志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2015年11月

11月の終りに「国家とは何だろう」と考えた

 今朝見た夢の中に「ハンナ・アーレント」という名が出てきて、はっきり思い出せずに迷っているうちに目がさめました。気になって検索したら、2014年の2月に本を読み
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595605.html
同年3月に映画を見たのでした。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595926.html
 ハンナ・アーレントは、アメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人の哲学者です。ナチスのホロコーストを危うく逃れて、戦後にアイヒマンの裁判を傍聴し、国家の犯罪と個人の責任の問題を考えました。冷血残酷なホロコーストの実行指揮者が、じつは小心で職務に忠実な官僚でしかなかったと結論して、激しい論争を引き起こしました。
 その関連で太田哲二さんからのコメントなどを通して「国家法人説(機関説)」といったことも考え、国民は国家に忠誠を尽くすために生きるのではなく、国家は国民に奉仕するための機関であるべきだ、それが民主主義の国家だと結論したのでした。
 夢の中で私は、上映が始まりそうな映画館の中で、座席が見つからずにうろうろしていました。自分の居場所がわからないというのは、私の夢によく出てくるパターンです。あちこちでホットな集会や行動が行われているのに、私は週に一度、新宿西口に一時間行くだけです。たぶん、その後ろめたさがあるのだろうと思います。
 その次に考えたのは、辺野古の基地ゲート前で、あるいは海上で、抗議する群衆と対峙している機動隊員や海保隊員のことです。彼らは上司の命令で職務として出動しているのですから、職務には忠実でなければなりません。その職務命令は、非暴力の抵抗に対して暴力的であってはならないのはもちろんです。もし過剰な暴力であれば、本人もその上司も処罰されます。
 辺野古では、地域住民と政権との意思が真っ向から対立しているのですから、警備担当者の職務が楽なわけがありません。個人の意思とは無関係に職務遂行を求められるのです。それでも厳密に定められている公務員の服務規定を守り、苦しくても感情に溺れて過剰な暴力に走らないように、切に願います。強い権力をあずかる者ほど、強い自制心を必要とするのです。
 かつて日本の警察も検察も、誤った正義感から良心的な市民にほしいままの暴力を振るった時代がありました。その教訓は、公務員の教育にどこまで生かされているでしょうか。民主主義の国の権力執行者は、国政に必要な警備に出動する場合でも、国民の敵になってはならないのです。国政への異論は、明日は国の正論になる可能性があるのですから。

マイナンバー通知の簡易書留が来た

 話題になっているマイナンバー(個人番号)を通知する簡易書留が届いた。中身を見ると12桁の個人番号を知らせる「通知カード」と「個人番号カード交付申請書」が1枚の紙になっている。「申請書」の方には写真の貼り付けが必要なようだ。
 国民全員を統一した番号で管理して、納税の公平化や社会保障の正確化などに役立てるという発想は、以前からあった。脱税の防止などには威力を発揮するだろうから、公平社会実現のためには、いつかは必要になる制度だというのは理解できる。しかし情報管理がどう使われるかが問題で、個人情報のすべてを国が管理することで、個人の自由が制約を受ける心配もある。つまり、国民のためになると信頼することのできる政府ならいいが、そうでない場合は国民を抑圧する道具にもなるということだ。
 この制度が、何度も立ち消えになった末に、安倍政権の時代に具体化してきたというところに、最初の不安がある。出来てしまった制度は、政権が交代しても変えることが難しい。悪用されない制度であることが大事な条件なのだが、この政権で大丈夫だろうか。マイナンバー通知受け取り拒否の運動まで起きるというのは、安倍政権に対する国民の不信感の度合いを示している。
 わが家の場合だと、会社の会計上、マイナンバー自体は必要だということだ。だから通知カードの部分はそのまま保存しておくことにした。もし受け取り拒否をしても、役所ではすでに番号を割り振っているわけだから、それで番号が消えるわけではなく、本人が知らないだけということになるからだ。しかし、マイナンバーカードの交付申請は、当分は出さないで保留することにした。無くては困るというものではなさそうだ。
 政権が交代して善政が期待できるようになったら、そのときにまた考えよう。

ブログ連歌(423)

8439 ひど過ぎる 三面記事は 生々し
8440  愛し愛され 殺し殺され (うたのすけ)
8441 地球ごと 心中話じゃ あるまいに
8442  殺し合いでは 明日が見えぬ (建世) 
8443 やっぱり起きた 武力行使
8444  同床異夢の 空爆攻撃 (獣医さん)
8445 ロシアもトルコも自己主張
8446  事故の主張が異なって (獣医さん)
8447 社会から弾かれた若者を
8448  褒め上手にアイエスが受け入れて (獣医さん)
84349 また一人 焼け跡を飾った美女が消え
8450  原節子 甘い笑顔が戦後を照らし (獣医さん)
8451 冷雨うつ 硝子の向こう 明け初めぬ (みどり)
8452  明けぬ夜はなし 遅い朝でも (建世)
8453 贈られた 遺品の時計に 義父母の愛 (森の真清水)
8454  それぞれの時 思い出ゆたか (建世)
8455 世界一 羽生くんなら 文句なし (建世)
8456  真央さん悔し 花いちもんめ (みどり) 
8457 真央さんの 失敗なんとなく 予感あり (うたのすけ) 
8458  氷盤に立つ 原節子のよう (建世)
8459 陸に海に 争い果てぬ 辺野古崎
8460  守礼の里に 母国はありや (建世)   

多摩管弦楽団の定期演奏会を聞く

 多摩管弦楽団の第41回定期演奏会を、多摩センターの「パルテノン多摩」大ホールで聞いてきました。多摩管弦楽団は、多摩市民をはじめ近隣地域の人々が参加している市民オーケストラですが、1976年の設立以来、40年近く定期の演奏会活動を重ねているとのことです。ここには西口スタンディング仲間の木村雅英さんが、クラリネットのパートリーダーとして参加しています。
 私がこのオーケストラの演奏を聞いたのは、2009年末の「第九」演奏会が最初でした。150人の合唱団とともに90名の楽団が舞台からこぼれるばかりに並び、それをナマで聞く迫力は、例えようもないほどでした。楽団も合唱も、決してアマチュアとして甘えるレベルではなく、プロが指導する立派な音楽性を備えていました。
 今日の演目は、エロールの歌劇「ザンパ」序曲。ベートーベン「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」。そしてチャイコフスキ「交響曲第1番『冬の日の幻想』」で、ピアノ奏者はゲストに近藤嘉宏を迎え、指揮は常任指揮者の高橋俊之でした。序曲の中には、木村さんのクラリネットのソロ演奏の部分もありました。全体に、楽団員と指揮者の呼吸がぴったり合って、非常に高い一体感が得られた演奏会でした。
 質の高いオーケストラはいくらもあるでしょうが、市民に身近なところで、市民文化として本格的な管弦楽団が活躍しているというのは、すばらしいことです。心地よく音楽のシャワーを浴びた帰りの駅へ向かう「パルテノン大通り」を歩いている途中で、見事なイルミネーションが一斉に点灯しました。もう、年末が近いのですね。

思い通りにならない日は あした頑張ろう

 表題は今のNHK朝ドラ「あさが来た」のテーマソング「365日の紙飛行機」の歌詞の一部分だが、この一節がとくに印象に残る。思い通りにならないことは誰にでもあるが、「あした頑張ろう」というところで、今日はもういいやという軽い気持ちが浮かぶからだろう。そんなことは、私にもよくある。
 所詮は紙飛行機だから、空に放たれたら、風まかせに飛ぶしかないのだ。人が乗るハングライダーやパラグライダーだったら人が操縦できるので、上昇気流をつかまえて長く飛べることもあるが、それでもいつかは必ず地上に降りなければならない。一度だけパラグライダーを経験してみたことがあるが、長さで10メートルほど体が浮いて着地のとき、飛距離を惜しんで足を上げたままでいたら、尻が直接地面に当って痛かった。
 戦時中の少年期には、学校でも紙飛行機が流行っていた。長方形の紙が都合がよくて、翼の広い「爆撃機型」と、鋭角的な「戦闘機型」と、二つの主流があった。勢いをつけて飛ばすと宙返り的に高く上がることがあり、空中戦のつもりで楽しんでいた。翼の後端をひねっておくと、右旋回、左旋回もさせられた。
 近ごろは公園などでも紙飛行機を飛ばして遊ぶ子供を見たことがない。親が知らないからだろう。戸外で遊ぶ楽しみの一つだから、やってみるといいと思う。教則本などは要らない。形を見て自分なりの工夫をすればいいので、私たちはみんなそうしてきた。

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それぞれの原節子

 女優の原節子さんが亡くなっていて、半年近くなってからニュースで伝えられた。聞いてはじめて「まだ生きてたのか」と思った人も少なくないことだろう。昭和37年、42歳で突然に引退して、そのまま一切マスコミに出なくなった人だった。
 この人は、私が顔と名前をちゃんと覚えた最初の映画女優だった。大学1年のとき、喫茶店に貼ってあったポスターに「きれいな人だね」と見入っていたら、先輩に「お前、原節子を知らないのか」と言われたので名を覚えた。それは昭和31年、1956年のことだから、数々の名作に出演した後のことなのだが、当時の私は、「映画女優の顔なんか一つも知らない」というのを、むしろ自慢にしているところがあった。
 私は映画でもテレビでも、役者の名前には無関心で、あくまでもその作品の中の人物として見ている傾向がある。でも原節子の場合は、演技がどうこうよりも、原節子の存在感そのものが大きかったと、追悼の解説記事に書いてあった。そう言われると、この人の独特の価値がわかるような気がした。
 原節子の映画は、名画座での上映や、テレビでの放映で見たのがほとんどだが、「わが青春に悔いなし」や「東京物語」はよく覚えている。中でも黒澤明監督の「白痴」は、阿佐ヶ谷ラピュタで見たと思うのだが、札幌雪まつりの原風景と、冷え冷えとした人間関係と、やたらに美しい美女の顔とが交錯して、この世と思えないような特異な世界を描いていて、すごい迫力だった。永遠の美女は、現世の男の手の届かないところに置くのがよいのだ。 
 それにしても、である。原節子は42歳で引退してから95歳で没するまで、53年間も大人として生きていたことになる。彼女の人生の大半は「元女優」として過ごしたことになるのだが、その人生とは、いったい何だったのだろう。仕事はしなくてもよかったのかも知れないが、どんな趣味、どんな思想を生きる支えにしていたのだろうか。できれば様子を知る人から話を聞きたいものだが、臨終に立ち会ったという「5人ほどの親族」も、故人の意を汲んで口は堅いのではあるまいか。
 本名は会田昌江(まさえ)さんだというのも初めて知った。もしかすると、原節子は42歳で永遠の氷柱に閉じ込めてあるのかもしれない。

きょうの作文「思い出すこと」

 「小説・昭和からの遺言」の編集打合せをしていたら、「目次と前書きが大事ですよ」という話になりました。ちょっと人目を引きつけるような前書きがあるといいということでした。そこで一日かけて書いてみました。今回は、縦書きしたものを横書きにして紹介します。こんなので、いいでしょうか。

 思い出すこと

大学の同期生が集まる同窓会に行くと、今でも「あの人」のことが話題になる。「あの人が出てきて天皇陛下って言われると、今でも違和感があるわね」というわけだ。あの人は、私たちにとっては「皇太子」か「殿下」か「チャブ」さんだった。私たちは文学部の英文科で、皇太子さんは政経学部だから学部は違うのだが、教養課程では同じ科目を取ることもあった。それに、英文科は学習院の女子部からきた女子も多いから、なぜか皇太子さんと親しげに会話する人もいた。学内にいる限り「あの人」は、ちょっと気になる同期生の一人という位置づけだったと思う。

 皇太子さんの身辺には常に数名の「ご学友」がいたようだが、SPなど特別な警備がついている気配はなかった。私たちは特別なご学友でもないから、あまり気にせずに、出会っても自然体でいるのがいいというのが、暗黙の合意だったような気がする。それは先生も同様で、戦後に皇室のために尽力したと言われるブライス教授も、授業の終りぎわの雑談で「これからクラウン・プリンスの家庭教師に行くが、このままノーネクタイで行く」と言っていた。詩心に飾りは不要という話のついでだった。

 そんな中で、私にも一つの思い出話ができた。昼休みに卓球場で英文科の女子と打ち合っていたところ、受け損なって後ろへそらした球を、ワンバウンドで受けてスマートに投げ返してくれた男子がいた。「どうも」と会釈して見たら、皇太子さんの顔だったので一瞬驚いた。知らぬ間に後ろで次の番を待っていたのだ。そのとき、近くにいた「ご学友」らしい一人が、ニヤリと笑顔を見せたのが記憶に残っている。

 それだけのことで自慢にするわけもないのだが、皇太子「殿下」がその瞬間、ごく自然に反応して親切を示して下さったことについて、温かいものを感じたのは事実である。私は父から「建世」と名づけられている。満洲国建国の翌年に生まれたから、国よりも大きくしたという説明だったが、やや重荷な名前ではあった。その影響かどうかは知らないが、少年期に「自分が天皇だったら」という空想をしたことはある。それ以来、天皇の名において行われた悪を憎むことはあっても、天皇に悪意を抱いたことはない。
 英文科の同窓会では、冒頭の話題が出てくると、決まって次のような流れになって終るのだ。「あれを見ていると、自分が年をとるのもしょうがないと思うのよね」と。この点については誰にも異存はない。みんな同じように年をとって、やがてこの世から退場して行く。その中には、かつて皇太子と呼ばれ、今は天皇である「あの人」もおいでになる。私たちがどんな時代に生きたのか、それをどう後へ伝えたいのか、ちょっとお立場をお借りして思うままを述べることを、許していただけると有難いのだが。

テロと空爆と、非人道的なのはどちらか

 毅咾了長鵑気呂茲知られているが、テロに報復するための空爆は、人道的なのだろうか。パリでは129人が犠牲になったと伝えられた。一方、シリア領内への空爆では、巻き添えになった民間人だけで、すでに二けた多い人数が犠牲になっているということだ。もともとは、パリへのテロ攻撃が、空爆への報復ということだった。
 単純に考えて、これでは報復の連鎖は止まらない。地上軍を伴わない空爆だけでは、治安の回復は困難だということだ。無政府状態の国が、また一つ増えるだけのことになる。フランス人が殺されたのは許せないからと爆撃を強化して、シリアで人が死ぬのは仕方がないというのは、人種差別にならないのだろうか。
 先進国の国内が安全なのは大事なことだが、世界は狭くなっていて、局地だけ絶対安全というわけには行かない。やはり世界は丸ごとで安全にするしかない。面倒でも、テロリストたちをテロをしない人たちに変えるしかないのではないか。

やっぱりこの本を出す「小説・昭和からの遺言」

 このところ本づくりの実務に時間をとられて、ブログ投稿は短文で済ませています。縦書きへの変換とルビつけ、全体の章分けなどは一応形になってきました。タイトルは、「小説・昭和からの遺言」を、そのまま使いたいところです。
 肝心の、何のためにこの本を書いたかをアピールするサブタイトルとしては
  護憲派「建仁天皇」の視点で描いた
  昭和史の全体像と日本の未来
ということになると思います。
 歴史小説ならともかく、近現代の天皇を小説にする難しさは承知しています。それでも、これは私の人生の総まとめに近いのです。全体を読み直してみても、その実感は変りませんでした。昭和8年に生まれて育って、いろんな経験をして、いろんなことを考えてきた人間が、最後にこんなものを書いてみたかったのです。どう受け取るかは、読んで下さる方々にお任せします。
 順調に行けば、来年2月の発行をめざします。

ブログ連歌(422)

8419 ともかくも 101回を書き終えて
8420  何はともあれ 本日休業 (建世)
8421 空爆が テロを育てる 殺し合い (建世)
8422  目には目をとて 連鎖果てなし (みどり) 
8423 空爆の下にも 無垢の命あり
8424  報復思想 相手も同じ 留まらず (獣医さん)
8425 武力の行使と威嚇 連鎖生む
8426  今こそ 平和憲法生かすべし (獣医さん)
8427 白鵬は なんでもありの 横綱よ (うたのすけ)
8428  猫もだまして 勝てば賞金 (建世)
8428B  嘆く大鵬  草葉の陰で (うたのすけ)
8429 ご隠居の ご無事を祈る 夜もすがら (みどり)
8430  見舞い見舞われ 晩秋の日々 (うたのすけ)
8431 法の下 裁きの廷に 立つ権利 (みどり)
8432  国と県とが 訴状を交わし (建世)
8433 やられたら やり返すのが 国力と
8434  勇み立っては 死の連鎖だけ (うたのすけ)
8435 地震国 野積み汚染土 何処へやら (みどり)
8436  行くあてもなし 国に策なし (建世)
8437 過疎の村 大根吊るされ 冬支度 (みどり)
8438  星霜幾夜 春は遠くて (建世)
8439 ひど過ぎる 三面記事は 生々し
8340  愛し愛されれ 殺し殺され (うたのすけ)

大阪では維新が完勝だって

(熊さん)ご隠居、大丈夫ですか。12月がまた入院で、滅入ったりしてませんか。
(ご隠居)そりゃ大丈夫だが、何かうっとうしい気分はあるな。大阪の知事と市長のダブル選挙じゃ、どっちも維新の勝ちという結果が出たそうだ。大阪都構想も、橋下の言うこともわけがわからんが、大阪の人たちも、何か時流に流されているんじゃないのかな。自民と共産が協力するなんて面白いと思ったが、やっぱり無理があったのか。
(熊)都構想を一度は住民投票で否定された維新がまた勝つんだから、わけがわかりませんね。
(隠)なんせ大阪という限られた地域のことだから、こっちでは本当のことはわからんよ。反自民の感情が、それだけ強かったと言えるのかもしれないな。だけど、野党の再編は、これでまた複雑になるような気がする。維新が分裂して消えるんじゃなくて、妙に元気になったところで、自民に対抗できる勢力になれるとは思えない。民主党は揺さぶられて、軸足が決めにくくなるんじゃないのかな。
(熊)大阪から日本を変えるなんて、本当にできるんだろうか。地域政党って、いったい何なんですか。
(隠)沖縄の地域政党が活躍するってのは、わかるけど、大阪を拠点に日本の政治を動かすなんて、ちょっと違うんじゃないのかな。日本の全体がおかしくなりそうな大事なときに、余計な複雑さが持ち込まれるような気がするよ。とにかく、愉快な話題ではないな。

満天の秋空

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 午後3時20分、東京西部上空に現れた秋雲です。久しぶりの晴天かと思われましたが、薄雲はなかなか取れず、屋上の洗濯物はこの時間に取り込みました。地平線には、秩父連山の稜線が、かすかに見えています。ほぼあともう一か月、昼は短くなって夕日は左へと移動します。しかし冬至まで行ったら、また日差しは戻ってくるのです。
 それがわかっているから、寒さに耐えることができるのです。寒くなる一方の地球だったら、生き残れる者はいなくなります。人間がやれることには限度がある。どんなに横暴な権力者でも、やれることには限度がある。冬至を過ぎた北半球を、それ以上に暗くすることはできない。彼らもやがて、力尽きて退場するときがくる。
 冬至が過ぎたら、間もなく今年が終ります。来年の見通しも、決して明るくはないけれど、誰にとっても未来はあります。地球はたぶん、人が思うよりもずっと大きくて、たくましいのです。人が傷つけても、立ち直る力を秘めている。立ち直る地球とともに、生きることを楽しむ人たちのつながりが、世界を一つに結ぶ日がきます。必ず。

天も地も定まらない秋

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 天も地も、定まらない秋です。例年の11月らしい晴天が少なくて、沈鬱な曇天が多いように感じます。フランスのテロ事件も、そのリアクションとしての空爆の拡大も、どこへ行きつくのか見通しがわかりません。世界の首脳は、忙しげに国際会議を渡り歩いて、同じような「テロを許さない」発言を繰り返しています。その中に時々は日本の安倍総理も顔を出して、おや、そんなところにいたのかと思います。外交日程が混んでいて、野党が憲法に定めた議会招集の請求をしても、年内には応じられないのだそうです。国会では、やりたいことは一通り終えたので、しばらく閉じておくのが得策と計算しているのでしょう。
 机の上のギンナンは、この4日の国会一周で拾った最後の12粒です。議事堂裏手の、参議院面会所の近くが、質・量ともに収穫の穴場でした。柿は、今年は5個しか実らなかった自家の収穫です。不思議なことに、すべて種が入っていませんでした。もちろん種なしの木ではありません。例年は普通に種が入るのに、味は同じでも、なんだか変です。受粉が不完全だったのでしょうか。
 天も地も、ふつうでいてくれたらいいのです。ぜいたくは言いません。多少の不作でもいいのです。ふつうになってくれる年が、また来てくれればいいのです。でも、ふつうのことが通らない世の中になりそうなのが気になります。辺野古はどうなるのですか。原発は再稼働していいのですか。日本の自衛隊は、何のために、どこへ行く準備を始めるのですか。
 政府からは、責任のある答えは期待できなくなりました。このままでは、先へ行くほど不安が大きくなります。政治を変えないといけない。そのことだけが、よくわかっています。

寛容は非寛容に対しても非寛容であってはならない

 今朝の日経新聞コラム「春秋」に、文学者の渡辺一夫の言葉が引用してあった。この人は宗教史も研究して、この結論に達したという。寛容な人でも、非寛容に固まった人に出会うと心を固くする。非寛容な人に対して寛容にしたら、自分が損をするだけだと不公平にも感じるだろう。しかし、非寛容をぶつけ合っていたら宗教戦争は終らなかった。
 でも、すぐに考えたのは、非寛容な権力に対しても寛容でいられるか、ということだった。もともと非対称な権力との対立に、寛容の精神を持ち込んだら、あきらめと盲従に陥るだけではないのか。それは寛容とは違うのではないか。
 寛容は非寛容に対して、非寛容は誤りだと言いつづけなければならない。非寛容に固まったら人間の発展はなかった。対立する相手からも学ぶことで人間は賢くなった。だから非寛容は間違っていると言いつづけなければならない。非寛容に押しつぶされて沈黙してはならない。自信を失ってはならない。
 寛容は人間の希望なのだ。何があっても、死んではいけない。

非還納性ヘルニア徒手整復法による処置

 フランスのテロ事件とその続報、辺野古をめぐる沖縄県と国との対立、場所を変えては同じような顔ぶれで話し合う日本の安倍総理を含む世界の首脳たち、それらを伝えるテレビを横目で見ながら、二つの病院へ往復して、いろいろ検査を受けたり手続き書類を書いたり、落ち着かない間に終った一日でした。
 昨夜の病院で受けた「飛び出した腸を腹腔の中へ押し戻してもらった」緊急手当ては、今日の病院で精算を受けた明細書で見たら、「非還納性ヘルニア徒手整復法」という名の処置だったことがわかりました。「徒手」という言葉で、何も使わない文字通りの「手当て」だったところが、人間的で面白いと思いました。
 次は12月2日に予定された入院と翌日の手術で、またいろいろな手当てを受けることになるのでしょう。大腸がんから卒業して病院との縁が切れたと思ったら、また意外な縁つづきになりました。病院の中にいて感じるのは、患者に老人が多いことです。病院に通うことが仕事のようになっている人もいるかもしれません。案内図と部屋番号を見比べながら歩き回るのは、クイズラリーに参加しているようで、最後の「会計」がゴールでした。

鼠蹊部ヘルニアで救急外来一往復

 夕刻になって急な腹痛あり、気がついたら左下腹部に出た妙なふくらみが大きくなっていました。この一週間ほど、下腹部の変形には気がついていました。腹痛も時々あったのですが、両者を結び付けて考えていませんでした。今夜になり、これはヘルニア(脱腸)ではないかと家人の見立てになり、近所で救急対応の横畑病院に電話で相談しました。この病院は、元は胃腸・外科の専門病院で、私も虫垂炎でお世話になっています。
 「入院もできる用意をして来てください」との指示で、婿の運転、娘の付き添いで10時過ぎに病院着。患部を一目見た当直医は、「これは入りますね」と手当てしてくれて、腸は難なく元の場所に収まりました。「周りから寄せて押し込めば自分でも入れられる」とのことでした。ただしすぐに再発するので、なるべく早く手術した方がいいでしょう、手術は簡単です、とのことでした。とりあえず今夜は短時間で帰ってきました。
 年をとると、いろんな経験をしますね。

空爆でテロは防げない

 同時多発テロに襲われたフランスは、さっそくISへの空爆を強化しているということだ。空爆でテロを根絶できると思っているのだろうか。おそらくそうではあるまい。フランス国民の怒りを、とにかく行動で示しておかないと気が済まないのだろう。
 シリアで殺されている人の人数はわからないが、100人の規模では済まないだろう。誰と誰が対立して、誰が殺されているのかわからないほどの混乱の中にあるようだ。ふつうの住民が故郷に住めなくなって周辺国へ逃げ出しているという。人道物資を届けに行くのならわかるが、空爆に行ってどうするのだろう。
 テロリストを一人殺すと、新しいテロリストが二人生まれると言われる。西欧から志願してISに参加する若者もいるというのだから、話は簡単ではない。安全な世界にするには、時間をかけても、テロリストをテロをしない人に変えるしかないのではないか。法の下で、公正な裁判で議論をさせるのがいい。
 問答無用の空爆で殺すのが解決にならないことは、もう実証されているのではないか。効果がないからもっと徹底的にやるというのは、たぶん失敗に終る。これから日本が「有志連合」に協力すれば、日本も殺し合いの当事国になる。
 現代の社会には、弱点はいくらでもある。命がけで日本人を殺したいテロリストを育てたら、被害は100人規模では済まなくなるだろう。

昭和からの遺言・今後の予定

 一通り完結させましたが、全体を縦書きに組み直して、改めて読んでみてから今後を考えます。当初の予定だと、見開き二ページごとに一話が101で、目次、脚注、あとがきなどを加えた200ページあまりの一冊になります。早ければ来年の早いうちに出版の運びにします。

小説・昭和からの遺言(101)人は宇宙と同じ大きさになれる

 学習院の大学で学んでいた時期に、R.H.ブライス師から禅の極意を教えられたことがあった。俳句と禅の研究家であるイギリス人から、英語で仏教を学ぶという不思議な経験をしたのだった。そのとき「悟る」とは自分が宇宙に翻弄されるのを自覚することではない、自分が宇宙を翻弄することだと言われた。よくはわからなかったが、人間の心は、ある瞬間に宇宙と同じ大きさになるということは理解できた。
 世の人すべての悲しみをわが悲しみとすれば、それは慈悲の心になる。仏像の静かで悲しげな表情は、それを表しているのだろう。一方、わが心で宇宙のすべてを支配できるだろうか。現実の現象としては不可能だろうが、解脱した心で見れば、すべての事象は本来の位置に収まり、心を悩ますことはなくなるのかもしれない。
 やがて自分の肉体が亡びるとき、自分の心はどこへ行くのだろうと建仁は思う。死は長い眠りに過ぎないのならばそれでもよい。眠っていた間のことを自分は知らない。自分の死後のことも知らなくてよい。でも、死後にもまた夢は見るとしたら、それはそれとして楽しいかもしれない。そんなことを考えている間に、建仁は自分がまだ生きているのか、それともすでに死後になっているのかが、わからなくなった。
 どこからか心地よいオルガンの音楽が聞こえてきて、目の前が橙色に明るくなった。気がつくと自分の視点は空中にあり、陵墓らしいものを見下ろしていた。やがて視点は上方に引かれ、周囲に点々と同心円状の黒い列が見えてきた。よく見るとそれらは人の姿で、陵墓に向けて礼拝しているのだった。どうやら自分は死んだらしかったが、そんなことはもうどうでもよかった。視点は自分の意思で自由に移動するようでもあり、同時に何者かによって強制的に導かれているようでもあった。
 風景はいつか雲の中に没したかと見えたが、やがて地球の全体像として浮かんできた。それでも止まらずに太陽系の全体となり、周囲には無数の星が輝き始めた。そこから銀河系宇宙の全景となり、大宇宙の全体になるまでに、さして時間はかからなかった。その景色を見たとき、建仁にはなぜか懐かしいものを見るような既視感があった。それと同時に音楽は、雅楽の独特な響きに変っていた。上の方から、母のような優しい声が聞こえてきた。「……いまし皇孫(すめみま)行きて治(しら)せ幸(さき)くませ。天津日嗣(あまつひつぎ)の栄えまさんこと当(まさ)に天壌(あめつち)と窮まり無かるべし。」
 そのとき建仁は突然にすべてを悟った。これは自分の知っている宇宙とよく似てはいるが、性質が正反対の「もう一つの宇宙」なのだ。こちらの宇宙には明仁という天皇がいるはずである。会いたいが、会えばその一瞬に両方の宇宙は「空」になるのだった。(完)

ブログ連歌(421)

8399 焚書坑儒 暴帝の故事 彷彿す
8400  電子の世にも 姿を変えて (建世) 
8401 思いやる 辺野古の海に 叫ぶ声 (建世)
8402 沖縄差別 抗議激しき (みどり)
8402B 故郷守れ 自然を守れ (てるゆき)
8403 早や来たる 霜月なれど 国会は (みどり)
8404  いつものように 4日水曜 (建世)
8405 辺野古 居良いか住みよいか
8406  ジュゴンの気持ち 安倍知らず (獣医さん)
8407 あれよあれよと 土砂が珊瑚殺してく
8408  そこのけそこのけ 代執行が通る (獣医さん)
8409 三人が 並んで写真 それで何?
8410  また会いましょう 意見が一致 (建世)
8411 人心は 平らかならず 株高値 (みどり)
8412  明日が見えねば こころ踊らず (建世)

8413 立冬も 基地を阻止すと 座り込み (みどり)
8414  沖縄戦は 今も終らず(建世)
8415 時雨ゆき 歌詠み人を 待ちあぐね (みどり)
8416  日暮れは早く 夜は長かり(建世)
8417 鹿児島の 川内気がかり 大地震 (みどり) 
8418  噴火の本場 近くにあって(建世)
8419 ともかくも 101回を 書き終えて
8420  何はともあれ 本日休業 (建世)
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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