「鉄道は誰のものか」(上岡直見・緑風出版・単行本)を読んだ。鉄道好きの私としては気になるテーマだが、著者の立場は冷静で、国民すべてのインフラであることを自覚せよという視点で書いている。何となく日本の鉄道は世界一と思われているようだが、たしかに日本は旅客輸送の総量で全世界の6割を占める鉄道大国ではあるものの、その質においては自慢できるレベルではないという辛口の評価をしている。裏返せば、鉄道への期待水準が高い人なのだった。
 目からうろこ的だったのは、通勤ラッシュ時の電車の現状を、あり得べからざる違法状態と断じていることだった。法律では定員以上の客を乗せることを禁じている。定員とは、座席数と「立ち席」としてのつり革の数の合計で、これなら立っていても本を読んだり書類を見たりも楽にできる。ところがラッシュ時の現状は、体重を自分の足に乗せていられれば上等という程度で、それが30分以上続くのも珍しくはない。しかし著者の感覚では、30分以上の乗車は座席であるべきで、立って通勤することによる体力のロスは、社会的損失として計上すべき問題になる。なぜ正当な投資をして改善しないのか。
 国鉄が分割されて日本の鉄道はすべて民営になり、自立した経営をすることになった。採算に合わない投資をしないので、サービスは乗客が文句を言わない最低レベルで放置されている。乗客も国鉄時代からのすし詰め乗車に慣れているから適応しているのだが、鉄道王国を守りたかったら、乗客ももっと「乗客の権利」を主張して、非人間的な乗車を拒否すべきなのだ。
 近年目立つのは、ローカル線の衰退である。乗客が少ないからと、列車の本数を減らし、連結車両数も減らしている。この統計に、著者は「座席数」を採用しているのがユニークだ。鉄道は客が座って乗るもので、立ち乗りは邪道と考えている。赤字線でも通学時には超満員になる例があるが、通常でも座席数が足りないのでは、一般の人はますます鉄道を使わなくなるだろう。鉄道はエコでなくてもいい場合がある。鉄道を見限って自動車を使う人が増えると、道路が渋滞して自動車事故も増える。渋滞や自動車事故による損害は、鉄道の経費とは比較にならないぐらい大きいと著者は考える。
 そのほか、著者はリニア新幹線についても1章を費やして「リニアより詰め込み解消を」と主張している。その技術的合理性を疑い、環境影響を懸念している。経営の安定性についても、さまざまな指標を用いて見通しが楽観できないことを論証し、対案として、現行新幹線の値下げと在来線の改善を推奨している。人は駅から駅の間を移動するために鉄道を利用するのではない。リニアで何分で行けるかが問題ではなくて、自分のいるところから用事のある場所へ行くことが目的で鉄道を利用する。鉄道が通ればひとりでに町ができて地域が繁栄する時代ではなくなっているのだ。
 それにつけても、誰もが疲れずに快適に出勤できる通勤電車は、いつになったら実現するのだろう。もっぱら人口が減って行くのを待つしかないのだろうか。