志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2013年08月

日本の国会は「立法マシン」になるのかな

(熊さん)シリアへの攻撃が始まるって話は、ちょっと落ちついたんですかね。
(ご隠居)ああ、イギリスの国会が、政府の提案を否決したのが大きかったな。アメリカと同調して、すぐにも空爆を始めそうだったのが、国民の意思を代表する議会の意向を尊重するってんで、イギリスは参加しないと首相が決断したんだ。安保理事会の同意は得られそうもないし、アメリカは単独でやらなくちゃならないから慎重にせざるを得ないというわけだ。
(熊)さすがにイギリスは民主主義の本家だから、議会の決議は重いんですね。
(隠)与党からも反対があったそうだから、議員の表決も日本より自由なのかもしれない。それにしても、議会を説得できなければ、同盟国のアメリカに不義理しても武力行使を撤回するという、そのいさぎよさがいいね。日本の国会だったらどうだろうと思ったよ。
(熊)日本だって、議会は政府の政策をチェックするんでしょう。
(隠)それがな、議員会館の中で、ちょっと気になる話を聞いたんだよ。いま国会は休んでるだろ。それが9月中もずっと休みで、次の開会は10月になるというんだ。早い話が議員さんらはヒマなんだが、政治の課題はいま消費税だけじゃなくて、福島の汚染水でもTPPでも防衛問題でも来年度予算でも、緊急の課題が目白押しなんだよ。議論しなくちゃならないことが、いっぱいある。
(熊)早く国会を開いて、どんどんやればいいのにね、政権党が優勢なんだし。
(隠)それが逆になるんだ。国会の審議になると、野党の意見も聞かなくちゃならない。政府案に問題が指摘されたら、ちゃんと説明したり、場合によったら修正するようにもなる。それが面倒なんだな。議会で多数になったから、法案を出せば通るのは確実になった。それなら審議の時間はできるだけ短くして、都合のいい法律をどんどん通した方が得だという計算になる。
(熊)うーん、やっぱり変だよね。選挙で勝ったら、もう国会は要らないみたいな。
(隠)そうなんだよ。法律を通すだけの国会なら、それは「法律製造マシン」と同じことになっちまう。国民から選ばれた大勢の議員が集まって議論するのは何のためかと言えば、国民みんなのいろんな意見を政治に反映させるためだ。こういう時代だからこそ少数意見が大切だとも言えるんだよ。政権与党には民主主義を守る重い責任があるんだが、そんな自覚があるとは思えない。これから始まるのは国会軽視の風潮だと思うが、国会で野党が弱い分だけ、市民がちゃんと政権のやることを見て、批判して行かなくちゃいけなくなるな。

フォレスタの男声クラシック・ガラコンサートVol.2

 フォレスタはBS日テレで毎週月曜夜の「BS日本・こころの歌」を担当している合唱団ですが、その男声メンバーによるコンサートに昨夜行ってきました。「ガラ」とはフランス語でサロンの祝祭的な催事の意味だそうです。人気のあるイベントらしく、チケットの入手には、妻に頼まれて発売日の朝から電話をかけつづけ、昼近くになってようやく2枚入手しました。27列目というその席は、行ってみたら後ろから2列目でした。
 ふだんはスタジオに並んでマイクを使い、堅すぎるぐらい格調正しく歌っている人たちですが、コンサートではオーケストラをバックに、一人ずつがのびのびとソリストとしての実力を発揮していました。クラシック・コンサートですからオペラのアリアなどが多いのですが、もちろんマイクなしの原語で歌います。雰囲気としては、こんにゃく座の「うた会」に似ていましたが、オーケストラの伴奏ですから豪華です。
 オーケストラのフル演奏にも負けないような肉声がどうして出せるのか。合間に軽いトークも入りますが、もし150年前にマイクが発明されていたら、今のような発声法は開発されなかったろうという話がありました。オペラ歌手は、全身を楽器として声を響かせるのです。
 昔「みんなのうた」で山本直純氏と仕事したとき、「歌手と歌い手は違うんだよ」と聞かされたことがあります。クラシックの素養があって発声のできる人が「歌手」で、マイクを使うことを前提にした歌謡曲系の人を「歌い手」と呼んで区別しているようでした。
 私は男声だけの地味なコンサートだろうと思って出かけたのですが、内容は期待を何倍にも上回るものでした。オーケストラの演奏だけでも聞き物で、独立した演奏曲目もありました。最初から舞台にフルオーケストラが並ぶのを見て驚いた私の認識不足でした。
 最後は客席も参加させての「浜辺の歌」の合唱で、ここまではプログラムにも出ていた想定内ですが、アンコールの「オーソレミオ」が、すごいことになりました。1コーラスはオーケストラの演奏が先行したあと、歌手はどこから出てくるかと思ったら、2階席、横のバルコニー席、客席後方、中央などから、ゲリラ的に歌声とともに歌手が立ち上がってくる仕掛けでした。
 見たところファンの中心は中高年の女性たちです。妻も座席から立ち上がってしまいました。会場を大興奮のるつぼにして、夏の一夜の夢が、めでたく幕となったのでした。

ブログ連歌(328)

6539 ふるさとを 核に汚され 目覚めゆく
6540  原発反対 貫きし兄 (みどり)
6541 今にして 禁断すべき 技(わざ)なりき
6542  水陸空に 汚染果てなし (建世)
6543 市長選 投票せざる 民が増え (みどり)
6544  危険水域 棄権7割 (建世) 
6545 茨城も 知事選近く 以下同文 (うたのすけ)
6546  民主政治も 名ばかりとなり (建世)
6547 汚染水 粗製タンクで 反乱す
6548  も少し大事に 扱わんかと (うたのすけ)
6549 知らねえか 核は宇宙の 流れ者
6550  天地水中 ところ選ばず (建世)
6551 その道理 何故アノ人は 分からぬの (うたのすけ) 
6552  総理通れば 道理引っ込む (建世)
6553 残虐な 化学兵器か 目を覆う
6554  シリアの子等の 亡き骸哀し (みどり)
6555 情報戦 写真ニュースも 錯綜す
6556  人のいのちを 傍らにして (建世) 
6557 原爆も 化学兵器も 同じ穴
6558  空しく聞こゆ シリアへの悪口 (うたのすけ)
6559 英国の 議会生きてた 抑止力
6560  わが国会は 長期休業 (建世)
 

岡本喜八の映画「肉弾」を見る

 昨夜「木霊の宿る町・おのま」さんからトラックバックいただいた岡本喜八監督の映画「肉弾」をユーチューブで見はじめたら、結局最後まで見てしまいました。ずっと以前にテレビ放映で見た記憶はあるのですが、今回は、やや違った迫力があるように感じられました。
 これは軍隊の「狂気」を描いた映画です。制作されたのは1968年、東京オリンピックから4年後です。日本が「戦後」ではなくなって行く時期でした。出演者は、寺田農、大谷直子、笠智衆、小沢昭一、田中邦衛、仲代達矢(ナレーション)などと豪華です。切れ味のいい演出で、登場人物の大まじめから、不条理が作り出す滑稽を引き出して行きます。高度成長の前に、忘れてはならないことがあるぞと警告しているように見えます。この映画が「明治百年記念芸術祭参加作品」であったのにも、今回初めて気がつきました。
 この映画はモノクロで作られていて、戦時中の雰囲気を再現するのに適しています。しかしドキュメンタリー路線ではなく、国をあげて「特攻」へと突入した狂気の時代を、局部を拡大することによって強調しようとしているのです。
 主人公は学徒出身の幹部候補生ですから、自分が狂気に追い込まれていることを自覚しています。しかしそれを批判するのではなく、決まった運命として任務遂行に結びつけようとするのです。任務からはみ出すのは、セーラー服の少女への突飛な慕情だけです。
 笑うしかない稚拙な訓練の果てに、たどりついたのはドラム缶の中で海に漂う特攻の任務でした。戦争が終ったことを知る方法もありません。ようやく汚わい船に拾われて生還するかと思いきや、命綱は切れて再び果てのない漂流だけが続きます。主人公の口から出るのは、すべてのものに対する「バカヤロー」の連呼でした。
 これが作られた当時には、肉弾の特攻は過去のものと思われていたに違いありません。しかし監督の感性には、容易には変らない「狂気」の本質が見えていたのだと私は思いました。そして、そこから非常に不気味な連想が浮かんできました。
 南の島の密林の中で、三八式歩兵銃を杖に立ち上がった日本兵の白骨たちが、怨念を抱えて歩き出す光景です。そこまでは村雲司さんが見たものと同じです。しかし、彼らの向かう先が違うのではないか。あるべかりし「家族との再会」のためではなくて、もしかしたら、「遂げられなかった任務の遂行」のために歩き出したのではないか。夏の終りに、これほど怖い夢はありません。
(追記・映画はここで見られます。)
http://onomar.jugem.jp/?eid=4418
(追記・村雲司さんから、「敗戦をなかったことにしようとする奥底の意志」は、「権力者や右翼と呼ばれる人々の心ばかりでなく、ほとんどの日本人の心の隅に苔菌のようにして生き残り、環境さえ整えば一気に全身に拡がろうとする可能性」を憂えるメールをいただきました。)

「はだしのゲン」と歴史認識

 「はだしのゲン」の問題を書きたかったが、問題の残酷シーンの現物を見ていないので自重していたところ、昨日27日の朝日夕刊が、著者・中沢啓治さんの妻・ミサヨさんのコメントとともに、核心の4コマを掲載してくれた。魂の抜けたような昨今の新聞だが、勇気をもってこれを記事にした記者がいたのはよかった。
 言われている通りに、中国人の捕虜を銃剣で刺殺するところ、首を切り落としているところ、そして妊婦の腹を裂いているところ、女性を陵辱して殺すところを描いている。しかし被害者の女性を黒く塗りつぶして生々しさを弱めるなど、子供に見せることを意識して工夫をしているのがわかる。
 「子供が怖がって夜に一人でトイレに行けなくなった」という母親からの手紙に、著者は「お子さんの感受性の豊かさを褒めてあげてください」と返事したそうだが、教育とは、そういうことだろう。怖いことには目をつぶって「なかったことにする」のは教育ではない。
 この騒動は「子供に間違った歴史認識を植え付ける」という人のクレームから始まったとのことだが、間違っているのはどちらか。著者は被爆者としての経験はあるが、従軍の経験はなかった。しかし資料は充分に集めて慎重な表現で描いている。描かれた事実が「間違った認識」でないことは、私も証言することができる。
 「少国民たちの戦争」に書いてあるが、私の遠縁に憲兵の将校になった人がいた。太平洋戦争が始まる少し前、小学2年生の秋に、その人が久しぶりに家に来たことが日記に書いてあり、その人の「みやげ話」を覚えている。「支那兵」の生首を耳をつまんでぶら下げ、笑っている日本兵の記念写真を見せて貰った。スパイ容疑で捕らえた現地人を、拷問して殺す話を父としていた。「結局みんな殺しちゃうのかい」「まあ、そうですね」といった調子だった。
 憲兵は軍の規律を統制するのが目的の職務で、その将校なら一通りの法務知識もあったろうに、気のおけない親戚の家では、つい「自慢話」をしてしまったのだろう。そこに少しでも告白・贖罪の気持があったかもしれないが、細部は私も文字にする気になれないほど残酷なものだった。
 東京裁判では、捕虜に対する「ビンタ」について論争があった。「日本では、ビンタは兵隊を指導する際の通常の教育手段であって、暴力行為ではない」とする弁護団の論理は、受け入れられなかった。日本の軍隊が内蔵していた暴力を容認する性格は、今に至るまで正しく歴史認識されていないように思われる。

「宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録」を見る

 昨夜のNHK「仕事の流儀」の特番(75分)は見ごたえがありました。宮崎監督が「風立ちぬ」の制作を決意してから完成させるまでの紆余曲折を、密着取材で記録したドキュメンタリーです。この映画を7月に見ていたので、表からと裏からと、二回にわたって味わうことになりました。
 大筋で言って、たぶんそうだろうと想像した情念をもって、宮崎氏がこの映画を作ったのがわかりました。こんなもの作って客が入るだろうかと考えたとか、奥さんに「トトロみたいなの作れないの」と言われたとか、家庭内の会話まで聞こえてくるような面白さもありました。
 この映画を見なかった人には縁のないテレビ番組かというと、そうでもないのです。たとえば「大事なものは、たいてい面倒くさい」という言葉が出てきます。アニメの映画づくりほど面倒くさいものはありませんが、それだけの意味ではありません。大事なものは、ごまかすことができない。適当に折り合いつけて解決したつもりでも、あとでまた作り直すことになります。妥協したのでは、作る意味がなくなるのです。
 映画はシナリオが出来ていて、それに沿って撮影するものだと思っていましたが、この宮崎作品では違っていました。本人が誰よりも「どうしようか」と最後まで悩んでいるのでした。私の最大の期待は、映画でのラストシーンが、どうしてあのようになったかを知ることでしたが、残念ながらその答えはありませんでした。ただわかったのは、二郎と菜穂子が名古屋駅の雑踏の中で駆け寄り抱き合ったのが、実質上のフィナーレだったということでした。
 それにしても驚いたのは、宮崎監督が思いついたことを鉛筆で紙の上に絵として描き出す速さでした。人物が表情を持ち動き出す、そこからセリフの言葉も生まれるのでした。ジブリの施設も大人数のスタッフも、すべては監督の発想を具体化し完成させるためにのみ存在していることが、よくわかりました。
 宮崎監督は私とは8歳違いで、誕生の年に太平洋戦争が始まり、幼時に焼け跡の風景を見た記憶があるそうです。その記憶は、東北大震災の被災地の風景とも重なったに違いありません。人間は、わざわざ廃墟を作り出す戦争をしたことがある。その戦争に使う飛行機を作るのに心血を注いだこともある。その仕事の中には、たしかに生きがいと美がありました。
 でも決して戦争を礼賛はしない。それはジブリが出した異例の反戦アピールからも明らかです。それでもなお戦闘機を作った男を描いておきたかった。「自分の映画を見て、初めて泣きました」という試写会場での監督の言葉が心に残りました。人間は、これからも戦争をするのでしょうか。戦争を止めるのは、本当に不可能なことなのでしょうか。

横浜市長選に見る支持率と投票率

 昨日、8月25日に横浜市長選挙があり、現職の林文子氏が再選された。結果は自民、民主、公明の推薦を受けた林氏の圧勝だった。開票結果は以下の通りとなった。
 林 文子    69万4360票
 柴田豊勝   13万4644票(共産党推薦)
 矢野未来歩   1万9259票
得票率を計算すると、林氏は82%を得ており、柴田氏の16%を大きく上回っている。首長選挙によく見られるオール与党対共産党の構図で、共産党は奮闘したようにも見える。だが、この選挙の投票率は、29.05%という新記録の低さだった。
 これを前提にすると、選挙の様相は少し変って見えてくる。有権者は292万人もいたのだから、林氏の絶対得票率は24%足らずになり、4分の1の得票で絶対多数を獲得した自民党の総選挙とよく似た構図になっているのがわかる。同時に、共産党の絶対得票率が4.6%程度に固定しているらしいことも読み取れる。そして、有権者が「どうせ結果はわかってる」と白けた気分になった事情もわかるのではないだろうか。
 かつて横浜市は、社会党公認の飛鳥田一雄を当選させて、全国的な「革新市長ブーム」の先陣をきったことがある。1963年(昭和38年)のことだった。翌年には「全国革新市長会」の会長となり、横浜の市政でも、一万人集会など「直接民主主義」の導入につとめた。公共事業についても先見の明があり、「みなとみらい」再開発の基本を決めたと言われる。後に社会党の委員長となり、社公民(当時は民社党)共闘の政権構想を描いたこともあった。
 共産党の大きさは、当時も今とあまり変ってはいない。投票率の低下だけで共産党が当選するには、投票率を10%にまで下げるボイコット運動によらなければならないが、それは不可能だろう。やはり、政権与党に交代可能な対抗軸を示すことのできる野党がなければならない。共産党がそのように変身してくれない限りは、野党が再編するしかないのだが。

想田監督の「PEACE」を見る

 定例の新宿西口で大木晴子さんから、思いがけなく想田和弘監督の映画「PEACE」のDVDを貸して頂きました。韓国の「非武装地帯ドキュメンタリー映画祭」から短編の出品依頼を受け、断ろうと思っていたが意外な切り口から出来てしまったという、「平和と共存」をテーマにした作品(2010年制作・75分)です。本編のほかに6本63分の特典映像がついていてます。
 想田監督独特の「観察映画」の対象に選ばれたのは、妻、柏木規与子さんの実家の義父母と、義父の飼っている猫たちでした。猫たちのグループには、新入りの泥棒猫が接近してきますが、飼い主にも先輩猫たちにも親しめません。しかしエサは欲しいのです。
 一方、義父は高齢者を車椅子対応の福祉車両で送迎する仕事を引き受けており、義母は介護ヘルパーとして活動しています。どちらも無償ボランティアではなく、福祉事業への参加ですが、それが職業として成り立つわけもなく、夫婦とも危ういバランスの上に日々を過ごしています。
 そうした猫の生活現場と、老人たちの生活現場が交互に観察されて行くうちに、おぼろげながら浮かんでくるのは、人間にも猫にも共通する「生きものたちの共存」の姿なのです。そこで決定的に大切なことは、「困窮はしても、日々に飢えてはいない」ということでした。猫も人間も、自分の食べるものさえあれば、命をかけて戦ったりはしないのです。
 ただしそのメッセージが、本編を見ているうちに明瞭にわかったわけではありません。ただ終了時に、登場人物の一人が死去した旨の追悼字幕が出て、平和な自然死(末期ガンであったとしても)であったことを知らされました。私が全体像を掴むことができた気がしたのは、巻末にあったニューヨークでの観客とのQ&Aを見てからでした。
 観察映画ですから、どういう見方をしろということはありません。私がこれを通して若い人たちにメッセージを送るとしたら、こういうことでしょうか。
 「日本の若者たちへ、これから召集令状で戦争に駆り出されるような時代が、また来るかもしれないけれど、今日明日の食べ物がある間は、行ってはいけません。食べるものがあっても『戦わなければならない』と言われる戦争は、誰かが金儲けするために仕組んだ戦争に違いないのです。人を殺して自分も殺される戦争は、病死や事故死、あるいは刑死よりも、ずっと悪い死に方だということを忘れないでください。」

それでも原発動かすの

(熊さん)福島原発の汚染水ってやつが、どうにも始末が悪そうですね。
(ご隠居)なにせ相手が水だからな。こちら塞げばまたあちらで、際限がなくなっちまう。それに、ただの水じゃなくて、放射能がからむから悩ましいんだ。今朝の新聞の写真でも、問題のタンクを点検する作業員は、みんな防護服にマスクをつけてる。この暑いのにあんな格好で、能率のいい仕事ができるわけないわさ。先日読んだ「福島原発の闇」でも、ふつうなら30分もかからないバルブのパッキンの交換が、6人がかりで半日かけても終らないと書いてあったよ。
(熊)原発の作業って、本当に手間がかかるんですね。労賃だけでも大変だ。
(隠)福島は事故ったから特別と思うかもしらんが、ふつうに動いてる原発でも似たようなもので、現場の作業は大変なんだ。だから大量の作業員を使って、年間被曝量を計算しながら交代させるなんてことをやってる。構造的に人を使い捨てにしなくちゃならん産業なんて、どうにも健全とは思えないな。
(熊)それでも今の政権は、原発をまた動かす用意をしてるんでしょ。
(隠)でもすぐに動くわけじゃない。この9月には、大飯原発が定期検査で止まる予定だから、また原発はゼロの時代になる。この夏の猛暑でも、電力はなんとか足りたんだから、あとは原発を動かせば電力会社の採算が当面は楽になるという、金勘定の問題になるんだな。原発の安全性の問題は、規制委員会が判断するから政府は直接には関与しないという構えなんだよ。
(熊)それってずるいよね。福島の汚染水だって、東電に指図してるだけでしょ。
(隠)汚染水は国際的にも問題になってきたから、国の責任として対策しなくちゃならんことになるだろう。海を汚しては、日本の漁業ばかりか、世界的な環境問題に発展してしまうからね。それにしても、原発は「トイレのないマンション」だってことを、日本が世界に広告するような結果になった。皮肉なもんだな。
(熊)福島が失敗したら、世界中で漁業が出来なくなったりしますかね。
(隠)そこまでパニックにならなくていい。高木仁三郎さんの本には、こんなことも書いてあった。核廃棄物を海で薄めると、拍子抜けするぐらいレベルは下がるというんだ。海水の量というのは、それほど偉大なんだな。だから今ならまだ核で地球は破滅しない。ただしそれには、今の分量をもう増やさないという条件があるんだ。原発は、もうこれ以上動かしてはならんのだよ。

ホームレスとハウスレス

 昨夜の老人党護憲+の例会では、メンバーの一人でもある仰木節夫さん(せっちゃん)の話を聞きました。北九州で20年にわたってホームレス支援活動に取り組み、NPO法人北九州ホームレス支援機構の創立から現在に至るまで、さまざまな現場経験を積んできた人です。
 いろいろな話があった中で、高齢犯罪者の釈放後の自立の難しさというのが印象的でした。生活力の弱い人が多く、犯罪といっても万引きなど軽微なものが多いので刑期も短いのですが、出所後の生活が成り立たないために、累犯で刑務所に舞い戻る例が多いというのです。
 受刑者を刑務所に収容して生活させる場合、平均して年間300万円の経費がかかるそうで、生活保護よりも高くつきます。しかし、もともとホームレスだった受刑者には住所がありません。事情に応じて、どこに住所を決めるかに苦労するという話に意表を突かれました。
 ホームレスにも「定着型」と「移動型」がある、という話も聞きました。公園などで住居に準じる拠点を作って暮らしているのが定着型で、これはカウントしやすく、対策も立てられますが、最近増えているのは、昼は図書館、駅などで過ごし、夜だけ寝場所を探して歩く移動型で、若い人も多く、こちらは実態の把握が難しくて、支援の方法も多様になるということでした。
 ホームレスは家のない人ですから、居場所を与えれば落ち着くというのは、誰でも考えることです。行政もNPOも、その前提で仕事を続け、成果もあげてきました。しかし「ホームレス」は「ハウスレス」とは違うのではないかということに、仰木さんは最近になって気がついたと語っていました。つまり「経済的困窮」と並んで「関係性の困窮」が重大であることを、支援活動を通して学んだというのです。
 ホームレスが行政の「収容」に抵抗するのは、生活圏の人間的なつながりを断ち切られるからです。そこで「参加包摂型社会」を創造するという理念が生まれました。それを具体化したものが、自立者が終の棲家とすることのできる共同住宅の建設として実を結びました。この秋から「抱樸館北九州」が開所するとのことです。
 「樸(ぼく)」とは難しい字ですが、樹皮がついたままの丸太のことだそうです。それをそのまま抱えるという意味になります。かつて村落では生活弱者も抱えたままの地域社会が成り立っていました。私も2008年に津軽の十三湖に旅したとき、知恵おくれの女性を、地域のみんなが優しく見守っているのを見ました。「抱樸館」は、そんな「関係性復活」の拠点になってほしいと思います。

ブログ連歌(327)

6519 奇怪なる 地震速報 空振りす
6520  地殻もゆらぐ 日本列島 (建世)
6521 三八銃 杖に白骨 立ち上がる
6522  死処を得ざりし 慟哭の朝 (建世)
6523 曲りなり 六十八年 平和なり (みどり)
6524  それが不満か 戦争準備 (建世)
6525 原発の 汚染水すら 止められず (みどり)
6526  メルトスルーを 隠す術なし (建世)
6527 夏休み 終わってみれば 疲労のみ
6528  せめて廃炉に 道筋つけば (うたのすけ)
6529 新しき 大漁旗に 翳りあり (みどり)
6530  待てども晴れぬ 汚染の疑惑 (建世)
6531 偵察機 無人となれば 許される? (うたのすけ)
6532  爆撃機へと 化ける不気味さ (建世)
6533 干上がりし ダム底に見ゆ 村役場 (みどり)
6534  三十八年 悔いなかりしか (建世)
6535 汚染水 迷路迷宮 打つ手なし (うたのすけ)
6536  トイレなしとは 本当だった (建世) 
6537 大いなる 琵琶湖の魚 セシウム禍 (みどり)
6538  暑き夏なり 行きどころなし (建世)
6539 ふるさとを 核に汚され 目覚めゆく
6540  原発反対 貫きし兄 (みどり)



「裁判が日本を変える!」を読む

 「裁判が日本を変える!」(生田暉雄・日本評論社)を読みました。先月の老人党護憲+の例会で紹介され、購入したものです。著者は高裁判事まで勤めた元裁判官で、退官して人権派の弁護士となり、教科書訴訟など市民による行政訴訟の支援にも活動している人です。
 まず指摘しているのは、日本の裁判制度が、世界標準から外れた異常な官僚支配に固められているという事実です。そして日本は非常に裁判の少ない国だということです。日本の人口比の裁判官の人数は、10万人当りでドイツ25人、アメリカ16人、イギリス7人に対して、わずか2人しかいないとは驚きました。日本の裁判は、市民から遠いところにあるのです。
 次の問題は、刑事裁判における官僚支配が徹底していて、冤罪事件を生みやすい体質になっていることです。犯罪の捜査は初動捜査から本格捜査、裏づけ捜査まで一貫して同じ警察・検察に独占されており、弁護士の立会い、取調べの録音・録画など、第三者のチェックが不充分です。その結果として自白偏重の見込み捜査を横行させています。
 この捜査を吟味して判断を下すのが裁判所の役目ですが、そこに提出される証拠が事前整理で選別されており、往々にして裁判は有罪を確認するための儀式に過ぎなくなっている。そこへ民間から裁判員を参加させても、裁判の公正化にも民主化にもつながらず、裁判員制度はアリバイづくりでしかないと著者は述べています。
 さらに市民が国や自治体などを相手に起こす行政訴訟でも、裁判所の壁は厚いのです。しかし市民が裁判という形で物を言うことで国は少しずつ変る。著者の力点はここにあります。行政は裁判に対しては弱いところがあって、裁判を起こされたというだけで慎重になり、暴走が止まる場合もあるのです。そして裁判所を特殊な場所と思わず、市民の感覚で参加するよう求めています。
 たとえば裁判長の言葉が聞こえにくかったら、傍聴席から「聞こえません」と声をあげる。それでマイクが設置された例があります。原告になったら、陳述書の朗読を省略せず、「傍聴の人にもわからせたいから」という理由で読み上げることもできるのです。裁判の記録も、大事な部分が採録されているかどうかを確かめ、欠落していれば記録を要求することもできます。
 立法、行政、に並ぶ司法の場である裁判所は、今は行政の下部機関のようになり、著者は「ヒラメ裁判官」(上ばかり見て行動する)と揶揄しているのですが、曲がりなりにも裁判所では国民が国に対して対等に物を言うことができます。国を動かすことのできる有力な方法の一つと考えれば、裁判が怖いものではなくなるでしょう。もし自分が「被告」の立場になったとしても、です。

甲子園だって休養日

 甲子園の高校野球も大詰めだが、昨日が「休養日」だったのはよかった。ベストエイトが一日4試合の強行スケジュールをこなした後に休日をつくり、選手の疲労を回復させるとともに、クジ運による不公平を、かなりの程度まで緩和することができる。従来は、運が悪いと主戦投手が4日連投を強いられる場合もあったのだから気の毒だった。この休養日制度は、来年以降も継続するといい。
 期待された東北勢が、準決勝で消えてしまったのは残念だが、一日休養した仕切り直しでの試合だから、力が出し切れなかった不満は、やや少ないのではないだろうか。準決勝・決勝という大事な試合が、より公平で安全な環境で行われるのは、よいことだと思う。
 公平で安全な環境が好ましいのは運動競技に限らない。すべての人間の働き方も、経済活動も、公平で安全がいいに決まっている。早く結果がほしいからと、速度を競うばかりが能ではあるまい。ところが最近の通貨取り引きや株取り引きでは、千分の一秒単位のスピード競争になっているという記事を読んで、あまり愉快ではなかった。
 コンピューターがプログラムに従って売買を発注するわけだが、設定された条件に即して反応する速度の勝負になるというのだ。それが現代の経済活動だが、パニックを拡大して市場を混乱させるマイナス面も指摘されている。いったいこれは売買の活動と言えるのだろうか。
 人がものを買ったり売ったりするのは、それが利益になると判断するからで、所有権の移転に伴って代金のやりとりをする。一回ごとが慎重な判断を要する取り引きになる筈だが、これがコンピューターの判断に勝てなくなった。その理由には、取り引きが何回繰り返しても無料でできてしまうということがある。金がかからないなら、機械任せで何度でもやって正解を探ればいい。
 しかし、どうしても抵抗感が残る。取り引きというのは、そんなに軽くていいものなのだろうか。そして、金を払って物を買う、物を買って金を払うという行為には、一定の経費がかかるのが当然ではないのだろうか。その経費は、実需を伴わない買占め、売り惜しみなどを抑制する安定剤でもある。
 コンピューターが高能力だから経費が要らないというのなら、それでもいい。代わりに所有権の移転ごとに公的な課金をして、世界的な福祉財源にすればよいではないか。トービン税導入までに、あと何年かかるのだろう。

過剰と不足と分配と

(熊さん)猛暑つづきで水不足だってぇのに、猛烈な雨で大変な地方もあるんだってね。
(ご隠居)そうなんだよ、関東から西は日照りつづきで酷暑だ。ダムも干上がるってのに、東北、北陸、北海道じゃ猛烈な雨で災害がつづいてる。高気圧が居座って動かないからだそうだが、どうにも困ったもんだな。
(熊)なんとか平均にならないもんですかね。降りすぎてる雨を、ちっとは西日本や関東に分けてくれりゃいいんだ。科学が進んでも、そういうことは出来ないんですかね。
(隠)気候の変動ってやつは、桁違いのでかいエネルギーで起こるから、人間の技術じゃ歯がたたないさ。せいぜい予報を出して注意するぐらいしか対策がないんだよ。でもな、海水温が高くなってるとか、地球温暖化の影響が出はじめているらしいのが不気味だな。総じて気象が荒っぽくて、極端に走るようになってる気がするよ。町が暑いのは、過密な都市化の影響もありそうだがな。
(熊)そう言えば「地球温暖化の防止」ってスローガンが、あまり聞かなくなりましたよね。原発事故以来、みんな節電に気をつけるようになったから、もういいんだろか。
(隠)そんなことはないよ。節電だけじゃなくて、このごろは「再生可能エネルギー」って言葉がよく使われるだろ。あれは地球の温暖化防止と同じことなんだ。一時は原発が温暖化防止に役立つなんて言われたけど、とんでもない宣伝だった。全体で見たら、危険な核エネルギーで湯を沸かすという、無駄が多くて幼稚な技術だったんだな。
(熊)本命はやはり、節電と再生可能エネルギーですかね。
(隠)そうだね。気候がおとなしくなって、自然のリズムを取り戻してくれるといいんだ。大雨の反対側には日照りがある。地球全体で見たら、毎年の降水量は、ほぼ一定なんだよ。問題は、極端な変動を、どうしたら抑えられるかってことだな。
(熊)大金持ちの反対側に、金に困る貧乏人がいるのと似てませんか。世界全体では足りてるのに、金持ちが集め過ぎると貧乏人の分が足りなくなるでしょ。
(隠)へぇ、面白いこと言うな。熊公のヒガミもあるかも知らんが、金も食糧も、世界全体では足りてることは確かだよ。それでも飢えてる貧乏人がなくならないのは、なぜだろうな。人間がこしらえる金と食糧の分け方なら、雨を平均に降らせるよりは、ずっとやさしい道理だよ。誰かが溜め込みすぎていて、公平に分けさせる力が弱いってことだよな。

窓をあけよう 風を入れよう

 夏休み明けの初仕事に、「UAゼンセン歌」の録音をしてきました。「窓をあけよう 風を入れよう」というのは、その歌詞の一行目です。今の世の中の閉塞感をやぶり、未来志向の新組織を立ち上げる意気を示したいと思いました。各節の最後の一行は「めざす未来は ここからだ」です。
 それにしても暑い日がつづきます。家に帰って出来たばかりの歌を聞きながら、録音が8月で、定期大会での発表が9月でよかったなと思いました。冬に窓をあけて風を入れたら寒いでしょうね。
 猛暑のようでも、日没後の風は、少しだけ低温になったように感じます。エアコンを止めて、窓を網戸にしてみました。天頂近くに月が照っています。

堀江邦夫・水木しげるの「福島原発の闇」を読む(見る)

 ネット上の何かの情報でこの本(朝日新聞出版・1000円)の存在を知り、地元の中野図書館にも所蔵されているのがわかって読んでみました。1979年に「アサヒグラフ」に掲載されたものを、原発事故を受けて2011年8月に復刻・再刊したものです。事故を起こす32年も前に、このような絵入りルポが掲載されていた事実に驚きます。
 堀江邦夫氏はフリーライターとして、当時から「原発ジプシー」と呼ばれていた渡りの労働者となり、原発の労務を体験していました。水木しげる氏は、雑誌からテレビへとメジャーデビューしていた漫画家でした。時代は原発の新・増設が花ざかりを迎えていた頃です。そこでもすでに社会問題化しつつあったこのテーマに、多忙な水木氏は「やりましょう」と答えたということです。
 提供された資料は乏しいものでした。公開される資料は少なく、水木氏は福島原発の展示コーナーと施設の雰囲気、そして堀江氏の体験談を頼りにして「パイプの密林」の中、防護マスクの奥で息も絶えそうになる労働者の姿を描き出しました。それは「総員玉砕せよ」と命じられた戦争体験との二重写しであったに違いありません。
 原発の労務とバンザイ突撃とは、酷似していました。ボーシンと呼ばれる職長の命令一下、労務者は高線量のパイプの中に突入してパッキンの交換や壁面の清掃などを行うのです。線量計の累計数値が、年間許容量に達するまでが労務者の「使用期限」です。しかし計測の故障や欠落は、日常的に発生して不安感を増幅します。
 堀江氏はあるときマンホールに落ちて肋骨骨折の重傷を負いました。命からがら生還した最初に言われたのは、「労災申請は勘弁してくれや」という元請け所長の言葉でした。福島原発の構内には高い塔があって、そこには「無災害一五〇万時間達成記念」と誇らしげに書かれていたそうです。
 アサヒグラフは、その後も何度か原発特集を組んだということです。藤沢正実という担当部員がいたからでした。それでも世論が反原発に動くには至りませんでした。それから30年あまりが経過した今、私たちの前には昔から少しも変らない東京電力と福島原発と政府の産業政策があります。
 福島原発の地下が今どうなっているのか、何の情報もありません。メルトダウンした核燃料を回収して処分するなどは、夢のまた夢の作業のように思われます。犠牲を強いる玉砕戦術や特攻作戦を継続して勝ち目はあるのか、土地も海も隔離して広大な「石棺」とするのか、選択肢は多くはなさそうです。

「民主・平和」対「反動」という視点

 昨日の記事のコメント欄で、みどりさんに答えた中で、久しぶりに「反動」という言葉を使った。この言葉で直ちに一定の否定イメージを持つ年代は、70代以上ぐらいだろうか。戦後の民主化ムードの中で「反動」は時代に逆行する勢力を指した。共産党系の労働組合では、既得権を守ろうとする管理職への告発などによく使われたものだ。
 ベースとしては、世界は社会主義化へ進むという唯物史観があった。勤労者大衆が社会の主人公になるのだから、それに抵抗を試みる反動勢力は、遅かれ早かれ追放されるというものだ。現に革命前後の中国では、「反動」の烙印を押されれば、直ちに追放・粛清されることを意味していた。
 戦後の日本は共産化したわけではなかったが、民主主義と平和主義は天下公認の思想とされていたから、それに逆らう言動は、やはり「反動」だった。ところが今、安倍自民党による改憲や防衛力強化の動きに対しては、「反動」という言葉を使っての批判は聞こえない。日本の軸足は変ってしまったのだろうか。「日本を取り戻す」とは、そういうことだったのか。
 「民主・平和」の時代に強調されていたものに「国連中心主義」というのもあった。日米安保条約も、当初のものには「国連の判断に従う」原則が明記されていたのだが、後の改定で「国連」の字が消えて行った。いつの間にか日米は軍事同盟を結んだことになっていて、日本の自衛隊は「日本軍」として同盟国とともに戦うべきだと議論しているのが現状である。
 こういう議論が「反動」と思われなくなってきたということは、日本の国内で「民主・平和」が当然の本流と思われなくなったことを意味するのではないか。では対抗する思想は何かと言えば、それは国粋主義と戦争容認にならざるをえない。崇高なる母国を守るためには戦争も止むなしということになる。
 何を「反動」と感じるかは、自分の立ち位置と未来への志向を反映する。いま日本は「民主・平和」と「国粋・戦争」の二大潮流がせめぎ合う分岐点に来ているのではないか。ほとんど無意識に使った「反動」という言葉で、この国の「今」が見えてきた。

靖国にはだあれもいない

 昨日は、原爆の図・丸木美術館の「野木庵」で毎年8月15日に行われる「朗読詩集会」に、初めて行ってみました。





 少し遅れて到着したため、「制服向上委員会」ライヴ出演の途中から見られたのですが、うわさに聞く以上に、しっかりしたメッセージ性のあるグループでした。





 村雲司さんの詩の朗読。その中の一編を紹介させていただきます。

 靖国にはだあれもいない  村雲司

 日本兵に撃ち殺され刺し殺され、食糧を奪われて餓死した、アジア諸国の、一千八百八十二万人のあなた方は、もとより靖国にはいない。
 戦争に反対して、最後まで反対して、拷問死した「非国民」とさげすまされた人々。あと数日生きながらえれば、解放されたというのに、炎天の夏に暗く蒸し暑い牢獄で死んだあなたは、けっして靖国にはいない。
 頼りとする息子を戦死させ、万歳と送り出した自分を責め続けながら、戦後の荒波を乗り切れずに死んで行った父や母たち。あなた方も靖国にはいない。
 肉親の名を呼びながらジャングルの奥で餓死した兵士たちが、死の間際に眼に浮かべたものは何であるか。彼らの霊は、母の膝へ、父の肩へ、我が家の布団のぬくもりへ、卓袱台の上の味噌汁の湯気へ、妻や子の待つ居間の団欒へと帰って行ったに違いない。彼ら兵士さえも靖国にはいない。
 A級戦犯は、故郷の偉人として豪壮な墓石にたてまつられ、靖国になどいない。
 靖国には、だあれもいない。

日本の労働組合運動・その歴史と現状(6)全繊同盟からUAゼンセンへ

 全繊同盟(全国繊維産業労働組合同盟)は、敗戦翌年の1946年に結成された。その名の通り、紡績など繊維産業に働く労働者の全国組織で、組合員には女性が多かった。会長は戦前から総同盟の指導者で、後に衆議院議長となった松岡駒吉だった。
 全繊同盟は、1954年に近江絹糸の近代化闘争を行い、「女工哀史はもういやだ」をスローガンに105日にわたるストライキを敢行して大幅な待遇改善を勝ち取るなど、労務管理の近代化や組合員の教育などにも力を入れていた。ちなみに戦後の著名な労働争議の中で、電産の停電スト、三井三池の合理化反対闘争など、総評が指導したものは「玉砕型」が多かったが、同盟系の争議には後の「佐世保重工争議」を含めて、組合にとって成果のあったものが多い。
 全繊同盟は1974年に名称をカタカナの「ゼンセン同盟」に改めた。東レ、旭化成など化繊会社の主力製品が繊維でなくなり、流通関係など繊維に関係のない職種への組織拡大が進んだからだった。そして2002年に化学系のCSG連合及び繊維生活労連と組織統合して「UIゼンセン同盟」となった。それから10年間で組合員数を1.5倍に拡大して100万名を超え、自治労を抜いて日本最大の産別組織となった上で、2012年秋に百貨店系のJSDと統合して「UAゼンセン」となった。
 UAゼンセン141万名の組合員のうち、半数以上は、いわゆる「非正規」の労働者で占められていて、男女の比率はほぼ半々になっている。流通企業だと正社員もパートも組合に入れてしまうし、介護などに多い派遣企業の場合は、職能組合として組織化している。身分の違う社員とパートを同じ組合に入れるのは困難も多いが、そうしなければ経営側と対等の交渉ができないというのは正論に違いない。「同一労働、同一賃金」の原則も、そこで初めて論じることができるだろう。 
 UAゼンセンの正式名称は「全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟」という恐ろしく長い名で、UAには「ユニオン・オールラウンド」の意味が含まれるという。早くいえば「働く人みんな」ということだ。自動車、電機、重工業など従来型の産業別に固まった組織は今後もそれなりの役割を果たして行くだろうが、UAゼンセンの今後は面白い。雇用の安定化や格差是正といった、社会的改革のリーダーとして活動する可能性があるのではなかろうか。
 支持政党の民主党政権は短命に終ったが、その前の長い保守党政権下でも、労働組合は政治的な影響力を行使してきた。昔は「労働組合はストライキをしないと強くなれない」と言われたものだが、連合の結成以来、ストらしい風景を見ることはなくなった。しかしUAゼンセンは、ごく近年にも加盟組合の偽装倒産による全員解雇を不当として戦い、最高裁まで行って勝利判決を得ている。労働者には憲法で保障された権利があり、それを具体化できるのは、やはり労働組合なのだ。

日本の労働組合運動・その歴史と現状(5)雇用流動化の中で

 小泉・竹中「規制緩和」による「実感なき好景気」の中で、企業業績は好調だったものの、日本の社会は格差の拡大へ進み始めた。雇用では正社員の枠が小さくなり、賃金の安い「非正規労働者」が増加して、平均賃金は下がりつづけた。フルタイムで働いても低賃金で社会保障もなく、まともな暮らしのできない「ワーキングプア」と呼ばれる労働者が、止めどもなく増えてきた。
 当時の笹森清・連合会長は、ついに「こんな政府は要らない」と全面対決の姿勢を示したのだが、そのタイミングは2005年「郵政選挙」の直前だった。「痛みに耐えなければグローバル化時代の競争に生き残れない」という理屈のもとに、「新自由主義」は労使関係においても支配的になり、賃金体系にも「成果主義」が持ち込まれて労働組合は防戦に追われた。
 この頃に非正規労働者から寄せられた「連合」への批判には、「あなた方は経営者以上に私たちを搾取している敵だ」という痛烈なものがあったと聞いている。正社員組合員の身分保障と賃金水準は、安全弁として使い捨てられる非正規労働者の犠牲の上に成り立っている、という理由だった。そういう目で見られたら、正規と非正規との間に、労働者としての連帯などが育つわけがない。
 今まで当り前の労働組合だと思っていたものが「労働貴族の既得権集団」と批判されるようになる一方で、劣悪な労働条件に苦しみ、もっとも労働組合を必要とする人たちに組合がないというのは、社会正義に反する。連合は「非正規労働者の組織化支援」を運動の柱に据えるようになった。現在の法制下でも、ノウハウさえあれば組合づくりは難しくはないのだ。しかし小規模で多様な組織化は、労多くして効果がすぐに出るものではない。その間にも正社員の削減は進んで、連合の加盟組織は軒並みに組織人員を減らして行った。
 2005年秋、連合の体質改革の途上で笹森会長は高木剛・新会長と交代したが、高木会長は「反転攻勢」を掲げて組織拡大に取り組んだ。非正規労働者の組織化についても専門部局を設け、毎年春の「生活闘争」(昔の「春闘)では、要求する賃金水準の中に「パートの時給」も盛り込むようになった。高木会長はUIゼンセン同盟(現在の名称は「UAゼンセン」)の出身だった。この産別は、連合の中にあって、唯一、組織人員を増やしている。
 組織労働者つまり労働組合は、日本の政治史の中でも常に圧力団体として一定の影響力を維持してきた。かつてそれは社会主義実現の実行部隊として期待された時期もあったが、今はそのようなイデオロギーで括ることはできないだろう。しかし依然として「多数の働く国民」の代表であることは変らない。労働の形態が変化したのなら、それに適応した労働組合が生き残るのは当然である。
 最終回では、私のよく知っているUAゼンセンを例にして、今と未来を考えてみたい。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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