志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2011年05月

被災地観光のすすめ

 先日の仙台行きでは、中日に精力的に案内していただいたので、3日目に暇ができ、松島の知人を訪ねることができました。そのときの経験です。
 仙石線は塩釜までしか通じていないので、その先の松島海岸への船は出ているかどうかを仙台駅で聞いたのですが「わからない」との返事で、同じ質問をした中年の夫婦も困っていました。私は気軽に本塩釜まで行ってみたところ、駅前にも何の掲示もありません。マリンポートまで歩いて行き、閑散としている窓口で聞いてみて、はじめて1時間おきに定期船が出ていることを知りました。現場では「通常通り」であるために、広報する必要を感じていないようでしたから、仙台駅での対応を知らせておきました。
 船中では、もったいないような少人数を相手に、ガイドさんはマイクなしで案内してくれました。松島では島々が天然の防波堤となって町を守ってくれたとのことで、津波をかぶった島の被害が大きいということでした。奇岩の風景が変形してしまった島もありました。
 上陸してから電話してみて、予期せぬ再会を果たすことができました。松島の知人は、芸者置屋「花扇」のおかみさんなのです。今は観光客はなく仕事はバッタリで、町の有力者である連れ合いさんといっしょに、もっぱらボランティア活動に精を出しているとのことでした。救援物資で送られてきた古着の始末に困った話など、当事者でなければわからない実情が聞けました。
 福島での取材では、現場での移動手段のことで「タクシーなんか、ないだろうし」と言ったら、現地の人に「走ってますよ、人が住んでるんだから」と憤然として言われたのが印象的でした。被災地では、日常の暮らしと非日常の風景とが混在しているのです。日常の場所と、立ち入りに気を使うべき場所との区別は、現地の人に聞くのが一番いいでしょう。その意味では、地理に明るい現地のタクシーを利用するのは良い方法だと思います。
 今朝の新聞コラムにもありましたが、被災地の現場に立ってみることは、特に若い人たちに、真剣にものを考える機会になります。テレビで見るのと、360度の環境の中に身を置くのとでは違うのです。そしてできればカメラは持たずに、自分の目に記憶を焼き付けてほしいと思います。
 現地のボランティア・センターでは、撮影を一律に禁止しているところもありました。興味本位の撮影対象にされるのは迷惑という場合もあります。顔のわかる撮影には相手の同意が必要というのは、現代の常識なのです。それらのルールを守れるなら、なるべく多くの人が被災地の実際を見ておくべきだと私は思います。
(追記・松島へは、東北本線の松島駅からも行けます。私は忘れていましたが、すぐ近くを通っているのでした。その他、仙石線でも常磐線でも、海に近い駅から海岸へ歩けば、どこでも津波の跡を見ることができるでしょう。)

「曲り角の日本語」を読む

 「曲り角の日本語」(水谷静夫・岩波新書)を読みました。著者は1926年生れで、私よりも7年年長に当り、「岩波国語辞典」の編纂に、初版から現行の第7版まで、45年以上かかわってきた国語学者です。戦後の国語改革には批判的な立場で、現在の「学校文法」も評価しない立場ですが、頑固一徹というのではなく、早くからコンピューターを活用して統計的活用をするなど、言語の現状をよく研究しています。文体にも「横丁の隠居」的な味わいがありました。
 とはいうものの、文法の具体的な説明などは、私には追いつけない高度なものがありました。それよりも興味があって記憶に残ったのは、要所で紹介される「日本語の変り方」の実例などでした。なぜそのように変るのかの説明を聞くと、いろいろ思い当ることが多いのです。
 「見れる」「着れる」などの「ら抜き言葉」は、日本語の乱れの典型のように言われますが、著者は、言葉の簡略化は昔からあった当り前の変化だと言います。意味はわかるし、敬語としての「見られましたか」などとの区別もつくから、むしろ合理的とも言えます。
 「責任回避の敬語法」というのもありました。たとえば「心からお詫びしたいと思います。」は、ていねいに謝っているようでも「お詫びします」ではなくて「詫びたいと思っている」だけです。誰かのために何かしてあげるのも、「させていただく」を連発すると、相手の意向に沿ってすることだから、自分には責任がないということになります。
 「命令形の消失」というのもありました。「…してください」と明言することが少なくなり、「…していただいて、よろしいでしょうか」などとなります。これも相手との間に距離をおく話法です。同様に若い人たちは「そうですか」と言うべきところで「そうなんだ」と言うことが多くなりました。「そうですか」は、何かを知って自分の認識を改めたことの表明ですが、「そうなんだ」だと、自分とは関係ないことを確認しただけで終ります。つまり人間関係の希薄化が言葉を変えるのです。話題は一つなのに「…とか」をつけて輪郭をぼやけさせるのも現代の流行です。「とか」をつけると、文を完結しなくても済むから便利なのです。
 このように言葉は変化します。その中でも著者が今を「曲り角」と呼ぶのは、戦後の国語行政が通用しなくなる時代を迎えつつあるという認識です。言葉のだらしない使い方に安直に流されることなく、伝統を異質なものとして捨て去るのでなければ、言葉は変ってよろしいと著者は結論しています。

「ふくろうの会・お国ことばで語る民話」を聞く

 花てぼさんが参加している入間市市民グループの朗読発表会を、昨日聞いてきました。以前にも聞いたことがありますが、レベルの高さは、なかなかのものです。今回は福島、石川、福岡、広島の民話が聞けましたが、民話の内容には深刻で残酷なものが少なくありません。しかしそれが語り継ぎのお国ことばで語られると、時に笑いを誘うような面白話になり、教訓にもなるのです。日本語の豊かさということも感じます。
 途中で手まり唄が実演つきで入ったり、飽きさせない構成も見事でしたが、圧巻はやはり東京、京都、長崎、秋田、埼玉の5つの方言で演じた落語の「たらちね」でした。これはもともと言葉の違いをネタにした落語ですが、これを5人に振り分けて演じるのですから迫力が違って、抱腹絶倒の効果になるのです。
 3年前に、この方式で「桃太郎」を聞いたときにも書いたのですが、これは埼玉の入間市だから出来ることではないかと思います。東京圏のベッドタウンで古い団地もあり、全国各地から人が集まって言語のるつぼになっていた筈です。嫁に来て子育ても終った世代が、覚えている幼時からの言葉に郷愁を感じるのも自然なことです。それをまとめる埼玉の言葉というのが、これまた首都圏の隣りで何でもありの、いいかげんで乱暴な言葉だということに、ナレーション役の語りを聞きながら気がつきました。まさに「ダサイタマ」の真骨頂と言うべきでしょう。
 こうしてみると「ふくろうの会」のやっていることは、ご当人たちが思っている以上に、日本の言語資料としても面白い試みのように思えます。来年は10回目になるそうですから、この路線での名作を期待したいところです。
 ただしあまりプレッシャーがかかっては、やりにくいかもしれません。楽しくわいわいやっているうちに、台本が固まって行くような雰囲気がいいのでしょう。とにかく文句なしに楽しませていただいた2時間でした。

ボランティア取材・福島写真編



2011.5.27福島県南相馬市・側溝整備



2011.5.27福島県南相馬市・農地復旧の土嚢積み



2011.5.27福島県相馬市・水没地の農道



2011.5.27福島県相馬市・被災家庭の支援



2011.5.27福島県相馬市・広大な水田地帯には、まだ手がつけられていない



2011.5.27福島県新地町・現地に向かう救援隊



2011.5.27福島県新地町・側溝の整備



2011.5.27福島県新地町・周辺被災地の状況

ブログ連歌(184)

3659 そんなこと しているときで なかろうに 
3660  揚げ足取りに 終始す輩 (玉宗)
3661 被災民 アホのやりとり ただ唖然 (うたのすけ) 
3662  後知恵論議 空しいものを (建世)
3663 揚げ足を 取るしか能の ない輩
3664  今が大事と なぜに心得ぬ (うたのすけ)
3665 旅に出る 水戸の老公 一喝す (建世)
3666  人の命は 何より重し (みどり) 
3667 旅行けば 福島遠き 九州路
3668  玄海にもあった 原発の国 (建世)
3669 十両も みんなで上がれば 怖くない (玉宗)
3670  八百長なしよ ドスコイドスコイ (建世) 
3671 だれもかも 皆はじめての こと(事故)なのに
3672  目糞鼻糞 小喧しきこと (うたのすけ)
3673 周りから 縁台将棋じゃ あるまいし (建世)
3674  されど言いたし そうじゃなかろう (hana)
3674B  喧しいやと 尻を捲くるか (うたのすけ)
3675 現場では 我流貫き 注水す
3676  御し難きもの 原子炉も人も (建世)
3677 早苗どき 津波塩害 収まらず (みどり)
3678  瑞穂のそよぎ 被災地になく (建世)
3679 東海道 水田の青さ 目に沁みて (うたのすけ)
3680  うつくしき土 永遠(とわ)に守らん (建世)

ボランティア取材・福島編

 連合の第8次ボランティア派遣に同行して福島へ行ってきました。今回は南相馬市の原発30キロ圏近くと、相馬市および新地町と、3ヶ所の現場を取材しました。南相馬は、福島市内よりも放射線量が低いにもかかわらず、避難準備地域に指定されたままです。原発からの放射能漏れが止まらず、再爆発の危険もゼロではないので解除できないのでしょう。不合理な区分けを解消するためにも、原発の安定が待たれます。
 ボランティアは、一部30キロ圏内でも活動しているとのことでした。ただし避難家庭が多いため、空き家が多くなっています。家の再建ももちろん大事ですが、海砂の入ってしまった農地の再生こそが大仕事だと実感しました。新地町では、住宅の建築禁止地区に指定されたため、壊れた多数の住宅が、修理されずに放置されていました。
 写真は動画から切り出しますので、整理に少し時間がかかります。

このごろ日本に流行るもの 

このごろ日本に 流行るもの
検査ベクレル シーベルト
有無を言わせぬ 自主避難
自宅訪問 防護服
いろいろ出てくる 汚染地図
子供の学校 土はがし

元をただせば 原発の
水素爆発 まずかった
「想定外」の 繰り言を
言っている間に 時間切れ
安全神話は 夢と消え
今でも出てくる 新事実

地震につづく 大津波
歴史に残る 大被害
それでも生きてる 助け合い
世界の友も 駆けつけて
まさかのときの ボランティア
人間捨てた ものじゃない

放射能さえ なかったら
力合わせて 復興へ
もっと集中 出来たろうに
いつも気になる 測定値
話題集める 福島へ
私も今日から 行ってみる 

放射能について、わかっていること

 いま日本の全土は、放射能という目に見えないもののおかげで、沈うつな気分に覆われているように見えます。ネット上には、いろいろ極端な情報も流れていて、若い人は早く外国へ逃げろというものまでありました。政府が発表する安全基準への疑問や不信も強いようです。
 私も数冊の本を読んだ程度の知識しかありませんが、根本は「安心できる基準づくりの難しさ」ということだと思います。世界的に見ても信頼できる資料は限られている、その中で決められる安全基準は、統計にそれぞれの事情を加味した「政治判断」によらざるをえないのです。
 私は以前に「シーベルトとベクレル」のタイトルで記事を書いたことがありますが、このときに人間の耐性についての考え方が甘いとの指摘を受けました。放射性物質が体内に入った場合の「内部被曝」を軽視しているというものでした。放射線は通過するが、放射性物質は体内に残ることがあるのは事実です。それを踏まえた上で、わかっていることを確認しておくことも、いま必要ではないかと思います。数字はウィキペディアの「シーベルト」の項目によりました。単位は「ミリシーベルト」です。この1000分の1がマイクロシーベルトです。

短時間に全身照射を受けたときの致死量 7000以上
同上で悪心、嘔吐などの急性症状 1000
人間の健康に影響(長期を含む)が出ると証明されている放射線量の最低値 100
自然環境で最も強いブラジル・ガリパラでの年間線量 10
1回のCTスキャン 6.9
日本の自然環境の年間平均 1.5

 この表では、短時間に浴びる場合と年間の累積とが混在していますが、常識的には、短時間に浴びる場合の方が人体への影響は強いと考えられるのでしょう。
 放射線については、さまざまな規制値が設定されていて、事情によって変動もしています。長期間にわたる人体への影響については、わからないとしか言いようがありません。現状では、安全基準とは、すぐれて政治的な問題なのです。国民の安心感は、政府への信頼感と一体のものだということが、よくわかります。 


後悔は先に立たない話

 国会の審議で、野党党首と政権党首相との論戦が、「注水を止めろと言った」「言わない」の水かけ論だった。さすがに不評で、勝負がついたあとの失点を数えて何になるという趣旨の論説が新聞にも出ていた。失敗の原因究明は大事なことだが、今そんなことをやっている場合かというのが大方の受け止め方だろう。
 IAEA(国際原子力機関)の調査団はすでに日本に到着して調査を開始するようだから、日本の対応にどんな問題があったかは、やがて明らかにされるだろう。日本はそれに積極的に協力して、世界のための教訓とすればいいのだ。
 今までにわかっていることから考えると、最初の水素爆発が起きた時点で勝負がついていた。すべての電源が失われて原子炉の冷却が不能になったらメルトダウンに至ることは、原発関係者にはわかっていただろう。しかし打つ手がなかった。そういう事態を想定していなかったからだ。こんなときの発電所所長の心理は察するに余りある。地震と津波被害からの人命救助と安全確認だけでも手一杯のところに、最悪の破滅への秒読みが始まっていたのだ。
 外から見ていて思うのは、最初の爆発のあと、運転中だった1号から3号までの全部の爆発が結局は防げなかったのは無策ではないかということなのだが、文字通りに無策だったのだろう。間に合うところに非常用の電源がなかったのが決定的だった。
 爆発は防げなかったものの、その後に曲りなりにも冷却を再開して2次以降の爆発を食い止めたのは、公式な調査を受ければ意外に高い評価を受けそうな気もするのだが、どうなのだろう。
 とはいうものの、原発事故による周辺被害の深刻さは救いようがない。どうすればよかったのかを論じれば、冷却が止まるだけで破滅が起こるような原子炉を、発電に使わなければよかったのだ。今後は予備電源を充実させればよいという次元の話ではない。
 他の方法でもできる発電を、原子力に頼るのはもう止めよう。後悔は先に立たないけれど。

木は強かった・続編

 以前に紹介したことのある、中野区立柏公園の「鉄棒に食いついた青桐の木」です。前回は2008年9月14日でしたから、その後2年と8ヶ月あまりが経過しました。見たところあまり様子は変っていません。しっかりと鉄棒をくわえ込んで、落ち着いた姿です。訪れる子供たちにも、もう見慣れた風景になっているのでしょう。
 向かいの幼稚園生だった孫も、もう社会人になりました。卒園の季節が来るたびに、記念ビデオの作成を頼まれるのは今も続いています。ただし私は当日の撮影をちょっと手伝うだけになりました。
 柵の横から見ると、木に押されて鉄柵が大きく傾いています。土台のコンクリートが浮き上がるまでになりました。じわりじわりと休まず押してくる力には勝てないのでしょう。ねばり強く生きるものの勝利です。 
 この勝負、短い時間では決着がつきそうもありません。できることなら、人は手を出さずに見守りを続けたいものです。





(追記・いま気がついたのですが、鉄棒は幹の直径の中へは食い込んでいません。木としての太さは守ったまま、外側で押しています。柔軟に取り込むのではなく、たくましく押し返しているのでした。もしも鉄棒が頑丈だったら、どうするのでしょうか。)

ブログ連歌(183)

3639 水葬も 土葬もならぬ 原子炉に
3640  民のかまどは 逃げ惑いけり (建世)
3641 可愛そう 牛もそうだが 人間も (うたのすけ)
3642  モウたくさんと 言いたくもなり (建世)
3643 やむなきと 牛の生殺 委ねしも
3644  呻き啼く声 臥すも聞こえり (みどり)
3645 鶏は死に 馬は売られて 人も消え 
3646  夏草さえも 汚染の里は (建世)
3647 いつの日ぞ 笑って語る 福島の難 (うたのすけ)
3648  心配したほど 事なかったと (建世) 
3649 なんとなく 事なかれの 匂いあり
3650  あれこれ駄目の 子らの学び舎 (うたのすけ)
3651 子を思う 錦の御旗 親の愛
3652  それにつけても 放射能憎し (建世)
3653 運動会 待ちたる子らに 核汚染 (みどり)
3654  剥がした土地に 汚染の雨は (うたのすけ)
3655 日中韓 心強きは ご近所様
3656  思惑捨てて 気持ち素直に (うたのすけ)
3657 後知恵を 国会審議で ぶつけ合い
3658  昔を今に なすよしもなし (建世)
3659 そんなこと しているときで なかろうに 
3660  揚げ足取りに 終始す輩 (玉宗)


「日本は世界1位の金属資源大国」を読む

 先日の仙台行きの車中で読んだのが「日本は世界1位の金属資源大国」(平沼光・講談社+α新書)でした。震災の直前に出た本ですが、気持がちょっと明るくなる本です。日本は資源の乏しい国だと思われているが、そうではない。製品としてストックされている量を加えると、断然資源大国に躍り出る。リサイクルの時代に向けて、これは最大の強みだというのです。
 典型的な金で見ると、中世の日本は文句なしに世界一の黄金の国でした。マルコポーロの東方見聞録は嘘ではなかったのです。産出された金は、さまざまな形で日本人の生活圏に蓄積されています。金は「消費してしまう」ものではないからです。さらに世界最高品位の金鉱山は、今も日本にあります。それらを合算すれば、日本は世界一の「金持ち」国なのです。
 他の金属、たとえば鉄鋼にしても、日本は世界有数の鉄鋼生産・消費国ですが、鉄鋼を消費するとは、鉄を錆びさせて消失させることではなく、ほとんどすべての鉄は鉄のままで社会にストックされています。使用目的を達成したあとは、リサイクルして鉄としてまた使う、これが「都市鉱山」です。都市鉱山の資源は、鉱石に比べたら格段に高品質で組成もわかっていますから、利用価値は非常に高いのです。
 同様のことは、各種の希少金属やレアアースについても言えます。問題は、製造の段階からリサイクルを意識するなど、資源回収のルートを確立することですが、時代は確実にその方向に向かっており、日本の技術力はこの面でも世界のトップレベルを走っています。要するに、資源を「消費する」のではなく「役立てたあとは資源に戻す」ことを徹底さえすれば、地下資源の有無は、相対的に小さな問題になるのです。
 そればかりでなく、海に目を向ければ、日本は領土の大きさでも大国になります。海底の「熱水鉱床」は有用な金属の宝庫であり、日本の近海には多数が存在しています。考えてみれば、地上の鉱山とは、熱水鉱床が、たまたま地殻変動で地上に移動したものなのでした。
 さらに著者は核技術による有用な新物質の創造にまで言及しています。鉱物は自然には増殖しないので、遺伝子組み換え生物よりも安心かもしれませんが、「そこまでやるか」と思いました。原発の放射能で手こずっている現状では、難しそうです。

放射能を正しく怖がるために

 怖いものに出会ったら、目をそむけてはだめです。相手のどこが怖くて、何に気をつければいいのか、相手のどこに弱点があるのかなど、正体を見きわめることが大事です。
 昨夜のニュースで、福島の学校が放射能対策で苦労している様子が伝えられました。暑くなってきたのに教室の窓を閉め切っているので、生徒は汗だくで勉強にも身が入らない様子です。プールもこの夏いっぱいは使用禁止にしたそうです。当局寄りの安心キャンペーンだと思われると非常に困るのですが、いささか疑問に感じました。
 外から風を入れないというのは、空中に放射性物質が今も浮遊していて、それを吸い込む危険があるという趣旨でしょうが、根拠になる測定値はあるのでしょうか。風が強くて砂塵を巻き上げる日ならともかく、静かな空中に今でも放射性物質が測定可能な濃度で浮遊しているのでしょうか。
 プールの水には、どの程度の放射能汚染があるのでしょうか。汚染があったとして、水を入れ替えても改善しないのでしょうか。プールのコンクリートは、雨水を吸う校庭の土以上に残留放射能が強いのでしょうか。プールでは生徒が裸になりますが、着衣の有無は放射線とは無関係です。日焼けとは違うのですから。
 福島の学校が採用している対策に、外部から異を唱えるつもりはありません。何よりも子供たちの健康を気づかい、親たちの心配に配慮して決めたことなのでしょう。私にも放射線測定の技術はないし、器具も持ってはいません。しかし、政府が決めた基準に疑問があるとしても、独自の対策を決めるときに、出来るかぎり客観的なデータを集めて対処してほしいとは思います。
 目に見えない放射能への対策と、現実の暑さへの対策と、どちらをどこまで優先すべきか。そこには「だめなものはだめ」という2分法ではない冷静な判断が、やはり必要だと思うのです。

ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」を見る

 話題のドキュメンタリー番組(90分)を、再放送の録画で見ることができました。再々放送が28日(土)の午後3時からあります。おすすめです。
 福島原発の爆発直後から、放射能汚染の広がりを懸念して計測を開始した学者がいました。公的な機関が消極的な中で、自由な立場を貫いた学者たちは、ネットワークを作って良心に基づいた研究を続け、信頼できる放射能汚染地図を作り上げて行きます。その作業を密着取材したNHKの取材班は、汚染地域に暮らしていた人々のナマの姿と声に接し、それらも記録することになりました。
 私は当初、福島が日本の東海岸に位置していたことを非常に幸運だと思っていました。炉心そのものの破壊ではない水蒸気爆発だし、漏れた放射性物質の大半は海上に流れたろうと楽観したのです。しかし、現実は甘くありませんでした。風向きと降雪によって、北西方向に広がる高度汚染地域が出来てしまっていたのです。
 行政もこれを追認して特定の避難地域が指定されるのですが、先駆的な研究が、もっと早く生かされるべきではなかったかとの疑問は拭えません。情報の一元化とは、自由な研究を封じて公式見解を押し付けることではない筈です。
 それにしても、「放射能を正しく怖がる」のが、いかに難しいことであるか、何度も腕組みして考え込まざるをえませんでした。「チェルノブイリに比べて」という言葉が何度も聞かれたのですが、これも信頼すべき指標になるのか、初期の失敗に懲りた数値ではないのか、といったことも考えました。何を信じたらいいのかわからない避難地域の人々の、迷いと怒りの強さが胸に迫ります。
 研究の成果の中で、強く記憶に残った部分がありました。放射性物質の構成パターンが、どの地域のものも形が似ていて「同じ顔をしている」というのです。これはチェルノブイリとは違って、福島の爆発の「ただ一回性」を示しているのではないでしょうか。だとすれば、現在の汚染に正しく対処できれば、残りの国土は救われる可能性があります。
 福島で続いている放射能封じ込めは、何としても成功させなければなりません。そして、こんな苦しみを二度と繰り返さない誓いを、国策として確立すべきです。

釈迦は漢字を知らなかった

 私の旧作「おじいちゃんの書き置き」を連載していた旧記事に、「空」と「無」についてのコメントが入っていた。旧作の読者との間でも、新しい対話が始まるところがブログの面白いところで、宗教について考えた章の、仏陀についての考察だった。
 日本に伝わった仏教は、中国を経由して来たために、漢文化の強い影響を受けている。日本では経文といえば漢字で書かれたもののように思っているが、本来はそうではなかった。たとえば「波羅密多」という語がよく出てくるが、これは「知恵」を意味する梵語のパーラミータの音を写しただけのことだから、波羅密多の文字には何の意味もない。
 同様に、仏教の根本原理である「空」についても、仏陀自身はシューニャという梵語で述べている。シューニャには「無」の意味があるから、「世の中のことは、すべて『何もない』のが本当の姿だよ」と教えたのに違いないのだ。だから中国から行った弟子は、「無」と翻訳しても誤訳ではなかった。その場合は「有即是無、無即是有」という教えになったかもしれない。
 私がどうしてそのように考えるかというと、今回、吉田洋一の名著「零の発見」(岩波新書・旧赤版)を読み直してみたら、インドでシューニャに数字の「ゼロ」の意味が加わったのは、仏陀よりもずっと後の時代だったらしいことがわかったからだ。偉大な発見である数字の空位を表す「ゼロ」は、6〜7世紀以降にようやくヨーロッパに伝わっている。仏陀の時代には、シューニャには「無」の意味しかなかった、後に数字のゼロを言い表す言葉が必要になったときに、シューニャを当てたと考えた方が、ずっと無理が少ないのだ。
 吉田洋一も、「ゼロ」には深遠な思想的根拠があると論じる人もいるが、自分はそれに与しないと述べている。多数の桁が並ぶ数字を読み上げるとき、電話番号のように位取りを省略して数字の固有名を連呼したくなるのは自然なことだ。そのときにゼロに当てる言葉がないと不便だから「無」を意味するシューニャを当てた、そう考えれば何の不思議もない。時系列はその逆ではあるまい。
 こうなると、シューニャに「空」を当てたのは中国人の手柄ということになる。日本で「空」についての深遠な議論が今も続いていると知ったら、お釈迦さまは、とても面白がるのかもしれない。私も旧著を少し書き換える必要があるだろうか。

「月光の海・ギタラ」を見る

 俳優座の新作公演、朗読とギターによる舞台劇「月光の海・ギタラ」(5月23日まで、紀伊国屋ホール)を見てきました。特攻隊を題材とした毛利恒之の同名小説を下敷きとして、加藤剛の企画・主演で劇化したものです。新宿西口仲間のお勧めで、自分の誕生日に当る今日のチケットを購入しました。
 朗読劇ということで地味な舞台を想像したのですが、12名に及ぶ出演者が登場する本格的な劇で、朗読を多用しているのは、原作の味を忠実に残し、かつ時代背景の説明などを簡潔・正確にするためと思われました。
 劇の筋立ては、かなり複雑です。根っからの悪人は一人もいないにもかかわらず、命がけの争いが絶えないのは、時代が戦いを強制しているからです。主人公は、特攻機で出撃しながらの小島への不時着、米軍上陸を前にしての自決失敗、そして捕虜収容所での自殺失敗と、3度も死に損なうことで生き延びる結果になりました。生き残るのは例外であったのです。
 さらにパラシュート降下した米軍航空兵の捕虜や、島の娘との交流もからみ、サスペンス的な緊張感もあって、劇的な見せ場を作っていました。それらを総合した秀作の反戦劇になっていたのは見事でした。「死んだ者は、生き残った者を裏切ることができない。生き残った者は、死んだ者を裏切ってはならない。」という言葉が印象的でした。
 戦争を扱った近ごろの映画や劇に登場する軍人は、いまいち現実感に乏しい場合が多いのですが、さすがに俳優座の演技は決まっていました。観客は、上品な中高年者の、とくに女性が多いように見受けました。戦争で失った人たちへの惜別を実感する最後の世代ではないでしょうか。
 今どきの若者に、特攻隊をどう伝えたらいいのか。まさかカッコウいいと憧れることはないでしょうが、縁のない過去の遺物と思われるのも寂しいものがあります。このような劇をいっしょに見て、語り合えるような場がほしいと思いました。

2ヶ月後の被災地

 1回目の取材を終って帰ってきました。仙台をベースキャンプとする石巻での活動と、千厩をベースキャンプとする気仙沼での活動を見てきました。移動の途中で、激甚被害地区の三陸町を通過しました。三陸町は、いまだに被災直後と見分けのつかないような、一面のガレキの荒野に見えました。自衛隊が開いた幹線道路だけを、車が通れるようになった状況です。こういう地区では、民間ボランティアの出る幕はないのです。
 震災から2ヶ月がたっているのです。かなりひどい災害でも、それなりの始末がついていていい時期です。石巻は、どうやら外見上は人の住む町らしさを取り戻しつつあるように見えました。ただし道路わきには捨てるしかない雑多な家具、器具、廃材などが積み上げられています。それを回収するのは公共の仕事ですが、人手のない家では、不用品をそこまで出して家の中を整理する力がありません。そういう家庭に入って手伝うのがボランティアの仕事なのです。
 家に他人が入るのですから、信頼関係が何よりも大事です。ですから単なる飛込みではなくて、受け入れ側との調整役がいなければ効果的な援助になりません。そこで、ある程度の組織力があって、継続的に人を送ることのできる労働組合の出番があるのです。そしてまた、一定のローテーションを組み、参加者に過重な負担をかけることなく、多くの人が参加することで長続きする活動になります。連合の場合は、9日を1サイクルとして、中日に休日を設けています。
 気仙沼では、まだ復興は遅れていました。ここでは、残す家と壊す家が仕分けされて、残す家を、無人の状態で整理していました。腐敗臭の激しいヘドロを掻き出すなどの、きつい仕事です。このように、担当した地区によって、なすべき仕事は千差万別なのでした。
 私は連合から委託されて活動を記録する立場ですが、以後、自分の取材メモを兼ねて、息長くレポートして行こうと思います。これから夏にかけて、長い仕事になります。



2011.5月16日、石巻市内の風景です。





2011.5月16日、気仙沼市幸町、南気仙沼駅近くの状況です。


福島県人の怒りはどこへ

 昨夜も新宿西口で「脱原発」のスローガンを掲げて立っていたら、話しかけてきた紳士がいました。私より2年若い、昭和10年生まれ、75歳ということでした。少し酒が入っていて、話が前後するところがあったのですが、整理してみると、福島県民は、もっとしっかりしろという趣旨でした。
 原発を誘致して、地元が潤ったこともあったのだろう。それが裏切られて苦労しているのはわかる。だから補償せよというのも当然だが、東電から金を出させるという点では同じ構図ではないかと言うのです。こんな目に会わされてまっぴらだ、二度と繰り返させたくないから原発はやめろという強い声が、福島から出てこないのはなぜか。本当は出ているのに、マスコミが伝えないだけなのか。本当に怒っているのなら、国を相手にすべきだ、ということになります。
 福島の現状は、これから故郷を捨てて避難しなければならない人たちが大勢いる段階ですから、目の前の苦難を切り抜けるだけで精一杯でしょう。それは国策の戦争で家を焼かれた戦災者にも似た境遇です。あたかも天災に襲われたかのように、逃げる以外のことを考える余裕をなくすでしょう。しかし原発事故は明らかな人災でした。あきらめて済ますことはできません。
 しかしそのときに、補償を受けることだけにこだわれば、東電より上に立つことはできません。金を払ってくれる相手が倒れれば、元も子もなくすからです。甘い夢に誘われて裏切られたことに気づいたら、もっと大きく怒ってほしいのです。立ち話で結論は出ませんでしたが、私はこんなふうに思いました。
 原発は、なくさなければならない。日本からも世界からも。原発の危険を身をもって経験した福島県民こそが、脱原発を訴える語り部になれるのではないか、と。20年たっても、この事故を風化させてはならないと思うのです。
 私事ですが、本日から17日まで、2泊3日で仙台へ行ってきます。ボランティア活動の現地取材の1回目です。

ブログ連歌(182)

3619 電力の 明日の方策 根くらべ (みどり) 
3620  安全第一 それが常識 (建世)
3621 懐かしむ 電力の鬼と 言われし人 (うたのすけ)
3622  今こそ欲しい 反骨精神 (建世)
3623 この夏は 熱射病との 闘いか
3624  遺書の一つも 書いておかねば (うたのすけ)
3625 思い付き それで結構 いいじゃない (うたのすけ)
3626  瓢箪から駒 千里を駆ける (建世)
3627 ユッケにも 調理の免許 河豚並みに (うたのすけ) 
3628  調理以前の 肉屋免許も (建世)
3629 若者の 食の文化が 変わりゆき (みどり)
3630  ユッケ食べ食べ 兄さんが (建世)
3631 遅かりき メルトダウンで 底知れず (建世)
3632  炉心溶融 妖怪に似る (うたのすけ)
3633 原発は 一面から いつ消える (うたのすけ)
3634  主役とばかり 居座り二ヶ月 (建世)
3635 汚染飛ぶ 三時のお茶も 儘ならず (うたのすけ)
3636  四六時中が 不安のままで (建世)
3637 もう二度と 糠喜びは させないで (うたのすけ)
3638  底なし沼の 始末の悪さ (建世) 
3639 水葬も 土葬もならぬ 原子炉で
3640  民のかまどは 逃げ惑いけり (建世)


こんな日本に誰がした

 福島原発の1号機は、やはり炉心融溶だった。事態の深刻さが明るみに出て、工程表の実行がさらに難しくなったことは誰にでもわかる。建屋の全体を布で覆って、とりあえず放射能の漏出を防ぐなども試みるそうで、世界でも前例のない対策の模索が続いている。関係者の苦労は察するに余りあるのだが、原発が安定しなければ日本の全体が安定しないことも、また自明の理だ。
 「どうしてこんなことになったの。結局は自民党がやってきたことじゃないの。それなのに今の政府を追及するなんて、おかしいと思う。誰も言わないみたいだけど、書いてよ」と、妻からリクエストがあった。
 原子力基本法が制定されたのは、1955年、昭和30年のことだった。その旗振り役を務めたのが中曽根康弘だったということは、関連資料に必ず出てくる。それ以後、原子力エネルギーの開発は国策と位置づけられて、政界、官界、財界をあげての強力な推進体制が作られてきたのだ。当時は原子力は日本復興の希望の星でさえあった。鉄腕アトムは子供にまで親しまれて、文明をもたらし人々を幸せにしてくれると信じられていたのだ。
 当時の「反核」とは、原爆・水爆に反対することであって、ごく一部の先覚者以外には、原発は含まれていなかった。その構図は基本的には一度も改められないまま今に至っている。民主党政権に変ったあとでも、国のエネルギー政策では、原発への依存度を50%にまで高めることになっていた。私はうかつにも知らずにいたのだが、同じような人が多かったのではあるまいか。
 その構図を一挙にぶち壊したのが、福島原発の爆発だった。だからこれを現政権の責任に帰することは間違っている。より多くの責任を問われるのが、長く続いた自公政権の方であるのは明らかだ。彼らに現政権を追求する資格はない。
 しかし、どうしたら自公政権に責任を負わせることができるのだろうか。できることなら全額を賠償金として取り立てたいのだが、おそらく不可能だろう。彼らを復興のために協力者として働かせるしかないのではあるまいか。そのとき菅首相に感じる不満の最大のものは、「時代は変った、私の方針に従え」と言い切る指導力の不足なのだ。
 「電力の原発依存は50%ではなくゼロをめざす。スイッチ、電力。」それ以外に、いったいどんな選択があるというのだ。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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