志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年11月

管理人より

 入院も五日めとなりました。昨年に続いて受験生がいるので、インフルエンザばかり心配していましたが、陰性でした。 この際、先生方のおっしゃるように老体の チヱックをしていただく意味で、入院を続ける事になりそうです。看護体勢は充分、家からは病院もみえています。今朝は洗濯を終わって朝ドラを見ているところへ電話あり、「空がきれいで、談話室から富士山が見えるよ」と嬉しそうでした。病院の朝は早いのです。志村が局にいた頃は、獅子文六の「娘と私」でした。 北沢彪、加藤道子さんでした。昭和三十五年頃、古い話です。 (ひさ江)

ブログ連歌(153)

3057「県民は カクタタカヘリ」 今もまた
3058  終戦のない 沖縄の民は (建世)

代理人より

 訂正です。 昨夜の文中で、 かんじん、な間違いをしていました。肝臓、膵臓ではなく、肝臓、腎臓の機能低下でした。一週間以内と思いますので又よろしくお願い致します。前回と同じ六階のお部屋なので、ナースセンターにも顔なじみの方が多く心強いかぎりです。これから不足の物を届けに行きます。 (ひさ江)

再び代理人より

 ご心配おかけしております。
 23日、祭日の夜、朝から続く高熱に耐えかね病院に電話しました。近いので、救急車をお願いするより早いからといわれ、娘のつれあいの車で救急入り口へかけつけました。血液検査で肝臓、膵臓の数値がよくないので、しばらく入院して、という事になりました。一週間位と思います。年齢の割りに若ぶって・・・と家の者ともども、いつもヒヤヒヤしている私としては、要するに、 老化現象 、とおっしゃって下さった先生に感謝と拍手・・・の日でした。良く眠っているようなので夕方もどりました。 安心してどんな夢をみているでしょうネ・・・。

お知らせ

原因のよくわからない高熱に襲われて、しばらく謹慎しております。
(追伸)熱の原因はインフルエンザのようです。ワクチンは接種済みですし、抗菌剤と解熱剤で対処しています。39度台の熱が続くのは楽ではありませんが、もっぱら寝て暮らしています。

民主党は、どうすれば良かったのか

 法務大臣の更迭で民主党は当面の危機を回避し、補正予算の成立を優先させるようだ。しかし失言問題ばかりでなく、領土問題への対応の不手際など、不安定要素は累積していて予断を許さない。内閣支持率も低落が続いて、21.8%まで落ちたということだ。政党支持率でも自民党に負けるまでになった。
 昨年夏の政権交代の熱気から、まだ1年と3ヶ月しか経っていないのに、どうしてこんなことになったのか。民主党は、それほどひどく国民を裏切ったのだろうか。机に積んだ資料の下の方から去年のマニフェストが出てきたので読み直してみた。そこで気づいたことがある。いま落ち着いて読んでみると、要するに「たいしたことは書いてない」のだ。民主党への期待のかなり大きな部分は、有権者が勝手に自分の夢を重ねた虚像だったのではないだろうか。
 たとえば外交については「…緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、…米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす。」「…米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」と書いてあるだけだ。普天間基地の「最低でも県外」は、演説では語られたのだろうがマニフェストには記載されていない。 
 「企業団体献金は禁止」も、約束の上位に書いてはあるが、いつから止めるとは明示していない。それよりも意外に感じたのは「衆院定数を80削減します。」が大きな字でトップページに書いてあったことだった。これは今年の参議院選挙で「比例区のみ80削減」の提案となり、中小政党排除の悪法だと緊張させられたのだが、去年のマニフェストにこれほど堂々と掲げられていたとは、恥ずかしながら全く記憶に残っていなかった。
 一時が万事で、マニフェストは政治家が作った文書だから玉虫色の部分が多い。そして「やったけど、できなかった」場合の責任の取り方などは、もちろんどこにも書いてない。
 民主党にも神通力はなかった。ある人たちは小沢一郎氏が足を掬われなければ真の改革が出来たと、今でも口惜しがっている。でもそれほどの大人物とは、にわかには信じられないし、現実問題として救世主としての登場には間に合わないだろう。
 民主党がどうすれば良かったのかについては、おそらく誰にも正解はわかるまい。私たちにできることは、これから有権者はどうしたら良いかを考えることだけだ。受け皿がないままの解散総選挙は危険な道になる。ここは試練の時と考えて、民主党のやることにNOとYESを突きつけながら経験を積ませ、国民の役に立つように教育して行くべきだと思う。

沖縄県知事選挙を応援する方法

 沖縄では今月28日の投票日に向けて、知事選挙が終盤に入ろうとしている。この選挙の結果は、普天間基地の辺野古移転問題に大きく影響することになる。基地経済に依存してきたと言われる沖縄県が、基地のない自立へ向かう出発点になるとともに、日本の対米自立への第一歩になる可能性もある。非常に重要な選挙なのだが、本土のマスコミは、ほとんど何も報道しない。
 立候補しているのは、再選をめざす現職の仲井真弘多氏(自民・公明・みんなの党推薦)と、伊波洋一氏(社民・共産・社大・国民新党推薦)、それに幸福実現党の金城竜郎氏も加わっている。仲井真氏は保守ではあっても辺野古基地の建設には反対の立場をとっている。伊波氏は普天間基地を抱える宜野湾市の市長を辞任して知事選に立候補したもので、基地反対の姿勢を貫ぬくための立候補と言える。金城氏は米軍基地賛成の立場だが、選挙は事実上、仲井真、伊波、両氏の一騎打ちと見られている。
 この選挙への民主党の対応は無責任きわまるもので、基地の辺野古移転でアメリカと合意していながら、その政策を実現する知事候補者の擁立ができなかった。結果として自主投票とし、所属議員が沖縄知事選の応援に行くことも禁じたのだから念が入っている。「地元とよく話し合う」というのは、仲井真知事再選なら説得の可能性があると踏んでいるのだろう。去年の夏に民主党に集まった期待が何を求めていたのか、完全に裏切っている。
 この状況で、東京にいながら沖縄を応援する方法がないものかと考えた。沖縄には親戚も知人もいないから、電話をかける相手もわからない。どうしようもないかと思っていたのだが、池田香代子さんのブログを見て、やる人はちゃんとやっていると感動した。このところ連続して沖縄への熱いメッセージを送り続けていて、それらの一つひとつから切ないほどの真情が伝わってくる。
 11月20日の「沖縄を愛する全ての『誰か』へのラブレター」の中には、こんな一節があった。
  「これから4年間の、10年間の、100年間の沖縄を想像して、
  投票して下さい。」
 本当にそうなのだ。知事選挙で県民の「基地を許さない」意志が強く表明されたら、少なくとも4年間は基地建設の着手はできなくなる。その4年間は、10年、100年につながり、日本を変えて行く可能性がある。特に沖縄の若い世代に、ぜひ投票に行って伊波候補を押し上げてほしい。何でも沖縄に押し付けて申し訳ないが、今は最前線にいる沖縄の人々に、心をこめてお願いしたいと思う。

政治家の失言、迷言、名言

(熊さん)大臣って、気楽な稼業なんですかね。決まり文句を二つだけ知ってればいいとか。
(ご隠居)ああ、時の人になってる法務大臣のことだな。本当にそうなら熊公だって大臣をやれるわけだが、もちろんオーバーに言ってみた話だろう。身内の会合だったそうだから、ぶっちゃけ話で笑いを取ろうとしたんだろうよ。だが失言てぇのは、ぽろりと本音が出るようなところがあるな。
(熊)するてぇと、決まり文句が通用することもあるんですかね。
(隠)NHKのアナウンサーから議員になった木島則夫さんに聞いたことがあるが、議会とは議論をするところだと思っていたが、毎日が儀式の連続としか思えなかったそうだ。決まりごとばかり多くて退屈だったんだろうな。
(熊)へー、そんなものですかね。
(隠)戦後の名宰相と言われた吉田茂も、議会での答弁は嫌いだったらしい。質問で「大事な問題ですから、これは総理から答弁願いたい」と言われても「問題が重大でありますから、担当大臣から答弁致させます」と答えてしゃーしゃーとしておった。このときは議場全体が笑ってしまって、問題にもならなかったな。だが「バカヤロー」のときは、ごまかせなかった。
(熊)議会でバカヤローなんて言っちゃったんですか。
(隠)野党の挑発にアタマにきたんだろう、答弁の最後に、うっかり「バカヤロー」とつぶやいてしまったんだ。面と向かって言ったわけじゃない、独り言だったんだが、ちゃんと聞こえてしまった。自分でもまずいと思って「はっきり取り消します」と発言したんだが、間に合わなかった。懲罰委員会にかける動議が出されて、それが与党の分裂もあって可決され、内閣不信任という政局になり、解散・総選挙になってしまったんだよ。昭和28年の「バカヤロー解散」がこれだ。
(熊)うーん、政治家の発言って、大変なんですね。口から出たら取り消しても間に合わない。
(隠)そうなんだ。ふつうの会話なら謝って直せばいいようなことでも、政治ではいつでも野党が攻撃の材料を探している。自民党の大臣も、これで何人も辞める羽目になったな。与野党が入れ替わっても、やっぱり同じことをしてるわけだ。
(熊)それにしても、政権交代した初めの頃の鳩山内閣の大臣の方が、ぴりっと締まってたような気がしませんか。
(隠)そういう感じはあるな。どうも民主党が自民党に似てきているようだ。それが政治をつまらなくしている。さすが民主党と言われるような成果を、早く見せて貰いたいものだ。

おひさまエネルギーファンドのこと

 大学同期の例の「天女」を舞った友人の娘さんで、外資系の会社で活躍していた人ですが、数年前から自分で納得できる仕事をしたいと、市民参加型自然エネルギー事業に飛び込んだ人がいます。その人から、最近の仕事の内容を聞くことができました。
 おひさまエネルギーファンドは所属している会社の名で、これまでに太陽光発電や木質バイオマスなどの実績もありますが、現在取り組んでいるのは立山アルプスの小水力発電事業ということでした。小水力発電とは、新しいダムは作らず、既存の砂防ダムなどから水を引き、一般に1万キロワット以下の小規模発電をして水を川へ返すという、環境負荷の少ない発電です。それでも風力よりも安定した効率のよい電力が得られるということです。
 こうした事業に必要な出資金を広く一般から募って、得られる収益から3%程度の配当を支払い、7年程度の期限で出資金も償還するというのが基本的な契約パターンのようです。ただし元本の保証はありません。事業の成績は、国からの補助、電力会社の買取価格、自然条件などの変動にも影響されます。出資者は商法による「匿名組合」に入るのです。
 匿名組合員は、出資した金額を超えて責任を負うことはない「有限責任」です。そして営業者とのみ契約して組合員相互の間には権利義務がないので「匿名組合」と呼ばれます。しかし実際は同じ目的で集まっているのですから、見学ツアーや情報交換などの交流も盛んのようです。小さい子供の名義での申し込みも珍しくないとのことでした。パンフレットには「お金に意思を持たせる」という趣旨が書いてありました。漫然と金融機関に預けておいたら何に使われるかわかりませんが、未来に役立つ投資を自分の意思で選ぶことになるのです。
 ピークオイルと呼ばれる石油文明の最盛期は、間もなく終ろうとしています。使えるエネルギーが残っている今のうちにこそ、永く持続できる自然エネルギー事業に充分な投資をして整備しておかなければなりません。日本の対応は遅れています。昨夜のNHK「クローズアップ現代」でも、政府補助金による自治体風力発電の失敗例を紹介していましたが、民間の知恵と資金を集めたファンドの活躍する分野は、これからますます広がることでしょう。
 環境対策は国家的な政策の問題ではあっても、現場の個々の対策や事業が成功するかどうかは、かかわりを持つ市民の意識、つまりは国民の参加の有無にかかっているのだと思います。

映画「いのちの山河」を見る

 この16日に、なかのZEROホールで上映された劇映画「いのちの山河・日本の青空供廚鮓てきました。主催者は「9条の会・中野」「東京土建中野支部」を含む14団体が参加した実行委員会でした。3回の上映の午後の部に行ったのですが、満席の盛況でした。
 副題は新憲法制定の理念を明らかにした映画「日本の青空」の続編であることを示しています。私は認識不足で、「日本の青空」はかなり昔に作られたように思っていたのですが、2007年の制作でした。そしてこの「いのちの山河」は昨年に作られたのでした。
 映画は、岩手県の旧沢内村の出身で、村の医療福祉に尽力した村長の実話に基づいています。冬は雪に閉ざされる山村では、病人は医者にかかることもできず、医者の世話になるのは死亡診断書を書いて貰うときだけという状態でした。特に悲惨なのが老人と乳幼児でした。父親から「医者になれ」と言われて育った主人公は、しかし文科に進み、教師として戦後の村に帰ってきます。そこから妻とともに新しい村づくりに取り組み始めました。
 映画は全くケレン味のない、古風と思えるほどの真っ正直さで人間ドキュメントを綴って行きます。主人公の情熱は、村を少しでも住みやすくしたい、そのために日本国憲法の国民の生存権の理念を生かすという信念に支えられているのでした。その信念は村人を動かし、やがて自ら村長になっての活躍となります。
 村は昭和30年代という早い時期に、60歳以上の老人と乳幼児の医療無料化を実施しました。昭和37年(1962)には全国の自治体で初めて乳児死亡ゼロを達成しています。人口6000人の村だから出来たとも言えますが、驚くべき先進的な成果でした。
 しかし村長の在任期間は8年足らずと、決して長いものではありませんでした。激務を続ける中で肺がんの発見が遅れ、59歳で逝去しました。村長の遺体を乗せた車を迎える村人たちの長い列が雪道に続く場面では、中国映画「初恋が来た道」の名場面を思い出しました。
 国民健康保険さえも整備の途中だった時代に、一村長の決断でこれだけの政策が実現できたのでした。予算の配分に異論はあったでしょうが、何を大切にするかの優先順位を決めるのが行政の仕事です。地方の分権とか自立とかの政策は、今はどうなっているのでしょうか。平成の大合併は、憲法から遠くなっているのか近くなっているのか。要は行政と国民が直接に議論するところから、変化は始まるのです。

「文明崩壊」を読む(5)崩壊を救う道

 著者のジャレド・ダイアモンドは、第4部「将来に向けて」の最後の章を「世界はひとつの干拓地」と名づけています。文明社会は、もはや地上の自然物ではなくて、不断の手入れで維持される人工物になっているのです。それを崩壊させない方法は簡単ではありません。著者も明快な処方箋を示すことはなく、ただ「慎重な楽観主義者」として「希望の証拠」はあると述べています。
 地球上の化石燃料も各種の鉱物資源も、すべて使えば枯渇する「再生不能資源」ですから、永久に使い続けることはできません。技術が進歩すれば条件の悪い資源も開発できるでしょうが、エネルギーの消費が増え、有害物質の蓄積が進む一方になります。再生可能と思われている生物資源も、使い方を誤れば枯渇したり絶滅もすることは、過去の歴史も教えている通りです。人間の文明が破綻せずに長く続くのは、けっこう難しいのです。
 大企業の行動も重要です。環境負荷の強い産業では、政治力で強い規制をかけるばかりでなく、環境の保全が企業の利益にもなるような誘導が必要で、そこでは消費者・国民の意識が大きな力を発揮する筈です。環境破壊の修復よりも、環境破壊の予防の方がずっと効率がいいことを周知させなければなりません。幸いにして私たちは多くの教訓事例を知っています。
 しかし人間の文明生活が、基本的に自然環境を侵害するものであることは隠しようがありません。自然に対する負荷の総量は、個人の侵害量と総人口との積で決まります。人数を抑制して、快適な文化生活を楽しむというのも、一つの賢い選択になるでしょう。それは先進国から始まって、順次に世界に普及して行く生活スタイルになるのかもしれません。
 いずれにしても、地下資源の利用は私たちの孫が成人するあたりの時代で限界に近づく筈です。その後は太陽から地球に降り注ぐエネルギーを原資として文明を維持しなければならなくなりますが、著者は技術革新でエネルギーが無限に使えるような安易な夢を戒めています。太陽エネルギーの大半は、将来とも光合成に使われなければならず、人間が勝手に使える部分は、それほど多くないと述べています。これについては、私の知識では今は判断できません。
 ただ、森林の緑が人間の「ふるさと」であることは信じられます。緑の森と田園と、中層・低層の住宅が程よく調和した関東平野に、私の子孫が暮らすようになってほしいと思います。そのとき遠い背景に見えているのは、放棄された高層ビル群の姿でしょうか。

ブログ連歌(152)

3019 米中ロ ともかく巡礼 顔が立ち (建世)
3020  次の行き先 杖に聞き (深山)
3021 本山は やはりアメリカ 約束す (建世)
3021B 杖が言う 次の行き先 本山詣で (深山)
3022  辺野古移転の 手土産は無理 (建世)
3023 余りにも 調子良すぎる オバマさん
3024  身ぐるみ剥がれ 泣きを見ぬよう (うたのすけ)
3025 自由化で 赤字拡大 何とする
3026  諸刃の剣の アメリカ経済 (建世)
3027 飼い主に ジャレぬ仔犬を 幸いと
3028  棒持て叩く 悪ガキ二人 (うたのすけ)
3029 宝くじ 二度と買うまい 仕分け論 (建世)
3030  外れてもまたも 買う宝くじ (深山)
3031 稀勢の里 稀な勢いで 金星を 
3032  まぐれに非ずと 稽古倍増 (うたのすけ)
3033 木鶏も 未だ国産 成らずして (玉宗)
3034  これで相撲も 興味半減 (深山)
3035 それぞれに 道極めゆく 秋の暮れ (みどり)
3036  出直し一勝 それもまた良し (建世)
3037 再仕分け 実効なきも 采配す (みどり)
3038  仕分けは無駄と ならねばよいが (建世)
3039 宝くじ 絶対買わぬ 意地通す (うたのすけ)
3040  くじ運よりも 天運信じ (建世)

「文明崩壊」を読む(4)崩壊への道

 これまでに崩壊した文明はいくつもありますが、それらはなぜ防げなかったのでしょうか。たとえばイースター島で椰子の木を最後の1本まで切ってしまった人間は、そんなことをすれば未来が損なわれることに気がつかないほど愚かだったのでしょうか。この問題については、著者は4つのカテゴリーを考えています。
 第1は、問題があっても集団がそれを問題として認識しない場合。全く想定外だったり、過去の経験にない場合に起こります。第2は、問題があると感じられても、それを自分たちで解決する問題とは思わない場合。自然の現象としか認識しない場合などです。第3は、放置できない問題であるにもかかわらず、集団内部の利害の分裂などで対策が取れない場合。一部の者が困っても、他の者には関係ないと見なされる場合などです。そして第4は、集団が本気で解決に取り組んでも、解決が成功しない場合です。
 往々にして人間は、ゆっくりした変化に対しては鈍感になります。イースター島の森林も、何世代もかけて少しずつ伐採されて行ったのでしょう。子供のころに見た風景とあまり変らなければ、森林の消滅を本気で心配する気持にはならなかったに違いありません。まして島民は文字を知らず本を読んだことがなく、幾多の古代文明が自然環境の破壊により消滅したことを知りませんでした。
 現代では、もっと深刻な人為的な崩壊もあります。ルワンダの大虐殺は、フツ族とツチ族による民族対立の噴出であると一般的には説明されていますが、現地での綿密な聞き取り調査に基づいて考察した著者は、もっと根源的な原因を報告しています。一部の地域では、ツチ族の住民がいないにもかかわらず、フツ族同士の間で大規模な虐殺が起こりました。その地域では、どんなに努力しても生存が困難なほど人口が過密化していたのでした。
 生活苦のストレスが極限まで高まっていた地域では、過激派民兵組織以外の穏健派や知識層の人々までも一律に敵と見なされて攻撃されました。目的は、土地や財産を持っている者たちから奪うこと、非常に簡単に言えば、地域の人口が適正になるまで殺して減らすことでした。
 環境が閉じていれば、限度を超えた人口の増殖は、環境の破壊と同じ結果を招くのです。資源の枯渇も悲惨ですが、人間の過密は、人間同士が直接に衝突するだけに、人間社会の崩壊としては、さらに悲惨なのかもしれません。

「文明崩壊」を読む(3)日本と中国

 日本については第2部「過去の時代」の中で、江戸時代を一つの成功例として紹介しています。戦国時代で荒廃しかかった国土を、統一した安定政権の下で持続型社会として200年以上維持したというのです。その間、輸入も輸出もほとんど停止していたので、世界にも例の少ない自立した持続型社会でした。
 江戸幕府は植林を奨励し、木材の伐採には総量規制をかけましたから、森林は生育する範囲内で消費されることになりました。これなら資源が枯渇する心配はありません。その基礎になったのは、木を植えておけば子や孫の代に役に立つことを期待できた社会の安定性でした。この伝統は今も守られていて、日本は先進国の中では最高の74%の森林被覆率を維持しています。もっともこれは安い外材に押されて国内の林業が不振をきわめているからなのですが、国内の豊かな森林が国の財産であることに変りはありません。
 江戸時代は、静止した文明のモデルとしても非常に面白いと私は思っているのですが、著者はここでは深入りしていません。
 著者は中国の現状については非常に憂慮しています。経済が発展し国民の生活水準が向上するのは良いとしても、水の絶対量、次いでエネルギーの絶対量が足りるかという深刻な問題があります。都市の水不足はもちろんですが、それ以上に水が足りなければ食料の生産が追いつきません。巨大な人口が生活不安に陥れば、それは直ちに世界の不安要素になります。
 ただ、中国が伝統的に中央集権的であり、今も共産党独裁の政権下にあることが、困難を解決するのに有利かもしれないという見方が面白いと思いました。たとえば「一人っ子」政策で人口増を強引に抑制したのは賢い選択でした。これは民主主義の政治体制では実行不可能だったに違いありません。強力な政治の指導力が、環境問題の改善に発揮される可能性もあります。
 中国は今は盛んな生産力と消費意欲で、世界経済の救世主のような役割を果たしています。その一方で大規模な環境破壊を進行させているのも事実です。環境の保護と生活水準の向上を両立させる新しい文化モデルを、中国は創造することができるでしょうか。そんな重要な役回りを負っている中国を、著者は「揺れ動く巨人」と名づけています。

TPPで日本はどうなる

 横浜APECを機に、にわかに浮上したのがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)だった。菅総理が「第二の開国」と表現していたが、要するに貿易を原則自由の無関税にしようということだ。アメリカは乗り気でオバマ大統領は「輸出倍増」を唱えている。日本の財界も賛成の意向を表明した。国産品と輸入品の区別がなくなって、貿易がますます盛んになることを期待しているのだ。
 この件について、「そりゃおかしいゼ」の獣医さんが11月9日から12日まで、4回にわたってブログ記事を書いているのが参考になった。安易に貿易自由化を農業部門にまで拡大していいのか。生産性の低い産業として切り捨ててしまえばいいのかと問うている。食料の生産と工業製品の生産とでは本質的な違いがあるということを、政治家も国民も、本当に知っているのだろうか。
 食料は、価格が安くなったからといって2倍食べることはない。つまり消費の拡大はない。一方で供給が3割減ったら飢餓が始まる。それに対して工業製品の大半は、人が生きて行くのに必要不可欠ではない。さらに工業製品は、工場の立地と労働力さえあれば、どこでも同じようなものか生産できる。しかし農業・畜産業も漁業も、それぞれの地域の風土・歴史と密接に関連しながら発展してきている。一度切り捨てたら、急な再建など不可能になる。
 食料の自給は国としての安全保障にもかかわるのだが、いま読んでいる「文明崩壊」の文脈から見ても、もっと深い意味がありそうな気がする。それは文明の多様性ということで、多様性があったからこそ人類は生き延びてきたと言えるのだ。その観点からすると、貿易自由化は世界の均一化を促進する。世界にくまなく同質の文明が普及したとき、その文明の危機もグローバル化するだろう。のっぺらぼうになった地球には、逃げ場がなくなるということだ。
 世界に同じ価値観が通用するのは便利なことだが、人類は全体として適応力の弱い生き物になりはしないだろうか。日本人は素直でおとなしい国民と思われているようだが、部分的にはそろそろ「物わかりの悪さ」を発揮してもいいのではなかろうか。グローバル化で安いものを豊富に使うようになった私たちだが、それで幸せになったとは思えないのだ。
 事業仕分けではないが、経済力も軍備も世界一である必要はない。凛として平和に生きる東洋の君子国であってほしい。

「文明崩壊」を読む(2)ノルウェー領グリーンランドの絶滅

 上巻の後半で印象的だったのは、北欧バイキングの発展とグリーンランドの運命でした。文明の伝播が遅かった北欧の民は、厳しい自然環境に鍛えられた航海術と勇猛な開拓精神により、ヨーロッパ文明に多大な影響を与えました。主力はイギリス、ドイツ、フランスなどに定住・同化してキリスト教を受け入れ、現代にまで影響を残しているのですが、グリーンランドと北米への定住には成功しませんでした。
 それでも10世紀から14世紀まで、450年にわたってグリーンランドに5000人規模の開拓地を維持していました。定住を始めた初期の気候が温暖だったこともありますが、厳しい気候変動に適応できる生活文化を確立できずに終ったのでした。著者は崩壊の原因として、次の5つの要素を挙げています。―嗣韻砲茲覺超侵害 気候の変動 K楾颪箸陵Чヅな接触の減少 ざ疥挂餌押淵ぅ魅ぅ奪函砲箸療対的な関係 ソ嗣閏身の保守的な世界観
 開拓地には、不相応なほど立派な教会が立てられ、代々の司教はノルウェー本国から派遣されていました。現地の暮らしを知らない人物が最高の権威者でした。土地に合わないウシなどの牧畜は、貧しい土地に過重な負担をかけ、土壌の流失を招きました。建築や船材として使う木材の不足も深刻で、現地生産できない鉄とともに輸入に頼っていました。
 極寒の季節を過ごすには、イヌイットたちの生活の知恵が大いに役立ったに違いありませんが、イヌイットとの交流や通婚の記録は一切ありません。出会えば殺すか、殺されるかの関係でした。海獣や魚の脂を燃やす照明や暖房の方法も、海獣の骨と皮で作った小舟を操るイヌイットの優れた狩猟技術も、ノルウェー人には無縁のままでした。互恵の関係になった筈の物々交換さえも行われた形跡がありません。
 ヨーロッパでは柔軟に現地と調和できたのに、イヌイットに対しては「神を信じない蛮族」とする侮蔑感を拭うことができなかったと著者は推測しています。海獣や北極熊の捕獲についても、ノルウェー人にはバイキング以来の伝統があり、イヌイットは単なる「盗人」に過ぎませんでした。
 本国が黒死病の惨禍などで衰退し、数年にわたって船の来航が絶えたりするようになり、司教も不在となって権威が崩壊します。生活苦から住民の間に紛争が多発し、傷つけ合った遺体が残されました。そしてある年の晩春に、生まれたばかりの家畜の蹄まで食い尽くして、ノルウェー人は絶滅しました。デンマークが改めてグリーンランドを領有するのは、近代に入ってからです。
 ノルウェー領グリーンランドは、最初から滅亡を運命づけられていたのだろうかと著者は反問します。生き延びる可能性はあったのだが住民の選択は違っていた。それでも450年存続したのは、アメリカ合衆国の文明よりも長いと著者は述べています。

ブログ連歌(151)

2999 生涯の 帳尻あわず 摩訶不思議 (みどり)
3000  合うも合わぬも 三途の渡船 (建世)
3001 六文銭 あれば老後は ケセラセラ
3002  これがホントの やさしい政治 (うたのすけ) 
3003 民ならぬ 公の竈は 賑わいにけり (玉宗)
3003B 身を削る 貯蓄借金 要らぬ国
3004  現にあるらし 理想捨てまじ (みどり)
3005 流出の 深追い過ぎは 恥晒す (うたのすけ)
3006  政治ゲームの ヒット番組 (建世)
3007 みんなして 観賞してて 機密とは (うたのすけ)
3008  只見多くて 格好つかず (建世)
3009 名乗りしも 職務いかにす 明日ある身 (みどり)
3010  与えてみたい スクープ大賞 (建世)
3011 小気味よき 投稿の弁 期待する
3012  反省の二字 決して言うまい (うたのすけ)
3013 政争を している間にも APEC
3014  TPPの 難所が迫る (建世)
3015 横文字の 会議が並ぶ 迷い道 (うたのすけ)
3016  YOKOHAMAあたりで KANが転がり (建世)
3017 物々し 警邏東京に 溢れおり
3018  それでも見たいな オバマさん (花てぼ)
3019 米中ロ ともかく巡礼 顔が立ち (建世)
3020  次の行き先 杖に聞き (深山)




尖閣ビデオの替え歌・うらなみ太郎

\痢后屬Δ蕕覆漾廚
 乗ってた太郎保安官
 尖閣ビデオ見てみれば
 口惜しい思いが湧いてきた

∪治家さまの思惑に
 ビデオはあるが見せられぬ
 わけのわからぬ騒がしさ
 月日は流れて1ヶ月

もったいぶった試写会に
 招かれ拝見6分間
 これぞ外交玉手箱
 国民みんなは蚊帳の外

こぞ緤欅造慮従を
 どうぞ皆さん知ってくれ
 研修ビデオの公開に
 何でためらうことがある

ゥ優奪箸望茲譴亶ちに
 上を下への茶番劇
 国民そうかと納得し
 海は明日も波任せ 

「文明崩壊」を読む(1)イースター島の悲劇

 ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」を読み始めています。上巻の半分を少し過ぎたところですが、過去の文明崩壊の事例を丹念に研究しながら、文明崩壊が起こる原因、崩壊する過程とその結末を明らかにし、文明が崩壊する条件を考察しています。
 著者によれば、文明は生命体とは違って「生れたら必ず死ぬもの」ではありません。しかし文明の永続もまた難しいのです。どうしたら文明は生き延びることが出来るかは、下巻の最後に論じられる筈です。ここでは、上巻の前半に登場したイースター島の場合を紹介しておきましょう。
 イースター島の際立つ特徴は、その孤立性です。ポリネシアの東端に位置して、最も近い島からも大陸からも、手漕ぎカヌーで15日以上の距離にあります。めったなことでは外界との交流はありません。この島に定住したポリネシア人は、有名なモアイ像に代表される高度な巨石文化を発達させました。青銅も鉄も知らずに、石器の斧だけでそれらを作ったのです。
 巨大な石像を運び、台座の上に立てるのがまた大仕事だった筈です。椰子の大木の丸太と、木の皮の繊維で作る丈夫な綱が大量に必要でした。それらを供給する森林が、当初のイースター島にはあったのです。しかし地理的な条件から、再生の能力は低いものでした。
 巨石文化には人口も必要です。ピーク時には5万人とも推測される人口を養うために、森林は伐採されて畑となりました。複数の部族による競争は、石像を巨大化させます。そして環境破壊は決定的となりました。最後に作られた石像が最大の大きさだったというのが象徴的です。始まった崩壊は止まりません。
 限界を超えた人口を飢餓が襲い、部族の抗争は互いの石像の破壊に至り、信仰も権威も失墜します。樹木は一本残らず切られ、有用な植物も動物も、多くの種が絶滅しました。人間は互に食人に走ったということです。数百年を経てヨーロッパの船が立ち寄ったとき、島には数百人の島民が未開人のように暮らしていて、海に出る手段は粗末な筏しかありませんでした。
 著者は感想として、彼らは難民として島の外へ出ることができなかった。私たちも地球の外へ難民として逃れることはできない。孤立した島は、孤立した地球に似ていると述べています。

国民総中流の国

 少し前にどこかで見た記事で、出典が何だか思い出せないのだが、人の幸福感と所得との関係を調査した結果というのが出ていた。それによると、当然ながら所得が高いほど幸福感は高くなる。しかしその傾向は年収600万円あたりで頭打ちとなり、千万や億の所得になると、幸福感とはほとんど無関係になるというのだった。高所得で達成感は得られるかもしれないが、どう管理するかのプレッシャーもあるだろうし、生活の満足感とは次元が違うだろうと思った。
 私たちがイメージする「よい暮らし」とは、日常の衣食住に不足がなく、欲しいものは順序立てて手に入れることができ、趣味の生活や子供の教育に必要な支出にも応じられて、年に数回の旅行にも出られる、といったところではないだろうか。それが実現するのが年収500万を超え、600万に近づくあたりというのは、納得できる。
 そのような暮らしを全国民に提供できる国があったら、それこそ「天国に近い国」と言われるに違いない。日本がそんな国になれる可能性はないのだろうかと考えた。たとえばベーシックインカムで年収500万円を保証したらどうなるか。その場合、全国民に年間500万円を支給する必要はない。世帯の収入としてあればいいので、平均世帯人数が3人あまりとすれば、4000万世帯に年収500万円が行き渡ればいいことになる。この総額は200兆円になる。
 ただし、年収500万円の保証は全額の給付ではなくて、年収の足りない世帯への補助だから、実際には半分の100兆円も使わないで済みそうに思われる。すると、にわかに荒唐無稽の話ではなくなるのだ。2010年の日本のGDP(国民総生産)は540兆円程度だそうだから、その2割にも当らない。
 全国民が年収500万円以上の暮らしをする日本が、不景気でいるとは考えられない。需要と供給のバランスが回復して、産業界、流通業界も健全な回転を始めるのではなかろうか。
 もちろん、財源の問題はある。まず、年収600万円以上の所得への課税は重くなるべきだし、相続税も同様になる。為替取引、証券取引など資本の移動への一般取引税など新税の導入も急ぐべきだろう。産業・資本業界に集まり過ぎている所得を、国民個人へ再分配する流れを作らなければならない。資本の成長に奉仕する経済から、人間の幸福に奉仕する経済への転換である。
 こういう発想を嘲笑し敵視するようだったら、経済学は滅んだ方がいい。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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