志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2014年12月

「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」を読もう

 大晦日らしい記事で一年を締めたいところですが、この正月休みの間に、日本国民ならぜひ読んでおくべき資料を「読谷の風」さんのブログで教えて頂きました。書店へ行く必要も、図書館に申し込む必要もありません。インターネットにつながるバソコンがあれば、誰でも無料で要約版を読めます。集中すれば2時間で読めるでしょう。これだけでも今の日本とは、どういう国なのかがわかります。
 著者の矢部宏冶さんと集英社インターナショナルは、PDFでこの本の要約版を公開したのです。話題の新刊書を、核心の要約として無料公開するなどは、常識では考えられないことですが、著者は広く読んでもらうことを、何よりも最優先と思ったのでしょう。著者のジャーナリスト魂が、この決断をさせたのだと思います。以下のアドレスから読むことができます。
http://www.shueisha-int.co.jp/pdfdata/0236/nihonhanaze.pdf
 私は余計な解説をしないことにします。読みやすい本ですから、自分で読んでください。そして「こんな日本」をどうするか、考えてください。
 たぶん、日本はこれから「独立戦争」を始めなければならないのです。しかしそれは武器を持って民衆が蜂起するような、古典的な戦争にしてはなりません。古典的な戦争では殺人と破壊が合法化されます。その方法ではなくて権力を移動させるには、どうしたらいいのか、ということです。今のような選挙を繰り返していても、おそらく当分は不可能でしょう。ならばどうするか。
 これが冬休みの宿題です。
(追記・私は早とちりで全文が読めたように錯覚したのですが、核心部分が伝わるようにセレクトしたものでした。これだけでも何が問題なのかがわかります。しかし原書の全体を読むべきであるのは、もちろんです。)

赤信号無視の恐怖

 このタイトルだと、引き続き安倍政権への批判と思われるかもしれないが、そうではない。私の昨夜の失敗を、深刻な教訓として忘れないためにブログ記事にしておく。
 最近の一ヶ月近く、私はほとんど自動車の運転をしていなかった。クリスマスの季節になり、電飾の夜景でも見に妻を乗せて行ってみようと思っていたのだが、なかなか適当なチャンスがなかった。それが昨夜、9時過ぎのやや遅い時間になってから実現することになった。
 出だしは至極快調だった。野方警察前を出発してから、道はすいているし信号のタイミングが絶妙で、新宿大ガードをくぐり抜けるまで信号待ちの停車を一度もしないで行ってしまった。経験したことのない新記録だった。そして東京駅の周辺まで行ってみた。駅はライトアップもなく沈んでいたが、丸の内仲通のイルミネーションはまだついていた。この通りを妻に見せたかったので、有楽町方向から一方通行を車でゆっくりと通り抜けた。
 帰りはよく知っている祝田橋から桜田門、半蔵門を通るコースで帰ってきた。時間は意外に進んで、10時を過ぎてしまい、風呂の時間などが少し気になってきた。車の速度は、やや早かったと思うが、眠そうな妻は何も言わなかった。早稲田通りで自宅が近くなった歩行者用の信号のところで、その失敗は起きた。
 予期しない前方を、若者らしい自転車が2台つづけて横切ったのだ。危険を感じるほどではなかったが、私にはそれが赤信号無視に見えた。それで警笛を短く鳴らして通過した。ところが直後に、信号を無視したのは自分の方だったことに気がついてぞっとした。赤信号無視などは、ふだんの自分なら絶対にしないのに、どうしてそんなことが起きたのだろう。
 その伏線には、自転車が信号を守らないことへの日ごろの反感があったと思う。車道を走ってきても、乗っているのが自転車だと、なぜか信号を守らずに横断歩道を横切るようなことを平気でする。自転車は車両だという自覚が非常に薄いのだ。なぜそうなるのかは問題だが、それはこの場合は関係ない。
 対面する信号が赤なのに、自分に優先権があると思って通過してしまった自分に非はある。たぶん自転車が通らなかったら当り前に停車しただろうに、自転車が自信なげにふらふらと通過したのにつられて、瞬間的に判断ミスをしたというのが結論になる。だが生涯初の赤信号無視の事実は消えない。
 バスなどの職業的運転士なら、この判断ミスは直ちに配置替えに値するだろう。自分の場合はどうだろうか。判断ミスが私の年齢に関係するとは思わないが、客観的には通用しないに違いない。運転免許の返上が視野に入ってくる。正月には恒例の「孫借り正月」で、横浜の義弟を訪ねる予定があるが、念には念を入れた慎重な運転で行かなければならない。自動車とは、本当に怖い乗り物なのだ。

進軍ラッパの音が近づいてくる

(熊さん)ご隠居、ゆうべはお疲れさん。ブログ望年会は、うまくいきましたね。
(ご隠居)まあ、先細りにならなくてよかった。参加してくださった皆さんのおかげだよ。更新の応対も、ちょうど間に合う程度でよかった。食事も風呂も、ちゃんと出来たしね。欲を言えばきりがないけど、まあ会いたい人には会えたってとこだね。
(熊)これで今年のけじめもつきましたか。これで来年はどうなるのかね。
(隠)たぶん予想したようになって行くだろうよ。今朝の朝日新聞は、自衛隊海外派遣の恒久立法の話がトップ記事になってた。慰安婦問題への謝罪から低姿勢つづきだった朝日新聞だが、書くべきことを書く気概をなくしたわけではなさそうだ。アメリカに協力するために自衛隊を出す、これまでは一件ごとに「特別措置法」というのを作ってやってたんだが、これを、いつでも出来る枠組みを作って置こうというわけだ。
(熊)するとアメリカに協力して海外へ出て行くのが、例外じゃなくて本来の任務になるわけですね。
(隠)そうなんだよ。自衛隊は「わが国の平和と独立を守る」ことを目的にしてるから、本来は専守防衛で、海外へ行くことを想定していなかった。だからこれまでは「特別措置」として行ってたんだよ。だけど恒久法ができたら、自衛隊の目的が変ることになるな。
(熊)それって憲法違反じゃないんですか。
(隠)もちろんそう思うが、ここに落とし穴がある。憲法には自衛隊は海外へ出さないなんてことは一つも書いてない。なぜかと言えば、軍隊は持たないことに決めてるから、そんなことはあり得ないんだよ。ところがこれを悪用すると、自衛隊の動かし方は自衛隊法を変えればいいってことで、憲法はスルーしてしまうんだ。自衛隊の存在そのものが憲法に合っているかどうかを、最高裁判所が判断しなかったことが、こんな事態を招いてしまったんだな。
(熊)そんなら、どうして今までは海外は例外だっていう歯止めがかかってたんですか。
(隠)それは常識というか、内閣法制局という所が法律解釈の基準を作っていたんだよ。だけどそれも役所の一部だから、人間を入れ替えれば違う解釈を出させることもできる。安倍内閣になって、着々と戦争のできる方向へ道を作ってきたわけだ。
(熊)だけどねぇ、何だって今さら日本までが戦争の手伝いに行かなくちゃいけないんですか。
(隠)お前さんだってそう思うだろう。戦争は、どんなに言葉を飾ろうが殺人と破壊の合法化だよ。平和な世界をつくるためには、もっとほかの方法があるだろうさ。日本は平和国家の先達になる筈だったんだよ。こんな政府を作ってしまったのは、本当に国民の「総意」だろうか。当面は国政選挙はないんだが、これでいいのかどうか、国民投票をやらせろという運動を、いま仲間たちと考えてるんだ。来年のなるべく早いうちに発表するよ。

2014年末ブログ望年会

(管理人)
お待たせいたしました。ただいまより第8回ブログ望年会を始めさせて頂きます。開会に先立ちまして、長屋長老の「うたのすけ」様より、開会と乾杯のご発声をお願いいたします。

(うたのすけ)
望年会の発声を申しつかまりました(うたのすけ)であります。今年も残すところ、今日をふくめまして4日と相成りました。皆様に置かれましては多忙な日々を過ごされておられることと、拝察いたします。そんな中、今年も望年会の季節を皆様と共に迎えられる倖せをひしと感じております。
「ブログ連歌」は、おかげでこの時点で7820句のつながりを続けております。本日はその絆をなお一層強く確認の日としようではありませんか。どうか皆様、それぞれのお飲物をお手に、乾杯と参りましょう。
カンパーイ。そして拍手、大いに盛り上げましょう。

(管理人)
 うたのすけ様、ありがとうございました。思い出しますと、最初の「ブログ望年会」を開いたのは、2007年の12月28日、本日と同じ日でした。たしか「闇サイト」とかいうものが話題になった年で、「こちらは光の友になろう」といった呼びかけをした記憶があります。ささやかではありますが、一隅の光となるような話し合いの場になりましたら幸いです。皆さまよろしくお願いいたします。

(くるみ)

昨年の忘年会までワープして参りました。
中標津にて我が弟が創作活動をしております。
2013年の活動を当ブログにUPしておきました。
皆様ご質問等ありましたらどうぞ お答えられる事でしたら。お答えします。
それで私の自己紹介とさせて頂きます。

(管理人)
くるみさん、そちらのブログアドレスに、スラッシュが余計に入っているところがあり、エラーになるので直しておきました。以下が正解ですね。中標津は、「そりゃないよ獣医さん」がおられるところで、私は昨夏に訪問しました。弟さんは、どんなことをしておいでなのですか。
http://blog.goo.ne.jp/putioiya

(裏庭には鶏が9羽居た)
「まつり事で 人が死んじゃあ いけないよ」(平らかなるを人、だって)
2000年台、戦うのが仕事には反対、成文法の成り立ち(性質)は理想の追求にある。

(みどり)
皆様こんばんは。
うたのすけ様、乾杯の音頭と共にお元気な姿を見せて頂き、たいへん心強く感謝申し上げます。
また、このような場をご用意下さった志村様
8度目の更新となりましたこと、お祝い申し上げます。
何よりも健康で過ごされた歳月と、多くの皆様に支持されてきたブログ記事(ひろば)が生みだした、宝物の一つと言えそうな気が致します。
平凡に過ぎる暮らしの中で、ブログ連歌も其の一つですが、見ず知らずの方々と安心して会話し、交流を続けることが出来ましたのも、志村様の継続する強い意思と熱意に動かされてきた賜物と考えております。
 北海道から北陸、東北、沖縄等々、志村様の類まれな行動力が生みだした多くの方々との交流を、私たちファンは外側から眺めているだけの事も多いのですが、時には国に対して「かくあって欲しい」という願いを突き付け、意思表示にも歩くことが出来ました。
 未だお会いしたことのない方々も、今夜お出で下さいましたら大歓迎です。以後よろしくお願い致します。
 皆さまご自宅で御馳走を召し上がっておられる時間帯でしょうか?
我が家は此れからですので、川崎市の片田舎へ戻り、後ほど再び舞い戻って参ります。
どうぞゆっくりとご歓談下さい。

(相々健々)
2014年も残すところあと3日、お疲れ様です。
志村様のブログに時々投稿しております相々健々です。
文とかの才がまるでなく、趣味もこれといってないのでブログのたぐいはありませんが、年末のご挨拶も兼ねて、参りました。
よろしくお願いいたします。

(管理人)
来年も西口でお会いしましょう。東京でお正月ですか。

(くるみ)
はい、アドレス ありがとうございます。
弟は 「 宮島義清」という彫刻家です。芸大芸術科卒 同大学院美術教育卒後、同大学助手を経て、彫刻家として独立、住居は茨城県 創作活動は 北海道中標津町「
父親「宮島清」作家、劇作家、歌人、の本の装丁をはじめ多くの本の挿絵も手がける。
油絵 リトグラフ デッサン などの作品も数多い。
長弟「宮島幸男」はミミール企画室 室長 書籍発行 他 様々の企画編集を行う。
最新作 「座敷わらしみえたよ」 宮島喜久子著(定価800円)  発行ミミール企画         
表紙デザイン 宮島義清

(管理人)
くるみさんのご実家の方々ですね。初めてまとまって教えていただきました。多士済々ですね。

(くるみ)
私 舞い上がってしまいまして うたのすけ様のご挨拶にお礼申し上げませんでした。
あらためまして うたのすけ様 ご挨拶お疲れ様でした。管理人の志村様、ご苦労様でございます。
みどりさん お誘いいただき有難うございます。7回が8回だったこと承知しました。

(a)
正常な判断能力を失い、情動が劣化し…、狂い始めている。民族が滅亡するときは、発狂現象が蔓延する。ローマも狂ったし、殷も酒池肉林で発狂した。

(koba3)
志村さんの望年会には、久しぶりの参加となりました。この時期スキー場にいることが多く、ネットへの接続が難しいことが多かったのです。
 旅好きではあっても古希を過ぎて出かける回数は少なくなりました。志村さんの十二湖への旅など驚嘆していました。
 それでも年に一度でも長距離をと心がけていますが、列車好きですが今は車の旅となっています。その理由は旅をしていると「地方の疲弊」を実感していることにあります。鉄道は廃線となり、バス路線は縮小され、かろうじて地方自治体の自主運営で住民の足が保たれているのが現状です。ツーリストが旅を公共機関のみで楽しめる環境はすでにありません。
 それでも産業を失った地方では観光に活路を求めようと策を練っていますが、マスメディアの偏った報道に顧客を左右されているのが現状ではないでしょうか。
 旅のblogも在庫が少なくなり新たな“旅”に“旅立ちたい”のですが、マスコミが過剰に煽った土地は“群衆”が押し寄せその地方独特な良さが消し去られている現状があります。なにしろ混雑嫌い、行列苦手ですから・・・。
 blogの世界では「旅行」「食べ物」「花」そして「猫・犬」の話題が圧倒的に多いと感じています。koba3の旅のblogもひっそりと自己満足を満たしております。

(管理人)
車の旅は、自力で動くという意味で、昔の「歩く旅」に少し近いところがありますね。小林さんの充実した旅紀行は、出版物になる価値が充分にあると、かねがね思っていました。ネット上でも最高品質だと思います。以前に教えていただいた安曇野の水車のある風景、今も私の目の前に掲げてあります。

(綾子♪)
志村様、こんばんは。10月29日の現音のコンサートで前の席からご挨拶いたしました者です。初対面でいきなりご挨拶したにもかかわらず、おおらかに親切にお応えくださいまして、ありがとうございました。新読者のひとりとして来年のブログも楽しみにしています。今後ともよろしくお願いいたします!

(管理人)
綾子さん、彼、林文夫は、この晩秋に母親を亡くしました。八日市場にある彼の実家(私の母の生家を兼ねます)はついに無人となりました。彼は市川の家を売却して実家に帰ることになり、その準備をしているとのことです。グランドピアとともに、間間川のほとりから、八日市場へ引っ越すのでしょう。水田地帯の中の旧家です。

(相々健々)
あいにく風邪を先週からダラダラと続けておりまして、西口は無理でした。
ようやく快方に向かっていますが、本調子には様子見です。
29日まで仕事、その翌日帰省の手はずとなっております。
今年の風邪は喉>鼻にとどまり、長引くタイプのようで、くれぐれも志村様、及びご来訪の皆様、ご用心ください。

(高江洲瑩)
いろいろ勉強させて頂き有り難うございました。厳しい現状に一筋の光が見えるような気がしています。希望をもって未来に向かいたいと思います。

(管理人)
いつも沖縄の記事を紹介してくださるので、参考になります。来春から「集団的自衛権・国民投票」の呼びかけを始める準備をしています。文書が出来ましたらお送りしますので、ご賛同いただけると幸いです。

(大木晴子・おおき せいこ)
泣いたり、笑ったり、大声で叫んだり忙しい一年でした。
12年目に入っていた新宿西口の反戦意思表示も無事に終わり新しい年は3日から始まります。
今年以上に心の声をプラカードにして立ちたいと想われる方々が増えるのではないでしょうか。
私は6月にDVDブック「1969 新宿西口地下広場」を新宿書房から出版しました。 
http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/shohyo/shohyo_data/438_1969.html
上記から今までに書いて頂いた書評等をお読みいただけます。
初版本はあとわずかと聞いています。もしよろしければお急ぎください。
9月9日の「9」の日には「ラジオ深夜便」で話と歌を!
ビックリする機会に恵まれました。
志村さんが、記録してくださり「ラジオ深夜便・明日への言葉」が YouTube に! 
http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&topic_id=2039&forum=1
お時間があるときに、訪ねてください。
最後に写真を載せて頂きたいのですが、ここからは載せられないので志村さんへメイルで送ります!ムキンポさん撮影の珍しい志村さんと一緒にスタンディング!

IMG_3740

(管理人)
なるほど!これは珍しいツーショットですね。お互いに「撮る人」の場合が多いので、これは奇跡的です。しかも最新版ではありませんか。撮られたことを忘れていました。

(花てぼ)
こんばんは!わ-、今年はにぎやかですね。難しいことをやっていてすっかりおそくなりました。
うたのすけさん、今年も乾杯の音頭をありがとうございました。お休みにならないうちにと思ってまいりましたが・・・
初めての皆様に、私は、ブログネ−ムを花てぼと申します。リアルには長崎県波佐見町(焼き物の産地)の出身でこちら埼玉に来て35年になります。ブログ歴は約8年だと思います。一番好きなことは朗読ですが、書道は一番力を入れなければならないことと、自分で錯覚しているかもしれませんが、本当は朗読が好きです。
私のブログのカテゴリ−「朗読」から入ってお聞きくだされば嬉しく思います。去年も、一昨日も望年会で披露していたと思います。今年は用意ができませんでした。
それでは、ふつつかものですがよろしくお願いいたします。

(管理人)
「花てぼ」さんのアドレスを、念のため入れておきます。いろいろあって楽しいですよ。
http://blog.livedoor.jp/shography/

(綾子♪)
志村様、お教えいただきましてありがとうございます。
単なる昔のピアノの生徒という立場では無理もありませんが、林先生のお母上が亡くなられたこと、全く存じ上げませんでした。危うく年賀状をお出ししてしまうところでした。
林先生の市川のお家は、私にとっても小さい頃のいろんな思い出のある場所で、今回やむを得ないこととはいえ、大変寂しく思います。ねずみさん達もきっと寂しいことでしょう。

(管理人)
綾子さん、私はむしろ安心しました。ここだけの話ですが(彼はインターネットはしません)、市川の家の一人住まいは、限界に近いと感じました。八日市場の実家だと、近くに縁者も多いし、訪ねる人が多ければ生活の質も、一定のレベルを保ちやすいと思います。年寄りには、いろいろな問題があるのです。さりげなく寒中のお見舞いをしてあげてください。

(みどり)
また戻って参りました。
花てぼ様、ご丁寧な自己紹介をいただきましてありがとうございました。みどりは省略させて頂きます。
来年もブログ連歌へ投稿させて頂くつもりですので、其処でまた皆さまとお会いできましたら嬉しく思います。
 深山霞、あかね様ご夫妻にも、お誘いのお電話差し上げておけば良かったのですが・・・気付いて、遅くも来て下さればよいのですが。今年、霞さま手作りの美味しいバウンド・ケーキを頂きましたが、お正月料理やお支度に忙しいのでしょうね。
広島に於ける激しい風水害による崖崩れ、あの傷ましさを思いますと、なんとか無事に過ごせたご夫妻に、いささかでもほっと致します。
 くるみさんの暮らす信州でも酷い災害があり、こうして皆さまと無事に望年会に集えることに、深く感謝しております。
人の明日は誰しも予測しがたいものがありますが、袖摺りあうも他生の縁。とか。縁は異なもの味なもの。等とも言い古されてもきましたように、お名前を記憶させて頂いた此のひと時を大切に、これにて失礼致します。
 皆々様、志村様、来年もどうぞよろしくお願い致します。

(管理人)
みどりさん、いつも当ブログを身内のように見守っていて下さるのを感じます。近作の詩も短歌も、力作を重ねていらっしゃいますね。こちらこそよろしくお願いいたします。

(hisakobaaba)
楽しそうな望年会。初めて参加させていただきます。皆様どうぞよろしくお願いします。
今年は「96歳の遺言」朗読会に、志村様に2度もご参加いただき有難うございました。
来年は84歳を迎える年女です。ブログは「八十代万歳」まいにち書いています。
ライフワークは民話の語り。まだまだやり続けたいと欲張っております。
連歌に参加出来たら良いのですが。

(管理人)
ブログ連歌は、誰もが勝手流なのです。気が向いたら、いつでも遊び心で投句してください。お待ちしています。
「96歳の遺言」の朗読つき版の完成が待ち遠しいです。

(綾子♪)
志村様のおっしゃる通りです! びっくりして寂しさにとらわれていましたが、目が覚めた心地がいたしました。たとえ林先生が市川にいらっしゃっても、今の私は弟子ではないし、そうそう気軽に訪問するわけにいきません。林先生がご実家に帰られて安心して穏やかな毎日を過ごせるなら何よりです。
遅くなってしまいましたが、常連の皆様方にご挨拶申し上げます。うまく会社の休みがとれたら来年は国会散歩など参加してみたいと思っています。お目にかかりました際にはどうぞよろしくお願いいたします。

(管理人)
綾子さん、そんなに恐縮しないでください。思い出は大事なものです。
国会散歩に、もし参加していただけたら、すばらしい!

(遊工房)
こんばんわ
私志村さんちの子供のための年鑑で育った本名小貫則子と申します
何する人かと言っても
なんというか 好きなことは絵を描くこと絵を見ること
朝早起きで夕方には眠くなる ただの老婆です
なので もう寝ぼけております
でも戦争をしたくてたまらない魔の手から
世界を守らないといけないと
小さいしわくちゃこぶしを振り上げています
原発再稼働に補助金なんか出さないで
貧困から子供を守らないと
世界が滅びてしまうと もごもご 言ってます
では おやすみなさい

(管理人)
所沢でほんの一瞬しかお話できなかったのが、今でも心残りです。ブログを見ても絵を見ても、ダイナミックな活力が圧倒的です。健康は大事になさって、長く長く活動なさってください。

(natu)
こんばんは!ご無沙汰しております。いつも読み逃げばかりで申し訳ありません。世情はこちらのブログで勉強させていただいています。
うたのすけさんブルは大きくなりましたね。お元気な開会の言葉懐かしく拝読しました。
2007年から志村様宅での忘年会が8回目を迎える長寿おめでとうございます。
今年は我が家は病院との縁が続いて大変な一年でした。連れ合いが脳梗塞で倒れ左半身麻痺で自力で茶碗も持てない状態でした。病人を病院任せにしてはいけないということが分かった年でした。その意味も書きたいのですが長くなるので省きます。二人で頑張って自力で歩けるようになった後次は直腸がんと続き手術後白内障の手術と延々と一年続きました。おかげさまで本人の努力で暮れの掃除を手伝うまでに回復しました。何事も諦めてはいけません。
今年は寒波が早く到来しましたので皆様どうぞくれぐれも健康にお気をつけて新年をお迎えください。門限ギリギリで申し訳ありません。

(管理人)
まだ宵の口です。おなつかしいですね。病院の世話になるのが続くことはあります。たいへんでしたね。
一月には松戸市民劇団の公演があり、私は25日(日曜、昼)の回に行きます。うたのすけさん、みどりさんも見えると思います。昔お会いしたのも松戸市民劇団でしたね。

(まい)
ごぶさたしています。うたのすけさんの恒例のご発声で始まり、懐かしい、または私には新しい方々のご様子を読ませていただいていました。わが家は今年はネコと仕事の年でした。8月ごろから、シニアネコ6匹のうち5匹が病院通いとなり、そのうち2匹はそのまま天に昇っても不思議ではない病状でした。幸い腕の良い主治医に恵まれ、毎日毎日通院するうちに少しずつ回復し、今では高頻度の子でも週2回の点滴にまで落ち着きました。とはいえ、今でも週3回くらいは通院していて、昨日は受け付けの方に「今年一番多く(回数も匹数も)通院したのが○○さん←うち です」と言われました。その特典として、来年の医療費2割引き・・・はありませんでした(^^;)。
 ネコたちの医療費を稼ぎ、できれば留学資金を貯めるために仕事を増やしました。一時は医療費破産も危ぶまれた?のですが(アメリカの事情が何となく実感できました)、最近はずいぶんラクになったので留学資金と留守中の家計費用の貯金を少しずつ始めました。来年の夢はズバリ留学です!言語や文化を習得したいのはもちろんですが、(私にとって)窒息しそうな今の日本から出て新鮮な酸素を吸ってきたいという動機も大きいです。
 志村さんやみなさんのように、日本で頑張っておられる方には本当に頭が下がります。でも気の弱い私にはそろそろ保養が必要な時期が来ているようです。専門職ですが日本でしか通用せず、子どもの教育費(もしかして留学費?)など大きな出費も控えていますので、保養を終えたら帰ってきますが、「そのうち海外に・・・」という夢もあります。
 楽しい忘年会の雰囲気に誘われて、つい自分のことばかりお喋りしてしまいました。志村さん、大木さんなど、こちらに集われる方々の粘り強い行動には、いつも勇気をいただいています。私も何か参加したいのですが、地方在住でけっこう多忙ゆえ、パブコメ、メディアへの意見を送るなど、腰の重い横着なことしかできていません。こんなヘタレですが、今後ともよろしくお願いします。門限ギリギリに飛び込みで失礼しました!

(管理人)
やっぱり来てくださいましたね。まいさんこそ、私はあなたの向上心の固まりのような生き方を、息を呑むような思いで見てきました。「君は行くのか そんなにしてまで……」という歌そのままではありませんか。少し保養して、などという言葉を聞くと、少し安心します。娘さんの将来も考えたら、最終的には「日本脱出」になるのでしょうか。できれば、国境を気にしないで生きられる「世界人」になれるといいですね。案外、やってみればできるのかもしれませんよ。あなたのことは、ずっと見ていたいと思います。

 さて、日付も変りました。そろそろコメントの受付を承認制にもどします。しかしこのブログ望年会に参加の趣旨であれば、この後も、ここのコメント欄にいただく投稿は、そのように扱います。今年は新しい流れでの望年会になったようで、参加の皆さまには心から御礼申し上げます。
 おやすみなさい。そしてよいお年を。

(大木晴子)
まい さん、何時もみつめてくださってありがとうございます。
うたのすけさん、志村さんはじめ皆さまと繋がることが出来て嬉しく想っています。
何処かで誰かが自分流に意思表示されていることが伝わりまた生きる力を頂きました。
新しい年も自分流に平和を育んでいきたいとおもいます。
皆さん!良い年をおむかえください。良い年にしていきましょうね。

(志村建世)
やっぱりまだ起きてましたね。だめですよ、寝なくちゃ。……なんちゃって。

政治改革への「知性」と「行動」

 先日の当ブログ記事「史上最低の投票率が作る史上最低の政権」で紹介・引用した内田樹(たつる)氏の「資本主義末期の国民国家のかたち」について、沖縄の高江洲瑩(あきら)さんから「復帰の年に沖縄をはなれ、定年で戻って4年、その間の変わりようが不思議でした。今度の選挙で自民党は圧勝し、安倍政権が威張っている割には何かにしがみついている、それは何か。この一文を読んで氷解しました。」とのコメントをいただきました。
 日本政治の「反国民性」を、集中的に体験させられている沖縄県だからこそ、今回の選挙で「自民政権打倒」を実現できました。しかし落選させたはずの自民党候補者は、4人が4人とも「比例区復活」マジックで当選してしまいました。沖縄だけが覚醒しても、日本の全体はまだ暗愚のうちに沈んでいる現状を、象徴的に示しています。
 内田氏の講演原稿のタイトルは、たとえば「日本には日本のための政府がない」とでも言い換えると内容に近づくかもしれません。高江洲さんが「安倍政権が威張っている割には何かにしがみついている、それは何か」と問うその答えは「アメリカの国益」です。日本には、日本の国益のための政府がないのです。植民地時代に宗主国の利益に奉仕するために働いた「買弁」のような人たちがいるだけです。
 それでも「買弁」と言われたら、安倍首相は激怒するでしょう。自分は誠心誠意、日本の国民のために働いていると、自覚的には、そう思っているに違いありません。それを見越して、内田氏は「この言葉が安倍さんに届いて、彼がすごく不愉快な気分になってくれることを、そして俺はこんなことを考えているのかと知って、ちょっと愕然とするという日が来ることを期待して、言論活動を続けてまいりたいと思っております。」と述べています。
 「アメリカの国益」は「国際資本主義」と言い換えてもいいのですが、この構図を理解するには、やはり内田氏の論文を、やや長文ですが読んでいただくしかありません。結論だけをここに書いておけば、安倍政権が精励すればするほど日本の国益は損なわれる。安倍首相か時にアメリカに抵抗するように見える行動も、国益に資することはない、ということです。 
 戦争に例えれば、ときには一つの文書が数個師団にもまさる戦力になると言われます。それが知性の力ですが、政治は知性だけで行われるものではありません。むしろ、現場にはむきだしの権力の行使として下りてきます。それに抵抗するには「行動」も必要です。沖縄の小さな「政権交代」が、現地のおじい、おばあたち、周辺地区から、全国から応援に集まった活動家たちの行動が原動力になって実現したことを疑う人はいないでしょう。
 まさに各人が、それぞれの立場で、できることを積み上げて行くしかないのです。しかしその根底として「なぜたたかうのか」を知る「知性」の支えがあって、はじめて政治的な力になることができます。内田論文は、そんな強い力の一つであることを改めて認識し、再び紹介するしだいです。

ブログ連歌(391)

7799 暮れにきて 重大ニュースが 目白押し (うたのすけ)
7800  目移りの間に 「去年」の話 (建世)
7801 選挙は済んだ さぁ稼働
7802  川内高浜  ついでに大間 (獣医さん)
7803 馬鹿民の 信任を得て  F35 (ひねくれ者)
7804  滞貨一掃 尻馬に乗り (建世)
7805 マイナンバー 預貯金束ねて 財産税 (ひねくれ者)
7806  公正課税の ツールでもあり (建世)
7807 忘れまい 廃炉の径路 終わらざり (みどり)
7808  入り口閉じず 出口も見えず (建世)
7809 再稼働 安倍政権に 安全基準なし (獣医さん)
7810  この道しかない 後は野となれ (建世)
7811 柚子の香と 湯浴みにしばし 苦を散ず (みどり)
7812  数え日をして 歳末算段 (建世)
7813 街ゆかば ケーキ売るのが クリスマス (みどり)
7814  残る習慣 食べることだけ (建世)
7815 信仰の 道に迷える 青春期 (みどり)
7816  神仏ありや われとは何か (建世)
7817 真理のみ 探して行かむ 我の道 (くるみ)
7818  山高くとも 一歩ずつ行く (建世)
7819 山の辺の 花一枝にも 生の道 (くるみ) 
7820  誇らぬ姿 心に残る (建世)

2014年末ブログ望年会のお知らせ

 当ブログ恒例の「年末ブログ望年会」を、今年は28日(日曜日)の夕方18時から開催いたします。コメント欄を使っての「長屋望年会」は、2007年末が最初でした。読者の皆さんと、擬似宴会のように一年間の思い出や来る年への期待、そして歌なども持ち寄って、夜遅くまでワイワイと楽しんだものでした。今のフェイスブックやツイッターを先取りするようなインターネットの使い方だったのではないかと思います。しかし時代とともに擬似宴会の性格は薄れてきました。
 そこで、今回は、宴会というよりも、新旧読者をまじえた「自己紹介を兼ねたメッセージ交換会」という気持でやってみたらどうかと思います。ご自分のブログを持っている方は、投稿のときにアドレスを入力しておけば、そこを辿って新しい読者を招くこともできるでしょう。当ブログを媒体として、新しいつながりが広がるといいと思います。
 具体的には、その時間に「うたのすけ」さんから開会の発声をいただいたあと、コメント受付をフリー設定にします。コメントを入れるときには、先行するコメントをリアルタイムで読めることになります。管理人は随時いただいたコメントをコピーして、管理人の一言を添えながらオモテ記事に上げて行きます。それによって年末の会話がブログ記事として残ることになります。
 ただし予測できない迷惑・妨害が入った場合などは、一時的に防御措置をしてお知らせしますのでご了承ください。とはいっても、望年会はあくまでも自由に、気ままに、楽しみたいものです。画像、音声の持ち込みも自由です(アドレス添付にて)。おすすめの情報、映画、書籍の紹介、イベントの案内なども、ご遠慮なくお持ち寄りください。
 終了時間は、一応は午後12時としておきますが、例年、門限が厳密に守られることはありません。25時でも26時でも、たぶん大丈夫です。それでは楽しみに、お待ちしています。

民主党代表選に参加を表明した蓮舫さんへ 

 民主党の次の代表を選出する選挙に、蓮舫さんが意欲を示しているという記事を見ました。民主党はいま、画期的な生れ変りを求められています。「私が参加することで新しい議論を起こしたい」という趣旨は、よくわかります。その初志をつらぬいて、がんばってください。
 タレント時代の蓮舫さんを、私は一度も見たことがありません。政治家となり、政権交代で要職についてからの活動を見てきただけです。政権交代直後の長妻昭議員の報告集会には、ゲストとして招かれ、息の合ったコンビとして新しい政治への夢を語っていましたね。長妻議員は、厚生労働大臣に就任したばかりでした。蓮舫さんの活躍としては、事業仕分けでの「どうして世界で一番じゃないといけないんですか。二番ではだめなんですか。」の声が耳に残っています。政治とは、このようにして変って行くものかと思いました。
 当時、新聞で「いま日本でいちばん総理大臣に近い場所にいる女性」として紹介されたのも覚えています。もし民主党政権が4年間の任期一杯を安定して過ごすことができたら、いろいろな可能性があったろうと、今さらながら残念でなりません。
 その後も蓮舫・長妻コンビの演説を聞く機会が何度もありました。それを聞きながら思ったのは、政治家になる資質には、天賦の才というものがある、ということでした。蓮舫さん自身の政策をまとまった形で聞いたことはありませんが、長妻氏が身上としている「格差の少ない社会をつくる」「官・財癒着の利権構造を解体する」「平和外交、脱原発を推進する」といった基本政策は同じであると私は理解しています。蓮舫さんが総理になったら、長妻氏を副総理として相談役にするのがいいと思います。
 蓮舫さんの本名は村田蓮舫であり、れっきとした日本人であると承知しています。その上で台湾ともつながる人脈を持っておられることは、アジアの中の日本の位置を安定させるために、長所ではあっても、何の障害にもならないでしょう。
 代表選に参加するには20名の推薦議員を集めなければならないそうですが、派閥にかかわらない広い呼びかけをしてみてください。今回は党員・サポーターにも投票の機会があるそうですから、私は楽しみにしています。また、党内には党の名称を変えるという意見も出ていると聞きました。党名によって党の進路を明瞭にするのもいいかもしれません。その場合は「民主平和党」はいかがですか。蓮舫さんが使ってくださるなら、私は無償で提供します。

お陰さまの構図

004

 これは冬至翌日の「志村ビル」の日照です。南隣のマンションが完成してからは、二階ベランダの物干し場は、冬の3ヵ月間、日が当らなくなりました。設計時の「近隣説明」の際に、少しでも改善するよう要請したのですが、これが限度でした。

005

 同じ日の午後3時に、わが屋上から斜め向かいにある児童館の庭を見下ろしたところです。ビルの陰が、ぴったりと庭を日陰にしているのがわかります。この日は休日のため庭に子どもの姿がありませんが、ふつうの日には、遊ぶ子どもたちの元気な声が聞こえることもあります。そんなとき、このビルがなければ日の光を浴びられるのにと、心が痛みます。このビルを建てて、もう30年近くになりました。
 この敷地は、故・中島健蔵さんの居宅でした。進歩的文化人で、私が中野に来て木造の二階家を建てた1975年の頃には、中国の要人が来訪して、それがニュースになったこともありました。当時はこの近辺では、300坪を基本の区画とする住宅街の面影が、まだ残っていました。広い庭の一角に、平屋の家が建っているのが基本形でした。
 その頃は、太陽の恵みは、どの家にも平等だった筈です。ある日隣に高いビルが出来て日照を奪われるなどは、想定外だったに違いありません。そこに押し寄せたのが高度成長期の都市の高層化でした。私が埼玉の草加から中野へ引っ越した時期がそれに当ります。「日照権」という言葉を聞くようになったのは、昭和40年代も1970年に近いころからでしょうか。
 日の光を浴びることを本来平等な人間の権利と考えれば、高層建築を建てることは財力による日照の独占で、資本による格差の拡大に似てきます。これに野放しの自由を認めず、一定の制限を加えたのは、当然の配慮と言えるでしょう。「日照権」という思想は、外国ではまだあまり普及していないそうですが、自然を愛してきた日本人の、すぐれた智恵として大事にし、できれば拡大して行きたいものです。
 それにしても、高層の居住空間を、私は本能的に好きにはなれません。家の中に階段がなく、庭には樹木があって季節の鳥が来るような家に住みたいと、今でも思っています。そしてお隣とは「おかげさまで」と言い合える関係でいたいものです。地球というのは、それほど狭く住まなくてもいいと思うのですが、どうでしょう。

フォークダンス曲で歌ってみよう

 カルチャースタジオ・メヌエットが提供しているユーチューブで、今年最後の新曲アップがありました。その中にフォークダンスの定番、オクラホマミクサーがあります。作詞者は「野原みどり」となっていますが、これは「野原ひろし」とともに私のペンネームです。著作権管理の都合上、ペンネームで発表した作品の作者名は、勝手に変更はできないのだそうです。
 これで「コロブチカ」「マイム・マイム」「キンダーポルカ」「オクラホマミクサー」と、フォークダンスの定番4曲が、歌詞入りの歌として聞けるようになりました。歌っているのはいずれもCSメヌエットの主宰者、間庭小枝さん、それぞれの歌にはユーチューブ担当の星野玲子さんが、雰囲気に合うよう工夫したイラスト画面がついています。
 前にも書きましたが、このシリーズの作詞は、フォークダンスの普及期に、野外でレコードがかけられない場所でも踊れるように「歌いながら踊る」ことを意識して作ったものです。今は学校などでもフォークダンスはあまりやらないようですが、中年以上の年代にはなじみの曲ばかりでしょう。久しぶりに歌ってみたら、体が自然に少し動き出すのではないでしょうか。
 踊るための歌なので、演奏部分を「マイムマイムマイムマイムマイムベッサンソン」とか「ルラルーララ」の連続にするとか「アカペラ演奏」の「歌詞」もあるのですが、間庭さんは手抜きせずに熱唱してくださいました。ご苦労さまでした。どうぞよい年をお迎えください。

マイムマイム
www.youtube.com/watch?v=vuarXje5PWg

コロブチカ
www.youtube.com/watch?v=AiRswNQ1db0

キンダーポルカ
https://www.youtube.com/watch?v=RhMwjhr3x-k

オクラホマミクサー
https://www.youtube.com/watch?v=4dJwnEQxDTo

(追記・つい余計なことを思い出してしまいました。子供のころ、家で下の姉が歌っていた「ルンペンの歌」が、オクラホマミクサーの曲でした。「私ゃルンペン3年目 あの暗い土管の中で 蚤南京虫に食いつかれ ああルンペン暮らしはつらいね」というのです。その姉と、近年連絡がつかなくなってしまいました。幸せに暮らしていてくれるのならいいのですが。)

驕るなよ 安倍政権

冬至の日になると、いつの年も思うことがある
これでまた太陽が帰ってくる と
寒さはつのるかもしれないが
冬の極みは もう過ぎた
あとは太陽の熱が 天地に満ちてくるのを待てばいい


本当は厳冬がこれから来るのは知っている
春の暖かさを待てずに死んでしまう病人も多い
それもまた例年によく見てきたことだ
それでも太陽に勝てるものはいない
いくら積雪が新記録になろうが
最低気温が更新されようが関係ない
確実に太陽が帰ってくることを知ったので
古人はこの日を祭の日に決めたのだ


意味のわからない選挙があって
くたびれもうけみたいな結果が出た
多くの人が背を向けたが それも計算してあった
「ご信任を頂いたので やらせて頂きます
私の決めた この道しかありませんので」と
思い込んだらしい総理大臣の目に異様な光があった


民草は雪の下で春を待っている
地上にどれほど吹雪が荒れていようとも
雪の下は意外なほど暖かいのを知らないか
何が嘘で何が真実かは 本能が教えるのを知らないか
間もなく時がくると いっせいに目覚める者たちがいる
太陽の回帰は 誰にも止められない
驕るなよ 安倍政権

「数え日」という語感

 西口仲間の村雲司さんから、俳句の季語に「数え日」というのがあると教えていただいた。12月も半ばを過ぎて、あと何日と数えるようになる今ごろのことを言うらしい。「もういくつ寝るとお正月」というのは昔からある子供の歌だが、大人にもそのような感覚はたしかにある。ただし楽しいことを心待ちする子供の気持になれればいいのだが、大人には複雑なさまざまの感慨が湧くのは致し方ない。
 数え日に似た言い方だが、「数え年」というと昔の年齢の数え方になる。今の人の感覚ではわからないだろうが、赤ん坊が生まれると、そのとたんに一歳になるのだった。もし大晦日に生まれたら、翌日の元日には二歳に数えることになっていた。つまり零歳という年齢はなくて、生を受けたらまず一歳であり、あとは正月が来るたびに年齢が一つずつ上がることになっていた。「もういくつ寝るとお正月」という言葉には、お正月がくれば年齢が一つ上がるという期待感が、本来は込められていた筈である。
 数え年で言えば、私は現在82歳であって、正月がくると83歳になる。「うたのすけ」さんは一つ上だから、83歳から84歳になるので、今のように年に一日だけ、5月18日に同い年になることはなく、生涯を通しての年長者であらせられることになる。正月に全国民が一斉に年齢を一つ加えるというところにも、昔の正月には重みがあったわけだ。しかし人の発育の目安としては満年齢の方が合理的で、諸外国の習慣もそれが多いから、戦後に「年齢のとなえ方に関する法律」というのを作って「満年齢を使うように心がけなければならない」ことになった。法律は、こんなことを決めることもできるのだ。
 それはそうと、年寄りの数え日には、何がしかの哀愁がただよう。知っている人のうちの何人かは、すでに過去帳に入ったことを、年末の欠礼あいさつで知らされている。自分の順番はいつだろうと考えざるをえない。あと10年もあればいいのではないか、あまり長いのも迷惑だと思うのは本音のままだが、10年だけにしても3650余日もある。この1000日以上というのが曲者で、一日や二日を無駄に使っても、まだ明日があると思って安易に過ごしてしまうのだ。
 そんな中でも「数え日」は有無を言わせない。厳然としてカレンダーの残り日数を減らして行く。年末の日曜日に、何もしないのも気がとがめるので、年賀状の用意を進めることにした。今年の一首は、選挙後に作った「この国の 果てなく見ゆる 混沌も 晴れる日を待ち われは行かなむ」を使うことにした。来年は昭和90年になることも確認した。
 当ブログ恒例の「年末ブログ望年会」は、28日、最後の日曜日の午後6時からでどうかと思っている。かつてはフェイスブックやツィッターを先取りするような交歓の場だったが、新旧の顔ぶれが自己紹介を兼ねてあいさつを取り交わす場になってくれたらいいと思う。そんなこんなを考えながら、新しいカレンダーを選んだりしている。「数え日」は、たしかに時間を可視化してくれるようだ。

民主党に望むこと

 民主党が、次の代表者を決める大事なところにさしかかっている。新聞報道によると、党内には解党も視野に入れた野党勢力再編論と、あくまでも民主党を軸とした自主再建論と、大別して二つの流れがあるらしい。私も民主党のサポーターに登録している一員だから、どうなって欲しいかを考えてみた。
 まず、解党的に再編するとしたら、相手はどこの党なのかが問題になる。選挙後の議席を見ると、野党で民主党の次に大きいのは維新で、その次は共産、あとは次世代と生活と社民が2名ずつしかいない。つまりは再編の実際上の相手は維新しかないのだ。維新とは、選挙協力も順調ではなかったように見えた。もし維新と合併でもしたら、それ以上の支持者を失うのではなかろうか。私もサポーターを続けるかどうかわからない。
 結論から言えば、民主党は苦しくても民主党として活力を再生し、次の政権をめざして賛同者を集めていく求心力を回復するのが、唯一の道だと思う。そして安倍政権への対抗軸を、一日も早く鮮明に示さなければならない。それを思いつくままに並べれば、格差を拡大する社会から格差の少ない社会をめざす内政の変換、軍事力に頼らない平和外交の推進、原発破たん処理の徹底と脱原発スケジュールの明示、官僚支配の利権構造を断つ公務員改革などになるだろう。
 安倍政権がその思惑通りに4年間を無事に通せるかどうかについては、いくつかの不安材料が出はじめている。公明党との協力関係も決して八方円満ではない。議員にも支持者にも、安倍イズムに屈服させられている現状には不満がたまっている筈である。自民党が数におごって暴走すれば、公明党の政権離脱もありえないことではない。政界は、一寸先が闇なのだ。
 民主党は、連合との関係を弱みに思うことはない。労働組合は伝統的に政治における代弁者を必要としている。勤労大衆の共感と支持を受けることは、政党にとって大きな力になる。労働組合の味方であることを、もっと宣伝してもいいと私は思っている。そして、共産党を敵視してはいけない。日本の共産党は、世界のどこの共産党ともつながらない日本の政党になっている。永遠に野党でいるのが日本共産党の理想ではない。開かれた党になるには、受け入れる友党が必要になる。呼びかけは、強く大きい方から声をかけるのがいい。
 要は、民主党は「安倍政権以外のすべて」を結集する中心になれるか、ということなのだ。難しいことかもしれないが、それをしないと日本の政治は救えない。

「日本国憲法を生んだ密室の九日間」を読む

 「じゅんこさん文庫」の中の一冊で、分厚いので敬遠していたのですが、選挙後の空白時間にじっくりと読んでみました。1993年にこのタイトルで放送されて受賞した朝日放送のドキユメンタリー番組の制作資料を、鈴木昭典プロデューサーがまとめて出版したものです(創元社・1995年・単行本)。
 日本国憲法の成立過程は、それ自体がスリリングなドラマでした。密室の九日間とは、マッカーサー司令官の特命を受けた25名のスタッフが、極秘のうちに寝食を忘れて憲法の草案づくりと格闘した期間を表しています。それほど急を要したのには、それだけの理由がありました。そしてこの短期間にもかかわらず、そこには日米両国から持ち寄られた英知の粋が結晶したという、奇跡のような成果があったのでした。
 その九日間は、1946年(昭和21年)の2月4日から12日までです。終戦が前年の夏ですから、これは驚くべき早い時期です。敗戦とともに日本はアメリカを主力とする連合軍の軍政下に置かれたのですが、その際の日本軍の降伏と武装解除は、マッカーサーの予想を超える統制のもとに順調に行われました。その支えになったのが、日本国民の天皇に対する忠誠心であることは明らかでした。
 ここから占領政策は、日本政府を仲介しての間接統治となったのですが、数々のマッカーサー指令は、当然に日本の法体系と矛盾します。基本法である憲法がそのままでは不都合なのは明らかでした。また、連合国による「対日理事会」では、戦争裁判における天皇の責任追及や証人喚問を求める強い意見が出ていました。マッカーサーは、この面からも、早期の憲法改定による天皇の地位の安定化を必要と感じていたのです。
 一方、ポツダム宣言からも「日本国民の自由な意思」を尊重する立場ですから、日本政府は憲法の改定は自分たちの仕事と心得ていました。しかし日本政府が用意した改定案は、明治憲法に最少限の改良を加えた程度の保守的なものでしかありませんでした。窮地に立ったマッカーサーは、日本政府との折衝をあきらめて、受け入れ可能な原案を自ら用意することを決断したのです。
 特命チームの作業内容は、驚くべきものです。日本側の各種試案や提案はもちろん、日本の歴史資料も集め、知日・親日派の智恵を集大成するとともに、各国憲法の長所や、国連が目指す人権や世界平和の理想も盛り込もうとしました。そして成案はマッカーサーの承認を得て日本側に伝達されたのです。もちろん、これを指針とし、日本国政府の発意として新憲法を制定することとされました。
 その後は日本政府が主体となって各条文を確定して行きました。その過程で多くの日本的な改変が加えられて日本国憲法は今の姿になりました。最後は天皇の「これでよい」という「ご聖断」を得て、日本国憲法は国会で承認されました。明治憲法の規定により、天皇が発議しなければ憲法の改定はできなかったのです。
 特命チームが書いた原案の余韻は、今はわずかに「前文」の中に残っているということです。

映画「日本と原発・私たちは原発で幸せですか?」を見る

 原発訴訟を担当した弁護士が、止むにやまれず初監督で作ったという異色の映画を見てきました。「日本と原発」(監督・河合弘之、構成・海渡雄一、制作協力・木村結、音楽・新垣隆)です。青木秀樹、飯田哲也、大島堅一、小出裕章、古賀茂明、田中三彦といった人たちも、インタビーに答える立場で出演しています。本日の参議院議員会館講堂での上映会(脱原発をめざす女たちの会・主催)の会場は、補助席も出る満席でした。
 作品長さ2時間20分というのは、やや長い感じでしたが、作り方は、ごくまっとうな、素直に見られる作品でした。アメリカのマンハッタン計画から話は始まります。日本では被爆の悲惨に対する癒しとして「平和のための原子力」は紹介されたのでした。大阪万国博で、初めての原子力発電の電力が使われたのは、その象徴でした。原発と日本とのかかわりを説明する歴史の集大成ともなっています。
 近年によく作られる告発調の作品とは少しトーンが違って、事実と論理に基づいて真実に迫って行く姿勢は、弁護士ならではのものでしょう。その意味での迫力も、不条理への怒りも、充分に伝わってきます。そして原発問題を「一部の反対者」だけのものとせず、全国民の課題として提示しているのがわかりました。
 たとえば小泉、細川の両・元首相が、脱原発を唱えて行脚している姿にも、しかるべき出番を与えているです。脱原発の運動に、保守・革新の従来型の区別は無意味だということです。そして原発擁護論に対する批判は容赦がありません。安倍首相がオリンピック招致で述べた「原発は完全にコントロールされている」嘘演説は、次々に登場する生き証人のインサートによって、完膚なきまでに恥をさらします。
 弁護士は法廷で法理をもって戦うのが仕事ですが、その戦意の底には、弱者に寄り添い正義を求める情熱と、国を愛する深い心があります。印象的な場面が、高線量の浪江地区で、みごとな渓谷の紅葉を眺めるところでした。あたりには誰もいません。「美しいなぁ。だけど長居はできないよ。国破れて山河ありと言うが、原発は山河も無くしてしまうんだ。ここは日本だけど日本じゃない。」
 原発擁護論の中に、原発を使わないことによる「国富流出論」がありますが、これも飯田哲也氏との対話で論破していました。国土の喪失以上の富の流出が、他にありえるでしょうか。絶対に安全な原発はありえないことを承知の上で進められる原発再稼働の異常さが浮き上がってきます。
 きょうの会場に集まった人たちは、「ふつうの家庭人」という感じの人が多かったように思いました。原発の問題を、より多くの人に理解して貰うために好適の映画でした。

わかる勉強はゲームよりも面白い

 私が創業して現存している会社に「にっく映像株式会社」(Nikk映像蝓 があります。そこで「にっく映像のブログ」というのを始めたので、最初の「ごあいさつ」として表題のテーマで寄稿してみました。勉強は基本的につらいもので、我慢してやるものだというのが一般の常識でしょうが、ある場面では何よりも面白くて、子供は熱中してやるものだという場面を、私は少なくとも2回経験しました。
 最初は長女が幼稚園時代に文字を覚えたときでした。自分の名前を書くことから始まったのですが、やがて「ひらがな練習帳」のようなものを与えると、それがいちばん好きになって「もうおしまいになっちゃったから、次のがほしい」という調子で、どんどん先へ進んで行きます。親がびっくりして褒めると、それが嬉しくて楽しみながら字を覚えるという好循環が、たしかに成り立っていました。
 時代は昭和40年(1965年)ごろでしたから、子供のためのゲームなどは、まだありません。歌の絵本や、いろいろなお話の絵本もあって、もちろんそれらも好きでしたが、文字がわかると自分で本を読めるようになるということが、本人にとっては偉大な「気づき」だったのだと思います。
 2回目の主役は孫でした。にっく映像の初期に「一年生の漢字」のタイトルで一年生が習う80字を3分割し、順次制作して20分×3巻のセットとしました。その当時、最初の孫が一歳半を過ぎたところでした。自社で作ったビデオは居間のデッキとテレビで再生して確かめたりすることも多かったのですが、孫が食いついて何度も見たがったのは、その前に作った「ひらがな」よりも「漢字」の方でした。
 最初に小人国のガリバーが、大きく手足を広げて立ちます。その形がそのまま「大」の字になるとともに「だい」というアナウンスが入り、しばらく時間をおいて「おおきい」と声がつづきます。飾りや遊びの部分はほとんど作らず、字の形とその読み方と、その字の意味のわかるようなイラストだけが印象に残るように構成しました。テレビ番組ではないのですから、視聴者に媚びる必要はないと考えました。
 このビデオは、孫の何よりのお気に入りになり、孫の祖母つまり私の妻は、ビデオが終るたびに「もっかい」と回らぬ舌で呼びに来る孫へのサーピスに追われたということです。その状態は、一過性ではありませんでした。「漢字」のビデオが3巻目までそろい、孫が2歳に近づいたころ、その父親が町を連れ歩いてきて私に報告してきたのは「こいつ、店の看板が全部読めるんですよ」という事実でした。試しに一年生の漢字の音訓表を部屋に貼ってみると、80字の音訓の読みは完璧になっていました。
 しかしこれは単なる自慢話の一つに過ぎません。同じビデオを2人目、3人目の孫に見せても、同じようにはなりませんでした。「万能薬」になる教材を開発したという話ではないのです。ただ、何かを人に教えるときは、一つの信念が必要だと私は思います。それは「わかる勉強は面白い。勉強が面白くないとしたら、それは教え方が下手か、タイミングが合っていないかのどちらかだ」ということです。

ブログ連歌(390)

7779 政策は 声勇ましく 叩き売り (建世)
7780  言いたい放題 気楽な稼業 (うたのすけ)
7781 明日知れぬ 世を憂いつも 棄権とは (みどり)
7782  自らが持つ ちからを知らず (建世)
7783 若者に 平和なんて もったいない
7784  戦時になって 気付くその重み (獣医さん)
7785 殺すなの 文字遺せし 芸術家 (みどり)
7786  明日の神話に 太陽の塔 (建世)
7787 司法すら 政権党に 牛耳られ (みどり)
7788  せめて生かせよ 国民審査 (建世)
7789 去りゆく知事は 怒号の中
7790  来る知事は 満面の笑みと歓声で (獣医さん)
7791 かくなると 思えど厳し 開票日 
7792  バンザイの声 うつろに響く (建世)
7793 積極的平和主義 低得票率を背景に
7794  改憲検討の論議に入ると 本音見せ (獣医さん)
7795 安倍に問う なにが不満か 憲法の 
7796  平和の希求 民の主権に (建世)
7797 くやしさを 懐に入れ 歩みゆく (みどり)
7798  寒風吹くも 道は迷わず (建世)
7799 暮れにきて 重大ニュースが 目白押し (うたのすけ)
7800  目移りの間に 「去年」の話 (建世)

言うまいと思えど今日の寒さかな

 寒くなると思い出す中学生時代のクイズがある。英語を習いたての中学生が思いつくめちゃくちゃな遊びなのだが、こんなのがあった。
 You might think today's some fish.
という英文らしいものを見せて、これをどう読むかと聞いてくる友人がいた。変な文だなと考えていると「言うまいと思えど今日の寒さかな」だよと教えてくれた。ただしその友人の創作かどうかはわからない。もしかすると、当時は他校も含めて流布していたのかもしれない。昭和23年ごろのことである。
 それだけの座興なのだが、その後日本語と漢字との関係などを考えるうちに、借用語の音と訓の問題だということに気がついた。つまり You might までは「言うまいと」の音だけを借りているから意味は問題にならない。think で「思えど」と強引に意味を持ってくるのだが、前の might が何となく仮定形のような雰囲気をかもしている。today's で「今日の」の意味を使って、次の some は「さむ」の音だけを使う。そして 最後の fish を「さかな」と訓読みするところが奇想天外で、このクイズのハイライトになっているわけだ。
 これは中学生レベルの言葉遊びなのだが、日本人が中国から漢字を輸入したときは、国をあげて大まじめに同じような作業をしなければならなかった。なにしろ独自の文字を持っていなかったのだから、あらゆる言葉を漢字で書き表さなければならない。もし隣国がアメリカだったら、どんなにか楽だったろうと思う。苦もなく「やまとことば」をアルファベットで表記することを覚えて、その後も順調に発展させたに違いないのだ。
 漢字には、どう読むかの「音」とともに、その字が表す「意味」があったので複雑になった。それで中国での読み方である「音」のほかに、その意味に当る「訓」でも読んでしまう習慣が始まった。しかし使う感覚には「音・訓」の区別がないから、同じ文字が状況によって複数の音で読み分けられることになった。こんな芸当は、本場の中国人にも思い及ばないことだろう。この複雑さは、日本文学の初期からすでに始まっている。
 国語の授業で万葉仮名に「陰毛」という言葉が出てきたのでぎょっとしたことがある。ふりがなを見たら何のことはない「かげも」と読むのだった。「陰」は訓で「かげ」と読み、「毛」は音で「も」と読むのだ。表音文字の「かな」を独自に開発するまで、この不便さはずっと続いていた。
 今の英和辞典の fish のところに、「フィッシュ」と並んで「さかな」という発音が書いてないのは、私たちにとって幸運と言うべきかもしれない。それにしても、きょうは寒い日だ。

史上最低の投票率が作る史上最低の政権

 投票率の史上最低記録を連続して更新しながら、ついに最低の政権が更新されて延命した。何ひとつ変えるつもりのないことは、早くも閣僚の全員を留任させる意向であることからも明らかだ。年末の大騒ぎは、ただ一つ権力の延命が目的であって、その目的は果たされたのだ。

 この国の 果てなく見ゆる 混沌も
  晴れる日を待ち われは行かなむ

 朝のうちに、こんな一首が出来た。政権が気に入らないといっても、私たちはこの国で生きて行かなければならない。政権は「この道しかない」と言うのだから、その道をまっしぐらに進むのが「決める政治」だと言い張るに違いない。しかしその道は危ない。この国ばかりでなく世界の未来も明るくしないと私は考える。
 「内田樹の研究室」に「資本主義末期の国民国家のかたち」という論文が出ている。内田氏がこの11月7日に「立憲デモクラシーの会」で語った基調講演を文章化したもので、おそらく90分を超えると思われる長文なのだが、今の日本の「国のかたち」が、どうしてこのようになったのかを、その出発点から教えてくれて有益だった。こういう時だからこそ、じっくり読んで頂けるといいのだが、私なりに理解したキモの部分をご紹介しておきたい。
 日本がアメリカの占領下から独立する過程では「アメリカの意向」は絶対だった。だから保守政治家たちは、アメリカと協調しながら日本の独立と復興をはかる以外に選択肢はなかった。それは当時の状況下では正しい選択であり、その結果として早期の独立と経済復興を成しとげることがてきた。しかしそのメリットが生かされたのは、沖縄の返還あたりまでが最後だった。その後はアメリカと距離をとりながら日本としての国益をはかるべき流れであったろう。
 ところが世代が代わるにつれて、「アメリカの意向に従うことで成功し出世できる」という習慣が、官僚にも政治家にも財界人にも体質として残ってしまった。ここで日本の国益を中心にものを考えられる大きなリーダーが出現しなかったのが日本の政治の不幸だった。やや遅れて登場した鳩山民主党による改革は、官僚の非協力により挫折させられた。国民もマスコミも、あまりにも早くあきらめて、それを見殺しにしてしまった。
 安倍政権はアメリカ追従の枠の中で権力を得たのだが、右傾化という独自性でアメリカを刺激している。これは一見、対米自立のようでもあるのだが、その方向性は戦前への回帰であり、日本の真の国益がそこにはありえない。資本主義の先を見すえて、世界の平和に貢献しながら繁栄する別の道があるのではないか。
 前途に理想があるかぎり人は絶望はしない。安倍政権、何するものぞ。

(追記・内田樹さんの講演は、ご用とお急ぎがあっても読んでください。私はいま、ブログを書くためではなく、自分のために全文を再読しました。それだけの価値があります。)

投票に行きましたか

 きょうは総選挙の投票日です。東京は晴れていますが、全国的には激しい雪と寒さに襲われています。投票率の低下が懸念されます。史上最低の投票率になりそうだとの予想も出ています。
 投票率の低さは、この選挙で勝つ政権にとってはマイナス点になるという意見もあります。少数の国民にしか実際には支持されなかったのに、選挙制度のおかげで権力を手に入れたと批判されるからです。そこで今回は自公政権側が低投票率を心配しているとも聞きました。しかし大筋では、低投票率は保守側に有利に働き、投票率が上がると政治的な変化が起こりやすいという傾向があります。
 もしあなたが、日本の政治はこのままでいいんじゃないか、誰がやっても同じようなものだと思うのなら、雪の中を投票に行く必要はありません。その代わり、投票権を捨てるのですから「権利を使わない者は、その権利によって保護されない」ということを覚えていてください。
 もしあなたが、今の日本は少しおかしいのではないか、そもそもこんな時期に不自然な選挙を仕掛けてきた政権には、隠された意図がありそうだと不愉快に感じているとしたら、その感覚を大事にしてください。そして勇気を出して「とりあえず自民以外」に投票しに行ってください。きっとそれは「生きる一票」になります。最悪で死票になったとしても、その一票はあなたを少しだけ変えるでしょう。
 この場合は、低投票率はあなたの一票の価値を高めます。雪を踏んで行っただけの価値はあって、気分がいいと思いますよ。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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