志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2012年09月

九月が行ってしまう

 九月が行ってしまう
 毎年のことだが
 春から夏への時間は ゆっくりと進む
 しかし夏から先は 加速度がつく
 一年の四分の三はもう終って
 残りは三ヶ月しかないのだから

 今年やれそうだと思ったことも
 どうも出来そうもないことに気づく
 解決しそうに思えたことも
 懸案のままで見通しがない
 そうこうしている間に 年末がくる

 ようやく使い慣れた2012年が
 2013年になる日は近い
 この先どこまで 新しい年号と
 つきあって行くのだろう

 逝くものはかくの如きか
 孔子さまも ひたすらに慨嘆した
 橋に立ち 水の流れを見て

 年月は わが身に積もり
 水辺の此岸は日々に痩せ

 九月が行ってしまう


雨宮剛氏の「恩寵溢るる〜わが生涯を顧みる」を聞く

 昨夜の老人党護憲+の例会で、雨宮剛(あめみや・つよし)氏のお話を聞きました。1934年生まれの78歳、青山学院大学名誉教授で、近著には「もう一つの強制連行・謎の農耕勤務隊〜足元からの検証」(自費出版)があります。講話の題名からも察せられるように、氏はキリスト者の家に生まれ育った筋金入りの宗教人でもあります。
 出版の動機は、少年期の戦時中に、郷里の愛知県の農村で見た「兵隊のようだが武器の代わりに農具を担ぎ、たどたどしい軍歌を歌いながら行進していた人たち」の記憶でした。かねて「戦争はまだ終っていない」として反戦・平和の取り組みをしてきた雨宮氏は、これを調べなけれは死ねないと思ったそうです。公式の記録は何も残っていませんでした。
 氏は独力で5年間にわたる徹底した聞き込みで証言を集め、ついに太平洋戦の末期に朝鮮で集められ、本土で農耕と航空機燃料用植物の栽培に使役された3000名規模の「兵籍なしに軍の指揮下で労働に使われた部隊」の存在を明るみに出したのです。その間、韓国にも渡って3名の体験者から直接に話を聞くこともできました。雨宮氏は、この取材を通して日本国内にも少年たちを軍の指揮下で働かせた「農耕隊」があったことを知り、これから5年かけて取材するとのことです。
 雨宮氏が痛感しているのは、日本国民の「敗戦」の受け止め方が、いかに不徹底であいまいで、甘かったかということです。国内で国民が苦しかったことは記憶していても、近隣諸国にどのような害を及ぼしたかは、一部の良心的な人たち以外の大多数は、積極的に語ろうとしません。ナチスに支配されて暴力的に振舞ったドイツが、徹底的な反省を国民の合意とし、ヨーロッパの盟主としての信用を回復したのとは、あざやかな対照を示しています。氏が主導してきた学生たちのフィリピン体験旅行などは、そうした「歴史の欠落」を埋めるための作業でした。
 とはいうものの雨宮氏の学者としての人生は、奇跡に次ぐ奇跡のような成功物語でもありました。早い時期にアメリカに留学し、思いがけぬ後援者に出会ったり、欲しいと思わなかった学位の提供まで受けているのです。ご当人のたゆまぬ勉強があったことはもちろんですが、その努力継続の底に「神との契約」という支えがあったのだと感じました。先に紹介した青少年福祉センターの長谷場夏雄氏の「3回の奇跡」にも通じると思いました。
 雨宮氏は「恩寵を受けたことは重荷になる、重荷を降ろすまでは死ねない」とも感じるそうです。別れぎわの最後に、「父がつけてくれた剛(つよし)という名前も支えになりました。自分は強いと思えたから」と言われたのが印象的でした。

庶民は政治というものを知らない・続編

 一昨日の菊田一夫の詩「庶民は政治というものを知らない」について、愚樵さんからコメントをいただきました。自分が「いいね!」を押した理由を、「庶民は知らない」が、庶民に対する見下しから出たのではなく、愛情から出たように詩からは感じられたから、と説明しておられます。そして最後を「『市民』が『庶民』を見下す限り、民主主義は内実の伴うものにはなっていかないだろうと、私は感じています。」と結んでいます。
 菊田一夫は、市民の代表としての自分の感覚が、庶民の意思表示である選挙の結果と大きく乖離したのを慨嘆し、民社党の幹部たちに「庶民はいつかきっとわかってくれる、ここで挫折せずにがんばってほしい」と呼びかけ、激励したかったというのが、私の理解です。しかしその後も、民社党の衆議院議席数が結党時の40を上回ることはありませんでした。
 民社党という政党の性格やその政策についての評価には、ここでは立ち入りませんが、「中道」をかかげた政策の福祉制度充実などは、結局自民党政権によって実現し、先導した民社党の功績に高い評価が与えられなかったのは、歴史的事実だと思います。地味な「正論」だけでは選挙に勝てないというのは、民社党の歴史全体を通しての悩みの種でした。
 ひるがえって、たとえば今の尖閣問題についての「正論」は何でしょうか。経済界で「言いたくても言えない本音」は、「あんな島、欲しがるんならくれてやれ、ゴタゴタ起こす損害に比べたら何でもない」だそうですが、おそらく正解に近いでしょう。しかし自民党総裁候補たちも、それに対抗する野田総理も「領土問題は存在しない」の一点ばりです。各政党からも「不確定の領土であることを認識して白紙から交渉せよ」という公式見解は出ていません。
 この問題に「庶民」がどんな反応を示すかは、政府の長年にわたる公式見解と、それに従順なマスコミ報道によって大きくリードされます。日本の武装促進やアメリカとの同盟強化をはかりたい勢力は、これに便乗して騒ぎを拡大しようとします。このとき「市民」はどうするか。
 結論から先に言うと、私は「庶民」が「市民」に近づくのが民主主義の成熟ということだと思います。多くの情報チャンネルを自ら探し、自分の生活に即して国の政策を批判できる人たちの数が増えることです。大震災や原発事故を契機として、そのような人たちが日本では飛躍的に増えました。日本の政治が立ち直る希望は、そこから生まれるしかないと、私は思います。 
 村野瀬玲奈さんのブログを見たら、「領土問題」の悪循環を止める市民アピール賛同人募集のご案内、というサイトの紹介が出ていました。

インターネット政治情報センター「中道」

(熊さん)昨日の菊田一夫の「庶民は政治というものを知らない」は、反応がよかったみたいですね。「いいね!」のマークが、たくさんついてましたよ。
(ご隠居)菊田一夫は知ってたかい。「君の名は」とか「鐘の鳴る丘」なんて戦後のヒットドラマを連発した、演劇界の大御所だったんだ。その人の言葉が、今の時代にも欲しいような気がして、載せてみた。この詩の直筆は、芝にある「友愛労働歴史館」に今も掲示してあるんだよ。
(熊)なるほど、とは思うんだけど、その「中道の政治」ってのを、どうやったら応援できるんですかね。
(隠)庶民が政治にかかわるといったら、なんといっても選挙だろうね。棄権をしないで、中道を行く政党を選んでくれということだ。浮ついた人気じゃなくて、地道に国民のための政治を進める政党を選ぶことだな。
(熊)今はそれがわからないから、みんな困ってるんじゃないですか。このままじゃ、声の大きい方に引っ張られて、変な政権ができちゃったりしませんかね。
(隠)だから確かに「これなら信用できる」という基準みたいなものがあるといいだろうね。私だったら、々馥發任漏丙垢寮Ю機´脱原発の実行 J刃続宛鬚療按譟´し法9条の維持・活用 ッ畚ある経済国際化 なんかを基準にするね。その観点で、この政党は推薦できる、この党はだめ、といった判断ができるし、政治家個人だって、同じようにできると思うよ。それを、ブログでもいいが、なるべくアクセスしやすい形で出して、参考にしてくれる人が多くなれば、政治に影響を与えられるんじゃないか。そんなことも考え始めてみたんだよ。
(熊)へぇー、いいかもしれませんね。横丁の談義を、世の中に広げるわけだ。
(隠)インターネットにしても、政党を作るというのは大変なことだが、どっちがいいという道しるべをつける仕事なら、政治家にならなくてもできる。わし一人じゃなくて、賛同してくれる人たちがチームを組んだら、全国の地方の情報も集められると思うんだ。「政治情報センター・中道」の評価が、投票の参考として信用されるようになると面白い。
(熊)またご隠居の大風呂敷みたいだけど、インターネットにはいろんな可能性があるんだってね。ま、知恵熱出さない程度にやってくださいな。おいらは「政治センター・建世」でもいいと思いますよ。昔は「建世新聞」ってのが、あったんでしょ。

ブログ連歌(280)

5579 花は散る 咲いて散らない 思い出の花 (くるみ)
5580  心の中に 別世界あり (建世)
5581 国難が 始まっている 野菊かな (玉宗)
5582  焦土の中に 咲く花もありき (建世)
5583 涼しさに 心躍るが 国憂う (パープル)
5583B 特攻花 黄色コスモス 秋雨や (くるみ)
5584  酷暑は去れど しばし沈思す (建世)
5585 信ずれど 心通わず 秋寂し 
5586  冷え込む夜は 長くあるらん (くるみ)
5587 家出した 尼が身を寄す 裏長屋 (建世)
5588  次の泊まりは 海野の宿かな (くるみ)
5588B  ご隠居良寛 吾は傷心尼 (くるみ)
5589 居候 挨拶もせず そっと去り (くるみ)
5590  残り香もなく 風吹きぬける (建世)
5591 アベシンで 鬱苦しい苦に パートツー (パープル)
5592  右折ターンで プレイバックか (建世)
5593 明日めざし 信じた人と 腕を組み (みどり)
5594  一歩があれば その次がある (建世)
5595 投げ出さぬ ただそれだけを 願います (うたのすけ)
5596  前科一犯 保護観察中 (建世)
5597 自民党 一段とまた キナ臭く (うたのすけ)
5598  いざ出陣の 進軍喇叭 (建世)
5599 美しき 国は泣いてる 原発で (ハムハム)
5600  紛争必至 泣き面に蜂 (建世)

庶民は政治というものを知らない

 表題は、1960年に、結成したばかりの民社党が総選挙で惨敗したとき、菊田一夫が民社党に贈った詩の一行目です。民社党の大会では、いつもこの詩が朗読されていました。50年後の今、庶民というものは、やはり同じなのでしょうか。

  民主社会党に贈る 菊田一夫

 庶民は政治というものを知らない
 庶民は春の陽炎のなかに
 いつも睡たげな眼をして
 のどかに暮らしていればいいものだから……

 政治が悪いとき
 乱暴者が世にはびこるとき
 庶民は ひょいと眼をさます
 政治はどうなっているだろう
 政治とは中庸の道ではないかしら
 古すぎては困り
 激しすぎては世の中がひっくりかえる
 その中庸の道も
 世につれて進んでゆく

 政治は常に 世間より
 一歩進んでよい加減
 二歩進めば怪我人がでる
 ……と、いって
 退歩すれば
 政治というローラーにひきつぶされて死ぬ人も出る
 民主社会党は中道の政党        
 中庸とは昼寝をしていることではない 
 政党が庶民のせっかくの特権を奪ってはならない
 日本人は中庸を好む国民だ
 自分個人の人生には
 いつも中庸の道を選んでいる

 そのくせ……
 他人様を批判するときは
 いつも 前か後ろか 右か左か 赤いか白いか……
 それは……
 自分個人の道を選ぶ道が 
 勇気のない卑怯さからの中庸の道だからである
 自分自身に勇気がないから
 他人様に 激しさ古さ 右か左かをもとめるのだろう
  
 激しさには喝采が与えられる
 古さと頑迷には老人達の拍手がおくられる
 意気地なしと言われながら
 中庸の道を選ぶには
 勇気がいる

 民主社会党よ
 日本国を
 我々の国を
 正しい軌道に進めるための
 激しい闘いを起こしたまえ
 
 国民は一億
 ほんとうは みんな
 破壊主義でない 
 頑迷でない
 ほんとうの民主主義
 新しい道が
 好きなのです

(追記・19行目の冒頭の言葉は「政治」でした。ネットに流布しているものに誤植がありましたので、原典に照らして直しました。)

自民党総裁候補たちが教えてくれる日本の未来

 次は自民党総裁選挙ということで、テレビは候補者たちの演説を中継する大サービスをつづけている。民主党の代表選では、野田総理の言うことと他の3人の候補者の主張との間には、かなり大きな差があったのだが、それと対照的に、自民党総裁候補者たちの言うことは、互いによく似ている。時節柄、領土問題についての発言が多いが、「自国の領土は自分たちの力で守る」という点では一致していた。もちろん北方四島、竹島、尖閣のすべてを、日本の領土として確定することを前提にしていた。
 日本の領土問題には、それぞれロシア、韓国、中国という相手国がある。日本がすべて領土として獲得すれば、相手国はそれらを失うほかはないが、自民党は本当に実現が可能だと思っているのだろうか。そもそもこの3年間以外はずっと自民党が政権についていたのだから、「毅然として取り組む」ぐらいのことで解決するのなら、どうして今までに領土問題を解決しなかったのか説明して貰わなければならない。
 領土問題は外交上もっとも難しい課題だから、これを前面に立てて対立している間は、隣国と良好な協力関係を築くことは不可能になる。ロシアとの経済協力は、北方領土問題が障害となって何十年も停滞してきた。歯舞と色丹の返還で平和条約締結の寸前まで行っていた交渉が、アメリカの介入で「北方四島の要求」にすり替えられたと言われている。早期に和平手続きが完了して友好関係が成立していれば、後の民間のビザなし交流や墓参訪問以上の妥協が、かえって国後や択捉についてもあり得たかもしれない。
 とにかく今はナショナリズムに訴え、同時に「日米同盟の修復」を説くことで、自民党は領土問題を解決すると公約しているわけだ。これは突き詰めれば、アメリカの軍事力を背景にして領有権の主張を貫徹すると言っているに等しい。これで近隣の3国と平和的な共存が可能だろうか。アメリカと強力な軍事同盟関係になれば、日本の望みはすべて叶うと、本気で思っているのだろうか。
 そのほか原発問題についても、自民党総裁候補者の全員が「2030年代にゼロ」には賛成しないとしている。原発との縁切りはできず、アジアの孤児となってアメリカに頼るほかに道のない日本の姿が見えてくる。自民党が政権に復帰すれば、これらの人が政権を担うことになるのだから、一政党の内輪話として無関心でいるわけには行かない。

「オスプレイ〜配備の危険性」を読む

 「オスプレイ〜配備の危険性」(真喜志好一ほか・七つ森書館)を読みました。オスプレイについては、さまざまな情報や資料がありますが、これは問題点を集大成した緊急出版です。私のブログでは、このオスプレイという「新型輸送機」が、航空機としてどういうものであるかを中心として、この本以外から得た情報も含めて解説してみたいと思います。
 結論から言うと、オスプレイは「ヘリコプターとして垂直に離着陸し、固定翼機として高速で飛行する」という航空界の夢を実現するために、30年にわたる開発の結果として生まれた機体であり、今なお開発の途上にある航空機です。今も開発の途上というのは、当初に目指した性能や安定性を未だに獲得できず、さまざまな妥協を重ねて実用化に至っているからです。
 表面的にはオスプレイの性能はすばらしいものです。現行の輸送中型ヘリに比べて2倍(24名)の兵員を乗せ、2倍の速度で5倍の距離を飛ぶことができるのです。速度は日本の戦闘機「ゼロ戦」に匹敵します。しかし揚力に余裕が少ないために、戦闘ヘリとして欲しかった機首の重機銃を積むことができず、対空砲火を避ける機敏な運動性能も不十分になりました。ですから現状では主に後方支援の輸送に使われているようです。
 さらに重大なのは、エンジントラブルの際に安全に緊急着陸する性能を欠いていることです。これでは民間航空では耐空証明を取得できません。軍用機では例外が認められますが、戦闘機のパイロットのような射出型の緊急脱出装置もない「乗客」を乗せる輸送機としては異例のことです。軍の内部でも開発中止の強い意見があったにもかかわらず、軍・産一体の巨大プロジェクトであったために、途中で止まることができませんでした。
 全体の経過を見ると、NASAのスペースシャトル計画と似ています。あれもシャトルを繰り返して使う発想は良かったのですが、余計な重量を宇宙へ上げるという原理的な無駄があり、システムが複雑化して、悲惨な事故を含むトラブルの多発とその対策に追われ、結局は使い捨て型のロケットよりも高くついて打ち切りに終りました。
 欠陥プロジェクトはアメリカの問題ですが、これを強引に沖縄に配備して訓練飛行を始める、しかも今でさえ危険な普天間基地を使うというのですから尋常ではありません。アメリカ人のいない土地で試してみようというのでしょうか。 

ブログ連歌(279)

5559 昔なら ああだこうだは 控えよう (うたのすけ)
5560  砲艦外交 戦争への道 (建世)
5561 我が内に 憎しみやある 失せきれぬ
5562  失せきれぬ故 たれをか責めん (くるみ)
5563 信じ合い 真心ひらき 語りたし (みどり)
5564  尖閣だって 円閣にして (建世)
5565 秋彼岸 千の風吹く 此岸かな (くるみ)
5566  暑さ収まり 信濃路思う (建世)
5567 お彼岸の しきたり多き 友の郷(さと) (みどり)
5568  里にて独り 墓参久しく  (花てぼ)
5569 ああ涼し いよいよ十月 墓詣で (うたのすけ)
5570  草葉の虫も 秋を知らせて (建世) 
5571 謎めきし カマキリ来たる 我が階に (みどり)
5572  動物たちも 変動の世か (建世)
5573 寝る蛙 夫(つま)の大きな 挙(たなごころ) (くるみ)
5574  掛け布一枚 やがてまた冬 (建世)
5575 雁首が 揃って気焔 上げている (うたのすけ)
5576  向いてる先は いつか来た道 (建世)
5577 そうだなあ 友と共に 戯れた道 (くるみ)
5578  郷愁さそう 思い出あって (建世)
5579 花は散る 咲いて散らない 思い出の花 (くるみ)
5580  心の中に 別世界あり (建世)

休日休ブもいいのかな

 「花てぼ」さんのところには、秋の「休ブ届け」が出ていました。ブログは義務でも義理でもないのですから、管理人の都合で休むのも自由です。本来届けも要らないのですが、休み中に見にくる人のことを思うと、「休ブ届け」を出しておきたい気持ちは、よくわかります。
 「よく毎日つづけられるね」と、私もよく言われます。そんなとき「昔は日記も書いてたし、習慣だから苦にもしてませんよ」と答えるのですが、建前で言っている部分は確かにあります。私だって時間がなくて夜になり、このまま寝た方が楽だと思うことはあります。そんなとき短くてもいいから時間内に書いておこうと思い直すのは、昔の「書かないと父親に怒られる」習慣よりも、今は「待っている読者がいるかもしれない」というプロ意識に近いものになっているようです。
 ところがこれも一人相撲のようなもので、逆の立場で一日一回のブログ友巡回をするときは、更新されていない記事タイトルを見ると、「これは読まなくていい」という一種の安心を感じるのです。取材で資料を漁っている感覚に近いもので、その時点では「友好ブログ」の歴訪が、一種のビジネスになっているのでしょう。
 要は、親しい人の消息が毎日わかれば安心というほど心理的に近ければ、一日休ブでも気になるが、資料として見ておこうということなら、たまの休みは楽に感じられるということではないでしょうか。すると問題は、いったい自分は誰のために書いているのか、ということになります。それについての答えは明らかです。自分のために書いているのです。
 ならば自分の書きやすい方法でいいのではないか。たとえば日曜日は休ブにするとか、週5日制にしてもいいのかもしれない。それで自分の生活リズムが改善し、ブログの内容も充実するなら、誰に遠慮する必要もないわけです。「休ブ届け」もあることを知って、そんなことを考えました。
 ここでは結論を出すつもりはありません。毎日書くのを絶やしたくなくて、苦しまぎれに思いがけなく良いものが書けてしまう場合もあります。そして自分のために書くと言いながらも、読んだ人がどう思ってくれるだろうと期待がふくらむことも、間違いのない事実なのです。

いちばん古い記憶〜傾聴の基本技術として

 先日の仕事で行った名古屋のホテルで、早朝のテレビをつけたら心理カウンセラーが「傾聴」の話をしていました。その内容から、私が取材などで使ってきた方法が有効だったことに思い当りました。これで救われる人もいるかもしれないと思い、忘れないうちにご披露しておきます。
 誰かの話をじっくりと聞きたいとき、私はよく「あなたの記憶で、いちばん古いものは何てすか」という質問から始めます。それは「七五三の記念写真を撮りに写真館へ行ったこと」だったり、「何か理由はわからないけれど、母親にひどく叱られて押入れに入れられ、わんわん泣いていたこと」だったりします。すると、付随して当時の住所、生まれ育った年代、家族関係などが自然に語られることになります。
 ここで大事なのは、立場を完全に相手に合わせることです。間違っても「私の場合は……」などと自慢話を始めてはいけません。相手の環境はどうだったのか、言われたことを整理しながら繰り返すと、相手は進んで欠落部分を思い出しながら、自分史を再現しようとし始めるものです。このサイクルが始まったら、あとは脱線しないように、確認とフォローを続ければよいことになります。
 誰でも自分史を詳細に思い出すほど、話す言葉は「本音」に近づいていく傾向があるように思います。そして過去を思い出し、その記憶を共有してくれる人がいるということで警戒心が解けるのでしょう、聞き手との間に信頼関係が生まれてきます。つまり素直になれるのです。そこで初めて聞きたい核心の部分に話題を向けると、ふだんは聞けないような「秘話」でも話してくれることが多いのです。私は大物政治家にインタビューしていて、ふと言葉が途切れたので顔を見上げたら、大粒の涙をポロポロこぼしているので驚いたことがありました。
 心に葛藤のある人は、自分の悩みを順序立てて人に説明し理解して貰えさえすれば、それだけで大半の悩みは軽くなり、解決方法も自分で見出せるようになるものだと聞いたことがあります。その入り口づくりとしての「いちばん古い記憶を教えてください」なのです。これは心理療法としてばかりでなく、一般的に信頼できる人間関係をつくるためにも有効な方法だと思っています。
 実用的には、長距離のドライブで、助手席に座った相手の話を聞くのに最適です。話が続いている間は眠くならないし、後々まで親しみを感じられる友人を一人増やすことができます。誰でも傾聴に値する「いい話」を、いくつも持っているものです。
 ところで、あなたの「いちばん古い記憶」は何ですか。

政治劇にも筋書きがある〜尖閣・オスプレイ・野田政権

(熊さん)ご隠居は今日も忙しそうにしてましたね。
(ご隠居)何もたいしたことはしてないが、落ち着かない日だったな。
(熊)民主党の代表選は、野田さんの圧勝でしたね。
(隠)ああ、あれは選挙の前からわかってたようなもんだ。あとの3人は、結局、引き立て役みたいなものだったな。これから党人事と内閣改造と、挙党一致の態勢が組めるかどうかだが、基本的には今までとあまり変りはなさそうだ。どこまでやれるか、いつ解散・選挙になるか、それがずうーっと話題の中心になって行くだろうね。
(熊)尖閣は物騒なままだし、オスプレイは飛び始めるし、日本はこれで大丈夫ですかね。
(隠)いろんなことが次々に起こるから目移りするんだが、ちょっと見では関係ないようなことが、よく考えると一本の筋書きでつながってることがあるんだよ。アメリカの国防長官が日本に立ち寄ってから中国へ行った。中国の反日デモが下火になって、尖閣では中国の漁船が大量に押し寄せるようなこともなくて、思ったより静かになってる。岩国ではオスプレイの安全が確認されたとかで、試験飛行が大っぴらに始まった。ここに共通してるのは何だい。
(熊)やっぱりアメリカですかね。
(隠)そうだよ。パネッタ国防長官は、日本で玄葉外務大臣の説明を聞いてから中国へ行って、中国の幹部に「尖閣は日米安保条約の適用範囲に入る」と伝えたということだ。NHKの取材でペンタゴンの高官が答えたというから、意図的な情報のリークだな。アメリカが睨みを利かせてくれたおかげで、中国は無茶な行動ができなくなったという筋書きが出てくるわけだ。そうすると、アメリカ軍の存在はやはり必要だ、オスプレイの配備も認めなくちゃならないかという次の場面につながってくる。そしてその筋書きを受け入れているのが野田政権というわけだ。
(熊)なーるほどね、ニュースってのは、そんな読み方もできるんですね。
(隠)ある意味では、とてもわかりやすいんだよ。アメリカはこれからも、いちばん都合のいいように日本と中国をコントロールしようとするだろうね。今回は中国を牽制することで、日本に一つ貸しを作ったわけだ。尖閣はこれからも、いろんな思惑で利用されるだろうよ。
(熊)うーん難しいね。早く日本と中国で解決しちまえばいいのにね。
(隠)領土問題を含めて、自分で国益を守れる国になる。日本も早くそうなりたいものだ。

「日本の国境問題〜尖閣・竹島・北方領土」を読む(2)

 この本は戦争と国境問題との関係を包括的に考察しているので、北方領土問題とアメリカの世界戦略との関係や、敗戦で広大な領土を失ったドイツが、耐え難い苦痛を忍んで西ヨーロッパの盟主として不動の信頼を獲得するに至った経過など、非常に有益で参考になる事例の紹介を含んでいます。しかしここでは当面の尖閣問題を考えるに当って、私たちが留意すべきポイントを、この本から引き出してみたいと思います。
 まず、日中双方が「棚上げ」をやめて「当方の固有の領土である」とする立場をぶつけ合う場合は、現在実効支配していない側から仕掛ける多彩な戦術が可能になります。それらは戦争に発展する危険をはらみますが、双方の軍事力のバランスや、周辺の国際情勢によっても影響を受けます。もし尖閣の紛争が軍事力行使に発展した場合、アメリカ軍が日本の側に立って直ちに参戦することは、日米安保条約の条文を冷静に読めば、ありえません。
 尖閣の場合、不動産としての適正価格は5億円と言われていました。日本としても、おそらく中国としても、戦争をして採算のとれる島ではありません。それよりも島の周辺の漁業権や資源採掘権の方がずっと大きいのです。要するに国益には領土よりも大切なものが、いくらでもあるということです。領土を絶対視して愛国心を煽れば、寸土を争って血を流すことにもなりますが、周辺の利益の調整であれば、冷静な話し合いでの妥協も可能になります。ですから「棚上げ」は賢い判断であったのです。少なくとも今ここで「決着」をつけようとするのは危険過ぎます。
 戦争を防ぐのに有効なのは、「多角的相互依存関係」を築くことだと言われますが、日本と中国の間には、すでに充分過ぎるほどの多岐にわたる相互依存関係が出来上がっています。それがあるからこそ、中国は強硬姿勢を示してはみせても、国民の暴走には一定の歯止めをかけざるをえません。暴力的な国というイメージを国際社会に与えるのも避けたいところでしょう。 
 さらに第二次世界大戦後、すべての国連加盟国は「武力をもって紛争を解決しようとしてはならない」と義務づけられています。安全保障理事会の5大国の一つである中国も、当然その義務を負っています。厳しい対立の場面が続くにしても、「こちらから先に武力に訴えることはない」というメッセージを絶えず発信して、共通の認識とする必要があります。

「日本の国境問題〜尖閣・竹島・北方領土」を読む(1)

 孫崎享の「日本の国境問題〜尖閣・竹島・北方領土」(ちくま新書)を読みました。昨今の尖閣問題に対応したキワものではありません。昨年の5月に発行されており、一昨年の漁船衝突事件を踏まえて、この問題での菅政権の対応に深い憂慮を示しています。そしてその憂慮そのままの事態が現実になってきているのが現在であることが、よくわかります。
 国境紛争とは、やっかいなものです。かつて社会主義の「友邦」同士であった筈の中国とソ連も、1969年から、ウスリー河の中洲「珍宝島」の領有権をめぐって、正規軍同士が戦火を交える国境紛争を起こしました。長さ1700メートル幅500メートルの小島で、特段の価値のある島ではありません。しかしそれが「紛争地」として双方に意識されると、自国の権力闘争もからんで譲歩不能になるのです。紛争は中国が「核戦争も辞さず」と放送するまでにエスカレートし、国境画定の協定が結ばれるまでには22年間を要しました。
 尖閣諸島の問題は珍宝島とよく似ていると孫崎氏は言います。まず歴史経過として、尖閣が琉球王国の領土だった形跡はないのに対し、中国・台湾側には多くの歴史資料が存在します。日本は明治政府が1872年に琉球を領土に編入し、1895年に尖閣諸島をも「無主の島」として編入しました。これは国際法の「先占権」に当りますが、この時点から定住など占拠したわけではありません。一方、中国・台湾側には「先に発見して使用もしていた」との論拠があります。さらに日本の戦争と敗戦・降伏による領土放棄という事情がからみます。
 この領土問題を認識しながらも、大局的立場で尖閣問題は「棚上げする」ことで合意したのが日中の国交回復でした。これは日本にとっては非常に有利な合意でした。互に領有権の主張が対立するのを一時中止して、日本の実効支配を継続することとなったからです。さらに漁業権では、互に自国の漁船の行動について自主規制することで合意しました。
 ですから菅政権の「尖閣について領土問題は存在しない」との立場や、中国の漁船に対する規制を「日本の国内法」で直接に行った行為は、中国に「もう棚上げはやめる」決意をさせるのではないかと孫崎氏は憂慮したのです。そしてその後の事態は、まさにその憂慮の通りに展開しているように見えます。この本は、これまでの一年間に、もっとよく読まれるべきでした。

(お知らせ。明日より1泊2日で仕事に出ます。続編は車中でよく読んでから書きます。)


ブログ連歌(278)

5539 出版社 週刊誌は 別腹か (うたのすけ)
5540  正義面して 時に悪食 (建世)
5541 広告の 目次だけでも おぞましく (うたのすけ)
5542  本誌買うほど 中身はなくて (建世)
5543 松下も 柳の下の 人となる (パープル)
5544  橋の下には 落ち葉の渦が (建世)
5545 群れをなす 泥鰌かメダカか わからねど (うたのすけ)
5546  水に流れて お遊戯してる (建世)
5547 尖閣の 領土を巡り 藪つつく
5548  平和解決 庶民の願い (みどり)
5549 冷静に 暑さ過ぎれば 飽きですよ (パープル)
5550  その前に来る 巨大台風 (建世)
5551 校庭に 秋の歓声 運動会
5552  飽き風ともに 青にしずまり (架夢音)
5553 遠くから 来た友がいて 夢ひとつ 
5554  カムオンみんな ご隠居長屋 (建世)
5555 隣国と 友好望むに 怨嗟ふえ (みどり)
5556  性懲りもない 短気は損気 (建世)
5557 余りにも 五月蠅き隣家 ご免なり (うたのすけ)
5558  地境もめて 殴り込みとは (建世) 
5559 昔なら ああだこうだは 控えよう (うたのすけ)
5560  砲艦外交 戦争への道 (建世)

敬老の日だってね・富裕増税について

(熊さん)よっご隠居、きょうは主役だね。なんてったって敬老の日だからね。
(ご隠居)よしてくれよ、秋の休日ってだけだよ。法律には「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」なんて書いてあるが、誰もそんなこと気にもしておらんだろう。町会から一人1000円の地元商店街の商品券が配られてきただけさ。
(熊)それだって、たいしたもんだ。老人の数は多いんだから、区の全体なら、半端じゃない予算でしょうよ。
(隠)それがなぁ、日本じゃむしろ子育て世代への援助が弱いんだよ。民主党の「子供手当て」はバラまきだなんて攻撃されたけど、老人へのお祝いもバラまきだよな。老人には放っておいてもいろいろ金がかかる。その一方で、いわゆる富裕層には老人が多いんだ。
(熊)そりゃそうでしょうよ。財産を積むには時間がかかるからね。
(隠)先日のテレビで「富裕層ビジネス」ってのをやってたが、金に糸目をつけない最高級の品物やサービスを提供するのが新らしいビジネスモデルだってんだ。あるところにはあるもんだが、それが全体じゃない。老人は一概に慎重で、貯金は万一のために取っておこうとする。まして「欲しがりません」のスローガンで育った世代だから、倹約する生活には強いんだよ。そこへ持ってきて、小泉・竹中の大減税で優遇されてきた。使われない所得が積み上がってる道理だよ。
(熊)ふーん、そういう人たちに税金を納めて貰いたいね。
(隠)減税の行き過ぎは世界的にも見直されていて、フランスでもアメリカでも富裕増税の傾向だが、日本では計画はあったものの、政争のゴタゴタで先送りになっちまった。増税の話は不人気だから、誰も手をつけたがらないんだな。
(熊)増税っていうと、誰だっていやだからね。
(隠)でもな、並み外れて余計な部分にかけるのが富裕税なんだ。中堅から下の階層への影響は少ないんだよ。適正な増税をすれば、税で取られる前に使おうという気分にもなる。いずれにしても死んでいる財産が世の中に出回るわけだ。
(熊)ご隠居がそんなこと言っていいんですか。老人仲間から恨まれますよ。
(隠)ちょいと場が悪かったかな。ここらでさっさと、けえろうかい(敬老会)。

「標的の村〜国に訴えられた沖縄・高江の住民たち〜」を見る

 大木晴子さんのフェィスブックから、QAB琉球朝日放送制作の「テレメンタリー2012」(25分)を見ることができました。本土でも朝日放送系で今月上旬の深夜に放送されたとのことですが、実際に見た人は少ないのではないでしょうか。私も聞いて名前は知っていても、その実情は実感できないままでいました。沖縄では今も「占領時代」が続いているのです。
 この番組の概説はここで
http://www.qab.co.jp/village-of-target/index.html
 番組そのものは(今のところ・9月16日現在)ここで見ることができます。
http://www.dailymotion.com/video/xtavz8_yyyy-yyyyyyyyy-yyyyyyy_news
 沖縄本島北部にある高江集落(人口160人)では、いまヘリパッド(ヘリコプターの簡易発着所で、戦闘など緊急時に使うもの)の建設が強行されています。米軍の再編計画の中で進められているもので、村は多数のヘリパッドに囲まれる形になるので、住民は道路に座り込むなどの抵抗を続けていますが、防衛施設局は大型クレーンで資材を住民の頭越しに搬入するなど、工事を急いでいます。
 さらに多数の住民を道路通行妨害の罪で告発し、中心となった2名に裁判所は「妨害禁止命令」を出しました。国権によるSLAPP裁判(力関係の圧倒的に強い団体等が個人を恫喝・弾圧する目的で行う裁判で、禁じ手とされる)の典型ですが、日本にはこうした概念がないのだそうです。
 形の上ではこれは住民と日本の行政との紛争ですが、問題の根は占領時代からの継続です。ベトナム戦争期には近くに演習用の「ベトナム村」が作られ、住民は徴用されてベトナムの住民やゲリラの役をさせられたという屈辱の歴史もあるのです。沖縄の本土復帰が実現しても、権力の主体がアメリカから日本政府に変っただけのことでした。
 今ここにはオスプレイ導入の危機が迫っています。ヘリパッドは実戦を想定した激しい訓練に多用される可能性があります。頭上にオスプレイが飛び交うようになるかもしれない人たちがいる間は、沖縄に「終戦」はありません。日本は本当に独立したのだろうか。この国の進路を、改めて考えなければならなくなるドキュメンタリーです。

「論語・真意を読む」を読む

 「論語・真意を読む」(湯浅邦広・中公新書)を読みました。論語について書かれた本は多数ありますが、これはこの春に出た新刊です。落ち着かないこの時期に、あえて古いものを読み直してみたくなりました。「真意を読む」という副題は、今まであまり論じられなかった孔子の「嘆きと絶望」に焦点を当てているからです。
 論語について今も新刊が書かれるのは、近年になって古い竹簡の発掘と研究が進んでいるからです。竹簡とは、紙が普及する以前に、細く削った竹に一行ずつ文を書き、紐で綴じて巻物の文書としたものです。これにより、論語が孔子の孫弟子の時代に標準教材となり、広く普及したのが知られるということです。
 ところで孔子の「嘆きと絶望」は、早くも冒頭の「学而篇」の最初に顔を出します。「学んで時に之を習う、また説(よろこばし)からずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。」の二項目につづいて現れるのは「人知らずして慍(うら)まず、また君子ならざるや。」という心得です。前の二項が前向きの喜びであるのに対して、こちらには「君子とは、つらいものだ」という諦観の響きがあります。ちなみに私は高校のときにこれを「人知らずして慍(いきどお)らず」の読みで習い、自分の日記帳に墨書きで大書した記憶があります。
 孔子の嘆きを表現している個所として有名なのは「述而篇」の「甚だしきかな吾が衰えたるや。久しきかな吾また夢に周公を見ず。」です。これは孔子が理想の先人としていた周公への思慕の純粋さを表しているとするのが従来の主流の解釈ですが、著者はもっと素直に、理想を抱いて諸国を遊説して歩いたにもかかわらず志を得ず、生国に戻って老境を意識するようになった孔子の、「夢は夢に終るのか」と悟った絶望として受け止めたいようです。
 私たちが孔子の言葉から受け取るのは、人間の文明は「天」とともにある、一人でも道理をわきまえている者がいる限り、天は人間を滅ぼすことはないという力強いメッセージです。しかし孔子もまた一人の実在の人間でした。人の世で理想を実現しようとすれば、それは夢で終るしかないのです。人の世に絶対の完成はないのですから。
 
 キリスト死刑 孔子失業 釈迦行き倒れ

 これは大学時代にブライス師から教えられた川柳です。偉大な思想家たちも、誰一人として地上に理想の楽園を築くことはできませんでした。しかし夢を持つことなしに人生を成り立たせることは不可能です。孔子は川の水を見て、こうも言いました。「逝くものはかくの如きか、昼夜を舎(お)かず」と。 


森は生きていた……その後

 昨日のオペラ観劇のあと、すぐ地下鉄の日比谷線で帰途につくつもりだったところ、予定外のことが起こりました。反対方向が「北千住・東武動物公園方面」になっているのを見た妻が、「こっちへ行きたい」と言いだしたのです。日比谷線は北千住から東武線に乗り入れていて、私たちが草加に住んでいた時期には、よく乗った路線でした。これに乗ればそのまま草加まで行けるという思い付きが、彼女には魅力的に思えたに違いありません。
 背中を痛めてからは外出を好まなくなっていた妻がそんな発想をしたのは、オペラを見た感動と連動したのでしょう。草加の公団住宅で子育てをし、私はそこで自営業を創業し、団地に隣接する土地を買って家を建てるまでになった14年間は、私たちにとっては「輝ける成長期」そのものでした。その後、車で訪ねたことはあっても、二人で電車で行ったことはありません。私にも異存はありませんでした。
 高架線になっている草加駅に降り立ち、駅前から昔通りの道を団地まで歩きました。昔の団地は低層のテラスハウスでしたが、今は高層に建て変っています。それでも巨大団地ではなく、配置には昔の面影が残っていました。団地の端にあった食品雑貨の商店は今も健在で、そこのおばさんはよく覚えてくれていました。元は一帯の地主で、団地に入居してからも、数年間は春ごとに田植えの風景を見せてくれていた家族です。
 昔を思い出した帰り道の最後に、妻は小学校のPTA広報部のときにつきあいのあった人の家がある筈だと言いだし、薄暗くなった中で探し当てました。夫に支えられて出てきたその人は、もう86歳、立っているのがやっとの体調でしたが、妻との話は理解できました。「いっしょに新聞を作って、賞を取ったんだよね。表彰で浦和まで行ったんだっけ……」その後の会話が感動的でした。「私ゃバカなおばあさんだけじゃなかったんだ。偉かったんだよねぇ」という元気な声が出てきたのです。
 表札には、老夫婦だけではないらしい多くの名前が表示されていました。PTAでは、団地と地元の人たちとの交流が、日常ふつうのことだったのです。妻は広報部長としても、かなり優秀な仕事をしていたと思います。夜遅くまで新聞づくりをしながら、生き生きとしていました。私も少しは手伝うのが楽しみでした。
 「偉かった、みんな偉かったよ」と、元部員さんと、私も最後に固い握手をして別れました。その家の隣には小さな社があり、昔ながらの樹林が残っていました。

こんにゃく座の「森は生きている」を見る

 林光追悼・こんにゃく座のオペラ「森は生きている」を見てきました。林光の作曲・台本をベースとし、大石哲史による新演出です。原作はロシアのサムイル・マルシャークの戯曲で、日本では1954年に初演されたとのことです。かなり昔にテレビで見た記憶があるのは、児童劇としてだったと思います。20年前の1992年には林光のオペラが完成し、以後、こんにゃく座の定番演目になっているとのことです。
 今回の「森は生きている」は、メッセージ性が非常に明晰な、納得できるものでした。12人の「月の精」が舞台に並ぶのですから、オペラ集団としてのこんにゃく座の魅力と迫力が、充分に発揮されます。冬の森で精霊に出会い、マツユキ草の花を摘む娘役を、太田まりが、しっかりと演じていました。すぐ近くの客席には20名ほどの保育園児(4歳から6歳まで)の集団がいたのですが、中盤から終演にかけて私語ひとつ出なくなり、舞台に集中していました。
 話の筋は、森の季節は12ヶ月の「月の精」によって支配されるので、女王の気まぐれの命令で左右されたりはしないという教訓です。「森が与える以上のものを、森から得ようとしてはならない」というセリフが、最も効果的な場所に置かれていました。
 休憩を挟んで2時間あまりの大作でしたが、子供たちにとっては、ハラハラ、ドキドキの連続だったことでしよう。大人にとっても、地球が与える以上のものを、人間は地球から得ようとしているのではないかという今日的な問題を考えさせられる時間でした。
 欲を言えば、女王は早くに父母を亡くしてしまって権力者になった人でした。娘はそれを「女王さまは孤児(みなしご)なのね」と言うのですが、孤児となり本当の教育を受けずに育った女王への娘の憐れみの気持が、終盤のどこかで生かされないものだろうかと思いました。
 このオペラは9月17日まで、東京六本木・俳優座劇場で上演中です。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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