志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2011年04月

メーデーとボランティアと新宿西口の風

 昨日は連合の第82回のメーデーでした。本来のメーデーは5月1日ですが、連合のメーデーは2001年以降、連休初日の4月29日になっているのです。今年は自粛の声もあったそうですが、「東日本大震災救援大集会」の名で、例年よりも規模を縮小して行われました。例年のお祭り的なイベントや模擬店などはない代わりに、「風評被害をぶっとばせ!」のスローガンで、茨城県産の野菜の特売会なども行われました。
 連合は被災地の救援に向けてチームを組み、救援カンパや物資の輸送、ボランティア団の派遣などを行っていて、現在は第4陣が300人規模で活動中とのことです。組織的にローテーションを組み、継続した活動ができるのがNGOとしての労働組合の長所で、阪神淡路大震災での経験が役立っている筈です。
 経験者の報告では、被災者の気持に寄り添うことが大事だと言われ、そんなことわかってると思って行ってみたが、実際に家の片づけを手伝う中で、能率よくゴミを処分するのとは違う、ボロボロになった写真が家族には何より大切で、時間をかけることも必要だったという話が印象的でした。
 会場で立ち話する中で、ボランティア活動を記録取材しておいたら将来に役立つということで急に話が進展し、私は取材ボランティアとしての参加を申し出ました。
 そして今夜の新宿西口、反戦・反核のスタンディングになりました。私の掲示はこのところ「発電も兵器も核は廃絶へ」「核やめて平和な地球子や孫へ」の二本立てです。連休にボランティアに出かけるらしい人たちからの声かけもありました。いつもより温かい風が吹き抜けるように感じたのは、季節のせいだけではなかったかもしれません。

原子力発電は使いこなせるか・再考

 ふと思い出して過去記事を検索したら、2007年8月6日に「原子力発電は使いこなせるか」という記事を書いていました。この春から沖縄へ行かれた高江洲先生を初めて訪ねたときに、「人間は原子力発電を使いこなせると思いますか」と質問したのでした。新潟中越沖地震による刈羽原発の火災と放射能漏れが話題になっていた時期で、このときは地震の揺れが「想定外」に大きかったために、燃料プールからの汚染水の溢れや、建屋のひび割れからの漏出が起きたのでした。
 先生の答えは「不可能ではないと思うが、非常に大胆な決断を要する」というものでした。その理由は、核分裂反応を爆発的でなく安全に管理するには、厳重に閉鎖した環境を用意する必要がある。ところが完全に閉鎖してしまったのでは物の役には立たないわけで、エネルギーは熱水などの形で取り出す必要がある。そこから必然的に、放射能漏れという綻びが発生する問題は、根絶は不可能だということでした。原発の危険性を、わかりやすく原理から教えていただいた記憶が残っています。
 ところが今回の福島では、原子炉そのものの冷却不能が同時多発したのですから、事態ははるかに深刻になりました。誰かがツイッターで書いていましたが、「テロで原発を爆発させるのも簡単なんだ、冷却装置を壊せば一日で爆発してくれる」という弱点が露呈したのです。緊急停止がかかっても、大量の水で冷やし続けなければ炉心は融解し爆発するということも、建屋の中には大量の核燃料がプールに沈めて保管されていて、ここにも水の補給がなければ燃料は発熱で崩壊するということも、私たちは事態が深刻化してから初めて知らされたのでした。
 つまり原発とは、止めたあとでも静かに止まってはいてくれない暴れ者だったのです。そんなことは、従来の説明からはイメージできませんでした。私は個人で渋谷の「電力館」を見学したことがありますが、その展示で強調されていたのも、原子力発電は何重にも安全策を講じて行われているので、心配はないというものでしかありませんでした。
 電力の労働組合とは、長くおつきあいしてきました。親しい友人もいます。彼らの真面目さ、誠実さ、そして明るさを、私は今も疑いません。「非常に大胆な決断を要する」問題を、既成事実のように素直に受け入れてしまって今に至った事情を、今こそ検証しなければならないと思います。原子力発電の運命がどうであろうと、電力が現代社会を支える中心的なエネルギー源であることに変りはありません。安心で使いこなせる電力産業を再建するために、電力労働者の責務は重いのです。

「本当は怖いだけじゃない・放射線の話」を読む

 「放射線の話」(大朏博善・WAC〔ワック〕文庫)を読みました。表記の副題がついています。警察病院で術後6ヶ月の診察を受けたとき、待ち時間に売店で目にとまった本です。著者は科学ジャーナリストで読みやすい本ですが、初版は2002年で、基本的に放射線に肯定的な立場から書いています。しかし「放射能は正しく怖がることが大事」と言われるように、収穫の多い本でした。
 話はまず「宇宙は放射線に満ちている」ことの説明から始まります。私たちは絶えず多種の放射線を浴びている。それは宇宙を作ったエネルギーの残照(というよりも、宇宙は今も変化の途上なのです)が地球を取り巻いているからです。しかし私たちを含む生物にとって危険ではなく、ただ体の中を通り抜けるだけです。放射線は、通過するだけで体内に滞留しない。これが第1のポイントです。私たちが放射線を五感で感じることができないのは、本来は警戒する必要がないからです。
 それでも放射線は生物に影響することがあります。水と衝突してエネルギーを出す。電子レンジが水分を通して食品を温めるのと同じです。ですから影響を受けやすいのは活動の激しい生殖細胞や胎児・幼児、小腸などで、大人の骨や脳などは、あまり影響されません。
 放射線は、遺伝の突然変異にも関係します。ですから生物の進化は、放射線のおかげでもあったのです。さらにレントゲン以来、各種の有用な放射線が発見されて、おもに医療界で使われてきました。それと同時に、多量の放射線が人体に有害であることも知られるようになりました。放射線と健康の関係について貴重な資料となったのは、広島、長崎における原爆の経験でした。
 放射線の怖さは、短時間の大量照射による細胞の破壊と、長期間の累積による細胞の変化(ガン化など)の2つに大別されます。累積は、放射性物質の吸い込み、飲食による摂取などによる内部被曝で起こります。摂取しても、大半は一定時間で排泄されますが、甲状腺など特定の部位に集まりやすいものもあるとされています。遺伝への影響については、広島・長崎でもチェルノブイリでも、次世代つまり被曝者の新しい妊娠以降については、有意の影響は見られないとのことです。 
 著者は放射線の有用性を強調し、ムードとしての嫌悪感を戒めているのですが、福島原発の現状は想定外だったでしょう。今後大きな問題になるのは、大量の水や土地、瓦礫などの放射能汚染です。そのときに、放射線ゼロは原理的にありえない。この辺までなら安心してよかろうという基準は、やはり経験則から割り出すしかないということは、抑えておかなければならないでしょう。それだけに情報の透明化が求められます。
 放射線は、目には見えませんが、計測器では捕まえやすい粒子です。それは隠すのは難しいということでもあります。一般の安心のために、簡易型の計測器を普及したらどうでしょうか。

ブログ連歌(179)

3559 母ひとり 子一人さえも 別れ住み (みどり)
3560  原子がつくる 原始の悲しみ (建世)
3561 過ちを 犯さぬ二度とは このことか (うたのすけ)
3562  広島の碑に 書いて置いたに (建世)
3563 目が眩む カネの威力も 罪深い (ハムハム)
3564  利権の分け前 湯水の如く (建世)
3565 生と死と いづれ淋しき さくらかな (玉宗)
3566  行方は見えず 時は過ぎ行く (建世)
3567 生きる道 願う廃絶 原子の炉 (みどり)
3568  怒り静めて 冥界に去れ (建世)
3569 これほどに 水であれこれ 憂うとは (うたのすけ)
3570  放射能さえ なければいいに (建世)
3571 記者会見 ただただ水に 終始して (うたのすけ)
3572  汚染という名 水に流せず (建世) 
3573 汚染水 貯めてどうなる 去らぬ危惧 (みどり)
3574  除染沈殿 フランス仕込み (建世) 
3575 汚染せる 水狂いぬらん 命摘む (ハムハム)
3576  生命の母 いのちの水ぞ (建世)
3577 汚染水 津波も元は 水なのに (うたのすけ)
3578  治世は治水 昔も今も (建世)
3579 悪しき水 民制し得ば 理想の覇者に (ハムハム)
3580  せめて地震と 津波で済めば (うたのすけ)

原発供養という思想

 能登の禅僧、市堀玉宗さんのブログに「原発供養」という言葉を見かけて、何だろうと思った。原発の放射能を汚穢の始末と思ったら、作業員の気持はやり切れないだろう、それよりも供養して葬る心で向かったら、ずっとモチベーションも上るのではないかという趣旨だった。出典は「内田樹の研究室」で、超越的なものに対する畏怖の念の大切さを説いている。畏怖を忘れた人々の驕りが福島原発事故を起こしたと考えると、納得がいく。
 放射能について、中立的と思われる本を読んでいるのだが、放射線とは、物質がより安定した物質に変りたいために発している「呻き」のようなものなのだ。太古の混沌の中で、素粒子とエネルギーから物質が生れるためには、放射能が不可欠だった。その混沌の一隅に安定した物質から成る地球が生れて、そこに「人の世」ができた。そこに住む生物は、もう放射線のことなど忘れてしまっても良かったのだ。
 ところが賢くなった人間は、太古の記憶を掘り返して、改めて放射線を「発見」した。これも何かに使えそうだと研究を重ねたまではよかったのだが、分際を忘れて元素の生成までも試みて、ついにはプルトニウムなどという先祖返りまでも物質に強いるに至った。その目的が破壊と殺人のためだったから罪が深かったのだ。
 もしも仏陀がこれを見たら、人間の浅ましさを悲しむとともに、この世では不用になった筈の、強力な放射能の固まりのような不自然な姿にされてしまったプルトニウムにも、深い哀れみの目を向けるに違いない。
 しかし仏陀は強権をもって罰を加えることはない。ただ、よく見て思い、真の理(ことわり)に達すべきことを説く。元素の崩壊熱だけを取り出して燃料に利用するなどは、下司の発想だった。原子のエネルギーから電気が欲しいのなら、電子から直接に電力を得るべきだったのだ。無駄な放射線を出させる必要はない。そのような安定した元素の核エネルギーを使うことができないのなら、中途半端な技術に走るべきではなかった。
 人はさまざまな過ちを繰り返す。金がからむと余計に真理から遠ざかる。過ちは誰かが償わなければならない。放射能そのものは善でも悪でもなかったのだ。丁寧に、供養の心で「あの世」にお送りしよう。私たちの「この世」が滅びないうちに。

社民党の再起に期待する

 統一地方選の、区議会議員選挙の結果が出ました。地元の中野区で唯一の社民党候補者は落選しました。定員が42名あり、投票率が40.22%と低率であったにもかかわらず、当選には届きませんでした。この候補は、ポスターに「脱原発」を大きく掲げている唯一の候補でした。共産党の候補は、「まだ使える区役所の移設反対」などの統一スローガンを、全候補者が同じように表示していました。それを見たとき、社民党には共産党では代替できない役割があると思いました。
 かつては議会の3分の1を占めていた社会党を支持していた人たちは、今どうしているのでしょうか。一部は民主党に望みをつないでいるでしょうが、「社民党はもう終った」と、あきらめてしまった人も多いのでしょう。新社会党という名も聞きますが、どこかの区で今回1名の当選者が出て、珍しく思った記憶があるだけです。
 その一方で、世田谷区では保坂展人氏が区長に当選したというニュースもありました。脱原発を前面に出したことが、ここでは支持の拡大につながったようです。国政選挙で惜敗していることへの同情票もあったかもしれません。区長としての見識であれば、国のエネルギー政策についての発言も、違和感がなかったのでしょう。これからは具体的な区政の中で、どのように指導力を発揮して行くか期待したところです。
 民主党には期待を裏切られたが、震災復興という非常時に政変は好ましくなかろうというので、小康を保っているのが政界の現状のように見えます。有権者にとっても、今ここでにわかに解散総選挙と言われても、どの党のどんな政策を支持したらいいのか、大いに選択に迷うのではないでしょうか。現実にも、衆議院における民主党の大きな議席数が、大勢を決めていく状況が続くのだろうと思います。各党は、その間に、新しい政策の軸心を決めるべきだと思うのです。
 私の思いは、先日の「核開発か反核か、これは政界の新しい軸になる」で書いた通りです。その新しい陣取りの先頭に立ったら、社民党に再起の機会が訪れるのではないでしょうか。そのときには、民主党も自民党も割れていいのです。むしろ割れるべきなのです。そのような方向への政界再編を、私は期待しています。

絶対安全な原発は不可能

 福島原発事故でこれだけ多くの人を不安に陥れているのに、原発は必要と考える人がいまだに半数近くいるという世論調査に驚いています。たまたま福島は運が悪かった、想定外の天災さえなければ大丈夫だとでも思っているのでしょうか。
 原発つまり核エネルギーを燃料として工業利用することの本質的な危険は、原子炉が破壊された場合の汚染が「自然界に存在しない有害放射線」を大量かつ長期間にわたって放出するということです。ですから百年に一度どころか、千年、万年、億年に一度の自然災害で破壊されても、絶対に困るのです。
 それだけではありません。原子炉は外部からのあらゆる攻撃に対しても絶対に安全でなければなりません。それはテロによる爆破といった生やさしいものでなく、ミサイルによる本格的な攻撃にも耐えなければなりません。なぜなら原発が稼動する30年以上もの間に、国家間の戦争が絶対に起きないという保障はないからです。核開発が継続していれば、核ミサイルで相手国の原子炉を破壊するのは、非常に有効な戦略になるでしょう。原子炉を地下に設置したとしても、劣化ウランで貫徹力を高めた弾頭が開発されるに違いありません。
 そんな攻撃にも耐えられる原発が建設できるとも思えないし、できたとしても途方もなく高くついて、到底採算は合わないでしょう。たかが発電という、他の方法がいくらでもある事業に、核エネルギーを使わなければならない理由はないのです。
 それよりも、発電用か兵器用かを問わず、人類は核開発から撤退した方が、将来はずっと安心・安全になるのです。この簡単な道理が、どうしてわからないのでしょうか。
 今も50基以上の原発が稼動している日本で、たしかに福島は例外的だったでしょう。安全に管理されている原発のおかげで、地域は良くなった、雇用も増えたと喜んでいる人々も少なからずいることも本当でしょう。しかし今回の事件で明らかになったのは、原子炉が管理不能になったら地域が壊滅するという事実でした。
 安全性の技術では、必ず確率ということを考えます。得られる利益に対して危険性が充分に小さければ、それはゼロであると見なすのです。それで成り立ったのが現代の技術でした。しかし危険の内容が地球環境の壊滅にまで及ぶとき、受忍の限度を計算することは不可能になります。核開発は、必ず破綻する技術なのです。

効果的な節電術

 原発に頼らなくても電力は充分に足りるというのは、ネット上ではすでに常識化していますが、電力の総需要抑制が、反核運動の追い風になることは確かでしょう。
 わが家でも、高価だからと敬遠していたLED電球を3個だけ買って、点灯時間の長い地下室などにつけてみました。もともと電球型蛍光灯を使っていた場所なので、明るさを同じに保つなら消費電力は3分の1になる程度です。ただし明るさを落とすのと併用して、27Wが6Wになりました。
 LEDを白熱電球と比べれば10分の1の電力になるというのも実感しました。ただし横方向への明るさの広がりは弱く、ダウンライトには最適といった特性があります。また、事務室や家庭内で主流になっている蛍光灯への代替は、ソケットが共用できない難点があります。旧来のねじ込み式電球を使っている場所は、意外なほど少なくなっているのです。
 結論から言えば、照明を暗くして得られる節電効果は知れています。過度の明るさを避けて「昔はこうだった」落ち着きを取り戻すのは良いことですが、所詮は10ワット単位の話です。それに比べて、最近の電熱器具の大電力化は、以前から気になっていました。トースターなどは昔は600Wが常識でしたが、今ではトースターも電気鍋も1kw以下のものは見当らなくなりました。電子レンジの普及以来、主婦は「加熱に時間がかかる」ことを我慢できなくなったのではないでしょうか。
 加熱の効率は、今でもガスの方がすぐれていると言われます。鍋物を水から沸かすのはガスにしたらどうでしょうか。炊飯もガスでできるという新聞記事も最近読みました。
 それよりも何よりも、電力の使用量を過去一年間調べてみたら、わが家で大電力を使うのは冷暖房であることがはっきりしました。夏のピークは春秋に比べて2倍近くになり、冬は1.5倍になっているのです。冷暖房以外のベースの電力は月間500kw程度であることがわかりました。今年の夏はどうするか、本気で対策を考えようと思っています。
 その他に、誰でも簡単に実行できる節電運動があります。街頭の飲料自販機は、1台で毎月480kwつまり家庭1軒分の電力を消費していて、全国に260万台もあります。今は照明を消している機械もありますが、その節電効果は1割もなく、見せかけだけです。これを規制しようとしても業界の利害があって面倒でしょうが、消費者が自販機で飲料を買うのをやめればいいのです。採算が合わなくなれば、業者は黙って撤退するでしょう。1台撤去できるだけでも、家庭の節電に比べて効果は絶大です。
 熱いコヒーやアイスクリームを、電力を大食いする街頭の自販機で買うことはないのです。暮らしに浸透しかかっている電力浪費の習慣を、見直すところから始めたらどうでしょうか。

いつも何度でも…チェルノブイリの歌

 「ミルク・ティー」さんからのコメントで、この歌を教えていただきました。チェルノブイリで故郷を失ったというナターシャが歌っています。最初聞いたとき、福島原発事故のあとで出来た替え歌かと思いました。しかし調べてみたら、「千と千尋の神隠し」のテーマ曲そのものだったので驚きました。そういえば、耳になじんでいる曲でした。
 しかし、この歌詞の深さはどうでしょうか。まさに日本の今を予言したように感じられます。あの映画も、大人のゆがんだ欲望が、子供たちを置き去りにしてしまう罪を描いていたように思います。人間にとって、いちばん大切なものとは何か。それを考えつづけてきた「ミルク・ティー」さんにとって、心に響く歌だったのでしょう。
 この歌を、鎮魂の歌にしたくない、生きているうちに取り返したいと私は思いました。死んでしまってから鎮魂していただくのは結構。しかし今は生き残らなければ負けです。遠くに鎮魂と復活が見えているとしても。
 歌声は、ここで聞けます。
http://www.youtube.com/watch?v=xQJog0rs7Eg&feature=related
 歌詞は著作権の制限があるようですから、最初と最後だけを抜粋しておきます。

作詞・覚和歌子 作曲・木村弓

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
……
……
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
ララランランラランラー… 

ブログ連歌(178)

3539 というような 昔語りを 聞くまでは (建世)
3540  容易くはなき 未来の指針 (みどり)
3541 己が目で 更地の姿 確かめて (うたのすけ)
3542  原発公園で 長屋の花見 (建世) 
3543 原発は 止めようとしても 止まらない
3544  なら最初から 作るな動かすな (建世) 
3545 現実に 動く原発 数多あり
3546  廃止へ勇気 人知尽くさん (みどり)
3547 公僕の 一人といえど あの人に
3548  後味悪し 避難所のシーン (うたのすけ)
3549 願わくば 怒り抑えて 欲しかった
3550  気持ち解れど 避難所の夫婦(ひと) (うたのすけ)
3551 よしとする 靴なげられずに 済んだだけ (うたのすけ)
3552  アイアムソーリと 言ってもおれず (建世)
3553 お二人の 見舞う笑顔の お優しさ (うたのすけ)
3554  ただそれだけで 象徴の役 (建世)
3555 学童の 疎開もありや 核汚染 (うたのすけ)
3556  少国民は お国のために (建世)
3557 疎開先 いつまでありや 原発多発 (hana)
3558  流浪の先に 定めもつかず (建世)
3559 母ひとり 子一人さえも 別れ住み (みどり)
3560  原子がつくる 原始の悲しみ (建世)

鯨エマさんの演劇人生を聞く

 老人党護憲+の例会で、60歳以上の熟年劇団「かんじゅく座」の主宰をはじめ、多方面の演劇活動をしている鯨エマさんの話を聞きました。劇団および作品の内容などは、後日適当な機会に紹介しますが、全く経験のない高年者が役者として演劇に参加することの意味について、面白い話が聞けました。
 一言で言えば、舞台で何かの役を演じるということは、非常に人を活性化します。稽古はつらくても、舞台に立って観客の拍手を受ける快感は何ものにも替えがたく、役者は3日やったらやめられないと実感するそうです。中年過ぎるまで平凡な主婦であったり、サラリーマンであった人ほど、自分が変身できたことに感動するのでしょう。
 誰でも役者になれると言ってきた鯨エマさんですが、最近になって、やはり役者に向いている人と、向いていない人がいると思うようになったとのことです。それは要するに自分を変えられる人かどうかということです。すっかり自分を固めてしまっている人は、やはり役づくりに苦労する。そこを突破できればいいのだが、挫折する場合もあるとのことです。
 そんな話を聞いて、自分はどうなのだろうと思いました。私はいつになっても新しい経験が好きです。一度だけですが、自分が構成した寸劇に、町内の長老役で出演してしまったこともあります。その一方で、変らぬ自分でいたいという願望もあります。他人の台本と演出に出会ったら、抵抗を感じるのか、それとも器用に適応して変身を楽しむことができるのか、どちらだろうと思いました。
 鯨エマさんの、いきいきしたしゃべり方を聞きながら、この劇団を見てみたいと思いました。

核開発か反核か、これは政界の新しい軸になる

 まだ整理の途中ですが、忘れないうちに書いておきます。菅政権以来あいまいになってきた日本の政治路線に、「核開発か反核か」の対立軸を据えると、その他もろもろの政策も含めて、すっきりした仕分けができるのではないでしょうか。
 もちろん当面の原発封じ込めと災害復興は挙国一致的に取り組むべき課題ですが、その先に描く日本の未来像は、今後も核開発を推進するか、それとも核エネルギー利用と縁を切るかによって、大きく変ってくると思うのです。核エネルギー利用との決別は、当然ながら核兵器の廃絶と連動します。原子力発電は、所詮は核兵器の開発・維持と表裏一体の産業に属しているからです。
 この対立軸からは、さまざまな政策の違いが派生してきます。経済では拡大至上主義に対する人間の生活の質重視、一極集中の効率優先に対する地域自立型経済、などが導かれます。外交・安全保障問題では、圧倒的軍事力優位を背景とした力の外交に対する、地域ごとのバランスと信頼関係を基盤とする対話の外交、などが考えられます。
 その他、今は精密に考えている時間がないのですが、この対立軸は、おそらく教育、社会福祉、労働政策など、広範な内政の進め方についても、明瞭な違いとなって表現されるような気がしています。
 間もなくまた政治の季節が始まるときに、各政党は、この対立軸を明らかにして有権者の選択を求めてほしいと思うのです。

放射能さえなかったら

 久しぶりに台本の仕事が入って、時間がなくなりました。
 今日のニュースを見ての感想です。800メートルもホースをつないで、水漏れがないか慎重に調べて、ようやく汚染水の汲み出しが始まったとのこと。その効果でトレンチの水位が1センチ下がったということです。涙ぐましい努力ではありますが、あれもこれも、みんな放射能が悪いのです。
 放射能さえなければ、水漏れなど誰も気にしません。余り水は海へ流せばそれで終りです。原子炉がいくら熱くても、水をかけて冷やしながらパイプやポンプの修理をして冷却装置を直すのは、日本の職人技なら3日もかかりはしないでしょう。アメリカから来たロボットカメラが映し出した原子炉建屋の散らかりなどは、仕事とも言えない短時間で片付くに違いありません。
 放射能さえなかったら、近所の人たちを遠くへ追いやることもありませんでした。無事でいた漁船は次の日から漁をして、待ちかねている無事な港へ運ぶことができたでしょう。野菜も牛乳も、もちろん貴重な食料資源、ひとつとして無駄にはなりません。みんな放射能が悪いのです。
 本当にやっかいなものと、かかわりを持ってしまったものです。悪い夢を見たのではありませんか。原子力の偉大さに目がくらんだのですか。核エネルギーの強い力が、放射能と一体のものだということに、気がつかなかったとでも言うのですか。
 みんな放射能が悪いのです。悪いものを持ってきた人が悪いのです。それを許した人が悪いのです。安全だと嘘をついた人が悪いのです。悪いと思ったら、心を入れ替えなさい。

原子力は「地球を賭けた博打」説の迫力

 「マスコミに載らない海外記事」さんからトラックバックいただいた「地球を賭けた博打」は、読みごたえがありました。さきの金融崩壊による世界同時不況と今回の福島原発事故とが、同根のものであると指摘しています。その要点は、巨大になり過ぎてつぶせなくなった金儲けシステムが内部矛盾で崩壊するとき、後始末は社会の負担に任せられ、一部に利益の持ち去りに成功する者がいるように見えるが、全部を平均すれば損失の方が大きい。これは、博打において、常にトータルでは、得られる利益よりも失われる利益の方が大きいという原則に一致するというのです。
 原子力発電において何が博打の要素かというと、それは放射性物質を管理することの難しさと、使用後にも安全な最終処理の方法が確立していないことです。ですから当面の運転では利益を出すことができても、少しでも管理に失敗すれば莫大な損失を発生することになり、公的な援助なしには事態を収拾することができなくなります。今の東京電力がまさにその状態にあるのは、私たちが毎日のニュースで見ているところです。つまり東電は博打に負けたのです。
 株式市場において、東京電力の株価は500円を下回りました。これは昔の感覚でいうと「額面割れ」です。一方、関西電力など被災地以外の電力会社の株価は、弱含みながらそこそこの水準を維持しています。電力会社は資産内容が優良で、製品は「作ればすぐ売れる」電力ですから経営に不安がなく、不況にも強い超優良企業でした。株価もずっと安定していたものです。
 これからの日本の原子力発電は、どうなって行くのでしょうか。当面は安全対策を強化しながら運転を続けるでしょうが、地元の納得を得るためのコストは、ますます高騰する一方でしょう。先を見通したら、博打性の高い原子力からは手を引いて、安心で確実な自然エネルギーの開発などに資本を投じるべきだと思うのですが、今後を見守りたいものです。消費者と株主の意向を反映しやすい民間企業の長所が生かされるといいと思います。
 福島の原発事故は現在進行形です。危ういところで踏みとどまる状態が何ヶ月も継続するという世界にも例のない展開になりました。毎日のニュースは、核エネルギーに対する私たちの認識を刺激するショーウィンドーのようでもあります。世界が注視する中で、破綻することなく収束への工程表が実現されたら、日本人の技術力とねばり強さは、世界の賞賛を受けるかもしれません。
 問題はその後です。核エネルギーの利用は、兵器でも発電でも、地球を舞台にした博打であったという事実を、世界に向けて日本から発信できるかどうかです。それができれば、復興は創世となり、災害は覚醒へと昇華するでしょう。

ブログ連歌(177)

3519 欧州の 忘るべからず 経済危機 (恩義)
3520  地震なくとも 社会鳴動す (建世)
3521 世界まで 恐怖およぼす 原発事故 (みどり)
3522  顔向けできる 事故対策を (うたのすけ)
3523 風と潮 漂い行くは 世界中 (hana)
3524  プルトニウムは 2万年余も (ハムハム)
3525 うますぎた 使って増える エネルギー
3526  お帰りはこちら まだ間に合うぞ (建世)
3527 列島を 襲う災厄 おぞましき
3528  哀れ置き去り 牛の彷徨い (みどり)
3529 原発の ご機嫌とりを いつまでも
3530  触らぬ神に 触った祟り (うたのすけ)
3531 工程表 ため息の出る その長さ (建世)
3532  されど期間は それより伸びる (hana)
3533 さもありぬ 津波より先 炉を壊す
3534  地震在り得と 識者の見立て (ハムハム)
3535 とりあえず 後知恵寄せて 工程表
3536  世界が見ている 綱わたり芸 (建世)
3537 むかしはね ゲンパツという 怖〜いものが
3538  この国にもね まああったんだよ (花てぼ)
3539 というような 昔語りを 聞くまでは (建世)
3540  容易くはなき 未来の指針 (みどり)

安全は想定していなかった

 鼻メガネ先生のブログに、津波の想定についての鋭い指摘がありました。今回の津波の最大遡上(陸地に上がった最高高度)は38.9メートルだったそうだが、明治三陸地震(1896年)の際は38.2メートルだった。差はわずかに0.7メートル。そういう津波が百年前にあったのがわかっていて、どうして今回の津波が「想定外」だったのか、という疑問です。原発という安全第一であるべき施設の津波対策が、10メートルにも満たない津波しか想定していなかったのは粗末の限りでした。
 明治三陸津波は、地震そのものは激しくない津波型の地震で、マグニチュードは8.5以下でした。それでも海岸での波高は軒並み10メートルをはるかに超えています。それが千年に一度どころか、百年前にあったのですから、当然に想定すべきでした。それを想定外に置いたのは、もっぱら費用対効果の資本の論理を適用したからでしょう。
 私たちは便利なものを使いながら、それに伴う危険は止むをえないこととして受け入れる場合があります。たとえば自動車の事故が一定の率で避けられないことを知りながらも、手離すことはしません。その代わりに保険をかけたり、安全対策の施設を工夫したりしています。自動車の事故が、悲惨ではあっても一過性で、かつ現場に限定されるから、それでよしとすのです。
 ところが原発の事故は、全く話が違いました。核物質の拡散は、下手をすれば世界人類に災厄を及ぼす「この世の終り」に発展しかねません。福島の原発群から放出された放射性物質は、これまでに全体の1%程度と発表されていますが、1%でこの騒ぎです。1%に収まっているのは、徹底的には破壊されなかった幸運と、多くの人々の献身的な努力のおかげでしょう。にもかかわらず、まだ安全宣言を出すには程遠い綱渡り状態にあるようです。1%が1%のままで終るかどうか、先行きへの不安は限りがありません。
 いったいこれは、どうしたらよかったのか。この状態を作り出した人たちの責任は、いくら厳しく追及しても足りません。原発は絶対に安全でなければならなかった。そこに費用対効果を持ち込んで建設費を値切ったのが犯罪的でした。根本的な間違いでした。
 よく、人のやることに絶対はないと言い、失敗したときの言い訳にしますが、失敗の結果が人類の生存にかかわるとき、費用対効果は意味を失います。原発の絶対安全に要する費用は、無限大であったのです。資本の論理をもってしても、これは採算のとれない事業です。
 これから私たちがすべきことは、反原発の運動を盛り上げて限りなく安全対策を要求し、いかなる計算でも原発が事業として成り立たない事実を実証することではないでしょうか。

忌野清志郎の反原発替え歌

 忌野清志郎の生前の歌を、私は聞いた覚えがありません。私にとっては縁の遠い人でした。しかし今、その歌声が迫力をもって聞こえます。反骨のミュージシャンが感じたことの正しさが、今にしてわかります。放送されたことのない歌だそうです。私は「そりゃおかしいゼ」獣医さんのブログで知りました。

 Summertime Blues の曲で

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース

(原発という言い方も改めましょう。
何でも縮めるのは日本人の悪い癖です
正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。
心配は要りません)

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース

電力は余ってる、
要らねえ、もう要らねえ

電力は余ってる、
要らねえ、欲しくない

原子力は要らねえ、
危ねえ、欲しくない

要らねえ、要らねえ、欲しくない
要らねえ、要らねえ、

電力は余っているよ
要らねえ、危ねえ、
(歌はここで聞けます)
http://www.youtube.com/watch?v=MIbrxhv_s_M&feature=related

 Love Me Tender の曲で

何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ

放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ
何言ってんだー、税金(かね)かえせ
目を覚ましな
たくみな言葉で一般庶民を
だまそうとしても
ほんの少しバレてる、その黒い腹

何やってんだー、偉そうに
世界の真ん中で
Oh my darling, I love you
長生きしてえな

Love me tender, love me true
Never let me go
Oh my darling, I love you
だまされちゃいけねぇ

何やってんだー、偉そうに
世界の真ん中で
Oh my darling, I love you
長生きしてえな
(歌はここで聞けます)
http://www.youtube.com/watch?v=7E6huKlEjl0&NR=1

核エネルギー雪女の深情け

(熊さん)昨日まで3回の原子力談義は、ちと難しかったですね。
(ご隠居)おやそうかい。わしは熊公にわかるようにと意識して書いたつもりなんだがな。
(熊)でもね、核エネルギーが気楽に使えるもんじゃないってのは、わかりましたよ。
(隠)ま、それだけわかりゃ上等さ。つまりは核エネルギーは「あの世」のもので、「この世」に持ってきてはいかん、ということだ。ちょっと見では美人にも見えたが、まともにつきあったら命をとられる雪女ってとこだな。
(熊)へえ雪女ね。
(隠)いっときは美人に見えたさ。無限に大きなエネルギーを出してくれる救世主だと思われたのも無理はなかったんだ。物質の元になってる原子核を動かしてエネルギーを取り出すんだからね。科学力の究極の勝利ってわけだ。ところが核をいじれば強い放射線が出てくるのが避けられない。これがどうにも人間の力では手に負えないことがわかってきたんだよ。
(熊)その放射線が「あの世」のものなんですか。
(隠)まあそういうことだ。いろんな元素を作って星を誕生させたり、星の最後に大爆発を起こしてご破算にしたりするのが核エネルギーの力だ。その中間で、物質が安定して温度や水や空気といった条件が奇跡のようにうまくバランスしたところで、はじめて生物が誕生して繁栄することができるんだよ。もちろん人間もその仲間で、こうして地球の上に住んでいるわけさ。
(熊)それが「この世」ですよね。
(隠)うん、だから生き物が住めるようになる以前と、住めなくなったあとの時代に活躍する核エネルギーは、人間から見たら「あの世」のものだったんだ。その目印が生物に有害な放射線だったと考えていい。それなのに、わざわざプルトニウムなんて放射性物質まで作り出してしまった。
(熊)それで今、いつまでも始末ができなくて困ってる。
(隠)そうなんだ。管理に失敗したら止めようとしても止まらない。放っておけば何万度という熱を出して鋼鉄でも溶かしてしまう。大量の水を循環させて冷やすシステムを復活させたいが、放射線が強くて人間が近づけないので苦しんでいるわけだ。何とか破局にならずに収束してくれるのを祈るしかないんだが、もう止めますから縁を切ってくださいと頼んでも、聞いてくれないのが核エネルギーの怖いところなんだよ。ちょっとでも機嫌を損ねたら「この世」の力では止められない。
(熊)わかりましたよ。うますぎる話には裏がある。色気に迷って、とんでもない悪女に取り付かれることもあるって話なんですね。

「隠される原子力・核の真実」を読んで(3)

 天然のウランの中には、核分裂性のウラン235は0.7%しか含まれていません。これを濃縮して取り出す作業は、膨大なエネルギーを必要としました。そして抽出したあとには非核分裂性のウラン238が残ります。これが「劣化ウラン」で不用な鉱滓ですが、6割程度の放射能があるので簡単には捨てられません。この廃物利用が「劣化ウラン弾」で、ウランが鉄よりも重い性質を利用して徹甲性能を上げ、かつ周辺を適度に放射能汚染するのでテロとの戦いなどに使われます。
 一方、ウラン238に中性子を当てると、核分裂性のプルトニウム239が生成されることも発見されました。初期の原子爆弾は、ウラン型とプルトニウム型の2通りで製作が進められ、広島には前者が、長崎には後者が用いられたのは、よく知られている通りです。私たちは長崎の方が被害が小さかったように思っていますが、それは照準が山側にずれた結果であって、爆発力はプルトニウム型の方が一回り強力でした。その後の核兵器は、ほとんどすべてプルトニウム型です。
 原子力発電とは、このプルトニウム生成の副産物として発見された原理によるものです。ですから原子炉を運転している限り、プルトニウムは際限なく生成されて行きます。日本は核兵器を作らないことを世界に公約していますから、すでに国内外に溜め込んでいる長崎型原爆に換算して4000発分にも相当するプルトニウムを、何とかして平和利用する筋道をつけなければならないところに追い込まれているのです。それで開始したのがプルトニウムも使うプルサーマル発電でした。
 しかし誰が考えても、この発想は逆転しています。その下地には、科学の進歩に対する盲信があったのでしょう。人類は科学的な発見によって、不可能と思われることでも次々に実現してきました。無尽蔵の核エネルギーを解放して人間社会をもっと豊かにできるという幻想を描いたのです。それは人知が頂点をきわめた時代の記憶として、長く歴史に残るのかもしれません。
 しかし頂点とは、限界を確かめた地点でもあります。プルトニウムを安全に使いこなそうとする試みは、ことごとく失敗して今に至っており、どう考えても人類と共存共栄はできない物質です。その毒性は自然界には存在しない強さであり、ナマで放出されれば、その放射能の半減期は2万4千年です。そんな物質を、戦争に勝ちたい一心で作り出してしまったのです。
 ではどうするか。発電の熱源なら、いくらでも代替が可能です。問題は、兵器利用と一体化している巨大な原子力産業を、どのように解体して行くかということです。でも、それを始めなければなりません。プルトニウムは、はっきりゴミと認識して人間社会から遠ざけること。それくらいの知恵と力を、人類は発揮できない筈がありません。
 地球環境の保護は、人為的に持ち込まれた放射性物質の除去が、最優先の課題なのです。

「隠される原子力・核の真実」を読んで(2)

 原子力発電所は、なにか高度に科学的な仕事をしているように思われるかもしれませんが、湯を沸かして蒸気を発生させ、タービンを回して発電する火力発電所の一種です。その燃料が核物質であるということだけが特徴です。核燃料は少量でも発熱が大きく長持ちするので、安価に発電できると思われました。ただ一つの問題は、核を安全に管理することの難しさでした。
 核の変換は、元来、超高温と超高圧の環境で爆発的に起こる現象です。それを人間が制御できる範囲の温度と圧力の中で行わせようとするので無理と危険が伴うのです。ですから原発の熱効率は、決して良くありません。発生する熱のうち電気に変換できるのは3分の1で、あとの3分の2は廃熱として海に捨てられています。新鋭の火力発電所の熱効率が50%以上で、廃熱を給湯に使うコ・ジェネレーションと組み合わせると80%にもなるのとは対照的です。原発は都市から遠い海岸に立地するしかなく、大河にも匹敵する流量の海水を循環させて、絶えず海水を温暖化させているのです。
 常に冷やしていないと暴走する危険をはらんでいる核燃料の特質は、今回の事故で、いやというほど明らかになりました。安定的な保存や廃棄の難しさは、いまだ解決しない核利用の最大の重要課題なのです。見切り発車で原発が稼動を始めたときに「トイレなきマンション」と言われましたが、使用済みの燃料も行き所がなく原子炉建屋に溜めていた状態は、自分が出したゴミの始末もできない「ゴミ屋敷」と呼ばれも仕方のないものでした。
 原発は温暖化ガスを放出しない環境にやさしい発電所だとか、エネルギー枯渇の問題を解決するエースだとか言われたのは、運転されている状態だけを強調した虚構でした。複雑な原子炉の製作や関連施設の建設・維持管理費、さらに未解決の核物質の最終処理にかかる費用や事故対策費などに、今後どれほどの費用とエネルギーが消費されるのか、信頼できる計算すら立てられません。
 資源枯渇の問題については、ウランの枯渇の方が石油の枯渇よりもずっと早く訪れることが明らかです。しかも石油については、天然ガスやメタンハイドレードなど、代替資源開発の可能性があり、さらにバイオマスなど、循環型資源の導入も視野にあります。石炭という予備資源もあります。それに対してウラン鉱には限りがあり、代替物はありません。
 常識的には未来のない原子力開発なのですが、ここに一つだけ一発逆転を狙う方法がありました。それがプルトニウムです。ウランの核燃料を使用後に再処理すると、プルトニウムという人工の核物質を取り出すことができます。これを燃料に使うことができれば、使ったよりも多くの燃料が手に入るという、夢のようなサイクルが描けるのです。さて、これは信用できる話でしょうか。じつはここから先は、軍事利用と密接に関連していたのでした。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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