周知のように、沖縄の普天間基地は、世界のどこの国でも絶対に許されないような危険な環境で運用されています。許される根拠は、日米安保条約に基づく「地位協定」と、それに付随する「日米協議」です。住民が飛行差し止めなどの訴訟を起こしても、裁判所は憲法で保障される日本国民の基本的人権や日本の航空法よりも、日米協議を上位に置いた判断をします。「条約は誠実に遵守する」という憲法の規定を用いて、そのように判断する判例が確定しているからです。
 普天間基地のすぐ横にある沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した際は、アメリカ軍は直ちに大学の構内を封鎖して、大学関係者も日本の消防隊も排除しました。このような治外法権的な行動をする権利も、アメリカ軍は確保しています。沖縄だから可能だったのではありません。極端に言えば、皇居に米軍ヘリが墜落しても、同じように行動する権利を持っているのです。
 このように異常な従属的軍事関係は、かつて日本が「満州国」と結んだ協定と酷似しているとして、著者は資料を掲載しています。かつての日本軍と「満州国軍」との関係は、今のアメリカ軍と自衛隊との関係と瓜二つというほど似ているのです。「満州国」の治安は、日本の関東軍が全面的に支配していました。満州国軍は、民族平等を宣伝するための補完組織に過ぎませんでした。
 このような実態を知らされて、屈辱と怒りを感じない人はいないでしょう。しかし著者は「だからといって反米・嫌米では何も解決しない」と言います。アメリカが日本の「軍事的保護国」になってしまったのには、日本国憲法制定の事情が深くかかわっているからです。国際平和は、国連とその盟主であるアメリカ軍によって維持されるというのが当時の前提でした。米・ソの対立以前のことです。
 問題は、東西の冷戦が解消した以後にまで、日米関係がそのままの形で続いていることなのです。アメリカには国際資本と融合した軍事的世界戦略が登場しました。アメリカは便利に使える日本の基地を手放す理由はありません。ここで「日米同盟の強化」が言われて、日本はますますアメリカの世界戦略に組み込まれることになりました。
 相次ぐ「テロとの戦い」では、沖縄の基地はフル活用されました。ここで「日本が自立しないために、アメリカの共犯者になってしまった」という重要な視点を、著者は提示しています。私も虚を突かれた思いがしました。そこから導かれる「屈辱からの脱却と、真の平和貢献への道」が示されているところに、この本の真価があると私は思いました。
 それは、こういうことです。日本がアメリカから自立して平和国家戦略をとれば、それはアメリカ国内の民主主義勢力を力づけることになる。アメリカを世界軍事制覇の夢から覚醒させ、自由と民主主義の盟主として再生させる可能性もある。そのためには、万難を排して軍事的自立を宣言し、外国軍隊の駐留禁止(一定の猶予期間があっても)を憲法に書き込まなければならない、というのです。私案ですが、日本人の融通性をもってすれば、第9条の第2項を書き換えるだけで用が済みそうです。