回廊・本願と出会う旅」(渡辺郁夫・みずのわ出版)を読みました。入院中の3冊目として回復期に読んだので、癒される気分で素直に読めました。この本は深山あかねさんから差し入れをいただいたもので、ご自身のブログですでに8回も連続で詳細な読後感を書いておられます
 中国新聞に連載された記事を中心にまとめたということで、下関から始まり京都で終る紀行文の形をとっていますが、全編を通して流れているのは浄土教の仏心です。著者としては地理的な軸と時間の軸とを重ねて、時空の一致する深遠な「本願」への回路をイメージしているようですが、私はもっぱら、ふっくらした温かさのある紀行文として読んでいました。
 新聞で1回ごとに読みきりの前提で書かれたものなので、挿絵とともに、見開き一面におさまる1話ごとに、非常に明瞭なイメージが読み取れます。金子みすずの生家のある山口県仙崎を紹介している回では、ぜひその場所を自分で訪ねてみたいと思いました。
 この本は、総括して書評するよりも、気に入った一部分を引用して全体を想像していただくのが向いているように思います。因幡の青谷(鳥取)の近くに和紙の里として知られる山根という部落があり、そこの紙漉き名人源左についての逸話です。源左は熱心な仏教者でありながら生涯文盲でした。家の周りに柿の木があり、熟れたときの話で、以下引用です。
 「柿の木の回りに茨がくくりつけてあるので誰がしたのか源左が不審に思った。村の若い者が柿の実を取るので、それを防ぐために源左の息子がしたことだった。源左はけがをさせてはいけないと茨をはずして、代わりに梯子をかけたという。しばらくして息子が梯子をはずそうと言うと、『まあ置いとけやあ』『人が取っても、やっぱり家の者が余計食うわいや』と言ったという。源左はそういう人だった。」そして次のように解説します。
 「およそ彼らには取るという発想がないのだろう。何よりも自分が身に余るほどいただいているからだ。それは無尽蔵なのでいただいたものを分けてもお返ししてもいっこうに減りはしない。これが浄土の経済学だ。」と。
 イスラムの経済学が砂漠に似合うように、浄土の経済学は日本の風土に似合うように思われます。浄土の経済学が成り立ったら、資本主義や新自由主義よりも住みやすい国ができるに違いありません。そんな夢を、一瞬であっても思い描かせてくれる本でした。
(追記・この本の原典となった中国新聞の連載記事(挿絵入り)は、下記で見ることができます。)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/purebac.htm#『こころの回廊』(中国新聞連載記事 洗心欄)

「希望難民ご一行様・ピースボートと『承認の共同体』幻想」を読む

 古市憲寿著の光文社新書です。巻末に本田由紀の「解説と反論」がついています。入院のとき、自分で用意して1冊目に読んだ本でした。ピースボートの世界一周クルーズには大いに興味があり、数年前にパンフレットを取り寄せて、晴海に停泊中の船を見に行ったこともあります。安い費用で100日あまりの世界一周航海ができるのが魅力です。
 ピースボートは、その名の通り平和運動の一環としての船旅の構想から始まり、1990年から世界一周を実現させました。今は年間に1000人規模のクルーズを3回も行っているNGOです。特徴は若い世代の参加が多いことで、ピースボートの広報やオルガナイザーとして働くことにより、格安の運賃で参加することも可能です。
 著者によるとピースボートの乗客は、政治的「目的性」と人間的「共同性」を求める度合いにより4つに分類されます。両方が強ければ「世界(平和)型」になり、目的性だけが強ければ「自分探し型」、共同性だけが強ければ「文化祭型」、どちらも弱ければ単なる「観光型」です。そうしたさまざまな階層、年齢別の人々が集まって、3ヶ月あまりも船という閉鎖住居環境で暮らすのです。その中で特に若者たちが何を期待して乗船し、どのように変化して行ったかを、自らも船客となって追跡したのがこの本です。
 若者たちの多くが期待するのは、航海を通して自分の居場所を発見し、将来につながる希望を掴むことです。しかしその目的を達する人は多くはありません。もともと現代の社会に希望を持てない「希望難民」が集まっても、それだけでは希望は生まれません。船は「あきらめさせる装置」になるとまで著者は述べています。もちろん世界一周というのは魅力ある目的ですが、その期間限定の中の希望だけでは、実社会には続かないのです。所詮は現代日本社会の縮図になるということです。
 この本を読んだおかげで、実際に乗ったらどんなことになるのか、かなり具体的なイメージが持てるようになりました。正装で食事するような堅苦しさがなく、安い費用で、しかも現代の若者たちとふんだんに交流しながらできる船旅は、依然として私には大きな魅力です。
 実際に今後乗れるかどうかはわかりませんが、気になるのは現代日本の若者たちの状況です。少子化で大切にされ、理想的な環境で社会に受け入れられてもいい筈なのに、安定した就職への道が狭くなる一方とは、どういうことでしょうか。豊かさを築いてきたと言われる中高年以上の人たちの社会的ストックを、もっと有効に活用する方法はないのでしょうか。
 巻末の「反論」にもあるように、私たちは社会をよくするために、じたばたしながらでも利用できるものは何でも利用するしかないのです。ピースボートは、利用できる貴重な道具の一つであるというのが私の結論です。

宇宙って何だろう、涅槃対談

(ご隠居)ああ、お釈迦さま、お呼び立てして済みません。つい入院していた癖で「涅槃コール」のボタンを押してしまいました。先日の「宇宙は何でできているのか」の本が好評のようで、今日の新聞にも大きな広告が出ていましたよ。
(お釈迦さま)ほう、そうですか。あれは面白いですね。空の星の奥に宇宙の果てが見えているなんて、私は知りませんでしたよ。人間の知恵は、たいしたものですね。固い石でも平気で通り抜ける素粒子が飛び交っているなんていうのも、いくら考えても気がつきようがありません。私はほんの狭い世界しか知らなかったのだと思います。
(隠)それでもあなたは「万物は空である」と見通された。人の世にあるすべては仮の姿であると。物理学もなかった時代に、よくそこまで洞察されましたね。
(釈)私は人の生き死にや、季節の移ろいを見ていて気がついたのですよ。目の前の苦しみや悲しみに心を奪われていたのでは人は救われない。絶対に変らない真実を悟らなければ心の平安は得られないだろうとね。その真実というのは、変らないものは何一つないということだったんです。変らないものがないというのが不変の真実だった。ここが難しかったんです。
(隠)そうなんですね。そこまで到達されたあなたは、その悟りを自分だけの喜びとせずに、世の人みんなに教えようとした。そこが先達の行者たちとは違う偉大なところだったと私は思います。人に伝えることで、二千年後の世界にも普及する宗教になった。
(釈)私の考えがそこまで広まったのは、人々が求めていたものと一致するところがあったからではないでしょうか。だから多くの弟子や研究者が、思想として発展させてくれた。
(隠)そして現代ですが、文明が発達したようでいて、人間が幸せになったとは思えません。新しい悩みや不満が、むしろ増えているように見えるんですが。
(釈)宇宙の成り立ちまで解明しようという、その志はいいんですが、宇宙がわかったところで、それで人間の心が昔のままだったら何にもなりません。名誉も権力も目先の損得も、すべて一時の夢のようなものだと知ることが大切なのです。欲得から解放された人が増えれば、人の世は地上のままでも、もっと住みやすくなる筈ですよ。
(隠)武蔵高校と学習院で先生だった田中清太郎先生の詩集「明滅」に、「宇宙が原子であったとしても、原子が宇宙であったとしても、私の世界が変りはしない……」という作品がありました。厳然とした自分の世界を持っておられる、尊敬できる先生でした。
(釈)それでいいんです。自分が宇宙と一体化できたら、生も死もなくなります。私はどこにでもいますから、思い出したらいつでも「涅槃コール」で呼んでください。あなたは手術で少し涅槃に近いところまで来たけど、まだそちらにいた方がいいでしょう。
(隠)ナースコールは病院でないとできないけど、涅槃コールは制限がないからいいですね。たぶんこれから日本では、ますます忙しくなりますよ。
(釈)わかってますよ。戒名がなくても、みんな受け付けるから安心してください。

北区立滝野川小学校開校120周年を祝う児童集会

 私の出身校である東京北区の滝野川小学校は、開校120周年を迎えて、今日はその全校児童集会でした。11月6日の記念式典・懇親会に先立ち、在校生全員が学校の歴史を学び、将来の夢を語るという趣旨のようでした。生徒が主役に立って、スライドの映写に合わせて交代で説明する構成でした。
 開校は明治23年(1890年)で、高等科を含む尋常高等小学校として創立され、当初は4教室に生徒数90名だったということです。当時は東京郊外の農村地帯でした。しかし明治後年から大正、昭和にかけて市街地化が進み、規模の拡大とともに、分教場や分校が次々に独立して新しい学校が増えて行きました。それでも私が在学した昭和10年代まで、滝野川「本校」という呼称が残っていました。
 学校の歴史で大きく語られるのは、やはり戦争の時代と学校との関係です。集団疎開で子供たちが親元を離れ、貧しい給食と寂しさに悩みながら生活した時代が紹介されて、ここで証人として体験者の先輩が登場する段取りになっていました。招かれたのは私を含む同期生の4名でした。まず、学校の職員をしていた経験があり、100年史の編集も手がけて事情に通じている友人が全般的な説明をして、次いで集団疎開に最後まで参加していた友人が、食べ物や衣類や寒さの話を具体的に聞かせました。蚤やしらみとは、こんな動物なんですよと、大きなイラストまで用意していました。
 そのあと司会の生徒が、「少国民たちの戦争という本を書いた先輩がいて、この本は図書室にあります」と紹介してくれました。子供たちの前に立つと、小学生というのは、本当に可愛らしく見えます。小学生の私も同じようだったに違いありません。
 「子供のときの戦争は面白かった。頭の上の空中戦で、日本の戦闘機が体当りしてB29が墜落するのは、どんなゲームの大当りよりも嬉しかった。でも、爆弾が落ちてくれば人が死に、家が焼けるんです。B29に乗っていた人にも、子供や家族がいたでしょう。戦争は絶対にしてはいけません。日本は、一番大事な憲法で『もう戦争はしません』と決めました。みんなはよく勉強して、戦争をしない世界を作ってください。」と、短い言葉で話しました。そのあとで4人目の友人に、自分の家を焼かれた経験を語って貰いました。
 第2部は校庭に出て、温かい日ざしを浴びながら、歴史クイズや「滝野川音頭」の踊り、校歌の斉唱などがありました。そして昼には現在の学校給食をご馳走になりました。きんぴらごぼうの肉炊き込みごはんがメインの、申し分のない内容でした。私たちは、学校給食というものを食べた経験のない世代なのです。
 すっかり建て替っている現在の校舎に、64年前の面影はありません。言葉がどれだけ届いたかはわかりませんが、そこにいたのは可愛い盛りの孫世代の子供たち500人でした。

「宇宙は何でできているのか」を読む

 手術を受ける前後の時期に読んでいたので印象が深かった。幻冬舎新書・村山斉著で「素粒子物理学で解く宇宙の謎」と副題がついている。この分野での日本の研究が、世界の最先端を行っている事情がよくわかった。湯川博士の予言から小林・益川理論へのつながりなど、ノーベル賞学者たちの研究が、なぜ偉大であったのかが納得できる。
 あらゆる物質が分子から原子に分解できることがわかり、ニュートン力学が完成したのだが、それで終りではなかった。原子核も中性子を含む粒子の集まりであることがわかり、研究は素粒子、クオーク、ニュートリノへと、ますますミクロの深みに入って行く。そのミクロの研究は、宇宙は何で出来ていて、どのように誕生したのかを解明することに直結する。これを著者は自らの尻尾を呑み込む蛇の形にたとえている。尻尾の先まで調べてみたら、蛇の頭が見えてきたというのだ。
 私たちが触ったり味わったりできる常識的な「物質」の世界は、最新の計算によると、宇宙全体の質量の4.4%を占めるに過ぎないというのには驚かされる。現在の素粒子理論を総動員しても、説明できる部分は3割に満たないというのだ。それでは残りの7割以上は何なのかというと、未知の「暗黒エネルギー」だという。そう考えないと、宇宙が加速度的に膨張しつづけていることの説明がつかない。エネルギーは究極的には質量と同じもので、それは粒子であり波でもある。
 今は見えている「宇宙の果て」も、やがて光速を超えて地球から見えなくなると予想される。だから今のうちに予算をとって観測しておく必要がある。この本には、突如として下世話な笑いを誘うような記述も出てくるので楽しく読めてしまう。
 素粒子の研究には金もかかる。山手線に匹敵するような巨大な円形加速器を地下に建設したり、日本には地下に数万トンの水を溜めて宇宙から飛来する素粒子を捕らえようとするスーパーカミオカンデの計画もある。それが成功して新しい素粒子の存在が実証されたら、投資に見合うような良いことが人類にもたらされるのだろうか。誰にもわからないのだが、人間は知の領域をどこまでも広げずにはいられない。素粒子物理学は、いまや「何でもあり」の黎明期にあるのだそうだ。
 素粒子から見たら、人間の体などはスカスカで通り抜け自在の遊園地にも当らない。私たちが固い物質と信じているものも、宇宙に星が浮かぶような一時的なバランスで成り立っている。この本は、ぜひお釈迦さまに読んでほしかった。「万物は空」とは、こういうことであったのかと、興味津々で読むに違いない。「ほう、やっぱりそうであったか」と、改めて悟り直したお釈迦さまと、楽しく話し合ってみたいものである。 
(追記・コメント欄の「隠居と釈迦の会話」を入れておきます。)
(隠)「物理学も天文学も発達していない時代に、よく『万物は空』なんて悟られましたね。」
(釈)「私は人間の悲しみ苦しみから、どうしたら自由になれるかを考えたただけですよ。そうしたら、自然の移ろいを見て、この世に固定したものが存在しないことに気がついた。私が発見したのは、その簡単な事実一つだけです。」
(隠) 「しかしそこから現代までを覆う大きな宗教が発達した。」
(釈) 「それはもっぱら弟子たちの功績ですね。私の言葉を発展させて、緻密な理論を経典にまとめて行った。私だって驚いてるんです。素粒子物理学も、経典の一部分のように読めますね。」
(隠) 「それは根本にある思想がしっかりしていたからでしょう。今の面白い世の中に、もう一度来臨されたらいかがですか。ノーベル賞ものですよ。」
(釈) 「いやいや、同じ人間が再来したら空の原則に反します。生きるのは一度だけに限りますよ。」
(隠) 「やはりそうですか。では私はもう少しこちらで遊んでから行くことにします。呼び出したりして失礼しました。またお会いしましょう。」

ブログ連歌(148)

2939 理科離れ 歪(ひずみ)ただすを 課題とす (みどり)
2940  詰め込みでなく 考える力を (建世)
2941 スウーッと 胸のつかえが 平和賞 (うたのすけ)
2942  平和と民主 万人の夢 (ハムハム)
2943 一人目の 静かに還る カプセルで (花てぼ)
2944  ご隠居さんは 歩いて帰る (建世)
2945 トラブルは 切って町(腸)内 またつなぐ (建世)
2946  腸々発止と 連句再開 (うたのすけ)
2947 稚拙でも それでは早速 寄せてチョー(腸) (こばサン)
2947B 生きている 此の喜びを 共にせん (みどり)
2948  人心地つく 自宅二日目 (建世)
2949 高らかに 救援ラッパ 鳴り響き
2950  黄色いスカーフ 勝利の雄叫び (うたのすけ)
2951 麻酔利き 生きるも死ぬも 同じこと (玉宗)
2952  本来素粒子 終始もあらず (建世)
2953 難病の 治療果てざる 希望もち
2954  投げぬ命の 日々に輝く (みどり)
2955 わが運に おごり戒め なお生きん (建世)
2955B 病む人に 生きる道筋 教えられ (うたのすけ)
2956  学びの庭に 老いの一徹  (うたのすけ)
2957 同じ世を 先ゆく人の 頼もしき (玉宗)
2958  連句はいくよ 息切れせずに (うたのすけ)
2959 今日と明日 続くかに見ゆ 此の宇宙 (みどり)
2960  われ小さくも 人知果てなし (建世) 



井上ひさしの「一週間」を読む

 井上ひさしの最後の長編小説で、「小説新潮」に2000年から2006年にかけて連載されたものを、著者の死後にまとめて、この夏に発売された。500頁にあまる大冊で、友人が入院中に差し入れてくれたのだが、少し読み残して退院後に完読した。途中でやめられなくなる面白さだった。
 井上ひさしはよく知っているようでいて、じつはその著書をまともに読んだことがなかった。小説とは、このように書くものかと感心した。次から次へと話を展開させて決して退屈させない。そして適当なインターバルで独特の笑いが挿入されるのだ。しかし描きたいテーマはあくまでも真面目で、人の世に理想の社会を築くことが、いかに難しいかを語っている。
 主人公は満州で現地召集され、ソ連軍の捕虜となって強制労働キャンプに収容された元マルクス青年である。時は終戦翌年の昭和21年春。ソ連軍は捕虜を「間接使役」したから、旧日本軍の暴力体質はそのまま温存されて、兵士たちは理不尽な犠牲を強いられていた。そんな中でも教育宣伝のための日本語新聞が発行されていて、そのスタッフに主人公がスカウトされたことから波乱の一週間が始まるのだ。何となくロシア民謡の「一週間」を連想する。
 取材を通して、主人公は大胆な脱走経験を持つ元軍医将校から「レーニンの古手紙」なるものを入手する。レーニンはソ連では絶対神聖な存在で、日本なら天皇にも相当するのだが、当初のレーニンは中央集権志向ではなく、弱小民族の権利を守る平等社会の実現を誓っていたというのだ。その後のレーニンは、権力の集中をはかる過程で「革命の理想」を裏切ったことになる。これが公開されたらソ連体制の根幹が揺らぐ大問題になりかねない。
 というのも常識で考えれば誇張された設定なのだが、とにかくソ連軍幹部が考える偉大なる革命の成果も、一片の文書によってたちまち相対化されてしまい、あとは「重要文書」をめぐる駆け引きの活劇になる。そこから読み取れるのは、たいそうなイデオロギーや「皇軍の統制」などは本当はどうでもよいことで、人間にとって大事なのは、身辺に虐殺や拷問が起こらない暮らし方ではないかというメッセージだと思った。
 それにしても、シベリア抑留を長引かせた当時の政治的メカニズムや、犠牲者を増やした旧軍の体質温存など、あまりよく知られていない歴史の暗部にも、綿密な取材で光を当てた作品でもある。井上ひさしは、まことにプロ中のプロの作家だった。

入院から退院までの総括

10月9日(土)10時半入院。手術について詳細説明。外泊で帰宅。
10日(日)食事止め。午後2時再入院。夕刻に下剤。
11日(月・祭)朝から腸管洗浄剤2リットルを飲む。
12日(火)8時50分より手術、昼前に終る。苦痛なし。
13日(水)集中治療室のベッドで観察される。眠れないのを我慢していたが、辛抱し過ぎも自分の欠点と気づき、睡眠薬を貰って13時間連続で眠る。これが良かったらしい。
14日(木)病棟に戻る。歩行訓練をするが、立つと貧血状態になり、短距離のみ。絶食5日で体力が落ちている。ベッドで読書していたら、「集中治療から戻った日に本を読んでいる人を初めて見た」と看護師さんに驚かれた。
15日(金)午前と午後に歩行訓練。午後の歩行中にガスが出た。腸が動き始める。
16日(土)やや自由に歩けるようになる。ガスと共に黒い軟便が出る。
17日(日)流動食が始まる。ドレーンが抜けて点滴のみとなり、歩きやすくなる。ただし頻尿が激しくなり、早朝の失敗でベッドを盛大に濡らす。尿管が入っていたためか、括約筋がきかない。看護師さんたちは、てきぱきとマットレスまで交換してくれた。
18日(月)粥食となり、点滴も抜けた。読書がはかどり、3冊目の「こころの回廊」に入る。
19日(火)通常食となり、手術痕の抜糸を受ける。ただし今は糸は使わず、ホチキスのようなチタン製の針で留めてあるので、ペンチのような道具で針先を開かせながら抜き取る。見せて貰ったが、まさにホチキス針そのものだった。ちなみに、腸をつないだ針はどうなるのか質問したところ、そのまま腹の中に置いて差し支えないのだそうだ。空港の金属検査にも影響はないというのだが、死後の遺骨の中の針は、やはり異物だろう。粉砕して遺灰にするときに困るのではないだろうか。退院日について希望を聞かれたので、山勘で「あさって」と答えた。医師団への感謝の歌一首。
 救命の感謝は深しさりとても 長居無用の病棟なりき
20日(水)食事はすべて完食。やや風邪ぎみで、微熱があり、咳をすると傷が痛い。臨時に咳止めと風邪薬を出してもらった。もっぱら4冊目の井上ひさし「一週間」を読むが、大冊なので読みきれない。午後に3時間の外出で帰宅してシャワーを浴びる。
21日(木)9時半に退院。早速に雑用があり、落ち着かぬまま、むきになって「一週間」を読み終る。我ながら、奇妙な帰宅初日になってしまった。一種の興奮状態が続いていたように思われる。

手術直後のミニ涅槃

 手術当日の午後だと思うが、集中治療室内のベッドで最初の回診があった。外科部長以下、何人もの医師に囲まれて「どうですか、痛みますか」と聞かれた。私の返事は「どこも何ともありません、いい気分です」と実感のままだった。苦痛がないだけでなく、手も足も自由に動かせるのだから気持がよかった。医師たちの顔が、みんな笑顔になった。部長は「侵襲が少ないから回復も早いんだ」と、周囲に教えるように語っていた。
 じつは本当の痛みはこの後から始まるのだが、全身麻酔の影響が残っていたらしいこの時間帯の恍惚感は独特のものだった。ゆったりと横たわり、すべて他力本願の幸福感である。その中で非常にカラフルでリアルな夢が断続的に現れた。
 黄色く丸い地面の中央に黒い石碑のようなものがあり、字が彫ってあるようなので読もうとすると、視点は意に反してカメラのズームバックのように上方に引かれて、周囲に多くの小さな黒石が何重にも円形に取り囲んでいるのがわかった。その黒点はじつは人間で、中央に向けて深く礼拝しているのだった。やがて地面は遥か下へ遠ざかり、鮮やかな朱色の雲と光が満ちてきた。地上の朝でも夕日でもない、宇宙の始まりのようだった。入院して2冊目に読んだ「宇宙は何でできているのか」の影響に違いないということも、しっかり意識しながら、映画でも見るような気分でいた。
 以前に腸の手術で緊急入院した妻も、回復期に非常にリアルな夢を見て、本当はあり得ない不合理な話なのに、そのときは真実としか思えなかったと話していた。全身麻酔が脳に及ぼす影響がどのようなものか詳しくは知らないが、ふつうの夢よりも「理性の無統制」がずっと長く続くのではないだろうか。その意味では、臨死体験にも近いのかもしれない。
 仏陀は修行によって人間の理性を封じ込めることを学び、その結果として最上智である「涅槃」に達したとされている。その最上智の内容は「万物は空」であると知ることだった。私が手術の直前に最新の宇宙論を読んでいたのは偶然だったのだろうか。この本は宇宙論の入門書の筈なのに、結論は「宇宙のことは、まだ全体のほんの少ししかわかっていない」ということなので唖然とした。本当に「いったい誰がこんなものを注文したんだ」と叫びたくなる。
 宇宙がどうであれ、私の生命は現代の優れた医療によって守られた。守られるほどの価値のある人生を送ることが恩返しというものなのだろう。一足先に、涅槃らしきものの一端を経験することもできた。やはり長生きはしてみるものである。

心から御礼申し上げます

 この度の入院について、多くの身にあまるご好意の激励、慰め、そして退院のご祝詞をいただきました。帰宅して第一に読ませていただきましたが、偶然に帰宅早々に雑事が重なり、個別の返信をさしあげるタイミングを失してしまいました。コメント欄での会話はブログの大きな楽しみであるのに、不本意なことでした。失礼をお侘びし、心から御礼申し上げます。
 入院前に比べて、体重が2キロ減りました(52から50へ)。早寝早起きの健康生活で、失地回復を目指します。今後のケアの方針などは、来月8日に主治医から説明があるそうです。

手術台という彼岸

 10月12日午前8時50分が私の手術予定時刻だった。病室で手術着に着替え、頭には紙製のキャップをかぶり、病棟の看護師に付き添われてICU(集中治療室)へ移動した。手術前の体に自覚症状は何もないから、もちろん歩いて行く。ICUの自動ドアの前で、妻と軽く手を握って別れる。そこから先はICUの管理区域になり、入口で患者IDと氏名の確認を受ける。
 導かれた手術台は、意外に狭かった。足の部分は、必要に応じて左右に割れる構造になっているのがわかった。手も、体から少し離すようになっていたと思う。最初に体を横向きにして、背中に硬膜外麻酔の針が入った。仰向けに戻って、心電図の電極など、いろいろなものが次々に体に取り着けられて行く。やがて「点滴に麻酔を入れます」と声がかかった。それを聞いたのが私の記憶の最後である。
 そのあと、2時間ほど過ぎたようだが、「志村さん、終りましたよ」という担当医の呼び声で目を覚まし、正面に顔が見えた。「奥さんも、すぐ見えますよ」と、にこにこしている。へえ、こんなものかと思った。手術そのものについての記憶は、私には一切ない。もしも手術が失敗で絶命だったとしても、私には何の感知もないだろうと、そのときに確信した。
 私の知らないところで、私の体には心電図の電極3本、自動血圧・脈拍・体温測定器、足の血液を循環させる間歇圧力器、鼻から胃へ通したドレーンパイプ、尿道から膀胱へ通した尿管、腹腔の廃液を出すドレーン、背中への鎮痛剤経路、酸素マスク(後に鼻腔チューブに移行)、そして当初からついていた点滴と、11本のチューブや電線が装着されていたのだった。
 そして執刀医を中心とする、おそらく10名以上のチームが、最適の手順で所定の手術を進めて行ったのに違いない。切開の長さは65ミリとあとで聞いた。その狭い空間から患部を取り出して切除し、リンパ節も取り除いて、小腸と結腸の健康な部分とを縫合した上、腹腔内を何度もよく洗って完了したのだという。
 事前の綿密な検査と診断、そして術中の患者の身体状況をリアルタイムで表示する各種の機器類が、全体として手術を失敗させない強力な安全システムを構築しているのだと思う。それはたとえば、巨大なジェット旅客機を飛ばせる安全技術とも共通しているのではないだろうか。医療は今や高度に発達した現代技術の頂点に近いところにある。しかし、中心に立つ一人の医師の知力の重さは、旅客機の機長をも上回るのではないだろうか。

自宅へ「入院」?

(熊さん)あれ、ご隠居もう帰ってたんですか。午前中には出てくるって聞いてたけど、妙に静かだったじゃないですか。病院へ出戻りでもしたかと思いましたよ。
(ご隠居)いや、すまんすまん。めでたく無事に退院したさ。きっちり予定通りでしたねと、医師チームにも看護ステーションの皆さんにも褒められたよ。上々吉の退院で、それはいいんだが、家に戻ったら珍しく目先の仕事があったりで、まとまった時間がとれなくてさ。退院まぎわに読みきれなかった井上ひさしの「一週間」、これが分厚い500ページもの大作で、入院には向かない本だと思うんだが、例の「天女」の友人が豪快に送ってくれたから義理で少しは読んでみた。これが面白くてな、先が気になって最後まで読んでしまう破目になったのさ。
(熊)退院早々、なにやってるんだか。心配してたみんなのことは頭にないんですかい。
(隠)そんなことはないよ。家に帰って最初にやったのがブログ連歌の更新だったんだよ。それから溜まっていたメールの整理。これも他人任せにはしないことにした。
(熊)病院ではどうだったのか、様子を知りたい人も多いんでしょうにね。
(隠)それもいっぱい考えてあったんだが、どうもまだボーッとのぼせていて、まとまらんのだよ。今朝は入眠剤のおかげでよく眠れて、頭がすっきりしていたんだが、家に来たら、また入院したみたいで変な感じだな。
(熊)まさか、自分の家に「入院」ですかい。
(隠)そんなわけはないな。ま、別荘から帰ったと思えばいいか。

わが家に「外出」、明日は退院

退院日を明日に決めて、3時間の一時外出で帰宅しています。入院中のいろいろな事と、ベッドで読んだ4冊の本の内容が、頭の中でぐるぐる渦を巻いています。病院と自宅とは、ちょっとした「彼岸」と「此岸」でもありました。それが距離的に目と鼻の先なのですから、さらに奇妙なのです。
 本調子になるまでに少し時間がかかるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。お寄せいただいた皆さまのご好意への感謝は、言葉に尽くすことができません。(建世)

 本人の留守中は、つたない管理人で、ご不便をおかけしました。また、皆様で楽しく続けられますように・・・・。うたのすけ様、また、連歌いっぱい、よろしくお願いします。(ひさ江)
     
      明日、ケーキ買いましょ!

退院 決まる

 今日の昼ごはんは、明るいラウンジへ運んで頂きました。六階からの眺めは、天井の高さまでの窓で、中央線をはさんで街が一望できます。手術日から、丁度十日目の退院予告です。全て、本人がブログ上でお知らせした通りの、順調な経過です、。良かったー、の、一言です。
 有難うございました。

病床だより (2)

 今日は昼前に、学生時代のお友達が来てくださいました。電車を乗り継いで二時間もかかって。その方は、片肺と胃の三分の二を切除されている、その道の大先輩です。三人でラウンジで暫し談笑。廃液と点滴の管もなくなり、昨晩から、おかゆ食です。顔色も良く、歩き方もかなりしっかりです。(ひさ江)
    
    今日からは パイプ外れて 自由人  (建世)

病床だより

 12日の手術から、5日めの夜になりました。13、14日は気分が良さそうでした。15日夕方行ってみますと、我慢強い人が、痛い、といって顔を、しかめていました。午前中から続いた、術後の検査のため動きすぎたようです。
 今日16日は、昨夜の睡眠薬で、良く眠れたらしく、顔色もよく、声もよくでていました。 私の方は、せっかくの連歌が続かなかった事で、少々落ち込んでいます。臨時とは言え、管理人としては勉強不足でした。ごめんなさい、です。
 玉宗様、みどりさん、病院あての、お手紙ありがとうございました。
 今年は、能登、函館、と、良い旅が出来たこと、とても喜んでいます。
 玉宗さん、奥様に、よろしくお伝え下さいませ。 (志村ひさ江)

(連歌) 運休のお知らせ

 突然ですが、管理人の都合で、連歌しばらくお休みさせていただきます。
 せっかく楽しく続けられてきましたのに、すみません。
 連歌はつづくよどこまでも、の精神で、再開出来る日をお待ち下さいますように・・・・・。(志村ひさ江)

    かわぐちえいこう様
   函館では、伸び伸びと楽しかったそうです。レンタカーで三百kも走り回ったようです。年の割りに、結構、無謀な事をやりますので、家の者たちは心配しています。 でも、今後は、要注意です。おかげさ まで、21日、退院の予定です。
  有難うございました。

術後は順調

皆様お見舞いありがとうございます。 
何本もつながっていた管も、今日は二本だけになりました。
家から病院は二、三分。
近いのを良いことに、今日は三往復してしまいました。
(志村ひさ江)

手術、無事終わりました

麻酔から始まって二時間弱。
事前の説明通り、先生方の確かな手順で運ばれる様子に
私は安心して待機。
今晩だけ集中治療室で看護を受けるとの事で、家に戻りました。

以上、今日のご報告でした。
(志村ひさ江)

臨時管理人からのお知らせ

 病院からのブログ更新は、 手続きが面倒なのでしない事になりました。
無理せず休ませますので、 よろしくお願い致します。 
 本人は至って元気です。ご馳走を食べる夢を見たそうです。
部屋は六階の西側、近くの談話室から夕方の富士山がき
れいだったようです。 (志村ひさ江)


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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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