志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2012年10月

緑の党の街頭演説が始まった



 今日の夕方、高円寺駅北口前で、「緑の党」から来年夏の参議院選挙に比例区から立候補する予定者(厳密に言うと、党公認の候補者になるための予備選挙に応募した候補者)の街頭演説会が始まりました。18時からは、高円寺南にある党本部からの、候補者3名による公開討論会もネット中継されています。
 第一次の公認候補者3名のうち、2名については会員・サポーターによる予備選挙で決定するというのがユニークです。そして定数の半数以上は女性でなければならないという規定がありますから、男性は多くても1名ということになります。
 予備選挙への立候補者は、立候補の決意、政策、自己の経歴、30名以上からの推薦および推薦者代表からの推薦文、そして活動計画と資金計画を届け出て、これらは資料として会員・サポーターに配布されます。資金計画の中で大きいのは供託金の600万円ですが、この部分だけは党から助成されます。党では今、供託金など選挙資金として、1億円カンパ活動を行っているところです。
 


 看板の横に立っているのは3名の候補者の一人、すぐろ奈緒氏です。杉並区議会議員で、党の共同代表4名の中の一人でもあります。あと2名は、反戦・脱原発の活動家で党の脱原発を担当する杉原浩司氏と、神戸の出身でみどり関西運営委員の松本なみほ氏です。
 緑の党は、日本ではこの7月に結党したばかりの若い党ですが、世界には90もの友党があるとのことです。市民の連帯をベースとするこの党が、新しい第3極の中核として成長することを期待します。
 なお、衆議院の解散・総選挙が行われる場合には、緑の党として東京比例ブロック(定員17名)に4名の統一候補を立て、脱原発大結集のネットワーク型選挙の実現をめざすことにしています。

村木厚子氏の講演「男女平等と共生社会」を聞く

 今年の連合中央女性集会の二日目、27日に行われた厚生労働省の社会・援護局長、村木厚子氏の講演が良かったというので、取材の録画で見てみました。
 村木氏は「働く女性の希望の星」と言われるほどのキャリア官僚でありながら、2009年に「凛の会」という身体障害者団体を偽装した郵便料金の不正事件に関与したとして逮捕・起訴され、無罪判決を得て名誉と地位を回復したという波乱を経験しています。後に証拠を改ざんした検察官が逮捕されるという異例の展開もありました。
 講演の内容は、日本の未来にとって、女性の地位向上がいかに重要かということでした。人口の将来推計によると、2060年の日本の人口は8674万人、2110年には4286万人です。急激な衰退ですが、この数字は「これから生れる子供の数」によって変るのです。
 現代で女性の地位が高いとは、就労と出産・育児が両立するということです。働き続けるか子育てか、どちらかを選ばなければならない国は遅れているのです。日本はその尺度で下位に低迷しているのですが、その日本よりもさらに低位の主要国が3つありました。ギリシャとイタリアとスペインです。いずれもEU・ユーロ圏の中で落ちこぼれそうになっている国々であるのは記憶に新しいところです。
 活力ある社会とは、税金や保険料を納め、あるいは労力を提供できる「支える人」が多い社会です。今の日本で必要なのは、女性と高齢者と障害者が、もっと多く「支える人」として参加できるような仕組みを作って行くことだという結論でした。それにはニーズのあるところに先例を作る、その先例を参考にして運動を作る、そして制度が出来て行くものだ、ということでした。
 村木氏の講演は、自身で二人の娘を育てた経験も交え、ユーモアと笑いもちりばめながら、問題点はびしりと印象づける見事なものでした。自分が逮捕・拘置された経験さえも、危機管理の要領で乗り越えたということです。「痛くない正しい手錠のかけられ方」の実演までして見せたたくましさは、子育ての経験があったからこその自信に裏付けられているのでしょう。
 官僚のトップクラスとして活躍を期待される人ですが、近い日のいつか、政治家としての登場を期待したくなる人でした。

パイナップルの缶詰で「豊かさ」ということを考えた



 近所の大型小売店で、パイナップルの缶詰を買った。輪切りのスライス10枚のシロップ漬けで、缶はふつうのフルーツ缶詰よりも一回り大きい直径8.5センチ、内容総量は565グラムある。国内大手メーカーのブランドで、これが1個98円で売られていた。特売の表示でもなく、あまり目立たない最下段に、さりげなく置かれていた。
 最初に妻が見つけて1個だけ買ってきたのを、日曜日だったからあとで私も自転車で行って3個買ってきた。最初の1缶を開けてみたが、昔と同じ味わいだった。どうしてこんなに安いのかと缶をよく見たら、Product of Thailand と表示されていた。海外の工場での製品だった。
 戦争が始まる前の昭和10年代にも、パイナップルの缶詰はあった。それは滅多に食べられない超高級品で、誰かの誕生日といった特別の日に、フォークを添えたガラスの小皿に1枚ずつ配られ、シロップ液の分配にも気を使いながら、みんなでうやうやしく頂くものだった。戦後になるまで、植物としてのパイナップルの実は、見たこともなかった。妻の思い出も、似たようなものらしい。
 今は国内産のリンゴでも桃でも、良いものは1個100円はする。どこか海外の農園で栽培・収穫され、工場でも手間をかけて加工されただろう缶詰が、タイから輸送してきてこの値段で売られるということは、栽培農家や工場の従業員への報酬が、日本では考えられないような低い水準だからに違いない。そう思うと、良いものを安く買えた嬉しさが、単純でない微妙なものになった。
 バナナも同じような経過で安くなった食べ物なのだが、これが経済のグローバル化で豊かになったということなのだろうか。昔は手の届かない高価だったものが安く手に入るのだから、相対的に豊かになったとは言えそうだが、それは収入が増えて豊かになった嬉しさや安心感とは、やはり少し違うのだ。「これで本当にいいのかな?」という後ろめたさのようなものが、背後にある。
 これは、おそらく国際的な経済の格差から生れる必然的な現象で、長い目で見れば、この過程を経て世界は共存共栄の繁栄へと近づいて行くのだろう。しかし一時的にせよ、これほどまでの格差を自由放任にするのが最善の道なのだろうか。たとえば関税を利用してもう少し温和な改革とし、差額を多方面の手当に使うことはできないのだろうか。
 妻が最初に「この値段はいくらだと思う?」と聞いてきたとき、私の感覚でつけた適正価格は「200円かな」だった。

日本で女性の政治家が少ないのは、なぜだろう

 数日前の記事だが、スイスのシンクタンク、世界経済フォーラムの2012年版「男女格差報告」によると、日本は調査対象となった135カ国中101位となり、前年より順位を三つ下げた。順位低下は2年連続している。女性議員が少なく、企業幹部も男性に占められていると指摘。先進国や主要国の中で最低水準の評価が続いているということだ。
 首位はアイスランドで、評価の上位は例年通り北欧諸国となっている。米国は22位で前年より五つ下がり、中国は69位で八つ順位を下げた。アジア太平洋地域ではニュージーランドの6位が最高で、フィリピンが8位となっている。 
 日本でもこれは政治課題とされて、1999年には「男女共同参画社会基本法」が施行された。これによって内閣府には男女共同参画を担当する特命大臣が置かれている。現職は中塚一宏という人だそうだが、私も全然知らなかったし、一般的にも知られている様子はない。民主党政権になって、とくに女性の閣僚が増えるということもなかった。
 日本の社会が男性本位に出来上がっていることは、正社員の比率を見てもわかる。女性の雇用形態では、派遣・パートなどの非正規雇用がずっと多数を占めている。男の正社員が世帯主で、妻が補助的に働くという形が、社会常識的に根強く残っているのだ。これが、公務員でも経営者でも政治家でも、すべてにわたって共通の原因になっているような気がする。
 それでいて日本は男女格差のひどい国だという認識は、女性の間でも、あまり強くないのではなかろうか。それは日常の生活上は差別されず、経済・政治などにからむ問題で、初めて性差別の壁に突き当る構造になっているからだと思う。夫の失業や災害に出会うと、問題は噴出する。
 男も女も、個の人として尊重されるのが幸福の条件だと思えば、男女共同参画の理念は正しい。とくに立法府の議員数がアンバランスなのは障害になる。「緑の党」は、選挙の候補者は必ず女性が半数以上でなければならないと定めているが、日本のように男女共同意識の遅れている国では、議員の定数に女性の優先枠を設けるのが有効かもしれない。
 女性の参画が進んだ国は、総じて平和な福祉国家に近づいて行く。世界はその方向へ行かなければ永続はできない。その意味では、日本も中国もアメリカも、まだまだの後進国ということになる。

ブログ連歌(285)

5679 変革を 未来に託す 大宇宙 (みどり)
5680  夜空に求む 新生の星 (建世)
5681 人はみな 空を見上げて 育まれ
5682  真善美へと 夢膨らます (ハムハム)
5683 病気です 任命責任 ありませぬ
5684  よくもぬけぬけ 呆れ果てます (うたのすけ)
5685 降霜の などか苦しき 辞任劇 (みどり)
5686  身を悶えつつ 厳冬を待つ (建世)
5687 都知事捨て 新党構想 語る人
5688  任せ難きは 国の舵取り (みどり)
5689 自民NO! 民主もNO!と 幾山河
5690  創りし道は 主権者の道 (ハムハム)
5691 気合い入れ 老体に鞭 悲劇なり
5692  知事職全う これ王道 (うたのすけ)
5693 一知事の 強持てならば 良しとする
5694  願いは一つ 四海静かに (うたのすけ)
5695 せがれコケ 親父出番じゃ これ喜劇 (うたのすけ)
5696  見るに見かねて 隠居が意見 (建世)
5697 タレレントに 二世議員に チルドレン
5698  帯に短し 襷に長し (霞)
5699 秋祭り 復興ねがい 神輿ゆく
5700  被災地の子ら 久々笑顔 (みどり) 





「国民の生活が第一」の結党記念パーティーは盛会だった

 石原知事の辞任表明と新党構想で号外まで出た同じ25日に、東京のホテルニューオータニでは「国民の生活が第一」の結党記念パーティーが開かれていた。日刊ゲンダイネットによると、定員3000名のホールに人があふれ、入り切れなかった人も含めて4200名以上がホテル側の計測で確認されたという。同ホテルにとっても、これほどの人が集まるイベントは、この十数年来で最高記録だったということだ。
 小沢代表は謝辞の中で、消費増税の阻止と、10年以内の原発全面停止を実現すると熱弁を振るっている。
http://www.youtube.com/watch?v=CZblQ_D59To&feature=player_embedded
小沢氏らの視察団は、10月半ばにドイツを訪れ、脱原発政策の実施について、中央および地方の現状を見聞してきた。それを踏まえた報告と決意に大半の時間を割いている。
 「国民の生活が第一」は、衆議院で37名の議員を擁する第3党、参議院では12名の第4党の地位を占めている。その政党がこのような原発政策を公表したことは、決して小さなニュースではない。さらに、会費20000円のパーティーに4200名の客を集めたということは、ここだけで8000万円超の政治資金を集める能力があることを示している。
 私はこの事実を、新聞の隅で小さなベタ記事を見た以外には知らずにいた。気がついたのは「晴れのち曇り、時々パリ」さんのブログを昨夜見たからだった。国内で大手のテレビも新聞も完全に無視した情報を、海外在住の人が拾ってくれていたのだ。
 小沢新党のパーティーがあることは、事前に公表されていた。この日に石原都知事の緊急記者会見をぶつけたのは、「国民の生活が第一」の存在感を消したい意図があったのではないかと疑う余地がある。たまたま同日になったとしても、全くニュース価値がないという判断は、公正な感覚を欠いていると私は思う。
 小沢一郎が好きか嫌いかという次元の話ではない。日本の政治が今どうなっているか、その判断材料は公平に提供するのがマスコミの仕事だろうということだ。

石原新党って何じゃい

(熊さん)石原都知事が、知事をやめて新党立ち上げだって、どうですご隠居。テレビで見ると80歳とは思えない若い感じだね。ご隠居といい勝負だ。
(ご隠居)うーん、学生時代に「太陽の季節」で芥川賞をとったとき以来、ずうっと問題児だったからな。乱暴な物言いはするが、何かやりそうだという人気もあるようだ。
(熊)でも去年の選挙で知事になったばかりですよね。
(隠)そうだよ。東日本大震災を「天罰だ」なんて言って騒ぎになったあと、出ないと言っていた都知事選に出て4回目の当選をしたんだ。もう13年も都知事をやってるんだな。
(熊)もう飽きたから、最後にやりたいことをやるってことですかね。
(隠)まあ、それに近いかもしらんな。今の政治のごちゃごちゃを見ているうちに、一仕事やったるか、って気になったんだろ。目指すところは石原流保守を再結集する起爆剤になることだな。
(熊)それって、どんなビジョンなんですかね。
(隠)一口に言えば「強い日本の再生」だな。国の基本の憲法は、独立したときに白紙から作り直すべきだったという意見の持ち主だ。だから「改憲」ではなくて「新々憲法の制定」論者だな。核兵器も原発も、必要なら持てばいい、要らないんならやめればいいと、割り切って考えようとするだろう。徴兵制度だって同じことだ。
(熊)へー。尖閣諸島は都が所有して守るとか、外に向けては強硬論者ですよね。中国との関係とか、外交なんかは大丈夫ですかね。
(隠)新党を作るからって、その党が明日にも政権を取って石原慎太郎総理が登場するってわけじゃないよ。これから一波乱も二波乱もあるだろうさ。でもな、大阪の橋下・維新の会と提携するなんて言ってる。官僚支配の政治構造を変えなくちゃならないなんてとこは、時代に合ってるところもあるんだよ。橋下ブームがこのところ下火になっていたのが、東の石原と合体することで、また勢いを盛り返す可能性が出てきたということだな。
(熊)今の政治にはみんな不満があるから、勢いがつくと怖いですね。
(隠)既成政党、とりわけ自民党には脅威だろう、保守の本流争いになるからね。それはいいんだが、右へ振れて行くこの流れを止める力は、どこから出てくるかが大事だな。脱原発、反核、平和、福祉を願ってる国民が盛り立てる政党はどれかということだ。それが石原新党でないことは確かだと思うが、とにかく、見た目の威勢のよさに惑わされてはだめだ。

「今度は地球丸ごと道連れ」を読む

 昨日の当ブログ記事に、「マスコミに載らない海外記事」さんから、まことに適切なトラックバックを頂きました。かなりの長文ですが通読をお勧めします。この記事が、東日本大震災・福島原発事故が起きる前の時点で書かれていることに驚くとともに、改めて「わかる人にはわかっていた当り前のこと」だったのに気づかされます。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-286f.html
ご用とお急ぎの方のために、少しばかり引用すると

今度我々が滅亡する際は、地球規模になるだろう。略奪できる新たな土地はもはや存在せず、搾取すべき新たな人々も存在しない。時間と空間の制限を消しさった技術が、この地球村を地球規模の死を招く落とし穴へと変えたのだ。

という記述が本文の最後の部分ですが、その後につづく関連記事が、福島以後に脚光を浴びた脱原発思想の集大成になっています。福島の事故で与えられた私たちへの教訓は、広島・長崎での体験にも増して人類史的な警告として受け止めるべきです。5年や10年で風化させてはなりません。
 得られる結論はただ一つ、人類は核エネルギーの利用から手を引かない限り、安定的な生存は不可能だということです。

アメリカが表明した「原発ゼロ懸念」の論理を読む

 東京新聞のスクープに対抗するつもりか言い訳かわからないが、今日の朝日新聞「オピニオン」はアメリカ戦略国際問題研究所所長、ジョン・ハムレ氏へのインタビューを大きく載せていた。リード文で「(野田内閣の)閣議決定が土壇場で見送られた背景には米国の強い懸念表明があった」と種明かしもしている。
 ハムレ氏の主張には、現代は原子力発電とともに生きているという強い認識がある。「日本が原発をやめたからといって世界は原子力発電をやめることはない。特に中国は今後30年間に100基以上を新設する」とも言っている。そして核の拡散防止のためには、アメリカのパートナーとしての日本が核とかかわり続けることが必要との持論を展開する。
 すなわち今後の原子力利用が中国・南アジアや湾岸諸国で拡大することを考えると、これらは核の拡散防止に真剣に取り組む国々ではない。世界の商業用原子炉メーカー4社のうち3社に入っている日本が抜けることは、世界の未来にとって大きな不安を招くというのだ。日本を「核の一大強国」と持ち上げることによって、責任感を喚起しようとしているようにも読める。
 日本国民の反核の感情や世論動向は理解できると言いながらも、ハムレ氏の原子力肯定の基調は変らない。高い技術力があれば「安全で信頼できる原子力発電は可能だ」と言うのだ。その証例としてアメリカではスリーマイル島事故以降、新しい安全文化の確立により、65%だった平均稼働率を93%にまで向上させたと述べている。
 インタビュー記者は原発の「手に負えないリスク」も指摘するのだが、ハムレ氏は「慎重に管理しさえすれば非常に安全になりうる」と繰り返す。これは認識の問題だから平行線になるしかない。放射性廃棄物の処理の問題についても「実態以上に大げさに語られている側面がある」と言い、最終的には何らかの国際機関を設けて厳しい監視のもとに回収するのが良いとしている。
 全体を読み終って、時計の針が数年前に引き戻されたような気がした。アメリカの事情はわかるのだが、要するに「気をつければ原発は事故を起こさないだろう」という認識のもとに運転を続け、廃棄物の問題も「世界の英知を集めれば将来なんとかなる」と思っているのだ。
 そして最後は、アメリカでは「どうせ日本は(原発ゼロを)実行できない」というゆがんだ安堵も広がると締めている。さて、こんなアメリカと、日本は最後まで運命を共にすべきだろうか。

法務大臣3年目で9人目

 田中慶秋法務大臣が辞任に追い込まれた。政治家経験の長いベテランだったが、身辺の過去の弱みを突かれた形になった。暴力団関係者との交際の件は、地方政治家として若かった30年前のことで、仲人をしたり会合に出席した相手が暴力団に関係あることが事後にわかったとしている。外国人から献金を受けた件は、2006年から2009年にかけて、横浜中華街の飲食店から事務所が計42万円の献金を受けたものだという。経営者が外国人であることを指摘されて返したということだ。
 外国人から献金の問題は、親しくしていて自分も相手も国籍を疑う意識がなかったという例が、今までにもあった。政治が外国人の献金に影響されてはならないとする法の趣旨はわかるが、30年前の交友も含めて、たとえば会社の人事であったとすれば、本人が有能でさえあれば、問題にするのがヤボと言われる程度のことではないかと思う。
 しかし目を光らせる野党とマスコミの注目を浴びる閣僚人事であり、しかも法務行政を担当する立場であってみれば、厳しい追及を受けるのは、止むをえないことだったかもしれない。これくらいのことが事前にわからなかったのかと、総理が任命責任を問われることになる。
 本人は特に法務に精通していたわけでもなさそうだ。法務大臣という立場は、大臣の裁量が大きい職務とは思えない。「法律問題に関する政府の最高顧問」という位置づけだが、法制でも裁判所でも検察庁でも、それぞれががっちり固まった専門家集団になっている。それぞれの機関に改革を要する問題はあるだろうが、要するに大臣が名誉職に近い立場になりやすいポストだったのではなかろうか。
 内閣には、特例の復興担当を含めて18名の大臣(国務大臣)が就任する。民主党政権になってから総理大臣は3人目になり、途中で内閣改造も行われているから、大臣の延べ人数は、かなりの数になっているだろう。それら全員が元大臣の肩書きを持つ政治家になったわけだ。不幸にして大臣が先頭に立って省庁を改革する「政治主導」は尻すぼみになってしまった。
 しかし、初めて政権についた民主党は、多くの閣僚経験者を持つことにもなった。その中には有望な若い政治家もいるかもしれない。せめてそれらが民主党の財産になってくれるといいのだが。

原発ゼロの閣議決定回避とアメリカの圧力

 先に野田内閣は「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす政策を発表しながら、なぜかその方針の閣議決定を見送ってしまった。本気ではないのかと支持率低下の一因にもなったと思うが、その裏にはやはりアメリカの圧力があった。東京新聞だけがスクープした記事を、天木直人氏が取り上げているのを見て、販売店で10月20日付朝刊の現物を買ってきた。
 この問題については、天木氏が指摘している通り、三つの特徴がある。第一は、圧力の伝達方法が、アメリカの有力シンクタンク顧問の発言だったり、副長官や補佐官クラスの人たちから日本側の外交ルートに乗せるといった、実務者レベルで行われており、トップからの正式申し入れの形をとらないということ。
 第二は、日本側は一通りの反論はしているが、結局は優位な立場を生かすことなく、アメリカの立場に配慮する「無難な」反応しかしないということ。日本が原発から撤退すれば、日本の技術力に頼って安全な原発を普及するというアメリカの世界戦略が崩壊する。日本は優位な立場で交渉できる筈であるのに、そんな意欲がない。
 第三は、アメリカ側は「日本国内で外圧と取られないように注意してほしい」と口止めに念を入れているということ。そして「日本の主権を尊重する」と言いながらも、「あまりにも重大な問題だ」などと釘をさすことを忘れない。つまり日本政府に「自発的な判断」をさせたいのだ。だがその裏で、日本国民にアメリカからの圧力だと知られ、反発を受けることを何よりも恐れているのがわかる。
 こういう記事を書ける新聞が、沖縄を除けば東京新聞だけになっている現状を、どう考えたらいいのだろう。もうわかっている当り前のことだから、改めて記事にするまでもないと判断しているのだろうか。もしも野田内閣が「アメリカとの関係を考慮して閣議決定はできなかった」と発表したら、どんな記事を書くつもりだろうか。
 原発をどうするか、日本人が日本の未来のために決定権を行使するためにも、アメリカとの関係を見直すしかないようだ。これは次の選挙で大きな争点になる。

核兵器の非合法化署名を拒否した日本政府

 3日前の記事だが、国連総会の軍縮委員会で、スイスやノルウェーなど16カ国が「核兵器を非合法化する努力の強化」を促した声明案を作成し、日本にも署名を打診したが、日本政府は拒否を決めたということだ。理由は「アメリカの核抑止力に国防を依存している現状の政策と整合しない」のだそうだが、これはおかしい。
 声明を作成した16カ国には、NATO加盟国のノルウェーとデンマークも入っている。アメリカの「核の傘」に入っている事情は日本と同じだが、遠慮などしていない。声明は、核の不使用を保証する唯一の道筋は「完全で不可逆的で検証可能な核兵器廃絶」だとしている。唯一の被爆国である日本が、これに賛成できないとは、どういうことなのか。
 アメリカは、一時はオバマ大統領が「核の廃絶」を口にしてノーベル平和賞を授与されたのだが、その後は一向に核軍縮を進める気配がない。むしろ今でも「使える核兵器」の研究・開発を続けていると言われる。アメリカが核の廃絶に前向きでないから、日本も同調しなければならないというのだろうか。自民党政権ならいざ知らず、民主党政権になっても、そこまでアメリカ本位にしか行動できないとは理解に苦しむ。広島と長崎で毎年の夏に「二度とこのような惨禍のないように」と首相が演説しているのは、国内向けのポーズに過ぎないということか。
 戦時国際法は残虐な武器の使用を禁止しているが、核兵器については明確な規定がない。しかし無差別攻撃は禁じているし、核兵器が容認される余地はない。化学兵器や細菌兵器が禁止されているにもかかわらず研究されているのは公然の秘密だが、核兵器が現に存在しているというだけの理由で合法的に使えるというのは筋が通らない。
 核は兵器として使ってはならないのは現代の常識だと思うのだが、それを明文化しておくことに、なぜ抵抗する必要があるのだろう。アメリカの同盟国だからといって、核の廃絶声明に賛成する自由もないとは情けない。無条件服従のマインドコントロールをされているようだ。

ブログ連歌(284)

5659 教育の 統制強まり いじめ増え (みどり)
5660  世界規模での 競争社会 (建世)
5661 人間も データ容量 限度あり 
5662  蓄えすぎは いけないですよ (パープル)
5663 悪霊の ごとく取り付く ハッキング (建世)
5664  ふい打ちに来る 冤罪の罠 (みどり)
5665 今の世で 一番性質の 悪いやつ
5666  確信犯と 愉快犯人 (霞)
5667 もちっと 気合い入れよう 野田さーん (うたのすけ)
5668  沖縄滅び 日本も滅ぶ (ハムハム)
5669 無念なり ああ無残なり 沖縄よ
5670  犯すもの満つ 空にも地にも (建世)
5671 基地かこむ ディゴ咲く島 忘れまじ (みどり)
5672  花と歌こそ 平和守るに (建世)
5673 司法権 何故に及ばぬ 米兵に (みどり)
5674  地位協定で 身分違うと (建世)
5675 自立なく 米国盲従 この国で
5676  果たして人は 命あるらん (ハムハム)
5677 わが国は 千代に八千代に くにたみ(国民)の
5678  さき(幸)わう国ぞ 生きてし抜かむ (建世)
5679 変革を 未来に託す 大宇宙 (みどり)
5680  夜空に求む 新生の星 (建世) 




なぜいま「縄文の記憶」

 昨夜の老人党護憲+(プラス)の例会では、古川博資(ひろし)氏のお話を聞きました。古川氏は元明星学園社会科教師、大学講師の経歴ですが、憲法サークルの主宰者で研究家、かつ画家でもあるという、非常にユニークで魅力的な人でした。
 最近は、瀬戸内海で上関原発への反対運動を続けている祝島(いわいしま)を三度にわたって訪ねているということで、「九十九(つくも)山人、ハート島を描く」という画集を出しています。九十九山人とは画家としての号で、ハート島とは、祝島がハートの形をしているからです。
 この島に明星学園の教え子たち家族とともに民宿した経験からも、私たちの中にある「縄文の記憶」の大切さを改めて認識したとのことでした。それはゴミを一切出さない暮らしであり、貨幣の流通を必要とせず、老人の介護にも行政の関与を要しない社会です。新自由主義の対極にある社会経済のありようと言えるでしょう。
 それだけだったら「自然に帰れ」の運動と見ることができますが、この「縄文の記憶」が、憲法の論点にもなっているのですから隅に置けません。近代西洋とは別な経路からも「人間の尊厳と自由と平和」を論じることができるのです。
 古川氏の著書に「二十一世紀を生きるあなたの日本国憲法」(発行所衙命紂κ幻鉾如砲ありますが、その表記法がユニークでした。句点ごとに行分けするだけで、主語と述語の関係や、言われている内容が明瞭になるというのです。つまり縄文の記憶として読めるのです。試してみてください。

日本国民は
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し
われらとわれらの子孫のために
諸国民との協和による成果と
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し
政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し
ここに主権が国民に存することを宣言し
この憲法を確定する
(日本国憲法前文の冒頭部分)

一人一票という当然の権利

 最高裁の大法廷は、参議院選挙における「一票の格差」が5倍に達しているのは「違憲状態」との判断を示した。都道府県ごとに基礎の2議席を配分し、あとは人口比例にする今の方式では無理があるのに、その是正を怠っているというのだ。自分の住所によって選挙権の影響力が5倍も違うというのは、基本的権利の平等に反する。
 もっとも、地域の代表を選ぶというのなら、違った考え方もある。有名なのはアメリカの上院で、これは50の各州から2名の議員を選んで定員100名で構成する。任期6年で2年ごとに3分の1を改選するから、常に洲単位に定員1名の単純小選挙区の選挙を行うことになる。当然、洲の人口には大きな格差があるのだが、歴史的に洲の独立性が高い「合洲国」だから、それなりの理屈はある。
 しかし日本の都道府県はそれとは違って便宜的な区分の色彩が強い。歴史をさかのぼれば大名が治めた「藩」の時代もあったろうが、県ごとの強烈な個性が残っているわけではない。人はあまり住んでいないが、面積が広いから一人当りの発言権が大きくていいという理屈は、説得的ではないと思われる。
 「一票の格差」は、衆議院選挙区ではもっと深刻で、現在すでに違憲であり、このまま選挙を強行すれば当選無効の判決が出そうなところまで来ている。だから応急措置の「0増5減」案などがあって、赤字国債発行法案とともに、解散総選挙の前提として政局のかけひきに使われているわけだ。民主党は同時に衆議院比例代表のみ80名削減を公約していたが、これは死票を多くして中小政党を抑圧する政策だから認めるわけには行かない。
 二大政党の政権交代による政治刷新の夢が破れた今、選挙は国民の自由に表明する意思がなるべく素直に反映する制度であるのが望ましい。小選挙区制で候補者選びが窮屈になって以来、投票率が目に見えて低下してきた事実もある。次の選挙には実現が間に合わなくても、時代に合った選挙制度の改善ということを、政策の大事な争点にすべきだと思う。その基本には、もちろん「一人一票」という当然の権利の回復がなければならない。
 選挙制度だけを考えても、今の野田政権には荷が重そうに見える。水没するのか泥の中まで潜るのか知らないが、泥鰌だからと冗談を言っている場合ではなくなってきた。まさか冬眠はしないだろうが、間もなく水面に氷の張る季節がくる。

日本合唱協会の新作合唱組曲「平家物語」を聞く

 昨夜は日本合唱協会(日唱)の定期演奏会で、新作初演の「平家物語」(構成・作曲 半田淳子、作曲・編曲 北爪道夫)を聞きました。琵琶の弾き歌いと、ピアノ伴奏の合唱を融合させた、それでいて少しも不自然さを感じさせない6曲からなる組曲でした。構成は
1・祇園精舎
2・妓王
3・俊寛
4・敦盛の最期
5・那須与一
6・壇ノ浦
と進みます。最初は琵琶法師の語りに控えめなハミングをつける程度だった合唱団が、後半に向けて主役として登場してきました。要所に語りが入り、歌詞も聞きやすくて、物語の内容がよくわかる演奏でした。
 平家物語は古典ではあっても、難解な古語ではありません。私は高校のとき、ほとんど現代小説と同じ速度で読み通したことがあります。変転する人の運命と戦乱の帰趨を語りながら、「諸行無常」の世界観が通底しています。どのように悲惨な運命も、春の夜の夢のように消えて行くのです。
 壇ノ浦の最後には、平家の奉じた安徳天皇が「波の下の都」へと入水します。琵琶法師はここで「おん命を 一時にほろぼし給うこそ 悲しけれ」と語って物語を閉じるのですが、その後に合唱団の壮大な歌詞のない鎮魂歌が、クライマックスを作っていました。このとき、これは翻訳を要しない世界に通用する鎮魂だと思いました。
 奇妙なことですが、客席で聞きながら、私は日本の政治の現状を考えていました。本人たちは大まじめでも、まさに風の前の塵と同じではないか。すべては時とともに無に帰する運命であるのに、何にこだわって人も己も苦しめなければならないのか。平家物語の世界に身を浸したら、ツキものが落ちたように、本来自然の人間に戻れるのではなかろうか、と。
 「祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語の無常観は、仏教が日本的に変化した「あきらめの世界観」です。それは、たくましい建設性に欠けるかもしれませんが、「死を思え」の哲学のように、人間を浄化し素直にさせる作用を持つもののように思えます。

ノーベル平和賞を日本国憲法に

(熊さん)ノーベル平和賞が、EUに行ったんだってね。ちょっと変ってますね。
(ご隠居)団体に贈られることもあるからいいんだが、思い切ったことをしたもんだ。適当な個人が見つからなくて窮余の策か、あるいはガタついてるEUを元気づけようって意図かもしれないな。EUがヨーロッパの平和に大きな貢献をしたことは間違いがないからね。しかも、敗戦国だったドイツが中心になって仕上げて来たってところが尊いな。
(熊)負けたから悔しい、復讐だなんて思わなかったんですね。
(隠)負け方もひどかった。全土をほぼ完全に占領されて終ったんだからね。固有の領土までも大きく取り上げられて、国も東西に分割されてしまった。そこから立ち上がって、二度と戦争を起こさないためにはどうしたらいいかを、原点から考えたんだな。それが資源を共有しながら周辺国が共存共栄を進めるという考え方だった。言葉では簡単だが、実行には多くの難しさがあっただろうさ。
(熊)同じ敗戦国だった日本も似てませんか。二度と戦争はしないって憲法を作ったんでしょ。
(隠)それはそうだが、これには日本を二度と戦争相手にしたくないアメリカの意向が強く働いたんだ。だから軍備を持たず世界の平和に貢献しようという理想が、自分たちで選んだというよりも、外から押し付けられた印象が残ってしまった。それが今になっても「自主憲法制定」なんて右派の主張として出てくるんだよ。
(熊)それでもずっと、憲法は変えずに守ってるじゃないですか。もっとも、自衛隊なんて、かなり立派な軍隊を持つようになっちゃったけど。
(隠)解釈改憲というわけで、恥ずかしいような扱いをしてきてしまったな。でも憲法のおかげで、自衛隊は今まで一人の敵も殺さずにいられたんだよ。これは世界に対して誇りにしていいと、わしは思ってる。
(熊)おいらもそう思いますよ。次のノーベル平和賞は、日本の憲法に貰えませんかね。
(隠)ほほう、そりゃいいな。67年間、曲がりなりにも戦争放棄の憲法を変えずに守っているんだ。これは日本人というよりも、憲法そのものが受賞の対象だな。
(熊)ね、いいでしょう。ノーベル賞を貰ったとなれば、憲法を粗末には扱えなくなりますよ。
(隠)ははあ、こりゃいいぞ。たった一回の演説でノーベル平和賞を貰ってしまったオバマよりはずっといい。世界平和の理想を勇気づける奨励賞にもなるわけだ。ノーベル平和賞の受賞まで、ますます憲法を守らにゃいかんな。

護憲は9条だけではなかった

 先日の小森陽一氏の講演内容を、その後も何度も思い出しています。学校が「いじめ」の場になってしまうのは、学校が教育の場ではなくなって、統制と競争の場になっているからだという指摘がありました。そのとき、この問題は日本の学校だけの問題にとどまらず、世界の現状と国家単位の「いじめ」にも通じていると思いました。
 教育とは、個人の能力を引き出し、その結果として社会の良き構成者として活躍できる人格に育て上げることでしょう。それが民主主義社会における人間観だと思います。ですから国家を絶対者として上に置き、もっぱら国家に奉仕する「人材」に作り上げるスパルタ式の全体主義教育とは異質のものです。
 小森氏のレジュメには、日本国憲法の前文と第9条のほかに、あと6個条の憲法条文が抜粋されていました。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。(以下略)
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。(以下略)
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(以下略)
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。(以下略)
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。(以下略)
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
 これらの基本的人権を明記した憲法の一部分として不戦平和の第9条があると意識すると、小森氏の言いたかったことが、さらに明瞭になってきます。そして「階級制度への批判」という視点が、最初は古くさい歴史観のように感じられたのですが、まさに現代の問題であると納得できました。
 現代の階級制度は、憲法に定めた身分制度ではありません。それでも世襲を繰り返す政治家、一度合格すれば生涯にわたって身分と収入を保障される公務員制度、近年では資本と経営を支配する少数とそれを取り巻くエリート集団、正社員と非正規労働者の格差など、事実上の階級制度が構築され、それらは強化される傾向です。
 資本と結託した新自由主義に押されて、民主主義を後退させてはならないのです。そのシンボルとしての護憲であり9条の会なのでした。

自公民連立という憂鬱な予想

 天木直人氏のブログなどで見られるようになった憂鬱な予想がある。行き詰まった野田政権の終着点には、自公民連立政権を期待しての「話し合い解散」があるのではないかというのだ。自民党としても、選挙さえすれば必ず安定多数になれるほどの自信はない。だから、選挙をしても民主党は政権内に留まれるという期待を与えてやれば、野田総理は解散総選挙に応じるだろうというのだ。
 世論調査などを見ても、自公民の連立を許容する回答は少なくない。政争はもうたくさんだから、挙国一致的に協力してくれという気分を反映しているのだろう。政権交代を繰り返すことによって、政治を国民の期待に近づけて行くという二大政党論は、完全に期待を失ってしまったようだ。
 この状態で選挙に突入したら、どうなるだろう。選挙制度は、二大政党・政権交代を促進するための小選挙区制のままになっている。オール与党の保守化が予想される中で、対立の軸になる政党が見当らない有権者の困惑は大きいだろう。共産、社民には追い風だろうが、一挙に5倍増しても主役の座にはまだ遠い。自公民にしても積極的な支持が増えるとは考えられない。もしかすると、小選挙区制の下での多党化という、珍現象が起きるのかもしれない。
 小沢新党の「国民の生活が第一」は、せめて「国民党」ぐらいの名で広い受け皿になってくれるといいのだが、なぜか情報が少なくて何をしているのかが伝わってこない。出来たばかりの「みどりの党」は、まだ種まきの段階で、社民党との連携を模索している人もいるが、基本的には来年の参議院選を政界デビューと位置づけているようだ。
 私はどちらかというと、来年9月の任期満了まで、民主党にはなんとか持ちこたえて欲しいと思っていた。しかし包囲網は日に日に厳しくなってくる。衆議院の単独過半数を維持できるかどうかが分かれ目になるだろう。
 日の出の勢いで登場した民主党が、3年後にこうなるとは思いも寄らなかった。しかし民主党のために付言すれば、この3年間で大きな失政があったわけではない。天災で露わになった多くの問題も、原因は自民党時代に積まれていた。対米自立も公務員制度改革も、今までにできなかったことをやろうとしたことは事実で、すべてが無になったのではなく、成果の一部は残っている。
 だから一度で成功しなくても、失敗を教訓としてやり直すのが王道なのだ。それを、保守勢力の中へメルトダウンしたのでは一巻の終わりで、また最初から出直しになる。いいと思って作ったものがオシャカになって最初から作り直しでは、誰にとっても憂鬱な仕事になる。

ブログ連歌(283)

5639 筋力を 鍛え強める 負けぬ意志 (みどり)
5640  アンチエイジの 滑空飛行 (建世)
5641 この国の 政治はナシの 日が続き (うたのすけ)
5642  国会議事堂 しばらく休業 (建世) 
5643 議事堂も 議事が無ければ ただの箱 (霞) 
5644  ああだこうだと 堂々めぐり (建世)
5645 議事堂の 迷路で彷徨う 野田総理 (霞) 
5646  行方は知らず 風の間に間に (建世)
5647 ノーベル賞 競うも外す 化学賞
5648  光触媒 内示ありしに (みどり)
5649 お隣を 選べぬ不幸 惨事産む (うたのすけ)
5650  国同士でも 同じことかな (建世)
5651 一国を 挙げて転居も 儘ならず
5652  ならぬ堪忍 するが堪忍 (うたのすけ)
5653 長州と 薩摩結んだ 維新とは
5654  似ても似つかぬ 新党厭う (みどり)
5655 居酒屋で 人生いろいろ 垣間見る (うたのすけ)
5656  聞いておくれよ 嘆きも夢も (建世)
5657 揶揄(やゆ)聞くも 憲法九条 守りぬく (みどり)
5658  現実理念 揶揄を凌駕す (ハムハム)
5659 教育の 統制強まり いじめ増え (みどり)
5660  世界規模での 競争社会 (建世)





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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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