都合の悪い記憶を消してしまいたいことは誰にもある。今の自分にとって都合の悪い過去の言動などは、事実そのものは変えようがないにしても、記憶に残しておかなければ気が楽である。これが上手にできる人がいるらしい。常に確信をもって語り、説得力の強い弁論を展開する能力は、政治家や弁護士にとっては必要なものだろう。だが、過去の言動が他人の記憶に残っていたり、公式な記録や記事に書いてあったりすると、心ならずも訂正しなければならなくなる。
 その場合は、今の弁論の力強さに比例して、前言撤回のダメージも大きくなる。そのときの弁解として、「話した時には単に忘れていたので、その時点では誠心誠意をもってお話した」と説明したら、許されるものだろうか。話したことの前提条件が狂っていたのなら、主張した弁論の結論も信用できないと考えるのが常識というものだ。
 これを稲田防衛大臣の国会答弁に適用してみると、森友学園の訴訟にはかかわっていないと言ってきたものが、動かぬ証拠がでてきたことで「私の記憶が間違っていた」と述べ、撤回して謝罪した。野党がそこで虚偽答弁だとして辞任を要求したところ、稲田氏は「(虚偽答弁ではなく)記憶にもとづいて自信をもって答弁していた」と強調して、引責辞任は否定した。さらに安倍首相も衆議院本会議の場で、「しっかりと説明責任を果たし、今後とも誠実に職務に当たってもらいたい」と述べたということだ。
 この「しっかりと説明責任を果たす」とは、「すっかり忘れていた」ことを証明すればいいということなのだろうか。つまり「忘れてたんだから、しょうがない」ということか。しかし証拠の記録が発掘されなければ、稲田氏の主張が通ってしまうところだった。重要閣僚の資質にかかわる情報の一つである森友学園との親和性が、国会の討論から抹殺されるところだったのだ。
 過去の事実でも、今の自分にとって不都合なものは早く忘れたいだろうが、それを徹底したら「歴史の偽造」になってしまう。自民党の政治家には忘れたいものが沢山あるようだが、とくにこの稲田氏には、「自信をもって忘れてしまう」という特技があるようだ。そんな人物が防衛担当の大臣でいることは、とても不安だと思う。