ところで、第二次世界大戦では、世界の国々のどれほどの人たちが犠牲になったのだろうか。ウィキペディアに各種資料を集大成した一覧表があるが、数字は上下に幅のある推計値が多い、そこで仮に中央値をとってみると世界全体で七千万あまりの人が死んだとされており、それは世界総人口の三・五%に当る。ここには軍人の戦死者だけでなく、巻き添えや虐待、飢饉などによる民間人の死者も含まれる。
最大の犠牲者を出したのはソ連で二千五百万人(人口比十四%)、次が中国で千五百万人、そして次がドイツの八百万人で、これは総人口の九%に当る。ちなみに日本は三百万人で、そのうち二百万が軍人、百万が民間人だった。総人口比では四%になる。連合国側はアメリカが四十二万、イギリスが四十五万、フランスが五十五万、オランダが三十万と総じて少ない。そして大半が軍人であり、民間人の犠牲は少なかった。
国別にならない特別な犠牲者となったのがユダヤ人で、五百万人がナチスドイツの手によって殺害されたとされる。ポーランドの犠牲者五百七十万人の中には、ポーランド国籍のユダヤ人が重複している可能性がある。
そのほかに犠牲者の多かった国や地域が東南アジアに多いのは、日本としては気になるところである。インドネシアを含むオランダ領地域が三百五十万、インドが二百万、フランス領インドシナ(ベトナムなど)が百二十五万、フィリピンが七十五万、ビルマ二十七万、マレー十万、シンガポール五万といった数字が並んでいる。これらの国や地域では地元の軍隊が日本軍と戦ったわけではない。大半は戦争に伴う徴発による飢餓や労務使役、ゲリラの疑いなどによって犠牲になった民間人だったと思われる。さらには日本側ばかりでなく、連合国側からの作戦や工作もあったことだろう。
しかし、アジアの民族を解放する「大東亜共栄圏」をスローガンとして始めた戦争を通して、これほど多くのアジアの民を死なせていたとは信じがたい気がする。中国を含む東南アジアでの戦争犠牲者が二千万人に達したというのは、以前から定説になっていた。日本軍の戦死者は二百万人だから、海外へ出て行って「一人十殺」を実行していたことになる。「米英撃滅」どころか、実際にやったことの結果は「アジア撃滅」に近かったのではないか。暴力と独善が支配する戦争の本質がここにある。
前の戦争で日本は良いこともした、そのおかげでアジアの国々は独立できたなどと言う者が今でもいるが、満州事変から始まった日本の戦争は、あくまでも日本のための日本の戦争だった。植民地支配の不正義を終らせたのは、暴力ではなくて世界の理性だった。その深刻な反省なしには、日本はアジアで信用されるはずがない。
最大の犠牲者を出したのはソ連で二千五百万人(人口比十四%)、次が中国で千五百万人、そして次がドイツの八百万人で、これは総人口の九%に当る。ちなみに日本は三百万人で、そのうち二百万が軍人、百万が民間人だった。総人口比では四%になる。連合国側はアメリカが四十二万、イギリスが四十五万、フランスが五十五万、オランダが三十万と総じて少ない。そして大半が軍人であり、民間人の犠牲は少なかった。
国別にならない特別な犠牲者となったのがユダヤ人で、五百万人がナチスドイツの手によって殺害されたとされる。ポーランドの犠牲者五百七十万人の中には、ポーランド国籍のユダヤ人が重複している可能性がある。
そのほかに犠牲者の多かった国や地域が東南アジアに多いのは、日本としては気になるところである。インドネシアを含むオランダ領地域が三百五十万、インドが二百万、フランス領インドシナ(ベトナムなど)が百二十五万、フィリピンが七十五万、ビルマ二十七万、マレー十万、シンガポール五万といった数字が並んでいる。これらの国や地域では地元の軍隊が日本軍と戦ったわけではない。大半は戦争に伴う徴発による飢餓や労務使役、ゲリラの疑いなどによって犠牲になった民間人だったと思われる。さらには日本側ばかりでなく、連合国側からの作戦や工作もあったことだろう。
しかし、アジアの民族を解放する「大東亜共栄圏」をスローガンとして始めた戦争を通して、これほど多くのアジアの民を死なせていたとは信じがたい気がする。中国を含む東南アジアでの戦争犠牲者が二千万人に達したというのは、以前から定説になっていた。日本軍の戦死者は二百万人だから、海外へ出て行って「一人十殺」を実行していたことになる。「米英撃滅」どころか、実際にやったことの結果は「アジア撃滅」に近かったのではないか。暴力と独善が支配する戦争の本質がここにある。
前の戦争で日本は良いこともした、そのおかげでアジアの国々は独立できたなどと言う者が今でもいるが、満州事変から始まった日本の戦争は、あくまでも日本のための日本の戦争だった。植民地支配の不正義を終らせたのは、暴力ではなくて世界の理性だった。その深刻な反省なしには、日本はアジアで信用されるはずがない。