志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2014年08月

鎮魂の月の最後に「英霊たちの遺恨」を思う

 「あの戦争」について、思い出すことの多かった8月の最後に、「護憲プラス」笹井明子さんの書いたコラムの言葉を反芻している。8月15日の戦没者追悼式で、安倍首相が述べた「戦没者の皆様の貴い犠牲の上に、いま私たちが享受する平和と繁栄があります」という式辞に、違和感を覚えたというのだ。
 笹井さんの叔父は、学徒出陣で戦死している。幼い頃から父親の後を継いで外交官になると決め、祖父からも大変期待されていたが、勉学半ばに学徒出陣し、21歳の若さで航空母艦「雲龍」と共にその命を海に散らしたという。その戦死を知らされたとき、気丈だと思われていた祖父は、正座したまま、いつまでも体の震えが止まらないほど悲しんだということだ。
 「尊いのは一人一人のかけがえのない命であり、戦争の犠牲はただただ理不尽で傷ましいばかりだということ、そして、平和と繁栄の努力を積み重ねられるのは、生きていてこそだということを、母たちが残した戦争の記憶と記録を拠り所に、何度でも語り、今とこれからを生きる人たちに伝えたいと思う戦後69年目の夏である。」と笹井明子さんは書いている。
 本当にその通りだと思う。戦争で不本意な死を強いられた人たちは、戦後復興のために働くことなど、何もできはしなかった。その人たちの死は、戦争を早く終らせるためにではなく、戦争を長引かせるためにのみ使われた。戦後の辛苦に耐えて復興をなしとげたのは、一億玉砕の号令にもかかわらず、運よく生き延びることのできた人々だったのだ。
 すべての責任は、国の行為としての戦争を主導した国家にある。その反省を忘れて「国のために身命を捧げた尊い犠牲」を礼賛する感覚からは、不戦の誓いが出てくるわけがない。国家危急の際には、また同じような犠牲が必要だと発想するだろう。
 紛争解決の手段として戦争を用いない、国の行為としての戦争は二度としないという憲法の原則が今後も永久に守られる場合にのみ、戦没者を「尊い犠牲」と呼ぶことが許される。憲法の原則をねじ曲げる現政権の首相には、そんな資格はない。

「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」を読む

 ネット上でちょっと話題になり、気になっていた本を読んでみました。「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」(金谷武洋・飛鳥新社の単行本)です。著者は正統派の日本語学者ではありません。カナダに在住して外国人に日本語を教えた経験を通して日本語の特性を発見し、カナダで言語学の博士号を取得した人です。日本語は世界一難しい言語だと思い込んでいた私にとっても、衝撃的な内容を含んでいました。日本語は世界を平和にする。これは本当かもしれません。
 とても読みやすい本です。「ありがとう」「おはよう」といった日常のあいさつから話は始まります。
「ありがとう」は、有り難いことである、珍しいほど貴重なことだと言って感謝しています。相手は誰でもかまいません。朝のお日さまでもいいのです。これを英語では「Thank you」と言います。省略されている私(I)が、目の前の「あなた」に感謝しているので、向き合う人間が確定しています。この「人間中心主義」ではない「ものごと中心主義」が、日本語の最大の長所なのです。
 この人間へのこだわりが、ヨーロッパ系言語を複雑にします。人称代名詞などというものを作り、人称が変ると動詞まで変えなければなりません。いつも人間関係に気をしています。それに対して日本人の会話は、向き合わずに並んで同じものを見ながら話を進めていくところがあります。愛情表現でも、英語では I love you.と間違いなく伝えなければなりませんが、日本語なら、並んでいるときに「好きだよ」とつぶやく方が信用されるかもしれません。
 よく日本語は主語が明瞭でないなどと言われますが、それは英文法を基準にするからいけないので、もっと「日本語は、これでいいのだ」と自信を持つべきだと、著者の主張は明快です。日本語は字を覚える読み書きは確かに難しいが、言葉を覚えて会話になると、とたんに楽になるというのは本当でしょう。発音もインシネーションもやさしく、動詞も形容詞も変化せず、若干の「テニヲハ」を覚えるだけですぐに応用ができます。世界的に学習者は増えると著者は予想しています。
 副次的にですが、逆に日本人が英語を話すときのコツも伝授してくれています。日本語で話すときの倍の声量で、やや高めに発音し、間違っても構わないから自信たっぷりに話せば、相手が補足して会話を成り立たせてくれるということです。これも大いに役立つでしょう。
 そして最後に、日本語はどうして世界を平和にするのでしょうか。そのシンボルになる例文が広島にありました。「安らかにお眠りください あやまちは 繰り返しませぬから」です。人間にとって大事なことは、これだけでいいのです。70年たったからではなくて、被爆の悲しみが消えない中で、日本人はこういう文面を碑文に残すことができました。
 誰が加害者で、誰が被害者だったのか。それを追求しない日本人は、だめな民族なのでしょうか。短期的にはそうかもしれません。それで損もしているでしょう。でも世界の未来のためには、「誰が」ではなく「何が」を問う日本語のセンスが救世主になる、これは本当のことです。

大芝健太郎の「住民投票で脱原発したドイツの町」の話を聞く

 昨夜の老人党護憲プラスの例会で、「旅するジャーナリスト」大芝健太郎氏の話を聞きました。1986年生れの好青年です。前半で2008年にドイツで作られた「シェーナウの想い〜自然エネルギーを子どもたちに」を上映しました。シェーナウはドイツ南西部の国境近くにあり、フランスの原発から30キロ圏内にあります。この小さな町の住民が自前の自然エネルギー電力会社を成功させるまでの記録で、大芝氏はそこを中心に滞在して取材してきたのでした。
 住民がこの問題に取り組んだきっかけは、チェルノブイリ原発事故でした。最初の運動は、町の電力供給を独占していた電力会社との長期契約を打ち切ることでした。この住民投票を成功させた運動は、家庭内の議論や戸別訪問を無数に積み重ねて行われました。この町の人たちにとっては、こういう問題で議論をするのは、ほとんど「娯楽」になっているという大芝氏の感想が、とても印象的でした。
 次の大きな難関は、従来の会社に代わる自然エネルギーの電力会社を自前で立ち上げることでした。安心できる方法は、それしかなかったのですが、素人集団には荷の重い仕事です。しかしシェーナウの事例は全国的に話題となり、多くの専門家が協力してくれました。たぶんドイツ全体としてのエネルギー政策も後押しになったのでしょう。町の議会は新会社との契約を承認しました。
 しかし旧勢力の巻き返しも激しく、新会社では停電が頻発するなど不安を煽る宣伝も行われました。差し止めの住民投票が提起されて、この2回目の住民投票が最後のヤマ場となりました。結果としてはこれも乗り越えて新会社は順調に発展して今に至っています。町にとっては納税額第1位の優良企業となり、全国的な自然エネルギー電力会社としても有数の位置にあるということです。
 ドイツと日本では、さまざまな事情が違うでしょう。たとえば送電線の買取りを含めた地域の電力事業の譲渡などは、ドイツだからできたことでしょう。住民投票で大事なことを決めるという習慣も、私たちにはまだありません。しかし根底にあるのは、住民が自分たちの関心事を議論して、自分たちで決められるところには、前向きの明るい人間関係がある、ということだと思いました。
 町を二分する大論争の記録であるのに、この映画にはデモ行進も人々の押し合いも出てきません。活発な会話と、時々インサートされるポスターや宣伝グッズが出てくるだけです。「頭を叩き割らないで、頭数を数えろ」という、民主主義の基本教材のようでした。
 「シェーナウの想い」が結実するまでには、10年の時間がかかっています。民主主義を育てるには時間も必要なのです。それでもいいから、日本にも民主主義がほしいと思いました。大芝氏は、この9月に行われる「スコットランドのイギリスからの独立の可否を問う住民投票」の取材に、現地へ行くということです。

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「戦争を語り継ごう」リンクとMLを今こそ活用しよう

 以前にも何度か紹介したことがありますが、戦争を語り継ぐための、すぐれた文献の集積があり、ネット上でいつでも無料で閲覧できます。「戦争を語り継ごう・リンク集」は、故・西羽潔さんが10年をかけて基礎をつくり、2010年の没後は、その遺志を継ぐ人々によって運営されています。
 現在538編のリンクがあるとのことで、内容は「軍隊」「銃後」「沖縄戦」「原爆」「終戦」「戦争責任」などに分類されています。私の「少年期の戦中と戦後」(後に「少国民の戦争」として書籍化)も入れて頂いており、紹介で追加した「平岡久『あの戦争あの軍隊』」とともに、リンク先を現在のブログに移転しました。
 このリンク集とともに、「戦争を語り継ごうML(メーリングリスト)」もあり、会員同士の情報交換の場となっています。これもトップページに案内があり、登録すれば無料で会員になることができます。毎日10件程度の会話があり、私の大事な情報源の一つですが、ここに「こんな話をもっと聞きたい」といった、若い世代が参加するのも意義のあることだと思います。
 最近の例では、中心メンバーの池田幸一さんが、日本の戦後賠償の問題について投稿しておられました。日本の対外戦後賠償は、総額1兆円程度で済んだのだそうです。連合国の大半が懲罰的な戦時賠償の要求をしなかったからでした。それに対してドイツは、東西に分割された困難の中でも、総額10兆円以上を拠出して周辺国との和解に努めたということです。そしてさらに、日本は対外的には「値切り」の姿勢であったが、国内の「戦時補償」には60兆円を投じているという驚くべき数字をあげていました。
 その大半の50兆円以上は「軍人恩給」です。以前にも私のブログで「軍人恩給は生きていた」の記事にしましたが、日本が独立を回復するとともに最優先で取り組んだのが軍人恩給の復活でした。そして「軍人の位」が反映する、上に厚く下に薄い給付の体系は少しも変更しなかったのです。この恩給は軍籍の長い者にしか適用されませんから、敗戦まぎわに過酷な戦場に投入された学徒兵や、家族と引き離された中高年兵には支給されません。また、朝鮮・台湾出身者も同じです。
 この軍人恩給は、戦後70年に近い今も、国家予算の聖域として支出が続いています。本人が死亡しても、遺族には「扶助料」という形で継続します。こうした事実は調べれば公然の事実ですが、一般にはほとんど知られていないのではないでしょうか。
 悲惨な経験を知る人たちが少なくなるとともに、戦争には負けなかったかのような雰囲気の復活が感じられる今だからこそ、これらの情報源を大切にしたいものです。念のため「戦争を語り継ごう」のアドレスは、以下の通りです。
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/

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唱歌「暗路(やみじ)」と「消えぬおもかげ」

 昔の音楽教科書によく載っていた「暗路」という歌がある。イギリスのライトンという人の曲で、近藤朔風の作詞で歌われ「ホトトギス」という題名でも知られる。

 おぐらき夜半を ひとり行けば 雲よりしばし 月はもれて
 ひと声いずこ 鳴くほととぎす 見かえるひまに 姿消えぬ
 夢かとばかり なおも行けば またも行くてに 暗(やみ)はおりぬ

 この歌詞を「訳詞」と表示している場合もあるが、元の作詞者カーペンターの歌詞は以下の通りで、恋人への追憶を歌っている。

Her Bright Smile Haunts me Still

'Tis years since last we met,/ And we may not meet again,
I have struggled to forget,/ But the struggle was in vain;
  For her voice lives on the breeze,/ And her spirit comes at will;
  In the mid-night on the seas,/ Her bright smile haunts me still.

At the first sweet dawn of light,/ When I gaze upon the deep;
Her form still greets my sight,/ While the stars their vigils keep;
  When I close mine aching eyes,/ Sweet dreams my senses fill;
  And from sleep when I arise,/ Her bright smile haunts me still.

この歌を鮫島有美子さんが「ローレライ・ヨーロッパ愛唱歌集」の中で歌ったとき、1番は「暗路」の歌詞で、2番は「消えぬおもかげ」の(1番の)歌詞で歌った。これが私が野ばら社版「世界名歌集(原詩つき)」のために1966年に作った歌詞だった。ネット検索すると「詳細不明」になっているのに気がついたので、ここに掲載しておきます。

 消えぬおもかげ(志村建世・訳詞)

1 わかれた人の おもかげ今も
  心なやます とおい旅路に
  風にきこえる その人の声
  波間に浮かぶ その人の顔
   払いのけても 去らぬおもかげ
   旅の空にも 消えぬおもかげ

2 夜明けも近く ひかる星かげ
  見上げる空の くらい深みに
  またもほほえむ その人の顔
  まなこ閉じれば 夢をなやます
   払いのけても 去らぬおもかげ
   旅の空にも 消えぬおもかげ
      
まことに、ある瞬間のある人の笑顔の記憶は、生涯を通して消えないものです。

ブログ連歌(379)

7559 疎開児の 物なき時代 語り継ぐ (みどり)
7560  父母なき暮らし 今も忘れず (建世)
7561 海山の 汚染深まる 今世紀 (みどり) 
7562  孫のその先 無事祈るのみ (建世)
7563 十五日 戦時の記録 目まぐるし  (うたのすけ)
7564  体験者去り 伝説と化す (建世)
7565 語り継ぎ 未来に生かす 人のあれ (みどり)
7566  遺言みごと 九十六歳 (建世)
7567 原爆の 本質知らずに 開発し (獣医さん)
7568  余熱で発電 やってもみたが (建世)
7569 ロシアだけ 戦勝記念は 9月3日 (獣医さん)
7570  半月の間に 南千島へ (建世)
7571 原爆に 劣らぬソ連の 非道振り (うたのすけ)
7572  勝てば驕るは 軍人の常 (建世)
7573 友は無事 広島襲う 豪雨あり (みどり)  
7574  天も怒るか 凶事多きは (建世) 
7575 列島を なぜにここまで 痛めるの
7576  猫に癒しを 情けなし我 (うたのすけ)
7577 人の世は 大変だにゃあ ぼくは猫 (建世)
7578  猫なで声で 終日猫と (うたのすけ)
7579 肥満猫 愛護過剰を 憂いおり (みどり)
7580  仔猫一匹に 大人六人 (うたのすけ)

猫のいる暮らし

 「うたのすけ」さんの家に猫が来たというので、わが家にも昔は猫のいた時代があったのを思い出した。妻は猫好きだったが、埼玉の草加団地に住んでいる間は、公団の規定もあるので無理だった。仕事を始めて隣接地に土地を買い、家を建ててからは「ミーコ」と呼ばれる三毛猫がいた。誰かから貰ったのか、拾った猫だったのかは覚えていない。きょう聞いてみたのだが、妻も娘も知らないと言っている。
 とにかく子猫のときから「ミーコ」はいて、娘たちは小学生だった。おもに面倒を見ていたのは妻だと思う。ちょうどその時期に「主婦になってみた男の二週間」という記事を書ており、そこに「主婦になってみると、猫が廊下を汚したのまで自分の責任になる」と書いた記憶があるからだ。しかしトイレは決まった場所を守るし、基本的に人といっしょに屋内で暮らしていた。
 子猫がちょっとした物にも反応してじゃれる姿には、本当に楽しくてたまらないという感じがある。小学生の娘には、いい話し相手でもあった。「さっき教えてあげたでしょ、もう忘れたの」などと抱き上げてお説教をしていることもあった。雷雨の日に、ガラス越しに外を見せてやりながら、「これがカミナリって言うんだよ」と教えていた姿が忘れられない。娘も猫も、かわいい盛りだった。
 この「ミーコ」だが、子ができるのを心配するほどには長生きしなかった。2年ぐらいはいたと思うのだが、あるとき固い魚の骨を、喜んでバリバリ噛み砕きながら食べていた。たくましいものだと感心したが、それが結果的に良くなかったらしい。翌日に少し血を吐いて、食欲をなくしてしまった。時間をかけて消化すれば直るかと様子を見たが、獣医のところへ行ったときは、もう手遅れだったらしい。
 弱った体でもトイレを使い、自分の寝所で寝る律儀さが哀れだった。次の朝、気がついたら階下の和室にある堀こたつの中で、熱源の近くで固くなっていた。なぜスイッチの入っていないこたつに入ったのかは、わからない。長女はいつまでも大粒の涙をこぼしていた。遺骸は庭の南の隅に埋めることにした。大きめの穴を掘って、柔らかな土に寝かせた。妻と娘たちは、草花で大きな花輪を作って最後に載せた。まだ周辺には広い農地が残っている時代だった。
 それから半年ほどしてから、2匹目の「どんべえ」という茶色の猫を飼うようになった。この猫も、どこから来たのか今は誰も覚えていない。「ミーコ」とは対称的に、のんびりした猫で、鈍感なことから名がついた。暗い部屋の中で走って、猫のくせに夜目がきかないのかピアノの足に衝突して「ぎゃっ」と悲鳴をあげたので、あきれたことがある。
 この「どんべえ」は、東京の中野の家まで連れてきた。このころから家の仕事は忙しくなってきた。娘たちは中学生になった。「どんべえ」は誰からもあまり関心を持たれなくなり、家の柱で爪とぎをするような悪さ(猫にとっては大事な本能)が目立つようになってきた。そしてやむをえず、ある時からいなくなった。その事情はここにも書かない。周辺を探した長女も、やがてあきらめて、本気で高校の受験勉強にとりかかった。

叶静游(和田静夫)さんの五行歌「危ない!」より

 叶静游さんからの「残暑お見舞い」に添付されてきた「五行歌」109首の中から、いくつかをご紹介します。この5月15日から7月1日にかけて作られたもののようです。

強制された
教育勅語と
軍人勅諭から
解放されて69年
また重苦しい足音が響く

憲法の死文化に
まっしぐら
時の政権が
勝手に解釈して
よい筈がない

大切な時間が
過ぎてゆく
大切な一つ一つを
急ぎ
伝え残す

税金は払った
投票もした
だから後はおまかせだ
そんな無責任な消費者は
本当の主権者ではない

小競り合いが
大きな戦争になる
相手を殺せば
逆襲され
殺される

今の平和は
沖縄の犠牲の上にある
集団的自衛権行使は
また沖縄を危険の
最前線に立たせる

徴兵制度に縛られ
昭和を生きた一人が
言い残す
殺し殺される駒に使われた
あの不条理は闇だった

今なし得ることは何か
残酷な戦時を語ることだ
培った平和の地平を
素知らぬ顔で乱す
恥知らずな歩みに抗う

抑止力をたかめるとは
限りない軍拡競争に
踏み込むことだ
人間はそんなに愚かなのか
歴史の繰り返しを許さない

(叶静游・和田静夫さんは、1926年生まれ、私より7年先輩の87歳です。)

NHK東京児童劇団の公演を見て夏が終る

(熊さん)ゆうべはお孫さんの劇団の公演を見に行ってたんでしょ。なかなかいい劇だったそうじゃないですか。
(ご隠居)毎年夏休みの終りに公演があるんだが、今年は「見習い天使のオトシモノ」というミュージカル(園田英樹・作 甘楽考治・演出)だった。いちばん年下の孫の男の子も高校2年生だからね、おそらく最後の舞台だろう。主役じゃないがちょっといい役で、歌も歌ってたよ。幼稚園時代から入ってた劇団だが、それなりに楽しんでたようだから、いいんじゃないかな。もともとタレントを養成する劇団じゃないし、思ったより堅実というか、学校に近いような雰囲気だったと思うよ。
(熊)小学生のころに大河ドラマ「新撰組!」の剣道場で、稽古してる子供たちの中で「ヤァ、ヤァ」って打ち合ってましたっけね。で、今度の劇は、どんなんだったんですか。
(隠)筋立てがちょっと面白いんだ。若い戦場カメラマンが、弱った小鳥に気をとられて、うっかり地雷を踏んで死んでしまった。ところが天国に行く筈の魂が行方不明になって、見習い天使が探しに行かされる。若者には恋人がいて、クリスマスに会う約束をしてたから、死にきれなかったんだな。そこでみんなが振り回されるんだが、不登校で屋上から双眼鏡でみんなを見ていた生徒、これが孫の役なんだが、ヒントになることに気がついたりする。
(熊)ちょいとミステリー的で、いいじゃないですか。
(隠)若者の魂は、恋人の友だちの女の子の中に入ってしまったから、女だか男だかわからない変なことにもなる。しかし約束を守りたい真情から、最後はすべてを打ち明けて愛の告白をすると、そこで呪縛が解けて魂は本来の天国に行けることになるんだ。見習い天使もようやく合格になるんだが、魂が天国へ行けるのは、現世の人と別れるときでもあるんだね。
(熊)うーん、ハッピーエンドのようでも、ちょっとジーンと悲しいですね。
(隠)そこがいいんだよ。団員は幼稚園から高校生までいるから理解力には差があるだろうが、「いま」を生きることを大切にしようと大合唱してフィナーレになった。今年の演出は団員の発想を積極的に取り入れたそうで、子供たちは例年より生き生きしているように見えたね。孫の卒業公演としても、よかったと思った。
(熊)ご隠居夫婦のアイドルだったあの坊やが高校生か。
(隠)年寄りは年をとるわけだよ。大木晴子さんは「人は二度死ぬ」と思っているそうだ。一度目は体が死んだときに、二度目は人の心から消えたときに死ぬということだと思う。だから、いつまでも死なない方法はあるが、それを決めるのは本人じゃないんだな。わしはいつまで生きていられるかな。
(熊)とりあえず、おいらが生きてる間は大丈夫ですよ。

辺野古でも新宿西口でも「海を守れ」

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 土曜日の夕方ですが、大木晴子さん以下5名の西口メンバーが、辺野古での抗議集会に参加するため沖縄へ飛びました。新宿西口では、午後5時からは地上で、6時からは地下広場で、いつものようにスタンディングを行いました。

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 全員が沖縄へ行けなくても、辺野古の海を守りたい気持は同じです。これが大木晴子さんの言う「個と個が繋がる」ということだと思います。きょうの辺野古の集会には、4000人が集まったと聞きました。私はまだ現地へ行ったことがないのですが、おそらくこれは驚くべき人数でしょう。
 海上保安庁は、海を埋め尽くすような船舶・舟艇を動員して、米軍の沖縄上陸作戦を思い出させるほどであったというレポートがありました。日米同盟軍が沖縄県民の海を奪いに来ているとしたら、これはあまりにも非対称な戦いです。それでも抗議する人々の声を封じることはできません。カヌーは自由な海を求めて進むでしょう。
 何で今ごろ新しい基地を、海を埋め立ててまで作らなければならないのか。この根本的な疑問に、責任をもって答えられる政治家は、ついに現れませんでした。責任者のいないまま、沖縄での戦争は、まだ終らずに続いています。

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 久しぶりにカメラを持って行ったので、地下の禁止事項を確認してみました。JRは地下広場とは無関係のようです。地下広場の全体が小田急新宿駅の「駅構内・通路・出入口」というのは無理があります。地下広場で歌ったら何の法律にふれるのか、試してみるのもいいかもしれません。

「96歳の遺言」〜80代の「ばーば」が聞き書きした電子絵本

 「八十代万歳!」のブログを書いておられる中谷久子さんが、入院先で知り合った96歳の先輩の「遺言」を聞き書きしてブログに載せました。すると、ボランティアのプロたちが集まってきて、電子絵本として公開する運びになったという、「現代の奇跡」を象徴するような作品です。

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 遺言の主である久米ぁ覆韻ぁ砲気鵑蓮∈鯒のうちに亡くなられたとのことです。遺言は孫たちひ孫たちに宛てたものですから、やさしい言葉で、漢字にはルビつきで書かれています。久米い気鵑賄豕の下町育ち、中谷久子さんは山の手育ちで、文中には、お二人の会話もあります。
 この絵本、営利目的でなければ、どのように拡散してもらっても結構とのことです。無料ですぐに読めますが、ダウンロードして印刷し、紙芝居のように読み聞かせもできるでしょう。とにかく内容をごらください。
http://96sainoyuigon.jimdo.com/
 なお、中谷久子さんのブログも、全体がすばらしい文献です。80歳90歳になっても忘れられないのは戦争の体験です。誰かが語り継ぎ言い継いで行かなければなりません。私も見習わなければなりません。世界から戦争を根絶するために。

小西誠の「日米安保再編と沖縄」を今にして読む(2)

 小沢一郎が唱えた「国連安保論」は、ユニークなものでした。国際紛争の解決は国連の任務とすべしという「正論」でしたが、国連軍に参加するのであれば、自衛隊の海外派兵も憲法違反にならないとする危うさも秘めていました。しかしアメリカからの自立を志向する点では、鳩山首相の「東アジア共同体構想」と通じるところがありました。政権交代が視野に入ってきた時期に「アメリカの第7艦隊さえあれば、日本への常時駐留は要らないのではないか」という問題発言を残しています。
 普天間基地については、その危険性は以前から知られていました。そしてアメリカの世界戦略見直しにともなう海外基地再編の構想からも、海兵隊のグアムへの集約が計画されていました。ちなみに海兵隊とは、陸海空軍に直属しない「第4の軍隊」で、自立した陸海空戦力と輸送能力を持ち、緊急時に世界のどこへでも派遣される先制攻撃部隊です。その基地は沖縄以外はすべてアメリカ本土にあり、沖縄に置かれているのは、日本による手厚い「思いやり予算」で優遇されているからでした。
 しかし鳩山・小沢コンビが実際に政権についたとき、日米制服組と外務官僚の警戒心は、極度に高まったに違いありません。ソ連崩壊のあとは中国を封じ込めるというアメリカの世界戦略に破綻が生じるからです。その危惧をどこまで認識していたのか、小沢一郎は大勢の国会議員団を引き連れて中国を訪問するなど、大いに「日中親善」のムードを盛り上げていました。
 その小沢一郎には、執拗な「政治と金」問題が再提起され、その後「強制起訴」といった異常な手段もとられるようになりました。それと平行して、鳩山首相を追い詰めたのは普天間移設問題でした。小西誠氏がこの本を書いた時点では、政権党与党の実行力への期待、ないしは応援の気持があったことでしょう。普天間は移設しなくてよろしい、日本国民の意思が強く表明できれば、普天間を一方的に閉鎖できると示唆しています。そこから、アメリカ主導の安保再編を根底から見直す機運が生れることを、期待していた気持が伝わってきます。
 鳩山政権が倒れたあと、菅直人は普天間の県外移設を口にすることはありませんでした。本来なら、担当者が変ったから、また最初からやり直すとも言えた筈です。一人の首相が倒れても、次の首相もまた同じことを言う、それくらいの執念があれば、アメリカと結託した官僚を動かすことも少しは出来たかもしれません。しかし菅氏が進めたのは四方と妥協する道でしかありませんでした。
 鳩山政権の挫折は、政権交代への国民の期待を急速に冷ましてしまいました。政権交代に何を期待していたのか。国民もまた、時流に流されて方向感覚を失ったのだと思います。何度倒されても真の国益を求めて立ち上がるような、したたかな政治家と政党を育てることが、私たち有権者の責務であったのです。

小西誠の「日米安保再編と沖縄」を今にして読む(1)

 「今にして読む」としたのは、この本が出たのが2010年の4月だからです。このタイミングが何を意味するかというと、鳩山政権が普天間基地移設問題で行き詰まり、小沢一郎とともに政権を投げ出す直前に当ります。当然ながら、著者は民主党政権による日米関係の新展開を予想して原稿を書いたに違いありません。もし順調なら、この本は「最低でも県外」と約束した鳩山首相を、力強く支える論拠を提供したことでしょう。そう考えると、「あるべかりし日米安保と沖縄の姿」を描いた貴重な文献のように思えてきました。
 「日米安保再編と沖縄〜最新沖縄・安保・自衛隊情報」(社会批評社・1600円)は、帯紙に「アメリカ海兵隊の撤退論」と大書し「普天間問題で揺らぐ日米安保・その背景の日米の軍事戦略を読み解く」と解説しています。また巻末には、日米安保に関する共同宣言、報告書、防衛大綱、ロードマップ、協定、声明などの基礎資料が採録されています。
 この本の前半部分は、先日紹介した同じ著者の「自衛隊そのトランスフォーメーション」と大筋で重なります。つまり冷戦終了後の空白期を経て、アメリカの軍事関係者は「テロとの戦い、対ゲリラ非正規戦、東北アジアから北アフリカに至る『不安定な弧』の不測の事態」という「新しい脅威」の創造に向かいました。軍人および軍需産業は、常に新しい脅威を必要とします。脅威がなくなれば、地位も権力も企業の存続も不可能になるからです。
 日米関係で言えば、冷戦がなくなれば日米安保は不用になるのが順当な成り行きでした。だからこそ再定義して「日米同盟」に強化する必要があったのです。この同盟強化は、日米の制服組と保守政権の下で、着々と進められてきました。北方への備えから南西方面重視への変換が進み、「周辺事態法」などによって台湾海峡の有事にも自衛隊が協力する態勢が組まれてきました。そうした中での沖縄普天間基地の移設問題であったのです。
 ここにはもはや「日本の独立と平和を守るための日米安保」という思想は存在しません。ひたすらにアメリカの世界戦略に協力し、同盟国として貢献するという立場があるだけです。しかし国民のすべてがその政策を支持したわけではありません。民主党に政権交代を起こさせた期待の中に、日米中が正三角形になるという「等距離外交」の公約があったことは確実でしょう。
 しかし鳩山・小沢コンビの新政権にとっては、確立されたアメリカの世界戦略に抵抗することは、あまりにも荷の重い仕事でした。外交と軍事の方針を変えるのがどれほど難しいか、私を含めて、国民の理解も足りなかったと思います。

NHKスペシャル「長崎原爆の衝撃波」と「狂気の戦場・ペリリュー島」を見た

 昨夜から今朝にかけて放送された2本の番組を、一部は録画しておいて見ました。ペリリュー島の戦いは、孤島玉砕の一つとしか思っていませんでしたが、守備隊が安易な「バンザイ突撃」を避け、敵の消耗をはかる「長期持久戦」に転換した最初の戦場であったことがわかりました。1万名の守備隊と、攻める米軍海兵隊1万7千は、いずれも精鋭部隊だったとのことです。
 米軍のレイテ上陸の拠点として選ばれた島でしたが、戦闘が長期化するうちにレイテ作戦が始まり、後半では半ば「忘れられた戦場」となって、両軍の殺し合いのみが2ヶ月以上も続きました。日本軍の生存者は終戦後の投降を含めて約200名のみ、米海兵隊も、史上最悪の死傷率を記録したとのことです。洞窟にこもる日本兵への火炎放射など、「殺し尽くすまで抵抗をやめない日本軍」への戦法は、このあと硫黄島や沖縄でも繰り返されることになりました。
 長崎に投下された原爆は、核兵器の本命とされたプルトニウム型でした。アメリカとしては、ぜひ実戦で使ってみたい動機があったと言われます。この投下に際して、爆発の高度が問題でした。爆発の衝撃波が破壊力の主力になるので、なるべく多くの人を殺すには、高度何メートルが最適かということです。爆心地に圧縮された衝撃波と、上空からの衝撃波が合体して横に広がるマッハステムという現象が知られていました。最適の高度500メートルのとき、爆心から500メートルの地点から破壊力が最大となり、同心円状に広がるのでした。
 この500メートル地点にあったのが、鉄筋コンクリート製の「旧・城山国民学校」の校舎でした。当時は工場として使われ、女子挺身隊が働いていました。衝撃波は、爆発後0.9秒ですべての窓と一部の壁を破壊し校舎を突き抜けています。生存者は、ほとんどいませんでした。
 アメリカ軍は戦後ただちに長崎に入り、詳細な記録を残していました。そのとき部屋にいたすべての人の位置と、即死、事後死、生存の別および死因とを見取り図に示しています。全員に記号と番号をがつけられており、照合すると誰がどうなったかがわかるのでした。番組では、この取材で初めて親友の運命を知った人も登場していました。
 あくまでも科学的に効果的な原爆の使い方を研究して、その成果を記録に残したアメリカの、誰にどのような倫理的な責任を負わせるべきなのでしょうか。戦争が国家の事業として行われるかぎり、同じようなことは、これからも起こるのではないでしょうか。城山小学校の生徒は、今も登校のときに、保存されている旧校舎前の慰霊碑に礼をして通ります。この子たちが大人になっても、同じでしょうか。

小西誠の「自衛隊そのトランスフォーメーション」を読む

 先月の老人党護憲プラスの例会(「自衛隊員はどこへ行くのか」の記事にしています)で講師になっていただいた小西誠氏の「ネタ本」だった本で、2006年の発行(社会批評社・1800円)です。当時から言われていた「日米同盟の深化」に伴う自衛隊の変質を、公開資料や「自衛官人権ホットライン」を通して入ってくる情報を駆使して、詳細かつ包括的に説明しています。
 当時進行中であった自衛隊の変容は、仕上げの段階に入りつつあるというのが現状でしょう。言うまでもなく冷戦時代までの自衛隊の仮想敵国は旧ソ連でした。北海道にソ連軍が上陸してくることを想定して、戦車や火砲を中心とする主力部隊を展開していました。海上自衛隊のP3C哨戒機も、ソ連の潜水艦隊をオホーツク海の中に封じ込めることを目的として、国防のためには不似合いなほど多くの機数を配備していました。
 この状況がソ連の崩壊によって緩和したのですが、アメリカにはその後「テロとの戦い」という新しい大義名分が登場し、アメリカによる一極支配を目指した世界戦略が推進されることになりました。これに合わせて唱えられたのが「日米同盟の深化」であり、自衛隊の再編成です。大局的に言えば北方から西南への備えの移動であり、仮想敵国をソ連から中国へと変更することでした。
 それと同時に重視されるようになったのが、対テロ・ゲリラに対応できるコマンドウ作戦です。敵国との従来型総力戦の可能性が低くなったのに対して、こちらの小規模機動作戦は、ますます現実味を増してきました。これを内部にいる自衛隊員から見ると、主力装備は削減され人員も減少する中で、ハイテクの兵器の使いこなしや、相手の見える近接戦の技術習得を要求されて、ストレスが強くなる傾向が避けられません。隊員の自殺率の高さは、一向に改善されません。
 著者は自身の体験を含めて、自衛隊の隊内では「憲法に保障されている基本的人権を感じることができない」と言います。身分は公務員であるにもかかわらず、「危険をかえりみず任務を遂行する」との宣誓における「賭命義務」が強調されて、上意下達の一方通行の体質が強固に固まっているというのです。自衛隊の中で内部告発のシステムを作っても機能する筈がないとして、第三者中立のオンブズマン制度の導入を説いています。
 ところでこの自衛隊の再編成で、日本の安全保障は強化されるのでしょうか。著者の結論は明快でした。軍備の充実で国が安全になることはありません。相手国もそれに対応してくるからです。話し合いのルールを作り軍備を削減することでしか隣国との関係は安全になりません。自衛隊は果たして、創立から解散までの全期間を通して一発も殺人のための発砲をしなかった軍隊として、栄光の歴史を全うすることができるでしょうか。

辺野古の海上抗議行動と海上保安庁の規制

 この14日から始まった辺野古沖での工事準備をめぐる抗議行動で、海上保安庁による規制の方法が問題になってきた。ふだんは海上における人命救助や消火、交通安全などに活躍する海保だが、こうなると「海の警察」としての犯罪防止、違法取締り、騒乱制圧などの実力行使の側面が前に出てくる。
 海上保安庁は全国を11の管区に分けて海上保安本部を置いており、沖縄は第11管区として一県だけで独立している。海上保安庁は、全体でも定員1万2千人ほどの組織だから、それほどの巨大組織ではない。今度のような重点配置をするときには、他の管区からの応援も受けるのだろうか。警視庁の機動隊のような、治安対策に特化した部隊は持っていないようだ。
 海上保安庁の発足は、海上自衛隊よりもずっと早かった。発足のときに「軍隊ではない」ことを明示している。ただし巡視船は領海侵犯の外国船などにも対応しなければならないので、機関砲程度の武装はしている。しかし実力が不足する場合は、海上自衛隊に「海上警備行動」を要請することができ、この場合の自衛隊は「警察行動」に協力することになっている。
 今回の抗議行動のレポートや写真をいくつか見たが、小さなカヌーを大型のゴムボートで取り囲んで実力排除に出たようだ。規制区域の侵犯かどうかも告げずに、乗り移って身柄を拘束された例もあるようだが、事情を聞かれた程度で帰されているから、現行犯逮捕ではなかったらしい。しかし今までにあまり例がないだけに、弁護士などの協力も得て、海上での人権侵害事件を防ぐよう、支援の態勢を整える必要があるように思われる。
 海上では自然条件が厳しいから、過剰な規制は危険をも生む。15日には、帰港しようとした抗議船が通常の航路通行を拒否され、波浪の高い外海への迂回を余儀なくされたところへ急な雷雨に会い、視界ゼロになって危険を感じたということだ。監視についてきた海保の船に位置と方位を教えてほしいと頼んだところ、侮蔑的な言葉を浴びせられ、海難の申請をすれば曳航してやると言われた。船長は乗船者の安全を第一に考えて屈辱的な条件を受け入れ、上陸後に「事情聴取」を受けたと報告されている。
 身を挺して海難事故から人命を救う海上保安官の活動とは、ずいぶんイメージの違った海保の活動が沖縄では始まっているようだ。権力の行使者として国民と対峙する海保の姿が立ち上がってくる。政治の無理が新しい悲劇を生むことのないように、関心を持ち続ける必要がある。

「憲法崖っぷち供1969年新宿西口地下広場」トークイベントに行ってきた

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(ご隠居)例のトークイベントに行ってきたよ。なかなかいい会だったな。
(熊さん)ご苦労さん、ご隠居の話は、うまく行きましたか。
(隠)どうやら思ったことが言えたかな。開会の前から記録DVDの映写が始まってたし、ドキュメンタリー映画の歴史みたいなところから始めたから話しやすかった。じつは家を出る前に、連れ合いを前にリハーサルをしてたんだよ。そしたら珍しく途中から長女が通りかかって、最後の一分間だけ聞いて派手に拍手してくれた。それで、やれそうだという気になれたかな。
(熊)例の時代もののカメラを持って行ったんでしょ。
(隠)やはり珍しいから面白かったようだね。ちょいと格好よかったよ。昔と今とで撮影の感覚が全然違うことは、わかったろうね。それで、昔のドキュメンタリーは頭にストーリーを描いて、それに沿って画面を揃えて行った。今のドキュメンタリーは、あるがままの現象を見つめて、その中からテーマを浮き上がらせる方法になってきた、という話をしたんだ。すると1969年の映画は、その両方を兼ね備えた、貴重な過渡期の作品ということになる。
(熊)そういう歴史的な位置づけができるわけですね。
(隠)だけどそういう技術論だけで終ったんじゃ味気がない、と思って三日ほど考えたら、出来合いの文脈で教えられる映画よりも、見た人が自分で考えて結論を出す映画の方が、見た人の記憶に深く残るだろうということに気がついたんだ。これなら映画論を離れても、人間形成の一般論として通用する。それで最後の一分間の締め方が、わかったような気がしたんだよ。
(熊)なーるほど、その結論が、伝わりましたか。
(隠)伝わった、と思うよ。終ったあとで、そう言ってくれる人が多かった。だけど私の話は全体の前座だよ。私の後には「べ平連」事務局長だった吉川勇一さんが、あの時代のファッションとかイラストとか、郵便番号制度の導入と反対運動との関係とかを、生き生きと話しておられた。そしてやはり、三上智恵監督の沖縄レポートが圧巻だったな。なにしろ現在進行中の辺野古の海に昨日までいた人の報告だからね。憲法崖っぷちの、まさに最前線の状況が、よくわかった。見通しは厳しいけれど、沖縄ならではの人間的な抵抗の方法もあるんだね。誰も負けたなんて思ってない。あと、若い人たちへの運動の伝承ということも話題になった。
(熊)政治の圧力をはね返す秘策はありますかね。
(隠)秘策も神風もないよ。個人がやれることをやっていれば繋がりができる。そこから未来が出来てくるのさ。

終戦記念日に思うこと

 8月15には「戦没者追悼式」が国営で行われる。内閣総理大臣が「弔辞」を述べ、天皇も「お言葉」を述べて献花し祭壇に一礼する。近くの靖国神社では右翼の宣伝カーが大声をあげ、やや静かな千鳥が渕の戦没者墓苑に参拝する人も、いつもよりは多いことだろう。
 「内田樹の研究室」には「終戦記念日に」と題する一文が掲げてあった。
http://blog.tatsuru.com/2014/08/15_0918.php
戦後69年にして日本の憲法第9条は事実上廃棄されたと述べているのだが、そのあとに日本国民への慰めの言葉がある。集団的自衛権によって日本が再び戦争のできる国になっても、それはアメリカの下働きとしてなのだから、実際に参戦して悲惨なことがあっても、「文句があるならアメリカに言ってくれ」と言い訳ができるというのだ。
 これは日本人の「戦争責任のとり方」に、とてもよく適合している。東京裁判でも、日本の被告は誰ひとりとして「自分が戦争を企画して推進した」と言うものはいなかった。裁判に顔を見せなかった天皇を始めとして、首相経験者も閣僚も軍の指揮官も「自分は平和を願っていたのだが、心ならずも時代の勢いに押されて決断せざるをえなくなった」と弁解したのだった。
 私たちの前には、まだ「改正」されていない日本国憲法がある。この憲法は「戦争の世紀」からの決別を決めた世界的合意の中で制定された。戦争は人間の手に余るほど巨大になり文明そのものを破壊するまでになったから、紛争解決の手段としては使わないことにしようと決めたのだ。戦争が文明を進歩させ、近代国家の成立に役立った時代は、過去のものになったのだ。
 日本の憲法は、時代に合わないのではなくて、時代が少しだけ遅れていると気がつくと、何が間違いで、今はどうすべきかが見えてくる。国家同士の通常戦力による総力戦は非現実的になった。それ以上に非現実的なのは核戦争で生き残る戦略で、備蓄弾頭の10%を使うだけで地球に人は住めなくなる。これから必要なのは地域紛争を抑止するための軍事力に限られる。それ以上の軍事力は無用の長物となり、軍人は失業を運命づけられている。多少の変動があろうと、この大筋に間違いはない。
 これは高遠な理想でも何でもない。人類にとって「そうなるしかない」未来の姿なのだ。
 今さら戦没者に詫びることも、感謝することもないと私は思っている。せめて、世界でもっとも先進的な憲法を持っている私たちが、世界で最後の戦争に巻き込まれる愚かな道へ踏み込まないことを祈るばかりである。
 きょうの沖縄はどうなっているのだろう。辺野古の海を埋めて、新しい基地を作ったりしてはいけない。

ブログ連歌(378)

7539 ヒロシマに 毎年同じ あいさつし
7540  過ちを繰り返えそうとする DNA (獣医さん)
7540B  安らかに 眠れるわけもない (獣医さん)
7541 核の傘 広げる国と 同盟し 
7542  地球分割 わがもの顔に (建世)
7543 宇宙船 碧い地球を ひたすらに (みどり)
7544  まだ間に合うぞ 核廃絶へ (建世)
7545 トルストイ まだ戦争してると あきれ顔 (獣医さん)
7546  書きたくもなし 「戦争と破滅」 (建世) 
7547 自衛権 お前が悪いと いうばかり (獣医さん)
7548  それで通れば 外交要らぬ (建世)
7549 台風の もたらす被害 悲惨なり
7550  なれど空爆 ロケット砲よりは (うたのすけ)
7551 偏りの 情報の裏 秘密あり (みどり)
7552  暗雲晴れず 嵐は去るも (建世) 
7553 厳重に 抗議の二文字 ただ空し
7554  北方領土で 軍事演習 (うたのすけ)
7555 国後を ロシア領とは 無理がある (建世)
7556  領土領海 広けりゃいいの (うたのすけ)
7557 再びの 戦前空気 終戦日 (みどり)
7558  鎮魂ならぬ 招魂の夏 (建世) 
7559 疎開児の 物なき時代 語り継ぐ (みどり)
7560  父母なき暮らし 今も忘れず (建世)

辺野古の海に分離壁を立ててアメリカへ献上するつもり

(熊さん)ご隠居、見ましたか。辺野古の海でブイの設置というのが始まったようですよ。
(ご隠居)ああ見たよ。海に黄色い浮標というのを浮かべて、その間をロープでつないだ赤いフロートを並べて仕切りを作ってるんだな。抗議する人たちがカヌーで近づくのを、海上保安庁の動力ゴムボートがトラメガで警告しながら規制してる動画がネットに出てるよ。海の中に塀を立てる代わりに、フロートで仕切って「立ち入り禁止」にしようってわけだ。
(熊)ボートでも泳いでも、中に入ったら捕まるんですかね。
(隠)基地の塀と同じように、警告を無視して入ったら「米軍基地に侵入した」ことになって、日本の警察が取り締まることになるようだよ。以前に測量と試掘をしようとしたときは、反対運動の船に囲まれて作業ができなくなり、作業台を撤去した経験があるそうだ。だから今回は米軍基地を海の中にまで拡張して、邪魔されないようにしようって算段だろう。ガザの分離壁と同じだよ。気に入らない連中は隔離すればいいという発想だな。相手を人間だと思わない。没交渉になりたいってことだ。
(熊)地元の人の気持ちとか、自然保護への心配なんかも、聞く耳はないってことですか。
(隠)中央の政府が決めたことだから、地元には力づくで押し付けてかまわないという態度だな。成田空港のときと同じだよ。以前のブログでこういうのを「苛政」と書いたが、歴史をさかのぼれば、沖縄の県民は戦時中に「本土の捨石にする」という苛政のおかげで、軍人の数を上回る民間人を犠牲にさせられてしまったんだ。その記憶も癒えない沖縄で、またこういうことが起きるんだから無関心ではいられない。本土からも新宿西口からも、大勢の人が応援に行ってるよ。
(熊)でも、仕切りができちまったら、反対運動もやりにくいでしょう。
(隠)さあね。金にも動かされないで、平和と自然を守る運動を、ずっと続けてきた人たちの意志の力を見くびったら間違うよ。海面にブイやフロートが並んだって、その下をくぐるのは、分離壁の下を掘るよりは簡単だろうさ。非暴力の抵抗運動には、いろんなやり方があるんだよ。5人10人で基地に入ったら捕まって終わりだが、「千人万人で入ったら、基地の方が出て行くさー」と、歴戦のおばあが語ったと聞いたことがあるよ。民意は強いんだ。秋には沖縄県知事選挙もあるしね。
(熊)今さら基地の新設なんておかしいと、おいらも思いますよ。
(隠)そうだよ。アメリカの海兵隊は日本の安全にも平和にも役に立ちはしない。普天間から出て行かせるだけでいいんだ。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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