志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2016年06月

年の半分の折り目に思うこと

 おねだりしたコメントの往来で、少し元気になりました。50キロを割って2.5キロ減った体重が、1キロ回復してきました。昨夜は就寝前の体操を復活して10分間の全コースを実行し、爽快でした。体育大を出ている次女が、人間の体の仕組みから説明して、食べることの意味を教えながら現物を食べさせてくれます。
 こういう状況になると、人が生きるという現実を、空理空論でなくて、自分の実感として確かめることができます。自分一人だけでは生きられない、親しい人たちがいて支えてくれるから生きていられる、ということです。その分だけ、私は謙虚になったと思います。
 それと同時に、やはり平和ということを考えます。今が戦時中でなくて良かったと、心から思います。戦時中は、世の中の全体が非常時でした。弱者を保護し助ける余裕などは、誰にもありませんでした。精神に障害のあった私の長兄は、そんな中で徘徊に出て、とんでもなく遠い親戚の家に突然現れたりしていました。後始末に追われた父母たちの苦渋が、今ならよくわかります。
 人間は、ただ生きているだけでも、けっこう大変なのです。それなのに国の非常時だとかいって生活資源を制限され、戦争というケタ違いの浪費に使われたのでは、たまったものではありません。そんなことを、この日本は15年間も続けていた時代があったのです。私が生まれて育ったのは、そんな時代でした。
 幸いにして私が実戦に参加する前に、戦争は終ってくれました。終ってみれば、戦争とは何とバカなことをしていたものか、すべてが嘘だったように消えてしまいました。戦争とは、無理矢理に嘘を積み上げた浪費の集積に過ぎなかったのです。平和が正常なのだ、戦争こそが狂っていたのだと気がつくまでに、ほとんど時間はかかりませんでした。
 戦争はなぜ起こるのか。何を目的にして誰が仕掛けるものなのか、そのことをよく学んでください。人間には闘争心があるから避けられないといった粗雑な考えではだめです。何万人もの非戦闘員を殺すような作戦が立てられ実行されるような狂気のメカニズムが、どのようにして動き出すのかを、虚心に学ばなければなりません。残虐行為には、必ずそれを思いついた頭脳が関係しているのです。
 武力で平和は作れない。この大原則こそが大切なのです。平和な世界を展望するなら、武力・戦力にかかわるすべてのものを、少しでも人間世界から遠ざけるしかないのです。人間に闘争心があるのなら、それはスポーツの世界で発揮すればいいのです。人類にとって、戦争は必要ではない。
 幸いにして私たち日本人は戦争の愚かさを悟り、戦争を放棄する日本国憲法を受け入れました。これが現在まで私たちを守ってくれていました。この憲法が、今度の選挙では大切な争点になっています。安倍政権に任せておいたら、日本でも再び戦争へのメカニズムが動き出します。憲法を変えさせてはならない。あと10日に迫っている投票日に、ぜひこのことを実行してください。

終日曇天の中で考えたこと

 一日を通して少しも日は照らなかった。しかし雨が落ちることはなく、安定した曇天が続いた。その一日が間もなく終りに近づいて行く。家人も安定していて、そこそこに食事も出来たのだが、背中が痛いから外へ歩きに出るのはいやだと言う。気圧が下がると背骨に痛みが来るのは通例になっているのだ。
 私は今ならまだ順序立ててものを考えることが出来る。考えたことを文章化して入力することもできる。必要があれば電車に乗って、かなり遠くへ行くことだってできる。車を運転して行くことだって、たぶん出来ると思っている。そんないろいろな可能性のある一日が、事無く過ぎて行ってしまうのが、少しさびしい。
 体力気力のレベルが、相当に下がっていることは自覚している。午後になったら少し休みたくなって、ベッドに横になったら、一時間あまり気持ちよく眠れた。たぶん夜間にあまり安眠していないことが関係していると思う。それが二人の間に、絶妙な調和を作り出していることに気がついた。ややゆるい会話、何かを食べるか、飲んでみるか、誰かが帰ってくる時間だといった話が、ぽつりぽつりと往来する。
 しかし考えてみると、人の暮らしとは、もともとこんなものだったのではないだろうか。畑に作物を育て、時期がくれば収穫して保存し、必要に応じて食べていた。今ではそれがどこそこの店で買い物をする話になったり、誰それに世話になって食事を作ってもらうことになったりする。働き方も変ったから、あのころは二人でよく働いたという記憶もある。そのおかげで今の暮らしがあることに不満はない。
 老化という現象に完治がないことは承知している。今は惰力で坂を下っているから動いていられる。下り坂の範囲でなら左右に舵を切ることもできる。自動車よりも、自転車に近い乗り心地だ。ペダルを漕いでもいいが、今さら急坂を登る力は、もうない。それでいいのだと思えてきた。
 今の私に出来ることは何だろうと、ふたたび思う。とりあえずは目の前に見えてきた心象風景を記録に残しておくことにしよう。私は「もうこれで終り」の人間なのか、それとも「この先にも何かがある」人間なのか。それは確かめてみたいと思っている。読者の助言をいただけたら、いまの私には何よりの力になりそうな気がしている。

自衛隊エンブレムの撤回要請に賛同する

(ブログ連歌より)
9059 おぞましき 日本刀抜く エンブレム (みどり)
9060  鞘に納めよ 戈(ほこ)は止(とど)めよ (建世)

自衛隊index_il004

 「武」の本義は、「戈(ほこ)を止(とど)む」だと聞いています。武器を振り回すことではないのです。抜き身の日本刀を使ったエンブレム撤回の要請に賛同します。

どういう日本でありたいのか

 新聞は相変わらず英国のEU離脱問題をトップの見出しに据えている。重大な問題で、日本経済の将来にも影響はあるのだろうが、実現にはまだ時間がかかることだし、所詮はヨーロッパの問題である。
 それよりも足元の日本という国は、これからどこへ向かって行くのだろう。少なくとも戦争には加担しない平和な国として、世界に貢献して行くだろうとずっと信じてきた。その安心感が、根底から揺さぶられるようになったのは、「安倍の世」になってからである。「日本を取り戻す」とかのスローガンを掲げて方向の転換を図ってきた。その要点は、アメリカに追随して新自由主義の世界制覇のために働く国の一つとなって参加するということだった。
 すでに方針は掲げられている。そして仕上げの本丸のために欠かせない「憲法の作り直し」にまで手を伸ばそうとしているのが、今回の参議院選挙なのだ。これはもう、公然たる政策として公表されている。それなのに選挙戦の中では、あえて目立たないように隠されたまま、選挙も終盤に向かっている。
 「安倍の世」で強調されるわが国の戦力とは、自衛のためを口実にしながら、じつはその先の世界に向けて開かれている。政策の実現ためには武力が必要と考えている、そこが危険なのだ。
 世界の平和に貢献するのに、武力は必要ないと私たちは考えてきた。その原則が「安倍の世」では邪魔になる。そこで打ち出してきたのが憲法無視の戦争法制であり、それを後追い補完するための憲法改定なのだ。本来なら、「改憲」か「護憲」かは、この選挙の最大の争点になる筈だった。しかしいま、現実には巧妙な争点隠しが行われている。経済の発展とか、一億総活躍といった目先のスローガンを大きく出して、ともかく多数の議席を手に入れることを最優先にしているのだ。目立たぬように改憲可能な議席数を手に入れてしまえば、あとはどうにでもなると思っている。
 目先の議論に迷わされず、ここは「どういう日本でありたいか」を中心に置いて判断してほしい。今の勢いで安倍自公政権に任せておいたら、本当に憲法が危うくなる。それは「私たちの日本」が、「あの人たちの日本」になることを意味している。

ブログ連歌(453)

9039 安倍総理 針の筵の 慰霊祭 (うたのすけ)
9040  長居無用と 早々に逃げ (建世)
9041 視察無し 舛添効果か 怨念か (うたのすけ)
9042  出張経費の 帳尻合わせ (建世)
9043 礎立つ その訳胸に 刻む日の (みどり)
9044  蝉の声さえ 歴史を語る (建世)
9045 離脱が憧れる 大英主義
9046  どっこい生きてる コモンウエルズ (獣医さん) 
9047 想定外の離脱に ここぞとばかりに
9048  アベノミクス破たんをなすり付け (獣医さん)
9049 武器の研究 学者はしないと放棄したはず
9050  学術会議は 金が欲しいと再開し (獣医さん)
9051 金になるなら 武器でも原発でも買ってください
9052  アベノミクスの 一助になります (獣医さん)
9053 この選挙 護憲の成否 かかってる
9054  未来を思え その一票に (建世)
9055 防衛予算 安倍の下では
9056  とても立派な 殺人予算 (獣医さん)
9057 自衛隊 いつの間にやら他衛隊
9058  とても立派な 殺人予算 (獣医さん)
9059 おぞましき 日本刀抜く エンブレム (みどり)
9060  鞘に納めよ (ほこ)は止めよ (建世)

今の政治も病んではいないか

 今の私の胸の下部には、呼吸器科のレントゲン写真に映る炎症の影がある。それがこの2週間で少し縮小した。感染症の化学治療薬が、ぎりぎり効いているという判定だった。微熱と脱力感に悩まされてはいるが、完治の希望はあると思えてきた。
 病院への往復で参議院選挙のポスター掲示板の前を通った。「支持政党なし」という名の政党の候補が4人いるそうで、同じものが4枚並べてある。ところが立候補者の名前もわからない。家に帰って検索したら、この党は政策は一切なし、議員が当選しても、支持者の意見に従って投票するだけだから名前は要らないのだそうだ。一応の理屈のようではあるが、ふざけていると思う。金もかかるだろうに、こんなことを実行する「政治家」が出てくるということ自体が、今の日本の政治の衰弱を象徴しているように思えた。
 この話には続きがあって、夕方になりカメラを持って同じ掲示板を撮影しようとしたら、なんと4枚がそろってきれいに剥がされて、影も形もなくなっていた。公設のポスターを他人が剥がすのは重罪だから、おそらく自分たちで剥がしたのだろう。まさに幽霊そのものである。
 夏の参議院選挙とは、いつもこんなにダラダラと長いものだったのだろうか。今年は護憲勢力の3分の1確保が最大のテーマになる筈なのだが、その緊張感が少しも感じられない。ニュースは選挙とは関係のない話題ばかりを追っている。国の根幹をなす憲法にまで手をつける、日本という国の「改造計画」が進んでいることを、なぜみんなは直視しないのだろう。このまま「戦争のできる国づくり」を、事後承認してもいいと思っているのだろうか。
 今は日本の政治も病んでいると私は思う。正しい現状の認識、つまり正確な診断なしには治療さえ始まらないのだ。健康へのあこがれも、治療を進める勇気も、正しい認識から始まる。

静岡駅へ行くバスが家の前を通り過ぎた

 梅雨の合間の晴れた一日、小康を得たかのように心身も晴れるのだろう、もう何十回(百も超えているかも)も聞かされた、妻の「あの日の出来事」の話である。
 それは昭和33年(1958年)3月のことだった。妻の実家から静岡駅へ行くときに乗るバスは、家の前を通り過ぎて少し行った「神明神社前」の停留所で止まる。妻が家の戸口を出たとき、目の前をバスが通って行ったというのだ。反射的に走ってそのバスに飛び乗った。停留所で乗り降りがあったのか、当時のバスには車掌が乗務していたから気づいて貰えたのか、どうでもいいのだが、とにかく飛び乗ってしまったのだ。
 あのとき、あのタイミングでバスが来なかったら、私は家を出られなかったと彼女は言う。友人を経由する苦心の通信で、私は彼女に「Xデー」の同時家出を提案していたのだ。上り列車の時刻まで決めて、東京駅に出迎えることになっていた。私は私で実家で平常通りの勤務をしながら、家を出るタイミングをはかっていた。むしろ私の方が仕事の都合で時間がずれ、急きょ友人に電話して駅での迎えを頼むことになるのだが、この際それは話の本筋ではない。21歳の妻が、小さな風呂敷包み一つを抱えて家出をするというのが、どんなに大変なことだったか、その決意の重さが今ならわかるのだ。それでも当時の私は、ほとんど心配していなかった。きっとその通りになる、Xデーから二人の生活が始まるということを、信じて疑わなかった。
 この日の夕方、私が荷物を運び入れた池袋の四畳半のアパートに、友人(山本荘二)が妻を案内して現れた。駅で案内放送を依頼し、初対面だったが、すぐにわかったということだった。「オレは邪魔だろうからこれで帰るよ」と、下町育ちで粋な彼は長居をしなかった。
 これほど劇的な一日だったのだが、じつはこれが3月半ばというだけで、厳密な日付がわからない。ただ、夜までに妻の実家に向けて「ブジツイタ」との電報を送ったことを覚えている。自分もよく知っている親戚の家だから、余計な心配はさせたくなかったのだ。家出をさせておいて「無事ついた」もないもんだと、後々までの話題になった。
 「ちょうどバスが来たのよねー」と妻は何度も繰り返す。それが苦い思い出でないことは確かだと思う。人生最大の決断をした武勇伝のように思い出すのではないだろうか。だからいつも「いろいろあって面白かったね」という話になって終るのだ。
(追記・日記帳を調べたら、Xデーは3月14日だったことがわかりました。)

激動する世界の中の日本

 新聞にはイギリスのEU離脱が、ばかデカい見出しで報じられている。世界はこれから協調と平和の秩序の構築に向かうのではなくて、また激しい自由競争の時代へと入って行くのだろうか。最後の世界大戦が終ってから71年、戦争の惨害に懲りて平和な国際秩序を構築しようとした国際連合(国連)の理想は、ついに実現することなく終るのだろうか。私には、もうわからない。
 ただひとつ信じられるのは、日本は心底から戦争の愚かさを悟り、戦争を永久に放棄した第9条を含む日本国憲法を受け入れたという歴史的事実である。この事実があるかぎり、日本は不戦平和の先導者として、世界の中で名誉ある地位を占められると信じてきた。その思いは、今も変らない。
 戦後71年が経過して、直接に戦争を経験した世代は過去の人になってきた。これはやむをえない。しかし、直接に戦争を経験していなくても、平和を愛する多くの若い世代が育っていることを、私は知っている。その人たちの運動に、ささやかながらも私は参加の機会を得てきた。幸せだった。
 平和の心を一言で表現すれば「殺すな」に尽きる。自分は決して人を殺さない。この世に殺してもいい人というものは、決して存在しないと信じるからだ。自分を殺しに来た者がいたら、なぜそう思うのかを問うて、双方が納得するまで話し合ってみる。
 人はなぜ文明を発展させて人間社会を作り上げたのか。それは今まで生きてこられたからだ。途中で死滅しなかったからだ。つまり死んで行く人間よりも、生まれて生き延びる人間の方が、常に多かったからだ。それは争い滅びる力よりも、平和を好む力の方が強かったということだ。
 そんな当たり前のことが日本国憲法には書いてある。人は争い戦うために生まれるのではない。協調して平和に暮らすために生まれてくる。平和憲法があるかぎり、日本の国民も日本の国も、決して滅びることはない。私は、そう信じている。

天木直人氏の卓見に学ぶ

 英国のEU離脱で、株式市場は大暴落になった。参議院選挙の情勢判断も、決して面白いものではない。しかしこれらの事態を見通すかのように、天木直人氏は、朝から次のように書いていた。
(以下引用)
……日本の直面する諸問題はどれも安倍首相では解決出来ないものばかりだ。
 そしてそれらの諸問題は、誰が首相になっても、どういう政権が出来ても、解決は容易ではなく、同じようなものにならざるを得ない。
 ならばいっそ安倍首相にもうしばらくやらせ、下手を打ったらただでは済まさないぞと、命令する側に立った方が得策だと思えばいいのだ。
 いま政権交代をしても貧乏くじを引くだけだと思えば腹も立たない(了)
(引用終り)
 この達観の裏側には、安倍政権がいかに動こうとも、日本国民が憲法9条の改憲を国民投票で許すことは絶対にないという、ゆるぎない信念がある。そしてそれは、各種の指標で示されている客観的な事実でもあるのだ。
 あの顔をテレビで今後とも見なければならないのは愉快でないが、貧乏くじと抱き合わせだと思って、ここしばらくは我慢してみるということだ。

自由と民主主義を守るために「自由民主党」と戦う皮肉

 「名は体を表す」という言葉があるが、ときにはそれが反対になることがある。とくに政治の世界でこれが行われたら、その害の大きさは図り知れない。今の日本で、報道の自由、政権を批判する自由、意見発表の自由に圧力をかけ、民主主義を尊重する精神が薄いのは、「自由民主」という名を頂く政党が組織している安倍政権ではないのか。
 この政権の持っている危険性は、平和と安全の側面ではさらに著しい。安倍政権の論理によれば、日米安保を強化して、地球規模での軍事協力を進めることが日本の安全のために必要だということになる。まさに「戦争は平和だ」の逆転の論理だ。そして「核の平和利用」としての原発の推進がこれに加わる。
 私たちは、どんな未来に住みたいのか。平和で安全で、民主主義が尊重される国に住みたいではないか。だとしたら今の自民党政権を見限って、これと戦う力を育てるしかない。重心が新自由主義へ行ってしまった自民党は、もはや自由でも民主でもないことを知らねばならない。
 だからこの選挙では、自民党と戦う側に立とう。それが自由と民主主義を守る道なのだ。

ブログ連歌(452)

9019 特別な 才能持たぬ 名もなき花にも (からしだね)
9020  花盛りあり 愛する人も (建世)
9021 金まみれ 挙句の果ては 泥まみれ (うたのすけ)
9022  たかが五輪で 命乞いとは (建世)
9023 どんな薬も 所詮は毒と 肝臓知る (獣医さん)
9024  ある日破綻は 無言のままに (建世)
9025 追い詰めし 世論の勝利 知事辞任 (みどり)
9026  標的の感 無きにしもあらず (建世)
9027 友人を襲う風熱に 援助したくも
9028  集団的自衛権発動不可なり (獣医さん)
9029 舛添に ババを引かせて 安倍の陣 (建世)
9030  「信義を守る」 ことば虚しき (みどり) 
9031 公示日に 戻って来たよと 温かな声 (からしだね)
9032  心身弱るも 導かれ行く (建世)
9033 寝室に 政治家の声 やや遠し (建世)
9034  深き川ほど 静かに流れ (からしだね)
9035 梅雨止みぬ 干し物さらす 西の窓 (みどり)
9036  夕日を浴びて 散策もせり (建世)
9037 都議団は 自腹を切って リオへ行く
9038  五色のテープで 揺れる空港 (うたのすけ)
9039 安倍総理 針の筵の 慰霊祭 (うたのすけ)
9040  長居無用と 早々に逃げ (建世)

家で落ち着いています

 幸にして一時的に思い込んだほど悪い事態にはならず、短い入院生活を経て、家で落ち着いています。入院中は、心身ともに、どちらが患者なのかわからないような、奇妙な付添人暮らしを経験しました。検査の結果は、脳にウィルスが侵入したような、さし迫った状況ではなさそうだが、とりあえず退院して経過を見ながら検査を続けるということでした。
 とにかく会話が成り立って、文字も書けるようになったのですから、通常の暮らしとあまり変りません。状況の判断力は落ちているので、一人での外出などは無理と思われますが、自分本位の理屈付けなどは、心の奥底がわかって、かえって面白いと思うことがあります。
 今後は、医療の限界と介護への接続などが問題になってくるのでしょうが、どこにでもある問題でしょうから、順を追って学んで行けばいいことなのでしょう。
 きょうまでは多忙でしたが、明日以降の予定は、だんだん少なくなってきます。つきっきりでいればいいというものでもないでしょうから、要は家族のことと自分のことと、バランスを取りながらやって行けばいいのだと、当り前の結論に導かれました。幸いにして、娘・婿・孫たちの、協力してくれる気持ちもわかりました。多世代同居住宅の便利さが、たぶん、これからさらに発揮されることになります。
 やや落ち着いて町を眺めると、参院選地方選挙区のポスター掲示板が、あちこちで用意されています。有無を言わせぬ選挙戦で、間もなく報道は塗りつぶされるに違いありません。政権与党は、憲法問題を故意に話題から落として選挙に臨むとのことです。正面から勝負しないことで、かえって3分の2を取りやすくなると計算しているのです。こんな卑怯な戦術に負けてはなりません。「対米従属と戦争と原発」よりも、「自主独立と平和と安全」の方がいいと思ったら、与党の当選者を少しでも減らして、野党の議員を増やしましょう。 

家庭の人になります

 家庭内に難しい問題が出てきました。しばらくは家族を支える「家庭の人」になることに専念して過ごすことにいたします。ブログの更新は滞ると思いますが、お許しください。ただし、なるべくメンテナンスはして、もちろん過去記事などには影響はありませんので、よろしくお願いいたします。

妻よ

妻よ
トイレに通う十メートルほどの距離を
抱き合うように探り足しながら歩いた
互いの体の温かさを感じながら


妻よ
いま わかったことがある
老々介護の行き先が
死亡率百%の敗戦の道だなんて
そんなことはないのだ


二人とも限りある命だということを
最初から知っていた
だから愛し合って子供を作った


妻よ
あなたのおかげで 
私は男になった
妻よ
あなたのおかげで
私は父親になった
それだけで充分以上だったのだ


これは悲しい道行きではなくて
人生を完成させる
栄光のゴールへの道なのだ
さあ行こう
妻よ!

「戦後政治を終わらせる」を読む

 懸案だった「戦後政治を終わらせる〜永続敗戦の、その先へ」(白井聡・NHK出版新書)を紹介します。先に紹介した「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」(矢部宏冶・集英社インターナショナル)に対する「回答編」として読むことのできる本です。本来なら数回にわたって丁寧に紹介したかったのですが、身辺の状況が厳しい中、最低限の責任は果たしたいと思います。目次が非常によく出来ていて、ほとんどそのままで内容の要約になっていることに気がつきました。
 序章は「敗戦の否認は何をもたらしたか」、第1章は「五五年体制とは何だったのか」で、戦後日本の特殊事情を説明します。敗戦でアメリカ軍に占領されたことは、「戦った相手が守護者になった」異常を生みました。そこから導かれたのが五五年体制です。米ソ対立の国際情勢の中で、日本はアメリカに庇護されている条件の中で、自民党と、「絶対に政権を取れない3分の1政党の社会党」という2大政党による政治体制を確立したのでした。この体制は、ソ連の崩壊によって意味を失うのですが、社会党は、保守党に対抗する民主社会主義の政権交代可能な政党になる機会を生かすことができませんでした。
 その経過は、第2章「対米従属の諸相(1)自己目的化の時代へ」および第3章「対米従属の諸相(2)経済的従属と軍事的従属」で説明されます。やはり、占領期を原型とする対米従属の潮流が、日米安保を頂点とする日本の政治的・経済的な骨格を規定してしまったのです。これに対して日本の自立路線を志向したのは、小沢一郎と鳩山由紀夫による、民主党政権のささやかな試みだけでした。まともな競争相手を持たない自民党は、劣化して新自由主義へと変質して行きます。
 その状況は、第4章「新自由主義の日本的文脈」にまとめられています。ここで重要なのが「日本的劣化」の部分で、それは反知性主義・排外主義となって日本の政治・経済を支配して行きます。対米従属の行きつく先には、「成長戦略としての戦争」までが見えてくるようになりました。このままでは救われません。この本で最も重要な「ならばどうするのか」は、「終章」にまとめられています。
 終章「ポスト五五年体制へ」は、民主党政権への失望から「形成されるべき対立軸」を導きます。そこで登場するのが沖縄です。著者は沖縄を「政治的最先端地域」と位置づけています。沖縄では、政治が住民の暮らしに密着していて、ごまかしが許されないのです。そして最後に登場するのが、著者からの「三つの革命」の提案です。その第一は「政治革命〜永続敗戦レジームを失効させる」。第二は「社会革命〜近代的原理の徹底化」。そして第三が「精神革命〜太初(はじめ)に怒りあり」です。
 国民の怒りがなければ政治は変えられません。それじゃやっぱり精神論じゃないかと思われる方もおられるでしょうが、私の下手な紹介ではなく、ぜひこの本を読んでください。日本が真の独立国、つまり自由に国益を追求できる国になるためには、71年も昔の、アメリカに負けたたった一度の敗戦に縛られていてはならないのです。怒ってください。この選挙の投票日の前に。

闘病延長戦継続中

 大根営発表。さきに来襲せし強力なる風邪発熱は、わが軍の適切な防御により、概ねは撃退に成功せしところ、執拗なる敵は家庭内に二次感染の橋頭堡を構築せり。わが軍は、友好国医師団の協力の下、自ら介助任務の主力となって戦闘中なり。敵は侮りがたき勢力をもって抵抗中なるも、わが軍は必勝の信念をもって敵の撃滅を期すところなり。以上。

「珠玉の伊藤辰雄作品を歌う」コンサート

 昨夜は「杉並九条のうた合唱団」主催のコンサート「あふれる愛と平和を〜珠玉の伊藤辰雄作品を歌う」(杉並公会堂・小ホール)に行ってきました。伊藤さんとは私のNHK時代、1960ごろからの長いおつきあいです。もう60年近く、音楽関係での仕事でお世話になってきました。伊藤さんとコンビで作った労働組合の歌・愛唱歌などは、50曲以上になると思います。
 伊藤辰雄さんは若い時期に「うたごえ運動」に参加し、それが今に続いて、反戦平和、憲法護持、沖縄関連などの多くの作品になっています。しかし編曲者・指揮者としての才能も高いものがあり、一時はポップス業界の寵児になりかかったこともありました。また編曲者として、多くの混声合唱、女声合唱の名曲集を世に残してもいます。しかしそんな多才な伊藤さんが最終的に選んだのは、やはり世界を平和にするための歌づくりと、その指導でした。
 昨夜のコンサートは≪平和への願い≫≪日本のこころ≫≪世界のきずな≫≪沖縄への思い≫の4ステージ構成でしたが、全曲が伊藤さんによる混成4部合唱曲でした。ステージ上の全員が、各自の持ち場で思い切り声を出し、生き生きした表情で歌っているのが印象的でした。中でも心に残ったのは、やはり「骨のうたう」「心に平和がある限り」「ジュゴンよまたここにおいで」「平和って素敵だね」といった、メッセージを込めた歌でした。
 また、休憩後の中間で、伊藤辰雄さん、協賛指揮者の田中豊輝さん、そして音楽ジャーナリストで「うたごえ新聞」編集長の三輪純永さんによる対談もありました。大衆の底力から生まれた「うたごえ運動」でした。かつては組織を超えて歌が世の中を変えて行く迫力がありました。伊藤さんは現今の政治情勢にもふれながら、歌い継ぐ願いを語っていました。
 歌は、ステージの歌い手と、聞き手とが分離している間は鑑賞会で終るでしょうが、両者が混然と合体したら世の中を動かす力になる。歌とは、そもそも人に聞かせるだけでなく、人の心も体も動かすものではなかったのか。カメラ担当として、微熱の頭で慣れないカメラと苦闘しながら、そんなことを考えていました。

有休休暇所得中(その4)

 朝の8時半から、正午過ぎまで、たっぷり東京警察病院の施設内にいた。ディズニーランドで半日遊んでいたようなものだ。エレベーターを上がり下り、渡されたメモに従って、痰と尿と血液とCTの検査を受けた。どこでも長く待たされることはないから退屈はしない。その代わりに持って行った「戦後政治を終らせる」の本は、ちっとも頭の中に入らない。
 主治医(呼吸器科)のM先生は温厚な人だから、考えているプロセスをそのまま語ってくれるので、討論会みたいな雰囲気になる。肝心の肺の影は、心配するほど大きくはなってない。血液のデータも、横畑病院の資料よりは、むしろ改善している。カゼから始まって微熱が続いて気分が悪いなら、まず感染症を根治しましょう。横畑と同じ薬を続けて、2週間あとに、また様子をみましょう、ということになった。検査の結果がすぐに主治医のパソコンで見られるから便利である。ただし菌を培養する検査の結果までには時間がかかる。
 今回面白かったのは、2010年10月に大腸がん手術が無事終了して退院した1か月後に、原因不明の高熱に襲われて入院したときの原因が、ある程度見当がついたことだった。あのときも肝臓が変になっていた。そこで抗がん剤の服用をやめたら、快方に向かったのだった。私の肝臓は、どうも薬が嫌いらしい。だが今回は、追加で胃薬を処方された。「食欲がなくて困ってるんでしょ、胃薬ぐらいなら邪魔になりませんよ。」だって。

有休休暇取得中(その3)

 日曜日は病院は休みになるが、病気は休んでくれない。投薬もすべて切れたから、明日を待つだけである。体温は37度より下には下がらないから気分は相変わらずよくない。歩く時は足元に不安定感があるから、外へ出たくはない。天気がよく、寒くない風が吹き抜ける部屋は快適で、午前も午後も、ベッドに横になって、かなりよく眠った。
 失業時代の「何もすることがない」時間は苦痛だった。今なら農村へ行って「自分で食べられるもの」を作ることを考えたかも知れない。
 今は夕方になると、次女が「何なら食べられる?」と聞きに来てくれる。煮込みうどんとか、おじやも作ってくれたが、今夜はスパゲッティの予定だそうだ。胃が悪いわけではないから、「それをいただくよ」と答えた。次女は週に3回は、3世帯8人分のまかないをしてくれているのだ。
そして2階にいる私たちのためには、臨機に冷蔵庫の余りものなどを加工してくれる。私の妻は、かなり前から台所の調理作業から撤退してしまった。
 自分で餌が取れなくなっても生きていられるのは、人間の文化である。こんなにして養って貰えるほどの働きを、私は今までにしたのだろうか。ありがたいことである。

ブログ連歌(451)

8999 みほとけと 科学の知見 両輪に
9000  使命を生きた 医師の人生 (からしだね)
9001 学生に 信念問われ その人は
9002  「平凡」という語にて尽きたり 日記に記す (からしだね)
9003 少しずつ 神が与えし 贈り物
9004  お返ししつつ 生きる人生 (からしだね)
9005 我に問う 与えられしとき 活かしきったか (からしだね)
9006  案ずるなかれ 日々が自分史 (建世)
9007 この春は わが庭の花 美しく咲き
9008  統一候補を 応援せんと (からしだね)
9009 反骨のボクサーの 清き心に 気づきし時は
9010  世に彼の人の 姿あらざり (からしだね) 
9011 絵葉書の ルオーが描きし イエス像
9012  小さきものに 何を語らん (からしだね) 
9013 病院へ 母を送りし 梅雨冷えの朝
9014  身体に触らぬかと ブログ書く人の (からしだね)
9015 金メダル 世界チャンピオンの あの人は
9016  人生で成し遂げた 最高のことはと問われ (からしだね)
9017 国のため 戦う勇気 持つよりも
9018  民のため 銃持たぬ勇気 選んだことと (からしだね)
9019 特別な 才能持たぬ 名もなき花にも (からしだね)
9020  花盛りあり 愛する人も (建世)
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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