山尾志桜里 無題金田勝年 無題

 きょうの午前中、ネットで見られる国会中継で、衆議院法務委員会での「共謀罪」についての討論を見ていた。民進党の山尾志桜里氏が金田勝年法務大臣に質問していた。山尾氏は元検察官の経歴があり、2014年の総選挙では、民主党から立候補して電力労組と「原子力平和利用についての政策協定」を結ぶことなく、小選挙区で議席を獲得している。民進党の今後を担う論客として、期待できる人だと私は思っている。
 討論を聞いていて、現職の法務大臣の答弁がいかにも頼りなくて、討論者としての格の違いを見せつけられるようだった。質問を受けるたびに、付き添っている官僚と打ち合わせないと言葉を出すことができない。新しい法律では何が「共謀」の捜査の対象になり、一般の人たちの討論や集会の自由がどのように守られるのかが、少しも明快にならないのだ。途中で見解が変るので、自民党が用意した「立法の趣旨」の内容が、議論するにつれて逆にぼやけてくる。
 山尾議員の質問時間は25分間に限られているので、討論で追いつめられても途中で打ち切りになる。新聞によれば、自民党はこの法案をきょうのうちに委員会で採決し、本会議に持ち込む条件が整ったことにする予定とのことだ。明日からは本会議に場を移すから、そこでまた波乱があるだろうが、国会ではこのような手続きで法律を作って行くわけだ。
 かつて木島則夫氏が参議院議員になったとき、「皆さんは、国会の中ではどんな立派な議論が行われているかと思うでしょうが、実際にやっていることは、儀式、儀式の連続なんです」と真情を吐露していたことを思い出す。法案が何であれ、採決は数で決まる。
 でも、そこで止まっては未来に希望はないと、今の私は思う。討論を聞いていれば、物事の本質がわかることがある。国民が政治の中身を知ることは無意味ではない。今の少数が、明日の多数にもなることを保障するのが民主主義なのだから。
 国会議員には、こういう人に政治を任せてみたいと思うような人も、確かにいるのだ。