志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2012年09月

民主党サポーターのつぶやき

(熊さん)ご隠居はたしか民主党のサポーターでしたよね。代表選挙の投票ができるんでしょ。でも意中のミスターNが出ないから、困ってるんじゃないですか。
(ご隠居)ああ、ハガキの投票用紙が来てな。もう投票は済ませたよ。
(熊)えっ、早! それで誰にしたんですか。
(隠)それは言わんが、野田さんではなくて、当選の可能性のありそうな人にしたよ。
(熊)てことは、総理を代えて出直せってことですよね。それでやってけますか。
(隠)というよりも、野田さんでは離党が止まらなくてジリ貧で終りになる。ここは民主党の立場で先行きの打開策を考えたってことだ。望みなきにしもあらずだな。
(熊)へぇー、聞かせてくださいよ。
(隠)議会で法案が通らないのが民主党の弱みだが、政権党というのは、本当は強いものなんだよ。法律を変えなくたって、閣議決定と通達でできることは、いくらでもあるんだ。「国民のため」を旗印にして、復興と格差是正と公務員改革をどんどん進めたらいい。行政とは、本来そういうものだ。そして、誰が考えても必要最少限の法律にしぼって、野党と協議しながら堂々と通して行けばいいんだよ。
(熊)民主党らしさをはっきり出していけば、信頼が回復するってことですね。
(隠)自公に擦り寄りではなくて、本当は民主党はこうしたいという理念がわかっていれば、与野党が対立しても国民の見る目が違ってくる。参議院の勢力だって半分に近いんだから、中間・無所属が協力してくる可能性はあるんだよ。そうして最長一年間がんばる。もし途中で行き詰っても、争点のはっきりした解散・総選挙なら、民主党の勝機もあるというわけだ。
(熊)ふーん、ずいぶん民主党寄りの見通しですね。
(隠)きょうは評論家じゃなくて民主党のサポーターだからな。サポーターというと、わしは今でもちょっと変な気がするんだ。サッカーをやってたとき、股間のタマを守る洋式のふんどしみたいなサポーターをつけるんだよ。まあ、最後のタマを守る防衛線だな。ふんどしを締めてかかるということだ。
(熊)さて、ご隠居の一票は生きますかね。
(隠)大方の予想通りに野田再選になったって、今ここで言ったことは、そのまま通用するんだよ。

ブログ連歌(277)

5519 私利私欲 持たざる人を 待望す (みどり)
5520  国難のとき 勇気ある者 (建世)
5521 賤しきは 風向き次第 党を変え
5522  節も義もなき 政治家崩れ (みどり)
5523 吹き溜まる 異心集めて 維新とは
5524  魑魅魍魎の 風見八景 (建世) 
5525 大方は 死ぬことないと 言うのでは (うたのすけ)
5526  「大臣」の名の 重さは如何に (建世)
5527 身ぎれいに 一拍置いて なぜならぬ
5528  これも寿命か 定め悲しく (うたのすけ)
5529 幾人も 人を殺して 週刊誌
5530  いじめ時代の 先棒となる (建世)
5531 政争に 疲れし人の 真っ当さ
5532  欺瞞中傷 絶えざる世情 (みどり)
5533 人間の 尊厳こそは 絶対と
5534  怖れ消えうせ 今日一日を (ハムハム)
5535 9.11 話題にならず 夜となる 
5536  アメリカ狂って はや11年 (建世)
5537 時差あれど 記事となるのは 本日で (パープル)
5538  記憶は遠く 戦乱今も (建世) 
5539 出版社 週刊誌は 別腹か (うたのすけ)
5540  正義面して 時に悪食 (建世)

「現代中国の政治」を読む

 「現代中国の政治・『開発独裁』とそのゆくえ」(唐亮・岩波新書)を読みました。著者は中国の北京大学で政治学修士の称号取得後に来日し、慶応義塾大で博士課程を修了、現在は早稲田大学政経学術院教授となっている人です。現代中国の政治の解説者として適任であると思いました。
 中国の政治で最大の特徴は、武装闘争で勝利した中国共産党の指導の下に成立した国家であり、一党独裁は現代に至るまで貫徹しているという事実です。近代国家としての政治体制や軍事組織も備えていますが、それらはすべて共産党政治委員会の指導のもとに動く建前であり、多くの場合に政治や軍事の実力者は、共産党の幹部をも兼務している同一の人物です。
 中国の最高の意思決定機関は全国人民代表大会ですが、これは年に一回開かれ、トップ人事の選出を行うほか、政府・法院・検察院の「一府両院」に対する監督権も持っています。しかしそこに出席する人民の代表は、自由な選挙で選ばれるわけではありません。定員と同数の候補者が、党に推薦されて当選するのです。人民代表は「三手代表」と批判されることがあるそうですが、採決で賛成する挙手と、満場一致の拍手、そして指導者と会うときの握手が役割だということです。
 しかし今の中国は個人独裁ではありません。改革開放時代以後は、法治国家の建設を目標にかかげ、党中央への過度の権力集中を排して、国家機関の役割を強化することとなりました。近代的な政策決定には、異なる立場の利害調整や討論が必要となりますが、それらはオール与党の共産党の内部で行われるのです。集団指導と党内民主主義によって政治の近代化を図ってきたと言えるでしょう。
 自由な選挙と政党政治によらない「開発独裁」の長所は、政策決定が機敏で徹底することです。この長所を生かして中国は高度な経済成長を成功させました。しかし開発を最優先した結果として、貧富の格差拡大や地域間格差などの新しい問題を抱え込むことになりました。またインターネット大国になったことで、政治的自由を求める知識層や、経済的中間層が増加しています。
 中国共産党は「上からの政治改革」を通して合意型の「中国式民主主義」を根付かせようとしていますが、「下からの民主化要求」と折り合うことができるかどうか、中国の近代化第二段階が始まっているというのが著者の認識です。中国の進路は、隣国である日本と無関係ではありえません。中国の民主化「軟着陸」のために、協力できる分野もありそうです。

海から見る東京

 都議会の西沢けいた議員(民主党・元長妻昭秘書)の企画による「視察船で東京の海を知ろう!」に参加してきました。東京都の港湾局は年間予算700億円の規模で、東京港の整備に当っているとのことです。その実情を都民によく知って貰う目的で建造され運航しているのが視察船「新東京丸」。1983年竣工で197トン、定員約75名の船です。20名以上の申し込み者があれば週日の定時(午前と午後各1回)に無料で運航するというのですが、私もほとんどの参加者も、今までその存在を知りませんでした。
 西沢けいた議員のキャッチフレーズは「ムダを斬る!」で3年前に初当選しました。今後の活動に期待するところですが、今日のところは海から見た東京の素顔を、素直に紹介することにしましょう。改めて感じたのは「東京は臨海都市である」という事実でした。申し分のない天気に恵まれた80分間の東京港一巡でした。



出発場所は竹芝埠頭の南にある「竹芝小型船ターミナル」です。船は品川埠頭、大井コンテナ埠頭、羽田空港沖を経て左回りに中央防波堤内外の埋立地を一巡します。



海から近づいてくぐる東京ゲートブリッジは、文句なしに絵になります。



ブリッジの手前は廃棄物処分場としての埋立地です。東京に埋め立てできる海があることで、どれほど発展が助けられたかわかりません。東京湾は、東京の宝です。ただし埋め立てたら、1回しか使えません。



青海のコンテナ埠頭です。コンテナの登場は海上輸送の革命でした。積荷をコンテナで規格化し、積み下ろしを岸壁のガントリークレーンが受け持つことで、船は単にコンテナを積み込むスペースを提供すればよくなったのです。港湾の荷役作業は劇的に短縮しました。



海から見た臨海の新開発地域です。ここはすべて海を埋め立てた人工の土地です。堤防の高さは6メートルまでの津波しか前提にしていません。東京の防災計画をどこまで進めるべきか、ふだんは海を忘れているような東京は、海とは切っても切れない関係にあるのでした。

オスプレイNO!・9.9国会包囲

 沖縄の県民大会と連帯する、オスプレイ配備に反対する国会包囲デモに行ってみました。休会した日曜日の誰もいない国会ですが、日本政治を象徴する場所ですから、人が集まることに意味があるのです。議事堂正門前を中心に、かなりの人が出ていました。







今日は正門前での歩道横断が可能で、前庭の公園も北側(憲政記念館側・洋式)南側(和式庭園)ともに正門から遠い入口は開いていました。3枚目は公園の内側から撮影したものです。
 包囲デモとしては、東側(議事堂正面)は人波で埋まっていました。しか北側(国会図書館側)と、それにつづく西側(議員会館側)に回ると人影はまばらで、過剰警備は空振りに終ったようです。ただし首相官邸前から南門に至る南側の状況は、確認できませんでした。





 ドラム隊は、正門前向かって右側で活躍していました。この後、妹尾さんにも会えました。反対側の歩道では、日音協(日本音楽協議会の人たちが歌っていました。力を入れていたのは、オリジナルソングの「オスプレイ NO!」です。括弧してトマホークの字があったので、トマホークのときに出来た歌かもしれません。覚えやすい歌でした。沖縄にも日本にも、オスプレイは要りません。

  オスプレイ NO! 
          詩・曲 笠木博逸

1. ぼくらは 生きている この地球に
  強い国は 必要ないのさ
  緑の大地と 青い海
  渡さない オスプレイ NO!

2. ぼくらは 生きている この地球に
  武器や 軍隊は 必要ないのさ
  緑の大地と 青い海
  渡さない オスプレイ NO!

3. ぼくらは 生きている この地球に
  原爆や 死の灰は 必要ないのさ
  緑の大地と 青い海
  渡さない オスプレイ NO!

4. ぼくらは 生きている この地球に
  平和を おかすもの 必要ないのさ
  緑の大地と 青い海
  渡さない オスプレイ NO!
  

野田再選で民主党に未来はあるだろうか

 民主党の代表選挙は、一時は盛り上がった細野氏への期待が本人の辞退で消えて、急速に野田再選の流れになってきた。誰がやるにしても茨の道だから無理もないが、このまま続投で予想される未来図は、決して明るいものではない。かつて麻生内閣が「いつやめるか」だけが話題にされながら解散総選挙を先延ばしし、任期満了のどんづまりで大敗した構図を思い出させる。
 民主党が負けるだけなら政権交代の裏返しに過ぎないのだが、今回は政権交代そのものの全否定になりそうなところに不安がある。野田続投の場合は、民主党から離党者が出るのが止まらなくなる可能性がある。最悪の場合は、政党としての民主党は崩壊に近い状態にならないだろうか。それでは選挙で交代した主役が消えて「一回で終った夢」になってしまう。
 議会制民主主義が根づくには時間がかかる。民主党がやろうとしたことは実現しないこともあったが、今までは不可能だった改革に踏み込んだ分野は少なくない。何よりも民意で政治が変えられることを実証して見せたのは、功績として認めるべきだと思う。ここへ来て迷走しているのは、不慣れな議会運営に乗じて、旧勢力の策略に絡め取られている面が大きい。そして野田氏には、妥協で当面をしのぐ以上の信念と決断力が欠けていた。
 その意味で代表選挙は民主党再生のラストチャンスになる。与党の代表になることは、総理の権限を手にすることを意味する。総理になれば、いろいろなことができる。自分の意向を法案として議会に出すことも、もちろんできる。民主党は本当にこうしたいという法案を、遠慮せずに出したらいいのだ。それを国民の前で審議し、採決で誰が反対するのかを明らかにすればよい。
 たたかう民主党を前面に出したら、今の議会では一年間はもたないかもしれない。国民に対して行政に責任を持てない事態にまで追い込まれたら、そこで解散権を行使して国民に信を問うことになる。戦わずして崩壊する民主党と、進路を明らかにして戦った民主党と、選挙の結果が同じということは、決してないだろう。
 民主党は10日月曜日に代表選挙の公示を行うと聞いている。立候補の受付は当日限りということだ。形ばかりでない本気の候補者が決起してほしいと思っている。

9月の第一木曜日・国会周回

 昨日の報告です。地下鉄丸の内線「国会議事堂前」駅改札出口12時発の「国会一周お散歩アピール」は、同行者4名でした。残暑はありましたが、吹き抜ける風は快適でした。気心知れた同士の、楽しい会話とお散歩でした。今回は、正門前南側の公園にも入ってみました。憲政記念館側の公園が洋風であるのに対して、こちらは日本式庭園です。池に鯉が泳ぎ、飛び石伝いに池を渡ったりします。水辺のサルスベリが満開でした。
 警備の警察官は目に見えて人数が少なく、態度も穏やかでした。Nさんがゼッケンをつけていても「外していただけませんか」「あちらの歩道でお願いします」の要請もなく、笑顔の会話と「お気をつけて」「ご苦労さま」のやりとりがあっただけでした。途中で修学旅行の高校生たちと行き会い、「NO NUKES」のカードを示しながら「よく勉強して行くんだよ」と声をかけました。
 次回の予定は10月4日です。

ブログ連歌(276)

5499 旅行記を 読んで日本の 広さ知り (うたのすけ)
5500  年に一度の これ自分流 (建世)
5501 連れの無き 旅の気ままさ 身に保ち
5502  見知らぬ土地の 旅愁深まり (みどり)
5503 軽やかに 未知の道行く ひとり旅
5504  人車一体 騎行にも似る (建世)
5505 自民党 総裁選で 地顔出し (うたのすけ)
5506  政権近しと 競い立ちつつ (建世)
5507 民主党 時期が同じで 似てきたか 
5508  二大政党 中身は小さめ (パープル)
5509 誰もかも 手前勝手で 呆れます
5510  小粒同士が コップの中で (うたのすけ)
5511 政界は 人事話で 秋(飽き)がくる (建世)
5512  派閥長老 稼ぎ時かな (ハムハム)
5513 秋の風 いざなう先に 無言館
5514  亡き人永久に 還る術なき (みどり) 
5515 いま芽生え 枝葉も茂れ 緑の党 (建世)
5516  我が意を得たり 過剰の諌め (うたのすけ)
5517 自民党 石原石破 石コンビ 
5518  石頭では 草も花もなし (パープル)
5519 私利私欲 持たざる人を 待望す (みどり)
5520  国難のとき 勇気ある者 (建世)

「緑の党 Greens Japan 」結成宣言

 今年7月28日に結成された「緑の党の機関紙「緑でいこう」の第1号が届きました。第一面に掲げた結成宣言が、なかなかいいのです。全文をそのまま引用します。

 緑の党結成宣言 2012.7.28

3.11後の 今 ここに
新たな道を歩み出す
 
森を奪う都市文明から
森に寄り添う文明へ 数多(あまた)へ
答えを生きる 時がきた

果てない世界市場化と
経済成長呪縛から
世界各地が共に奏でる
色どる経済成熟へ
答えを生きる 時がきた

いのち汚す原発と
奪い合いの地下資源より
太陽による 永遠の平和へ
答えを生きる 時がきた

はやさ 大きさ 効率主義 から
スロー スモール シンプル で
適正規模と多様性へ
答えを生きる 時がきた

過剰なほどに カネ追わず
過剰なほどに モノ造らず
過剰なほどに 働かず
仕事と時間を 分かち合い
豊かなこころを 蘇らせる
答えを生きる 時がきた

買うしか術ない暮らしより
手 足 知恵で 創るを楽しみ
与え 支え いのちを謳歌し
自立しあう 安心へ
地域でつながる 循環へ
答えを生きる 時がきた

色んな人と 色んな生き方
互いに凸凹△ 認め合い
組み合わさって 補い合い
使命を宿し おのおの輝く
答えを生きる 時がきた

テレビの向こうに 決断任せず
自ら責任 引き寄せて
足元からの 微力をつらね
笑顔の未来 えらびとる
答えを生きる 時がきた

今日から土に 種を蒔き
こころに緑を 育てよう
いのちにぎわう 豊かな地球を
いのちみんなで 分かち楽しみ
100年先を 見渡して
答えを生きる 一歩をここに
歩み出したい 一歩をここに

「緑の党」を 立ち上げる

電話振り込め詐欺撃退記

 それは突然にやってきます。朝のうちに孫から電話があって、大事なカバンを電車に置き忘れたのでJRに探して貰っている。連絡の電話がくるかもしれないから注意していてほしいと頼まれたと、連れ合いから聞きました。自分の携帯電話も含めて失くしてしまったということでした。孫はマイペースの仕事が多いので、たまには失敗も薬になっていいかと思っていました。
 10時半過ぎにまた電話がありました。まだJRから連絡はないというと、カバンには今日決済の小切手が入っていて困っているということでした。小切手を停止にする手続きはしたが、出しなおすには3日かかる。額面は3千万円だが、今日中に一部は渡してやる必要があるという話で、ここから私が電話を代わりました。
 聞けば部長の奥さんが金策に駆け回っていて、500万円までは用意できた。3日後には返せる金だから、うちでも協力できないかという話になってきました。この時点で私の頭の中では暗算が始まります。相手の声も、その気になって電話を代わっていますから、若い男の声というだけで、それらしく聞こえるものです。「現金で用意したのか、今は500万円を現金で出すというのは大変だぞ」と言うと、「そうなんだよ、部長の奥さんも苦労してさ」と相手も応じます。「これは典型的な詐欺の手口みたいだな」「そうだけど、本当なんだ」といったやりとりもありました。
 ここで、いったんは時間をかせいで落ち着くのがいいと思いました。相手の話し方が、いつもの孫にしては滑らかすぎる感じもありました。そこで、準備もあるから20分後にまた電話するようにと言って電話を切りました。
 その後すぐ野方警察署に電話して概略を話し、アドバイスを求めて住所電話を告げました。孫の親である娘にも連絡して、家に集まることにしました。2名の捜査員が到着したのと、娘が孫の携帯電話に電話して何も事件はなく忘れ物もしていないことを本人に確かめたのと、偽孫から「どうなりました」と電話がかかってきたのが、すべてほとんど同時でした。私は「とにかく一度家に帰って、この家を拠点にして問題の解決に当りなさい」と言い渡すつもりでしたから、その通りにしました。ただし「警察にも相談しているから」と言ってしまったのは余計でした。相手は「じゃあいいよ」と急いで電話を切りました。
 かかってきた電話は通信記録が残らず、「部長の携帯を借りている」のが嘘であるのがわかりました。妻はしばらくの間、二度に渡って電話で話した相手が偽物だったとは、信じられない表情でいました。信じられないようなことが、実際に身近で起こる時代なのですね。

ミュージカル「対馬物語」を見る

 対馬の橘厚志さんから頂いたDVDで、対馬市民劇団「漁火」のミュージカル「対馬物語」を見ました。すでに対馬で3回、釜山市でも1回公演して、好評を博したとのことです。脚本をジェームス三木が書き下ろしており、合唱団、舞踊団、韓国舞踊団も参加する本格的なミュージカル劇でした。
 筋立ては、明快すぎるほどにわかりやすく、対馬の藩主、宗義智(そう・よしとし)と、その妻となった小西マリアの純愛物語で、秀吉の朝鮮出兵に翻弄された対馬の苦難の歴史が背景に描かれています。キリシタン大名・小西行長の娘マリアを対馬に嫁がせたのは、最初から秀吉の命による政略結婚でした。
 秀吉の朝鮮出兵に際しては、朝鮮の事情にくわしい対馬藩は、小西行長の配下として先鋒を命じられます。しかし長年にわたり友好を築いてきた対馬としては、迷惑至極の事態でした。戦ったふりをして和睦の小細工も通用せず、ついに血みどろの戦乱に巻き込まれます。
 地獄のような戦役を終らせたのは、秀吉の死去でした。しかしその後は、豊臣対徳川の勢力争いとなり、関が原の合戦では、小西行長と対馬は西軍として参戦して敗北します。対馬藩も取り潰しの危機を迎えました。しかしここで、徳川家康は対馬に温情を示します。朝鮮との和睦に必要な仲介役を期待したのでした。
 しかし簡単に和睦ができる筈もありません。歴史では、使節を送っても次々に殺されたと記録されています。しかしこの劇では非常な苦労をしたとだけ言及していました。そして国書交換にまで至るのですが、ここで対馬を象徴するような場面がありました。家康の国書の内容を見た宗義智は、「これでは和睦にならない」として、自分の一存で書き換えてしまうのです。もちろん重罪に当りますが、今の言葉で言えば、それが国益というものでしょう。かくて和睦は成り立つのですが、橘さんの研究によると、「国書」の中身とは「ご機嫌いかがですか」程度のもので、形式が大事なのだそうです。
 マリアの悲運はその後もつづきます。家康の鎖国とキリシタン禁令により、宗教を捨てないマリアは追放されて長崎の修道院に送られました。歴史資料では最後は家康に恩赦されたとしているのですが、この劇では長崎で死んで、霊魂が義智の前に現れる構成になっていました。
 このミュージカルは、この11月に福岡での公演が決まっており、現在稽古しているとのことです。さらにNHKの大河ドラマにしたい壮大な夢があるそうですが、歴史ドラマとして、充分な内容がありそうです。

対馬の旅(4)総合講座・対馬を体験する

 宿舎は島の南西部にある「美女塚山荘」のペンションでした。ここは研究者の活動拠点でもあるようで、武蔵高校の先生2名、環境学の大学の先生と同宿の夕食となりました。それにペンションの主人、竹岡益宏さんが加わります。私は酒がだめなので10時過ぎに引き上げましたが、11時半まで盛り上がっていたということです。竹岡さんは、私にぜひ見せたい場所があるから、朝5時に出かけるということでした。
 翌日は雨。しかし天候はすぐに変ります。6時から竹岡さんの車で案内された先は、豆酘(つつ)崎の灯台が見える海岸でした。「この先で海流が二つに分かれて、こっちからずうっと日本海を上って行くんですよ。だから魚は獲れるし、船も文化も、みんなここを通るんです。」と語る情熱は、二日酔いのためだけではなさそうでした。自分の居場所がここにある、ということでしょうか。





 ついでに見せてくれたのが海岸のゴミでした。茶色く細長いのは竹です。すべて対岸から来たもので「朝鮮ゴミ」と呼ばれているそうです。そういうときの「朝鮮」には、昔ながらの蔑称の感覚があります。ペンションの経営者としては、韓国からの客はキャンセルや値引き交渉が多くて、あまり好きになれないとも言っていました。間に立つ旅行社やガイドにも問題がありそうです。
 朝食後は、分宿している生徒を見回る先生と同行しました。早朝から牛舎で牛の世話をしたり、炭焼き小屋で窯が開いて、炭を取り出す現場の見学などをしていました。現代の高校一年生にとっては、すべてが大きなカルチャーショックに違いありません。少人数に分け、「生徒同士の会話よりも、周囲の大人と話す時間を長くするように」と指導しているとのことでした。







 そば打ちの実習で作った蕎麦で昼食にしたり、市役所で農業政策の話を聞くなどもあって、最後に日韓交流の実践家で研究者の橘さんの自宅を訪問しました。各自が研究テーマに沿って話を聞き、ノートを取っていました。生徒たちは、このあとも4泊5日の実習がつづきます。
 私はここまでで対馬空港から帰途についたのですが、私にとっても対馬を体験する総合講座のようなものでした。竹岡さんに言われるまでもなく「一晩だけじゃ、だめだよ」はわかっています。でも情報を読むだけと、現場に行くこととは天と地ほどに違うのです。この程度の報告しかできないにしても、です。

対馬の旅(3)路線バスとレンタカー

 フェリーは深夜2時ごろ壱岐に寄港します。港以外は闇の中でしたが、船内アナウンスもなく、少数の乗客と車が下船して行きました。そして夜明けの5時少し前に厳原港に入り、ここで乗客へのサービスとして7時まで船内での仮眠ができました。まだ誰もいないターミナルで携帯電話で先生と連絡を取り、日程変更でご多忙でもあろうし、29日は終日自主的に行動して、夕刻の宿舎で落ち合うこととしました。



 とは言うものの、ウィキペディアの「対馬」の項目25枚のプリントアウトを新幹線の中で読んだ以外には、案内図一枚持っていません。ビルの外に出ると、たまたま路線バスが入ってきたので、とにかく乗ってみました。乗客は他におばあさんが一人だけで、?知(けち)という所まで片道30分ほどを往復するということなので「往復運賃を払いますから終点まで行きます」ということにしました。おばあさんが病院前で降りると、思いがけないことが起こりました。
 運転席近くに座った私のために、運転士さんが観光ガイドを始めてくれたのです。「あれが対馬高校、こちらが中央病院」から始まって、海岸へ出れば見えてくる島の名前と伝説など。地理的には空港の近くを通って東海岸を北上しているのがわかりました。終点では、かなりの人数の高校生が乗ってきました。厳原への通学生を運ぶためのバスなのでした。
 市内のバスセンター前で下車し、ここで観光資料を入手できました。しかし路線バスの本数が少なく、北部まで行くと日程が組めません。船が運休のため前日に電話で予約をキャンセルしたレンタカーの営業所に行ってみると、その軽乗用車がそのまま残っていたのは幸運でした。淡路島よりも大きな島です。おかげで一日で220キロを走る意のままドライブが実現しました。



まず「韓国の見える」鰐浦へ行ったあと、島の東北に位置する比田勝に出ました。ここには釜山と結ぶフェリーが毎日運航しています。しかし国際港らしい物々しさもなく、パスポートさえあれば誰でも自由に往来できるということで、隣の町のような日常感覚になっているようでした。もちろん竹島問題の緊張感などは、何もありません。



行きは整備された国道382号でしたが、帰りは東側の県道39号を通りました。海岸ばかりでなく内陸部分には「もみじ街道」の名があります。清流に沿い、美林がつづいていました。





島の南北を分ける万関(まんぜき)橋です。この下は自然の瀬戸を日本海軍が開削したもので、朝鮮海峡と対馬海峡を結び、艦艇が東西に迅速に通り抜けられるようにしたものです。その規模の巨大さは圧倒的でした。

対馬の旅(2)博多湾で日が暮れた

 今回の旅を順に説明すると、沖縄「読谷の風」の高江洲先生の元勤務先で、私の出身校でもある武蔵高校で、この春に現役のKT先生を交えた三人で会食したのが発端でした。そこで高校の総合講座として、毎年対馬で生徒がホームステイすると聞き、私も行ってみたいと思ったのでした。
 私としては、知っている人と現地で会えれば行きやすいという単純な理由でしたから、学校の行事とは一瞬の接点があればいいという程度の認識でした。日程も一日遅れで対馬に入る予定だったところ、台風の接近で先生と生徒の一行は福岡で一日待機となり、28日、私が新幹線で福岡に着く少し前の飛行機で対馬に渡ったのがわかりました。
 私が乗る予定だった高速船は運休になりました。深夜便のフェリーがあるが、運行するかどうかは夜になるまでわからないということでした。これは福岡で一泊かと半ば覚悟して帰りかけたとき、「市営渡船乗り場」という看板が目に入りました。聞くと「志賀島(しかのしま)まで往復します」とのこと。そこがどんな場所かも知らずに、往復の切符を買って乗ることにしました。
 桟橋にあったのは「市営渡船」の名とはイメージの違う、立派な高速双胴船でした。後でわかったことですが、「海の中道」から志賀島までは道路でつながっていて、大きく博多湾を包む形の新開発地になっているのでした。海上を直線で結ぶ市営「渡船」が有用なわけです。











 雨上がりの虹が出たり、雲間から後光のような日光が漏れたり、なかなか楽しめる博多港クルーズが経験できました。途中から乗客は私一人だけとなり、志賀島では短時間ですが桟橋に降りて、船の写真を撮ることができました。「きんいん」という船名は、ここで出土した有名な「倭国王の金印」だと説明され納得しました。志賀島は、のんびりした漁業と農業の島に見えました。途中の「大岳」の桟橋では、船が着いても乗降客なし。市営の採算が少し心配になる一往復でした。
 結局、この夜は中洲で博多ラーメンを食し、埠頭近くの温泉に浸かって休憩後、深夜0時10分発のフェリーで対馬へと向かいました。

ブログ連歌(275)

5479 近隣と 長いつきあい 二千年
5480  引っ越す先も ない地球にて (建世)
5481 島々を 揺する波風 長引けり (みどり)
5482  ことわり忘れ サメの頭で (ハムハム)
5483 歯をむいて 熱くなるのは お断り (建世)
5484  浮いた親書を 配達証明 (うたのすけ)
5485 振り向けば わしの祖先は 百済より (ハムハム)
5486  くだらん話と 軽んずなかれ (建世)
5487 地方自治 護ると言いつ 自信過多 (みどり)
5488  維新のようで 復古のようで (建世)
5489 知らぬ間に 砲口むきだし 演習す (みどり)
5490  国土自衛に 戦車戦とは (建世)
5491 チャンスなり 離島の守り 任せとき (うたのすけ)
5492  再現なるか 玉砕美談 (建世)
5493 大本営 発表然と 全国紙 (ハムハム)
5494  以ッテ喚起ス 国民精神 (建世) 
5495 三日間 見ぬ間に天下 荒れに荒れ (みどり)
5496  台風去れど 漂流つづく (建世)
5497 少しぐらい 俗世と離れ 気を養う (パープル)
5498  内外今昔 接点に立ち (建世)
5499 旅行記を 読んで日本の 広さ知り (うたのすけ)
5500  年に一度の これ自分流 (建世)






記事検索
プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ