志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2013年01月

原発ゼロ政策をゼロベースで見直すと明言した安倍首相

 衆議院の所信表明演説に対する代表質問の場で、安倍首相は民主党政権が掲げた「2030年代に原発稼動ゼロ」とする方針を「具体的な根拠を伴わず、国民に不安や不信を与えた」と批判した上で、エネルギー政策をゼロベースで見直すと明言したということだ。
 理屈のすりかえで、原発ゼロ政策が国民に不安や不信を与えたというのだから、朝日夕刊のコラム「素粒子」も「聞き違いかと耳を疑う。政策破綻を無視して進む特攻精神。」と書いている。民主党の政策を攻撃したい一心が先走っているのだろうが、原発依存を前提にしかものを考えられない「原子力村」の一員であることを、安倍首相自らが宣言したようなものだ。
 もちろん国民の不安と不信は、原発の存在そのものに向かっている。現在は大飯の2基しか動いていないが、それでも節電を要請された北海道を含めて、厳寒にもかかわらず日本の電力は足りている。燃料輸入の増加などの問題はあるにせよ、原発を止めても破綻しない日本経済の現状は小康を得ていて、国民に安心を与えていると言ってよい。原発の再稼動に向けての動きこそが、国民の最大の不安と不信の要因になっていることを、安倍晋三という政治家は理解できないのだろうか。
 この総理の下でゼロベースから見直されるという新エネルギー政策の中で、原発依存からの脱却が最優先される可能性は、限りなく小さいと覚悟しなければならない。参議院選挙までは安全運転で、腰を低くサービスにつとめると見られる安倍首相だが、原発についての態度では、早くも本性を明らかにしたように見える。

「春待ち日和」と名づけよう

 寒い冬だったが、日の光は強くなっている。ほぼ三ヶ月にわたって屋上まで行っていたわが家の洗濯物干しも、あと10日ほどで本来の二階のベランダにもどることができる。この時期、季節が一時的に進んで春を予告するような温暖な気候が訪れることがある。今日がそんな日だった。
 寒さに向かう秋の終りごろにも、温和でおだやかな天候がめぐってくることがあって、こちらの方は「小春日和」という呼び名がある。もっとも若い人たちには知らない人も多いらしくて、クイズの問題にも使われることがあるが、今のところはその意味で定着している。
 でも実感としては、春の予告を「小春日和」と呼びたい気持はよくわかる。乾いた寒風にさらされる関東地方に住んでいても「小春」の到来は嬉しいものだ。雪国の人たちにとっても、冬型がゆるんで太陽の温かさを感じられる「小春日」は喜ばしいのではなかろうか。
 そこで「小春」を使わない春の先触れの呼び名を考えてみた。春になれば、こういう日が続くんだなという期待を込めて、「春待ち日和」というのはどうだろう。俳句にどんな季語があるかは知らないが、七音だから使えそうな気もする。
 冬が来れば春は遠くないというのは、高緯度の民族には普遍的な言いならわしのようで、英文科仲間の年賀状にも If Winter comes, can Spring be far behind? と書いてあった。
 日本の政治の冬も長く続くかもしれないが、永続する冬はないし、あってはならない。冬の中にも春はきざしてくる。「春待ち日和」を大事にしよう。

地球挽歌・宇宙空間で宛先のない遺書を書く

「戦友」の曲(ここはお国を何百里……)による替え歌

 地球挽歌

ここは何処かは 知らねども
今もただよう 宇宙旅
時も流れぬ 光速度
不思議にいのち 永らえて

思えば悲し 放射能
二十世紀の 大ニュース
キューリー夫妻に 見出だされ
人智の光と 祝うたに

晴れのデビューは 核爆弾
広島、長崎 焼き尽くし
それでも足りず 水爆へ
破壊と殺戮 かぎりなし

されば平和な 利用をと
辻褄合わせの 原発や
経済発展 第一と
後の始末も 考えず

折から起こる 災害に
人々ようやく 目を覚まし
これは子孫の ためならず 
脱原発の 声高し

それでも懲りぬ やからども
ことの大事を わきまえず
目先の金に 目がくらみ
ついに破綻の 大惨事

住めない世界 後にして
わずかに逃げた 背景に
地球ひとつが くるくると
回っていたも 情けなや

跡なく消える 人類の
はかない歴史 書きしるす
読む人のない 遺言に
思わず落とす 一しずく

(追記・原曲の「戦友」は、明治38年に作られており、歌われている「満州」は、日露戦争の戦場としてです。戦死の悲しみを素直に歌った名曲として有名ですが、太平洋戦争期には、戦意高揚に反する好ましくない歌として、軍部の検閲により歌集などから削除されました。原曲の歌詞は、以下で見られます。)
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore7/4113senyu.htm

放射線による人類駆除計画

(熊さん)何ですご隠居、人類駆除計画とは穏やかでないね。
(ご隠居)ちと薬が強すぎるかな。「読谷の風」さんのブログで、こんな記事を読んだんだよ。琉球新報・社会欄からの引用ということだ。
(以下引用)
アリモドキゾウムシ根絶確認 甲虫で世界初 年度内にも根絶宣言
 那覇植物防疫事務所は2013年1月11日、2012年6月から久米島で実施していたイモ類などの特殊病害虫・アリモドキゾウムシの駆除確認調査で、実質的に根絶を確認したと発表した。放射線を照射して不妊化したアリモドキゾウムシを大量に放つ不妊虫放飼法による甲虫の根絶は世界初となる。今後、農林水産省消費安全局へ報告後、省令改正などを経て早ければ年度内に正式に根絶が宣言される見込み。(引用終り)
(熊)へぇー、害虫が根絶ですか。これ、いい話じゃないですか。
(隠)わしも最初はそう思った。農家にはたしかに朗報なんだろう。だがな、放射線を照射して不妊化した虫を大量に放つ不妊虫放飼法なんてものがあるのを、初めて知ったんだよ。導入してほぼ半年で根絶というんだから、すごい方法があるもんだと思った。これを人間に応用したらどうなる?
(熊)えっ、まさか人間にそんなことしないでしょう。
(隠)それは当り前だが、原発とか核兵器とか、世界中で放射性物質を野放しで増やしてるんだよ。現に福島では、今も放出が止まっていない。汚染地域の除染だって一進一退で苦労してる。それなのに原発を早く動かしたい人たちがいるんだ。放射性物質の始末の悪さ、扱いを誤った場合の危険の大きさを考えたら、早く人間界から遠ざけるしかないのにな。
(熊)そりゃ、おいらもそう思いますよ。
(隠)だろう。わしが思うには、地球には守り神がいるんだな。人間があんまり勝手に地球をいじるもんだから、そろそろ人間を駆除しなくちゃならんと思い始めた。そこで目をつけたのが放射能というわけだ。これを人間の身近に置いてやれば能率よく駆除できるとな。それに乗っけられて喜んで放射性物質を集めてる連中は、地球神にマインドコントロールされてることになる。
(熊)うーん、なんだか怖い話だね。
(隠)現代のおとぎ話だよ。地球神の手先になった使徒たちは、人類によいことをするつもりで、せっせと人間駆除計画に協力するわけだ。そして人類が絶滅した美しい地球が守られる。これは、いい映画になるよ。だけど、その映画を見る観客は、いったい誰だろうね。

ブログ連歌(300)

5979 久しぶり 企業戦士の 名をきいて
5980  無念でしょうと ただただ合掌 (うたのすけ)
5981 たらちねの 母をのこして 逝く君は 
5982  企業戦士か 兵士なりしか (樹美)
5983 危機管理 武器携帯と 裏表 (うたのすけ)
5984  世界は市場 そして戦場 (建世)
5985 チトばかり 英霊帰国の 雰囲気が (うたのすけ)
5986  無念の霊魂 世界を結ぶ (建世)
5987 先輩ら 兵なりし日に 隊は消え
5988  友(一人とて) 帰らざりとぞ (樹美)
5989 言霊や 魂宿り 人となる 
5990  今は亡き人 あなたのそばに (パープル)
5991 親よりも 先に旅立ち ただ哀し (みどり)
5992  悲しむ母に 涙止まらず (うたのすけ) 
5993 地の果てで 巻き込まれたり 戦争に (うたのすけ)
5994  そこは混沌 マグマの溜まり (建世)
5995 人類の いない地球に 春がきて
5996  無住の遺跡 花鳥の楽園 (建世)
5997 やがて来る 宇宙ぐらしの ヒト種目 (みどり)
5998  きっと憂き目みて そして絶滅 (うたのすけ)
5999 千光年 宇宙の果てに 人は去り 
6000  回りつづける 惑星ひとつ (建世)

映画「ひまわり〜沖縄は忘れない、あの日の空を」を見る

 沖縄復帰40年企画作品として、市民団体などの協力も得て完成した映画「ひまわり」(監督・及川善弘)の先行ロードショー(新宿武蔵野館)が始まったので見てきました。長塚京三、須賀健太(三丁目の夕日の「淳之介」役)などが出演しています。
 アメリカ軍施政権下の1956年に起きた「宮森小学校・ジェット機墜落事件」(学童11名を含む18名が死亡、重軽傷210名)および2004年の沖縄国際大学構内へのヘリ墜落事件を下敷きとして、いまだに「戦後」を迎えられずにいる沖縄の現状を描いています。
 宮森の小学生だった「おじい」の世代は、沖縄戦の空襲を体験した親たちに育てられました。ジェット機の墜落は、まさに戦争を再現する修羅場でした。その記憶は、戦争の記憶と融合して、語られないモノクロの世界に閉じ込められていたのです。唯一残っていた記憶は、先生と生徒たちが育てたひまわりの、あざやかな花の色でした。
 その記憶に現代の光を与えたのは、沖縄国際大学の学生たちでした。ゼミの研究課題としての基地問題を考える中で、宮森小学校の事件を手分けして取材し、世代をさかのぼる記憶を掘り起こして行くのです。この構成には無理がなく、的確で過不足のない演出とともに、自然な流れの中で基地問題の全体を考えさせる作品になっていました。
 戦争の直接の体験者は次々に退場して、時代は確実に次世代、次々世代へと移りつつあります。反戦(というか「脱戦争」)の思想は、若い世代によって再発見されるのでなければ、今後に生きる思想として根づくことはできないでしょう。劇中で学生たちが企画したコンサートのタイトルが Sky Peace だったと思いますが、平和な空を取り戻すための、唯一可能な提案として受け取ることもできます。
 この映画を見れば、島ぐるみの地上戦を含めて、ヤマトと呼ばれる日本本土が、沖縄にいかに大きな犠牲を押し付けてきたか、そして今もそれを続けているかがよくわかります。これは沖縄のローカル映画ではなく、日本全国でこそ広く見られるべき秀作映画です。

現行選挙制度の大罪

 昨夜の老人党護憲+の例会では、市民活動家、太田光征氏の話を聞きました。前回の総選挙の結果を検討して、今の選挙制度がいかに民意をゆがめているかを明らかにしていました。自民党圧勝とされているものの、その得票率(比例区)27.62%は、民主党に大敗した前々回の26.73とほとんど変っていなかったのです。小選挙区では、有権者の投票の、じつに56%が死票となりました。
 死票が多く出る小選挙区制の欠点を救済するための比例区でも、全国を11のブロックに分割しているため、やはり不公平な結果になりました。有権者はどの党を支持したのかを、もっとも素直に反映していると思われる比例区の得票率を基準にしてみると、民意と乖離しているのが一目瞭然です。

  全国一区の比例 比例区のみ全国 実際の選挙結果
自民    132      288       294         
維新     98       51        54
民主     77       56        57
公明     56       30        31
みんな    41       20        18
共産     29       11         8
未来     27       12         9
社民     11        5         2

 一見して、自民党が2倍以上の利得者となり、共産、未来、社民は3分の1から5分の1以下の議席しか得られなかったのがわかります。
 政権交代を起こりやすくすることを目的として作られた現行の選挙制度は、民主党への政権交代で、一度は効果を発揮したように見えました。しかし実際に起きたのは民意の多様化でした。2大政党の切磋琢磨で政治の質が向上するというのは、現代では虚構と化しているように見えます。
 このままで推移すれば、事実上の一党支配または見せかけだけの2強による政権のキャッチボールへと移行するかもしれません。多様化の時代には、それに適した選挙制度が必要です。太田氏は、中選挙区と比例代表の組み合わせを主張していました。
 このままの選挙制度で次の総選挙を行うことの危うさを、もっと意識してこの夏の参議院選挙に臨む必要があります。

ここは地の果てアルジェリア

 BS日テレで、月曜日夜9時から放送される「こころの歌」という番組があります。この番組のために結成された合唱団「フォレスタ」は、全員が音大卒で、ソロも歌える歌唱力のある人たちです。歌謡曲でも、端正な歌声と虚飾のない演出で歌ってくれるので、妻が大ファンになっています。
 この月曜日21日に放送されたのは昭和歌謡曲集で、その中で「カスバの女」が歌われたのは絶妙のタイミングでした。「ここは地の果てアルジェリア」という歌詞が有名です。昭和30年代の感覚では、アルジェリアはそのような場所でした。パリから流れてきた女と外人部隊が歌われており、「あなたも私も買われた命」と、刹那の恋と別れを歌っていました。
 フランスを拠点に活動している「晴れのち曇り、時々パリ」さんは、今回の人質事件について「イスラムの反撃は平和国家ニッポンには理解の及ばない所に有り、そのニッポンでは全てがバラエティー」として綿密な考察をして、「イスラム過激派のテロ」という括りでは説明にならない現地の複雑な事情を述べています。
http://blog.goo.ne.jp/veritas21/d/20130123
 そして最後の一人として遺体が確認された日本人と、会合の相手方だったイギリス人こそが武装勢力の主要な標的であった可能性に言及しています。日本政府の情報能力などでは手の出せる相手ではありません。国境を超える民間人の努力が、人と人との信頼関係を築いたからこその事業でした。
 人は、何かがあると思えば、地の果てまでも行かずにはいられない本能を持っています。それが武器なくして人間同士の信頼で結ばれる事業として発展するなら、地の果てにも希望は生まれるでしょう。ヨーロッパ各国のエゴで引かれた不自然な国境線を克服する道は、それ以外にありえないと私は思います。
 不幸な事件に巻き込まれることはあっても、意気に感じて地の果てをめざす日本人は、これからも後を絶たないでしょう。しかし邦人を保護するという名目で、地の果てにまで軍を派遣しようとするのは、破綻を約束された試みになるでしょう。

「近代を超えて〜西田幾多郎と京都学派」を見る

 日曜日に放送されたNHKの「日本人は何を考えてきたのか」シリーズ第11回「近代を超えて〜西田幾多郎と京都学派」を録画で見ました。この回は、生物学者の福岡伸一が「旅人」として案内役を勤めるというので興味がありました。福岡氏には「生物と無生物のあいだ」および「世界は分けてもわからない」という名著があり、当ブログでも紹介しています。
 西田哲学については、兄との会話で名は知っていた程度で、体系的に読んだことはありません。「絶対矛盾的自己同一」という言葉が有名ですが、戦前は「哲学者の言うことは難しくてわからない」ことの代名詞でもありました。私も途中で二度ほど居眠りをして、ビデオを戻して見直したのですが、やはり自信をもって理解したとは言えません。でも大筋は、こういうことです。
 西欧の学術(哲学を含む)は、事象を分類し定義し名前をつけることで「わかった」ことにする。しかしそれは自分(主体)が揺るがないことを前提にするから、事象との相互作用によって主体が変化することに対応できない。ここに「無」を重んじる禅を代表とする東洋思想と融合した新しい「国産の哲学」が生まれた。それが西田哲学だというのです。
 西田哲学は、当時の政治に対しては、主体の存在を疑うという意味では批判的でしたが、反面では西洋を超える思想として国粋主義に利用される危険もはらんでいました。西田哲学と京都学派を積極的に活用しようとしたのは海軍でした。そこに高木惣吉の名が出てきたので、私は別な興味から少し調べてみました。以下は、番組では取り上げられなかった話題です。
 太平洋戦争の末期、サイパン島の失陥で日本の敗戦が決定的になったとき、海軍の一部には、東条英機首相を暗殺して早期講和をはかるクーデター計画がありました。その中心人物が高木惣吉少将(後の最高位)だったのです。しかしその計画は、東条首相が天皇の信任を失って自発的に退陣したために不発に終ったということです。
 もしこの時点で海軍による政権奪取と早期講和が実現していたら、戦争の惨害は大幅に緩和されたことでしょう。哲学者たちの思考に学んだ軍人は国を救ったかもしれませんが、実現はしませんでした。逆に京都学派は、大東亜共栄圏の理論づけに協力させられる場面もありました。
 そして現代において、世の中は絶えず相互に作用し流動することで限りなく続いて行く。西田哲学の本質は、非常に先進的であったと福岡伸一氏は結論していました。

人の「いのち」について考えた

 昨日は午前から午後まで、長いこと夫婦で病院にいました。私は大腸がん切除後2年3ヶ月の定期検診で、妻は雪の屋上で転んだとき痛めた手首の手当てで、担当医は違うものの、外科の世話になっていました。採血やレントゲン撮影などもあり、往来の先々での混雑による時間待ちもあって、意外な長時間になりました。
 病院にいると、いろいろな患者の姿を目にします。概して老人が多く、杖を頼りにようやく一人で来ている人、車椅子で家族に介助されている人など、いろいろです。そうした中にいると、自分たちの立場も考えざるをえなくなります。
 私の検査結果は良好でした。「腫瘍マーカーは正常、栄養状態も非常にいいですね」ということでした。「自覚的にも毎度の食事がうまいし、胃腸の具合も快調です、腸が短くなったからですかね」などと呑気な会話をして、次回の3ヵ月後のCTの予約をしました。これで術後5年生存の半分通過になります。病院としても優良患者にカウントできるのでしょう。
 先日「Dr鼻メガネ」さんのブログに、こんな書き込みがありました。(以下引用・タイトルは「原因」です)

歌手の前川清さんが
藤圭子さんとの離婚原因を聞かれて
結婚したから
と答えたというのは有名なこと

曰く言い難いけど
全てはここにつながるから
これ以外言い様がないよ
という気持ちがなんだかよく伝わります

これを敷衍すると
死因は?と聞かれて
生まれてきたこと
と答えることになりますね
これ
なかなかいいですね

この考えの流れだと
生と死を対立するものというより
死を含んだ生を生きているという感じにもなりますね
(引用終り)
 これを明快な定義として、愉快に感じられる自分を幸せだと思いました。前川清は、「だから藤圭子と結婚して損した」とは思わなかったのではないでしょうか。生まれてきて損したと考えても、おそらく何も解決しないでしょう。ただし自分が絶望の病状となり、天涯孤独になったときにも生きていることを呪わずにいられるか。そのとき幸福の記憶は、絶望の原因ではなく、満足の根拠になってくれるといい。ぜひそうしたいと思うのです。

ブログ連歌(299)

5959 チト変ね 保護費下げずに 賃上げを (うたのすけ)
5959B 仕組まれし 弱者切り捨て 反対す (みどり)
5960  民が富まずに 国が富むとは (建世) 
5961 アルジェから 安倍政権に 試金石 (うたのすけ)
5962  武力はだめと 言っているのに (建世)
5963 アジア訪問の つかのま西に 情報疎し (樹美)
5964  帰って来たとて 後の祭りで (建世)
5965 昼の月 青空に見る 思想なく 
5966  月は見ている いつもと同じ (パープル)
5967 憂国や 冬の半月 冷え渡る (建世)
5968  何を争う 地球はひとつ (みどり)
5968B  バベルの塔か バブルの富か (樹美)
5969 フランスよ アメリカの轍 踏むなかれ (うたのすけ)
5970  テロとの戦い 底なしの沼 (建世)
5971 ジハードと 奮い立ちしも 正義なし
5972  殺し殺され 未来如何にす (みどり)
5973 死と隣り そこは地の果て アルジェリア
5974  よくも遣ったり 責任ドコニ (うたのすけ)
5975 人は行く そこに仕事が あったから (建世)
5976  千人針を いざ腹に巻き (うたのすけ)
5977 自衛隊 派遣きっかけ 狙う声 (みどり)
5978  陸海空に いざ鬨の声 (うたのすけ)
5979 久しぶり 企業戦士の 名をきいて
5980  無念でしょうと ただただ合掌 (うたのすけ)


 






橋下市長と安倍首相の「ハト派」ぶりは本物だろうか

 大阪の市立高校運動部での体罰問題では、橋下市長の体罰否定の言動が目立った。体罰を与えて運動部を強くするという発想が自殺者を生んだのでは、弁護する者はいない。それはいいのだが、この時とばかりに市長の権限をかざして、運動部活動の禁止や新入生の募集停止にまでも踏み込むのは、なにか為にする不自然さがある。
 世論が圧倒的に体罰否定に傾くのを見越して、体罰教師バッシングの先頭に立ち、自己宣伝に利用したいような臭いが感じられる。橋下氏が「教育は200%の強制ですよ」という思想の持ち主であることは広く知られている。その強制には、たぶん身体的暴力は使わないだろうが、制度的な強制や、権力を用いての服従要求には遠慮しないだろう。
 安倍首相のアルジェリア人質事件での「人命が第一」発言も、しごく当然と受け取られている。日本の主権が及ばない他国の政策に関与できない事情もあるが、これを言っておけば間違いはなく、マスコミも好意的だった。
 しかし少し前に北朝鮮による拉致問題への態度表明では、非常に「毅然たる」態度を表明していた。拉致被害者全員の無条件帰国はもちろん、不明者調査の徹底、責任者の摘発と処罰、引渡しまでも求める内容だった。言ってみれば、北朝鮮と戦争をして無条件降伏させた場合の処分のような要求を並べていた。天木直人氏のブログは、「これで絶望的になった拉致問題の解決」と書いていた。
 本来は、テロとの戦いは政治家の試金石になる。力をもってテロを封じられると信じるなら、テロと戦う国の「大義の戦争」に進んで参加することになるだろう。
 橋下氏も安倍氏も、時流を見るに敏な政治家である。とくに参議院選挙で安定政権を手に入れるまでは、世論を敵にしない細心の注意を怠らないだろう。今のハト派ぶりが一時的な偽装かと問えば、両氏とも憤然として否定するだろうが、政治家とは、そのような本能を持つ職業人だということを、知っておいた方がいい。

安倍政権の下で、どんな春が来るのかな

(熊さん)大寒で寒さのピークですね。ご隠居にはつらい季節でしょう。
(ご隠居)たしかにそうだな、今年は右手指に出来たシモヤケが、近年になく頑固に居座ってるよ。でもな、太陽は戻って来てるから、屋上への洗濯干しも、あと3週間ほどの辛抱だ。洗濯干しのおかげで、季節がよくわかるようになったのは、良かったと思ってるよ。
(熊)そこがご隠居の前向き能天気思考だね。でも、総選挙のあとは、かなりガックリだったでしょ。
(隠)そうだな、あの選挙から、もう一と月あまり経つんだな。世の中のムードは、ずいぶん変ったものだ。円安になった、株が値上がりしたなんて、喜んでる連中もいるだろさ。まだ何も実績がないのに、期待だけで経済が動くんだから、安倍総理には運のいいところがある。今は精一杯にエサを撒いて、夏の参議院選挙での安定政権を目指してるわけだ。これはなかなか手ごわいぞ。
(熊)今から思うと、民主党政権の3年4ヶ月は、はかないものでしたね。
(隠)そこで考えたんだが、太平洋戦争が始まって終るまでの長さが、3年と8ヶ月だったんだよ。長さはあまり変らないんだが、えらく長く感じるのは、なぜだろう。自分が子供だったからもあるだろうが、大人にとっては決して長い間ではなかったということを、改めて感じたわけさ。でもその間に世界地図も世界の歴史も塗り替えるような大きな変化があった。そこから始まったのが戦後の歴史で、むしろその長さの方が大事だったんじゃないのかな。
(熊)戦争は歴史のリセットみたいなもんで、短くたって影響は後まで残るんですよね。
(隠)そうだよ、だから安易に戦争をしてもいいなんて、絶対に考えてはだめだ。でも今の問題はそこじゃない。戦後の日本の成り立ちには、それなりの歴史的な必然があったということだよ。いろんな矛盾や遅れを抱え込んだまま大国になろうとした無理が重なって、戦争という形で破綻したわけだ。本来なら何十年もかかるような改革が、おかげで一気に進んだ一面があったんだよ。その集大成が今の日本国憲法と言うことができる。
(熊)でもあれはアメリカに指導されて出来たんじゃないですか。
(隠)当時のアメリカ知識人が、日本で理想的な実験をしようとした面はあったかもしれない。でも出来上がったものは、日本の知識人も納得して受け入れたんだ。そして何よりも、この憲法のおかげで、日本は平和のうちに経済発展をとげることに成功したんだよ。国民も言論や思想の自由を、当然の権利と考えられるようになった。
(熊)それを安倍さんは変えたいと言ってるんですね。
(隠)何を目的に、どこをどのように変えようとするか、しっかり見張らなくちゃいけない。これは、これから長い時間をかけた議論になってくるよ。

武断主義の限界

 アルジェリアの人質事件は、軍の武力行使によって悲劇的な結末を迎えたようだ。日本政府は「人命の尊重第一」を申し入れたようだが、アルジェリア政府には、ねばり強くテロリストと交渉するような余裕はなかったのだろう。政権基盤が万全でなければ落ち着いた交渉などできない。政権の安定のためにも、解決を急ぐ必要があると判断したように思われる。
 テロ攻撃への対症療法としては、武力の行使は手っとり早いだろうが犠牲も大きくなる。今回は外国の民間人も巻き添えにされたようだ。信用を失えば善意の協力や援助も受けられなくなるから、国としては、かえって大きな打撃を受けるのではなかろうか。
 アメリカでは小学校での乱射事件をきっかけにして、殺傷能力の高い銃の規制が問題になっている。戦争に使うような銃を民間に野放しにするのは、やめればいいとしか思えないのだが、これが国民の「武装する権利」に抵触するとかで、簡単には進まないらしい。その間にも、銃が飛ぶように売れているというのだから驚く。
 もし銃が規制されるようになれば、持っているとヤミ値で高く売れるという思惑もありそうだ。禁酒法時代の酒のように、規制すれば銃が裏社会の利権になるから弊害が大きいという議論もあるという。さらには学校を安全にするために、銃で武装した警備員を各学校に配置するという提案も出ていると報じられていた。
 安全のために銃が必要なら、子供たちにも護身用の銃を持たせて射撃の訓練をしておけということにもなりかねない。まさかアメリカでもそうはならないだろうが、家庭によっては、そのように考える親がいそうな気はする。それで本当に安全になるかどうかは、銃による犠牲者数の日米比較が1対300なのを見るだけで明らかなのだが。
 危険だから銃を持ちたい、なるべく殺傷能力の高い銃がいいというのは、核兵器の国際関係にも通じている。本音を言えば、誰でも自分だけが圧倒的に強力な武器を持っていたいのだ。気に入らない相手は、いつでも消してしまえばいい。だがそれは自分が神になりたい幼稚な欲望と同じことになる。
 日本から見たら、アルジェリアは後進国だったと思う。しかしある面から見れば、アメリカはもっと後進国ということになる。日本の国の先進性は、憲法9条の中にある。この先進性を捨てたいらしい総理大臣の下で、進路を誤らなければいいのだが。

東京が雪に弱いわけ

 雪に見舞われた成人の日から3日目の朝です。東京の最低気温は、テレビでは2度とか言っていましたが、雪の残る地表の温度とは、かなりの差があるようです。気象情報の気温は、地上1メートルで計測するということですが、寒剤の雪と乾燥した空気と放射冷却が、氷点下の温度を作り出しているのは確実です。



 雨樋の出口には、しっかりした氷柱ができていました。



 それにつながる舗装面は、広く氷に覆われていて、右の2つのマンホールまで続いています。この斜面に足を乗せたら、滑ること請け合いです。この状態は、日差しで氷が解ける午前10時ごろまでつづくのです。



 わが家の北側の路地は、3日目の今日も氷雪の道のままです。安心して歩ける状態ではありません。



 屋上の状況です。物干し場に行くための通路は前日につけておいたのですが、通路の路面は氷結しています。ウチの連れ合いは、「気をつけて」と言う間もなく、みごとに転倒しました。
 私は厳寒の北海道にも行ったことがありますが、このように滑りやすい道ではありませんでした。一日中気温が氷点下ですから、戸外に液体の水というものが存在しないのです。雪もなにかサラサラしていて、妙に乾いた感じだった記憶があります。
 それに比べると、東京の雪は、何度も氷点の前後を往復し、氷を経てから水として流れ去る場合が多いのではないでしょうか。厳寒の北海道の道路よりも、滑りやすい氷の成分がずっと多いということが言えそうです。雪と氷が混在する複雑さに加えて、雪道に適応しない履物で歩くのですから、事故が多くなるのも当然の成り行きかもしれません。
 8センチの雪で大騒ぎかと、雪国の人たちには笑われるでしょうが、東京には東京らしいつらさもあるということで、ささやかな理屈を考えてみた次第です。

ブログ連歌(298)

5939 不気味なり 中華思想の 傲慢さ (うたのすけ)
5940  東夷西戎 北狄南蛮 (建世)
5941 日出ずるも 日が没するも 争いに (うたのすけ)
5942  平和の波間に 出でし月かも (樹美)
5943 日没や 国は沈まず 人残る 
5944  人財あふれ 元気ないわき (パープル)
5945 何処にも 成人祝う 日の迫り (みどり)
5946  この日ばかりは 和服の用意 (建世)
5947 バカ騒ぎ それは御免と 願います (うたのすけ)
5948  晴れ着に雨か 予報気になる (建世)
5949 バブル期の 宝の晴れ着 もちぐされ (みどり)
5950  貸衣装でも なにやかにやと (建世)
5951 雪まじり 晴着にブーツの 現代っ娘 (うたのすけ)
5952  天候超えて あゆまする若人 (樹美)
5953 大雪と 洗い流すよ 煩悩を 
5954  新たな門出 希望の朝だ (パープル)
5955 昨日今日 一日お籠り 大雪に (うたのすけ)
5955B 思い出す 息子二十歳の 雪の日を (こばサン)
5956  誰にもあった 青春の日々 (建世)
5957 追憶に 耽る時こえ 今を生き (みどり) 
5958  雪も氷も 踏み越えて行く (建世)
5959 チト変ね 保護費下げずに 賃上げを (うたのすけ)
5959B 仕組まれし 弱者切り捨て 反対す (みどり)
5960  民が富まずに 国が富むとは (建世)

「満足死」という可能性

 先日紹介した「孤独死とは呼ばないで」という新聞投書に関連して、「一人で羽ばたき大往生したい」という投書が掲載された(1月16日・朝日)。投書者は82歳の主婦で、子供たちが心配して同居を勧めてくれるのを断り、「一人で自由に好きなことをする」を実行して2年になるということだ。
 「もし同居をしていたら、私は依存心が募り、自分で考えようとする力が薄れていたのではないか」と投書者は書いているが、これは、かなり本当のことだろうと思う。そして最後を「多くの人や自然に感謝しながらお別れができたら大往生! 「満足死」などと言って拍手して見送っていただきたい。」と結んでいた。
 人の死は、かくもありたいと思う人は多いだろう。私もその一人だし、生涯のうちで一度も経験していない一人住まいをしてみたい気持もある。今の境遇では罰当り的なぜいたくだとは思うが、いつでも生活者として自立できる気構えはあるつもりでいる。
 ただし人に迷惑をかけずに一人暮らしをするには、一定の条件がありそうだ。まず、金銭管理を含めて日常の必要事務をこなせる判断力を保っていなくてはならない。次に、日常の暮らしに不自由のない身体能力が必要になるが、これは、ヘルパーの定期訪問などで補助して貰える余地があるだろう。何よりも大事なのは、自立して暮らせる精神の力ということになる。
 一人暮らしをする老人はこれからますます増えるだろうが、それを終末の姿として嘆くのではなく、自由に生きられる気ままな時間として、前向きに楽しむようでありたいものだ。医療・介護関係者も含めて、世の中一般の感覚が、そのように変ってほしいと思う。一人でも楽しく生きられる人なら、施設などに集まっても、住みやすい環境を作るに違いない。
 小学校の同窓会で、「私たちはこれからは余禄の人生だから……」と発言したら、出席していた先生から「あれを聞いてから、気分が明るくなりました」という手紙をいただいたことがあった。人生の最後には、よいことがあると思うのがよい。どんな世の中であろうと、だ。

雪嵐で経験した「危機管理」の失敗例

 昨日の成人の日、わが家は朝から久しぶりに華やいでいました。孫娘が晴れ着を着るというので、昨年のうちから準備が進んでいたのです。おもな衣装は借りるとしても、付随する小物などは家にあるものを使えるというので、祖母に当る妻も参加していました。
 着付けもサンプラザの業者に予約してあって、折からの雨の中、朝から着付けに出かけ、その帰りから雪になりました。きれいに仕上がった主役を中心に据えて、家の中で何通りかの写真を撮り、それから家族としてメインイベントの食事会で新宿のレストランに向かいました。1台で乗り切れず、私たち祖父母に中3の孫息子がエスコート役についてタクシーで随伴しました。この3人で帰宅までの行動を共にすることになります。
 楽しく食事して、主役は父母とともに車で孫娘の出身高校関係者の待つ次の会場へと向かい、私たち3人は帰途についたのですが、あの雪嵐の最中です。地下通路を通って新宿西口地下のタクシー乗り場に着くと、そこはすでに長い行列でした。「タクシー待ち30分」と予想し、それはほぼ当ったのですが、待っている間の寒さは尋常ではありませんでした。
 待っている間に、当然いろいろな対案も考えました。まずバス停を偵察したところ、ここも人の列で、バスが来そうな様子はなく、地上にある停留所の屋根は小さくて雪よけになりません。電車は動いているようですが、駅から家までの道が不安です。もともと今日の帰りはタクシーで楽に帰ろうと話し合っていたのが縛りになりました。タクシーさえ来れば、20分で温かい車で家に帰れるという期待が、最後までありました。その間にも、遅いながら列は前へ進みます。自分の後に長い列が続くと、今いる位置が大事な既得権に思えてきます。
 結局、乗り場に並んだのが2時半で、タクシーに乗ったのが3時過ぎ、雪道の渋滞に悩んだタクシーが、苦心さんたんの運転手さんの技術で中野の家に着いたのは、4時半近くでした。通常の倍になった料金もさることながら、寒さとスリルに翻弄された帰り道になりました。結論としては、確実に動いていた電車に乗れば、アーケード商店街を通る道を使って、残りの半分足らずの道を助け合いながら歩くだけで、ずっと早く帰れたでしょう。
 しかしながら、体育系クラブに入っていて「これくらい寒いのは大丈夫だよ」と弱みを見せなかった孫のたくましさもわかったし、運命共同体になった3人の濃密な時間でもありました。それにしても、テレビも見ず、雪害の全体像がわかっていなかったのが盲点でした。

「新しい左翼入門」を読む

 「新しい左翼入門」(松尾匡・講談社現代新書)を読みました。「相克の運動史は超えられるか」という副題がついています。右傾化が花盛りのような現代で、なぜ「左翼」が伸びないのか、なにかヒントがあるのではないかと思いました。
 内容は、かなり個性的な書き方です。「嘉顕の道」と「銑次の道」という言葉がやたらに出てくるので、途中から拾い読みする人は、何のことやら当惑するでしょう。これは「獅子の時代」というドラマの登場人物で、薩摩藩出身の官吏、苅谷嘉顕(よしあき)と、下級会津藩士、平沼銑次(せんじ)のことで、嘉顕は「何とかせねば」と上から目線で、銑次は下層に身を置き共感して、それぞれに物を考え行動する立場を代表しているのです。
 明治大正の初期から、戦前そして戦後までを通して、日本の左翼運動とそれに連動する労働運動は、この二つの立場の競い合いの歴史でした。その観点から解説する通史としても、登場する主要な人物の紹介も、なかなか充実した資料となっています。そこから読み取れるのは、この二つの立場が、ついに一本化して育つことなく、抗争しながら衰退して現代に至る経過です。
 それよりも目からうろこ的に有益だったのは、この相克を乗り越えるための「第三部」でした。社会主義革命は歴史の必然であると説かれてきたのですが、過去の絶対君主制からブルジョア市民革命を経て民主主義が成立するまでは歴史として実証されていても、社会主義革命だけは「予言」であったのです。
 経済関係が変れば政治が変る、だから資本主義が破綻すると社会主義の政治になるというのは、誰も実証したことのない予言ないしは願望でした。それを自覚しないと相克は解消しないのです。未来については、人はあらゆる可能性を持っています。実証されていないものは、やって確かめてみるしかないということです。そう思うと、できることからやってみることの大切さが見えてきます。
 それと、「右翼」と「左翼」について、面白い分類法が述べられていました。「左翼」は世の中を上下に分ける、そして下に立って上下を平等にしようとする。それに対して「右翼」は世の中を左右に分けて、右側をウチ、左側をソトとし、ウチを大切にしてソトを排撃しようとする。ですから左翼は「上」が全部右翼だと思って間違える、右翼は「ソト」が全部左翼だと思って間違えるというのです。
 そろそろ、運動史の縛りから自由になって考えるべき時代になっているようです。

ハイブリッド車の乗り心地

 昨年の春から、車をトヨタのプリウスに換えていて、ようやくなじんできた。最初は親切に出来すぎていて、遊園地の遊具に乗っているような感じだった。運転中に雨が降り始めたとき、ワイパーが勝手に動き出したときは、感心というよりも、むしろ呆れてしまった。運転というよりも、パソコンのキーボードで車を操作しているような感覚に近いと思った。
 車を使う頻度は、全体としては明らかに減っている。孫たちが育ち盛りのころは3世帯に各1台と、仕事用にもワゴン車があったのだが、今はそれらをすべて統合して1台だけにした。それでもほとんど不便を感じることなく経過している。
 私は本来、車の運転自体が好きだから、ハイブリッド車には興味があった。ガソリンエンジンと電気モーターの併用という複雑な機構を、よくも同じような大きさの中にまとめたものだと思う。ただし自分の車になっても、メカそのものはブラックボックス化しているので、自分で確かめることはほとんど不可能だった。故障したら販売店に連絡して任せるしかない。
 しかし、めったに故障もしないようだ。つまり専門家が管理する装置に近いもので、個人が使う「道具」ではなくなったことになる。購入者は使用マニュアルに従って、必要とする性能を引き出すことだけに習熟すればよい。これが現代の自動車とのつきあい方なのだった。
 自動車の発達史の上からは、ハイブリッド車というのは、現代だけの過渡的なものだと思う。電気モーターによる駆動と、回生ブレーキでエネルギーを電力に戻す効率の良さを生かしながら、電源の問題を従来のガソリンエンジンで解決しているわけだ。安価で確実な電力の供給方法さえ確立すれば、将来の自動車は電車に近い乗り物になる可能性がある。道路用の車とオフロード用の車との分化が起こるのではあるまいか。
 それにしても、私が最初に使った車は1937年(昭和12年)製のダットサンで、エンジンは750佞15馬力だった。エンジン回り、足回り、電気系統のすべてを知りつくして、たいていの故障は自力で直すものだと思っていた。前に回ってクランク棒をさし込み、力を込めて回すと、調子がよければ一発でエンジンが始動した。音を聞けば、4気筒の全部が順調に働いているかどうかがわかった。自分の分身のように感じたものだ。
 自動車ひとつをとってみても、いろいろあって面白かった。こんな経験をした世代は、前にも後にもないのではなかろうか。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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