志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2014年07月

核兵器は国連で「限りなく黒に近いグレー」だった

 8月が近くなって、朝日新聞には平和志向の記事が出るようになった。「核兵器の使用・威嚇は人道法違反」とした1996年当時の国際司法裁判所の裁判長が、インタビューに応じて決定の経緯を語っている。この「勧告的意見」は、国連総会に求められて「世界法廷」の立場で出されたものだった。
 この表決は、裁判官の意見が7対7で割れたものを、裁判長の表決で苦渋の決断をしたということだ。というのは、「核兵器の絶対禁止」ではなくて「自衛の極限状況では、合法か違法か判断できない」という保留条項が併記されていたからだった。それは国際法の原則である国家の自衛権は尊重せざるをえないからだった。
 こうして「核兵器は一般的には違法だが、自衛の極限状況では判断回避」というのが、国連における公式の判断基準になった。もしこの保留がなければ、少なくともインドやバキスタンまでが「自衛」を口実に核兵器を保有することに対して、国際社会はもっと強い圧力をかけられただろうと悔やんでいる。
 この構図は、集団的自衛権の場合と、とてもよく似ている。国連は憲章をもって「国際紛争を解決するための手段としての戦争」を禁じている。そもそも国連は「戦争の根絶」を目的に創設された国際組織だからだ。ただし国連の平和維持活動が間に合わない「急迫不正の侵略に対する自衛」の権利は加盟国に認めて、そこに「国家の集団」にも言及している。
 安倍首相が自信満々にふりかざす「国連で認められている集団的自衛権」なるものの正体が、国連の基本原則から外れた「止むをえない当面の例外規定」だということを、国民のどれほどの人たちが知っているのだろう。われこそは国連の平和主義の具現者だと言わんばかりの口ぶりは、マンガ的と言うほかはない。
 それよりももっと問題なのは、核兵器に対するアメリカの態度だろう。ソ連の崩壊により相互破壊の「恐怖の均衡」によって維持されてきた核抑止システムが不用になると、核ミサイル防衛を制限するABM条約から、一方的に脱退してしまった。つまり報復される危険を回避しながら、相手国を任意に核攻撃できるフリーハンドを手に入れようとしているわけだ。その相手国はロシアとは限らない、どこの国でもいいことになる。
 もちろん核の使用には「自衛の極限状況」においのみ「判断できない」という「限りなく黒に近いグレー」の判定が国連では出ているのだが、軍人はそれに従うだろうか。没落するにしても、アメリカはやはり世界でいちばん危険な国になる。

世界は最終戦争を必要としているのだろうか

(熊さん)集団的自衛権以来、日本が妙に軍事っぽくなったと思ったら、世界中のあっちこっちで戦争みたいな騒ぎが起きてきましたね。こりゃ偶然ですかね。
(ご隠居)いや、みんな関係してるさ。アジアも物騒になってきた、日米同盟も今のままじゃ不十分だってんで、アメリカの世界戦略に合わせて出てきた話だからね。
(熊)ご隠居に教えてもらって「マスコミに載らない海外記事」さんの「欧米の無頓着さによって、世界は破滅を運命づけられている」って記事を読みましたよ。「さほど長くは生きられないと覚悟しよう」なんて、あれ本当ですかね。
(隠)あれを書いたポール・クレイグ・ロバーツって人は、元アメリカの経済官僚で、ジャーナリストでもあるようだね。ロシアのプーチンへの評価が、西側の報道とは正反対だから、初めて読んだら頭が混乱したんじゃないか。でもアメリカが、ロシアに対しても中国に対しても、核戦争をして勝てる戦略を進めてるってのは、本当だと思うよ。それは軍人の職務だからね。
(熊)なんで今でも核戦争なんてことを考えるんですか。
(隠)核兵器というものがある以上は、どう使うか考えるのは当り前だよ。米ソ対立の時代は確証破壊という「恐怖の均衡」で核戦争を防いでいたんだが、攻撃の精度とミサイル防衛システムが進歩した今では、核の先制攻撃をかけて、そのまま完勝という戦略が夢でなくなってきたんだ。もちろんそれで勝てるのはアメリカ一国だけ。兵器があって軍人がいれば、その準備をするのは当然のことなんだよ。
(熊)でもさ、いくらアメリカが横暴でも、勝手に戦争は始められないでしょう。
(隠)そりゃそうさ。曲がりなりにも議会のある民主制の国だからね。でもね、自衛のための戦争という理屈は、必要なときには、かなり自由に作り出せるものでもあるんだな。要はアメリカが、世界を一つの覇権にまとめるために、最後の戦争が必要だと思うかどうかということだ。その前に、ロシアと中国が順番に降伏してくれたら、戦争しないで済むかもしれないけどね。断っとくけど、これは軍人の発想だよ。しかしアメリカという国の本当の主権者は誰なのか。それは一筋縄ではないんだよ。
(熊)核戦争なんて、出来っこない、多少のゴタゴタはあっても、いずれは世界は平和で共存の世の中になると思ってたけど、そうじゃないんですか。
(隠)いや、世界は共存に向かって行くというのが常識だよ。核戦争をやってアメリカが勝ったところで、地球全体は救いようがないほど汚染されるだろうよ。そんな非常識は、絶対に認めるわけにはいかないんだ。軍人の常識は、もう要らない。共存して軍備も軍人もなくして行く先に、はじめて人類の未来が開けるんだ。これが現代の常識だよ。

なだいなだ遺作「常識哲学」を読む(2)

 巻末には亡くなる5日前の講演も採録されており、日本語の「常識」の由来を説明しています。明治の初めに英語のコモンセンスを訳したもので、訳者は仏教哲学者の井上円了ではないかとしています。ちなみに井上円了は、中野の「哲学堂」を作った人です。仏教に通じており、仏語の「八識(人間の知覚)」から「常の識」としたのでしょう。
 その後「常識」とは、クイズ番組に出るような雑知識をたくさん知っていることのように思われてきましたが、本来は知覚であって判断力を要するものです。これは私の個人的な経験ですが、高校の英語の時間に、横井徳治先生から「コモンセンスとは雑知識が多いことではない、妥当な判断力があるということだ」と教えられたのを今も鮮明に覚えています。
 なだいなだ氏が「近ごろの政治家は常識のない人が多い」と嘆くときの「常識」には、討論や説得を十分に重ねた上で築かれるべきものだとする信念があったことは確実だと思います。権力者が一時の都合で押し付けてくる「新しい常識」を、素直に受け入れるのとは対極の立場であったに違いありません。こういう時代だからこそ「老人党」の掲示板に集まるような意見が大切になる、という言葉もありました。
 しかし残念ながら、この本を送ってくださった笹井明子さんとも話したのですが、一時の権力者に負けない「不滅の常識哲学」を説くような力強い部分は、残された原稿には入っていませんでした。あと一年の余命があったら書いて頂けたのかもしれませんが、それは永遠の謎です。
 折から沖縄の辺野古では、埋め立て強行のための海上保安庁による規制と、阻止しようとする住民・活動家との間で、人命にもかかわるような暴力行為が行われていると報告されています。市谷の防衛省の門前では、炎天下に抗議行動に立つ西口スタンディング仲間の姿がネット上の写真で見えました。私は自宅の机でこのブログを書いています。「それぞれが、できることをする」つもりです。
 日本人の「常識」が、それぞれの時の政府が押し付けてくる要求に屈して「おとなしく従う空気」に染まってしまったら、何度でも同じ過ちをくりかえすことになります。今さらこの地上に軍事優先の「臨戦態勢」を整えることに理があるのか、そのために沖縄県民を「不従順な敵対勢力」と規定して再び犠牲に供するつもりなのか。
 まさかそんなことはないでしょう。これ以上の自然破壊は避ける。危険の大きい軍事基地は遠ざける。世界の平和は、核兵器よりも通常軍事力よりも優先して外交努力によって構築する。それが現代の常識です。

なだいなだ遺作「常識哲学」を読む(1)

 昨年亡くなった、なだいなだ氏の「常識哲学・最後のメッセージ」(筑摩書房)を読みました。著者は最後の著作になることを意識して83歳から書き始めたということです。冒頭に「声を想像しながら読んでほしい」という注意書きを掲げています。常に「語るように書く」というのがモットーでした。故人が現存して語るのを聞くような本です。
 なだいなだ氏は精神科の医師で、アルコール依存症を専門としていました。常識とは何かを考察するについても、医師としての経験を通して実践してしてきたことを語っています。そこで得られた結論は、「常識とは、過去の偏見の集積である」ということでした。たとえばアルコール依存症は、入院させて酒を断たせるのが唯一の治療法で、それでも完治は不可能というのが旧来の常識でした。
 この方法だと、病院で断酒を一時的に強制できるが、社会復帰したら大半は遅かれ早かれ飲酒を再開して同じことを繰り返すことになります。しかし、なだいなだ氏は、患者との対話によって意識を変えさせられることに気づきました。外出と金銭管理を自由にしても、隠れて飲酒する患者は出なかったのです。患者に「酒の誘惑に負けない意識」を持たせることが最重要なのでした。こうして患者相互が交流しながら禁酒を競い合う方式が開発されました。
 アルコール依存症は英語でアルコーリズムと言いますが、イズムの語尾はクリスチャニズムでもソシアリズムでも同じというのも面白い話題でした。日本ではキリスト教とか社会主義とか訳されているが、中毒という言葉で統一したらよかろうと学生たちに話したというのです。キリスト教はキリスト中毒、マルクス主義はマルクス中毒となるし、「依存症」としてもいい。そう考えたら常識的な判断に役立つかもしれません。
 それから、他人の常識を変えさせる説得法というのも大いに参考になります。誰でも「あなたの考えは偏見です、間違ってます」と言われたら、反発して余計に態度を固くするでしょう。そんなときに「その常識は少し古くなっていますよ。私も昔はそう思っていたんですが、最新の知識で考えてみると違ってきてるようです。今はこちらの方が常識ではないでしょうか」と説得すると、相手に受け入れられやすいというのです。対話の達人の極意を聞かされるようなものです。
 ここで、常識の移ろいという問題が出てきます。過去の常識は今の常識ではありません。かつての日本では「一億玉砕」が常識だった時代がありました。そのように強制され作られた常識には、どのように対抗したらいいのでしょうか。その答えは、残念ながらこの本の中には書かれていません。

映画「風が吹くとき」を今日的に見直す

 昨日の中野区主催「平和のつどい」で、核戦争をテーマとしたアニメ劇映画「風が吹くとき」を見ました。原作はイギリスのレイモンド・ブリッグズによる1982年の漫画絵本で、1986年に映画化され、翌年に日本でも大島渚の監修で日本語版が作られ劇場公開されました。主人公の夫婦を森繁久弥と加藤治子が吹き替えています。私は以前にテレビ放映で途中から見た記憶はあったのですが、初めて全編を通して見ることができました。
 時代設定は米ソ冷戦の時代で、アメリカとソ連の核戦争にイギリスも巻き込まれる恐怖を描いています。しかし場面を定年後に田舎で年金暮らししている夫婦に限定しているところがユニークです。第二次大戦でナチスの空襲に耐え抜いた経験を持つ夫婦は、政府に全面的な信頼を寄せていて、国際情勢などはニュースで知ったものの、言われた通りにしていれば大丈夫としか思いませんでした。
 家庭用の緊急避難核シェルターを指示通りに建具や寝具を積んで室内に作り、多少の食料品などを備蓄するのですが、突然「3分後にミサイルが来る」との放送があり、強烈な光線と爆風に襲われます。シェルターに入ったおかげで助かったと喜ぶ二人ですが、家の中も外も、すべては一変していました。停電でテレビは見えず、トランジスタラジオにも放送は入らず、町に住む子供たちの家に電話しても、どこともつながりません。
 それでも「あんな大きな爆発があったんだから仕様がないな」「二三日したら新聞で詳しいことがわかるだろう」などと会話しています。仲のよかった二人が、慰め合いながら我慢している間に「日常の暮らし」が崩壊して行き、言い争いをするまでに劣化する悲しい過程が、リアルに描かれて行きます。水も食べるものもなくなり、「庭の野菜を摘もう」と思いついて外に出ても、枯れていない草一本、飲める水の一滴も手に入らない環境に変ってしまっているのでした。
 それでも「政府の救急活動は動き出しているに違いない」と、あくまでも受身で「助けられる」ことだけを期待しています。やがて放射能の影響と思われる皮膚の斑点が出たり、妻は脱毛が始まったりしますが、夫は「明日になったら薬局で薬を買ってくるよ」と言うことしかできません。体力も衰えてきて、夫婦は抱き合うように横たわり、「神の救い」について語って眠りにつきます。
 描かれているのは一時代前の核戦争の想定ですが、これを原発事故に置き換えてみると、にわかに今日的な問題として身に迫ってきます。政府を信頼して協力していればいいんだと思っていた人々が、裏切られてもなお善意を失わずに滅びていく物語でした。これを避けたかったら、自ら破滅を避けるために能動的に行動しなければなりません。この映画のDVD(81分)は、デジタル・リマスター版で今でも入手可能です。

ブログ連歌(376)

7499 過疎の里 田畑守るも 命がけ (みどり)
7500  瑞穂の棚田 老父がひとり (建世)
7501 号泣の 二文字が泣くよ 阿保泣きに (うたのすけ) 
7502  幼稚園から やり直さねば (建世)
7503 損得で 測る演技に 虎の皮 (みどり)
7504  ウィキペディアに その名残れり (建世)
7505 「合格」で 無害にならぬ 核稼働 (建世) 
7506  川内ひとつで 夜もねられず (樹美)
7507 テレビ前 桟敷の和服に 目移りし (うたのすけ) 
7508  和魂横綱 違和感もなく (建世) 
7509 砂嵐 綱破りする 国際戦 (建世)
7510  弟子を捜すに 国境を越ゆ (みどり)
7511 夏休み 水際(みぎわ)の事故の 悼ましき (みどり)
7512  季節を告げる 歳時記のよう (建世)
7513 名古屋場所 和服美人が 盛り上げて (うたのすけ) 
7514  梅雨も明けたと 打ち出す太鼓 (建世)
7515 白鵬が 負けても稀勢は 浮上せず
7516  興味は既に 高校野球 (うたのすけ) 
7517 夏休み 見知らぬ土地へ 旅の夢 (みどり)
7518  いい日旅立ち 生あるかぎり (建世)
7519 名古屋場所 活気の殊勲者 稀勢の里 (うたのすけ)
7520  綱とり場所へ 夢をつないで (建世)

国連人権理事会のイスラエル非難決議に賛成できない日本の「積極的平和主義」とは

 あまり大きなニュースにはならなかったが、国連の人権理事会は、この23日にイスラエルのガザ侵攻を非難し、調査委員会を派遣することを決議した。この委員会は47の理事国で構成されており、決議は29カ国の賛成で採択されたが、アメリカ1国のみが反対し、日本はEUなど西欧諸国とともに棄権したということだ。日本はアメリカが反対する決議には賛成できない。棄権するのが精一杯で、それは度重なる核兵器禁止決議などでも同様に繰り返されてきた。
 国連人権理事会は2006年に創設された常設機関で、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)がその事務局機能を担当している。国連加盟国における組織的で深刻な人権侵害事件などに早急に対応するために設けられた。理事国は地域別に定数を決めており、アフリカ、アジアに各13、東ヨーロッパ6、ラテンアメリカ・カリブ海8、西ヨーロッパとその他のグループ7となっており、国連総会で選んでいる。人権侵害の問題が起こりやすい地域を優先して配分しているように思われる。
 今回は、アラブ諸国が結束して提案国となり、決議の採択を主導したということだ。イスラエルはもちろん「バランスを欠く」と反発して、アメリカはそれに同調した。決議は採択されたものの、現地での調査は、イスラエルが協力しない以上は実効性に乏しいのではないかと報じられている。しかし国連の名において人権理事会に報告書が提出されることの意味は小さくはない。
 こういう場合に、日本はどうして独自の判断で行動することができないのだろう。日本の1票で採決が左右されるわけでもない場合でも、律儀にアメリカの判断にしたがって、「賛成」したくても「棄権」で逃げているのだ。賛成したら、恐ろしい制裁を受けるのだろうか。もし一度でも賛成してアメリカが理不尽な制裁をしてきたら、逆に大国としての度量を問われるだろう。核兵器禁止では、一度だけ国連で賛成したことがあると聞いている。ビキニの水爆で反核の世論が高まった年だそうだ。
 安倍首相の言う「日本を取り戻す」や「積極的平和主義」が本物なら、イスラエルのガザ侵攻に圧力をかけ、公正な調査を要求する決議ぐらいには賛成票を投じて日本の独自性を出して欲しかった。アラブ諸国の日本に対する好感度は高まり、それは日本の安全に寄与しただろうと思う。それが出来なかったところを見ると、やはりアメリカ主導の世界秩序に奉仕するための「積極的平和」でしかないのがわかる。

自衛隊員はどこへ行くのか

 昨夜の老人党護憲プラスの定例会では、元反戦自衛官として知られる、社会批評社社主でジャーナリスト・活動家でもある小西誠さんをゲストに迎えてお話を聞きました。小西氏は「自衛官人権ホットライン」を運営しており、ここへの隊員・家族からのアクセスが急増しているとのことです。
 「国民の生命財産を守る」ことを前提にして「危険をかえりみず任務を全うする」という「賭命義務」を宣誓して任官している自衛官ですが、「専守防衛」の筈だった自衛隊の任務は、日米同盟の強化によって2000年ごろから変質してきました。その変質は安倍政権で急に始まったわけではなく、国をあげての政策変更として進められてきた結果だという指摘がありました。その仕上げを急ぐ安倍政権の登場によって、にわかに国民的な話題になってきたということです。
 冷戦中はおもに北海道に展開してソ連軍との戦いに備えていた自衛隊は、想定する主戦場を南西方面へと大きく変換しました。そのための配置換えが現在進行中です。巨大組織が動くときは転勤、配置換えが多発して、ただでも人間関係が複雑になります。さらに海外派遣、テロやゲリラとの戦闘といった、新しい状況に対応する訓練も始まりました。
 近接戦になると、銃弾は命中しても敵の体内を貫通して即死させない場合が多くなるそうです。そのときは自分の安全のために、直ちに「止めをさし」て相手を確実に殺さなければなりません。それが近接戦のルールです。そのための訓練によるストレスの強さは、遠くの敵に向かって発砲する訓練とは異質のものだという話がありました。自衛隊を海外でも戦える軍隊にするということは、隊員にそのような変身をも強いるのです。
 言わば専守防衛のつもりで入った自衛隊の「目的外使用」になりますが、自衛隊の内部から批判や抵抗の運動が出てくるかと言えば、それは期待できないという判断でした。前身の警察予備隊は1950年に発足していますから、自衛隊には60年以上の歴史が積み重なっています。昭和の軍閥よりも、ずっと長期にわたる強固な組織を作り上げて今に至っているのです。自衛隊法で定められた「文民統制」は、相次ぐ改変で制服組優位に改められました。政治で自衛隊を変えるというのは、ますます難しくなっているのです。
 ただ、自衛隊がそのように変質すれば、入ろうとする若者に変化が出てくる可能性があります。隊員の募集は、ますます難しくなるでしょう。そのときに「外人部隊」を編成するのは日本では考えられません。かといって徴兵制への抵抗は非常に大きいものがあるでしょう。「戦争をしても守らなければならない国益とは何か」「そもそも国際紛争の解決に武力行使は有効なのか」と、議論は原点に回帰せざるをえないのです。

はよはよヤメロ! 安倍マンボ♪

 当ブログは本日も開店休業になるところでしたが、「花てぼ」さん経由で仕入れた「はよはよヤメロ! 安倍マンボ」(美空ひばり「お祭りマンボ」の替え歌)を紹介・拡散しておきます。ちゃんと歌声が聞けるところがすばらしい。「脱原発・滋賀☆アクション」が集会で使った実況です。ちなみに、先日の「拝啓関西電力様」の書の原詩が朗読・発表されたのも、この市民団体の集会でした。
http://nonukesiga.exblog.jp/20921212/
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=14Umgi38aB8

夜になっても無題

(熊さん)こんばんは、きょうはブログお休みですか。
(ご隠居)お休みみたいなもんだな。去年亡くなった、なだいなださんの遺作「常識哲学」を読んでたんだが、身につまされるっていうか、いつもみたいに読書感想文をブログに書いて「一冊あがり」って気になれないんだよ。筑摩書房のこの本には「最後のメッセージ」と書いてある。帯には「伝えたかったこと」としてあるな。本編の原稿は途中で切れている。亡くなるその日まで、ブログは更新してあったそうだ。つい先日のことのような気がしてたけど、6月6日だから、もう一年以上になるんだね。
(熊)なだいなださんは、バーチャル政党「老人党」の主宰者でしたよね。
(隠)そうだよ。わしも入党はしたんだが、あまり熱心な党員ではなかった。その代わり老人党から派生してリアルな活動をしてた「老人党護憲プラス」とおつきあいするようになって、その月例会に出させて貰ってたんだよ。もっと老人党の本体の方の掲示板なんかを、活用するとか紹介すべきだったかもしれないな。
(熊)ご隠居は、とにかく自分のブログが第一だったからね。
(隠)なださんの本は、かなり昔に岩波新書の「権威と権力」を読んだのを、いまでもよく覚えてるよ。1974年の発行なんだね。対話をそのまま本にしたような、読みやすい本だった。熊さんとご隠居でやってるようなもんだな。そう言えば「老人党」は「民主平和党」に似ていなくもないね。思考パターンに似たところがあるのかもしれない。
(熊)なださんは1929年生れですか。
(隠)そう、4年先輩だよ。最後の講演をDVDで見たけど、おだやかな話し方をする人だったんだね。人は死んで何を残すのか。今夜は、もうあんまり考えないで寝るよ。

ガザに見る自衛権と積極的平和

(熊さん)イスラエルのガザ攻撃が止まりませんね。
(ご隠居)ゆうべは明治公園で、国際ボランティアセンターとか複数の市民団体が呼びかけた緊急の集会があったんだな。今朝の新聞に、紙コップに入れたろうそくを灯した人文字で、GAZAという字とピースマークを浮き上がらせた写真が出ていたよ。あそこは隣の日本青年館の上から写真が撮れるんだ。とても美しい情景になってたよ。
(熊)気持ちはわかるけど、被災地の鎮魂みたいに静かに祈るだけっていうのも、おとなしくて歯がゆいですね。ご隠居は行かなかったんですか。
(隠)辺野古基地反対のときは行ったけど、ゆうべは行かなかった。一時間以上立ってるっていうのが、だんだんしんどくなってきてね。だけど行けば一人分の意思表示は確実にできる。それが大事なことで、一度でも参加してみれば、あとの関心の持ち方が変ってくるんだよ。
(熊)そりゃわかりますよ。おいらもご隠居につきあって、ずいぶん変ったもの。
(隠)日本にいてガザのために何が出来るかっていうと、イスラエル大使館に抗議しに行った人たちもいた。電話やFAXの番号だって、調べればすぐわかる。抗議デモは世界中で起きてるようだよ。それでもイスラエルはまだ作戦を拡大すると言ってる。国民を守る自衛の行動なんだそうだ。これまでの紛争で出た犠牲者の数を通算すると、パレスチナ人の250人に対してイスラエル人は1人だそうだよ。
(熊)テレビで見ても過密の都市に爆弾を落とすんだからひどいですよね。
(隠)ガザ地区は、防潮堤みたいな高い壁で囲まれていて、海も空もイスラエルに封鎖されているんだ。檻に入れた動物を外から狙い撃ちするようなむごい攻め方だな。それが自衛のために止むをえない行動だと言ったって、説得力はないな。イスラエルが要求している「和平案」は、ハマスがロケット弾を撃つのをやめることだそうだ。手向かいは一切しないで、おとなしく檻に入ってれば命は助けてやるってわけだな。交渉して和解の道を探るという態度には見えない。
(熊)ハマスのロケットって、ほとんど全部撃ち落とされてるそうですね。
(隠)ローテク兵器だから仕様がないんだろう。実害はなくても、イスラエルとしたら根絶しないと許せない。それがイスラエルにとっての「平和」なんだな。しかし力で抑えつけての平和は本物じゃないよ。不満と怒りを鬱積させて、テロの温床になるのは知れている。これまでもその繰り返しだったのに、まだ同じことをしてるんだ。
(熊)民族の和解って、できないんですかね。
(隠)できないわけないだろ、同じ人間なんだ。公正なつきあいを心がけていれば、いつか話し合える時がくるさ。「積極的平和」とは、武力を背景にして作るものでないことは確かだな。武器を捨てて話し合おうということを、相手よりも先に言い出すことだとわしは思ってるよ。 

書道とは何だろう

 「花てぼ」さんの「拝啓関西電力様」が毎日書道展で入選・展示されたのを紹介したら、「函館市とどほっけ村」のブログ主、かわぐちえいこうさんも、この詩を筆書して地元の文化展に出品した話を記事にしておられた。この場合は「この内容は激しすぎるので、展示は出来ない」と担当者に断られたということだ。東京の書道展では展示されて、なぜ地方の公開された文化展では不可なのかと疑問を呈しておられる。
 花てぼさんの書は芸術として評価されたので展示に値すると認められたのだろう、自分の書にはそれまでの力がなかったというのが、えいこうさんの一応の解釈のようで、だからこそタイトルが「芸術が真価を発揮する時代」となっている。しかしそれで本当には納得していないのが読み取れる。私もこれは、とてもおかしなことだと思う。
 最近もさいたま市内の公民館で、俳句サークルが選んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という句が、定例の「公民館だより」に掲載を拒否されるという事件があった。公的施設だから政治的に偏った主張は困るという趣旨のようだが、今は憲法を守るのは政治的に偏向した主張なのか。この場合は活字での掲載だから、詠まれた思想そのものを拒否したことになる。
 えいこうさんの場合も、書として芸術性が高ければ展示を認められたのだろうか。おそらくそうではあるまい。書かれた「内容が激しすぎる」と担当者は言っている。市民の文化展は、花鳥風月を愛でるような無難な作品が望ましいという固定観念があるのだろう。詩でも書でも絵画でも写真でも、あらゆる表現には表現者の意思がある。意思がはっきりし過ぎているから困るというのなら、文化展など最初から企画しない方がいい。役所の広報ポスターでも並べればいいのだ。
 この件で思い出したが、昔の学校には「習字」の時間があり、その教科書があった。戦争に負けて教科書から都合の悪い部分を切り取ったり墨を塗ったりして削除したとき、いちばん薄くなってしまった教科書は「習字」で、半分以下になったと私の日記に書いてあった。「八紘一宇」「神州不滅」「尽忠報国」といった、戦時標語ばかりが掲載されていたからだ。軍国教育の一環として書道が教えられていたというわけだ。
 今は中学まで「国語」の中の「書写」として教えられている。やはり教科書には検定があって、「平和」「信念」といった手本が載っているようだ。孫も正月に「書初め」を書いていた時期があったような気がする。「平和」とだけ書くなら今のところ大丈夫だろうが、もし「反戦平和」だの「脱原発」「地球を守れ」などと書いたら、今の先生は展示してくれるだろうか。

三枝成彰のオペラ「KAMIKAZE(神風)」をDVDで見る

 反戦の思想を、どこまでオペラで表現できるのか、オペラで戦争を止めることができるのでしょうか。半信半疑でDVDを見てみました。演出は三枝健起です。この人が三枝成彰氏の実弟であることを知って驚きました。私が今までに見たテレビドラマの中で、もっとも感銘の深かった「もどり橋」が、この二人のコンビであったことを思い出しました。
 このオペラは3幕4場、中に9曲のアリアなど重要な曲を配し、プロローグとエピローグに各国語で歌う平和への願いを置いています。日本語字幕つきを選択して見たので、すべての歌詞が理解でき、会場で見たよりもストーリーを辿るには、むしろ好都合だったかもしれません。作者は解説で「ラブストーリーとしても見られるように作ったつもりです」と書いていました。
 特攻という作戦の不条理は、人々の素朴な善意や無垢な男女の純愛と対比することによって照射されます。クライマックスで登場する、出撃する士官と婚約者の場面は、息もつまるような緊張感の連続となりました。音楽の力とドラマの演出力は、オペラでなければできない表現を全うしていたと思います。こんな場面が見られるとは思いませんでした。
 枕を二つ並べたふとんと、白無垢を着た若い女性と、血染めの日の丸鉢巻と、一服だけ吸って消したタバコの吸いさしから、読者は何を予想するでしょうか。特攻隊員が出撃を納得したのは、「愛する人を守るため」でした。残された人の幸せだけが希望でした。しかし残される人はそれを納得したでしょうか。守りたかった国は守れたでしょうか。
 特攻でも日本の敗戦を防ぐことは不可能でした。最愛の婚約者は、思う人と、ただ一度の接吻さえ交わすことができずに終りました。すべては壮大な無駄であり、人の命の浪費に過ぎなかったのです。降り注ぐ花びらで舞台をどんなに美しく飾ろうとも、その事実は変りません。
 エピローグの歌声の中で、第二次世界大戦で失われた8000万とも言われる犠牲者の数が、正面スクリーンに延々と国別に表示されて行きます。ソ連と中国が、最大の犠牲者を出していることもわかります。このオペラが、日本から世界に発信するために作られたことが、よくわかります。
 そのメッセージが、「もう戦うな」「殺すな」であることは疑いようがありません。
 三枝氏の「昭和3部作オペラ」の一つ「Jr.バタフライ」は、プッチーニの名作「蝶々夫人」の後日談で、ピンカートンと蝶々さんの子供世代が、日米開戦で引き裂かれ、長崎で原爆に会う悲劇だそうです。このオペラが、この8月にはイタリアで、イタリア語で上演されるということです。この「KAMIKAZE(神風)」も、ぜひそのように各国で上演されてほしいと思います。

「特攻とは何だったのか」を読む(2)

 特攻作戦が、作戦の名にも値しない「統帥の外道」であることは、当時の関係者さえ自覚していました。爆弾を正常に投下して命中させるのと、飛行機に積んだまま突入させるのとでは、前者の方が効果が高いのです。装甲の厚い大型艦を沈めるには、衝突速度が不足するからです。それでも人間が最後まで操縦するので必中する、空しく撃墜されるよりも兵士に「死処を与える」ことができるのだと説明されました。
 三枝氏と堀氏は、ここで「戦争がカタルシス(精神浄化)に転化した」と認めています。勝敗が二の次になって、人間の精神の問題にされてしまうのです。それを突き詰めれば、「日本はなぜ勝てない戦争を始めてしまったのか」という根源に辿りつきます。まさに負け方を知らない「玉砕」の思想は、開戦の当初から埋め込まれていたのです。
 この本を読んでいると二人の著者の間で、「人命尊重のかけらもない特攻への怒り」と「当時の空気の中では避けられなかった人たちへの同情」が、止めどなく循環している様子が手にとるようにわかります。自分がその立場にいたら止められたかと言えば、自信をもって答えられる人はいないでしょう。私も同じです。
 この時点で、私は三枝成彰作曲のオペラ「KAMIKAZE(神風)」のDVDをアマゾンに発注しました。この討論をどのような音楽作品にしたのか知りたいと思いました。公演は2013年の1月末から2月にかけて、東京文化会館で3回にわたって行われ、3月30日の深夜にはBS朝日で放送もされていました。私は知っていれば見にも行ったでしょうが、迂闊にも知らずにいました。思い出せば年末の総選挙で民主党が大敗し、自公復活の安倍内閣が成立したばかりの、敗戦直後の大混乱のような時期でした。
 このオペラは、三枝氏が2004年に発表した、太平洋戦争前後を背景とした「Jr.バタフライ」と、2008年に発表した2.26事件で処刑された将校の妻を主人公とした「悲嘆」と並ぶ「日本から世界に発信するオペラ3部作」の完結編として構想されたとのことです。
 その紹介は次回としますが、「特攻」とは、人が命をかけて戦うことの日本的流儀の総決算と位置づけられるような気がしています。前大戦で無数に繰り返された「バンザイ突撃」でも、その前の「爆弾三勇士」でも「広瀬中佐」でも「会津の白虎隊」でも、その気にさえなれば万葉集の「醜の御楯」までさかのぼっても、いくらでも例を探し出すことはできるでしょう。
 そしてこれは日本人だけの「美質」などでは決してありません。「アラーは偉大なり」でも「皇帝万歳」でも「人民のために」でも、世界中で人間は戦って命を捨ててきました。そしてこれからもそのように戦い続けるつもりなのでしょうか。
 一人の作曲家が、その疑問をオペラとして世界に問うたのです。

「特攻とは何だったのか」を読む(1)

 作曲家の三枝成彰氏と経営ジャーナリストの堀紘一氏が、オペラ「KAMIKAZE(神風)」を制作するために資料を集め対談した成果を、文献としても残したいという趣旨で書籍化した異色の出版物です。PHPから2009年に出た単行本で、「日本人として忘れてはいけないこと」という副題がついています。
 この本は「みどり」さんが三枝氏の講演会で購入したものが、「深山あかね」さんに贈呈されて読書日記ブログ「山姥珍道中記」で紹介され、それを見た私が希望して回送していただきました。特攻隊とは何であったのか、私にもかなり身近に感じられるテーマであったからでした。
 国民学校6年生で終戦となり、卒業までの半年間ですが強烈な影響を受けた岩沢先生が、特攻隊帰りの海軍予備学生13期、人間爆弾「桜花」を抱いて行く一式陸攻の操縦士でした。師範学校在学中に志願して海軍に入り、出撃を待つ間に終戦となった虚脱の中から、草原で遊ぶ子供たちの姿を見て教師としての再起を決意するまでの心の経過を、晩年になってから差し向かいで話していただいたことがあります。
 特攻をテーマとした文学作品としては、阿川弘之氏の「雲の墓標」を、雑誌に連載中から毎回食い入るように読んだ記憶があります。この人も予備学生13期で、職種は情報士官でしたが、同期生の残した記録を読み込んで、ほとんど実録に近い特攻隊員の姿を描いていました。
 私は戦争に行かされる年齢ではありませんでしたが、「特攻」は私たちの手の届くところにありましたから、何となくわかっている身内の話のように感じていました。しかしこの本では特攻を「フェーズ1」から「フェーズ4」までの4期に分類しており、その論理的な構成が新鮮でした。客観的に見ればそうだったのかと納得することが多々あります。
 たとえば偶発的、自発的な捨て身の攻撃は、戦争の初期からありました。被弾した攻撃機が、帰還は無理と悟って敵艦に突っ込むなどです。それらは死を決した美挙として賞賛され、やがてそれが上官の公認する攻撃方法となって行きます。圧倒的な戦力差の下では、正攻法では戦果があげられなくなってきたからでした。そして正式な「特攻隊」の編成になるのですが、当初は「敵に有効な一撃を加えて有利な終戦を図る」という目的がありました。
 しかし相次ぐ作戦の失敗で戦局が不利に傾く一方になると、特攻を送り出すことそのものが目的化してきます。たとえば「桜花」は強力な破壊力をもつ兵器でしたが、運んで行く一式陸攻の掩護が不十分になってからの出撃では初回から全滅の憂き目に会い、結局は撃沈できたのは駆逐艦1隻に終りました。戦艦大和の「水上特攻」も同様でした。
 そして最終段階は、複葉練習機まで動員する「根こそぎ特攻」です。その思想は「一億玉砕」に直結しています。ですから特攻を軍事作戦として、いくら批判しても解明はできないのです。それでも、ある時期の日本人がそれを受け入れ、実行した事実だけが、厳然として残ります。

「函館市とどほっけ村」ブログの移転先

 函館の「かわぐち えいこう」(川口英孝)さんのブログ「函館市とどほっけ村」の移転先がわかりました。無事に goo ブログに移転して、過去記事もすべて引越しを完了しています。アドレスは
 http://blog.goo.ne.jp/choshibeach
で、タイトルは従来と同じ「函館市とどほっけ村」です。
 ぷららブローチの最終日である6月30日まで平然と従来通りの更新を続けられ、忽然として姿を消したのですから、これもまたお見事でした。ご友人に対策を託してあるとのことで、押しかけお手伝いは控えていたのですが、7月になってさすがに心配になり、以前にお訪ねしたときの記録が携帯電話に残っていたので電話してみました。「やってるけど入れ方がよくわからないみたいだ」という悠然たるお答えでした。
 ぷららは6月末でブログサービスは停止しましたが、過去記事のエクスポートは7月31日まで可能としています。私は念のため「えいこう」さんのエクスポートもしておいたのですが、結果的に不用でした。もし、ぷららブローチから新ブログへの移行はしたが、過去記事はあきらめて置いてきたという方がおられましたら、今月中はまだ間に合います。きちんと検索できる形で引越しが可能ですから、遠慮なくご相談ください。
 えいこうさんのいる函館市は、対岸の大間原発の建設凍結を求めて訴訟を起こしています。とどほっけは30キロ圏内にあり、えいこうさんは、もちろん原発反対の立場です。とどほっけ地区の町会長、そして函館市の町会連合会の場でも活躍しておられて、函館市の訴訟をめぐる動きのレポートは、非常に興味深いものがあります。市長は国と地方自治体との対決になるのではないかという質問に対しては、「市民の安全のために訴えているのであって、原発反対とも脱原発とも言っていない」と答えているのです。
 地方自治と国政との関連を、いつも海辺で働く住民の感覚で考えている「えいこう」さんです。また、北の海の風景を写真で紹介する「ビーチ美術館」の館主であり、海辺の味覚スポット「サーフサイド」を夫人とともに盛り立てる共同経営者でもあります。
 これまでと同じように「えいこう」さんの生活と意見、そして写真が見られるようになりました。コメントの入れ方などは少し変りましたが、訪問の楽しさが復活しました。

反戦・脱原発書道「拝啓関西電力様」

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 本日から7月23日まで(22日(火)は休館)、上野の東京都美術館で開催中の「第66回毎日書道展」に、「花てぼ」こと太田雪影さんが出品された青田恵子さんの詩「拝啓関西電力様」が展示されています。
 場所は2階「黄色エレベーター」を出て直近2番目の「90室」です。横に長い作品ですので、読みやすさを優先して3分割で撮影しました。画面をクリックすると、さらに大きくなります。
 書道は文字の書き方を通しての表現ですから、反戦や反原発の書道が当然あっていいと私は思っています。しかし長い伝統と「しきたり」のある書道界で、このような強い表現を出品したについては、門外漢にはわからない抵抗感があったり、勇気が必要だったりしたのではないでしょうか。自分の気持ちにまっすぐに行動できる書道家・雪影さんに、心からの拍手を送りたいと思います。
 私は「民主平和党」の「三原則の文字旗」を雪影さんに書いて頂きました。その ほか「脱原発」「護憲」「護九条」の書などをスタンディングやアピール散歩に使わせて頂いています。「脱原発」には力強い掛け軸もあり、これはご希望があれば貸し出しも可能と聞いたことがあります。
 それぞれが、できるところからの意思表示。美術館の中にもありました。

「日本共産党の深層」を読む(2)

 第5章は、今の日本共産党が、どのようにして政権与党になるつもりなのかを説明している。よく聞かれる共産党への批判として「永久に『確かな野党』でいるつもりだろう」というのがあるが、およそ政党なら政権についたときの構想を持たないわけがないし、他党と絶対に連立しない単独政権に固執しているわけでもない。しかし「共産党」という名前を変えるつもりのない頑固さはある。
 ところで「共産主義」というと「社会主義」よりもっと過激な革命思想を連想するのだが、これには世界の各地で非合法政党として弾圧されてきた歴史が反映しているだろう。「共産」は生産の共有だし、英語の commune は人間同士の親交に過ぎない。マルクスが立てた革命理論が、今にいたるまで一般の「共産党イメージ」を呪縛しているわけだ。
 そもそもマルクスの理論は文字通りに革命的だったのだが、その予言の大半は外れた。マルクスが正しければ、資本主義の発達した国、早く言えば先進国から順番に革命を起こして、共産主義社会に移行する筈だったのだ。ところが実際に曲がりなりにも「共産革命」が成功したのは、ソ連を始めとする後進国ばかりだった。そして共産主義の社会とは、マルクスの理想からは遠い恐怖政治の下で強引な経済発展をはかる「名ばかり共産国家」になってしまった。
 この事情は、かつてのソ連や現在の中国を見ればよくわかる。経済大国と呼ばれる中国も、国民一人当たりの所得では先進国の8分の1で、れっきとした発展途上国に過ぎない。自らも「社会主義を目指す途上の国」であることを認めている。つまり資本主義が発達した最後の形として現れる「共産主義の理想」を実現した国は、世界のどこにもまだ存在していないのだ。
 こう考えると、日本共産党の綱領が、世界のどこの共産党にもない独特のものだという説明に納得ができる。資本主義が発達しすぎるほど発達して、民主主義の諸制度も整っている日本だからこそ可能な共産主義(「共産」の字が嫌いな人は「社会主義」と読み替えても一向に構わない)社会への移行が構想できるのではないか。それは資本主義の欠点である資源の浪費と所得の偏在を是正する救済として立ち現れる可能性がある。
 日本共産党は、日本国憲法の諸原則を忠実に守り、天皇の地位も自衛隊の存在も、将来の国民の意思と討論に委ねるとしている。今の資本主義が永久不滅で人類の理想の姿だと思っている人は少ないだろう。資本を人間の幸福に奉仕するものとして制御する政治の力が世界的に求められている。共産党が得票10%の壁を超えて、与党として参加できるような状況になったら、日本は政治の先進国として世界をリードできるようになるかもしれない。
 世界最古の王朝である天皇制を保存したままで、共産党が政権与党として活躍する日本政府が実現したら、これは世界の奇観となる。私が生きている間に見られたら愉快だ。

「日本共産党の深層」を読む(1)

 「日本共産党の深層」(大下英治・イースト新書)を読んでみた。今年2月に出たばかりの新刊で、題名から想像されるような「真相暴露」的な色彩は全くなく、「今どき共産党公式ガイドブック」のように素直に書かれている。野党が雲散霧消しそうな心細い今の政治状況の中で、「たしかな野党」である日本共産党にどこまで期待できるのか、かなり疑問に答えてくれる本だった。内容は
第1章 日本共産党の現在
第2章 日本共産党秘録
第3章 戦後世代と日本共産党
第4章 しんぶん赤旗と党組織
第5章 共産党が目指す社会とは何か
からなっていて、とくに最後の章が興味深かった。
 一見してわかるように日本共産党の成り立ちと歴史や、党組織の特徴、最近の力点にいたるまで網羅しているのだが、それぞれの章に主人公として松本善明、市田忠義、穀田恵二、小池晃、畑野君枝、吉良よし子といった人々を聞き取り取材して立てており、あたかも「日本共産党スター列伝」のように読みやすい構成にしているのに感心した。
 日本共産党は、1922年(大正11)に非合法政党として結成されている。それ以来92年間、一度も断絶せずに同じ名前で存続している日本最古の政党である。日本の労働界にも政治・思想界にも大きな影響を与えてきた。しかしながら時代は変った、社会主義は過去の遺物になったというのが正しければ、遅かれ早かれ、日本共産党も「絶滅危惧政党」になって行く筈である。だが不利な小選挙区制にもかかわらず、共産党は存在感を保ちつづけて、昨年の参議院選挙では党勢の拡大を実現して見せた。
 その理由は、目ぼしい野党が見当らなくて票が流れたということがあったとしても、やはり共産党の掲げる政策には、支持されるべき理があったと見なければ説明がつかない。反原発、解釈改憲反対、消費税引き上げ反対、ブラック企業糾弾などの主張である。共産党の昨年参院選の比例区での得票率は、10%に近かった。この得票率は、10%の壁を超えて上昇する可能性があるのだろうか。
 これまでの共産党の「町の評判」は、「言ってることはいいんだが、本当に政権を取ることがあるのかね。結局は共産国家を作りたいんじゃないの」であり、その「共産国家」でイメージされるのは、旧ソ連や現在の中国、北朝鮮といった共産党独裁国家だったのではないだろうか。
 ところがそれは事実として違うのだ。日本共産党は、1961年に今の綱領の原型となる日本独自の共産党綱領を制定しており、そこには当面の目標として民主主義の徹底を掲げている。そして社会主義に進むかどうかは、将来の民主的な討論によって決めるべき事項としているのだ。
 だから共産党が信用できるかどうかは、「共産党が目指す社会とは何か」によってわかってくる。

眠れない夜明けに考えたこと

 最近には珍しく、夜中の2時過ぎに目を覚ましたら、妙に頭が冴えてそれっきり眠れなくなった。不眠はあまり気にしないで、「体の8割は休んでいるからいいや」と思うことにしているのだが、そのまま夜明けになってしまったのには、ちょっと参った。
 眠れない頭の中で大きな部分を占めていたのは、ネット上で見たガザの子供たちの死体が並んでいる写真や、街の上に傘を広げるように覆いかぶさる黄燐弾の映像だった。こんなことをしやがってという怒りの感情は、戦時中の連夜の空襲の記憶と重なる。東京の空襲では、味方戦闘機や高射砲への期待があったから、多少なりとも空の活劇を見るような高揚があったが、ガザでは敵機を狙う高射砲弾の炸裂もあるまい。敵機への憎悪は、もっと深いだろう。
 一発逆転への願望は、さまざまな妄想を生む。イスラエル軍の攻撃を確実に止めさせるために、彼らの所有する核弾頭を含むすべての弾薬を一挙に爆発させたらどうなるかを、かなり精密に考えていた。作戦中の飛行機はすべて空中で分解する。地上軍も海軍も同様に瞬時にして壊滅するだろう。すべての弾薬が消滅するのだから、小銃といえども発砲は不可能になる。
 核兵器はどの程度に備蓄しているか不明だが、10発程度としても、全部が同時に爆発すれば、イスラエル領内にかなりのキノコ雲が立ち上がるに違いない。半径どの程度か、いずれにしても緊急避難しないと生存できない放射能汚染地域が広がることになる。そうなったら対外の戦争をしている場合ではあるまい。自国民の生命を最優先に救わなければならなくなる。
 そのとき、周辺のアラブ諸国はイスラエルからの避難民を受け入れるだろうか。国境を閉鎖して自国の安全を第一に考えるかもしれない。イスラエル政府は、どのようにして周辺諸国の政府に、避難民の受け入れと救援とを要請するのだろうか。
 そんな荒唐無稽で役にも立たない空想をめぐらしているうちに、窓の外が明るくなってきたのだった。こんな空想はアラーの神といえども実現できないだろうが、暴力をもってしても支配し尽くすことのできないのが人間の心というものだ。人間をあんまり怒らせると、ろくでもないことが起きる。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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