志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2013年09月

「歴史の進歩とはなにか」を読む

 先日聞いた寺島実郎氏の講演の中で、氏の生涯の指針となったと紹介されていた市井三郎の「歴史の進歩とはなにか」(岩波新書青版・1971年)を読みました。版元では品切れ、地元の図書館にもなく、中古品を検索して購入しました。生涯の指針となる思想を汲み取ったという本には何が書いてあったのか、興味がありました。
 およそ人の生涯の指針となるような堅固な思想は、文字にすれば10字ぐらいの短い言葉に集約されるものです。この場合は、歴史の進歩とは、人間の「不条理な苦痛を減らす」ことである、というのが結論でした。
 この本自体は、決して読みやすい本ではありませんでした。前半には私の知らない外国人の固有名詞が、やたらに出てきます。過去の思想家、政治家、科学者たちの業績や考え方をたどりながら、各章の最後に「それでは、歴史の進歩とは、いったい何であろうか」という問いを繰り返しているのが印象的でした。
 人間生活を大きく改善したように思われる科学技術も、裏返せば大量殺人や大規模な民族抑圧の道具にもなります。人を救う福音と思われる医療・医薬の開発でさえ、すべての人間を常に必ず幸福にするとは限りません。人は幸福を求めるけれども、その状態が当り前になれば、さらに上の要求を満たさなければ不幸になるという、やっかいな性質を持っているのです。人間はいろいろな努力を重ねてきたが、それで幸福を集積することができるのでしょうか。
 「最大多数の最大幸福」が目指すべき目標だとする有力な考え方がありましたが、それを具体化しようとすると、どんな社会思想もパラドックスに陥るのです。「幸福」を厳密に定義することができないからです。その絶望感の中で、著者は最後に大胆な自前の理論を展開します。それは、好ましくない不幸な状況というものは、世界のすべての人間に共通しているということです。
 自分に責任のない運命や外的条件によって、飢え、寒さ、心身の拘束、過酷な労働、不本意な死などを強いられることは避けたい。それを総括すれば「不条理な苦痛を減らす」ということです。この一点を中心に置けば、人間の歴史が進歩しているのか、退歩しているのかを判定することが可能になります。逆に言えば、人間の文明は、放置しておけば自然に進歩するものではないということです。
 私たちの社会は、人間の「不条理な苦痛を減らし」ているのでしょうか。この判定基準を、若い日の寺島実郎氏は、生涯の指針としたのに違いありません。この基準に照らしたら、今の日本はどうなっているのか、世界はどうなのか。一つの明快な視点が与えられました。

老人に必要な「教育と教養」

 これは私のオリジナルではない。テレビで誰かの話を聞いたのか、ネットのどこかで読んだのか思い出せないのだが、老人に必要な教育と教養とは、「きょういく」と「きょうよう」と、かなで書くのがいい。つまり「今日、行く」ところと「今日、用」があるということだ。
 一人住まいの老人を調査したら、一週間誰とも会話していない人が3割もいて、とくに男性に多いと聞いたことがある。これでは心身の健康によくないことは誰にでもわかる。人は社会的な動物で、一人で生きるようには出来ていないからだ。独居に強い人もいるだろうが、その場合は食べ物を工面して食べること自体が「今日の用」になる。とにかく、行くところがあって用があるというのは、人の生命力と密接に結びついているようだ。
 私の場合は毎週土曜日の夕方になると、新宿西口のスタンディングに行くことにしている。その前の金曜日には、長妻昭議員のホームページに載せる「週間ビデオ報告」の撮影に、都合のつくかぎりボランティアで行くことにしている。議員会館に行くのは楽しみの一つだし、タウンミーティングの会場へ行くことも多いから、あちこちの区民センターを巡回するので、これもまた面白い。
 昔はよく「若いときの苦労は買ってでもしておけ」と言われたものだが、今は「老人のボランティアは買ってでも引き受けろ」と言うべきだと思う。しかし急にボランティアと言われても、何をしていいかわからない人も多いだろう。今までにないことをしようとすれば、ただではできない。何かを始めるには多少なりとも勇気が要る。
 その点で、駅頭のスタンディングというのは、お勧めのコースになる。言いたいことを紙に書いて立っているだけで、何もしなくていい。何もしないのが警備担当との暗黙の了解事項なのだ。紙に書く内容は自由でいい。用意するのが面倒なら、気に入ったのをその場で借りてもいい。ただぶらりと見にきて雑談して帰るのでもいい。遅刻早退も自由である。
 新宿駅の西口地下広場、交番前の6本の柱に囲まれたエリアが、土曜日の午後6時から7時(地上では5時から)まで、私たちのアピールの場になる。
 気候もよくなったし、話の種に見にきませんか。これで「今日行く」「今日用」ができますよ。

矢田稔さんの話「平成の恐怖を案ずる」を聞く

 昨夜の老人党護憲+の例会で、矢田稔さんのお話を聞きました。テーマは「元昭和軍国童謡歌手、今老俳優が、平成の恐怖を案ずる」です。矢田稔さんの名は、誰でも知っているほどでなく、私も認識が不充分だったのですが、お話を聞いた上でウィキペディアで確認したら、子供のころに聞いた「兵隊さんよありがとう」(肩をならべて兄さんと 今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです……)などのレコードの声の主なのでした。
 昭和6年生れですから私より2年上、小学生のうちからレコード録音やラジオ出演で多忙なタレント生活だったとのことです。歌ったのは当然ながら「お国のために」を強調した、子供のための軍国歌謡ばかりでした。もちろん「バンザイ、バンザイ」を連呼する当時の雰囲気に、すなおに同調して過ごしていたということです。
 変声期を経て中学2年で終戦となり、戦後は声優、俳優として再出発しました。そこで大きな実績を残すのですが、弱い立場で搾取される側になりがちな声優・俳優たちの悲哀もつぶさに見聞して、芸能人の権利を守る団体の設立・運営にもかかわりました。「使われる立場」から見た放送局や制作プロダクション側の実態については、関係者しか知らない裏話は、いくらでもあります。短い期間だけNHKにいた私は、ほんの表面しか知りませんでした。
 そして現代のマスコミの話になるのですが、どうしてどの局も同じような「無難な」タレントばかりを使って「大政翼賛」的な番組しか作らなくなっているのか、戦前・戦中と似てきているような気がする、ということです。その根本を動かしている力が、どこから出ているかが問題です。反体制的なタレントは干されて仕事を失いますが、それを決めるのは誰か。
 結論的に言えば、最大の決定権は広告代理店にある、ということになります。すべての民放局は広告収入を財源にしていますから、その金の流れを管理している大手の広告代理店が強くなるのです。本来は放送局とスポンサーを結ぶ仲介業でしかなかったものが、長年の実績と経験を蓄積することで業界全体の管理者になってしまっている、それが「平成の恐怖」だというお話だったことが、一晩たってわかりました。
 では視聴者としてはどうするか。スポンサーはいないが官僚化して冒険をしなくなっているNHKを揺さぶることが一つ。そしてスポンサー企業に直接に声を届けて、くだらない番組をやめて少しでも良心的な番組を続けるように励ますこと、などでしょうか。もちろん放送業界だけの問題ではありません。「挙国一致」のムードは危ないぞ、ということです。

ブログ連歌(332)

6619 月の満ち 汚濁あばきて 返照す (みどり)
6620  なにを隠すや 地球の人よ (建世)
6621 スーパーマン 責任主導 身に纏い (うたのすけ)
6622  飛んでるつもり 上から目線 (建世)
6623 彼岸花 死者を迎えし 木下かげ (みどり)
6624  時は還らず 同じ花咲く (建世)
6625 打ち上げた 花火夜空に 輝けど
6626  残る暗闇 何をか語る (霞)
6627 つくづくと 思う政治家 大変と 
6628  己が寿命を 計りに賭けて (うたのすけ)
6628B  宿題積んで 逃げ道もなし (建世)
6629 国政の 支柱との自負 程々に (みどり)
6630  驕れば暗し 民を恐れよ (建世)
6631 保線とは だれが読んでも 意味同じ (うたのすけ)
6632  線路の安保 すぐにやってよ (建世)
6633 信頼と 安全うばう 経営者 (みどり)
6634  労使離反も 一因となる (建世)
6635 民営に 端を発した 宿怨か (うたのすけ)
6636  今に尾を引く 労々対決 (建世)
6637 新潟と 東電ま逆 出来レース 
6638  地域衰退 吟味の末か (うたのすけ)
6639 衰退を 避けたつもりで 大難へ (建世)
6640  右に習えで 笑うのはダレ (うたのすけ)

最後の二人になるまでの同窓会

 来月に大学の同窓会(といっても第1回卒業生から4回生までの4学年合同なのだが)があるので、出欠の問い合わせが始まっている。その中で、同期生の訃報を知らされた。それは同期28名の中で3人しかいなかった男子の一人で、私は男子としては唯一の生き残りになった。
 ただし、これまでの物故者は彼を入れて5人目だから、80歳の生存率としては悪くないのかもしれない。もっとも、入学時が昭和27年(1952年)だったから、まだ戦後も間もなく、年上の人もいる。中退した中には、陸軍で爆撃機の操縦士だったという、存在感のある男子もいた。学制改革で「新制大学」と呼ばれる大学が、全国で一挙に増えはじめる時期だった。
 思いがけず女学校に転校したようで適応するのに苦労した4年間だったが、ここが私の最終学歴の場になった。その後も長く思い出す先生にも出会えたし、卒業するときには後悔はなかった。女子の同期生との間にも「友情」はあったのだろう、とにかく気楽につきあえるようにはなっていた。私が卒業後早くに結婚したとき、まだ独身だった彼女たちの何人かは、四畳半のアパートに訪ねてきて、私の妻の姉貴分のようになってくれた。それは今も続いている。
 今回のことで電話の連絡網のように何人かと話したのだが、「志村くんは元気でいてね」と言われた。これでは同窓会を休むわけにいかない。「最後の二人になるまでやろう」というのは小学校の同窓会で出た話だが、同じ言葉をここでも使った。なんとなく最後の二人の一方が自分のような気がしているが、その場合の相手は誰になるのだろう。でも平均寿命から行けば、二人の女子が「志村くんも惜しかったわねぇ」などと話し合うのだろうか。

暮しの手帖「戦争中の暮しの記録・保存版」を読む

 この8月に少し話題になっていた本を、ようやく読み終りました。暮しの手帖社が昭和43年(1968年)8月号として特集し、その5年後(1973年)に読後感想文を追加収録して、ハードカバーの「保存版」として発行したものです。
 もとは雑誌の一冊だったので、短時間で読めると思ったのは大違いでした。B5版290頁に細かい活字でびっしりと組まれた文字量は、ざっと計算して、分厚い単行本5冊分にも相当する情報量なのでした。口絵および本文中にも、「証拠物件」としての各種の写真やイラストなども組み込まれています。まさに「日本中が戦場になった」あの時代を再現している文献でした。
 巻頭には、花森安治と思われる「編集者」の言葉が掲げてあります。これがどんな本であるのか、私が解説するよりも、ずっと良くお伝えできると思うので、後半部分を引用します。
(以下引用)
 戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。しかし、その戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、どんなふうに死んでいったか、どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、どこの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。
 その数すくない記録がここにある。
 いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているのか、それはわからない。君が、この一冊を、どんな気持で読むだろうか、それもわからない。
 しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この一冊を、のこしてゆく。
 できることなら、君もまた、君の後に生れる者のために、そのまた後に生れる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。(引用終り)

 この本を読んだことは、私にとって一つの衝撃です。千年万年の後まで残るべき「文献」とは、このようなものではないのかと思いました。この本は、今も「暮しの手帖社」から、現役の発行物として発売されています。
(追記・この本が編集されたのは、戦後20年ほど経過した時点です。報告者の記憶は鮮明で具体的であり、信頼できる歴史の証言となっています。全都道府県と朝鮮、台湾、満州の報告を含んでいます。)

今がいちばん若いのか、年取っているのか

 どこのブログで見たのか覚えていないのだが、最近二つの対照的な考え方に出会って面白いと思った。一つは「これから生きていく中で、今がいちばん若い時だから、がんばろう」という趣旨だったと思う。たしか中高年の人の言葉だった。前向きに生きようとする意欲が感じられて、好ましいと思った。
 その反対の見方は、老齢を悲しんでいるのかというと、そうではなかった。「今までで最高齢になるまで生きてきたのだから、賢く生きよう」というような意味だったと思う。どちらからもポジティブな意味を引き出して覚えているのは、私の性格によるのかもしれないが。
 ことの道理から考えれば、人の一生として若ければ若いほど未来に富んでいる。しかし振り返って考えれば、どんなに短くても過去には経験が積まれている。つまり今の時点で、未来を考えれば今がいちばん若くて、過去を考えれば今がいちばん年取っているという、しごく当り前のことを言っているにすぎない。なのになんとなく面白いと思ったのは、なぜだろう。
 年を取ると体力は衰えてくる。体の各パーツも、あちこちが劣化してきて、手当てをしながら恐る恐る使うような状況になる。人間関係でも、可愛いと思っていた子供たち、孫たちはそれぞれ他人のように成長していて、無条件に懐くどころか、時には年寄りにお説教を垂れるようなことになっている。先行きを考えたら、いいことは一つもなさそうだ。夜中に考え込んだりすれば、老人にできる最後のご奉公は、静かに世の中から退場することだ、などと思ってしまう。
 これは要するに、あらゆる生き物に共通の現象なのだ。体が丈夫なうちに仕事をして子孫を養い、一世代分の役目を終ったら死ぬのが順当ということだ。ただ、一つだけ人間にしかない特徴がある。それは世代を超えた文化を作り、あとに残すということだ。それは発明発見をしたり財産を築いたり本や絵を書いたりすることだけではない。年寄りは、生きていること自体が人間の文化になっている。なぜなら、人間の生命自体に価値を認めるのでなければ、それは人間の文化ではないからだ。
 介護を受ける老人の大半は認知症を発症しているという統計があるそうだが、知的能力を失くしても人間は人間でありつづける。その人が生きた生涯は、人間の文化の一部分だからだ。人間は自然淘汰を拒否して人間の文明を築いた。その事実を忘れてはならない。
 ここから言える結論は一つ。それは「殺人の許容は文明に反する」ということだ。

近ごろ迷惑(詐欺)メール事情

 電子メールを使っていると、いろいろ雑音も入ってくる。なにしろ無料で送信できるから、その分量は郵便のダイレクトメールの比ではない。私のところはメールアドレスを半ば公開していることもあって、毎日100通前後の受信があるが、そのうち有用なのは日に1通あるかないかぐらいだ。
 もっとも半数以上は「戦争を語り継ぐ」や「緑の党」「新宿西口」などのML(メーリングリスト)からのもので必要な情報源でもある。しかし、その他の正体不明のメールは、一時は減ったように見えたが、近ごろまた増えて、手の込んだものになってきているようだ。
 迷惑メールには、宛名を特定したものの他に、架空の「お客様番号」宛になっていたりするものがある。覚えのない「ご注文ありがとうございました」で請求金額と振込先が書いてある。こういうものにうっかり返信すると食いつかれるから、問合せや返信をしてはいけない。無視していると再請求があり、何度も繰り返したら半額に値引きになり、静かになるまでに半年かかったのもあった。先方に情報を与えないことが大切なのだ。
 最近で目立つのは、刺激的なタイトルで何ごとかと思わせ、本文の中のアドレスを開かせようとする手口だ。「○○様から贈与の申し出がありましたので至急ご確認ください」といった類のもので、これには「放置しておくと訴訟になります」といった脅しのパターンもある。最近は「人殺し、悪魔」という、すごいのもあったし、「どうか助けてください」の哀願調もあった。その他、色仕掛けのものも、もちろん多い。
 こうした手口に共通しているのは、インターネット上のアドレスを表示していることで、もし中身を見ようとしてクリックしたら、どんなウィルスを移されるか、「見込み客」としてカモリストに載せられるか、わかったものではない。大事な用件で初めての連絡をするのに、本文の中で事情の説明をしないのは不自然だ、用意した罠にかけるのが目的だと気づかなくてはいけない。絶対にクリックしてはならない。
 便利なメールではあるけれど、便利すぎていろいろな悪だくみにも利用されることがある。無料ではなくて、せめて1通10円でも有料になってくれたらいいのにと前から思っているのだが、当分は無理なことだろう。注意しながら使っていくしかない。
(追記・新手の手口で「拾った携帯の通信記録から、あなたの情報が漏れています、確認してください」というのが最近ありました。)

先週のBSドキュメンタリーで見たアメリカの病根

 先週のNHK・BSドキュメンタリーは、「アメリカ・冬の時代」前・後編と「バブルがはじけるとき」「ウォール街のアンタッチャブル〜金融危機の責任者はどこだ」の4本だった。前の2本は没落するアメリカ中産階級の悲哀をルポしたもので、学歴も職歴も申し分のない人でも、失業すれば再び職はなく、簡単にホームレスと化する暗い話の連続だった。資本は利益を求めて移動し、自国民の生活福祉などには関心を示さないのだ。
 後の2本は迫力があった。とくに最後の1本は再放送だったが、アメリカの病根を余すところなく映し出していた。リーマンショック直前の金融界の腐敗が極限にまで進んでいたことを、多数の証言者が語っている。住宅ローンの審査員は、担当した事案の8割までが返済計画の立たない不合格の申請だったにもかかわらず、上級者の指示ですべて「ローン実行」に判定させられたと語っていた。全社あげて金融商品の水増しに走っていたことは疑いない。
 そしてバブルは崩壊し、多くの人が家も職も失って貧民化したのだが、このバブルを膨らませたウォール街の幹部からは、誰一人として刑事訴追される者は出なかった。民事訴訟で詐欺罪として訴えられ、罰金を課せられた企業が出ただけである。議会の公聴会では金融犯罪に相当するとされて、一時は刑事訴追も必至と見られたのだか、検察官は「起訴できる明確な証拠が不充分」という弁解を繰り返すだけだった。その事実だけを伝えて番組は終る。
 アメリカでは、資本の支配者は政治の支配者を兼ねているから、司法といえども踏み込めない聖域が出来てしまう。そして資本は今や国家を超えて活動しているのだから、国家といえども資本に奉仕する機関になってしまう。アメリカという国は、国民の福祉を犠牲にしても、資本への奉仕を徹底するつもりなのだろうか。
 かつては「国際共産主義」が「自由世界諸国」にとっての脅威だった。共産主義は国家を超えてソビエトに奉仕するグローバリズムだったからだ。今は自由世界に由来する資本主義のグローバリズムが世界を制圧しようとしている。国家が資本に奉仕する地方機関になつりりあることに対しては、なぜ世界の国々は脅威と感じないのだろう。むしろ嬉々として資本の家僕になろうとしているのは、なぜなのだろう。共産主義と資本主義と、どちらにも「人間の尊厳」を疎外する要素がある。資本のグローバル化に対して、これほど無警戒でいていいのだろうか。

消費税増税して企業減税だって

(熊さん)消費税の引き上げが来年4月から8%になるのが本決まりみたいですね。それといっしょに企業減税もするって新聞に出てたけど、企業も増税で協力じゃなくて、反対に減税だって、こりゃどういう了見なんですかね。
(ご隠居)消費税を上げると企業も苦しくなるから、賃金を下げたりしたら景気は冷え込んじまう。そこで賃上げできるように企業を助けてやろうってことなんだな。日本の法人税は高いから国際競争に不利だって不満も、以前から経済界にはあるんだよ。
(熊)本当にそうなんですか。
(隠)今はグローバル自由競争で、法人税を低くして外国の企業を誘致しようとする国が多いんだよ。法人税はゼロにするのが当り前だという主張まであるんだ。企業活動のタックスヘイブンだな。
(熊)えっ、そんなの無茶苦茶じゃないんですか。
(隠)身勝手な言い分だが、理屈がないわけじゃない。法人というのは、人の集まりを仮に人のように見立てて事業ができるようにしたものだ。だから所属している人がいるだけで、「法人という名の生身の人」はいない。所属している人は、役員でも社員でも所得に応じて税金を払うから、法人への課税は、税金の二重取りだという理屈も立てられる。
(熊)うーん、でも変だよな、会社としての利益はあるわけでしょ。
(隠)そう、変なんだ。これは法人の原理そのものの否定で、それなら法人は一切禁止にして、すべて個人の事業にするべきなんだ。トヨタならトヨタの個人事業にして、何兆円の売り上げでも何千億円の利益でも、個人の責任で申告して納税しなさいということになる。資本主義をつまみ食いした屁理屈なんだな。株主を参加させての経営には、社会的責任というものがあるんだ。社会から受けた便宜へのお返しとしての法人税は、近代の国家経営の大事な柱になっているんだよ。
(熊)法人税の引き下げを、呼び込みの安売りみたいに使ってる国同士の競争の方が、おかしいってことですね。
(隠)そうなんだ。自由経済が能率いいという「新自由主義」が今のところ優勢で、日本もそれに追随して走り出そうとしているのが今の状況だよ。だが、企業減税しても、賃上げには回らないというのがこれまでの実績だった。自由競争優先では格差が拡大して社会は疲弊する。ヨーロッパを中心に出てきている秩序ある経済という考え方では、法人税の引き下げ競争に歯止めをかけようという動きもあるんだ。わしは以前このブログにも書いたが、企業は、すべての経費や法定の積み立てなどをまかなった上で、それでも残った利益が出たときにだけ法人税を払う。税率が50%だって、つぶれはしないさ。

十六夜(いざよい)月の上がるとき



十六夜月の上がるときに
夏の終りを知らされる
半袖のシャツに吹く
風はもう暑くない
汗をかかない腕
間もなく夏を
忘れるだろ
秋のち冬
すぐだ
別れ

 

これ
何だよ
忘れ物だ
沖縄の海で
拾ったサンゴ
こんな所で発見
那覇の先の慶良間
岩陰に寝て波音の中
あれはもう一昨年の夏
出会いの数だけの別れが

ブログ連歌(331)

6599 願わくは ?から誠 出ればいい (うたのすけ)
6600  除染完了 安全日本 (建世)
6601 嘘でないと かばう東電 嘘をつき (建世)
6602  ?がはびこる 福島空し (うたのすけ)
6603 民主党 汚染水で 活気づき (うたのすけ) 
6604  野党目線で ここ掘れそこ掘れ (建世)
6605 人工と 自然災害 競い合い (うたのすけ)
6606  「経験してない」 大物揃い (建世)
6607 秋になり 原発ゼロが 復活す
6608  大飯(おーい)どうする まだ行くのかい (建世) 
6609 おーいお茶 それならいいが 大飯(おーい)とは
6610  話は別で 大飯(おーい)ゼロなり (うたのすけ)
6611 抗すれど 次々襲う 天災に
6612  加え原発 人災重し (みどり)
6613 雨降れば 海へ流れる 汚染水
6614  濃度は知らず 行方も知れず (建世) 
6615 雨降れば 雨水たまる 当たり前
6616  素人以下の アマイ計画 (霞)
6617 震度5強 手荒き歓迎 福島の (うたのすけ)
6618  大地も叫ぶ 身を震わせて (建世)
6619 月の満ち 汚濁あばきて 返照す (みどり)
6620  なにを隠すや 地球の人よ (建世) 

UAゼンセン歌

 今朝、UAゼンセン第2回定期大会で、新しい組合歌の発表がありました。録音した日唱(日本合唱協会)から男女2名の歌手を招いて歌唱指導していただき、最後に全員でフルコーラスを歌って無事に披露を済ませました。

  UAゼンセン歌 
     作詞・UAゼンセン 補作詞・志村建世 作曲・良木とも

1 窓をあけよう 風を入れよう
  光も夢も そこで生れる
  はげます声と きらめく瞳
  笑顔の君が そこにいた
   働くみんなの UAゼンセン
   めざす未来は ここからだ

2 心ひらこう 話してみよう
  手に手をとれば 気持ちがわかる
  一人のために みんなが動き
  大きなちから 結び合う
   たたかうみんなの UAゼンセン
   めざす未来は ここからだ

3 声をあげよう 平和を求め
  世界に仲間 輪を広げよう
  働くことが 暮らしを守り
  しあわせつくる 明日がくる
   創ろうみんなの UAゼンセン
   めざす未来は ここからだ

 組合員からの多数の応募作を読ませていただいて、一度全部忘れて、「そうだ窓をあけよう 風を入れよう」という最初のフレーズが浮かびました。それを起点として使いたい言葉を散りばめ、UAゼンセンさんとの話し合いを重ねて「気付き・連帯・前進」の3節にまとめ、曲づけと平行して推敲を進めました。その過程で、勢いづけにつけた最初の「そうだ」が目立ちすぎるのでカットしてこの形になりました。
 曲は「肩組んでも歌えるけど古臭くないない」という注文でしたから、作曲にも何度か手直しが入り、定石では団体名を最後に置くところを、「めざす未来はここからだ」の未来志向としました。
 UAゼンセンは、昨年秋に結成してからの1年間で組合員を5万名近く増やし、145万名になったとのことです。非正規と呼ばれる仲間をも広く包み込む組織力は、日本の労働運動に新しい地平を開く可能性を秘めていると思います。

↓歌声は、ここでお聞きください。


UAゼンセン第2回定期大会

 仙台で開催されるUAゼンセンの第2回定期大会に、1泊2日で行ってきます。明日、2日目の朝に新しい組合歌の発表披露があり、その立会いと、ビデオ取材を兼ねて行きます。UAゼンセンは昨年秋にUIゼンセン同盟と百貨店系のJSDが組織統合して結成したもので、140万名を擁する日本最大の労働組合です。

NHKの災害ニュース報道に異議あり

 昨日の夕方7時、NHKのテレビニュースは、例によって各地からの中継を含む台風18号関連の報道で埋め尽くされていた。時間枠を延長して1時間にしていたが、少なくとも40分間は台風以外のニュースは何も伝えなかった。台風が全国的な重要ニュースなのはわかるが、あまりにもバランスを失していないかと思った。
 私は父親の代からの習慣もあって、夕方7時のニュースは大事にしている。昔はもちろんラジオしかないから、家族が夕食をしながら、その日にあった出来事などを知りながら会話をするのだった。子供たちのおしゃべりが時にうるさくなると、父親に「静かにしろ」と叱られたりもしたものだ。
 時代が変ってラジオがテレビになり、家族が分解して二人だけになっても、私の習慣は変らない。7時のニュースで、その日のおよそのことを確かめたいのだ。だが、今のスタイルでは、送り手が決めた話題だけを押し付けられる形になる。時には時間が余って「繰り返してお伝えします」と、わかりきった原稿を再読したりするから、時間枠をそのように編成しているのがわかる。
 台風の進路に当る地方への警告や、被害地域の窮状レポートなどは重要だが、要領よく編集すれば5分から長くても10分あれば最低限必要な情報は伝えられるだろう。「台風関連のニュースは、後ほどくわしくお伝えします」と断りを入れて他のニュースへ移ることは、その気になれば難しいことではない。日本列島には、台風の影響を受けていない地方もあるし、台風以外に知りたい情報、知るペき情報が何もない筈がない。
 シリアの状況はその後どうなっているのか、台風の雨で福島原発の汚染水は影響を受けていないのか、オリンピック関連で海外からの新しい批判は来ていないか、集団的自衛権や機密保全法関連で新しい動きや発言はなかったかなど、知りたいことはたくさんあった。大きなニュースがなかったのなら、それ自体も知りたいことだ。だから、15分程度で重要ニュースから順に伝える定時ニュースの枠はあまり崩さずにおいて、必要な詳細報道はその後に回すのが順当だと思う。
 このことは、選挙報道のときにも痛感したことがある。やたらに中継を入れて「町の声」まで入れて見せるニュースショーのように仕上げるのなら、別の枠でやったらどうか。限られた時間で必要な一日のニュースをまとめる「定時ニュース」の役割も大切にしてもらいたいということだ。

「敬老政治」の見直しに賛成する

 今朝の日経新聞のコラム「核心」には、「『敬老政治』40年の背伸び」と題する記事があった。今の福祉制度は、田中角栄内閣が1973年に「福祉元年」と銘打って進めた諸制度が骨格となっている。それ以後政治の「敬老意欲」はますます強まり、高齢者の票に期待して、経済の実力以上の年金・医療などの給付を続けてきたというのだ。無理な善政は続けられない現実を、政治家たちはまだ直視していないと、筆者の平田育夫氏は書いている。
 おそらく家人には不評だろうが、この観点は私の実感と一致する。念のため私の社会保険関係の経歴を概略説明すると、1958年から企業の社会保険に入り、その後自営の国民健保・国民年金時代が25年間ほどあってから、1991年に自分の会社を社会保険適用(当時は雇用者5名以下は任意だった)にして、社員を安心させるとともに自分も被保険者として保険料を納めてきた。
 今は高齢者として会社の保険からは離れているが、非常に幸運なめぐり合わせだった。早い話が、医者にかかって一割以上の本人負担をした経験がほとんどない。国民健保の時代はずっと健康に過ごしたから、医療機関とは無縁でいられた。老人になった今、医療費が一割負担で済むのは非常にありがたい。大腸ガン手術を受けたときは「高額医療費還付請求書」なるものが送られてきたが、私は家人には無断で手続きを忘れることにした。
 先日、長妻昭氏と話したとき「日本人の貯蓄額は、死ぬときに最大になっている」ということを聞いた。貯金を使い尽くして生涯を終るのではなく、最後まで貯金をにぎっているのは安心感がないからという文脈だった。それもあるだろうが、私の場合は基本的に浪費をしない生活スタイルが固まっている。器具機械類は、直して使える間は徹底的に修理するのが、ほとんど趣味になっている。自分でも感心なぐらい金を使わない。そもそも老齢になったら国から年金を貰えるなどは、人生設計に入っていなかった。
 もちろん生活に必要な支出にもこと欠く困窮した老人も多くいる。公平な負担を求めるには、現在の所得と保有している資産の両方を把握しなければならないが、これが難しいのだ。マイナンバー制度が役に立ちそうだが、入り口で議論ばかりしていては、隠れている財源、逃げていく財源に追いつけないかもしれない。
 敬老の日だというので、昨夜は孫が和菓子をプレゼントしてくれた。この夏には、40年あまりにわたって払いつづけた住宅ローン(通算3軒目だが切れ目なく)が、ついに完済の日を迎えた。わが家の中では世代間の相互扶助は、曲りなりにも続けて行けそうだと思っている。だが、国の単位ではどうなのか。敬老政治が利権と化して子孫を苦しめるようなことがあってはならないが、若い世代の投票率が低いままだと、政治はいつまでも振り向かないのではないだろうか。

「標的の村」(映画版・琉球朝日放送制作)を見る

 この映画の原型は、琉球朝日放送のドキュメンタリー「標的の村〜国に訴えられた沖縄・高江の住民たち〜」でした。昨年9月にフェイスブックを通してユーチューブで視聴し、ブログ記事も書いています。それで知っているような気がしたのですが、西口仲間に「全然違いますよ」と言われ、東中野ポレポレで上映中なのを見てきました。本当に、堂々たる映画作品に変身していました。
 内容的にも、オスブレイ配備に反対して普天間基地の全ゲートを封鎖した大行動が綿密に記録されています。琉球朝日放送の記者たちの奮闘ぶりまでが同僚により撮影されていました。沖縄では戦争が終っておらず、「唯一の地上戦」が、今にいたるまで繰り返されているのです。ただし戦っているのは、沖縄の県民と沖縄警察の機動隊でした。機動隊が東京警視庁のような出動服でなく、平常の服装でいるのが救いといえぱ救いですが。
 一方で印象的なのは、基地に抵抗している高江村「闘士」たちの優しさ、美しさです。それは特定の「活動家」ではなく、老若男女、幼い子供たちまでを含む全員なのです。「造反有理」という言葉が、これほどぴったりくる村も、ほかにないでしょう。守りたい村の暮らしと風景の美しさが際立つだけに、黙っていられない気持が伝わってくるのです。
 国が村民の個人を訴え、警官が無抵抗で座っている村民をゴボウ抜きしなければならない不条理の根源にあるものは、アメリカ軍の要求には無条件に従わざるを得ない日米間の協定です。沖縄の抵抗は、この国を変えたい願望につながります。その大きな問題の接点として「標的の村」があることを、この映画は余計なことを言わずに教えてくれます。
 昨夜は、沖縄へ移住することを決めた写真家の山本英夫さんを新宿西口の仲間が送る「歓送会」があり、私も出席していたのですが、頂いた資料などを読み、今日も映画を見たことで、ようやく何のために行かれるのかがわかりました。日本の歴史と現状の矛盾を集中的に抱え込んでいる沖縄に住むことで、「人々との友好な関係を築きながら、沖縄を巡る制作を果たしたい」とのことです。
 この映画のラストカットは、村の風景と子供でした。みごとな構成に拍手を送りたかったのですが、会場(台風の影響か7分位の入り)は意外に静かでタイミングを失して、少し後悔しています。いい映画を見たら、遠慮なく拍手してあげましょう。制作者への応援メッセージになります。昔の話ですが「ハワイ・マレー沖海戦」を見た映画館で、魚雷が命中して水柱が上がるたびに、大拍手が起きたのを覚えています。まだ無邪気な子供だったんですね。
 この映画では、ゲート前の村人から「阿里屋ユンタ」の歌声が起きたあたりで、手拍子ぐらいしてあげればよかった。

姫野カオルコの「結婚は人生の墓場か?」を読む

 長女の高校時代の友人がモデルになっているという縁で、ふつうなら決して読まないだろう現代小説を読みました。読み始めたら面白くて、昨夜はついにブログも休載してしまいました。集英社文庫版ですが、先行する「小説すばる」の連載および、それをまとめた「ああ正妻」が親本であっても、一文字目から最後まですべて書き直したので書き下ろしに近いと著者は言っています。
 2006年まで日付の入っている同時代小説で、正妻の地位を占める女が「美女」で、そうでない女が「しこめ」に分類される「しこめのいいわけ」という架空の?ベストセラー本をキーワードとして、複数組の男女のからみ合いを描いています。
 中でも主役は大手出版社のエリート編集者の男性ですが、そのモデルが長女の友人で、高校一年生のとき文化祭の映画制作で、わが家にも入りびたり状態だったことがあるので、私もよく知っているのです。娘の話によると「3割ぐらいしか本当じゃないからね」というのですが、3割も本当なら、たいしたものです。
 この小説は一種の「業界小説」でもあって、大手編集者と多種多様な「著者」たちが、虚実とりまぜた駆け引きを通して「ニーズに合った売れる本」を作り出していく内幕をも描いていて、それに近い仕事をしてきた私には興味がありました。要するに「どんな結婚ならいいの?」というテーマで、今はどんな話を書いたらニーズに合うのかということです。「結婚は人生の墓場」なら「しこめ」たちは溜飲を下げるでしょうが、最後に「?」がつくから悩ましいのです。
 「ほとんどすべての女が、これからする結婚か、してしまった結婚で悩んでいる」と書いたのはボーボワールですが、子を生む性である女にとってのかかわりが、男よりも深くなるのは時代が変わっても同じです。ただしそれを自分本位に徹底すれば、男にとっての結婚は墓場にもなるでしょう。そうした男女分業に絡め取られた男の悲劇は今も絶えません。
 同じ人間ではあっても違う性、違う性であっても同じ人間。「同じ」と「違う」のどちらを強調するかで男女の結びつきは見え方が変ってきます。現代は「同じ」を大切にする方向だと私は思っているのですが、もちろん全部が同性婚になったら人類は一代で滅びます。
 高校一年生の時代から35年を経て、長女の同期生たちの間では大人としての交流が再開しているようです。それぞれに社会的地位も決まり、子育てにも一段落ついてくる時期ですから、有益な刺激にもなるでしょう。世話好きで、何組ものカップルを作ってあげたと自称している娘は、近ごろ何やら忙しそうにしています。

シリア情勢で見る「戦争を始めることの難しさ」

(熊さん)アメリカがシリアに向けて、今にもミサイルを撃ち込みそうだったのが、少し落ち着いて交渉しようなんてことになってきたみたいですね。
(ご隠居)そうだな、アメリカの一部では開戦の要望が強くて、オバマもその気になったんだが、今回はロシアが上手(うわて)だった。シリアと話し合って、化学兵器の放棄に同意させたから、アメリカもすぐの武力行使には踏み切れなくなった。もともと国内世論も議会の空気も、イラク戦争の失敗で懲りてるから、新しい戦争には抵抗が強かったんで、タイミングがよかったんだな。
(熊)でも政府軍の毒ガスで国民が何千人も死んだ、子供も大勢殺されたってのは本当なんでしょ。
(隠)アメリカは確実だと言ってるが、不審なことも多い。国連の査察が来るのがわかっていて、ことさら非難されるようなことをするのは不自然だってことがあるし、証拠の写真というのをわしも見たが、なにかきれいに整いすぎてる印象があったな。誰が何の目的で使ったのか、本当のことを遠くにいて確かめるのは難しいとしか言いようがないんだ。
(熊)でもさ、同じ国の中で本気の殺し合いを始めるってのは悲劇ですよね。
(隠)そりゃそうさ、だから止めたいよ。でもその国の政府をつぶせばいいってもんじゃない。イラクみたいに政府を崩壊させても、何万人もの人が死ぬ混乱がいつまでも続くようじゃ、何にもならんだろう。それに、地つづきの大陸の国の内乱は、わしらのような島国の単一民族にはわからない難しさがあるんだ。同胞に銃を向けるというときつい言葉だが、あちらでは元々他民族・他宗教だった他国の人が、たまたま国境線の都合で同国人になっていたりするんだよ。
(熊)おいらの感覚で考えても役に立たないことがあるから、謙虚になれってことですかね。
(隠)そうだね。もちろん人の命を大事にしろってことは、声を大きくして言うべきだし、遠慮しちゃいけない。それを踏まえた上での話だ。それと、今度のことで、わしは現代では戦争は役に立たなくなっているということを、改めて痛感したね。あれだけ戦争したがっていたアメリカだって、ついには独断ではやれなくなってきたんだ。今は「武力で脅したから話し合いに応じた」なんて負け惜しみを言ってるけどね。
(熊)武力で紛争は解決しないってことですか。
(隠)その通りだよ。武力に頼る平和は弱いものだ。力関係ですぐに壊れてしまう。武力を盾にした外交は、金がかかって非効率で不安定なものだ。戦争は採算のとれない外交手段だってことは、もう知れ渡ってる。平和憲法を持つ日本は、世界で一番の先進国なんだよ。


ブログ連歌(330)

6579 そこ退けよ 五輪お通り 文句あっか (うたのすけ) 
6580  これ待たれよと 水戸の老公 (建世)
6581 忘れまじ 水俣病の 公害を
6582  魚貝の汚染 原発いかに (みどり)
6583 色もなく 匂いもなしに 拡散す
6584  無限ではなし 母なる海も (建世)
6585 爽やかに シレッと鮮やか ?をつき (うたのすけ)
6586  勝てば官軍 してやったりと (建世)
6587 七年後 福島のさま 思うとき 
6588  世界は言質を 忘れはしまい (あかね)
6589 原発の 炉心見たもの 誰も無く
6590  嘘が通れば 道理引っ込む (霞)
6591 一夜明け 昨日に続く バカ騒ぎ (うたのすけ)
6592  ええじゃないかの 日本列島 (建世)
6593 あれは嘘 五輪マークが 赤くなり (おのま) 
6594  吹き出す霧は 七変化して (建世)
6595 IOC してやられたと ほぞを噛み
6596  してやったりと 片やほくそ笑む (うたのすけ)
6597 五大陸 つなぐ五色の ダルマ売り (みどり) 
6598  商魂政魂 百花繚乱 (建世)
6599 願わくは ?から誠 出ればいい (うたのすけ)
6600  除染完了 安全日本 (建世)

記事検索
プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ