志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2012年01月

「死にたい老人」を読む

 「死にたい老人」(木谷恭介・幻冬舎新書)を読みました。この本はヤップ島への旅に持参した唯一の本だったのですが、グアム島でヤップ行きの便を待つ長い時間に、最初から最後まで読んでしまいました。こういう本が出てくる事情はわかりますが、決して気持のいい読み物ではありません。
 手にとって購入した動機は、これが死ぬための断食の記録だと表紙に書いてあったからでした。人は食べる力を失ったら死ぬのは自然なことで、その場合の死に方は苦しくないだろうというのは、私の基本的な認識なのです。この本に何度も引用されている「人間は寿命に従順であるべきだ」という司馬遼太郎の言葉も、その文脈で私は妥当だと思っています。
 ところがこの著者は、自死の手段として断食を選び、その実践記録を残そうとしたのでした。そして著者は現存しているのですから、その挫折の記録です。修業としての断食は、宗教界には古くからあって、長期の断食の後に地中に居を移し、竹筒で呼吸しながら絶命した後は密閉して、数年でミイラ化するという「即身仏」についての詳しい説明もありました。そういう自死方法の解説書としてなら、どの程度断食すると体重はどの程度減り、意識はどのように変化するかといった記録は参考になります。しかし現代の「死にたい老人」問題の本筋とは、少しずれているように思いました。
 かつて哲学者の須原一秀氏は「自死という生き方」を書き、それを実践した遺作を、遺族と友人が出版したことがありました。この本には、自らの意思で人生を閉じることの意味が詳細に説明されており、読後感は、自らがよりよく生きることを深く考えざるをえなくなるような厳粛なものでした。しかし、これもまた一般的な「死にたい老人」の参考には、なりそうもありません。
 私が関連して思い出すのは、映画「祝(ほうり)の島」で描かれていた老人たちの会話です。「寝たきりはいかんなあ、島に居られんようになる」「眠って死ねる薬を配りゃいいんじゃ」という、なごやかな談笑の一こまでした。そんな風景に似合うような、老人のための、やさしい指南書は書けないものでしようか。
 断食も、ある限度を過ぎると苦痛がなくなって意識がもうろうとなり、恍惚感をもって死ねるのが実感できるそうです。しかし、それまでに空腹感に責められて食べ物の幻影に悩むようでは、そんな実践をしたい人はいないでしょう。折から老人医学会では、終末医療を見直して、胃ろうの中止も選択肢に含める動きがあるそうです。寿命に従順に、苦痛なく枯れるように世を去りたいというのは、大半の老人の願いでしょう。この問題は、今後も禁忌なく話題にされるべきだと思います。

ヤップ島へ行ってきた(6)



(ご隠居)3日目はボートで海へ出るのが中心になった。潮の関係で、朝の出発は早かったね。ヤップ島は細い水路で4つの島に分かれてるんだ。今は道路で3つはつながっている。その水路は海というよりも川のようで、両側にはマングローブが密生していたよ。
(熊さん)本当にこれは川としか見えませんね。



(隠)一口にマングローブといっても、それは総称だから、種類は20以上もあるそうだよ。小さい魚はこの中で育つし、いろんな生き物のゆりかごなんだね。陸地を波から守る役目もしている。



(隠)海の中にぽっかり浮かんだ島のようだが、これもマングローブだけで出来ていて、島ではないんだ。



(熊)よっ、いよいよ待望の海中散歩だね。
(隠)波の静かなダイビングスポットに来たわけだ。裾礁という外周の珊瑚礁の内側には、浅い海ができる。ここは水深4メートルといってたな。わしは初体験だから、シュノーケルをつけて海面から水中を覗いて見るだけだよ。服装は、夏の肌着上下そのままで水に入るのが正解だった。



(隠)水中メガネを通して見ると、やはり別世界の風景になる。花畑のような珊瑚礁の間を、小さな魚たちが列になって泳いでいるのが、くっきりと見えていた。度つきの水中メガネだから、近眼でもよく見えて距離感がわからず、手や足を伸ばせば珊瑚に触れそうな気がしたよ。短い時間だったけど、思い通りの経験ができた。
(熊)よかったですね、ご隠居。



(隠)このあと、最後に大正9年(1920年)生まれのティナグさんという、おばあさんに会うことができた。日本時代の公学校で学んだ世代だよ。「もしもし亀よ……」の歌をよく覚えていて、いっしょに2番まで歌ってみたりした。でも教科書は「ハナ、ハト、マメ」でも「サイタサイタ」でもないようだった。南洋庁の教科書だったのかもしれないね。戦時中は強制的に海岸の家から山の中へ移住させられて、海岸の町が空襲で燃えているのを眺めた記憶があるそうだ。
(熊)そういう戦争体験もあるんですね。
(隠)ただ、島民の戦争犠牲者は少なかったし、日本軍は島民の畑には手をつけなかったと言われている。南洋の中でも、幸運な島だったと言えるのかもしれない。レポートは今回で終りにするが、ここで見聞きしたことは、これからも何度も思い出すだろうと思うよ。

ヤップ島へ行ってきた(5)



(ご隠居)陸路の後半は島の集落の見学だった。島の中には古くから石畳の立派な道路があって、その脇は水路になっている。ヤップ島では舗装された幹線道路以外はすべて私有地の私道だから、外から来た人間は、道を歩くにも作法があると注意されたよ。二人以上のときは横に並ばず、一列になるのが礼儀だそうだ。ガイドブックには「島民はシャイだから……」と書いてあったが、ちょっと違って、各自の土地と海は生活の基盤だから、互いに認め合うということのようなんだ。
(熊さん)ちょっと窮屈ですね。もっと大らかかと思った。
(隠)でも生き物としての「縄張り」の感覚としたら、とても自然なことだ。こういう、ふだん忘れている「人の暮らしの原点」に触れるのが、旅の良さなんだね。



(熊)わ、でかいお金だ。
(隠)これがヤップ名物の石貨だよ。現地語でライという。コインの形をしているが、日常に使う通貨ではなくて、婚礼とか部落間の取り決めとか、大事なときに使う贈答品に近いということだ。これは村の集会所前に並べられたもので、個々に所有者がいるのかもしれない。まん中の穴は、棒を通して運ぶためだそうだ。これらは過去の遺物ではなくて、今も生きているんだよ。



(隠)この集会所全体が、観光用の施設ではなくて、れっきとした現役の村の中心なんだ。長老の席とか男の席、女の席とか、座る場所も決まっていて、大事なことはここでの話し合いで決められる。



(隠)これだけの大建築を村民の協力で今でも建てられる能力は、村民の文化の高さを示しているね。大木を切るときには、この材をどこに使うか、棟梁の頭の中には完成図が明瞭に描かれているということだ。今でも釘や針金は一本も使わない。切り込みの組み合わせと椰子の繊維を編んだロープで、頑丈に組み上げてある見事なものだよ。



(隠)集会所の近くには「男の家」があった。独身の男たちが寝泊りできて、漁の作業場にもなるようだ。昔は「女の家」もあって、そこは産後の肥立ちや生理中の女が使っていたが、近年は女性差別はいけないというので、正式に禁止になったということだ。



(隠)「男の家」のすぐ前は、カヌーの船着場になっていた。マングローブで囲まれた安全な入り江になっている。暮らしと海とが一体になっているんだね。
(熊)でも人の姿が見えなくて、ちょっと残念ですね。
(隠)「男の家」で若者が一人、昼寝しているだけだった。服装はふだんは簡単な洋装の夏姿で、はだしかゴム草履というだけのことだよ。もし村の人に出会っても、初対面で写真を撮るのは、手順を踏まなければならなかったろうね。
(追記・「石貨」と「女の家」については、コメント欄にsuyapさんの詳細な説明があります。)

ヤップ島へ行ってきた(4)

(ご隠居)島の2日目は車で案内してもらったんだが、旧飛行場周辺の戦跡が、やはり印象深かったな。
(熊さん)そうでしょう。大勢の日本人が兵隊になって、思いもかけない南の島へ送られたんだからね。



(隠)これが旧飛行場の滑走路の跡だよ。日本が軍事用に作ったのが最初だが、戦後も空港として定期航空に使われてた。この周辺が駐機場や関連施設だったから、戦争の残骸も多いんだ。





 これは海軍の戦闘機「ゼロ戦」。翼は折れ、エンジンは落ちてしまって、地上で撃破されたらしく、弾痕だらけになっている。日本の飛行機は塗装がはがれると、こんな下塗りの赤茶色になるんだそうだ。それでも薄らと翼に「日の丸」の跡がわかるよ。今でも台風が来るたびに、少しずつ崩れて行くということだ。





 少し離れた密林の中には、九七式艦攻の胴体があった。真珠湾攻撃で活躍した艦上攻撃機だよ。乗員は3名で、この中に縦に並んでいたんだね。このあたりの地面には爆弾で出来た穴が多い。残骸はアメリカ軍がブルトーザーでここに集めたのかもしれないということだった。



 これも有名な一式陸攻の尾部の部分だ。人と比べると大きさがわかるだろう。山本五十六長官は、これに乗って前線の視察に出たとき、暗号を解読されて撃墜され、戦死したんだ。戦争の末期には、この一式陸攻に「桜花」という人間爆弾を吊り下げた特攻も行われた。しかし火のつきやすい飛行機で、あだ名の「葉巻」が「マッチ」になったと、阿川弘之の「雲の墓標」で読んだことがある。



 これは陸軍の高射砲。島の防備の主力は、陸軍の混成旅団だったんだね。ヤップの上空で撃墜された米軍機は、日本側の記録では43機、アメリカ側の記録では37機だそうだ。
(熊)うーん、ため息が出るね。何だってこんなところで戦争しなくちゃならなかったんだ。
(隠)「つわものどもが夢の跡」そのものだよ。

ヤップ島へ行ってきた(3)

(ご隠居)グアムからヤップへ来る飛行機の到着時間は深夜の0時近くだから、1日目の観光は島の中心地コロニア地区を回りながら体を慣らすことになった。真冬の気候から一足飛びに真夏になるからどうかと思ったが、朝の散歩で順調に汗ばむ肌になったから自信がついた。夏用の肌着を3枚重ね着して東京を出て、ヤップで1枚にしたわけさ。ホテルのエアコンはほとんど使わず、自然な風が心地よかったね。
(熊さん)ご隠居は冬の寒さは骨身にしみるが、夏は平気だもんね。



(隠)気温は30度よりちょっと下、風は湿度の高い潮風で、やさしく包まれる感じだった。わしの体には合ってると思ったよ。ところで、これはヤップ州の警察で、左の隣は消防署だった。右のポールにはヤップ州旗、左にはミクロネシア連邦の国旗が掲げられている。4つの星は4つの州を表してるんだよ。ヤップ州は連邦の西の端で、人口も11万人の中の1万1千人と、決して大きな州ではないんだ。そのうち7千人あまりがヤップ島に住んでいる。



(隠)こちらは州政府庁舎敷地の土台になっている赤レンガで、スペインが築いたものだそうだ。その後、米西戦争に負けたスペインは、ヤップも含む諸島をドイツに売り渡した。それを日本が第一次世界大戦に乗じて占領し、国際連盟に委任統治を認めさせた。日本の統治時代は30年も続いたんだよ。そして太平洋戦争にに突入し、「南洋」と呼ばれた島々はアメリカ軍の占領下に入った。それから1986年になってミクロネシア連邦として独立するんだが、国防はアメリカに委託するという協定を結んでいる。
(熊)コロコロ主人が入れ替わって、島の人たちには迷惑だったでしょうね。



(隠)日本時代には「南洋神社」という神社があった。この背面の丘の上に社殿があったんだね。



(隠)そこには今は州議会の建物があるけど、昔の灯篭も保存されている。この右側には、日本の戦没者慰霊碑もあったよ。
(熊)ここでも戦争があったんですね。
(隠)アメリカ軍はヤップに上陸はしなかったが、激しい空襲と艦砲射撃があったそうだ。

ブログ連歌(231)

4599 凍み豆腐 雪の晴れ間の 家内職 (みどり)
4600  名は寒けれど 滋味深くして (建世)
4601 パラオとは どこか懐かしき 響きあり (うたのすけ)
4602  色は黒いが 南洋じゃ美人 (建世)
4603 嫁入りの 棕櫚を梳く技 親ゆずり (みどり)
4604  南の島は 冬日を知らず (建世)
4605 白鵬も 一敗しまして 人間味
4606  稀勢の里戦 凄い形相 (うたのすけ)
4607 国籍を 感じさせない 語り口
4608  世界融和か 土俵は丸く (建世) 
4609 白唖然 稀勢は憮然で 場は白け (うたのすけ)
4610  負けは負けでも 首をかしげて (建世)
4611 地球儀を 縦に辿って 雪の中
4612  肌には残る 珊瑚の記憶 (建世)
4613 残雪の 家並みの陰に 凍りつく
4614  南洋の旅 現なりしも (みどり)
4615 何となく 南方便りに 郷愁が (うたのすけ)
4616  ここかも知れぬ 日本のルーツ (建世)
4617 常夏の 自然豊かに 恵まれて (ハムハム) 
4618  そこにも残る 戦争の跡 (建世)
4619 反日で ないのがせめての 救いなり (うたのすけ)
4620  民の暮らしは 自然とともに (建世)

ヤップ島へ行ってきた(2)

(熊さん)ところで、suyapさんて、どんな人なんです?
(ご隠居)見ての通りの人だよ。suyapさんは、Nature's Wayというダイビングを含む観光案内の会社をやっていて、左にいるのは事務所の店番をしてるジナちゃんだ。suyapさんは、ヤップに来てもう22年目になるそうだ。



(隠)ヤップに来たのは、ダイビングが動機だったようだ。そのsuyapさんが、2005年の末からブログで発信を始めた原点になったのは、これを読むとわかる。じつは私も帰国してから読んで思い当ったんだけどね。
http://suyap.exblog.jp/2350980/
(熊)ふーん、なるほどね。
(隠)深夜に空港で出迎えてもらって、翌日のランチからおつきあいが始まった。でもこれはブログ友としてだから無料だと、そういうところは、はっきりしてて気持がいい。ランチしながら、高江洲先生から頼まれてた「花の名さがし」の謎を持ち出したら、たちどころに解決したのは、さすがに現地にいる人はすごいと思ったね。
(熊)あの「基地を笑う」を見に行った沖縄の先生の依頼ですね。
(隠)2007年に日本にも来た台風9号の国際名はFITOWだったが、その花は何の木の、どんな花なのか、ミクロネシア大使館に聞いてもよくわからなかったということだ。それは沖縄にもあるテリハボクの花のことで、木の名はbiyoch(ビヨッチ)、花はfitow(フィトウ)という。しかも、その木がレストランのすぐ前にあって、おまけに花も咲いてたんだから話が早かったよ。ミクロネシアでは島ごとに言葉が違うから、大使館でも明快な答えができなかったんだろうね。
(熊)世界は広いや。行って見なくちゃ本当のことはわからんか。
(隠)一事が万事だよ。





ヤップ島へ行ってきた(1)

(熊さん)ご隠居、ヤップ島から、なんとか無事に帰ってきましたね。東京はこの三日えらく寒かったから、避寒旅行としたら当りだね。こういうのは「年寄りの冷や水」じゃなくて「年寄りの冷え逃げ」って言うのかね。
(ご隠居)うん、陽気としちゃ、わしの大好きな「猛暑ではない夏日」の連続だったな。海洋性気候だから、温度は28度から29度ぐらいで、貿易風の東風がずっと吹いてるんだ。海の水も28度ぐらいで全然冷たくない。わしの体には合ってる感じだったな。電話で連れ合いに話したら「ずっといたら」だってさ。これには参った。
(熊)それで、どうでした。ろくに準備もしないで出かけたようだけど、収穫はありましたか。
(隠)うん、一度は「南洋」というところへ行ってみたかった、suyapさんにも会ってみたかった、一休みもしたかった。それをみんな叶えたから大当りなんだが、行けばなんとかなるのスキだらけで行ったわけだ。楽しみで行くんならそれでいいが、人間それだけじゃ終らんな。人間と文明の関係はどうなってるんだ、人間を幸せにする文明って何なのだと、えらいデカい問題にぶつかっちまった。
(熊)そりゃまたえらいこっちゃ。suyapさんに何か言われましたか。
(隠)それもある。あの人は世界のゴミみたいな小さな島から、けんめいに叫んで警告している。それがあのブログだし、実際に島でも、いろんな武勇伝があるようだ。世界の動きが一つの島に集約されて見えてくることもあるんだな。その一方で、もちろん頼りになる優秀なガイドだよ。わしは今回はただ一人の客としてsuyapさんを独占することになったわけだ。
(熊)そりゃラッキーでしたね。
(隠)しかし、あまりsuyapさんの紹介に深入りするつもりはない。わしが受け取ったことを報告すればいいと思ってる。「大事なことは、わかったら変ることです」と彼女も言ってたよ。うまく行くかどうか、潮の流れのようなものかもしれんが、やってみよう。



宿泊したE.S.Aベイビューホテルのベランダから見た最初の朝の風景。奥深い入り江は湖水のよう。ニワトリの鳴き声が盛んだった。当地のニワトリは木の上で鳴くとのこと。



suyapさんから差し入れのフルーツバスケット。3種類のバナナとマンゴーとオレンジで、毎日の朝食はこの上ない健康食、体調は万全だった。籠も椰子の葉の手製で、使い捨ての肥料になる。



対岸から見たホテル。手前の水上に張り出したテラスが食堂だった。

八方美人の八方ふさがり

 「八方美人」も「八方塞がり」も広辞苑に出ていますが、この二つを結んだ「八方美人の八方ふさがり」は、まだ熟したことわざとしては認められていないようです。ただし、意味はすぐに理解されるでしょう。誰にもいい顔をして安易な約束をすると、ついには誰からも信用されなくなるという戒めです。野党との「事前協議」をしきりに持ちかけては断られている野田政権の手法を見ていて、そんなことを思いました。
 長かった自民党政権下では、与野党ねじれの時代になっても、あまり見なかった光景のように思います。参議院で法案を通すために妥協することはあっても、最初から衆参無事通過をねらって野党に公然と事前協議を申し入れたという例は記憶にありません。法案を出す前に談合するなら議会は要らないという野党側の言い分に、一理か二理ぐらいはありそうです。
 こうした姿勢は、菅氏の「自民党さんの消費税10%案も参考にさせていただいて……」あたりから目立ってきました。自信がないようで頼りなさを感じたものです。相手を持ち上げる謙譲の美徳は、政権党の党首には似合いません。相手の方がよければ、早く交代したらよかろうということになってしまいます。民主党には、政権に慣れていない未熟さがあるのでしょうか。
 野田政権の場合は、党内に不協和音があるので、さらに複雑です。党外との折衝を先に進めて、その成果で党内を説得しようという意図が透けて見えるから、野党から付け込まれるのです。このままでは与野党の事前協議はほぼ不可能でしょう。そこで本来の「不退転の決意」で中央突破をはかるより他に選択肢はなくなります。退路を断ったから強くなれる、とも言えるのかもしれません。その場合は「八方破れ」の強さでしょうか。
 間もなく始まる国会で、政局は一気に流動化するのでしょうか。先は見通せません。民主党政権の2年間で、今まで不可能だった改革が進んだ面があったことは、忘れてはならないと思います。選挙で政治が変えられることを実証した経験は貴重です。民主党を野党に戻せばいいとは、私は思いません。
 さて、私は明日の早朝からヤップ島への旅に出ます。25日に帰ってきますが、それまでのブログの更新は、お休みとします。時に八方美人と言われる私ですが、原義は「どこから見ても美人」の褒め言葉だったそうです。私のブログは、どっちでしょうね。

比例区の定員削減に反対する

 民主党が用意している衆議院選挙の比例区定員削減案に、当ブログは絶対反対を表明します。これは民主党のマニフェストの中でも、賛成できない公約の筆頭でした。大政党にのみ有利で有権者の選択肢を狭めている今の選挙制度の歪みを、さらに増幅するのが確実な悪法です。
 そもそも細川内閣が政権交代を可能にする政治改革として小選挙区制の導入を決めたとき、細川氏の原案は選挙区と比例区の定員をそれぞれ250名の同数とすることでした。死票が多く極端な結果を生みやすい小選挙区制の欠点を補うためには、せめて半数の比例区を残さなければならないと考えたのです。日本新党を率いた細川氏の経験からしても、第3の新しい政治勢力登場の可能性を閉ざすべきではないと思ったのでしょう。
 しかし政府原案は自民党の激しい抵抗に会い、数合わせの細かいかけひきを繰り返した末に、政権の存続を賭けた細川氏の決断により、選挙区300、比例区200とする妥協で決着しました。同時に決まった政党助成法などとともに、この政治改革は、細川政権が残したほぼ唯一の業績となりました。しかし細川氏は憤懣やる方ない無念の思いをしたということです。政権は一年に満たない短命に終りました。
 200名だった比例区の定員は、2001年から180名に削減されて今に至っています。比例区の定員削減は、代議士の選挙地盤を再編する小選挙区に比べて、ずっと抵抗の少ない安易な削減方法なのです。今回の80名削減をそのまま許せば、細川氏を嘆かせた200名の、そのまた半分にまで減ることになります。これで民意を反映する公正な選挙と言えるでしょうか。
 小選挙区制の導入以来、選挙の投票率は目に見えて低下しました。それに反比例して増えているのが「支持政党なし」の層です。議会へ送りたい人が地元にいなくなってしまった有権者の困惑を表していると見ていいでしょう。せめて意中の党を比例区で応援したいと思っても、定員半減では効果は知れています。選挙がさらに面白くないものになるのは避けられないでしょう。
 激動の予感のする今年以降の選挙が、強制的に二つから一つを選ばせる大政党本位の選挙になるのでは、将来に禍根を残すと思います。国民が納得しない選挙をいくら繰り返しても、出来た政権はまた短命に終るでしょう。拙速の改悪よりは、むしろ最低限の小選挙区5減の違憲対策のみに止め、議会が身を削る改革は、政党助成金の削減を先行させるべきと思います。

表日本・裏日本という語感

 東京は一ヶ月以上も雨がないそうで、今日もおだやかに晴れています。こんな日は屋上から秩父連山がくっきりと見え、関東平野の端まで雲が出ていないのが確認できます。対照的に日本海側では例年以上の積雪だそうで、連日雪の天気予報を聞くと、申し訳ないような気がすることがあります。
 いつかの冬に、新潟から帰路の列車で、清水トンネルで上越国境を越えたとたん、にわかに雲が切れて青空が見えたとき、これで「表日本」に帰ってきたと実感しました。雪国では雪は白くない、鉛色の空から黒い雪が落ちてくる、という誰かの随筆を読んだことがあります。高校時代に妙高山麓の燕温泉へスキー合宿で行ったとき、それが本当であることを体験しました。まだ昭和20年代ですから、濡れた衣類は薪ストーブの周辺に吊るして干すのが日課でした。
 「表日本」という呼称は、明治時代の学術用語から始まり、当初は本州の関東から東海を経て中国地方の瀬戸内海側を指していたということです。しかし時代とともに反対側の「裏日本」が強調されて差別的な語感が生まれてきたようです。表から裏へ行ってみた人が、天候のあまりの格差に驚いて、これは日本の裏側だと思ったのでしょう。しかし、もともと雪国に住んでいる人には迷惑な話です。それで最近は天気予報はもちろん、ふつうの会話でも、ほとんど聞かない言葉になりました。
 狭い日本でも、これほどの気候の格差があり、それは冬に強まります。半年近くを雪とつきあって暮らす人々の気質が、独特の傾向を持つというのもわかる気がします。羽越線のどこかの駅で途中下車して冬の海を見た帰り道、人気のない道で、頭からすっぽりマントをかぶった中年の婦人と行き会いました。あいさつ代わりに「駅へ行くのはこの道でいいんですね」と声をかけたら、返事は「んだ」の一言でした。それが長い会話よりも強く温かい記憶として残っています。
 雨量の分配というだけでも、表と裏ではひどい格差です。それでも人は生まれた土地から大挙して移動しようなどとはしません。カラカラに乾いた東京を「表」だと思うから「裏日本」でした。地球の上のいろいろな格差を超えて、まんべんなく人が住んでいることの意味が、少しわかります。
(追記・昨年の1月31日にも「裏日本という語感」の題で、ほとんど同じ趣旨の記事を書いていました。本人はすっかり忘れておりました。)

ドル札を手にして考えたこと

 旅行用にドルへの両替をしました。今は使いやすいように額面を組み合わせた紙幣のパックが用意されているので便利です。500ドルを4万円足らずで購入しました。金種は1ドルが10枚、10ドルが9枚、50ドルが8枚です。一見して玩具の札のように感じるのは毎度のことです。額面にかかわらず全部が同じサイズというのも、間違えやすくて不便だろうと思います。長さは五千円札とほぼ同じですが、高さは千円札よりもかなり小さい細長で、これが玩具のように感じる原因でしょう。使い残したら円に戻せますが、硬貨は扱わないということでした。
 紙幣としての風格は、どう見ても日本の札の方が上です。千円札にまで透かしを入れているような芸の細かさはありません。偽札の流通が断続的に話題になりますが、基軸通貨として世界に流通しているのですから、末端までの管理には苦労もしているのでしょう。札を並べてみるだけでも、何となく円高に納得しそうになります。
 戦後の1ドル360円時代に、下の姉が何かのコネでアメリカへ行ったことがありました。当時も1ドルは日本の100円ぐらいにしか使えなかった筈で、アメリカの物価はすごく高いというのが土産話でした。帰ってきてしばらくの間は「アメリカでは……」が口ぐせのようになり、聞きあきた家族がだんだん反応しなくなって、姉が少し気の毒に見えたのを覚えています。外貨を持ち出すというのは、当時は厳しく制限された特権みたいなことだったのです。
 ユーロの札というのは見たことがありませんが、今は米ドルと同様に気軽に購入できるのでしょう。ヨーロッパの主要国で共通に使えるのですから、旅行者でなくても、その便利さはわかります。共通通貨の使用という歴史的な実験を成功させたのは偉大なことでした。しかしユーロ圏の拡大を急ぎ過ぎたきらいはなかったでしょうか。通貨だけを先行させて統一しても、経済運営の政治力が不揃いのままだったところに無理があったのでしょう。日米の通貨交換レートの変遷を見ても、それくらいの見当はつきます。
 脱落する国をユーロ圏から退場させることができるか、退場させずに政治的統制の強化ができるか、どちらかの選択を迫られているのが現在の姿でしょう。いずれにしても、紙幣は証券であって通貨そのものではありません。紙幣のいのちは信用です。アメリカの紙幣すべての裏には「IN GOD WE TRUST」と書いてあります。そのアメリカを、世界はいつまで信用するでしょうか。



(追記・考えてみたら「人生ゲーム」のお札も約束として通用するので、政府発行の紙幣と本質的には同じものでした。)

「ベテルギウスの超新星爆発」を読む

 「ベテルギウスの超新星爆発・加速膨張する宇宙の発見」(野本陽代・幻冬舎新書)を読みました。ベテルギウスはオリオン星座三つ星の左上にある赤い星です。この星は晩年を迎えていて、間もなく超新星爆発を起こす可能性が高いのだそうです。間もなくと言っても、それは今年かもしれないし、数十万年後かもしれません。天文学の尺度での「間もなく」です。
 この話を入り口として、この本は天文学の最新知識を要領よく教えてくれます。望遠鏡の発明で始まった天文学は、観測器材の進歩とともに宇宙の実相を次々に明らかにしてきました。それとともに物理学の理論も整備されてきて、天文学が物理学と融合することにより、宇宙の成り立ちを包括的に説明する試みが行われるようになったのです。そして最近のコンピューター技術の活用により、宇宙の新しい姿が現れてきました。それは何と「わからないということがわかった」というものでした。
 ビッグバンが宇宙の始まりであることは、すでに定説になりました。それが爆発であれば、どこかで終る筈です。ところが最新の観測により、遠くの星ほど「加速度的に高速で遠ざかりつつある」ことが確認されました。これは爆発というよりも、強い力に吸い寄せられて分解して行く姿です。このことは、宇宙の総質量のうちで私たちが知っている元素は4%に過ぎず、96%は未知のダークマターとダークエネルギーだという最新の知見と符合しています。
 私はこの本の最終部分を、大腸ガン手術後1年3ヶ月の定期観察を受けた警察病院の待合室で読んだのですが、「驚きと恐怖の間」という章には、止めどなく暴走する宇宙という記述がありました。野田政権が暴走するどころの騒ぎではありません。ガン手術後の検査が「シロ」だったので安心したこととの落差は何なのでしょうか。
 人と生まれて、こういう本を読んで面白がっている。こういうことを生涯かけて研究している人たちがいる。以前に読んだ本では、物質は「反物質」と対になって出来てきたという説がありました。そうであれば、全くの「無」から、無限に大きな質量が生み出されても不思議ではありません。どんなに大きくなろうと、「反物質」と出会わせてやれば、一瞬にして元の「無」に戻すことができます。すべては「なかった」ことになる。赤字国債の発行よりも簡単です。
 宇宙の研究に巨大な労力と費用をかけるのも、人類の止むに止まれぬ本能に根ざしているのでしょう。私たちは、本当は何を知りたいのでしょうか。宇宙そのものが「無」であったなら、私は少しでも今の私と違うものになるでしょうか。

新宿西口と大木晴子さんとヤップ島

 昨夜の新宿西口スタンディングで、2005年秋に放送されたNHK「特報首都圏・摩天楼の下、雑踏の中で−西新宿」を収録したDVDを貰いました。かつての安保闘争で、西口広場フォークゲリラのマドンナだった大木晴子さんが、その後幼稚園の先生として働いたこと、そして2003年のイラク戦争に際して、たった一人で反戦スタンディングを始めた伏線として、パラオへの旅があったことがわかりました。
 パラオは戦前の日本が統治していた「南洋群島」の中心地でした。第一次世界大戦でドイツから奪い、国際連盟から信託統治を認められたもので、作家の中島敦も教師として赴任していた時期があり、南の島の暮らしを題材にした作品を残しています。大木さんはその旅で、パラオで戦没した人の遺族が供養する現場に立会い、戦争の残酷さを実感して、戦争は絶対にいけないと確信しました。
 最初に一人立って意思表示を始めることが、どれほど勇気を要することか、スタンディング歴3年近くになった私には、よくわかります。誰もやらないことを始めるには、我を忘れるほどの内心からの意欲が必要です。それがないと常識を破れません。その源泉が何であったのか、この録画を見てある程度までの理解ができました。
 私はこの週末21日から5日間の予定でヤップ島へ行くので、次回の西口はお休みします。この旅を思い立ったのは、ヤップ在住のsuyapさんから「母系制のすすめ」の記事にコメントをいただいたのがきっかけでした。ヤップの人たちは母系制で暮らしているというのです。suyapさんのブログを見ているうちに、無性にヤップへ行ってみたくなりました。最大の魅力は、そこへ行けば今でも「夏」があることでした。
 ヤップはグアムからパラオへ行く航空便の途中に当ります。パラオはパラオとして独立しており、ヤップはミクロネシア連邦に属しますから国は違うのですが、どちらも旧日本領の中心だった島々です。戦争の影響では、パラオでは激戦が行われたのに対し、ヤップでは本格的な戦闘はありませんでした。しかし旧飛行場などに多少の戦跡が残っているとのことです。
 海外旅行はもうしないつもりだったのに、パスポートを取り直してまで行く目的は何なのか、自分でもうまく説明できませんが、行ってきます。乗り継ぎのグアムでは、アメリカが戦時下にあることを実感させられるでしょうと、suyapさんから予告されています。さて、どうなりますか。

ブログ連歌(230)

4579 横丁で 国を憂える ブログ村
4580  わが身ひとつも 治まらぬ身で (建世)
4581 尿検査 血液検査で 今年もゴー (うたのすけ)
4582  医者から医者へ 順路ができて (建世)
4583 我今朝も 目を覚まし得て 安堵あり (ハムハム)
4584  眠ったままで あの世また良し (うたのすけ)
4585 霞立ち 胡蝶の夢で 遊びつつ
4586  夢は現か 現は夢か (ハムハム)
4587 あの世との 境一面 花畑
4588  行きつ戻りつ 今此処に生き (うたのすけ)
4589 幽けきも 地底の息吹き 水仙花 (みどり)
4590  亡き人に会う 道標に似て (建世)
4591 白日下 原発の危機 暴かれし 
4592  犠牲の人へ 詞碑を捧げん (みどり)  
4593 大臣ちゃ とっかえひっかえ 何なのさ (うたのすけ)
4594  大将首を 守らんがため (建世)
4595 ヒバクシャの 願い虚しく 福島の
4596  被曝犠牲者に 心痛める (霞)
4597 脱獄犯 逮捕で住民 胸を撫で (うたのすけ)
4598  塀の内外 それなりの冬 (建世)
4599 凍み豆腐 雪の晴れ間の 家内職 (みどり)
4600  名は寒けれど 滋味深くして (建世)




原発の全面停止まであと5基・本当の選択はこれから始まる

 今日の夕方から、四国電力の伊方原発2号機が定期検査に入り、出力を低下して深夜には発電を停止します。これで残る稼動中の原発は5基となります。今月中にはさらに東京電力刈羽5号と中国電力島根2号が停止するので、残りは3基となります。この3基は、2月から毎月1基ずつ停止となり、4月下旬の北海道電力泊3号を最後として全面停止が実現します。
 当ブログでは、原発の全面停止に向けて、「原発の全面停止まであと○○基」と、リアルタイムでカウントダウンを表示しています。現在運転中の原発と、定期検査で停止する予定期日の一覧表を更新しました。

北海道電力 泊3号 2012年4月下旬
東京電力 刈羽5号 2012年1月25日
       刈羽6号 2012年3月
関西電力 高浜3号 2012年2月20日
中国電力 島根2号 2012年1月27日
四国電力 伊方2号 2012年1月13日

 当初は非現実的と言われてきた原発の全面停止が、ついに現実となる日が近づいてきました。それまでには運転再開をめざす原発が名乗りを上げてくるでしょうが、ハードルは高いでしょう。もしも1基や2基の原発再開があったとしても、原発なしでも日本の電力事情は破綻しないという事実には大筋で変りはありません。原発ゼロは、やればできる現実の政策なのです。
 それがわかった上で、原発立国というエネルギー政策をどうするかの議論が本当に始まります。当面のコスト高を忍受しても脱原発へと進むのか、進むとしても安全策を施して漸進的に原発を減らすのか、それとも直ちにゼロにすべきなのか、公正な議論で国民合意を得なければなりません。
 その際に注意したいのは、原発は運転を止めただけでは安全にならないという重大な事実です。福島の4号機は、運転停止していたにもかかわらず、電源を失ったら1〜3号機と同様に破綻したのでした。原発の運転ゼロは、脱原発の入り口に過ぎないのです。つまり全基が停止しても、それで安全には、全くならないのです。
 原発の全面停止は大きな一歩ですが、本当の選択はこれから始まるのです。未来のために、私は直ちに廃炉と最終処理に進むべきと考えています。それは新たな重要産業の始まりにもなるでしょう。

「あきらめる」ということ

 先日紹介したDr.鼻メガネさんのブログ記事に、医療でできることとできないことを「明らめる」という記述がありました。もうだめだと諦めるのではなくて、できることを知った上で最善の判断をするという、医師の良心が込められていると思いました。
 「あきらむ」は、漢字が輸入される以前から存在した日本の古い言葉です。夜明けの「あく」や、開いた状態を意味する「あき」「あかるい」なども、すべて同類の言葉でしょう。「あきらむ」も、心を開いた明るい状態が原義だったものに、ものの本体がよく見えてわかることも意味するようになりました。そこから発展して、もうわかったからそれ以上は考えない「諦める」になったのでしょう。
 「呆れる」は、ずっと後からできた言葉のようですが、諦めるの極端な場合に、江戸っ子が使い始めたのかもしれません。ここでは広辞苑をめくった程度にしか調べてないのですが、話にならんから見放すよという語感が伝わってきます。
 さて、呆れることの多い昨今ですが、諦めるを通り越したニュースがいくつも続きました。民主党のマニフェストから原発・エネルギー問題の展開、放射能対策、果ては小沢裁判に至るまで、立場によって何に呆れるのかが微妙に違うところはありますが、想定外のことが起こる世の中です。
 その中で、「諦める」のではなくて、少しでも「明らめる」努力をしようというのが、本エントリーの趣旨です。呆れたら川柳の一つも作って皮肉るのもいいのですが、この日本の国に自分も乗っているのですから、沈没しては元も子もありません。
 世界中で指導者が交代する変動の年になるのだそうです。指導者の交代だったら日本はすでに先進国ですから出遅れる心配はありません。誰の話が信用できるのか、聞きわけるためには諦めたらだめでしょう。「あきらめる」という日本語を大事にしようというお話でした。

自殺者14年連続3万人超という現実

 日本の自殺者数が、14年連続して3万人を超えたとのことです。1998年に前年比で一挙に6千人以上増えて3万人の大台を超えたまま、高止まりして今に至っている異常な事態です。東日本大震災による犠牲者数が、死者・行方不明者合わせて2万人足らずであるのと比べても、非常に大きな問題であるのがわかります。ちなみに近年の交通事故による死者数は年間5千人以下に減っていますから、その6倍もの人たちが自ら死んでいるのです。
 1998年というと、雇用の崩壊による格差の拡大で、社会の貧困化が顕在化した時期です。警察庁の統計は自殺者の職業別を分類していますが、それによると、この年の激増の原因が、無職者、被雇用者、自営業者の自殺増加であるのがわかります。年齢別では、50代をピークとして30代から60代までが多数を占めています。自殺の動機では、健康問題(48%)が最多で、経済・生活問題(22%)、家庭問題(13%)、勤務問題(8%)と続きます。
 これが世界の中ではどうかというと、人口10万人で比較すると日本は24.4人となり、これは主要国の中では高い方になります。日本よりも高いのは韓国とロシアぐらいで、アメリカは日本の半分以下、イギリスは3分の1以下です。福祉の国と言われるスウェーデンでも12.7人ですから、社会政策ですべて解決できる問題ではないでしょうが、日本が住みにくい国になっているのは事実でしょう。
 一般的に政情不安定な国では自殺率が高くなる傾向があるそうですが、民族問題も内戦の危険もない日本が、経済政策の失敗で不安定国家の仲間入りをしてしまうのは残念なことです。現代人の悩みの多くは、経済的救済で解決する場合が多いのではないでしょうか。
 電車の駅のアナウンスで、「人身事故のため運転を休止しています」と聞かされるのが珍しくなくなったのは、やはり1998年あたりからではなかったでしょうか。多くの人に迷惑を及ぼし、鉄道関係者の大きな負担となり、さらに遺族にも鉄道会社への損害賠償など経済的負担を残す悲惨な死に方が、どうして選ばれるのか。そこに至るまでの本人の心の軌跡を思うと暗然とします。  
 本当は、もっとよい死に方をしたかったに違いないのです。そして、よい死に方を考えるのは、よい生き方を考えるのと同じことなのですが。

医者と医療と老人と

 短い正月休みが終って、病院にも、いつも通りの人の流れが出来ていました。高齢になると病院とのつきあいが増えます。健康体のつもりでいた私も、大腸ガン以来、定期観察を受ける身の上になりました。腰痛を診てもらいに行った妻にもつきあって、用心棒を兼ねて案内役がつとまる程度には、院内にくわしくなっています。
 以前は病院とは、特定の病気を治すために行く場所でしたが、定期観察を受けるようになると、病院との関係が継続的なかかわりに変ってきます。病院に行くことが日常生活の一部分になってくると言ってもいいでしょう。そのような老人が、今はむしろ多数派なのかもしれません。老人医療費が社会的な問題になってくるのも、もっともです。
 Dr.鼻メガネさんの「健康で行こう!」は、第一線で活躍中のお医者さんのブログですが、日々の患者とのやりとりや治療の実際について、示唆に富むさまざまな報告や感想が綴られています。年末の「頃合いを見極めるむつかしさ」というエントリーでは、こんな言葉がありました。

……患者さんの中には
生きたいという欲望に振り回され
様々な治療を試すことに汲々とし
大切な時間をそのことだけに費やしてしまう人もいる

 というのです。この前段には、乳がんの患者さんの中で、癌と戦う姿勢のある人よりも、従容として癌を受け入れた人の方が生命予後が悪くなるという報告もある、と記述されていました。生きる執念が患者を強くするのでしょうか。しかし、と話は続いて上記の文になります。そして……

何とかして何とかなることと
何ともならないこと
そこを明らめる
ということが大切なんだろうけど
誰にとっても難しい

 と続けて終っています。誰にとっても難しいのですから、医師にも難しいのです。いのちを守るのが医療の目的ですが、守られる患者は何のために生きたいのでしょうか。死にたくないだけの患者よりも、何のために生きたいかを自分の言葉で語れる患者が「強い患者」ではないのか、そういう患者に対すれば医師も強くなれるのではないか。そんなことを考えました。


ブログ連歌(229)

4559 永田町 風雲急の 予感あり (建世)
4560  されど援軍 未だ至らず (霞)
4561 民の声 暮らしの嘆き 届かざり (みどり)
4562  心は走る 次の選挙に (建世) 
4563 また選挙 今度は誰に 投じたら (うたのすけ)
4564  聖人君子と 望まぬものの (建世)
4565 気もなえる 明けてそろそろ 医者通い (うたのすけ)
4566  無事に通院 できる仕合わせ (建世)
4567 検診日 街の移ろい 眺めゆく (みどり)
4568  高齢時代の 通過儀礼か (建世) 
4569 定期的 内科皮膚科に 泌尿器科
4570  いっそトボケて あらえっささあー (うたのすけ)
4571 終着は みんな知ってて 生きている (建世)
4572  悪人正機 人間らしく (ハムハム)
4572B  いつたどり着くかは 知らねども (hana)
4573 終着の 駅は同時に 始発駅
4574  生れ変って ははのん気だね (うたのすけ)
4575 いつまでも 輪廻のように 山手線
4576  当てなく乗ってた 日もあったっけ (建世)
4577 盗人も 天下国家を 口にする
4578  如何にいわんや 善人をやで (玉宗)
4579 横丁で 国を憂える ブログ村
4580  わが身ひとつも 治まらぬ身で (建世)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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