志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2016年10月

映画「ザ・思いやり〜オモイヤリヨサンの疑問」を見る

 昨日は昭島市で行われた、映画「ザ・思いやり」の上映会に行ってきた。日本に住み、日本人と結婚して子育てもしているアメリカ人のリラン・バークレイが監督と出演を兼ね、自分の素朴な疑問から出発して日米関係の不思議を描いている。日本に駐留するアメリカ兵とその家族が受けている手厚い優遇は、一市民のアメリカ人から見ても驚きの連続で、滑稽に近いレベルなのだ。そのすべての財源が日本人の納める税金から出ているのだから、これはもう滑稽を通り越して悲劇としか思えなくなる。だからユーモラスな驚きからスタートした映画も終盤では暗くなる。終映時の会場からは、ほとんど拍手が出なかった。
 思いやり予算とは、防衛省予算として執行される「在日米軍駐留経費負担」の俗称だそうだが、1978年に当時の円高などを踏まえて、日米地位協定の枠に含まれない法的根拠のない部分も日本側が負担することを「思いやりの精神」で決めた当時の防衛庁長官、金丸信の国会答弁から始まったと記録されている。最初はそうかもしれないが、今では例年「日米協議」でアメリカ側からの要請が伝えられている。これまでに支出された総額は3兆円を超え、今も年間1900億円程度が使われている。
 しかし映画ではそんな解説はせず、もっぱら「思いやり」のおかげで、アメリカ軍人とその家族がどれほどすばらしい暮らしをしているかを、サプライズの要領で紹介して行くのだ。小中高の学校には、すばらしいプールやテニスコートが完備している。住宅も豪華で、庭付きの戸建てで提供される。鉄道には、アメリカ軍関係者の便利なように新駅を作り、専用の改札口を設けた例もある。軍施設の中は快適に整備され、商店も娯楽施設も、そこで働く従業員の給料も含めて、すべて日本の予算で維持されている。
 これは映画の中でも説明されていたのだが、日本にはいま4万6千名のアメリカ兵が駐留していて、その1名当り年間1500万円を使って日本政府は「おもてなし」をしていることになるのだそうだ。もちろん兵士としての給料はアメリカ政府から受け取った上での話である。この話を、監督はアメリカを始めとする世界の各国でも一般市民に話して反応を聞いている。アメリカの人たちは、アメリカ兵が日本政府から恩恵を受けているという話を、よほどよく説明しないと理解できない。そしてどこの国でも「信じられない!」と言われるのだ。日本人はそれほどアメリカ軍が好きなのか。
 ところが映画は「アメリカ軍は日本を守るためにいるのか」という問題についても、最後になって疑問を投げかける。世界で「テロと戦っている」つもりのアメリカである。しかし本当に殺している相手は誰なのか。悲惨な誤認攻撃が、日常業務として行われている場面が登場する。日本はいったい何を思いやって国民の税金を使っているのか。やりきれない思いが重く残る映画だった。

ブログ連歌(469)

9359 地球規模 支配のくびき 解き放せ (みどり) 
9360  平和共存 世界は一つ (建世)
9361 安倍さんの したい放題 歯止めなく
9362  それにつけても 野党の無策 (うたのすけ)
9363 任期延長 アベの目論見 現実味 (うたのすけ)
9364  永久独裁 まさかと思えど (建世) 
9365 廃炉費は 自前でどうぞ 東電さん 
9366  値上げだなんて そりゃ聞こえません (うたのすけ)
9367 コメは一粒たりと輸入しません
9368  誰もが忘れた 二度の国会決議 (獣医さん) 
9369 無関税システム 消えゆく山間地
9370  農民 農地 棚田を記憶せよ (獣医さん)
9371 我が儘は 五輪騒動 言わぬこと (うたのすけ)
9372  ボート場なら 韓国もあり (建世)
9373 唯一の被爆国 それがどうした
9374  アメリカのためなら そんな念仏吹っ飛ばせ (獣医さん)
9375 情けなし 嗚呼情けなし 情けなし
9376  アメリカ立てて 被爆者貶める (うたのすけ)
9377 思いやる 主はアメリカ 名ばかりの
9378  独立国に われは住むなり (建世)
9379 さいならと いざとなったら 逃げだされ (うたのすけ)
9380  ただ抜けがらの 基地ぞ残れる (建世)

 

センテナリアン・100歳超で健康長寿の人生へ

 昨夜のNHKスペシャル「徹底解明・100歳の世界〜あなたもなれる”健康長寿”の秘密」を興味深く見ていた。100歳以上の長寿者は英語で centenarian と呼ばれ、この用語は古くからある。日本で最近は「センテリアン」とも言われるようだが、センテナリアンが正しい。早いうちに用語を統一するといいのだが、それよりも内容が面白くて、日本シリーズの野球よりも優先にした。
 番組の主題は、健康長寿の秘訣を医学的・科学的に解明するという作りになっていた。人体には加齢とともに進む慢性炎症という現象があり、これを抑制すると健康長寿になるということだった。このために有効なのが「食事」「運動」「心の持ちよう」の3要素であり、「心」のありようでは、「欲望充足型」よりも、社会や人とかかわる「生きがい型」の方が長寿になると説明されていた。
 そして印象に残ったのは、長寿になるほど満足感はアップするという、やや意外な報告だった。取材対象は海外にも及んでいて、110歳超で寝たきりになったフランスだかのおばあさんまでが、「人生の中で今がいちばん幸せ」と言い切っていたのは、驚きというよりも感動に近かった。楽天的だから長生きしたのか、因果関係はどちらが先かわからないが、結果がそうならば長生きは楽しみになる。
 これから先は私の最近の報告だが、この夏から就寝前の15分間の体操を、一日も休まないことに決めて実行している。動機は、むのたけじのテレビを見たことだった。自宅で取材を受けたむのたけじは、毎日欠かさないという体操をして見せていた。それは敷物に横たわって足をあげる、かなりきつい動作に見えた。100歳になっても現役の記者として発言していたむのたけじは、それだけの努力をしていた。自分も負けないようにしようと、その場で決めたのだった。
 むのたけじは、その後数日で亡くなったのだが、そのために私の決心は補強されたのかもしれない。そして昨夜この番組を見て、自分もぜひ100歳超えしたいという意欲が猛然と湧いてきた。さらに落ち着いて考えたら、自分は100歳までにあと17年しかない。その17年が、とても短いと感じられたのだった。なぜか、のんびりしている暇はないなと思ったのだ。そしてすぐに、17年が短くて困るなら、100歳を超えてどんどん先まで行けばいいではないかという方へ、私の思考は展開した。
 かなり以前のことだと思うが、ブログの中で「120歳ぐらいまでは生きて、世の中を見ていたい」という趣旨のことを書いたことも思い出した。番組に登場した長命人たちの姿を見ていたら、それもなんだか夢や冗談ではない気がしてきた。110歳超でブログを書いていても、何も不自然ではないだろう。長命不死の妙薬など欲しいとは全然思わないが、「食事」「運動」「心の持ちよう」の3点セットで、人間としての新記録をめざして行くのは爽快だろう。やってみる。

核兵器禁止条約交渉入りに反対した日本の政府

 この27日に行われた国連委員会での採決で、日本は核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を開始するとの決議に、反対票を投じたということだ。決議は大多数の賛成で可決されたのだが、唯一の被爆国である日本が反対したことの意味は小さくはない。理由は「アメリカの核の傘で守られている立場と相容れない」からで、アメリカからの要請もあり、早くから態度は決まっていたのだそうだ。
 今回の投票結果を見ると、いろいろなことを考えさせられる。現在の世界には、事実上の核兵器保有国は9ヵ国あるとされているが、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、イスラエルの5ヵ国が反対に回った。中国、インド、パキスタンの3国は棄権している。そしてただ1国、北朝鮮が賛成しているのが面白い。自衛のために止むをえず持ったと言いたいのだろう。裏返すとその他の国は、まだ核兵器は必要だから、簡単には捨てられないと言っていることになる。
 核兵器保有国以外で反対したのは、日本、韓国、オーストラリア、NATO諸国など33ヵ国で、アメリカの核の傘の下にいる(と思って)いる国が多い。棄権がオランダなど16ヵ国で、あとの123ヵ国が核兵器禁止に賛成した。日本国内でも、もし世論調査をしたら、圧倒的多数が核兵器禁止に賛成したことだろう。日本政府だって、一般論として問われたら、核兵器禁止に賛成と言うに違いない。
 そなのになぜ反対せざるをえないのか。新聞によると岸田外務大臣は「核保有国と非核保有国との間の対立をいっそう助長し、亀裂を深めるから」と、苦しい弁明をしている。さらに来年になって実際に交渉が始まったら、「私としては交渉には積極的に参加して、主張すべきことは主張していきたいと考えている」と、反対したことと矛盾する発言をしているが、これはまだ政府公認ではないようだ。
 もちろん日本国内の被爆者団体などは、政府に抗議文を送るなど一斉に反発している。常識で考えても、核兵器禁止条約を推進する動きに、日本政府が正面から反対するというのは、全くもって筋が通らない。アメリカからの要請があったのが、やはり決定的だったのだろうか。それにしても、この件でアメリカが日本に命令を下す権限があるわけもない。日本政府の得意技である「思いやり予算」ならぬ「思いやり投票」で、アメリカへの従順を示すことにしたのだろう。
 ここから見えてくるのは、私たちの上にある今の日本政府という存在は、日本国民の心情よりも、アメリカとの関係を優先順位の第一位に置いているという事実である。核兵器を「使ってはならない兵器」として、一日も早く世界で合意しておきたいのが日本人の共通の願いと思っていたが、日本の政府はそうではなかった。この一点だけでも、この政府を信用することはできない。

(追記・新聞の一覧表に「主な国」と書いてあるのを見落としたため、国数のカウントが誤っていたのを訂正しました。ARISAWAさん、ご指摘ありがとうございました。)

制服の魅力と権力の快感

 テレビの現場で番組を作っていた時期に、若い警察官に密着してレポートしたことがあった。職業紹介も兼ねた青年向け番組としての制作だった。地方の出身で、東京警視庁を受験して合格し、現場の勤務について日の浅い好青年だった。最初に就職の動機を聞いたら、「まあ、制服の魅力ですね」という答えだった。高卒で就職して上京し、独身寮に住んで夜間大学に通っていた。
 現場では、警察署に配属された白バイの担当で、交通整理や管内での違反の取り締まりなどに当っていた。係長の指示で出動してから勤務を終るまで、目立たぬようにカメラと無線マイクで取材し、最後に自室に落ち着くまで同行した。通っていた大学は国士館大学ということで、あまり多くない書棚の本も、それらしいものだった。しかし詩を書いていて、ノートには素直な若い感性が綴られていた。その一部は放送でも使わせて貰ったのだが、同僚の夜間交番勤務に寄せた「……世の光なる 君の直立よ」の結びを覚えている。
 警察官は採用の際に「服務の宣誓」を行い、その文面は以下のように定められている。「私は、日本国憲法 及び法律を忠実に擁護し、命令を遵守し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当ることを固く誓います。」というものだ。「警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず」の部分は、特定の政党や労働組合には所属しないことを求めている。
 つまりは警察官の職務は、集団として一元化した命令に従うのでなければ役に立たないという原則がある。これが雑念を遠ざけて職務に集中すればいい「制服の魅力」の要素でもあるのだが、法律や規則には、憲法違反の疑いのあるグレーゾーンが出来つつある現代である。個々の正否は裁判をしないと結論が出ないのだが、警察は現行法を根拠にして職務命令を出すわけだ。そこで現地住民との対立という悲劇が生まれる。現場に出た警察官は上司の命令に従うしかないが、「何ものをも憎まず、良心のみに従い」に反してしまう人間的な悩みはあるだろう。
 このときに楽なのは、人間的情念を消してしまうことなのだ。機動隊員の無表情は、必死に耐えている防護の仮面に違いない。だがこれが続くと、相手を「暴徒」と括って非人間化すると楽になる。ナチスがユダヤ人を「民族の害虫」と定義したのと同じことだ。「土人」と呼んでしまえば、少なくとも同じ人間として扱う必要がなくなる。そして本当に恐ろしいのはその先なのだ。秩序を乱す暴徒の鎮圧なら遠慮は要らない。権力に守られた実力行使という名の暴力の発揮は、往々にして快感を伴う。
 警察官にどんな任務を与えるかは、すぐれて政治的な課題である。長く続く保守党政権下で、警察の幹部も保守化している。だが、互いに相手を敵視する警察と国民との関係で、社会の治安が保てるわけがない。憲法に定める「不偏不党且つ公平中正」な国民を守る警察でありつづけることを、心から願っている。

沖縄・高江の叫びを聞いてくれ

 昨夜は、水沢澄江さんの高江緊急報告会を聞きました。報告に先だって、映画「森は泣いている」の映画(65分)の上映もありました。この映画で、今や激突の舞台となってしまった高江問題の概要と現状を知ることができました。
 やんばるとは、漢字を当てれば「山原」で、山地の連続です。沖縄本島で、平地の多い南部に対して、北半分は山と川が多く、貴重な水源地帯であるとともに、豊かな自然環境が残された、生物種の多い地域です。この全体が「やんばる」なのです。このやんばるの中に、アメリカ軍海兵隊はジャングル戦のための広大な「北部演習場」を設けていました。このうちの北側半分ほどを返還する代わりに、高江を含む南部を効率化する目的で、ヘリパッド(着陸帯)の建設を、日本側の負担で進めているのです。
 しかし新しいヘリパッドは集落に近く、地元民の平穏な生活を破壊します。基地の縮小が本当に県民の負担軽減のためなら、こんな計画が強行されるわけがありません。住民の抵抗に対して、本土からの機動隊なども動員した工事の強行は常軌を逸して、いまや死人が出てもおかしくないまでに深刻化しているのです。水沢さんの冒頭は、「あの異常な空間は何だったのだろうと、しばらく夢うつつだった」という報告でした。
 それでも、沖縄で見てきたことは、今も現地で続いている厳しい現実です。無抵抗を原則にしていながらも、「逮捕覚悟でも、やらなきゃならん」的な発言が、報告後の討論の時間に、経験者から飛び出すほどの激しさでした。狭い村道とゲートが現場であるために行動が先鋭化するのかもしれませんが、「通せ、どけ」の押し問答で日本人同士が争う中から、「土人」発言の差別意識が飛び出すまでに雰囲気が悪化してしまいました。
 これは日米安保で引き裂かれている日本の悲劇そのものです。年内完成を急いでいるという説もありますが、これ以上の無理をすべきではありません。このままではダンプカーの前に飛び込む「自殺テロ」が出るかもしれません。いったい誰のための悲劇なのか、日本人だったら、ぜひこの悲痛な声を聞いてください。一歩手前で踏み止まるために。
https://www.youtube.com/watch?v=hUI8haTSjBo&feature=share

 

「分社化」で延命をはかる原子力発電

 経産省は、25日の「東京電力改革問題委員会」で、福島第一原発を切り離した「原発事業の分社化」案を出したということだ。新聞の見出しだけでは何がどうなるのかよくわからないのだが、記事を細部まで読んだら、つまりは破綻した福島第一の部分を除外すれば、「採算のとれる原発事業」を継続できるという思惑なのがわかった。同時に示されたのが、福島第一の廃炉費用と賠償費の合計が、現在の想定の11兆円から、2倍近くにまで増えるという可能性だった。
 これを要するに、東電本体を破綻させれば結局は国民負担になるので、残った原発で大いに稼いでもらいたいという提案になるのだった。新しい子会社の本社は、柏崎刈羽のある新潟に置くということだ。福島第一と分離さえすれば、原発専門の優良企業として電力業界のメンバーになれるという理屈だ。
 ちょっと見には、いい考えのように見える。原発というドラ息子は、福島ではとんでもない不始末をしでかしたが、あれは本当は力持ちの働き者なのだ。福島では運が悪かったが、しっかり保護観察して働かせれば、今までの損害を償う役に立つではないかという話になる。だが、それで周囲が安心できるかというと、それはまた別な話になる。万一にも事故があったら、地元自治体は住民の安全を守り抜く義務がある。新しい規制基準に適合していることの確認はもちろん、事故の場合の避難計画も万全でなければならない。それでも絶対安全と言えるのかどうか。
 そのことを大きな争点の一つとして、新潟では知事選挙をやったばかりなのだ。そして原発に対して慎重と言われる米山隆一氏が当選した。背景は複雑だったが、要するに政党が勝った負けたではなくて、「脱原発が勝った」のだと、私もブログにそのように書いた。当選したばかりの新知事は、当然のことながら、原発再稼働は「現状においては認められない」と言っている。
 新聞の解説によると、知事には原発の再稼働そのものを拒否する法的な権限はないのだそうだ。しかし適合審査の申請を認可するなどの間接的な権限があり、新潟の場合は県独自の「原子力安全広報監」という役職も置いている。原発再稼働への防波堤としての知事の力は、決して小さくはない。まして、原発を争点として当選していれば、県民全体の意思が背後にある。
 それでも政府は「原子力事業の分社化」を武器にして新潟の原発を動かそうとするだろうか。知事と県民の意思を無視するとしたら、それは基地をめぐって沖縄と対立している政府の立場と酷似してくる。そこまで原発再稼働を強行したら、原発立地県は、次から次へと「沖縄化」して行くのではないだろうか。

ブログ連歌(468)

9339 小池節 伴奏バッハで したたかに (建世)
9340  日々の活動 お体大事 (うたのすけ)
9341 トランプ氏 トランプ捌きで 墓穴掘り (うたのすけ)
9342  ヒラリーひらり 一歩前進 (建世)
9343 いつの日か 日米対等 友好を (みどり)
9344  先見えぬほど 道遠けれど (建世)
9345 けもの道 「犬」が「土人」に 吠えつくも
9346  アメリカ様の 基地つくるため (建世)
9347 怖ろしや 差別とイジメ 横行す (みどり)
9348  涙を誘うは 笑顔の写真 (建世)
9349 田部井さん 雲の上からニッコリと
9350  女性と高齢者 山岳登山の星 (獣医さん) 
9351 超格差 社会不安が拡大し
9352  資本主義 金融制度が根を崩す (獣医さん)
9353 憂いなし なにが起きても 有識者 (うたのすけ)
9354  講釈垂れて あとはよしなに (建世)
9355 この道は いつか来た道 恐ろしや (うたのすけ)
9356  海外派兵で 靖国へ行く (建世)
9357 アメリカに NOと言える ニッポンに (うたのすけ)
9358  なれたらいいね 日本晴れだね (建世)
9359 地球規模 支配のくびき 解き放せ (みどり) 
9360  平和共存 世界は一つ (建世) 

秋の夜長のよもやま話

(熊さん)夕暮れが早くなって、夜が長くなりましたね。
(ご隠居)そうだね、つい先日まで半袖で散歩してたのが嘘みたいだ。肌着から長袖にして冬の服装にしてみたけど、まだ寒いや。郵便屋さんは年賀状の売り込みに来るし、フード店には「おせち料理の早割り」なんて旗が出てたんで驚いたよ。これですぐに年末のムードになっちゃうんだろうね。
(熊)ところで、きのうのブログがアクセス多くて、評判いいようじゃないですか。
(隠)うん、素直に書いてみただけだけど、思い当る人が多かったみたいだ。今年の残りは少ないけど、気になる問題は多いな。まず一番は、南スーダンへの自衛隊派遣だな。現地の状況はすごく緊迫してるらしいけど、政府は相変わらず「現地の状態は落ち着いている」の判断を変えようとしない。早いとこ引き上げればいいのに、なにが何でも交代の自衛隊を送り込みたいらしい。「駆けつけ警護」の訓練をした最初の部隊だから、「役に立ちますよ」ってところをアピールしたいんだろう。「積極的平和主義」を言い出した手前、いいチャンスだと思ってるんじゃないかな。
(熊)紛争地帯へ自衛隊を出して、隊員から犠牲者が出たり、撃ち合いで現地の人を殺したりしたら、まずいじゃないですか。大問題になりますよ。
(隠)その可能性があることは本音ではわかってるだろう。でも世界へ出て行くためには、いずれは経験しなくちゃならない。国民に大きなショックがないように、少しずつ慣らしていく思惑もあるんじゃないかな。安倍首相は先日、自衛隊の「殉職者慰霊」の式典に出向いて、テレビで放送もさせてた。自衛隊の中には、訓練中の事故などで亡くなった人のための慰霊塔があるんだよ。軍隊では訓練中の事故死は「戦死」と同じ扱いだからね。本当は靖国神社に合祀してあげたいと思っているかもしれない。
(熊)そういうことか。知らないうちに、どんどん進んでるんですね。
(隠)次の大問題はTPPだろうね。政府はぜひ早く国会を通したいとしているが、これは経済活性化に役立つと思われてる一方で、国際大企業が国の言うことを聞かなくなる危険性もはらんでいる。アメリカでも問題になっていて、次の大統領に誰がなるかとも関係しているんだ。アメリカでもまだ結論が出ていないのに、日本が先に立って推進することはないんだよ。TPPにはわからないことが多過ぎて、専門家でも意見が分かれているそうだ。少なくともアメリカの大統領選挙の結果を見届けるまで待つべきじゃないのかな。
(熊)TPPって言われたって、おいらにゃ全然わからないや。で、どうなるんですかね、来年は。
(隠)さあて、どんな年になるのかな、わしにもわからん。「安倍の世」がますます長続きするようにはなって欲しくないが、どこからどんな変化が出て来るかが読めないんだよ。でも、何もしなくていいってことにはならない。「脱原発・非戦・護憲」の声をあげて、同憂の仲間と励まし合って、少しでもいい世の中になるようにがんばる。それしかないんだな。

自民党の補選2勝と低投票率

 久しぶりの国政選挙となる衆議院の補欠選挙(東京10区と福岡6区)で、自民党が2勝した。どちらも自民党・対・野党統一の形にはなっていたのだが、自民の完勝だった。同時に発表された投票率が、どちらも衝撃的に低い。東京は34.85%、福岡は45.46%だった。
 新聞の解説を読むと、民進党は連合に遠慮して本気で応援できなかったというようなことが書いてある。党の幹部は、今の労働組合の選挙における動員力の実態を知らないのだろうか。組合の本部が特定の候補者の推薦を決定したら、組合員の家族を含めて組織人員がそのまま得票になるなどは虚構で、候補者が組織内の有名人ならともかく、ほとんどの組合員は、組合が誰を推薦しているかさえ知らずにいるだろう。組合はポスター貼りとかチラシ配布とか、実働の「人足」を提供してくれるので、便利で頼りになるように見えるかもしれないが、大半の組合員は、自分が労組の組合員であることさえ意識していないだろう。
 今回は共産党も候補を下ろして協力していたのだから、本来なら投票率が低ければ野党側に有利だった筈である。共産党の固定票は5%はあるから、投票率が35%なら影響力は3倍近くになって効いてくるところだ。しかし今回は共産党支持層も、あまり熱心には投票に行かなかったのではないだろうか。共産党支持者にだって自分の感覚で行動する自由はある。民進党支持者に共産党への警戒感があるのなら、共産党支持者に民進党への不信感があるのに何の不思議もない。共産党の候補がいなくなったら、投票に行く気がしなくなる人たちも少なくはないことだろう。
 今回のように、低投票率でも自民党が圧勝する背景には、政権構想のないただの数合わせとしての統一候補では、自民党を良しとしない有権者にとっても、魅力が少ないという事実があると思う。安倍政権の暴走に危険を感じて何としても歯止めをかけたいと思うなら、それなりの覚悟をしなければならない。連合は民進党にとって大事な支持基盤かもしれないが、所詮は政党と労働組合とでは役割が違うのだ。政治課題が緊急なら、遠慮している場合ではない。そもそも今の連合に選挙を左右する力などがあるわけがない。政治に翻弄される勤労大衆が、統計資料の上で集まっているだけの組織と思った方が早い。
 かつての社会党には、総評という巨大な労働組合団体の政治における代弁者という位置づけがあり、組合員の中には多くの党員がいて、労働組合の出身で政治家になる人も少なくなかった。そこでは曲りなりにも社会の未来に対する夢があり、勤労者が力をつけて日本の政治を動かして行くという主人公意識があったと思う。しかし今の民進党と連合の間には、そのような熱い関係は成り立っていない。
 今の民進党に何よりも必要なのは、個々人の心を熱く動かすような「あるべき日本の姿」を描いて見せることだと思う。その魅力的な進路が明示されたら、共産党の支持者にも民進党の支持者にも心の壁がなくなる。組織の動向を気にして妥協するのではなく、少なくとも「脱原発・非戦・護憲」ぐらいの政策は明示したら、日本の政治は活性化するのではないか。

アメリカに一度は言ってみたい「ドゥテルテ語録」

 この6月からフィリピンの大統領になったロドリゴ・ドゥテルテ氏は、親共産主義者で、前職のダバオ市長時代には治安の改善に剛腕を振るい、なかなかの人気者らしい。母方に中国系の血を引いて、親中国の姿勢を見せており、一連の大胆発言でアメリカを困惑させているようだ。朝日新聞に最近の問題語録が出ていたが、これがけっこう面白い。曰く……(以下引用)
 「私にとっての主人はフィリピン人だけだ。敬意を忘れるな」「アメリカと一緒にいる限り平和は訪れない」「CIAを使って私を追放したいのか? やれるもんならやってみろ」「アメリカがわが国(フィリピン)にいたのも自分の利益のためだった。友よ、さよならを言う時が来た」「アメリカとは別れました。軍事的に、経済面でもです」
 これらの発言は中国訪問中のものだが、アメリカはさっそく反応して、大統領報道官が「フィリピンは70年にわたるアメリカとの同盟と友好により、計り知れない利益を得ている」と指摘し、アメリカの同盟国のトップとして「自分の発言が引き起こす事態を自覚する重い責任がある」と強調したということだ。安易にアメリカを軽視する発言をしていると、ひどい目に会うぞと、暗に脅している。
 だがこの語録の「フィリピン」を「日本」に置き換えてみると、積年の留飲を下げるような爽快感がある。「私にとっての主人は日本人だけだ、敬意を忘れるな」と、アメリカとの交渉で言い切った日本の政治家が、今までに一人でもいただろうか。民主党政権でさえ、アメリカとの同盟は尊重するとの立場でしか行動しなかった。まして今の政権に「主人は日本人」という認識が毛の先ほどでもあったら、高江のヘリパッドに抗議する住民を、力づくで抑圧して「土人」とののしるような政策は、あり得ないだろう。
 戦争に負けてアメリカ軍に占領されたのは事実だが、70年たっても事実上の占領状態を容認し、アメリカとの癒着を国内政治を支配する道具として使っているのが自民党政権である。この政権の支配から脱出しない限りは、私たちは自立した日本国の国民になることができない。だからこそ、たまに出会った「ドゥテルテ語録」が痛快で、一度はこんなことを言ってやりたいと思うのだ。

安倍政権で進む「反動」の軌跡

 「歴代首相在任日数ランキング」という一覧表をネット上で見つけた。それによると、安倍晋三首相の在任日数は、1年だけでやめた初回を含めると本日で1754日になり、日本の歴代首相の中で第7位になっている。ちなみに上位の6人は、桂太郎、佐藤栄作、伊藤博文、吉田茂、小泉純一郎、中曽根康弘の順になる。池田勇人(8位)も岸信介(10位)も橋本竜太郎(17位)も田中角栄(18位)をも、すでに上回っている。
  この長期政権を可能にしたものは何だったろうと考えたとき、「反動」という言葉に行き当たった。民主党の野田首相による2012年末の自殺的な「大政奉還選挙」で大勝したのが長期政権の始まりだった。民主党は2009年に国民の大きな期待を集めて勝利し、鳩山由紀夫首相の下で社民党も政権与党として、政治主導の社会改革や対米自立などを目指したのだが、普天間基地の移転問題で公約を果たせなかったのが最初のつまずきになった。鳩山・小沢コンビ辞任の後を引き継いだ菅直人首相は、妥協的な姿勢で迷走を始めたところへ、東日本大震災と原発事故に見舞われて指導力を問われることになった。精根尽きた形の菅首相の後を拾ったのが野田首相で、議会の多数を生かす才覚もなく、散り急ぐように年末解散で政権を明け渡したのだった。
 政権交代への幻滅という意味で、2012年末選挙では、有権者の民主党へ傾いた人気の「反動」が出たと言っていいだろう。この傾向は、半年後の2013年夏の参議院選挙にも持続して自民党を大勝させ、安倍内閣に選挙2連勝の栄誉を与えた。このあたりから自公政権は、政権復帰の自信を深めたように思われる。こうなると、もろもろの政策に、本来あるべかりし願望が、遠慮なく出でくることになる。
 ところで「反動」というのは、戦後の民主化時代には、左翼勢力が民主化に抵抗する(と彼らが見なす)人や組織に向けて投げつける定番の非難の言葉だった。労働組合が会社側幹部を「大衆討議」の場に引き出して「吊るし上げる」場合などに多用されていたものだ。だが時代は変った。私は今、この「反動」が、非難される不名誉ではなく、自信満々の政策として登場しつつあるのを感じている。この「時代逆行」は、敗戦前の戦時中まで行っても止まらずに、その前の昭和初期から大正、明治まで遡って行くのではあるまいか。
 良くも悪くも、安倍晋三の名が日本の政治史の中で重要な位置を占めることは間違いないだろう。聞くところによると、自民党は総裁の任期を2期6年から3期9年に延長する構えだということだ。これだと安倍首相の在任期間は史上最長になる可能性がある。保守本流を自任する首相が史上最長の政権を意のままに動かしたら、日本はどんな国になるのだろうか。風通しのよい、住みやすい国になると期待できるだろうか。
 政権が「反動」になったら、有権者はその「反動」になって抵抗すればいい。反動は相対の動きだから絶対値にはならない。絶対の価値は反戦と平和と脱原発である。

「鉄道は誰のものか」を読む

 「鉄道は誰のものか」(上岡直見・緑風出版・単行本)を読んだ。鉄道好きの私としては気になるテーマだが、著者の立場は冷静で、国民すべてのインフラであることを自覚せよという視点で書いている。何となく日本の鉄道は世界一と思われているようだが、たしかに日本は旅客輸送の総量で全世界の6割を占める鉄道大国ではあるものの、その質においては自慢できるレベルではないという辛口の評価をしている。裏返せば、鉄道への期待水準が高い人なのだった。
 目からうろこ的だったのは、通勤ラッシュ時の電車の現状を、あり得べからざる違法状態と断じていることだった。法律では定員以上の客を乗せることを禁じている。定員とは、座席数と「立ち席」としてのつり革の数の合計で、これなら立っていても本を読んだり書類を見たりも楽にできる。ところがラッシュ時の現状は、体重を自分の足に乗せていられれば上等という程度で、それが30分以上続くのも珍しくはない。しかし著者の感覚では、30分以上の乗車は座席であるべきで、立って通勤することによる体力のロスは、社会的損失として計上すべき問題になる。なぜ正当な投資をして改善しないのか。
 国鉄が分割されて日本の鉄道はすべて民営になり、自立した経営をすることになった。採算に合わない投資をしないので、サービスは乗客が文句を言わない最低レベルで放置されている。乗客も国鉄時代からのすし詰め乗車に慣れているから適応しているのだが、鉄道王国を守りたかったら、乗客ももっと「乗客の権利」を主張して、非人間的な乗車を拒否すべきなのだ。
 近年目立つのは、ローカル線の衰退である。乗客が少ないからと、列車の本数を減らし、連結車両数も減らしている。この統計に、著者は「座席数」を採用しているのがユニークだ。鉄道は客が座って乗るもので、立ち乗りは邪道と考えている。赤字線でも通学時には超満員になる例があるが、通常でも座席数が足りないのでは、一般の人はますます鉄道を使わなくなるだろう。鉄道はエコでなくてもいい場合がある。鉄道を見限って自動車を使う人が増えると、道路が渋滞して自動車事故も増える。渋滞や自動車事故による損害は、鉄道の経費とは比較にならないぐらい大きいと著者は考える。
 そのほか、著者はリニア新幹線についても1章を費やして「リニアより詰め込み解消を」と主張している。その技術的合理性を疑い、環境影響を懸念している。経営の安定性についても、さまざまな指標を用いて見通しが楽観できないことを論証し、対案として、現行新幹線の値下げと在来線の改善を推奨している。人は駅から駅の間を移動するために鉄道を利用するのではない。リニアで何分で行けるかが問題ではなくて、自分のいるところから用事のある場所へ行くことが目的で鉄道を利用する。鉄道が通ればひとりでに町ができて地域が繁栄する時代ではなくなっているのだ。
 それにつけても、誰もが疲れずに快適に出勤できる通勤電車は、いつになったら実現するのだろう。もっぱら人口が減って行くのを待つしかないのだろうか。 

「賞」を受けないさわやかさ

 きょうの朝日新聞「天声人語」によると、ボブ・デイランはノーベル賞発表から一週間たっても、沈黙したままだということだ。それに関連して、サルトルが1964年にノーベル文学賞を辞退していたことを知った。「作家が栄誉を受け入れると読者に圧力を与えてしまう。作家としての信念に反する」と述べたそうだ。また、女優の杉村春子が、1995年に文化勲章を辞退したことも同欄に書かれていた。女優が首に勲章をかけたら窮屈だ、自由でいたいという趣旨だったらしい。いずれも「個」としての能力で世に知られた人たちの言動で、あくまでも生身の自分の責任で世に対している姿勢が清々しい。
 どこかの賞を受けるということは、授与する人たちの判断を受け入れることを意味する。ノーベル賞や日本の芥川賞のように、長年の歴史と権威に裏付けられた賞を受けるのは名誉なことで、辞退する人はめったにいないだろう。賞には、その分野で努力する人たちを励まし、目標になるという意味合いもある。だから受賞者が喜んで周囲の人たちが祝福するのは自然なことだ。スポーツ選手のメダルもその中に含めていいだろう。
 ところが国の叙勲制度ということになると、少し怪しくなってくる。日本には現在22種類の叙勲制度があるとのことだ。叙勲とは勲章を与えることだから、22種類の勲章がある。菊花章、桐花章、旭日章、瑞宝章、宝冠章、文化勲章に大別されるそうだ。日本の勲章は、明治政府の基礎固めのために諸外国に習って導入された。明治の後半には、手柄のあった軍人を表彰するために大いに活用された。軍人に与えられる「金鵄勲章」は、軍人の名誉の象徴となった。しかし太平洋戦争の末期には、もっぱら戦死者に与えられるものとなり、前線で軍功があって生存中の軍人には、「金鵄勲章の確約」となる「感状」などが与えられたということだ。
 勲章の制度は敗戦で一度は消滅したが、独立回復後に徐々に復活してきた。国家・社会のために貢献した人の労に報いるという趣旨で、受賞者の選定には、さまざまな基準が定められている。法律上の文言は美しいのだが、実際は総理大臣を頂点とする官僚が人選を進めることになる。例年、春と秋にそれぞれ4千人程度が受章するという大枠も決まっている。こうなると、国家を維持するための「内輪褒め」か「装飾」の制度のようにも思えるのだが、受けて嬉しいと思う人は多いことだろう。
 ところで、ボブ・デイランはノーベル賞にどのように対応するのだろうか。アカデミーの事務局長は、「接触を試みたがもうやめた。ただ近しい人から友好的な返事をもらっていて、現在のところはそれで十分」と言っているそうだ。面子がつぶれると怒ることもなく冷静でいるのがいい。ボブ・デイランも受賞したことを不愉快には思っていないだろう。ただし、授賞式に礼服を着て現れるのは、なにか不似合いな気がする。賞金を平和運動に寄付するというのも、わざとらしくて気が進まないのではあるまいか。返事をしなくても Thank you, just the same. の心境かもしれない。だが、本当の答えは「風の中」である。

 辞退する 賞も貰わず 秋日和

勲章250px-Tōgō_Heihachirō

ブログ連歌(467)

9319 ノーベル賞 どんな風が吹いたやら
9320  アッと驚く ボブ・ディラン (獣医さん)
9321 財政健全化 まずは高齢者の医療費削減
9322  この国を担った者への お礼参りか (獣医さん)  
9323 逆効果 福祉削減 マクロ(経済)にて (恩義) 
9324  止めどなくなり 日本は縮む (建世)
9325 原発再稼働 鹿児島 新潟でお断り (獣医さん)  
9326  やがて日本に 居場所なくなる (建世)
9327 神無月 半ばも降雨 収まらず (みどり)   
9328  秋晴れ一瞬 日暮れは早し (建世) 
9329 ボブディラン 栄誉をよそに ひとり旅
9330  風に吹かれて 世界はひとつ (建世) 
9331 ぬるま湯に 浸る気分で この先は
9332  そうはさせじと 難事果てなく (うたのすけ)
9333 辞退する 賞も貰わず 秋日和 (建世)
9334  見せかけ権威 求めぬ誇り (みどり)
9335 ノーベル賞 断ってしまうと どうなるの
9336  そこには風が 吹いてるだけさ (獣医さん)
9337 息が切れ 金が切れたら お終いよ
9338  見栄や外聞 気にせぬ齢に (うたのすけ)
9339 小池節 伴奏バッハで したたかに (建世)
9340  日々の活動 お体大事 (うたのすけ)

       

「風に吹かれて」を日本語で歌ってみませんか

 ボブ・ディラン Blowin' in the Wind(風に吹かれて)の、日本語歌詞を書いてみました。原作の風合いを生かしながら、歌いやすく工夫したつもりです。各節の歌い出しを「どこまで」「いつまで」「どれほど」で揃えて、押韻の雰囲気もつけておきました。昨夜から今朝にかけて、納得できる仕上がりになったと思います。まずは歌ってみてください。

  風に吹かれて (訳詞・志村建世)

どこまで人は歩くのか 大人になるまでに
どこまでカモメは海を飛ぶ 浜辺で休むまで
どこまで弾丸は降りそそぐ 銃身が裂けるまで
君もぼくもそれは知らない 答えは風の中

いつまで山は立っているか 崩れて沈むまで
いつまで待ったら人類は 自由に生きられる
いつまで見えないふりをして 顔を背けてる
君もぼくもそれは知らない 答えは風の中

どれほど続けて見上げたら 青空は見える
どれほど耳を澄ませたら 嘆きの声が届く
どれほど人を殺したら もうやめようと思う
君もぼくもそれは知らない 答えは風の中

 著作権については、JASRAC と、権利出版社のソニーミュージック・パブリッシングに相談しました。まずブログに公開することについては了解を得ました。どなたでも、アーティストが歌ってCD化する企画がありましたら、その時点から著作権の相談が始まるとのことです。ボブ・ディランの曲については、閉鎖的な契約はなく、カバーについても寛容と思われるとのことでした。
 公式に公演またはCD化のお話がありましたら、私もこの作詞をJASRACに作品登録する予定でいます。どなたか、歌ってみませんか。
(追記・原詩は、こちらにあります。)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55708655.html


 

デフレの今こそベーシックインカムを

 以前は「自由進歩マガジン『青旗』!」というブログを運営していた「恩義」さんに、久しぶりに会いました。前回、2012年6月に面会したときのことを「明日死ぬが如く生きよ、永遠に生きるが如く語れ!」というブログ記事にしています。日本では高校で不登校になり、イギリスのスコットランドで大学教育を受け、歴史学から数学、経済学を修め、計量経済という分析法を身につけたという異色の人です。
 その後日本の企業に就職したこともあるようですが、肌合いを合わせるのに苦労もしたようでした。今も世界の各地を歩いていて、間もなくヨーロッパに行く予定とのことです。今のヨーロッパは日本よりも深刻な状況で、若い人の半分は失業状態だと語っていました。しかし福祉は充実しているので社会不安にはならない、それでもワークシェアを徹底しなければ解決しないだろうとのことです。
 その他、よもやま話的に、いろいろな話をしました。今後に予想される戦争のことも話したのですが、アジアで大規模な戦争があるとすれば、それは中国・対・インドではないかという見方がありました。どちらの国も人口の圧力が大きいのです。そして中国は「一人っ子政策」によって、インドでは「嫁の持参金制度」によって、女よりも男の方が5千万近く多くなっている、つまり人口構成が戦闘的になっているのです。この2国がヒマラヤの水源地帯とカシミールをめぐって争うのではないか、という見立てでした。ちなみに、20世紀は石油をめぐって争う世紀だったが、21世紀は水が最重要の資源になるという予想です。水が豊富な日本では実感がありませんが、全世界で見たら、そうなのかもしれません。
 日本の経済については、人口減を迎えて長期安定を目指すべきなのに、いまだに経済成長にこだわって格差を拡大する現政権の政策には賛成できない点で意見は一致しました。その中でも最大の愚行はエネルギー効率の悪いリニア新幹線の推進です。窓の景色も見られず、大深度でダストシュートのように人間を運ぶ無人機に、喜んで乗る人間がいるでしょうか。人は限りなく高速だけを求めると思ったら違うでしょう。超音速旅客ジェット機の失敗例もあります。
 今の日本の経済停滞と、先進国にあるまじき貧困率の高さは、格差の是正に手をつけない限り解消はできません。金利をゼロにして無理に企業へ資金を流しても、内部留保に積み上がるだけでしょう。それよりも必要なのは、確実に消費されるところへ資金を回してあげることです。生活保護や最低賃金の水準引き上げでもいいわけですが、事務が簡単で効果が確実なのはベーシックインカムの導入です。この話を持ち出すと、必ず「財源はどうする」という話になるのですが、所得税と法人税を手直しすればいいのです。それが格差を是正するということです。
 増税に抵抗があるのなら、後回しでも構いません。無駄な公共事業を増額するよりは、経済効果は広範で確実です。デフレ対策としても有効で、今がチャンスという結論になりました。
(追記・「恩義」さんのブログは、現在はArt&Blue-Liberalismという英文のものだけになっています。)

脱原発が勝った新潟県知事選挙

 新潟の知事選挙で、脱原発路線の継承を公約にした米山氏が当選した。民進党を離党しての立候補だった。形の上では共産・社民・自由の3党推薦候補が、自民・公明推薦の候補を破ったことになるが、これは政党が勝ったのではなくて「脱原発」が勝ったのだ。もし自公も脱原発だったら圧勝しただろう。
 自公政権党に知恵者がいたら、政策を「脱原発」に転換すれば、支持基盤が万全になることを悟ったに違いない。有権者としたら、原発は何としてもいやなのだ。政権党が心を入れ替えて脱原発を実行してくれるなら、その方が手っ取り早い。脱原発の1点においては民主主義が機能したことになる。
 と、ここまで書いてみたが、これは半分以上「反語」である。政権党は金脈も人脈も原子力村と密着しているから、簡単に政策を変えられるわけがないのだ。それでも原発推進への逆風が強いことを実感するのは無意味ではない。原発の新・増設や再稼働には慎重にならざるをえなくなる。つまりはその分だけ政権党は力を削がれて弱くなるので、没落に一歩近づくわけだ。
 政権党の政策が国民多数の求めるものから乖離しているときに、有力な野党があって、すばらしい対案を提示して選挙に臨んでくれたら、国民はすぐ幸せになれる。投票で政権を交代させるだけでいいからだ。ところが今はそんな野党は無いし、神通力を発揮するような政策はどこにも存在しない。ただ、このままでは未来が暗い、なんとかして打開の光がほしいという願望があるだけである。こういうときに有効なのは、今回の「脱原発」のように、一つのテーマにしぼった争点を立てることではないだろうか。中でも脱原発は、今後もわかりやすく広い支持を集められるテーマになるだろう。
 その他にどんなテーマがあるかと考えると、憲法9条を守るか守らないかという争点がある。これは法律論争になると話が長くなるので、戦争を紛争解決の手段として容認するか、しないかの単純な選択にするのがいい。つまり「敵」を射殺する武力行使を認めるか、「犯人」の無力化と逮捕を目的とする警察力の行使に止めるかということになる。そしてこれは当然、自衛隊の集団的自衛権行使や、駆けつけ警護が憲法に違反する問題に連動してくる。
 さらに最近の「生きづらさ」については、「経済成長」と「格差の是正」の、どちらを優先するかを争点にすることができる。経済優先で企業の利益を厚くしてやれば国民みんなが豊かになれるような幻想は、もうあきらめた方がいい。企業に利益が集中すれば、さらに利益を求めて海外へ出て行くだけだろう。
 結論として、上記の「脱原発」「非戦平和」「格差是正」を実現してくれるなら、誰であろうと、どこの政党であろうと国民としては歓迎していいということだ。民進党と共産党が連合を組もうが、一向に差し支えはない。いっそのこと「改心した自民党」であってもいいかもしれない。もちろんこれは半分以上冗談だが、自民党の一部からでも変化が出てきたら面白い。ただし「安倍一族」は信用できないので、万一迎合的に出てきてもお断わりである。

「ルポ・貧困女子」を読む

 岩波新書の新刊「ルポ・貧困女子」(飯島裕子)を読んだ。書店の立ち読みで、帯紙に書いてあった「アラフォー/非正規/シングル/子どもなし〜気がつけば、崖っぷち」というキャッチ・コピーが強烈だった。現代日本の抱えている深刻な問題が、それだけでわかった。著者は記者・編集者の出身で、学者として書いているのではない。インタビューを重ねた実感を基礎として書いている。
 正規の雇用が減って非正規の仕事が増えている。就職の機会が男女平等になりつつあるとは言っても、女性が男性よりも有利ということは決してない。就職は、運によっても大きく左右される。たまたま卒業年が「就職氷河期」のどん底だったりすると、正規雇用の入り口は狭くなり、女性は後回しにされやすい。一度新卒で非正規雇用につくと、正規雇用を得る可能性は年ごとに厳しくなる。
 就職に失敗した女性は、そのまま親の家にいても、あまり目立たない。家事の手伝いをしながらパートの仕事にでも出ていれば、周囲も本人も、なんとなく落ち着いてしまうことがある。昔のことを考えれば、娘は親の家事手伝いをしながら、花嫁修業をして「良縁」を待っていればいいのだった。だが、男の就職事情も厳しくなっている現代で、「玉の輿」の専業主婦を求めている男性は多くはないし、女性の方にも結婚だけが人生の目的だという価値観は薄くなっている。よく「女性の方が人生の選択肢が多い」と言われるが、それを裏返せば、女性はうっかりすると「気がつけば、崖っぷち」になりやすいのだ。
 家庭というセーフティーネットも、今では万全でなくなった。親の老後生活が不安定だと、成人して同居している娘は逆に家計の責任者になって、非正規雇用の掛け持ちをしなければならなくなったりする。そうなったら自分の結婚や子育てなどを考えてみる余裕もない。
 この本が訴えているのは、今の日本の社会政策の中で、とくに立場の弱い女性が貧困労働に苦しめられている実態である。その中でもシングルで子育てをしている女性を含めて、公的な相談窓口から生活保護によって救われた事例が多いのが印象的だった。「生活保護」を受ける立場になることに抵抗を感じても、それを利用することで窮地を脱し、生活の立て直しに結び付けている女性が少なからずいるのだった。公的な保護制度を利用することは恥ではなくて権利なのだ。「世間の目」が、もっと生活保護受給者に対して温かくあるべきだということを学んだ。
 貧困女子は目立たないが確実に増えている。このままで日本の人口が増えるわけがない。生活保護は大切だが、そこへ行く手前での「生きづらさ」を解消しないことには、この国に未来はないだろう。貧困女子の存在は、社会政策の転換を促す警告として受け取らなければならない。現政権の「一億総活躍」スローガンが、いかに空虚で欺瞞に満ちているかが、よくわかる。

歌が世界を平和にする

 昨日はCSメヌエット・間庭小枝さんの第17回「椰子の実」コンサートを聞いてきた。親しみやすい歌を集めた第1部の今回のテーマは「山の歌」だったが、「富士山」から「アルプス一万尺」まで7曲をつないだメドレーが、心地よく聞けた。第2部では、谷川俊太郎・林光コンビの「ほうすけのひよこ物語」やプッチーニのオペラを日本語で歌うなど意欲的で、「ある晴れた日に」の絶唱で歌い納める構成だった。間庭さんの「世界の歌を日本語で歌う」姿勢が貫かれ、バイタリティーあふれる舞台だった。
 同じ日に、ボブ・ディランのノーベル文学賞が話題になっていた。歌が文学だという発想が奇抜に思われたが、すぐに歌謡の発祥は文学の始まりそのものだったことに気がついた。日本最古の文学とされる万葉集も、楽譜こそ残っていないが、一定のリズムを持ち、さまざまな節で歌われたに違いない。恋歌では、送り手のイメージしたメロディーは、受け手の感性とは違っていたりしたかもしれない。
 人は思ったことを、まず頭の中に言葉として浮かべる。これは言語を獲得した人間に特有の現象で、鳥や獣なら思ったことは直ちに声として体外へ出てしまうだろう。しかし人間は自分なりの宇宙を脳内に構築することが出来ている。だから他人にもわかる言葉に構成してから、口を開いて発話することになる。自分の言葉が他人に届いて自分の耳にも入ることで、言葉は「自分の発言」として公的なものになる。これは会話だけではなく、文章として書く場合にも、同じような経過になると思われる。
 ところが言葉がメロデイーに乗って「うた」として歌われると、なにか新しい別な力が加わるように思われるのだ。何の変哲もない、たとえば「わかれ」「いのる」「いのち」といった誰でもよく知っている言葉が、メロディーの中の、あるべき場所にぴたりと納まったとき、涙を誘うような感情を引き起こすのは、なぜなのだろう。それは散文の詩の中でも起こることなのだが、歌の中では、より劇的に起こるような気がする。
 あえて説明すれば、歌つまりメロディーに乗ったときの言葉は、理性よりももっと奥の方というか、発生的に古い分野にある情感を揺さぶるのだろう。だからメロディーそのものが意味を持つこともある。悲しい歌は、言葉の通じないどこの国でも悲しい歌に聞こえるだろう。歌は国境を超えると言われる理由はそこにある。その歌が、世界の文化的功績を表彰するノーベル文学賞の対象になったのは、大きな正解と言っていいのではなかろうか。
 歌には戦意高揚の「軍歌」もあったが、国家間の戦争が無くなって一つになって行く世界には、平和の歌だけがあればいい。話が飛躍するが、私は昨日からずっと「自分のライフワーク」ということを考えている。その中心に「うた」という仮名で二文字があった。いろいろなことをやってきたが、老体となった自分が最後の仕事として後の世に残せるものは何なのか。それは作詞の仕事だと思い至ったのだ。さらさらと思いついたまま書いたようでいて、いつまでも忘れられない歌詞を書いておきたい。忘れないために、きょうのブログに書いておく。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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