志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2013年12月

人間の力で解決のできない問題があると あなたは思いますか

 ふと時の流れを感じるときに、よく思い出す自分の過去の仕事があります。1990年前後で、21世紀ということが未来論として論じられるようになった時期でした。ある労働組合の何十周年かの記念イベントのあった伊東市のホテルで、当時は斬新だった2面スクリーンを使って歴史スライドを上映しました。その最後のナレーションです。映像は、想像してください。

 私たちの耳には 21世紀の足音が聞こえ始めています
 21世紀を迎えるとき あなたは何歳ですか
 どんな仕事をし どんな暮らしをしていると思いますか
 健康には自信がありますか

 一見複雑で巨大な 現代の社会
 これを作ったのは 誰ですか

 そう これは私たちが作り 私たちが生きているのです
 人間の力で解決のできない問題があると
 あなたは思いますか

年の瀬の渋谷・宮下公園とホームレス支援の排除

 昨夜の22時30分ごろ、東京渋谷の宮下公園で路上生活者のために例年の越年越冬救援活動に当っていたテントが、渋谷区役所の手配による警官隊によって撤去され、生活者のテントにあった寝具や道具類も持ち去られたということです。宮下公園はそのまますべての入り口が閉鎖され、1月5日まで使用停止にするとの公示札が貼られました。
 宮下公園はホームレスの名所の一つでしたが、2011年からグローバル企業傘下の「ナイキ・ジャパン」が命名権を獲得した運動公園としてリニューアル・オープンしました。ただし名称は当初予定された「宮下ナイキパーク」の名を使わず、従来通りの「区立宮下公園」としました。ホームレスを追放した企業という批判を避けるためと思われます。
 昨夜からネット上に救援を求める情報が出ていたので、気になって夕方に見に行ってみました。整備されたという公園の中は全く見ることができませんでしたが、周辺を歩いて、救援テントの移動先である北隣りの神宮通り公園まで行きました。



細長い公園の下は駐車場になっていて、その横にブルーテントハスウが見事なまで一列に並んでいました。かなりの人数が、今もこの地区で生活していることがわかります。



救援テントの移動先が、金網に掲示されていました。



道路を一本へだてた神宮通り公園では、支援者が中心となって抗議集会を開いていました。



顔を撮らないことを条件に、写真撮影にも快く応じてくれました。渡されたビラには、「一人も野垂れ死にさせない」「仲間の命は仲間で守る」などの文字がありました。
 役所が閉まる年末年始の困窮者を救うのは、本来は行政を補完する事業の筈ですが、なぜ行政と対立しなければならなくなるのか。宮下公園には、かなり複雑な経過があるようですが、福祉には「寄り添う心」がなければ成果はありません。
 老人党護憲プラスでホームレス支援実践家の話を聞いたことがありますが、ホームレスとハウスレスは違うのです。家と給食だけでは困窮者の救済は完結しないのです。年の瀬に、家族がいること、話し合える相手がいることの大切さを思いました。
 それにしても、「差別と棄民」政策を象徴するような年末のニュースでした。

2013年末ブログ望年会

 皆さま、当ブログの望年会に、よくおいで下さいました。年も押し詰まったひととき、この一年を振り返り、また明ける年への期待を込めまして、語り合いの場を設けたいと存じます。それでは、当横丁の長老「うたのすけ」様より、開会に当って乾杯のご発声をお願いいたします。

(うたのすけ様)申し訳ありません。
つい今日と言う日をしつねんしてしまいました。
遅ればせながらカンパーイ。
どうぞ皆様よろしくお願いします。

(管理人)年末ですから、いろいろなことがあります。よく思い出してくださいました。ご発声、ありがとうございます。これでめでたく開宴となりました。以後、ご自由にご参加ください。
 私事ですが、私はこの夏に北海道中標津の「そりゃないよ獣医さん」をお訪ねできたのが一番の思い出です。ケタの違う土地の広さが印象的でしたが、人間と自然と農と家畜との持続的な関係を築こうとする「マイペース酪農」の一端を見ることができました。TPPから日本の産業と自然を守ることの大切さを教えられた旅でもありました。冬になり、あの風景の中にいた人々の暮しはどうなっているだろうと、天気予報を見ながら思い出します。

(相々健々様)今年は何かと心が暗くなることの多かった一年でした。
「進んではならない」方向に好き好んで突撃していながら、
異論、反論をひとくくりに”テロ”扱いして圧殺することを当然の治安維持とする。
そんな傾向がますます強くなるのだろうという懸念のもとで年の瀬を迎えるのは「痛恨の極み」と言わざるを得ません。
ただし、そこで黙り込んでしまうのは彼らの思うツボ、
一昔前のドラマのように耐え忍んでも、踏みつけにされるだけの結末が待つ以上、
「一寸の虫にも五分の魂」の心がけ、ひいては一寸法師のごとく鋭い一針で反撃を願う反骨を心がけたいところであります。
その手段を見つける、多くする、かつ広げるにはどうしたらいいか。
それを考える年末年始にできれば、と思います。

(管理人)いつも西口でがんぱっておられますね。帰省でリフレッシュして、お元気でまたおいでください。

(花てぼ様) こんばんは!おや、ご隠居ひまそうですね。みなさんどうなさったのでしょう。
こう言う私も昨夜まで「望年会」、気が進まなかったのですよ。ところが、例の如く夜更かししていて寝る前にご隠居のとこ訪ねてみたら、「都知事選・宇都宮けんじ候補は安倍政権批判の受け皿になる」の記事。もう本当に嬉しくって、望年会に行ってみなさんとこの気持ち分かち合わなければと思いました。何かプレゼントをと思い、平和党の三原則を朝からしたためていましたが、なかなかうまくいきません。夕方、もう限界と切りあげて写真を送りましょうとしたところ、カメラからピクチャ−への送信ができず、あきらめて夕飯の支度にとりかかりました。で、今に至りますが、ピクチャ−の状態がよくなりましたので何枚かメ−ルでお送りしてみます。どれかよいと思われるのを載せて見てください。
よろしくお願い致します。

(管理人)はいはい、それは有難い、さっそく見てきます。
(管理人)わが家の構造がちょっと複雑でして、3ヶ所にパソコンがあるのです。メールにつながる自室に移動しました。あとはこちらで落ち着きます。



到着しました。どれも力がありますが、とりあえず1枚目の、やや格調正しいと思われるのをアップしてみました。旗として繰り返して見るのに適しているように思われます。風にひらめいていると、誰でも文字を読みたくなるのではないでしょうか。
 ご多忙な年末の中で、本当に有難うございました。「空想が形になって行く」プロセスを、眼前に見るような気がします。

(雲様)どうも遅くなってしまいました。生来の人見知りなものですから、なかなか腰が重くて。
何もお土産はありませんが、せめてと一句持参致しました。押し詰まって、辺野古への基地強制、靖国参拝と、何やらおろおろしておりますと、飼い猫ジジがたしなめるように私を眺めておりました。
“数え日の猫泰然と諭すかに”
 どうかよろしくお願い致します。

(管理人)村雲さん、よくおいで下さいました。「数え日」とは、まさに今なのですね。猫は正月で自分の年齢を意識する、なんてことは、ないのでしょうね。雑念なく見ているのかもしれません。

(笹井明子様)こんばんは。お邪魔します。
志村さんには、今年も「護憲+」の月例会にもほぼ毎回参加していただき、有難うございました。
安倍政権のやりたい放題で神経を逆撫でされ続けた一年でしたが、志村さんの穏やかで前向きで行動的な姿勢にとても教えられ、助けられました。
このままだと来年は更に厳しい年となりそうですが、「民主・平和・脱原発」(私達流に言うと「国民主権・平和・人権」ですが)に方向修正すべく、私達も頑張りたいと思っています。
来年も引き続きご指導の程、よろしくお願いいたします。

(管理人)護憲プラスの世話役、毎回本当にご苦労さまです。継続は力なりと言いますが、尽きないエネルギーは驚異的です。来年も忙しくなりそうですね。

 無事に予定の時間は終了しました。ご参加ありがとうございました。時間後においでの方も、コメント欄はいつもの通りに開いていますので書き込みをお残しください。あさっての次はお正月ですね。寒いですがお元気でご越年ください。

(みどり様) 「こんばんは」と申しますのも恥ずかしいような、日付変更線を越えて伺いました。
ご多忙の中に、ご丁寧な呼びかけを記して下さいましたのに、このような時刻になり申し訳ありませんでした。
 うたのすけ様も花てぼ様もご帰宅で、既にお休みですね。
本日は思いがけない事が幾つか重なりまして、娘宅へ出かけてしまいました。
帰宅後、必要がありまして「深山 あかね様ご夫妻」と電話でお話し致しました。その時に「志村様長屋の望年会に参加致しましょう」とお伝えするのを失念しておりました。
 花てぼ様 ごめんなさいね。
望年会、ご隠居さまが開いて下さるようでしたら、ご一緒しましょう等とメール差し上げながら、急用が出来、帰りが酷く遅くなってしまいました。
見せて頂いた書は、生き生きしていますね。
 来年も此の言葉をアピールして、元気に歩み進んで行きたいものと思います。
皆さま色々お世話さまになりました。
 来年も、どうぞよろしくお願い致します。

(管理人)おはようございます。年末ですから、いろいろなことがありますね。無事にお帰り、おつかれさまでした。3姉妹の浅草など、よかったですね。

(大木晴子様) 遅れました!
お正月!あらためて伺います。
昨夜は、渋谷が寂しいことになっていまして夜中まで見続けていました。
http://twilog.org/kuronekoroku/date-131230

(管理人)私も0時過ぎてから渋谷の事件を知りました。寒空にテントを追い出すとは、酷いことをするものです。誰にとっての「いいお正月」なのか。寄り添う福祉から始めなければ本当の解決にならないのに、今年を象徴しているような出来事です。

(深山霞様)自民党国会議員の関係する不祥事が表面化し始めたら、その余波で東京都知事が辞職。 来る年は、国の総理が辞職?。
何だかそんな予感がしてきています。
長屋にお集まりの皆様、良いお年をお迎えください。
(安部総理の辞職が、一番良い年明けですが。)

(管理人)年明けが無理でも、一日も早く退陣してもらうのが、日本を破滅させない道ですね。

(深山あかね様)大好きな長屋の忘年会、参加が遅くなってしまいました。
 参加してみると夫がすでに参加させていただいているので、びっくりしました。
 本ばかり読んで日ごろ主婦業をサボっているぶん年末の片付けや掃除もなかなかで土産も持たず未だエプロン姿で参加してしまいました。
 今年は我が家にみどりさんからたくさんの本が届き「みどり文庫」が出来上がりました。広島市の北の団地の小さな家に川崎から送られてきた本たちが淋しくないよう仲良く暮らしたいと思います。
 明けての年にもみどりさんの本を読ませていただいて拙いながらブログに記録させていただきたいと思っています。
 ご隠居さんの世評、指針にしておりますので来年もよろしくお願いします。

(管理人)最後には福が残っていると言いますよ。主婦役ご苦労様です。何やかやと、女性は気を使ってしまう年末ですね。あと30分と少しになりました。来年もよろしくお願いいたします。


都知事選・宇都宮けんじ候補は安倍政権批判の受け皿になる

 今日の夕刊によると、前回の都知事選挙で100万票近い得票を集めて次点となった宇都宮健児氏が、都知事選に出馬の決意を固めたということだ。新聞記事によると、安倍政権と対決する政策を早期に明らかにするためとしている。これは賢明な判断だと思った。
 都知事選挙というと、これまでは「後出しじゃんけん」と言われてきた。公示日ぎりぎりに立候補したタレント性のある候補者が、ブームに乗って大量票で当選するするような例が多かったからだ。典型例は青島幸男氏かもしれない。「選挙戦で何もしない」ことを、ほとんど唯一の武器にして参議院議員に当選を重ねた上に、東京都知事にも当選してしまった。都知事としての記憶されているほとんど唯一の業績は、国際都市博覧会の招致を中止したことだった。
 ところが今回は、石原都政の後継と見られていて、素人らしく馬力のありそうな猪瀬前知事が記録的な大量得票をしたあとの、幻滅の再選挙ということになる。本来なら、白けて投票率も下がるところだが、今回は安倍政権の暴走に不安を感じる中での大型選挙になった。一地方自治体の首長選挙であっても、国政選挙の「代理戦争」にならざるをえない。まして今後3年間は国政選挙がないと思われていたところへの、貴重な機会になった。
 言うまでもなく安倍政権の危険な政策を批判する人たちは、阻止する有効な方法がないのに悩んでいる。民意をぶつけたくても、それを表現する場面が限られていた。その人たちの数は多い。もし宇都宮氏が「安倍政権の政策にブレーキをかけたい国民すべて」を代表する統一候補者になるなら、これは面白い勝負になる。支持政党との関係などはこれからの課題だろうが、なるべく党派性に拘束されない立場にいるのが望ましい。そして競合する候補は出てこないのがよい。
 一方、「安倍政権護持派」の候補者は、現状肯定にオリンピックの推進が加わるから、誰でも立つことができる。われもわれもと自信家が乱立して食い合うようなことにならないだろうか。そこで民主主義護持と脱原発を高くかかげる宇都宮氏の政策が際立つことになる。
 今回ばかりは「先行圧勝」または「先行逃げ切り」のチャンスがあるのではないか。東京都民は、日本の歴史的に重要な投票権を行使する機会を与えられた。とくに公明党・民主党の支持者を含めて、賢明な投票をしてほしいと思う。

ブログ望年会と正月の国会一周について

 恒例の「ブログ望年会」の季節になりました。2007年から始めましたので、今年で7回目になります。近年はツイッターやフェイスブックの利用も進んでいますが、昔ながらのブログのコメント欄を使って、一年間の総括と新年への期待を残しておくのも、保存性がよくて意味のあることと思います。今年は以下の要領で行いますので、初めての方もご参加ください。
 この29日(日曜日)の午後2時から深夜0時まで、コメント欄の受付をフリーにしますので、メールアドレスの記入のみで(あるいは匿名でも)投稿可能になります。(メールアドレスは公開されません。)管理人は、いただいたコメントを、順次、オモテ記事にアップして行きます。開会の際には、横丁の長老「うたのすけ」様から「乾杯」のご発声をいただけることと思います。
 投稿は感想でも提案でも宣伝でも、酒乱で公序良俗に反しないかぎり何でも結構です。投稿者同士の交流もお楽しみください。どうぞよろしくお願いいたします。

 次に、来年1月の第一水曜日は、元日に当ります。元日の国会一周も有意義かと思いましたが、いろいろな事情を勘案しまして、1月7日(火曜日)、松の内の最終日に行くこととしました。正午に地下鉄丸の内線「国会議事堂前」駅、改札出口からスタートします。「民主平和党」の旗のミニ版を数枚用意して持参するつもりです。国会一周後、時間のある方と適宜に昼食するのを最近の慣例にしています。

靖国参拝は安倍政権の歳末大売出し

(熊さん)驚きましたね、安倍首相が靖国神社に参拝だって。
(ご隠居)突然だったな、辺野古の埋め立てで沖縄の仲井間知事を強引に寄り切ったと思ったら、矢継ぎ早に靖国参拝だ。年末の忙しい時期をねらって、在庫一掃セールに乗り出したようなもんだ。秘密保護法のあたりから加速度がついて、「オレのやりたいようにやるんだ、文句あるか」って感じになっきたよ。
(熊)これでどうですか、中国や韓国と、また揉めるんじゃないですか。
(隠)そりゃ覚悟の上だろうさ、緊張が高まるのは当然だが、「むしろ望むところだ、受けて立つ」って心境じゃないのかな。緊張させておけば、国民を束ねるには都合がいいと計算してるかもしれないよ。都知事選もある、オリンピックもあるで、今は何をやってもすぐに話題が変るから、懸案を片付けるには好都合と思ったかもしらんな。
(熊)それってドサクサまぎれの火事場泥棒みたいじゃないですか。
(隠)政治家なら、それくらいは当り前と思ってるだろうよ。実績を作ってしまえば先手が勝だ。「理屈はあとから貨車で来る」って言葉もあるぐらいだからね。
(熊)でもね、これで日本の国がどう思われるか、やっぱり気になりますよ。
(隠)そりゃそうだ。なにしろ総理大臣のやることだから、個人が勝手にやってるのとはわけが違う。国を代表する顔としてやってるんだから、日本全体がそういう国だと思われてしまう可能性はあるな。前の戦争のことはもう解決済み、これからは、やりたいようにやりますと開き直ったわけだ。それが世界で活躍している日本人の立ち場にどう影響するかなんて、おそらく何も考えてないだろうね。
(熊)沖縄の基地問題も原発の再稼働も、どんどん安倍政権のペースで押し切られちまうんですかね。世論がいくら反対しても止まらないんだろうか。
(隠)だからこその反対運動なんだよ。安倍政権のやってることが日本の総意なんかじゃない、平和に安全にやって行きたいのが日本の多数の意見だってことを、ますますはっきりさせなくちゃいけないんだ。どんな機会でもみつけて、意思表示を絶やさないことだね。

「積極的平和主義」で思い出した「露営の歌」

 積極的平和主義という言葉で、子供のころによく歌った「露営の歌」を思い出した。昭和12年(1937年)に発売されたレコードで、歌詞は毎日新聞社が公募した入選作だった。じつは軍部主導で作られた「進軍の歌」のB面だったのだが、作曲者は古関裕而で、「勝ってくるぞと勇ましく」で始まるこのメロディーは、当時の大ヒット曲になった。
 この歌詞を静かに読んで、メロディーは検索してユーチューブで聞いてみてほしい。あの頃の国をあげての雰囲気は、このようだったのだ。

  露営の歌 作詞・薮内喜一郎

1 勝ってくるぞと 勇ましく
  誓って故郷(くに)を 出たからは
  手柄立てずに 死なれよか
  進軍ラッパ 聞くたびに
  瞼(まぶた)に浮かぶ 旗の波

2 土も草木も火と 燃える
  果てなき曠野(こうや) 踏み分けて
  進む日の丸 鉄兜
  馬のたてがみ なでながら
  明日の命を 誰か知る

3 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
  しばし露営の 草枕
  夢に出てきた 父上に
  死んで還れと 励まされ
  覚めて睨(にら)むは 敵の空

4 思えば今日の 戦いに
  朱(あけ)に染まって にっこりと
  笑って死んだ 戦友が
  天皇陛下 万歳と
  残した声が 忘らりょか

5 戦争(いくさ)する身は かねてから
  捨てる覚悟で いるものを
  鳴いてくれるな 草の虫
  東洋平和の ためならば
  なんの命が 惜しかろう 

 中国の奥地にまで攻め込んで辛苦の果てに死ぬことが、東洋平和のための尊い犠牲と思われていたのだ。ヒットした日本の軍歌には、なぜか哀調こもる短調のものが多い。誰も喜び勇んで戦争に参加したのではなかったが、戦争は止められなくなっていた。

風邪のなおし方にもいろいろある

(熊さん)ご隠居カゼひいたんだって。そう言やサエない顔してるね。
(ご隠居)ゆうべはちょっと熱が出て、だいぶ咳もしてたな。少しだるいから、2日つづけて早く寝てたよ。最初に頭痛がきたのは、本の読みすぎで目が疲れたと思ってたが、あれが風邪の始まりだったかもしらんな。腹具合がゆるくなったのも、そのせいかもしれない。
(熊)風邪のウイルスは、どこから来るかわからないからね。
(隠)インフルエンザの予防接種というのは、毎年やってるから大丈夫だと思うんだ。あとのふつうの風邪は、年に一度や二度はしょうがないだろうな。それで「ふつうの風邪」って何だと思ってウィキペディアなんかを読んで見たんだが、けっこう面白かったよ。「民間療法」のところに「モモ缶」が書いてあったのには驚いた。ウチだけの特効薬だと思ってたけど、風邪の治療に使う人もいるんだね。もっとも「お見舞いに使われる」そうだけど。
(熊)本当にご隠居には桃の缶詰が効くんですか。
(隠)新婚で池袋の四畳半アパートにいたときは、明治の桃缶がよく効いたな。風邪で寝ていても「桃缶開けよう」と言うと、「もうすぐ直るね」と連れ合いが喜んでくれたものだ。今度も桃缶は食べたんだが、最近は昔ほどには効かなくなってるみたいだ。中国産の安いやつだからだめなのかとも思うが、治療薬じゃなくて昔は快気祝いに近くて、タイミングが違うんだろうね。
(熊)今度も医者にはかかってないんですか。
(隠)うん、熱はそれほど高くないし、様子はわかってるから、市販薬ぐらいで充分だよ。風邪はウイルスの複合で細菌じゃないのが多いから、抗生物質は有害無益の場合があるそうだ。医院では「念のために」と抗生物質を処方されることがよくあるけど、最近は自粛する方向だそうだ。それから発熱で体温が一度上がると、白血球の活力は5倍にもなるそうだ。ウイルスと戦うために熱を出しているんだから、無理に体温を下げると逆効果の場合もあるんだね。
(熊)それぞれ自分に合った方法でやればいいんですかね。
(隠)九州の「鼻メガネ」先生は、葛根湯を常備していて、予防的にも使ってるとブログに書いているよ。こういう先生は、大らかでいいねえ。


ブログ連歌(344)

6859 独裁の 支配に揺れる 国もあり (みどり) 
6860  民安らかな 里を守らん (建世)
6861 近ごろの 話題処刑と 五千万
6862  都議の方々 武士の情けで (うたのすけ)
6863 虚ろな目 声に張りなく あぶら汗
6864  知事は死に体 だれかタオルを (うたのすけ)
6865 猪は 血祭りあとは 忘年会
6866  乾杯に和す 進軍喇叭 (建世)
6867 味方すら 梯子外して 薄笑い (みどり)
6868  戦闘準備は 「愛国心」で (建世)
6869 五千万 誰が笑って 誰が泣く (うたのすけ)
6870  夢は一瞬 五輪の鉄鎖 (建世)
6871 新しき 都政に望む 透明さ (みどり) 
6872  民意を示す 好機が一つ (建世)
6873 検察が 手ぐすねひいて 待っている (うたのすけ)
6874  弱り目たたり目 傍目も落ち目 (建世)
6875 年末も 脱原発へ 集う民 (みどり)
6876  稼働反対 うねりは止まず (建世) 
6877 愛国心 悪夢の如き 響きあり
6878  次に侍るは 非国民なり (うたのすけ)
6879 クリスマス 争いのなき 国望む (みどり)
6880  旗一つ立つ 民主と平和 (建世)



「防空識別圏」問題の捕らえ方、念のために

 中国が「防空識別圏」を設定して、それが日本側のそれと重なるというので、あたかも「急迫不正の脅威」でもあるかのような騒ぎになってから半月が経過しました。この問題については、元航空自衛隊員で、レーダーサイトに勤務した経験もある小西誠氏(社会批評社代表)が的確な論評をしています。解説者として、この人以上の適任者はいないでしょう。
 ただし小西氏はおもにフェイスブックとツイッターを使って発信しているので、長期にわたる文献としての保存や検索の安定性には限界がありそうなので、私のブログでも概要を紹介させていただきます。まず、下のブログで全文を読むことができます。
http://blogs.yahoo.co.jp/miyasitama2000/62688462.html
 日本の国会が、衆参両院で12月7日(秘密保護法が国会を通過したのと同じ日)に、「中国による防空識別圏設定に抗議し撤回を求める決議」を満場一致で可決したことを、小西氏は「非常に残念なことに」と述べています。反対はおろか、慎重に扱うべきとして「保留」にする議員さえ、一人もいなかったということです。「非国民」と呼ばれるのを恐れたのでしょう。
 日本側の防空識別圏は、敗戦直後にアメリカ軍が設定したのを、自衛隊がそのまま引き継いだものです。かなり中国の沿岸近くにまで張り出していると見ることもできます。ここに中国は尖閣諸島の領有権も意識して、新たに自国のための防空識別圏を設けました。それが事前の協議もなく一方的だったのは、尖閣について「何も問題ない」としている日本側の姿勢と連動していることは確実です。
 しかし防衛識別圏の設定は、領空の主張とは性質が違います。自国にとって脅威になる可能性のある飛行を監視する領域ですから、民間航空機が定期的に横切るなどは問題になりません。しかし両国の監視領域が重なっていれば、スクランブル出動が鉢合わせするなど、不測の事態を引き起こす可能性が増えてきます。
 そこで小西氏が提言しているのが「双方の軍事力の引き離し」であり、監視業務の中で相互に問い合わせのルートを確保し、防衛行動のルールを決めておくことです。新たな「冷戦」の緊張を高めることなく、無用な紛争を未然に防ぐことこそが必要なのです。


冬至の日の秩父連山



 冬至の朝、屋上から秩父連山がよく見えていました。冬が極まるこの日を、私は嫌いではありません。冬の「底入れ」の日だからです。
 体脂肪率が10%を上回ることがなく、皮下脂肪がないので「寒さが直接骨にこたえる」体質ですから、夏が好きで寒いのが苦手です。2階の居室に差し込む日の光がだんだん細くなるのは、文字通りに心細いのですが、それも今日が限度で、明日からは少しずつですが回復に向かう筈です。それは夏至の日に、まだ暑くもないのに太陽が遠ざかり始めるのを淋しく思うのと対になっています。
 自然の摂理は人を裏切りません。毎年同じように繰り返します。それは人の世でも同じであってほしいのですが、今は「もうこれ以上は悪くならない」という底入れ感がないのです。それどころか「どこまで落ちて行くのか」という「底なし感」が漂ってきました。
 かつて選挙で大敗した佐々木良作氏が、扇谷正造氏に「朝の来ない夜はない」と言われて涙ぐむ場面をテレビで見たことがあります。しかし民主社会主義は、日本の政治風土に根づくことなく今に至りました。社会主義と呼ばれるものは、過去の遺物となったかのようです。
 人間は自然物の一部分ではあっても、社会的に生存します。今は経済的にのみ生存すると思われているようですが、経済的生存になったのは、それほど古くからではありません。秩父の山奥では、かって明治新政府に反抗する「秩父事件」が起こり、その経過をたどった「草の乱」という映画が作られました。民草は自然物のように生きてきたのです。
 経済的に生きるのが現代人であっても、所詮は自然物として必ず全員が死亡します。自分が生きている間にも、していいことと、してはいけないことがあると思います。その最たるものは殺人でしょう。「殺し合わなくともみんな死ぬものを」という川柳が、数日前の「天声人語」で紹介されていましたが。



「知事抹殺」のその後について

 「木霊の宿る町」さんから頂いたトラックバックにより、佐藤栄佐久氏のその後のことがわかりました。というよりも私のリサーチ不足で、昨2012年10月に、最高裁小法廷で控訴棄却の決定があり、高裁での2審判決(実質無罪でも有罪)が確定していたのでした。  
 情報誌「FACTA」には、この最高裁決定を受けて、佐藤栄佐久氏からの「再審を求めて戦いつづける」とのメッセージが寄せられています。
http://onomar.jugem.jp/?eid=4177
 さらにこの決定を下した小法廷の桜井龍子裁判長についても、次のような意味深長な経歴が紹介されていました。
http://onomar.jugem.jp/?day=20121013
 それぞれの元記事を読んでいただくのが最善ですが、佐藤栄佐久氏のメッセージの中から、特に印象的な部分を引用しておきます。
「……確定した二審判決である東京高裁判決は、大変奇妙なものでした。私と弟の収賄を認めたにもかかわらず、追徴金はゼロ、つまり、「賄賂の金額がゼロ」と認定したのです。そして判決文では、「知事は収賄の認識すらなかった可能性」を示唆しました。ならば無罪のはずですが、特捜部の顔も立てて、「実質無罪の有罪判決」を出したのです。
 今日の決定は、こんな検察の顔色を伺ったような二審判決を、司法権の最高機関である最高裁判所が公式に認めたということなのです。当事者として、こんな不正義があってよいのかと憤ると同時に、この決定は今後の日本に間違いなく禍根を残すと心配しています。……」
 冤罪事件を扱った作品で「まだ最高裁がある」と叫んだ場面がありましたが、司法の最後の砦であるべき最高裁までが、官僚的「事なかれ主義」に染まっているとしたら、日本における「法の正義」とは、どこにあるのでしょうか。何が正義であるかは、最終的には時の権力者が決めるとでも言うのでしょうか。
 最高裁判事の国民審査で、これでも何も書かずに、つまり「全員信任」で投票しますか。

抹殺されずに政治を変える方法

 「知事抹殺」は読み終って憂鬱になる本でした。先見性のある政治家がいても、権力にとって危険と見なされれば社会的に抹殺されるというストーリーです。これでは「民主・平和」の政権など永久に望めないということになります。
 誰でも特捜部の捜索を受けたり逮捕されたりするのは厭ですから、政権から危険人物として標的にされるような目立つ行動はしないように気をつけるのは当然のことです。抹殺されたのでは、改革の志を実現することもできなくなってしまいます。しかし社会的な影響力の少ない一個人としての行動にまで、すべて制約を加えることは、権力といえども不可能です。
 特高警察や憲兵が猛威をふるっていた戦時中の日本がどうだったかを思い出してみると、一般家庭の中までが日常的に怯えていたという実感はありませんでした。町には標語が貼ってあり、たてまえとしては「一億一心」でしたが、庶民の日常生活と政治的な制約とは無関係でした。たまに工場で「非国民」が摘発されたなどという「怖い話」も噂としては聞くことがあり、それはそれとして問題でしたが、どこか遠い話としてでした。
 そこで今の時代のことを考えると、たてまえとしての「民主主義」は、まだ生きているということがあります。統制したい権力の側から見れば、目立つ個人は標的にして潰すことができても、いちばん潰しにくいのは無名の大衆の行動であり、世論調査という形で出てくる「世論」であり、そして各種の選挙で示される投票の結果です。
 幸いにして、マスコミの報道以外にも、いろいろなルートで情報が流れる時代になりました。選挙で間違った選択をしたら、次の機会に修正することができます。今後3年間は大きな選挙はないかと思っていたら、東京都民には意外に早く修正の機会が与えられました。全国の注目が都知事選挙に集まるでしょう。
 このままでは危ないと思ったら、投票で示すことができます。投票だったら抹殺される心配はありません。安全な場所にいて政治を動かす絶好のチャンスです。

佐藤栄佐久の「知事抹殺〜つくられた福島県汚職事件」を読む

 「知事抹殺」(佐藤栄佐久・平凡社)を読みました。原発の安全神話や道州制の虚構を突き、福島県民の安全と福祉を第一として中央政界と対峙した知事が、県民の圧倒的な支持を受けていたにもかかわらず、というよりも圧倒的に支持されていた故に、刑事被告人として逮捕され政治的に抹殺されるまでの経過を、本人が詳細に記録した文献です。
 プロローグに墓印(はかじるし)という言葉があります。豪雪の会津では、冬季に死人が出たときに墓の場所を探し当てられるように、細い木を立てておくのだそうです。これは、先に紹介した「原発ホワイトアウト」と対になり補完する関係になる本だと言えるでしょう。無責任な原子力行政に対して疑問を発し、抵抗をやめない知事は、原子力立国を進める上での最大の障害として攻撃の対象にされたのでした。
 本人の身辺が清潔で、選挙対策が同志的な連帯感で結ばれた強固な後援会組織であっても、攻める方法はあるものです。佐藤氏の場合は、親の代から続いて弟に経営を譲った事業が収賄事件の舞台とされました。ここを経由して公共工事の謝礼が土地代金に上乗せされて支払われたという構図です。周辺から捜索、逮捕が開始され、最後に知事本人が事情を聞きたいと呼ばれたときは、即逮捕でした。
 長期にわたる取調べの中で、信念の堅い前知事が虚偽の自白に応じるに至る場面は鬼気迫るものがあります。巧妙に構成された検事の話術により、「周辺の人々にこれ以上迷惑はかけられない」という自責の念から、「事件を選挙違反事件にまで拡大せずに早く終らせる」取り引きに同意してしまうのです。佐藤氏が二度と選挙に出る気をなくしたことを検事は確認しました。
 裁判で佐藤氏は無罪を主張しますが、判決は執行猶予のついた懲役刑でした。控訴審では同じく執行猶予つきの有罪でしたが、刑期は短くなり、収賄金額はゼロと認定されました。実質は「検察の顔を立てた無罪」でしたが、「あとがき」によると最高裁への上告と虚偽証言者への告発を続けるとしています。
 検察と裁判所を使えば、実質無罪でも人を実質的に抹殺できることを、この事件は教えています。原子力の安全を守るべき「保安院」が、原子力を推進する経産省に従属していることの不合理を、早くから指摘していた佐藤栄佐久氏の不安は、福島第一原発の破綻により現実のものとなりました。優れた先見性のある知事がいても、その力を福島県民から奪い取ったのは、原子力立国に目のくらんだ政治家と官僚が仕組んだ「国策捜査」でした。

民主平和党のロゴ

 村雲司さんが「民主平和」のロゴ文字を書いて下さいました。とりあえず白紙に出力して丸く切り、青いラシャ紙の上に置いてみました。
 青地に白抜きで正方形の旗にすれば、すぐにも作れると思いますが、いろいろな応用も考えられます。工夫する素材としてでしたら、文字のpdfデータ(39KB)をメール添付でお送りもできます。民主平和党の趣旨で使われる限り、村雲さんにもご異存はないと思います。



(追記・党旗として制定する、公認するといった選別は考えていません。「民主平和」をアピールする、あらゆる形での表現を歓迎します。)

小説「原発ホワイトアウト」を読む

 話題の書「原発ホワイトアウト」(若杉冽・講談社)を読みました。一度は書店で立ち読みをして、「面白すぎる本」だと思って買わず、それでも気になって図書館で検索したら158名が閲覧の順番待ちをしているのを見て、ついに1680円を投じて購入し、一晩で読みました。
 原発マフィアが日本の立法・行政・司法3権を支配して、結局は「原子力立国」を貫徹する姿を、同時代小説にしてリアルに描いています。小説として上質とも思えないのですが、なにしろ今年夏の参院選以降の政治情勢を踏まえて、一見しただけでわかる実際の政治家や県知事まで登場させているのですから迫力があります。
 著者名はペンネームで、中央省庁のエリート官僚と思われる覆面の人物です。電力行政にも詳しいらしく、電力会社と選挙との関係などは、私の知識とも細部まで一致しています。かつて官僚として内部告発の声をあげ「日本中枢の崩壊」を書いた古賀茂明氏は、インタビューを受けて「書いてあることは、ほとんど本当だ」と述べていますが、知っている人には常識化している「非常識の世界」の内情を、内部にいるままで告発した刊行物と言えます。すでに犯人探しは厳しく進められているでしょうが、どこまで覆面のままでいられるでしょうか。
 一般的に言えばこれは「衝撃の告発書」でしょうが、現場にいる関係者にとっては、「ああやっぱりね。でも、思い切ってよく書いたね」と思われる。じつは私にとっても少しも衝撃的ではなかったのですが、この「常識の世界との乖離」こそが、いまの日本の最大の問題点だと思います。最難関の試験を突破して公務員の頂点にまで達した人たちや、厳しい選挙戦を勝ち抜いた人たちが、国民の幸福よりも自己の利権と保身のために精励するとは、どういうことでしょうか。
 古賀茂明氏の言によると、「魂を売り渡している」官僚は1割ぐらいしかいないだろう、あとの多数は様子を見ながら強い方へ流れる、ということです。周到に構築された権力の構造が、政治機構の全体を支配しているので、簡単には変らないのです。
 この本のネット上の評判では、「告発としては良書だが、絶望させる点では悪書だ」とするものがありました。こんな政治がいつまでも続くとしたら、この国に未来はありません。この本が今は書店で買えて図書館にもあるということが、希望ではないでしょうか。
 どんな選挙制度であろうと、民意を完全に封じることはできません。今の政権は倒さなければならない。すべてが終ってしまう前に、です。

母国という語感

 久しぶりに「母国」という言葉を思い出しました。母なる国というと、安心して暮らせる国というイメージがあります。「父祖の国」というと、意味は似ていますが、いかめしいヒゲの老人が額の写真になって部屋を見下ろしているのを思い出します。千葉の農家だった母の実家がそうでした。その横には、戦争で死んだ親族の写真も並んでいたと思います。
 実家を訪ねたときの母は、いつもより元気で、伸び伸びしているように見えました。長女で育ったから、誰にもあまり遠慮しないでいられたのでしょう。私も母の思い出がいっぱいに残っているだろう田舎の家が好きでした。
 海外で暮らしたことのない私には、母国という言葉の本当の感覚はわからないのかもしれませんが、慣れない海外旅行の一人旅から帰国したとき、通関で日本語がそのまま通じる日本の検査官に対面したとき、母国に帰ってきた安心感に満たされたのを覚えています。
 母には「許される」という語感があります。母は子供を差別しません、ときに叱ることはあっても、それは排除ではなくて教えでした。長じてからの子供が抵抗したときは、昔ながらの価値観で説得はしたものの、「それでも違うなら仕方ない」と、限界を知っていてくれました。世には度し難い母親もいるでしょうが、母は生命の主たる伝達者です。動物の世界でさえ、母は子を世に残すために、驚くべき犠牲を払うのです。
 今の日本が「母国」と呼べるものでいてくれるかどうかが、心配な気配になってきました。どこからか「決めたことには従え、気に入らなければ出て行け」という言葉が聞こえてくるような気がします。生きていることは、生き物である人間にとっては基本中の基本であるにもかかわらず、「生き残るため」の競争を強いるのは、筋が違うと思います。競争とは、よりよく生きるための前向きの目標でなければなりません。生きること自体は競争ではない。それが基本的人権であり、人間の尊厳ということです。
 母なる国の外側には、母なる地球が広がっています。地球という奇跡がなければ人間の歴史はありませんでした。人間の集団同士が、知力財力を傾けて軍備を増強し次の戦争の準備をすることを、母なる地球が喜ぶわけがありません。母なる国は、人間の尊厳を通して他国と連帯することができます。それが世界の平和ということです。
 母国と呼べる国を守りたい。民主平和党の原点です。

ブログ連歌(343)

6839 この道は いつか来た道 多勢の
6840  人の記憶に いまだ鮮明 (うたのすけ)
6841 その昔 防諜標語が あったっけ 
6842  壁に耳あり 障子に目あり (建世)
6843 冬晴れの 空に軍拡 危機煽り (みどり)
6844  民主平和の 新党ぞ欲し (建世)
6845 姑息なる 手段取らずに 職を辞し
6846  首を洗って 待つが良策 (うたのすけ)
6847 母と姉 鉄格子に入れ 赤絨毯 (うたのすけ)
6848  金は魔物よ 両刃のやいば (建世)
6849 新党の 旗は羽ばたく 夢乗せて (建世)
6850  政治屋風情に 負けてなるかと (うたのすけ)
6851 政治屋の 次のねぐらは 都知事選? (うたのすけ)
6852  五輪利権の おこぼれ頂戴 (建世)
6853 連歌座に 常連の人 留守にして
6854  今年の漢字 「輪」は好まず (花てぼ)
6855 虚勢張り 「偽」をば突かれて 「秘」となりぬ
6856  いよいよ近し 「軍」の靴音 (建世)
6857 首を撫で 日本に生まれて ホッとして (うたのすけ)
6858  「母国」という名 永久(とわ)にあれかし (建世)
6859 独裁の 支配に揺れる 国もあり (みどり) 
6860  民安らかな 里を守らん (建世) 





虚勢張り「偽」をば突かれて「秘」となりぬ 

 今年の漢字は「輪」だそうですが、花てぼさんは気に入らないようです。そこで私なりに考えてみました。こんなのいかがですか。
 下句をつけて首尾整えるとしたら
虚勢張り 「偽」をば突かれて 「秘」となりぬ 
 いよいよ近し 「軍」の靴音

「フクシマ・沖縄・四日市〜差別と棄民の構造」を読む

 「フクシマ・沖縄・四日市〜差別と棄民の構造」(土井淑平・星雲社)を読みました。発行元は老人党護憲プラスが毎月の例会の会場をお借りしている編集工房「朔」(発行者・三角忠)です。福島は原子力立国という政策の破綻により、沖縄は周辺地域としての位置づけにより、四日市は植民地型の開発により、差別と棄民を生んできたとして、権力が国策を遂行するに当って地域住民をどのように扱うかの構造を明らかにしようとしています。
 時系列から言えば、四日市の産業公害が最初でした。それも単独ではなく、熊本水俣病、新潟水俣病、富山イタイイタイ病と並ぶ「4大公害裁判」として有名でした。さらにさかのぼれば、足尾銅山の鉱毒による渡良瀬遊水地の全村廃棄の例もあります。いずれも「大の虫を生かすために小の虫を殺す」歴史でした。しかし殺される側から見た歴史はどうだったのか、本書の巻末には、四日市公害についての綿密な資料が添付されています。
 この本は、住民の戦いの記録としても読めるのですが、私は読みながらずっと、差別と棄民を生まない開発は、あり得ないのかということを考えていました。それは原発の立地に際して、地元を補助金づけにして反対派を封じ込めるというようなこととは違うのです。受け入れる地元を含めて歓迎され、等しく国民の喜びとなるような変化なら、反対運動が起こるわけがありません。強行される政策には、必ず一部の利益者と、犠牲にされる多数の住民がいるということです。
 その端的な例が沖縄でしょう。勝てないとわかっている戦況の中で、単に時間を稼ぐという目的で、沖縄県民の生命は惜しげもなく犠牲に供されました。その構造は少しも変らず、基地負担の大半を押し付けて今に至っています。日本の国土を守るためという理屈がすでに通用しないにもかかわらず、アメリカの世界戦略に奉仕しようとする無理を押し通そうとするからです。
 差別と棄民の構造は、むしろこれからの問題になってくるでしょう。原発から発生する核のゴミは、この日本列島のどこでどのように最終処分されるのでしょうか。すでに福島県下では中間貯蔵施設の候補地が論じられています。人が住めなくなった地域が国有化され、その地が「廃棄された土地」になるのは、避けられないように感じられます。しかも私の年齢では、行く末を見届けることができそうもありません。
 せめて、土地は失っても民は捨てない国であって欲しいと思います。民主主義は少数者の切捨てを許しません。貧しても窮しても、民主主義を守る国でいてください。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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