志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2012年05月

海部俊樹の「政治とカネ」を読む

 「政治とカネ」(海部俊樹・新潮新書)を読みました。タイトルはきついのですが、首相経験者による上質の回顧録で、釜石へ行く新幹線の車中で読みました。小沢一郎との深いかかわりも経験しており、その面での興味もありました。
 海部氏が首相になったのは平成元年(1989年)、リクルート事件で自民党の大物政治家が軒並み名を連ねて資格を失い、他に誰もいないという消去法で「クリーン三木の愛弟子」と言われた海部氏が押し出されたのでした。その登場は、三木武夫の場合と非常によく似ており、のちに「三木おろし」の嵐で退陣するまでもが似ていたのでした。海部氏が「今だから話そう」と言うのは、日本政治の根幹にかかわる金権体質の実際を報告し、将来への戒めとするためです。
 師匠の三木氏は「政治家は庶民の持たない大きな権力と情報を握っているが、それを自分のためでなく民のために使うべし」を政治信条にしていたということです。しかし実際の政治ではカネを使わなければ地位は手に入りません。三木氏も総裁選に挑戦してカネは使った、しかし使い方が足りなかったので当選するまでの票は得られなかったと、率直に回想しています。
 それでも運の回り合わせでチャンスを得ることがある。三木氏にも海部氏にも、一度ずつチャンスがありました。海部氏は自らの手で総選挙を戦い、勝利して首相に再任されたことがあります。そのとき「二日間で80億円使った」という話が流れたが、あの数字はその通りだったと打ち明けています。ただし当時の政治資金としては合法的であったということです。
 三木氏と海部氏の残した業績としては、前者が「政権交代可能な選挙制度」、後者が「政治資金の規正と公的助成による透明化」として今に至っています。しかしワンポイントの役目が終了すれば、クリーン改革路線は旧勢力からの巻き返しにさらされます。最後は総理の権限をもってしても打開できない包囲網の中で辞任に追い込まれるという筋書きでした。
 その後海部氏は、小沢氏と組んで「新進党」を結成するなど、政治改革の道を模索しました。その経験を通しての小沢一郎評は、多くの示唆に富んでいます。非常に有能で新しい形を作るが、これからというときに、自分の意思が100%通らないと思うと急に「壊し」にかかる。つきあっていて非常に疲れたという総括でした。
 その他、歴代総理の人物評など納得できる部分が多く、日本の政界の実体を知る上で非常に参考になる本でした。

釜石と遠野の旅

 釜石の蠶電直ε垢凌傾場披露式に行ってきました。津波で大槌の工場を失ってから1年あまり、移転先についても計画変更の経緯がありましたが、市のあっせんもあって、釜石北高校の跡地を中心とする新開発地区の一角を占めることができました。ここも1.5メートルの津波が来たところですが、再建は急がなければなりません。
 旧工場よりもやや狭くなりましたが、新鋭の水産加工工場が稼動を始めていました。検査室には放射線検出装置も完備しています。社員数は6割程度で、旧社員の希望者は全員が復職を果たしたということです。ちょっと意外に思ったのは、当面のネックが労働力の確保だという話でした。周辺地域住民の生活が落ち着かないと、働く人を集めるのも難しいようです。
 披露式では、市長はじめ業界関係者の祝辞などがあり、今までよく知らなかった企業としての津田商店についての知識が得られました。学校給食への食材提供でも信頼されていて、復活が待たれていたのでした。「極洋」のブランドで出ている缶詰に製品が出ていることも、今回初めて知りました。
 私は創業家の三女と大学で同期だったことからおつきあいが始まったのですが、当人は旅行中で欠席、私は宴席では津田家のテーブルについて歓談という、ちょっと珍妙で楽しい集まりでした。
 帰り道、少し時間ができたので釜石線遠野の駅で途中下車しました。フリーな散策で、早瀬川の河川敷に入ると、タンポポの綿毛が雪のように舞っていました。「河童伝承館」の矢印がありましたが、よく見ると「4km」なのであきらめ、木造りを強調した「大工町」を通って「民話の家」を訪ね、ライブの遠野民話を聞くことができました。
 語り部のおばあさんが、交代で毎日数回の語りをしてくれるのです。囲炉裏を囲んで、いろいろな雑談にも応じてくれて、お話はなんでも「どんと晴れ」で終るのでした。

火曜日まで釜石へ行ってきます

 明日28日から29日まで、釜石の蠶電直ε后復興新工場の披露会への出席を兼ねて、撮影取材に行ってきます。

沖縄の絶望と希望

 昨夜の老人党護憲+の例会では、宮古島出身の活動家、太田武二氏の話を聞きました。「沖縄の現状と課題」がテーマでしたが、沖縄の本土復帰から40年、日本の平和憲法の統治下に入れるという期待は裏切られの連続で、事態はすますま悪くなる一方に見える。ヤマトの言葉にすれば「ふざけるな、バカヤロー」と言いたいことばかりだというお話でした。
 しかしご当人は歴戦の闘士に特有の柔らかい人当たりで、会の終りには宮古の民謡も歌って下さり、三線(さんしん)がないのを残念がるようなお人がらでした。また、連合加盟の「新運転」東京地本の書記長でもあるのでした。新運転は、日本には珍しい産業別労組の一つで、組合員をトラツク、タクシー業界に派遣する業務を行っています。今の業界で労働者の自主的な組織が生き残っているのは偉大なことです。高速バスの運転にも進出できていたら、関越道の居眠り事故は防げたかもしれません。
 知らずにいた話をいろいろ聞けた中で印象的だったのは、1971年の「沖縄国会」で佐藤栄作総理の演説中に、沖縄青年同盟の3名が傍聴席で爆竹を鳴らし、沖縄処分反対のビラをまいた事件でした。この中の一人が太田さんかと思い、今朝電話で確認したところ、自分ではないが仲間だったということでした。この裁判のとき、被告たちが「うちなーぐち」で話し始めたため、理解できない法廷が大混乱に陥ったという記録が残っています。
 琉球人と日本との関係を大きな流れとして見ると、琉球の自主独立をめざす運動は「本土復帰」運動に吸収され、原動力の一つになった。そして40年が経過した今、結局よいことは一つもなかった。この上、憲法さえも変えるようなら、第1条は除いて憲法は沖縄へ持っていって、歴史的な全方位中立の非武装の島国にもどりたい、ということになります。
 しかし、生きているうちにそれが実現する気配はない。だから絶望です。そうすると希望はどこから生まれてくるのか。ここから先は私の推測が入りますが、たぶん絶望そのものが希望なのです。沖縄が期待した一つの幻想が消えたことは、日本国からも幻想が消えたことを意味します。そこから本土と沖縄との連帯が生まれないでしょうか。
 冗談のような一つのヒントがありました。「基地の外で手をつないだってだめだ。基地の中に5人ぐらいで入ったら捕まるだけだけど、千人万人の単位で入ったら、捕まえ切れなくて基地の方が出て行くさー。」
(参考資料)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55594025.html
http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/

ブログ連歌(255)

5079 三敗で いざ出陣の 三力士 (うたのすけ)
5080  土俵の上は 乱世も可なり (建世)
5081 若さにも 負けぬ鍛錬 手に賜杯 (みどり)
5082  大関六人 平にご容赦 (建世)
5083 波乱場所 琴欧洲が 締めくくり (うたのすけ)
5084  姿も見せず 立役者とは (建世) 
5085 金環の 観測ニッポン 良き日本 (うたのすけ)
5086  黒丸よりも 日の丸優り (建世)
5087 日本の 粋を集めて そびえ立ち (うたのすけ)
5088  雲の彼方か 武蔵はいずこ (建世)
5089 富士の嶺 雪解のふもと 騒がしき (みどり)
5090  あたしゃそれでも 東京タワー (うたのすけ)
5091 高いばかりで 威張るなツリー
5092  神代も見ていた 富士の山 (建世)
5093 田に早苗 軒に子つばめ 空に富士 (みどり)
5094  原発廃炉で 新生ニッポン (うたのすけ)
5095 憂さ晴らし ニッポンコール 五輪年 (建世)
5096  何年先かと 気が遠くなり (うたのすけ)
5097 消費税 貧困層に 過重なり
5098  知るや知らずや 五輪の招致 (みどり)
5099 テレビでは 近い五輪が 花ざかり
5100  明日が見えぬ 漂流ニッポン (建世)

勉強はゲームよりも面白い

 子供にとってゲームは勉強よりも面白いのは常識でしょうが、そんな常識を持つ前の1歳半の孫は、漢字のビデオが最高の気に入りになりました。次から次へ新しい字が出てきて飽きることがなく、覚えた字を新聞や町の看板などに見つけて読むと、大人が驚いて褒めてくれるのですから、とても気分がよかったに違いありません。当時の孫にとって、いちばん面白いことが漢字を覚えることだったのは疑う余地がないと思います。そんな孫に「お勉強が好きで偉いね」と言っても、何のことか理解できなかったことでしょう。
 知識を増やし課題を解いて次の段階へ行くのは楽しいものです。それを人工的に設定したものがゲームと考えると、勉強とゲームの境界は、あいまいになります。「教育ゲーム」と言われるものが成り立つゆえんでしょう。ただし戦争やスポーツゲームの魅力には他の要素もありそうですから、ここではそれらは別とします。
 人は自己の領域を自力で広げられたと思えるときに幸せを感じます。これはゲームでも勉強でも同じことです。すると、ゲームと勉強と、どちらが奥深くて自分の利益にもつながるかというと、文句なしに勉強の方が上位にきます。ゲームの長所は、ちょうどよい加減の難度を設けて、解いた達成感を刺激するよう計算して作ってある点だけです。
 私もゲームは嫌いではありません。ルーピツク・キューブ(9面)が流行したときには、3ヶ月ほどかけて自力で完成法を編み出しました。偶然の進展から新しい法則を発見するといった作業の積み重ねで到達しました。ファミコンでは、これまた膨大な時間をかけて「バベルの塔」の表と裏の全過程をリクアすることができました。証拠として全部をビデオテープに収録して保存してあります。しかしある時期から興味が薄くなり、インターネットでブログを始めてからは、ゲームは無意味な時間つぶしと思うようになりました。
 結論として得られるのは、「人は生まれながらにして勉強を好む性質があり、勉強が嫌いになるのは、教え方が下手か、学ぶ喜びを妨げる障害がある場合に限られる」という楽天的な命題になります。一時はこれを「社是」として教育産業に乗り出す意気込みだったのですが、世の中それほど甘くはありません。教材制作というのは利益を出しにくい仕事です。よいものが出来ても、同じ人は二度と同じものを買ってくれません。産業の規模としては、名前の割りに小さいものなのです。
 しかし「人は生まれながらにして勉強を好む性質がある」というのは、まぎれもない事実だと思います。そうでなければ文化・文明の発達が説明できません。それで人類がどこへ行くのかは知りませんが、より高い、広い世界へ出て行きたがる性質を内蔵しているのは確かなことです。


幼児は記憶の天才

 幼児の記憶力が大人の常識を超えているのは事実のようです。以前に見たNHKスペシャルでは、新生児が母親の顔を識別する能力をとりあげていました。それは生後4ヶ月から発現するということでした。また、脳細胞で記憶にに関わるシナプスの結合は、生後8ヶ月で生涯の最高レベルに達するとの研究もあります。人間として生存し成長するために、猛烈な速度で記憶を貯めているのでしょう。その基礎的な記憶の中に、学習的な記憶が混入すると、天才的な現象になるのではないでしょうか。
 長女が育つ中でも、それに似たことがありました。満1歳で歩き始める前後のことです。童謡絵本という10冊ほどの大好きなシリーズがあって、妻がそれを使って歌を聞かせていたところ、妻が本を持たずに歌を歌うと、その歌が載っている絵本を拾ってくるようになったのです。私も言われて現場を見たのですが、歌が始まるとすぐに、迷わず該当する本を持ってきました。デザインの差の少ない裏表紙にして、大人にはわからない状態にしても、全く影響されない確信的な正確さでした。
 神かがり的な特殊能力とも思えた記憶力も、今にして思えば母親の歌声と結びついた「生きるために必要な記憶」の一部分だったのかもしれません。この子は長じて幼稚園に通うようになったとき、どの先生からも親身に可愛がってもらったのですが、今の本人は、幼稚園時代のことは何一つ覚えていないと言っています。1歳のときの記憶力が、いわゆる学習的な能力の発揮とは性質の違うものであったことは確かだと思います。
 それでは1歳半の孫が漢字を覚えたのは何だったのでしょうか。本人に学習の意識がなかったのは確実です。ただ面白いと思ったビデオを繰り返して見るうちに、字の形と、それに伴う読み方を覚えてしまった。そこまでなら、オウムが言葉をまねるのと大差なかったかもしれません。しかしビデオを離れて、町の看板の中に知っている字があるのに気がついて口にすると、大人が驚いて褒めてくれた。それでますますビデオを見るのが楽しくなった、ということはありそうです。
 さらに間もなく大人が漢字の一覧表を壁に貼ったりしましたから、覚えたことを忘れるヒマがなくなりました。期せずして学習の初歩を身につける得をしたわけです。それでも私たちは、1年生の漢字80字を覚えてしまった孫に、たとえば2年生の漢字を教えようとはしませんでした。2年生の漢字をビデオにすることも考えませんでした。2年生以上は、本と書き取りで覚えた方が効率的と思ったからです。ファンからの要望により「2年生の漢字」をビデオにしたのは、ごく近年のことになりました。

漢字はひらがなよりも覚えやすい

 NiKK(にっく映像)のビデオを作りはじめたころ、最大の恩恵を受けたのは、当時1歳半だった最初の孫かもしれません。「おぼえちゃおう!」シリーズで「九九」「ひらがな」に続いて出したのが「一年生の漢字」でした。一年生の漢字は80字ありますが、これを27字と26字の3巻に分け、それぞれ20分程度のビデオにしたのです。漢字をビデオにすれば子供に合うだろうという予感がありました。
 「一年生の漢字(1)」の最初は「大」の字でした。小人の国のガリバーが足を開いて立ち、両手を横に広げると「大」の字に変って行き、それに合わせて「だい」とアナウンスが入り、「おおきい」とつづけます。アナウンスは必要最少限にとどめました。雰囲気づくりのお芝居などは、繰り返して見る場合は邪魔になるだろうと思ったのです。しかし文字の処理の仕方などは、知恵をしぼってアイディアを出し合い、楽しみながら作りました。
 こうして出来たばかりの漢字のビデオを見て、いちばん喜んだのが1歳半の孫でした。見終わると、まだ回らぬ口で「もっかい」と催促するのです。連続して何回でも同じものを見て飽きることがありませんでした。2巻目でも3巻目でも同様でした。そして結果としてある日、80字の漢字のどれでも読めて、音読みも訓読みもできるようになっているのに気がついた大人が驚いたのは、満2歳になる前でした。
 「ひらがな」のビデオも、やや遅れて見るようになり、幼稚園に行くまでには覚え切ったのですが、漢字のビデオほどに熱心ではありませんでした。居間で孫と並んでビデオを見ながら感じたのですが、曲線の組み合わせばかりの「ひらがな」は面白くありません。漢字よりも覚えにくいのは、むしろ当然だという気がしました。
 こうして育った最初の孫ですが、もちろん神童でも何でもないただの人になりました。ただし小学校の低学年では読み書きに不自由することなく、先生にいつも褒められる生徒だったようです。彼のビデオ好きは、機器の操作への適応力として身につき、映像・音声関連の仕事への傾斜となって今に至っています。
 しかし、孫のすべてがビデオ好きにはなりませんでした。あとの二人は相性がないらしく、ビデオをかけておいても、いつの間にかいなくなってしまったそうです。遊びとしてのビデオは、意識的な勉強とは違う次元で魅力的だったのでしょう。最初の孫の場合は、幸運な出会いでした。ですからわが家の場合は3分の1の成功例ということになります。
(追記・「一年生の漢字」は、その後80字を一巻にまとめた「かんじ・入門編」として販売されています。)

志村式就寝前体操レシピ

 思いついたらすぐやってみる主義で、私の就寝前体操を紹介してみます。40代半ばで急性の腰痛を発症して以来、医者の勧めや各種の健康記事、テレビ番組などの情報も取り入れて独自に構成してきました。ですから、もう30年以上も改良を重ねて今に至っているものです。
 動画や図解を使えばわかりやすいでしょうが、ここでは言葉だけで説明してみます。順次に体を動かしながら実感していただければ幸いです。
 .ーペット上に横たわり、両膝を胸に引き寄せ、両手で左右から引いて股関節を開閉します。(5回)
◆‖を伸ばしてから、背中は床につけたまま、右、左の膝を交互に反対方向へ投げ出すようにして腰を捻転させます。(5往復)
 両膝を立て、上体を起こして臍を覗くようにします。背中のまん中で床を押す感覚です。(10回)
ぁ[ち上がり、肩の高さで両手を柱(または壁)に突き、左足を前に出して腰の力で柱を押します。(8回ごとに足を変えて合計32回)
ァ‖裏の全面を床につけて立ち、両手は前に水平に出し、膝を折って体を上下します。(なるべく反動を使わず、上体を立てたまま10回)
Α,屬蕾爾り棒で体が前後にゆっくり30回揺れる間。(5年ほど前までは完全に足を離して20回でしたが、今は軽く足をつけて30回です)
А.ーペットにもどり、うつ伏せの形で両手を立て、頭も上げて背中を反らす体型を30秒。
─ゞ銚けになり、左足先を右手で?み、膝を曲げずに30秒。その逆も30秒。
 腰を上げ、足と肩で支えるブリッジ型で30秒。
 逆に尻を床に、足と上体を浮かして30秒。(ズボンの膝を?んで強度を軽減しています)
 最後に椅子に浅く腰掛け、足を左右に限界まで開いて「貧乏ゆすり」を1分間行います。これは最近取り入れたもので、股関節の老化防止に良いそうです。
 上記の他に、間に入れる整理体操的な軽い動きがあるのですが省略しました。一見すると大変そうに思えるかもしれませんが、10分ちょっとの所要時間です。きつい種目があったら、無理せず徐々に慣れればいいのではないでしょうか。一つでも二つでも、気に入ったものがあればやってみるのでいいと思います。要は自分で納得して続けることです。
 とにかく私は、これが出来ている間は自分は大丈夫だと思えるのです。以上、私の体操レシピのご紹介でした。

悔いを残さない生き方

 先日の18日に満79歳になりました。最近入ってみたFacebookは実名主義だそうで、基礎データには書式に従って生年月日も記入したところ、複数の方から誕生日の祝詞を頂きました。ブログとは少し勝手の違うFacebookのとのつきあい方を、まだ入口でさぐっているところです。限られた時間の中ですから、当分は使いなれたブログを中心にして行こうと思っています。
 家では孫たちが中学生になるあたりから、誕生日祝いが家族の共通イベントでなくなってきました。以前から大人の誕生日はあまり特別扱いされていなかったので、特別の感慨もありません。しかしあと1年で80歳の大台かと思うと、さすがに自分が老人の仲間であることを意識せざるをえません。そこで悔いを残さない生き方をしようと大決心を固めた、というと表題にふさわしいのですが、そんな派手な話ではないのです。
 昨夜の、ほんの小さな心の動きでした。やや遅い時間に入浴してカルピスを一杯飲んで、そこで就寝前の体操をするかどうかが決まります。以前は「打率8割以上」を自慢にしていましたが、長い距離を歩いたから今日は運動はできているとか、少し疲れたから面倒だとか、理由がついて休むのが増え、今年に入って6割ぐらいに打率が落ちていました。
 体操をするかしないかは、居間のカーペーットの上に体を寝かせるかどうかで決まります。そこから片足ずつ脚を引き上げ、次いで下半身の左右捻転へと、腰痛体操を基本として自分なりにアレンジした12分程度の、ストレッチとぶら下がり、壁押し筋トレなどを組み合わせたコースが始まるのです。始まってしまえば次の動作に行く習慣がついていますから、中断することはめったにありません。
 ですから最初に決断して「今日はやる」と決めるところが大事なのです。それはわかっていたのですが、昨夜ふと考えたのは、「体操をサボって後悔したことはあるが、体操をして後悔したことはないな」ということでした。昼間に腰に鈍痛がきているのを感じたりするとき、体操をサボった翌日だといやな気がしますが、体操をしたので疲れが残っているなどと感じたことはありません。
 昨夜、その気づきが妙に新鮮だったのです。私の父親は元気な人でしたが、80歳あたりから毎晩やっていた健康法を休むようになり、老人らしくなって行きました。私は父には負けたくないと思っています。ですから当面79歳の一年間、寝る前の体操は特段の理由がない限り、休まないことに決めました。それをわざわざブログに書いたのも、自分で決めたことを守るためです。読者の皆さま、おつきあいありがとうございました。

孫崎享「不愉快な現実」を読む(3)

 領土問題を国際紛争にしない知恵についても語られていますが、一つだけ例をあげると、戦後ドイツの平和外交があります。ドイツはフランスと歴史的な敵対関係を繰り返し、第二次大戦後はアルザス・ロレーヌ地方を失いました。これは九州の7割ぐらいの広さで、石炭・鉄鋼の産地です。ふつうなら失地回復の主張をするところですが、「二度と戦争はしない」決意のもとに、独仏両国は「欧州石炭鉄鋼共同体」の設立に合意しました。これが後のEUにまで発展したのです。
 さらにドイツはブラントの「東方外交」によって、父祖の地である東プロイセンを含む広大な領土の放棄を意味するオーデル・ナイセ線の承認を行いました。東ヨーロッパに脅威を与える国にならないことを自ら明確にしたのです。戦争をしないヨーロッパを作り上げる上で、ドイツは最大の功労者となりました。
 第二次世界大戦で世界が学んだのは、もはや地球上に採算のとれる戦争はないということでした。採算を度外視しても戦わなければならないのは、自国の存立が脅かされる場合だけです。アメリカが恐れたのは「共産主義の輸出によるソ連の世界制覇」でしたが、それも過去のものになりました。中国も自国の政治体制を輸出しようとはしていません。残るのは資源確保を含む経済競争と、国際的不公正に起因する非正規勢力のテロ活動だけです。
 アジアの将来については、著者はASEANから学ぶことが多いと説いています。10ヶ国5億人を擁するこの連合は、さまざまな民族、宗教を含みながらも平和共存を必要としています。ここに日本、中国、韓国が加わるASEAN+3、そしてその先の「東アジア共同体」に、著者は多くの可能性を見ています。
 ASEAN域内には、所属が不明確な諸島の存在など紛争の種も多いのですが、国際紛争は平和的な手段で解決するとの合意が成り立っています。この原則は、東アジア共同体にも拡大すべきものです。平和的相互依存関係が成り立っている国家間では戦争は起こりにくく、紛争があっても拡大しない力学が働きます。東アジア共同体の成立をアメリカは好まないでしょうが、日本の国益に沿って行動することは、独立国としての第一歩になるでしょう。
 前著「日米同盟の正体」のときにも書いたことですが、私は日本の憲法は外交の表看板として使えると思っています。国際紛争は武力によらない方法で解決するという原則は、世界各国が採用すべきなのです。世界の外交から、軍事力の役割を小さくして行く「平和先進国」であり続けられれば、それは不愉快どころか「愉快な現実」と呼ぶべきでしょう。

孫崎享「不愉快な現実」を読む(2)

 この本で述べられている文脈は明快でわかりやすく、論拠となる各種の資料も充実しています。先入観なしに読み進めれば、日本が平和的な福祉国家として生き残る方法は、疑問の余地なく理解できるように書かれています。だから余計な解説は不要なのですが、他ではあまり見かけない重要な事項があるので、少し紹介しておきましょう。
 まず、オフショアー・バランシングという難しげな概念が出てきます。これはアメリカから見た海外における力の配分ということで、アジアに当てはめれば、日本という「持ち駒の使い道」もその中に含まれます。そして基本的に、本国にとってもっとも有利に持ち駒を使うことが大切なので、日本で信じられているような「民主主義の共通の価値観に結ばれた盟友」論は、少数派だというのです。これは少し考えれば、当然中の当然のことです。
 中国の軍事力増強が、もはや止められないことはアメリカも承知しています。日本・韓国・台湾の同盟国を束ねたとしても、沖縄を含む「第1次列島線」の中に中国を封じ込める戦略は、非現実的になってきました。そこでマリアナ、グアムの「第2次列島線」に主力の移動を始めたのが現状です。日本は前方に取り残されるのを覚悟しなければなりません。
 その場合、日本が自力で中国の軍事力に対抗するには、軍事予算を10倍に増やさなければなりません。それでも日本ほどミサイル攻撃に弱い国はありません。アメリカの核の傘も、もはや無効になっています。アジアの局地紛争のために、アメリカが中国との全面核戦争の危険を冒すことは、ありえないからです。
 次に、戦争をすれば必敗なので紛争の種は注意して扱わなければなりませんが、日本は中国とは尖閣、韓国とは竹島、ロシアとは北方領土という領土問題を抱えています。領土問題は、一方が得れば一方が失うゼロサムの関係で、もっとも戦争を招きやすい問題です。ここでまた日本で特徴的に、「相手側の立場をよく知らない」ということがあります。相手側が何を根拠にしているのかを知らなければ、交渉は成り立ちません。そしてまた、国家間には、末端領土の決着よりも大事なことがあるのを知らなければなりません。実効支配とは別次元の「棚上げ」で、問題を小さくする方法もあるのです。
 自国の立場のみを強調する世論喚起は、外交の幅を狭くして停滞させます。被害者意識と他国への敵愾心は、国を誤らせる危険をはらんでいるのです。

ブログ連歌(254)

5059 これからは 水杯で 旅立ちか 
5060  無法バスに 呆れたホテル (うたのすけ)
5061 広島に 別れの茶屋と 言いしあり
5062  旅は別れの 始まりという (霞)
5063 踏み行けば 出会いの峠 あらざるや (建世)
5064  千に一つの 僥倖願う (うたのすけ)
5065 連綿と 続く不幸に ただ涙 (みどり)
5066  音なく濡れて みどり雨降る (建世)
5067 世間には 性懲りなくの 言葉あり (うたのすけ)
5068  原発だけは 忘れようなし (建世)
5068B  刃突き刺す 無慚な仕打ち (みどり)
5069 九九ビデオ さんざ苦労も 懐かしく
5070  夢追い人の 創業のころ (建世)
5071 独立の 理想に賭ける こころざし (みどり)
5072  食い散らかしの 一面もあり (建世)
5073 白鵬が 優勝すれば 八方丸く
5074  それぞれのファン 黙して納得 (うたのすけ)
5075 世事は考えず 悩みながらと 言訳し控訴する
5076  人物破壊に手をかす 指定弁護士 (静游)
5077 国際化 先取り相撲 終盤へ (建世)
5078  締めはやっぱり さすが白鵬 (うたのすけ)
5079 三敗で いざ出陣の 三力士 (うたのすけ)
5080  土俵の上は 乱世も可なり (建世)

孫崎享「不愉快な現実」を読む(1)

 これは掛け値なしに現代日本人必読の書です。「中国の大国化、米国の戦略転換」という副題をつけた講談社現代新書2149番、税別760円です。孫崎享(うける)氏は以前に「日米同盟の正体」を書いており、当ブログでも紹介しましたが、事態は当時よりもさらに切迫してきました。いま覚醒しなければ、日本は誤った道へ進むことになります。それでは大きな犠牲を払った中から復興をとげた戦後日本の成果を、すべて無に帰することになります。
 不愉快な現実とは副題にある通りですが、要は
|羚颪牢屬發覆アメリカと並ぶ大国になる
▲▲瓮螢は中国との関係を第一とし日本を重視しなくなる
F本は中国と戦ったら勝ち目はない
て中間に紛争が起きてもアメリカは日本を助けない
ということです。ただし私はこれらを当然の現実と思っていますから、少しも不愉快ではありません。しかし孫崎氏は、大方の日本人は自分の言うことを不愉快に感じて無視しようとするだろう。自分の考える政策が採用される可能性は、次の次の次の政権でも絶望的と思われると、悲観的な見通しを述べています。それでもこの本を出したのは、国の進路を論理的に考えられる人を少しでも増やしたいからだというのです。
 上記の4項目の状況判断から導かれる対策は、どのようなものでしょうか。複数の進路を想定して、どれが好ましいか比較検討するのが常識ですが、これまでの日本外交には、そのような比較検討の習慣が皆無でした。早く言えばアメリカの傘の下で、言われた通りのことをしてきたのが日本の「外交」であったのです。他に選択の余地がないというのが言い訳でした。4項目を不愉快と感じるのは、中国がアメリカと対等以上になるなどありえない、民主主義国同士の日米同盟は不動である、アメリカの後ろ盾があるから軍事的にも中国に負けることはない、と思い込んでいたからです。
 アメリカと中国とが、相互に戦争できないほど経済的依存関係を深めているのは事実です。孫崎氏はその指標に輸出額の百分率を用いています。つまり「ウチの品物を買ってくれるお客さんとはケンカできない」のです。そしてGDPで中国がアメリカを抜くのは時間の問題になってきました。人口では4倍ありますから一人当りでは貧しさが残りますが、もう発展途上国ではありません。そしてGDPに見合う軍事力は、質量ともにアメリカに接近してきます。G2として中国とアメリカが世界を「仕切る」日は近いのです。

九九は36個だけ覚えればよい(2)

 商売で難しいのは、作り方よりも売り方です。幸いにして実家の縁で書籍取次ぎに人脈があり、母親の信用力が生きていました。取次ぎを通して全国の書店に製品を置いて貰えることになったのは非常な幸運でした。書籍業界も、紙の本ばかりでないビデオ時代への対応を模索している時期だったのです。
 そこへ出してみた2点のビデオのうち、「おぼえちゃおう!九九」には、かなりの反応がありました。大阪の有力書店から短期間に数十本の注文が来て、その地域で話題になったらしい例などもありました。しかし「おりがみ」のビデオは売れませんでした。本よりもわかりやすいと思ったのですが、1800円という値づけも高かったのでしょう。続けて「あやとり」などもビデオにしたかったのですが、こちらの路線は早めにあきらめることにしました。
 さて本題の九九の覚え方ですが、作ったビデオは伝統的な「順番に全部おぼえる」方式です。発売前に甥の家庭で幼児にテスト版を見て貰ったのですが、「音に合わせてお団子が増えるところを喜んでいる」との報告でした。飽きずに見てくれさえすれば、自然に覚えてしまうでしょう。キャッチフレーズは「九九はひたすら覚えるもの」でした。
 しかしその後、子供によってビデオとの相性がよい子と、そうでない子がいるのがわかってきました。そしてまた、ビデオが有効な一定の時期があって、それは意外なほど低年齢らしいのを実感するようになりました。要するに「勉強をする」意識のない、すべてが遊びである時期に食いつく子供がいると、驚くほどの効果を発揮するのです。九九のビデオも、今の観点で作り直してみたい気がしています。
 ところで「36個だけ覚えればいい九九」は、以下の通りです。
2×2=4 2×3=6 2×4=8 2×5=10 2×6=12 2×7=14 2×8=16 2×9=18
3×3=9 3×4=12 3×5=15 3×6=18 3×7=21 3×8=24 3×9=27
4×4=16 4×5=20 4×6=24 4×7=28 4×8=32 4×9=36
5×5=25 5×6=30 5×7=35 5×8=40 5×9=45
6×6=36 6×7=42 6×8=48 6×9=54
7×7=49 7×8=56 7×9=63
8×8=64 8×9=72
9×9=81
これを唱えると、5の段あたりから、ぐっと楽になるのを実感するでしょう。九九の丸暗記が苦手な子には、これでもいいことにしてあげたら「落ちこぼれ」の意識に悩まなくて済むことでしょう。電卓が使える時代だし、大人になっても何も困らないことは確実です。

九九は36個だけ覚えればよい(1)

 「幼児教育とビデオ教材」というカテゴリーを立てることにしました。私がやってきた仕事の中で、幼児教育ビデオの制作に関連する部分を、継続的に書いてみようと思います。日教研という名で映像・音声を中心とする制作の仕事を続けてきた中で、人のための受注制作だけでなく、自前の製品を持って販売する安定した部門を作りたいという発想からでした。それと、出版屋の息子として、いつか出版界に復帰したいという気持もありました。1980年代のことです。
 最初に思いついたのは、九九を覚えるのにビデオが役立つだろうということでした。これは私の原体験に根ざしています。私は小学校(国民学校)2年で九九を覚えるとき、全くの苦手で苦労しました。1×1=1(いんいちがいち)から始まって9×9=81(くくはちじゅういち)に終る81もの呪文(としか思えませんでした)を、ただ暗記するというのが、非常な苦役だったのです。成績は悪い方ではなかったのに、九九の暗誦テストでは失敗ばかりで、最後まで言えて合格したのは、組の中で最後でした。先生がほっとしたように「これで九九の勉強は終りにします」と言ったのを覚えています。
 じつは心配した父親が、最後になって九九を全部数式にして紙に書いて教えてくれたのが役に立ちました。各段が一定のルールで数が増えることを視覚化してくれたわけです。それと、自分も代用教員として小学生を教えた経験があるので、明治の初期には九九は36個だけ覚えればよかったという話をしてくれました。つまり3×9=27を知っていれば、9×3=27は知らなくても計算はできるのです。これは目からうろこ的な情報で、九九を覚える負担がずっと小さくなったように感じました。この事実は、後に製品化の録音作業のとき、強烈に確認することになりました。
 ビデオの作り方としては、数を数字やダンゴの数で目で見ながら九九を唱える声を聞き、視・聴覚の協働で記憶を助けるのを基本としました。それと、音楽的なリズム感に乗せて、歌の歌詞のように覚えるのもいいのではないかと思いました。そこで録音には合唱団を起用することにしました。九九だから台本も楽譜も必要あるまいと、数式の一覧表だけを渡して録音に入ったのですが、思いがけないことになりました。段が上の方になると、九九を間違える人が続出したのです。それも必ず段の始めの方で起りました。つまり3×9=27は迷わずに言えても、9×3=27は、ふだん使わないから忘れているのです。
 そんなこんなで苦労しながらも「おぼえちゃおう!九九」と「おりがみ(1)」という2本のVHSビデオを作り、NiKK(にっく)映像という新会社を設立したのは、平成元年(1987)1月10日のことでした。

九条の会浜田山・ハシズムと護憲の語り部

 この13日、日曜日に九条の会浜田山の講演会に行ってきました。会の冒頭には、旧知の伊藤辰雄氏が指揮する「9条のうた合唱団」の歌がありました。憲法9条と平和をテーマにした歌を中心に活動している合唱団です。「骨のうたう」(竹内浩三作詞・伊藤辰雄作曲)を聞くことができました。
 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるやあわれ……
 ……国のため 大君のため
 死んでしまうや その心や 
  
 講師は立正大学法学部教授の金子勝氏。慶大経済学部の金子勝氏とは同名で違う人です。愛知の出身で、堅苦しくない親しみやすい語り口の先生でした。しかしテーマは「ハシズムを憲法で斬る・憲法の語り部となるために」でした。
 挑戦的で過激な言動で注目を集めている橋下徹大阪市長ですが、その正体は何なのか、なぜ人気が集まるのかを「探検してみよう」という呼びかけです。言うまでもなくハシズムとは橋下とファシズムを合成した流行語です。しかし過激さを面白がるポピュリズム(いろいろな意味内容がありますが、ここでは大衆迎合に近い意味です)は、日本をさらに閉塞した道へ進ませる危険性をはらんでいるのです。
 いろいろな切り口がありますが、典型的な一つが公務員バッシングです。漠然とした公務員への羨望と不信感に乗じて人気を博しながら進めるのは、公務員と国民との敵対感情の醸成そして「公共」の縮小です。つまるところは規制緩和と民営・自由化の促進という、小泉・竹中構造改革のさらなる徹底に向かうことになります。
 威勢がよく実行力があって、行政の無駄をばっさり切り捨ててくれそうな期待感があるかもしれないが、トータルで目指しているのは反対意見を封じた上での自己責任・格差拡大社会の実現で、それはグローバル資本主義の歓迎するところです。だからこそマスコミも今のところ「大阪維新の会」に対して好意的に接しているという分析でした。
 このハシズムの妖怪を退治するための同盟は、まだ弱いのです。しかし私たちは憲法に保障された諸権利を守り、平和的福祉国家を建設するのが幸せへの道であると信じています。ならば憲法の定めた原理に則ってハシズム退治に立ち上がろう。他人任せでなく、一人ごとが「憲法の語り部」になろう、という呼びかけでした。

「北朝鮮現代史」を読む(3)

 軍国・北朝鮮を完成した金正日も死去し、金正恩の世となりましたが、その行き先は不透明で、著者も新しいページが始まるとしか述べていません。以下は私の読後感想です。
 北朝鮮の憲法は「大日本帝国ハ、萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた明治憲法に酷似しています。北朝鮮では血族が相続するとはしていませんが、金日成を高く奉じるのですから、その子孫が指導を受け継ぐことは自然な流れになるでしょう。なおかつ戦時国家として全国民を統率するのですから、「戦陣訓」の規範が学校教育にも拡張されたように、軍隊の規律を市民生活に適用するのにも違和感は感じていないでしょう。
 ではその軍国の目標は何かというと、ナチス・ドイツや日本の軍国主義とは違って、一回り小さいように思えるのです。ヒトラーのドイツは「ゲルマン民族の使命」によって、日本は「八紘一宇」の国粋主義によって、国際関係に「新秩序」を持ち込もうとしました。その意味で危険な国家だったと言えます。北朝鮮にも使命観はありますが、その範囲は朝鮮の統一の範囲に限られています。
 北朝鮮の総人口は日本の一割を少し上回る程度です。経済力になったら、さらにまた小さいものになるでしょう。その軍隊も遠征軍を送り出すような編成ではありません。軍事パレードでは、足を高く上げたナチスばりの、後ろに引っくり返りそうな行進を見せていますが、見るたびに「疲れるだろうなぁ」と思います。背伸びして自分を大きく見せたい願望が見え見えです。
 結論的に言って、北朝鮮の国家目標は「国家の生存そのもの」のようです。生存のためには、絶え間ない「外敵」との摩擦と、国民を統制する緊張を必要とするのです。この不自然な状態は、どうしたら解消できるでしょうか。ナチスや日本の軍国主義は、膨張政策の強行により破綻することで消滅しましたが、北朝鮮には、それほどの実力はないでしょう。
 しかし一方で、内部から民衆の不満が高まって改革が始まるというのも、望み薄だろうと思います。可能性があるのは、指導層の中から改革派が現れるか、金正恩自身が路線の変更を発想する場合でしょう。それにしても、がっちり組み上がった国家組織を変えて行くというのは、大変なことだろうと思います。北朝鮮には北朝鮮の歴史があり、それは半世紀以上も続いているのですから。
 北朝鮮は、見方によっては珍重すべき歴史の実験です。変った隣人ではあっても、地球上で引っ越すわけにも行きません。冷静に注意深く見守り、話し合いを求めてくれば応じるということでいいのではないでしょうか。そして第一義的には、韓国の立場と判断を尊重すべきだと思います。

ブログ連歌(253)

5039 原発は 未来に重き 負の遺産 (みどり)
5040  相続放棄の 手続き直ぐに (うたのすけ)
5041 簡単に 捨てるもならぬ 性悪さ 
5042  永代供養に 巨大墓地とは (建世)
5043 地底掘り 核の隠し場 つくる国 (みどり) 
5044  盗人かぶりで お尻(悪事)丸見え (うたのすけ)
5045 突然の 参詣びっくり 大神社
5046  何を祈願か その心中は (うたのすけ)
5047 国民を 忘れ政争 救い無し (みどり)
5048  議論空疎に 議事堂の中 (建世)
5049 控訴され この人の一生 ってナニ (うたのすけ)
5050  闇将軍か 悲運の義士か (建世)
5051 生き死にの 果ては同じと 蓮の花 (みどり)
5052  見下ろす仏陀 嘆息ひとつ (建世) 
5053 嗚呼悲惨 またも女性が 理不尽に (うたのすけ)
5054  死後の捜索 大規模なるも (建世)
5055 バス事故に 嘆くも変事 限りなく (みどり)  
5056  悪の連鎖が 何ゆえ続く (うたのすけ)
5057 ハシズムを 俎上に講義 熱気あり 
5058  憲法守る 語り部は説く (建世)
5059 これからは 水杯で 旅立ちか 
5060  無法バスに 呆れたホテル (うたのすけ)
 

「北朝鮮現代史」を読む(2)

 北朝鮮に特徴的なのは、社会主義陣営の中にあっても、チュチェ(主体)思想という独自の国家原理を持ったことです。社会主義圏で絶対の権威とされるマルクス・レーニンよりも、自国の指導者を上に置き、偉大なる指導者のもとに民族の独立を回復したとする歴史そのものを国の原点としました。金日成首領は父であり、朝鮮労働党は母であるとする擬制家族的国家像です。これを著者は「遊撃隊国家」と呼んでいます。隊長の指揮のもとに困難を突破する戦時体制の固定化です。
 ソ連はその後、ゴルバチョフのペレストロイカを経て解体に向かい、社会主義圏は消滅しました。これは北朝鮮にとっては後ろ盾を失う大きな打撃でしたが、国家体制を揺るがすには至りませんでした。この事情は、党を中心として権力を確立していた中国と類似しています。中国はやがて、権力機構は維持したままで経済開放を取り入れる「社会主義的資本主義」により国力の向上をはかる方向に進みました。しかし北朝鮮の経済改革は不徹底で成果が上がらず、農業の不振も続きました。
 韓国が中国と国交を樹立し、経済発展をとげる中で「太陽政策」により南北の平和共存を確認した時期もありました。金日成の後を引き継いだ金正日が当時唱えた「改革」は、言葉にすればロシア語のペレストロイカと同じものでしたが、そこには言論と政治の自由化は含まれませんでした。逆に金正日時代の最初に改定された憲法の序論では「金日成同志を共和国の永遠の主席として高く奉じ、革命の偉業を完成する」と規定したのでした。
 日本との関係では、森総理と小泉総理の時代に、アメリカにも秘匿された独自の接触がありました。そのハイライトが5名の拉致被害者と家族の帰国実現でした。このときに北朝鮮が期待したのが日本との全面的和解と経済協力の実現であったことは確実ですが、時の運に恵まれませんでした。アメリカでの同時多発テロと、ブッシュ大統領の「ならずもの国家」発言の直後に当ってしまったのです。日本の世論も逆に動きました。政府の方針はその後「拉致被害者全員が生きていることを前提に帰国をはかる」という、ハードルの高いものとなって今に至っています。
 金正日が推進したのは軍と党との一元化でした。国家主席が永遠の空席であれば、国軍の最高司令官が国のトップとなる「先軍思想」です。これを著者は「正規軍国家」の成立としています。かつて日本にも軍国主義の時代がありましたが、国家全体を軍事組織として編成するのを建前とし、それを長く続けているのが北朝鮮の現在と考えると、かなり説明できる部分がありそうに思います。 

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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