志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2011年08月

本日休業かと思ったら

(熊さん)ご隠居どうしました、きょうはお休みですかい。
(ご隠居)うんにゃ、ピンピンしておるぞ。久しぶりに夜まで「元の本業」をやっておってな。
(熊)ああそうか。ビデオの編集とか言ってましたね。勝手なこと言ったり書いたり、横丁でお説教するのが本業かと思ってましたよ。もっとも、それじゃ飯は食えないね。
(隠)どっちにしても儲かるほどの仕事にはならんがな。それでも何とか飢え死にの心配しないでいられるんだから、ありがたい時代だよ。少しでも人さまが喜んでくれる仕事ができるうちは、自分でできることはしなくちやな。でもな、新しいキカイはどうも難しい。融通がききすぎて、一つ覚えたら安心ていうわけに行かんのだよ。さすがにこの年じゃ、しんどいな。
(熊)へー、ご隠居も寄る年波には勝てないか。珍しく弱気ですね。
(隠)つまりな、昔は専門職の編集マンに頼んだような仕事が、今は自分でやるのが常識になってるんだよ。それがどんどん高度化してるわけさ。
(熊)よくわかんないけど、ご隠居の経験が役に立つこともあるんでしょ。
(隠)うん、それはあると思うよ。せいぜい台本構成をしっかりしようと思ってる。そっちの方は昔も今も共通してるからね。
(熊)まあ、知恵熱出さないように、気いつけてやってくださいよ。
(隠)わかってるよ。仕事はもともと嫌いじゃないんだ。大丈夫だよ。

母系制のすすめ(57)

三十、人の一生
 さて、人類がこれからも長くこの地上に生きつづけることができるとして、そもそも人の一生とはいったい何だったのでしょうか。
 私はときどき墓地を散歩していて思うのですが、この世には生きている人よりも死んだ人の方がずっと多いのです。先祖代々からずっと順番に死んできて、最後の一世代だけが今生きているのですから、現役の人間はほんの一握りしかいないことになります。   
 それでも私たちが主役のような顔をしていられるのは、死んだ人たちが文字通り「いなくなって」くれたからです。具体的には、さまざまな元素に分解して、その一部は私たちの肉体に組み込まれているに違いありません。そう考えると、今の私は、たまたま維持されている一定の元素の組み合わせにすぎないことになります。ですから一定の時間が経過して生命体としての統一を解消する時がくれば、再び完全に分解するのが理にかなっています。                                     
 このサイクルは、存在するすべてのものに共通していて、生物はもちろん、変化しないように見える鉱物までも、時間のスケールを長くとれば、変化しないものはないということです。生物と無生物の区別をやかましく考えることも、案外、意味のないことなのかもしれません。
 骨を壷に入れてその上に大きな墓石を据える今の日本の墓のつくり方は、私のきらいなものの一つです。少なくとも骨は土と接するように埋めてほしいと思います。墓標も木の柱に墨で名を書いておくぐらいが適当と思います。私は鉱物ではないのですから、三代以上あとの人にまで形ある墓を残すのは遠慮したいものです。             
 人の死に方については、もう一つ提案しておきたいことがあります。医療技術の進歩で人がなかなか死ななくなりました。それ自体はよいことなのですが、時として当然死ぬべき人まで死なせないという行き過ぎが出はじめているようです。もともと生物の組織は適当な培養液に入れておくなどして栄養の補給をつづければ、長時間にわたって生かしておくことが可能です。だからといって、統一を失った人間の部品を生かしておいてみても、それで人が生きているとは言えないでしょう。延命のためだけの延命は、かえって人間の尊厳を損なうと主張する「尊厳死」の考え方には、じゅうぶんな理由があります。


総理が「どじょう」でいいのだろうか

 野田新代表が、衆参両院で第95代(明治の伊藤博文から通算)目の首相に指名された。今週金曜日には閣僚を決めて新政権を発足させる段取りだそうだから、超多忙になることだろう。今日からは「野田首相」と呼ぶことになる。
 昨日の選挙直前の演説で語ったのは、相田みつをの言葉を引いた「金魚になれない、どじょうになる」だった。テレビでは一時「土壌」のスーパーが出たが、これは魚の泥鰌だろう。格好つけずに泥まみれになって働くと言いたかったのだと思う。
 この言葉に、天木直人氏は懸念を示していた。相田みつをの精神は、権力に逆らわず、じっと泥の中に身をひそめて耐えている姿になる。総理自らがその精神を説いたのでは、国民は救われないというのだ。これはもっともだと思った。福祉削減、負担増、それでも文句を言わずに我慢せよ、だったら国民は救われないし、復興も成長もない。
 おそらく野田首相は、自らの慢心を戒め、泥臭いと言われようとも地道に努力すると決意表明したのだと思いたい。泥田の中で苦しんでいる人々の間に身を投じ、苦しみを同じくして、そこから這い上がる道を開いてみせるというのなら許せる。その場合でも、いつまでも泥鰌のままでいいのだろうか。
 泥鰌に強さがあるとしたら、泥にまみれても自分を見失わない「打たれ強さ」だろう。総理になったら、ありとあらゆる批判や苦言や侮蔑にさらされるに違いない。その中でも初心の理想を見失わずに最善の努力をするのが、最高責任者の職務なのだ。つまり、今は泥鰌でもいいが、それは明日の高みをめざす「出世魚」でなければならない。
 私としても、野田首相には戦犯発言など、気に入らない部分も多々ある。しかし今は短命の政権であれとは思わない。贅沢な注文もしない。1点だけ、デフレを克服し、日本経済を復興と成長の路線に乗せてほしい。たぶん財務官僚は協力しないで反対する。でも古巣の泣き所をついて押し切ってほしいのだ。
 財源については、高額個人所得、相続、資本や企業への過保護など、痛みが軽くて取りやすい所からの増税(というよりも行き過ぎた減税の是正)を、ぜひ先にして貰いたい。消費税を論じるのは、それから後の方が楽にできる筈である。

ブログ連歌(201)

3999 票読みが 遠くに見える 背くらべ
4000  意中の人は いまだ揺籃 (建世)
4001 乱立は 支離滅裂の 露呈なり (うたのすけ)
4002  短距離走の 号砲を待つ (建世)
4003 結局は 金と数とが ものを言い (うたのすけ)
4004  走る前から 本命定め (建世)
4005 公約が 宙に浮いてる 泣いている (ハムハム)
4006  遠い昔か あれから2年 (建世) 
4007 託せしも 夫婦別姓 実りなき (みどり)
4008  企業頼みの 政党ならば (公彦)
4009 そう言えば いろいろあった 期待感 
4010  一つでいいよ 民が第一 (建世)
4011 あらためて 清廉潔白 願います (うたのすけ)
4012  投手交代 こんなところか (建世)
4013 強持ての 力いささか 錆びついて (うたのすけ)
4014  歩み遅くも 世は移り行く (建世)
4015 迷えるを 国の民とは 申すなり
4016  標なすこそ まつりごとなる (玉宗)
4017 総選挙 選択迫る BadかWorse (恩義)
4018  やらせてみよう あと2年まで (建世)
4019 上の句は 何はともあれ これだけは
4020  脱原発に ノーサイドなし (建世)

母系制のすすめ(58)

(人の一生)
 それから一歩を進めて、人は人生の終末を自分で決めてはいけないものでしょうか。生きていることの楽しみよりも、生きていることの苦痛の方が大きくなったとき、あるいは人生計画を全うして、ここで終わるのが自分にとって最適と判断したとき、自ら死期を選ぶことは許されないのでしょうか。生まれるときに誕生の時期を選べなかったのだから、死亡の時期も自分で選ぶべきではないとする考え方ももちろんあるでしょう。しかしそれにしては、現代の医療は人の生死に介入し過ぎているように私は思います。おかげで大勢の人が、自分でも充分以上と思えるほど長く生きることになりました。        
 自殺というのは、人間にとって古くから重苦しい話題でした。とくにキリスト教では自殺は自分に対する殺人として、罪と見なされていたようです。一方、自己主張の究極の形式として公認されていた日本の武士の「切腹」の例もあります。いずれにしても、自殺はその人の将来の可能性を自ら閉ざす行為ですから、軽く扱うことができなかったのは当然です。 
 しかし、一人前の人生をじゅうぶんに生きぬいてきた老人が、生きるのをつづけることよりも、生きるのを止めることの方に魅力を感じるようになったとすると、少し様子が変わってきます。それは自殺という強い意志を感じさせる言葉よりも、もっとなだらかな、「自発死」とでもいう言葉で表現されるような内容です。この自発死は、これから真剣に検討されてよい問題だと私は思います。                      
 もし自発死が公認されるなら、快適な「覚めない睡眠」を提供することは、現代の医薬技術をもってすれば容易なことでしょう。もちろん乱用や悪用をされないように慎重な制限をつける必要はあります。一定の年齢以上であること、カウンセラーが本人と面接して意思を確認すること、いつでも中止できること、個人の秘密を守ること、などは最低限必要な配慮でしょう。
 人生の選択の自由はなるべく幅が広い方がいいという意味で、私は自発死に魅力を感じます。いつでも楽に死ねるとわかったら、少しぐらい苦痛があっても、もう少し生きてみようという気にもなるかもしれません。本当に死のうとする人を、実際に誰も止めることはできないのですから、楽な方法を提供するサービスがあってもいいように思います。 
 現在は日本の法律でも、自殺を助けることは犯罪と規定されているのですが、余計なお世話と言わざるをえません。自発死を偽装した犯罪の疑いでもないかぎり、法律が介入すべき問題ではないと思います。                          
 人間も自然の一部分であることを考えると、人の一生とは、無意識の世界から生まれて無意識の世界に帰る間の、意志のある生命体として生きられる一定の時間のことにすぎません。許された時間が終われば、ふたたび意志のない物質に分解するのみです。だからこそ貴重な時間を真剣に生きようと思うか、だからこそ時間まで気楽に過ごしていればいいと思うか、そこに人それぞれの持ち味が生きてきます。


民主党の投手交代

 11時過ぎから始まった民主党の5人の候補者による演説から始まって、野田新代表の選出まで、3時間半にわたる経過を、結局全部テレビで見てしまった。前原氏の演説の歯切れはよかったが、献金問題は、やはり本人にとっても重かったようだ。やや意外だったのは、自分の生立ちから説き起こして政治理念を語る人が多かったことだ。人生の総決算のように語ることが、自らの人物証明になるという意識だろうか。私が一世一代の大きな借金を申し込んだとき、金融機関への審査資料の中に自作の詩集を加えたことを思い出した。
 ご本人たちにとってはドラマチックな「長い一日」だったことだろう。海江田候補の票が第1回で150を超えなかったとき、小沢マジックの敗退は予想できたが、第2位が前原候補でなかったのは、少しつまらなくなったと思った。好き嫌いは別として、若い馬力がありそうだが、この国難に大きな失策をしたら後がない。結果的には良かったのかもしれない。
 とにかく、試合半ばでボコボコに打ち込まれた菅投手のあとのリリーフ投手が決まったわけだ。野田氏はあと2年の任期を意識しているようだが、中盤以後の試合を作れるだろうか。投手だけが奮闘しても、得点が入らなければ試合にはならない。その得点源は何なのか。
 面白いことに野球と違って国会では野党が得点源になることもある。震災復興という錦の御旗があるのだから、野党を協力させるのは無理な話ではない。小沢一郎の影を引きずるであろう海江田政権よりは、その点では有利なのではあるまいか。先日読んだ「平成経済20年史」にもあったが、経済政策は、二兎を追うよりも一兎に集中した方が成功率が高いということだ。復興とデフレ脱却に全力を注ぐべきだろう。
 財務大臣であっただけに、財務官僚からの圧力は逆に強いかもしれない。それが不安材料でもあるのだが、それこそ政治主導で「何でもあり」のデフレ対策に官僚を従わせることができるかどうか。「国民の笑顔を取り戻したい」と語った願望は、官僚との融和に気を取られていては実現しない。財政は官僚のものではなくて、全国民のものであることを天下に明らかにしてほしい。

母系制のすすめ(59)

三十一、万物は母性に帰る                  
 変わらないものはない、というのが宇宙の真理だそうです。人の生活が毎日同じことの繰り返しのようでいて、少しずつ変わって行くように、地球も同じ回転をつづけているようでいながら、少しずつ変わって行き、宇宙そのものも刻々に姿を変えつつあるということです。昔の宇宙論では、すべての天体がいずれはエネルギーを失って、冷えた暗黒の世界になるというように、固定した結末を予想していましたが、現代の宇宙論では、拡大する宇宙がやがては収縮に転じ、ビッグバンの逆の過程をたどる可能性さえも否定していません。そうるすとビッグバンの始点と同じように、質量がゼロでエネルギーだけが無限大という、わけのわからない状態が再現して、どっちが始まりでどっちが終わりかさえも、さだかでなくなります。しかも、ビッグバンの前には時間がないのだから、その前に何があったかという問いはそれ自体無意味だなどと言われるのですから、宇宙論は限りなく哲学に近づいて行きます。                             
 こういう興味尽きない世に住んでいて、身近には愛する人たちがいるというのは、本当にありがたいことです。その昔、恋をしたときに、自然の風景が異様なまでに美しく見えたことを、今でもありありと覚えています。本当に木の葉の一枚にもはっとするような美しさを感じ、限りないいとしさをおぼえたものです。その時に、恋は永遠のいのちへのあこがれだと気づきました。永遠のいのちにつながる回路が開いたから、自然のきょうだいである木の葉にも、あれほどの共感が通じたのだと思いました。そのとき突然、以前に教えられていた「恋人は有限、恋は永遠」ということの意味が理解できました。
 もし私が岩石や土だったら、こんな感覚をもつことはできなかったでしょう。幸いにも生物に生まれ、それも高等動物と呼ばれる人間の一人になったことで、こんな絵そらごとのような報告を書くこともできました。そして私が人として生まれるについて、もっとも重要な役割を果たしてくれたのは、疑いもなく私の母でした。私の母は私がいま知っているような宇宙論は知らなかったし、知る機会があっても、たぶんあまり興味は示さなかったことでしょう。母はいつも忙しく、背負いきれないほど重い精神的、肉体的苦労を負わされていました。そんな中でもわが子を見つめ、愛し、育ててくれました。


手を出せないので口を出してみる

 民主党の代表選が本番に突入したと思ったら、明日は投・開票で結論が出てしまう。所詮は一政党内の選挙であって、国民に開かれてはいない。今回は、民主党にサポーター登録している私にも投票の機会はないのだ。せめて口を出したら党内の浮動票に多少の影響はあるだろうか。
 話は遡ってしまうが、昨年夏の参院選での失敗が、返す返すも無念である。鳩山降板のとき、2枚目の看板である菅首相に期待は集まった。あのとき黙ってさえいれば選挙は楽勝できたのだ。思いついた政策は、衆参で安定多数を確保してから提案すればよかった。その方が多少なりとも実現の可能性が高かったろう。「率直に思いを述べて信任を得る」つもりの、市民運動感覚が判断を誤らせたのに違いない。
 就任してからの菅首相の「軽さ」も想定外だった。就任直後の消費税発言を初めとして、アドバルーンを上げては批判されて半分引っ込めることの連続だった。そんな中では、目玉政策らしい「最小不幸社会」論の迫力も半減してしまった。口ぐせのようだった「皆さんのご意見もいただいて、しっかり議論して行く」は、主張に自信がない言いわけのように聞こえて、すべての問題が先送りされる印象になった。次に首相になる人は、菅首相の支持率がなぜあのように低かったのかを、他山の石としなければならない。
 今度の代表選では、やはり小沢一郎氏の影響力が最大の話題になってしまった。ネット上でも小沢待望論は強いのだが、私には一つの疑問がある。鳩山内閣では党の中枢にいて指導力を発揮できる立場にいた筈なのだが、公務員改革一つでも、明確な前進ができただろうか。小沢氏の、ましてその代理人で救国の名宰相が務まるものだろうか。
 とはいっても、選挙は外から手の届かない数の力で決まる。選挙のときの政治家は、かなり本気になるものだということを、私はこれまでの経験上知っている。発表されている政策は、それぞれの理想を述べているので悪いものはない。誰が当選しようと私にかかわりはないのだが、今の緊張感を忘れずに総理の職責を尽くしてほしいと思う。

母系制のすすめ(60)

(万物は母性に帰る)
 じつに人間は育てられることによって人間になるのだと思います。母は人類の数千年の歴史を凝縮してその子に伝えました。その上に、人を愛する心、人を恋する情熱も、誤りなく伝えてくれました。育てられた子は年ごろになって、女性の中に母の面影を求め、永遠のいのちへのあこがれを思い出しました。一人ではできなくても、二人ならできることがある、それも男女の組み合わせでなくてはいけない、それが子供を育てるようになった若い夫婦の実感でした。
 男である私にとっては、女がなぜ魅力的であるのかは永遠の謎です。ただ私が経験を通して理解できたことは、女が人間として無理なく幸せに生きているとき、女としてもさらに魅力的になるという事実です。そしてまた、幸せに生きている女が相手でなければ、男の幸せな人生もないというのが実感でした。女の幸せな人生のために何が必要かと考えたとき、安心して子供を生み育てるということの大切さが理解できました。そこから自然に母性を中心に据えた社会の再構築という線が見えてきて、それが母親の記憶と結びついたとき、人類の過去から未来を貫通する、力づよい流れとなって躍動を始めたのです。  
 改めて考えてみると、母が私に伝えたのは、人間のいのちよりももっと長い宇宙の歴史そのものだったのかもしれません。人類の誕生は生命の誕生なくしてはありえず、生命の誕生はそれ以前にあった桁違いに長い宇宙の歴史を抜きにしては、ありえない道理です。そうなると母性の線は、やはり時空の彼方、ビッグバンの輝きの中にまでつづいているのです。そこはもう、万物の始まりであり、同時に終末でもあるという不可思議な特異点です。そこまで行けば、確実に母がいるような気がします。              
 相対性原理を発見したアインシュタインは、その晩年に死ぬことを少しも怖がらなかったと聞きました。私も、いずれ母と同じ世界に帰ると思うと、非常に安心です。逆に、今の生きている自分が、いかにも不安定な、脆い条件の上に乗っていることを感じます。 
 私の母性への信頼は、現世はもちろん、どのような時空にあっても変わることはありません。
(完)

「平成経済20年史」を読む(4)

 小泉政権下で「史上最長の経済拡大」と宣伝されたものの実体は何だったのでしょうか。それは世界にも例のない長期デフレの中で起こりました。経済は停滞していたのだが、それ以上に物価が下がったので、実質経済成長率はプラスだというものでした。通常の経済成長は物価の上昇を伴うので、物価上昇率を差し引いたものを実質成長と考える、その計算方法を無理やり適用して、文字通りに「マイナスのマイナスはプラスだ」と開き直ったのです。
 絶対量の経済は縮小する中で、いろいろ不思議なことが起こりました。大企業は軒並みに史上最高の利益を上げているにもかかわらず、社員の給与は一向に改善されず、正社員の削減と、派遣、パートなどへの非正規化が一挙に拡大しました。その裏で正社員雇用を前提としていた雇用保険などのセーフティーネットが破綻した事実は放置されました。規制緩和を最優先で実施した結果は、富の集中つまり格差と貧困の拡大でしかなかったのです。
 危ういバランスを保っていた日本経済も、世界的不況の波を受けて弱点を露呈しました。小泉構造改革のあとに残されたものは、国民生活の貧困化と不安定化でした。それだけの痛みを伴ったにもかかわらず、デフレは記録的な長期にわたって改善せず、従って資産も貯蓄も増えることはありませんでした。成長しない経済の下で社会的弱者が増えていた、そこへ大震災の打撃が加わったのが現状です。
 本の紹介の後半は端折りましたが、最後に著者の意向に沿った経済回復への道筋を模索してみましょう。まず、国民生活を向上させる政策的手当が必要です。その財源がないというのは財務官僚の欺瞞です。借金の大きさだけを言い立てて、資産の大きさを隠しているのです。どこの国でも当り前程度の成長は、まだ残っている日本の経済力で不可能なはずがありません。経済を正常に循環させながら、上ってくる税収で財政を健全化するのが王道なのです。 
 日本が信じ込まされたグローバルスタンダードは、決して世界の標準ではありませんでした。自国の国民と経済を守るためだったら、なりふり構わず「何でもあり」が世界の標準なのです。アメリカ発の要望を、錦の御旗でもあるかのように権力の道具とした「小泉構造改革」と、それに便乗して支配力の拡大に走った財務官僚が残したものは、従順に利用されて疲弊した日本経済でした。
 日本には日本の基準があっていいのです。国民生活の安心と向上を第一として、そこから新しい需要を喚起する。その文脈の中では、貧困の解消も震災からの復興も放射能対策さえも、新しい成長の糧になるに違いありません。

「平成経済20年史」を読む(3)

 小泉元首相が、なぜあれほど郵政民営化に情熱を傾けたのか、合理的な説明は不可能で、選挙で敵対した特定郵便局長会への私怨だという説まであるそうです。郵政職員の給与は事業収益から出ていたので公務員削減のメリットはなく、全国均一のサービスで国民の信頼を得ていた郵便、郵貯、簡保の仕事を民営にしなければならない理由はありませんでした。言われていた「財政投融資の資金源を断つ」というのも、金の流し方の問題であって、まず入口を閉ざすというのは理論の飛躍でした。
 それと同時に「小泉構造改革」で言われたのは、「民間でできることは民間へ」の規制緩和でした。ここでも誤解と思い込みがあります。たとえば火事を消すことでも、荷物を運ぶのと同様に民間でも可能です。官業よりも低コストで能率よくできるかもしれません。しかし肝要なのは「その仕事の全体を任せてしまっていいか」ということです。官でなければできないことの仕分けこそが大切なのです。
 小泉改革の方向性は、アメリカからの年次要望書で迫られていた構造改革と、ぴったり一致しました。それはフリー(自由)、フェア(公正)、グローバルの3原則でした。首相のお墨つきを得た財務官僚は、公的資金を注入して再建した金融機関を外資に買い取らせるなど、アメリカ資本待望のグローバル化を推進して行きました。
 このあたりの著者の記述は、「筆誅を加える」域にまで怒りを高めています。私もしばらく本を閉じて考えました。日本の官僚が、給料の支払い主である日本政府よりも、アメリカ資本の利益を優先して精励努力するなどということが、あり得るのでしようか。それを自覚的に行ったとは信じたくないのです。このままではいけない、グローバル化で生き残るための不可避の選択だと信じ込まされたのではないか。だとすれば、そのような「空気」を作ったものこそが、「小泉構造改革」の呪文だったのではないでしようか。
 呪文に惑わされたのは、国民も大同小異でした。参議院で法案が否決されたから衆議院を解散するという、誰が考えても筋の通らない「郵政選挙」に喝采を送り、小泉自民党を大勝させてしまったのですから、それ相応の報いを受けても文句は言えないのかもしれません。また、当時は日本の経済が景気拡大を続けているという宣伝も行われていました。それは「実感なき好景気」と呼ばれていましたが、選挙には好都合に働いたのでしょう。しかしその実体は、経済再建とは無縁の格差の拡大に過ぎませんでした。

「平成経済20年史」を読む(2)

 バブルへの対応について、日銀も大蔵省も、致命的な失敗をしました。日銀の利上げも財務当局の「総量規制」も、景気が上り坂のときに発動して、好景気が長くゆるやかに続くよう誘導すべきなのにタイミングを遅らせ、始まった崩壊を深刻化させる方向に舵を切ったからです。「日銀、大蔵省という経済政策の両エンジンが、ともに逆噴射したのだから、日本経済が墜落したのは、当然の結果だった。」と著者は書いています。日本の経済は、この墜落以来、一度も本格的には回復することなく今に至っているのです。
 しかし当時はバブルを潰すのが正しいことと宣伝され、株価を支えようとした宮沢首相の政策は不評で政治は混迷し、細川連立内閣が誕生しました。細川内閣の「政治改革」のかげで進んだのが大蔵省主導の「財政改革」でした。これは唐突な「福祉税という名の消費税引き上げ」提案となって挫折するのですが、この後、財務当局の「歳出削減・国民負担増路線」が日本経済の重石となって行きます。
 バブル崩壊は、株価・地価の下落に止まらず、金融機関の相次ぐ破綻となって長く尾を引きました。著者の見地からすると、これはバブル是正の不徹底ではなく、行き過ぎた崩壊に起因する当然の成り行きなのでした。正常な経済回復政策なしに不良債権処理を先行させれば、不良債権は逆に、連鎖的に増加することになります。
 こうしてバブル崩壊から10年たっても景気が回復しない異常な時代となりました。著者の言葉を借りれば「資産が減って嬉しい人はいない。気持ちは暗くなるし、将来は不安だし、物を買う気がしなくなる」デフレ時代の到来です。村山内閣のときにも小渕内閣のときにも、経済回復のきざしは何度かありましたが、いずれもあと一歩のところで本格化には至りませんでした。「日本の政策当局は、あと少しの我慢ができない。日銀は、金利を上げたがり、大蔵省は、財政健全化を急ぎすぎる。」と著者は書いています。
 閉塞状態になった日本の経済社会は、なんとか打開してくれる救世主を待望するムードを醸成していました。そこへ絶妙のタイミングで登場したのが「小泉構造改革」だったのです。そこでは、いくつかのスローガンが呪文のように繰り返されました。「郵政民営化は改革の本丸」「痛みに耐えて構造改革」「よく働いた者が報われる」「金融ビッグバン」などなど。これらの内容を、国民はどこまで理解していたでしょうか。それらはグローバル・スタンダードに遅れないためであるとも説明されました。しかし、それを待望し最大の利益をあげるのが誰であるかは、まだ一般には知られていませんでした。

「平成経済20年史」を読む(1)

 「平成経済20年史」(紺谷典子・幻冬舎新書)を読みました。ネット上の感想文で「怒りに体が震えた」と書いている人がいましたが、そのような本でした。どんな視点で書かれているかは、最終章の最後に集約されています。(以下引用)

 改革のたびに日本人の生活が悪化してきたのは、不思議なほどである。本来、改革は、国民生活の改善をめざすものである。国民生活の悪化は、改革が国民のためのものではなかったことを示している。
 米国と財務省が主導する「改革」をやめれば、国民生活も、日本経済も良くなるはずである。(引用終り)

 読み終って、この本に書かれていない大きな項目があるのに気がつきました。それは日本の歳入つまり税収の変化です。これについては私のブログで、以前にまとめて表にしてありますので参照してください。所得税の最高税率(住民税を含み、年収1800万円超部分)は、1974年の93%から、1999年の50%へと、25年間で激減しているのです。その事実と、この本の内容を照らし合わせると、金持ち減税が、資本を集中し格差を拡大するグローバルスタンダード(実はアメリカ基準)の一環であったことが納得できます。
 今から見ると夢のような高い税率の中で、法人税も同様に高かったにもかかわらず、日本は高度経済成長をなしとげ、「一億総中流」社会を実現したのでした。最盛期には日本の株式市場の資金量は世界のトップで、ニューヨークのロックフェラーセンターを買い取るほどの勢いでした。アメリカにとっては深刻な脅威だった違いありません。
 この本は「平成20年史」ですから、記述は年代順に進みます。平成元年(昭和64年)は、まさに日本の絶頂期でした。この年末に、東証の平均株価は3万8915円の史上最高値をつけました。しかし翌年の初めから株価は値下がりに転じ、1年遅れて地価の下落も始まりました。いわゆるバブルの崩壊です。
 バブルは、はじけて当然の悪いものだったと一般には信じられているでしょう。しかしこの本で少し認識を改めました。山は、つぎの谷が深ければ高い山だったことになる。もっとソフトなランディングを心がければ、日本経済の傷は深くならずに済んだというのです。いずれにしても、これが平成経済の悲劇の始まりでした。


原発の全面停止まであと14基

 東京電力の刈羽発電所(新潟県柏崎市)の7号機が、予定通りに定期検査のため発電を停止したとのことです。さきに営業運転を認められて問題になった北海道泊3号機を含めて、残りは14基となりました。当ブログでは、原発の全面停止に向けて、「原発の全面停止まであと○○基」と、リアルタイムでカウントダウンを表示しています。
 現在運転中の原発と、定期検査で停止する予定期日の一覧表を訂正しました。
北海道電力 泊1号 8月下旬
        泊3号 未定(2012年5月?)
東京電力 刈羽5号 2012年3月
       刈羽6号 2012年4月
関西電力 美浜2号 12月
       高浜2号 11月
       高浜3号 2012年3月
       大飯2号 11月
中国電力 島根2号 2012年1月
四国電力 伊方1号 9月
       伊方2号 2012年1月
九州電力 玄海1号 12月
       玄海4号 12月
       川内2号 9月
これでわかる通り、今年の年末で「残り6基」となり、来年4月以降は泊3号の1基だけが残ることになります。
 今のところ、検査停止中の原発再開に同意している知事はいません。原発が、北海道と、震災で停止中の女川を除いて、すべて電力会社の本社所在地の都府県には存在せず、遠い他県に立地していたことが裏目に出ている形です。
 表でもわかるように、この冬から来春にかけて苦境に陥るのは関西電力です。大震災の影響がない筈だった関西へ生産拠点をシフトした企業は、再移転を迫られるのでしょうか。自前で電力を確保する対策も進むことでしょう。
 脱原発路線が本物になるかどうか、これからが正念場です。もはや「死に体」となっている原発を、1基でも生き返らせることなく完勝できたら、日本再生への希望になります。

ブログ連歌(200)

3979 船頭が 二人で船は 沈むのに
3980  こう多くては 先々不安 (うたのすけ)
3981 これやこの 主なき世の まつりごと
3982  いまさらだれを 担ぎ出さむと (玉宗)
3983 とりあえず 誰を乗せるか 秋御輿 (建世)
3984  下帯びしっと 様になる人 (うたのすけ)
3985 何よりも 民の叫びを 大事にし
3986  ビシット公約 果たす人材 (ハムハム)
3987 熱さめて はや秋冷か 虫の声 (建世)
3988  このまま秋か 政治は厭きか (うたのすけ)
3989 憂国の 父のステテコ 懐かしき
3990  とどのつまりの つくつく法師 (玉宗)
3991 ふるさとへ 爽やかならぬ 風の吹き (みどり)
3992  つくづく想う 人の欲望 (ハムハム)
3993 ふるさとは 遠くにありて 放射能 (建世)
3994  帰郷いつの日 数える術なく (うたのすけ)
3995 願わくば 山椒は小粒で 何とやら 
3996  ぴりっと辛い 指導者出でよ (うたのすけ)
3997 再建は 金持ち減税の 是正から (建世)
3998  切れ情けなし 小鳩詣りも (うたのすけ)
3999 票読みが 遠くに見える 背くらべ
4000  意中の人は いまだ揺籃 (建世)

住めない国になる前に

 今朝の新聞報道によると、福島原発からの放射能漏れが収束したあとも、人の住めない土地が、かなり広く残るようだ。居住禁止になる区域の土地を、政府は借り上げる方向で検討に入ったという。土地を買い上げる案もあるが、先祖からの土地を失いたくない住民感情にも配慮して、地代を払うことで損害賠償や生活支援とする発想らしい。いずれにしても、関係住民とのキメの細かい話し合いが必要になるのだろう。
 放射能汚染の広がりは同心円とは一致しないから、精密な線量の測定が必要になるのは言うまでもない。その測定も、政府主導のものは散々に批判されている現状だから、よほど精密に、信頼される方法でないと納得は得られまい。そしてデータが得られたあとも、居住不適の線引きをどうするのか、これまた難問の山積になることが目に見えている。さらに居住可能に分類されても、住みたくない人をどうするかといった問題も出てくるに違いない。多少は危険でも住みたいという人はどうするのか。
 住居ばかりでなく、常磐線の鉄道や、幹線道路はどうなるのだろう。とにかくこの日本国内に、住めない使えない土地が出来てしまうことは決定的になった。そして、いつになったら住めるようになるのか、除染の方法と効果はどうかといった、未知の分野に踏み込む長い取り組みが始まることになる。
 かくて日本国は領土の一部を失うことになった。失った面積が、政府による借り上げ可能な範囲に収まったことを天に感謝すべきだろう。これからも原発を推進したい人たちには、ぜひ福島の政府借り上げ地に居住することをお薦めしたい。そして身をもって放射線は怖れるに足りないことを実証していただきたいものである。その医学データは、今後の放射線対策の貴重な資料になるだろう。
 それにしても、東京を含む東日本一帯が居住不可能にならなくて良かった。54基もの原発を抱えていた日本列島は、東海地震と連動でもしたら、全面的に人の住めない国になっても、おかしくはなかったのだ。今は福島の犠牲のおかげで、運転中の原発は15基だけになっている。停止した原発が安全なわけではないが、少しは危険性を減じることができた。
 福島の原発被害者の方々の蒙った迷惑は察するに余りあるが、おかげで日本は亡国の災厄を免れたと考えることもできる。住めない国になる前に、間に合ってよかったのだ。

円高では、なぜ困る

(熊さん)史上初の円高だそうですね。これでまた景気が悪くなるってんだけど、日本の金が強くなって、なんで困るのか、いまいまち良くわからないね。
(ご隠居)ふん、わしも経済が専門じゃないが、日本は輸出で稼ぐ国だから、円高だと日本の製品を値上げしたと同じことで売れなくなる。値下げすれば売り上げが減る。それが困るってことだな。
(熊)戦後の最初は1ドル360円だったんでしょ。それが40年で76円だから、ざっと5倍ですよね。それだけ日本は金持ちになったと、喜んじゃいけないんですかい。海外旅行なんか、すごく得になってるそうじゃないですか。
(隠)たしかに悪いことばかり騒がれてる面はあるな。海外旅行がまだ珍しかった昔は、360円もかけて1ドル持って行っても、100円ぐらいにしか使えないと嘆いたもんだ。だから1ドル100円ぐらいで日米の経済は対等になったと言えるだろう。その後は、おもに資本の思惑で為替相場が変動するようになった。日本は貿易で黒字を溜め込んでいるから、安全な投資先というわけだ。今では貿易に使われる何倍もの金が、投資として世界中を駆け回っているんだよ。つまり、経済の弱い国から強い国へと金が逃げて、世界の経済を悪くする方向へ引っ張っているわけさ。
(熊)そんなら本当の貿易に使う以外の両替を禁止すりゃいいじゃないですか。世界の首脳が集まって決めたら、すぐできるだろうに。
(隠)それが難しいんじゃ。貿易の自由化という原則があって、両替つまり為替の自由は簡単には制限できない。自由化のおかげで世界はここまで発展してきたんだからね。だけどそろそろ根本的な改革を考えなくちゃならんところへ来たようだな。インフレ傾向でないと経済がうまく回らないところに、資本主義の限界があると、わしは思ってるんだよ。
(熊)世界の金を、ユーロみたいに全部同じにしたらどうなんです?
(隠)それは理想だが、一足飛びには行かんだろう。その前に、為替取引に一定の国際的な税をかける「トービン税」という構想があるんだ。これまでは財界の反対が強くて何度もつぶされてきたんだが、今度はかなり真剣に導入が検討されているらしい。地味なニュースだけど、そんなところから立て直すしかないんじゃないのかな。要するに、だぶついてる金を削って足りないところへ入れてやれば経済は回る。簡単なことなんだよ。

誰かがそれを やらねばならぬ

 菅総理の在位が、いよいよ残り秒読みになってきた。何かやってくれそうな期待はあったのだが、当て外れの度合いも大きい総理だった。低迷してついに回復しなかった支持率も、国民の失望を反映しているように思われる。
 辞めることを、これほど期待された総理というのも珍しい。意外なほど脆く退陣してしまう首相を、何人もつづけて見てきた目には、むしろ新鮮にさえ思えた。最後に見せた脱原発への発言だけが、記憶として後に残るのではあるまいか。
 伝えられるところによると、今月中に民主党は新しい代表を選出するとのことだ。自動的にその人が次の総理になる。この難しい状況での登板が楽な仕事のわけがないと思うのだが、よくしたもので、次から次へと新しい名前が出てくる。進んで引き受けようというのだから、自分ならできるという自信があるのに違いない。
 政治家なら、頂点の総理大臣を目ざすのは当然のことだ。誰が選出されるにしても、政治家として何をしたかったかの原点を思い出して精励してほしいと思う。ただ困ったことに、私としては「出したい人」の名が出てこないから、意中の人の登場を待つ楽しみがないのだ。もっとも党内の両院議員総会での選挙だから、外から口出しはできないのではあるけれど。
 国政の最高責任者である総理大臣の地位は、一日たりとも空席にはできない。誰かがそれをやらねばならぬことは決まっている。それがあと10日で決まる。誰が当選するか知らないが、総理の権限は悔いのないように善用してほしい。当選するかどうかわからない今のうちに、心に誓ってほしいのだ。すべての決定の判断基準を「国民のためになるか、ならないか」に置くことを。

ビデオのパソコン編集に挑戦中

 この5月から6月にかけて、宮城、福島、岩手の災害救援ボランティアを取材撮影に行った記録の編集を始めました。カメラがハイビジョン対応のHDになり、編集も今はパソコンを使うのが常識になっているので、テープを一切使わないノンリニア編集を、初めて経験することになりました。
 カメラはまだ使うけれど、パソコンでのビデオ編集は覚えなくていいことにしようと、勝手に思い込んでいたのですが、仕事が立て込み気味になり、そうも言っていられなくなりました。編集ソフトはEDIUS Pro5を使います。とりあえず使えそうなカットの選び出しと、無駄な部分のトリミングをしてみました。
 使ってみての感触ですが、思ったよりはずっと簡単に基本操作ができました。電子機器の高性能は、驚くべきものがあります。カットごとに分解して順番を決め、意図に沿って組み上げて行くのはフィルムと同じですが、間違って切ってもすぐに復元できるし、何よりもありがたいのは、後からの挿入が自由自在にできることです。これはビデオテープ時代には考えられないことで、最大の泣き所でした。
 カット選びで3時間の取材テープがほぼ1時間になり、さらにトリミングで20分あまりになりました。まず報告用の短編ビデオを作り、その後に資料・教材用のビデオも作る予定です。
 技術の先達がいて、困るとすぐ横から教えてくれるので助かります。編集は専門職に頼もうかと思っていましたが、荒編集が自分でできるのは一歩前進になります。時代の変化に、もう少しついて行ってみようかと思える一日になりました。

ブログ連歌(199)

3959 迎え火を 門に焚きつつ 人恋うる (みどり)
3960  会いたき人は 心中にあり (建世)
3961 絶命の 危機においても 克己せよ (恩義)
3962  窮してもなお 道あるを信ず (建世)
3963 放射線 当たらず障らず 腹据えて (うたのすけ)
3964  こども優先 幼長の序 (建世)
3965 宇宙まで 飛んでゆきたい 子らの夢 (みどり)
3966  ヤマトが運ぶ 宇宙クリーナー (建世)
3967 当分は 生臭さが ぷんぷんと (うたのすけ)
3968  清涼剤の 夕立も欲し (建世)
3969 達観か 無知か無謀か 泊の人 (うたのすけ)
3970  現状追認 とりあえずは楽 (建世)
3971 艶歌なら 「泊の人」で ヒットする (うたのすけ)
3972  別れそびれて そのまま朝に (建世) 
3973 拒めども 捨てるに重き あだの花 (みどり) 
3974  命とりとは 知るや知らずや (ハムハム)
3975 代表選も 小粒になりぬ 秋の風 (建世)
3976  政党なりや かのシステムは (ハムハム)
3977 代表戦 見聞き真っ平 鳩ぽっぼ
3978  次いで剛腕 強持ての人 (うたのすけ)
3979 船頭が 二人で船は 沈むのに
3980  こう多くては 先々不安 (うたのすけ)


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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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