志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2016年09月

今年もあと3ヵ月

(熊さん)久しぶりですね、ご隠居。
(ご隠居)薄日もさして、まずまずの天気だな。お前さんとわしのバカ話を楽しみにしてるって人もいてね、どんな具合か見にきたんだよ。変り映えはしないが、まあ無事だって顔だな。
(熊)ご隠居こそ夏は大変そうだったじゃないですか。足の爪も、まだ直ってないでしょ。
(隠)あれは放っておけばいいんだ。べつに痛くもないし、あまり気にしてないよ。9月になってから、寝る前の体操もちゃんと出来るようになったし、人心地がついてきた。家の者の健康管理も、ペースがわかってきたから、こちらも対応に慣れてきたよ。他人の面倒を見るってのも、けっこういいもんだな。
(熊)この間おかみさんに会ったら、「私はあの人のおかげで得してるのよ」って、のろけてましたよ。
(隠)そうかい。わしも得したと思ってるよ。ずうっと、いい相棒でいてくれたからね。仕事を続けられてビルが建ったのも、半分は彼女の働きだよ。金融だの不動産探しなんかは、わしよりも上手だった。
(熊)それじゃ大事にしなくちゃ。ところで、この夏の東京は、暑さはそれほどでもなかったんですよね。でも、あっちこっち病院通いが多かったし、歩き回るだけでも楽じゃなかったでしょ。娘さんたちは、むしろご隠居の健康の方が心配だったみたいですよ。
(隠)ああ、みんなよくしてくれて助かった。で、いろんなことはあったけど、結局、夜になってバソコンに向かうと、自分のブログがあって、気心知れた人たちとの交流ができたし、世の中の動きもわかった。これがやはり大きかったね。新聞は第一面の見出ししか見なくなったんだが、それで充分だった。インターネットの世界の方がリアルで、昼間のごたごたは遠くに感じてしまうような、一種の逆転があったような気がするよ。とにかくインターネットのおかげで、マイペースを取り戻すことができたんだ。自分の過去記事にも、なかなかいいことが書いてあるなんて、芋づる式に、かなり長い間サーフィンしてたこともあるよ。ブログは文献になるということを、改めて実感したね。
(熊)なーるほどね。ブログをずっと書いてきたことが、自信の回復とか、支えにもなるわけだ。その感じ、わかりますよ。おいらだって、ご隠居の過去記事に読みつくことがありますからね。
(隠)ところで今年もあと3ヵ月だ。これから先は時間の流れが早くなるぞ。日本の国にも世界にも、難しい問題が山積みになってる。そこへ年末に総選挙だなんて、わけのわからん情報まで流れてきた。安倍永久政権なんてことになったら、冗談にしたって取り返しのつかないことになる。日本がどうなるかは、日本だけじゃなくて、世界の運命を変えるほどの大問題になるとわしは思うんだ。日本はいま、世界に希望を与えるか、落胆させるかという、大事なところにいるんだよ。おわかりかな。
(熊)よくわかりませんよ。だけどご隠居がそう言うんなら、そうかもしれない。日本の希望は「9条」ですよね。
(隠)それだけわかってりゃいいよ。
(追記・藤森照幸さんから、昭和21年の「官報」に掲載の憲法9条英訳を送って頂きました。以下に転載しておきます。訳文としては renounce は「放棄する・縁を切る」意味だから問題ないと思います。)
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace baced on justice and order, the Japnese people forever renounce war as a sovereing right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potencial, will never be maintaind. The right of belligerency of the state will not be recognized.

南スーダンで試される自衛隊と憲法

 南スーダンという地名が、年内にも最大の話題となって日本を揺るがすかもしれない。当ブログでもこの20日に「自衛隊員最初の戦死は南スーダンか」と書いたところだが、引くに引けない状況の中で、増援か交代かで派遣される自衛隊員の今後が心配になる。
 自衛隊の派遣はPKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)によって行われた。この法律には、制定時以来の「PKO5原則」がある。
(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること
(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること 
(3)中立的立場を厳守すること
(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること
(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること
 ところが南スーダンの現状は、臨時政府と対立する勢力が、首都圏で銃撃戦を展開するなど、とても落ち着いた状況とは言えないらしい。しかし安倍首相は昨日の国会でも「現地の状況は落ち着いている」との認識を変えなかった。今のPKOは現地住民の保護を第一の目的としている。派遣する部隊には、時には政府軍と対立しても住民の保護を期待しているとのことだ。日本の5原則のような「きれいごと」では済まなくなっているのだが、政府はつじつま合わせの強弁をして切り抜けている。
 その一方で安保法制により、政府は自衛隊の行動範囲を拡大した状態で、南スーダン派遣を継続しようとしている。もし現地での紛争が悪化しても、保護すべき現地住民を置き去りにしての撤退は、国際世論の手前もあって非常に難しいだろう。そしてすべての難しい判断が、現場指揮官と隊員に押し付けられてしまう可能性がある。
 この問題については、下記の記事が絶好の参考になる。やや長いけれど、国際貢献とはどういうことか、世界における日本の立場はどんなものか、順序立てて理解することができるだろう。
「南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ〜誰が彼らを追い詰めたのか?」(伊勢崎 賢治)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799
伊勢崎氏の意見は、次の二つに集約される。
変貌したPKOに自衛隊を参加させるのだったら、9条を変える。
9条を変えないのなら、自衛隊は絶対にPKOに行くべきでない。
そして今、私たちに出来ることとしては、「神様に祈るしかありません」と書いている。

ブログ連歌(464)

9259 見通しが 見えぬ秋雨 四半期か (恩義)
9260  無気力国会 議事堂霞む (建世)
9261 落ち葉燃し サンマ焼きたる 生家なき (みどり)
9262  団地住まいの 昭和世代は (建世)
9263 野獣との 対決やはり 年増でも (うたのすけ) 
9264  勝負見透かす 声援いかに (みどり) 
9265 どちらでも 難がありそう 大統領 (建世)
9266  帯に短し 襷に長し (うたのすけ)  
9267 どちらでも 戦争だけは お断わり
9268  損じるなかれ 地球はひとつ (建世) 
9269 国会に ヒットラーの霊 乗り移り (みどり) 
9270  右向け右の 号令一下 (建世) 
9271 余暇にこそ ビジネスモデル 生まれたし (恩義)
9272  無用の用が 実業となる (建世)
9273 百合子節 子供に言って 聞かせるよう
9274  都議員さんよ ちったあ怒ったら (うたのすけ)
9275 築地移転 正体不明の地下空洞
9276  誰がやったか 儲けたか  (獣医さん)
9277 静寂の所信表明 腫れ物扱い
9278  都知事の独走 黙って見つめ (獣医さん)
9279 データには 基準値以上の ヒ素ベンゼン (土熊)
9280  どうさばく知事 地下水なれど (建世) 

                

非生産的生活の技術

 最近の自分は生産的な仕事をしていない思う。会社の役員としての名は残っているが、売り上げに貢献することは長いことしていない。その代わり給与も無給で、退職金の支払いも受けていない。生活の原資は、おもに年金から得ている。83歳になって現役の仕事をしていないのは恥ではないだろうが、こうなっての「しごと」ということを考えている。
 「しごと」とは、「人が一定の目的を意識して為す行為」と定義できるだろう。食事を食べるのは仕事ではないが、食事を作ることは仕事になる。だから家事も育児も、りっぱな仕事になる。仕事に「お」をつけて「お仕事」と言うと、報酬を伴うとか、人として果たすべき責務といった語感になる。私でも、依頼された作詞を考えたり、問題意識を持ったブログ記事を書いたりするときは、今でも「お仕事」をしている気分になることがある。
 ところがその緊張感が抜けると、自分のすることはすべて「何かしている」意味でのゆるい「しごと」になるような気がするのだ。たとえば午前11時半ごろに冷蔵庫を開けて昼に食べられそうなものを点検し、何か買いに行くか、保存食品を出してくるかと考えそれを実行するまでの過程が、この「ゆるいしごと」になってくる。それは、わずらわしい雑事というよりも、人の暮らしをそれらしく成り立たせてくれる「自然のやさしさ」のように思われる。人はこのようにすれば生きていられるのかという、安心感と言ってもいい。
 人が生産的な仕事をする年齢は何歳までなのだろうか。55歳か65歳かといった定年制は虚構だろう。体力勝負の現場労働ならともかく、人の働き方は、ますます筋肉労働とは無関係になりつつある。とはいっても加齢とともに老人の生産的能力が低下してくるのは止むをえない。さらに連れ合いがいると、支え合って他人に迷惑をかけないことが第一の仕事になったりもする。もちろん自分も人に迷惑はかけたくないから、健康状態に不安があれば、早めに医者にかかるのも「しごと」になってくる。
 生産的でなくなっても、高齢者が生きて行くには費用がかかるから、消費者ではあり続ける。介護を受ける立場になれば、さらに費用はかさむだろう。そのための保険もあるのだが、介護産業というのも、現代を繰り回している経済の一部分を占めているようだ。高齢者が貯めておいた預金や保険料が、社会に出て行って役立つことになる。
 動物の世界では、老齢で非生産的になった個体は餓死するのが原則だろう。子供を産むとすぐ死んでしまう例も少なくない。幸いにして人間に生まれ、文化的な生活をしたおかげで老齢になるまで生きていられた。非生産的になっても、生きているだけで経済的意味もあるとは、望外の幸せである。その上に、思いついてはブログを書いて言いたい放題にしているのは、なんというぜいたくか。毎日の「しごと」があって、その上に「お仕事」までが重なっている。死ぬまでこうしていられたら、幸せな人生と言うべきだろう。

国会で「兵隊さんよありがとう」の拍手とは

 昨日開会した衆議院での施政方針演説で、安倍首相が「わが国の領土、領海、領空は断固として守り抜く。強い決意をもって守り抜くことをお誓い申し上げます」と述べると、自民党議員がいっせいに拍手したということだ。これに気をよくしたのだろう、首相はつづけて「現場では夜を徹して、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊員の諸君が任務に当たっています」と言及。「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を示そうではありませんか」と述べ、演説を中断して自ら拍手を始めた。すると自民党議員も起立して手を叩き、演説は20秒近く「中断」したと伝えられる。
 これを聞いて瞬時に連想したのは、幼児期に聞いた「兵隊さんよありがとう」の歌だった。家にレコードがあったから、よく覚えている。橋本善三郎作詞、佐々木すぐる作曲の、明るい曲だった。
1、肩をならべて 兄さんと 今日も学校へ 行けるのは 
  兵隊さんの おかげです
  お国のために お国のために 戦った
  兵隊さんの おかげです
2、夕べ楽しい 御飯どき 家内そろって 語るのも
  兵隊さんの おかげです
  お国のために お国のために 傷ついた
  兵隊さんの おかげです
3、淋しいけれど 母さまと 今日もまどかに 眠るのも
  兵隊さんの おかげです
  お国のために お国のために 戦死した
  兵隊さんの おかげです
 よく見ると戦死した兵隊さんもいるのだが、とにかく当時の兵隊さんは「絶対の善」だった。腹が減った愚痴も、「戦地の兵隊さんを思え」の一言で片付けられたのだった。安倍自民党は、あの雰囲気が好きで、その復活を待望しているのだと思った。野党議員は「北朝鮮や中国ではあるまいし」と白けたそうだが、当時の兵隊さんは、国民の知らないところで悪いこともしていたのだった。
 今の警察官も、沖縄の高江では、丸腰の住民をごぼう抜きで排除したり、手荒なこともやっている。辺野古でカヌーを漕いだ人たちは、海保に対して別なイメージを持っていることだろう。「公務」を執行する公務員は、時として国民の意思表示と対面せざるをえない。それは民主主義を担保する重要な自由の一部分だから、弾圧してはいけないのだ。「兵隊さん」に代表される公務員を、絶対善として祭り上げるのは危険なことだと私は思う。
 政権が長く続くと、公務員には権力との癒着が起こる。それは国民の間に硬直した対立を持ち込む危険性をはらんでいる。公務員に権力者としての驕りが生まれたら、それは致命的な欠陥になる。公務員を祭り上げてはならない。思い出してほしい、公務員は国民すべてのために働く「公僕」なのだから。

東京細道紀行

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 近所の住宅街の一角である。歩いて行くすぐ先に、左折できる道があるようには見えないのだが、

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正面まで行くと、忽然として細い路地が現れる。昔の東京の町によくあった「一間路地」(1.8メートル幅)だが、ここは計ってみたら実質1.5メートルしかなかったから「五尺路地」だった。このあたりは戦災を受けていない。手前道路の縁石の作り方を見ても、これが「道路」ではなくて「路地」の扱いであることがわかる。反対側まで抜けけられて便利だから、閉鎖はできないだろう。この路地にだけ面している家も一軒ある。昔の一軒分の敷地は広かったから、今は平均して6戸ぐらいの家が建っているようだ。

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  路地を歩くと、この季節だから虫の声が聞こえる。6年ほど前にもこの路地を「一間路地の風景」としてブログで紹介したことを思い出した。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55594005.html
 あまり変っていないようでも、近所の風景は少しずつ変って行く。2020年になると、東京都も中野区も人口減少の時代になるそうだ。土地の細分化も、今ぐらいがピークなのかもしれない。


兵器の非現実化による戦争の変質を予想する

 昨日の朝日夕刊に、航空自衛隊が次期に導入するという戦闘機F35の紹介記事が出ていた。ステルス性にすぐれ、周囲の状況はパイロットのヘルメット内側に投影されるということだ。弾道ミサイルの探知能力も高いとのことだが、敵ミサイルの迎撃にも使えるのだろうか。乗員は1名の単座戦闘機だから、情報処理電子機器の塊のような存在に違いない。価格は1機180億円で、これを24年までに42機アメリカから購入する予定とのことだ。その金を福祉財源に使ったら、どんなにいいかと思う人は多いだろう。
 同じ戦闘機という呼び名でも、これはかつてのゼロ戦やグラマンの時代とは全く違う兵器と考えるべきだろう。太平洋戦争時の空中戦では、両軍で100機も超えるような規模で撃墜を競い合っていた。後方の軍需工場では、日本でさえピーク時には月産3000機、つまり毎日100機も製造して前線へ送っていた。搭乗員は速成の少年兵でも一応は飛ばすことはでき、特攻などに出て行ったものだ。
 第二次世界大戦が終って70年以上、国と国とが宣戦布告して戦う「正式の戦争」は一度も起きていない。ところがどの国も兵器の開発・更新を怠らなかった。実戦には一度も使わなくても、仮想敵国の兵器に負けるわけに行かないと考える。常に相手よりも優位に立とうとするから、競争には終りがない。さらに兵器産業は利益幅の大きい国策産業だから、人材も技術研究も集中してますます巨大化し、それ自体を維持するためにも、絶えず新製品を生み出す圧力が働いてくる。こうして実用価値の検証がないままに兵器は進化をつづけて、かなり「遠くまで行ってしまった」ように思われる。
 その一方で、世界のどの国も、まじめに戦争に備えることをやめてしまった。どこの国も、都市も交通機関も重要産業施設も、無防備のままで地上にさらけ出している。総力戦の戦争が始まったら、核兵器が使われなくても、交戦国は1週間もたたないうちに壊滅的な打撃を受けことを覚悟しなければなるまい。兵器を増産して、複数年にわたって総力戦を展開するような力が残っている可能性は少ないのではあるまいか。戦闘員にしても、急いで徴兵制を施行して新兵を集め、教育訓練するひまがあるかどうか。徴兵拒否者も続々と現れて、徴兵は非常に困難に違いない。
 つまるところ、現代以降の世界に「通常型」の戦争が起こる可能性は、ゼロに近いほど小さいだろう。だから軍備は、カタログ上の強さを競い合う「カードゲーム」に近いものになり、情報戦に近づいて非現実化すると見ていい。問題は、非現実化する軍備が、今まで以上の「金食い虫」として成長を続けることなのだ。この競争から逃れて自主独立を守るのは難しいことだが、でも絶対に不可能ではない。
 どうせ使わない兵器の「カタログ競争」に参加するのをやめて、「一世代前の古い兵器で自衛に徹します。世界のどこへも軍は送りません」と宣言してしまう手が、わが日本には残されている。今の安倍政権の下では無理だが、憲法を変えられる前に政権交代ができれば、その可能性がある。戦争が非現実化する現代で、これが最も賢明で得な生き方になる。

ブログ連歌(463)

9239 八人と やたら多彩の はらからも 
9240  残るは二人 やけに寂しく (うたのすけ)
9241 
秋雨よ 早く立ち去れ 冬を待つ (うたのすけ)
9242   せめて厚着で 寒さ凌がん (建世)
9243 底なしの マイナス金利 浮上せず (恩義)
9244  行方も見えぬ 秋の暮れかな (建世) 
9245 身内だけ 恩義に厚い 安倍自民 
9246  冬を迎える 列島荒れて (建世)  
9247 健康な家畜が生み出す畜産品
9248  今では幻 病む家畜 (獣医さん) 
9249 効率が 家畜を追い詰めて
9250  経済が 農家の行き場を失わせ (獣医さん)  
9251 雨つづき 首相元気で 外歩き
9252  民は音なく 行きどころなし (建世)
9253 愚民こそ こまとなりうる ゲイム論 (恩義)
9254  オセロ反転 民の世成るか (建世)
9255 豪栄道 日本一の 孝行者 (うたのすけ) 
9256  カド番大関 横綱候補に (建世)
9257 稀勢の里 一から出直す 覇気ありや (うたのすけ)
9258  競え大関 綱は目の前 (建世)
9259 見通しが 見えぬ秋雨 四半期か (恩義)
9260  無気力国会 議事堂霞む (建世)

         


肉屋を支持するブタたち

 ネット情報の中を漂っていたら、「肉屋を(熱烈に)支持するブタたち」というフレーズに出会った。元は言論規制を進める自民党政権を民族主義で支持するアキバ系オタクたちを、アメリカの新聞がこの名で紹介したというコピペ記事なのだそうだが、出所は全く不明で、都市伝説の域を出ないと説明されていた。しかも2009以降のことだというから、最近出てきたわけでもない。それなのに話題になるのは、これが最近の日本の状況を説明しているように感じられるからだろう。
 安倍内閣の支持率は、なぜか下がらずに上がって行く。安保法制は1年たって現実のものとなり、自衛隊は新任務のための訓練を始めたと伝えられる。安倍首相は海外を渡り歩いて笑顔をふりまき、自分のポケットマネーを使うような感覚で支援金を配っている。国会は衆参ともに3分の2を確保して安泰であり、第一野党の民進党は内部固めに精一杯で、政権奪取へ乗り出すには遠いところにいる。
 沖縄の新基地反対闘争には全国から支援者が集まり、国会前や首都圏での反戦・脱原発集会には、それなりの人数が集まって意思表示をしている。ネットの上では「安倍の世」を喜ぶ声は少なくて、危機感、嫌悪感、そして軽蔑の感情を示しているものが多い。それでも選挙をすれば自民党が勝ってしまうことを、なんとなくみんなが予感している。
 ところで、こんな国民はみんなブタで、政権は肉屋なのだろうか。肉屋ならせっせと太らせて食べ頃で屠殺し、売りに出して儲けることになる。これはもちろん比喩だから、実際はせっせと働かせて税金取り立て、それで国の財政をまかなうということだろう。そこにあるのは、ブタは経営のことがわからないから、目の前の仕事を一生けんめいやるだけでいいという、悲しいばかりの「お任せ」感である。たいていのサラリーマンは、自分の払う税金で国が維持されていて、政府とは本来は自分たちの利益を守るための代表だという感覚を持たずにいることだろう。税金の給与からの天引き制度がそこに関係している。
 ある日、ブタたちが革命を起こしたら、まず税金の給料からの天引き制度をやめさせるのがいい。まず全額を受け取った上で、必要な税金を自分たちの政府に支払うことにする。税金が高いか安いかも自分たちで決めればよい。税金が高いか安いかは、政府に何を任せて、何を自分の責任でまかなうかで決まる。大きい政府がいいか、小さい政府がいいかも議論したらいい。ただし世の中には弱者もいることを忘れないようにして。
 そうしてブタたちの新政府が出来上がったら、肉屋はもういらなくなる。すべてのことをブタの立場で決めてよくなるからだ。そしてブタはみんなブタでなくなって「人間」と呼ばれるようになる。そんな夢のような革命を起こすのは大変だろうか。そうではない。最短なら、たった1回の総選挙でだって、そうなる。
 あるおかあさんが、子供の保育園のことで愚痴をこぼしたとき、こう言われて愕然としたそうだ。「だって、私たちがそういう投票をしたからよ」と。

正気とは思えない「新・高速炉開発会議」

 1兆円あまりの巨費をついやしながら、20年かけてほとんど何の役にも立たなかった高速増殖炉「もんじゅ」について、政府は原子力関係閣僚会議で廃炉を含む抜本的な見直しを決めたということだ。ところが同時に新しい「高速炉開発会議」の設置も決めている。「増殖」の字は消したが、核燃料サイクル推進のためには高速炉の研究開発は必要という立場だそうだ。
 核燃料サイクルは、原発でウランを燃料として燃やしたあと、再処理してプルトニウムを取り出し、これをまた利用することで成り立つ。高速増殖炉なら、劣化ウランから出るプルトニウムを燃やして、消費した以上のプルトニウムを作り出せるので「夢の原子炉」と言われた。しかし原理的な困難があって、日本の「もんじゅ」を含めて成功例がなく、世界的に放棄された。
 プルトニウムは核兵器の原料になるが、燃料にするのは難しい。ウランと混ぜてMOX(モックス)燃料にする方法もあるが、危険性は増すと言われている。原発が稼働するほど使用済み燃料がたまり、再処理してもプルトニウムが増えるが、この使い道がないのだ。「増殖」しない「高速炉」は、プルトニウムの焼却炉という位置づけがあるのだろう。焼却炉でも、熱は出るからある程度の発電はできるだろうが、恐ろしく高価な電気になりそうだ。
 つまりプルトニウムを消費する技術を確立しないと、原発の運転を安定的に継続できないので困るという、逆立ちした理屈で「高速炉開発」が出てきているのがわかる。つまりこれは「原子力村」の生き残り策なのだ。あわよくば「もんじゅ」の廃炉を提供した上での「焼け太り」を期待していることだろう。しかしプルトニウムを燃料にするのは「原爆で湯を沸かす」ようなもので、難しいのがわかっている。
 そもそも原発で使用済みになったウランを、再処理する必然性はないのだ。そのまま廃棄物として最終処分する選択肢がある。今まではプルトニウムなど潜在エネルギーの原料という位置づけで保管してきたのだが、プルトニウムは不要と考えれば、話は簡単になる。現に使用済みウランを直接処分した例は皆無ではない。プルトニウムの始末の悪さが明らかになってきている今、研究すべきは直接処分との比較だろう。
 放射性物質は、手をかければかけるほど汚染物質を増やしてしまう。つまり、いじればいじるほど大きくなる始末の悪い相手なのだ。こんなものを社会の中枢に取り込んでいたら、人類の未来が明るくなるわけがないと私は思っている。要は核エネルギーをなるべく遠ざけて、人間社会の安全性を高めるかどうかという、政治的な判断が重要になるのだ。幸いにして「原発が動いていない日本」が破綻もせず、温暖化ガスの排出も増やしていないという評価を得ている。この現状は大事にしたい。
 にもかかわらず、原発を依然として「重要なベースロード電源」と位置づけ、再稼働への手続きを進めている安倍政権は支持できない。ましてプルトニウム発電の研究開発などは論外である。
(追記・コメント欄に「恩義」さんから紹介して頂いたサイトを表示しておきます。最後の方にある「電気がなくてもいいから原発はいやだ。」という言葉が、悲しくも痛切です。)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

ブログ連歌(462)

9219 教育の 機会均等 未だ夢 (みどり)
9220  社会格差は 一代切りに (建世)

9221 いつか必ずばれるのに
9222  嘘までついた 豊洲移転 (獣医さん) 
9223 盛り土提案の委員たち
9224  コケにされて 蓋される (獣医さん)
9225 陸自ヘリ トラック吊り下げ 高江へ飛行 (みどり)
9226  下請け丸出し 米軍のため (建世)
9227 ちょっと待て 騙された君は 騙した側よ
9228  騙された 騙したあんたが悪いのよ  (獣医さん)
9229 政治家が 大勢寄れば もんじゅの無駄 (建世)
9230  核の燃料 文殊は怒る (みどり)
9231 原子炉は お釈迦になって お陀仏に
9232  だから言ったろ 万物は「空」 (建世) 
9233 あやかれど 火焰地獄に ナトリウム (土熊) 
9234  恐れ入谷と 逃げ出す一手 (建世)
9235 秋彼岸 現(うつつ)の修羅を 見ぬ仏 (みどり)
9236  年に二回の 墓地と線香 (建世)
9237 長雨に やたら気鬱に 落ち込んで 
9238  秋の彼岸に 誰か手招き (うたのすけ) 
9239 八人と やたら多彩の はらからも 
9240  残るは二人 やけに寂しく (うたのすけ) 

中嶋寛さんの傑作替え歌で思い出したこと

 「ブルーシャトー」という歌がある。1967年にジャッキー吉川とブルーコメッツがヒットさせた曲ということだが、わが家の娘たちが草加団地で小学校へ行き始めたころに、この替え歌がはやっていた。原曲のすき間に言葉を詰め込んで歌うのだった。
森とンカツ 泉にンニク 囲(かこンニャク) まれてンプラ
静かにンジン 眠るルンペン
ブルーブルー シャトー……
 と歌って、最後は
ブーブーブー シャトー
 とやっていた。この系列で古典的なものには「靴が鳴る」の変形で
お手てンプラ つないでコチャン 野道を行けばリカン
みんな かキクケコンニャク ミツマメ ラッキョ
歌を歌えば腹がへる……というのもあった。食べ物が貧しくなる戦時中のことだった。
 ところで、「のら猫寛兵衛」ブログの主である中嶋寛さんは上記の「ブルーシャトー」を、次のような替え歌にして「私情」を述べておられて、稀代の名作になっている。しかも正統的に同じ音数で置き換えているから、原曲と同じように歌うことができる。
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19

♪ 盛り土 汚染にかこまれて
静かに眠る
トヨス トヨス トヨス シージョー ♪

あなたが僕を待っている
暗くて寂しい
 トヨス トヨス トヨス 私情 ♪

  きっとあなたはベンゼンと
  六価クロムが苦しくて
  涙をそっと流すでしょう

シアンと鉛につつまれて
 ヒソかに眠る
 トヨス トヨス トヨス 詩情
トヨス トヨス トヨス
 トヨス トヨス トヨス シージョー ♪

 これはすでに「私情」ではなくて「公憤」である。「ベンゼンたる事実」であって「ヒソヒソ話」をしている場合ではない。(「ベンゼンたる」と「ヒソヒソ話」も中嶋さんの発案です。)
(追記・静岡で育った妻も、戦前の幼稚園時代に、「お手てンプラ つないでコチャン……」を歌った記憶があるそうです。関西や東北方面ではどうでしょうか。)
(追記2・グーグル検索したら、かなりの事例が出ていました。少なくとも「お手てんぷら……の部分は、東京以外の各地にあったようです。面白いですね。)

自衛隊員最初の戦死は南スーダンか

 昨日は「安全保障関連法」の成立から1年になるので、国会前ではその違憲性を訴え、改めて反対を意思表示するデモが行われた。憲法学者も大方は違憲と判断したこの問題法案を、安倍首相は国会で強引に押し通して、「積極的に平和を求めるために必要」と言い放ったのだった。政府はこの法律を前提とした準備を進め、すでに自衛隊の一部は新法に従った「駆けつけ警護」の訓練を始めていると伝えられる。その部隊の最初の派遣先は、おそらく南スーダンになるだろう。
 南スーダンと言われても、すぐにどこかをイメージできる人は少ないだろう。この国はアフリカ中部の内陸にある。北はスーダン、東はエチオピア、西と南は中央アフリカ、コンゴ、ウガンダに接している。国としては最も新しく、2011年にスーダンから分離して独立した。これは長期にわたる南北の対立による内戦の結果だったから、和平合意による独立後も、なかなか安定せずに今に至っている。日本は独立以前の2008年から国連を通して要員を派遣しており、2012年から道路整備などの施設部隊を派遣している。その規模は昨年9月現在で350名と公表されている。
 その南スーダンの現状だが、残念ながら内戦状態に近く、スーダンとの間で国境紛争まで頻発させている。NGOの「世界の脆弱国家ランキング」のトップになっているということだ。もちろん国連はPKOとして多岐にわたる支援の派遣団を送っているが、今年の4月に暫定政府が設立されたものの、首都でも銃撃戦が絶えない状況で、各国は国外退避を進めているようだ。
 こういう情報は、日本の国内にはほとんど入ってこない。たまたまネットで検索したら、国際紛争調停のプロである伊勢崎賢治氏は、「撤退すべきだったが、その時期を失してしまった。今さら撤退すべきではない」という意見を述べていた。国際社会が手を引いてしまった結果として、大虐殺を防ぐことのできなかったルワンダの事例などが念頭にあるようだ。
 さて、この状況を安倍内閣はどのようにさばくのだろうか。集団的自衛権や駆けつけ警護を適用する絶好の機会ととらえて、積極的に派遣を進めるのではないだろうか。もし実行されたら、自衛隊員は初めて自衛のためだけでない武器の使用を認められることになる。本格的な戦闘になれば、隊員の中から戦死者を出し、敵対勢力の何人かを殺す可能性が十分に出てくる。国民の大多数が名も知らず、場所も知らない遠い所で、そういうことが起こる。
 憲法9条が原文のままでいても、海外で戦死者を出す可能性が出てきたことを知らねばならない。この現実に直面したとき、黙っているつもりなのか、自衛隊の海外での武力行使は絶対に否と言うのか、私たちは覚悟を決めておく必要がある。

緊急涅槃対談「原子炉の命名権」について

(ご隠居)お久しぶりですが「涅槃コール」を押させていただきました。
(お釈迦さま)また何かご用ですか、たしか3回目ですね。まだ現役でおいでのようで、結構です。で、今日はどんなお話ですか。涅槃行きの相談にしては、まだお元気そうですね。
(隠居)文殊菩薩と普賢菩薩と言えば、お釈迦さまの大事な側近ですよね。その方たちの名前が、原子炉に使われているのはご存知でしたか。
(釈迦)いえ知りませんね。人間が核開発というものを始めた話は、前回あなたから聞きましたが、万物流転の法則から外れているようで、私はあまり好意を持てませんでした。その施設に、私の弟子たちの名前が使われているというんですね。
(隠居)そうなんです。どちらも知恵者として知られてますよね。そこで「ふげん」が最初に作られて、これは新型転換炉で、着工は1970年です。これは濃縮ウランやMOX燃料を使って、8年後から発電に成功しました。そして20年あまり運転を続けて、2003年には運転を終了し、以後は廃炉の手続きに入っています。実験的な原型炉と呼ばれる施設だったんですね。
(釈迦)そうでしたか。新しい技術の開発に役立ったわけですね。
(隠居)ところが、その次の「もんじゅ」は、大変なことになりました。これは高速増殖炉というもので、なんと核燃料を燃やして発電しながら、消費した以上の新しい燃料を作り出すことができるという触れ込みだったんですよ。
(釈迦)それはおかしい、形は変っても、無から有が生まれるわけはない。どこかにごまかしがありますね。
(隠居)でしょ。それでこれが無残な失敗になりました。1985年に着工し、1995年から発電を始めたものの、その年のうちに早くも事故を起こして停止。その後は、修理しては失敗して逆に問題点が増えてしまう「金食い虫」に化けてしまったんですよ。ろくに役に立たないばかりか、累計1兆円を超える経費を使ってしまいました。ついに政府も見切りをつけて、廃炉にする方針になるようですよ。
(釈迦)なんとまあ無残な話です。「もんじゅ」と言えば、「三人寄れば文殊の知恵」なんて、庶民にも親しまれている知恵者じゃないですか。名前だけ勝手に使われた上に、無駄遣いの代表みたいになるなんて、名誉棄損ですよ。私の側近中の側近として、象に乗って侍立しているのを、みんな見ているはずです。
(隠居)そうですよね。お釈迦さまもこれを聞いたら怒るだろうと思ってお呼びしました。ここらで一つ「仏罰」を下してやりますか。
(釈迦)それもいいが、この機会に文殊からの伝言を一つしておきます。今の世界で「文殊の知恵」は日本の憲法9条だと言っていました。私もそう思います。確かに伝えましたよ。大事にしてください。

衆智を集めた愚行の数々

 築地市場の移転先とされた豊洲新市場の現状は、話が進めば進むほど伏魔殿のような奇怪な様相を示してきた。ガス工場の跡地であることから重要だった汚染土壌対策は、土壌を入れ替える筈だったところに新しい盛り土が行われず、新施設の地下が大きな空洞になっていることが発覚したという。広大な地下空間を作り出す工事が、少数の人間の思いつきで実現するわけがない。施工業者を含めた計画と設計があった上での仕様変更だったに違いないのだが、誰がその責任者かわからないというのだ。元知事の石原慎太郎も、「話は聞いたことがあるが、自分が決めたわけではない」と言い逃れている。
 かくして誰が責任者かわからないままに予算が消化されて、使えるかどうかわからない施設が出来上がってしまった。たまたま先の都知事選挙で当選した小池百合子新知事がこの事実を知って、決まっていた移転期日に「待った」をかけ、安全確認と今後の対策に時間をかけることにした。もしも他の候補者が都知事に当選していたら、予定通りに移転を開始してから問題が明るみに出て大騒ぎになったかもしれない。
 どの道、安全確認と今後の対策については、信頼できる専門家集団の意見を聞いて判断するしかないだろうが、東京都の事業というのは、都議会のしがらみもあって、独特のわかりにくさの中で行われているようだ。不気味な地下空間は、都政という「誰もよく知らない公共事業」を象徴しているよに見える。 
 伏魔殿のような奇怪な失敗事業は、もちろん国にもある。高速増殖炉の「もんじゅ」は、1985年(昭和60年)から本体工事が始まり、1994年に運転を開始して臨界に達した。高速増殖炉は、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を燃やして発電をしながら、使った以上の核燃料を生み出す「夢の原子炉」だと当時は言われていた。とろろが冷却材に金属ナトリウムを使う難しい技術で、その後はトラブルの連続になった。経営主体は研究機関という位置づけで、文科省が所管する独立行政法人日本原子力研究開発機構となったが、世界的には、日本以外のすべての国(米・英・仏・独)が2000年までに見切りをつけて高速増殖炉からは相次いで撤退してしまった。
 その中でも日本が「もんじゅ」を放棄しなかったのは、純度の高いプルトニウム(核兵器に好適)が得られる可能性があったからと言われる。しかし2000年代に入ってからもトラブルの連続は止まらず、事故があっても隠そうとする隠蔽体質も問題とされるようになった。結局、稼働からはほど遠い段階での対策に追われて今に至っている。設置から現在までに使われた予算の総額は、1兆円を超えた。政府・自民党も、ようやく「廃炉やむなし」の判断に傾いていると伝えられるが、廃炉までの費用も半端では済まないだろう。そこにまた寄食する多くの人たちを税金で養うことになる。
 政治家の判断ミスは多くの損害を国家に与えるが、その責任を追及されることはめったにない。今もこれからも、多くの愚行があることだろう。その中でも最悪のものは、もちろん戦争への突入である。戦争に近づく舵取りだけは、絶対に許してはならない。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(3)

 戦後70年を経た現代日本の問題点は、戦後民主主義の劣化です。戦争には懲りた、新しい憲法の戦後民主主義になったら、平和と成長と豊かさがが手に入ったという実感が、現役世代から失われました。目の前にあるのは格差の拡大であり、厳しくなる競争であり、人口減に代表される長い下り坂の予感です。
 そして世界の現状を見れば、依然として各国は新兵器の開発にいそしんでおり、最終戦争の準備をしているかのようです。それは世界の政治指導者が、戦争のない世界の到来を信じていないことを示しています。国民国家を主役とした近代が終焉を迎えるとしても、そのあとの世界がどうなるかは、まだ誰も見通しを持つことができずにいるのです。この部分は本に書かれてはいなかったのですが、世界の指導者が戦争を過去のものと思っていないことは間違いありません。
 そしてこの気分は、私たち日本国民の間でも同じことです。70年間は平和であったが、このまま無事でいられるとは思えない。もしかして平和ぼけしているのかもしれないという、漠然とした不安感です。平和憲法を守れという運動も、その感覚の反作用の部分があるかもしれません。
 しかしここには、危険な落とし穴があります。現状への懐疑と大きな変化への願望は、容易に戦争の容認と結びつくからです。かつて働いても楽になれないフリーターが「希望は戦争」と発言したことがありましたが、あの心理です。ましてそこに敵として名指しされる国家や集団が設定され、悪意の宣伝が繰り返されたら、世論は一気にそちらに傾く可能性を秘めています。
 もちろん戦争になるということは、自分を含めて知っている人たちが死ぬことであり、住んでいる住居や働いている職場が破壊されることです。しかしそれを実感として知っている世代は少なくなりました。言葉や映像で伝える資料はあっても、関心を持っている人たちは少数派でしょう。戦争を防ぐには最初の一歩が大事なのですが、その決断のできる人材がいるかどうかもわかりません。
 内田氏が警告しているのは、「70年の平和に飽きた嫌厭感」です。自分に恩恵をもたらしてくれている体制に飽きて、大衆がその破壊に同意してしまうことです。その音頭取りをしている安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」が、まさにそれです。人々の「うんざり感」に便乗して「積極的平和」という名の戦争参加への舵取りをしようとしている。これ以上危険なことはありません。
 軍備が作る平和は、じつは一時的な停戦に過ぎません。平和は、軍備を遠ざけるところからしか生まれないのです。つまり日本の憲法が言っていることと同じです。抑止論の限界は、それが永続も安定もしないことです。世界の最終戦争についても、同じことです。もう一度言います。平和は、軍備を遠ざけるところからしか生まれないのです。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(2)

 紛争の絶えない現代ではあるけれども、そこにはどこかの国が「宣戦布告」をして、どこかの国の「降服」で終るような戦争はありません。その代わりに、戦時でもないのに、いつ大きなテロ攻撃に見舞われるかわからない不安感が、すべての国を覆っています。戦争ではないので戦時国際法の適用もなく、戦闘員でない市民すべても攻撃の対象になるから、かえってやっかいです。その原因は、国民国家の「液状化」にあると論者は指摘しています。液状化とは、国境が防壁の役に立たなくなり、国境の外と中が同じようになってしまうことです。そしてこれは歴史の流れですから止められません。たとえば人の往来を自由化し、通貨も共通にしたEUは、今さら元にもどれないのです。
 かつては民度の高い「先進国」と、貧しい「後進国」が住み分けしていましたが、グローバル化で国境が低くなれば、人は圧力の高いところから低いところへ移動します。つまるところ、昔は遠い外国の問題だったものが、どこの国でも国内の問題になってしまいました。そして経済的理由で招いた人たちは「移民」と呼ばれ、政治的理由で押し付けられた人たちは「難民」と呼ばれます。
 こうしてどこの国も、紛争の火種を国内に抱え込むことになりました。そこでテロを含む紛争に備える「疑似戦時体制」の下に置かれるわけですが、そこで論者は面白い提案をしています。これは原理としての戦争ではないから、現象としての「数を減らす」ことを考えればよいというのです。人の不満は、金銭で解消できる部分がかなり大きいのですから、必要な金は使って不満が蓄積しない施策をすればよいのです。
 ところで国民国家が液状化したあとの世界はどうなるのでしょうか。論者はまず「帝国化」を予想します。アメリカ帝国圏、ロシア帝国圏、中国帝国圏、あとの候補としてはドイツ帝国圏、トルコ帝国圏などです。しかしこれはグローバル経済圏に対抗するブロック経済圏みたいなものになるのかもしれない。するとグローバリズムの衰退はありえるのか、といった方向に話は進のですが、この辺になると、知的会話を楽しむような雰囲気になってきて、警世の提言というほどの迫力は感じられません。それでも、いろいろな視点で考えることの大切さというか、楽しさを教えてくれます。
 グローバリズム批判で印象的だったのは、アメリカ・モデルの特殊性ということでした。アメリカの発展は、前半は奴隷制によって、後半は石油の発見によって支えられました。どちらも収奪の典型であって、こんなものを世界の標準にしたら悲劇にしかならないというのです。「アメリカの成功が人類を不幸にした」「アメリカモデルは失速する」と見出しを立てています。
 総じてこの二人の対談は、現代の「賢人対談」のような内容ですが、見方によっては当ブログの「ご隠居と熊さん」的な軽さもあります。でも最後に大切な呼びかけがありましたから、次回にそれを紹介して終ることにしましょう。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(1) 

 久しぶりに書店で立ち読みして、内田樹(たつる)と姜尚中(カンサンジュン)が対談した「世界『最終』戦争論〜近代の終焉を超えて」(集英社新書)を買ってきました。どちらも信頼できる知識人と感じているご両人ですが、意外なことに、この企画で初めて対面したとのことです。聴衆を入れた会場で話し合い、会場からの質疑も取り入れる構成にしています。何よりも目を引いたのは「世界最終戦争」という文字でした。この人たちも世界最終戦争は避けられないと思っているのでしょうか。私は例の通り一日足らずで読んでしまったのですが、二人の思考を確かめながら、落ち着いて最初から読み直してみたいと思います。
 目次から見直すと、「はじめに」は「悲劇の氾濫の中で」の題で姜尚中が書き、「あとがき」は今年4月21日の日付で内田樹が書いています。そして章立ては以下の通りです。

序章 問題提起 世界は「最終戦争」に向っているのか
第1章 液状化する国民国家とテロリズム
第2章 我々は今、疑似戦時体制を生きている
第3章 帝国再編とコミューン型共同体の活性化
第4章 グローバリズムという名の「棄民」思想
第5章 シンガポール化する日本
第6章 「不機嫌な時代」を暴走させないために

 最初の疑問は、ソ連の崩壊で冷戦が終了したあとに、世界はなぜ予想された通りに「退屈だけれど平和な時代」を迎えることができなかったのか、ということです。自由を基礎とする国民国家が共存して、自己調整的な市場が機能すれば、永続的な平和が維持できるはずでした。しかし実際に起きたことは、グローバル経済に翻弄されて自立が不能になる国民国家であり、イスラム諸国の台頭と中東の激動であり、多くの移民を抱えたフランスなどに見られる国家の分裂と不安定化でした。
 姜尚中氏は、2015年11月の同時多発テロ後にフランスへ取材に行ったとのことですが、移民系の貧しい人たちが住んでいる地区を見て、自由・平等・博愛を建前とするフランスの中にある厳然たる格差を報告しています。そこではフランスという国家そのものが呪詛の対象になっているというのです。移民の2世3世はフランス語しか知らずフランスでしか生きられないにもかかわらず絶望している。この状況では、ISの支配地域をいくら空爆しても、問題は全く解決できないと断言しています。

足の爪のその後(2)

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 足の爪のその後ですが、現状はこの通りであまり変りはありません。月曜日に受けた診察では、「もう新しい爪が出来かかっています。消毒も不要で、風呂にも入れていいですよ。」とのことでした。右親指の古い爪は、指に密着しておらず、浮いた状態であるのがわかります。ただし古い爪をはがすときは、新しい爪を大事にするようにと、同じ注意がありました。

 しかし当方は初体験だから、どのようにして古い爪をはがすのか、イメージがわかりません。そのことを言うと、「心配なら2週間でも3週間でも、いつでも見せに来てください。」という返事でした。邪魔な部分は切ってもいいというのですが、死んだ爪は伸びないでしょう。最後的にどのようにして死んだ爪は指から離れるのか、宿題がやはり残りました。

 爪の色は明らかに変っていますが、押しても特段に痛むことはありません。ただしこのまま靴下をつけ靴を履いても、歩けることはテスト済みでわかっていますが、多少の違和感はあって気持のいいものではありません。近所への外出は、今も草履の素足履きにしています。そして洗面所などでスリッパを履くのにも抵抗感があって、素足のままが多くなりました。

 要するに死んだ爪をかぶった右足の親指には、何も触らせたくないのです。現実的な痛みの有り無しというよりも、正規の爪を持たずにいる指を、気づかっているのかもしれません。


自衛隊の南西シフトと軍備拡張時代

 自衛隊の「南西シフト」が進んでいる。冷戦時代からの伝統的な「仮想敵」はソ連・ロシアだったから、自衛隊は北海道に多くの部隊を置いていた。しかしソ連の崩壊以降は、北からの脅威は緩んだと判断されて余裕が生まれてきた。その振り向け先に選ばれたのが南西方面だった。折から中国の海洋進出があるし、北朝鮮の気になる動向もある。軍人は常に有事の際の戦力バランスを考えるから、北方から南西への戦力の移動は、合理的な対応なのだろう。
 しかし戦力の移動は人が動けばいいだけの話ではない。北の大地での戦車戦を想定していたのが、南西諸島での防衛戦ということになれば、装備も訓練も違うものになってくる。水陸両用車を使った敵前上陸も、離島奪還作戦のために必要だということだ。時間も経費もかかるわけである。
 日本の防衛費は、GDPの1%という大枠があって、これは歴代内閣により50年も守られてきた。しかしこれは昨2015年から安倍内閣によって破られた。2016年度の防衛予算は、初めて5兆円を突破したと伝えられている。これは国の総予算に対しては5%以上になる。日本の経済成長率は低くなっているから、防衛費の負担は、今後ますます財政の重い負担になるだろう。
 国の存立のために、何をおいても防衛費は削れないと言うのだろうか。巨大な中国軍を意識して軍備で競争するのが得策なのかどうか。平和な外交で緊張を緩和する努力は充分なのだろうか。
 沖縄の先に連なる島々といえば、平和な南国のイメージがある。そこに自衛隊が駐留してミサイルを装備することで、私たちは今よりも安心して訪ねることができるようになるのだろうか。実感としたら、その正反対だと思うのは、私だけではあるまい。

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慶良間諸島の座間味島です。(2011年6月撮影)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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