志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2016年12月

2016年を送る

 子供のころから不思議だったのは、「正月はなぜ特別な日なのだろう」ということだった。ふつうの一日が終って翌日になるだけなのに、どうしていろいろなものが新しくなって大騒ぎするのだろう。理屈の上ではわかる。地球の季節は太陽との関係で決まり、それはほぼ365日と4分の1で一周するからだ。だからどこかで始りを決めないと、一年ごとの積み重なりを計算することができないのだ。そこで選ばれたのが、冬至を少し過ぎて太陽が光を強め始める今の正月に決まったというわけだ。
 子供のころの正月は、とにかく特別な日で楽しかった。とくに学齢前にはまだ戦争の影響もあまりなくて、大晦日から元日にかけては、家中のおとなたちが正月の行事にかかり切りになっていた。とにかく食べるものがいつもと違う。大晦日はみんなで蕎麦を食べることに決まっていて、そのあとは子供たちは夜更けまでトランプゲームなどをして遊んでいても叱られることはなく、おとなの女性たちは、おせち料理の仕上げなどで遅くまで忙しそうにしていた。ラジオはあったが、年末年始に楽しい番組を聞いたという記憶はない。
 私の家では初詣りに行ったり、初日の出を見に行ったりする習慣もなかった。いつものように夜が明けるのだが、朝からきちんとした服を着せられ、食卓に正座して「明けましておめでとう」を言い、揃ってお雑煮を食べるのだった。お雑煮が一杯済むと、あとは好みで餅を火鉢で焼いて、海苔を巻いて食べたりもした。ただし正月の三日間ぐらいは飯は炊かないで、もっぱら餅が主食だったような気がする。「飯はよいものと気のつく松の内」という川柳があったくらいだ。そして正月の三日間ぐらいは、夜は花札、トランプ、かるた取りなどで家族が親しみ、そこに母親も参加するので私は嬉しかった。
 そんな懐旧談になってしまったが、今の正月はずっと軽くなった。それは私たちが、子供たちをそのように育ててきたからに違いない。そしてテレビ時代が家庭の正月を大きく変えて今に至り、さらに変化を進めようとしている。昔は正月から町の商店が開いているなどは、考えられないことだった。
 それでも今年はどんな年だったのか、自分なりに考えてみたい。前にも書いたが、やはり自分にとって「終りの見えた」年だったと思う。いつまでも今のようには続かない、間もなく終りが来るという予感である。しかし準備ができていないという焦りはない。むしろ「いつでもいいよ」といった解放感がある。人生に終りがあるというのは、すばらしいことに思えるのだ。これは負け惜しみではない。
 ただ一つ気がかりがあるのは、今の日本は来年以降にどうなって行くのかということだ。そこに明るい希望があると書けないのを心底から残念に思う。よい方へ向いて行きそうな傾向は弱く、悪い方へ行きそうな不安要素ばかりが多いのだ。戦争と平和の問題しかり、核の問題しかり、気候と地殻変動の問題もそうなのだ。人間は無能ではないのだから、早く的確な手を打ってほしい。しかし、それをやってくれそうな政治勢力が見えてこないのがつらい。せめて萌芽だけでも新しい年に姿を見せてほしいと思う。

ブログ連歌(476)

9499 四島も 二島でさえも 遠ざかり
9500  安倍は無策で プーチンは去る (建世)
9501 プーチンに 土産どうぞと 征露丸 (うたのすけ)
9502  昔懐かし 進軍ラッパ (建世)
9503 プーチンを 故郷に招く 演出も
9504  軽くいなされ 完敗の宴 (建世)
9505 カラ騒ぎ 世論煽るも 報道か (みどり)
9506  付和雷同の 拡声器なり (建世)
9507 権力の番犬 消えて久しい この言葉 (獣医さん)
9508  その実体が 常識となり (建世)
9509 国と県と協議会 もんじゅの知恵は 今何処に (獣医さん)
9510  三人寄って 責任薄め (建世)
9511 1兆円 あぶくと消えた もんじゅ廃止 (みどり)
9512  それでもやめぬ 高速炉開発 (建世)
9513 テロに明け 火事に暮れつつ 年末へ
9514  安倍の世終る 新春を待つ (建世)
9515 天皇の 祝詞もみ消す 安倍の怪 (みどり)
9516  公務軽減 真偽は知れず (建世)
9517 真珠湾と広島 どちらの首脳も 謝罪なし (獣医さん)
9518  まさか必要なら またやるつもり (建世)
9519 亡き母の 酉年めぐる 懐かしさ (みどり)
9520  暦あたらし 二千十七年 (建世)  

昭和からの遺言〜次の世に伝えたい もう一つの世界

 著・志村建世、出版元・社会批評社、定価・1500円+税。

まえがきより
 この本は、最初は小説として書くつもりだった。昭和史において、もし天皇が史実とは異なる行動をとって、無謀な太平洋戦争に突入するのを回避していたら、日本の今はどうなっていたかを想像してみたかった。
 ……書き始めてすぐ、昭和史を教訓として未来へ残すには、敗戦までの歴史的事実に手を加えるべきではないと気がついた。むしろ学校教育でも現代史の部分が貧弱と言われている中で、若い世代が半日で読める程度の長さにまとめておくことに意義があると思い直した。この目的変更は、ブログへの連載形式で書いている途中で進行し、私は一日ごとの苦しい切り抜けで「自分は何のために書くか」を悟ったと言ってよい。
 しかしこれは史実そのものの書き抜きではない。かつて国の総力を挙げて誤った道へ踏み込んだ愚行を、絶対に二度と繰り返すことなく、その教訓を世界人類の未来に生かすための「祈りの書」である。その祈りに力を与えるために、私は日本の国にしかいない高貴な人の立場を借りたいと思った。
 だからこの部分については、これはフィクションである。私たちは想像の翼によって「もう一つの平和な世界と宇宙」に向かって行くこともできるのだ。

 目 次
第1章 もう一つの地球
第2章 盧溝橋の銃声
第3章 運命の昭和十六年
第4章 アッツ島の玉砕
第5章 戦争は本土に迫る
第6章 そして「玉音放送」が終戦を告げた
第7章 天皇の守護神となったマッカーサー
第8章 講和条約と日米安保条約
第9章 昭和天皇との会話
第10章 昭和からの遺言 

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 全国の書店から(店頭になくても)ご注文、取り寄せができます。お急ぎの場合は、アマゾンでも購入可能です。また、志村へ直接にメール(当ブログのトップページに表示してあります)でご注文下さっても受け付けます。くわしくは「著作などの紹介と販売について」をごらん下さい。
 ご自分で購入しなくても、地元の図書館にリクエストを出して備品にして頂くのも、著者としては非常に有難いことです。なお、学校図書室の備品とする場合は、無償で提供しますのでメールでお申し込み下さい。事後にメール便の送料300円分の切手をお送り頂ければ幸いです。
 なお、学校図書室向けには「少国民たちの戦争」も、おすすめです。これも無償で提供します。

2016年末ブログ望年会

(管理人)
本日の昼ごろから始めるつもりでしたが、大木晴子さんから一足早く沖縄からの報告をいただきました。さらにその前には佐々木茶太さんからもコメントをいただいています。それらの投稿から、ブログ望年会を始めたいと思います。
 大木晴子さん、あなたは宝石のような人ですね。どこにいても輝くその光源は、天然自然に発しているに違いありません。子供たちの保育にかかわり、やがてベトナム反戦運動で磨かれて、歌い語る表現の力が人々を呼び寄せました。あなたの周りに運動が生まれる。しなければならないことが形になる。その根底には、すべて生きる者への愛がある。これもその一例です。
(大木晴子)
20日に沖縄が敗訴すると裁判の結果もつけて報道された12日の夜は眠ることが出来なかった。コザ暴動のこの日に権力はまた沖縄に哀しい思いを。どうしてもおじぃおばぁが笑顔になれることがしたい。「そうだ!なかなか入らない靴下を山城博治さんに何としてもこの日に」と決めた。前々からこの役は山城さんと同じ病を体験し昔差し入れで靴下を入れてもらった経験も役立つかもしれないと考えていた。前日の19日の夜に名護署近くのホテルへ着いた。
翌日は信じられないほど冷静で落ち着いていた。
トレーナーと大中小の長さの靴下を持って名護署へ。
初め断られた。「納得いく説明を!」と話し始め2011年からの病は今も数ヶ月ごとに血液検査をして何かあればPET/CTを撮り治療するという経過など話し免疫力が落ちると末端の冷えなどもあることを伝えた。すると「靴下の写真を撮らせてください」と。県警に送り指示を聞くと言われた。待つこと30分その間に「今日は入れてもらうまで座り込むつもりで来ている」「ここで許可が出なかったら那覇の県警まで行きます」と伝えた。すると少し役職が上の方が「大木さん、県警の電話です。「留置管理室」へ回してもらい「靴下のこと」と聞いてください。と教えてくれた。暫くして呼ばれ「この短い靴下は入ります」と言われた。「やった!」ゲート前座り込みの所でも「博治さんに靴下が入ったの」とおじぃ、おばぁが笑顔で言った。海辺のテントも夕刻の名護署前抗議行動も皆さんの笑顔がいっぱいでした。12月20日の小さな快挙でした。
(佐々木茶太)
安倍首相が、真珠湾で、不戦の誓いをした。が、集団的自衛権を認める法律を強行採決した。
言ったことを実行するか、見守る年が、来年だ。
 政治家は、巧妙な嘘の名人でもある。国民が、騙されてはいけない。大いにブログで、チェックしなければならない。
(只の猫)
自衛隊員だって日本人 その日本人が戦争へ 
ししは死して名を残す 出でよしし
(管理人)
私にとっての「この1年」を少しずつ書いて行きます。一口で言うと、「自分の終りを実感した」年でした。たぶん春の運転免許の更新あたりからでした。視力の限界がわかって、今の使い慣れた眼鏡では、ぎりぎりの合格でした。そのとき、あと3年で充分だ、次の更新はないなと思ったのです。都内の暮らしで車が便利に使える機会は少なくなりました。妻にも勧めて、免許返上の手続きをしました。妻は私よりも無事故の優良な経歴でしたが、新しいプリウスになじめず、運転が好きでなくなっていました。
 体力的にも、全般的な低下を実感すようになりました。カゼで発熱し、小学校の同窓会に、呼び掛け人だったのに、まさかの欠席をしたのは残念でした。83歳に相応の暮らし方になったことを実感しました。それでもブログとのつきあいには影響ありません。それは今でも同じです。
(相々健々)
「差別は社会の維持に必要なもの、自分が差別する側でいるように立ち回り、むしろ差別で利益を得るように頭を働かせるのが賢明な処世術」 このような思考法が『教育』となりつつあるのではないかと思わされる一年でした。  
 沖縄がらみではヘリパッドが作られてしまったことによる環境破壊もさることながら、 公安が沖縄の反基地運動を中国と絡めて危険分子としたということで、ヘリパッドに反対し、移住さえ余儀なくされた人々がネットで悪評をばらまかれ、 移住先でも攻撃の対象とされる重大な人権侵害を危惧します。
 福島から自主避難した子どもたちが転校先の同級生に恐喝されていた事件からの連想ですが、 社会ぐるみで差別を嬉々として行い、批判する人々を非国民として差別の対象に加える。
そんなろくでもない風潮が来年以降ますます強くなる予感がするのです。  
 外交では貢物を一方的にさせられることが確定したようですし、その貢物として沖縄を踏みにじり、 不満のうっぷん晴らしもかねて隣国を嘲笑、敵視して侵略の危険をあおって愛国を叫ぶ、そんな政治の姿を来年早々見ることになるでしょう。  
 経済に期待を続けて支持率が高止まり、上昇さえもさせながら年金資産を食いつぶされて貧困へとまっしぐらに進むこの国の、国民の姿も見えますが、打開の特効薬は…ないのですよね。
(綾子)
志村様、こんにちは。本年も望年会の開催ありがとうございます。3回目の参加になります。私は本年8月に父を病でなくし、仕事に見舞い等が重なって、思うように第1水曜日の休みが取れず、会社で時計を見ながら「今頃出発なさったかなあ」と思うことが続きました。
 来年1月4日は会社の冬休みなので正々堂々と参加できます。でも、きっととても寒いと思いますので、志村様もご無理をなさいませんようお願いします。私の趣味の盆栽の集まりも70代80代の方々が中心なので、最近は盆栽よりも自分たちの健康のことが話題になり、どこの具合が悪い、どこのお医者が良かった(または不親切だった)等、医療情報が飛び交っております。
 林文夫先生には喪中はがきを出しました。年末の仕事の追い込みでクリスマスカードは買ったものの書きそびれましたが、1月になったらまた寒中見舞いを書くつもりです。志村様にも林先生にも私にも良い年が訪れますよう!
(管理人)
綾子さん、1月4日、国会へ来ていただけたら嬉しいです(12時に地下鉄丸ノ内線「国会議事堂前」駅の改札出口前から出発)。私は義兄の遺品の「和服コート」と襟巻を使って、和服姿で行く予定でいます。予報では、そこそこ穏やかな天気のようですよ。記念に写真をとって、その後の第一水曜日は定例化せず、ゆるくしようかと考えています。
 お父上を亡くされましたか。いつかは来る家族との別れですが、お淋しいこともありましょう。色即是空とは言うものの、合掌あるのみです。
(熊五郎)
ご隠居は「熊」としか言いませんが、本名は「熊五郎」です。来年は酉年で、ご隠居の年ですね。てぇと、還暦で5回りだから、2回足して7回りですか。60足す24で数え年84ですね。鳥だからパアっと羽ばたいてと言いたいところだが、84歳が羽ばたいたら危ないや。ま、無理せんと、こつこつやって下せぇ。
(管理人)
今は干支(えと)で年を言う人も少なくなったね。全然知らない子供もいるんじゃないかな。うちの連れ合いは昭和11年の子(ネズミ)だよ。ネズミがこつこつ稼ぐのをトリがぱっぱと使っちまうとか言われたが、どうだったかな。よく働いてくれたのは本当だが、太っ腹のところもあったよ。今はおとなしくなったが、本来のネズミに戻ったのかもしれないな。
(管理人)
お話の途中ですが、ここで「戦争をさせない1000人委員会」についてお知らせします。この委員会は2014年の2月に日比谷野外音楽堂で出発集会を行いました。ホームページは
http://www.anti-war.info/ です。来年の行動予定としては、1月7日(土)の13時30分から14時30分まで、新宿西口で2017年のファーストアクション・演説会を行います。立憲野党各党と市民連合の代表が登壇します。主催は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合/戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」です。
 私はこの委員会に賛同・参加することにしました。一口1000円で賛同者として登録できます。今後の発展を期待したいと思います。
(みどり)
 皆様、こんばんは。
花てぼ様やあかね様も、既にお越しかと期待して参りました。
 昨年は29日に8回目の望年会が行われ、水戸のご老公様とお呼びしている、うたのすけ様の音頭がありましたね。今回はうたのすけ様のご都合が悪かったようで少し寂しい席となりました。それでも、うたのすけ様ご夫妻揃ってお元気のようで、来年にはお会い出来ることを期待しております。こうしてブログという媒体を通じて多くの皆様とつながり、様々な行動にまで及ぶことが出来ましたことは、呼びかけて下さいました志村様のご厚意と熱意によるものと、深く感謝申し上げます。
 思えば早いものですね。インタネットーを利用した犯罪が多発した時期に、其の流れに抗して明るく希望に満ちた交流を始めた私達でしたが、年の終わりに一年を振り返りながら重ねた「望年会」が9回目を迎えたのですから。
 国民的に人気のあった「スマップ」のように、急に解散と申しますか、「望年会は止めました。」と告げられる事も有り得たと思いますが、敬愛する長屋のご隠居様の決断で、今年も年末の最中に交流できる運びとなりました。
 まだまだ若く、多くの未来の予測される方々も存在すると思います。その反対に高齢化著しく、明日の一日一日どころか、今日の一日一日すら定かではない人もおります。私も後者の一人ですが、秋に花の種を蒔きながら春を想いワクワク致しました。此のワクワク感は若い時にはあまり無かったものです。不思議にも現在を生きていられる幸せに、何故とも解らない力強さが潜んでいるのです。
 この感覚は安倍の悪政に抗する俳人、金子兜太氏の命への賛歌に通じるものがあるような気が致します。人は生きもの、すべての人は何時の日か死というものへ辿り着きます。其処へ近づくに従って、自らの命の有難さに気づき、草いっぽん樹木いっぽんの命の耀きにも心が躍るのです。
 生きていられる限り平和を志向します。安倍政権の戦争へ戦争へと傾く、あらゆる政策、暴力、非民主主義に反対します。挫けず明るく来年も歩み続けて行けたら幸いです。
 皆様いろいろありがとうございました。
(花てぼ)
こんばんは。やっと声を発することが出来ました。「鬱」という人の気持ちがわからなかったのですが、今自分は「鬱」じゃないかと思っています。
 何も考えられないのです。 今、やっとここまで書いて、やはり何か書くことが解決につながるかもしれない・・・必死になっています。
 ブログのあて名の敬称について。(今の気分とは関係のない事柄です)
私は今まで敬称を「〇〇さん」で統一していたが、これから、「様」に統一しよう。私はブログで親しい友達に「〇〇様」とするのは、いかにも慇懃で、自分の主義に合わないと思っていた。しかし、いつのころからか、皆様に対して、「様」にしても決してそういうことはないと気が付き始めた。今までどなたに対しても「さん」として、横柄に思われていたかも知れない。「みどりさん」「うたのすけさん」は違和感はないが、「志村さん」はどうも・・・と、そんな気持ちにならないためにどなたに対しても「さん」で通そうとした向きがある。今では、一様に「様」とした方が気が楽だと思うようになった。さて、これから、鬱から脱してどなたかにコメントを入れることが出来るようになるのかどうか。早く「〇〇様」と入れたくなった。これを書いたことで少し気が晴れてきたのかな。
 ついでに・・・調子が出てきました。
えいこうさんの消息をご存知のかたがいらっしゃいますか。長いこと更新がないので心配しているのです。
(管理人)
みどりさん、花てぼさんがお見えで、望年会らしくなってきました。本当に、よくおいで下さいました。スマップは解散しましたが、ブログ望年会はスマッテ(締まって・ヘタな駄洒落)行きましょう。
ブログ望年会は、まだまだ健在です。みどりさん、花てぼさん、この一年間、本当によくおつきあい下さって、ありがとうございました。
 誰かが「安倍の世の終りを見るまでは死ねない」と言っていましたが、反戦・反核・平和への決意を、生きる力に変えて行きましょう。
 花てぼさんが「鬱」とは、想定外でした。私は鬱なら経験豊富です。沈んだときは、必ず浮いて来るときが来ますから、じっと待つのです。沈んだときに切れさえしなければ大丈夫です。
 「さん様」問題ですが、私は「さん」で呼ばれる方が好きです。ただし病院では、うまくないようですね。NHK時代に失敗しました。ドクターは「先生」なのでした。
 えいこうさんのブログは、この1ヵ月お休みですね。単に「気が向かない」だけかもしれませんが、お店も自宅も電話番号がわかりますから、お年賀の電話でもしてみましょう。
 ともかく、来年もよろしくお願いいたします。早速具体的にですが、1月23日の都美術館は、午前11時でいかがでしょうか。私はその午後に病院の予定があるのです。「風に吹かれて」の歌詞が書になったのを見るのが楽しみです。
(まい)
最近はとんとごぶさたで失礼しています。志村さん、毎日お身体と対話しながらお過ごしになるのが良いかなあと思います。志村さんから見たら1世代若い私も、もともと体力がないせいか、若いときのような無茶はできなくなりました。学校(3年生後期です)の課題でも体力をうまく割り振るのを最優先にしています。
 9月に半月ほどフィリピンの語学学校に(英語ではなく)タガログ語留学をしてすっかりはまってしまい、冬休みも25日から行っていました。1時間くらい前に帰宅したばかりで、望年会には滑り込みセーフです。
 ディープな部分をまだ知らないのでなんとも言えませんが、私が接触する範囲では、フィリピンでの生活は適度にゆるーく、人々は陽気で親切で、フィリピンに着くとホッとします。今日も空港で搭乗口に入るときにうっかりペットボトルを持っていたのですが、ゲートをくぐりながら尋ねると、係りの人が「飲んじゃえ、飲んじゃえ」と言ってくれて、残りを一気飲みしました。日本のようにお堅いところが少ないようです(長所短所あるでしょうけれど)。
 日本の政治状況は年々どうしようもなくなってきているように見えます。大学と仕事で精一杯でみなさんのように動けていないのがもどかしいです。そういうなかで、休みを逃さずフィリピンに行くことは私にとって大切な「保養」になっているようです。日本語専攻なのですが、卒論に無理やり?フィリピン語のことも取り入れて、来年は両国を行ったり来たりしたいと思っています。日本社会には少しでも光が見えるように祈っています。
(管理人)
お久しぶりです。お元気にご活躍のようで安心しました。フィリピンとの往来、いいでしょうね。イエスのカリタス修道女会の総長になった古木涼子シスターもフイリピン駐在が長かったのですが、フィリピンでの経験に、とても良い印象を持っているようでした。
 日本の政治状況は、先が見えません。それでも「あきらめたら負けで、それで終り」だと思っています。こんな日本でも、みんなが移住するわけには行かないので、政権の方を変えるしかないのです。まいさんも、早く世界で活躍する人になってください。
(管理人)
あかねさん、まだお見えになりませんね。どうしたのかな。
(深山あかね)
あとで、と思っていたら、腕抜きをしたまま、眠ってしまっていました。で、後片付けでもさせていただきますが、おや、もうすっかり後片付けも終わって。
 私も どうにかこうにか、年が越せそうです。
 新しい年が皆様にとっていい年でありますように。
(深山あかね)
目が覚めて、あわてて参加させていただいて後で皆様のお話を読ませていただいた次第です。
 水戸のご老公、えいこうさん、私も気にしておりました。
 花てぼさんは、書いておられるうちにすこし元気になっておられるので安心です。
 志村さんには、今年、「風に吹かれて」の作詞をおねだりしてしまいました。その作詞によって、若いころ歌ったボブデランが私の心に新しい風として胸に入ってきました。本当にありがとうございました。歌詞の発表をしてくださった時には、夢かと思いました。
 また、新しい風といえば、11月、夫との九州旅行で、「吉野ヶ里遺跡」を訪ねた時の風です。ちょうど、レビ・ストローフの『野生の思考』と出会った時でしたが、私の思考の半分が、原始時代と少しも変わっていないということを実感できた風でした。
 そして、今年は、仕事を辞めて本当に職場を離れた年でした。そのやめる最後の一年間、何十年も務めてきた職場で見たことのない思いがけない体験をしました。そのことを、時々真剣に考えます。
 新しい年も、志村さんのもとで、皆様方から教えを乞い、一日一日を健やかに過ごせればと思っています。よろしくお願いいたします。
(管理人)
深山あかねさん、「風に吹かれて」の歌詞を、花てぼさんが「書」に書いて下さって、それが1月19日から24日まで、東京都美術館(上野)の「朝聞書展」に展示されるのです。
九州旅行のことは、ブログで拝見していました。うらやましい限りです。
職場の最後の一年間での「思いがけない体験」のこと、あとでくわしく教えてください。
(管理人)
管理人からの追伸で、「うたのすけ」さんと「かわぐちえいこうさん」の近況です。
 うたのすけさんには、23日に松戸市民劇団の公演会場でお会いしました。ブログ更新が止まっているのはパソコンが壊れたからで、新しい機種が調整中とのことです。再開は年明けになりそうですが、ご本人はお元気でした。
 かわぐちえいこうさんは、手術で入院中とのことです。ただし経過は良好で、ご当人はきわめてお元気とのこと。年明け早々にも退院の見込みだそうです。




明日のブログ望年会予告

 明日30日は当ブログの「望年会」とします。この一年間を振り返りつつ、来年への展望を考えてみたいと思います。従来は疑似的に開会から閉会までの次第を整えたこともありましたが、今年は実質本位に、気軽に参加できる「言いたいことの持ち寄り」の場になるといいと思います。
 具体的には、当管理人兼「横丁の隠居」が、ゆく年くる年についての感想を、(たぶん)午前中に掲載しておきます。当日はコメントの受付はフリーにしておきますので、あとはご来訪の方が自由にコメントを残して行ってください。管理人は適宜にコメント欄からオモテ記事の方へ紹介して行きます。管理人との応答や、投稿者相互の会話があってもいいと思います。
 終了時間は決めていませんが、管理人の生活時間に合わせて寝る時間まで。あとは翌朝にフォローいたします。どうぞお気楽にご来場ください。
 

真珠湾 安倍演説への違和感

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 朝のNHKニュースの時間は、真珠湾での安倍首相の演説を延々と放送していた。あまり長いので途中で見るのをやめて、ネットに全文が出ていたから内容がわかった。官邸の意を受けて専門家が知恵を集めて作文し、読み方の演出にも気を配っているのがわかった。自画自賛の美しい言葉を並べ、これくらいのことを言っておけば受けるだろうと、自信をもって臨んだに違いない。
 ハワイで日本軍の奇襲を体験したアメリカの元軍人も招かれていたようだが、実際に75年前の記憶を残している人は、ごく少数になっていることだろう。演説の流れを聞いていると、あの戦争が「日米同盟の類まれな強固さ」を作り上げるための、喜ばしい事件であったかのように聞こえてきた。実際には破壊と殺戮の修羅場だった筈である。しかも無警告の「だまし討ち」であった。フェアな精神を尊ぶアメリカ国民には、何よりもそれが許せなかったのだ。だから「リメンバー、パールハーバー」を合言葉に、全力をあげて日本打倒に立ち上がることができたのだった。
 太平洋戦争でのアメリカ軍は強かった。その強さは、日本軍の正反対と言えるほど異質なものだった。何よりも兵士の命を大切にし、洋上に降下した一人を救うために艦隊を出動させたりもした。ベテランの操縦士一人を育てるまでの時間と費用は、それだけの価値があるという合理的な判断だった。真珠湾から早くも始まっていた特別攻撃隊、小型潜航艇を送ったが効果もなく戦死した9名を、「軍神」として祭り上げた日本軍とは鮮やかな対照を示している。作戦においては必ず勝てるだけの兵力を集中して日本軍の弱点を突いてきた。そして勝つためには洞窟にこもる日本兵に海水を注いで追いつめ、ガソリンを流して焼き殺すことも辞さなかった。
 それだけではない、本土空襲では、非戦闘員が居住する住宅地を根こそぎ焼き払った。日本の戦争能力を奪うためには、日本人の生活基盤そのものを破壊するのが有効と判断したわけだ。その上に、戦意をなくさせる切り札になるという理由で、広島と長崎には2種類の原爆を1発ずつ投下して見せた。
 日本降伏後に占領軍として上陸したアメリカ軍が、略奪をせず、国民に対して日本軍よりも優しい軍隊であったことは評価してよい。そしてアメリカからの援助物資が、日本人を深刻な飢餓から救い、戦後復興への足がかりとなったことも事実である。そして日本はアメリカの保護国のようになり、それがいまだに続いている。
 真珠湾で日本の首相は謝罪しないということは、当初から決めてあったようだ。それよりも未来志向の日米関係を強調すると説明されていて、その通りに運んだ。だが曲りなりにも戦争を知っている私の感覚は違う。ハワイ奇襲は、ルール違反として謝罪すべきなのだ。それはそれとしアメリカへの借りは返しておいて、対等な日米関係を築いてほしいのだ。「強固な日米同盟」だけが日本の立場だと、勝手に決めてもらっては困るのだ。貸し借りなしの対等な日米関係なら、ハワイでの借りは、はっきり謝罪しておくべきだった。ひたすらに日米同盟を持上げる安倍演説への違和感の原因は、そこにあった。

今年のブログ望年会はどうするの

(熊さん)今年のブログ望年会は、どうするんですか。もう今週で終りですよ。
(ご隠居)ああそうだね。大げさなことをする気はないが、何もしないのも淋しいから、自由なゆるーい形でやってみるか。学校の同窓会と同じセンスでやったら、どうなるかな。幹事も会費もなし、特定の日時だけ決めて、気の合う者だけ集まればいいってことだ。
(熊)だけどさ、今までだってブログ望年会には会費はないし、日時だけ決めて集まってたんですよ。これ以上ゆるくしようたって、日時も決めなかったら何もしないのと同じになりますよ。
(隠)それはそうだな。じゃ、30日にしよう。わしも何か「今年のまとめ」みたいなことを書いてみるよ。長屋およびお立ち寄りの皆さんからも、コメントをいただいたら、オモテ記事に載せて保存しよう。コメントの設定は、受付フリーにしておくか。あまり変な道場破りが来るようだったら、その場で考えればいいや。
(熊)それはそうと、ゆうべはどうしてこの記事の書きかけで寝ちゃったんですか。夏からずっと休まなかった寝る前の体操もしなかったでしょ。べつに体調が悪いようでもなかったのに。
(隠)頚椎の対策はしたよ。薬をちゃんと飲んで、塗り薬もつけてる。机を少し高くして、椅子の背もたれに背中がついた状態で正面にパソコン画面が来るように調整した。痛みは軽くなって、枕も調整したから夜もちゃんと眠れてるよ。それで安心したのかな、このままストンと寝ちゃったらと思いついてね、それがすごく楽しい感じでさ、即実行したってわけさ。なんか、ぜいたくをした気分だった。
(熊)へんな隠居だね。たまにハメを外すのも、その程度なんだ。
(隠)それは褒めてるのか、ケナしてるのか、どっちなんだい。
(熊)知りませんよ。それくらい自分で決めなって。
(隠)ははあ、古い話だが、お前さんはわしが高校生の頃からいたんじゃないのか。あの頃は名前もつけなかったが、あれは熊公だったんだ。受験勉強もそっちのけで、日記ばかりを長々と書いていたときに、ある晩「ここで死ぬのが一番いい」って結論を出そうとしたら、「それだけはよせ」と止めに来たやつがいた。あれは今の熊公だったんだな。何でいま思い出したのかわからんが、そうに違いない。
(熊)おいらだって古いことは知らんけど、そんならおいら、ご隠居の命の恩人だね。
(隠)うーん、気がつかなかったな。熊公に命を救われたとは知らなかった。でもな、今でも困ったときに熊公を呼び出してるってことは事実だな。83歳になってお前さんを頼りにしてるのは、因縁浅からぬわけだ。こうなると隅には置けないな。わしの老後を守ってくれるのも熊公ってわけだ。
(熊)そんなに持ち上げてくれなくてもいいけどさ。
(隠)わしには頼りになる相棒がいたんだ。これからも、ずうっと頼むよ。

「重爆特攻さくら弾機」を読む(2)

 さて肝心の重爆特攻がどうなったかだが、戦況が悪化するにつれて南九州にある知覧(陸軍)、鹿屋(海軍)などの特攻基地は、アメリカ軍による間断ない空襲で、特攻機の地上での被害が大きくなってきた。その点では北九州にある太刀洗は比較的に安全であったため、「さくら特攻機」も太刀洗に置いて、飛行場周辺の掩体に入れ念入りに偽装していた。太刀洗からは、重爆特攻は直接に沖縄へ飛ぶことができた。
 当時、海軍の「桜花」は、犠牲ばかり多くて戦果が上がらないことが明らかになりつつあった。そこで「さくら特攻」への期待が高まるのだが、当時の飛行機生産技術力は急速に低下しつつあり、疎開先の工場からの部品を集めて組み立てる完成機工場でも、ベテラン工員が召集で抜けたあとを女子挺身隊が補っている状況だった。さくら弾機への改造も、ベニヤ板を多用する代用品で行われていた。さらに熟練操縦者が不足して、性能が不安定な機体を飛ばすのだから、輸送の段階でも不可解な不時着事故を連発するようになった。
 それでも戦況は待ってくれないから出撃を最優先せざるを得ない。先行的に出撃したさくら弾機と通常特攻の各1機は、指示された海上で事実上の行方不明になり、誘導と戦果確認に同行した随伴機だけが帰還した。それでも発表は果敢な特攻を行い、未確認ながら多大な戦果をあげたことになった。
 太刀洗の基地周辺には特攻隊員を接待する料亭などもあり、出撃が決まると当時では夢のような豪華な宴席が設けられたが、主役の隊員は、ほとんど箸もつけない場合が多かったということだ。志願者だけが特攻に行くという原則も形骸化して、持ち場が専門化している爆撃機では、直前に乗務を命じられることも当り前だった。そんな中で、出撃前夜のさくら弾機が掩体の中で燃えるという不祥事が起きた。
 全焼ではなかったが上部のベニヤ板構造が焼け、車輪がつぶれて大きく傾いたので、出撃は不能になった。直ちに憲兵隊が入って乗員名簿の提出を求め、朝鮮出身の通信士だった伍長を逮捕した。仲間の隊員さえも、彼が朝鮮の出身であることを知らなかったので驚いたという。他の隊員への事情聴取や、現場は外部から誰でも入れる状態だったのに、周辺への捜索もなかった。憲兵は朝鮮出身だけを理由に拷問したらしい。
 軍法会議で本人は犯行を否認したが判決は死刑だった。判決が8月8日である。そして翌8月9日の早朝に銃殺が行われた。九州大学の生体解剖事件で有名になったアメリカ兵捕虜の処刑と合同だった。その1週間後に終戦である。この伍長の実家は北朝鮮にあったため、朝鮮名は未だにわからないという。
 特攻機が焼けたおかげで、3人の隊員が生きて戦後を迎えることができた。特殊爆弾を開発し、爆撃機を改造するなど、なけなしの資材と労力を注いだ「重爆特攻さくら弾機」は、ついに何の役にも立たないままで歴史にわずかの記録を残して消えて行ったのだ。せめて一度は華々しい戦果をあげさせてやりたかったというのは、危険な感傷である。人智を尽くして戦争をするなどという愚行は、もう決して繰り返してはならない。

「重爆特攻さくら弾機」を読む(1)

 経緯は思い出せないのだが、十日ほど前にネット上で日本では重爆撃機を用いた特攻も計画されていたことを知った。陸軍の重爆「飛龍」に爆装して、敵の大型艦へ体当り攻撃を目指したのだという。しかし隊内で放火事件があり、朝鮮出身の特攻隊員が逮捕されたという話が付随していた。それを題材とした「重爆特攻さくら弾機〜太刀洗飛行場の放火事件」(林えいだい・東方出版)を中古で購入し読んでみた。
 日本の重爆撃機は陸軍にしかなく、戦時中は「呑龍」というのが活躍していた。その後継機は「飛龍」というのだが、重爆なのに運動性の良い名機だったらしい。陸軍の爆撃機は地上の目標を見ながら航行する有視界飛行が原則なので、海の上では役に立たないと言われていたが、「飛龍」だけは雷撃装置をつけるなどして海軍の作戦にも協力できたということだ。学習院の英文科には、陸軍爆撃機の操縦士だった森下君という同期生がいた。2年生あたりで中途退学してしまったが、おもに中国戦線での経験を聞いたことがある。高射砲の弾は運に任せるしかないから平気だが、地上から機関銃で狙われるのは怖くていやだと言っていた。
 戦争の末期、ドイツから潜水艦で製法の図解が届けられたという高性能爆弾を、爆撃機に装着する特攻が計画された。凹面鏡形をしていて、強力な破壊力が前方へ集中する原理だった。この爆弾は大きいから、機体の中央部を改造して上方にふくらませる必要があった。これが「さくら弾」であり、改造した機体が「さくら弾機」と呼ばれたのだった。そのほかに、通常の800キロ大型爆弾を2個、合計1.6トンの爆弾を積んだ特攻も考えられた。いずれも命中さえすれば大型空母や戦艦でも撃沈できると期待された。
 ところがここで問題になるのが、体当りできるまで爆撃機が飛んでいられるかということである。爆弾の重さで鈍重になっている上に、防衛用の機銃は機体を軽くするために減らしている。味方の戦闘機で手厚く護衛しない限り、敵艦に近づく前に敵戦闘機の餌食になるのではないか。著者は綿密なリサーチで生存者への取材を徹底しているので、当時の状況はかなりよく再現されている。そこからわかってくるのは、特攻は特攻のことだけを考えて効果的な攻撃法を工夫するが、それを可能にする護衛などの統合された作戦を、責任をもって考える頭脳が存在しないという事実だった。手持ちの戦闘機がなかったら、誰にも護衛などできないのだ。約束は次々に空手形になって行くしかない。
 特攻の記録を読んでいると、なんという無駄なことをしているのかと、気持が重くなることが多い。人を死なせることばかりが先行して、作戦として成功させるための努力が、じつにいい加減なのだ。必死の勢いで突入すれば、天佑神助で敵弾は当らないとでも思うのだろうか。

ふしぎな一日でした

 天皇誕生日、皇居へ参賀に訪れた人は、例年より多かったと聞きました。先日の「お言葉」と、昨今の安倍政治への不安から、天皇が「国民の拠り所としての象徴」に浮上しているように感じました。
 私にとっては、竜宮へ行った浦島太郎になったような、本当にふしぎな日になりました。所沢・小手指の間庭メヌエットさんへ行ったら、私の作詞を集めた分厚い楽譜集が出来ていて、その内容確認がテーマでした。ここへ行くと私は作詞家として歌の世界に入ります。そこは竜宮城で、私は時間を忘れるのです。というよりも、いつもと違う時間の流れに入るのです。
 そこから東京を横断して松戸へ行ったら、市民劇団の朗読劇「鉄道員」の最後の5分間のナレーションを聞くことができました。うたのすけさんに会い、劇団員皆さんの懐かしい顔も見られました。その幸運が奇跡のように感じられました。
 充分に幸せな一日でした。
 昨日、整形外科の診察を受けたら、頚椎に少し変形が出ているのがわかり、インターネットに熱中して長時間費やすのを少し見直すことにしました。年内は投薬と塗り薬で様子を見ることにします。ストレートネックというのが最近は多いそうで、現代病に仲間入りしつつあるようです。いろんなことがありますね。
 

出生数が100万人割れした

(熊さん)日本の出生数が初の100万人割れだって、新聞に大見出しで出てましたよ。
(ご隠居)ああ、わしも見たよ。今年は98万人台になりそうなんだとさ。なんでも100年以上前の水準に逆戻りするようだ。でもこれは予想されてたことだよ。5年ごとの国勢調査でも、前々回の2010年から日本の人口は減り始めているんだ。2015年には、5年前より107万人減ったのがわかった。日本は、はっきりと人口減少の時代に入っているんだよ。つまり生まれる赤ん坊よりも、死んでいく人の方が多い。
(熊)ってことは、年寄りばっかり増えてて、若い夫婦が少なくて育てる子供の数も少ないから、しょうがないんですかね。
(隠)まあそうだね。今の若い人たちは、結婚にあまり魅力を感じなくなってるとも言われるね。安定した職業について余裕のある人も少なくなってるから、二人以上の子供を持とうとする夫婦は、かなりの覚悟が要るんだろう。夫婦とも働いていたりしたら、大変だろうと思うよ。最近も「保育園落ちた、日本死ね」なんてネットでつぶやいたのが話題になったりしてたね。子供の保育の充実なんてのは、公共サービスの基本中の基本だと思うんだが、今の日本の政治じゃ、とても優遇されてるとは言えないな。
(熊)来年度の予算で、防衛費は史上最大なんて言ってましたよ。戦闘機でもイージス艦でも、みんな億円の単位ですごく高いんですよね。そっちを少し削って、福祉の方へ回したらいいのに。
(隠)それが簡単に出来るようなら話は早いんだが、今の安倍政権じゃ出来っこあるまい。なにしろ政策の優先順位が違うんだから。でも政策の目先では変らない人口カーブの大きな流れもあるんだよ。頭でっかちになってる日本の人口構成のゆがみは、ゆっくりと縮小しながら正常化して行くのは歴史の必然なんだ。いずれは日本の総人口は1億人を切ったあたりで安定期に入って行くだろうさ。身近を見回したってわかるだろう。わしら老人の孫の世代は、平均なら4人いていいわけだが、よくてトントンで、それより少ない例も多いんじゃないか。
(熊)そう言えばそうですね。昔みたいな末広がり大家族は少なくなってる。そして跡取りなしの老人世帯というのが、けっこう増えてますよ。
(隠)そうだろう。そうやって、長い目で見たら家も土地も余ってくる。世代が下がるごとに、うまくやれば今よりも余裕のある世の中が作れるはずなんだよ。わしも連れ合いも、それぞれの親が残してくれた有形無形の財産のおかげで助けられた時期があった。子供の数が少なくなるこれからは、その効果は大きくなるんだよ。親の介護という負担の問題もあるけれど、それは親の財産を受け継ぐことと表裏一体なんだね。
(熊)ご隠居には悪いが、貧困の老人も少なくないでしょ。
(隠)そりゃそうだ。長生きして生活保護に頼る老人だって増えるさ。そんな全部を抱えても、日本は余裕のある国になって行くんだよ。戦争さえしなけれゃ、そうなるさ。

タクシーの運賃は100円単位にしたらいい

 東京のタクシー運賃が近く改定されて、初乗りが380〜410円になるとのことだ。近距離でも使いやすくする狙いがあるという。その後の80円ずつ加算される料金は、237メートルごとに計算して、全体としては減収にならないように配慮するとのことだ。今の初乗り700円よりも、都会地では使いやすくなるかもしれない。二人で利用すればバスよりも安くなる。
 それはそれでいいのだが、タクシーに乗るときに、10円単位の細かい計算を面倒に思うことがある。目的地に近くなると支払いの用意をするのだが、夜など暗い中では財布の中の硬貨の識別ができない。1000円札で釣銭を待つと、10円や20円では、ごそごそ用意している運転手にケチだと思われそうな気がして「いいですよ」と言いたくなったりする。
 そこで思うのだが、初乗りは500円にして、その後の加算は100円単位にできないものだろうか。料金体系としては、距離で調整すればいいのだから複雑にはならないだろう。タクシーは100円単位で乗るものだと決めてしまえば、客も運転手も、かなり面倒が少なくなるような気がする。タクシーは時間に追われて使うことも多いのだから、料金の計算はなるべく簡単なのがいい。
 と書いてみたのだが、これですぐに制度が変るとは期待していない。世の中の決まりごとは、長い時間をかけて作られているから、簡単には変らないのだ。不合理だと思いながらも続いて行くことが多い。今は来年の新しいカレンダーが出回っているが、2月だけが28日と妙に短いのは不合理だと思う。統計などにも不都合なのはわかっているが、当分は是正される見込みはない。改善案が出されたこともあったが、最近は話題にもならなくなった。
 それでも時として世の中が動くことがある。誰かが言い出して賛同者が多くなると、意外にすんなり変ったりもする。インターネット時代の現代では、そんな機会も増えているようだ。だから書いてみたのだが……
 

見はるかす過去は未来を指し示す 戦争のない国づくりせよ

 年賀状に使う「今年の一首」を考えていたら、こんな形になった。「昭和からの遺言」を和歌一首に凝縮してみたら、という発想だった。戦争はもう必要ではない、治安のためには警察があれば足りる。国と国との利害は、外交交渉と国際法規に従って調整するのが最善である。軍備に使っていた膨大な予算は、国民福祉の向上に使えばいいのだ。
 結論はわかっているのだが、現実の国際情勢の中では軍備の廃止や縮小は難しい。軍事力の強弱は相対的なもので、国家存立の安心感にかかわっているからだ。どの国も強ければ安心だから、周辺国との競争をやめることができずにいる。でもここで、自衛権は放棄しないが、他国を攻める意図はないことを明示して、攻撃的軍事力を縮小する国が出てくると、周辺国は安心して軍備の高度化を止めることができる。そこから流れが変れば、相互に軍備を縮小するデスカレーションの時代に入ることも不可能ではない。
 この最初の「ファースト・ペンギン」になる国は勇気が要る。個人としての勇気ならともかく、国として国民合意の上で行動するには、それなりの徹底した議論も必要だろう。だがこの難しい役割を果たせそうな国が、世界に一つだけあった。言わずと知れた、平和憲法を持つ日本国である。周知のようにこの憲法は、アメリカ軍による占領状態の下で制定された。そして当時の国際情勢に合わせて、軍備のない日本の安全保障としては、日米安保条約が結ばれたのだった。
 それから70年あまりを経過して、日本には世界でも有数の装備を誇る自衛隊が整備された。そしてその間、日本は戦闘で一人も殺さず、殺されもせずに過ごすことができた。それはアメリカ軍の庇護の下にあったからとも言えるが、その根底に日本国憲法の思想が生きていたことは疑いようがない。これは偉大なことなのだ。未来における「軍隊」の役割を先取りしている姿なのだから。
 いま日米関係は見直しの時を迎えている。いずれにしても自立しなければ日本の未来は開けないところへ来ている。その方向性を決める大事なところにいる。間違ってもアメリカの下請けに入って戦争する国になってはならない。安倍政権に任せておいたら、その根本を誤りそうなのだ。歴史に学ぶという学び方が、安倍政権では「正義の戦争」という反対の方向を向いているからだ。
 戦争に正義などなどない。もしあるとしたら、止むにやまれぬ郷土を守る抵抗だけだろう。自衛隊は「戦わない」ことを永久の誇りとしていいのだ。

足の爪の越年と今後の見込み

 この夏8月の末に痛めた右足親指の爪の状態を、久しぶりに皮膚科で見てもらいました。現状は爪の全体は赤黒くなっていますが痛みはありません。爪の根元の方が少しふくらんで、新しい爪が下で出来始めているらしいのがわかります。以前は爪が浮いた感じで、少し動くようでしたが、今はまた全体がしっかり指についているようです。非常にゆっくりですが全体が伸びてくるので、少しずつ爪切りもしています。このままで越年してもいいかどうかを聞いてみました。
 結論は、あまり心配ないとのことでした。ただし新しい爪の伸び方は一ヶ月で1ミリ程度なので、「全部生え替わるまでには2年かかりますよ」と言われて驚きました。その間の注意としては、「血豆を作らないように」ということで、それには足指を強く圧迫しなければいいのでした。私の最近は外出が少なくなって、靴を履いている時間は長くありません。きつくない靴を履くようにして、夏にはサンダルにでもすれば良いのでしょう。草履や下駄という手もあります。ただし「また何かにぶつけたらダメですよ、気をつけて下さい」と言われました。道を歩いていて小石を蹴飛ばすなんてことは、しない方がいいのでしょう。
 何年か前の雪の降った冬に、夜道で氷の塊が落ちているのを見て、サッカーの要領で本格的に蹴ろうとしたら氷は路面に凍り付いていて動かず、人間の方がみごとに引っくり返ったことがありました。ああいうことは、しないように気をつけなければいけません。
 じつは本日診察を受けた爪を、写真で紹介することも考えたのですが、クローズアップして見て気持ちのいいものでもありません。自粛して、カメラは持たずに行きました。
 それにしても、です。たかが爪一枚の生え替りを見届けるのに、2年もかかるとは思いませんでした。今から2年後なら私は85歳になっています。ウィキペディアを見たら、足の爪の伸びる速さは、平均的には年間1.5ミリだそうです。いろいろな条件で速さは変るそうですから、私の爪は高齢化で遅くなっているのかもしれません。2年後の「足爪リニューアル」まで、私は私でいられるのでしょうか。
 年をとると時間は早く流れますから、2年間はすぐ先なのかもしれません。その時の日本は、今と同じ安倍政権の下にあるのでしょうか。願わくは少しでもよい方向へ変っていてほしいと思います。逆に破局と混乱に落ち込んだりしていないように、切に願うしかありません。

思考も判断もやめて拡声器になったマスコミ

 日本のマスコミがおかしくなってきた。今に始まったことではないと言われるかもしれないが、どんな鈍感な人間にもわかるようになってきた。沖縄でオスプレイが「不時着水」したという第一報が入ったら、後から現場の映像が入ってきても修正はしない。「不時着して大破した」と言い換えただけだった。最初の公式発表が「不時着水」だと、それを「墜落」と呼ぶことは禁忌にふれるようだった。「これは墜落だよな」と常識の言葉で語ったのは、ネット上の非公式情報だけだった。
 鳴り物入りの日露首脳会談でも似たようなことが起きた。領土問題には指一本触れることもできず、「4島地域への新しい枠組みの開発」に日本から3000億円の出資をすることだけが決まった。これも常識で考えたら外交交渉としては「完敗」の結果だが、新しい枠組み作りへの交渉を始めることが平和条約への大きな一歩になるというのが、日本政府としての公式見解になった。するとマスコミはそれをそのままに繰り返す。評論でも領土問題は非常に厳しいと、政府の言い訳を伝達して打ち切りにしていた。あとはせいぜい元島民の落胆ぶりを伝えて見せて終りである。
 今どきのマスコミの仕事は楽だろうなと思う。上から降りてくる発表を、そのまま字数と秒数を計算して書き直し、印刷や電波に乗せればいいのだから。そこには日本人としてこのニュースをどう評価するかという思考も、思考の結果を世に知らせるという判断も意欲も感じられない。事故や事件の場合には現場中継に記者やカメラマンを出すことも多いが、規制ロープの外側から、あまり意味のない映像を流しながら公式発表の説明を繰り返すのがほとんどである。中継が簡便にできるようになったのと反比例して、特ダネを求めて飛び込んで行くような迫力は見られなくなった。
 大手の新聞やテレビは、いまや限りなく「政府広報」に近づいて行くように見える。上意下達で、政府の方針を全国民に知らせる拡声器の役割にいそしんでいるかのようだ。それも役割の一つであることは否定しないが、本当にそれだけでいいのだろうか。政府広報だけなら大勢の人間は要らない。入ってくる情報を正確に整理して送り出す技術者がいるだけでいいことになる。思い切ったリストラをして経費の削減ができるだろう。あとは人気のあるフリーのライターから記事を仕入れて読者にサービスしたらいい。
 新聞を購読する人は、ますます少なくなる気がする。テレビも、電波媒体でなくネット配信が主流になる時代が、案外近いうちに来るのではなかろうか。テレビは限りなく高密度化するそうだから、ヒマな人の娯楽として発達するのかもしれない。

1本10円のボールペン

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 ふだん使いのボールペンを補充しようと思って街へ出た。いつもの文具店へ行く手前にダイソーの100円ショップがある。3本100円ぐらいのがあるかなと思って気軽に入ってみたら、なんと10本入りのパックが並べてあるので驚いた。ノック式で、裏を見たらインド製だった。安物買いが趣味ではないが、この値段でどんな製品なのかを知りたくなって買ってみた。
 まず、ふつうに書けるかを確かめたがインクの出方には問題ない。ノック式だが、戻すときにはクリップの先を本体側へ押して爪を外す方式で、ちょっと面倒だが機能はする。本体は完全に一体化していて、ノック部分だけが可動で、ペン部分の挿入口になっていた。これならキャップの省略がコストダウンに働くだろうと思った。
 こういった製品は、少し前なら中国か台湾製がふつうだったと思う。その生産地がインドに移ったということは、中国や台湾の労賃が上昇して、労働者の中産化が進んだことを反映しているのだろう。だとすれば中国・台湾の近代化が進んだので、それは好ましいと言っていいのだろうが、インドでこれを作った人たちは、どんな暮らしをしているのだろう。そしてインドの人たちは、こんなボールペンを日常で便利に使っているのだろうか。
 逆に今の日本国内では、こんな値段でこんなものを作ることは絶対に出来ないだろうと思う。メーカーは低コストで作れる国を求めて、これからも世界の果てまで進出して行くに違いない。その結果として、産業の近代化が世界に広がって、所得水準も向上して行くというのが、資本の自由の明るい面だというのはわかる。だがそこには格差の拡大や資源の浪費といった負の側面も潜んではいないだろうか。
 私は1本10円のボールペンが10本も欲しかったのではない。もっと適正な価格を支払って差額は公正な貿易に役立てて欲しかった。店頭で選択を誤ったと言ってしまえばそれまでだが、買ってしまった10本を捨てるわけにも行かない。つまらない悩みだが、私は今の心の痛みを、全く無駄なものにはしたくないのだ。安すぎると思えるものを買ったとき、その裏にある不正義を疑ってみる気持ちを失わないことは、かなり大切なことだと思っている。 
 

ブログ連歌(475)

9479 金になるなら 原発兵器に賭博さえ
9480  手を出して 汚れた手を誰が拭う (獣医さん)
9481 改めて 不戦を誓う 開戦日 (建世)
9482  いついつまでも 平和で生きたし (みどり)
9483 やっと遂げた 三階級制覇
9484  穂積 八分で引退へ あんたは偉い (獣医さん)
9485 SMAPは 悪人探しで 解散へ (獣医さん)
9486  近ごろ見ない どうでもいいけど (建世)
9487 師走とて 紅白話も 味気なし (みどり)
9488  ヒット歌謡も 小粒になって (建世)
9489 首都までも 危険深まる オスプレイ (みどり)
9490  日本も買うなど もっての他よ (建世)
9491 オスプレイ 着水したけど ばらばらに (獣医さん)
9492  常識ならば 墜落と言う (建世)
9493 四島は いつまで経っても ニンジン論 (獣医さん)
9494  餌は見えても 口に入らず (建世)
9495 四分五裂 波に漂う オスプレイ
9496  墜ちたと書けぬ 墜ちたマスコミ (土熊)
9497 領土問題 進展すると言ってたよ
9498  開けてみれば お金の話だけ (獣医さん)
9498B  故郷を追われた友人 ただあきらめる (獣医さん)
9499 四島も 二島でさえも 遠ざかり
9500  安倍は無策で プーチンは去る (建世)


ロシアとの交渉で忘れてならないシベリア抑留

 今日の no more war メールで池田幸一氏は書いている。
 「どうして領土問題に「シベリア抑留」を絡めないのか? 彼らの稀に見る非人道的行為はまだ消化されていないのです。 アキレス腱を何故直撃して交渉を有利に導かないのか。トランプの登場によって既成概念がぶち壊される世界の中で、新しい秩序での立ち位置をどこに求めるのか。面倒でももう一度日ロの関係を見直すべきではないでしょうか。」
 池田氏は生涯をかけてシベリア抑留問題を問いつづけている。先の大戦の終了時に、ソ連はまだ有効期間中だった中立条約を一方的に破棄して、火事場泥棒的に参戦してきた。その結果として旧満州、南樺太など広大な地域を占領するとともに、日本軍の軍人、在満州の民間日本人男性など65万人を「捕虜」として拘束し、その後長期にわたってシベリアの開発などに使役したのだった。厳寒の中での苛烈な労働と劣悪な待遇により多くの死亡者を出し、日ソが国交を回復した後の1956年までに帰還できたのは47万3000人だった。
 この行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に違反するものだったから、1993年に訪日したエリツィン大統領は、非人間的な行為だったとして謝罪の意を表した。しかしそれだけだった。
 太平洋戦争での犠牲者についてはよく知られており資料も残っているが、シベリア抑留は、言わば「裏側」で短期間に起こった事件だから一般的な関心が高いとは言えない。犠牲者の慰霊碑さえ、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の一隅を借りてひっそりと立っている。しかし関係者の心の痛みには区別などない。
 先の大戦で、日本は多くの誤りを冒して破綻した。その過程で近隣の国々に多大の損害と迷惑も及ぼしてきた。それを反省するところから戦後が始まったのだが、旧ソ連・ロシアは、なまじ「戦勝国」であったために、道義的な反省については鈍感でいる可能性があると思われる。真の友好のためには、共通の歴史認識のために、もっとよく話し合う必要があるだろう。
 そのためには池田氏の言う「アキレス腱」つまりシベリア抑留問題を刺激してやっていい。これを話題にすることが、北方の島を取り戻すために役立つのなら、シベリアで無念の最期をとげた人々の霊も、少しは慰められるだろう。

残り少なくなった2016年の年末時事放談

(熊さん)今月もあと少しで半ばを超えますよ。このまま年末でいいんですかね。
(ご隠居)わかってるよ。それでどうしろってんだ。何もしなくたって年末は来るし、正月にだってなるさ。国会もきょうで終りだとさ。「カジノ法案」と「年金法案」が通るかどうかの山場らしいが、採決すれば与党が勝つのがわかってる。野党が内閣不信任案を出したりして止められるかどうかだな。
(熊)明けて正月にも解散総選挙になるかもしれないってのは、どうですか。
(隠)それもあるかも知らんが、与党にとって得とも思えないな。選挙して与党が負けることはないだろうが、野党は曲りなりにも統一候補で対抗する話し合いを進めてる。与党は今の優位な議席数を減らすリスクを冒してまで選挙をやる気になるだろうか。それより今のうちにと体制固めの立法なんかを急ぐんじゃないのかな。
(熊)ていうと、今の安倍政治がまだまだ続くってことですか。それでいいんですか。
(隠)いいも悪いも、そうなるしかない現状なんだよ。それを踏まえて、次に勝つことを考えなくちゃいけないんだな。あきらめたら負けるに決まってるさ。勝つための第一の条件は、あきらめないことなんだよ。安倍政治にはいろんな問題があって、あちこちに破綻の前兆が出てきてるんだ。外交だって派手に動き回っているように見えても成果が上がっていない。プーチンの来日なんか、来る前から「領土問題には進展なし」と予防線を張ってる情けないありさまだよ。その上に、目の前に迫ってる不安要素がいっぱいある。オリンピックは無事に開けるのかどうか、それまで福島の原発はおとなしいままでいてくれるかどうか、南スーダンに派遣した自衛隊は無事でいてくれるかどうか、その中の一つが狂っても、雰囲気は劇的に変るだろうね。
(熊)悪いことが起きてくれと期待するのも変だけど、そういう危なさはありますね。一度風向きが変ると、勢いがついた反動で大きくなるでしょ。民主党政権が崩壊したときの裏返しみたいになりますよ。
(隠)そういうこともあるかもしれない。とにかく調子よく伸びているように見えるときが、かえって危ないんだ。経済だって落ち着いてデータを見たら成長どころかマイナスになってた。福祉を切り下げる一方で、防衛装備費という名の軍事予算だけは空前の規模にふくらんでいる。自衛隊の南西配備を宣伝しているが、その先の中国との関係は、ちっとも改善されなくて危険をはらんでる。国内で強気でいても、変化する国際情勢への判断を誤ったら、取り返しのつかないことになってしまうよ。
(熊)今年の漢字は「金」だなんて、浮かれていられませんね。
(隠)そうなんだよ。年末の株価がトランプ効果のおこぼれで上がっなんて喜んでる場合じゃないんだ。トランプ大統領が実現したら、日本が得をするような話じゃないんだよ。アメリカ第一主義で、日本は激しく揺さぶられることになるだろう。アメリカの顔色さえ見ていたら日本の政権は安泰だった時代ではなくなるんだよ。安倍内閣にはそれに対応できる知恵と実力があるのか、これが最大の不安要素だな。

「ら抜き」言葉と、やまとことばの復権

 今朝の日経新聞のコラムで読んだのだが、「見ることができる」という意味での「見れる」が、使用頻度で「見られる」を上回ったということだ。これを「ら抜き」と言うのだが、「見られる」が正しいというという認識があるからだろう。文法書では「れる」と「られる」の助動詞は、受身、可能、尊敬、自発の4つの機能を持つと説明されている。そして、見る、着る、知る、来る、出る、取る、など2音の短い動詞には「られる」がつく場合が多い。思う、壊す、動かすなど3音以上の動詞になると、「れる」が多くなる。
 ただしこれは傾向としてそうなるので、絶対の区分とは言えない。だから「見れる」も、間違いとは断定できなくて、そう言わない人が多いから耳障りだというに過ぎなかったのだと思う。私が子供のころにも、この言い方はあった。田舎っぽくて上品とは思えなかったが、意味はもちろんわかった。今にして思うと、「見れる」は「見える」と同じで、用法としては「可能」を明示しているから、意味がはっきりする機能もあったわけだ。服を「着れる」も簡潔明瞭で、むしろ快い。
 用語用字は一種の民主主義の世界だから、使う人が多くなると辞書でも無視できなくなる。最初は「○○の誤用」と紹介され、やがて「○○ともいう」と市民権を得てしまう場合もある。「見れる」も多数派になったのなら、堂々と使えるというわけだ。ただし今後は「見れる」のが正しくて「見られる」は間違った古い言葉だなどと言ってはいけない。文法は法律ではないのだから。
 人々が日常に使う言葉に注意を向けるというのは、基本的に良いことだと思う。それは常用の日本語を豊かにすることにつながる。同じコラムに、やまとことばの復権をテーマにした本が好評だと紹介されていた。明治以後に漢語の洪水に押されて、今は輸入のカタカナ言葉とその乱暴な和製略語が入り乱れている現代日本語の中で、耳から聞くだけで意味のわかりやすい「やまとことば」を活用する試みは好ましい。これは文書の言葉と日常会話の言葉を近づける効果も持つだろう。
 たとえば「通達を回覧して周知します」は「お知らせを回して皆さんに知らせます」で意味は通じる。話し言葉なら、後者の方がずっと素直に耳に入るだろう。この例のように、少し工夫するだけで、漢語をやまとことば(本来の日本語)に置き換えられる場合は少なくない。これを一歩進めて、話すような言葉をそのまま文書にすればいいのだ。漢字の多い文書を立派だと思ってはいけない。漢語に頼らない文書こそが、日本人にとっては意味のわかりやすい情報になる。辞書のことを「字引」と呼んできたのは、漢字という「元は外国語」を理解するために、漢字の意味を知る必要があったからなのだ。
 やまとことばの復権については、一つだけ注意しておきたいことがある。それは意味を深めるために漢字に頼るなということだ。例えば「思う」と「想う」を使い分けても日本語を深めたことにはならない。軽く「おもいつく」のか、それとも深く「おもいをいたす」のか、かなで書いて意味のわかるのが本当の日本語なのだから。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
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著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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