非武装平和をつらぬいて世界に伍していくという理想は、しかしながら容易には実行できないものでした。戦後にわが国はアメリカ軍を主力とする連合軍の軍政下に置かれたのですが、その期間を終了するとき、引き続いて安全保障のためにアメリカ軍の駐留を承認し、なおかつ自国防衛のための自衛隊を創設するに至りました。わが国をめぐる国際情勢が、力の空白を許さない厳しいものであったためでした。ただし自衛隊は憲法を順守する立場から、軍隊ではない自衛のための実力組織とされたのです。
 しかし最大の国際緊張要素であった米ソの対立が解消した後までも、アメリカ軍の駐留は継続し、とくに沖縄は米国の世界戦略上の基地として整備されるに至りました。その間にわが国の自衛隊も整備が進み、世界でも有数の装備と実力を備えていると評価されるまでになりました。この状況になってもなお、アメリカ軍がわが国の本土にも駐留を継続して、指揮系統の上でも自衛隊と一体化し、指導的同盟軍として自衛隊の上位にあるかのように運用されていると聞き及んでいます。
 アメリカ軍による日本占領が、懲罰的ではない穏当なものであり、日本の戦後復興はもちろん、わが国の政治的改革にも大きな力となったことは感謝すべきであると思います。しかしながら、この現状でわが国は、アメリカから自立した外交政策で国際社会に貢献することが可能でしょうか。アメリカが主導する世界戦略の枠内でしか活動できないというのでは、事実上の占領が戦後七十年を経ても継続していると言うほかはありません。この点については、私は遺憾の意を表せざるをえないのです。
 思うにわが国が道を誤ったのは、力があれば道は開けるとする十九世紀的な拡張主義に陥ったからでした。しかし二十世紀後半からは、世界は平準化が進み、戦争を必要としない調和と共存の時代に入ったと私は認識しています。この時に当ってアメリカの世界戦略は、経済のグローバル化を先導する一面とともに、資本と軍事か癒着した拡張主義との二面性を備えているように見えます。この拡張主義の側面は、世界の未来にとって好ましくないと私は考えています。
 この拡張主義の根底には、核エルネルギーが横たわっています。核兵器を使用可能なものとして開発、備蓄しているのは人類最大の不安要因であり、原子炉を積んだ艦船の配備も、原子力発電所の存在も同様です。拡張主義の行きつく先は、人間が住めない地球という悪夢を招くのではないかと思うのです。かつて拡張主義で世界に迷惑をかけたわが国としては、この現状に警鐘を鳴らし、人類を平和共存に導くのが使命ではないか。福島の被災地を訪ねたときに、私はこのように感じました。