志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2015年12月

「2020東京メランコリンピック」と「眠れぬ夜の長恨歌」

 かわぐち・えいこうさんのブログ「函館市とどほっけ村」を読んだのがヒントになって、次の東京オリンピックの呼び名が浮かんだ。1964年のときのような素直な期待感、高揚感がないのはなぜだろう、メランコリーになるというのだ。とっくに昔の人だと思っていた元総理の親玉が威張っていたり、福島原発事故の隠ぺいに使われたり、アベ日本の国威発揚の場に利用されたりすると思うと憂鬱になる。
 それに加えて、私などは真夏の東京の酷暑の中でのオリンピックと聞いただけで、とてもまともな計画とは思えない。少なくとも私は、どんな競技も絶対に見に行かないと決めている。(もっとも1964年のときも、何もリアルには見ていないのだが。)今さら返上も中止もできないだろうから、メランコリンピックというわけだ。
 それと、昨夜「そりゃないよ獣医さん」からいただいたコメントで知った岩谷時子の「眠れぬ夜の長恨歌」が強烈だった。越路吹雪が亡くなったときの弔詩だが、失くしてはいけないものを失くした者の悲しみを叩きつけている。2015年に、私たちは多くのものと多くの人を失った。その中には戦後70年の記憶も含まれる。大晦日の夜に、耳を傾けたいと思った。ネットで公開されているから、著作権の使用は許していただきたい。

  眠れぬ夜の長恨歌
               岩谷時子
 越路吹雪よ 四十年近い友情は 月日と共に昇華され あなたは今 私の胎内に宿る
……越路吹雪よ 遠い天国への道で もし責苦を受けるときは おんなに生まれながら まだ知らぬ陣痛を 私に起こせ 激しく激しく超こすのだ あなたの苦しみを 私は共に苦しもう あなたの痛みを 私は共に痛みたい 越路吹雪よ 寒くはないか 私は寒い
……越路吹雪よ 淋しくはないか 私は淋しい 越路吹雪よ 顔が見たい 声が聞きたい この息が絶えるときまで 私の中に抱き続けようとも もはや言葉を交わせぬとは
……越路吹雪よ そこは住みよい処だろうか 越路吹雪よ あなたとの別れは あまりにも早すぎ 私が希望を探すには 遅すぎた 越路吹雪よ 越路吹雪よ 逢いに行ってはいけないか 越路吹雪よ

恨(はん)の文化と少女像

 朝鮮民族には恨(はん)の文化があると言われる。自国語の意味を漢字に当てはめて表現するところは日本語に似ているが、あくまでも漢語として扱うので、「訓読み」はしないということだ。1970年代からは漢字を廃止する方針となり、表記はハングルに統一されつつある。それでも恨(はん)が、漢字の意味を借りた朝鮮語である事実に変りはない。
 この恨(はん)の内容には、朝鮮半島の歴史が投影している。古くから中国大陸から来る優勢な民族に、何度も征服されてきた。それは漢民族を主体として、モンゴル族であったり、女真(満洲)族であったりもした。時には東の「倭寇」の侵入もあった。
 そうした苦難の中から生まれた屈折した心情が恨(はん)の文化になった。そこにあるのは征服者への恨みと独立への願望だけではない。強者へのあこがれもあれば、強者を利用して権力側に立とうとする者と、そうでない者との分裂の悲しみもあった。そこには悲しみをベースとした詩情さえ漂っている。
 「長恨歌」といえば中国の白楽天(白居易)が作った長編の歴史ロマン詩劇だが、みごとに「恨」の字を使っている。玄宗皇帝と楊貴妃の、現世を超えた愛情を描いた作品で、その最後は「天長地久時あって尽くるも この恨みは綿々として尽きるとき無からん」と歌い納めている。高校でこれを教えてくれた内田泉之助先生の朗詠の声が、今でも耳に残っている。
 話がそれたが、この「恨」は、意味としては「深い思い」に近いのだ。人は、いやな思い出は早く忘れたがるが、中には決して忘れてはならず、人間存在の根本にかかわる「恨」もある。女性にとっての「強制された性」が、そのような意味を持つ場合があることを認めるべきだと思う。
 韓国の日本大使館前に建てられたという「少女像」を、インターネット画像などで見たが、あどけないほどの、無垢な表情に見えた。「この私に、戦場の兵隊たちは何をしたのですか」と問いかけている。この像は「恨(はん)の文化」の精華を表現していると言っていいだろう。
 沖縄でも福島でも、今の日本人は抱え切れないほどの「恨」に囲まれている。韓国の人たちの「恨(はん)」に共感することはあっても、これを排撃する気持は、私にはない。

ブログ連歌(427)

8519 短日も 畳の目ほど 陽ざし伸び (みどり)
8520  春遠からじ 冬来たるとも (建世)
8521 思い出は さらりと流し 新た世へ (みどり)
8522  明日知れぬこそ 前を見据えて (建世)
8523 これもまた 安倍の手柄に されそうな
8524  日韓和解 十億円で (建世)
8525 絶対に 和解はなしと うたのすけ
8526  次なる術に たじろぐなかれ (うたのすけ)
8527 こわもても 時の利を見て 詫びて見せ (建世)
8528  その先読んでる 相手は上手 (うたのすけ)
8529 時の利を 後ろでニンニン 闇の米 (ひねくれ者)
8530  持ち駒日韓 「歩兵」が二枚 (建世)
8531 これでよし 肩をならべて 後方支援 (ひねくれ者)
8532  兄弟仲よく お家が大事 (建世)
8533 忘れまじ 少女の像の 悲しみは
8534  国境を超え 世代を超えて (建世)
8535 人心を 億で買わんと 血税遣い (みどり)
8536  居丈高にも 不可逆と言う (建世)
8537 それぞれの ご意見楽し 望年会 (うたのすけ)
8538  一夜明ければ 年越し迫る (建世) 
8539 ネオコンの言うがままで モノをいう
8540  押し付けられ憲法と 改憲を押し付けられ (獣医さん)

2015年末望年会

参加方法・コメント欄に投稿の形で、どなたでもご参加ください。24時まで受付フリーにしています。
(うたのすけ)
皆さま今日は。今年もやってまいりました望年会。小生毎回発声の音頭を、半ば義務付かされている「芝居やうたのすけ」であります。
 さてこのブログ望年会、発会からよどみなく続いて今年で八年目と相成りました。まさに驚くべき史実であります。
 これひとえに、主宰者の志村氏の存在と、みなさまの熱きご協力のたまものと感謝させて頂きます。
 では前置きはこれくらいにして、皆さま既にスタンバイの状態にあると思います。どうぞお手元の杯、或いはグラスにお好みの液体を注いでください。
 よろしいでしょうか、では乾杯といきましょう。
 来年こそ希望輝く年であることを念じてカンパーイ! 
(志村建世)
うたのすけ様、ありがとうございました。長老のご発声をいただき、ここに開会の運びとなりました。皆さまどうぞ、ひとときを、くつろいでお過ごしください。今年は、長屋の熊さんとご隠居も顔を出しているようです。さて、どうなりますか。
(熊さん) 
初めまして、こんにちは。ご隠居の用心棒でついてきました。ご隠居のところには、志村さんとこの熊五郎と、三人が同居しているんで、ヒマだったら三人でしゃべってれば間がもてるって発想だろうけど、どうですかね。なんか要領がわかんないけど、まあよろしく。
(ご隠居)
人数が多けりゃいいってもんじゃないがね。ま、同じ長屋の住人だから、考えることは似ているさ。右手と左手で将棋をさすようなもんだな。それで横から眺めてるのがもう一人いるってわけだ。三人合わせて一人前と考えたら、結局同じことさ。
(うたのすけ)
今日は。当地水戸は昨日今日と抜けるような青空が広がっています。いささか寒いのですがこれが例年並みとのこと。コレがまんするしかありません。しかしおかげさまで今日をもって年内の仕事から解放され、あとは寝て食って正月気分を満喫する所存。早く来い来いお正月であります。
(志村建世)
東京もよい天気です。ご発声、本当にありがとうございました。この金曜日が元日ですね。まずは平穏なお正月であってほしいと思います。当方は建物の補修があって、たぶん大晦日まで、職人さんが頑張ってくれています。
(花てぼ)
うたのすけさんいつもありがとうございます。
折角高らかにご発声いただいているのにお答えしないでは失礼ですから、先ずは「カンパ−イ」のご唱和に参りました。
ただ今、うちの方へこちらの望年会にタイムリ−な記事をいれてまいりました。よろしければのぞいて見てください。また伺います。
(熊さん) 
見て来ましたよ。「K党」は、幸福実現党じゃないでしょうね。
(ご隠居)
するてぇと、もう一つの「K党」かな。
(うたのすけ)
「慰安婦」合意と今日の朝刊の大見出し。
しかし問題の「少女像」撤去韓国努力とあります。おまけに合意の正式文書なし。コレ、踏んだり蹴ったりというものではないでしょうか。
 努力はあくまで努力で決定ではありません。当てにはなりません。大人の常識です。言いたくはありませんが、このこと、朝鮮民族の性癖と認識します。北朝鮮の拉致問題の対応と双璧をなすものです。
十億円 タダ取りされて 赤っ恥
(志村建世)
今度の場合は、むしろ韓国大統領の方が苦労は多いのではないでしょうか。像の撤去は、抵抗が強いだろうと思います。補償を韓国に任せたのは正解だと思いますが、10億円が巨額とは思えません。負の記憶は、重いでしょうね。
(みどり)
うたのすけ様、開会を祝う乾杯の時に遅くなり申し訳ありませんでした。志村様、なにかとご多忙の中、このように毎年続けて下さいまして、まことにありがとうございます。
志村様発案のブログ望年会が八年目となるのでしたね。瞬く間に過ぎ去った歳月です。世の中なにかと希望どおりに行きませんが、皆様との思いがけない交流が、晩年を生きる大きな力になりました。
軍事費五兆円超え、原発や武器、潜水艦の売込みまで平然と行おうとする日本政府に不安は募りますが、戦争は絶対してはならないという声も強まっています。「戦争法廃棄せよ」との署名活動がかなり進んでいるように聞きました。私も諦めずに戦争反対と言い続けたいと思っています。
 世の中も自分を取り巻く環境にも、時に思いがけない光が射し込みます。其れらは時として人知を超えた、存在の定かではない神仏から下された賜物のような気が致します。
(きっと、明日は道が拓ける!)判然とした根拠があるわけでもなく、自分の心を前向きにさせるものの正体は何でしょう。それは生きる為の単純なエネルギーなのかもしれません。幾度も泣き幾度も挫折し、それでも次第に何かを食べたくなる衝動が笑いを生み、やる気を取り戻させてくれます。熊さん、熊さんにもその様な時があるように思います?(何とかなるさ。)その心意気が病も息苦しさも跳ね除け、生き生きした活気を溢れさせているように見えます。
先ほど深山あかね様ご夫妻をお誘いしてきました。遅くてもお顔を見せて下さるといいですね。お互いに、どのような年になりましょうとも、元気で前向きに暮らせたらいいですね。外はすっかり日暮れてしまいました。少し座を外しますが、後ほど皆様のお話を聞かせて下さい。
(志村建世)
お墓参り、寒かったでしょう。年末にお墓の掃除とは、実家では考えたことがありませんでした。私は車の清掃も、500円の自動機械洗車で済ませてしまいました。
(熊さん)
人間、食欲が第一ですよ。おいしいもの食べて長生きしよう。
(綾子)
志村さま、みなさま、こんばんは。9月の国会一周散歩に参加して以来、ご無沙汰いたしております。9月はたまたま常連のみなさまのご都合がつかず、みなさまにお会いできなかったことは残念でしたが、話しかけてくるおまわりさんに辟易しつつも、夏の終わりの一日を楽しく過ごすことができました。ありがとうございました。その後、ご入院なさったことをブログで読みました。どうかお大事になさってくださいませ。林文夫先生にお葉書を出したら、ご転居のお知らせ葉書をいただきましたので、新しい住所宛にまたお葉書を書こうと思います。
(志村建世) 
彼の現住所、なかなか趣のある、いい家ですよ。散策を兼ねて、一度お訪ねになるといいかもしれません。ネズミはいないようですが、小さなカエルが来たと喜んでいました。
追伸・山本綾子様、メールで送っていただいた写真があったので、思い出しました。霞ガーデンで昼食したのを喜んでいただけて、よかったです。
(大木晴子)
遅くなってしまいました。一年の早いこと!
志村さんのブロクでたくさんの皆さんのお声を聞かせていただき
今年も学び心が育ちました。
感謝しています。
熊さん!ご隠居さん!ファンですよ!私。
韓国の日本大使館前の像はそのまま置いてある方がいいなぁ〜。
人間は忘れやすい、神経を研ぎ澄まして努力をしなければ平和は育まれない!
とても素晴らしい像です。
平和を想う気持ちにさせてくれる。
どっちから考えても残す方がいいなぁ〜。
志村さんの本を楽しみにしています。
新しい年もよろしくお願いします。
大らかに、落語の世界の笑いを生かして笑顔で過ごしたいですね。
(志村建世)
少女の像は、残しておいた方がいいと私も思います。いつか、微笑しているように見える日がくるかもしれません。いい表情をしていますね。
(相々健々)
こんばんは、失礼します。
今年は最後までゴタゴタした印象のある年ですね。
大晦日にとんでもない事件が起こった年もありましたし、あえて今日は過去形では申しません。
そして「来年は穏やかな年になるといいですね」とも申しません。
さらに大きい動きがくることがわかっているんですから。
今年の漢字は選ぶのが難しかったそうですが、来年は「改」がダントツの候補となり、かつ選ばれるでしょう。
止めなければならないとは思うのですが、ややもすれば「大型船の甲板の上の乗客」の悲観に囚われそうになりますね。
明日から帰省いたしますのでお目にかかるのは来週になります。
元気で新年をお迎えください。
失礼いたします。
(志村建世)
帰省されますか。また来年も西口でお会いしましょう。
(熊さん)
ところでご隠居、ブログ望年会が始まった最初って、どうだったんですか。
(隠)
うん、始めはリアルでブログ友が集まろうかって話だったが、いざとなると年末の忙しい時に難しそうなんで、それなら忘年会もブログでやったらどうかと発想したんだよ。それで「望年会」の名で呼びかけてみたら案外に好評でね、けっこう忙しいぐらいに投稿が集まったんだよ。まだブログ自体が新しくて、インターネットを使って、そんなことが出来るのが面白がられたんだろうね。ツイッターやフェイスブックが盛んになったのは、それから後のことだよ。
(熊)
ふーん、時代の先取りでもあったわけだ。そこへ行くと、今は一年中、簡単に望年会をやってるようなものかもしれないね。
(隠)
そうだね。必要な情報は、手に入りやすくなった。だけど人がリアルに出会う本物の忘年会は、それとして存在の意味があるわけさ。ブログの望年会も、それなりの良さはあると思うよ。時間がたっても検索できるしね。
(まい)
こんばんは。志村さん、みなさん、ごぶさたしています。8月、9月にはさすがに黙っておられず、安保法制反対の集会やデモに参加しました。10月から転職して、同系列の会社で日本語教師兼医療従事者として働いています。慣れない新米教師の仕事に加えて、2時間弱の遠距離通勤とフルタイム勤務で毎日クタクタになり、ブログ更新もできずにいます。このままいけば、来年半ばから日本語教師としてフィリピンに赴任予定ですが、どうなりますことか。人生、先はわかりません。志村さんのブログとのおつきあいも長くなりました。みなさん、世の中がどのようになろうと健康にだけは気をつけてお過ごしください。何とか生き抜きましょう!
(志村建世)
まいさん、あなたも全力投球をしてしまう人ですね。医師として人並み以上の暮らしは出来たでしょうに、自ら求めて挑戦を続けているよう見えます。私は遠くから見守ることしかできません。でもいつか、ゆったりと幸せを感じている「まいさん」を見たいと思います。
(まい)
志村さんのコメントは、いくつになっても大人になりきれない娘に優しいお父さんがかけてくれた言葉のようで、思わずウルっとしてしまいました。本当にありがとうございます🎵さっきお知らせした近況はちょっと大げさだったかもしれません。楽しい発見もあります!!私は人に教えることは苦手だと信じていて、高校生の時の進路選択時にも第一に教育学部を外したくらいです。今も得意だとは思いませんが、日本語教師としての授業は予想よりも何倍も楽しくて、学生さんが理解して喜んでくれたらとても幸せな気持ちになります。毎回、清水の舞台から飛び降りるような緊張感はありますが、授業終了後はだいたいいつもハイになっています。自分の新しい一面を見つけたようです。そういう点もあることをお知らせしたくて再度出てきました(笑)。
(志村建世)
はいはい、わかりました。私だって次から次へ10種類ぐらいの仕事をしてここまで来ました。それでも面白い人生だったと満足しています。親が心配しようが、娘は自分で好きなようにしか動きません。すぐ近くにもいるので、わかって(いるつもりで)います。
(花てぼ)
みなさまこんばんは。
来年は猿の年って言うんですがね、私の年だそうです。
中国では「サル」という漢字を様々に、猿の種類に充てるのだそうです。
猻 孫悟空の「猻」なのですが、これはいたずらな子ザルのことだそうです。
狙 手長ザル
狖 尾長ザル
獮 大ザル
猩 オランウ−タン
猱 手の柔らかいサル
などと言う具合です。今然る本から必死になって写しました。IMEパッドを苦使して(笑)。
お粗末でしたが「望年」、何を言いたかったのでしょうね。
今年もおせわになりました。みなさまどうぞよいお年をお迎えください。
(志村建世) 
さすがに花てぼさん、猿にもいろいろあるんですね。ふつうの「猿」は、それらの総称ということになるのでしょうか。ところで、自分が「トリ」の年で、猿の次の年なのに気がつきました。翌々年だから、十二支の7周になるわけです。だから花てぼさんの年齢は……と、計算するのは、やめておきましょうね。
(みどり)
久々にお会いできた方、ご多忙でも駆けつけて下さった方など、賑わっておりますね。
今夜は酷く冷え込んでおりますが、午前中はかなり暖かでした。
先ほど、志村様からお墓詣でと掃除に触れた話題がありましたね。実は私も師走、それも押し詰まった日に出かけるたことは殆どありません。
長女の友人一家が毎年の区切りに墓参を欠かさないとの事、それをしみじみ聞いた娘が「お婆ちゃんを思い出して、私も考え直そうと思ったの」と私たちを誘い出しました。川崎市の王禅寺という土地に大きな市営墓地があります。義父が購入して30数年経たのですが広大な山や雑木林を造成し、ここ数年更に多くの墓地が造られ、現在も建設中でした。望んでしたことではないのですが、ここ数年団地の友人知人のお連れ合いが次々亡くなり、新しい形の墓地を購入しました。一度お見せしたいような場所となりました。亡くなれば無に等しいというのが私の死生観ですが、ご縁の深さには悲しみよりも可笑しくさえなります。
話が長くて済みませんが、此処で夫婦別姓が法的に実らなかった話について娘と会話ができました。娘は「私は古い処があるのか、夫婦になったら一緒の姓がいいわ。子どもの為にもね」と言います。韓国の例など、それと「まいさん」でしたか?のコメントを思い返し、私なりの反論を試みましたが、墓地を前にして親子三人が夫婦の形について語り合えたという次第です。 (あまり長話をして皆様を白けさせてはいけませんね。)
 本日の望年会に感謝しながら、お先に失礼致します。
なお、お体は無事にご快復とお見受け致しますので、来年も国会へと意思表示を続けながら、共に歩けますように期待しております。
(志村建世)
墓地というのは、ふだんはしないような会話のできる場所ですね。自分の墓にこだわりはないのですが、墓地という場所は好きです。どのように葬られたかで、その人の生き方が想像できる場合もあります。自分の墓の作り方は、残った人に任せようと思っています。「志村」の姓は、次の世代に残らない見込みですが。
 さて、時間は静かに日付変更を過ぎました。これにて今年の望年会はお開きといたします。お訪ね下さった方々、ありがとうございました。よい眠りとよい夢と、そして新しい良い年がありますように。おやすみなさい。

明日はブログ望年会

(熊さん)明日は長屋のブログ望年会なんですね。
(ご隠居)そうだよ、年に一度、ブログのコメント欄に、この一年のまとめとか、来年への希望とか、その他なんでもいいからメッセージを寄せていただいて、それを順にオモテ記事に並べて行って、わいわい話し合うって趣旨なんだ。明日29日の14時から24時まで、コメントを原則として受付フリーにするから、そこに投稿してくれたらいいんだ。熊公だって参加していいんだよ。
(熊)ああそうか、誰でもいいんですね。
(隠)そうだよ。いい話し相手がいたら、一度じゃなくて応答したっていいんだ。望年会で知り合いが増えるなんてのもいいと思うよ。ブログはあとから検索もできるから、今年はどんな年だったか、記録としても面白いと思うよ。
(熊)この望年会は、いつから始まったんですか。
(隠)2007年の末が第1回だったな。そのころ「闇サイト」なんて言葉があったから、こちらは「光の友望年会」として、年忘れではなくて次の年への望みをつなぐ会にしようと思ったんだね。最初だから「300字程度の1分間スピーチを持参してください」なんて呼びかけをしている。でもね、今はそんな面倒なきまりは何もないから、気軽に一言でもいいんだよ。
(熊)ああそうか、じゃ、考えてみるか。
(隠)こちらも気楽に考えてるよ。小さな一歩から意外な広がりができることがある。それがインターネットの面白さだね。さて、今年はどんなことになるかな。

明日知れぬこそ前を見据えて

 ブログを書きそこなって一夜明けた朝に、「みどり」さんから頂いたブログ連歌の下の句ができた。年末の論調には、悲観的なものが多かった。夏にはあれほど盛り上がった「アベ政治を許さない」の運動も、安保法制が成立してしまうとニュースの中心ではなくなり、三本の矢だとか的だとか、わけのわからない雑音が増え、首相は外遊に精を出し、臨時国会も開かれないまま年末に向かってしまった。
 来年の予算案が発表されたが、空前の規模にふくれ上がった予算の中身は、選挙目当ての賄賂にも似たばらまきが仕込んである。そして5兆円突破の軍事予算や大企業減税も、もちろん確保してある。辺野古の基地建設は止めない、原発の再稼働は進めると、心ある国民の声に耳を傾ける姿勢は、一切ない。それでも内閣支持率が下がらずに、逆に上がっているのだ。結局、国民にふさわしい政府しか持つことができないのではないか、破局を迎えるまで気付かないのだろうと、悲痛なつぶやきも聞こえてくる。
 今から来年の一年間を予測するのは、神ならぬ身にできることではないが、大事な分岐点に踏み込む年になりそうなことはわかる。抗争と分裂を深める年になるのか、協調と和平が辛うじて維持されることになるのか、そして日本は、世界の中でどちらの側に立つかということが、たぶん決まってくる。
 もちろん一人の力で世界は動かないし、日本の中の小さな町だって動きはしないだろう。でも、あきらめて下を向いているよりは、顔を上げて前を見ていよう。そして今、誰が何のために何をしているのかを、しっかり見ているだけでもいい。共感を持てる仲間がいたら、近づいて笑顔を送ってあげたら、もっといい。何もできない人というのは、本当は一人もいないのだ。

天長節の歌

 きのうの天皇誕生日は、戦前・戦中までの祝日では「天長節」と呼ばれていた。私が知っている天長節は4月29日で、その日は学校で授業はなく、朝のうちに講堂で「天長節の歌」を歌い、そのあと教室で先生のお話を少し聞いて、「お供物」と呼ばれていた紅白のお菓子をもらって帰る楽しい日だった。天長節の歌は

きょうのよき日は大君(おおきみ)の 生れたまいしよき日なり 
きょうのよき日は御光(みひかり)の さし出たまいしよき日なり
光あまねき君が代を 祝え諸人(もろびと)もろともに
恵みあまねき君が代を 祝え諸人(もろびと)もろともに

というのだった。この歌は、昭和一桁生れ以上の高齢者にとっては誰でもよく知っている歌だから、老人施設へボランティアで行って歌の時間を担当したとき、歌ってみたら大変に喜ばれて盛り上がったことがある。それをヒントにして「よみがえる歌〜式典歌・唱歌編」という大判歌詞パンフレットつきのCDを作ったら、朝日新聞の別刷「定年時代」で紹介されて意外なヒットになり、会社がてんてこ舞になったことがあった。
 戦後に天長節は「天皇誕生日」となり、式典歌は歌われなくなった。そして平成の世になって、天皇誕生日も12月23日へ移動した。だから現天皇の誕生日が「天長節」だったことはない。しかし今年になって、天皇誕生日がクリスマスの前日であることに改めて気がついた。救世主キリストの誕生日と一日違いというのが、なんとなく嬉しく思えたのは、なぜだろう。
 82歳になった天皇の「お言葉」は、今年も世界の平和を念願している。今の天皇は、憲法によって政治的権能を有しないと定められている。しかし、天皇の伝統的な役割の一つであった「祈る人」として、充分に職責を果たしておられるように見える。そう思うと、この歌を老人たちだけでも集まって歌っても、あながち時代錯誤ではないように思われた。
 ただし、よく読んでみると天皇を太陽の化身として神格化しているところがある。天皇の先祖は天照大神なのだから当然なのだが、もっぱら仰ぎ見る「下から目線」には問題があるかもしれない。太陽には一つの大きな欠陥があって、それは「太陽は日陰を見ることができない」ことなのだ。でも、今の天皇は「日陰に光を当てる」人でもあるようだ。太陽の心をもって人に接すれば、世の中の陰はそれだけ少なくなる。太陽のような心は、政治の要でもある。 





「あなたの孫が幸せであるために」という奇書

 昨日のブログで、話のついでのように思い出した「あなたの孫が幸せであるために〜百年後の世界を考えよう」をネット検索してみたら、アマゾンの中古書籍として2点の出品があり、2万4千799円と2万4千800円の値がついていたので驚いた。この本は、私が自費出版で出した本の2冊目で、カバーには可愛い盛りだった二人の孫の写真を使った。しかし家人には「難しい」と言われて不評で、あまり売れなかった。そして版元の新風舎は間もなく倒産してしまった。そこで残部を買い取ったので、家の中にはかなりの部数が積んだまま置いてある。市場には出回らないから希少本の扱いになったのだろう。
 この本を出したのは2006年の9月だった。ブログを始めてから1年にもならない時期のことである。ただ、ブログ上で知己を得た小飼弾氏が、404 Blog Not Found で好意的に紹介して下さったのが心強かった。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50634457.html
そのページは今も残っていて、「非常に読みやすく、そして非常に書評しにくい本だ。それだけに自分の目で確認することを強く薦める。料金分の価値があることは保証する。……本書を無理矢理総括すると、「志村建世史観」ということになる。……私は各論においては志村氏に賛成できない点も多い。……しかし、『あなたの孫が幸せになるために』という主題に関しては、全面的に共感する。」としている。そして、こうした史観表明が年長世代から少ないことを残念に思う、「だから、語るべきなのである。孫のしあわせをどう考えているのか、と。」と続けている。
 この書評を今の時点で読み直したことで、私は自分が書いたものの意味を改めて思い返している。私の「史観」は、先ごろ書き終った「昭和からの遺言」と少しも変ってはいないのだ。どんなに非現実的と思われようと、人間が進むべき道は平和共存の一本道しかないと私は思っている。その他は一時的なノイズに過ぎない。
 「あなたの孫が幸せであるために」は、当ブログでは定価販売しているし、カテゴリーから無料で読むこともできる。来年の日本は、歴史的な岐路に踏み込むような予感があるが、その前に、こんな史観があることを知って頂けたらうれしい。

jpgあなたの孫が

ブログ連歌(426)

8499 適法か 夫婦別姓 認め得ず (みどり)
8500  形式平等 実質差別 (建世)
8501 安よりも 暗が似合うこの一年
8502  俺の頭文字だという首相 (獣医さん)
8503 年の瀬に また一つ
8504  消えてた 昭和の遺恨 (獣医さん)
8505 農協には 女性組合員存在せず
8506  分家は本家に従いつ (獣医さん)
8507 今さらに 武力の備え 誰がため 
8508  七十年の 戦後なりしを (建世)
8509 平蔵を 気取って蕎麦屋の 縄のれん
8510  鍋焼きうどんで 熱燗一本 (うたのかけ)
8511 望年会 今年も合点 うたのすけ (うたのすけ)
8512  長老元気で 長屋の越年 (建世) 
8513 宝くじ 買わぬも語る 夢はあり (みどり)
8514  億の単位で 使うあれこれ (建世)
8515 国民を 管理支配か マイナンバー
8516  人は様々 応じぬ覚悟 (みどり)
8517 冬至過ぎ 数え日惜しみ また一年
8518  時の流れに 加速度がつき (建世)
8519 短日も 畳の目ほど 陽ざし伸び (みどり)
8520  春遠からじ 冬来たるとも (建世)

冬至の日差し

IMG_1225

 冬至の日、太陽がいちばん低くなる日の正午、食堂・居室の日当りです。窓の上から15センチほどの細さになった日照が、もうこれ以上は細くなりません。この日を過ぎると、あとは太陽が帰ってくるのを待てばいいのです。
 地球は温暖化で困っているとのことですが、太陽が、あらゆるエネルギーの源泉である事実は変りません。日照不足で寒冷化してきたら、それこそ打つ手がありません。地上の生命は、太陽の恵みなしには生存不可能なのです。
 温暖化の害は、エネルギーの使い方で防ぐことができます。世界はすでに、温暖化ガスの排出ゼロを目指すことで合意しました。受け取るエネルギーの総量の中で循環させればいいだけのことなのです。核エネルギーという不自然なものは持ち込む必要はありません。
 どんなに短くても、あと1万年、100世紀ぐらいの間は、人類はこの地球上で平穏に暮らして行けるはずです。ただし、そのためには大事な条件が二つあります。それは、戦争をやめること、そして核エネルギーを封印して使わないことです。
 その原則が確認されたのが21世紀であったと、紀元100世紀の歴史家が回顧して記録しました。そんなお話が「あなたの孫が幸せであるために」に書いてあります。

新・映像の世紀「世界は独裁者を求めた」を見た

 昨夜のNHKスペシャルは「新・映像の世紀」の第3回「世界は独裁者を求めた」だった。このシリーズは1995年に放映された「映像の世紀」の素材を一部カラー化したものと、最近20年間に発掘された映像を加えて新シリーズ化したものだという。映像そのものに語らせるという手法は、20年前と基本的に変っていない。
 しかし昨夜のものは「世界は独裁者を求めた」という題名にも示されているように、ヒトラーのナチス・ドイツが主役となって引き起こした第二次世界大戦について、その成り立ちを、かなり深い所から掘り起こしているように思われた。というのは、ヒトラーがいかに天才だったとしても、短期間にドイツをあれほどの強国に育て上げたについては、いろいろな力の集積があった、その裏面が説明されている部分があったからだった。
 第一次大戦に敗れ、生活苦と自信喪失に陥っていたドイツ国民に、自信と目標を与えただけでなく、新興工業国としてのドイツに、アメリカの巨大企業が有望な投資先としての協力を惜しまなかったという事実は、今回の番組で初めて教えられたような気がする。ヘンリー・フォードがヒトラーに好意的で、軍用トラックの4分の1はフォード工場で生産したということだ。ユダヤ人絶滅計画に、アメリカIBMのパンチカードシステムが活用されたなども、今回初めて知らされた。
 失業対策としてのアウトバーン建設には、多くの労働力を吸収するために、あえて重機の使用を少なくしたなどは、すぐれた経営的判断だったのだろう。このあたりを見ているときは、「良いことだけをする独裁者でいてくれたらよかったのに」と、しきりに考えていた。ヒトラーはどうして国民からも世界からも歓迎される「名君」のままでいることができなかったのだろう。そもそもの「わが闘争」の根本に、反ユダヤ・反共のドイツ至上主義があって、その目的を達する手段としての一時的な「善政」でしかなかったからだろうか。
 ナチス・ドイツが犯した犯罪行為についても、映像はその証拠を克明に記録している。第二次世界大戦で、ヒトラーが原因で殺された人の数は4千万に達すると言われている。それだけでも万死に値するヒトラーなのだが、そのヒトラーが、ある時期までは、新しい時代を開く魅力的な実力者として人気を集めていたことも事実なのだ。
 見終ってからしばらく、「名君としての独裁者」ということを考えていた。反対者といえども圧殺することなく理をもって説得し、結果として古代伝説の「聖人」のように大権を行使して、世界に平和共存をもたらす独裁者は出現しないものだろうか。
 そんなものに頼らずに、人間の良心を束ねて理想に近づくのが民主主義だということはわかっている。それでもなお、そんな超人へのあこがれは消えない。

「遊ばなくちゃだめですよ」という処方箋

 鼠蹊部ヘルニア腹腔鏡下手術を受けた病院の紹介状(医療情報)を持参して、古巣の東京警察病院・呼吸器科にかかってきました。CTで肺に影があるのを発見したというのでした。肺の影は、若いころから継続していて、何度か検査で指摘されながらも大事に至らずに今に至っています。大腸がんの手術のときにも発見されて、このときは肺内視鏡でサンプルを取り、「非結核性マック症」という診断を得ていました。大腸がんの経過観察と並行して定期的な診察を受け、この10月に「卒業」を許可されたところでした。
 改めて最新の画像と比較したところ、「たしかに空洞が大きくなってるから気になるだろうな」との見立てですが、本人の自覚としては特段の咳も血痰も息苦しさもないので、薬で治療を始めてみてもいいが、どうしますかという相談になりました。その薬というのが、気楽に飲めるものならいいのですが、「分量も多いし、かなり大変ですよ。二週間ごとに診察もしなくちゃならない」とのことです。
 そこで結論として、半年に一度ぐらいの頻度でふつうのレンドゲン写真で観察を続けることにして、途中で病変を感じたらすぐに診察を受けるという条件で、服薬はしないことにしました。菌はいるけれど、他人に移る心配はないとのことです。そして最後に注意されたのが、よく食べて健康な生活をして、抵抗力を弱めないということでした。そのダメ押しに言われたのが「遊ばなくちゃだめですよ」という言葉でした。「ブログを書いて遊んでます」と答えたのですが、「それじゃだめです。体を動かして遊ばなくちゃ」と言われてしまいました。
 ここの呼吸器部長のM先生、高齢に近い温厚な方ですが、その道の権威だと聞いたことがあります。「遊ばなくちゃだめですよ」の処方は、会話の中で2〜3回は言われたような気がします。半年先の予約は、「いつでもいいです」とお任せしたら、来年6月13日、月曜日の朝1番になりました。そこで再会したときに、何をして遊んだかを報告しなければなりません。来年の6月に、予定が一つ入りました。

今さらに武力の備え誰がため 七十年の「戦後」なりしを

(熊さん)おや、ご隠居、年賀状の用意ですかい。
(ご隠居)今年はどうしようかと迷ってたんだが、恒例の「今年の一首」が浮かんだんで、最少限欠かせないところへだけは送ろうかと思い直したところだよ。戦後70周年の年だったが、戦争に近づいて行く怪しい流れのうちに終ってしまいそうだな。70年もたてば、二世代を超える時間の長さだから、戦中・戦後の証人がどんどん死んでしまうのも仕方のないことではあるんだけどね。
(熊)元気そうに見えたご隠居も、数えりゃ82歳なんだよね。そのご隠居だって戦争体験は、6年生のときの空襲だけなんだから、戦争を語り継ぐのもそろそろ限界なのは無理ないんだろうな。
(隠)そういうことだ。戦争を実体験としては知らない連中ばかりが集まって政治をやって、自衛隊という軍隊まがいの組織を整備して、国の安全保障を論じているわけだよ。そこで今の政権が出した結論が、集団的自衛権の拡大解釈というやつだ。それが日米同盟を深化させることだと路線が決まってる。そこで必然的に、中国の進出に備えて戦力を高めるという方針に進まざるをえなくなるんだ。
(熊)海の向こうの国と同盟して、すぐ隣の国と対立するってのは、どうなんですかね。今は「爆買い」なんて大勢で日本に押しかけてきて買い物してくれる、いいお客さんでもあるんでしょ。いいところを出し合って、うまく協力して行けないんですかね。
(隠)それができればいいに決まってるさ。そのためには地道な努力の積み重ねで信頼関係を築いていくのが一番だよ。ところがアメリカとの同盟があると、政府同士の交渉が自由にしにくくなる面が出てくるんだな。安倍総理の外遊先を見たってそれはわかるだろう。中東、アフリカ、南アジアには気軽に出て行くが、中国とは疎遠のままだよ。マスコミも後押しして日中対立の空気を助長しているありさまだ。
(熊)日本はアメリカとの同盟に縛られてるってわけですか。
(隠)早く言えばそうだと、わしは思ってる。いま必要なのは、日本の国益を第一に考える政治なんだな。日本の国益のためには、戦争を遠ざけるのがいい。ところがアメリカの世界戦略に取り込まれた安倍政権は、その逆へ行こうとしているんだ。
お知らせ
今年の「ブログ望年会」は、12月29日14時から24時までの予定とします。コメント欄を使っての自由交流ですので、多数のご参加をお待ちします。

夫婦別姓の禁止は合憲だって

(熊さん)夫婦の別姓を認めないのは合憲だが、女が離婚後に再婚できない期間は、半年じゃなくて100日までにしろって、最高裁判所が決めたんですってね。
(ご隠居)保守的というか、今の最高裁ならそのレベルってことだね。夫か妻か、どちらの姓を名乗るかは自由だから、男女の差別はしていないって理屈だろう。実際には圧倒的多数が夫の姓になって、女性が自分の名前をなくしてるって事実を見ていないんだな。
(熊)ご隠居の場合は親戚同士で、夫婦とも同じ姓でよかったですね。
(隠)よくそれを言われるんだが、婚姻届けを出すときに、婚姻後に名乗る姓を選ぶ欄があって、そこに「同じでよかったね」と笑いながら「夫の姓」にマルをつけたんだよ。当然のようにそうしたから、相手が別な姓だとしても、同じようにしたに違いないんだ。だがその後、女性の友だちに聞いてみると、自分の名前をなくすというのは大変なことだと痛感させられた。「女の同窓会は大変なの、電話帳で友達の住所を探すときに、その人が結婚した相手の男のフルネームを知らないと探せないんだから」と言われて、愕然としたことがあるよ。
(熊)そうか、そんなこともあるんだ。
(隠)だから、西さんという人が結婚して脇さんになると聞いたとき、「町村合併のときみたいに『西脇』にしたらいい」ってハガキを出したことがあったっけ。それは冗談だけど、結婚で姓を変えることを強制してるのは日本だけらしいよ。ミャンマーには「家の名」というものはなくて、個人別の名前しか使わないと聞いたこともあるな。生まれてから成人して社会的活動もしてきた女性が、結婚したとたんに結婚相手の姓になるのを強制されるのは、たしかに人権の問題だよ。
(熊)でもさ、夫婦が別姓だと子供の名前はどうなるんですか。家の中で統一がとれなくて、ごちゃごちゃになりませんか。
(隠)それは「家」を単位にして考えるからそうなるんで、日本では明治時代からの戸籍制度が関係してくるんだ。個人を尊重する近代化の流れからすると、逆コースの制度だったんだね。だから現代の社会生活と合わない部分が出てくるのは当たり前なんだ。それを変えて行くのは、世論の変化と、それを受け止める国会の仕事になるわけさ。夫婦別姓を認めたって、もちろん合憲で、むしろ憲法の趣旨には合うんだからね。
(熊)それとさ、女だけに適用される再婚禁止期間を、長さを縮めるだけで残したのは、どうなんですかね。
(隠)なんか、思いっきりが悪いって感じだな。今は子供の父親が誰かはDNA鑑定で正確にわかるんだから、離婚が成立したら、その日から再婚できた方がすっきりするじゃないか。男の面子で嫌味をつけてるようで、これも感じが悪いや。
(追記・コメント欄に「まい」さんから頂いたご意見と、その返信もごらん下さい。)

本当は「不安」だった今年の漢字

(熊さん)今年の漢字に選ばれたのが「安」の字だってね。これ、反対じゃないのって思った人が多いんじゃないですか。
(ご隠居)そうなんだよ。本当は「安心がほしい」んで、そう言いたいんだが、一文字にすると「安」になっちまうんだな。その証拠に、第2位が「爆」、第3位が「戦」だったそうだ。「爆」は爆買いのニュースからだろうが、もちろんテロの爆発も入ってるだろうさ。「戦」は、あちこちの戦争そのままだ。
(熊)不安を表すような一文字の漢字って、なかったんですかね。
(隠)そこなんだ。わしも考えてみたんだが、どうもしっくりしない。「崩、落、壊、滅、恐、怖、争、乱」なんて字もあるけど、広く全部を覆う「不安」を表す一字というのが思い浮かばないんだよ。
(熊)ご隠居がそれじゃ、難しいわけだ。
(隠)それで思ったんだが、安心というのは、とても大事なものだ。言わば生きていることの基本だよ。それが崩されるのは、やはりその否定の「不安」としか言いようがないのじゃないか。漢語としては「安危」というのがあって、「安」と「危」が対になってるけど、安全に対する危険ならわかるが、安心感に対する危機感というと、やはり説明が長くなって、しっくりこないんだよ。
(熊)ふーん、奥が深いね。
(隠)今の不安感というのは、とても規模が大きいような気がするんだ。曲りなりにも前方に希望をもって進んでいたつもりが、気がついたら、抜けてきたつもりの戦争という真っ黒な嵐の方向へ、乗っている大きな船が進路を変えてしまったという感じなんだよ。船長はそれでいいと本気で思っているらしい。だけど船員の幹部さえ、まさかそれはないと思ってる。まして乗客は、まだほとんどが何も知らずにいる、という状態だな。でも風向きも潮目も変った、この船長に任せておいたら危ない。
(熊)そう言や、「安」は安倍晋三の安と同じじゃないですか。
(隠)そうなんだ。「不安」を一文字にした字があれば、「不安倍晋三」と書かなくちゃいけないところだよ。みんなはどこまで知ってるんだろうか。そこそこ当面の景気が良けりゃいいやと思ってるとしたら、それが最大の不安の種だとわしは思ってる。
(熊)わかりましたよ。安心してられる場合じゃないって。
(隠)自分が乗っている船のことは、自分のこととして考えなくちゃいけないんだよ。自分だけじゃなくて、家族や子孫の幸せだって左右されるんだから。戦争に近づく船長は、早く解任するしかないんだ。

ブログ連歌(425)

8479 気がつけば きょうは大詔 奉戴日
8480  ますます遠し 七十四年 (建世)
8481 これから作る 74年 平和祈念 (フーシェ)
8482  非戦の定め 忘れるなかれ (建世)
8483 武器ふやし 難民ふやし テロ増やす (みどり) 
8484  悲劇果てなく 平和は遠く (建世)
8485 軽減税率 与党の密室協議
8486  たった2%据え置くだけの論議に封じ込め (獣医さん)
8487 生鮮の 仕分け格付け アホかいな (うたのすけ)
8488  増税ニッポン 消費を冷やし (建世)
8489 反対の 世論封じつ 給付金 (みどり)
8490  選挙対策 贈賄に似る (建世)
8491 ケイゲンで 消費増税 ひた隠し (獣医さん)
8492  よくも恩着せ 逆手にとって (建世)
8493 公明党 してやったりと ほくそ笑み
8494  麻生谷崎 臍を噛む (うたのすけ)
8495 財源は 弱いところを 齧り盗る (うたのすけ)
8496  軍事と海外 優先別枠 (建世)
8497 ダブル選 与党もダブルは いりません (フーシェ) 
8498  公明党の 姑息さ要らぬ (みどり)
8499 適法か 夫婦別姓 認め得ず (みどり)
8500  形式平等 実質差別 (建世)  

軽減税率のバカバカしい一席

(熊さん)軽減税率とかで、えらい細かい議論してますね。親子どんぶりの出前を頼むのと、店で食べるのとで税金が変るとか何とか、ありゃいったい何ですか。
(ご隠居)与党の自民と公明が始めた増税隠しの「目くらまし作戦」だな。軽減税率なんて有難そうな名をつけてるが、減税でもなんでもなくて、消費税を8%から10%に上げるときに、せめて食糧品だけは今のまま据え置いて、2%の差をつけようって、みみっちい話なんだよ。所得の低い人を優遇して格差を是正しようなんていう骨太の政策とは、次元が違うんだな。その食品の中に「外食」を含めるかどうかで議論してるのさ。店で食べれば「外食」だが、中身だけ売れば「加工食品の販売」になるってわけだ。
(熊)へーっ。こりゃ面白いや。出前で届けてもらうと安くなるんですね。ちょいと常識とは反対になるけどね。
(隠)そんなおかしな話が、いっぱい出てくるわけさ。そんな、どうでもいいことばかり話題にしてるから、もっと大事なことを忘れさせる作戦に思えて、不愉快だから話題にしないでいたんだよ。でもさ、ちょっと考えてみな。今はやりの100円ショップは利用することがあるだろうが、ここで消費税が上がると、何でも110円になって、今は出ている10円玉に2円のおつりが出なくなる。ところが同じ店で食品なら、今まで通りに2円のおつりがくるわけだ。これで庶民の暮らしの応援になると思うかい。
(熊)うーん、わからないね。108円の計算が面倒だから、気が短いんで110円ですっきり、なんて言ったらおこられるかな。
(隠)そんな感覚の人も、けっこういると思うよ。税金は、わかりやすくて納めやすいのがいいに決まってる。その意味では、複雑にするのは好ましいことではないんだ。でもその前に、もっと大事なことがあるんだ。それは税の取り方が公平かということだよ。日本の財政は大赤字で大変だが、その中でも企業には減税して、軍事費は空前の規模になるほど増やしている。大企業の内部留保つまり余裕資金は一貫して増え続けているのに、だよ。金持ちからの税金を多くする累進課税も、長いことフラットになったままだ。投機などに回る為替取引への課税などは、まだまともな議論も始っていない段階なんだよ。
(熊)やっぱりそうなんだ。今の政権に任せておいたらだめですよね。
(隠)考え方の根本が違っているからね。所詮は国民の安定した生活を優先する政権ではないんだ。ひたすらに資本の集中を加速させて行こうとしていて、その中には、軍事大国への欲望が含まれているのは確実だね。

「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争」を見た

 水木しげるの「総員玉砕せよ!」をテレビドラマ化した番組が、ネット上のユーチューブで見られるのに気がついて、一時間半の番組を見てしまいました。
http://www.veoh.com/watch/v70738982Hn25dqdM
 「総員玉砕せよ!」は、全員玉砕と発表されたという理由で、生存者がいてはならないと命令された部隊の運命を、水木しげるの実体験に基づいて描いた戦争マンガです。これが1970年の作品でした。「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争」は、この自伝的作品が書かれた前後の事情を含めて、言わば水木しげるの人生を総決算するような立場で制作された、2007年のNHK名古屋制作のテレビドラマでした。私はこの放送を見ていなかったのですが、多くの亡霊と格闘したマンガ家の内面に迫るような、見ごたえのある自伝ドラマとなっていました。
 マンガ家として成功してからも、主人公(水木しげる)には、玉砕命令で死んでいった者たちへの後ろめたい気持ちが消えませんでした。「俺たちのことを、いつ書いてくれるんだ」と亡霊は責め立ててきます。しかし鬼太郎はじめ主人公が世に送り出した妖怪たちは、「この忙しいのに先生は何やってるんだ」と不満の声をあげて勝手に動き出してしまいます。売れっ子作家としての日常と、戦争体験の重荷とは、まさにそのようにせめぎ合う関係だったのでしょう。
 このドラマでは、玉砕を強要された部隊の実情が、実写ロケによってかなり本格的に、リアルに描かれていました。軍の統制の論理からすれば、全員玉砕と公表して全軍の模範とした部隊に、生存者の存在は絶対に許されないのです。どちらが怖いかと言えば、こり固まった権力者の命令の残酷さは、妖怪の怖さなどとは比較にもなりません。水木しげるの戦争マンガは、すでにマンガの域を超えていました。それでも書かなければなりません。そしてマンガは、リアルを超えた残酷さをも表現することができるのです。それは「はだしのゲン」についても言えることでしょう。
 このドラマの最後に、印象的な場面がありました。主人公は実生活にまぎれ込んだ昔の鬼軍曹に殴られます。「戦後にお前がラバウルに来たとき、笑ったな」と。「自分は自分が生きていることが愉快で笑いました」。その返事でまた殴られるのですが、最後に「お前は長生きしろ」と言って亡霊は去ります。
 軍の論理では、いつでも簡単に生きていることが罪になります。私たちは今後絶対に、軍の論理で私たちの暮らしを支配させてはならないのです。

映画「母と暮らせば」を見た

 昨日から封切りの映画「母と暮らせば」を見てきました。期待通りで、それ以上と思える秀作でした。主演の吉永小百合に少しの不自然さもなく、この映画のために女優になったかのように、見事に演じていました。「父と暮らせば」では広島を舞台とし、原爆で死んだ父が娘の前に現れるのですが、この映画は長崎を舞台とし、原爆で死んだ息子が母親の前に現れます。設定は対照的なのですが、井上ひさしの未完の構想が生かされていて、字幕の最後には謝辞が表示されていました。
 吉永小百合の役は助産婦という設定です。それだけでも「生ましめんかな」の朗読を連想します。そして原爆死した息子が、何の不自然さもなく戦後の母親と婚約者にかかわってくるのです。それでも原爆死した事実は変えられません。原爆死者には、何度泣いても泣き切れない涙があるのです。それは母親も婚約者も同じことです。この映画は、それら無数の「泣いても泣ききれない無念」をしっかりと踏まえた上で、生き残った者たちの戦後を描いていました。
 吉永小百合は、原爆詩の朗読によって、原爆への怒りと非戦への願いを、数万の集会にもまさる力で世界に訴えてきた人だと思います。まことに、戦争で奪われた多数の命は、生き残った者が何をしようと生き返りはしないのです。生き残った者にできるのは、生きていてくれたらどんなに良かったろうと、涙を流すことだけです。しかし涙を力に変えて、怒りと祈りを作品として世に残すことのできる人もいました。吉永小百合は、そのような人の一人です。
 戦後70年、第一世代の語り部が退場して行く中でも、こういう映画の形であれば、教訓は若い世代にも確実に伝わって行くでしょう。私が今までに見た小百合映画の中でも、最高に輝いていたということを報告しておきます。
 

ある先輩のスマートな旅立ち

 この年末は、個人的にも訃報の多い季節になりました。その中の一人に、大学の一年先輩に当るO氏がいました。学年は違っても、同窓会は第1回卒業生から私たちの第3回生まで(最近は第4回まで)合同で行う慣例だったので、卒業後も年に一度は再会して交流を重ねてきました。数年前に心臓の手術をしたとかで、「死に損なったよ」と武勇伝のように明るく語っていました。
 戦後の「新制大学」の発足は、例外的な一部を除いて昭和25年(1950)からですから、第1回生の卒業が昭和29年(1954)です。私たちは昭和31年(1956)の卒業でした。まだ戦後の雰囲気が色濃く残っている時代でした。同期生には女性が多くて「文学部の女性化」が話題になっていましたが、1年上には元気な男子が比較的に多くて、先輩後輩らしい会話ができて助かったのを覚えています。
 その中でもボス的に活発だったのがO氏でした。ただし権力的なのではなく、知的に軽妙なところがあって、「チョイさん」と呼ばれていました。そのチョイさんが急逝されたと聞いたのは11月の末でした。そして今月になって「喪中につき……」のはがきを、奥様の名でいただきました。今年は年賀状を出せないな、同窓会の名簿も直さなければ、と思っていました。しかしなぜか、それだけで縁が切れては残念な気持ちがあり、思い切って返信のはがきを書きました。
 何を書いたのかは、よく覚えていません。ただ最後の1行に「奥様には、この先もよい人生がありますように」と、たぶん書いたと思います。そして今日、そのはがきへの返信をいただきました。その文面は
 「当日二十一日は珍しく一人で環八・七を走行、環七・夫婦坂辺りでハザードランプをつけ、きちんと車寄せしてあったと池上警察より連絡。急性心筋でした。人にも迷惑かけずスマートな旅立ちでした。……」とのことでした。
 先輩は、好きな車を運転しながら異変を感じ、残された短い時間で最適必要な処置をして一息ついたのでしょう。まことにお見事な旅立ちの姿でした。残った者は、来年も10月の第2木曜日に同窓会を開くことにしましょう。来られる人が来ればいいのです。最後に残る二人は誰と誰でしょうか。でも、いずれは必ず先輩と同じ所へ行きます。「ちょいと早く来て待ってたぜ」と、チョイさんは言うでしょうか。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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