志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2010年12月

浅草レビューの復活

 この年末に、私が一度だけ出かけた先が浅草でした。浅草の黄金期を再現するショーが上演されているという新聞記事を見て、懐かしさもあり、最近の浅草を見たい気持もあって、妻を誘って行ってみました。「復活!昭和歌謡ショー、エンケン・笠置のヒットソングレビュー」と銘打っています。しかも3月までの連続公演というのですから「本当かいな」と思いました。
 行ってみて、かなり納得できる内容でした。そして町おこしの「名物づくり」の一環としている企画の意図が理解できました。会場は国際通り(国際劇場はなくなっても、通りの名称は変りません)に面するROXビル4階の「まねきねこ館」で、入り口は横裏手の六区側にあります。ここは大型のカラオケ店なのでした。その一角に舞台を備えた中ホールがあり、食事もできる椅子席と掘り炬燵式の桟敷があって、定員は60名ほどでしょうか、劇場ではなくライブハウスなのです。
 出演は「虎姫一座」という9名の芸達者な集団で、歌とダンス、パントマイムを、目まぐるしく役割交代しながら演じます。つなぎには小倉久寛の活弁調の解説が映像で入り、時代を映す町の風景、ニュース映画なども上映されます。全体の企画構成は「アミューズ」の大里洋吉です。
 少人数ながら、かつての国際劇場やフランス座を思い出させる華やかさと色気が再現されていました。客層は比較的年配者が多いので、懐メロを聞くだけでも飽きません。私も久しぶりにエンケンのマイム入り「洒落男」の全歌詞を聞いて、昔を思い出しました。最後の「リンゴの唄」になると、客席を巻き込んでの盛り上がりになります。
 休憩なし1時間ほどの舞台で、料金は全自由席の2500円でした。開場時間が開演の1時間半も前になっているのは、好きな席をとって飲食しながら待っている含みなのでした。これは行ってみてからわかったことでした。ですから予約をとっておいて早めに入場するのがよさそうです。私は電話予約したものの会場探しに迷い、満席の隅からの観覧になりました。
 ネットで検索したところ、正月期間中は1日2回公演を続けるようです。冒険的な企画と思いましたが、話題づくりに成功したのではないでしょうか。公演時間などは「アスカシアター」のホームページに出ています。(電話03-5826・0315)
(追記・ご用とお急ぎのない方は、過去記事に「浅草フランス座繁盛記」があります。)

ブログ連歌(157)

3119 破綻せど 不屈に粘る EU統合 (恩義)
3120  骨のあるやつ ドイツだそれは (建世)
3121 イタ公を 抜いて同盟 ドイツ言い (うたのすけ)
3122  日独伊同盟 はるかな昔 (建世)
3123 結ぶなら 憲法9条 のぼり旗 (みどり)
3124  不戦同盟 世界に満ちよ (建世)
3125 夜なべして 望年会の 後始末 (花てぼ)
3126  師走らしさが 人なみとなる (建世)
3127 スーパーの ちらしメモって 嬉し気に (うたのすけ)
3128  買い物上手の 年越し算用 (建世) 
3129 手持ち不沙 暮れのあれこれ 決まりつき (うたのすけ)
3130  長老ひとり 新聞を読む (建世)
3131 酒癖は 海老蔵並みよと 見栄を切る (うたのすけ)
3131B 年の瀬に その日暮らしの 浮き沈み (玉宗)
3132  師走過ぎれば すべてリセット (建世)
3133 残り蕎麦 新しくもなき 去年(こぞ)昔 (みどり)
3134  年越しの名の なつかしきかな (建世)
3135 賀状書く ブログ口調の 映りけり (花てぼ)
3136  リアルの友を ブログに誘い (建世)
3137 あと僅か 今年も終わって また今年 (うたのすけ)
3138  それが嬉しい いつでも「今年」 (建世) 
3139 それぞれの 家にそれぞれ 正月が
3140  何はさておき まずは目出度し (うたのすけ)


2010年を送る

(熊さん)ご隠居、今年もあと1日でお終いですね。どうでした、この一年は。
(ご隠居)そうさな、いろんなことがあった年ではあったな。いろんなことがあると、時間は長いように感じるものだ。この春のことなんか、ずいぶん昔のような気がするよ。小学校の同窓会の幹事を珍しく引き受けて、昔の区役所だった会館で開いたのが5月だったかな。その少し前、5月18日には能登の市堀玉宗さんの興禅寺で、朝の座禅をしていたんだ。
(熊)ちょうど喜寿、77歳の誕生日だったんですよね。
(隠)うん、あの旅はよかった。新緑のいい季節でね、後半人生の指針ができたような気がしたよ。そして6月に大腸内視鏡検査の予約をした。定期検査だから先の方が得だと思って9月9日という遅い日にしたんだが、それがちょいと微妙だったかな。そして7月には26日に出発して29日まで、函館トドホッケ海岸への上陸を敢行したんだ。かわぐち・えいこうさんの「サーフサイド」店前の赤いベンチに腰掛けて写真を撮ってもらったのは、一生の記念だな。
(熊)市堀玉宗さんの生まれ故郷も見られたんですよね。
(隠)そうだった。山勘で撮った写真に、ちゃんと写っていたのは嬉しかったな。そうこうしている間にも、「少国民たちの戦争」の本を出す仕事が進んでいたから忙しかった。社会批評社の小西誠さんが、1ヶ月ちょっとの突貫作業で8月初旬の発行に間に合わせてくれたんだ。能登も函館も本の出版も、考えてみたらみんなブログのコメント欄から始まったことなんだよ。私の後半人生は、まさにブログ様々というところだな。ブログを知らなかったらどんな暮らしをしていたか、今ではそっちの方が想像もつかない世界だ。
(熊)ところが秋からは、あの入院騒ぎで急転直下でしたね。
(隠)それほどのショックということはなかったよ。何でもふつう通りに受け入れて、いい判断ができたと思ってる。4年前、最初に大腸がんポリープを見つけてくれた社会保険中央病院に感謝しなくちゃいけないな。あとは東京警察病院で、申し分のない治療と看護をしてもらった。入院生活を一言で言えば、やはり「楽しかった」に尽きるんだから、我ながら幸せな人間だと思うよ。いろいろ珍しい経験をして、本も読めた。「知的余生」としたら最高の環境だね。
(熊)入院で、少しは考えが変ったりはしませんでしたか。
(隠)病院とのつきあいはまだ続くから現在進行形なんだが、限界を知って楽しむということかな。無理はしないが楽しめるという気持、これはいい傾向だと思ってるよ。

「知的余生の方法」を読む

 「知的余生の方法」(渡部昇一・新潮新書)を読みました。著者は34年前の高度成長期に「知的生活の方法」というミリオンセラーを出した人です。題名が気に入って買ってみたのですが、総括的に書評するようなイメージをつかむというよりも、具体的な知恵の集大成のように読める本でした。
 著者の立場は、人は死ぬまで知的に前を向いているのを理想とする、ということです。そのためには「内発的興味」を楽しむ姿勢を身につけることを基本として、周辺の条件を整えて行くことが必要です。その条件とは、肉体と頭脳を健康に保つこと、余生に適した居場所を定めること、時間と財産を適切に管理すること、人間関係を円滑にすること、などに大別されます。
 まず身体と頭脳の健康のためには、「規則正しさ」を推奨しています。身体も頭脳も刺激を受けることによって活性化するのですから、毎日の定期的な活動こそが長持ちのための鍛錬になるのです。具体的には呼吸法と栄養学を重んじ、毎日一定量の知的作業をこなすことです。そのような「継続は力なり」を実践した結果として、「95歳にもなると世の中に対する未練はもちろん、神や仏にすがろうという望みも、また死に対する恐怖すらなくなった境地に至るものらしい。」と述べています。
 ちなみに、著者は1930年(昭和5)生まれの80歳ですから、95歳までにはまだ15年あります。先立った人々の事例を見たり、資料などを調べてそのように判断したのでしょうが、本当にそうなるのならば、95歳まで生きるというのは一つの目標になると思いました。
 知的老後のためには環境も大事です。定年後には、がらりと環境を変えて田舎に住みたいといった夢を語る人もいますが、著者は、環境の激変は若い人にはいいだろうが、老人にはあまり好ましくないと言います。昔から慣れている環境で、事故や病気の際にも安心な場所がよく、生活するだけで心身を労するような場所に住むことはない、ということです。
 その他、時間と財産の管理、人間関係などについても、言われてみれば「ああそうか」と思い当る多くの事例の引用や、著者の経験による知恵が語られています。中でも印象に残ってたのは、「知力でも財力でも、ある程度のレベルの人たちが揃っている環境にいた方が快適に暮らせる」と、率直に述べている部分でした。それはそうだろうが、保守的で独善に過ぎるのではないかと、かなり抵抗を感じました。社会的関心をなくした老後を、私は望みません。
 ただし「あとがき」の最後、「家内でも娘でも嫁でも孫でもよいが、食事に私を呼ぶために、書斎に迎えに行ったら、本をひろげて死んでいたという光景は、私の「本望」でありすこぶる好ましいように思われる」というのには、全く異存ありません。

ウサギの思い出・その2

 ウサギの思い出を書いたら、妻も走り書きのメモを書いてきた。彼女が小学校時代に「ピョンちゃん」と呼ばれていたことは私も知っていた。だから自分でブログの1回分を書いてごらんとすすめたのだが、ここは私に任せるということになった。
 彼女が「ピョンちゃん」になったのは、身が軽くてよく跳ねたからだった。活躍したのはドッジボールのときで、ぴょんととび上がった空中で、ボールを胸のところで両手でしっかり受けるのが得意だったという。当時は町の女の子の遊びといえば、縄跳び、ゴム跳び、石けりなどだったから、オカッパ頭の活発な女の子だったのは想像がつく。
 運動会のときに、二人三脚で同じクラスの稲葉君という男の子と組んで走った。2等賞になって、きれいな塗りの箸入れをもらったのを覚えている。イナバの白兎だから、ウサギ同士で早い筈だと、友だちにからかわれたということだ。その稲葉君は、静高から理科大を経て富士フィルムに就職したとのこと。とても性格のいい子だったと、今も言っている。
 私と結婚してからの妻は、あまり「ピョンちゃん」ではなくなっていた。育った家にいつも猫がいて猫好きだったから、むしろ猫に近いイメージだった。上京して早い時期に盲腸炎で入院したとき、私は猫のぬいぐるみを買って病床へ持って行った。「まあ可愛い」と抱きしめた妻は、その後も長くそのぬいぐるみを大事にしていた。私が妻を呼ぶ愛称も、猫にちなんだものになった。
 草加の団地で子育てをしていた時期に、「猫」という題で短編の家庭小説を書いたことがある。公団が配布する団地新聞の原稿募集に応募したもので、入選して3千円をもらった。冬の夜中に迷い込んだ野良猫のために、妻が一晩の寝ぐらと温かいミルクを提供したことを書いたものだった。団地では猫を飼うのは禁止だったが、その後に家を建ててからは、3代ほど猫を飼うこともできた。
 妻が31歳になったとき、「君ありて 今となるまで 世に経たる 三十一年(みそひととせ)の めづらしきかな」という歌を贈った。その返歌は「猫ねこと ずいぶん呼ばれて 鳴きもせず それもその筈 じつはネズミよ」だった。
 彼女は干支だとネズミ年になる。私はトリ年である。ネズミがせっせと稼いでも、ニワトリがぱっぱと使ってしまうと人に言われたそうだが、果たしてどうだろうか。決算はまだついていない。



小学6年生の志村ひさ江(赤矢印)昭和24年3月

ウサギの思い出(ウサギの年に寄せて)

 いたずら盛りの中学3年当時、学校での私のあだ名は「ピョン」だった。耳が長いからウサギだということだが、気が弱くてあまり大きなことはしないが、勝手に飛び回るようなイメージだったと思う。ゴム式パチンコで、どんぐりを弾にして狙撃する名手としても知られていた。
 ウサギから派生して「USAのGI」とも言われた。ウサギのローマ字読みだが、アメリカの兵隊の意味にもなる。当時はまだ占領下で、町にはアメリカ兵の姿がありふれていた。彼らも時に目ざわりだったが、あまり悪いことはしない無害の存在だった。
 子育ての時期に住んだ草加の公団住宅はテラスハウス型だったから、狭いながらも庭がついていた。そこでウサギを飼ったことがある。娘たちが小学2年生と幼稚園年長組だった。上野の松坂屋の屋上で家ウサギを売っていた。見とれた娘たちが、どうしても飼いたいと言う。ぬいぐるみがそのまま生きているようなまっ白な子ウサギは、親の目から見ても可愛いらしかった。おとなしいから、近所の迷惑にもなるまいという判断もあった。
 ウサギは結局、針金製の檻に入れて玄関に置くのが定位置になった。長女が飼育係になる約束だったから、学校との連絡帳にまで「ウサギのちゅうい。キャベツの葉を一日一まい。水はあまりやらない。」と書いていた。それを見た先生が「ウサギを飼っているの? 白くてふわふわして、かわいいでしょうね。」とコメントを書いてくれた。沖縄生れの、やさしい先生だった。
 ウサギは抱かれても、おとなしかった。庭の芝生で、よく娘たちと遊んでいた。動物店から首輪を買ってきて、小さな鈴と、念のためのひもをつけた。ただし犬のように連れて歩くことはできなかった。しつけを受け付ける様子はなく、いつもマイペースだった。図鑑を調べて、脳の重さが犬の3分の1しかないと知ってあきらめた。
 このウサギは短命だった。ひもをつけたままにしたのが、取り返しのつかない失敗だった。ある朝様子が変になっていて、檻の中で首を不自然に傾けて弱っていた。夜の間に、ひもを首に絡ませたのだった。遺骸は庭の隅に穴を掘って埋めた。娘は何度も大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。その晩の連絡帳に、私は自分でこんな言葉を書いた。
 「…どんな生き物にも、いのちはたった一つです。そのいのちを大切に生き抜くことを、ウサちゃんは思い出させてくれました。…ウサちゃんさようなら、さようならウサちゃん。」娘はまた大粒の涙をぽろぽろとこぼした。


2010年末ブログ望年会

 今年も最後の日曜日となりました。月日のたつのは年毎に早くなるといいますが、年末の日々は、1日ごとに否応なく日付を進めて参ります。そのお忙しい中を、本日はようこそおいで下さいました。
 当ブログの望年会も、今年で4回目となります。今年の私は、前半はブログ友を訪ねて能登や函館へ足を延ばし、後半は一転して病院通いと、目まぐるしく時を過ごしました。望年会も今年はどうするか迷っていましたが、幸いにしてブログ友から励ましのエネルギーをいただいて、今日を迎えることができました。
 本日は夜の12時まで、コメントでの自由参加でおくつろぎ下さい。コメント受付はフリーに設定してございます。飛び入り参加も歓迎で、初めての方々のおいでも楽しみにしております。
 それでは冒頭に、長老の「うたのすけ」様から、開会のお言葉を頂戴したいと存じます。
うたのすけ様
 今日は。本日発会の音頭を申し付かりましたうたのすけであります。何卒お見知りおきを願います。
 さて皆様! ブログ連歌は年ごとに隆盛を極めております。日々新たなる参加者も増え、今年もここに四回目のブログ望年会を開催出来ることと相なりました。これはひとえに、志村大兄の人に対する細やかな心配り、人後に落ちぬ正義感に燃えるお人柄と、そしてそれらに共感される皆様方の、熱い想いが結集された賜物と感じ入る次第であります。 
 さて振りかえますれば、今年も色々なことがございました。例の今年一年を一文字で表せばといったもようしでは、暑の字が選ばれております。皆様方におかれましても、それぞれに感慨深き一字がおありとお察しいたします。 その一字が来年も再来年も、お互いの幸せに通じる一字であって欲しいと、ここに切に願う次第であります。
 では皆様、お手元のグラスに、お好みの飲み物をお注ぎ下さい。よろしいでしょうか。 来年も再来年も、そして行く末長く、この集まりが続くことを祈念いたしまして、乾杯とまいります。  カンパーイ!
花てぼ様
 先ずはカンパ−イ!です。 沢山の方のご参加が楽しみです。
管理人
花てぼさん、ようこそ。そちらのブログでのお知らせ、ありがとうございます。
まい様
お久しぶりです。いつものように志村さんのところにおじゃましたら、なんと望年会が始まっていました。このごろごぶさたばかりなのでちょっと恥ずかしいのですが、えいっと参加させていただきます。秋からは志村さんのご回復を陰ながら祈っていたのですが、最近は順調に復調されているようで一安心しています。まだまだこれから冬本番。どうか、ご活動とうまくバランスを取りながら、これまでのようにご自愛ください。
 私は自分の勉強に熱中していて、ほどんどひきこもり(希望)状態です。とは言っても仕事、家事、子どものことは手を抜けず、もっと時間があればと日々思っています。高校生レベルの勉強は楽しいのですが、やはりテクニックや暗記による部分が多く、問題もそれなりに工夫されているのは感じ取れますが、日本の多くの青年がこういう内容を一律に学び試験を受けることにはかなり疑問を感じます(自ら考える力や創造性は身につくなかなあ・・・と)。我が子が直面するのはまだだいぶ先ですが、どういう選択をするか、本人を主体としながら私たち親も一緒に考えていかねばと思っています。
 何だか堅い内容になってしまいましたね。ごめんなさい。この1年間家族(ペット含む)が元気に暮らせたことを感謝しつつ、来年もゆっくりと進んでいきたいです。
 志村さん、体調さえ許せば花や紅葉の季節にはぜひこちらをお訪ねください。きのくには春祭り(5月)や運動会(10月)も楽しいですよ☆もし見学いただけるならばそういうイベントの時というのも一案かもしれません。
 では、志村さん、みなさん、今年はたいへんお世話になりました。良いお年をお迎えください。私はラストスパートで勉強します。
管理人
まいさん、お久しぶりです。お子さんもお元気のようですね。親も現役の勉強中というのは、すごいことだと思います。高校の教科内容と試験について、大人の体験として発言できるのは貴重です。親子で実践する新しい教育への模索ですね。尊敬します。きのくに学園の見学、ぜひ実現したいです。
うたのすけ様
イタ公を 抜いて同盟 ドイツ言い
 本日の小生のブログ連句について一言。前大戦で、日本はドイツ、イタリーと同盟を結び、連合国側と対戦し敗北しました。小生子供心に戦争が終ったことは嬉しかったのですが、多少の口惜しさはありました。そして数年たち、日本人も海外に進出できるようになった時に、あちこちの帰朝記事にあるジョークが載りました。
 海外でドイツ人に握手を求められ、そして一言ドイツ人は言います。この前はイタリーを仲間にしたから負けたんだ。今度はマカロニ野郎は仲間にしないで、日本とドイツだけで同盟を結べば、連合国側に勝てると。そんなジョークを痛快に思った一時期がありました。
管理人
たしかに聞いた覚えがあります。降伏したバドリオ政権は、戦後にも裏切り者の代名詞みたいでした。でも、ホロコーストのナチスと同盟していたと思うと、やはり怖いですね。どこの国とも徒党を組まず、独立独歩で行ける国になれるといいのですが。
ろるる様
こんにちは、関西も冬本番です。
 今年は志村さんが入院されてわが親のようにどきどきしましたが、ご無事でよかったです。
 志村さんが死について書かれると、自分の親のことを想ってものすごく切なくなるのですが、考えてみれば人間は誰しも一瞬先のことはわからないものですねぇ。
 不適切な話題で失礼しました、来年は穏やかな年でありますように。
 志村さん、みなさん、よいお年をお迎えください。
管理人
正月を「冥土の旅の一里塚」と言うくらいで、死ぬことも普通のこととして考えたい気持がありますが、あまり気にしないで下さい。私としては、生きることを考える延長のように思っています。ろるるさんのコメントには、いつも温かさがありますね。
花てぼ様
志村様、今年は思い出深いご旅行や新しい活動にも精力的に参加され、私達によい手本を示してくださいましてありがとうございました。ご病気で入院生活も経験されましたが、その後は順調なご回復ぶりで皆を安心させてくださいました。
 うたのすけさん、今年も高らかに乾杯の音頭をとってくださってありがとうございました。
 みなさん、出足が鈍っているようですが、今夜はテレビで7時半から「坂の上の雲」があるようですから、その時間帯はまた閑散とするかもしれませんね。私も、今年「おかねさん」を創作する際、大分に行ってお世話になった方に、広瀬神社のことを、賛否両論はありますが・・・と教えていただいてから広瀬中佐のことを意識するようになったのですが、今その方のブログをのぞきましたらこのようなことが載っていました。
 広瀬武夫は親でしたか祖父でしたかからか次のことを言い聞かされて育ったということです。
‖梢佑琉口を云ってはなりません 
嘘をついてはいけません 
弱い人を虐めてはなりません 
た佑魴敲里靴討呂覆蠅泙擦鵝
イ阿舛鬚海椶靴討呂覆蠅泙擦鵝
人をねたんではなりません 
約束を守らなければなりません 
┯にしたことは実行してはなりません
 ┐郎椶辰討い燭泙泙任后 これは誰にでもあてはまることではないでしょうか。私は「坂の上の雲」の中身はよくわからないままエンタ−テインメントとして見ています。
 また夜が更けてからお邪魔させていただきたいと思います。
管理人
広瀬武夫は、なかなかの人物だったようですね。東京神田に近い須田町の交差点に、戦時中まで銅像がありました。杉野兵曹長と2人の、ドラマチックな場面を再現した像で、都電で前を通るときに母が教えてくれました。懐かしい思い出です。
みどり様
たいへん遅くなりました。出先で思わず長居となり、バタバタ駆けつけましたので、満足なご挨拶も浮かびません。本日はお招き下さいまして、心から感謝申し上げます。
 娘がシクラメンと料理を一皿持たせてくれましたので、隅に置かせて頂きました。後ほど、もう少し届けますね。
(http://pub.ne.jp/20071203MOTOTO/此処に用意致します)
ところで管理人様  夏以降、ご入院でたいへんでしたね。
 代理人をなさった「ひさ江」様にも此の望年会にご参加頂けるといいですね。年初めにお会いして以降、お目にかかる折りもありませんでしたが、お元気でお過ごしのことと思います。
 花てぼ様も後程いらっしゃるようですから、私もこの場は暫し退出させて頂きますが、どうぞ皆様ゆっくりご歓談下さいませ。
管理人
海外のご親族ともつながった、意義深いクリスマスを過ごされたようですね。日々を大切に暮らしておられる姿が、折々の歌からも読み取れます。大病をなさって、かえって人生を深く生きていらっしゃる様子が、私にも励みになります。
管理人より
私の操作ミスかと思いますが、笹井明子さんからいただいたコメントから以降の記事が消えました。これから修復いたします。
笹井明子様
今晩は。ブログ忘年会の開催、おめでとうございます。忘年会には初めて参加させていただきます。皆さま、よろしくお願いします。
 志村さま 先日は「護憲+」のリアル忘年会にご参加いただきありがとうございました。いつもと変わらぬ元気なお顔を見せていただき、とても安堵し、とても嬉しかったです。最後までおつきあいいただきましたが、お疲れは残りませんでしでしょうか。
 個人的な話になりますが、今年を振り返ると、5歳の孫が目下楽しんでいる教材DVD、“あの戦争”の全体像を掴むのに役立ったご著書「少国民たちの戦争」、今年7月に旅立った我が母へのレクイエムのように(勝手に)受け止めた「ミニ涅槃」のお話など、志村さまからは節目節目に人生のヒントを沢山いただいた気がします。有難うございました。 
 うたのすけさま、ブログ連歌の皆さま はじめまして。いつも連歌を拝読し、世相を鋭く突きながら、ユーモアに包み込んで表現される皆さまの知性と才能に感嘆しております。不調法のため、お仲間に入ることはできませんが、姉妹で母を在宅介護していた3年間に姉妹で作った「我流・介護百人一首」を2、3ご披露してご挨拶代わりとさせていただきます。
・にっぽんの 福祉行政 舵を違え ゆくえも知らぬ 老いの道かな
・もろともに あはれと思う うば桜 老々介護 人ごとでなし
・母がため 春の街に出 車おす わがフリースに 花は散りつつ
 済みません、少し湿っぽくなってしまったでしょうか。皆さま、どうぞ引き続き楽しい時間をお過ごしください。来年が皆さまにとって、日本にとって、明るい希望の見える年となりますように。
管理人
いつも護憲+のお世話役、ご苦労さまです。
会で伺ったお母上の最後のお話は感動的でした。娘の腕に抱かれて3度の深呼吸がお別れの合図だったとは。人の別れは、かくありたいものです。
 介護百人一首は傑作です。元歌をもじっているのが面白いですね。百首揃ったら、すごいことになります。
相々健々様
どうもこんばんは 昨日はたいへんお疲れさまでした。
 今年を振り返る中、知己を得ることは大きな喜びであることをあらためてかみ締めております。色々とありがとうございました。
 志村様にとって今年は手術に二度の入院と、実に大変な年となってしまいましたが、
再びお元気なお姿を見ることができて、大変うれしく思います。
 明日より実家に帰省になるので、今年できるコメントは今日が最後となります。ふさ江様と良いお年をお迎えくださいませ。
 これから年末にかけてはずっと冷え込むことになりそうですし、お体にはお気をつけくださいね。
管理人
西口では、よくがんばられましたね。年末には帰省されますか。来年は新しい目標に向かって発展されますように切望しています。
志村ひさ江から
志村の入院中は、力不足の臨時管理人で、ご迷惑をおかけしました。
30代以降は、仕事の片腕として25年あまり、そのあとは孫育てに回って、それもそろそろ終りです。これから先は、おだやかな日々が続いてくれることを願っています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
Ladybird様
志村様,こんにちは  ひさびさの書き込みです.
 このブログの志村様のプロフィールに「野ばら社編集長」とありますね. わがやの本棚に「世界の民謡」(野ばら社,1963年)という本があります.定価は\130.装丁は河野薫,発行者は志村文蔵となっています.私は買った記憶がないので,たぶん私の奥様の持ち物でしょう.世界のさまざまな音楽が載っていて,私も時々開いて楽しんでいます.
 「ジプシーの歌」(近藤朔風訳詩)は「ツィゴイネルワイゼン」のメロディー.「フィンランドの森」(門馬直衛訳詩)は聴き覚えはないけれど,どっしりとした名曲だと思います.
管理人
かなり古い本ですが、ご愛用ありがとうございます。文蔵は私の父です。ジプシーの歌は、後に「世界名歌集」に私の訳詞で「この世にただひとり」としました。鮫島有美子さんがヨーロッパ愛唱歌集の中で歌っています。
花てぼ様
すみません、またやってしまいました。迷惑な太鼓持ちです。
 そろそろ、お休みの方もいらっしゃいましょうし、またすでに夜も更けて雑音をたてるのはご家族にご迷惑が掛るかもしれません。そういう方はどうぞ明日お聞きください。こちらです。
http://pub.ne.jp/Shography/
管理人
最後は創作落語、しかもブログ種とは恐れ入りました。ただしご隠居の長屋は家賃を取りませんから、借金の言い訳は不用です。それにしても、日本の国の借金はどうするんでしょうね。旦那衆の男気でチャラにしてくれるといいのですが。花てぼ姉さん、口説いてみてください。
みどり様
今一度お料理を作って戻りました。
 かわぐち えいこう様、市堀玉宗様、もしかしたらお越しになっていらっしゃるかと思いましたが、お忙しいようですね。例の山頭火俳句の屏風を拝見してきました。小さな写真でしたが、俳句部屋の構想が前進しているご様子が伺えました。
 私も此方の連歌が面白く、来年も続けて戴けそうで楽しみです。私は気取らずに創れたらいいと思っているのですが、志村様はじめ此方の方々に読んで頂けるのを嬉しく感じております。
 笹井明子様、此方へのトラックバックから、時々拝見させて頂いております。不調法などとはご謙遜ですね。お仲間が一人でも増えれば、新しい個性に触れることが出来るのですから、是非投句なさって下さい。
 思えば感慨無量な年の瀬です。こうして無事、皆様と交流できましたこと、ありがたく思います。
 管理人様、寒さの中、風邪にはくれぐれもご油断無く、佳き年をお迎え下さいますように念じながら、お先に失礼致します。(新井薬師参詣とたき火の歌への散策が1月2日でしたね。懐かしく思い出しています)
管理人
みどりさんの豊かな創作力、来年もますます発揮されますように楽しみにしています。あの「たきび」の歌のことが、最近の朝日新聞「歌の旅人」に出ていました。戦時中にあの歌は軍部から差し止められたそうです。その理由が「燃料資源を無駄にする。煙は敵機の目標になる。」だというのですから、大変な時代でした。
ナツ様
遅くなりました。「坂の上の雲」を見た後、掃除疲れでウトウトしてしまいました。望年会には間に合ったのですが何を書いてよいのやら頭がボーとしています。
 志村さん今年は病院生活などがあって大変でしたね。その後お元気な様子何よりです。でもあまり無理をなさらないでください。
 25日の「カルピス」の詩久しぶりに読ませていただきました。その節は大変勉強させていただき感謝しています。
 私は芸がありませんので今聞いたばかりの「坂の上の雲」の主題歌を入れさせていただきます。
http://www.youtube.com/watchv=6Bfn_UBSZBE
管理人
お久しぶりです。坂の上の雲は、ゆったりし過ぎるかと思うぐらいの「大河」ですね。広瀬武夫がボートで帰る途中で死んだことになっていましたが、あれは史実とも違うし、違和感のある演出でした。
古木涼子様
大変遅くなりました。皆様もうお帰りになったでしょう。志村さんには、大変長いことご無沙汰して、失礼致しておりますが、実は、度々ブログに立ち寄り、志村さんのご様子を窺いながら、ご健康のため陰ながら祈っておりました。どうぞ、くれぐれもご自愛くださいね。来年も何卒よろしくお願いいたします。
管理人
すてきなクリスマスカードを、ありがとうございました。おかげさまで今年もこのように年越しができます。古木さんの日本帰任は遅くなるのでしょうか。ローマで責任の重い仕事をしておられると聞いています。どうぞお元気でご活躍ください。
深山あかね様
こんばんは。 今年も望年会に参加させていただきました。よろしくお願いします。
 実はこの12月半ば、朝起きてみたら腰が痛くて着替えもままならない始末。運転はどうにかできるので仕事には行きましたが、なんともかんともでした。ありがたいことに少しずつ回復しています。
 職場は6人が2人ずつ組んでの仕事ですが私の相手が14日乳がんの手術をしたため日ごろの相棒の恩に報いて休まず臨時の職員さんとで何とかやり過ごす年末です。
 今日はあまりにも調子がいいので、日のあるうちに職場の前庭の菊の花を処分して、豆柘植の剪定などもして、1時間残って書類の始末もしました。
 楽しみにしていた『坂の上の雲』を見逃すほど家事もあれこれできました。
 志村さんの奥様も腰痛があるとどこかで読んだような気がしますが、大事になさってください。
 最近私も子どもの頃持っていた歌集が野ばら社のものであったことを思い出していたら、いつのまにか英語が苦手なのに英語の歌詞まで思い出して、イフアボディ・ミートアボディ・カムインスルーザライ?などと口ずさんでいます。
 そしてつい最近三世代交流事業で元校長だったという80歳の方がプログラムを板書されるとき、やはりビニール製の赤い表紙の野ばら社の『図案集?』を持ってこられて書き写しておられたので、親しみを覚えました。
 そして広島市中央図書館所蔵のやはりビニール製の紫色の表紙の「百人一首」も読みました。この秋は、志村さんの回復を願ったり野ばら社の本に出会ったりの日々でもありました。
 取り留めのないおしゃべりに付き合っていただきありがとうございました。ずいぶん冷えてまいりました。それでは皆様お体に気をつけて良いお年をお迎えください。
管理人
腰痛は、私もカメラマンの職業病のようなもので、長くつきあっています。最初は劇症ですが、だんだん慣れて呼吸がわかってきます。腰痛体操は、自分に合ったものを開発するといいと思います。大事なお仕事ですが、お体はどうぞ大事になさってください。
花てぼ様
ナツさん、「坂の上の雲」の主題歌、私はいつも誰の曲で誰が歌っているのだろうと、最後のクレジットを目を凝らして見ていますが、見つけることができません。ご紹介のYou Tubeですか、クリックしてみましたが出ませんでした。残念。
 古木様 久しぶりにお名前拝見して嬉しゅうございました。古木様にも来年もどうぞよい年でありますように。
 それでは皆様もうすぐお開きのようですから、私もこのへんで失礼いたします。志村様、皆様ありがとうございました。
管理人
管理人の不手際で、オモテ記事への掲載が遅れました。皆様ご参加ありがとうございました。お体大切に、よい年末年始をお過ごしください。なお、時間外のコメントも掲載させていただきますので、ご遠慮なくお寄せください。
うたのすけ様
志村さんへ。
お早うございます。長時間ご苦労様でした。何のお手伝いも出来ずに申しわけありません。
 多勢の皆様にお出でいただき、来年もまたという、気合いが湧いてまいります。今日は今年最後の、内科のお医者さまに行きます。年末年始、ボケーッと過ごす所存でおります。
 まだチト早いですが、どうぞご自愛なさってよいお年をお迎え下さい。
管理人
開会のお役目、ありがとうございました。モニターの不調で一時記事消失の珍事に見舞われましたが、おかげさまで大事なく終了することができました。来年もよろしくお願いいたします。
市堀玉宗様
おはようございます。いや〜、忘年会もう始まっていたのですね。花てぼさんのところにお邪魔して知りました。
 志村さまには能登のお寺まで脚を運んで下さって驚きと感謝です。体調は如何ですか?忘年会参加のみなさまにも、今年もブログの訪問をさせていただき、そして訪問して戴きありがとうございました。
 年末にかけて多忙を極め、さらに体調も崩し、碌なコメントもできない有様でした。申し訳ございません。今日もこれから年用意に駆けずり回らなければなりません。(笑)
取り敢えず、顔見せに。それでは、また、のちほど。合掌
管理人
文字通り「師走」のご多忙の中を、ありがとうございます。カゼでお悩みのようでしたが、お大事になさってください。能登の冬に思いを馳せております。

昭和30年代池袋西武デパート屋上のカルピス広告塔

 昭和33年から35年までを含む年代に、池袋西武デパート屋上にカルピスのネオン広告塔があったのを覚えておいでの方はいらっしゃいませんか。その写真を探しています。ネット検索では、カルピス蠅亮匯砲砲盻个討い泙擦鵑任靴拭9人がストローでカルピスを飲んでいる絵柄だったと思います。
 昭和33年の3月から、35年の7月まで住んだのが、東京・豊島区雑司が谷7丁目1066番地(現在は西池袋2丁目)にあった「さわら荘」でした。4畳半の部屋が廊下をはさんで左右に並ぶ2階建てで、全部で30室ほどあり、造り付けの小さな調理・流し台と食器棚に3尺の洋服箪笥と1間の押入れがあり、4畳半にしては設備がよかったのですが、山手線のすぐ線路わきで、電車の騒音が難点でした。
 このアパートを選んだのは、不動産屋を通さずに空き部屋があって、周旋料をとられなくて済んだからでした。線路に面した2階の部屋に入居したので、電車の騒音はすさまじいものでした。会話はもちろん、テレビの音声も通過中は聞こえなくなるほどで、夜間に気にしないで眠れるようになるまでには、かなり時間が必要でした。
 東に面する窓を開けると、線路をはさんで西武デパート屋上のカルピスのネオンがよく見えました。このネオンが二人の生活のシンボルのようになり、新婚1ヶ月半ほどの5月5日にカルピス」の詩ができました後に南こうせつの「神田川」が流行したとき、この詩のBGMのような気がしたものです。
 昔の写真にカルピスのネオンの写真が添えられたら、53年前を復活させる記念物が一つ出来そうな気がしています。お心当りのある方にご協力いただけましたら幸いです。





2階の右から2番目が居室でした



当時の近辺の商店街(池袋西口から目白寄り)

ブログ連歌(156)

3099 花てぼは 自由に生きて 花ざかり 
3100  みどりは常盤 冬にも負けず (建世)
3101 花てぼと みどり建世の そろい踏み (うたのすけ)
3102  春待つ長屋 やがて年越し (建世)
3103 文句あり ワシの出番と 隠居でも (うたのすけ)
3104  長老迎えて 丸くおさまる (建世)
3105 互いの身 行く年あらば 来る年も   
3106  夢持ち歩む 道は遙けき (みどり) 
3107 やっと越す 冥土の旅の 一里塚 (こばサン)
3108  当面これで めでたしとする (建世)
3109 生き死にの 迷いなくすにゃ まだ先が (うたのすけ)
3110  見得を切っても まだ幕降りず (建世)
3111 風わたり 墓地に鳶(とんび)の 旋回す   
3112  測りがたきは 命果つる日 (みどり)
3113 あの人にゃ 四面楚歌も 応援歌 (うたのすけ)
3114  本質同じ 仲間をふやし (みどり)
3115 とりあえず 今年はこれでと 予算案 (建世)
3116  菅内閣の 正体みたり (只今)
3117 くだらねえ 何処まで続く ぬかるみぞ
3118  恥じらい捨てて 野合に走る (うたのすけ)
3119 破綻せど 不屈に粘る EU統合 (恩義)
3120  骨のあるやつ ドイツだそれは (建世)




尖閣ビデオ問題は何だった

(熊さん)ご隠居、昨日もブログお休みでしたね。
(ご隠居)ああ、書こうと思ったことはあったが、そのうちと思ってる間に夜になってしまった。別に忙しくもなかったんだがな。ただのサボりだよ。ブログも書けないほど疲れてたわけじゃない。ただ、自分に甘くなってるところはあるな。休んでも平気になってきた。夜の体操も同じだよ。連れ合いも「いいんじゃないの」と言ってる。まあ、冬休み省エネモードだな。
(熊)ところで、書こうと思ったことって何です?
(隠)尖閣ビデオ問題の処分のことだよ。主役の海上保安官は停職1年になったが、自分から辞職してしまった。「こうなることは、わかっていた」と、覚悟のインタビュー記事が実名と写真入で新聞に出ていたな。連れ合いは「褒めてあげたい、1年休んで職場に戻ればいいのに」と言ってた。わしもそう思うよ。賞をあげるとすれば国民栄誉賞だな。
(熊)元の情報の管理の方が、問題が大きかったんですよね。
(隠)そうだよ。一時的にせよ、誰でも見られる教材みたいな形で部内に流れていた。その一方で政府は「公開しない」とがんばっていたから妙なことになったんだ。現物が流れてみたら「ああ、そうだったのか」と、みんな納得してすっきりしたってわけだ。その結果として中国嫌いの人が増えたっていう副産物はあったろうが、それはまた別な問題さ。巡視船が撮影したビデオをどう扱うか、はっきりしたルールを守れなかった海上保安庁が最大の責任者だな。
(熊)役所のだらしなさに風穴を開けたから国民栄誉賞ですか。
(隠)その国民栄誉賞のことを、ついでに調べてみたんだが、内閣で決めて首相が贈ることになっている。だからこの海上保安官には、とても無理ということがわかった。だが本当の国民栄誉賞なら、政府に関係なく国民が選んで決めたいものだな。「内部告発スクープ大賞」みたいなものを、みんなが投票するような形で選んでみたら面白いかもしれない。この海上保安官さんは、今年のスターであることは間違いないよ。退職しても元気に活躍してほしいものだ。
(熊)そうですよね。「済みません」じゃなくて、胸張ってほしいですね。
(隠)今の国民栄誉賞には、エライさんが勝手に民間人を格付けする傲慢さが感じられるな。そんな中で、国民栄誉賞受賞の打診を2度も断っている人がいるってんだから感心したよ。それは野球のイチロー選手なんだ。その理由というのがいい。「ぼくはまだ修業途上の人間だから辞退する。引退して業績が確定したら受けるかもしれない」というんだ。さわやかじゃないか。


冬至の日差し

 今日は冬至。隣のマンションの日影が、一年でいちばん高くなります。設計の段階で最大限の譲歩をしてもらったのですが、ここまでが限度でした。2回目の冬を迎えています。かつては「借景」と言うほど景色のよかった2階の食堂では、窓の上端に幅10センチほどの日差しが残りました。昨年これを確かめて、少し安心したものです。逆光で室内が暗く見えますが、レースのカーテンを開けば、眺望はそれほど悪くはありません。
 寒さはこれからですが、日差しはこれ以上悪くならない、太陽は少しずつ強くなってくるというのは、心強く感じられるものです。正月用語に「一陽来復」というのがありますが、このことを言っているのでしょう。それは落ちるところまで落ちたら、あとは上るしかないという「どん底感」にも似ています。株取引の用語にも「底打ち感」というのがありました。
 でも考えてみると、これは一つの循環する秩序を前提としています。天体の運行もそうですが、株価の底打ちも、一定の限度内での経済の循環を想定するから言えることでしよう。これが太陽は二度と昇らない、株はすべて紙切れとなるといった秩序の崩壊になったら手がつけられません。底打ちではなくて底割れです。
 セーフティーネットの崩壊に直面した個人というのは、この底割れ感に襲われるのではないでしょうか。失業、破産といった経済の問題だけに止まりません。家庭や対人関係でも、修復不能の破綻に陥ったときの「足元が崩れて行く」感覚です。私の人生にも、何度かそれがありました。
 それでも一つの崩壊は「この世の終り」ではありませんでした。世の中は、正常に循環している部分の方が、ずっと大きいのです。「戦争に負けたのに汽車が動いている」ことに感動した人もいました。人の営みでさえそうなのですから、自然の循環は、もっとずっとスケールが大きいのです。「太陽は、また帰ってくる」のです。
 いま読んでいる本は「知的余生の方法」(渡部昇一・新潮新書)です。人間も95歳あたりまで生きると、生き死にへのこだわりがなくなるようです。当面の目標は、そのあたりでしょうか。
(追記・昨年も同じ日に、全く同じ題名で、同じような写真入りの記事を書いていることに、あとになって気がつきました。)





泥沼の「政治とカネ」

(熊さん)民主党は何やってるんですかね。朝鮮で戦争かっていう騒ぎなのに、菅さんと小沢さんが直談判1時間半、それでなんにも話が進まないってのは、どうしてなんですか。
(ご隠居)それぞれの言い分には、わけがないことはない。菅さんにしてみれば、小沢さんの問題は目の上のタンコブみたいなもんで、これをすっきりすれば人気も回復するんじゃないかという思惑もある。だけど小沢さんは「何も悪いことはしていない」で一貫している。間もなく裁判になるんだし、国会でしゃべったって意味がないと思ってるんだ。
(熊)それで、ご隠居はどう思います? 小沢さんは、そんなに真っ白ですか。
(隠)あの年代の政治家としては、まあ普通ってところだろうな。いろんな方法で資金を集めるのは政治家の実力のうちだったんだ。それを法律に触れないようにやるのが腕の見せどころだった。小沢さんの場合は、検察があきらめた事件を「検察審査会」がむしかえしたのがどうも不自然で気分が悪いんだ。小沢さんに活躍されては困る連中が動いてるんじゃないかと勘ぐりたくなる。「政治とカネ」は古くて新しい問題で、話題にされるだけで政治家には致命傷になるからね。
(熊)小沢さんは「一兵卒として党のために働く」って言ったんじゃなかったですか。
(隠)そうだよ。だから蔭に回って民主党の政策を支える役回りに徹すればよかったんだし、菅さんは小沢さんを仲間として守るべき立場だったと思うんだ。参議院選挙で負けて「ねじれ国会」になってしまった今は、党が一本にまとまってないと政策を実行できないんだからね。ところが今さらのように政局の大問題にしてしまったのは、まずいと思うな。これにはマスコミの責任もあるけどね。
(熊)何となくだけど、小沢さんには出てきてほしくないと思ってる人が多いみたいですよ。
(隠)それが世論操作というやつだな。時代の空気というかムードというか、長い時間をかけて作られるから、拭い去るのはとても難しいんだ。だけどね、政治家の価値というのは責任者になったときに何ができるかで決まる。菅さんには期待してたけど「外れ」だったと思ってる人は多いんじゃないか。それなら小沢さんはどうなのか。「国民第一に日本を変える」と言ってたのを実行できる人なのかどうか、一度はやらせてみてもいいとワシは思うんだよ。とにかく有能な人物を食わず嫌いで捨ててしまったらもったいない。
(熊)色メガネで人を見ちゃいけないってことですね。
(隠)そうよ。お題目のように「政治とカネ」の議論をしてても、出口は見えてこない。新しい政治を担えるリーダーを育てることが大事なんだ。

今年の「ブログ望年会」について

 当ブログの恒例としてきました年末の「望年会」ですが、今年は少々迷っておりました。体調不良を口実に冬ごもりモードとなり、すべて先送りで年賀状も返信だけにしようかなど、守り優先の気分でいたのですが、昨夜の新宿西口から、少し気持が変ってきました。きっかけは「うたのすけ」さんのブログ記事で、中村メイコさんの「人生の終いじたく」を読んだことを知り、私も読んでいたので1回分の記事にする気になりました。
 そのブログを読んだ大木晴子さんが「私も読んでみたい」趣旨のコメントを下さったのが金曜日の夜でした。そこで「明日土曜日の6時から7時の間に新宿西口地下広場交番前へ行けば手渡しができる」と思い立ち、にわかに新宿まで出て行く気力が出てきました。そして昨夜、短時間でしたが西口に出向いて、反戦スタンディングの仲間の皆さんともごあいさつができました。たぶん秋から10週ほど休んだと思います。皆さんに優しく労わっていただきました。
 そして今朝になってPCを開いたら「うたのすけ」さんからの投句が入っていました。その返信を考えているうちに、「長屋の隠居」らしい気分が復活したのだと思います。人間の気分というのは、まことに頼りないもので、小さなきっかけから動き出したり、止まったりします。その環境には自分が投影していて、周囲の人々の好意に支えられているのでした。まことに人間とは「人の間」で生きているのですね。
 言い訳はそのくらいにしまして、今年の「ブログ望年会」を、次の要領で構想してみました。
 日時は12月26日(日曜日)の正午から夜の12時までとし、その時間内はコメント受付をフリーにしておきます。いただいたコメントを、管理人は随時オモテ記事に繰り入れながら、管理人のコメントや謝辞を添えて行きます。コメントの長さは、容量として1回に400字程度までが安全と思われます。内容は自由で、参加者同士の会話も歓迎です。当ブログの読者で、まだコメントを入れたことのない方々の参加を、とくに歓迎します。
 開会のご発声は、例年の通り長屋の長老「うたのすけ」様にお願いしたいと存じます。(根回しもなしで済みません。)いただくコメントには、音声、映像、動画など、紹介したい各種のリンクをつけて頂いて結構です。バラエティのある楽しい会にしたいと存じます。twitterでも一通りの告知はしますが、くわしい方々のご協力をいただけると有難いです。
 昨年の「ブログ望年会」の様子は、こちらでごらん下さい

「人生を終りにしたかった」男たち

 昨日の取手駅前バス無差別切り付け事件の犯人は、ほぼ1年も前から犯行を計画し「人生を終りにしたかった」と供述しているという。高校卒業後、フリーターや派遣で働いたが定職につくことができず、犯行時には所持金も使い果たしていたということだ。単に生活に行き詰っただけなら、おとなしく一人で「人生を終りにする」のが順当と思えるのだが、どうしてそれが無差別に人を襲う行動になるのだろう。
 「人生を終りにしたい」と思っている人は、この世に決して少なくないだろうと私は思う。とくに老人で「一通りのことはやったから、もうこの辺で幕になるのがいい」と思っている人は、むしろ多数派ではなかろうか。それでも道連れに大勢の他人を無差別に刺そうなどと思いつくことはない。人生に始まりがあれば終りもあることを知っているからだ。
 秋葉原の無差別殺人事件も取手事件と似ていたように思うのだが、自分の破滅を反社会的な犯罪行為で成し遂げようとする気持のかげには、社会のすべてに対する恨みと怒りが蓄積されているのに違いない。自分を追いつめた周囲のすべてに対する復讐心である。それを裏返せば、社会の一員として受け入れられさえすれば、自分だって応分の働きをして幸福に暮らせる筈だったのにという、きわめて健全な発想になる。
 折しもこの11日にスウェーデンで北欧で初めての連続自爆テロ事件があった。元「カーリングおやぢ」さん改めドクトル硝子」さんは「スウェーデンは落ち着いています。テロに試されるスウェーデン。」との記事を書いている犯人はイラク生れでスウェーデン国籍を取得した28歳の青年で、スウェーデンがアタガニスタンに派兵しているのに抗議したということだ。しかし故意か偶然か、犯人のみが爆死して、他は軽傷者のみだった。スウェーデンとしては大きな衝撃だったが、開かれた寛容な国を、恐怖と猜疑に満ちた閉じられた国に変えてはならないとする世論が圧倒的に強く、その点では揺らいでいないという。
 自爆テロと無差別殺人を同じには論じられないのだが、この世に不正義が横行し不幸な人間がいることを訴えるという一点では、共通する何かがあるように思われるのだ。不幸な人間を増やす社会を作ってはならない。国の政策は、不幸な人間を減らすものでなければならない。世界は国際的な不正義に知らぬふりをしてはならない。
 人生を終りにするのは、やりたかったことをやり遂げて、すべてに感謝したくなるときだけでいいのだ。

ブログ連歌(155)

3079 こうなると 無実で死んだ 人いそう (うたのすけ)
3080  死人に口なく 常世の闇へ (建世)
3081 いつの日か 開き明かさん 御霊の叫び (みどり) 
3082  常に身辺 清く正しく (うたのすけ)
3083 危うきに 近づきたくなる こともあり (建世)
3084  危きまさに 極彩色に (うたのすけ)
3085 バカなこと やった思い出 なつかしむ (建世)
3086  それも修行と 屁理屈こねて (うたのすけ)
3087 仮免で 高速道路に 迷い込み (うたのすけ)
3088  せめて逆走 しないでおくれ (建世)
3089 交通の 弱者どうする 新幹線   
3090  身近な路線 削減止めよ (みどり)
3091 それにしても 昔はみんな 歩いてた (玉宗)
3092  車なき家 健康志向 (みどり)
3093 病み上がり そろりそろりと 町を行く (建世)
3094  何はともあれ 焦らぬが鉄則 (うたのすけ)
3095 いのちといふは 今よりほかに なかりけり (玉宗)
3096  怠惰にも似て 「いま」を楽しむ (建世)
3097 遠慮なく 怠惰にいそしむ 年となり (うたのすけ)
3098  まだその年に 満たぬか我は (花てぼ)
3098B  三年寝太郎 起きれば知恵者 (みどり)
3099 花てぼは 自由に生きて 花ざかり 
3100  みどりは常盤 冬にも負けず (建世)

中村メイコ「人生の終いじたく」を読む

 2度目の入院の前に書店で見かけて、結局は病院で読んだのですが、看護師さんにはタイトルを見て「まだ早いでしょう」と言われました。あまり病院には向かない本だったかもしれません。しかし内容はメイコさんの自由奔放な言いたい放題で、とても気楽に読める本でした。
 中村メイコさんとは、NHK在職中は直接の縁はありませんでしたが、むしろ近年になって孫がお世話になりました。小学1年でNHK児童劇団に入っていたとき、ラジオ番組で共演の機会があったのが縁で、神津ファミリーの音楽劇「傷ついた渡り鳥」に出演の機会をいただいたのです。これは冬を前に南へ飛ぶことのできなくなった幼鳥と、兄と母親との家庭愛の物語で、酒田と浜松の2回の公演がありました。ふだんは次女の「はづき」さんがやっている弟「ロン」の役を、まだ6歳の孫が勤めました。その年にしかできない可憐さは、宝物のような記録になっています。 
 それは余談ですが、中村メイコさんは2歳半から名子役として舞台に立っていた人です。子供のうちからスターになってしまったところは美空ひばりさんも似ていて、二人は誰よりも強い友情で結ばれていたということです。「子供時代らしい遊びをして暮らした記憶が一切ない」というのも、無理からぬところでしょう。死ぬまで役者でいたいという願望も理解できます。病院でお仕着せの寝間着を着せられるのはお断り、おしゃれもマニキュアも、やめるつもりはないと言います。
 ですから一般の人が参考にできる「人生の終いじたく」とは少しずれています。「私はこんなふうに生きたから、こんなふうに死ぬつもり」の宣言というか、この際覚えていることを忘れないうちに全部書いて置こうという、豪快な「言い残し」に近いように読めました。
 それでも物の始末の仕方、墓の作り方など「終いじたく」に役立ちそうなアイディアは、もちろん出てきます。ちょっと意外だったのは、過去の自分の出演関係の資料などは、もともとほとんど残していないというところでした。役者は自分の過去の仕事を懐かしむようになったらお終いになる、いつも新しい気持で仕事に向かうというのですから立派です。
 自由な役者でいながら、神津善行という音楽家の妻となり、3人の子を育て、老いた両方の親を見送るなど、健全な家庭人としても人生を築いた人です。もしも結婚せず自由に暮らしたら、自分も神津サンも、もっと芸術家として大をなしたかもしれない。そう言いながらも、家族について楽しげに語ることを止めないメイコさんを、幸せな人と言うほかはありません。70代の後半になっても現役を貫く姿勢は、やはり「後期高齢者の星」なのでした。
(追記・青春出版社の単行本・本体価格1400円です)

「政権交代はなかった」のか

 「そりゃおかしいゼ」獣医さんのブログ「政権交代は起きていないのだ」を読んで、妙に納得してしまった。「政権奪取後の民主党を見る限り、政権交代と思えたのは幻だったことが解る。元々、鳩山も小沢も岡田も自民党出身者である。体質に変化があるわけではない。政権交代など起きてはいないのである。そう考えると解り易い。」というのだ。
 最近の「小沢招致」問題などを見ていると、その感が深い。小沢氏が招致を承知したところで「私は、やましいことは一切していません」と言うだけに決まっている。起訴された裁判の判決が出るまで、誰にも意味のあることは言えない。そして結果を世論調査すれば「説明責任は果たされなかった」の回答が多数を占めることになる。要するに「私は悪いことをしました、政界から引退します」と小沢氏が言わない限り「世論」は沈静しないのだ。
 これは保守政権下で何度も繰り返されてきた権力闘争の続編に過ぎない。国民に飽きられると「少しはマシ」らしい勢力が出てきて人気の回復をはかり、政権を維持してきたのだった。民主党という対立政党らしいものが登場して、保守政治の一切のしがらみと決別した政治をしてくれるとみんなが期待したのだが、出てきた結果は、国際関係も財界との関係も官僚との関係も、時間がたつに従って変り映えしなくなってきた。これは政権たらい回しの変種に騙されたと切り捨てたくもなってくる。
 だが、それでは次への展望が少しも開けない。日本の政治は永久に変らないとあきらめることになる。民主党が政権について、良いことは本当に一つもなかったのか、ここで無理にでも希望の種を拾い上げることはできないだろうか。最近になって諫早湾の開門を菅総理が珍しく自分で決断した。業績が「開門」一つだけというのも淋しいが、その前には「国際連帯税」の提案を菅内閣が出したとも聞いた。その程度のことは自民党でもできたかもしれないが、民主党には、もっと「やればできる」ことがあるのではなかろうか。
 昨夜、奥山和さんからいただいたコメントで、Yの昭和史「裏切り民主党 譴責」シリーズに膨大な論考資料が蓄積されているのを知らされた。この中には民主党が「やればできた」かもしれない仕事が、山ほど詰まっている。民主党は党内の抗争でヒマつぶしをしている場合ではないのだ。今からでも遅くないから奮起して本業に立ち帰ってもらいたい。

「デフレの正体」を読む(4)

 日本の生産年齢人口が減少したのは、もちろん少子化が進行したからですが、この問題は少子化対策を急いだところで解決しません。出生率が回復しても生産年齢人口の増加までには15年以上を待たなければならず、今の人口減には影響がないからです。
 少ない人口で働き手を増やす最も確実な方法は、共働きの夫婦を増やすこと、つまり女性の労働参加です。そのためには育児・保育の支援などが必要ですが、なによりも大切なのは「男も女も、無理なく働いて、まともに暮らせる」労働環境を整えることです。男女を問わず、賃金は一人の生活を支えるに足りるものでなければなりません。最大の雇用者でもある国が、公務員を増やすのも効果的かもしれません。それぞれ独立して暮らせる男女が結婚すれば、生活は、より安定する道理です。
 働く女性が増えると出生率が下がるという誤解があるかもしれませんが、これは全く逆なのです。女性の労働率が高いほど出生率も高くなるという説明を、著者は疑いようのない統計資料で示しています。2007年に「少子社会日本」(山田昌弘・岩波新書)という本が出て、私もこのブログで紹介しましたが、生活の安定感が得られてはじめて、人は「結婚も子育てもしてみたい」という自然な感情を実行に移すことができるのです。
 それにしても、今後の一世代から50年後ぐらいにかけて、日本の総人口が減少することは避けられません。ダム、道路、橋梁などの公共インフラも、維持・整備すべきものと撤去・廃棄すべきものを仕分けする時代が、間もなく始まるでしょう。著者は最後に「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本」を構想しています。
 人はどのような国に住んだら「悪くない人生」を実感できるのでしょうか。快適な社会環境を維持したかったら、何らかの「高付加価値の産業」が必要なことは明らかです。それは日本のお家芸であるハイテク産業かもしれませんが、それだけではありません。美術、芸術を加味した、日本人の感性を生かした各種の製品やサービスは、世界に受け入れられるブランドとして通用する可能性があります。その上に「決して戦争に加担しない平和国家」のイメージが重なったら、世界で一番「行ってみたい国、住んでみたい国」として信望を集めるかもしれません。
 著者も、世界から観光客を集めて、長期間滞在させるのは、国を支える立派な産業になると述べています。四季の変化に富み、適度な温帯に位置する島国の日本は、私たちの国であるばかりでなく、世界にとってもオンリーワンの楽園になるかもしれないのです。

「デフレの正体」を読む(3)

 日本の低迷と対照的に、中国やインドでは、かつての日本の高度成長期のような発展を続けています。GDPで中国が日本を追い越すことは確実になりました。世界第2位の経済大国だった日本の地位が低下します。しかしこれを日本が貧しくなる悲しい現実だと思ったら大変な間違いです。中国の人口は日本の10倍以上ですから、ようやく日本の10分の1の生活レベルになるということで、同様に間もなくインドもGDPで日本を追い抜くでしょう。
 中国は消費大国となって日本経済を助けるでしょうが、それも長くは続きません。日本以上に急激な生産年齢人口の減少に見舞われることは、今後の10年から20年以内に見えています。世界はそのようにして長い安定期に入って行くほかはないのです。
 ですから日本の生産年齢人口の減少を、途上国からの若い労働力の輸入で補えばいいといった対策は正解ではありません。将来に混乱の種を残すだけです。国内の資本と労働力を再配置して、身の丈に合った経済のバランスを回復すればいいのです。
 富裕高齢者層の資産を若い世代に回す方策については、著者は生前贈与の優遇と相続税の引き上げに言及していますが、まさにその通りだと思います。富裕層への課税は、所得よりも資産の方が大きいので、捕捉と課税が難しいのです。それが表に出るのが相続ですから、相続税の引き上げが効果的です。これだけでも生前贈与は促進されるでしょう。相続税は本人が生きている間は無関係ですから、誰にとってもあまり「痛くない」税金なのです。
 同時に著者は老後の医療・年金について「生年別共済」という面白い提案をしています。現役世代に老齢世代への「仕送り」を義務づけるから無理な負担になるのでこれを切り離し、同年齢の全員が加入する共済制度によって最低の生活レベルを保障した上で、あとは民間の保険に任せるという考え方です。既得権に切り込むというのは難しい政治課題ですが、国民の生活権を保障する立場から、公平な制度を確立しなければなりません。そのためにも、国民の権利義務の基礎となる「国民登録番号制度」を急ぐ必要があります。
 ここまでは世代間の格差を緩和するための方策ですが、大事な本命は、肝心の生産年齢人口を増やすことです。絶対数が少ないのだから不可能と思われるかもしれませんが、それが可能なのです。元気な老人を働かせる方法もありますが、それは本命ではありません。正解のキーワードは「女性」です。

「デフレの正体」を読む(2)

 デフレ悪循環から脱出する筋書きが見えない、国の借金はふくらむ一方などと、八方ふさがりのような印象の日本経済ですが、国際経済競争の上からは、まぎれもない勝者です。日本の通貨である円が、信用を失うどころか円高で苦労しているのを見るだけでも明らかです。
 著者は文句のつけようのない統計資料を駆使しながら、世界同時不況でも減らない日本人の金融資産、バブル崩壊後に倍増した日本の輸出と貿易黒字、世界から日本に流れ込む金利配当などを論証しています。史上最長の好景気は虚像ではありませんでした。日本全体として見たら、悲観するような状況では全然ないのです。
 にもかかわらず内需の不振は深刻になる一方です。国内の新車販売台数が減るのをはじめ、小売販売額、国内輸送量から一人当りの水道使用量までが減少する徹底ぶりです。経済の縮小は地域格差とも無関係です。東京首都圏はもちろん、輸出産業の地元だった筈の愛知県でも、消費は一様に落ち込んでいるのです。その原因は生産(消費)年齢人口の減少に求める他はありません。大都市圏など、経済成長期に多くの人口流入を招いた地域では、かつての働き手たちが次々に65歳以上の高齢に達するとともに、全国平均以上に厚い高齢者層を抱え込むことになります。自治体の経営が苦しくなるのは当然なのです。
 この状況の全体を見ると、金の絶対量の不足ではなくて、金回りの悪さが最大の問題であることがわかります。中でももっとも金回りが悪いのは、富裕高齢者層が抱え込む金融資産です。将来への漠然とした不安がありますから、積極的に使う気がありません。せいぜい有利な投資先があれぱ、さらに増やそうと考えるだけです。こうして個人が貯めこむ資産は、決して社会に出てこない「埋蔵金」と化するわけで、本人に不幸がない限りはそのまま保存されて、最後は相続で親族の財産となります。その相続人の平均年齢は今や67歳ということですから、老々相続は「埋蔵金」のまま次の世代へと繰り越されて、社会に役立つことがありません。
 人口そのものが減少する時代に、かつてのような高度経済成長は不可能かつ不必要としても、貯めこんだ財産を有効に活用すれば、国民の大多数が不幸にならずに暮らせる社会の構築ができない筈がありません。高齢者の激増にしても、医療・介護・福祉の分野で大きな消費が生まれることは事実で、それは内需の拡大そのものです。
 景気さえ回復すればすべてがよくなるといった幻想は捨てなければなりませんが、与えられた条件の中で何を優先して経済の正常化をはかるべきか、正しい現状分析は、正しい対策を導きます。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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