昨日の夕刊「東京新聞」の一面「紙つぶて」に、富士通総研の早川英男氏が「やってる感」という題で書いていたコラムが、簡にして要を得た秀作だと思った。筆者は、安倍政権の経済政策を「焼き畑農業」と評してきたそうだが、「三本の矢」から始まって「地方創生」「一億総活躍」と次々に目先を変えているだけで、踏み込みが足りないから、それらが成果を生むことはない、と評している。
 以下はコラムをそのまま引用すると

 にもかかわらず、安倍政権の支持率は極めて高い。それはなぜだろうと考えてきたのだが、昨年末に読んだ御厨貴・芹沢洋一両氏の対談本「政治が危ない」の中に重要なキーワードを見つけた。それは「やってる感」である。同書によれば、安倍首相自身「やってる感が大事だ」と意識して行動しているのだという。
 思えば日本には、成果の如何を問わず「頑張っている人を貶めてはいけない」という文化がある。次々と新たな課題を掲げる経済政策は、確かに頑張っている印象を与える。まして頻繁に外遊をこなし、その度にテレビに首相の姿を映し出す外交姿勢は「やってる感」満載と言えよう。
 だが一つ気掛かりな点は、成果を問うのでなく「やってる感」を評価する文化を変えない限り、長時間労働は無くならないことだ。それでは、アベノミクスの最新版スローガン「働き方改革」が本当に実現することもない。(引用終り)

 これは安倍政権の長命安泰の理由を、かなり鋭く解明しているように思われる。口で言うほどの民生安定の成果は上がらない一方で、目指している方向性には懐古的で危険なものが感じられる。それにもかかわらず支持率が落ちないのは、その指導力が積極的に評価されているというよりも、「頑張っているようだから、もう少しやらせてみればいい」という「やってる感」が、何となく期待をつないでいる可能性がある。
 だが、このコラムでも指摘されている通りに、結果を出せない政治は政治ではなく、国民の暮らしを明るくできない政治家は失敗した政治家なのだ。世界を渡り歩いて国費を散財するだけなら誰にでもできる。それをなにか特別な業績のように印象づけるのは、よほど確かな成果が見込まれないかぎりは、筋の悪い宣伝と言うほかはない。
 まして長時間労働ならぬ長期間政権を通して、この日本は良くなったのか悪くなったのか。その評価を「やってる感」などで決められてはたまらない。閣僚は次々にボロを出して弁明に追われるような政権がいつまで続くのか、「働き方改革」が必要なのは、他ならぬ安倍政権そのもののように思えてくる。