志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2011年07月

セシウム牛肉に見る「日本人のおとなしさ」

 今ごろになって牛肉の放射能汚染が問題になっているのだが、世論は比較的に冷静で、脱原発のような抗議行動が起こる気配もない。原因は牛が食べる稲ワラへの対策が盲点だった行政の失敗だから、諸外国なら政府が猛烈な批判を受けるべきところだという。「逝きし世の面影」さんのブログによると、韓国の「中央日報」日本語版は、「日本人の皆さん、少しは怒りましょう」と皮肉を込めて呼びかけているということだ。
 ところが改めて、私自身がこの件では怒っていないのに気がついた。ニュースを聞いたとき、「大半の肉は、もう食べちゃっただろうな」と笑ったものだ。日常に大量に食べるものではないという印象があったからだろう。これがアメリカなど牛肉を主食のように食べる国だったら、問題はずっと深刻だったに違いない。さらに、困惑している農家の人たちを怒る気持はなく、むしろ気の毒に思った。稲ワラの放射能測定を怠った国に責任があるのだろうが、それこそ「想定外」だったろうと想像はつく。要するに、仕方がないという気持になるのだ。
 つくづく、日本の政治家は幸せな人たちだと思う。このように寛容な国民に恵まれているのだから、よほど強い責任感をもって仕事して貰わなければならない。
 しかし放射性セシウムのことを少し調べたら、あまり寛容ではいられなくなった。放射性セシウムの半減期は、30年と長い。これが牛肉に含まれていて体内に取り込まれると、内部被曝がその時点から継続することになる。もちろん体内の循環で排出もするだろうが、牛肉の中に放射性セシウムが残留していたということは、人間の体内にもそれが残留する可能性を示している。
 テレビでは「牛肉を一年間、毎日食べ続けたとしても健康に影響があるとは考えられない」と説明していたが、放射線の影響には累積ということもあるから、避けられるものは少しでも減らすべきという考え方も否定することはできないのだ。
 日本人は本当に「怒らない民」なのだろうか。私の場合で正直に言えば、もし食べてしまったセシウム牛肉があったとしても、気には病まないことにする。しかし、このような騒動を起こす原因は、元から断ちたいと強く思う。核を弄ぶ技術は、原発にしても原爆にしても、人間にとって「非和解的」であるのが明らかになっている。これらを温存しようとする勢力に対しては、私は本気で怒っている。

津波被害の現場から

 予定よりも早い列車で帰ってきました。
 釜石市の北隣の大槌町。「ひょうたん島」のモデルとも言われた小島の赤い灯台は根元から折れてしまいました。海岸の水産加工団地の一帯は、見渡すかぎり瓦礫の原でした。「220名が働いていた敷地3000坪の工場」というイメージは、事前の想像とは全く違っていました。わずかな鉄骨と隅の残骸以外は、建造物らしい形は何も残っていないのです。戦後の木造地帯の焼け跡に近いフラットな印象でした。水の力というのは、これほどまでに建造物を粉砕するものでしょうか。かつての職場を思い出す惜別の撮影をするつもりでしたが、そんな甘いものではありませんでした。
 近くの山に適切に避難して、就業中の従業員から死者を出さなかったのは不幸中の幸いでしたが、それでも休業、早退者など、数名の犠牲者を出したとのことです。同じ場所での再建を断念したとの判断が無理からぬことは、現場を見て納得しました。
 祖父の代から2度の大津波に見舞われ、敗戦間際の艦砲射撃まで経験している家族です。今回は安全な山間の川沿いに新しい用地を確保し、すでに整地を始めていました。半数ほどに減った社員は、来春の工場再開を心待ちしています。仮事務所では、新工場のレイアウトについて真剣な討論をしていました。
 第1次の公的な援助は、予算枠に申し込みが殺到して、厳しく削られているという話も聞きました。それでも地場産業は復活する。そのモデルケースになりそうな人たちに会ってきました。
 

勝山実「安心ひきこもりライフ」を読む

 「安心ひきこもりライフ」(勝山実・太田出版・単行本)を読みました。前回の老人党護憲+の例会で、「ひきこもり名人」を名乗る著者から、親しくお話を聞くこともできました。自らの経験を通して「ひきこもりでも幸せに生きられる世の中」への提言をしています。
 現在39歳、高校3年からひきこもって中退し、もちろん家族および社会との激烈な闘争を経験した上で、「ひきこもり涅槃」にいたる安らかな道を指南するまでになりました。その著書は、同じ悩みを持つ人たちへの絶好のガイドブックであるとともに、現代の文明社会を根本から問い直す問題提起にもなっています。
 20歳を過ぎるまで決められた通りに学校へ通い、それが終ったら就職して、決められた通りに毎週40時間働いたら初めて一人前の人間になれるなんて、いったい誰が決めたのでしょうか。それを苦手とする人間は、なんとか落ちこぼれまいとして必死の努力を強いられる。しかし無理を重ねて「人並み」にしてみても、劣等と見なされて苦しむだけです。
 そこから救われる道はなにか。次の言葉に耳を傾けてください。
(以下引用)
 「働きたくない」は、怠けではありません。怠けとは人類が憧れる夢の世界、ユートピアです。怠けたいを実現するために科学は発達してきました。楽をしたいという健全な欲求を満たすために人類は進化してきたのです。
(引用終り)
 それでは少しばかり進化しすぎた「ひきこもり」たちを、社会はどのように受け入れたらいいのでしょうか。「半人前公務員」という、注目すべき提言がありました。たとえば週3回、4時間ぐらいなら働ける人を公務員として採用する。給与は5万円ぐらいにして、4人で一人前の仕事をさせればよい、というのです。もちろん民間でもいいのですが、要はこれを働き方として天下に公認するということです。
 現代人は何のために働いているのでしょうか。みんなが正しく怠けたら、戦争はなくなるし、なくてもいいもの、あっては困るものを作り出すこともなくなると著者は言っています。幸せに生きるとはどういうことなのか。ひきこもる人々は、人類を救う先覚者かもしれないのです。間違いなく、仏陀もその一人でした。

ブログ連歌(194)

3859 軽カンの ダルマ辞めぬと 無重力
3860  お後よろしくと ならぬ政界 (建世)
3861 節電に 避暑地の欲しき 夏休み (みどり)
3862  ランプ灯して 湖畔の宿へ (建世)
3863 慎ましく 生きた昔を 思えよと 
3864  朝な夕なに ひぐらしの鳴く (玉宗)
3865 有難し 今日の涼しさ 生き返る (うたのすけ)
3866  久方振りに 小筆持ちおり (花てぼ)
3867 手書き文字 書は人なりの 便り読む (建世)
3868  われ金釘流 それも看板 (うたのすけ)
3869 現代は 思い伝える キーボード (建世)
3870  削除に終わる 恋の文さえ (みどり)
3871 嘆きつつ 日毎年毎 文字忘る
3872  省みたれど あとの祭よ (みどり)
3873 文字打ちで 書き方忘れ 二十年 (建世)
3874  ヒをシと打って ヒばし戸惑う (うたのすけ)
3875 江戸っ子が 水戸に移って 老公に (建世)
3876  テレビの黄門 人気凋落 (うたのすけ)
3877 嘘も誠も 四千年の 歴史あり (玉宗)
3878  眠りと覚醒 繰り返しつつ (建世)
3879 飴と鞭 ちらつかせての 終止符か (うたのすけ)
3880  黄門さまの 居らぬ国なり (建世)

中国の高速鉄道事故その後

 突然降ってわいたような中国の高速鉄道事故だった。開通を急いだ「初期トラブル」にしては大きすぎる犠牲だったが、国家プロジェクトとして推進してきた当局としては、「あってはならない」事故だったのだろう。だから天災による例外的な事故として、なるべく小さく扱って通常運転に復帰させるのを最優先にした。一連の経過をたどってみると、そのような最高意思決定者の判断が透けて見えてくる。
 ところがこれが裏目に出た。開放政策を続けてきた中国の国内では、もはや外国メディアも国内のインターネット情報も、完全に遮断するのは不可能になっている。運転席を破壊して埋めた、遺体の残っている車体も埋めるつもりだ、真相を知らせないための隠蔽工作に違いないということになって、批判の火の手を強めてしまった。
 日本での受け止め方も微妙だった。特許問題で不愉快な思いをしていたところだから、「やっぱりね……」と思った人も多かったろう。「日本の技術を盗んだのでないことが、これで証明された」というブラックジョークには、不謹慎ながら私も笑ってしまった。
 それと同時に、この事故は中国の政治体制というものを、私たちに改めて印象づける機会になった。実力をつけて世界を動かすまでになっている隣国の力の源泉が、一部の独裁的権力に握られているという不安感である。それは、中国で原発事故が起きたら日本はどうなるかを考えさせた。この連想をしたのは私だけではなかった。
 報道によると、現場に一度は埋められた運転席は、掘り出されて鉄道施設に運ばれることになったという。批判を受けて、世界標準に近づかざるをえなくなったのだろう。本音では情報規制を徹底したかったのだろうが、中国はもう「鎖国」はできないのだ。今さら鎖国したら、中国版新幹線の売込みができなくなるどころの騒ぎではない。貿易が止まったら経済発展が不可能になるばかりでなく、13億の人口が生きる食糧さえ確保できなくなる。
 鎖国ができない国情では、日本は中国よりもはるかに先進国に当っている。新幹線の世界標準として胸を張ることができるのだから、やがて脱原発でも高齢化社会でも、先輩として中国に世界標準を示してあげることができるのではないか。ついでに政治の世界標準にもなれたら、もっといいのだが。

中国の底力の底

 中国版「新幹線」が深刻な事故を起こした。止まっていた先行列車に後続の列車が追突して、運転席のある先頭車両は2つに折れて高架線路から落下し、2両目は直立して垂れ下がり、続く2両が高架上で脱線したという。先行列車の後部1両も、線路上で半分以上壊滅している。両方とも16両編成というから、東海道新幹線と同じ長さだ。
 原因は調査中という以外わからないのだが、当局の対応の異様さが際立っている。翌日に早くも鉄道省の幹部3名を免職したと発表し、現場では大きな穴を掘って分断した先頭車両を入れ、重機で粉砕しながら埋めているというのだ。制御機器の詰まっている運転席は、事故調査の最重要資料だから、細心の注意を払って保存するのが世界のどこでも常識だと思うが、中国では通用しないらしい。上級からの強い意志が働いているのだろう。
 たまたま昨夜は大河ドラマで豊臣秀吉が養子で関白の秀次を滅ぼす場面を見ていたのだが、独裁者の怒りは秀次の妻妾係累の数十人をも殺し、贅を尽くした聚楽第を跡形なく破壊してしまった。中国の暴君は、もっとすごいことをやった記録が歴史にはある。科学技術も資本主義経済も取り入れながら、なおかつ「共産党」という名の権力支配を続けている現代の中国とは、いったい何なのだろう。
 日本の新幹線技術も入れて高速鉄道を走らせたと思ったら、10年もしないうちに日本の新幹線の数倍ものキロ数の高速鉄道網を作り上げてしまった。もともと鉄道が広軌だった違いはあるにしても、驚くべき早さだった。資源を集中できる独裁政治体制の底力が発揮されたのだろう。だが、その裏には、広範な利害の調整や、手順を踏んだ安全検証などの省略があったのではなかろうか。「依らしむべし、知らしむべからず」の独善体制が出来上がっている可能性は高いと思う。
 私がすぐに連想したのは、中国で原発事故が起きた場合のことだった。関係者は即刻厳罰に処した上で、あらゆる重機を総動員して事故原発を埋めようとするのではないか。現場に高い山を築いて、すべては「なかったこと」にする。
 日本ではそんなことは出来ない。福島の原子炉は、どんなに時間がかかろうと、丁寧に解体して歴史の教材としなければならない。中国がそれまでに「暴発」しないように、注意深く見守ってあげるのが隣国としての務めになる。

原発の全面停止まで「あと16基」

(熊さん)原発がまた2つ止まったんで、関西の電力不足は本物になってきたみたいですね。
(ご隠居)うん、大飯の4号と高浜の4号機だそうだ。どちらも予定されてた定期検査のためで、順調でも半年近くかかるんだが、このご時勢だから再開は難しそうだな。これで北海道泊の「試運転なのに、もぐりでフル稼働中」の3号機を入れても、残りは16基になった。
(熊)他の原発も順に定期検査になるから、全部止まるのも、案外早そうじゃないですか。
(隠)そうなれば安心と思う人もいるだろうが、ことは簡単じゃない。1年や2年で原発を全部やめるのは、不可能じゃないかも知らんが産業への影響も大きいんだ。安全基準を厳しくして、最低限必要な範囲で動かすという選択もあるだろう。それは菅さんのあとを担当する政権が決めることになるな。それに何度も言ってるように、原発の問題は、運転を止めても終らない。安全な後始末の方が大問題なんで、運転を止めたから安心と思うムードは、かえって危険じゃないかとわしは思ってるんだよ。
(熊)なーるほどね。それにしても、菅さんのあとというのが、さっぱり見えてきませんね。子ども手当てだか、民主党のマニフェストが約束通りできないなんて、今ごろになって謝ってるのは何ですか。そんなことより、これから先のことを聞きたいですよ。
(隠)その通りさ。マニフェストに書いてあったことが全部いいと思って投票したわけじゃない。とにかく自公政権ではだめだと思ったから政権交代になったんだ。国民が本当に望んでいることの優先順位を、政権党として調べ直すべきだったんだよ。子ども手当ても高速道路の無料化も、最初から決して評判のいい政策じゃなかった。そんな金があるんなら先にやってくれと言いたいことは、いっぱいあったさ。大震災後の今は、なおさらそうだよ。
(熊)そうですよね。わけを話して「今は大事なこちらの方に金を使います」と言ってくれたら、誰でも納得しますよ。もっと自信もって国民に話せばいいのに。
(隠)菅さんが「あとは若い世代に託す」と言った辞任3点セットの、第2次補正予算は通過しそうで、あとは財源の赤字国債とエコ電力買い取り法案の2つだ。辞任しない菅さんを辞めさせる方法が手づまりになってるから、いずれは成立するだろう。
(熊)問題は、その先ですね。
(隠)今度ばかりは、わしにもわからん。今の日本の政界には「あと一人」がおらんのだよ。誰が当面のトップに立つにしても、集団指導体制に近いものになるんじゃないのかな。その中から信頼できるリーダーが現れるかどうか。それがお楽しみということにしておこう。

今年は豊作の予感

 悪いことばかりはないようで、今年のわが家の柿は豊作になりそうです。柿の実りは一年おきと言われますが、どの程度に本当なのでしょうか。
 ベランダに近い小枝の実を数えたら、そこだけでも12個が密集していました。実を間引くということは今までにしたことがないので、そのままにしてあります。
 肥料は液体肥料の原液を買ってあって、思い出したときにバケツの水で薄めて根本にかけるのですが、さほど熱心にやっているわけではありません。それでも毎年、量の多少はあっても、必ず食べられる実を実らせてくれるのですから、なかなかの優等生なのです。
 この柿を植えた場所は、気の毒なほどの敷地の隅でした。最初は「棒切れを買ってきた」と私が酷評したというので、今も語り草になるほど心細い苗木でした。ビルを建てた26年前のことです。その後何年目に初めて実がついたのか、育つ途中の姿はどうだったのか、記憶も写真も残っていないので、何も手がかりがありません。柿の木が育つのは、子供を育てるのとは全く次元の違う自然現象だったのです。
 いつの頃からか、柿の木は今と同じ大きさで、わが家の風景の一部分になりました。枝を茂らせたのと同じぐらい地下に根を張っているでしょうから、地中の栄養素の半分以上は、南側と西側の隣家の土地から得ている筈です。民法によれば、境界を越えた他人の樹木の根は、無断で切断してよいことになっています。枝は、所有者に求めて切らせることができるのと、微妙に扱いが違うのです。しかし、両家からは何の苦情もありません。
 幹は太く、枝も丈夫なので、柿の実を取り入れるとき、私は木に登ります。木登りは昔から得意で、今も楽しみです。ところが下は地下のドライエリアなので、危ない危ないと妻からは言われていました。私は何も危険は感じなかったのですが、数年前に、妻は指揮権を発動して、ドライエリアの上に金網をかぶせる発注をしました。
 想定外の事態に対処するのがセーフティーネットなのでしょう。想定外に長生きした私は、この金網で救われることがあるのでしょうか。







古賀茂明「日本中枢の崩壊」を読む(3)

 古賀氏は「まえがき」の中で「私を駆り立てているもの、それを一言で表現すれば「危機感」である。私には、現在、日本は沈没するか否かの瀬戸際にあるという強い危機感がある。」と書いています。その理由は大震災があったからではありません。日本の中枢が機能しなくなっているのが最大の理由なのです。
 その現象だけを見て行くと絶望的なのですが、読み進むうちに、改善するためのヒントが埋め込まれているのにも気がつきました。カギは政治家のリーダーシップです。国の運命は、時としてごく少数の人たちの決断で変ることがあります。それも、深遠な哲学的真理を必要とするような話ではありません。無理と無駄はやめて、あるべき正常の姿に戻してやればいいのです。そして、官僚組織とは、本来的には動かしやすい組織なのです。
 改革への具体論も提案されていますが、たとえば農業政策については、戦後の農地解放による農家の零細兼業化が足かせとなって、日本農業の近代化を妨げている例などが示されていました。総じて日本の産業政策は、補助金をばらまく現状維持に傾き過ぎているというのです。その意味では菅首相の唱える「最小不幸社会」は最悪のスローガンで、「最大幸福社会」であるべきだという立場です。
 国家公務員を特殊な身分とせず、中途採用も退職も当り前の「ふつうの就職先」にせよというのも、もっともです。省庁横断はもちろん、官・民の間も、双方向から出入りできる回転ドア方式にする。公務員も雇用保険に入り、就職も転職もハローワークで扱えばいい。そうなると団結権も民間並みになりますが、公務のストライキ権には、一定の制限は止むをえないでしょう。こうした改革は、公務員のルールを公務員が決めている現状では不可能です。そういう部分にまで切り込むのが「政治主導」ということです。
 古賀氏は「声をあげれば政治家の多くは理解するはずと思った。……ところが民主党は確信犯的に路線を変更していた……」と述べています。最近のテレビ番組で、古賀茂明氏と長妻昭氏が、同席ではありませんが連続して出演しているのを見たことがあります。長妻氏は「古賀さんのような人こそ、中心に置いて活躍していただきたい。」と語っていました。
 民主党の「ポスト菅」には、どんな人たちが手をあげるのでしょうか。企業・団体献金を一切受け取らず、派閥を養う財力は持たない長妻昭氏ですが、機会があったら臆せずに立候補するようにと、私は応援Faxを送っておきました。

古賀茂明「日本中枢の崩壊」を読む(2)

 そもそも「政治主導」で官僚を動かすとは、どういうことでしょうか。官僚は、元々行政を実行するために存在しているのですから、時の政府の政策を実行するのは当然中の当然です。それが大臣の言うことを聞かずに勝手に動くとしたら、首のない胴体と手足が歩いているようなものです。長妻氏はこれを「役所の自動運転」と呼んでいました。周囲を見回して適切な行動をするなど、できるわけがありません。
 自民党の時代には、政府が官僚にすり寄る形で癒着が完成していました。優秀と信じられていた官僚が立てる計画通りにして、大臣は飾り物として追認していればよかったのです。経済が成長し予算が自然に拡大して行く時代は、それでみんながハッピーでした。しかし限られた予算を切実な要求で配分する時代に自動運転を続けていたら、破綻は時間の問題です。
 民主党への政権交代は、その意味でも絶好の機会でした。国民の選択は正しかったのです。しかし、古賀氏は次のように書いています。
(以下引用)
……長妻昭厚労相を除く大方の閣僚が、役人に擦り寄った。みんなリスクを取れなかった。官僚に離反されてサボタージュされ、足元をすくわれると、大臣をクビになるという恐怖に勝てなかったのだろう。
 初めて大臣に就任した方ばかりなので、その気持は分かるが、閣内が一致団結して意見を統一し、互に支えながら脱官僚の方針を貫いていただきたかった。それができていれば、公務員制度改革も政治主導も一気に進展していたはずだ。民主党政権は絶好の機会を逃してしまった……。(引用終り)
 ここで欲しかったのが総理大臣の指導力でした。脱官僚とは、官僚に仕事をさせないことではありません。官僚に言うことを聞かせることです。それには「泣き所」を押さえなければなりません。泣き所がわからずに、とりあえず先方の出方を見ようと守りに入ったら、ベテランの官僚に勝てるわけがありませんでした。泣き所とは、要するに人事権です。古賀氏はこうも書いています。
(以下引用) 
 役人はクビにできないというが、そうでもない。……できなかったからクビだとちゃんとした話をすれば、それに逆らう官僚はほとんどいないのではないか。次官・局長ともなれば巨額の退職金が入る。そこで抵抗してみても、世の中から糾弾される。そんな根性のある役人はいないだろう。(引用終り)
 要するに、官僚といえども、政治家とその背後にいる国民は怖いのです。そして本当は、何が正しいかを知っているのです。

古賀茂明「日本中枢の崩壊」を読む(1)

 話題の人の、話題の本を読んでみました。「日本中枢の崩壊」(古賀茂明・講談社・単行本)です。とんでもないものを読んでしまったという実感があります。大河ドラマのように、新しい一つの世界観が展開するようでもあります。国家公務員として活躍していた人が、その身分のままで、日本国家中枢の現状を天下にさらして見せたのです。
 やや誇張して言うと、日本には「国や国民のために働く公務員がいる」と思っていたのは間違いでした。国家公務員という身分の人たちは、一人残らず所属する省庁に就職し、そこで生涯にわたる生活を手厚く保護されながら、省庁のために忠誠を尽くして人生を全うするのが常識なのでした。
 業績が悪くても失敗しても、人事の降格も給与の減額もなし、定年の延長でも民間のように再雇用で給与が下がることもありません。リスク皆無の万全に保障された待遇で長年働けば、人間の能力は活性化されるかというと、その逆になります。前例を踏襲し、大勢に順応しながら、所属する部署の権益を守り拡大することだけが関心事になります。
 このような「役人気質」が国の行政を硬直化させ、多くの無駄を生み出して、ついには日本の国力さえも低下させるという懸念は古くからありました。古賀氏がかかわって期待した公務員制度改革の原案が作られたのは、安倍晋三内閣のときであったということです。その後、自公政権の末期に「天下り」が大きな問題になり、その対策が議論されたことも記憶にあります。そして2008年に渡辺喜美大臣により「国家公務員制度改革基本法」が成立しました。
 古賀氏は、この法律による改革推進本部の審議官に就任するのですが、福田内閣の改造による渡辺大臣の退任で立場を失い、以後は官僚人生が暗転したとのことです。やがて民主党への政権交代が起こり、古賀氏も改革の好機として大いに期待しました。私が選挙直前に長妻昭氏の講演会で聞いた話とも符合します。
 しかし鳩山内閣が採用したのは官僚との融和策でした。まだ政権運営に慣れていない民主党政府の予算編成を円滑に進めるため、抜本的改革を先送りしたのです。結果として「役所文化を変える」と意気込んだ長妻厚労大臣が浮き上がることになりました。古賀氏の本にも引用されている長妻氏の著書「招かれざる大臣」は、実力者の任免権に手をつけない限り、役所を変えるのがいかに困難かを示しています。その長妻氏も、菅首相の人事で大臣の座から遠ざけられました。

原発の全面停止まで「あと18基」

(熊さん)調整運転とかで動いてた関西電力の原発が、止まっちまいましたね。
(ご隠居)ああ、福井県にある大飯(おおい)原発1号機のことだな。検査が終って試運転してる間に福島の事故があったものだから、営業運転の手続きがしにくくなった。それで「点検中」の看板のまんまで4ヶ月もフル稼働してたんだ。
(熊)早い話が「もぐり」で発電してたってわけですね。
(隠)言葉は悪いが、そういうことだ。それでも夏場の電力に役立っていたから、表沙汰にしたくなかったんだろう。しかしやっぱり安全上も問題だと言われ始めてたところで止まってしまったわけだ。
(熊)それで「おおい、どうした」。
(隠)原因は緊急冷却用のタンクの圧力が下がったとか書いてあったな。例の「ストレステスト」というやつで調べることになるらしい。当分再開はできそうもないってんで、関西電力は困ってるわけだ。関西は余裕があると思われていたのが、逆に東電から応援をするなんて話まで出てたから、わからんものだな。
(熊)原発は安定電力なんて言ってましたが、これじゃ一番の不安定電力ですね。
(隠)そういう面もあるってことだな。北海道の泊にも、同じように動いている原発があるんだが、急に止めたら北海道の電力事情はいっぺんに悪くなるらしい。この泊3号機を入れて、動いている原発は残り18になったんだよ。全部で54もあるのが3分の1になってるんだから、電力危機と言われるのも当り前なんだ。
(熊)それでみんな節電に苦労してるわけですよね。それでも原発は止めなくちゃなんねぇ。福島みたいなことは金輪際お断り、そうですよね。
(隠)その通りさ。だがな、動いている原発を止めるには、それなりの準備が要るんだ。これからも、検査した原発が稼動を始めることはあるかもしれない。運転中の原発がいくつ残っているかは脱原発の大きな目印なんだが、その先を考えなくちゃいけないんだ。
(熊)原発に代わる発電を増やすことなんかでしょ。
(隠)それもある。だがな、原発の運転ゼロになってからの後始末の方が、ずっと難しいんだよ。運転を止めても放射性物質はそのまま残る。これを安全に処理するのは、100年単位の大仕事になるんだ。その筋道をつけるのが大人の責任というわけさ。

ブログ連歌(193)

3839 原発に あふるる涙 計り得ず (みどり)
3840  復活遠き 土地と心と (建世)
3841 魁皇と なでしこジャパンで 頬ゆるむ (うたのすけ)
3842  ルールないのが 国会場所よ (建世)
3843 はなっから 何故に私見と 言えぬのか
3844  だから騒動 際限もなし (うたのすけ)
3845 総理だと くしゃみ一つも 楽じゃない
3846  政局狙う 鵜の目鷹の目 (建世) 
3847 畜産の 農家も牛にも 罪はなし (うたのすけ)
3848  なみだ目哀れ モウいやだよと (建世)
3849 なでしこの 快挙に政治は なに思う (うたのすけ)
3850  あきらめず勝ち 日本励ます (みどり)
3851 俺だって あきらめないと 菅は言い (建世)
3852  足元見てよ 諦観大事 (うたのすけ)
3853 諦めも 諦めないも 大方は
3854  わが身の贔屓 それが間違い (玉宗)
3855 民のため 私欲を超えて 汗をかく
3856  修行未だし? ポリテシャン達 (ハムハム)
3857 累卵の ような世界に 居合わせて (建世)
3858  抜け出す道は 達磨落としか (うたのすけ)
3859 軽カンの ダルマ辞めぬと 無重力
3860  お後よろしくと ならぬ政界 (建世) 

「グアム戦跡完全ガイド」を読む

 この夏に出た新刊「グアム戦跡完全ガイド」(小西誠・社会批評社)を読みました。「観光案内にない戦争の傷跡」と副題がついています。日本から一番近いアメリカの観光地として知られているグアムですが、サイパン、テニアンのすぐ近くにある島で、戦闘もほぼ同時です。この本は、先に紹介した同じ著者と出版社による「サイパン&テニアン戦跡完全ガイド・玉砕と自決の島を歩く」の姉妹編なのです。
 著者が実際に現地調査したガイドブックですから、案内は具体的で写真も豊富です。沖縄のアメリカ軍基地の移転先としても気になる島であり、その実態を知っておくことは、今後の日米関係を考える上でも有益と思いました。
 グアムは古くはチャモロ人の島であり、最初に植民地化したのはスペインでした。それが米西戦争の結果としてアメリカ領となり基地が置かれるのですが、現地人はアメリカの統治になじんでいました。太平洋戦争が勃発すると、グアムは最初の攻撃目標として日本軍の攻撃を受け、非力の守備隊はほとんど抵抗せずに降伏しました。そして島の名も「大宮島」と変えられたのです。
 つまりグアムはマリアナ諸島の中でも、唯一敵性住民のいる島として、日本軍の「皇民化」政策による支配を受けることになったのです。日本軍が占領していた期間は戦時下の2年半でしたから、食料の徴発や陣地構築の使役など、住民は大きな犠牲を強いられました。米軍上陸の間際には、陣地の秘密を守るためとして、組織的な住民虐殺も行われたとのことです。そのチャモロ人が、今も島の人口の半分近くを占めています。
 グアム島での戦闘はサイパン、テニアンと酷似していますが、マリアナ放棄が決定した後だけに、さらに絶望的でした。水際作戦の壊滅から始まってバンザイ突撃で終るまで、日米軍の戦死者数の比率は、ほぼ20対1でした。
 総じてマリアナ諸島には、現地自治体とアメリカの政策もあって、戦跡が比較的よく保存されています。確かにここで戦争があったことを伝える資料として、もっと若い世代に見て欲しいと著者は語っています。観光地のすぐ横に、それらは眠っているのですから。
 さらに、今のグアムは基地拡張工事に沸いているとのことです。原子力空母や原潜の基地であり、強襲占領作戦の兵站基地でもあります。もちろんそれらがすべての現地人に歓迎されているわけではありません。グアムと沖縄の未来は、アメリカの世界支配戦略からの自由という、共通の課題で結ばれているのです。

原爆の図・丸木美術館を訪ねて

 丸木美術館は、埼玉県東松山市の都幾川のほとりにあります。田園地帯の中の、緑に包まれていました。丸木夫妻が心血を注いだ「原爆の図」をはじめ、多数の絵本挿絵なども展示しており、夫妻の書斎・アトリエも当時のまま残されて、来館者のくつろぎの場として開放されていました。
 ここを訪れたのは、最近の「丸木美術館ニュース109号」に載っていた大木晴子さんの寄稿を読んだからでした。
(以下引用)
 「原爆の図」が展示してある二階へ上がり「幽霊」「火」「水」そして第四部作の「虹」の絵にきたときに大きな絵の右下の方で何かが動いた。少女の腕の中で座っている大きな瞳のその幼児の口が動いた。私はビックリするでもなく「なあに……」と自然に言葉が出た。その幼子の言葉は「見つめて!」だった。その時から私たちは友だちになった。……苦しいとき、哀しいとき、その眼差しの中で「あなたの苦しみに比べたら……」と何時も想うことが出来た。
(引用終り)
 新宿西口の反戦スタンディングで中心人物となっている大木晴子さんが掲げるパネルのテーマが「見つめて!」でした。「見つめて!辺野古」「見つめて!原発」などなど。その原点になった約束をしたのは、どんな子だったのだろうと思いました。これから見に行く人のために、少しだけヒントをさしあげておきましょう。第一部から順に見ていく数百の人間像の中で、その子は初めて目を上げて観客に正対しているのです。「私はここにいるの。あなたは何をしているの?」と。私にも、すぐにわかりました。大作の絵がつづく中でも、これはきわめて異例な描き方です。この絵の題が「虹」だからでしょうか。第八部の「救出」にさえ、このような目線はありませんでした。
 今までいろいろな資料で目にして「見たつもり」になっていた「原爆の図」でしたが、第九部の「焼津」以降「署名」なども含む第十五部までが制作されていたことさえ、今まで知らずにいました。さらに水俣、三里塚、アウシュビッツ、南京などまで、丸木夫妻は権力の犠牲となった人々の姿を、国境をも超えて描きつづけていたのでした。
 丸木夫妻が現存していたら、今の東北と福島をどのように描くでしょうか。原発が放つ非人間的な力は、どのように表現されるのでしょうか。そして、そこに描かれる人たちは、原爆の図と同じように「あなたは何をしているの?」と問いかけ続けるのではないでしょうか。

「トラブる」という日本語

 trouble(トラブル)という言葉は、発音の仕方によって英語にも日本語にもなる。日本語として使う場合は、五段活用の自動詞になる。「トラブらない」「トラブります」「トラブる時」「トラブれば」「トラブろう(とする)」などと活用できるからだ。広辞苑を引いたら、ちゃんと見出しが立っていて、「支障を生ずる。故障する。また、その結果もたもたする。」と説明してあった。いつから採用されたか調べたかったが、1991年発行の第4版には、すでに掲載されていた。それ以前のボロボロになった旧版を捨ててしまったのが残念だ。
 トラブルと発音する最後が「る」音になることから、「走る」「滑る」などと同類の動詞としての活用もしたくなったのだろう。ちなみに英語のtroubleもよく似ていて、名詞として「心配、苦労」などの意味を持つほかに、「心配する」「苦労する」などの自動詞にもなる。ただし英語は「乱す」「苦しめる」などの他動詞にもなるのだが、日本語では「トラブルを起こす」「トラブルを負わせる」など名詞としてしか使えないところが少し違っている。
 これは、いわゆるカタカナ語を日本語化した成功例と言えるのではないだろうか。これだったら中国から漢語を輸入したのと同じことで、文字が漢字とカタカナで違っているだけのことになる。漢字ももとは外国語なのだから、troubleの文字をそのまま使ってもいいのだが、カタカナという表音文字を発明済みなので、それを使うのは理にかなっている。
 「トラブる」が完全に日本語化したら、他動詞にまで発展する可能性もある。「あの発言が会議をトラブった。」という言い方は、今は抵抗があるかもしれないが意味はよくわかるだろう。短い言葉で状況がわかると好意的に感じる人が多くなれば、使う人も増えて、やがて市民権を得ることになる。言語の世界は、常に多数決なのだから。
 このように、外来語を取り入れるということは、日本語を変えて行くことなのだ。英語が優勢な今の世界で、日本にも英語系のカタカナ語が増えてくるのは避けられないだろう。しかしそれは日本語を豊かにする方向であってほしい。なぜなら、私たちは言葉を使って物を考える生き物だからだ。
 いいかげんな薄っぺらな言葉を氾濫させたら、考え方も薄っぺらにならないか。それよりも日本には、ちょっと工夫すれば世界に輸出できるほど豊かな内容を持つ言葉がふんだんにあるではないか。昨日紹介した講座で井上ひさしさんが伝えたかったのは、そんなメッセージではなかったかと、一夜明けて考えました。

井上ひさし「日本語教室」を読む

 この春に出たばかりの新刊です。「日本語教室」(井上ひさし・新潮新書)を読みました。本屋で目が止まって拾い読みしたら、止まらなくなって買ってきました。2001年に上智大学で4回にわたって行われた講演会を書き起こしたものです。井上さんと対面して話を聞くような楽しさにあふれています。NHKで昭和38年から「われら10代」を担当したとき、この人が「座つき構成作家」だったのですから、ぜいたくなことをしていたものです。「ひょっこりひょうたん島」の人気絶頂期でもありました。
 本の内容は、‘本語はいまどうなっているのか 日本語はどうつくられたのか F本語はどのように話されるのか て本語はどのように表現されるのか の4講からなっているのですが、学術的な解説ではなく、テーマにまつわる井上さんの見解、雑談、そして、お得意の駄洒落が開陳されるのです。あははと笑わせながら、記憶に残る「物の考え方」を伝えるのが、井上さん流の「教える」ということの極意です。
 今回、私がこの本から受け取った最大のメッセージは「カタカナ語の安易な乱用を慎む」ということでした。言葉は物事を認識する道具ですから、わかりやすく正しく使うのが基本です。カタカナ語を、よく知らないまま安易に増やすのは、日本語の質を低下させることになります。たとえば、すでに日本語化した外来語が多数あります。待ち合わせに遅れて「ちょっとトラブルがあってね」と言うとき、この「トラブル」は、ほとんど置き換えができません。「事故」とも「失敗」とも違う、便利な概念になっています。これはカタカナの語彙が日本語に加わった例です。「チームを組む」なども同様です。(これらの例は、私が考えたものです。)
 元をただせば漢字も外国語だったのですから、外来語を取り入れるのは悪いことではありません。しかし、英語国民にも理解不能な和製英語を氾濫させるのは、日本国民のみならず、日本語を学ぼうとする外国人にとっても、大きな迷惑なのです。
 漢語とひらがなとカタカナがほどよく混合して、見た目にも美しく、読んでわかりやく意味の正しく伝わる日本語を書きたいと日々努力していた、井上さんがそのような作家であったことが、改めてよくわかりました。
 最後に、今の日本のような「ギリシア悲劇的宙吊り状態」を切り開く「小さな笑いの力」を推奨している部分がありました。井上さんが今の福島を見たら、どんなことを言ってくれるでしょうか。悲惨の中からも、次から次へと笑いの種を引き出してくれそうな気がします。
(追記・井上ひさしの台本を代わりに書いてしまった秘話があります。エントリーの後半部分「おじいちゃんの書き置き」を見てください。)

「天空の城ラピュタ」はなぜ滅んだか

 「逝きし世の面影」さんからのトラックバックをたどって、ジブリのアニメ映画「天空の城ラピュタ」を崩壊させた「滅びの言葉」についての考察を読みました。この映画は、チェルノブイリ原発事故があった1986年に公開されたのだそうです。その後何度もテレビで放送されていますから、見たことのある人は多いでしょう。雲の合間から「ラピュタ」が初めて姿を現す場面は感動的でした。
 この空中王国は、悪人の企みによって乗っ取られようとするとき、王家の血を引く娘が覚えていた呪文「滅びの言葉」によって崩壊します。「飛行石」によって浮力を得ていた王国は、すべての人工物が分解して落下して行き、短時間で悪人とともに滅亡します。その後に残ったのは、一本の巨木でした。その木の上で、生き残ったロボットが花の世話をしている場面があったような気がします。そして、木は静かに上昇して視界から消えるのでした。
 この「飛行石」による空中王国の発想は、ガリバー旅行記の中にあります。空中に浮遊して空虚な学問理論を弄んでいる特権階級が、地上の民を搾取しているという構図でした。ついでながら「ラピュータ」は、スペイン語のラ・プータ(売春婦)に由来するそうです。
 ともかく、超地上的な力を手に入れた者たちが空中に独立した王国を築く。最初は、地上ではあきらめていた理想郷の建設を夢見たのかもしれません。そのために努力し、天才的な発明もしたのでしょう。しかし人間の協調は長くは続きません。より大きな力を手に入れて世界を支配したい欲望を持つ者が現れます。悪人の手に渡れば、大きな力は大きな悪になります。そのような末路を避けるために、天空の城には「滅びの言葉」が必要だったのです。
 「飛行石」の力は、原子力を連想させます。重力から解放されたら、常識では不可能と思われていたいろいろなことが実現できます。原子力でエネルギーが無尽蔵になったら、人間はもう一切の苦役から解放されるでしょう。一時的にせよ、そんな夢を見せてくれたのが原子力の研究でした。それを「悪人」に例えたら可哀そうかもしれません。
 しかし「滅びの言葉」は原子爆弾だけでなく、原発にも封入されていました。「ラピュタ」の滅亡は、人間が存在できる「許容範囲」を教えているように思えます。植物の成長を待たなければ食べ物は得られない。額に汗して働くことなしには人間は幸福になれない。真摯に話し合うことなしには平和に暮らせない。
 呪文に頼ることなしに、私たちは脱原発を進めなければならないのだと思います。

ブログ連歌(192)

3819 水ありて この世の命 守らるる
3820  夏こそ恋し 安曇野の川 (建世)
3821 三連の 水車これこそ エコロジー (こばサン)
3822  宇宙輪廻の 夢を描きぬ (建世)
3823 煽風(あおちかぜ) 独立国家 一つ増え (みどり)
3824  若かりし日に 帰りたきかな (建世)
3825 静かなり 今日は新聞 休刊日 (うたのすけ)
3826  されど忙しき 買い出しの朝 (みどり)
3827 暑い日は 能なき男 昼寝する (建世)
3828  超能なきは 即ご相伴 (うたのすけ)
3829 牛肉に 手も届かぬのに おぉ怖い (うたのすけ)
3830  生でも煮ても 焼いてもだめか (建世)
3831 成程ね リスクあるから 国有とは
3832  語るに落ちる 原発の怖さ (うたのすけ)
3833 禁句なし こうなりゃ何でも 言ってみる (建世)
3834  下手な鉄砲も 数射ちゃ当たる (うたのすけ)
3835 力まずに 原発封じ 次世代へ (みどり)
3836  明言先に 立たなかったが (建世)
3837 浜岡も 玄海も廃炉の 踏絵なら (うたのすけ)
3838  殉教するな 宗旨替え許す (建世)
3839 原発に あふるる涙 計り得ず (みどり)
3840  復活遠き 土地と心と (建世)

みんなのうた50年の軌跡

 昨夜のNHK「クローズアップ現代」は、「みんなのうた」を取り上げていました。1961年4月からですから、今年4月でちょうど50年になったのです。初期の担当者として私も取材を受けていたのですが、大震災の影響で番組化されるのが遅くなりました。
 担当していた当時は、むしろ単純なミニ番組という感じで、所属していた青少年部少年班の中では地味な存在でした。ただし先輩の後藤田氏は「日本の音楽の歴史に残る仕事になる」という強い意欲を持っていました。そのあたりの事情については、このブログにも書いたことがあります 昨夜の番組では、それぞれの時代を反映する歌を提供してきた鏡のような「場」であったという位置づけでした。50年を通してみれば、確かにそうなのでしょう。これほど長期にわたって1300曲もの歌を作り出しつづけた番組は世界にも例がないということでした。そこに参加するアーチストたちにとっても、大事な発表の場になっているに違いありません。
 しかし初期の雰囲気を知っている私として感じる最大の違いは、「新しいものを発掘しようとする担当者の姿勢」だと思いました。レコード資料などを山のように積み上げ、「いい歌」を徹夜で探す中から「線路はつづくよどこまでも」などが生れました。海外との資料交換テープの中から「歌うよカッコウ」などのポーランド民謡を紹介しました。うたごえ喫茶を歩き回る中で「かあさんのうた」を世に出しました。みんなで心から楽しめる歌でさえあれば、出典はどこからでもよかったのです。
 視聴者の熱い支持があって、番組開始から1年半の1962年文化の日に、早くも「みんなのうた特集」を放送したあたりで、番組の評価は定まったように思います。これは私がPD(プログラム・ディレクター)を務めた最初の長編番組でした。
 今にして思うと初期の熱気は、世界から良いものを吸収する「和魂洋才」の時代で、次の「国産化時代」を先導したのかもしれません。しかし当時はそのような時代認識は何も持たずにいました。社会番組を作りたかった私は、「みんなのうた」を1年半担当したところで希望を出し、青年班へと転属しました。楽しく働いた「みんなのうた」でしたが、当時の私にとっては、あくまでも「経験して通過する」番組に思えたのです。
 その判断がよかったのかどうか、今から考えても仕方がありません。ただ、この番組にかかわった経歴は、私の大きな財産になって今に至っています。
 放送当時(1962年12月〜63年1月)の音声で「線路はつづくよどこまでも」をお聞きください。歌は西六郷少年合唱団。冒頭のチャイムとアナウンス(友部光子さん)も入っています。アナウンスは「線路はつづくどこまでも」で、「よ」は抜いています

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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