志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2013年03月

映画「プルトニウム・2041年からのメッセージ」制作企画書

★原作★ 高木仁三郎著「プルトニウムの未来〜2041年からのメッセージ」を映画化する。
★あらすじ★ 人類が人工元素であるプルトニウムを手に入れたのは1941年のことだった。それから100年、科学技術の最先端で誕生したプルトニウムは、その巨大なエネルギーにより、無限の発展を可能にする夢であるとともに、地球を滅ぼす悪夢でもある「両刃の剣」として人類の上に君臨した。
 それはまた、限りない前進を指向するか、調和を重んじるかという、科学技術思想の二大潮流のせめぎ合いでもあった。またそこには、コンピューターの発達による巨大科学の成立とその管理体制の中での、人間の役割は何であるかという、人間存在の根本を問う問題も含まれていた。
 それらを集約したのが、日本に建設された原子力開発特区の「プルトピア」であった。50年間冷凍保存されてタイムスリップした科学者である「私」は、そこでプルトニウムの最大の問題点が、予想した通りに「廃棄することの難しさ」であることを知らされる。廃棄物は、結局はロケットに乗せて太陽に向けて発射する以外に、合意を得られる方法がないのだった。
 すべてを管理する人工頭脳は、二系統で相互に監視するシステムになっているのだが、設計者の個性により、微妙な個性の違いが生じてくる。この人工頭脳の想定外の性質が、ある日、想定外の事態を引き起こすことになった。太陽に向かう廃棄物、しかも防護されていない「生ゴミ」が、軌道を外れて地球へ向かい始めたのである。しかも目的地は「プルトピア」だ。
 最後の手段としては、廃棄物を通常の軍事ロケットで迎撃するしかない。成功しても大気圏に深刻な汚染物質の拡散が起こるだろう。絶体絶命の状況なのだが、何も知らされていない市民は、ふだん通りの消費生活を楽しんでいる……
★見どころ★ 「ブルトピア」の描写および、廃棄物ロケットの中継基地となる月の重力圏に浮かぶ人工衛星などは、現代の映像技術を駆使してリアルに表現され、SF未来映画としても充分に楽しめるものになる。また、コンピューターが個性を持つというのも、条件設定を悲観的にするか楽観的にするかなど、現在でも見られる現象である。さらに進んで、コンピューターが破滅して自殺を図るというのは、人類は自殺するのかという問題提起に等しい。
★制作者★ いま人類の未来を真剣に考え、日本映画界の総力をあげて取り組む者たちの連絡会

一票の格差だけが問題なのではない

 全国の高裁・支部の判決で、現行の衆議院選挙の選挙区の不公平が憲法違反と判断され、ついに選挙無効の判決まで出る事態になった。現政権にとっては痛手で、あわてて小選挙区0増5減を軸に、区割りの変更を加えて一票の格差を2倍以内に抑える応急の対案を出してきた。でも、高裁の選挙無効の判決は痛快ではあったのだが、これで昨年末の総選挙が全部無効になるのならともかく、今の選挙制度の矛盾に深くメスが入ったわけではない。 
 問題にされたのは、一部の地方で優遇されてきた選挙区に比べて、多くの選挙区の投票権が半分以下になり、憲法で保障されている選挙権の平等に反することだった。つまり、ごく一部に得をする有権者がいることで、他の大勢の有権者が損をするという理屈だった。優遇される選挙区で当選する議員の数は、決して多くはないのだ。
 だから区割りを修正するなどして一人一票の原則を回復しても、もちろんそれは大事なことではあるけれども、おそらく選挙の結果には大きな影響は出てこないだろう。今の選挙制度では民意がゆがめられてしまう、死票が多くて投票に行く気がしなくなるといった有権者の不満は、一人一票の原則が守られないのが主要な原因ではない。
 細川内閣が今の小選挙区・比例代表並立制の選挙制度を決めたとき、当初は小選挙区と比例代表を250対250の同数にする予定だった。それまでの中選挙区制(定員3〜5名)の廃止で、有権者の選択肢が狭くなるのを救済する趣旨だった。ところが既得権を守りたい保守勢力の圧力で、これが300対200の小選挙区優位に変えられた経緯がある。このとき細川首相は激怒したということだ。
 その200名の比例代表枠は、その後も減らしやすい安易な定員削減の対象となり、今は180名だが、さらに50名とか30名とかの削減が議論されている。これでは民意反映の救済制度ではなく、せいぜい形ばかりの「ガス抜き装置」でしかない。第3党以下の批判政党は、ますます当選者を出すのが難しくなっている。
 小選挙区制の導入以降、総選挙の投票率は目に見えて低下して今に至っている。制度の手直しなら、少なくとも対等以上への比例区の復権こそが優先課題で、それが民意を選挙結果に反映させる正道だということを忘れたくない。

高木仁三郎の「プルトニウムの未来〜2041年からのメッセージ」を読む(2)

 原子力特区「プルトピア」は、楽観的な未来志向で作られたものではなく、科学技術のポジティブ思考(技術力で地球を改造してでも進歩を重んじる)と、パッシブ思考(自然環境との調和を重んじる)との厳しいせめぎ合いの中で、辛うじてポジティブ派の牙城として作られたものでした。ですから環境負荷など負の側面については、世代間責任の観点から厳重な条件を課せられていました。
 言うまでもなく、最大の課題は放射性廃棄物の処分方法です。低・中レベル廃棄物は特区内で地層処分することとしましたが、万年の単位で密封しなければならない高レベル廃棄物は、結局は「地球上には置けない」ことが結論となりました。そして、ロケットで太陽へ向けて発射する方法が選択されたのです。
 21世紀になって大型ロケット技術が進歩し、かつ月の重力圏に中継基地を設けることにより、廃棄物処理は実用化の段階に達しました。しかし打ち上げが失敗した場合にも大気圏再突入で破壊されないカプセルに格納するなど、技術的にも困難の多い綱渡りのような事業です。小説の脚注で随所に科学的根拠が説明されているのですが、廃棄物の処理費用は、電力1kw当り約70円と計算されています。電力料金は、4倍に値上がりしているのでした。
 こうして、科学の勝利のように見えたプルトピアも、内実は危ういバランスの上に立つ虚像のようなものでした。決定的な危機は、人工頭脳の想定外の性質から訪れました。太陽に向かう筈の廃棄物が、軌道を外れて地球に向かい始めたのです。しかしこの危機を知っているのは一部のエリートだけです。知りすぎた「私」には、再び眠らせる薬が与えられたようです。
 これは、小松左京を思い出すような、スリリングな未来科学小説でした。しかも一流の科学者が根拠を示しながら書いているのですから迫力があります。これを今までに映画化する企画が出てこなかったのが不思議に思えるほどです。もし現代の映像技術を駆使して映像化したら、「日本沈没」を上回る話題作になるに違いありません。
 ここに展開されたストーリーは、自分の頭の中にごく自然に浮かんだと著者は「あとがき」で書いています。プルトニウムを使うことにこだわり続ければ、末路はこうなる他はないというのが、高木仁三郎氏が読者に伝えようとしたメッセージでした。

高木仁三郎の「プルトニウムの未来〜2041年からのメッセージ」を読む(1)

 「プルトニウムの未来〜2041年からのメッセージ」(高木仁三郎・岩波新書1994年)を読みました。昨日紹介した「プルトニウムの恐怖」から10年あまり後に書かれたもので、未来小説の形になっています。2041年は、プルトニウムの誕生から100年目に当るのです。
 全体がタイムスリップによるフィクションの形になったのは、このまま進んだらこうなるという未来予測を、なるべくリアルに読者に感じて欲しかったということですが、自身でも未来に身を置いて考えることが多かったと「あとがき」に書いています。「未来が見えていた」人の危機感が、この本に結実したと言えるでしょう。
 序章では、プルトニウムの特質と歴史についての資料をまとめています。この本が書かれた時点では、米ソの核軍縮が具体化して核兵器の解体が進み、世界的にプルトニウムは余っていました。また軍縮ムードで軍需用ウランの消費も減り、ウラン価格の下落とともに核燃料の再処理も採算の合わない事業になっていました。このムードの中でも、日本だけは「資源小国が自立する道」として、核燃料サイクルを産業の基盤に位置づけようとしていたのです。
 そしてある日、主人公の「私」は2041年の日本で50年間の眠りから覚めました。事故で意識を失ったまま冷凍保存されていて、この時代の核技術の観察者として招待されたのです。最初に見せられたのは「統合プルトニウムパーク(IPP)」の第一期完成祝賀会でした。後に「プルトピア」と呼ばれるようになる東北のこの区域は、どの県にも属さない独立した「特区」なのでした。
 日本のみならずアジアのすべての核燃料は、この特区の中で増殖生成され、燃料へと加工され、使用済み核燃料の再処理も、一貫して特区の中だけで完結するようにレイアウトされているのでした。このため、特区は厳重に外部から遮断されています。出入りできるのは、平均3倍の年収で働く多国籍の従業員と、特別の許可を受けた関係者だけです。
 施設の運転を司るのは「プルート」と呼ばれるホスト・コンピューターで、人間とコンピューターが相互に監視する関係ですが、基本的に人間は信用されていません。「私」は視察を進めるにつれて、中で働く人たちに生気がなく、絶望的な気分が支配していることに気づきます。情報でも娯楽でも外のことはわかるのに、中から外へ発信する方法が何もないのです。
(追記・しばらく高木仁三郎氏の著作を続けて読んでみようと思います。私なりの解釈を加えながら紹介してみます。私自身が勉強しながら、「高木教室」のブログ版ができないかと思いついたのです。もちろん原著を読んでいただくのがベストですが、橋渡しの役にも立てたら幸いです。)

ブログ連歌(309)

6159 まだ懲りず 原発工事 大間抜け 
6160  「あさこはうす」が 唯一の光 (建世)
6161 碧き海 豊かに育つ 魚貝類
6162  埋め立て抗し ジュゴンの泪 (みどり)
6163 埋め立てを 漁民は諾と その先は (うたのすけ)
6164  分断何ぞ 県民不屈 (建世)
6165 円安だ 株だ土地だと 賑やかに
6166  しっぺ返しが あるやも知れず (うたのすけ)
6167 二年先 強い日本を 見てみたし
6168  鬼が笑うか それも二匹で (うたのすけ)
6169 今更に 戦勝国と 胸を張る
6170  盗っ人同士と 言いたくもあり (うたのすけ)
6171 矢継ぎ早 連射今ぞと アベ魔術 (建世)
6172  ものの見事と 拍手できるか (うたのすけ)
6173 桜まで マスコミに似て 浮かれ節 
6174  国を丸ごと バーゲンセール (建世)
6175 すぐに散る 一瞬の 美学なり (パープル)
6176  やくざのサクラ 詐欺の常連 (建世)
6177 夢追わば 哀楽ありき 人の世ぞ (みどり)
6178  永久(とわ)の願いを 舞いに込めつつ (建世) 
6179 限りある 命に続く 生命あり (みどり)
6180  誰が守るの 幼き子らを (うたのすけ)


高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」を読む

 「プルトニウムの恐怖」(高木仁三郎・岩波新書黄版1981年)を読みました。この時期にこのような本が出ていたのに、読んでいませんでした。不覚でした。スリーマイルの後、チェルノブイリの前の時点で書かれたものですが、プルトニウムという一つの元素に話を集約して、核エネルギー依存がもたらすであろう世界の矛盾と閉塞を予見しています。「わかる人にはわかっていた」と、脱帽するほかはありません。
 天然の元素は92番のウランまでだったところへ、原子物理学の進歩により、実験室で94番のプルトニウムが合成されたのは1940年のことでした。天然に存在しないということは、原子核が「太り過ぎ」ていて放射性の崩壊を起こしやすいことを意味します。これが後に原子爆弾を開発するマンハッタン計画に用いられ、やがて「核の平和利用」の名のもとに原発の燃料にも使われるようになったのは周知の通りです。
 プルトニウムの毒性の強さは、微粒子として人の体内に取り込まれやすく、アルファ線により至近の細胞を破壊する性質に由来します。しかも発ガン性が高く、人類が遭遇した最強の猛毒と言われます。このプルトニウムが、1981年当時には核燃料サイクルの本命と考えられていました。しかしその後、高速増殖炉の研究開発は、どこの国でも頓挫して現在に至っているのですが、いまだに放棄されてはいません。巨大科学は引き返しが難しいのです。
 プルトニウムを組み込んだ世界は、絶えず危険におびえる厳しい管理社会にならざるを得ないと高木氏は予言しています。そして最後に述べられていた提案が、非常に印象的でした。エネルギーについて、人類は資源を求めて放浪する「狩猟時代」にいるのではないか、というのです。競争して掘り尽くしたらどうするのか。
 それに対して、土と水と太陽の循環によるエネルギーの「定住化」を考えたらいいのではないか。それは文明を逆行させることではなく、永続的で創造的な人間らしい真の文明を築くことになる。そのためにこそ科学を役立てたいという意欲が、ヒントとして提示されていました。
 今の言葉で言えば「再生可能エネルギーの開発」ということでしょうが、単なるエネルギー問題を超えて、人間の存在理由を問う、根源的な問いかけのように感じられました。プルトニウムへの恐怖と共存させられる人間文明に、どれほどの価値があるのでしょうか。高木仁三郎氏は、すぐれた政治的判断もできる科学者でした。

「科学を人間の手に〜高木仁三郎・闘病からのメッセージ」を見る

 「そりゃないよ獣医さん」に教えていただいて、かつてNHK教育テレビ「未来潮流」で放送された番組を、ユーチューブで見ることができました。先週土曜日の23日に、Eテレで再放送されたとのことです。75分番組ですが、通して視聴する価値のある番組です。今でもここで見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=-f0_tdaVz6c
 高木仁三郎氏については、行動する科学者として原子力災害を予見し、科学者の専門性を超えた連携をめざす「高木学校」を主宰した人として聞いてはいました。しかしこの番組によって高木学校の内容をリアルに見ることができ、放送された1999年当時の高木氏のメッセージを聞くことができました。この翌年に、高木氏はガンで亡くなったのでした。
 核科学の専門家であった高木氏は、自然放射能の研究を進める過程で、大気圏核実験による世界的な放射能汚染の実態を知り、疑問を感じるようになりました。核の平和利用としての原子力事業にもかかわったものの、やがてプルトニウムの危険性を痛感するようになります。そして科学者としての知見と市民社会を結ぶ活動として、反原発運動に入って行きました。
 高木氏の警告は、1995年の時点で福島第一原発の老朽化を指摘し、冷却系の破綻によるメルトダウン、大量の放射能放出の危険性を述べるなど、非常に具体的で正確でした。しかし2011年の3.11に至るまで、それらが常に少数意見でしかなかったことは周知の通りです。巨大な経営に組み込まれた巨大科学は、それ自体の力学でしか動かなくなっていたのです。
 科学を人間の手に取り戻すとは、科学者が本来の責任ある立場を回復するということです。私は先日紹介した「科学者の責任」にあった「科学の最重要の目的は、人類の状態の改善である」という言葉を思い出していました。高木仁三郎氏も、「ノスタルジーじゃなくて、昔の我々の方が未来をよくする研究をしていたような気がする。今は目の前の仕事に追われて、われわれが必要とする科学を後回しにしているんじゃないか」と述べていました。
 高木教室で学んだ人たちは、その後の福島事故で脚光を浴び、それぞれに活躍の場を得ました。今も市民の側に立って、あるべき未来のための科学を説いています。しかしその一方では、原子力利用を前提とした国策を復活させようとする動きが、着々と始まっています。経済が国の政治を決め、政治が科学を支配する構図の復活を許せば、また同じことを繰り返すでしょう。
 地球の主人公は、経済ではなくて、人間でなければならないのです。

花は満開でも晴れない花見



(熊さん)この週末の桜は、みごとに満開になりましたね。
(ご隠居)そうだな、例年にないほどみごとな満開だ。冬がきっちり寒かったのがよかったとか言ってたな。中野通りの桜並木は、あまり有名ではないかも知らんが、老木が多いし、哲学堂までつづく並木はみごとなものだよ。昨日と今日と、じっくり見られてよかった。
(熊)長屋の花見もよかったけど、なんか今年のご隠居は、おとなしかったって誰か言ってましたよ。おかみさんの手首の包帯も、まだ取れませんでしたね。
(隠)ああ、それもあるんだが、いまいち力が入らないところはあるな。安倍政権は次から次へと、やりたい放題って感じになってきた。日銀の総裁人事も、原発ゼロ政策の白紙撤回も、普天間代替の辺野古基地建設・埋め立ても、やりたいことは遠慮しませんぜって姿勢が露骨になってきたな。夏の選挙までは爪を隠してなんて言われてたが、どうしてどうして、行け行けどんどんじゃないか。
(熊)これが「決められる政治」ってやつですかね。みんなが決められない政治に飽きてたから、欲求不満にうまく乗っかったんじゃないですか。支持率も結構高いようだし。
(隠)そこなんだよ。株は上がった、景気はよくなるらしい、賃金も少しは上がりそうだってムードが出てくると、他のことはどうでもいいみたいになっちまうんだな。世論というのは軽いものだ。この状態で選挙をやったって、おそらく何も変らないよ。
(熊)どさくさまぎれに、原発OKなんてことになっちまうんだろか。
(隠)それはないよ。ムードが悪いだけに、先のことを真剣に考えてる人たちは、ずっと危機感を強くしてるんだ。それは新宿西口でスタンディングしててもわかるんだよ。「がんばって下さい」なんて声をかけたり、差し入れをくれたりする人が増えてる。今は逆風でも、根っ子が抜けなければ立ち直る時は必ず来るさ。
(熊)今はじっと我慢ですかね。
(隠)もし大間原発の新設工事が止まらずに稼働まで行ってしまったら、わしが生きている間の原発ゼロは絶望的になる。そんなばかなことをさせるわけには行かないんだ。それを考えたら、笑顔で花見の気分じゃないんだよ。

反原発は、あらゆる方法で、ねばり強く

 昨夜の老人党護憲プラスの例会で、八ヶ岳山麓でペンションを営む「風路」さんから面白い「銘菓」をいただきました。地元の集会でカンパ販売されていたそうです。







念のため、文字情報を再掲しておきます。
銘菓 大飯 御菓子司 原発さいか堂謹製
内容量:54基
原材料名:ヨウ素、セシウム、プルトニウム、ストロンチウム、他
成分:α線、β線、γ線
賞味期限:2万4千年後に風味半減します
消費期限:10万年後(人類史の10倍!)まで毒性保証致します
販売者:原子力ムラ
製造者:原発さいか堂
(中にクシャクシャに揉んで入れてあった書面)
原発さいか堂の封印を、開けてしまいましたね!
あなたは大変なことをしてしまいました!
 でもまだ間に合います。
今すぐ原発再稼働を止めるよう、
 ここにFAXや電話を!
経産省代表番号 03-3501-1511
 内閣府 03-5253-2111
原子力規制委員会 03-3581-3352

 例会では「2012年総選挙に現れた選挙制度の問題点」のテーマで、フリーライターの紅林進さん(「小選挙区制度廃止をめざす連絡会」幹事)のお話を聞きました。民意をゆがめる選挙制度の不合理を改めて確認したのですが、次の参院選までに何ができるかというと、即効薬はありません。
 怒りをぶつけ、絶えず声をあげること、そして時には笑い飛ばすユーモアも忘れずに、硬軟とりまぜて、あらゆる方法で、ねばり強く抗議を続けましょう。政治の主人公は国民なのですから。

「科学者の責任〜哲学的探求」(ジョン・フォージ著)を読む

 「科学者の責任〜哲学的探求」(ジョン・フォージ著〜佐藤透、渡邉嘉男・訳 産業図書)を読みました。渡邉嘉男氏は、武蔵高校で旧制尋常科を含む6年間を過ごした私の同期生です。東北電力で原子力にもかかわり、定年退職後に東北大学で国際文化研究の博士課程で学んでいました。
 この本は、福島の原発事故を受けて企画・出版されたものではなく、それ以前から「科学者の責任」のテーマで世界の文献をリサーチして選定したということです。著者はオーストラリアの科学史・科学哲学研究者です。分厚い哲学書で、緻密な論理を組み上げており、訳文からも翻訳者の苦労が偲ばれる著述でした。
 内容は「科学と責任」の序論から始まり、第一部「成果と責任」で原爆を開発をしたマンハッタン計画を取り上げ、第二部「後方を向くこと」で科学者の結果責任を論じ、第三部「前方を向くこと」で科学者の意図責任を論じ、第四部「科学と集団責任」で組織の中での科学者個人の責任を論じ、「責任を真剣に引き受けること」という結論で閉じられています。
 著者の思想の根本は「科学の最重要の目的は、人類の状態の改善である」ということに尽きます。しかし真理追究の一環としての純粋科学は、古くから言われるように「両刃の剣」です。人類に害をなす原子爆弾の開発が悪であると規定すれば、アインシュタインもキューリーも責任者として糾弾すべきでしょうか。
 それが無理だというなら、原爆の開発に結集した科学者たちの責任はどうでしょうか。ナチス・ドイツよりも先に原爆を開発しなければならないというのは、当時の政治的な至上命令でした。それは止むをえなかったとしても、敗戦の決まっている日本にそれを投下したことについて、科学者はどこまで責任を問われるべきなのでしょうか。
 こうした具体的テーマについて、著者は明快な見解を示してくれるわけではありません。しかし研究はしたがその結果がどう使われようと科学者には無関係とは言えないことは論証できます。科学者こそが結果を正しく予見できる立場にいるからです。
 これは哲学書ですから、もっぱら「ものの考え方」を論じているのです。だから逆に、書かれていない原発の問題にまで応用することも可能です。「科学の最重要の目的は、人類の状態の改善である」という思想に照らしたら、今の日本で原発を再稼働することが正しいかどうか、翻訳者の彼と、じっくり話し合ってみたいと思いました。

原発トラブルの原因は、ネズミ一匹という想定外

 福島原発で燃料プールを冷却する電源が停まったのが全国的なニュースになった。原因がわからぬまま応急の処置をした上で調べたら、ネズミが一匹入り込んで配電盤をショートさせたことがわかった。配電盤自体が、トラックに積んだままの仮設のものだった。
 大山鳴動してネズミ一匹、ふつうなら面白ネタで終るような話で、高圧送電線に止まったカラスが隣の線のカラスに餌を与えようとして感電死し、「カラスの恋が停電を起こした」という記事になったのを見た記憶がある。しかし場所が原発だと笑いごとで済まなくなるのはなぜだろう。
 言うまでもなく、原発が「適切な管理を続けていないと暴発して手のつけられない地球規模の惨害を引き起こす」性質を持っているからだ。火薬庫の爆発でも巨大船の沈没でも悲惨な出来事ではあるけれど、所詮はその場に限られた事件で終り、危険が去れば直ちに救済・復旧の作業を始めることができる。しかし原発の過酷事故では、人間が現場に近づくことさえ不可能になるのだ。これは核兵器の貯蔵庫や核関連加工施設が破綻しても同じことになる。
 東京電力は、おそらく今回の事故を教訓として、施設の安全性を高めるよう改善すると言うだろうし、実行もするだろう。そしてまた費用と労力を積み上げることになる。事故は絶対に起こしてはならないのだから、安全対策費は限りなく高騰し、それでも絶対の安全が得られることはない。どこまで行っても「想定外」はついてくるからだ。
 つまりは核エネルギーと縁を切らない限り、人間は安心して地球上に住んでいることができない。その基本中の基本を教えてくれたとしたら、ネズミの死は無駄ではなかった。

ブログ連歌(308)

6139 アベ総理 ニッポン会社の 社長さん (うたのすけ)
6140  世界も一つの 企業になるか (建世)
6141 アベ総理 無人の野を行く 様に似る 
6142  アベマジックか ネタ割れ不安 (うたのすけ)
6143 春うらら 安倍ニッポンは どこ行くの (建世)
6144  企業と政府 蜜月気分 (うたのすけ)
6145 三下り半 遅かれ早かれ どちらから (うたのすけ)
6146  音(値)を上げるまで 行くところまで (建世)
6147 大相撲 野球のように 国別の
6148  選手権なら モンゴル優勝 (建世)
6149 国掲げ 闘う人の 絶えざるも
6150  大間原発 母と娘(こ)が阻止 (みどり)
6151 再稼働 稼働せずとも 電気あり 
6152  止めるも止めぬも 世論なり (パープル)
6152B  なぜに急ぐや 不毛の道を (建世)
6153 桜咲く 山河汚染の 罪科問う (みどり)
6154  してならぬこと 明々快なり (うたのすけ)
6155 ようやくに 大間の次第 理解する
6156  「あさこはうす」に 刮目せねば (うたのすけ)
6157 原発を 小動物も 指弾せし (みどり)
6158  ネズミ一匹 国を揺るがす (建世)
6158B   怨念ネズミに その先見えず (うたのすけ)
6159 まだ懲りず 原発工事 大間抜け 
6160  「あさこはうす」が 唯一の光 (建世)


大間「あさこはうす」は原子力政策の天王山になる

 こんな手紙を書きました。これから投函します。 

〒039-4601 青森県下北郡大間町大字大間小奥戸396 あさこはうす御中 小笠原厚子様

 初めてお便りしますが、こちら様のことは、ブログ友からの情報で知りました。大間原発予定地の中にある熊谷あさ子様の土地とログハウスを、娘である小笠原厚子様が引き継がれ、ただ一人残っている地主として買収に応じず、お母さまの遺志を守っておられるのですね。
 大間原発の施工主は電源開発蝓複淵僖錙次砲如∩換颪療杜浪饉劼謀杜呂鯣稜笋垢觜餾会社です。そして大間原発は、全国で初めてプルトニウムを使うMOX燃料に対応する原発として建設されるとのことです。使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す「核燃料サイクル」を成立させる鍵になる施設ということになります。ですから原発を推進したい人たちは、ぜひとも完成させたいのでしょう。
 「あさこはうす」に通じる道路の両側は、すでに高いフェンスで覆われていると聞きました。はうすの危機を感じる支援者たちは、中でイベントを開いたり、道路の交通量を確保するための「郵便を出そう」運動を呼びかけたりしています。私も近く現地に立ってみたいと思います。JRの大湊駅からレンタカーで行こうと思いますが、もっとよい経路があるでしょうか。
 古くは成田空港に反対する「一坪地主運動」などがありましたが、一万坪の土地を一万人が所有する方法は検討なさいましたか。「あさこはうす」が残っても、本体の工事は止められない立地なのでしょうか。その場合でも、原子炉のすぐ近くに多くの人が土地を所有することは、無意味ではないと思うのですが。
 仮に大間の原発が完成して稼働を開始すれば、それは私たちの子孫の世代にまで、核・放射線の脅威がこの国に継続することを意味します。大間原発の新設を止められるかどうかは、日本の原子力政策を変えさせるための天王山になると思います。
 人は時として、思わぬ重要な立場に押し出されることがあります。大勢に順応せず、おかしいことはおかしいと言いつづけることで未来が救われることもあります。ご苦労は多いと思いますが、ご活躍に心からの敬意と感謝を捧げております。

 2013年3月20日 志村建世

純情幼稚園の卒園式は涙がいっぱい

 思いがけなく、孫が通った幼稚園「野方学院幼稚部」の卒園・謝恩会ビデオの撮影に、久しぶりに応援を頼まれたので行ってきました。孫が卒園してから17年目、いまだにおつきあいが続いています。社会人になって3年目の孫が近年はすべてを仕切っているのですが、助手を頼んでいた友人が、急に都合がつかなくなったということでした。
 卒園する今年の「きく組」の担任は、孫の卒園後に着任した先生でした。新任の若い先生というイメージでいましたが、今では信頼感のあるベテランの先生です。10年以上の年月が過ぎているのですから当り前のことです。それだけ私が年をとっているのです。創立者、尾形匡の娘で現園長の母親、茶道の師匠でもあった前園長さんは、入院中とのことでした。
 一貫して「のびのび保育」がモットーの幼稚園ですから、形を整えた式典でも張りつめるような緊張感とはちょっと違って、なごやかさが漂っています。在園生の小さい子が、時おりおかしな私語で場内を笑わせたりします。式典・卒園証書授与から写真撮影、昼食しながらの謝恩会へと、例年のように滞りなくプログラムは進んで行きました。
 そして記念品や花束の贈呈、先生たちのあいさつあたりから、泣きはじめる子供が増えてきました。大声で泣く子がいると、つり込まれるように近くの子も泣きだします。そういうムードになったのは、園長はじめ先生たちのウルウルが先行したからでした。そして涙は親にも伝染します。
 小学校以上の卒業式では、生徒も大人も、こんなに大っぴらに泣くことはありません。幼稚園の卒園式が涙もろいものであるのは、孫が卒園した17年前に経験して知ったことでした。親たちにとって、子供が「社会的行事」に参加しているのを見る最初の機会になるからかもしれません。
 それはまた、母親たちとあまり年齢的に違わない幼稚園教諭たちにとっても同様ではないでしょうか。3年保育でもあれば、頼りない幼児期から世話をはじめて、卒業証書を受け取るまでに育てるわけです。そして幼稚園では、先生の仕事は評点と選別ではなく、ほめて伸ばしてあげる幸せな役回りなのです。
 幼稚園児たちは、ここから「学校」という競争社会に入って行きます。温かい一日が終り、明日から次の行路が待っています。母と子の上に、安らかな日々のあらんことを。


「全日本おばちゃん党」の紹介

 新宿西口スタンディング仲間から、「おばちゃん党」の話を聞きました。調べてみると、なだ・いなだ氏が主宰する「老人党」に似て、ネット上のバーチャル政党ですが、老人党が公式サイトとメルマガを中心に運営されているのに対して、こちらはフェイスブックを中心に活動しているようです。ウィキペディアにも項目が立っていますが、「広告宣伝のような内容なので中立的な記述内容に改めるよう、従わない場合は即時削除もある」との警告文がついていました。おばちゃんのたくましさで、なんとか切り抜けて今に至っているのでしょう。
 全日本おばちゃん党は、2012年9月に、谷口真由美氏(大阪国際大学准教授・国際公共政策学博士)のフェイスブック上のつぶやきから始まったとのことです。昨年末現在で、党員数は1000名以上とされています。党員資格は「おばちゃん」に限られますが、賛同する「おっちゃん」も、サポーターとしての登録は可能のようです。
 肝心の政策ですが、2012年12月2日に「大阪ええじゃないか」のイベントで発表された「おばちゃん党はっさく」に表現されているので、ご紹介します。(以下引用)

(前文)おばちゃんは、政治のことを自分たちのこととしてとらえ、日本の未来を真剣に考えています。おばちゃんは、自分だけが幸せ、自分だけが安全、自分だけがよい生活は、いやです。おばちゃんは、全世界の幸せな未来を考えています。ゆくゆくは、全世界おばちゃん党を目指します!
その1: うちの子もよその子も戦争には出さん!
その2: 税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへんわ。
その3: 地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったら許さへんで!
その4: 将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせたくないからや。
その5: 子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。
その6: 働くもんを大切にしいや!働きたい人にはあんじょうしてやって。
その7: 力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん。
その8: だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!
おばちゃんの政治参加が世界を救う!(引用終り)

大阪のおばちゃんパワーのすごさは全国に轟いていますが、この力が政治に発揮されたら、全国区の運動にも育つでしょう。この夏の選挙に、勝手にでもいいから公認や推薦の候補者が出てくれたら面白いと思います。

大前研一の講演「アベノミクスを斬る」

 昨日は長妻昭氏の国政報告会を兼ねた会合で、大前研一氏の講演を聞きました。安倍首相の経済政策に対して「旧態依然の政策の集積であって、持続不可能」と批判する立場ですが、話の内容と、配られた「大前研一通信」の記事を総合すると、独特の規制緩和策と税制で1500兆円の「不活性資産」を活性化させ、品質で勝負する「クオリティ国家」を目指せということでした。
 大前氏は以前に東京都知事選挙に立候補して敗退したことがあり、その際は青島幸男氏が「何もしない」選挙戦で人気を集め、圧勝しました。現在は「ビジネス・ブレークスルー大学院」を設立して、その学長となっています。
 大前氏の提言には、大都市で「日照権」を撤廃し、建築の容積率制限を2倍に拡大するなど、違和感を感じるものもあるのですが、私はむしろ「大前研一通信」に書かれていた組織の保守化についての見解に興味を引かれました。どんな組織でも、構成員の平均年齢が50歳を超えると保守化の圧力が強くなり、抜本的な改革が難しくなるというのです。その観点からすれば、大前氏の登場はタイミングが悪かったのです。
 そして今は、ビジネスの世界だけでなく、日本全体の平均年齢が45歳になり、2030年には平均50歳を超える予測です。40代というと意外に若い壮年の印象かもしれませんが、赤ん坊を含む全体ですから、大変な高齢化なのです。この国で、抜本的な改革は可能でしょうか。
 講演では触れられなかったのですが、「大前研一通信」には、デフレとともに、ゆるやかに衰退する日本という予測も描かれていました。そしてまた、日本は社会の矛盾を吸収するソフトランディングに長けているとも述べています。私はむしろ、こちらの方に希望を感じました。
 1500兆円の不活性資産は、高齢者が戦後60年かけて積み上げたものです。彼らは贅沢を好まず、自分の欲望を満たすことよりも、周囲の安全と未来の安心を大切にしたいメンタリティーを持っています。この資産は大切に使わなければなりません。
 国を開くということと、蓄積した資産を浪費するということは、おそらく違います。大前氏の講演に共感する部分はあまりなかったのですが、今ある資産を大切に使うという一点では異存はありませんでした。

世界企業が世界の支配者になる日

 眠くなるような暖かい日に、遠い未来のことを考えてみた。自分はもういなくなるのだから、どうなっても構わないのだが、係累もいることだし、あまり悲惨なことにはなって欲しくない。予想なのか願望なのか判然としないのだが、夢のようなぼんやりした話である。
 世界企業の発展は、どうやら世界の政治的統合よりもずっと早く進みそうな勢いだ。日本の企業だって、一流どころはすでに海外での生産高が半分以上を占めていたりする。日本の政府が萎縮しているのを尻目に、企業はどんどん多国籍化を進めているわけだ。そして世界を市場とする競争の中で成長をはかっている。
 競争をすれば必ず勝者と敗者ができて、勝ち残る者の数が減ってくる。自由競争を維持するために政府が独占を禁止しようとしても、政治力は経済力に勝つことができない。いろいろな分野で、やがて最終の勝者が決まるだろう。企業の背後には資本があるから、次は関連産業の系列化が進む。そして最終的には、世界で一つだけの巨大な資本系列企業が出来上がって、競争相手がいなくなる。
 この巨大企業の国籍は、どこのものとも決められない。合併した多国籍の資本を集めており、世界中に株主がいるからだ。そしてこの巨大企業は、世界から集めた利潤を何に使うことになるのだろうか。世界制覇は終っているのだから、買収する相手もなくなっている。
 世界企業は世界政府ではないから、世界の国民の福祉などについては責任を負う必要がない。ただし世界中が貧困では企業も成り立たないから、利潤の中から一定の税金を行政府に納めることは拒否しないだろう。かくて世界企業は、世界政府に近い役割も担うことになる。
 要は経済が主導しようと政治が主導しようと、人間がしそうなことに、あまり変りはないような気がするのだ。世界企業が世界を統一したからといって、人類の半分を奴隷身分として、株主だけが市民権を得るような差別社会を作るだろうか。そんな企業に経済合理性があって、株主の支持を集めたりするものだろうか。
 企業であれ政府であれ、未来の世界では意味合いが変ってくるだろう。それが何と呼ばれようと、人々の共感と支持がなければ存在を許されないことを信じよう。

TPPで日本の未来はどうなるのか

 安倍首相は、TPP加盟交渉への参加を、きょう正式に表明するということだ。TPPについては、わからないことが多い。関係者以外にはわからない、というのがTPPの特徴のようだ。オバマ大統領でさえ、内容を知らされていないという情報もある。確からしいのは、国際企業が主役で、その主導と権利の拡大が図られているようだ、ということだけだ。
 今の世界は経済を中心に動いているから、政治は経済の調整役でしかないとも言える。とくにアメリカは、経済界の有力者が政界の実力者を兼ねている場合が多いから、アメリカ政府とは、株式会社・アメリカ合衆国の利益代表でもある。オバマ大統領が政治的な理想を掲げても、容易には政府を動かせずに妥協を重ねてきた経過は、見ての通りだ。
 言うまでもなく企業は利益の最大化を目的として動く。TPPについての不安材料としては、企業が国家を訴えることのできるISDの制度がある。企業が特定国によって不当に不利益な扱いを受けたと判断した場合に、国際機関に提訴して仲裁を受けられる権利だが、企業が強い力関係なら、企業が国家を、あるいは世界を支配することになる。これでは「企業は法なり」になってしまう。そうした協定の内容は、秘密のうちに交渉されているらしいのだ。
 だから話を単純にすると、TPPに入るということは、日本が国をあげてアメリカ企業の傘下に入ることを意味すると危惧している人もいる。そしていちばん困るのは、そうした心配の真偽を確かめられるような情報が、マスコミのどこからも得られないことなのだ。
 ところで「日本を取り戻す」という安倍首相の言う日本とは、どんな国なのだろう。現行の日本国憲法が規定している国とは違うようだが、経済は大事にしたいようだから、株式会社・日本の社長も兼ねているようだ。その立場から、TPPが魅力的に見えているのかもしれない。しかし相手は手強いアメリカのグローバル企業になる。
 核の傘に加えてTPPの傘に入る前に、もっとよく周囲を見回す必要はないのだろうか。安い外国品が買えると喜んでいる間に、日本の国そのもののアメリカへの身売りが、さらに深化するのでは何にもならない。 

健康寿命と平均寿命

 Dr.鼻メガネの「健康で行こう!」ブログで、健康寿命というものの存在を知りました。介護を受けたりせずに自立して生活できる期間を示すもので、世界保健機関(WHO)が2000年から打ち出した概念だそうです。当然、平均寿命よりも短くなります。逆に、平均寿命から健康寿命を引いた年数が、介護を受けながら生きている期間ということになります。
 この健康寿命について、厚生労働省は2010年のデータを初めて算出して公表しました。男性は70.42歳、女性は73.62歳ということです。同年の平均寿命は、男性79.55歳、女性86.30歳ですから、男性は9.13年、女性は12.78年が、介護を要する期間ということになります。
 健康寿命、平均寿命ともに日本は世界のトップを競う位置にいるようですが、介護を要する期間が案外長いことに驚く人が多いのではないでしょうか。私も感覚として、平均すればせいぜい5年間もあるかどうかと思っていました。この数字を見て、改めて介護保険の大切さを見直した次第です。
 もちろん望ましいのは、健康寿命をできるだけ伸ばして平均寿命に近づけることです。五体満足で最後まで活動し、「ピンピンコロリ」でさよならするのが理想であることは言うまでもありません。厚生労働省も、平均寿命以上に健康寿命を伸ばすことが大切だとしています。それは医療・介護関連予算の抑制にもなるのですから、当然のことです。
 個人としても、ピンピンコロリをめざして健康管理につとめる、それは当然のことなのですが、私もこのデータを見て、自分がすでに健康寿命の平均を10年も上回って生きていることを知らされ、粛然とするところがありました。今日も区立体育館のシニア球技教室で、90分間の運動をしてきたところなのです。今は当り前に出来ていることが、できなくなる日は、いつか来るのでしょう。
 老いるという未知の領域には、介護を受けながらの生存の期間がありえることを、統計データは示しています。望まなくても、それはやってくるかもしれない。ならば、いつ来てもいいように、物心両面の備えはしておかなくてはなりません。できれば入院したときのように、その経験を楽しみたいものです。

ブログ連歌(307)

6119 外交の 手詰まりに鳴く ひよこ組 (みどり)
6120  「毅然」のほかに 用語を知らず (建世)
6121 改めて 一つ覚えの 「毅然」なり
6122  字句が合わずに バカは控える (うたのすけ)
6123 がんばろう 唱和(昭和)も熱き 過ぎし日か (樹美)
6124  歌声もなく デモ隊の行く (建世)
6125 沖縄の 基地に闘う 歌のあり (みどり)
6126  沖縄返して 帰さない基地 (樹美)
6127 あの日から 何が変った 二年前 (建世) 
6128  原発依存 断ちて未来へ (みどり)
6128B  あの故郷へ 帰れないとは (樹美) 
6129 復興の 今更ながら その遅さ (うたのすけ)
6130  足枷となる 放射線量 (建世)
6131 大関の 負けよといって はずれなし (うたのすけ)
6132  全員勝ったら ニュースになって (建世)
6133 大相撲 ファンあっての 国技なり (パープル)
6134  大関破って 昂ぶりもなく (うたのすけ)
6135 再稼働 万人無謀と 思うはず
6136  なぜになぜにと 不可解なり (うたのすけ)
6137 核兵器 核爆弾を 廃止せよ (みどり)
6138  核の廃絶 原発も同じ (建世)
6139 アベ総理 ニッポン会社の 社長さん (うたのすけ)
6140  世界も一つの 企業になるか (建世)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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